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2017年1月23日 (月)

「文化庁」の看板は誰が書いた?

文部科学省が早稲田大学への天下りをあっせんしていた問題。今日はとうとうNHKで「天下りあっせん 文科省が隠蔽工作 口裏合わせ文書入手」というニュースまで・・・
このニュースが流れる度に映し出される看板。
170123kanban 文科省より、スポーツ庁よりも気になる看板が「文化庁」の看板。これを見る度に、この看板は、文化庁の発足時の大臣が、しゃしゃり出て揮毫(きごう=書画をかくこと)したものだろうと想像していた。最近、あまり頻繁にテレビで見せられるので、つい調べてみる気になった。
すると、この筆は、何と書の大先生の揮毫だという。

文化庁のHPにはこう説明がある。
「Q.文化庁の看板の文字を書いたのは誰ですか。
A.文化庁の標識板(縦書体)は,平成13年1月の文部科学省発足を機に書家の成瀬映山(なるせえいざん)先生にお書きいただいたものです。」(
文化庁のここより)

wikiによると「成瀬 映山(なるせ えいざん、1920年3月1日 - 2007年7月16日)は、日本の書家。日展参事、読売書法会顧問、謙慎書道会最高顧問などを歴任。全日本書道連盟顧問。槙社文会代表。警視庁自警会審査顧問。現代書道二十人展出品(朝日新聞社主催)。聖徳大学客員教授。勲四等旭日小綬章叙勲。」だそうだ。

氏の書は(ここ)にもあるが、残念ながら、何という文字か、まったく読めない。
Netによると、氏の書風は「古典美を礎にした激しい行書の書風を得意とする」(ここ)のだそうだ

つまり、この文字は、しゃしゃり出た大臣が、緊張に震えながらヨタヨタと書いたものではなく、その道の大御所が揮毫した“有り難い文字”ということ。
誰が氏に依頼することにしたのか、そして出来上がった看板を誰が承認したのかは分からない。
しかし、省庁の看板は、芸術作品ではない。その時の権力者の好き嫌いで掲げる物でもない。長く国民の目に触れるもの。それを、多くの人が、「何だこりゃ!?」と思うものにしてはいけない。

初代大臣がしゃしゃり出て揮毫した看板も多い。それについて、2年ほど前に朝日新聞に記事があったらしい。(ここ)に全文があったので転載してみる。

大臣筆の省庁看板 字は人を表す?
「字は人を表す」という。霞ヶ関の中央省庁の看板には、発足時の大臣が筆を執ったものが多い。いかめしい省庁の看板をじっと見つめると政治家の性格や政権の特徴が透視できる、かもしれない。

170123asahi 「字の上手下手は別として、勢いがあったかなと」。5月30日に発足した「内閣人事局」の看板を書いたのは、稲田朋美・国家公務員制度相。記者会見で自らの「作品」をこう評した。みなみに、安倍晋三首相の感想は「みずみずしい筆遣い」だった。
この看板は、東京・永田町の合同庁舎8号館にある同局に掲げられている。
「独特の味わいがあっていい」と言う職員がいる一方、「毎日の通勤時にこれがを見るのは正直しんどい。ちゃんとした書家に書き直してもらった方がいい」とこぼす職員も。
1府5省で
現在の1府12省庁の看板のうち、政治家が書いたのは1府5省。1978年に発足し中川一郎農水相が書いた農水省と、2007年に発足し久間章生防衛省以外は、01年1月の省庁再編時のものだ。
当時の首相は森喜朗氏。官邸主導を強めるために新設された「内閣府」は、森氏の揮毫だ。太い線ではっきりと書かれているが、この後政権は先細りし、三ヵ月後、総辞職に追い込まれた。
書き直しも
同じ時期、木の板に墨字で「国土交通省」と書いたのは、初代国交相の扇千景氏。大きな「国」の字と対照的に「省」の字が小さく、逆三角形になっていた。就任時の会見で扇氏は「もう少し練習しておけばよかった」。
小政党の保守党・保守新党に籍を置きながら、前任の建設相も含めると3年以上も大臣を務めたが、道路公団を掲げた小泉純一郎首相と自民党道路族との痛み挟みに。官僚統率力が十分とは言い切れなかった。
そのためかどうか、まもなく看板にひびが入った。現在掲げられているのは03年に扇氏が書き直した2代目。紙に書いたものをデジタル加工でバランスを整え、板に掘り込んでいる。
同省の担当者は「板が劣化し、文字がかすれたため、扇さんに了解を得て書き直してもらった」。あくまで「文字そのものが原因で(看板を)掛け替えたわけではない」という。
片山虎之助総務相の書いた「総務省」は丸文字気味。唯一、役所名が御影石に彫り込まれている「経済産業省」は、平沼赳夫経産相の筆だ。
一方、財務省は、達筆で知られた宮沢喜一・初代財務相ではなく、一般のフォントが使われている。前身の「大蔵省」の看板を書いたのは、池田勇人首相だった。池田氏と同様に大蔵官僚から首相に上り詰め、池田氏ゆかりの保守本流派閥「宏池会」を継いだ宮沢氏は、政治の師匠の字を書き換えることはしなかった。
書家は批判
「内閣人事局」のように、発足時の大臣が役所の看板を書くという霞ヶ関の慣習は途絶えることなく続く。だが、著書「近代書史」で大佛次郎賞を受賞した書家の石川九楊さんは「権力者が身を修めることや詩文書の教養、作法を欠いたまま、看板を書くという形だけ残っている」と話し、あきし慣習と批判する。

全省庁の題字を見て回った石川さんは「こんな表札を掲げ続けていたら、東アジアの漢字圏の要人に日本が軽蔑され、官僚の士気も低下しかねない」と危惧する。
「書は自らをさらけ出す『事故暴露装置』だ。素養のない政治家が容易に筆を執るべきではない」では冒頭の内閣人事局の文字は、どんな内面を「暴露」しているだろうか。
石川さんはこう言う。「基本的で最も大切な均衡、均等、安定性を欠き、ここにあるのは見せかけの力強さや勢いだけだ。
まさに、今の安倍政権全体象徴している」安倍内閣は9月第一週に内閣改造を行い、その官僚の顔ぶれががらっと変わる見通しだ。
したたかな政権運営で知られた小渕恵三首相は、政治を志した大学時代、将来揮毫を頼まれることに備えて書道にいそしんだ。自民党に約60人いる「内閣適齢期組」にも、真夏のあいだ大望を胸に、毛筆の稽古に精を出す議員がいるかもしれない。(
2014/7/31付「朝日新聞」p4ここより)

この記事にもある稲田朋美氏の「内閣人事局」の看板は、あまりに稚拙で、品位に欠ける。何よりも、“氏らしい”出しゃばりの揮毫に、「バッカみたい」と感じるだけ。

しかし「「内閣人事局」のように、発足時の大臣が役所の看板を書くという霞ヶ関の慣習は途絶えることなく続く。」だそうだ。
憲法改定を目論む安倍政権と同様に、自らを歴史に名を残したい、という名誉欲が為せる業なのだろう。しかし本人の意向とは裏腹に、残した文字は逆の意味で「字は人を表す」のである。

実はウチのカミさんは、数年来書道に凝っている。楷書、行書までは良いが、それ以上の書になると、その良さは、我々素人には皆目分からない。文字が絵になってしまっている書には、付いて行けない。
自分が“美しい”と思ったのは、「筆まめ」の「流麗行書体」。年賀状で、この文字に出会ってからは、自分も早速「筆まめ」を買ってきてこのフォントを使ったもの。
つまり、自分にとっては、誰でもきれいと思う文体が良い文体。著名な書家の筆などは、その世界だけで通用するもの。
どんなお役人が勘違いしたのか、超芸術的な「文化庁」の看板。
一般国民のためにも、早くこの看板が落ちて割れ、普通の文字の看板に架け替えられることを祈りたい。もちろん「内閣人事局」や「スポーツ庁」「防衛省」も“普通の文字”にして欲しいもの・・・。

170123nikon <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

言われてみれば各,家の表札を見て歩けば色々ありますね。でも一目見て情けないような文字の表札は見当たりません。「文化庁」も「内閣人事局」も恥ずかしいですね。ある大学の石に彫られた字が小学生が書いたような字なので、前を通るたびに書いた人は恥ずかしくないのかなあと思ってしまいます。タクシーの中でつい言ってしまったら、運転手が「個性があって良いじゃないですか」と言いました。まあ、個性と言えばそうなのでしょうが、稲田氏の字はちょっと恥ずかしいですね。私なら絶対に書きません。あれが個性なら幼すぎます。国会の答弁も誰かが書いたものを棒読みしているような感じがします。私は上手く書けませんから「大臣」には絶対なりません!

【エムズの片割れより】
さっき、散歩しながら家の表札を改めて見たけど、どれも見易い文字ばかり。それに引き替え、お役所の表札の貧しいこと・・・
カミさんと「鉄面皮」という言葉が話題になりました。

投稿: 白萩 | 2017年1月24日 (火) 23:27

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