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2016年11月26日 (土)

「かつての出征シーンと同じだ」~“駆けつけ警護”に思う

今夜も、夕食後、カミさんとテレビBS日本の「こころの歌」に合わせて歌った(ここ)。11月21放送のテーマは「潮音」。最後に歌われたのが「群青」(ここ)だった。
戦争で海に散った息子を偲ぶ・・・・。何とも切ない歌である。もう二度と同じことを繰り返さない、と思っていたのに・・・・

今朝の「朝日新聞」の二つの記事が思い出された。
「(声)かつての出征シーンと同じだ 無職 女性(愛知県 77)
 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊の先発隊が、新任務の「駆けつけ警護」を付与されて現地へ渡った。
 青森空港を出発する様子を伝えた21日朝刊の記事を、私は涙なしに読めなかった。ある隊員の母親は息子から11月から長期出張だと聞いた。行き先を尋ねても答えはなかったが、「南スーダンに行くんだな」と思ったという。別の隊員の母親は10月、普段そっけない息子が、家族で焼き肉を食べに誘ってくれ、しきりに「食べて」と取り分けてくれたことを語った。
 幼い息子を抱き上げ、見つめる隊員の姿をとらえた写真からは、最悪の事態も想定し、二度とこの顔を見られないかもしれないという隊員の複雑な思いが伝わってきた。
 晴れの見送りの場で、「南スーダンになど行きたくない」とはおおっぴらには言えない隊員たち。「行かないで」と引き留められない家族たち。これは、71年前に終わったはずの先の戦争における出征シーンと一緒ではないか。
 私たち日本人は平和を守るために戦争の悲惨さを語り継いできた。しかし、語り継ぐ内容は先の戦争のことで終わりにすべきだ。」(
2016/11/26付「朝日新聞」p12より)

「「命がけ」理解はあるのか 駆けつけ警護、識者に聞く
        柳沢協二・元内閣官房副長官補
 安全保障関連法の目的の一つは、駆けつけ警護などの新任務に伴う自衛隊の武器使用権限の拡大だ。新任務の危険性は高いが、そのことは国民に十分には知られていない。
 安保法制の議論で決定的に欠けていたのは「戦場」のリアリティーだ。こちらが撃てば相手は撃ち返す。戦場はそういうものだ。政府は駆けつけ警護がそうした世界へ踏み込むことだとは説明せず、国民の理解が足りないまま、任務として与えられてしまった。
 南スーダンで自衛隊が直面しうる深刻なケースは、銃を持つ兵士が民間人を襲っている現場に駆けつけるというものだ。武装した自衛官から制止されれば、兵士は驚いてすぐに撃ってくるかもしれない。自衛隊側も反撃し、犠牲者が出ることもありうる。
 自衛隊は抑制的な武器使用基準のもと、海外活動で1発の弾も人に向けて撃っていない。それが戦闘による自衛官の犠牲を1人も出していないことにつながっている。多くの国民はこうした活動を支持してきたので、新任務を与えられても「非戦闘地域で人道支援をしている自衛隊が銃の撃ち合いをすることはない」と思っているのではないか。
 一方、自衛官はプロなので危険性を理解している。彼らにとって最も耐えがたいのは、命がけの任務が国民の支持を得ているか、確信を持てないことだ。
 自衛隊がイラク派遣された時期に内閣官房副長官補だったが、官邸では「1人でも自衛官の犠牲者が出たら内閣はもたない」との意識が共有されていた。直接「撃つな」とは言っていないが、「まさかそんなことしないよね」という空気は部隊にも伝わっただろう。だが、危険にさらされた市民の保護が喫緊の課題である南スーダンPKOの実態を見ると、1発も撃たないことを前提とした自衛隊の活動は難しいのかもしれない。
 政府は、日本の国益のために南スーダンでどんな貢献をしたいのかという原点に立ち返るべきだ。自衛隊派遣は必要か、もっと有効な代替手段はあるのか。その議論を通じて形成される国民理解がないなかで、自衛隊に危険な任務を強いるのは、あまりに酷だ。(聞き手・其山史晃)
 ◆キーワード
 <自衛隊の海外での武器使用> 1992年成立の国際平和協力法は、海外での武力行使を禁じた憲法に配慮して、隊員の命を守るための必要最小限の武器使用のみを「自己保存型の自然権的権利」として認めた。任務遂行のための武器使用は認められていなかったが、安全保障関連法により、駆けつけ警護などの任務の妨害者らに対しても武器が使えるようになった。」(
2016/11/26付「朝日新聞」p4より)

この中で、「彼らにとって最も耐えがたいのは、命がけの任務が国民の支持を得ているか、確信を持てないことだ。」「政府は、日本の国益のために南スーダンでどんな貢献をしたいのか」「国民理解がないなかで、自衛隊に危険な任務を強いるのは、あまりに酷だ。」という言葉が重い。

日本は、今まさに、“いつ自衛隊員の犠牲者が出るか?”のフェイズに移っている。安倍1強の現在、「官邸では「1人でも自衛官の犠牲者が出たら内閣はもたない」との意識が共有されていた。」という雰囲気もない。

“頼りない” 稲田防衛大臣、そして“我が党においては結党以来、強行採決をしようと考えたことはない”とヌケヌケと言ってのける安倍総理。
こんな堂々たるウソが通るのが国会なのだから、期待するべくも無く・・・

「自衛隊員に死者」というニュースが飛び込んだ時、そのお二人がどう言い訳をするかは、既に記者会見“読み上げ原稿”が出来ているのだろう。
それらの政治の暴走を許しているのは、主権者たる我々国民。止められないのも国民・・・。
お隣、韓国では大統領の辞任を求めるデモが、100万人を超えているという。幾ら感情的に過ぎる、と言われようが、政治に対するその熱気・・・。ある意味、羨ましいと感じるのは自分だけか?

161126isu <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

国民の知らない間にスーダンなどと全く知らない国に兵としていく若者と、送る家族の心情を思うと日本は何という国になってしまったのかと愕然とします。憲法の解釈を勝手に歪曲してしまい他国の戦争に若者を巻き込ませていいのでしょうか。
私が高校生の時習った万葉集に今もって忘れられない歌があります。
「防人(さきもり)に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨(と)もしさ物思いもせず」
 万葉の昔から他人が戦場に行くのなら平気という国民心理を悲しむ歌があったのです。安倍さんでも稲田さんでも隊長として行ってみればいい。他国に嫌なことは嫌と言える政府を持ちたいものですね。

【エムズの片割れより】
安倍さんの幼稚・拙速なトランプ詣でも、ドイツ、メルケル首相の毅然たるオトナの対応と比較されていますね。
自衛隊員も、日本国民のために命を落とすのなら分かるが、なぜ他国民のために命を落とさなければいけないのか・・・。心中を察します。

投稿: 白萩 | 2016年11月27日 (日) 12:08

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