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2017年8月の17件の記事

2017年8月31日 (木)

「学校で便意、我慢したくないが」

昨日の朝日新聞にこんな議論があった。
「(声 どう思いますか)8月11日付掲載の投稿「学校で便意、我慢したくないが」
 ■学校で便意、我慢したくないが
 会社員(東京都 49)
 「小学校で『排便しない』51%」(4日朝刊)を読み、学校のトイレ事情は、40年前と変わっていないと感じました。
 私は小さい頃からおなかが弱く、一日に何度もトイレに駆け込む日もありました。学校で大便をしようとトイレの個室に入ったことが知られるたび、みんなにからかわれていたので、とてもつらく恥ずかしく、こそこそ隠れるように行っていました。
 しかし、便意を止めることはできません。あるとき自分の中で吹っ切り、用を足しに行く前に「いまからうんちしてきます!」と宣言し、当たり前のように行くようにしました。からかう人がいなくなり、体調を心配してくれる友達も増えました。
 排尿・排便は、人が生きていくために当たり前にする行為です。無理に我慢したら体によいわけがありません。子どもたちが恥ずかしがって我慢している現実は、何とか変えていく必要があるでしょう。学校で当たり前に排便できるように、何か良い知恵や工夫はないでしょうか。(8月11日付掲載の投稿〈要旨〉)
     ◇
 ■男性トイレ、全て個室にしては
 主婦(広島県 84)
 小学生で排便を我慢とは気の毒だ。戦中育った私たちは、くみ取り式の暗い便所だったから怖さこそあったものの我慢はなかった。空襲警報となれば整列して避難しなければならず、先生から「体を整備しておくように」と言われていた。
 私は今、90歳の夫に付き添われ、脳梗塞(こうそく)の後遺症のリハビリに通う身だ。終わると近くのスーパーに寄る。夫は元気なのだが、1日に何回か便意を覚える。しかし、男性トイレには個室が三つしかないそうで、そのうち一つは和式らしい。1階から3階までそれぞれあるトイレだが、空きがない時もあって困るという。
 いっそ男性トイレも全部個室にしたらどうだろう。学校のトイレを全部個室にすれば我慢しなくてすむ。体の調子は人それぞれ、先生も排尿排便の大切さを常々教え、我慢はよくないことだと十分浸透させて欲しいと思った。

 ◆排便教育、毎年行って
 宍戸洲美・帝京短期大教授(学校保健)
 小学校の養護教諭だった頃、授業中トイレに行きたいと訴えた児童に「休み時間まであと10分なんだから我慢しなさい」と言った担任がいました。良い授業をしても、うんちを我慢していては授業に集中できません。しっかり学ぶためには健康でなければ。担任の先生も、健康管理の科学的な知識を身につけるべきです。
 「早寝、早起き、朝ごはん」は言われますが、「出す」が抜けている。「うんこ漢字ドリル」が人気なように、子どもはうんちに興味をもっています。小さなころから正しい知識を学べば、仲間を冷やかすこともなくなります。担任と養護教諭とで最低、毎年1時間は排便教育を行ってほしい。
 ただ、トイレが暗い、汚い、臭いでは行きたがりません。気持ちよく使えるトイレをぜひ整備してほしいですね。」(
2017/08/30付「朝日新聞」p14より)

子どもの頃の、学校での便意については、自分は悪い思い出がたくさんある。そして便意の我慢は、上の投稿と同じく日常的だった。それはそれは苦労の連続。
しかし学校で個室に入って、友だちからからかわれた記憶は無い。全ては、自分の「恥ずかしさ」から来ていた。

小学校の時の思い出は、授業中にたまにお漏らしをする子がいて、先生が後片付けをしていた光景が記憶に残っている。それがトラウマとは思わないが・・・
中学の頃が最も悲惨だった。思春期で、それで無くても敏感な時期。学校は古く、自分が卒業した翌年に、学校の再編で新校舎に移った。古い学校は、渡り廊下の途中に、トイレの建屋が独立して建っていた。個室が数個ズラリと並び、休み時間になると、女子生徒が、友だちどうしで、順番にドアの外に陣取り、お互いが見張りをしながら交替で入っていた。その個室の向かい側が、男子用の小便器。と言っても、一人ひとりで分かれているわけでもなく、数メートルのコンクリーの壁があり、その前にズラリと並んだ男子生徒が、その壁に向かって小便をする、という具合。
男は、緊張すると小便が出ない。自分も、ワイワイ騒ぐ女子生徒を背にしては小便が出なかった。それで、毎日トイレに行くことはなかった。まして、女子生徒が占領している個室に入るなど、有り得なかった。
今考えると、健康上、飛んでもないことだが、一日小便もしないのである。しかし、たまたま自宅が中学校のすぐ近くだったので、体育の時間の前など、校庭の近くの自宅に駆け込んでトイレに入った記憶がある。
高校になると、朝の通学途中での便意に参った。友人と一緒に行くのだが、それを知られたくなく、乗り換えの駅などで、こそこそトイレに行くのだが、これを知られるのが恥ずかしかった。特に授業中の便意には参った。休み時間になっても、恥ずかしくてトイレに行けない。授業中に我慢していると、不思議に、他の生徒が「先生、トイレに行っても良いですか?」と、トイレに行く。まるで自分に代わって行ってくれるような気がした。しかし、自分が授業中に行った記憶は無い。自分は我慢の名人だったのである。
後で考えると、高校の便意の原因は、夏の夜、受験勉強をしていると、お袋が氷の入ったカルピスをたまに持ってきてくれた。その次の日に、下痢になるのだった。
当時、その因果関係に気が付かなかった。何のことはない、お袋が良かれと思ってしたことが、翌朝の通学路で、息子は七転八倒!?

結婚した後、カミさんがまったく“同じ病気”であることを知った。特に大嫌いな理数系の授業の時は、体が拒否反応を起こして、授業中にトイレに行くのが普通だったという。
同じ病気を抱えていると、お互いに気を遣う必要が無いので、これは便利だった。どこかに出掛けても、「トイレに行ってくる」がお互いの日常のこと。だからトイレから帰ってくると「下痢?」と、いつも聞かれる・・・・

カミさんがそんな具合なので、思い出話も良くするが、さすがに中学校の時の、背中で女子生徒がワイワイ・・・の話は、「信じられない!人権侵害!」と言う。
でも、昭和30年代の学校なんて、そんなもの・・・
子どもの頃、いつも思っていた。「女はいいな・・・。個室に入ってさえしまえば、大も小も自由に出来るから」と・・・。それが、カミさんに言わせると、そう簡単に大をすることは出来ないんだって・・・。臭いを気にして?? 男には考えられない・・・!?

それに、一緒に外出していて、自分は“その時”には、どこでも良いので近くのトイレに入るが、カミさんは、「ここはキタナイのでいやだ」と我慢しながら別のトイレを探す。これも男には考えられない・・・

ともあれ、今では考えられないが、自分も子どもの時は、「恥ずかしい」が行動を制限していた。まあそれは、大人になってもあるが・・・
いつだったか、駅のトイレに入った時、二人の男の子が入ってきて、一人が個室に入ってからも、外にいた子供と雑談を続けていた。つまり、二人の友だちの間には「個室」はどうでも良いことだった。これこそが必要なことだと思った。
とは言っても、思春期の恥ずかしさは、他人では制御できない。「男子トイレも全て個室」が理想だろうが、なかなか難しいだろう。なかなか解はない。

こんな投稿を読みながら、昔の悪夢を、つい思い出してしまった。そして、いまだに「排便が恥ずかしい」原因が、自分には分からない・・・・。

2017083116211088d <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

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2017年8月29日 (火)

DECCAの名プロデューサー、ジョン・カルショーの回想録を読んで

自分は学生の頃に(1960年代末)最もクラシックを聴いていたと思う。下宿でひとり、STAXのヘッドホンで。
レコード芸術という雑誌を読んでいたが、DGG(ドイツ・グラモフォン)のカラヤン/ベルリン・フィルの広告が多かった。カラヤンの全盛期だったのかも知れない。
しかし自分はロンドン・レコードが好きだった。最も音が良いと思っていたので・・・。
特に、ショルティ/ウィーン・フィルが好きだった。
「ワルキューレ」のレコードを買ったのが1969年、大学3年の時。

学生時代からDGGのレコードはあまり好きではなかった。音が良くないのと、カラヤンの「運命」の冒頭の「タタタ・ター」がせっかちなのが嫌いだった。

最近、CD時代のデジタル録音よりも、アナログ時代の録音に凝っている。出来れば当時のアナログテープの音源を元にしたハイレゾ音源を探して・・・
前に「ジョン・カルショーの録音」(ここ)という記事を書いた。もう11年も前で、このblogを始めて18日後だった。

そのカルショーが、最近また気になりだして、その回想録を読む気になった。ジョン・カルショー著「レコードはまっすぐに~あるプロデューサーの回想」という本。
170829culshaw この本が、中古でも結構高い。それで近くの図書館で検索してみたら、何と在庫していた。こんなレアが本があることにビックリ。それで先日借りてきて読んでみた。
もちろん回想録なので、舞台裏の話がどっさり。今日はその「ヘエー」をメモしてみる。

まず「ロンドン・レコード(現在はDECCAレーベル)」の音の良さだが、そのルーツが、英DECCAの、戦時中のドイツ潜水艦の音の聞き分けレコードの技術から来ていたことを、今更ながら知った。
その部分を、著書から抜き書きしてみる。カルショーがまだデッカに入社する前の話である。

「だから、いっぱしの通気取りの感覚で言うと、当時のデッカには、権威などほとんど感じなかった。そのため、私がまだ軍服を着ていた一九四五年に、デッカが「フル・フリクエンシー・レンジ・レコーディング」〔全周波数帯域録音〕、略して「ffrr」という新しい録音技術の広告を出したときには、とても疑わしく思った。どうせ、会社が存続するための新たなカラクリにすぎないと思ったのである。
 しかし私は、すぐに考えを変えた。ロンドンを訪れたときに、『ザ・グラモフォン』の編集長セシル・ポラードが、新しいレコードの一枚を聴かせてくれたからである。
 それは、天の啓示だった。
 戦争中に政府のためにデッカが行なった研究がもたらした成果だということは、どうでもよかった。この研究は、音楽のためではなく、イギリスとドイツの潜水艦の音の相違を示すのに使われるレコードのために、必要とされたものだった。そこで、既存のすべてをはるかに上回る録音技術が求められ、そしてこの技術の応用が、ffrrの開発につながったのである。これはデッカの主任エンジニア、アーサー・ハッディという男――のちに私は、彼の間近で長い年月を働くことになる――が開発したものだった。
 ffrrは、一九二〇年代の電気録音の開発以来、最大の技術革新をデッカが成し遂げたことを意味していた。ところが、当時のデッカには有名な演奏家がいなかった。そのため初期に発売されたレコードは、欲求不満のたまる代物になった。これまでのどんなレコードも比較にならないほど音質が優れているのに、演奏の方には問題が多かったのだ。・・・」(
ジョン・カルショー著「レコードはまっすぐに」p63より)

170829london 自分は「ffrr (Full Frequency Range Recording)」というロゴは知らない。自分の時代にはステレオになっていたので「ffss(Full Frequency Stereophonic Sound; 全周波数立体音響)」というネーミングだった。
やはり、DGGやEMIと音が違うと思っていたが、そんな歴史があったのだ。

そして、「ワルキューレ」は「SONIC STAGE」が売りだった。あたかも音でオペラのステージが再現されている録音・・・。自分は、「さすが“SONIC STAGE”は違う」と感心していたもの・・・。
それについて、こんな記述があった。

「一つだけ例を挙げよう。サロメが予言者の切断された首に口づけする最後の場面で、ワイルドは黒雲が月を隠し、サロメの声だけが聞こえるように求めている。レコードでは、月を隠すことはできな。しかしビルギット・ニルソンの声の距離感を変化させることで、恐ろしい雰囲気を適切に伝えることは可能だ。そこでそうすることにした。これは聴覚上で大きな効果を発揮した。そこで私たちは、今度も批評家たちをペテンにかけることにした。

 《ラインの黄金》のとき、私は何食わぬ顔で言ってみた――終景のラインの乙女たちの声は、虹の架け橋の下から、聴こえてくるはずだと。
 この言葉をほとんどの批評家が取り上げ、驚きとともに引用したのだが、もちろん、これはあり得ない。ステレオは左右と中央を示し、遠近の距離感も表現できるが、高低を示すことなどできるはずがない。
 この嘘がばれずに済んだので、《サロメ》でも新しい嘘を試すことにした。オペラ録音に関して、まったく新しい録音法を開発したと言ってみたのだ。実際は、シュトラウスの管弦楽のテクスチュアを表現することに非常な注意を払った、というだけなのだが。
 私たちはそれを「ソニック・ステージ」と名付けた。デッカの美術部は「シネマスコープ」と類似性のある(控えめに言えば)紋章をこしらえた。
 あとで、やり過ぎたかなと気になりだしたが、そうと確信したときにはもう手遅れで、宣伝を止めることはできなかった。そしてそれはとても効きめがあった。大きな技術的進歩として歓迎されたのだ。しかし実のところは、過去三年間のウィーンでの他のオペラ録音とほとんど何も相違はなかった。シュトラウスの管弦楽法が違うだけである。
 今は、あんなことはやらなければよかったと思っている。あまりにも幼稚な手口だからだ。しかしこれは、自分の偏見をひけらかすことに固執する批評家たちへの遠回しな復讐だった、とだけは言える。そのような強すぎる偏見のために、しばしばバランスを取りにくくなったのだ。・・・」
(同p398より)

170829sonicstage レコードにあった「SONIC STAGE」というロゴは、自分は実に大切にしていた。それが今ごろ「新しい嘘」と言われてしまうと立つ瀬がない。
でも、周囲をだませたということは、やはり実力の成果だったのだろう。英デッカ録音の左右に広がった音場は、他社に追従を許さなかった。

そしてカラヤンが、DECCAの専属からDGGの専属に移った事情は、まさに「ヘエー」。自分は昔から、カラヤンとウィーン・フィルとの不仲を信じていたが、この本にはその話は無かった。これは自分の勘違いらしい。
カラヤンがDGGに移った経緯とは・・・

「第33章 二つの《カルメン》
 いつしかカラヤンとデッカの関係が順調でなくなっていたことに、はっきりと気がつくようになった。
 スタジオでの彼はとても幸福そうに見え、自分がつくったレコードに満足していた。しかし、一九六二年末までに私たちが完成した《ニーベルンクの指環》の四作品のうちの二つが、やがては史上初の全曲録音となるという事実を受け入れるのは、彼にとって容易なことではなかったのである。
 彼は、ドイツ・グラモフォンが彼との契約を高い金額で申し入れていることを承知していた。そこには《ニーベルンクの指環》のライバル盤の録音も含まれていたのだ。彼が受諾をためらった理由はただ一つ、アメリカでのDGGの販売力が比較的弱かっかためだった。彼はアメリカでの活動を拡大したいと望んでいたのである(ザルツブルクでの彼の《ニーベルンクの指環》をニューヨークのメトロポリタン歌劇場に移す交渉が進行中で、《ラインの黄金》の初日が一九六五年に予定されていた)。
 だが彼がデッカに幻滅してしまった大きな要因は、印税の支払いに関することだった。そしてこれは、彼一人の主張ではなかったのである。

 ほとんどの契約では、印税額は年に二度、六月三十日と十二月三十一日に計算されるように決められていた。実際の支払いは海外での収入の全額が入金されてからになるので、三月三十日と九月三十日前後に行なわれた。ロンドン本社と直接契約している音楽家の場合には、この支払いは金額の多寡に関わりなく、期日どおりにきっちりと行なわれていた。しかし多くの音楽家はイギリス・ポンドを好まず、スイス・フランでの受け取りを好んだ。それは、いくつかある理由のうちのどれか一つによるものだった。
 スイス・フランは誰が見ても安定した通貨であり、変動の幅は小さかった。また、何人かの音楽家はスイスに「会社」を設立していた。そして巧妙な方法をいくつか用いて、その会社が得た収益――つまりは音楽家の印税――に対する税金がまったく、あるいはほとんど発生しないようにしていたのだ。また、外国からの金銭(イギリスから振り替えられた印税など)をスイス銀行の無記名による番号のみの口座に入れるのは簡単にできるが、そうすると税金目的で追跡するのは、ほとんど不可能になるのだった。

 ローゼンガルテンはただ一人、この業務によって過大な幸福を手にしていた。
 彼の小さな組織には印税の計算や照合をする能力はなかったが、音楽家がスイス・フランでの支払いを望んだ場合、販売数の計算書をつけてロンドンからチューリヒへ年に二度金銭を振り替えることには、何の違法性もなかった(少なくとも、音楽家が非イギリス人の場合)。
 ローゼンガルテンのしかけた罠は、ロンドンからスイス銀行の音楽家の口座に直接支払うことを絶対に認めなかった点にあった。彼の説明は大方を納得させるように思えた。ロンドンが音楽家に不利になる計算違いをする場合にそなえて、自分で金額をチェックして音楽家の便宜を図りたい、と言うのである。
 大概の音楽家は強欲にその金銭に執着したから、このことをひたすら歓迎した――そして、そのために支払いが不定期に遅れるのは仕方がないということになった。
 まず初めに、必要な金額がロンドンのデッカからチューリヒに振り替えられる。続いて印税の計算に関する書類が、ローゼンガルテンに郵送される。
 しかし、彼がミスをすぐにチェックすることは期待できなかった。実際にはチェックする気などまるでなく、やりはしなかった。彼は書類を一枚ずつオフィスの戸棚にしまう。その間に金銭の方は彼自身の口座か、彼が持つ多数の会社の一社の口座に入金される。そしてそこで、莫大な額の利息が生じることになる。言うまでもなく、長く口座に留まればそれだけ利息が増え、ローゼンガルテンはより幸せになる。
 音楽家が印税の告知を長期間受け取っていないと気がつくまでに数か月かかることはよくあったし、何年もかかることさえときにはあった。彼が誤ってロンドン本社に抗議すると、ロンドン側は彼の希望どおりに完璧に行なったこと、つまり期日どおりにチューリヒへ金額を振り替えたことを正当に主張できた。
 そこで音楽家(あるいはそのマネージャー)はローゼンガルテンに連絡する。するとこのときは、彼は多少の時間差はあっても即座に支払う。そして、元の計算書から発見した計算違いの多さのために、遅延が生じたという言葉をそえる。
 音楽家たちは本心から、音楽家の不利益になると彼が主張する計算違いを不思議にも発見できる、彼の用心深さに感謝していた。このことが続いている間、音楽家もマネージャーも誰一人、ただ一つの重要な質問をしたという話を聞かなかった。つまり、どのくらいの期間スイス銀行に預けられていて、その利息はいくらになったのかという質問を、である。
 これもまた、彼らの強欲さのためだった。トップ・クラスのクラシックの音楽家たちの何人かは、一年間に印税で五十万ポンドを稼ぐ(一握りの大は、さらにそれ以上だ)。
 彼らが六か月毎の支払いをチューリヒに要求するのを「忘れている」と、彼らは突然、一年間分の収入をまとめて受け取ることになる。請求するだけでこんな高い金額が手に入ったという喜びのために、いったいそのお金はどこに暫定的に預けられていたのだろうとか、どのくらいの利息を(この場合はローゼンガルテンが)得たのだろうとかいうことを、彼らは気にしなくなってしまうのだ。
 一人の音楽家の合計だけでも、かなりの額になる。そして、法律で禁じられていたイギリス大を除いて、大多数の音楽家がローゼンガルテンの事務所をその精算所としたため、この活動だけでもその金額は天文学的なものになった。そして、まったく法に触れてはいなかったのである。

 だが、カラヤンと彼の弁護士は大多数の音楽家たちよりも頭が回った。最初の数回の遅延によって、相手のやり囗をつかみ始めたのだ。カラヤンが要求すると、しばらくの間は印税が期日どおりに入金された。しかしまたズレが起きるようになると、当然ながらカラヤンは、請求をくり返すことに苛立ちを覚え始めた。何と言っても、結局は自分の金なのである。
 計算書のチェックが必要という主張では、ごまかされなかった。カラヤンは自分の会計士や弁護士にチェックさせることを完璧にできたからである。ローゼンガルテンの方は、カラヤンに印税をわたさざるを得ないにしても、一時間でも早くするのは嫌たった。カラヤンの収入がとても大きかったからで、少しの抵抗もせずにそれだけの金をあきらめることは、ローゼンガルテンの性格ではできなかった。
 そんな最後の抵抗の中には、休暇中のローゼンガルテンがカラヤンの計算書を携えて行ってその正確性をチェックしているので、すぐに支払うことはできない、などという途方もない言い訳まで含まれていた。
 これが、どこか他へ移籍しようというカラヤンの決意につながったのである。他にも理由はあるが、この印税のことが問題の中心たった。・・・・」(
同p454より)

この暴露話は、今でも通じる。今でも有り得る・・・。いわゆる「役得」だが、会社のオーナーなので、さすがに規模は大きい。
「トップ・クラスのクラシックの音楽家たちの何人かは、一年間に印税で五十万ポンドを稼ぐ」とあるので、今のレートで計算してみた。1960年代のレートは「1ポンド=1008円」で「消費者物価指数は現在の4~5分の1」だったらしいので「当時の1ポンド=現在の4000~5000円程度」(ここ)とのことで、50万ポンドは、現在価値で、何と20~25億円!

さて、この本の最後に「訳者あとがき」があり、そこに「デッカのその後」がある。

「著者の急逝で未完となり、デッカ退社前後のことが書かれていないのは残念だが、補足の意味で、カルショーの上司としてデッカのトップに君臨した二人、サー・エドワード・ルイスとモーリス・ローゼンガルテンとデッカーレコードのその後について、少し述べておこう。
 奇しくも同じ一九〇〇年に生まれたルイスとローゼンガルテンは、二人とも後継者を用意したがらなかったことが本書の中でも述べられている。結局は後進に譲らぬまま、最期を迎えたようだ。
 デッカが傾き始めたのは、重要な収入源となっていたロック・グループのローリング・ストーンズが、一九七〇年に専属を離れたあたりからである。その中で、まずローゼンガルテンが一九七五年十一月に亡くなり、さらに一九八〇年一月にルイスが後を追う。
 そしてルイスの死の直後にデッカはポリグラムに売却され、傘下の一レーベルという地位に転落するのである。カルショーが第二十章の結尾で苦々しげに触れている「崩壊」とは、この前後の状況を指している(さらにそのポリグラムも、一九九七年にユニバーサルに買収されている)。
 結局、デッカはルイスとローゼンガルテンの「個人商店」でしかなく、彼らと運命を共にしてしまったのである。カルショーが本書を書き進めていたのは、まさにその断末魔の声を聞きながらであった。古巣に対して深い愛着を抱きつつも、ときにそれを読者に忘れさせるほどの非難の言葉を連ねてしまうのは、そうした、憤懣やるかたならぬ時期の只中にあったからであろう。訳者が言うのも変だが、そのあたりはどうかご理解いただければと思う。
 そしてカルショー自身、ルイスの死とデッカの売却から、わずか三か月後にこの世を去ることになる。エリック・スミスが書く通り、オーストラリアでウイルス性肝炎に罹患した彼は、一九八〇年四月二十七日に五十五歳で亡くなったのである。
 ルイスやローゼンガルテンとは違った意味で、カルショーもデッカと運命を共にしてしまったように思えてならない。
 ただ春の夜の夢のごとし。しかしカルショーのレコードは、今も聴かれ続けている。・・・」(
同p512より)

この本の最後に、カルショーのレコードリストがあったので、下記しておく。
*ジョン・カルショーの録音リスト(ここ

全体として、自分は少々勘違いしていた。良い音は「カルショーがプロデューサーだったから」だと思っていたが、どうもそれは違う。彼はプロデューサー、つまり演奏者を決める立場。録音は「レコーディング・エンジニア」だった。つまり、カルショー以外のプロデューサーの録音でも、DECCAの録音であればそう差は無いのかも・・・

それにしても、この本は500頁を越す大作。それはカルショーが付けていた詳細な日記が元になっているらしい。そうでなければ、これだけの詳細は書けない。
話は飛ぶが、ひょんなことから、自分も会社生活の回顧録を、2年ほど前に本にした。その時の思い出だが、回顧録は非常に難しい。第一にアドバイスを貰ったのが、「活字になると、それが“事実”として残る」ということ。つまり、自分の記憶違いも、いったん“本という存在”に変わると、世に事実として固定化されてしまう。ということ。
それに、書き方によっては、他人の名誉を傷付ける可能性があるということ。
それによって、草稿を削りに削って、本になったのはその数割だった。

政治家が、引退した後に回顧録を書いて、よくベストセラーになる。もう怖いもの無し、で書いているのかも知れない。
回顧録の難しさを感じつつ、学生時代に聞いた音を思い出しながら読んだ一冊であった。

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2017年8月27日 (日)

経産省若手の「不安な個人、立ちすくむ国家」が素晴らしい

今朝の朝日新聞に、経産省の若手が書いた文書、「不安な個人、立ちすくむ国家」(ここ)についての、こんな記事があった。

「(平成とは プロローグ:1)さらば「昭和」、若者は立った
 今年5月、ネット上に投じられ、議論の輪が広がった文書がある。水面に放り込まれた石のように。
 「不安な個人、立ちすくむ国家」と題された65ページの文書を作ったのは、経済産業省に所属する20代、30代の官僚30人。ダウンロードは140万回を超え、ネット上で賛否が渦巻いた。
 内容は、国家官僚が作成したとは思えないものだ。何しろ、「国家が立ちすくんでいる」ことを認めているのだから。
 「現役世代に極端に冷たい社会」「若者に十分な活躍の場を与えられているだろうか」。少子高齢化、格差と貧困、非正規雇用、シルバー民主主義などの現実を背景に、そう文書は問題提起する。
 なかでも目を引くのは、「昭和の人生すごろく」という言葉だ。「昭和の標準モデル」を前提にした制度と価値観が、変革の妨げになっている。つまり、終わった昭和にすがり付いているのが日本だという。
 平成世代の官僚が、文書の作成にかかわった。基準認証政策課の伊藤貴紀(26)、コンテンツ産業課の今村啓太(27)は共に、東日本大震災後に官僚になっている。
 「平成は当たり前が当たり前でなくなった時代。このままではまずいという危機感は、若手ほど強いように思う」と伊藤。「日本の今後を支えるのは若い人たち。資源の配分でも、そんな世代を重視するべきでは」と今村は語る。・・・」(
2017/08/27付「朝日新聞」p2より)

「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」(ここ)という文書を読んでみた。素晴らしい。
6月から話題になっていたというが、気が付かなかった。当時の朝日新聞の記事を検索すると、当時のこんな記事が残っていた。

社会保障「現役世代に冷たい」 経産省若手、異例の提言
 「昭和の人生すごろく」では、平成以降の社会は立ち行かない――。こんな問題意識で、社会保障制度などの改革を提言した経済産業省の若手職員の報告書が、インターネット上で話題だ。これまでに延べ120万人以上がダウンロードするなど、行政資料としては異例の注目度となっている。
 報告書は「不安な個人、立ちすくむ国家」。経産省の20~30代の職員30人が所管の業務とは関係なく有志で昨年8月から議論を重ね、5月中旬に公表した。同省のホームページにも掲載したところ、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じて一気に拡散した。
 報告書が切り込んだのは「正社員男性と専業主婦家庭で定年後は年金暮らし」という、崩れつつある「昭和の標準的人生」を前提とした社会保障制度だ。
 日本では高齢者の年金と介護への政府支出が国内総生産(GDP)の1割を超えて増え続ける。ところが健康寿命は伸びており、元気な人も多い高齢者を一律に「弱者」と扱って予算をつぎ込む仕組みが「いつまで耐えられるのか」と問う。
 一方で、保育所整備や児童手当などの現役世帯向けはGDPの2%未満。ひとり親家庭の子どもの貧困率は5割を超え、先進国で最悪の水準だ。
 報告書は「現役世代に極端に冷たい社会」のしわ寄せが子どもに向かっていると指摘。高齢者も働ける限り社会に貢献し、未来を担う子どもへの支援に「真っ先に予算を確保」するよう求めた。
 「誰もが本質的な課題から逃げている」「2度目の見逃し三振は許されない」などと霞が関らしくない言葉も並ぶ報告書に、ネット上では「官僚のイメージが変わった」と評価する書き込みが相次いだ。一方で、議論の詰めが甘く、具体策がないことへの批判や、「働きたくない高齢者もいる」といった指摘のほか、社会保障を担う厚生労働省には「制度を変えることがどれほど難しいか。そこまで言うなら厚労省で働けばいい」と顔をしかめる幹部も。
 報告書には当初、課題への解決策も盛り込んでいたが、あえて消したという。中心メンバーの岡本武史さん(37)は「小手先の結論を示しても『結局こんなものか』と言われて終わってしまう。誰もが納得するかはわからないが、誰もが考えなければいけないことについて広く問題提起することを狙った」と話す。今後は一般の人や他省庁とも議論を重ね、解決策を探りたいとしている。(伊藤舞虹)」(
2017年6月13日付「朝日新聞」ここより)

この文書は、確かに唐突に終わっている。読んでいると、アレッと思うほど、途中で終わっている。それについて、こんな解説があった。

「・・・・・
プロジェクトの始働は、昨年10月に遡る。公募で集められた男女30人の「次官・若手プロジェクト」に与えられたミッションは、「中長期的な政策の軸を考える」という非常に漠然としたものだった。
ただし、「次官」、つまり官僚組織のトップである事務次官の名前を掲げていることはつまり、霞が関の組織では「誰も反対しない、省内で認められた」プロジェクトを意味している。
こうして自由で機動力の高い議論の場が設けられ、あらゆる部局をまたいで、25歳から最年長で須賀氏の36歳という「役所では若手の部類に入る世代」(須賀氏)が集結した。
公募に手を挙げた根底には、既存システムや規定路線を踏襲することで乗り切れてしまう、日々の仕事へのくすぶる違和感があったという。
従来、官僚の政策立案は「何が将来のためなのか、国民的合意は得られるのか」を考える際に、「ある程度、事前に評価できた範囲でやる」というのが“常識”だった。
「ただ、本当は合意があるかどうか、わからないエリアがものすごく広くなっている気がしていました」

結論を書かなかった理由
5月18日の公開直後からまたたく間に拡散されたこの文書だが、「具体的に何をするのか分からない」「政策提言に落とし込めていない」「よくある話を一つの資料にまとめただけ」と、手厳しい反応も少なくない。
具体策がないとの批判がとくに目立つのは「日本がアジア諸国に20年先駆けた高齢化を経験している」ことを示すグラフを見せて、ぶった切ったように終わる最終ページも一因かもしれない。文書の流れからは少々、唐突に感じられる。
これについて2人は、意外な事実を明かす。
「実はもともとのペーパーには、具体的対策を示す結論ページが10枚ほどありました。社会的課題を具体的政策に落とし込むのは、役人の本業ですから。けれど、最終的には結論部分を削除して、あえて寸止めの内容で完成としたのです」
そのきっかけは、公開直前にあった。
10月から半年以上にわたり、議論や文書の中身は省内でもまったくの非公開だった。ただ、最終的に経産省で最大の審議会である産業構造審議会総会にかける前に、幹部の前で初めて公開する場を得た。その時にはまだ、最終ページは存在していた。
「おそらく角をとって丸くされるだろうと、身構えて行きました。負けないぞ、と」。須賀氏は当時を思い出す。
ところが、省内の最高幹部がそろう会議での反応は予想外のものだった。
「ちっちゃい。せっかく『若手』と銘打って出そうとしている割に、とんがり方が足りない」
口々に言われたのだ。それどころか「お前たちはこんな、足元で実現可能な政策をやりたくてこれを始めたのか」と、逆に問われる。
「世の中の大きな価値観の対立というか、みんなが合意できているか分からないことについて問いかけたかった。それなのに役人の変なクセで、実行可能な具体策を、批判が出ない感じで最後、しゅしゅっとまとめようとしていたことに対して、強烈に喝を入れられたのです」
須賀氏は当時の衝撃を明かす。
こうして「不安な個人、立ちすくむ国家」文書は、最終部分を削除の上で、完成を迎えた。」(「
Business Insider Japan」ここより)

このPJは次官の指示でスタートしたらしい。当時の次官は菅原郁郎という方。若手官僚が自主的に、省内の反対を押し切って発表した文書なら分かるが、次官指示のPJでの成果がこれだということは、日本の官僚も、まだまだ健在だ。保守一辺倒だとばかり思っていたが、ビックリ!!
この文書がヒットした理由は「分かり易さ」にある。決して一般国民を読者として想定していた訳ではないだろうが、さすがに優秀な人が作る資料は違う!

文書の内容は、下記の構成になっている。
1.液状化する社会と不安な個人
2.政府は個人の人生の選択を支えられているか?
 (1)個人の選択をゆがめている我が国の社会システム
   ①居場所のない定年後
   ②望んだものと違う人生の終末
   ③母子家庭の貧困
   ④非正規雇用・教育格差と貧困の連鎖
   ⑤活躍の場がない若者
 (2)多様な人生にあてはまる共通目標を示すことができない政府
 (3)自分で選択しているつもりが誰かに操作されている?
3.我々はどうすれば良いか

非常に洗練されたPPT(PowerPointの資料)である。自分も同じような文書を「QC七つ道具」を使って、現役の頃に良く作った。当時を思い出す・・・。
このPPTの中に、分かってはいたが突きつけられてショッキングな表が幾つもある。
特に、P18の「定年退職を機に、日がなテレビを見て過ごしている」という表は心が痛む・・・!? そしてP19の「定年後の生き甲斐はどこにあるのか?」と続く・・・。
そして、P27の「日本の母子世帯の貧困率は世界でも突出して高い」という日本の現状に背筋が凍る。

170827jinsei 170827nanimo 170827tv

そしてp35の
「高齢者は一律に弱者として手厚く保護する一方、 「子育ては親の責任」、「現役世代は自己責任」と突き放し、 意欲のある若者にも高齢者にも活躍の「場」を提供できていない日本。
「未来の日本の豊かさを支える子供たちだけは、 社会全体で投資し、何としても支える。」
「年齢にかかわらず、それぞれのやり方で社会に貢献する。」
と胸を張って言える方が、 将来に対する希望が持てるのではないか。」

という指摘には大いに賛同する。

170827ketudan 「(3)自分で選択しているつもりが誰かに操作されている?」という指摘では、p46の「自分で情報を選び、自分で決断しているつもりが・・・実際には与えられた情報に踊らされている?」という指摘が厳しい。

p51ではこのような提言も・・・
「①一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、働ける限り貢献する社会へ
②子どもや教育への投資を財政における最優先課題に
③「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手に
(公共事業・サイバー空間対策など)」

これら現状の指摘に対する結論は難しい。たぶん解が幾つもあるから・・・。それだけに、今後の論を待つ「結論無し」は仕方がないのかも知れない。

我々年金暮らしの世代にとっては、どれも厳しい指摘だが、日本がこのままで良いはずもなく、p64の「2度目の見逃し三振はもう許されない。」のも確か・・・。

このような優秀な日本の官僚を、現在の安倍政権は、「政治家の“うそ”の辻褄合わせ」のために、膨大な時間を使わさせている。
何という悲劇か・・・

この経産省に見られるように、トップ次第で組織はどうにでもなる。官僚はどのような方向への働き方も出来る。
早く日本のトップを替えて、真に国民のための政治をする国にならなければ!
早く国の財産である官僚組織を、“政治家の為の組織”から“国民の為の組織”に!

繰り返しますが、「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」(ここ)という文書を読んでみましょう。

20170825190032651 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

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2017年8月25日 (金)

戦争孤児・金田茉莉さんの話

この所、夏らしい暑さが戻ってきた。しかし、全国に見られる豪雨は尋常ではない。
しかし、足早に秋はやってくる・・・。夏が終わらない前に、こんな言葉を留めておきたい。

「(戦争を語る:2)孤児たちの「遺言」 戦争孤児の会代表・金田茉莉さん
 戦争で親を奪われた戦争孤児は、戦後史の闇に埋もれた存在だ。自身もその一人である金田茉莉さんは、30年にわたり、孤児たちの証言や資料を集め、未来への「遺言」として伝えてきた。82歳になったいまも、日々パソコンに向かい、孤児の目でみた戦後日本の現実を書き残す。

 ――若いころに右目の視力を失い、最近は左目も悪くされて、細かい字が読めないそうですね。それでも書き続ける。執念に似た思いを感じます。
 「72年前の終戦の後、東京・上野の地下道は浮浪児であふれ、数え切れない子どもたちが餓死し、凍死しました。生きた証しすら残せず、『お母さん』とつぶやき、一人で死んでいった。いま書いている本の題は『なぜ浮浪児になったのか』にしようと思います。歴史の闇に埋もれた実態を明らかにして、汚名をそそぎたいのです」
 ――汚名、とは?
 「浮浪児と呼ばれた子どもの大半は戦争孤児です。学童疎開中に空襲で家族を失った子もたくさん路上にいました。だれも食べさせてくれないから、盗みを働くほかなかった。不潔だ、不良だと白い目でみられた。『浮浪児に食べ物をやらないで』という貼り紙まで街頭にありました」
 ――学童疎開中なら小学生の年代です。親を失った子の心中を思うと、胸が苦しくなります。
 「私が通っていた東京の国民学校では、宮城県に集団疎開中の小学生66人が、空襲で孤児になりました。私の家族は最初は行方不明で、『私の手足がなくなってもいいから生きていて』と毎日必死に祈りました。しかし4カ月後、母と姉の遺体が隅田川で見つかったと知らされて。妹の遺体は見つからぬままです。父は早くに病死していて、親戚宅を転々としました。全国の疎開孤児は、膨大な数だったと思います。孤児施設も極度に不足しており、引き取る親戚がなければ、農家などへ養子にだされました」
 ――いきなり、養子ですか。
 「里親のもとで愛情深く育てられた人もいますが、戦後の混乱期で人心はすさんでいました。働き手を軍隊にとられ、どこも人手不足でした。こきつかわれ、学校に通えないことも珍しくない。文句を言う親も、行政のチェックも、何もありませんでした」
 ――孤児たちはなぜ、路上をさまようようになったのでしょう。
 「当時5年生だった男性は、集団疎開から戻った上野駅で迎えがなかったそうです。パニック状態になり、焼け跡で家族を捜しても見つからず、日が暮れて駅に戻りました。『生きていないと親に会えない』と思い、盗みを始めたと打ち明けてくれました。同じ境遇で一緒に地下道にいた3年生の男の子は、何日間も何も口にできず、『お母さん、どこにいるの』と言った翌日、隣で冷たくなっていた、と。いったん親戚や里親に引き取られても、重労働や虐待に耐えかねて家出をして、浮浪児になった子も数多くいました」
     ■     ■
 ――国は戦争孤児を守ってくれなかったのでしょうか。
 「戦後、戦争孤児の保護対策要綱を決め、集団合宿教育所を全国につくる方針を示しました。しかし、予算も規模もまったく不十分でした。見かねた民間の篤志家や施設が私財をなげうち、孤児を保護したものの追いつかず、街に浮浪児があふれました」
 ――国の支援不足が浮浪児を生んだ、と。
 「そうです。戦争孤児は、国に棄(す)てられた。私はそう思っています。20代のころに、当時の厚生省(現厚生労働省)に戦没者遺族への補償を受けられないか、問い合わせました。生活苦で、わらにもすがる思いで。でも『軍人・軍属の遺族ではないので、対象ではない』と言われた。同じ戦争犠牲者でも、民間の空襲被害者は差別されているのです」
 ――どう、国は対処すべきだったと思いますか。
 「学童疎開は国策として実施されたのに、戦争に負けると孤児たちは放り出されました。せめて義務教育が終わるまで、国の責任で養育すべきでした。食糧難で窮乏している親戚に託したり、急場しのぎに養子に出したりという対応は、無理があったのです」
 ――戦争孤児の総数は、正確にはわかっていないのでしょうか。
 「政府は1946年の帝国議会で、戦争孤児の総数を『3千名前後』と答弁しました。混乱期とはいえ、あまりの過小評価です。48年にようやく厚生省が全国一斉調査をして、孤児は12万人以上いたことがわかりました。病死などとされたその他8万人余りも内訳は不明で、実質的には大半が戦争孤児だと私は考えています。しかもこの調査は、養子になった孤児や沖縄県の孤児、路上にいた浮浪児は含まれていません。実数は、さらに多かったと思います」
     ■     ■
 ――路上の孤児は排除、取り締まりの対象になっていきます。
 「狩り込み、と呼ばれた行政による強制的な保護収容では、『1匹、2匹』と動物のように数えられました。当時10歳で浮浪児となり、上野駅で狩り込みに捕まった女性の証言を聞きました。30人ほどの子どもがトラックの荷台にのせられ、そのまま夜の山奥に『捨てられた』そうです」
 ――信じがたいできごとです。
 「地下道で餓死しても、見て見ぬふりをせざるを得なかった時代。人の命など、どうでもよかったのだと思います。孤児施設も多くが食糧不足で劣悪な環境でした。当時6歳だった女性は『死体の横に寝かされた』と証言しています。さらにこの女性は、施設の柱に何度も自分で頭を打ちつける何人もの子の姿を目にしたそうです。心に異変をきたしていたのでしょう。元気な子どもは、施設から逃げました」
 ――地獄を見て、心に深い傷を負ったのですね。
 「親戚の家や養子先で成長した子どもも、心を殺して生きなければなりませんでした。私は親戚から『野良犬』『出て行け』とののしられ、『親と一緒に死んでくれたら』との陰口も耳にしました。刃物が胸に刺さる思いでした。腐った魚の目、と気味悪がられました。心が死んでいたと思います」
 ――孤児たちは、つらい記憶に長く口を閉ざしてきました。
 「語るには過去が重すぎました。世間の目も怖い。親戚や里親との関係を語れば、『そんなことあるわけがない』『お世話になったのに』と批判されます。私自身、思い出すのも嫌で、夫や子どもにも長く話せませんでした」
 ――それでも、50代になって戦争孤児の調査に乗り出しました。
 「大病をしていつ死ぬかわからないと痛感し、命あるうちに記録を残さねばと思いました。疎開関係の資料や新聞記事などを手がかりに連絡先を調べ、一人一人に手紙を出しました。何人もの人に『話したくない』と断られて。聞き取り中に当時を思い出し、手足が震えだした人もいます。90年代初めにアンケートをとった22人のうち18人が自殺を考えたと答えています。弟が自殺し、自分も青酸カリを持ち歩いていたという男性もいた。私もそうですが、親と一緒に死んだほうがよかったという思いが、消えないのです」
 ――なぜ、多くの人が重い過去を語り始めたのでしょうか。
 「浮浪児の経験や親戚との関係も含めて、人間の真実を伝えない限り、なぜ孤児が浮浪児になったかを正しく説明できません。結果として、国の責任もうやむやにされてしまいかねません」
     ■     ■
 ――戦争孤児は、戦争を実体験した最後の世代でもあります。
 「当時10歳前後だった孤児たちも、すでに80代です。戦争の体験を語り継ぐ催しを力を合わせて開き、定期的に交流してきた『戦争孤児の会』のメンバーも、病気や高齢で半数が参加が難しくなり、この8月で活動を終えます。残された時間は多くありません」
 ――日本の未来を生きる世代に、何を伝えたいですか。
 「特定秘密保護法、安全保障法制、共謀罪など、危うい法律が次々にできています。戦争を体験した世代には、戦争の足音が聞こえる。もし、いまの大人が過去の教訓を忘れ、日本が戦争に巻き込まれれば、必ずまた戦争孤児が生まれます。国は都合の悪いデータは隠してしまうでしょう」
 「いったん平和が失われたら、子どもの命は守れない。いまが正念場です。戦争孤児の問題は過去のできごとではなく、未来の子どもたちの問題です。終わりなき悲しみを子どもたちが二度と味わうことがないように、最後のチャンスと思って、伝えたい」
 ――若い世代に届きますか。
 「世界では、いまも爆撃の下で子どもたちが逃げ惑い、食べ物がなく死んでいく。なのに多くの日本人は、戦争は過去の歴史で絶対起きないと思っている。くらしに追われてゆとりがなく、身の回りのこと以外、あまり考えなくなっている気がします。でも、希望は捨てていません。特に若い親たちはちゃんと耳を傾けてくれて、戦争とは何かを考える芽が出てきている。体験を書き残しておけば、いつか、だれかが気づき、警鐘を鳴らしてくれると信じています」(聞き手・編集委員 清川卓史)
     *
 かねだまり 1935年生まれ。集団疎開をしていた小学3年生のとき、東京大空襲で親と姉、妹を失った。著書に「東京大空襲と戦争孤児」など。」(
2017/08/10付「朝日新聞」より)

「30人ほどの子どもがトラックの荷台にのせられ、そのまま夜の山奥に『捨てられた』そうです」という言葉が重たい。
夏になると、NHKのドキュメンタリー番組で、孤児が警察から追われている姿がある。トラックに乗せられ、こんな事もあったのだろう・・・。

 「特定秘密保護法、安全保障法制、共謀罪など、危うい法律が次々にできています。戦争を体験した世代には、戦争の足音が聞こえる。もし、いまの大人が過去の教訓を忘れ、日本が戦争に巻き込まれれば、必ずまた戦争孤児が生まれます。国は都合の悪いデータは隠してしまうでしょう」
という言葉も、戦争を実体験している人たちだけに、重たい。

そう。「当時10歳前後だった孤児たちも、すでに80代です。」なのだ。
時間と共に、戦争が過去のこととして忘れ去られて行く。そして、戦争を知らない世代が、いとも簡単に戦争が出来る国を目指している。
それを看過できないこれら戦争世代の人の言葉を、我々は後世に残し、伝えていかなければならない。
二度と、戦渦に遭わないように・・・・

20170823182614357 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

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2017年8月24日 (木)

格安サイトからクラシックのハイレゾ音源を買ってみた話

自分は、昔からクラシックではDECCA(デッカ)の録音が好き。昔は「ロンドンレコード」というレーベルで売っていた。その中でも、1959年のジョン・カルショーのプロデュースによる、カラヤン/VPOのブラームスの1番は、高校時代から聞いている。
先日、このハイレゾ音源が売っていないかな・・・と思って、Netでググってみたら、あるサイトがヒットした。
色々なクラシックのハイレゾ音源が、結構安い値段(300円~800円)で売られている。ブラームスの1番もあるので、少々興味が湧き、色々と店主に問い合わせてみた。そして、試しに1曲買ってみたので、今日はその話。

結論は、やはり“デッカの”、そして“メーカー製の”FLACの音源は、音が良かった。
今日現在、このサイトには60曲ほどアップされている。日々追加されているようだ。

音源は、著作権の切れた1966年以前に録音された音源に限られている。音源の内容的には、①メーカー製のDSD音源、②メーカー製のFLAC音源(24bit/96KHz)、③既存のCD(16bit/44.1KHz)を24bit/96kHzにアップコンバートしたFLAC音源(下位ビットを類推補完、高域を1/f減衰曲線に基づく補完)、④そしてLPレコードを24bit/96KHzのハイレゾにデジタル化した音源、の4種。

④は、自分もSONYのPS-HX500というプレヤーを持っており、CD音源が手に入らないものは、自分でLPからハイレゾ録音しているので、まあ買うまでもない・・・

きっかけとなった、ブラームスの1番は、残念ながらLPから起こした音源であり、サンプルも聞いたが、やはりスクラッチノイズが大きく、とても買う気にはならなかった。
そう言えば、前に自分も「Sound Forge Pro 11.0」というソフトで、ノイズを消してみたが、全体の音が悪化し、とても聞けなかった。
それで、サンプルで良い音がした、カルショーによる、カラヤンのドボルザークの8番を注文してみた。

支払い方法は、クレジットがメイン。少々心配だったが、大手の決済サイトと連携されているらしく、むしろ銀行振り込みよりは安心かも・・・。
注文して、直ぐにメールが届く。(今回は、メールがプロバイダの「迷惑メールフォルダ」に分類されてしまい、届かなかったので、それを読むまでに手間取ってしまった。)
そこにPDFファイルをダウンロードするURLがあるので、PDFをまずダウンロード。そこに音源をダウンロードするためのURLが書いてあるので、そこから音源をダウンロードする。しかしAcrobat ReaderでURLをコピーしようとしたが、URLの文字列の選択がなかなか出来ずに手間取ってしまった。
そして、そのURLをChrome に貼り付けてアクセスするが、結局エラー。Firefoxでないと、うまくダウンロード出来なかった。でも、何とかFLACをダウンロードした。

そして音源を、愛用の「HAP-Z1ES」に転送して音を出す。案の定、美しいヴァイオリン・・・
170824dvorakhr しかし、1楽章の途中で音が詰まり、最初に戻ってしまった。数回試したが、同じ現象なので、再度ダウンロードし直したら、今度はOKだった。
なるほど、500円でこれだけの音源が手に入るのは有り難い。

音源は全て海外から仕入れているとのこと。まあ、タグを見ても、そうだろうな・・・と思う。
ちなみに、自分が持っているCDと、このサイトで売っているCDアップコンバートのスペクトラムを比較してみた。ハイフェッツのブラームスのヴァイオリン協奏曲の第3楽章はこんな具合・・・

(オリジナルのCD音源)(アップコンのハイレゾ音源)
170824brahmscd 170824brahmscdup

確かに、高域は付加されており、CDよりは聞き易い。(RCA系は、今後は現在のCDアップコンからメーカー製のハイレゾ音源に変わるらしいが)
しかし、そもそも自分の駄耳では、CDとの差はなかなか難しい。前にも色々なハイレゾ音源を買ってみたが、結局、DGの音源はハイレゾの良さが分からなかった。特にクライバーの「運命」は、その差が分からなかった。

しかし、昔からの自分の思い込みもあり、DECCAの昔のアナログ録音の音は、やはり素晴らしい。今回買ってみたカラヤンのドボルザークも、なかなか宜しい。
まあ結論は、今後も、DECCAの好きな曲の音源が出たら、買おうと思っている。

さて、この格安サイトだが、どうも見づらい。目次もリストも無い。リリースした音源を単純に追加して行っているようだ。よって、載っている写真も、LPのアルバムの写真ではないので、一つずつ開いて、内容を確かめないと分からない。そして説明に、「メーカー製」と書いていない音源は、CDのアップコンバートだとのこと。DSDは全てメーカー製。
EXCEL風のリストで、作曲者の古い順に曲が並んでいて、音源の出所もはっきり書いてあると、便利なのだが・・・

店には音源のストックは結構あるらしいが、サイトで販売できるようにするまで、結構手間がかかるらしい。音源のリクエストも募集しているが、むしろリクエストが来てから音源を作るのではなく、作れる可能性のある音源(曲目)をなるべくたくさん先にリスト化しておいて、リストに「この音源は注文後3日後」とか記入することで、購入依頼があった順にリリースした方が効率的かもしれない。
前に中古PCを買った時、同じPCのモデルで色々なバリエーションが売られていたが、実はPCは1台しか無く、買い手が付いたバリエーションにモデファイして販売していた。それと同じ・・・
まあ見ると、一番上が新しいものらしいが、「NEWS」か「お知らせ」コーナーで、新しくリリースしたものが一目瞭然にあると、分かり易い。まあリリース情報をメルマガで・・という手もある。

さて話が飛ぶが、興味が湧いたので、著作隣接権について、プロの協会に聞いてみた。
そこで教えてもらったことをメモしておく。
・日本の著作権法では、「録音してから50年」が保護期間。まあ発売してから、と考えても、そう差はない。
・現法は1971年から施行されたが、旧法の関係で「実演家の死後30年」と「録音後50年」の長い方。例えば、藤山一郎はまだ死後30年経っていないので、録音後50年以上経ったSP盤もまだ保護期間中、という事になる。
・海外の録音については、「日本で最初に発売された盤」以外は、50年。海外の演奏家が「日本で最初に発売された盤」は、旧法の「実演家の死後30年」の縛りがある場合がある(附則15条2項)。逆にクラシックのように、海外での発売が日本よりも早い場合は、全て50年。
・しかし、施行50年後の2021年からは「録音後50年」に統一される。(附則)
・いわゆる「リマスタリング」された音源は、その時点から著作隣接権が生まれる可能性がある。(オーパス蔵盤のウラニアのエロイカ(ここ)など)ノイズを除去した音源も、可能性がある。
・しかし音源を単にCD化しただけなら、新しい音源とは言えないので、新しい権利は発生しない。もちろんハイレゾ音源は、原音にいかに忠実にするか、なので新たな権利は発生しない。
・著作権の異議は、基本的にはレコード会社がクレームを付けることになるが、どこまで把握できるか、があるので、遺族が気付いてクレームを付けるのが、唯一ではないか?

特に法的にも問題ないので、今後もこのサイトを注視し、DECCAのカルショー録音(録音リストはここ)が出たら買ってみよう。
ハイレゾを聞きたいクラシック愛好家にとっては、なかなか有り難いサイトではある。

(2017/09/03追)
さっきHPを覗いてみたら、全体的に価格が大幅に上がっていた。
例:「モーツァルト ディヴェルティメント 第15番 カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 24bit/96kHz FLAC」400円⇒800円
「ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」 ミュンシュ指揮ボストン響」500円⇒1000円

理由は分からないが、せっかくの“格安”と謳っているのに、2倍にもアップしてしまって残念。

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2017年8月20日 (日)

NHKスペシャル「 樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇 」~今年のNHKは秀作

8月には、毎年NHKから戦争に関する番組が放送されるが、今年はそれが充実していた。

2017年8月13日 NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」
2017年8月14日 NHKスペシャル「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」
2017年8月15日 NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」

どれも近年にない秀作だった。
特に樺太地上戦については、自分は今まであまり知らなかったことであり、新鮮だった。NHKのサイトにこう解説がある。
樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇
北海道の北に広がる大地、サハリン。かつて「樺太」と呼ばれ、40万人の日本人が暮らしていた。この樺太で終戦後も7日間にわたって戦闘が続き、住民を巻き込んだ地上戦が行われていたことは、これまでほとんど知られて来なかった。犠牲者は5千人とも6千人とも言われ、その人数は今なお正確にわかっていない。
最前線に立たされた少年兵、地獄の逃避行で命を落とした幼い子供や母親、ロシア兵の上陸におびえる女性たちや家族の集団自決も起きた。重い沈黙を破って語り始めた高齢の元住民たちの証言と国内外の発掘資料から、知られざる樺太地上戦、7日間の悲劇の全貌に迫る。」(
NHKのここより)

中でも、家族での集団自決については、胸に迫る。
「(ナレータ)真岡では、艦砲射撃に続いて3,500人のソビエト兵がなだれ込んできました。絶望した住民の間で、集団自決が相次ぎます。艦砲射撃にさらされた藤谷さん。これまで胸にしまいこんできた記憶を初めて口にしました。家族ぐるみの付き合いがあったある一家の最期の姿です。中学校の教員だった父親が軍刀で自殺。その傍らには妻と子供たちの遺体が並んでいました。
『壁、斜めにばあっと血しぶきの跡だから、一刀のもとだったんでないでしょうかね。順番にしたわけでしょう。次待ってる人が、どういう気持ちで待ってたんだろうと思うの。順番に6人の人が。私それ考えると、もういたたまれないんわ。本当に。
でもソ連の兵隊に撃たれて死ぬんだから、それもいいと思ってたんだと思いますよ。そうでないとできないもの、そんなこと。』
一億玉砕の掛け声のもと、捕虜になってはいけないという日本軍の精神が、住民にも植え付けられていました。・・・・」

動画は(ここ

この番組では、8月16日に、恵須取(えすとる)の海岸で、“降伏を受け入れていたはずの日本軍が上陸してきたロシア兵に先制攻撃を仕掛けていた”ことを紹介していた。
東京の大本営が、天皇の名で「即時戦闘行動を停止すべし」と命令を出していたにもかかわらず、札幌の第5方面軍が樺太第88師団に対して、「樺太を死守せよ」という命令を出していたという。

考えてみると、日本の先制攻撃がきっかけと言うが、降伏した日本に、ロシア兵が上陸してきたことに反撃するのは仕方がない気もする。
まあこの辺は、見る方が判断するしかない。

しかし、広瀬修子アナのナレーターは、いつも感心する。ドキュメンタリー番組における広瀬アナは、もう芸術的な域・・・。
広瀬修子アナは「NHKハイビジョン特集「いのちで読む“般若心経”生命科学者・柳澤桂子の世界」(ここ)以来の大ファンである。

上の3つの番組の他に、今年の番組で、ETV特集「告白~満蒙開拓団の女たち~」(2017/08/05放送)(ここ)が印象的だった。
「終戦後の旧満州。命を守るため、ソ連兵の接待を若い女性にさせた開拓団があった。戦後長く語られなかった、開拓団の女性たちの告白。その歴史に向き合う人々を見つめる。
戦前、岐阜県の山間地から、旧満州(中国東北部)・陶頼昭に入植した650人の黒川開拓団。終戦直後、現地の住民からの襲撃に遭い、集団自決寸前まで追い込まれた。その時、開拓団が頼ったのは、侵攻してきたソビエト兵。彼らに護衛してもらうかわりに、15人の未婚女性がソ連兵らを接待した。戦後70年が過ぎ、打ち明けることがためらわれてきた事実を公表した当事者たち。その重い事実を残された人々はどう受け止めるのか。」(
NHKのここより)
動画は(ここ

どれも「命」に対して、重い課題を突きつける。
「生きて虜囚の辱を受けず」を守って家族の集団自決を決断する親。一方、娘たちをソ連兵に差し出して命を守った集落・・・。

上の「戦慄の記録 インパール」という番組でも語られていたが、かくも「命」が軽く扱われたのが戦争。
そして、その戦争の足音が、まさか聞こえてきてしまっている現在の日本。

8月の終戦記念日を機に、各局が放送している色々な番組に対し、それら番組のスタンスをどう捉えるかは我々自身の問題だが、国民が戦争というものを考えるチャンスを与える、という意味では、8月の戦争ものの番組は貴重だと自分は捉えている。
これらNHKの4つの番組は、今までに無く秀作だと思った。

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2017年8月19日 (土)

加藤登紀子と近藤圭子の童謡「雨」

とうとう東京では、8月になって以来、19日連続の雨だという。
今(夕方)も外は土砂降り。雷もゴロゴロで、衛星放送もダメ。スカパーはアンテナレベルがゼロ。BS放送よりも弱いみたい・・・
団地の夏祭りも到底出来ず、延期だろう。
まあこんな日は、「雨」の歌でも聞くか・・・・

加藤登紀子の童謡「雨」が実に味わい深い・・・

<加藤登紀子の「雨」>

「雨」
  作詞:北原白秋
  作曲:広田龍太郎

雨がふります。雨がふる。
遊びにゆきたし、傘はなし、
紅緒の木履も緒が切れた。★初出「お下駄」

雨がふります。雨がふる。
いやでもお家で遊びませう、
千代紙折りませう、たたみませう。

雨がふります。雨がふる。
けんけん小雉子が今啼いた、
小雉子も寒むかろ、寂しかろ。

雨がふります。雨がふる。
お人形寝かせどまだ止まぬ。
お線香花火もみな焚いた。

雨がふります。雨がふる。
昼もふるふる。夜もふる。
雨がふります。雨がふる。

 〔出典〕『白秋全童謡集I』(岩波書店)平成4年発行・『トンボの目玉』

この歌詞について、池田小百合氏の解説によると。
「雑誌『赤い鳥』(赤い鳥社)大正7年9月号の初出では「お下駄」でしたが、童謡集『トンボの眼玉』(アルス)大正8年発行に収録の際、「木履」と改訂しました。大正10年8月5日に弘田龍太郎が作曲しました。
「紅緒」は、下駄の紅色の紐。「下駄」と「木履」は同じ。「木履・かっこ」は、からころ、という音に派生した幼児語。
子どもの生活感情を大切にする姿勢から生まれた白秋童謡の代表作です。」(
池田小百合著「読む、歌う童謡・唱歌の歌詞」より)

さて、この音源は「赤い靴 すばらしき詩人たち」という1974年12月21日発売のアルバムから。
加藤登紀子が31歳の時も録音なので、声も若々しい。あの「百万本のバラ」がヒットしたのが1987年というから、そのだいぶん前だ。

そして昭和の童謡全盛期に、童謡歌手の近藤圭子が歌ったのが、これだ。

<近藤圭子の「雨」>

こちらは非常にテンポが速い。演奏時間も半分ほど。しかし加藤登紀子の歌唱は情感溢れる歌い方で自分は好き。

こんな歌を聞くと、昭和の自分の子ども時代を思い出す。
何とも、異常気象の雨が続く毎日ではある。

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2017年8月18日 (金)

2016年の世界シェア(市場占有率)57品目

2016年の世界シェアである。

世界シェア57品目――白色LED、日亜化学が首位陥落、価格競争激化、寡占進む。
 2016年の世界シェア57品目調査では、白色LEDで日亜化学工業が2位に転落したほか、自動車でもトヨタ自動車が3位に後退、成長市場での国際企業間での激しいシェア争いが浮き彫りになった。白物家電などの市場では中国企業の勢いが続くが、医療や生活・食品の市場では欧米の伝統企業が強みを発揮した。一方、カメラやプリンターなど日本が強みを持つ市場は縮小が鮮明だ。

 【白色LED】長年首位を守った日亜化学工業が2位に転落。価格競争が激しい用途を避けて、自動車のランプ、照明などに向けた高級品種に注力しており、数量を絞ったことが背景にある。
 代わって1位になったのが台湾の晶元光電。買収や設備投資を繰り返し、世界最大の生産能力を持つとされ、安価品で販売量を伸ばす。
 価格競争が厳しくなり、大手メーカーの寡占が進む。韓国のLGイノテックはグループ会社の液晶パネル向けバックライトで、サムスン電子は照明向けで価格攻勢を強め、シェアを伸ばした。
 【リチウムイオン電池】小型の円筒型やラミネート型のリチウムイオン電池セルの出荷量は7%拡大した。特に円筒型の伸びが大きい。小型電池を大量に使う米テスラの電気自動車が好調だったほか、電動工具など向け需要も増えている。
 テスラに電池を供給するパナソニックがシェアを拡大し、韓国サムスンSDIをかわしてトップになった。17年1月に米国でテスラとの大型工場を稼働させたため、今後さらにシェアは高まる見通しだ。スマートフォン(スマホ)向けのラミネート型電池が好調な香港アンプレックステクノロジーもシェアを上げた。
 【大型液晶パネル】出荷枚数はほぼ横ばいながら単価下落で、金額ベースの市場規模は約15%縮小した。目を見張るのが5位の京東方科技集団のほか、6位の華星光電、8位の南京中電熊猫集団など中国勢の躍進。結果的に供給過剰で単価下落を招いたようだ。
 中国勢は政府の資金支援のもと建設した最新工場が稼働し、今後もシェアを上げる可能性が高い。首位のLGディスプレーは安定量産を続けるが、2位のサムスン電子は大型液晶パネル工場を有機ELパネル工場に転用し、シェアを落とした。
 【中小型液晶パネル】スマホの出荷台数の頭打ちと上位機種を中心に有機ELパネルに置き換わり始めたことで市場規模は数量、金額ともに縮小した。17年は米アップルが「iPhone」に有機ELパネルを採用することを決め、液晶から有機ELへと切り替わる流れは加速、市場の縮小が進みそうだ。
 首位のジャパンディスプレイは2年連続の首位だが、価格競争が激しい液晶パネルの利幅は薄く業績は最終赤字が続いている。4位5位の中国勢がシェアを伸ばし、日韓勢を射程に捉え始めた。
 【中小型有機ELパネル】スマホ用で液晶から有機ELへの置き換えが始まっている。中国のスマホメーカーも追従する可能性が高い。仮想現実(VR)機器などにも搭載され始め、市場は一気に拡大する。
 2010年から有機ELパネルを量産する韓国サムスン電子の「1強」は変わらず。引き続き9割超の圧倒的シェアを持つ。韓国のLGディスプレーや中国勢も巨額の設備投資を表明し、18年以降に競争が激しくなる。日本勢の存在感は薄い。
 【HDD】日米3社による寡占が続き、順位にも変動はなかった。米シーゲート・テクノロジーがパソコン向けの小容量品から撤退。その分、東芝が出荷台数を増やし、シェアも伸ばした。高速で可動部品を持たないソリッド・ステート・ドライブ(SSD)への置き換えが進んでおり、出荷台数の減少は続く見通しだ。
 【DRAM】パソコンの世界市場が縮小に転じたほか、けん引役だったスマホも減速し、市場規模は縮小している。
 上位は韓国サムスン電子とSKハイニックス、米マイクロン・テクノロジーの3社寡占状態が続く。足元でサムスン電子がDRAM価格を引き上げたもようで、3社の収益は急回復している。
 【NAND型フラッシュメモリー】スマホの大容量化やデータセンター向け需要が堅調。数量・金額ともに市場規模は拡大する見通しだ。
 首位サムスン電子はデータ容量を飛躍的に高められる「3次元化」技術で先行し、同技術開発で後れを取る東芝など他社を引き離した。米ウエスタンデジタルが昨年3位だった米サンディスクを買収し、市場に参入した。東芝が同事業の売却を決めており、17年以降は上位の顔ぶれが変わる可能性が高い。
 【マイコン】昨年5位だった米マイクロチップ・テクノロジーが同業の米アトメルを約4千億円で買収し、3位に躍進した。通信用半導体の米クアルコムが2位のオランダNXPセミコンダクターズを買収する見込み。再編でシェアが変動する展開が続く。
 あらゆるモノがネットにつながる「IoT」や自動運転技術の進展で、市場規模は拡大。首位のルネサスエレクトロニクスは不採算事業からの撤退でシェアを落としてきたが、17年は上昇に転じる可能性が高い。
 【CMOSセンサー】背面に2つのカメラを搭載するスマホの複眼化が広がったことで、市場は拡大している。首位ソニーは熊本地震で主力生産拠点が被災したものの、中国メーカーの採用が増えてシェアを伸ばした。今後は自動運転車の開発に向けて、暗闇でも対象を捉えることができる高感度センサーなどの需要が広がりそうだ。
 【半導体製造装置】CPU(中央演算処理装置)など向け設備投資が堅調で、この分野に強い米アプライドマテリアルズがシェアを上げ、トップを維持した。
 2位の米ラムリサーチはDRAM向け設備投資が低調だった影響で若干シェアが落ちた。露光装置に注力するオランダASMLも昨年に続いてシェアを落としている。
 【サーバー】大型データセンターの拡張が一段落。「ウィンドウズ」や「リナックス」などのOSを搭載した小型サーバーは堅調だが、メインフレームなど旧来型の落ち込みが激しい。
 首位は米ヒューレット・パッカード・エンタープライズ(HPE)。基幹システム向けのメインフレームを主力とする3位の米IBMは、更新需要が一巡してシェアを下げた。米デルは米EMCの大型買収で顧客網を拡大し、出荷を伸ばした。
 【ルーター】首位の米シスコシステムズはわずかにシェアを落としたが、2位以下との差はなお大きい。
 華為技術は新興国を中心に顧客を得て、シェアをわずかに上げた。業績が悪化する米ブロケード・コミュニケーションズ・システムズが4位に落ちた。半導体大手の米ブロードコムがブロケードを買収する方針を発表しており、影響が今後のシェアに波及しそうだ。
 【ストレージ】米デルが米EMCを買収して発足した米デル・テクノロジーズが首位。前年首位は旧EMCだったが、新会社となり、2位以下をさらに突き放した。ただ、企業のクラウドへの流れは加速しており、データセンターを新設する需要が減っているため、市場は縮小している。
 【デジタルカメラ】日本勢が上位を占める数少ない市場だが、スマホ普及で市場縮小が止まらない。低価格市場の打撃が大きく、各社とも高級路線にシフトしている。ニコンは熊本地震の影響で部材調達が十分できず、シェアを落とした。「17年が底」との見方もあるが、先行きは不透明だ。
 【レンズ交換式カメラ】国内勢が上位5位を独占する。キヤノンは従来の一眼レフに加えて、ミラーレスカメラの販売も伸ばし、トップを固めた。富士フイルムは主力のミラーレスカメラの販売が好調で、シェアを高めた。アジアでは「自分撮り」機能を搭載したモデルが人気を集めている。世界市場が縮小するなかで、各社とも成長が期待できるアジアを中心に販売を強化する。
 【監視カメラ】世界各地でテロが発生するなか、人が多く集まる場所への設置が急がれており、市場は急成長する。来場者の属性を検知しマーケティングに生かす使い方も広がる。首位の中国ハイクビジョンは、割安さからシェアを拡大。中国の国内中心から欧米市場の開拓に成功している。パナソニックは高価格製品に注力し、出荷台数を増やしたが、市場が急速に伸びるなか、シェアを維持できなかった。
 【インクジェットプリンター】家庭の印刷需要の低下などで市場は縮小傾向。首位はHPで、キヤノン、セイコーエプソンを含めた上位3社でシェアの9割以上を占める。セイコーエプソンはインク容量が大きく、消耗品を交換する手間を減らした製品が人気でシェアを伸ばした。
 【A3レーザー複写機・複合機】日本勢が上位を独占する市場だが、中国の伸び悩みや欧州の景況感に不透明感が広がったことで、市場は縮小。上位4社はそろってシェアを伸ばしたが、先進国を中心に価格競争は激化。ペーパーレス化の動きが加速しており、各社の業績は厳しい。
 【M&Aアドバイザリー】活況だった15年の反動もあり、16年は世界のM&A(合併・買収)金額が前年比2桁減った。首位を維持した米ゴールドマン・サックスは英たばこ大手ブリティッシュ・アメリカン・タバコと米2位のレイノルズ・アメリカンの経営統合など複数の大型案件に関わった。米モルガン・スタンレーは米国の通信業界の大型M&Aを獲得し、米JPモルガンを抜いて2位に浮上した。」(
2017/6/26付「日経産業新聞」P21より)

*「2016年の世界シェア」の詳細PDFは(ここ)~2017/06/26付「日経産業新聞」p20~21より

このシェアの記事を始めて、11年目になる。2006年のシェアが最初(ここ)。
その後、2010年(2009年のシェア)からは、オリジナルの紙面をPDFで挙げてきた。日経新聞を止めたことから、今年の取材も出遅れ、今年は世界シェアが載せられなかった。それで「そろそろ潮時かな・・・」と思っていたら、遠藤さんから「世界シェアの新聞があるよ」とのコメントを頂いた(ここ)。それで送って頂いたのが上の記事。(A4のスキャナで読み取って合成しているので、継ぎ目がある)

自分は昔からシェアの話が好きでこれを続けてきたが、世の中には、他にも好きな人が居られることを改めて認識した。
遠藤さんのお陰で、11年間途切れなく続けることが出来た。

そもそもマーケットシェアは連続性が重要。対前年でどう変わったか・・・。
遠藤さんから励まされ(?)来年以降も、続ける意欲が出て来た。来年も乞うご期待!?

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2017年8月16日 (水)

半藤・保坂・加藤さんのNHKラジオ「太平洋戦争への道~戦前日本の歴史の選択~」

終戦記念日である昨夜(2017/08/15)、NHKラジオ第一で、「太平洋戦争への道~戦前日本の歴史の選択~」という番組を聞いた。
NHKの番組の紹介にこうある。
太平洋戦争への道~戦前日本の歴史の選択~
170816sensou1 日本人は、なぜ無謀な戦争へと向かったのか?
満州事変から太平洋戦争へと至る道は、どのように選択されたのか?

170816sensou2 歴史家の加藤陽子さんは、新著『戦争まで』で、日本の針路を決めた「国際連盟脱退」、「日独伊三国軍事同盟」、「日米交渉」における〈選択〉の誤算の積み重ねを検証した。
作家の半藤一利さんは、政治や軍事の指導者たちが根拠なき自己過信に陥っていたことや、危機において対症療法的な「その場しのぎ」が繰り返されたことを指摘する。
昭和史研究家の保阪正康さんは、思想統制やメディアによって作り出された国民的熱狂が「日本型ファシズム社会」を支え、日本の〈選択〉に影響を及ぼしていったことに着目する。

番組では、満州事変から太平洋戦争へと至る日本の選択を、歴史家の半藤一利さん、保阪正康さん、加藤陽子さんたちの議論を通してたどり、その現代的な意味を考える。(語り)末田正雄 渡邊あゆみ」(NHKのここより)

何よりも、自分が信用している半藤一利さん、保阪正康さん、加藤陽子さんの議論なので、聞くに値する。
話は、加藤さんの司会進行で、男女アナによる昔の音源再生を挟みながら、昭和6年(1931年)の満州事変から始まるが、五・一五事件についての話が興味深かった。それと最後の、保坂さんと半藤さんのまとめの部分を聞いてみよう。

<NHKラジオ「太平洋戦争への道」より>

*この番組の全部(50分×2)をお聞きになる方は、(ここ=ZIP)をクリックしてしばらく待つ。

半藤氏が、上の番組の最後の部分で言っている「昭和の日本人は不勉強だった。今の日本の不勉強だ。このままの日本で大丈夫か?特に若い人には勉強して欲しいと思う。」という言葉が重い。

今の国会議員について、安倍政権が集団的自衛権の行使を認める閣議決定をした2014年7月1日時点で、終戦の1945年8月15日よりも前に生まれたのは、衆院で41人(9%)、参院で28人(12%)だという。
戦後72年。平和が当たり前だという風潮の日本。しかし、平和憲法の遵守など、国民の不断の努力がそれを実現している、という事を忘れている。
安倍首相をはじめ、国会議員の9割以上が戦争を知らない世代。だから戦争に対して、怖れが薄い。
何と、今の北朝鮮と米国の舌戦に付き合って、米国と一緒に日本が戦争を始める話まで出ている。戦争という言葉が、そして参戦という言葉が、なぜこうも軽く扱われるようになるのか・・・
それはやはり勉強不足なのだろう。戦争の怖さを知らないので、軽くなる・・・

せっかくの終戦記念日の夏。こんな番組を聞きながら、少しでも日本人が“戦争を忘れない”ことを祈りたい。
自分も、二・二六事件についてはともかく、五・一五事件についてはあまり知らなかった。自分も勉強だ。
(番組は、加藤さんの司会進行だったが、出来たら司会進行は別のアナに任せて、加藤さんからも、保坂さんと半藤さん同様に歴史学者としての純粋な意見を聞きたかった。)

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2017年8月15日 (火)

グレープの「精霊流し」~“灯籠流し”と勘違い

今日8月15日は、終戦記念日でお盆。昔、お袋が行灯を出して飾っていたことを思い出す。

昨日(2017/08/14)のTV朝日「モーニングショー」で、「驚き“精霊流し”知っている!?日本中の勘違いの理由」という番組を放送していた。
「灯籠(とうろう)流し」との勘違いの話である。地元以外では、「精霊流し」のイメージとして「灯籠流し」と勘違いしている人が多いそうだ。

「精霊流し」とは、「初盆を迎えた故人の家族らが提灯などで飾られた精霊船に故人の霊を乗せて西方浄土に送り出す行事」だそうだ。
さだ「20歳の時に同じ年の一番仲が良かった従兄弟を長崎の海で事故で亡くした。それで彼のことを歌にして残したいというのと、あのにぎやかな祭りをどう表現しようかと思ってて・・・」
170815sada 長崎市内でカフェ「自由飛行館」を経営しているさだまさしさんの妹の佐田玲子さん(60)に聞くと「違いがあまりにも大きすぎて、あの(曲の)精霊流しをご存知の方が初めて長崎で精霊流しをご覧になった時、「さだまさしの嘘つき~!」っておっしゃったことがあるんですけど、あれは、いわゆる船を流す側、身内ですよね。(精霊船を)流す側の気持ちを歌った歌なんですよ。ですから、しめやかな歌なんですね。私たち送る側は、すごく粛々とした気持ちで流している。流して初めてその船の悲しさとか初めて分かるんですね。」

170815torou Netでググってみると、灯籠流しは全国で行われているが、精霊流しは、長崎県の各地、熊本県の一部及び佐賀市だけらしい。

そしてグレープの「精霊流し」は1974年4月の発売だが、1974年8月発売のアルバムバージョンでは、冒頭に精霊流しの爆竹の音が入っている。

<グレープの「精霊流し」>

「精霊流し」
  作詞・作曲:さだまさし

去年のあなたの想い出が
テープレコーダーから こぼれています
あなたのためにお友達も
集まってくれました
二人でこさえたおそろいの
浴衣も今夜は一人で着ます
線香花火が見えますか 空の上から
約束通りに あなたの愛した
レコードも一緒に流しましょう
そしてあなたの 舟のあとを
ついてゆきましょう
私の小さな弟が
何にも知らずに はしゃぎまわって
精霊流しが華やかに始まるのです

あの頃あなたがつま弾いた
ギターを私が奏いてみました
いつの間にさびついた糸で
くすり指を切りました
あなたの愛した母さんの
今夜の着物は浅黄色
わずかの間に年老いて 寂しそうです
約束通りに あなたの嫌いな
涙は見せずに 過ごしましょう
そして黙って 舟のあとを
ついてゆきましょう
人ごみの中を縫う様に
静かに時間が通り過ぎます
あなたと私の人生をかばうみたいに

ちょうど1年前「さだまさしの「椎の実のママへ」~伯母の思い出」(ここ)という記事を書いた。
さだまさしが従兄弟を亡くしたときの話である。その事情を念頭に聞くと、この歌の背景が良く分かる。

毎年書くが、今日のこの日は我が家にとって特別な日。親父の命日。もう21回目となった。
真夏のそれは暑い日だった。しかし今年は、涼しい。東京は、8月に入って連続15日雨を観測しているとか・・・
今年は、異常気象?
雨がしとしと降るお盆は、何か合わないが、21年前を思い出す8月15日ではある。

(メモ)
昨夕(2017/08/14)、床の新聞を取ろうと思ってかがんだら、腰がイタ!ぎっくり腰!そのまま床に転がって、助けを呼ぶ為の1m先の受話器も取れない。別に重い物を持った訳でもないし、ただかがんだだけなのに・・・・
しかし、急性のせいか、治りは早い。昨夜は杖にかじりついてトイレに行ったが、24時間後の今夕は、歩いて階段を下りた。
それにしても、これではぎっくり腰は避けようがないな・・
⇒丸2日で9割方復活。急性は治り方も急性。

2017081419032036e <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

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2017年8月13日 (日)

江崎鉄磨氏の「正論」~日米地位協定の見直し発言

先日の天声人語にこんなのがあった。
「(天声人語)江崎鉄磨氏の「正論」
 中国の人工知能(AI)のお話である。インターネット上で利用者と会話を繰り返しつつ、受け答えを学んでいた。最近、「共産党万歳」の書き込みに、こう応じたという。「こんなに腐敗して無能な政治のために万歳できるのか」▼正論だと受け止めた方もいただろう。ネット上では「AIが蜂起した」と話題になった。しかし、そこは共産党一党支配の悲しさ。AIの運営会社が、すぐにサービスを停止した▼AIではないが我が国の閣僚からも突然、正論が飛び出した。在日米軍の権限を定めた日米地位協定について江崎鉄磨・沖縄北方相が8日、「少し見直さないと」「直すところは直すという交渉に」と述べた▼協定の不平等を是正するための見直しは、沖縄県など基地のある自治体にとって悲願である。担当相として渾身(こんしん)の問題提起なのか。しかし、この日午後には後退してしまう。沖縄県知事との会談では協定に言及しなかった。見直し内容を記者団から問われたが、答えなかった。自由な発言を誰かから停止されたか▼江崎氏とAIの共通項があるとすれば、当事者意識の希薄さか。中国のAIは市民としての覚悟を持った発言ではない。江崎氏は「役所の答弁書を朗読する」と口にしたことがあるほど、官僚任せの姿勢だ▼初めて手にする大臣職について「任にあらず」「重荷」とまで語った江崎氏は、正直な人柄なのだろう。いまからでも遅くない。沖縄の現状をつぶさに見た上で覚悟を持って正論を吐いてほしい。」(
2017/08/10付「朝日新聞」「天声人語」より)

この発言について、“オッ”と思ったが、案の定、直後に軌道修正された。
江崎・沖縄北方相「少し見直し」発言釈明 日米地位協定
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に配備されているオスプレイが豪州沖で墜落した問題に関連し、江崎鉄磨・沖縄北方相は8日の閣議後記者会見で、「日米地位協定は少し見直さないと(いけない)」と述べた。日本政府は地位協定の改定方針は掲げておらず、閣僚の発言としては異例。江崎氏はその後、「地位協定のあるべき姿を追求していくべきではないかとの気持ちを申し上げた」と釈明した。
 閣議後記者会見では、過去の米軍機事故に触れて、「地位協定は直すところは直すという交渉に(するべきだ)」と主張。「沖縄県民の気持ちを政府がしっかり受け止め、米国には言うべきことは言いながら(見直すべきだ)、という考えを持っている」と語った。
 約4時間後、就任後初めて訪れた那覇市で、記者団に発言について自ら説明。「地位協定については安倍政権で2度にわたり、大きな見直しを行った。安倍政権においても目に見える改善を積み上げていくなかで、日米地位協定のあるべき姿を追求していくとの姿勢であり、その方針に沿ったものだ」と、一方的に手元のメモを読み上げた。
 地位協定は、日本に駐留する米軍人・軍属らが公務中に犯罪を起こした場合、米側に刑事事件の裁判権が優先的にあることなどを定める。不平等との指摘があるが、協定そのものは1960年の締結から一度も改定されていない。江崎氏は、安倍政権が軍属の範囲などに関する「補足協定」を見直したことを取り上げて、「閣内不一致」との指摘をかわそうとしたとみられる。(
2017/08/09付「朝日新聞」ここより)

就任早々の江崎鉄磨沖縄・北方担当相の「しっかりお役所の原稿を読ませていただく。立ち往生より、しっかり朗読かな」という発言には、ビックリというか、あきれたが、その後の氏の発言を聞きながら、見直した。それは人間性の話。
鉄面皮のどこかの国の首相よりも、よっぽど人間的・・・

終戦記念日が近い。改めて、長崎平和宣言を読んでみる。
先に書いたように(ここ)、安倍首相の広島と長崎で同一だった“朗読挨拶”とは違い、長崎のナマの声が発せられている。温厚な田上市長をして、ここまで言わしめている我が国の首相。

長崎平和宣言
 「ノーモア ヒバクシャ」
  この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。
 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。
 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。
 日本政府に訴えます。
 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。
 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。
 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。
 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。
 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。
 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。
 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。
 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2017年(平成29年)8月9日
長崎市長  田上富久」(
ここより)

特に「世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。」という言葉が重い。

話は飛ぶが、今朝のTBS「サンデーモーニング」の「風をよむ~不戦の誓い」のコーナーで、姜尚中氏の発言が重たかった。
「来年、明治150年ですよね。それで戦後70年と言う事は、その約半分が、少なくとも日本は実際に正式の戦闘行為一度もやらなかった。これは誇るべきことで、また自分たちが自信を持っていいと思うんですよ。司馬遼太郎さんが、「昭和という国家」の中で、日本はアメリカに占領される前に、魔法の森の占領者によって、既に占領されていた。それは具体的に言うと、軍部や官僚中心ですから。ですから、占領や敗戦が屈辱だと、それを何とかひっくり返したいと言う人々がいるわけですよね。でも司馬遼太郎がその時に何を書いているかと言うと、光が漏れてきた。終戦によって。ですから、誰が占領していたのかと言うと、マッカーサーが来る前に、日本は魔法の森の占領者によって占領されていた。それよりはむしろアメリカのほうがまだいいじゃないかと。それから憲法と言うものを受け入れてきたわけですから、私は、平和主義は究極の保守だと思う。この72年間の蓄積を、日本の150年の中で見ると、この時代は最も良かったし、平和国家、文化国家として日本は今立っていることを、もう一回考えなければいけない。」(2017/08/13 9:47「TBS「サンデーモーニング」より)

ハッとする視点である。
では今の日本は、安倍首相に占領されている国家に成り下がっているのかも・・・

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2017年8月11日 (金)

加計学園の獣医学部を認めた国家戦略特区は「憲法違反」

ヒマに任せてネットサーフィンをしていると、面白い記事に出くわすことがある。これも歯切れ良く、面白い。
加計学園の獣医学部を認めた国家戦略特区は「憲法違反」
 安倍内閣の不正義を許さない――。文科省の大学設置・学校法人審議会(設置審)が25日にも結論を下すとみられている加計学園の獣医学部新設問題で、ついに法曹界が怒りの声を上げた。「加計学園問題追及法律家ネットワーク」(共同代表・梓澤和幸、中川重徳両弁護士)が、獣医学部の新設は「裁量権を逸脱・濫用する違憲かつ違法の決定」である疑いがあるとして、7日、国家戦略特区諮問会議で認定に至った経緯を確認するための質問状を安倍首相らに送ったのだ。
 質問状では、獣医学部の新設には、2015年6月の閣議決定で設けられた、既存の大学・学部では対応困難な場合や、近年の獣医師需要動向を考慮する――といった「石破4条件」を満たすことが不可欠だったにもかかわらず、議事録を確認する限り、加計学園では「具体的な検討・検証を経て共通認識に至った形跡が窺えず、石破4条件を充足するとされた確たる根拠は不明」と指摘。
 特区認定が、憲法65条や内閣法4条の趣旨に反する――としているほか、国家戦略特区基本方針では、〈諮問会議に付議される調査審議事項について直接の利害関係を有する議員は審議や議決に参加させないことができる〉(特区法)とあるのに、加計孝太郎理事長と親しく「利害関係を有する立場」の安倍首相が認定したのは「違法なものというほかない」と断罪している。
 さすが法律家のグループだ。加計問題を「水掛け論」とトボケている安倍首相とは違い、法律に照らして的確に問題点を突いている。安倍首相は法律家グループの質問状に対して論拠を示して正々堂々と答えるべきだろう。
 指摘通りなら加計学園の獣医学部新設は違法となるわけだが、野党内からは、そもそも国家戦略特区自体が「憲法違反」との声が出始めている。
「憲法14条は、すべての国民は法の下の平等にあり、『政治的、経済的又は社会的関係において差別されない』と規定し、憲法95条は、地方公共団体のみに適用される特別法は、当該地方公共団体の住民投票で過半数の同意を得なければ、国会は制定できない――とある。しかし、国家戦略特区は住民の意思など全く関係なく、特定の地域に恩恵をもたらす仕組み。つまり条文の趣旨を明らかに逸脱しています」(司法ジャーナリスト)
 設置審が「憲法違反」の獣医学部新設を認可したら、日本は法治国家ではなくなってしまう。“壊憲”しか頭にない安倍首相にとっては、何とも思わないのだろうが、国民にとっては冗談じゃない。何が何でも新設を認めたらダメだ。」(
2017/08/09付「日刊ゲンダイ」ここより)

加計学園と言えば、読売と朝日でこんな違いがあるという。
読売「首相の一日」と朝日「首相動静」を読み比べて分かってしまった“あの人の不在”
2016年8月10日午後6時21分、居酒屋「漁」の怪

 さて、「首相動静」をはじめとする各紙の首相の1日の記録を読むと、誰と会食したかまで克明に載っている。
 しかし、各紙同じ情報が載るはずのこの記事に「差」がある日を発見してしまった。それが昨年「8月10日」。
 この日の晩、安倍首相は山梨県鳴沢村でゴルフをしたあと、ある人と会食していた。
170811syusyou  まず「朝日新聞」。
「3時32分、別荘。6時21分、同県富士河口湖町の居酒屋「漁」。加計孝太郎学校法人加計学園理事長、秘書官らと食事。8時37分、同県鳴沢村の別荘。」(首相動静)
 では「読売新聞」を見てみよう。
「3時32分、同村の別荘。6時21分、同県富士河口湖町の居酒屋「漁」で秘書官らと食事。8時37分、別荘。」
 あ……、読売では「加計孝太郎」の文字が抜けている。食事をしたのは「秘書官ら」になってる。
 これは一体、どういう意味なのだろう。「何時何分」まで各紙同一で克明なのに不思議な差である。
 まさか「忖度」が発生したのか、それともただの「手抜き」なのか。当時はこの差は誰も気にしなかったが、今となって考えると興味深い。
 この「2016年8月10日」の読み比べは、フジテレビの報道情報番組『ユアタイム』の新聞読み比べコーナーでも先週紹介したら、反響が大きかった。
 新聞の首相の1日の記録欄は地味だが、推理小説よりも面白かったりする。 (プチ鹿島)」
(「文春オンライン」ここより)

読売のこの事実が“意識的”だとすると、もう日本のメディアは死んでいるな・・・

ところで、「国会」とはいったい何だろう。改めて広辞苑を引いてみると、「こっ‐かい【国会】コククワイ  日本国憲法上、国権の最高機関で、かつ、国の唯一の立法機関。衆議院と参議院との両院で構成し、両院は主権者たる全国民を代表する選挙された議員で組織する。明治憲法下の帝国議会も俗に国会と称したが、その地位・権限は遥かに劣っていた。」とある。

“国権の最高機関”が笑ってしまう。誰にでも分かるウソを堂々と言って、それがまかり通る学芸会。しかしそこで、国民を縛る法律が出来るというのだから怖ろしい。

3つもコピペするのは心苦しいが、下記の記事も気になった。
「(社説余滴)北朝鮮化する日本? 箱田哲也
 軍事独裁政権の重い縛りを解き、韓国の民衆が自由を勝ち取って今年で30年になる。
 そんな節目の年に、「絶対権力」と言われる現職大統領を革命的に、しかも非暴力で引きずり下ろしたわけだから、韓国の帯びた熱は簡単には下がらない。
 ソウルであった30周年記念の国際会議をのぞくと、人々の陶酔感を肌で感じた。その際、何人かの韓国側出席者から同じような質問を受けた。
 権力者の公私混同にまつわる疑惑が浮上したという点では日韓とも似ているが、日本社会はどうしてかくも平穏なのか、という問いだ。
 状況が違うしなあ、と答えを考えていると、日本留学の経験がある学者が割り込み、「国民性の違い。日本は選挙で意思を示す」と解説した。
 韓国には市民が立ち上がって圧政を覆した成功体験がある。今回の大統領弾劾(だんがい)もそうだが、独裁復活のにおいが漂う不当な権力行使には極めて敏感なだけに「日本は自由社会なのになぜ」と考えるのも無理からぬことか。
 また、日本の一連の騒動は妙に韓国側を納得させていることも知った。「日本は法治や行政が成熟した先進国という印象だったが、実はそうでもないのね」「韓国特有かと思っていた忖度(そんたく)という概念は、日本にも根付いてたんだ」など、どこか安心したように感想を語るのだった。
 確かに日本の民主主義のイメージは傷ついたかもしれないが、日本留学経験者の指摘通り、東京都議選は安倍政権に大打撃を与えた。
 それに今は勢いづく韓国だって、いずれ民意と現実のはざまで苦悩の時を迎えよう。最高権力者の首はすげ替えたが、感情に流されず法理に基づき前大統領を裁けるのか、民主主義の真価が問われる。
 そういえば、関係者の間では数年前から「日本が韓国化した」とささやかれてきた。
 かつての韓国に、何もかも「日本が悪い」と批判する風潮があったように、最近の日本でも単純な韓国観が広がり、それが嫌韓につながっているとの指摘だ。
 ソウル滞在中、日本通の韓国の重鎮とそんな話をしていると、こう切り返された。
 「ある日本のトップクラス官僚など、口を開けば安倍首相はすばらしいと絶賛する。何かに似ていると思ったら、『偉大な指導者、金正日(キムジョンイル)同志は』というあれだ。もう韓国を通り過ぎたんじゃないか」……。(はこだてつや 国際社説担当)」
(2017/08/11付「朝日新聞」p10より)

これだけ国民を愚弄する政権。革命が起きてもおかしくないが、毎日平穏。韓国の熱気とは大違い。これは国民性か?
「日本は選挙で意思を示す」というが、内閣支持率も、子供だましの内閣改造で“改善”されてしまったし、やはり日本人は飽きやすい??
上の「加計学園問題追及法律家ネットワーク」の動きも、メディアが後押しをして、世に知らしめるべき。そうしないと、幾ら相手が法曹でも、相変わらずの「無視」と「記憶にありません」オンパレードになってしまう。
国会での、「なし」「捨てた」「記憶にない」のやりとりを見ていると、“必殺仕置き人”にでも頼みたくなる。無法が通るのなら、こっちも無法で・・・・!?

201708111707059b9 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

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2017年8月10日 (木)

「あなたはどこの国の総理ですか」~長崎の被爆者の抗議に安倍首相は無視

昨夜(2017/08/09)のTV朝日「報道ステーション」で、長崎の被爆者代表が安倍首相に「あなたはどこの国の総理ですか」と抗議をしている場面を見た。
Netでそれについての記事をググってみたが、毎日新聞と朝日新聞は報道していたが、それ以外のマスコミでは見付からなかった。改めて両紙を読んでみる。

長崎原爆の日「あなたはどこの国の総理ですか」
被爆者団体、安倍首相に 禁止条約に批准しない方針で

 長崎への原爆投下から72年の「原爆の日」を迎えた9日、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれた。平和祈念式典後に長崎市内で安倍晋三首相と面談した被爆者団体代表は、核兵器禁止条約に日本政府が批准しない方針を示していることに強く憤った。
170810hibakusya  「あなたはどこの国の総理ですか」。長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長を務める川野浩一さん(77)は被爆者団体からの要望書を安倍首相に手渡した際に迫った。「ヒバクシャの願いがようやく実り、核兵器禁止条約ができた。私たちは心から喜んでいます。私たちをあなたは見捨てるのですか」
 面談は式典後に首相らが被爆者団体から援護策などの要望を聞く場として設けられている。通常は冒頭で静かに要望書を手渡すが、川野さんは「子や孫に悲惨な体験をさせてはならないというナガサキの72年間の訴えが裏切られたという思いがあった」と異例の行動に出た理由を話す。川野さんは安倍首相に「今こそ日本が世界の先頭に立つべきだ」とも訴えたが、明確な返答はなかった。
 式典に参列した被爆者も、あいさつで条約に言及しない首相への失望を口にした。8歳の時に爆心地から約2・8キロで被爆した嶺川洸(たけし)さん(80)は「核兵器禁止条約が採択され、今が一番大事な時だ。わざわざ東京から来てあいさつするのに、なぜ被爆者に寄り添った言葉を語らないのか」と語った。【樋口岳大、加藤小夜】」(
2017/08/09付「毎日新聞」ここより)

長崎の被爆者、首相に「どこの国の総理か」 核禁条約で
 長崎では9日、核兵器禁止条約の交渉にすら参加しない政府の姿勢に「理解できない」「極めて残念」と批判が相次いだ。安倍晋三首相は「(条約に)署名、批准を行う考えはない」と記者会見で明言。被爆者と対面した際には条約に一切触れず、被爆地とのすれ違いが際だった。
 「あなたはどこの国の総理ですか。私たちをあなたは見捨てるのですか」
 9日午後、長崎市で被爆者代表の要望を首相らが聞く会合があった。冒頭、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(77)は首相に要望書を渡す前に強い口調で言った。
 米国の「核の傘」に依存し、条約に冷淡な首相には面と向かってただしたかった。数日前に思い立ち、9日朝に考えをメモにして会合に持参。「今こそわが国が、あなたが、世界の核兵器廃絶の先頭に立つべきです」とも呼びかけた。
 長崎の被爆者5団体がまとめた要望書も「(条約採択の場に)唯一の戦争被爆国である我が国の代表の姿が見えなかったことは極めて残念です。私たち長崎の被爆者は満腔(まんこう)の怒りを込め、政府に対し強く抗議します」と記した。
 会合に先立つ平和祈念式典では、田上富久・長崎市長が平和宣言で日本政府の姿勢を「被爆地は到底理解できない」と述べ、「核の傘に依存する政策の見直しを進めてほしい」と訴え、被爆者らが拍手を送った。
 ところが、首相は表情を変えず、式典のあいさつでは「真に『核兵器のない世界』を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要。我が国は、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく」と述べる一方で条約には触れなかった。被爆者代表との会合でも、ほぼ同じ言い方をした。
 川野さんは会合の後、「(首相が)何か言うだろうと思ったが、肩すかしを食らった」と話した。長崎原爆被災者協議会の田中重光副会長(76)は、同じ言葉を繰り返す政府側の対応に「テープレコーダーを持ってきたらいい」。長崎原爆遺族会の本田魂会長(73)は「日本が米国にはっきりものを言っていかないと」と指摘した。(田部愛、久保田侑暉、岡田将平)」(
2017/08/09付「朝日新聞」ここより)

このTV朝日の報道を、音だけだが聞いてみよう。田上長崎市長の長崎平和宣言の後に、川野氏の抗議の声がある。

<TV朝日「報道ステーション」(2017/08/09)より>

長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会 川野浩一議長
「総理 私たち被爆者はあの日から72年、三度あのような悲惨な体験を子や孫、いやすべての人にあわせてはならないと必死に生き、訴えて参りました。
その願いがようやく実り核兵器禁止条約ができました。私たちは心から喜んでいます。
総理、あなたはどこの国の総理ですか。私たちをあなたは見捨てるのですか。国民をあなたは見捨てるのですか?
総理、今こそ我が国が、あなたが、世界の核兵器廃絶の先頭に立つべきだと思います。
まず北東アジアの非核兵器地帯構想に取り組みましょう。私たちもお手伝いします。
要望書でございます。どうぞよろしくお願いします。」(
ここに動画あり)

そしてこの後、川野さんは、「あなたはどこの国の総理かと、こういう言い方は失礼かと思ったが、それでも反応が出て来なかった。残念です。」と言っていた。
何を言われても、表情ひとつ変えずに、まさに決められた文言を機械的に朗読する。それを聞かされる我々は、たまったものではない。

首相のコピペの現状を伝える記事がある。

江崎大臣より悪質 安倍首相の広島・長崎“コピペ原稿”朗読
「しっかりお役所の原稿を読ませていただく。答弁書を朗読かな」――この発言で就任早々、日本中を呆れさせた江崎鉄磨沖縄北方相について9日、長崎市で会見した安倍首相は辞任の必要ナシとの考えを明かした。そりゃそうだろう。安倍首相こそ「原稿朗読」の常習犯。しかも戦没者追悼のスピーチで、原稿の「使い回し」や「コピペ」の連続だから、なおさらタチが悪い。
170810abe  長崎の原爆投下から72年。この日の平和祈念式典で、田上富久長崎市長は平和宣言で安倍政権を批判した。7月に国連加盟122カ国の賛成で採択された「核兵器禁止条約」について、「(政府が)交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」とバッサリ。条約への一日も早い参加を求めた。
 ところが、直後の来賓挨拶で安倍首相は、禁止条約には一切触れずじまい。「核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くす」と豪語したが、その具体策には言及しなかった。
 問題は、安倍首相の不誠実な態度がこれだけにとどまらないことだ。実は長崎の挨拶と3日前の広島の式典の挨拶は、ほぼ一言一句違わない。使い回しの原稿を朗読しているだけなのだ。
 首相官邸の公式サイトの「記者会見」のページに両式典の挨拶の全文が掲載されてある。それを読めば一目瞭然。冒頭の〈原子爆弾の犠牲となられた数多くの御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます〉から、結びの〈皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします〉までまるきり一緒。辛うじて違うのは〈広島〉と〈長崎〉の地名と犠牲者の数くらいなものだ。
2年連続コピペのあきれた“前科”も
 広島と長崎の原稿の使い回しは今年だけではない。第1次政権の時代から、2カ所の挨拶は毎年同じ。2013年と14年に至ってはナント、2年連続で内容が変わらない「コピペ原稿」を朗読していたのだ。
 厳粛な慰霊碑の前で前年と同じ挨拶をするとは、被爆地や被爆者、平和を軽視している証左だ」
 当時は原爆被害者団体の大越和郎事務局長も、カンカンになってそう語ったが、安倍首相にはさらに“前科”がある。13年と14年は6月23日の沖縄戦没者追悼式の挨拶も、基地負担を〈少しでも軽くする〉から〈能うる限り軽くする〉に“前進”させた以外は一言一句同じだった。
 安倍首相にとって戦争の犠牲者への慰霊や日本の平和を祈念する言葉の中身は、どうだっていいのだろうか。
 日刊ゲンダイが14年8月9日付でこのデタラメな事実を報じると、翌15年には戦後70年の節目を迎えたこともあってか、安倍首相は沖縄、広島、長崎の式典での挨拶の内容を変更した。さすがに3年連続の「完全コピー」こそ思いとどまったようだが、冒頭の〈哀悼の誠を捧げる〉のくだりや、終盤の〈被爆者の援護施策〉と〈原爆症の認定〉の文言はずっと同じ。就任5年間、かたくなに変えようとしないのだ。
 まるで心を感じさせない「コピペ原稿」の朗読――。一国のトップの人間性を疑うしかない。」
(2017/08/10付「日刊ゲンダイ」ここより)

つまり、安倍首相にとっては、広島や長崎の“過去”など、どうでも良いのだろう。首相としての挨拶も“やっつけ仕事”で、仕方が無く出席しているに過ぎないのだろう。

同じく今朝の朝日新聞に、天皇について、こんな記事があった。
「(平成と天皇)第2部・平和を求めて:中 慰霊の歩み、硫黄島から
 《「長崎は中継ないんですね」》。天皇陛下はしばしば、あまり注目されない物事に目をかける。
 皇太子時代の1981年8月。陛下は会見で、広島の原爆投下の日や終戦の日に全国で式典のテレビ中継があるのに、長崎の投下日に中継がなかったことに触れ、《「やはり同じような被害を受けたわけだから、当然同じに扱われるべきものなんじゃないかと思う」》と述べた。NHKが長崎の式典を全国中継するようになったのは、2000年になってからだった。
 またこの会見で陛下は「どうしても記憶しなければならない四つの日」として、沖縄戦終結の日、広島と長崎の原爆の日、終戦記念日を挙げた。天皇、皇后両陛下は毎年、この日には黙祷(もくとう)を欠かさない。9日も皇居・御所で、長崎市の平和祈念式典に合わせて黙祷した。・・・」(
2017/08/10付「朝日新聞」p3より)

この天皇の姿勢と、安倍首相の姿勢との落差。同じように国民を思う立場であるにもかかわらず、上の記事ではないが“まるで心を感じさせない”日本のトップ。
国民投票をすれば、必ず過半数を超えるであろう「核兵器禁止条約」への参加。しかし、国民の思いよりも、自分の思いを優先する情けない日本のトップ。
これを変えられるのは、我々国民なのだが・・・・

170810karimen <付録>「ボケて(bokete)」より

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2017年8月 9日 (水)

スカパー!プレミアム4Kアンテナを取り付けた話

とうとうスカパー!プレミアム4Kアンテナを取り付けてしまった。それで、初めてスカパーの4Kの番組を見たが、今日はその感想メモ。
そもそも、自分は常に何かに夢中になっていないと落ち着かない性分。今回は、4K放送に凝った。
先日、REGZAの4K液晶テレビ(50Z810X)を導入したが(ここ)、このテレビにはスカパーの4Kチューナーが内蔵されている為、ふとスカパーの4K放送を試してみようかという気になった。
それで、スカパーのカスタマーセンターに電話して色々教えて貰った。ここのセンターは、サービス精神旺盛というか、ヒマなのか!?実に親切丁寧。うっかりすると1時間も話してしまう・・・。

結局、4K放送を受信する為、「アンテナ取付サポートキャンペーン」ここ)なるものに申し込んでしまった。これは「<アンテナ先着2万台限定>スカパー!プレミアムサービスへ新規ご加入いただき、1年以上ご契約いただけるお客様にBS対応スカパー!アンテナ(SP-AM600M)と標準取付工事(10,800円相当)を0円でご提供致します。」というもの。
取り付けは自分でも出来るが、7800円のアンテナを0円で買えるというので頼んでみた。条件は、何か1チャンネルの契約を1年間。そうすれば、「4K総合」というチャンネルが見られる。「4K映画」は1日500円。「4K体験」チャンネルは、デモばかりの番組。
アンテナを取り付けた後、2週間のお試し期間で、どんな放送があるかを見て、その後チャンネルを申し込む。自分は「日本映画専門チャンネル」にしようかと思っているが、これだと基本料421円+756円で、毎月1,177円だという。計算すると1年で14,124円。アンテナ代の元が取れるのか心配だが、受信出来る環境にないのでスカパーは見ない、というのが普通なので、まず見る環境を安く提供し、視聴者を広める戦術なのだろう。

このキャンペーンに申し込んだら、工事日は4日後だった。2日後にはICカードが送られてきた。そして今朝、工事屋さんが来てアンテナを取り付けたが、ほんの40分で終わった。
さて、今までのBSアンテナをどうするかだが、スカパーのカスタマーセンターとの雑談も踏まえ、まだ3年しか経っていないBSアンテナなので、これはそのまま使う事にして、新たなアンテナはスカパー専用とすることにした。工事屋さんは、「一つになるのに・・・」と言っていたが、そもそもBS専用アンテナよりも、110°/124°と広範囲をカバーする必要があるスカパーのアンテナは不利なはず。よって雨の時などは、専用の方が良いだろうという判断。
それが、レベルを比較してみたら同じだったのだ。
従来のマスプロ(BC45R)は信号強度60(30以上)、信号品質54(36以上)、そして今回のスカパーのアンテナは、信号強度60、信号品質51でほぼ同じ。

BSのレベル
<BS専用(BC45R)><スカパー(SP-AM600M)>
1708090bs1 170809bs2

これでは、アンテナをふたつ付けておく意味が無い、と結局、今までのアンテナを外してしまった。

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まあスッキリはしたな。ここで分かったのだが、このアンテナは、それぞれアンプは別らしく、BSはBSで電源を供給してあげる必要がある。CSから電源が入力されているのでBSは必要ないだろう、というのはダメだった。

さて、スカパーの信号レベルだが、JCSAT-3は44、JCSAT-4は36だった。プレミアムはこの2つの衛星で放送されているという。JCSAT-4が少し低いが、30以上あればOKとのことだった。

170809cs1 170809cs2

そして放送の中味。4K放送は、さすがに「解像度 3840×2160、走査方法 プログレッシブ」でまさに4K放送。そして、それ以外のスカパーHD放送は、地デジと同じ「走査方法 1440×1080、走査方法 インターレース」だった。衛星なので1920×1060かと思っていたが違っていた。

<4K>    <通常HD>  <4K録画再生>
1708094k 170809hd 1708094ksaisei

次に録画だが、これもまったく問題無かった。地デジやBSが録画出来る環境があれば、4K番組も録画OK。
実は東芝のHPに「スカパー!プレミアムサービス」内に開局された4K専門チャンネルを、4K画質で外付けUSBハードディスクに録画することも可能です。」(ここ)とあったので、心配していなかったが、心配したのがスカパーのカスタマーセンター。一緒に東芝のHPを見ながら、当方が使っている通常録画用のUSB-HDDの「HDCZ-UT」(ここ)が、「4Kチャンネル録画」が×になっていると、心配し出した。スカパー側でも、自社チューナーでの使用実績を調べてくれたが、結局分からなかった。まあ、もしこのHDDに録画出来なくても、こちらの問題だから、と話を引き取った。

そして設置後、早速録画や予約録画をしてみたが、まったく問題無かった。再生時の信号形態は、生放送と同じであり(上の写真)、やはり放送の信号を4Kでもそのまま録画している事が分かった。
しかし4Kの再生では「早見・早聞き」機能は使えなかった。あくまでも、通常放送での機能であり、4Kフォーマットには対応していないようだ。それ以外の、30秒飛ばしなどの機能はOK。
もちろん、スカパー用のチューナーは一つしか無いので、録画をしているときには、スカパーの別のチャンネルを見ることは出来ない。

次に、カミさんに50Z810Xで録画した4K番組を見せようと、居間にある58Z810XのLAN接続で、この4K番組を見せようとしてたら、番組表に出て来ない。つまりは、LANでのDLNA再生は、4Kのフォーマットに対応していないようだ。まあ、ここまで図々しく“何でもOK・・”とはならなかった。

さて、肝心のスカパーの4Kの番組だが、さすがにドキュメンタリーなどはきれい。早速「世界遺産」を録画して見たが、さすが・・である。逆に、時代劇のドラマは、通常のHDで充分と感じた。
やはり4Kが真価を発揮するのは、ドキュメンタリーなどの番組。江戸時代の暗い室内の場面では、4Kはそれほど必要ない。

番組的には、まだまだ・・・。そもそも4Kで制作された番組が少ないのかも知れない。しかしスポーツ番組などは、単に機材だけの問題で、それほど費用もかからないだろうから、現在の再放送が主体の放送に、新しい番組が増えることを期待したい。

それにしても、自分は音の世界でも、mp3音源の収集から始まって、それを全てWAV音源に変え、ハイレゾに・・・。同様に、映像の世界でも、昔のベータやVHSのテープでのアナログ録画の収集から、DVDやBDに変わり、そして今4Kだ。
「HD画質であれば、それ以上の画質は要らない」と言っていた自分のスタンスも変えねば・・・・
スカパーの「一度見ると常識になる」というキャッチフレーズも、なるほど・・・と感心してしまう。
そんなにTVばかり「見る時間が無いだろう」と思いつつ、人生で最も時間があるのが今。だから、自分の健康寿命が尽きる前に、“見るか見ないか”ではなく、最も贅沢(4K)をしてみるのさ・・・

(関連記事)
4K液晶テレビREGZA「50Z810X」の画像に感動した 
REGZAにつなぐUSB-HDDと「タイムシフトリンク」 

2017080817393535c <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

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2017年8月 7日 (月)

森山良子の「心もよう」

このところ、昔の歌のカバー曲をCDを借りてきては聴いている。だいぶん前の発売だが、香西かおりの「綴織百景」シリーズなど、実に良く出来ている。そして、これも大昔のアルバムだが、森山良子の「心もよう」を改めて聞いた。

<森山良子の「心もよう」>

「心もよう」
  作詞・作曲:井上陽水 

寂しさの つれづれに
手紙をしたためています あなたに
黒いインクが綺麗でしょう
青い便箋が悲しいでしょう

あなたの笑い顔を
不思議なことに 今日は
覚えていました
十九になった お祝いに
作った歌も 忘れたのに

寂しさだけを 手紙に詰めて
故郷に住む あなたに送る
あなたにとって 見飽きた文字が
季節の中で 埋もれてしまう アーア

遠くで暮らすことが
二人に良くないのは わかっていました
曇りガラスの外は雨
私の気持ちは 書けません

寂しさだけを 手紙に詰めて
故郷に住む あなたに送る
あなたにとって 見飽きた文字が
季節の中で 埋もれてしまう

あざやか色の春はかげろう
まぶしい夏の光は強く
秋風の後雪が追いかけ
季節はめぐりあなたを変えるアア……

もちろん井上陽水の「心もよう」は、当サイトでも取り上げている。2008年だった(ここ)。この歌は、1973年(昭和48年)9月にリリースされた歌であり、上の森山良子によるカバーは1974年10月25日発売の「森山良子ニュー・フォーク・アルバム」というアルバムに収録されているので、たった1年後のフィリップスでの録音である。そのせいか、歌声が若々しい。森山良子、26歳の時の声。
この時代の森山良子の歌声は、学生時代や新入社員時代の頃を思い出させる。

カバーというと、本人歌唱の再録音も含めて、編曲が重要。上の森山良子の編曲は、オリジナルを踏襲して、それほど違和感がない。後に響く、電子音が心地良い。
総じて自分は、オリジナルの編曲をあまり変えない方が好きだ。上に書いた香西かおりのカバー集も、原曲の編曲を踏襲しているので聞き易い。

編曲というと、自分は森岡賢一郎の編曲が大好きだった。森岡賢一郎については、当サイトでも10年前に取り上げた(ここ)。そこでも書いているが、編曲によっては、飛んでもない別の曲になってしまうことがある。
自分は、「お墓に持って行く歌は?」と聞かれたら「霧の摩周湖」と「心もよう」を挙げるかも知れない。その「霧の摩周湖」だが、オリジナルの森岡賢一郎の編曲は素晴らしいが、それ以外の編曲で、オヤッと思ったことは一度もない。どの編曲も、耳を塞ぎたくなるような曲になってしまっている。

昔の名曲も、本人が再録音した楽曲は、自分も色々集めているが、前川清や石川さゆりは、レコード会社を替わって再録音する時でも、オリジナルの編曲(伴奏楽譜)を使っているので、非常に聞き易い。

世はハイレゾ時代。自分もその音源を色々集めているが、CD発売以降は、44KHzでの録音しか残っていないので、今からハイレゾ音源の入手は原理的に無理。
しかし、井上陽水の初期の時代の楽曲は全てがアナログテープ。しかし、残念ながら、ハイレゾ音源は発売に至っていない。中島みゆきの初期のアルバムのハイレゾでの発売も待っているのではあるが・・・

昔よく聞いた歌を、手を変え品を変えて聞いている老人なのであ~る。

最後にオリジナルの井上陽水に敬意を表して、改めてオリジナルを聞いてみよう。

<井上陽水の「心もよう」>

●メモ:カウント~1060万

170807kami <付録>「ボケて(bokete)」より

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2017年8月 4日 (金)

プロ野球選手から公認会計士になった奥村武博さん

先日、朝日新聞にこんな記事があった。
「(ひと)奥村武博さん プロ野球選手から公認会計士になった
 身長188センチの技巧派投手として、岐阜県立土岐商高から、阪神にドラフト6位で入団。だが、「プロ入りに満足して気が緩み、体のケアを怠った」。故障で1軍登板のないまま4年目に戦力外通告を受け、翌年、退団した。
170804kounin  当時23歳。履歴書の書き方も知らない。アルバイト生活2年目で公認会計士の存在を知ると、高校時代に取った簿記の資格を思い出し、「もう一度、プロと呼ばれるところに身を置きたい」と挑戦を決めた。
 アルバイトを続けながらの猛勉強。1次試験は突破するが、2次でつまずく。一時、企業への就職に傾きかけたが、「選手時代と同じ。また自分に甘えている」と奮起した。2013年に10回目の挑戦で合格。実務経験を積み、今年6月に公認会計士になった。
 新たなマウンドで目指すのは、引退後の選手の「セカンドキャリア支援」だ。日本野球機構の調査では、引退後に不安を感じている選手が67%に上る。一般企業や飲食店など畑違いの分野でゼロからスタートする人も多い。現役選手の税金の管理などを手がけながら、「現役時代から野球以外に目を向ける大切さを説きたい」。
 簿記が後押しした第二の人生。試験合格後に招かれた母校での講演で、後輩たちにこう呼びかけた。「今、いろんな引き出しを増やしていってほしい。絶対に後で役立つから」」(
2017/07/19付「朝日新聞」p2より)

プロ野球選手から公認会計士になったという。
努力で地位を得た人は色々いるが、この人の例は、歴史に名を残すのではないか?

ふと、前に書いた記事を思い出した。
「プロ野球選手になるための倍率は約2,055倍だが、育成選手では年俸240万円程度」(ここ)だという。
そして「高卒、大卒、社会人出身のうち、1軍の試合経験なしに引退する選手の4分の3が高卒だ。投手の場合、1軍経験なしに引退するのは、高卒は37.3%と、大卒の15.9%に比べて高い。執筆者の一人、日体大スポーツ局の黒田次郎は『近年、高卒の平均在籍年数は4年に満たない。大学卒業前の若さでお払い箱になる計算だ』と指摘する。・・・」(ここ)だという。

まさに、上の奥村さんの例では、高卒で4年目に戦力外通告を受け、23歳で退団したというから、“高卒の平均在籍年数”と合っている。
プロ野球選手になるには、子どもの頃から野球漬けでないと、とてもその域には到達しない。だから、野球を止めて一般人になったとき、他の世界を知らない反動は大きい。
将棋では、23歳と26歳で切って、奨励会を退会させるルールがある。それは、別の人生を促す知恵。
普通は途方に暮れるところだが、“高校時代に取った簿記の資格を思い出し”、公認会計士にチャレンジ。そして10回目で合格とは・・・
今はだいぶん地位が落ちたが、司法試験では、どんなに努力しても、何十年チャレンジしても、絶対に合格しない、という人がいるそうだ。それは才能の問題なのだろう。努力の世界ではない、元々の頭の出来の問題。つまりは、遺伝的な素質が大きいということ。もちろんトンビがタカを産まないとは言わないが・・・
大昔、息子が中学受験をする事になって、日能研という受験塾に行った時、まず言われたのが「両親が東大でなかったら、子どもは絶対に東大には受からない」と言われた。それが現実・・・

そんな風評の中で、プロ野球選手から公認会計士とは・・・
映画「ビリギャル」の例もあるが、氏の努力は言語を絶するものがあったのだろう。
風評は風評として、人生、血筋であきらめる必要は無さそうだ。
昔、学生運動の活動家は一般の会社には入れないので、法曹などの国家資格を得て、その道で糧を得たという。
いつの時代も、資格は身を助ける・・・ですね。

201708041816019d6 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

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2017年8月 2日 (水)

2016年の国内シェア(市場占有率)100品目

例年より少々遅れたが、昨年度の国内シェアである。
国内シェア調査 10品目で首位交替
 日本経済新聞社が22日まとめた2016年の国内の「主要商品・サービスシェア調査」で、対象100品目のうち10品目で首位が交代した。ハム・ソーセージは伊藤ハム米久ホールディングス、ドラッグストアはウエルシアホールディングスが首位に立った。長く2位以下だった企業がM&A(合併・買収)をテコに逆転している。(関連記事7面、詳細を24日付日経産業新聞に)
 市販カーナビ、複写機・複合機、クレジットカードなども含め、首位交代は15年を1品目、上回った。太陽電池やインクジェットプリンターなど8品目で15年に2位の企業が首位となった。
 ハム・ソーセージは日本ハムが他社を退けてきたが16年4月に伊藤ハムと米久が経営統合した伊藤ハム米久が逆転した。ドラッグストアもマツモトキヨシホールディングスが3位になり、イオン系のウエルシアと、ツルハホールディングスが首位と2位に躍り出た。
 風力発電機首位になった日立製作所は日本最大の風力発電所に納入したことが主因。産業用ロボットは多関節型が好調な安川電機が15年の2位から返り咲いた。家庭用ゲーム機はソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)が「スイッチ」発売前だった任天堂と入れ替わった。」(
2017/07/23付「日経新聞」p1より)

シェア上位 寡占一段と トップ3で過半69品目
 2016年の国内「主要商品・サービスシェア調査」(対象100品目)では、上位企業の寡占が一段と進んだ。45品目でトップ企業がシェアを広げ、首位交代しなかった90品目の半数に及んだ。上位3社合計シェアでみても41品目が7割に達した。市場の「支配力」が商品・サービスやブランドをさらに強める構図だ。(1面参照)
170802nikkei  前年からのトップ企業がシェアを高めた品目を個別にみると、市場が急成長しているポータルサイトでヤフーが50%を超えた。ネット通販で有料会員向けの特典を強化したことなどが奏功した。
 映画は興行収入が過去最高を更新。首位の東宝は「君の名は。」や「シン・ゴジラ」が大ヒットした。邦画の興行収入トップ10の8つを占め、シェアは35・6%となった。レンズ交換式カメラではキヤノンが「EOS M5」など小型軽量機を投入。市場は縮小傾向にあるがオリンパスやニコンからシェアを奪った。
 フォークリフトの国内販売台数は7年ぶりに減った。豊田自動織機がシェアを伸ばし、市場のほぼ半分を握った。2位以下が業界再編で首位を追う動きも出ている。
 自動車総販売ではトヨタ自動車(レクサス含む)が31・8%とシェアを伸ばした。15年12月に「プリウス」を全面改良して発売した効果が出た。3位のスズキや4位のダイハツ工業は軽自動車市場が冷え込んだ影響でシェアを落とした。
 1~3位のシェア合計が50%を超えたのは69品目と全体の3分の2に及ぶ。そのうち35品目で上位のシェアが拡大した。日用品では上位3社で60~80%超の高いシェアが目立つ。ミネラルウオーターは16年4月の熊本地震を受けた買いだめ需要などから市場が拡大。首位のサントリー食品インターナショナルは「天然水」シリーズの販売が好調だった。
 歯磨きはライオンの「システマハグキプラス」シリーズなど健康志向の高価格帯商品が堅調。即席めんは日清食品「カップヌードル」など定番商品への回帰傾向が高まりブランドの強みが出た。牛丼チェーン、携帯電話、家庭用ゲーム機、炭素繊維の4品目は上位3社で100%を占めた。」(
2017/07/23付「日経新聞」p7より)

★詳細は、2017/07/24付「日経産業新聞」P16~P19(pdfは ここ)参照。

毎年、つい家電製品に目が行く。残念なのは、新聞を賑わしている東芝ブランドの凋落が激しい。パソコンは3位から5位に。テレビは頑張っているものの、SONYの追い上げが激しい。白物家電は、中国に売られてしまったせいか、特に壁掛けエアコンに至っては、価格コムの売れ筋ベスト50に、1機種も入っていないのは、あまりに悲惨。唯一、掃除機だけは首位を保っている。

コンビニは、サークルKと一緒になったファミマが2位。確かに周囲にも増えている。

確かに事業は生き物ではあるが、そこで働く人も、昔と違ってウカウカしていられない。いつ何時、何が起こるか・・・

さて、日経深新聞を読まなくなって1年半。毎年フォローしてきたこのシェアの記事も、息切れがしてきたようである。
ふと思い出して、辛うじて国内シェアはつかまえたが、海外シェアの記事は、もう昔過ぎて手に入らなかった。
なお、なぜか日経産業の該2ページ目が、新聞全体がなく、記事の断片を集めて1ページに加工してみたが、どうだろう・・・

このシェアの記事を連載し始めてから、ちょうど10年になる。
来年もこの連載を続けられているかどうか、そろそろ分からなくなってきた・・・。

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