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2017年9月23日 (土)

「無関心と呼ばれる政治不信」

先週の日曜日の朝日新聞から。
「(日曜に想う)無関心と呼ばれる政治不信 編集委員・大野博人
 人は自分で選んだ者たちを信じていない――。ある世論調査のデータを見ながら奇妙だけれど腑(ふ)に落ちると感じた。
 大阪商業大学のJGSS(日本版総合的社会調査)研究センターが拠点となって定期的に続けている全国調査の最新の結果だ。あらためて民主主義の危機について示唆的だと思った。
 そこには社会に影響を持つ15の組織や仕組みへの信頼感を問う項目が含まれているのだが、これまでと同様に今年も「国会議員」の信頼度がかなり低い。回答の選択肢は「とても信頼している」「少しは信頼している」「ほとんど信頼していない」「わからない」の四つ。そのうち信頼に肯定的な二つを合わせても29.4%。逆に「ほとんど信頼していない」は、52.2%に上る。「市区町村議会議員」も不信が45.2%と高い。
 今年のサンプル数は744と比較的少ないが、約2千から3千のサンプルを集めた2000年から15年まで10回の調査も似たような傾向を示す。議員たちより信頼されないのは「宗教団体」だけ。
 逆に信頼の選択肢の合計が安定して高いのは「病院」で90%前後、「学校」も70から80%台。最近は「裁判所」「自衛隊」「警察」「金融機関」で70%台、「大企業」で60%台が続く。「学者・研究者」もおよそ70%だ。「中央官庁」と「労組」はやや落ちて40から50%付近を上下している。
 「新聞」には80%台、「テレビ」には70%台の信頼が寄せられているが、不信度は上昇傾向。自戒しなければ。
 あきらかに人々は自分たちで選んだわけではない人たちの方を信頼している。
     *
 この夏、朝日新聞の「声」欄で、読者が選挙での棄権と白票をめぐって意見を交わした。
 一つの投稿がきっかけだった。「投票先がないなら何も書かない白票を」と提案し「白票は政治不信に対する明確な意思表示」と主張していた。
 これに対して「白票数が多ければ何かが変わるのでしょうか」「少しでも自分が大切にしていることに考え方の近い人や政党を選んで欲しいな」「白票は与党を利するだけ」と批判的な声が寄せられた一方、白票に意味を持たせようという提案も。それが「1位となれば、その選挙区では当選者が出ないことに」。
 意見が分かれても投稿に共通してにじむのは、政治家や国会への不信だ。「傍若無人な国会運営を追認し、保身のみに汲々(きゅうきゅう)としている議員たち」「首相の国会でのヤジ、はぐらかし、閣僚の失言、暴言は最高度。あぜんとする」
 信じることがむずかしい者たちの中から選ぶしかない切なさ。
 この5月に大統領選があったフランスでも有権者たちが同様の葛藤に揺れていた。棄権するか白票を投じた人は有権者の約3分の1と、歴史的な高さになった。決選に残った2人の候補の「どちらも信頼できないのにどうして投票できるのか」と考えた人が多かったからといわれた。
 民意を政治に届ける民主主義の動脈があちこちで詰まっている。
     *
 選挙とは本来、自分が信頼できるだれかを選ぶ仕組みのはずだ。しかし、多くの人が不信の思いを伝える手段にしようとする。ある人は棄権し、ある人は白票を投ずる。そしてまたべつの人は、「よりひどい」者を排除するために「まだまし」な者に一票を入れる。選挙結果が表現するのは、だれかへの信頼ではない。だれかへの不信だ。
 日本の国政選挙の投票率は低下傾向が続く。近年では半分近くの人が投票所に足を運ばない。議員を信頼していない人がざっと半分という調査データと重なる。低い投票率が示すのは、政治への無関心というより政治への不信と読める。
 民主主義では選挙こそが正統性の根拠だ、とだれでも考える。だがその結果、人々がもっとも信頼していない者たちが民主的な正統性を独り占めすることになるのだとしたら。
 奇妙だと思う。そして、このことは腑に落ちない。」(
2017/09/17付「朝日新聞」p3より)

いよいよ「アベノタメノ解散」だってさ・・・(←この俗称を自分は気に入っている)
最近、新聞の投稿欄で「白票」についての話題があることは自分も読んでいた。自分は白票には反対。まさに自分も「白票は与党を利するだけ」だと思うから。

フランスでは「棄権するか白票を投じた人は有権者の約3分の1と、歴史的な高さになった」というが、そんなことが話題になる事自体、白票や棄権(無効票)を、投票者の抵抗と評価する風土があるのだろう。
日本では、白票や無効票など、幾ら多くなっても話題にもならず、ひっそり消えて行くだけ。その意味など誰も考えない。今の政権がそうであるように、とにかく勝てば良いのであるから・・・

しかし安倍総理の国連での発言は怖い。(ここ)で全文を読んでみたが、首相の考えによって、日本が戦争に向かって一直線に突き進んでいるように思えてならない。
「北朝鮮に全ての核・弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で放棄させなくてはなりません。そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです。」
「全ての選択肢はテーブルの上にある」とする米国の立場を一貫して支持します。
「必要なのは行動です。北朝鮮による挑発を止めることができるかどうかは、国際社会の連帯にかかっている。残された時間は多くありません。」

等々・・・・

心配事はただ一つ。日本が戦争に向かわないこと。
このままでは危ない。総理が北朝鮮という外に敵を作って、自分への支持を取り付けたい本音は、まさに北朝鮮の将軍さまやトランプ大統領と同じ構図です。
議院内閣制では、この国民を戦争に駆り立てる首相を国民がクビにすることは出来ない。出来ることはただ一つ。戦争から遠ざかる候補者(党)を選ぶしかない。
それには全選挙区で、自公に対向する野党候補者が1人に絞られることを期待するしかない。
この「アベノタメノ解散」でも自公が勝つなら、それを選んだ国民は戦争を覚悟するということ。日本人はそんなバカな国民だと思いたくはないが・・・

170923missile <付録>「ボケて(bokete)」より


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