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2016年12月の17件の記事

2016年12月31日 (土)

2016年を新聞の川柳で振り返る

さて2016年もあと数時間。
この歳になると、いつものようにどうでも良いが、せっかくなので、今年を「朝日川柳」と「よみうり時事川柳」で振り返ってみよう。

平成落首考 2016年後半 西木空人
 「ああテロかあああそこかと聞く鈍麻」の句が掲載されたのは7月1日でした。あれから半年。「新聞にテロの字載らぬ日を探す」。テロ鈍麻の度合いは高進しているに違いない。
 鈍麻は、日本語のありようの点でも顕著です。「ではあれは押しくらまんじゅうだったのか」。10月、安倍晋三首相は「我が党においては結党以来、強行採決をしようと考えたことはない」と国会で言い切りました。歴史的事実に明らかに反しますが、マスメディアからの批判に、首相の側はどこ吹く風だった。
 「この一年問題ないで耳にタコ」。菅義偉官房長官得意の切り捨て御免フレーズですね。むろん「問題があるときに言う『問題ない』」が、この言い回しの根幹。ですが報道を見るかぎり、記者会見などでこれといった反論は出ないようです。
 あらためて掲載句をたどりながら、この半年を振り返ります。
     × × ×
 「斜め前 右手上げれば うりふたつ」「よみがえる『兵隊さんのお陰です』」。9月、臨時国会での所信表明演説の途中、首相は、領土や領海、領空の警備に当たる海上保安庁、警察、自衛隊の人たちに「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけた。自民党の議員たちは、一斉に起立して拍手。
 「おかしいと思いつつ立つ進次郎」「起立せぬ議員いずれは非国民」。事前に、この箇所で拍手を、との指示を受けた議員もいれば、小泉進次郎氏のように「あれはない。ちょっとおかしいと思いますよ」と振り返りつつ、驚いて立ち上がった議員もいました。
 安倍政権の政治戦術の巧妙さに、あらためて気づかされます。何か批判しようとしても、すでに場面は次に移っている。
 「ストレスの溜(た)まらぬ頭 首相持ち」「得意げに野党揶揄(やゆ)してこと済ませ」
 トランプ米次期大統領のツイッターを使った型破り・無法な連続発言が世界を振り回していますが、「安倍慣れで違和感がないトランプ流」。発想法は存外似ているのではあるまいか。
 「何となく気が合いそうに見え怖し」「この二人強き昔を恋しがり」
     × × ×
 「スポーツ紙取っていたかと錯覚し」「リオが無い時は何していたんだろう」
 暑い夏でした。
 「よく見たらマリオじゃなくてワリオじゃん」「あの土管次はどの地に出るのやら」。リオ五輪閉会式での光景です。同じ頃「別行動花を捧げて祈る妻」。昭恵夫人の姿が真珠湾にありました。首相の真珠湾訪問につなげる意図があったのかどうかは知りません。
 酷暑の夏でした。「四年後の真夏にあれをやると言う」。ホント大丈夫でしょうか。
 小池百合子新東京都知事の登場で、様相は変わります。豊洲新市場と東京五輪・パラリンピックの会場問題ですね。
 「会場のための五輪のように見え」「決めたこと今更何をと常套句(じょうとうく)」。森喜朗・大会組織委会長は、何かとゴシップのタネになります。現在進行形です。
 「ファーストでなけりゃ駄目かねアスリート」「醒(さ)めました五輪やめたい人多し」
     × × ×
 12月。「文句など言うな土人の分際で」。オスプレイの事故をめぐり、在沖米軍トップはテーブルを叩(たた)いて激高しました。
 「土人」は沖縄に応援に行った大阪府警機動隊員が発した言葉。10月のことでした。「一言で『差別発言』と言えぬほど」
 この言葉、選者のパソコンでは「不快用語」と自動的に注が出ます。しかし「政府挙げ『土人』呼ばわり正当化」。鶴保庸介・沖縄北方相が「差別と断定できない」と言い放ちましたが、政府は鶴保氏の訂正や謝罪は不要とする答弁書を閣議決定しました。
 米軍の発表では、オスプレイは「不時着」です。「不時着と墜落の差を考える」「本当は制御不能で海に墜(お)ち」。それが常識的説明と川柳子は解します。
     × × ×
 日本語が、政治の世界で、「数」を後ろ盾にした腕力によって、いいように操られている。その風潮が世の中に拡大している。「言葉」で生きている川柳作者にとって、大いなる気がかりです。
 「『数』こそが今年の漢字と思い知る」
 (「朝日川柳」選者)」(
2016/12/29付「朝日新聞」p12より)

<川柳 うたた寝帳> 編集委員 片山 一弘
 年末恒例の今年の漢字は「金」だそうだが、よみうり時事川柳の今年の漢字を選ぶなら、3文字を単位にしたい。最有力候補は「大統領」だ。
 ◇リオ五輪予選で落ちた大統領(5月16日、三好康雄)
 ◇ヒロシマのオバマ地球が耳すまし(5月25日、二宮茂男)
 ◇ほめるけど誰も真似せぬホセ・ムヒカ(5月30日、西村雅志)
 ◇プーチンに食い逃げされそ北方丼(11月26日、野々宮光昌)
 やめさせられた人。もうすぐやめる人。やめた後で日本に知られた人。永遠にやりそうな人。さまざまな大統領が本欄をにぎわした。中でも主役級は、もうすぐ米大統領になる、この人。
 ◇リーマン級それはトランプ大統領(6月11日、前田悟)
 ◇本番は隠れトランプ幅利かす(11月10日、溜息吐息)
 ◇トランプ氏期待はずれを期待する(11月16日、ひさ子)
 党の指名候補争いの段階から話題を振りまき、当選後も物議を醸し続けるトランプ氏。「期待はずれ」への期待は、望み薄のようだ。
 そして、隣の国のトップには韓流ドラマのような出来事が。
 ◇友が留守ひとりで書いた謝罪文(11月7日、前澤孝侑)
 ◇終身の不逮捕特権欲しい国(11月20日、関根悟)
 海を挟んだ東西の隣国、どちらも大統領に懸念を抱えながら新しい年を迎えることになる。
      * *
 筆者が選ぶ「今年の漢字」3文字版、対抗馬はこちらだ。
 ◇違法でなくかつ適切な知事辞任(6月18日、濃紫菫咲)
 ◇出ろ出ない出るわ出るなの都知事選(7月10日、鮭仔)
 ◇伏魔殿当事者だった知事が言い(9月20日、安忠男)
 ◇小池流家元慕う四千人(10月27日、岩立安巨)
 任期途中の都知事に不祥事が続発。突然の辞任で新都知事が誕生。さらに築地市場移転問題で3代前の都知事までもが引っ張り出される羽目に。都民じゃない人からの投句も多かった。
 ◇その日だけ都民になりたいことがある(7月18日、むすす)
      * *
 というわけで2016年は、大統領と都知事にまつわる句ばかり選び続けてきた(しかも当分続くこと間違いなし)。
 ニュースの主役が政治のリーダーばかりというのは、世の中があまり平穏ではない証拠。川柳のネタに事欠かないのはありがたいとはいえ、できれば来年は、リーダーがあまり目立たない年になることを望んでいる。」(
2016/12/31付「読売新聞」p8より)

時事川柳なので、政界のことが多いのは仕方がないが、それ以外に色々な出来事があった。でもそれらの事を書くのは止めた。思い出すのは、どれも悪い事件ばかり。思い出して、気分が滅入ることはあっても、心が晴れることはない。忘れるに限る!?

毎年同じ事を書くが、ホントウに年月の経つのが早い。あっと言う間に1年が過ぎて行く。
でも家族の皆は、特に大事件もなく、トシを取っただけなので、有り難い。

止めるに止められなくなっている初詣のお札。毎年、年末に申し込んでおいて、年始に取りに行くのだが、最近はもっぱら「家内安全」という超定番。
まあそれだけ平和だと言うこと・・・
しかし、今回は唯一変化したことがあった。何とカミさんが初めてお札を申し込んだのだ。
しかも、「心願成就」だってさ・・・
何を“心願”しているのかは言わない。こっちも怖くて聞きたくもない・・・
でも、最大の悩みは「メガネ」だそうなので、こちとら何も気にしていない。

「事件が起こらないこと」が最大の幸せ。
今年1年を振り返って、大きな悪い事件は無かったので、とりあえずホットしている年末ではある。

161231kazegusuri <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月30日 (金)

東京五輪・女子体操・金~チャスラフスカさんの生涯

だいぶん前だが、NHKラジオ深夜便で「わが心の人「ベラ・チャスラフスカ」ノンフィクション作家…長田渚左」(2016/12/16放送)を聞いた。
ベラ・チャスラフスカは、今の若い人は知らないだろうが、我々初老の人間には馴染みの名前。東京五輪の女子体操の花だった。
そのチャスラフスカさんが亡くなったのだという。Netで見るとこんな記事が見付かった。

五輪の名花」チャスラフスカさん死去 女子体操で金
 1964年東京五輪の女子体操で三つの金メダルに輝き、「五輪の名花」「東京の恋人」と呼ばれて日本でも親しまれた旧チェコスロバキア出身のベラ・チャスラフスカさんが30日、故郷のプラハの病院で亡くなった。74歳だった。
161230chasrafska  42年、プラハ出身。東京五輪では個人総合、跳馬、平均台で金メダルを獲得。68年メキシコ五輪でも個人総合で2連覇を達成するなど四つの金メダルに輝いた。3度出場した五輪で合わせて11個のメダルを獲得した。
 優雅な演技で日本を含め、世界中のファンを魅了したが、母国の民主化運動、68年の「プラハの春」を支持する「2千語宣言」に署名したため、迫害を受けた。89年の民主化で名誉を取り戻した後は、大統領顧問やチェコ五輪委員会会長も務めた。
 だが、息子が元夫を死なせてしまう事件をきっかけにうつ病を患い、90年代終わりごろには表舞台から姿を消した。10年以上にわたる闘病生活を乗り越えると、日本にもたびたび来日。11年には東日本大震災の被災地にも訪れた。
 昨春、膵臓(すいぞう)がんで10時間に及ぶ手術を受けた。その後も化学治療を続けていたが、今年6月、肝臓にがんが見つかり、医師から余命が短いことを宣告されていた。(金島淑華、ウィーン=喜田尚)」(
2016/8/31付「朝日新聞」より)

この番組は、そのチャスラフスカさんを25年間取材し、「桜色の魂~チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか」を著した長田渚左氏の話であった。
その一部を聞いてみよう。

<NHKわが心の人「ベラ・チャスラフスカ」長田渚左より>

*この番組の全部(41分)をお聞きになる方は、(ここ=ZIP)をクリックしてしばらく待つ。

この中で、次の言葉が重たい・・・
「人間の尊厳、自由という物への希求。それがいかに大切なものか。亡くなる1年前に会った時も、彼女はその事を何度も言っていて、『降って湧いたような平和など無い。日本は自分たちが作り出した訳ではないが、平和憲法を持っていて、それを使いこなして70年来た。世界で唯一の被爆国なのに、戦争をしないことをモットーとして生きてきた。あの憲法を使いこなしてきたことをもう一度、あなたの友だちに言ってちょうだい。降って湧いたような幸せ、平和なんか無い。」だからこそ、今の日本の状態に対しては、非常に心配していた。『オリンピックは大丈夫。2020年は日本はうまくやってくれる。それ以外が心配・・・』と」

この言葉が心に響いた・・・

それにしても、チャスラフスカのうつ病は、14年続いたという。その状態が「一日椅子に座ったらそのまま。お風呂にも入らない、ご飯も食べない、という状態」だったそうだ。
それが恩人・遠藤幸男氏の病気の話を聞いて、遠藤氏への思いが復活する糸口になったという。

チャスラフスカさんについては、前に一度記事を書いたことがあった。もう7年も前、2009年10月28日付で「体操・池田敬子さんとチャスラフスカさん・・」(ここ)という記事だった。NHKラジオ深夜便「こころの時代『我が体操人生に悔いなし』女子体操コーチ 池田敬子」(2009/10/12放送)を聞いた時の記事。HDDを調べたら、この時の録音が残っていたので、チャスラフスカさんについての部分を聞いてみよう。

<NHKこころの時代『我が体操人生に悔いなし』池田敬子より>

それにしても、チャスラフスカさんの自由への信念は驚嘆に値する。いつまで続くか分からない不遇を、20年以上耐えた。信念さえ変えれば、裕福な人生が待っていただろうに・・・
そして、14年も続いたといううつ病。この話も凄まじい。
何でもそうだが、将来に明るさが見えていれば、頑張れる。しかし、それがいつまで続くか分からないと、介護の世界でもよく言われるように、とても続かない。

そして、自由に対する困難を耐えた心も、家族の悲劇に対しては、折れてしまった。それほど、家族は重たい・・・
うつ病は、世に多い。しかし、見方を変えれば、14年も重篤なうつ病を患っていても、チャスラフスカさんのように、何かをきっかけに復活することも出来る。この事実は明るさも与えてくれる。

チャスラフスカさんの壮絶な生涯を垣間見て、その信念に驚くと共に、チャスラフスカさんの指摘、つまり日本の平和に対する感度が鈍くなって、じわじわと“普通の国”になることへの懸念を、今更ながら憂う自分である。

★市川崑監督「映画 東京オリンピック」が2016/12/31 19:00~22:00 BS12(BS222 BSトゥエルビ)(ここ)で放送されます。もちろんチャスラフスカさんの姿も・・・

(関連記事)
体操・池田敬子さんとチャスラフスカさん・・ 

161230lion <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月28日 (水)

団塊Kさんの海外一人旅「#32中国・貴陽紀行」

さて、 “団塊Kさんの海外一人旅・紀行”シリーズ。今回は最新の「貴陽紀行」である。

★(ここ)にオリジナル「#32貴陽紀行(30頁)」(2016年10月12日~16日)のPDFを置きます。

それにしても、なぜ「紀陽」なのか・・・。
彼の行った先で、アップ済みを記してみると、

・「#12マドリッド、グラナダ&ローマ紀行」(2009年10月8日~14日ここ
・・・・
・「#29チベット紀行」(2015年10月14日~21日ここ
・「#31(トロント)ハバナ紀行」(2016年6月15日~22日ここ
・「#30シカゴ・リオデジャネイロ紀行」(2016年3月16日~23日ここ
・「#32貴陽紀行」(2016年10月12日~16日)

それで、「チベット行きは、現地のガイドが、必須の為、日中友好観光(株)という旅行会社に依頼したが、その際、旅行会社の壁に、貴州旅行の張り紙が出ていて、貴陽への旅行を思いついた。」とのことなので、1年前からの計画だったらしい。

しかし、紀陽と言っても、中国のどの辺りにあるのか、分からない。Netで調べると、中国の南西部、森林の多い1000mの高原都市だという。
161228kiyou_2 でもいわゆる世界的に有名な観光地は無さそう・・・。それに残念なことに?今回は、あまり“事件”が無かった・・・。(やはり他人の不幸は蜜の味!?)
唯一、飛行機に乗り遅れそうになった!?? まあこれも良くあること。

振り返ってみると、我が家も中国のあちこちに行って、海外旅行は卒業した。最後が、2009年4月の西安(ここ)だった。当時は、カミさんが中国語に凝っており、来年もまた中国のどこかに行くぞ!と思っていたので、中国元も使い切らなかった分は持ち帰った。その額がまだ600元以上あり、処分に困って金庫に入れたままになっている。
ベトナムやタイなど、もう二度と行かない国は、飛行場で、コーヒーなどを飲んで、最後の小銭まで使い切って国を出たもの・・・。

161228narita そう言えば、先日テレビで、成田空港の「ガチャ」が流行っていると聞いた。「あまった小銭をオモチャに!」を合い言葉に、1回200円の「ガチャ」がずらりと並んでいるそうだ(ここ)。そして自国に帰る訪日外国人が、日本のフィギュアを目指して「ガチャ」・・・
自分はやったことが無いが、日本のオモチャは芸が細かいので、外国人には評判がよいとか・・・。

まあ我が家は、海外旅行の熱も冷めてしまったので、さっきの中国元も、孫が中国に行くまで取っておいても仕方がないので、そのうち換金しよう。

さて、海外旅行熱が冷めていないKさん。来年(2017年)は、4月にモスクワ、サンクトぺテルブルグ、7月にリスボン、9月又は10月にワシントンDC、ボストンを計画中とか・・。

色々な事件を楽しみに?次のレポートを待つとしよう。

161228hijyou <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月26日 (月)

アレクサンドロフ・アンサンブルの死を悼む~「ポーリュシカ・ポーレ」

ロシア民謡で馴染みの「アレクサンドロフ・アンサンブル」のほぼ全員が飛行機事故で亡くなったという。

92人搭乗のロシア軍機が黒海に墜落、乗っていた「赤軍合唱団」とは?
ロシア南部ソチからシリアに向かっていたロシア軍所属のTu-154(ツポレフ154)型旅客機が、離陸から20分後の12月25日午前5時40分(日本時間同11時40分)に消息を絶った。ロシアの通信社スプートニクなどは、同機が黒海に墜落したと伝えた。
161226jiko スプートニクは、ロシア国防省・コナシェンコフ報道官からの情報として「事故機には、乗客84名と乗員8名が搭乗していた」と伝えた。
ロシアの国有通信社RIAノーボスチによると、搭乗客の多くはロシア軍所属の演奏集団「アレクサンドロフ・アンサンブル」のメンバーで、複数のジャーナリストも同乗していたという。新年を祝うコンサートのため、ロシアがシリア空爆の拠点とするシリア西部ラタキアの空軍基地に向かっていた。
ロシア国営タス通信によると、ソチ沿岸から1.5キロの黒海の沖合で飛行機の残骸らしきものが見つかったという。RIAノーボスチによると、ソチ沿岸から6キロの地点で1人の遺体を発見したという。現在、当局はヘリコプターや艦船で救助活動を実施している。

通称「赤軍合唱団」とも…「アレクサンドロフ・アンサンブル」とは
161226alexander アレクサンドロフ・アンサンブルは、ロシア軍所属の楽団。旧ソ連時代の1928年、アレクサンドル・アレクサンドロフ少将が結成した演奏集団が原型。「カチューシャ」「カリンカ」などのロシア民謡を始め、軍歌や革命歌、オペラなどレパートリーは多岐にわたる。国内外で公演実績があり、世界的な知名度も高い。
「赤軍合唱団」の一つとして知られ、日本には冷戦時代の1976年5月に初来日。東京・大阪・静岡などで公演を開いた。当時の朝日新聞は「軍服姿の男声合唱とバラライカなど民族楽器の演奏、それにスピーディな踊りをみせる異色の演奏集団」と紹介した。」(
2016/12/25付「The Huffington Post」ここより)

「「ロシアの誇り」軍合唱団のほぼ全員が航空機事故死
12月25日、ソチ沖で起きた航空機事故で、ロシア軍合唱団のメンバーほぼ全員が死亡した。航空機には合唱団のソリスト3人を除くメンバー65人が搭乗していた。
「スプートニク」が、ロシア軍合唱団の歴史を振り返る。 ロシア軍合唱団は約90年の歴史の中で、ソ連およびロシアの最も輝かしいシンボルの一つとなった。 合唱団の初舞台は、1928年10月に「赤軍中央会館」で行われた。当時合唱団の名称は、「M.V.フルンゼ記念赤軍中央会館赤軍の歌アンサンブル」だった。
アンサンブルの創始者は、モスクワ音楽院の教授で指揮者、そして作曲家のアレクサンドル・ヴァシリエヴィチ・アレクサンドロフ氏。当時アンサンブルのメンバーは、歌い手8人、踊り手2人、バヤン奏者1人、語り手1人だけだった。だがメンバーは次第に増え、1935年には135人、1937年には274人となった。
1941年夏、アンサンブルはベラルーシ駅から前線へ向かった。その時にはロシアで有名な歌「聖なる戦い」が響き渡った。
1943年、アレクサンドロフ氏は、ソ連国家を作曲した。この曲は後にロシア連邦の国家にもなった。
1946年にアレクサンドロフ氏が死去した後、同氏の息子のボリス・アレクサンドロフ氏がアンサンブルの指導者となった。そしてボリス・アレクサンドロフ氏がアンサンブルの団長職を退いた後、8人の指導者がアンサンブルを率いた。最後の指導者は2016年5月にアンサンブルに加わったヴァレーリー・ハリロフ氏。だが同氏は12月25日、航空機事故で帰らぬ人となった。
アンサンブルは定期的にロシア軍の軍管区や部隊を訪れてコンサートを開き、戦地にもよく赴いた。また日本を含む70カ国以上でコンサートを開いた。
モスクワ市文化局のアレクサンドル・キボフスキー局長は、アンサンブルを失ったことを深く嘆き悲しみ、「この悲劇の穴をどうやって埋めたらいいのかを考えるとぞっとする」とし、「まだ損失の規模を把握するのは難しい。アンサンブルはただの団体ではなく、私たちの誇りだった。西側のコメンテータたちはアンサンブルをだてに『クレムリンの歌う武器』と呼んでいたわけではなかった」と述べた。」(
2016/12/26付「Sputnik」ここより)

いわゆる「チーム」が移動する時には、メンバーは半分ずつ、別の飛行機に乗ると、前に聞いたことがあった。それは何かあった時に、「チーム」を維持するため・・・。
それは野球などのスポーツや、音楽の楽団も同じ。
しかし、今回の事故で「アレクサンドロフ・アンサンブル」という音楽チームは壊滅してしまった。

この楽団の名称は色々あって分かりづらい。
wikiによると「「赤軍合唱団 (Red Army Choir)」の呼称はあくまで旧赤軍・旧ソビエト連邦軍・現ロシア連邦軍・ロシア内務省国内軍といった、ロシアの軍隊・準軍事組織等に属する合唱団の総称・通称である。」
「アレクサンドロフ・アンサンブルは激動の戦前、大祖国戦争(独ソ戦)を通し、戦後のソ連軍、現在のロシア連邦軍時代と伝統を受け継ぎ存続し、同国において数多く存在するアンサンブルの中でも最古参として、また随一のステータスや力量を持つ「赤軍合唱団」の代名詞的存在である。」

追悼の意味も含めて、「ポーリュシカ・ポーレ」を聞いてみよう。

<アレクサンドロフ・アンサンブルの「ポーリュシカ・ポーレ」>

何事も、いつ何があるか分からない。
よって、「何かある」前提ですべては考えておかねば・・・
これは何にでも通じる。
このことを善く善く肝に銘じなければ、と思った。
それにしても、悼まし事故である。

(関連記事)
ロシア民謡「カリンカ」と三好鉄生の「すごい男の唄」 

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2016年12月24日 (土)

ヴァヴィロフ作曲・演奏による「カッチーニの“アヴェ・マリア”」

今夜はクリスマス・イヴだという。でもそんなこと、まったく関係無いオジサンは、こんな歌を聞いている・・・。

先日のNHKの「らららクラシック」 “アヴェ・マリア誕生秘話”(2016/12/17放送)で、カッチーニの“アヴェ・マリア”の作曲者について、こんな話があった。
「今回、スタッフが一枚のレコードを入手しました。カッチーニの“アヴェ・マリア”が録音され161224ave1 て、最初に世に出たと考えられるレコードで、1970年頃にロシアで発売されたもの(1972年の録音らしい)。レコードのタイトルは「16-17世紀のリュート音楽」。その3曲目にアヴェ・マリアがある。作曲者は16世紀の作曲家、名前は不詳とある。」
161224ave2 「この演奏で、リュートを弾いているのは、レコードを発表したヴァヴィロフという人物。ウラディーミル・ヴァヴィロフという人は、ロシアのリュート及びギター奏者で、音楽院で作曲も学んでいた。自分の作品を他人の名前で発表することがあった。」
「いったい誰がカッチーニの“アヴェ・マリア”にしたのか? 今回、ロシアの新聞でヴァヴィロフの特集をしていた記事など、幾つか情報を総合すると、ヴァヴィロフが、『これはカッチーニの作品だよ』と自ら語っていたという共演者の証言も出て来た。でもヴァヴィロフは、ほどなく亡くなっているので真相は闇の中だが、彼がカッチーニのアヴェ・マリアだと言っているので、ヴァヴィロフ自身が名付けた可能性が最有力。」
「この歌のコードは、単調と長調が混在して出てくるが、このようなコードは16世紀のスタイルにはほとんど無い。このコードは20世紀以降の音楽によく使われている。ポップスにもよく出てくる。例えば山口百恵の「秋桜」も同じコード。宇多田ヒカルの「can you keep a secret」も同じ。私たちが聞き慣れた鉄板のヒットソングのコードによく使われているコードが、このカッチーニの“アヴェ・マリア”に出てくる。そう考えていくと、20世紀のヴァヴィロフの作品だという説がかなり濃厚になってくる。」

ここで紹介されていた作曲者ウラディーミル・ヴァヴィロフの演奏による「カッチーニの“アヴェ・マリア”」を聞いてみよう。

<ヴァヴィロフの「カッチーニの“アヴェ・マリア”」>

実はこのカッチーニの“アヴェ・マリア”は、自分が大好きなので、2007/11/28にレスリー・ギャレットの歌を取り上げたのを皮切りに(ここ)、下記の関連サイトのように5種類の音源を取り上げている。
そのカッチーニの“アヴェ・マリア”の作曲者が、何と20世紀のソ連のウラディーミル・ヴァヴィロフ(1925/5/5-1973/11/3)という人だという。つまり、ヴァヴィロフ作曲の「カッチーニの“アヴェ・マリア”」なのだという。
確かにこの歌の登場が1970年以降、というのもヘンだ。16世紀のカッチーニの楽譜が発見された、という事実も無かったらしい。

wikiにはもっと明確に書いてある。
「"カッチーニのアヴェ・マリア"
実際には1970年頃ソ連の音楽家ウラディーミル・ヴァヴィロフ(Vladimir Vavilov 1925-73)によって作曲された歌曲である。
録音も楽譜も90年代前半まで知られていなかった。出典が明らかにされず、現在入手出来る出版譜は全て編曲されたもので、歌詞がただ"Ave Maria"を繰り返すだけという内容もバロックの様式とは相容れない。
ヴァヴィロフは自作を古典作曲家の名前を借りて発表する事がよくあったが、自身が共演しているIrene Bogachyovaの1972年の録音では「作曲者不詳」の『アヴェ・マリア』として発表していた。ヴァヴィロフの没後十年を経てCD録音されたMaria Bieshu(1996)やイネッサ・ガランテのデビュー盤(1994)では作曲者が"D. Caccini"と表記され、ジュリオ・カッチーニの作として広まった。
初期の録音にはBieshuとガランテのほか、スラヴァ(1995)、Lina Mkrtchyan(1990)とソ連のアーティストによる演奏が並ぶ。20世紀末レスリー・ギャレットやスラヴァのCDで一気に知名度が高まり、多くの歌手が録音し映画にも使われた。
以上のような事実はCDや楽譜の楽曲解説では言及が無く、現在一般にはカッチーニ作品と誤認されている。」

なるほど・・・・。
でも、「モーツアルトの子守唄」のように、“ソ連の”ヴァヴィロフ作曲の“アヴェ・マリア”と言うのは、どうも色気がない。
ここはやはり、バロック時代の作曲による“アヴェ・マリア”と言われた方が、有り難さが増す。
でも事実は事実。先に書いた記事も訂正しておこう。
何も無いイヴではある・・・。

(関連記事)
X'mas飾りとカッチーニの「アヴェ・マリア」 
カッチーニの「アヴェ・マリア」色々 
幸田浩子の「アヴェ・マリア(カッチー二)」とアルビノーニの「アダージョ」 

161224santa_2 <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月23日 (金)

「年賀状」もそろそろ卒業?

今年もそろそろ年賀状の季節。郵便ポストも年賀状専用のクチも出来た。
それで、今年から、年賀状を少し絞ろうかと思っている。これには幾つか伏線がある。
このことについて、前に2つ、記事を書いた。2012年1月の「親戚付き合いに思う~ある寒中見舞いから」(ここ)、及び2014年1月の「賀状卒業」宣言~叔父の寒中見舞い」(ここ)だ。
この叔父は、先日亡くなった(ここ)。

実は、昨年の年賀状で、1つ年上の元会社の人から、こんな賀状を頂いた。曰く・・・
「私も古希を迎え、先人方に習い誠に勝手ながら、年頭のご挨拶を本年をもちましてご遠慮させていただきたく存じます。よろしくお願い申し上げます。」
この文面には少なからずショックを受けたが(まだ若いので)、時間と共に、妙案だと気が付いた。それで、今年は自分もマネしてみようかと・・・・

そもそも年賀状は、「まだ生きているよ」コール。しかし、何と惰性で行っていることが多いことか・・・。学生時代からのやりとりもまだあるが、会社時代のやりとりをズルズルと続けている事が多い。そして、それがあまり意味のないことが多いのだ。
つまり「生きてるよ」コールさえも、あまり意味が無い・・・・

学生時代の数人は、卒業以来、50年近く一度も会っていない。でも印刷した文面でやりとりをしている。会社関係の数人も、単に立場で年賀状を出していたが、今後も会うことがない関係が分かっていながら、惰性で止まらない・・・

それで、「生きてるよ」コールさえも要らない数人に、「今年で止め」を追記しようかと思っている。
それで、Netでググってみると、その文例も載っている。
「私も高齢となり、先輩方(先人がた)に習い誠に勝手ながら、年頭のご挨拶を本年をもちましてご遠慮させていただきたく存じます。
よろしくお願い申し上げます。」
「毎年頂いておりました年始のご挨拶ですが、寄る年波を感じるに至り、誠に勝手ながら本年を持って年始(年頭)のご挨拶を控えさせていただきたく存じます。
どうか悪しからず御了承いただけますようお願い申し上げます。」
・・・・

何のことはない、1年前にもらった文面は、これと同じだった。
しかし、止める挨拶文はなかなか難しいらしい。
サイトによっては「相手に不快な思いをさせないで辞めるということは難しい」ので「年賀状にお断りの文面を入れることは避けましょう。」というのもある。
そもそも「年賀状を辞めるのにわざわざお断りの挨拶を入れる必要はありません。」というのだが、止める時は、どのように止めるかだ。
年賀状を貰っても、こっちから出さなければ、2~3年で来なくなって止まる。この方法と、年賀状に「今年限り」と入れてしまうか?

結論として、今年は10人ほどに「今年限り」の挨拶文を入れようと思っている。貰っても出さない、というよりも、「来年から出さないので、そっちも出さないでね」の方が良い気がして・・・

メールで賀状をくれる人もいる。これも、メールで返せば良いのだろうが、今のところ年賀状を出している。これにも挨拶文を入れよう。

今日の新聞に、ハガキの郵便料金の値上げの話が載っていた。
はがき52円→62円 3年ぶり値上げ、来年6月から
 日本郵便は22日、2017年6月1日から、はがきの郵便料金を10円値上げして、62円にすると発表した。値上げは、14年に消費税が5%から8%に増税されたのを受け、50円を52円にして以来、3年ぶり。消費増税時を除くと、1994年に41円を50円にして以来23年ぶりの値上げだ。
 定型の封書は据え置き、定形外郵便物は最大150円値上げ。年賀はがきは、12月15日~翌1月7日に投函(とうかん)されるものは52円で据え置く。19年10月に消費税率が10%に引き上げられれば、改めて全体的に値上げする方針。今回据え置かれた年賀はがきの料金などは今後上がる可能性がある。
 値上げは人手不足による人件費の上昇が主な理由。15年度の郵便事業は全体では黒字だが、はがきは294億円の赤字。値上げで約300億円の増益を見込む。値上げしなければ、17年度に全体が赤字に陥る見通しだった。(上栗崇)
 ■郵便料金はこう変わる
 はがき          52円→62円
 往復はがき       104円→124円
 定形外(1~2kg)   870円→1020円
 ゆうメール(同)     460円→560円
 定型郵便(25g以内) 82円で据え置き
 (2017年6月から。年賀はがきは12月15日~翌年1月7日に差し出した分は52円で据え置き。19年10月の消費税増税に合わせてさらに料金値上げの方針。今回据え置き分も値上がりの可能性がある)」(
2016/12/23付「朝日新聞」p34より)

年賀状の郵便料金も、我々年金生活者にとってみると、バカにならない。束になって配達されるのに、通常の郵便物と同じなのが解せない。
年賀状も、仕組みがハガキなので、区別を付けるのが難しいからなのだろう、と思っていた。しかし上の記事を読むと、来年の値上げでは、「12月15日~翌年1月7日に差し出した分」として年賀状を区別するそうだ。だったら、手間がかからない分だけ、むしろ安くするべきでは?

ともあれ、生活規模をダウングレードしていかないと、収入に追い付かない。
今日も、カミさんのリクエストで、2014年末時点での貯蓄と、2015年末時点での、貯蓄を計算した。「全財産÷年間減額分=今後の生活可能年」となるワケだが、今日の計算では、161223meiあと20数年は我が家も破産しないで済みそう・・・。
でも賀状も含めて、規模縮小を図らねば・・・・
何ともミミッちい年の瀬である。

あまり関係無いが、今日で我が家の愛犬メイ子も14歳になった。ハート型の犬用のケーキを買い、「Happy Birthday to you」を歌った。
人間なら72歳に相当・・・。
人の14歳といえば、中学生か・・・。心臓に爆弾を抱え、下痢をしながらも頑張っている。
161223mei1 「いつまで元気でいるんだ?」と聞いても答えない。獣医さんから貰う心臓や下痢止めも、保険が効かないのでバカにならない・・・。
皆、歳を取ってきた我が家なのである。

161223cake <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月21日 (水)

ダーク・ダックスの「夕立」

先日、FM放送のサトウハチロー作品集を聞いていて、気になる歌を見付けた。ダーク・ダックスの「夕立」という歌だが、聞けば聞くほど味がある歌なので紹介したい。

<ダーク・ダックスの「夕立」>

「夕立」
  作詞:サトウハチロー
  作曲:小室 等

夕立に 雨戸をしめてる
仇姿(あですがた) 仇姿
ひとりかね 気になるね
ひとりかね 気になるね

どしゃぶりに ぐっしょにぬれてる
つりしのぶ つりしのぶ
ひとりかね 気になるね
ひとりかね 気になるね

夕立が からりとやんでも
そのままだ そのままだ
ひとりかね 気になるね
ひとりかね 気になるね

夕焼けが 出たのに雨戸を
あけないよ あけないよ
ひとりかね 気になるね
ひとりかね 気になるね

この歌の情報は、Net上にほとんど無い。唯一(ここ)のサイトにCDと歌詞の情報があるだけ・・・
そのサイトには「男女の愛憎を怨みつらみで歌うことをしなかった、サトウの詩世界・・・」との文字・・・。
そんな世界が歌われているのだろうか・・・

とにかく言葉が少ない。
まず「仇姿(あですがた)」という言葉だが、広辞苑にも無く、Netにもこんな言葉は無い。
仇(かたき)の姿とは・・・?
我が家の“文学部卒”に聞いてみても、「そんなの知らん」でオシマイ。

161221turisinobu そして「つりしのぶ」だが、これは「つりしのぶとは、竹などの芯材に山苔を巻きつけ、しのぶ草を束ねて形を作ったもので、夏の暑さをねぎらうために家の軒先に吊るして楽しむものです。」ここ)という物らしい。
まあここは分かるな・・・

でも詩的センスの無い自分は、この詩に描かれている場面(シチュエーション)がなかなか目に浮かばない・・・
まあ雰囲気は分かるが・・・。それで良いのかも・・・!?
(皆さまは、どんな光景が目に浮かびますか??)

そして、作詞がサトウハチローなのだが、作曲が何と小室等なのだ。ひげ面の二人のオジさんが作った「夕立」という歌の世界。それはあまりに優しく、哀しい世界だ。

ダーク・ダックスの素晴らしいハーモニーと、蝉の鳴き声などの凝った録音・・・。
聞けば聞くほど、味が出て心に沁みてくる歌ではある。

161221omaeda <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月20日 (火)

BSグリーンチャンネル「The Maiking」の「・・・ができるまで」が面白い

実は、自分は「・・・ができるまで」というテレビ番組が大好き。つまり、舞台裏がどうなっているのか、興味津々なのである。
裏舞台を覗く番組では、NHKの「探検バクモン」や、民放でもたまに特集番組があるが、製造工場の裏舞台や、製品の作られる過程など、「なるほどこうやって作られるのか・・・」と感心する番組が好き。

先日、何とは無しにBSのチャンネルをリモコンのボタンで上げていったら、「高野豆腐ができるまで」という番組を放送していて、この番組に一気に惚れ込んだ。
調べてみると「BSグリーンチャンネル」(BS234)というチャンネルで、「グリーンサイエンスアワー The Maiking」(14:30~15:00 ここ)という番組だった。
このチャンネルは、競馬の専門チャンネルらしく有料だという。でもこの番組は、無料で見られる。
早速レコーダーで予約をしたのだが、週毎に放送しているらしく、月曜日~水曜日 14:30 ~ 15:00は同じ番組。それでも、この2週は見た。今週は「明太子ができるまで」と「飴・キャンディーができるまで」だった。

161220making1 161220making2 161220making3

いつから始まった番組か知らないが、毎週2本立の30分では、もったいない。今まで放送した番組の再放送をしてくれると良いのに・・・、と思っていたら、何と「年末一挙放送」をするという。

<グリーンサイエンスアワー「The Maiking」一挙放送」ここ
   2016年12月26日(月) 08:00~14:30
#309 フリーズドライ味噌汁ができるまで 
#307 ラムネ菓子ができるまで 
#306 コンビーフの缶詰ができるまで 
#303 カンパンができるまで 
#301 イワシの缶詰ができるまで 
#298 冷凍春巻ができるまで 
#297 インスタントラーメンができるまで 
#291 釜めし弁当の器ができるまで 
#290 氷砂糖ができるまで 
#289 チョコレートができるまで 
#286 楊枝ができるまで 
#285 玉子料理ができるまで 
#284 焼売ができるまで 
#283 肉まんができるまで 
#282 春雨・葛きりができるまで 
#280 おでん種ができるまで 
#279 冷凍そうざい『肉だんご・エビチリ』ができるまで 
#277 金太郎あめができるまで 
#276 あられ・おかきができるまで ほか 
#274 おぼろ昆布ととろろ昆布ができるまで 
#273 チーズができるまで 
#270 高野豆腐ができるまで 
#269 抹茶と茶せんができるまで 
#268 明太子ができるまで 
#267 飴・キャンディーができるまで

もちろん早速予約した。
BSが受信できるテレビであれば、番組表やリモコンの↑ボタンを何度か押して「グリーンチャンネル(234ch)」に合わせると見ることが出来る。
こんな番組に興味を持つのは、自分くらいしか居ないだろうが、番組紹介では、「科学技術振興機構がサイエンスチャンネルで放送している、子供から大人まで科学を楽しめる、科学技術専門番組。身近な題材から最先端科学技術を紹介します。」とあるので、結構マジメな作り。
ナレーター無しの番組だが、良かったらチャンネルを合わせてみて下さ~い。
(今まで放送された番組を全部見たいな~。毎日、順番に最初から再放送してくれると嬉しいのだが・・・)

161220famires <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月18日 (日)

ペットと一緒に宿泊~旅館の「無料サービスのお食事」とは・・・

義母の三回忌に行ってきた(2016/12/16~17)。今日は、“宿泊費に格安はない”という話。
義母の命日は2月5日だが、雪が降るといやだとカミさんが言うので、少し早めの三回忌。
往復420キロのドライブだが、この頃は体力の関係で一泊することにしている。
今回は、愛犬メイ子を連れて行くことにして、「じゃらん」でペットと一緒に泊まれるホテル・旅館を検索。すると、1件だけペットと一緒に泊まれるところが見付かった。しかも一泊8千円弱と格安・・・。
ここで興味を引いたのが「朝夕2食無料付」という謳い文句。「お料理は無料でのサービスになっておりますのでお任せになります」なので、何が出て来ても文句は言えない。さて、では何が出てくるのか・・・。無料というので、前日の余った食材で何か作るのでは?と言いながら、ドキドキしながら!?出発。

行ってみると、ホテルと言っても旅館だった。部屋は10畳。食事は個室なので、ペット同伴OKという。部屋は、さすがにあちこちにシミがある。この部屋はペット同伴専用なのだろうから仕方がない。布団にもシミ・・。まあ仕方がない。
食事の前に風呂に行った。カミさんが女風呂はぬるかった、というので、心配して行ったら、案の定、男湯もぬるかった。シャワーのお湯もぬるい。よって、とうとう浴衣は着る気になれず・・・・

161218ryokan1 食事の用意が出来たというので、ペットと一緒に行く。ペットを堂々と連れて行けるのは有り難い。そして狭い個室に行くと、料理が・・・・。メイン料理は「タコしゃぶ」。初めて・・・。でも紙の鍋に入れると、クルクルとなって単なる茹でたタコに・・・
エビのバター焼きが3尾。刺身はイカと甘エビ2尾。ビールを頼んだのだが、あまり食べるものがなかったので、つい一人で一本空けてしまった。
なるほど・・・。これが無料サービスの夕食か・・・
部屋に帰って、二人でせんべいをボリボリ・・・。おかげで食べ過ぎにならずに済んだ。

格安だけあって、布団も自分で敷く。駐車料金もタオル・浴衣・歯ブラシも有料。まあそんなものか・・・
愛犬メイ子だけは満足そう。畳の部屋なので、飼い主のカミさん布団の上で、ぐっすりとお休み。

161218ryokan2 翌朝、朝食に行くと、これもまあこんなもの・・・。焼き魚は焼きたて。その他は無料サービスなので、コメントも出来ず・・・
帰りは、布団をちゃんと押入に入れて帰った。

泊まった布団の中で、「じゃらん」でこの旅館のクチコミを覗いてみた。すると「全国TV話題の宿」と謳っているだけあって?評価が高い。そして5から1まで評価がバラバラ。
3000円の素泊まりの夫婦が、布団を敷くと何も置けないほど狭い部屋と言うかと思うと、17000円のお客が1の評価をしている例も・・・。しかし評価5のコメントも多い・・・
試しに、表示されているこの1年間のコメントを数えてみたら、評価5の人が47人、評価4の人が16人、評価3の人が19人、評価2の人が11人、評価1の人が6人。平均3.9。
ついでに、楽天トラベルのコメントも読んでみた。すると5点が29件、4点が40件、3点が24件、2点が22件、1点が16件で平均3.5点。

読んでみると、同じ項目(部屋・料理・風呂・・・)について、人によって評価がバラバラな事が分かった。そして何よりも、宿泊プランが素泊まりの3千円から2万円までズラリ・・・。部屋もピンからキリまで色々あるらしい。しかし、値段が高いからと言って評価が良い訳でもない。
風呂も「ぬるい」評価から「熱くて入れない」評価まで。とにかく何もかもがバラバラ。

でも料理だけは、出てくる物は値段見合いなのだろう。我々は「無料サービス」なので仕方がないが、高い料金の部屋はそれなりのはず・・。しかし、我々は結果として、心が寂しくなった。料理をもっと豪華に追加する方法もあったようだが、そのお金は、別のレストランで使った方が良いようだ。

自分は、ほとんどNetで旅館を予約しないので、今回は事後だが色々とコメントを研究してしまった。すると、評価の低い人のコメントは自分たちの感想と同じだった。しかし評価の高い人のコメントは、どれも「本当かな?」と思われる感想。まあ目撃しているワケではないので、同じこと(風呂やサービス、料理など)も、コースと日にちでこれだけばらつくのかな・・と感心して(疑問に思って)しまった。
ふと、面白いことに気付いた。評価の高い人のコメントは、最後が「この度はありがとうございました。」または「ぜひまた利用したいです。」なのであ~る。

161218lunch1 次の日、法事が終わった後に、海の見える「シーバーズカフェ」でランチを食べたが、その900円のランチの美味しかったこと・・・。土曜日のせいか、待っている人がたくさんいて30分ほど待ったが、前の旅館での食事が残念だっただけに、その反動か、飲み放題のスープやコーヒーも堪能した。
161218lunch ついでに、この店を「食べログ」で覗いたら、平均評価が3.5と、先の旅館よりも低いにもかかわらず、一人ひとりの評価が集中している。5点満点もいない代わりに、2点台も一人だけ。ほとんどが3点台の後半から4点に集まっている。
これらのクチコミ評価を見て、「ばらついていない評価は信用出来る」「ばらついている評価は(信用せず)、悪い評価だけを読むべし」と悟った!?
そして、少なくても「じゃらん」の評価は、低い評価しか読む価値は無いと思った。

帰り道の高速度往路。日没後の空の美しいこと・・・。青い空から、夕日に赤い地平線までのグラデーション。高速の陸橋を走ると、灯りの点いたビルの黒いシルエットにグラデーションの空。遠くに富士の黒いシルエット・・・
いつもの新宿が渋滞で、4時間のドライブになってしまったが、事故もなく帰れたので良しとしよう。
今回は、ペット同伴だったので選びようがなかったが、これから旅館などを選ぶ時は、悪いコメントだけを読むことにしよう。もちろん「テレビ放映」などの言葉に踊らされず・・・
とにかく、旅館の良し悪しは、旅行そのものを不幸にしてしまう。

161218museru <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月15日 (木)

名座談会「天皇陛下大ひに笑ふ」~サトウハチロー

先日、NHK第二の「カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「サトウハチロー」(2)」(2016/11/28放送ここ)を聞いた。
その中で、面白い話があったので、記しておく。

<NHKラジオアーカイブス「サトウハチロー」~「天皇陛下大ひに笑ふ」>

Netでググっていたら、この話の一部分が活字になっていたので、少し引用してみる。

「ところで辰野隆だが、前回、その会話内容をちょっとだけ紹介したように、コード、スレスレのお色気噺の名人。ま、仏文学界の三遊亭艶笑師匠、といったご仁。この粋人(仏文)学者は、この前年九月には、フランス革命について天皇にご披講している。
 辰野の脇を固めるのは、名うての不良、「くらがり二十年」の徳川夢聲とエンコ(浅草公園)のサトウ・ハチロー。
 不穏なメンバーです。この3人が昭和24年(敗戦から4年)の春、皇居に呼ばれて天皇の前で座談会をご披露するというわけ。座談の人選は辰野隆にゆだねられたはず。
 で、事のてんまつだが、この座談会の話を小耳にはさんだ文藝春秋の池島信平が、「それいただき!」ということで、すぐさま当日と同じメンバーで鼎談が催される。(掲載は同年6月号)。このとき、池島信平とともに「週刊朝日」の扇谷正造も同席していたのだが、扇谷は「今さら天皇陛下でもあるまい」と反応しなかった。文藝春秋はこの座談会以降、部数を大幅に伸ばしたという。この勝負では池島信平さんの勝ち。
 手元に「復録版昭和大雑誌」(全3冊)がある。そのうちの「戦後篇」に、この座談が収録されている。本当は全文紹介したいところですが、そうもいかず一部だけ引用します。

徳川 それでね、まず辰野先生の挨拶から始まつたわけですナ。
辰野 こつちは御案内役ですからね。両大人を御紹介しなければならないんだ。どうも仕様がない。「今日は図らずも昔の不良少年が、一人ならず三人まで罷り出でまして洵に畏れ多いことでございます」と申上げたら、陛下が「あツ、さう。アツハアハア……」とお笑ひになつた。
(笑声)
徳川 あの開幕がよかつたですよ。
(中略)
──そこでですナ、話の順序はね、今の辰野先生の御紹介から始まつたんですよ。それでサトウさんが中学を八校も変つたの説明になつたんです。すなわちユニホームの話ですナ。ちよつ と復習してください。
サトウ あたしがね、或る年の春の野球大会へ立教中学のユニホームを着て出たんです。その年の春の終りの大会の時は高輪中学のユニホームを着て出たわけです。その次に夏の大会のときは藤沢中学のユニホームを着て出たんです。さうしたらアムパイヤをやつてた佐々という慶応の人が「お前、さうユニホームを変へて来るなよ」(笑声)
徳川 これは陛下がお笑ひになつたです。しばらくは陛下のお笑ひが停らなかつた。ほかの話に入つちやつたのに、まだしばらく笑つておられたんですナ。なるほど、面白いですねぇ。この鼎談。こんな話も出る。
辰野 (中略)──初めはサトウさん、謹直でしたよ。ところが、何となく春風駘蕩たる気もちになつてね、サトウさんは気がつかないけどね、「ねえ陛下……」と言つたナ。(笑声)二度くらゐ言ひましたよ。
サトウ それは知らなかつたね。
辰野 「ねえ」をつけないと、あとの言葉が円滑に出て来ないやうな気分でしたね、実際。いきなり陛下、と申上げるのが却て呼びすてにするやうで、失礼ではないか、といふ心持ちだつたのでせうね、自然に云はうとすると、つい、ねえが付くんでせうね。
徳川 僕は二度ぐらゐ、あツ、これは言葉遣ひがいかん、と思つたことがありますよ。
辰野 いや、しよつちゆうですよ。(笑声)
記者 陛下は放送の時なんか、非常に丁寧な言葉をお使ひになつてますね。その時はいかがでした。
サトウ 別にそんなことはなかつたです。
徳川 チヤンと陛下にふさはしい言葉の使ひ方をしてをられたナ。うん。例へば「あの……映画のほうは忙がしいの」なんて訊かれたりしてね。
ははん、昭和天皇は前から「~のほうは」と言われていたんですね。「あの…ケガのほうはもうよくなりましたか」とか。
そして最後は「お土産」の話。
辰野 おしるこが出て、呑み助三人にはいい気味だと思つてたら、お土産が桜正宗と御紋章入りの煙草、その時に出たお菓子と。
サトウ 僕はあのお酒を戴いたために、家の子郎党を集めましてね、あれを一盃づつといふことになつたんですよ。ところが、集つたのが十八人でせう。たうとう八升追加しちやいましたよ。
徳川 それは大変だ。高いものについちやつたナ。然し嬉しい失費さね。わたしはね、岩田豊雄氏に持つていつちやつた。
サトウ あの人は酒にうるさいからね、喜んだでせう。
徳川 喜びましたよ。二合五勺ほど飲んだらいい御機嫌になつちやつた。わたしは目下飲みませんからね。帰らうとしたら、いいよ、もう少しゐろよ……。仕方がないから話し相手になつてましたがね、二合五勺で御機嫌になつて、もう帰れ、いいよ……。ずいぶん勝手な奴だ。(笑声)
辰野 わたしは家へ帰つてみたら、戴いたお菓子が粉ごなでしたよ。あれから何処かへ寄つて飲んだんですナ。夜晩く帰つて、みんなを起こしてね、お酒はお前達は飲まないから、俺と親友とで飲む。煙草は俺が戴く。長男は少しのむから少しやらう。お菓子は女達にやる。出したら粉ごなでね。女類どもはそいつを指で摘んで食べちや喜んでたよ。・・・」(「
粋人粋筆探訪」ここより)

サトウハチローの父親は、作家の佐藤紅緑。wikiには「ハチローは小学生時代から不良少年で、中学を落第、退校、勘当、留置場入りを重ねる。」とある。
wikiによると、佐藤紅緑の息子は、皆、出来が悪かったようで、「長男ハチローをはじめとする4人の息子たちは、すべて道楽者の不良少年・不良青年となった。ハチローは詩人として成功したが、他の3人は、乱脈な生活を続けた生活無能力者で、破滅的な死に方をした。紅緑は生涯、彼らの借金の尻拭いをし続けた。」
そんな中、自分が崇拝する天皇に、何と自分の息子が「一緒にメシを食った」とは・・・

死の床で聞く、息子の晴れ姿?
紅緑は、自分の人生を振り返って、やっと納得したのではないか・・・。
それをあっけらかんに、言い放ってさっさと帰って行くハチロー。何とも清々しい。

父と息子・・・。自分と親父との間にも、長い間の葛藤(一切口をきかない)があった。でも、とある事件をキッカケに、普通に話すようになった。
そしてある時、サラリーマンとしての自分の昇進を、ことのほか喜んでくれた(ここ)。
その時に、お祝いに作って貰ったオーダーのワイシャツは、未だに捨てずにいる。

サトウハチローのこんな話を聞きながら、今更ながら、20年前に亡くなった親父との葛藤の日々を思い出してしまった。

161215sinniri <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月13日 (火)

「姻族関係終了届」~別名「絶縁届」「死後離婚」とは・・・

今朝(2016/12/13)のテレビ「羽鳥慎一モーニングショー」で、「姻族関係終了届」の話題があった。
先日の東京新聞に載っていたらしいので、ググってみると、こんな記事が見付かった。

義父母と「関係終了届」 配偶者死別後 提出増える
 配偶者との死別後、その親きょうだいとの関係を書類だけで解消する「姻族関係終了届」を出す人が増えている。義理の親の介護を担うことや同じ墓に入ることに抵抗感がある女161213inzoku0 性から、専門家への相談が目立つ。そもそも法的な扶養義務はなく形式的な意味合いが強いが、「絶縁」できる届け出は、昔ながらの家制度に心のどこかで縛られる女性たちの安心材料になっている。
 40代のライター椙原繭実(すぎはらまゆみ)さんは1年半前、軽い足取りで市役所を後にした。3年前に病死した夫の親族との姻族関係終了届を提出し、「ようやくあの家と絶縁できる」と晴れ晴れとした気持ちになった。
 ひと回り年上の夫と17年前に結婚し、子どもにも恵まれたが、二世帯同居の夫の両親と折り合いが悪かった。慢性疾患があった夫が急死すると、葬儀や相続を巡り意見が対立、最後は家を追われた。
161213inzoku1  見かねた友人から「気持ちの整理になるから」と渡されたのが、見慣れぬ姻族関係終了届。椙原さんは、書類を出す日を心の支えに相続の手続きなどを進めた。「戸籍上も赤の他人だと思ったら憎しみもなくなり、前向きになれた」
 配偶者が死亡しても、法律上、配偶者の親族との関係は消えない。解消したい時は、市161213inzoku2 区町村に届け出れば認められる。相手の了解は不要で通知も行かず、配偶者の遺産を相続することも可能だ。法務省の戸籍統計によると、姻族関係終了届の提出数は2005年度が1772件だったが、年々増加傾向で、15年度には2783件となった。
 家族・夫婦問題カウンセラーの高草木陽光(たかくさぎはるみ)さんの元には、今年に入り約30件の相談が寄せられた。これまでは年1~2件だった。相談者のほとんどが40~50代の女性だ。
 多くは義理の親と同居や近居で、全国から相談がある。「介護に巻き込まれたくない」「しゅうとめと折り合いが悪かったので縁を切りたい」という内容が多い。中には「夫と一緒の墓は嫌」と、夫が生きているうちから「死後離婚」を希望するケースもあるという。高草木さんは「親は『嫁に面倒を見てもらうのは当然』と思うが、嫁は『夫の死後は自分の人生を歩みたい』と葛藤している」と指摘する。
 民法730条には「同居の親族は互いに扶(たす)け合わなければならない」との条文があるが、扶養義務はない。大阪大の床谷文雄教授(家族法)は「法的義務があると思い込んだ人や親類との付き合いを断ちたい人が届けを出しているのではないか」と指摘している。

<配偶者と離別後の親族関係>
 結婚すると、配偶者の親や兄弟などと「姻族」になる。姻族になっても家庭裁判所が「特別な事情」と認めた場合を除いて扶養義務はない。配偶者と離婚した場合、姻族関係は自動的に解消されるが、死別の場合は継続される。関係を解消するには「姻族関係終了届」を市区町村に提出する必要があるが、期限はない。ただ、終了届を提出しても戸籍はそのままなので、旧姓に戻る場合は「復氏届」を提出しなければならない。」(
2016/12/10付「東京新聞」ここより)

番組での話をメモしてみると・・・(上の新聞記事とダブルが・・・)
・そもそも扶養義務がないのになぜ姻族関係終了?
→義理の両親と一緒のお墓に入りたくない。義理の両親の介護はしたくない。義理の両親と生活費などの金銭を求められたくない。
・この書類を出したからといって、亡くなった配偶者との関係は変わらないので、相続などは影響ない。
・戦後、家制度を止めようとした時に、慣習的に女性の立場は家制度に縛られる所もあるので、あえてこのようなシステムを作っておいた。女性が再婚したい時など。
・今まで知らなかったこの制度が、報道やドラマなどで周知されて、利用者が増えた。
・相手の同意は必要なく、期限もない。

申請者はほとんどが女性だというので、夫の両親の介護や面倒見が背景。つまり接着剤としての夫が亡くなった後の義理の両親との関係だ。

ふと、昔の映画の「東京物語」を思い出す。上京した両親を暖かく迎えたのは、実の娘ではなく、戦死した次男の嫁だった、という話。義理の両親は、早く次男のことを忘れて、再婚しろと諭すが・・・

今の世の中は、核家族化が進んでいるため、嫁姑の関係がどうの、という話はそれほど無いのかも知れないが、不和が表面化した場合は、こじれるのが世の習い。でも年寄り側の負け・・・
我が家などは、それぞれの両親が既に他界しているので、こんな書類の必要はないが、今度は自分たちが“加害者側”の心配をせねば・・・
しかし、不思議とその心配はしていない。つまり、感覚的に、我が家ではそんなシチュエーションが想定出来ない。
しかしこれからの老人は、わざわざヨメさんに「姻族関係終了届」を出して頂かなくても、つまりそんな面倒を掛けさせなくても、子供世代に、世話を掛けずに死ぬのが義務なのだろう。
それにはあらかじめの準備が必要。
先に亡くなった方は、残された側が始末することが出来る。問題は残された方が、自分をどう始末するか・・・だ。
連れ合いを亡くした後のひとり暮らしを前提に、認知症になった時の施設にはどう入るか・・・。その手続きや金銭は・・・。死人が自分で墓に入りに行くことは出来ないので、それだけは子供に頼むとしても、それ以外は、子供が知らないうちに、事が進むように用意しておかねば・・・
我が家でも、そろそろそれをシミュレーションして、準備に取りかかろうか・・・
こんな話を聞いて、我が家の「絶縁届」の不要なことにホットすると同時に、一世代後の自分たちの“始末の付け方”について、つい考えてしまった。

161213nekogirai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月11日 (日)

「八王子つばめ塾」~無料の学習塾

先日の朝日新聞の東京版に、こんな記事があった。
「(こどもの未来へ 学びやの挑戦)
NPO法人「八王子つばめ塾」 無料の学習塾、有志が支える/東京都
 NPO法人「八王子つばめ塾」(八王子市)は、経済的余裕のない家庭の子を支援する無料の学習塾だ。
 平日の夜。JR八王子駅近くの公共施設の一室で、16人の中学生が10人のボランティア講師と数学や英語の勉強をしていた。テキストの問題を解く子、学校の授業で分からなかったことを質問する子、都立高校入試の過去問題に挑戦する子……。それぞれの生徒を講師が個別に指導する。3月から通う市内の中2の女子生徒(14)は「普通の塾は授業料が高く、母がここを探してくれた。先生は分かるまで丁寧に教えてくれるので、テストの点数が上がった」。別の中2の女子生徒(14)は「分からないところを自由に質問できて、自分のペースで勉強できるのがいい」と話した。
 ■運営、すべて寄付
 市内5カ所の教室に、中学生を中心に小6から高3まで約80人が週2回ほど通う。母子世帯ときょうだいが3人以上の多子世帯がほとんど。年収100万円に満たない家庭から、塾代を払うのは厳しいという家庭まで経済事情は様々だ。入塾に所得制限はなく、面接で各家庭の事情などを考慮して決まる。
161211tsubame  約60人の講師はボランティアで、予備校講師や公務員、会社員、元教師、大学生などが務める。2012年の開塾以来、56人が高校受験し、約8割の生徒が第一志望校に合格。定時制や通信制高校も含め全員が進学を果たした。
 自治体が事業者に委託し、経済的に厳しい家庭の子に無償で勉強を教える「学習支援事業」が広がっているが、つばめ塾は公的な委託や助成は受けず、すべて寄付で賄う。小宮位之(たかゆき)理事長(38)は「対象生徒を限定せず、臨機応変に必要な支援をするには税金を使わない方がいい」と説明する。
 塾に通う交通費や模擬試験代、参考書代を捻出するのが難しい子には、塾独自の補助制度がある。おなかいっぱい食べられない子に米やスパゲティを配る支援も始めた。「寄付だからこそ、支援のアイデアを自由に実現できる。自治体の事情に左右されず、継続的に支援できる利点もある」と、小宮さんは話す。
 ■全国から視察も
 小宮さん自身も貧しい家庭に育った。都立高校の学費が払えなくなり、奨学金で通った。大学の学費は祖父母が出してくれたが、最初の1カ月間は教科書が買えなかった。「進学にはお金がかかると身にしみてわかった」という。親が子どもの勉強を見る余裕がなく、塾にも通えない子たちが、せめて同じスタートラインに立てるようにと塾を立ち上げ、仕事は非常勤やアルバイトに切り替えた。
 生徒数人で始めた塾は口コミなどで広まり、全国から視察もあるという。最近は無料塾立ち上げの支援も始めた。小宮さんは「お金を出せる人、勉強を教える人、場所を貸せる人など地域の人が協力する無料塾が全国にたくさんできるといい。そんな大人の背中を見て、将来、自分なりに人の役に立てる大人に育ってくれることを願っています」と話す。(斉藤純江)

 ■私の理想図 地域の寺子屋のように 小宮位之理事長
 公共施設などを教室に使い、ボランティアが講師を務めれば、無料塾の運営にそれほどお金はかかりません。小さくてもいいから、地域の大人たちが教える寺子屋のような無料塾が、各地に増えるといい。勉強を軸に地域で子どもを支援できるのが理想です。」(
2016/12/10付「朝日新聞」p24より)

前に「こども食堂」について何度か取り上げた(ここなど)。
貧困家庭の子どもたちに食事を、というベーシックな活動だが、“子どもの将来に平等なチャンスを”という視点からすると、上の記事の活動も重要だ。

高校への進学率を調べてみると、94%。そして通信制、定時制を入れると98%にもなるという。そのうち30%が私立高校。
お金に余裕がない家庭では、公立高校への進学が必須。そしてそのためには塾通いが必要となる。でもお金が・・・

裕福な家庭ほど、塾などにお金をかけることができ、良い高校、良い大学に進学していることは実績が示している。つまり、子ども達に平等なチャンスは与えられていない。家庭次第なのである。
そんな視点で考えると、このボランティア活動は素晴らしい。どれだけたくさんの子どもたちの人生に、好影響を与えているか・・・

前に同じような活動をテレビで見たことがある。講師は何とか子どもを高校に入れようと必死だが、肝心の子どもが何らかの理由で、塾に来なくなる。そうなると、講師も手が無くなる・・・・。そんな苦労のドキュメンタリーだった。
この記事を読むと、理事長が38歳とある。若い・・・。普通は、時間に余裕があるリタイア後の人が中心になるような気がするが、HP(ここ)を見ても、この塾は若い人が中心らしい。つまりは、老後の時間潰しの活動ではなく、本格的な活動のようだ。
しかも、自由に活動するため、寄付が主とのこと・・・

思い起こすと自分も、学生時代のバイトの家庭教師に始まり、サラリーマン時代にも講師は色々とやった。そう言えば、息子の中学受験では、つきっきりで教えたこともあった。その時は、方程式を使わない算数の応用問題が新鮮だったっけ・・・。

子どもたちも、高校受験に合格した成功体験を持つことと、失敗してヤケになり、中学卒で終わるのとでは、その後の人生に雲泥の差が出る。
そんな子どもの未来のために、金と時間とに余裕がある我々団塊世代のリタイア組が多く支援することも、また意味のある時間の使い方かも知れない。(もっとも、塾の講師の“資格試験?”に合格しての話だが・・・)
そのうち、自分も応募してみようかな・・・

161211benkyou <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月10日 (土)

我が家のメガネ騒動・・・

このところ、新聞やテレビのニュース番組を見ると、あまりのバッカみたい話で辟易している。
駆け付け警護や、カジノ法案の強行採決など、国民からの“信任”を背景に!?やりたい放題。あげくに、福島第一原発の処理費用が、13兆円から21.5兆円に増えるんだって・・・

現在の原発1基の建設費は、ひと声3000億円(ここ)。
福島第一原発の建設費は、古いこともあって事故を起こした4基で2,388億円。21.5兆円は、その建設費の90倍。国家予算がひと声100兆円なので、その1/5。それでも原発再稼働で発電は続けるのだとか・・・。リスクを抱えたまま・・・。
カジノもそうだ。ギャンブル大国日本の市場規模は、パチンコなど26兆円もある。一方、世界のカジノ市場はその半分の13兆円程度という。大阪の維新は、自分の所のミス(大阪五輪誘致のために7000億円で夢洲を建設)の挽回のために、国民の反対を尻目に、言いたい放題・・・。

そんな暗い話はその位にして、今週の我が家の大騒動の話・・・
スタートは、1週間前の(月)の夕方(2016/12/05)。カミさんが最近、コンタクトレンズがなかなか外れない、と言っていたが、とうとう眼科に行った。すると、やはり角膜の関係で「出来るならメガネに」と言われたそうだ。
カミさんのコンタクト歴は、40年。自分でNetで調べて、誰でも歳を取るとコンタクトからメガネに変えるらしい、との情報を得て、仕方がないので、メガネに変えるか・・・との考えに・・・。
それからが大変。何せ今までは、夕方コンタクトを外してメガネにしてから、ピンポーンが鳴るや、“メガネを外して”玄関に出るのだ。この神経が男には理解出来ない。メガネのまま出ればよいのに、メガネ女がいやなので、わざわざ外す。前には、メガネが無くなったと大騒ぎ。見付かったのは、エプロンのポケット。慌ててメガネを外し、それをどこに置いたか忘れる始末・・・

しかし今回は、覚悟を決めたのか、徐々に“メガネデビュー”を図っているようだ。一人、イオンモールに出かけたら、近所の人から声を掛けられてショックだったとか・・・。「私って分かった?」と言ったとか。
男から見ると、アッタりまえ。コンタクトからメガネに変わったからと言っても、何も変わらない。でも女は、メガネを掛けると、人間が変わってしまうほどの変化と捉えるらしい・・・
しかし、良いこともあるという。毎晩、コンタクトを取らないと・・・という面倒からの開放・・・
まあ、段々と慣れてきたらしく、最近は盛んに「目が小さく見えるので気にくわない」と、のたまう。男からみるとアッタリまえ。近視は凹レンズ。目が小さく見えるのはアッタリまえなのに・・・。

そして徐々に「メガネデビュー」・・・。近所の友だちを訪ねては、「実はコンタクトがダメになってメガネに・・・」とご説明。当然「メガネも似合うわよ!」とのコメント。
でも気にくわない。そして、とうとう「良いメガネを買う」と言い出した。
数か月前に「眼鏡市場」に行った時に、予想外でカミさんが新しい予備のメガネを買ったのに・・・(ここ)。
「せっかく作ったので、それを掛ければ良いじゃないか!」と思うのは男だけらしい。「これはアイデンティティーの問題だ」とのたまって、どの眼鏡屋が良いか、友だちに電話で聞きまくっている。自分は経験から「眼鏡市場」で充分、と思っているので、わざわざ高いメガネ屋に行って、高級品を買う必要性が分からない。
そしてとうとう、友だちを口説いて、来週、一緒にメガネ屋に連れて行くことに成功したらしい。聞くと、似合うかどうかをその友だちに判断して貰うのだという。もちろん自分だと、メガネ屋に付き合っても、「どれも必要ない。前に眼鏡市場で作った物で充分」と答が分かっているので、相手にしないらしい。

テレビの「サンデーモーニング」にメガネが似合うというアナが出ていると前に聞いた。今調べてみたら唐橋ユミというアナらしい。
自分も一生懸命「『サンデーモーニング』のメガネ美人アナに似ているヨ!」と褒めるのだが、カミさんは相手にしてくれない・・・。

そう言えば、前に顔のホクロを取った時も(ここ)、大変だった。
確かに女性の顔は命。彼(か)の韓国の女性大統領は、「ハンギョレは12月6日、「セウォル号が沈んでいた2014年4月16日、朴大統領は乗客の救助対策を立てるのではなく、江南(カンナム)の有名美容師を青瓦台に呼んで、ヘアスタイルを整えるために90分以上を浪費した」と報道した。」と報じられるくらい(ここ)、顔は何よりも大事・・・

でも、やはり分からない。幾らコンタクトをしていても、新聞などの文字を読む時は、人の前でも堂々と老眼鏡をかける・・・。それがコンタクトを外した途端にメガネを意識する・・・。
「コンタクト+老眼鏡」でも、「コンタクト無し+メガネ」でも、外から見ると同じなのだが・・・
そして、男は1万数千円の「眼鏡市場」製で充分なのだが、女性は、自分の顔の自己満足のために、数十万円かける必要がある・・・!?
理屈で、幾ら「必要なのは、“遠”メガネでは無く、老眼を考慮した“近”メガネ。それを眼鏡市場で買えば済む話・・・」と言っても通じない。
かくして、“アイデンティティー”とやらに振り回されている、慌ただしい今の我が家ではある。嗚呼・・・

161210goki <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月 8日 (木)

アントニオ古賀のギターによる「シューベルトのセレナーデ」

昨夜、叔父が亡くなったことを知った。そして、今日の夜には、今となっては唯一の親戚になってしまった伊丹の叔母から、今日、同じ訃報の手紙が届いたと、電話があった。
ふと、亡くなった叔父が好きだった音楽は何かな?と思い出してみると、叔父はクラシックが好きだったのでは?と気付いた。
この叔父とは、あまり音楽の話はしなかったので、詳しくは知らないが、世の中にMP3の携帯HDDプレヤーが出始めた頃、従兄弟にお金を出させて、自分が音源を入れて、その叔父にプレゼントしたことがあった。結局、叔父はそのプレヤーを使いこなせず、従兄弟が使ったと後で聞いた。そんな思い出もあった。

今日は、こんな音楽はどうだろう?アントニオ古賀が演奏した「シューベルトのセレナーデ」である。

<アントニオ古賀の「シューベルトのセレナーデ」>

シューベルトのセレナーデは、あまりにも有名なため、様々に編曲・演奏されているが、自分はギターによる演奏をじっくりと聞いたのは初めてだった。
「意外と合うな!」と思った。

こんな音楽をどこかで聞きながら、叔父も旅だってくれると良いが・・・・

さっきの叔母との電話に戻るが、やはり孫の話になった。3歳と半年の女の子だが、実はこの1週間、孫たちと疎遠になってしまった。
というのは、九州の息子夫婦が、「フォト蔵」というサイトに、色々な写真をアップしてくれる。そのために、孫達がどんな生活をしているか、手に取るように分かる。
その「フォト蔵」が、12月1日からサーバーのトラブルのために止まっていた。普通は、どんなサイトも直ぐに復旧するのだが、何と復旧に1週間もかかり、さっき(2016/12/08夕)やっと戻った。

自室から居間に降りて行くと、習慣のようにPCの前に座ってこのサイトを覗くクセが付いていたため、一週間それが出来なかった事で、孫一家がすごく遠くに行ってしまったような気分になっていた。
叔母に言わせると、“スゴイ時代”になって、ネットはまさに空間(距離)を縮めてくれる。

その80歳の叔母に言われてしまった。「**さんも、そろそろ転ぶことに気を付けないと!」・・・
確かに、転ぶことが認知症への入り口・・・
ん?今度は、自分の番か・・・・!? そうか・・・・

歳を取って人は去り、そして新しい命が生まれ躍動する。
「今度は、自分の番か・・・・」と思いながら、こんな寂しい曲を聞いている今宵なのである。

161209papa <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月 7日 (水)

叔父が亡くなった・・・

実にプライベートな話なのだが、ここは自分にとっての“日記”なので・・・

夕方、ポストを見ると、夕刊と一緒に従兄弟からの手紙が入っていた。メールの時代に、手書きの手紙・・・。悪い予感・・・
案の定、叔父の死を知らせる手紙だった。読むと、(2016年)11月25日に肺炎のために亡くなったとのこと。84歳。葬儀も、叔父の遺志で、家族葬として11月30日に終わったとのことだった。
今日は、供養になるかと思って、叔父の思い出を記しておきます。

自分の親父は男5人、女2人の7人兄弟だった。親父は長男。その下の弟と妹がそれぞれ夭折したため、実際には5人兄弟だった。
2014年に(夭折2人を除くと)次男が92歳で、2015年にその下の叔母が89歳で亡くなった。ちょうど1年前に、先日亡くなった叔父から「姉が亡くなった。とうとう一人になっちゃた。」という電話を貰ったのが最後となった。

この叔父は、当時大宮に住んでいた我が家に下宿して、早稲田に通った。13歳年上だった親父が、費用をみたという。貧乏なのに、弟を引き取った親父に、お袋は不満だったという。その叔父が一緒に住みだしたときに生まれたのが自分。
よって、この叔父に自分はよく背負われて子守をしてもらったらしい。もちろん自分は覚えていない。たぶん一緒に住んでいたのは、自分が物心付く前なので、ほとんど覚えていないが、「A,B,C,D・・・・」という歌を教わったことだけは覚えている。

その後、電気メーカーに就職し、経理畑を歩いた。親父は、家電製品をこの弟に頼んだ。昭和27年頃には、電気洗濯機も買った。もちろん近所でこれがある家は無かった。ラジオもレコードプレヤーも、皆この弟の社内販売で買って貰った。
そんな縁で、兄貴が同じ会社に就職した。それに続いて自分も・・・
よって、自分の人生に、多大な影響のあった叔父だった。

この叔父の家に、何度遊びに行ったか・・・。学生時代に鶴見の社宅に行った時には、夜、子供が寝てから、トランプをした。負けたお金は踏み倒した。
金沢八景に家を建ててからも、近くに出張したときは、よく寄った。夕飯を頂き、帰りには、叔母が、独身の自分を考えて、色々な物を持たせてくれた。少しだけ使ったインスタントコーヒーのビンまでくれた。

親父には3人の弟が居た訳だが、次男とは相性が合わなかった。次男特有の臍曲がりを嫌っていた。しかし、三男のこの叔父と、四男の弟は可愛がった。そしてとうとう、全員が鬼籍に入った。残っているのは、次男の連れ合い(88歳)と、四男の連れ合い(80歳)の二人だけ。
熱海の老人ホームにいる次男さんとは付き合いがないので、親戚は伊丹の叔母だけになってしまった。まさに世代交代である。

2014年の正月に、お袋が亡くなった時(ここ)、葬儀が終わった夜に、この叔父に電話で知らせた。「葬儀は身内だけの家族葬にした。葬儀の前だと色々と考えさせてしまうので、あえて葬儀が終わった今、電話をした」と説明すると、「そうだね。皆年寄りなので・・・。自分もそうしよう」と言っていた。
今日来た従兄弟からの手紙には、まさに叔父の遺志での家族葬だったという。

叔父は、叔母が乳がんで71歳で亡くなってから、3年ほど一人で生活していたが、そのストレスからか、潰瘍性大腸炎を発症し、息子の世話で老人ホームに入っていた。「車椅子になったらオシマイなので、食事に行く時は、何とか階段を使って歩いている」と言っていたが、最近はそれも出来なかったらしい。
定年退職後は、俳句に目覚め、同人誌の選者となって久しいが、「外に出られないので、句を作るのも大変」と言っていたっけ・・・
しかし、毎週末には息子(今回手紙をくれた従兄弟)が、車で家に連れて帰り、ホームへの帰りには外食、というパターンとのことで、それは、自分も頭が下がった。
親父と息子の関係は難しい。前に従兄弟と話した時、「毎週だと大変だろう?」と言うと、「もう習慣になっているので・・・。これもホームに入る時の約束なので」と笑っていた。
自分にはとても出来ない対応。毎週末が潰れる・・・なんて、なかなか出来る対応ではない。

手紙にも「今は父の最後の瞬間を枕元でみとれたことが唯一の安堵となっています。」とあった。従兄弟も安らかに送ることが出来て良かった。
さっきもらった手紙で、まさに走馬燈のように思い出す叔父・・・。今はただ冥福を祈りたい。
合掌・・・・

●メモ:カウント~970万

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2016年12月 4日 (日)

「位牌、私の死後は?」

先日、お寺からH29年度の維持墓地管理料の振込用紙が送られて来た。
そういえば、だいぶん前だが、朝日新聞に位牌についての記事があった。今日は位牌の勉強である。
「(Reライフ)位牌、私の死後は?
 《2年前に病気で亡くなった夫の位牌(いはい)に毎日話しかけています。子どもがいないので、私が死んだあと位牌がどうなるか心配です。 横浜市 匿名希望(76)》

 ■あり方、宗派によって様々 最後は「まつり捨て」
 「黒いお位牌にしないと四十九日法要ができない」と言われ、質問者は「それは困る」と必死の思いで塗り位牌を注文したという。仏壇は通信販売で購入。そこに遺影とともに安置し、夫が好きだったコーヒーを毎朝あげて手を合わせている。
161204ihai  そもそも位牌とはどういうものなのだろうか。
 「葬儀と日本人―位牌の比較宗教史」(ちくま新書)の著者、菊地章太・東洋大学教授によると、位牌の原型が登場したのは紀元前3世紀ごろの中国だという。
 仏教は紀元前5世紀ごろにインドで生まれたが、魂があの世からこの世に何度も生まれ変わるという「輪廻(りんね)転生」を教えるインド仏教には墓も位牌もなかった。
 位牌を「故人の魂が宿るもの」と位置づける葬儀作法は、中国で唐の時代に生まれた禅宗が徐々に確立させてきたという。
 日本に禅宗が伝わったのは鎌倉時代で、そのころから位牌も登場する。室町時代初期の僧の日記に「昔は位牌はなかった。(中国の)宋の時代から出てきた」という記述がある。
 当初は将軍や高僧といった特別な人たちの葬儀のためのものだった。室町幕府を開いた足利尊氏の位牌に刻む文字をどうするか相談する手紙が残っており、それを見ると、鎌倉時代に執権を務めた北条時頼や時宗の葬儀でも位牌を作ったことがわかる。庶民の間に広まったのは江戸時代中期以降だ。
 位牌のあり方は、地域により、また宗派によりさまざまだ。親鸞が始めた浄土真宗は位牌を作らないのを基本としている。
 作った位牌はどうなるのか。最後は「まつり捨てられる」のだという。三十三回忌といった一定の年数が経ったところで、墓地に埋めたり焼いたりするのが一般的だ。
 菊地さんは「しのぶよすがとして位牌はある。記憶がなくなったら価値はない。ずっと保存することにこだわらないのが、日本人の感性といえる」と話す。

 ■サポート頼む方法も 棺に入れ共に旅立ち
 浄土真宗は、どうして位牌を作らないのを基本としているのか。親鸞の教えを研究している人たちから教えてもらった。
 第一に、親鸞自身が「父母の孝養のために念仏を唱えたことは一度もない」と言ったことだ。「えっ」とたいていの人は驚いてしまうが、実はお釈迦様も「死んだ人に向かって読経しても意味がない」と言っている。
 死んだ人の運命は本人の行い(業)で決まるもので、子孫がお経を唱えて変えられるものではない。そもそも、お経は生きている人が幸せになるための教えを記録したもので、生きているときに聞いてこそ意味があるというのだ。
 第二に、最善の供養とは先祖が喜ぶことをすることだからだ。親にとって何が一番うれしいかといえば、子が幸せに生きることだろう。それには阿弥陀仏の本願を聞き求めればよいと、お釈迦様と親鸞は教える。
 阿弥陀仏の本願、つまり本当の願いとは、すべての人を幸せにしたいということ。阿弥陀仏だけを信じて正しく幸せに生きようというのが浄土真宗の教えだという。
 一方で、日本の多くの仏教宗派では亡くなった人の位牌を作り、仏壇の中に安置する作法が定着している。実は、浄土真宗でも位牌を大事にしている人が少なくない。その場合、仏壇の中に入れないようにしている人もいる。
 現代の葬送のあり方について問題提起を続け、いまは認定NPO法人・エンディングセンターの理事長を務める井上治代さんによると、質問者と同じような悩みを抱える人は少なくないという。しかし、すでによい解決策が見つかっている。「自分が死んだとき、棺の中に入れてもらうんです。そうすれば一緒に旅立つことができる。あたたかで幸せな気分になれます」
 エンディングセンターでは、喪主になってくれる人がいない人たちを支援する事業をしている。生前にきちんと契約を結んだうえで、家族の代わりとして、葬儀や死後の事務処理を取り仕切る。
 この「死後サポート」を受け、すでに何人もの人が夫や妻、あるいは両親の位牌とともに旅立ったという。

 ■忘れられることが成仏
 栃木県足利市の鑁阿寺(ばんなじ)に足利家歴代大位牌があります。図録によると、高さ約2.5メートル、代々の家長の戒名が彫られています。位牌とはこうして長年大事に守るものと何となく思っていたのですが、それは将軍家のような特別な場合に限られると知りました。ある程度の年限がたったら個人の霊は「祖霊」という先祖全体の霊の中に入っていく。個人が忘れられることが「成仏」なのだ、という説明を専門書で見つけ、深く納得しました。(高橋真理子)」
(2016/11/21付「朝日新聞」p31より)

我が家に仏壇は無い。しかし、カミさんの勉強机の後に、お参りコーナーが作られていて、カミさんは毎日参っているらしい。
自分の両親が亡くなった時に、それは作られた。最初は写真だけ飾っていたが、2年前の義母が亡くなったのを機に、線香が増えた。

我が家は、元々は浄土真宗だったらしい。それが自分のお祖父さんの代から、今の新義真言宗の寺の墓になっている。移った経緯は分からない。でも、実家の仏壇には、祖父母からの位牌があった。それ以前は過去帳の小板に、法名が書かれていた。

仏壇の無い我が家だが、2年前に義母が亡くなった時に、菩提寺から白木の法名札を頂いた。それを位牌のように扱っていたが、一周忌のときに、法名札を持って行ったら、住職が色々と教えてくれた。もし仏壇が無いのであれば、法名軸を買ってくれば、それに法名を書いて、作法の上で送ってくれるとのことで、後日送って貰った。
それから1年。来来週には三回忌に行く予定になっている。

我々は、仏壇にお参りする時に、心では何思っているのか?自分の場合、つい、お願いごとをしてしまう。先祖は、我々のことを見守ってくれている気でいる。しかし、上の記事のように、本来は違うらしい。

つまり自分など、位牌を亡くなった人の分身のように思っているが、違うらしい。
「作った位牌はどうなるのか。最後は「まつり捨てられる」のだという。三十三回忌といった一定の年数が経ったところで、墓地に埋めたり焼いたりするのが一般的だ。」
位牌を焼くとは、初めて聞いた。
「死んだ人の運命は本人の行い(業)で決まるもので、子孫がお経を唱えて変えられるものではない。そもそも、お経は生きている人が幸せになるための教えを記録したもので、生きているときに聞いてこそ意味があるというのだ。」
確かに・・・
そして、継承者が居ない、残された位牌は、「自分が死んだとき、棺の中に入れてもらうんです。そうすれば一緒に旅立つことができる。あたたかで幸せな気分になれます」・・・
なるほど・・・・

来年は義姉の七回忌もある。
「個人が忘れられることが「成仏」なのだ」という考え方もあるらしいが、自分は、「忘れないことが供養」であるような気がする。
自分は、先に亡くなった人は忘れずに、自分が死んだら、早く忘れられる(後世に迷惑をかけない)存在になることが良いと思うが・・・
さっき、久しぶりに線香をあげてしまった。

161204uketuke <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年12月 1日 (木)

日弁連の「死刑廃止宣言」に思う

先に日弁連が死刑廃止宣言を出したが、論客の軍団で、色々な意見が噴出するであろう日弁連が、どうしてこのような統一見解を出せたのか、不思議だった。それで経緯を、新聞記事から追ってみた。

日弁連の死刑廃止宣言案に反対 被害者支援弁護士ら声明
 日本弁護士連合会が7日に福井市で開く人権擁護大会で死刑制度廃止の宣言案を提出することについて、犯罪被害者の支援に取り組む弁護士らでつくる「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」が3日、「犯罪被害者の人権や尊厳に配慮がない」などとして採択に反対する声明を発表した。
 声明では、弁護士の中でも死刑に対しては様々な考えがある中で、「強制加入団体である日弁連が一方の立場の宣言を採択することは、日弁連の目的から逸脱し、個々の弁護士の思想・良心の自由を侵害する」と指摘。「凶悪犯罪の被害者遺族の多くは加害者に死をもって償って欲しいと考えており、宣言は被害者の心からの叫びを封じるものだ」と批判している。
 また、人権擁護大会では委任状による議決権の代理行使はできず、現地に出向いた人しか意思表示ができない。出席するのは約3万7千人の弁護士のうち数パーセントとみられ、声明では、こうした場での宣言の採択にも問題があるとしている。フォーラムの事務局長を務める高橋正人弁護士は「犯罪被害者から弁護士への信頼がなくなり、支援活動がしにくくなる恐れもある」と話した。(千葉雄高)」(
2016年10月3日付「朝日新聞」ここより)

日弁連、「死刑廃止」を宣言 賛成は7割弱、反対意見も
 日本弁護士連合会は7日、全国の弁護士が福井市に集まって開催した人権擁護大会で、「2020年までに死刑制度の廃止を目指し、終身刑の導入を検討する」とする宣言を採択した。日弁連が「廃止」を掲げるのは初めて。
 宣言は「被害者遺族の厳しい感情は自然で、被害者支援は社会全体の責務」としたうえで、刑罰は犯罪への報いにとどまらず再犯防止につながるものでなければならないと指摘。さらに事件に至る背景にも目を向け、罪を犯した人の社会復帰と人間性の回復を後押しする制度の導入が社会の安全につながるとした。
 宣言採択の背景には1980年代に四つの死刑事件で再審無罪が確定し、2014年3月には袴田事件の再審開始決定が出るなど、相次ぐ冤罪(えんざい)事件がある。このため宣言は死刑と決別すべきだとしながら、終身刑導入の検討を求めている。目標期限は、制度廃止を勧告した国連の会議が日本で開かれる4年後にした。
 この日は採択に先立ち、24人が賛成・反対の討論を行い、激論を交わした。
 袴田事件弁護団長の西嶋勝彦弁護士(東京)は「冤罪が疑われる死刑事件が多くある。誤判がある以上は制度を廃止すべきだ」と訴えた。一方、被害者支援に取り組む高橋正人弁護士(第二東京)は反対討論で「被害者遺族が犯人を殺してもいいのか。死刑の廃止はむしろ秩序を乱す」と批判した。
 黒原智宏弁護士(宮崎県)は、自身が担った死刑事件で遺族が加害者と面会を続け、「反省を見極めたい」と最高裁に判決見直しを求めた事例を紹介。被害感情も一様でないと指摘した。
 日弁連の会員は約3万8千人。方針の決定は理事会に委ねられることが多いが、この日は特に重要なテーマのため来場者786人で採決した。その結果、賛成は7割弱の546人、反対96人、棄権144人だった。
 閉会後、日弁連の木村保夫副会長は記者会見し、「犯罪被害者支援に取り組む弁護士から多くの意見を頂いた。しっかり被害者の声に耳を傾け、国民の理解を得る活動を強化し、政府にも法改正を提言していきたい」と話した。(阿部峻介)」(
2016年10月8日付「朝日新聞」ここより)

日弁連の死刑廃止宣言から1カ月 執行に「ショック」
 法務省が11日、熊本県内の強盗殺人事件の死刑囚の刑を執行した。日本弁護士連合会が10月の人権擁護大会で、「2020年までに死刑制度の廃止を目指す」とする宣言を採択してから約1カ月。関わった弁護士らは驚きの声を上げた。
1人の死刑執行 熊本強盗殺人の死刑囚 法務省
 記者会見した金田勝年法相は、裁判員裁判を経て確定した事件の死刑を執行したことについて「判決は、慎重な審理を尽くして言い渡すものと承知している。判断を尊重しつつ、慎重かつ厳正に対処すべきという観点から命令を出した」と説明。日弁連の宣言については「死刑の存廃に様々な意見があり、そのような意見の一つと考えている。国民の多数が死刑をやむをえないと考えており、廃止は適当ではない」と語った。
 「ショックだ。日弁連が何を言おうと執行は続けるという法務省の固い決意を感じる」。日弁連死刑廃止検討委員会のメンバーの海渡雄一弁護士は憤りを見せた。「死刑廃止国では、廃止の前に執行を停止した期間があり、まずそれを実現するのが目標。壁は高いが、宣言を機に死刑についての議論が活発化しているのは確かで、あきらめないでやるべきことをやっていきたい」と話した。
 宣言は、死刑判決が確定していた袴田事件で14年3月に再審開始決定が出たことなどが背景にある。日本に制度廃止を勧告した国連の会議が日本で開かれる20年までの死刑廃止を目指すとしている。関係者によると、日弁連は会長が法相に直接宣言を手渡したいと申し入れているが、なかなか日程が決まらない状態だったという。
 一方、犯罪被害者の支援に取り組む弁護士を中心に、宣言には反対の声も根強い。反対を表明してきた弁護士団体「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」の事務局長を務める高橋正人弁護士は「死刑廃止は立法の話で、日弁連が目指すと言っても廃止されたわけではない。死刑は法律で定められ、最高裁でも合憲とされている。淡々と執行するのは当然のことだ。日弁連は死刑執行後に毎回反対声明を出すが、法を守るなというのはおかしな話だ」と話した。(千葉雄高)」(
2016年11月11日付「朝日新聞」ここより)

日弁連の死刑廃止は、 冤罪と世界の流れが背景らしい。
それにしても、議論百出であろう死刑廃止宣言がなぜ採択されたかというと、「人権擁護大会では委任状による議決権の代理行使はできず、現地に出向いた人しか意思表示ができない。」「日弁連の会員は約3万8千人。方針の決定は理事会に委ねられることが多いが、この日は特に重要なテーマのため来場者786人で採決した。その結果、賛成は7割弱の546人、反対96人、棄権144人だった。」
つまり、日弁連の会員のたった2%の会員の出席のもと、1.4%の会員の賛成で、“日弁連として採択”されたそうだ。
このことは、まさに自分も「強制加入団体である日弁連が一方の立場の宣言を採択することは、日弁連の目的から逸脱し、個々の弁護士の思想・良心の自由を侵害する」であると思う。
天下の日弁連で、なぜこんな一部意見の横暴がまかり通るのか、不思議でならないが、それはそれとして、冤罪については、考えてしまう。

NHKテレビで、「ブレイブ 勇敢なる者「えん罪弁護士」」(2016/11/28 放送 ここ)を見た。
NHKのHPにはこう解説がある。
「「無罪」獲得「14件」。その実績に他の弁護士は「異常な数字」「ありえない」と舌を巻く。“えん罪弁護士”の異名を持つ今村核(いまむら・かく)は、有罪率99.9%と言われる日本の刑事裁判で20年以上も闘ってきた。過去に取り組んだ放火事件や痴漢事件では、通常裁判の何倍もの労力をかけて科学的事実を立証し、矛盾や盲点、新事実の発見からえん罪被害者を救った。自身の苦悩を乗り越え、苦難の道を歩み続ける男に迫る。」

弁護士が無罪を勝ち取るのは、一生に一度あるか無いか、だという。その世界で、今村弁護士は、14件も無罪を勝ち取ったという。その確率が99.9%で1000件に1件とすると、判決14000件分の無罪判決。
この番組でも出て来たが、冤罪で多いのはやはり痴漢事件。無罪を主張すると、仕事や家庭を奪われ、反省がないと数年間の実刑も覚悟。よって、いくら冤罪でも罪を認めて罰金を払う例が多いという。
つまり、日本には冤罪がたくさんあるということだ。もちろん、その背景には、求刑の7~8割を機械的に判決する、裁判官の官僚的な惰性(事なかれ)があることは否めない。

ついでに、死刑廃止について、こんな記事も見付かった。

日弁連「死刑廃止」宣言の意味は
 ◆ 山形大学の高倉新喜教授(48)
 10月初旬に福井市で開かれた人権擁護大会で、日本弁護士連合会が「2020年までに死刑制度廃止を目指すべきである」との宣言を採択した。死刑制度の争点は何か、宣言にどんな意味があるのか、山形大学の高倉新喜教授(48)=刑事訴訟法=に聞いた。

 ◆ 相次ぐ冤罪と世界の流れ意識
 ――宣言に対する率直な感想は。
 日本最大の人権擁護団体が正面から宣言したインパクトは大きいと思う。日弁連は全国の弁護士が登録しなければならず、会員数は約3万8千人。大会にはそのうち1千人ほどしか出席していないとしても、大きい。反対する弁護士もいる中、それを押し切って採択に至ったんでしょう。
 ――押し切った理由は何だと思いますか?
 冤罪(えん・ざい)と世界の流れを考えたのでしょう。戦後だけで四つの事件で確定死刑囚が再審無罪になった。最近では袴田事件で再審開始決定が出ました。世界ではOECD(経済協力開発機構)加盟国で死刑があるのは日本と米国と韓国だけ。さらに韓国は18年以上、死刑を執行していません。
 ◆ 「将来廃止」4割
 ――2014年の内閣府の世論調査では、8割以上が「死刑もやむを得ない」と答えました。
 被害者感情が大きいと思います。身内が殺されて死刑を求めるのは当然でしょう。ただ、同じ調査で「状況が変われば、将来的には廃止してもよい」と40・5%が答えた。死刑がどのように執行されるのか、死刑囚がどんな生活をしているかなどの情報が広く伝わり、多くの人が関心を持つことが大事だと思います。
 ――死刑は最高裁判決でも合憲とされています。
 1948(昭和23)年、最高裁判所大法廷で死刑制度を認めることが当然の前提とされ、大勢が固まったと言えます。その際、火あぶりやはりつけなどは残虐な刑罰に該当するとされました。
 私は、執行方法がどうであれ人の生命を奪うこと自体が「残虐な刑罰」に当たると考えています。「法律の定める手続によらなければ(中略)刑罰を科せられない」とする憲法31条は死刑制度を是認しているように読めますが、死刑を廃止することを禁止しているわけではありません。
 ――死刑を廃止した英国では、殺人事件が増えたというデータがあります。
 英国では69年に謀殺罪への死刑を完全に廃止しました。その10年後、人口百万人あたりの殺人事件の発生率は年4%ほど増えましたが、米国では死刑がある地域で殺人事件の発生率が、廃止した地域よりも高いというデータもある。死刑に犯罪抑止力があるかどうかを実証することは難しいと思います。
 英国では半数以上の世論が死刑を支持しています。にもかかわらず廃止されたのは、冤罪への恐れゆえではないでしょうか。
 ――日本でも取り調べの可視化など、冤罪を防ぐ取り組みが進んでいます。
 今年5月に刑事訴訟法が改正され、2019年6月までに一部の事件で取り調べの録音・録画が始まる。少なくとも自白の強要はできなくなりますが裁判所も完全ではないでしょう。
 ◆ 応報でなく更正
 ――私たちの生活に、どう関わるのでしょうか。
 山形地裁ではこれまで、死刑判決が出たことはありません。でも、やっていない凶悪事件の容疑者として逮捕される可能性はある。冤罪は自分に関係がないということはありません。
 刑罰は応報だけでなく更生の意味もある。応報だけならば、命を奪ったなら命で償えと死刑にするしかありません。刑罰には更生の目的も必要だと思います。(聞き手・多鹿ちなみ)
 ◎たかくら・しんき 1968(昭和43)年、札幌市生まれ。北海道大学法学部、同大学院法学研究科を経て99年に博士(法学)取得。2001年に講師として山形大学に。14年2月から教授。」(
2016年10月25日付「朝日新聞」ここより)

やはり違和感が残る。冤罪が多いので、取り返しが付かない死刑を廃止!?
それよりも、冤罪そのものを無くす努力が必要なのでは?
まずは、すべての事件の取り調べは、100%録音・録画。たった3%の裁判員裁判の対象事件(重大事件)だけではなく、どんな些細な事件の取り調べも100%!!
今や、ドライブレコーダーの時代。それに大容量HDDやカメラの値段も安くなった。すべての警察の取調室にカメラを設置して、録画しても、たいしたことはない。

日弁連も取り調べの可視化の全件拡大を提言しているらしいが(ここ)、違和感のある死刑廃止よりも、そっちに力を入れて欲しいと思う。

(関連記事)
安田好弘弁護士のドキュメンタリー「死刑弁護人」を見て 

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