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2017年8月20日 (日)

NHKスペシャル「 樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇 」~今年のNHKは秀作

8月には、毎年NHKから戦争に関する番組が放送されるが、今年はそれが充実していた。

2017年8月13日 NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」
2017年8月14日 NHKスペシャル「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」
2017年8月15日 NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」

どれも近年にない秀作だった。
特に樺太地上戦については、自分は今まであまり知らなかったことであり、新鮮だった。NHKのサイトにこう解説がある。
樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇
北海道の北に広がる大地、サハリン。かつて「樺太」と呼ばれ、40万人の日本人が暮らしていた。この樺太で終戦後も7日間にわたって戦闘が続き、住民を巻き込んだ地上戦が行われていたことは、これまでほとんど知られて来なかった。犠牲者は5千人とも6千人とも言われ、その人数は今なお正確にわかっていない。
最前線に立たされた少年兵、地獄の逃避行で命を落とした幼い子供や母親、ロシア兵の上陸におびえる女性たちや家族の集団自決も起きた。重い沈黙を破って語り始めた高齢の元住民たちの証言と国内外の発掘資料から、知られざる樺太地上戦、7日間の悲劇の全貌に迫る。」(
NHKのここより)

中でも、家族での集団自決については、胸に迫る。
「(ナレータ)真岡では、艦砲射撃に続いて3,500人のソビエト兵がなだれ込んできました。絶望した住民の間で、集団自決が相次ぎます。艦砲射撃にさらされた藤谷さん。これまで胸にしまいこんできた記憶を初めて口にしました。家族ぐるみの付き合いがあったある一家の最期の姿です。中学校の教員だった父親が軍刀で自殺。その傍らには妻と子供たちの遺体が並んでいました。
『壁、斜めにばあっと血しぶきの跡だから、一刀のもとだったんでないでしょうかね。順番にしたわけでしょう。次待ってる人が、どういう気持ちで待ってたんだろうと思うの。順番に6人の人が。私それ考えると、もういたたまれないんわ。本当に。
でもソ連の兵隊に撃たれて死ぬんだから、それもいいと思ってたんだと思いますよ。そうでないとできないもの、そんなこと。』
一億玉砕の掛け声のもと、捕虜になってはいけないという日本軍の精神が、住民にも植え付けられていました。・・・・」

動画は(ここ

この番組では、8月16日に、恵須取(えすとる)の海岸で、“降伏を受け入れていたはずの日本軍が上陸してきたロシア兵に先制攻撃を仕掛けていた”ことを紹介していた。
東京の大本営が、天皇の名で「即時戦闘行動を停止すべし」と命令を出していたにもかかわらず、札幌の第5方面軍が樺太第88師団に対して、「樺太を死守せよ」という命令を出していたという。

考えてみると、日本の先制攻撃がきっかけと言うが、降伏した日本に、ロシア兵が上陸してきたことに反撃するのは仕方がない気もする。
まあこの辺は、見る方が判断するしかない。

しかし、広瀬修子アナのナレーターは、いつも感心する。ドキュメンタリー番組における広瀬アナは、もう芸術的な域・・・。
広瀬修子アナは「NHKハイビジョン特集「いのちで読む“般若心経”生命科学者・柳澤桂子の世界」(ここ)以来の大ファンである。

上の3つの番組の他に、今年の番組で、ETV特集「告白~満蒙開拓団の女たち~」(2017/08/05放送)(ここ)が印象的だった。
「終戦後の旧満州。命を守るため、ソ連兵の接待を若い女性にさせた開拓団があった。戦後長く語られなかった、開拓団の女性たちの告白。その歴史に向き合う人々を見つめる。
戦前、岐阜県の山間地から、旧満州(中国東北部)・陶頼昭に入植した650人の黒川開拓団。終戦直後、現地の住民からの襲撃に遭い、集団自決寸前まで追い込まれた。その時、開拓団が頼ったのは、侵攻してきたソビエト兵。彼らに護衛してもらうかわりに、15人の未婚女性がソ連兵らを接待した。戦後70年が過ぎ、打ち明けることがためらわれてきた事実を公表した当事者たち。その重い事実を残された人々はどう受け止めるのか。」(
NHKのここより)
動画は(ここ

どれも「命」に対して、重い課題を突きつける。
「生きて虜囚の辱を受けず」を守って家族の集団自決を決断する親。一方、娘たちをソ連兵に差し出して命を守った集落・・・。

上の「戦慄の記録 インパール」という番組でも語られていたが、かくも「命」が軽く扱われたのが戦争。
そして、その戦争の足音が、まさか聞こえてきてしまっている現在の日本。

8月の終戦記念日を機に、各局が放送している色々な番組に対し、それら番組のスタンスをどう捉えるかは我々自身の問題だが、国民が戦争というものを考えるチャンスを与える、という意味では、8月の戦争ものの番組は貴重だと自分は捉えている。
これらNHKの4つの番組は、今までに無く秀作だと思った。


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コメント

今夜観たNHKの「東京・戦後ゼロ年」は私が5,6歳の頃見た浜松の風景と同じです。浮浪者、浮浪児、闇屋、アメリカ兵とキャバレーと女たち、そして一番驚いたのは日本の戦争屋たちが隠した膨大な財産。あれは国民から取り上げた物ですよね。何故隠してあったのでしょうか。国家とは何だったのでしょうか。あの戦後すぐの日本の風景を見れば戦争を知らない世代でも、国家権力に騙されてひどい目に合わないようにと考えてくれるのではないかと望みを持ったのですが、甘いでしょうか。もう一度見たいと思います。

【エムズの片割れより】
皆さまも、自分と同じような感想をお持ちになったようで・・・
「731部隊の真実」も、ロシアで発掘された、日本人の生々しい証言が番組にありました。
戦慄を覚えるナマの声です。
これらは、決して埋もらせてはいけない日本人の犯罪事実です。
しかし、誰も責任を取らない。それどころか、「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」で指摘されていたように、政治家、資本家、軍の将校たちが、きそって国の財産を横領する・・・。
自分だけ良ければ・・・・
国も会社も、エライ人が誰も責任を取らないのは、今の政治家まで延々と続く日本の文化なのでしょうか?
それに引き替え、ホロコーストを反省するドイツのオトナの動きは、羨ましい。

投稿: 白萩 | 2017年8月20日 (日) 23:26

私も『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』を見ました。
私も膨大な隠し財産にはビックリしました。
確かに国家ぐるみの犯罪ですよね、これは。
進駐軍との暮らしの差がすごすぎて・・・
こちらもとてもためになったと思います。
特集ページもありますよ。
http://www.nhk.or.jp/special/blackhole/

投稿: マッノ | 2017年8月21日 (月) 02:37

 会長が変わればこんなにも良くなるのだ とびっくりしています。そのうえで 私の感想です。
「ヤルタ会談」でソ連の対日参戦は決まっていたのに樺太でも満州でもまともな対応策を取らなかった。あえて言えばあまりにも遅い「降伏」が樺太、満州の悲劇を拡大したと思います。もう一点。 樺太には 植民地ー朝鮮から渡った何万人かの朝鮮人がいたはずです。これらの人々の戦後も知っておく必要があると思います。

投稿: todo | 2017年8月21日 (月) 05:26

今年の敗戦特集記念番組の多さには、びっくりしました。70年を経過して国内外の資料も公開、発掘されたのでしょう。体験世代が今どうしても発言しておきたいと考えたこと、NHK会長の交代も影響しているかもしれません。私には「戦慄の記録インパール」が強烈な印象に残っています。戦争とはどんなものか、を考える教科書にもなるような作品でした。戦争を知らない国会議員に、是非見て欲しいと思います。8月26日(圡)0:50からNHK総合で再放送されます。食料弾薬の準備を無視し戦争遂行を決定する現場指揮官、それを黙認する大本営の無責任さ、3万人とも言われる兵士が死んだ歴史的敗北を前に早々と帰国する現場指揮官、に心底あきれます。こうした状況が他の戦線でもあったのではないかと考えます。戦後、今日まで失敗の原因、責任追及をしてこなかった日本、集団的自衛権の行使を言い分けにして日本は戦争参加を繰り返すのではないでしょうか。北朝鮮の無謀さには腹はたちますが、ここに至るまで日本はもっとすべきことがあったのではないかと考えます。

投稿: かうかう | 2017年8月21日 (月) 10:50

このシリーズのどれを観ても上層部の人間が国民を人間として扱わないことに驚きを禁じえませんでした。NHKにしては珍しい番組だと思いましたが、上の人が変わっていたのですね。
私は春に咲くアッツ桜を大事に育てています。南方に咲く花になぜ北方のアッツ島に関係する名前が付いているのか不思議に思っていました。アッツ島の名前は昔我が家で働いていた人が玉砕した島だと聞いていたからです。その後テレビで南方で戦っていた兵隊をアッツ島が危ないというので夏服のまま厳寒の島へ送り込んだのだそうです。玉砕とは名ばかりで飢えと寒さで亡くなった兵隊のほうが多かったと戦記にかいてありました。アッツ島が玉砕したとラジオで聴いたとき南方から花を持ってきた人がアッツ桜と命名したそうです。戦争を指揮していた上層部の人たちは日本人を壊滅させたかったのでしょうか。信じられないことが一杯出てきそうです。若者に見せたいシリーズですね。

投稿: 白萩 | 2017年8月21日 (月) 14:46

今月24日の読売のラジオ欄に、その『インパール』と『樺太地上戦』についてのコラムが載っていました。
『インパール』では、現地の士官が補給が不可能なので
山岳地帯の行軍は不可能と進言したところ、
司令官らは「根性が足りない」などと罵倒。
短期決戦をもくろみ、3週間分の食糧しか持たせなかったそうです。
大本営も現地の状況をまったく直視せず、作戦は4か月も続きました。
撤退も想像を絶する『地獄絵図』だったそうで。
戦後、ある元司令官は「作戦は上司の指示」と主張、また、ある元大本営の参謀は「現地軍の責任範囲の拡大」と責任回避。
『樺太地上戦』に関しては、数千人の民間人が犠牲になったとのこと。
インパールも樺太も、誰がこの悲劇の責任を取っただろうとコラムの執筆者は主張しました。

【エムズの片割れより】
とにかく、国でも軍隊でも会社でも、エライ人は決して責任を取らない。これは日本の文化でしょうか・・・?

投稿: マッノ | 2017年8月27日 (日) 23:05

インパール作戦の起案者牟田口レンヤ将軍は極東軍事裁判で連合国側に然したる被害を与えなかったことで不起訴です。多分マウントバッテン将軍が「我が軍の戦死者は少なくそれも、インド兵やグルカ兵が多い。英国人は将校、下士官が多く、牟田口司令官の拙劣な作戦の御蔭で英国人将兵の死者は少ない。」と陳述したことが不起訴の理由のようです。
戦後は他の戦犯が巣鴨、チャンギーで刑に服しているとき、莫大な軍人恩給で楽しく生活したと言われています。
今回は出てきませんが、辻正信参謀も一旦は聯合抗側に然程の損害を与えなかったことで不起訴になりかけましたが、シンガポールでの中国人大量虐殺事件を命令したことで戦犯になりましたが、逃走し、サンフランシスコ講和後現れて国会議員になりました。私の少年時代の日本人は愚かな人が多かったのでしょうか。

投稿: 今井 龍弥 イマイ タツヤ  | 2017年9月 1日 (金) 18:56

追伸
ビルマ方面軍 後勝 参謀はインパール作戦、雲南作戦等の後方支援参謀として後方で活躍した人物です。
彼が毎夜将軍達の宴会の支援に従事させられ、「帝國陸軍は戦闘をせず、宴会ばかりしているのだろう」と嘆いたそうです。

投稿: 今井 龍弥 イマイ タツヤ  | 2017年9月 1日 (金) 19:18

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