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2018年1月の11件の記事

2018年1月21日 (日)

かぐや姫の「雪が降る日に」

天気予報によると、明日(2018/01/22)は、関東地方も積雪が予想されるという。都心でも5~10センチの積雪の予報と言うから、当八王子ではかなり積もる??
そんな事を考えて風呂に入っていたら、こんな旋律が浮かんだ。

<かぐや姫の「雪が降る日に」>

「雪が降る日に」
 作詞:伊勢正三
 作曲:南こうせつ

雪が降るよ やまずに昨日から 昨日から
窓の外は何にも見えない 見えない
(雪やコンコン あられやコンコン 降っても 降っても
 何にも見えない)
約束を信じてた 約束を信じてた
昨日の夢は 終るよ

雪の上に 足跡続くよ 続くよ
私を連れてゆこうと あなたは言ってたのに
(雪やコンコン あられやコンコン 降っても 降っても
 あなたは言ってたのに)
足跡を追いかけて 足跡を追いかけて
昨日の夢は 終るよ
昨日の夢は 終るよ

この歌は、WIKIによると、「南こうせつとかぐや姫」の1972年4月20日発売の最初のアルバム「はじめまして」に収録されているという。
自分がこの歌に興味を持ったのは、「雪やコンコン・・・」という誰でも知っている旋律がオブリガート(副旋律)として、この歌に見事に溶け込んでいたから。
オブリガートについては、前に「さだまさし「檸檬」のオブリガート(副旋律)の妙・・」(ここ)で書いた。
クラシック音楽では当たり前の、オブリガートだが、一般的な歌では溶け込ませるのがなかなか難しい。

話は戻るが、明日の積雪が心配。思い返せば、4年前(2014年2月15日)に我が家で72センチを記録(ここ)。
この時はバスが2日間、完全に止まって、お袋の四十九日の納骨に行けなかった。我が家は雪によって孤立化してしまう怖ろしい高台にあるのだ。
自分が雪を怖がっているのが、実は雪かきが大変だから。若いときはどうって言うことはなかったが、古希を過ぎたこの頃は、雪かきによる腰痛が怖い。毎年、雪かきを始めるとつい無理をして、結局腰を痛めてしまう。同じ事を、もう何度も経験した。
180121yukikaki それで、ちょうど1年前に大形の雪かき機を買った。これはテレビで雪国の雪かき風景を見ていて、この器具だと雪を持ち上げることなく移動できて、楽ではないかと・・・。しかし、昨年は雪が積もらず、まだ梱包のまま。しかしどうも今回(明日)はこの器具が活躍しそう!?

我が家では、雪についてこんな歌のようなロマンチックな経験はない。
今日は、12度を超えて春のように暖かかった。この暖かさを武器に、明日は雪が降っても積もらなければ良いが・・・
積雪にビビる老人ではある。

180121kyuukei <付録>「ボケて(bokete)」より

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2018年1月19日 (金)

e-Taxでの確定申告と高血圧

居間の電話機の側に、医療費の領収書を入れたクリアファイルがある。それを、カミさんが膨れているので、持って行けと言う。確かに年も替わった。そろそろ確定申告のシーズンである。
自分が確定申告をするようになったのは、長男が生まれたとき、税理士をしていた親父から「医療費控除があるので確定申告しろ」と言われたときから。だからもう40年も毎年やっている。
最近はパソコンによる申告書作りなので楽になった。ふと「確定申告」と検索したら、もう「確定申告書等作成コーナー」が始まっていた。それで、いつものように医療費の領収書をExcelにインプットして整理し、今日、確定申告書をE-tax(国税電子申告・納税システム)で申告した。昨年は2月6日だったから(ここ)、今年は早く終わった。
見ると年明けから受付している。くだんの国税庁長官も辞任していないし、まだまだ確定申告のムードはこれからだが、終わってしまった。・・・が少々手こずった。

受付ブラウザはIE11のみ。自分の現用のPCは実は相変わらずIE8。これはココログのため。それで、ラジオ録音専用に使っているwin7での申告にチャレンジ。結果は失敗。実はラジオ録音以外には使っていないので、win7のアップデートを全くしていない。どうもそれが原因らしい。
仕方がないので、IE11をインストール。手こずったのが「利用者識別番号暗証番号(8文字以上)」は良かったが、「公的個人認証パスワード(6文字以上)」。2度入れたが、エラー。
2度失敗したところで「5回連続で間違って入力した場合、パスワードロックがかかってしまいます。ロックを解除するためには、発行を受けた市役所等の窓口での手続が必要になりますので、ご注意ください。」との文言にびびった。
結論として、「マイナンバーカード」の時に登録した6文字で通ったが、とにかく暗証番号が色々あって迷う。そもそもそれらと理解しようとしていない自分が問題なのだが、行き当たりばったりで試すスタンスが悪い。でも、6文字はこれ、8文字はこれ、と分かったから、来年はスムーズだろう。

しかしIE11専用は、明確。それ以外はダメ。さてこのPC、昨年はIE8に戻したが、どうだろう。今のところ、IE11でこの記事を書いているが、無事何事も起こっていない。ココログの推奨はIE11だが、“色々あって”従来からのIE8の方が使い易かった。しかし、IE11でも良さそうだ・・・

それにしても確定申告で、今年は源泉徴収された額の43%が戻ってくる。昨年の2016年分は50%が戻った。ふるさと納税や医療費控除があるにせよ、ちょっと大きすぎないか?つまり、国民が黙っていると、払う必要の無い税金を勝手に源泉徴収されてしまうという現実・・・。

さて、タイトルに「確定申告」と「高血圧」を並べて書いたが、実は両者は全く関係が無い。
別の話だ。少し落ち着いたので、書く気になった。
カミさんは、体質的に高血圧で、前に「ニンジン・リンゴジュースで高血圧を治した話」(ここ)という記事を書いたのが2013年10月だった。数年間はこれでだましていたが、結局2013年8月から薬飲む羽目になった。自分はいままで高血圧と言われたことがない。
でも毎日血圧を測るカミさんに付き合って、たまに血圧を測ることがある。
いつだったか、スーパーの血圧測定器で二人で測っていたら、近くから見ていた酸素ボンベを持ったオジサンから「二人で足して二で割ると良いのに」と笑われた。つまり、カミさんは普通より高く、自分は普通より低かったわけ。

それが今年になって(1月2日~1月14日)、にわかに血圧が高いのでビックリ。普通は120台/70台だったのが、140~160/90台!!瞬間最高記録は160/99!
これには深く反省。つまりカミさんを笑っているとバチが当たる、ということ。
これは「運動不足」だな、と判断。ダラダラと歩く愛犬との散歩は放棄し、自分ひとりで早歩きの散歩を実行することにした。
1月4日6600歩・・・1月7日7500歩、1月10日10.000歩。実はここでダウン。腰痛発生!
ななとんと、骨盤の上辺りが痛み出したのである。原因は急に歩き出したため。
カミさんの「徐々にやったら」が当たった。

先日、毎月制酸剤を貰いに行っている近くの医院で「今年になって血圧が高いのに気付いたので、運動をする事にした」「いいですね~」「それで早歩きの散歩を始めた」「いいですね~」「1万歩を超えたら、腰が痛くなって・・・」「ハハハ。何でも急に始めると、体がビックリするもの。ハハハ・・・。血圧は体質なので、急に悪くなることはない。冬なので寒いせいでは?様子を見ることで良いと思いますよ」

散歩は、まさに笑い話! しかし、理由は良く分からないが、1月13日に129/77を記録してから、120~130台/70~80台に下がっている。過去の記録を見ると、先の夏は110~120台/70台なのだが、2年前の冬は、やはり 153/88という記録がある。やはり寒さのせいかも知れない。でも日や時間単位と言うより数日単位で変化するのが分からん。

ともあれ、古希を過ぎた老体。それを認識せざるを得ないこの頃の我が肉体である。

180119tomare<付録>「ボケて(bokete)」より

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2018年1月17日 (水)

高田渡の「自衛隊に入ろう」

先日、こんな歌を聞いた。半世紀も前のフォークソングである。

<高田渡の「自衛隊に入ろう」>

「自衛隊に入ろう」
  作詞:高田 渡
  作曲:マルビナ・レイノルズ

みなさん方の中に
自衛隊に入りたい人はいませんか
ひとはたあげたい人はいませんか
自衛隊じゃ 人材もとめてます

*自衛隊に入ろう 入ろう 入ろう
  自衛隊に入れば この世は天国
  男の中の男はみんな
  自衛隊に入って 花と散る

スポーツをやりたい人いたら
いつでも 自衛隊におこし下さい
槍でも鉄砲でも 何でもありますよ
とにかく 体が資本です
*(同上)

鉄砲や戦車や ひこうきに
興味をもっている方は
いつでも自衛隊におこし下さい
手とり 足とり おしえます
*(同上)

日本の平和を守るためにゃ
鉄砲やロケットがいりますよ
アメリカさんにも手伝ってもらい
悪い ソ連や中国をやっつけましょう
*(同上)

自衛隊じゃ 人材もとめてます
年令 学歴は問いません
祖国のためなら どこまでも
素直な人を求めます
*(同上)

この歌についてWIKIにはこうある。
「「自衛隊に入ろう」(じえいたいにはいろう)はフォークシンガー、高田渡の楽曲。ピート・シーガーが1962年に発表した「アンドーラ」という曲が原曲である。
1968年8月9日-11日に京都・山崎「宝積寺」で行われた第3回関西フォークキャンプに参加した高田渡が初めて歌い、観客に衝撃を与え、注目を浴び、レコード・デビューのきっかけとなった。1969年4月にURCレコードより発売されたアルバム『高田渡/五つの赤い風船』に収録され、同年12月にシングル発売される。
マルビナ・レイノルズ(英語版)が作詞した「アンドーラ」は、小国アンドラとの比較によってアメリカ合衆国を風刺した反戦歌だった。一方、「自衛隊に入ろう」の歌詞は、高田が原詞に依らず新たに創詞したものである。この歌詞には自衛隊を風刺する皮肉が込められており、1968年にTBSの番組で放映された。それにもかかわらず防衛庁(現防衛省)から自衛隊のPRソングとしてのオファーが出され、高田本人は困惑したという。後年、自衛隊の存在が広く認知されるようになると高田はこの曲を封印し、2005年に死去するまで再び歌われることはなかった。
この曲は後に日本民間放送連盟により要注意歌謡曲に指定され、放送禁止歌となる。現在では要注意歌謡曲指定制度そのものが効力がなくなったため、放送禁止の扱いではない。」

この最後の「放送禁止歌となる。」は、どうも正しくないようだ。森達也著「放送禁止歌」(知恵の森文庫)によると、この歌に限らず、そもそも放送禁止になった歌などなかったらしい。
でも、「防衛庁(現防衛省)から自衛隊のPRソングとしてのオファーが出され、高田本人は困惑したという。」という話は本当らしい。

この歌が発表されたのが1968年8月というので、今年はまさに50年目。当時、自分は大学3年生。学生運動が盛んだった時代だ。
自分としては初めて聞いた歌だが、半世紀前の“過去の歌”には聞こえない。なぜだろう?たぶんそれは、自衛隊が大きく変わろうとしているから・・・。そしてまさに「自衛隊に入って 花と散る」のが現実になりかねない状況だから・・・

先日(2018/01/13)、北朝鮮から米ハワイ州に向けて弾道ミサイルが発射されたとする避難警報が誤送信され、現地でパニックを引き起こしたが、何ともこんなブラックジョーク?に涙が出る。
自衛隊は今まで通りで良い。「花と散る」自衛隊員など見たくない。専守防衛を超えて米国のために「花と散る」自衛隊員など見たくない。
忘れ去られたはずの半世紀も前の歌が、妙に気になる最近の政局である。

180117kita <付録>「ボケて(bokete)」より

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2018年1月16日 (火)

「お顔」の不思議・・・

今朝は、TVのどのチャンネルに切り替えても、北朝鮮が平昌五輪に美女楽団を派遣するとの話題を取り上げていた。スポーツと関係のない話だが、既に日本のTVは踊っている。
確かに、TVに映る「身長165センチ以上、体重50キロ以下」基準の女性たちは美女揃い。しかし、画一的なお顔・・・

先日、こんな記事があった。
「(特派員メモ)整形大国 広告を禁止 @ソウル
 人口1万人あたりの整形数が世界一との統計もある韓国。首都ソウルで約300キロの地下鉄網を運営する市の公社が「美容整形の広告を禁止する」との方針を打ち出し、話題になっている。契約更新しない方法で進め、2022年にはすべて消える予定だ。
180116seikei  美男美女の写真に「完全な顔をデザインする」といった宣伝文句が添えられた広告は、整形医院やエステが軒を連ね、「ビューティーベルト」と呼ばれる江南(カンナム)区の駅に多く、ソウル名物になっている。広告禁止は「外見至上主義を助長する」との批判が強まったためだという。
 広告禁止を歓迎する声は、10代の子どもを持つ親に多い。韓国では近年、小中学生が整形手術を競い合う現象まで出ている。中学生の娘を持つ語学講師の知人は「子どもが外見以外の価値を大事にできる環境を作ってほしい」と切実な思いで語る。
 一方で、美容整形の広告は安い地下鉄料金を維持する財源の一つだ。整形目当ての海外からの「医療観光」も収入源。今回の発表が「外見」を取り繕っただけで、すぐに方針転換、とならないように願いたい。(武田肇)」(
2018/01/11付「朝日新聞」p13より)

韓国では、小中学生までも整形手術を競い合う、という話にはビックリ。
それにしても、人種によるお顔の違いは大きい。黒船がきたときに、初めて見る鼻が高い顔にビックリしたことが良く分かる。海外の映画やドラマを見ても、彫りが深く鼻が高い西欧人、黒い肌と厚い唇のアフリカ人、そしてのっぺりとしたアジア人など、その違いは歴然。
それらはそもそも頭蓋骨の形状が違うので分かるが、同じ日本人でも、様々なお顔。

考えてみると、お顔の部品は同一。鼻と目と口と眉毛、そんなもの。でもその配置で、美人・美男子になったり、そうでなかったり。
たぶん遺伝的な素質と偶然で、自動的に部品は配置される。それらを評価するのは、その時の文化であり、その時代の見る人の勝手。土偶に見られるように、昔は太っていないと美形ではなかったように・・・

男はまだしも、女性はその偶然に一生を左右されかねないので大変。だから美容整形ということになる・・・
同じ遺伝子でも、兄弟の顔の違いも大きい。特に歳を取ると、似てくる。我々3兄弟も、兄貴は歳と共に面長の親父に似てきた。自分の団子っ鼻はお袋似らしい。弟は・・・良く分からない。もし、我々が3姉妹だったら、と考えると怖ろしい。自分は、この団子っ鼻で、どれだけ親を恨んだか???
目鼻などの部品の単なる配置の顔。しかし、顔は人を表すとも言う。
兄弟でもこれだけ違う、偶然が為せる?お顔の不思議である。

180116mother <付録>「ボケて(bokete)」より

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2018年1月14日 (日)

ダークダックスの「くちなしの花」

自分が初めてダークダックスのLPを買ったのが、先日も紹介した(ここ)、「ダーク・ダックス 180114darkducks ゴールデン・デラックス 結成15周年記念アルバム」というLPだった。メモによると買った日は、昭和45年(1970年)8月6日とある。キングによるこの1969年発売のLPの録音は素晴らしく、いまだに愛聴している。特に「北上夜曲」や「雪の降る街を」「かあさんの歌」「銀色の道」は、その後のどんな録音も及ばない。

先日の「旅だった人(旅立つ女)」を書いたとき、自分が聞いている音源が、まだMP3だったことに気が付き、改めてハイレゾ(24bit/96Khz)で録音し直した。
そのとき、自分が愛聴しているそのLPの収録曲の中で、あまりメジャーになっていない歌があることに気付いた。今日はそんな曲の紹介である。

<ダークダックスの「くちなしの花」>

「くちなしの花」
  作詞・作曲・編曲:平岡清二

君を 思い出しているんだ
ここで ただひとりきりで
それは この花があるからさ
白いかおり高い花
くちなしの花
君の大好きだった
ホラ 君と僕のへやに
つかの間のしあわせよ

君は 何もいわずに去った
ひとり 寂しく死んでいった
その日 白いこの花だけが
あとに とり残されていた
くちなしの花
つきない思い出よ
ゆうべ そして今夜もまた
夢にみる君だけを

一般的に「くちなしの花」の歌というと、渡哲也の歌を思い浮かべる。しかしJASRACのデータベースで検索すると、「くちなしの花」という歌が、何と22曲も登録されている。しかしこの180214kutinasi 平岡清二の作品は「アーティスト名」が空白。このダークですら登録されていない。つまり完全なマイナーな歌、ということらしい。
Netで検索してもこの歌の情報はまったくヒットしない。つまりはこの音源はCD化もされていないようだ。ただ1984年発売のポリドールの「花詩集」というダークのアルバムには収録されているらしく、こちらは編曲が服部克久。

持っているCDは、あまり聞かないものは処分しているが、LPには手が着いていない。音質は完全にCDの方が勝るが、CD化されていない音源はLPに頼るしか無い。
このLPのように、CD化されていないLPは、もう一度見直して、自分の好きな曲は、自分なりにハイレゾ化しておく必要があるようだ。
自分の愛聴曲だが、どうもあまり世に知られていない「くちなしの花」ではある。

180114sanpo <付録>「ボケて(bokete)」より

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2018年1月13日 (土)

日本のセックスレスの夫婦は47.2%

当blogはニフティだが、その編集のページの右の欄にある「@nifty主要ニュース」に、こんな記事があった。先日「100年前の日本人が「全員結婚」できた理由」(ここ)という記事を書いたが、それにも関連している。

日本の夫婦「セックスレス調査」驚愕の結果
日本の夫婦のセックスレスは47.2%に上るという驚愕の結果が、一般社団法人日本家族計画協会の調べで分かった。
調査は2016年10月と11月に実施され、16~49歳の男女1263人から有効回答を得て、2017年に第8回『男女の生活と意識に関する調査』としてまとめられた。2002年からスタートした同調査は、2010年の5回目までは厚生労働科学研究費補助金による研究事業の一環として行われてきた。第6回(2012年実施)以降、同協会が公益目的支出計画事業の一環として独自に調査を実施している。
調査結果では、既婚者が過去1カ月にセックスのないとセックスレス状態の夫婦は47.2%。さらにセックスに積極的になれない理由を聞いたところ、男性は《仕事で疲れている》が35.2%でトップ。次いで《家族(肉親)のように思えるから》(12.8%)、《出産後、何となく》(12.0%)となっている。一方の女性は《面倒くさい》(22.3%)、《出産後、何となく》(20.1%)、《仕事で疲れている》(17.4%)となっている。
さらに18~34歳の未婚男女に絞って分析した結果、結婚の意思について、《いずれ結婚したい》と答えたのは全体の83.9%。男性82.3%、女性85.7%と男女とも高い割合で結婚願望を持っている。
結婚することには前向きだが、一度も結婚をしない生涯未婚率は年々上昇し、少子化の傾向にも歯止めがかかっていないのが現実だ。同協会も次のように警鐘を鳴らしている。
「政府が取り組んでいる少子化対策は、既婚者、妊産婦、子供のいる方が対象となることが多く、未婚者への対応が手薄な感を否めない。若者たちの雇用の確保と経済的安定が図られないと、結婚どころか子供を持つなんて夢のまた夢なのかもしれません」

「結婚の利点」男女間で大きな差
今回の調査では、結婚の利点を尋ねたところ男女間で大きなギャップがあることも浮き彫りとなった。
25~29歳男性では56.1%とふたりにひとりは性的欲求が満たされることをメリットに挙げている。だが女性は34.2%と低く、約22ポイントの乖離が生じている。さらに30~34歳において、結婚することで“経済的な余裕が持てる”ことを挙げたのは、男性は15.2%にとどまっているのに対し、女性は4倍以上の61.1%に達している。
これらの結果からも分かるように、結婚の利点を男性は性的な充足が得られること、女性は経済的に安定できることとする傾向があるようだ。
「結婚への期待感に男女差が大きいと、若者たちは結婚をいつ、どのようなきっかけで決断するのか疑問が残ります」(同協会員)
男女とも結婚に対してはそれぞれ思いがあるようだが、セックスレスの割合だけは毎回更新されてしまう同調査。セックスレス大国になってしまった日本が、また元気になる日はやってくるのだろうか。」
(2018/1/13付「まいじつ」ここより)

我が家で今凝っている米TVドラマ「ER緊急救命室」。シーズン13に突入したところだが、「肉食系だからしょうがない」が最近のカミさんとの合い言葉。つまりドラマの舞台はフリーセックスの国なのだ。職場の誰彼と無く、自由に相手を替えて・・・。とても日本ではマネできない。

それに比べ、前に、岡崎大五著の「日本は世界で第何位?」という本を読んだが(ここ)、日本はセックスレスの国だという。

日本人は「週1回弱」
さて、日本の面積が世界では上位3分の1、アジアでは真ん中より上位となると、次は人口である。いくら国土が広くても、人が少なくては、小さな国となるかもしれない。
なんと日本はトップ10入りである。
180113jinkou 人口ではかなりの大国であることは間違いがない。
はたしてこの順位で、日本が小さな国だと言えるだろうか?
謙譲は日本人の美学だが、人口がトップ10圏内の国を、世界のだれも、小さな国とは認めてくれないにちがいない。
それにしても、トップ10の内、日本を含めてアジアが6カ国も入っている。アジアの人口を合算すると、世界の過半数に達する。
面積と人口だけでくらべてみても、日本が決して小さな国ではないことがわかった。
でも、国連の推計による将来の人口を見てみると、出生率が低い日本は低落し、出生率の高いアラブ、アフリカ地域が台頭するだろうとされている。
そうなると、政治的、経済的にも、世界を牛耳るパワーバランスが、大きく変化することだって考えられる。
だからこそ日本政府は、少子化対策に躍起になっているのだろう。なんたって、日本人女性が一生に産む子供の数は、1.33人と、世界で174位なのである(2005年国連調べ)。
2.08人産まないと、いまいる人口は維持できないらしいが、先進国はおしなべて、この数字を下回っている。世界の平均は2.65人だ。
加えて日本人はセックスレス気味である。
180113sex デュレックス(Durex)という避妊具の有名ブランドをもつ、大手メーカーの調査によれば日本人の頻度は、つまりは週1回弱という計算になる。それだけ聞いたなら、まあまあじゃないかと思えるが、3日に1回はしている上位国とは雲泥の差だ。
このランキングを見ていると、女性にもっと子供を産むように仕向ける前に、個々人がすべきことはなんだったのかと、初心に立ち返る必要がありそうである。
ただ、おしなべてアジア人のセックス頻度は低くなっている。
ランキングにはアラブ、アフリカ勢はほとんど登場していないので、これらの国のセックス頻度に関しては不明だが、子沢山はアラブ、アフリカに集中している。
1位は西アフリカのニジェールで、7.9人である……すごい。以下10位まで8カ国をアフリカ勢が占めている。しかしどの国も平均寿命が短い。たとえばニジェールでは、平均寿命は41歳だ。その原因としては、乳児死亡率の高さや貧困、さらにはHIVの感染死亡者が多いせいだと考えられている。
そうして現在、世界の人口は66億人である。
つい150年前、江戸時代のころは、世界の人口はやっと10億人だったことを考え合わせると、近代から現代にかけて、人類は爆発的に増加していることになる。
自然界全体から俯瞰したならば、人類の一極支配がどんどんひどくなっているということだ。
100億人に到達するのが、2060年ころと考えられているが、アフリカの乳児死亡率が低くなり、HIV感染治療が進歩すれば、アフリカの人口は、予想をはるかに超えて増えていくだろう。
日本では、産業を維持するためには、出生率に期待するより、確実な外国人労働者をいまよりもっと利用するようになっているかもしれない。
でもそこで働くのは、よく見かけるアジア人から、アフリカ人に変わっていることだって十分考えられる。」(
岡崎大五著の「日本は世界で第何位?」p22~25より)

年金生活者の我々にとっては、遠い昔の話題だが、先の米ドラマを見るにつけ、出産は“まさに奇蹟”という感を強くする。
種の存続という行為は、赤ちゃんの誕生という視点で見ると、何と神々しい事か・・・
それに比して、日本はこの頻度のデータからも、そしてセックスレスの夫婦は47.2%という統計からも、滅亡に向かっていることは確かなようだ。

180113jiyuu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2018年1月10日 (水)

杉田二郎と森山良子の「旅立つ女(彼)」

だいぶん前に「ダーク・ダックスの「旅立った人」」という記事を書いた(ここ)。そこで「この歌はどうも“謎の歌”らしい。1969年発売の、ダーク・ダックス結成15周年記念アルバムのLPにあった歌だが、Netで検索しても引っかからない。JASRACのデータベースにもない。」と書いたが、どうもその本名は「旅立つ彼」であり、別名「旅立つ女」であることが分かった。
JASRACのデータベースによると「旅立つ彼」は「たびたつかれ」「たびたつひと」であり「旅立つ女」は「たびたつおんな」とある。
これを調べ始めたのは、杉田二郎の「旅立つ女」を聞いてから・・・

<杉田二郎の「旅立つ女」>

「旅立つ女」
  作詞・作曲:佐々木勉

悲しい時に歌える唄が私は今欲しいの
旅立つ女の後姿が涙にかすんで見える
今日まで好きと云えずに
過ごしてしまったことが悲しいの

別れの夜がこんなにつらいものとは知らなかったの
いつでもそばにいてくれたから気がつかなかった私
どうしてもっと素直に
優しい人の言葉を聞けなかったの

私は書くの長い手紙を気の済むまで書きたいの
初めて書いた愛の言葉に幼い涙が落ちる
わがままばかり言ってた
私のことが今では恥ずかしい

あやまりたいの今日までのこと許してもらえるかしら
遠くに光る小さな星にそっと祈りたい気持
許してほしいも一度
二人の愛の唄を歌いたい

許してほしいも一度
二人の愛の唄を歌いたい

そして音源は古いが、森山良子の歌。この音源は学生の頃から聞いていた。

<森山良子の「旅立つ彼」>

ついでに、前に挙げたダークダックス盤も・・・

<ダークダックスの「旅立つ人」>

 

森山良子の音源は、1969年6月5日発売のLP「森山良子カレッジ・フォーク・アルバム」に、ダークダックスの音源は、前にも書いたように1969年発売のLP「結成15周年記念 ゴールデンデラックス」に収録されていた。そして杉田二郎の音源は、1987年発売の「再会」というアルバムだ。

しかしJASRACのデータベースにも、「旅立つ彼」も「旅立つ女」も載っているが、どれも「ひと」と歌っている。しかし前に取り上げたときのダークの曲名は「旅だった人」。これはJASRACに無い。だから見付からなかった・・・。

ダークダックスのCD音源はなかなか見付からなかったが、ようやく2017年11月1日発売の「ダークダックス 全曲集」というアルバムで発売されたようだ。今までCD音源を探しても見付からない訳だ。
これも手に入れたい音源だが、それをは別に森昌子の音源も欲しい。YOUTUBEには上がっているが音が悪い。調べると、1980年3月21日発売「旅立ち」というアルバムに入っている。しかしこれもCD化されていないようだ。
なかなか手に入らない音源を、何とか手に入れたい。これも自分の趣味だが、そのリストにこれらも登録しておこう・・・

(2018/01/13追)
杉田二郎が、はしだのりひことシューベルツ、ジロース時代を含めて、この歌を歌った歴史をたどってみる。

<はしだのりひことシューベルツの「旅立つ女」>
この音源は、1970年8月発売の「はしだのりひことシューベルツ さよならリサイタル」というアルバムから。

<ジローズの「旅立つ女」>
この音源は、1972年6月5日発売の「ジローズ・サヨナラ・コンサート」というアルバムから。

<杉田二郎の「旅立つ女」~40周年記念ベストアルバムより>
上に挙げた「再会」というアルバムは1987年の発売だが、次の2007年4月18日発売の「40周年記念ベストアルバム ~愛する人へ~」というアルバムの音源もダイナミックで素晴らしい。

180110koke <付録>「ボケて(bokete)」より

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2018年1月 8日 (月)

100年前の日本人が「全員結婚」できた理由

今日(2018/01/08)は「成人の日」だという。自分が成人式に出てから半世紀が経った。出たと言っても、自分の出身地ではなかったので、知っている人は誰も居ない。でも、スーツは無いので、ブレザーを着て、いちおう行ってみた。何やらエライ人の挨拶があっただけで、何の思い出も無い。

先日、Netで結婚についてのこんな記事を読んだ。
100年前の日本人が「全員結婚」できた理由~「恋愛結婚」が9割の現代は離婚率も増加

発光体というものは、太陽の下ではその存在すら誰も気付きません。光は闇の中でこそ輝きを放つものです。自由もまた同様で、不自由でなければ自由を感じられないものです。私たちは制約があると不満やストレスを感じますが、それがあるからこそ自由の獲得への欲求が高まります。逆に言えば、自由にさせられると不満もストレスもない分、自由のために行動するという意欲そのものを失うのです。
結婚にも同じことが言えます。結婚が自由化されると結婚意欲を減退させ、未婚化を推進してしまうのではないか。今回はそんなお話をします。

結婚の自由化が未婚化を推進している?
未婚化の原因は決してひとつではなく、さまざまな要因が複層的に影響しあって起きています。が、巷(ちまた)で言われているような「未婚化は若い男の草食化」などではないということだけは断言できます。その論拠については、こちらの記事「『草食系男子の増加』という大いなる勘違い」でもご紹介しましたが、改めて男性の交際相手がいた比率の推移をご覧ください。
1801081 少なくともここ30年間、男の交際率は変わっておらず、時代によって交際率が変化したなんてことは統計上はまったく言えません。むしろ、自発的に恋愛ができる男の割合なんてものはいつも3割にも満たず、7割強の男には交際相手はいなかったんです。最近の若者が「恋愛離れ」しているのではなく、バブル時代に青春を過ごした今50代以上の男性も、肉食系のイメージで見られがちですが、例外ではありません。
「それはおかしい。かつてはみんな結婚できていたんだから」というご指摘もあるでしょう。確かにそのとおりです。ですが、だからといってかつての男が積極的だったという証明にはなりません。
日本はかつて、皆が結婚する皆婚社会でした。国勢調査が始まった1920(大正9)年からのデータを振り返ってみても一貫して生涯未婚率は1990年まで5%以下で推移しています。この驚異的な婚姻率が1875年(明治8年)にはまだ3340万人だった人口を、1967(昭和42)年頃には1億を突破させるほど急成長させた原動力でもあります。しかし、それはいわば国家的な「結婚保護政策」のおかげだったことを認識したほうがいいと思います。
近代日本の婚姻制度を成立させたのは1898(明治31)年に公布された明治民法です。誤解されている方も多いですが、ここで定められた結婚のあり方というのは、それまでの日本人庶民の結婚観とは大きく異なります。時代劇や歴史小説などでは主に武家の話しか出てこないため、すべての日本人が武家様式の結婚生活をしていたと思われがちです。しかし、武家人口は江戸時代の戸籍資料によると、総人口に対してわずか7~8%のマイノリティです。
現在の私たちの祖先のほとんどが農民や町人であったわけで、日本人=武士という考え方は間違いです。当時の庶民たちの結婚は、夫婦別姓であり、ほとんどの夫婦が共働き(銘々稼ぎという)でした。何より、夫婦別財であり、夫といえども妻の財産である着物などを勝手に売ることはできなかったのです。
要するに、明治民法が制定されるまでの日本人庶民の結婚とは、限りなくお互いが精神的にも経済的にも自立したうえでのパートナー的な経済共同体という形に近かったわけです。別の見方をすれば自由でもあり、夫婦の関係は対等でした。

明治民法により妻の経済的自立と自由が奪われることに
それが、明治民法により、庶民の結婚も「家制度」「家父長制度」に取り込まれることになり、主に妻の経済的自立と自由が奪われることになります。夫は外で仕事、妻は家事と育児という夫婦役割分担制もここから「あるべき夫婦の規範」として確立していきます。
それにより、女性にとって結婚とは生きるための就職のような位置づけとなり、基本的に結婚をしないという選択肢はありませんでした。そこで大いに機能したのが「お見合い」という社会的なマッチングシステムなのです。実は、これこそが結婚保護政策の最たるものです。
お見合いとは、個人の恋愛感情より、家と家という2つの共同体を結びつけるための機能が優先されるものであって、ある面では個人の自由がないと言えます。しかし、むしろ個人最適の選択によらず、強制的な全体最適を目指したシステムだからこそ、皆婚が実現できたともいえます。特に、自分からアプローチできない男にとってこのお見合いシステムというのは神システムだったと言えるでしょう。
1801082 お見合い結婚と恋愛結婚の比率の推移をあらわしたグラフを見るとお見合いの衰退は顕著です。戦前戦後時期は、お見合い結婚は全体の7割を占めていましたが、今では5%程度しかありません。しかもこれは結婚相談所きっかけ(約2%)を含みますので、伝統的なお見合い結婚はたった3%程度しか存在しないことになります。そのかわり恋愛結婚が87.7%にまで伸長しています。
恋愛結婚がお見合い結婚を上回る分岐となったのは1960年代後半でした。生涯未婚率が上昇し始めたのは1990年代以降です。それよりも30年以上も前に衰退したのであれば、お見合い結婚減は未婚化には無関係だと思いますか?そうではありません。1965年に25歳だった適齢期の男性が、生涯未婚の判断基準となる50歳になった時が1990年です。つまり、お見合い結婚比率が恋愛結婚比率を下回った第1世代は、そのまま生涯未婚率上昇の第1世代となったと言えるのです。

職場婚の減少も未婚化に影響
もうひとつ忘れてはならないのが職場での出会いによる恋愛結婚です。これは分類上恋愛結婚とされていますが、当時の職場結婚もまた社会的マッチングシステムのひとつでした。お見合いよりも自由度はあったと思いますが、出会いのきっかけとしてお膳立てされていたということは事実です。しかし、この職場での恋愛は今やセクハラ問題と表裏一体。職場結婚は今後も減少していくでしょう。
お見合いと職場結婚とを合算して1960年代から現在に至る婚姻数の推移をみると、構成比は1960年代の7割から半分の31.9%にまで激減しています。当然全体婚姻数も減っていますので絶対数の減り幅は膨大です。
1801083 もっとも婚姻数が多かった1972年と直近の2015年とを比較すると、お見合いと職場結婚を合算した婚姻数のマイナス分は約46万組となり、婚姻総数のマイナス分とほぼ同等です。つまり婚姻数の減少はこれら2つのきっかけの減少分だったと言えるのです。
お見合い結婚から恋愛結婚へと移行したことで明らかに変化したことがもうひとつあります。それは離婚の増加です。
もともと江戸時代から明治の初期にかけては、日本は離婚大国でした(過去記事参照。「『夫婦は一生添うべし』が当然ではない理由」)。当時、世界トップレベルの離婚の減少に寄与したのもまた明治民法です。この民法によって、家制度型の婚姻や家父長制度が世間に浸透しはじめ、その頃から日本の離婚率は急激に減少しました。
一時1938年には人口1000人あたりの離婚率0.63という世界でも最も離婚しない国になりました。それがグラフを見てわかるとおり、一転1960年代以降の恋愛結婚の比率の上昇カーブとリンクするように離婚率が上昇しています。

恋愛結婚の夫婦のほうが離婚しやすい
もちろん「恋愛結婚が増えると離婚が増える」という因果関係までは断定できませんが、お見合いで結婚した夫婦より恋愛結婚の夫婦のほうが離婚しやすいというのは興味深いデータです。
1801084 このように、明治民法を起点とした「結婚保護政策」は、結果として婚姻数や出生数の増加に加え、離婚の減少をも生みだしたと言っていいと思います。自己選択権のないお見合いや妻を家に縛り付ける家制度、家族のために粉骨砕身働くことが父親・男としての責務という社会規範など、個人レベルで考えるならば不自由な制約が多かったのかもしれませんが、こと結婚の促進に関しては奏功したと言えるでしょう。
「吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている」とは夏目漱石の言葉です。現代、恋愛や結婚に対して社会的な制約は何もない自由であるにもかかわらず未婚化が進むのは、むしろ自由であるがゆえの不自由さを感じているからではないでしょうか。
ただ、だからといって国家による結婚保護政策に戻すことは非現実的です。皆婚時代を否定はしませんが、冷静に考えれば国民全員が結婚していた状態こそ異常だと考えます。非婚の選択も生涯無子の選択も尊重されるべきですし、一方で結婚したいけどできないという人たちのサポートも必要です。とはいえ、恋愛強者は男女とも3割しかいません。かつてのお見合いや職場縁に代わる新しい出会いのお膳立ての仕組みが必須なのかもしれません。(荒川 和久 : ソロもんLABO・リーダー、独身研究家)」(
2018/01/02付「東洋経済」ここより)

話は飛ぶが、今年の正月、大学のある同級生から「昨年から妻の介護が始まりました。二人三脚ヨチヨチ歩きです。」という年賀状を貰った。
この夫婦は大学時代からの友人どうしで、自分の下宿がデートの場所だったこともあった。卒業すると二人は直ぐに結婚したが、確か一度、子どもが小さかった時に、家族で家に遊びに行った記憶がある。あの奥さんが、介護しないといけなくなったとは・・・。
そう言えば、自分の従姉妹も、ちょうど7年前、57歳の時に脳出血で倒れた(ここ)。“その時”はいつ来てもおかしくない。

一方が倒れたとき、残った者が介護するのは仕方がない。最近カミさんが「残った方がソンね」と言う。
いつ何時、“片方が倒れる”という可能性は、我々シルバー世代では時間と共に益々高まる。それで自分は、なるべく“ケンカした状態”で離れる(旅行や外出など)ことは避けるようにしたいと思うようになった。もし“ケンカした状態”で話せなくなったりすると、その悪い余韻はずっと残ってしまう。

それもこれも、全ては結婚したから発生するもの。
せっかくの人生、結婚はしてみるもの。そしてそれに耐えるもの・・・・では??

180108tsuma <付録>「ボケて(bokete)」より

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2018年1月 6日 (土)

「私の折々のことばコンテスト」~言葉の重さ

「こと‐だま【言霊】」を広辞苑で引くと「言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。万葉集13「―のたすくる国ぞ」」と載っていた。

今朝の天声人語。
「(天声人語)10代に届く言葉
 言葉の真価は、誰が言ったかではなく、誰が聴いたかで定まる。中高生がとっておきの言葉を紹介する「私の折々のことばコンテスト」の秀作を読んで、そう思う。今回は3万を超す応募があった▼最優秀賞は熊本県の農業高校に通う遠山桃々乃(ももの)さんの「あんたの根っこ見つけて水やり続けるねん」。大阪市出身。農業を学びたいのに親も先生も賛成してくれない。3年間、一緒に花壇の世話をした用務の男性だけが「自分の根は自分にしかわからへんねや」と応援してくれた▼意外にも、名言の主は本紙の取材に「そんなこと言うたかな」と失念の体。でも遠山さんはその助言を受け止め、いま阿蘇山麓で充実の日々を送る▼「全力で恥をかけ」で佳作に選ばれたのは、埼玉県の中学生井上真梨子さん。生徒会の役員になれたが、全校集会の司会で失敗する。予定にあった先生の話をいくつか飛ばしてしまった。「落ち込んだけど、生徒会室の黒板に書いてあった先輩の言葉に救われた。恥をバネにしようと思いました」▼神奈川県の高校生坪井菜那子さんは、祖父を亡くした昨夏の思いをつづる。母の友人で、津波に親をさらわれた女性からLINEで短文が届いた。「送れる幸せを噛みしめてください」。読んで、愛する家族に別れを告げることの重みを実感したという▼迷い、躓(つまず)き、別れ。10代が選んだ言葉にはどれも物語がある。ひるみながらも全力で人生にぶつかっていく。真剣に悩むからこそ、言葉が心の奥深くまで届く。」(
2018/01/06付「朝日新聞」「天声人語」より)

今朝の朝日新聞に、このコンテストの秀作が載っていた(ここ)。
「(私の折々のことばコンテスト2017)その一言のチカラ
 中学生・高校生が心に響いたことばとそのエピソードをつづる「私の折々のことばコンテスト2017」(朝日新聞社主催、朝日中高生新聞共催、Z会、栄光ゼミナール特別協賛)の審査結果を発表します。哲学者、鷲田清一さんが朝刊1面に連載しているコラム「折々のことば」にならった作文で、3回目の今回は最多の3万1588点の応募がありました。

 ■最優秀賞 遠山桃々乃さん(熊本県立菊池農業高3年)
 あんたの根っこ見つけて水やり続けるねん(中学校の管理作業員さん)
     ◇
 「熊本へ行って農業を学びたい」。大阪の大都会で生まれ育った私が熊本の農業高校への進学を決めた時、担任の先生を始め、多くの先生に「向いていない」「やめておけ」と反対されました。そんななか、3年間一緒に花の世話をしていた管理作業員さんだけが私を応援してくれました。「あんたの根っこ見つけて、水やり続けるねん。自分の根は自分にしかわからへんねや」と言って頂き「やっぱり私は農業を学び、それを水として大きく育ちたい!」と強く思えるようになりました。
 今、私は全力で農業を学び、夢を見つけ充実した日々を送っています。毎日私の根っこに水をやり、育ち、立派に実って農業から社会に貢献できる人になります。

 ■夢めざし、つらい時支えてくれた
 1年生の時には、ひなから育てたニワトリをしめて解体することができなかった。帝王切開で生まれ、立てない子牛の脚を支えながら哺乳した。犬の出産では大半が死産。クラスで飼育した豚は出荷後、買い戻してバーベキューでおいしく食べた。
 畜産科学科の3年間を「動物と向き合う生活を送れて充実していた」とにこやかに振り返った。
180106asahi  動物が好きで、中学2年の時、農業高校の畜産科を紹介するテレビ番組を見て志望を決めた。両親も先生も「朝が早くてついていけない」と反対。負けず嫌いで朝4時の起床を続け、大丈夫だとアピールした。そんな時に出会った「ことば」だった。
 高校生活が楽しくて、コンテストで作文を書くまで忘れていた。ことばをかけてくれた男性職員は取材に「そんなことゆうたかな」と覚えていなかったが、「目標に向かって水をやり続けてほしい」と話した。
 遠山さんは「お互い忘れていたなんて」と笑い、「それでも、一番つらい時に支えてくれた大事なことばです」という。「大学に進み、ニワトリの遺伝子育種学を学び、滅んだ在来種を復元する研究をしたい」

【中学部門】
 ■もういっかい、ちっちゃくならへんかな~?(母)
 夏休み明け、グッと背が伸びた私の頭を押さえて「だってさみしいやん」と笑う母。私も、もういっかいちっちゃくなりたいな。

 ■ごらんになって(幼稚園の園長先生)
 空にかかった虹を、「見て」ではなく「ごらんになって」と指した園長先生。美しい言葉が、虹をよりいっそう美しく感じさせたのだと思う。

 ■大きく日々、輝け、そして器の大きい人となれ。(父)
 ソフトボールの全国大会に向かう朝、机に置かれた父からの手紙。僕の名前の由来だ。手紙とメダルは今も大切にしまっている。

 ■低い目標は、自分の限界を決めてしまい、それ以上上がれない。高い目標を持って目指そうと努力することによって、はじめて人は成長する。(父)
 考査前、私の目標点数を見て。心の内を見透かされた気がした。

 ■美しい服は、裏地も美しい。(祖母)
 決勝に進めなかったピアノコンクールで思い出した、洋裁師の祖母の言葉。心動かす演奏の裏にあるのは、自分をごまかさない努力。私も美しい裏地を編もう。

 ■一緒に宇宙に行こう(油井亀美也宇宙飛行士)
 講演会の質疑で憧れの油井さんが言ってくれた。これを支えに夢に向かい努力する。たった一言で誰かを応援できる宇宙飛行士になりたい。油井さんと宇宙に行く。

 【高校部門】
 ■祈っているからね(母)
 寮にいる僕に電話で母が言う。大げさだと思っていたけれど、今は耳になじんで温かい。誰かを思い思われることで、僕たちは人生を少し多く生きているのかも。

 ■今日もよく食べました。(私の母)
 「お母さん、今日も全部食べられたよ」。一時期学校に行かなかった私。母のお弁当が食べたくて登校するうちにつらくなくなった。私もいつか子供に言おう。

 ■みすずが施設におるってことは、親がみすずに生きてほしいって思ったけんやけんね。(施設の先生)
 ふつうの家庭に憧れ、なぜ自分は施設にいるのかと悩んでいた心が軽くなり、少し親を好きになれた。この言葉は私のお守り。

 ■深呼吸一つで、緊張を興奮に変えてゆけ(小学生の頃、習っていた少林寺拳法の先生)
 昇級試験本番、目いっぱい息を吸って吐いた。合格証書が届いた。この言葉はずっと僕の口癖。

 ■プラスはマイナスから書き始める(友達)
 いつか実を結ぶという意味と、一本書き加える努力が大切という意味。声をかけてくれた友達のように、同じ言葉でも良い解釈を人に伝えられるようになりたい。

 ■「これでいい」じゃなくて「これがいい」にしなさい(母)
 自分の選択の結果は誰にも責任転嫁できないけれど、「これが」を選び続けていこう。本当に大切なものが見えてくるはずだから。」(
2018/01/06付「朝日新聞」p26ここより)

言うまでもなく、人から受けた言葉によって、人生が変わることは良くある。特に小さい時に教師から褒められたことによって、自信を付け、努力し、その道の大家となった例は良く聞く。
そんな感受性の強い中高の時期に、心に留められた言葉がこれらだ。だから奥が深い・・・

将棋の羽生善治さんが、囲碁の井山裕太さんと共に国民栄誉賞を受賞するという。
羽生さんの「八木下さんと出会わなかったら、将棋をつづけていなかったかもしれない」という言葉は有名だ。八木下さんとは、言うまでもなく八王子将棋クラブの席主(ここ)。

子ども時代の羽生さんに動機付けしたのが、八木下さんだったのだろう。
上の受賞作品を見ると、両親などの家族の言葉が多い。やはり身近な人の言葉が人生の指針になる。
ひるがえって、自分も古希を迎え、そろそろ人生もオシマイ。そんな人生で、誰かに何かの影響を与えただろうか?
悪い影響を与えた可能性は、幾らでも思い出すが、良い影響となると、トンと思い付かない。
いったん発した言葉の持つ重さを、今更ながらに考えさせられた記事であった。

180106okane <付録>「ボケて(bokete)」より

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2018年1月 4日 (木)

映画「クワイ河に虹をかけた男」が語るもの

スカパー「日本映画専門チャンネル」で放送された「クワイ河に虹をかけた男」を見た(2017/12/29放送)。
太平洋戦争中、タイで日本軍の犯した数々の罪に対し、ひとり贖罪の訪問を続けた夫婦のドキュメンタリーである。

スカパーの解説にこうある。
「クワイ河に虹をかけた男
太平洋戦争下、日本陸軍によって建設されていたタイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道。「死の鉄道」と呼ばれた鉄道の建設時に、タイ側の拠点に陸軍通訳として派遣され、戦後、その贖罪と和解に生涯を捧げた永瀬隆を追い続けたKSB瀬戸内海放送製作のドキュメンタリー映画。
180104nagase 多くの連合国軍捕虜やアジア人が動員された建設工事で、永瀬は強制労働、拷問、伝染病死など悲劇の全容を目の当たりにする。戦後、鉄道建設犠牲者の慰霊と、復員時に日本軍12万人全員にタイ政府が「米と砂糖」を支給してくれた恩義に報いようと、一般人の海外渡航が自由化された1964年から妻の佳子と二人三脚で巡礼を始める。1976年にはクワイ河鉄橋で元捕虜と旧日本軍関係者の和解の再会事業を成功させ、86年にはクワイ河平和基金を創設するなど、「ナガセ」の名は欧米でも知られる存在となる。タイ訪問を135回も続けた彼が目指した”和解”とは―。」(
ここより)

この番組についてはWIKI(ここ)に詳しい。
「このシリーズは第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)時における泰緬鉄道建設の現場に大日本帝国陸軍の通訳として居合わせ、捕虜への苛烈な虐待と労働強要の現場を目にするとともに、戦後においては連合軍が行った捕虜墓地捜索隊に参加し、のちにタイのカーンチャナブリー県において泰緬鉄道建設犠牲者の慰霊と、同域周辺の社会活動(奨学金など子どもが中高等教育を受けるための補助制度の創設、無医村群に対する無料巡回医療活動の支援、寺院に対する孤児院創設および同施設運営の支援など)に身を投じた英語教師である永瀬隆の半生、特に最晩年の20年間に密着したドキュメンタリー作品群からなる。・・・」(ここより)

そして「泰緬鉄道」とは・・・
(ナレーター)<太平洋戦争の初戦の勝利で、日本はアジア太平洋の広大な地域を手に入れました。ビルマを占領した日本軍はインド攻略をうかがいます。しかし、ミッドウェイ海戦を境に連合軍に制海権を奪われ、海上輸送路は早くも危機に。代わって陸上輸送路を確保しようと1942寝円6月、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設を命じました。建設工事にはシンガポール、ジャワ方面で投降したイギリス、オーストラリア、オランダなどの連合国捕虜6万2000人と、現地労務者25万人を動員しました。ルートの大半は山岳地域のジャングルでした。食糧や医薬品の不足に加え、赤痢やコレラ、マラリアなどの疫病が蔓延します。全長415キロの鉄道は1943年10月、着工から僅か1年4ヶ月で完成。しかし、捕虜1万3000人、アジア人労務者数万人が犠牲になり、「死の鉄道」をして悪名をとどろかせることになったのです。>

この映画で、印象に残った言葉をメモしてみる。
(ナレーター)<1946年タイから復員する日本軍はビルマ方面から撤退してきた部隊を含めて12万人に膨れあがっていました。タイ政府はそのひとりひとりに、はんごう1杯の米と中蓋1杯のザラメ砂糖を支給してくれました。>
(永瀬)「4年も5年も日本軍の下で苦しんだタイの政府、人民は自分の国を占領同様にした国の兵隊が敗れて帰るときに、その兵隊たちが腹が減るだろういうて、そこまで心配してくれとるんですよ。僕はこんな国はないと思うんですよ。」
<この秘話を永瀬さんに教えたのはバンコクの終戦司令部で共に仕事をした永井明雄海軍少佐でした。>
「タイの政府といろいろと交渉しよったのね。連合軍の方に対してですね、こっそり日本国にお米をやったり砂糖をやったりということは、ちょっと考えられないからって、そこは秘密にしとった。その海軍の永井少佐と私しか知らない。」
<永井少佐は全ての日本軍の帰国を見届けたあと、乗り込んだ最後の引き揚げ船から行方不明になります。米と砂糖の話は永瀬さんに託した遺言でした。>
「永瀬、お前はこのタイ国の政府、あるいはタイ国人民の温かい心を絶対に忘れてくれちゃ困る。覚えててくれ」と。ほんとうに「海ゆかば水漬(みづ)くかばね」で、兵隊さんは海の底へ沈んでる。こっち「山へ来れば草むすかばね」になって、草むらの下へうずもれたままになって。ほんとうに私はこのことを皆さんに訴えたいです。泰緬鉄道でも、インパール作戦からの撤退兵がひどい恰好して帰ってくるのを見てるからね、やはりあれてと同じようなことがこっちでも起きたんだと。日本の政府が戦後処理をあまりになおざりにしてる。日本の兵隊さんの遺骨でも放っておくような国柄でしょう。だから加害者として向こうの犠牲者に対してもそういう点が、戦後処理ができてないですよ。」
<永瀬さんが墓地捜索隊の体験を語ります>「・・・まだ行方不明者もあるわけですよ。それを懸賞金をつけてまだ捜してるんだよ。英国大使館が。私はこういう遺骨の問題は、勝ち負けの問題じゃないと思うんだよな。日本は負けたっていうことをいいことにして何にもしないんだ。だから結局本当に負けてるんだと思うな。」

そして妻の佳子さんが肝硬変で倒れたときの永瀬さんの言葉・・・
「私も去年の12月にあれが病気になってから、もうなんかね、心の支点を失ったようでね、なんか私自身も体があんまり芳しくないよね。」

戦争での体験は、戦後口にしない人がほとんど。それを永瀬さんは、捕虜虐待の目撃の体験や、復員の際のタイ政府の温かなもてなしに対し、ただ一人で生涯をかけて贖罪と和解の活動をした。特に奨学金制度で成長した人は、永瀬さん夫婦を「お父さん」「お母さん」と慕っていた。そしてこの作品には、二人の夫婦愛も描かれていた。

本来は国が行うべき活動。しかし国は何もしない。それでひとりで活動・・・。
しかし、その永瀬さんの活動は、日本国内ではほとんど知られていない。

このような国の方針に反する活動?のドキュメンタリーは、民放テレビしか作れないのかも知れない。
20年にも亘って取材した監督の熱意あればこその作品(事実)。
この作品を多くの日本人が見て、戦争の悲惨さを再確認する手段は無いものだろうか・・・
平和憲法が犯される危険性のある今の日本だからこそ・・・

最後に、満田康弘監督の「本作をご覧になる方へのメッセージ」を・・・
「この映画を最初に岡山で自主上映・・・先行上映をしたときに、オーストラリア人の女性が来られて、やっぱり海外の方に見て貰いたいっていうことを申し上げたんですけれども、まず日本でしょうって言われて、やっぱりこの泰緬鉄道の歴史っていうのは日本人の人にあまりにも知られていないし、まずこういう歴史的事実があったということを知って頂きたいし、その上でいかに戦争の後始末をするっていうことが大変なことか、どれだけの傷を残してそれを修復するのにどれくらいの努力が必要なのかっていうことも分かって頂けるんじゃないかなと、そういうふうなことを見て頂ければなと思っています。」

★この作品を録画したブルーレイをお貸しすることが出来ます。

映画「戦場にかける橋」は、2018/01/08(月) PM1:00~ NHK BSプレミアムで放送

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2018年1月 1日 (月)

明けましておめでとうございます。~止められない賀状

新年、明けましておめでとうございます。

180101gantan 東京は、快晴。愛犬との散歩もいつもの通り。ついでに、近くの無人の小さな神社に初詣!?
誰も居ないだろと思っていたら、自分たちの前と後に、参拝の人が居てビックリ!?

結構早く配達された年賀状。これが意外。いつもの人から、いつものように来ている。・・・というのは、前年から賀状の卒業宣言をしていたから・・・
1年前に卒業宣言をした人が14人。そのうち今年も来た人が8人、来なかった人が6人。つまり、印刷した自分の卒業宣言は、読んでもらえていないと言うこと?? 確かに肉筆で書くのは常識らしいが、悪筆の自分はとても書けない・・・

180101gajyou1 自分は、賀状を書くときに、1年前の賀状を取り出して、それを見ながら書く。来なかった人は、同じようにしていたのかも・・。だから来なかった。しかし今年もくれた人は、一括印刷をかけるので、前年の事は消えてしまったのだろう。
今年は、現役時代の部下や、仲人をした人など11人に卒業宣言をした。特に、カミさんが「仲人をした人は、こちらから言ってあげないと止められない」と言うので、「それはそうだ」。

そんな事で、いよいよ賀状が少なくなる。会う機会もなく、会う予定もない人は、そろそろ良いのでは?
そして、会社関係の人は、昔からの惰性でやりとりしていたが、これもそろそろ良いのでは?

でも、貰って嬉しいのは、やはり写真の入った賀状。高校時代の友人だった山口の元アナウンサー君は、あいかわらず家族の写真。知らなかったが、昨年長男さんが結婚したらしく、ヨメさんを含めて4人家族の写真と、結婚式と古希の祝い会の写真。数年前に奥さんを亡くしたが、元の4人家族に戻った。

元旦はいつも茨城の実家に帰った。それも2011年まで。行かなくなってもう7年。
そして元旦はお袋の命日。亡くなってから、ちょうど4年になる。カミさんと写真の前で般若心経を唱える。「仏説摩訶般若波羅蜜多心経・・・・・」

今日は何の予定もなく、けたたましいテレビも切って、静かに流れる時間である。
先日、沖縄で買った年末ジャンボ宝くじもカスリもせず、(残念ながら)ただただ静か・・・

180101mago <付録>「ボケて(bokete)」より

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