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2016年9月の19件の記事

2016年9月29日 (木)

バーチャルの海外旅行はいかが?~シカゴ・リオデジャネイロ紀行

さて今回は、“団塊Kさんの海外一人旅・紀行”で、「シカゴとリオデジャネイロ紀行」である。Kさんの2016年3月の一人旅。南米の空や風景が美しい。

★(ここ)にオリジナル「シカゴ・リオデジャネイロ紀行(44頁)」(2016年3月16日~23日)のPDFを置きます。

相変わらずの“事件”である。今回のアクシデントは、シカゴでのタクシーでのポッタクリ、そしてリオでの“賊”に襲われた事件。
いやはやブラジルも怖い。リオ五輪の反対デモで、「地獄へようこそ」というプラカードをテレビで見たが、あながちウソではなかったようだ。でも無事に帰国出来て何より。
それにしてもリオ五輪の5ヶ月前のリオ訪問だが、五輪の雰囲気が出て来ない。現地では、五輪はまだまだ先だったのかも・・・

いつも思うのだが、Kさんの“語学力あればこそ”の一人旅。今回もスペイン語を駆使して“戦って”いる。それに、誰彼無しに声をかける度胸は、天性のものなのだろう。

しかしそれで、まさに“世界”が広がる。いやはやたいしたもの。

話は変わるが、先日、(今更、だが)檀一雄の「火宅の人」を読んだ。この中に、かなりの長文で、招待された海外旅行の話が出てくる。これを読みながら、Kさんの紀行文とよく似ているな、と思った。Kさんの場合は、たった数日間の短い旅行だが、起こった出来事の詳細なドキュメンタリーはなかなかのもの。

著者Kさんの了解のもとに、今回から「団塊Kさんの海外一人旅・紀行」というカテゴリでシリーズ化したので、次回もお楽しみに。
“バーチャル”の一人旅ではある。

160929jiari <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月27日 (火)

「トイレ我慢できない… 運転士どうする?」~準備の心構え

今朝の朝日新聞にこんな記事があった。
「(ニュースQ3)トイレ我慢できない… 運転士どうする?
 JR東日本の運転士が、停車中の電車の運転席から外へ放尿していたことが問題になった。乗務中にあるまじき行為だが、さりとて生理現象は抑えられない。どう対処すればよいのか。
 ■停車駅で放尿発覚
 12日午後5時15分ごろ。総武線の上り普通列車が佐倉駅(千葉県)に停車すると、50代の男性運転士がホームと反対側の運転席のドアを開け、線路上に小便をし始めた。目撃160927jr 者が駅に通報して発覚。同社千葉支社が聞き取ったところ、運転士は「我慢できなかった」と反省したという。
 問題が起きたのは、始発駅を出た約1時間半後。終点の千葉駅まであと約20分だった。だが、電車は4両から8両に増結して折り返すことになっており、千葉駅では乗客を降ろした後、車両を連結させる作業が待っていた。運転士は「尿意があると作業に集中できないし、トイレに行けば作業に遅れると思った」と釈明したという。
 ■降りて遅延「怖い」
 JR東によると、運転士は輸送指令室に無線連絡すれば、停車中に駅や車内のトイレを使うことが認められている。ただ、佐倉駅での停車時間は約1分。駅構内のトイレまでは階段を往復しなければならない。運転士は乗務歴20年以上だが、過去にも数回、同様に用を足したことがあるという。
 新幹線の運転士経験のある30代のJR社員は「気持ちはわからなくはないが……」と話す。運転席につけば2時間以上降りられない。乗務前には必ずトイレに行った。特に腹痛のときは水分を取って無理に用を済ませたり、下痢止めを忍ばせたり。携帯トイレを運転席に持ちこむ同僚もいた。
 手続きを踏めば停車駅でトイレに行くことは認められ、罰則もなかったが、「安全と並んで時間は厳守。自分のことで遅れてはいけないという怖さがあった」。とはいえ、「運転席からするのは、ホームから立ちションするのと同じ。ありえない」と話す。
 トイレに行けず、悲劇につながった例もある。営団地下鉄(現・東京メトロ)の東西線で1977年、走行中の電車から車掌が転落死した。車掌室のドアが開き、ズボンが下りていたことなどから、用便中にカーブで振り落とされたとみられている。
 同様に長時間乗務が続く飛行機のパイロット。コックピットには機長と副操縦士がおり、1人が客室のトイレを使う間はもう1人が残って操縦する。ただ、相方がいても安心はできない。フランスでは2015年、独ジャーマンウィングス機の副操縦士が、トイレに行った機長をコックピットから閉め出して故意に墜落させ、150人が死亡した。日本や欧州の航空会社はその後、トイレの際は代わりに客室乗務員などがコックピットに入る「常時2人制」を取っている。
 ■病気の可能性注意
 JRの運転士に健康問題はなかったのか。日大の高橋悟主任教授(泌尿器科)は、尿意を我慢できずに過去にも繰り返していた点から、膀胱(ぼうこう)が縮むなどして急に強い尿意に襲われる「過活動膀胱」の可能性が高いとみる。40歳以上の日本人の10人に1人にみられ、特に50代の男性では、前立腺肥大に伴うものが多くなるという。「過活動膀胱は薬で治療できるが、産業医でも認識は薄い。長時間持ち場を離れられない職種では、雇用する側が健康管理の対象に入れてもいいのではないか」(工藤隆治)」(
2016/09/27付「朝日新聞」p37より)

最近の電車の運転の話題では、運転席でスマホをいじっていたとか、新幹線で運転台に足を乗せて走っていたとかの話があった。しかし、今日の話は切実だ。
自分はバスの運転手さんを見る度に、「大変な仕事だな」と思っていた。駅の外にトイレがある場所では、よく運転手さんが行っていた。バスの折り返し場でもトイレは設置してある。しかし、渋滞の時など、1時間以上の連続運転はザラでは?
この電車の例も同じ。自分など、絶対にトイレに行けない状況、と聞いただけでダメ。だからバスの旅行なども苦手。
たまたま自分は、現役時代、重要な会議などを除くと、自由にトイレに行ける環境での仕事だったので、楽だった。しかし、簡単にはトイレに行けない仕事は無数にある。その代表が運転手や車掌さん。他に迷惑が掛かる。上の電車の例でも、「運転士は輸送指令室に無線連絡すれば、停車中に駅や車内のトイレを使うことが認められている。」となっていても、それを実行した人がどれだけいるのか。ほとんど乗客がいないローカル線ならいざ知らず、2分間隔で走っている中央快速線などでは、絵に描いた餅では?

とは言っても、運転手もプロ。誰も用心はするだろう。
前に、英国のエリザベス女王は、行事の前にはほとんど水分を採らない、と聞いたことがある。女王もプロなのである。

そうは言っても、人間は生身。用心していても、何があるか分からない。上の“解”は、記事にもあるような携帯トイレを自分で運転席に持ち込むこと位しか無いのかも・・・
我が家でも、車のダッシュボードには、携帯トイレを入れてある。しかし幸いにも使った事はない。何事も用心なのである。

上の運転手も、それが日常的だと「×」だな。「やむを得ない」という情状よりも、モラルの問題になってしまう。逆に、それが初犯なら許す事になろう。

常に最悪を考えて、準備しておく。何事もそれが肝要。
思い起こすと、自分の通勤カバンには、何があっても対処できるように、色々なものを入れていた。携帯トイレこそ無かったが(昔は入れていた)、予備のクレジットカードをはじめ、頭痛の薬から名刺の予備まで、どんな緊急事態になっても、このカバンさえ持っていけば、何とかなった。まあ女性の重いハンドバックと同じだな・・・
その通勤カバンも、活躍の場を失って、ほこりを被ったままもう半年・・・・。
現役を退いて、この運転手さんと同じ状況はもう考えられず、「毎日が何と楽か!」という今の堕落の生活に、今更ながらハッとした!?

160927carnabi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月26日 (月)

映画「シン・ゴジラ」を見る

今日はカミさんと、映画「シン・ゴジラ」を見てきた。
この映画は、前からウワサでは聞いていたが、わざわざ映画館に行く気にはなっていなかった。しかし、先日、読売新聞の記事を読んで、俄然行って見る気になった。その記事というのがこれ・・・

「[地球を読む]非常時の危機対応 ゴジラにどう立ち向かう
  青山学院大学特任教授 御厨 貴 

 「この国はまだまだやれる」。映画「シン・ゴジラ」の中で、ゴジラ対策の任を負った官邸の政治家・矢口蘭堂のセリフに、ホッとした。今、社会現象となった話題の映画「シン・ゴジラ」はお子様向け娯楽映画ではなく、大人の鑑賞に堪える、いや大人向けの政治映画である。スクリーンに2時間くぎ付けとなること間違いなしだ。
160926mikuriya  始まってすぐ、これは3・11東日本大震災と福島原発事故、そして日米安全保障条約が絡んだ物語だと誰しも分かる。この5年間を経験した日本人につきつけられた「非常時にどう立ち向かうか」の問いに、見る者は待ったなしの感覚を持たされる。これ、考えないようにしてきたなと。
 コトが起きても案の定、政治は何も決められない。そもそも突然、東京湾に出現した“巨大不明生物”の存在を認めるか否かで、政治はあたふたするのだ。何も決められない、様子見だ! いつものことながら。
 政治決定のトライアングル―政治家・有識者・官邸―は、混乱の極みに陥る。中でも緊急時にトンチンカンな回答しか出せぬ有識者の役立たずぶりが、徹底的にカリカチュアライズされる。多くの政治家たちは、閣議や対策本部で無意味な感慨の吐露に終始する。しかし“決定権”を握る政治家は、いやが応でも現実と対峙たいじせざるをえない。
 そこで“不作為の均衡”を打破するのが、長谷川博己演ずる若き政務の官房副長官矢口蘭堂である。物語はそこから猛烈なスピード感をもって始まる。
 本来管轄が多岐にわたる複合課題は、まずは官僚体制内部の調整に手間取る。“不作為の均衡”が破られたからと言って、それはすぐには変わらない。
 各省庁のタテワリのかべは、ゴジラといえども破壊できぬ強さを誇るが、“外圧”への危機対応が進む中、一気に「決断力」が見えてくる。
 そのための人材集結がまた示唆的だ。政治家―官僚システムから疎外され除外された異端者、変わり者たちが各界から呼び出される。彼らは自分のオタク的興味でもってコトにあたる。あたかもゲームを楽しむかのように。そこに国家は意識されない。
 さらにここでは肩書と上下関係は無用だ。人材は育てられるものではない。その社会がどれだけ異端者を抱え込むゆとりを持っているか否か、そのノリシロの大きさこそが必要なのだと分かる。
 登場人物のセリフの言い回しは早いし、場面転換もめまぐるしい。その中でネマワシにこだわる官僚の自嘲的発言や行動様式がマメに描かれていく。このディテールの積み重ねが、デジャブのように3・11直後の日本を記憶から呼びさます。第2次世界大戦後を長く規定した「戦後」を脱して、「災後」の時代が到来したことを再確認できる。
“共存”する「災後」体制へ
 ゴジラは成長する。凶暴化するゴジラへの対応の中で、実は政治家や官僚も成長する。矢口蘭堂はもとより、他の政治家たちも危機に臨んで成長する。そこに「危機の政治過程」が成立するのだ。
 「この国も捨てたもんじゃない」。それは絶望の中で未来を託された政治家の発言だ。「スクラップ・アンド・ビルドでこの国はこれまでも復興してきた」の一語も泣かせる。これは、ベテランの上司たちを想定外のビーム乱射で一挙に失うという、危機に直面した若き政治家たちの成長譚たんに他ならない。ゴジラの成長に伴い、政治家として成長する矢口蘭堂には男の色気が漂う。
 コトナカレ主義者も変わる。偶然の継承順位で首相臨時代理を命ぜられた政治家は、自他ともに無能とされた人物。その彼が何も出来ぬという自覚故に、あたかも下克上的要求に対し愚直に「決定」をくり返す様は、政策決定機構が極端なまでにそぎ落とされた場合、アイロニカルだが意外に有効かもしれぬと感じられた。もっとも旧陸軍的下克上と化す危険性を常に伴うものでもあるのだが。
 アメリカでは大統領継承順位がネタになることが多い。しかしここで首相の継承順位がはっきりと描かれたのは興味深い。偶然のなせるワザで5位まで決まっているのだが、それも皆死んだらどうするのかとの問題提起的発言。これはけっこうシビアな現実的な問いかけではないか。
 シビアと言えば、日米安保体制もそうだ。アメリカは日本にとって本当の友人であるのかどうか。
 ゴジラ攻撃でも米軍はあくまでもアメリカの安全を第一に見すえている。だからゴジラが世界規模の原子力拡散の脅威になった時、アメリカは「目には目を」の先制攻撃の方針を躊躇ちゅうちょなく決める。
 日本はこの決定を受け入れざるをえない。究極の日米関係がここには冷徹に描かれている。
 他方、矢口たちは独自の対ゴジラ作戦を進める。だがそれは成功したのか否か。結局ゴジラの再活性化を防ぎつつも、日本人はゴジラと“共存”せねばならぬ運命を背負うことになるからだ。
 好ましからざる“共存”は、原子力発電所と、日本人との緊張関係をそれとなく示唆する。復興の長いプロセスの中で、ゴジラとどう“共存”したらよいか。政治はそれこそ今度は時間をかけてその問いに答えねばならない。
 ゴジラを語る会、ゴジラを語るブログ、暑い夏をさらに熱くするゴジラ語りの登場であった。しかも3・11から5年、はしなくも春に熊本震災が、そして今夏は日本列島をたび重なる自然災害が襲った。風水害の光景が目に映じるたびに、人はすぐさまゴジラを思い起こす。「戦後か」「災後か」をずっと考えてきた者にとって、ゴジラの常態化が示唆するものは大きい。
 そこでやはり「災後」の観念は広がっていく。
 実は「戦後」も近代史の中でいくたびか存在した。確かに、日清「戦後」、日露「戦後」、第1次世界大「戦後」、とそれは10年ごとに日本に訪れている。そのたびに「戦後体制」が形作られたのだ。そして最大にしておそらく最後の「戦後」が、あの戦争の終戦を機に始まった。今や71年である。
 この「戦後」のアナロジーを「災後」に適用できぬわけがない。関東大震「災後」、阪神・淡路大震「災後」、東日本大震「災後」、そして熊本震「災後」と来る。東京の場合は、関東大震「災後」から20年たって東京大空襲戦「災後」に結びつく。そう、ゴジラはかつて2度東京を襲ったのだ。自然災害そして戦時災害としてだ。
 ゴジラはいつかやってくる。地震を中心とする自然災害から、今や免れることの出来ぬ日本に、もっと思いを致さねばならぬ。「防災体制」そして「災後体制」を考慮に入れて、政治は進んでいくことになろう。
 災害をすべて予防し克服することはありえない。だとしたら、ゴジラと“共存”する体制を政治はめざすことになる。
 そのためには、「あきらめず最後までこの国を見すてずにやろう」。映画が訴えた不退転のメッセージにうなずく以外になかろう。」(
2016/09/18付「読売新聞」p1より)

今日は平日なので、空いているとは思っていたが、10分前に入ったら誰も居ない。貸し切りかと思ったら、20人ほど入ってきた。残念!? まあ封切りから既に2ヶ月。とっくに旬を過ぎた映画だが、まだ一日に3回上映していた。

最初から三谷幸喜なみのウィット。政治家の動きが実にありそうで、コミカル。そして最初にゴジラの顔を見せた時は、そのコミカルな風貌に、この映画はパロディーか?と思ったほど。
160926shingodzilla “想定外”の異常事態での政治家のアタフタとする様子、そしてアメリカからの、まさに属国としての扱いは、日本の将来の姿を予見する。
最初、巨大不明生物を評して、“有識者”曰く。
「この動き。基本は蛇行ですが、補助として歩行も混じっていますね。エラらしき形状から水棲生物と仮定しても、肺魚の様な存在が推測で出来ます」
この“有識者”の無能ぶりが、今の社会でも、もてはやされている“有識者”を揶揄していて愉快。
最初にゴジラが姿を現した時の、“赤ちゃん”ゴジラの風貌には声を挙げて笑ってしまった。これからどうなるのだろうと心配しながら!?
自衛隊の出動の、「害虫駆除」という名目も愉快だし、海洋投棄された放射性廃棄物をエサに?進化したという想定も愉快。血液凝固剤の“経口投与”によってゴジラを“凍結”させるという最後の手段も奇想天外なら、その風景も福島原発の事故対応を連想させ、まさにパロディー。
その反面、アメリカを中心とする国連安保理が、都心のゴジラへの核攻撃を決議し、日本はそれに追従・・というのも、ブラックユーモア!?

ふと腕時計を見たら、上映時間の終わりまで残り10数分・・・。すると大規模な反撃。“無人在来線爆弾”が走ったと思ったら、ゴジラ近くのビルを倒してゴジラを攻撃。ビル群がリアルだったので、自分たちが今住んでいるマンションを利用された?人も多かったのでは!?

まま、ともあれ大規模なCG映画だった。ここまでダイナミックな音響と画面は、やはり家庭のテレビでは味わえない。
見終わったカミさんの評価も、好評。奢った甲斐があった!?

そして、映画の最後に延々と流されるスタッフの大規模さにも圧倒される。政府や自衛隊を初め、あらゆる組織名が延々と続く。非常に大規模な映画だという事が分かる。
なるほど・・「社会現象」という表現も分かる・・・

まあ日本も、これだけ政府を茶化しても協力が得られるので、まだまだ自由なのかも知れないな・・・と妙に感心した映画であった。
久しぶりに映画館に行って見た中では「◎」であった。楽しめた。

160926ooiocha <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月25日 (日)

「統合失調症の母」~医師・糸川昌成氏の話

前にも書いたが、夜寝て、1時間半ほど経つと、目が覚める事がある。その時は、開き直ってPCからウォークマンに転送しておいたNHKラジオ深夜便の番組を聞きながら、眠くなるのを待っている。
それで、昨夜聞いたのが、“明日へのことば「統合失調症の母からの贈り物」:東京都医学総合研究所病院等連携研究センター長・糸川昌成さん”(2016/09/19放送)という番組。これが少しショッキングな内容で、かえって目が覚めてしまった!?

NHKのサイトにはこう解説がある。
「糸川昌成さんは精神科の医師で、「統合失調症」研究の分野では第一人者です。
160925itokawa 実は幼いころ別れたきりになってしまった母が、統合失調症でした。糸川さんは生きているうちに再会しなかったことを悔やみ、母の死後、その足跡をたどるうちに「単に細胞を治すことだけが医療ではない、その人固有の生きる物語に寄り添うことが医療である。」ことに行きついたといいます。
番組では糸川さんに「統合失調症の母からの贈り物」と題してお話しいただきます。」(
ここより)

お話を少し聞いてみよう。

<「統合失調症の母からの贈り物」~糸川昌成氏の話>

*この番組の全部(41分)をお聞きになる方は、(ここ=ZIP)をクリックしてしばらく待つ。

うつ病もそうだが、統合失調症も、良い時と悪い時が交互に来るという。そして「反省と後悔」が一番悪いという。良いことだけを考えていれば良くなると言う。

自分の母親の病気の治療薬の研究を仕事としている氏の話は、かなり壮絶。
Netでググってみると、氏のこの放送以上の詳細なお話を聞く事が出来る(ここ)。それで、改めて全編聞いて(読んで)しまった。

放送では出て来なかった父親の話や、公表することでの家族の話などもあり、色々と考えさせられてしまった。(あえてコメントは差し控える。)

統合失調症は、昔は精神分裂病。この呼び方は2002年まで使われていたそうだ。
この病気の家族を持っている人は、その存在を隠す。まさにハンセン病(らい病)(ここ)と同じだ。
自分は、うつ病も統合失調症も、遺伝するとは考えていない。もちろんハンセン病も。
しかし、世の中はどうか・・・である。
上の氏の話に「私が母のことを、本を書いてその最後に母の病気のことを公表したのですが、妻が必ずしも賛成ではなかったのです。3人の子どもがいる。特に7歳の娘がいます。妻の言葉ですが、あなたは、精神障害者のためにという、こう立派な覚悟があるのかもしれない。その“立派に”というのは、まあ、とても、何か…素直な意味ではない“立派に”という言い方でしたけども。で、『親の立派な覚悟のお陰で、子ども達まで犠牲にしていいの?』というふうに言われたのです。」というくだりがある(ここ)。

世の中に偏見がある病気を家族が患っている場合の、そして、自分の両親について、自分が知らない、という人生。
我々のように平々凡々の人生からは想像出来ない人生がそこにあった。

結局、解は「家族の理解」しかないのだろう。上の、子を思う奥さんの言葉もごく普通の反応だ。それでも、家族の理解がありさえすれば、逃げ場も出来て、うつ病も克服出来る。
病気も含めて、「家族」について考えさせられた氏のお話であった。

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2016年9月24日 (土)

「売れ残った食品はどこに行く?」~食品ロス問題

先日、朝日新聞でこんな記事を読んだ。
「(フォーラム)食べ物を捨てる:4 一歩前へ
弁当→飼料→卵や肉に
 スーパーやコンビニエンスストアで売れ残った食品はどこに行くのでしょうか?
 コンビニ大手のローソン。昼下がりに東京都内の店舗で、商品を棚から撤去していました。同社によると、消費期限の3時間前をめどに下げます。持ち帰って食べるまでの時間を見込んでいるのだそうです。ローソンで出る売れ残り食品は1店舗1日あたり7.8キロ(2015年度)。全国で年3万6千トンになります。
 消費期限が迫った商品を値引きする店もありますが、「24時間営業では、スーパーのように閉店前に売り切ることができず、値引きシールを貼る負担も重い」(同社)。売れ残りをゼロにするのは難しそうです。
160924syokuhinloss  千葉県市川市の食品リサイクル会社、農業技術マーケティング(伊藤秀幸社長)には、都内や千葉県内のローソン約450店舗で売れ残った弁当やおにぎり、サンドイッチがトラックで次々と運ばれてきます。消費期限前や切れたばかりのものです。「未利用資源で廃棄物ではありません」と野呂重之副社長は言います。
 基本的には手つかずの食品ですが、たまに缶や割り箸などが混じるので手で除きます。ほかはベルトで分別機に運ばれて、プラスチック容器とミンチ状になった食品残渣(ざんさ)に分けられます。残渣を乾燥機に入れると、さらさらの粒に。ふるいにかけて細かいプラスチックなどを取り除きます。飼料メーカーが配合して、養鶏用の飼料が出来上がります。
 飼料は千葉県内の養鶏場で使われます。卵は「エコで育った千葉のたまご」という名前で、千葉県と茨城県の一部のローソンで売られます。
 ローソンは全国約1万3千店の2割で売れ残り食品のリサイクルに取り組み、年8千トンが再生利用されているそうです。ただ、地域によってはリサイクル業者が少ないので、全国に広げるのは難しいといいます。
 スーパーやコンビニの食品ロスなどを利用して野菜や食肉を生産し、排出した店舗などで販売することを、「リサイクルループ(輪)」と呼びます。食品リサイクル法でループと認定されたのは、これまでに54事業あります。
 コンビニ大手のファミリーマートの都内など500店舗から出る食品残渣は液体飼料になり、その飼料で育てられた豚が、同社の弁当のおかずになります。スターバックスコーヒージャパンのコーヒーの豆かすは飼料や肥料にされ、とれた牛乳や野菜は店の乳製品やサンドイッチになります。イオン、ユニーなどのスーパーも、食品ロスを飼料化したり肥料化したりし、これを用いて生産された豚肉や野菜を自分たちの店で販売しています。
 食品リサイクル実施率は製造業95%、卸売業57%、小売業46%、外食産業24%と、加工が進んで私たちのテーブルに近くなるほど低くなっていきます。(今村尚徳、編集委員・石井徹)

◇「食品ロスが減っても飢餓に苦しむ人の食料が増えるわけではない」という声を聞きます。でも、国連食糧農業機関(FAO)は、食品ロスが世界的な食料の減少や価格の高騰につながることを懸念しています。満足に食べられない人は国内にもいます。
 食品ロスの削減に反対する人はいません。そういう問題こそ個人の心がけや善意だけでは解決しないように感じます。米国や韓国にはフードバンクの活用を促進する法律があり、フランスは食べられる食品を捨てることを法律で禁じました。私たちにはどんな社会経済システムの変革が可能なのか、消費者を含めて突き詰める必要がありそうです。 (石井徹)」(
2016/09/18付「朝日新聞」p9より)

コンビニなどで売れ残った弁当などは、ゴミ箱に棄てられ、それがホームレスの人の貴重な食糧になっていると、何かで見た。しかし、地域によっては、リサイクルが行われているらしい。しかしローソンでは2割ほど。小売業では46%、外食産業では24%だという。

前に「“目から鱗”の、素晴らしい超ローカルスーパー「一期家一笑」」(ここ)という記事を書いた。ここでは、売れ残りを減らす事で価格を下げている。
カミさんのお気に入りの近くの「角上魚類」(ここ)。ここでは、夕方、売れ残りそうな魚は、総菜に回し、その日のうちに売り切って、毎日の魚の新鮮さを保つらしい。

たまの(火)に行く、近くのイオンモール多摩平の森(ここ)。2年ほど前にオープンしたが、当初は客が少なく、特に巨大な食品売り場では、「あんなに在庫して売れ残ったものはどうするんだろう・・・」と、心配?したもの。最近は結構人が入っているものの、売れ残りはたくさん出るだろう。
どの店も、在庫を切らせる訳にはいかず、かと言って、売り切る事も難しい。結果、売れ残り食品は出る。
フードバンクのような活動もあるが、消費期限のある食品はなかなか難しい。

一方、フランスでは法律で売れ残り食品の廃棄を禁止したそうだ。
売れ残り食品の廃棄を禁止する法律、フランスが全会一致で可決
膨大な食品の廃棄量に頭を悩ませるフランスで、大手スーパーマーケットがまだ食べられる食品を廃棄処分することを禁じる法律が制定された。
この法案は、5月21日にフランスの国民議会で全会一致で可決された。一連の法律によって、店舗の面積が400平方メートルを超えるスーパーマーケットは賞味期限切れなどで販売できなくなった食品を処分することができなくなる。
売れ残った食品は慈善団体に寄付するか、家畜の飼料や肥料に転用しなければならなくなり、法律に従っていることを証明するため、スーパーマーケットは慈善団体と契約を結ぶことも義務付けられる。・・・・(2015年05月25日)」(
ここより)

フランス、スーパーでの食料廃棄を法律で禁止
昨年5月フランスでスーパーマーケットの賞味期限切れ食品の廃棄が法的に禁止されたが、今月5日から実施されることになった。廃棄されるはずだった食品はフードバンク(品質に問題がない食品を生活困窮者などに配給するシステム)などの援助機関に回され、必要とする人々に配られる。これによって、毎年数百万人に無料の食事を提供できるようになるという。
また、延べ床面積400平方メートルを超える店舗には、売れ残り食品の受け入れを行っている慈善団体との契約を2016年7月までに結ぶことが義務付けられ、これを行わなければ、最高7万5000ユーロ(約975万円)の罰金が科されることになった。人の食用に適さなくなった売れ残り食品については、家畜の餌や堆肥として転用しなければならない。こうした法律は世界初となる。
フランスでは、毎年約2200万トンの食料が廃棄されており、そのうち本来食べられるのに廃棄されている「食品ロス」は約710万トン。67%が一般家庭、15%がレストラン、11%が小売店で廃棄される。
この法律は署名サイトChange.org上のキャンペーンを受けて制定されたもので、約21万人分の署名が集まった。これに尽力した活動家達は、こうした措置がEUレベルで取られるように、同じ署名活動を欧州全土で立ち上げようとしている。
・・・
日本は米国、フランスに次ぐ世界有数の食料廃棄国である(調査機関によって多少前後するが農林水産省の調べによると)。こうした現状に対し、日本でもフードバンクや形の悪い食材を安く提供する取り組みも行われているが、フードバンクの知名度は低く(2009年のアンケート調査だと7割以上が「知らなかった」)、今後さらなる政府による啓蒙や今回のような法律制定、個人の取り組みが期待される。・・・」(
2016/02/08 ここより)

ここ)によると、この法律も一人の市議の活動が実を結んだという。

「こども食堂」(ここ)の活動のように、日本でも、貧困の家庭や子どもがたくさんいる。
連日、マスコミは豊洲新市場の盛り土問題でお祭り騒ぎだが、それによって受ける影響(被害)と、先のフランスの市議によるこのような地道な活動と、それによるフランス社会の大きな改善。
同じ「食」に関する問題としても、もっともっと目を凝らさなければいけない問題は、他に山のようにあると思うのだが・・・

●メモ:カウント~940万

160924tsukiji <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月22日 (木)

「改憲派から護憲派へ3点質問」~その2

先日(ここ)の続きである。
念のため、「問い」を再掲しておきます。

「(声 どう思いますか)8月11日付掲載の投稿「改憲派から護憲派へ3点質問」
 ■(声)改憲派から護憲派へ3点質問
 無職(愛知県 83)
 参院選の結果、憲法改正の議論が本格化しそうです。しかし、これまでの議論は改憲派と護憲派の意見がかみ合わないまま推移し、今日に至っているのではないでしょうか。
 この状況を改めるには、両派の間で質問と回答を重ねる議論が必要と考えます。「声」欄でやりとりができれば、多くの人に憲法について考えてもらえるのではないでしょうか。
 そこでまず、改憲派の私から護憲派のみなさんに質問させていただきます。
 (1)戦争放棄や戦力の不保持が9条に定められているが、それだけで日本は戦争を仕掛けられたり戦争に巻き込まれたりしないという根拠はあるか。
 (2)改憲派の「日本が第2次大戦後、戦争をせずにこられたのは、日米安保体制や自衛隊の存在のおかげ」という意見をどう思うか。この考えを否定されるなら、日本が平和を維持できた理由をどう考えているか。
 (3)日本の近隣には核武装を進める北朝鮮や、南シナ海や東シナ海で覇権をうかがう中国がいる。こうした国々の覇権主義的な行動を止めるには、対話のほか、抑止力として一定の軍事力も必要ではないのか。
 この3点について、ぜひ護憲派の方々のご意見を伺いたい。 (2016年8月11日付「朝日新聞」(声)より)」

2週目の今回は、こんな回答が載っていた。

「(声 どう思いますか)「改憲派から3点質問」 反響続々、逆質問も
 ■「ハト」の政策手段に知恵出そう
    無職 男性(東京都 84)
 「改憲派から護憲派へ3点質問」(8月11日)を拝見した。それぞれの点にお答えしたい。
 (1)は憲法9条だけで日本は戦争を仕掛けられたり巻き込まれたりしないという根拠になるかだ。
 日本は戦争の反省の上に立って、戦争放棄と戦力の不保持をうたった平和憲法を持った。この精神を体して各国と友好関係を築いてきたおかげで、70年以上も平和を維持できたと思う。
 (2)日本が戦争をせずにこられたのは、日米安保や自衛隊のおかげかどうかについて。
 護憲派も安保と自衛隊の役割を否定してはいない。必要な自衛策を用意したうえで、冷静な平和外交を展開すべきである。
 (3)は北朝鮮や中国への抑止力の必要性。
 安全保障では抑止と安心供与が車の両輪。抑止はタカ、安心供与はハトに例えうる。タカを飼う(軍事力を強化する)のは高くつくが、ハトの政策手段は無限で、知恵の出しどころ。「東アジア共同体」のような関係国が協力する枠組み作りで、覇権主義的行動を緩和できると思う。

 ■テロや紛争の流れに抗したい
    大学生 男性(東京都 22)
 護憲派と改憲派の意見交換、ひじょうに素晴らしいアイデアだと思います。
 (1)9条だけでは、戦争に巻き込まれない保証にはなりません。しかし、自らは戦争をしない、戦力を持たないと宣言するのは、相手を攻撃しないと宣言するのと同じです。だとすれば、戦争に巻き込まれる可能性はかなり低くなるのではないでしょうか。
 (2)日本が70年以上も戦争をせずにこられたのは、米国が同盟国として後ろについていたことが大きいでしょう。また日本が武力を持たず、対話による平和外交を続けてきた結果とも言えます。
 (3)近隣には、国際法に反した行動をとる国々があります。しかし抑止力として軍事力を持てば、その国々の危機感をあおり、さらに強硬な行動をとらせることにつながりませんか。力で抑えつけることは、戦争の引き金になるように感じます。テロや紛争の増加など、世界平和は遠のいているように思えます。しかし平和憲法を持つ日本こそが、この流れに逆らうべきではないでしょうか。

 ■安保法制で平和、改憲は不要
    公務員 男性(大阪府 57)
 護憲派への質問に答える。
 (1)は、成立した安全保障法制によって、憲法の範囲内で日本の防衛体制が強化されることになっている。ゆえに私は日本が世界に誇れる憲法は変える必要はないと考える。ここでもし改憲を叫ぶなら、安保法制を成立させた意味はない。安保法制で日米同盟はより強化されたため、他国は容易に日本に手を出せないだろう。
 (2)については、日本が戦争を仕掛けられなかったのは日米安保体制があったからだ。戦争放棄を叫ぶだけでは、野心の強い国にとって日本は攻めやすいだけである。
 (3)は、一定の軍事力を持っていても、核武装した国と戦って勝てるはずがない。大事なのは、日米同盟を強化し、万が一、日本が攻撃を受けたときに、防衛できる態勢を整えることだ。
 日本の平和は安保法制でよりゆるぎないものになった。政争にあおられてか、安保法制を「戦争法」などと呼ぶ人たちがいるのは残念だ。自らの勉強不足をさらけだすことにならないだろうか。

 ■隣国からの攻撃、考えられない
    作家 男性(愛知県 60)
 私も意見を述べさせてもらいたいと思います。
 (1)戦争は「このままでは他国から攻められるから、その前に攻撃しなければならない」として始められることが多いもの。攻撃を放棄している国が攻められることはあり得ません。
 (2)平和を維持できたのは、憲法で戦争を放棄したから。在日米軍は、日本にある基地を自国の戦略に利用してきただけです。
 (3)北朝鮮の核・ミサイル開発など様々な行動は、自国存続のためのものでしょう。中国の東シナ海などでの活動も、彼らからすれば主権を持つ海域のパトロールをしているだけです。日本への攻撃など考えられません。
 近隣国の脅威を針小棒大に言い立て、これを理由として憲法を改正する動きのほうが心配です。自民党の改憲草案をみると、有事の際に政府の権限を強化する緊急事態条項の導入など、全体に個人の人権、自由を制限しようとしていると感じます。日本の平和にとっては、そうした動きのほうが大きな脅威であるといえます。

 ◆担当者から
 護憲派と改憲派の間で、キャッチボールのように議論を進めたい。そういう思いから、最初のボールとなる「改憲派」の方の投稿を8月に掲載しました。
 200通近い反響があり、2週にわたって8人の護憲派の方の投稿を紹介しました。9条の意義だけでなく、その理念を具体化させる外交があってこそ平和が保てるといった意見が寄せられました。冷戦後の世界情勢を踏まえた議論の必要性を訴える方、文民統制の大切さを主張する方もいました。
 改憲派への「逆質問」もありました。「9条を改めれば平和が維持できるという根拠はあるのか」といった質問です。安全保障に関して「沖縄の犠牲の上に成り立つ安保体制でよいのか」「集団的自衛権の名の下に自衛隊が海外で活動を広げれば、結果として戦争やテロのリスクを高めないか」という問いかけもありました。
 これらの逆質問への回答も含め、「改憲派」の方々からのご意見をお待ちしています。護憲派の方も、引き続き考えをお寄せください。(山本晃一)」)
2016/09/21付「朝日新聞」p16「声」より)

(1)についてだが、先日のコメントにも書いたが(ここ)、この事実をどう捉えるか?
「欧州で第二次大戦が勃発した当初、ドイツの周辺国は選択を迫られた。ドイツ側に付くか否か、それとも中立を守るか、である。このうち、中立を守ろうとしたオランダやベルギー、ノルウェーなどの西欧・北欧諸国はドイツ軍によって軒並み中立を踏み潰され、占領下に置かれた。他の西欧諸国のうち、中立を堅持できたのはスイスとスウェーデン、ポルトガルだけである(スペインは枢軸側についた中立だったが、東部戦線に義勇兵を派遣している)。
 しかしドイツ軍は戦時中、ひそかにスイスとスウェーデンへの侵攻計画も立案していた。中立という概念が、大国の都合から見ればいかに脆いかを示すエピソードといえる。」(「
徹底図解 第二次世界大戦」P82より)」

つまり、幾ら中立を宣言していても、自衛力の無い国は、いとも簡単に侵略されてしまうという事実。このことからも自衛力はもっていないといけない。

ふと、スイスに徴兵制があることを思い出して、ググってみた。するとこんな記事が見つかった。
スイス、徴兵制廃止を否決 国民投票、伝統を支持
スイスで22日、男性への徴兵制を廃止すべきかどうかを問う国民投票が行われ、地元メディアによると、廃止は反対多数で否決されることが確実となった。
 国民皆兵制の武装中立を維持するスイスでは近年、「他国から現実の脅威にさらされているわけではなく金の無駄遣いだ」として徴兵制の廃止を求める声が出ているが、国民の多くが伝統的な制度を支持した形だ。
 政府も国防能力を脅かすとして徴兵制廃止に反対を表明していた。
 地元メディアによると、徴兵が終わった後も予備役のため銃を自宅に保管できることから、銃規制をめぐる議論も活発化している。2011年には徴兵が終わった後も自宅に銃を保管できる制度を見直すかどうかを問う国民投票が行われ、反対多数で否決された。(共同)」(
2013/9/23「産経ニュース」ここより)

「・・・結果は有権者の73%という圧倒的多数が徴兵制の廃止に反対し、26州すべてで廃止反対派が勝利。今後も一部の職業軍人ではなく、国民全体で国防を担うとの意思が示された。・・・」(「ニューズウィーク」ここより)

武装独立と国民皆兵制を国防戦略の基本に据えているスイス・・・・。こんな記事もあった。
「経済的な効果や軍事的な効率性から、軍隊を職業軍人に限定すれば、スイスが「北大西洋条約機構(NATO)に加盟することになってしまう」危険性があるというのである。日本の文脈で言い直せば、集団的自衛権に取り込まれる危険性があるということだ。
つまり、スイスは、集団的自衛権を拒否するために、市民からなる軍隊の基礎となる徴兵を求めているということである。
 他国との軍事同盟を排除して、自国防衛を貫徹させるためには、市民が自らが市民社会の防衛の責務を担うために、徴兵を必要とするという考え方である。」(
ここより)

自国の平和は、天から降ってくる訳ではない。それなりの努力が必要だということ。
スイスは、徴兵制で自国を守ることを選択。そして日本は・・・・?

このテーマは奥が深い。性善説で答えるのは簡単だが、性悪説(第二次大戦のドイツの侵略など)で考えると、あまりキレイな解は浮かばない。
重たいテーマ・・・。色々な視点から考えたいもの・・・。

(関連記事)
「改憲派から護憲派へ3点質問」 

160922kenka <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月20日 (火)

PKO海外派遣に対する現役自衛官の本音~「報道ステーション」より

安保法成立から1年。いよいよ動き出した・・・
昨夜のテレビ朝日の「報道ステーション」(2016/09/19放送)で「「安保法」成立から1年・変質するPKOの“現実”」というタイトルで、現役自衛官の本音が語られていた。
この発言は、まさに今まで皆が予想していた言葉だった。「そうだろうな・・・」と思ったが、この発言内容は、せめて当サイトに永く留めておきたい。

<現役自衛官の本音~「報道ステーション」(2016/09/19放送)より>

「安保法成立から1年。では実際に派遣される側の自衛官はどんな思いなのか。現役の自衛官に話しを聞いてきました。
“やっぱりイメージがわかない。(自衛隊に)入ったときの約束は、国民を守るためが1番。大規模災害で支援して、国民から「ありがとう」と言われるのが一番モチベーションが上がる。だけど駆けつけ警護は(対象が)日本人の人たちでないし、日本の土地でもないし、何をしにわざわざ行くのか。”
安保法成立後、海外派遣についてアンケートを取らされたといいます。三択しなかない。①熱望する ②命令とあらば行く ③行かない ③「行かない」も○をつけたら、後から上司に呼ばれて「何で行けないんだ」と。結局延々と問い詰められたから、じゃあ②「命令とあらば行く」でいいですと。半強制的に変えられたアンケートが、「自衛隊の意識は高い」と発表されても、違うんだよなと。”

本音は別にあると?
“全然違いますよね。たぶん何かあったときには、家族にこのアンケートを見せるのかなと。「本人は希望していました」と。何かあった時の逃げじゃないけど、それが見えてすごく嫌です。
「家族が(いる)。だから俺はいけません」と頑(かたく)なに断った先輩がいた。そうしたら、その先輩は僻地のほうに転属とか、単身赴任で飛ばされるとか、よく分からない人事がある。
幹部の人たちの中にも、私たちの前では「(海外派遣)行くよ」と答えるが、お酒の席で話す時は「行かねえよ」と。
・・・・
(自衛官の)誰かが犠牲になって死なないと、この安保が駄目なのか良いのか、もう一度議題に上る事は無いのかなと。”・・・」(
2016/09/19放送 TV朝日「報道ステーション」から)

この現役自衛官の本音は、「政府が『右』と言っているものを、われわれが『左』と言うわけにはいかない。」というNHKでは、絶対に報道しないものだろう。
「NHKスペシャル 現役自衛官の本音~海外派遣」という番組でも放送されれば、自分はNHKを見直すのだが・・・

ついでに、今日の朝日新聞の夕刊に、こんな記事があった。
駆けつけ警護に即応チーム 陸自、設置方針 南スーダンPKO
 陸上自衛隊が、南スーダンに派遣する国連平和維持活動(PKO)部隊に安全保障関連法に基づく駆けつけ警護などの新任務が付与された場合、それに対応する即応対処チーム(QRF)を部隊内に設けることがわかった。機関銃や小銃で武装した隊員を中心に医官、救急救命士なども加えたチームにするという。
 南スーダンの部隊は約350人。道路補修などを担う施設隊員が中心で、ほかに宿営地内外を警備する隊員らで構成されている。政府は11月以降に現地入りする次期派遣部隊に新任務を付与するかどうかを、来月にも判断する見通しだ。
 陸自関係者によると、QRFは40~50人程度。国連やNGOの職員らが離れた場所で武装集団に襲われた際、武器を持って助けに行く駆けつけ警護や、他国軍と共同で行う宿営地警備を担う。負傷者の応急処置をする医官や司法警察官の資格を持つ警務隊員もチームに加わり、交代で24時間態勢で警戒に当たる。
 陸自幹部は「現場に急行して敵を攻撃し、駆逐できる高い戦闘能力を持たせる」としており、今後、南スーダンの市街地を模した演習場内の施設などで訓練を重ねるという。
 QRFは、2004年に始まったイラク復興支援活動で、テロリストの襲撃などに備えて初めて組織された。機関銃や無反動砲などで武装した隊員ら約30人で1チームを編成し、緊急出動に備えて8台の装甲車両に分乗し待機していた。
 自衛隊の海外の任務では、正当防衛や緊急避難の場合にのみ相手に危害を与える射撃が認められている。イラクでは武器使用基準を緩和し、停止命令を無視して進む自爆テロの恐れがある車両や、ロケット砲を発射しようとする武装勢力に対しては、相手の攻撃がなくても危害を加える射撃を認めた。南スーダンでもイラク派遣時と同様に、武器使用基準を緩和することを想定している。(谷田邦一)」(
2016/09/20付「朝日新聞」夕刊p1より)

選挙が終わって、まさに「いよいよ」である。

そう言えば、この自衛隊の海外派遣に対し、先日当サイトに「今から「世界の戦争に志願」する人を募っておいたらどうだろう。自衛隊内で、「そんなことは約束して入っていない」という雰囲気になれば、志願者は極小だろう。すると、政府はどうするのか・・・」(ここ)と書いた。それが大きな間違いだった。
自衛隊員と言えどもサラリーマン。上司の命令には従わないと、飛ばされる。自由意志など無いのだ。たぶん、福島原発に派遣されるサラリーマンも同じなのだろう。会社から、“自由意志での”アンケートで、「原発の作業に従事しますか?」と聞かれて、「熱望します!」と書かされているのだろう。

直ぐに忘れる日本国民。やはり先の自衛隊員が言うように、誰かが戦地で戦死して、初めて安保法案の現実に意識が向くのだろう。それで政府の支持率の低下に結びつくのかどうか・・・

(付録~当サイトお薦めの番組)
「ザ・ベストテレビ2016」
ここ
第1部[BSプレミアム]2016年9月25日(日) 午後0:45~午後4:58(253分)
▽午後0:50ごろ~民放連賞テレビ報道番組「奥底の悲しみ 戦後70年引揚げ者の記憶」(山口放送)
▽午後1:58ごろ~ATP賞「NHKスペシャル いのち 瀬戸内寂聴密着500日」
▽午後3:00~民放連賞テレビ教養番組「TUFルポルタージュ ふつうの家族 ある障がい者夫婦の22年」(テレビユー福島)
▽午後3:59ごろ~放送文化基金賞「民教協スペシャル しあわせ食堂 笑顔と孤独と優しさと」(青森放送)

第2部[BSプレミアム]2016年9月26日(月) 午後0:45~午後4:15(210分)
▽午後0:51ごろ~“地方の時代”映像祭賞「ウォッチン!プラスSP 海風に舞う 石巻・十三浜 神楽とともに生きる人々」(東北放送)
▽午後1:54ごろ~ギャラクシー賞「報道ステーション 特集ドイツ・ワイマール憲法の“教訓”」(テレビ朝日)
▽午後2:33ごろ~文化庁芸術祭賞「ETV特集 薬禍の歳月~サリドマイド事件50年」(NHK)

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2016年9月18日 (日)

FMシアター「ほかの誰でもないアヤコ」~イモトアヤコ

昨夜は寝付かれなかった。それで、その数時間前に録音しておいたFMシアター「ほかの誰でもないアヤコ」(2016/09/17放送)を聞く事にした。眠くなるまで・・・
ところが、つい最後まで聞いてしまった。その主演、「もしかして・・・」と思ったら、やはりそうだった。主人公はイモトアヤコ。その軽快なしゃべり方から、自分が民放ドラマで唯一見ていた(先週終わってしまったが)日テレのドラマ「家を売る女」(ここ)に出て来た“白洲美加”ではないか・・・と。それで、終わった後に夜中にPCで調べたら、やはりそうだった。

「家を売る女」。この“白洲美加”を演じていた女優が、どうも気になっていた。決して美人さ160918shirasu んではないダメ社員。最後に「あなたは仕事に向かない。自分の足で立つことは不可能です。守ってくれる人を見付けなさい。それが白洲美加の生きる道です。」と言われてしまう。
そのイモトアヤコ。カミさんに聞いたら、頑張り屋さんで、“イッテQ”とかいう番組に出ているお笑い芸人さんそうだ。自分はもちろん知らなかった。イモトアヤコという名も初めて聞いた。
でもこのラジオドラマは、軽快で、つい最後まで聞いてしまった。

NHKのサイトにはこう解説がある。
「(FMシアター)ほかの誰でもないアヤコ
イモトアヤコ演じる究極のダメ女が、生死の境で人生の希望を探す
【あらすじ】雨の日、女友だち栄子に「傘を届けてよ」と頼まれたアヤコ(30)は、駅前の階段で足をすべらせ頭を強打、気がついたらお花畑にいた。死神の使いから、「今までの人生でこんないいことしたって説明できないと、あの世に連れて行きます。制限時間は45分」と言われる。果たして自分に生きる値打ちがあったのだろうか?ダメ女アヤコは、30年の我が身のエピソードを振り返り、必死で生き残るための希望を探すのだった。(NHK FM 2016年9月17日 午後10時放送」(
NHKのここより)

この中で、両親が語るこんな場面が気になった。

<FMシアター「ほかの誰でもないアヤコ」より>

*この番組の全部(50分)をお聞きになる方は、(ここ=ZIP)をクリックしてしばらく待つ。

「つまらないですね。つまらないもんですね。子どもを育てるって・・・」というセリフ・・・

話は飛ぶが、今朝の朝日新聞の投稿欄にこんな記事があった。
「(声)子育てはエンターテインメント
 医療事務 男性(茨城県 38)
 6歳の娘と11カ月の息子を育てています。これから親になる友人、知人や同僚らに「子育てって大変ですか?」と聞かれます。必ず「楽しいよ。毎日が最高のエンターテインメント」と答えます。
 世の中には妊娠したくてもできない人や、厳しい環境で子育てを楽しむどころではない人がいます。私の妻だって楽しいだけではないかも知れません。こうしたことに配慮して、イヤミにならないように「やっぱり子育ては大変だ」と答えるのが無難だというのは分かっています。
 それでも私は、声を大にして「子育ては最高のエンターテインメントだ」と言いたい。大変なこともあるけれど、それ以上に子の成長、笑顔、しぐさ、声、匂い、全部が楽しい。テーマパークなんか目じゃありません。きっと私は、恵まれた環境にいるのでしょう。
 子育ての先輩が楽しさを隠し、口をそろえて「大変だ」と言うと、後輩たちが迷います。子育てに喜びを見いだしている人は、ありのままに「楽しい」と言っても良いと思うのです。」(
2016/09/18付「朝日新聞」p8「声」より)

あまりにキレイな美しい意見に、自分は反感を感じる。棚の上から評論しているようで・・・。
逆に、昨日の新聞にこんな記事もあった。

虐待死、0歳が6割 14年度44人中27人、無理心中除き
2014年度中に虐待で亡くなったと確認された18歳未満の子どもは71人で、無理心中を除けば前年度より8人多い44人に上った。そのうち0歳児は27人で初めて6割を超え、15人は生後24時間以内に死亡していた。厚生労働省が16日、児童虐待による死亡事例の検証結果を公表した。
 無理心中以外では39人が3歳までに亡くなり、9割近くを占めた。主な加害者は実母が28人と最も多く、次いで実父が3人だった。
・・・
 望まない妊娠をした母親が孤立したまま出産し、虐待につながった――。生後24時間以内に死亡した15人を分析すると、こんな背景が浮かぶ。子どもの虐待死を防ぐには、妊娠中や周産期の母親に対する支援体制の強化が求められる。
 生後24時間以内に死亡した15人の加害者は、全員実母だった。14人は望まない妊娠で、11人は母子健康手帳を受け取らず妊婦健診も受けていなかった。
 一方、13人の実父は同居していなかった。このうち5人は実父が特定できず、3人は行方不明などで連絡が取れなかった。・・・・」(
2016/09/17付「朝日新聞」p3より)

このドラマでは、(不細工に)生まれた子どもに、「幸福ポイント」という考え方を教え、何とか心だけでも幸せになって欲しいと、親は願う。幾ら女の子でも、外見はどうしようもない。でも親は責任を負う。

この世に生まれ出る赤ちゃんの環境は様々。望まれて生まれてこない子どもも多い。
ふと、熊本の「赤ちゃんポスト」を思い出した。不幸な生まれの赤ちゃんの、幸福への架け橋・・・

こんなドラマを聞きながら、生まれながらの(外見を含めた)“人間”、そして生きる価値に付いて、考えてしまった。

160918kabin <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月17日 (土)

「戦場に立つということ」~現実味を帯びる海外派兵

先日の朝日新聞に、こんな記事があった。
「(インタビュー)戦場に立つということ 戦場の心理学の専門家、デーブ・グロスマンさん
人殺し拒む本能 訓練で耐性つけ兵士の心を変える
 戦場に立たされたとき、人の心はどうなってしまうのか。国家の命令とはいえ、人を殺すことに人は耐えられるものか。軍事心理学の専門家で、長く人間の攻撃心について研究してきた元米陸軍士官学校心理学教授、デーブ・グロスマンさんに聞いた。戦争という圧倒的な暴力が、人間にもたらすものとは。

 ――戦場で戦うとき、人はどんな感覚に陥るものですか。
 「自分はどこかおかしくなったのか、と思うようなことが起きるのが戦場です。生きるか死ぬかの局面では、異常なまでのストレスから知覚がゆがむことすらある。耳元の大きな銃撃音が聞こえなくなり、動きがスローモーションに見え、視野がトンネルのように狭まる。記憶がすっぽり抜け落ちる人もいます。実戦の経験がないと、わからないでしょうが」
 ――殺される恐怖が、激しいストレスになるのですね。
 「殺される恐怖より、むしろ殺すことへの抵抗感です。殺せば、その重い体験を引きずって生きていかねばならない。でも殺さなければ、そいつが戦友を殺し、部隊を滅ぼすかもしれない。殺しても殺さなくても大変なことになる。これを私は『兵士のジレンマ』と呼んでいます」
 「この抵抗感をデータで裏付けたのが米陸軍のマーシャル准将でした。第2次大戦中、日本やドイツで接近戦を体験した米兵に『いつ』『何を』撃ったのかと聞いて回った。驚いたことに、わざと当て損なったり、敵のいない方角に撃ったりした兵士が大勢いて、姿の見える敵に発砲していた小銃手は、わずか15~20%でした。いざという瞬間、事実上の良心的兵役拒否者が続出していたのです」
160917senjyou  ――なぜでしょう。
 「同種殺しへの抵抗感からです。それが人間の本能なのです。多くは至近距離で人を殺せるようには生まれついていない。それに文明社会では幼いころから、命を奪うことは恐ろしいことだと教わって育ちますから」
 「発砲率の低さは軍にとって衝撃的で、訓練を見直す転機となりました。まず射撃で狙う標的を、従来の丸型から人型のリアルなものに換えた。それが目の前に飛び出し、弾が当たれば倒れる。成績がいいと休暇が3日もらえたりする。条件付けです。刺激―反応、刺激―反応と何百回も射撃を繰り返すうちに、意識的な思考を伴わずに撃てるようになる。発砲率は朝鮮戦争で50~55%、ベトナム戦争で95%前後に上がりました」
     ■     ■
 ――訓練のやり方次第で、人は変えられるということですか。
 「その通り。戦場の革命です。心身を追い込む訓練でストレス耐性をつけ、心理的課題もあらかじめ解決しておく。現代の訓練をもってすれば、我々は戦場において驚くほどの優越性を得ることができます。敵を100人倒し、かつ我々の犠牲はゼロというような圧倒的な戦いもできるのです」
 「ただし、無差別殺人者を養成しているわけではない。上官の命令に従い、一定のルールのもとで殺人の任務を遂行するのですから。この違いは重要です。実際、イラクやアフガニスタン戦争の帰還兵たちが平時に殺人を犯す比率は、戦争に参加しなかった同世代の若者に比べてはるかに低い」
 ――技術進歩で戦争の形が変わり、殺人への抵抗感が薄れている面もあるのでは?
 「ドローンを飛ばし、遠隔操作で攻撃するテレビゲーム型の戦闘が戦争の性格を変えたのは確かです。人は敵との間に距離があり、機械が介在するとき、殺人への抵抗感が著しく低下しますから」
 「しかし接近戦は、私の感覚ではむしろ増えています。いま最大の敵であるテロリストたちは、正面から火砲で攻撃なんかしてこない。我々の技術を乗り越え、こっそり近づき、即席爆弾を爆破させます。最前線の対テロ戦争は、とても近い戦いなのです」
 ――本能に反する行為だから、心が傷つくのではありませんか。
 「敵を殺した直後には、任務を果たして生き残ったという陶酔感を感じるものです。次に罪悪感や嘔吐(おうと)感がやってくる。最後に、人を殺したことを合理化し、受け入れる段階が訪れる。ここで失敗するとPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症しやすい」
 「国家は無垢(むく)で未経験の若者を訓練し、心理的に操作して戦場に送り出してきました。しかし、ベトナム戦争で大失敗をした。徴兵制によって戦場に送り込んだのは、まったく準備のできていない若者たちでした。彼らは帰国後、つばを吐かれ、人殺しとまで呼ばれた。未熟な青年が何の脅威でもない人を殺すよう強いられ、その任務で非難されたら、心に傷を負うのは当たり前です」
 「PTSDにつながる要素は三つ。(1)幼児期に健康に育ったか(2)戦闘体験の衝撃度の度合い(3)帰国後に十分なサポートを受けたか、です。たとえば幼児期の虐待で、すでにトラウマを抱えていた兵士が戦場で罪のない民を虐殺すれば、リスクは高まる。3要素のかけ算になるのです」
 ――防衛のために戦う場合と、他国に出て戦う場合とでは、兵士の心理も違うと思うのですが。
 「その通り。第2次大戦中、カナダは国内には徴兵した兵士を展開し、海外には志願兵を送りました。成熟した志願兵なら、たとえ戦場体験が衝撃的なものであったとしても、帰還後に社会から称賛されたりすれば、さほど心の負担にはならない。もし日本が自衛隊を海外に送るなら、望んだもののみを送るべきだし、望まないものは名誉をもって抜ける選択肢が与えられるべきです」
 「ただ、21世紀はテロリストとの非対称的な戦争の時代です。国と国が戦った20世紀とは違う。もしも彼らが核を入手したら、すぐに使うでしょう。いま国を守るとは、自国に要塞(ようさい)を築き、攻撃を受けて初めて反撃することではない。こちらから敵の拠点をたたき、打ち負かす必要がある。これが世界の現実です」
 ――でも日本は米国のような軍事大国と違って、戦後ずっと専守防衛でやってきた平和国家です。
 「我々もベトナム戦争で学んだことがあります。世論が支持しない戦争には兵士を送らないという原則です。国防長官の名から、ワインバーガー・ドクトリンと呼ばれている。国家が国民に戦えと命じるとき、その戦争について世論が大きく分裂していないこと。もしも兵を送るなら彼らを全力で支援すること。これが最低限の条件だといえるでしょう」
     ■     ■
 ――気になっているのですが、腰につけたふくらんだポーチには何が入っているのですか。
 「短銃です。私はいつも武装しています。いつでも立ち上がる用意のある市民がいる間は、政府は国民が望まないことを強制することはできない。武器を持つ、憲法にも認められたこの権利こそが、専制への最大の防御なのです」
 ――でも銃があふれているから銃撃事件が頻発しているのでは?
 「日本の障害者施設で最近起きた大量殺人ではナイフが使われたそうですね。我々は市民からナイフを取り上げるべきでしょうか」
 ――現代の戦争とは。
 「戦闘は進化しています。火砲の攻撃力は以前とは比較にならないほど強く、精密度も上がり、兵士はかつてなかったほど躊躇(ちゅうちょ)なく殺人を行える。志願兵が十分に訓練され、絆を深めた部隊単位で戦っている限り、PTSDの発症率も5~8%に抑えられます」
 「一方で、いまは誰もがカメラを持っていて、いつでも撮影し、ネットに流すことができる時代です。ベトナム戦争さなかの1968年、ソンミ村の村民500人を米軍が虐殺した事件の映像がもしも夜のニュースで流れていたら、米国民は怒り、大騒ぎになっていたでしょう。現代の戦争は、社会に計り知れないダメージを与えるリスクも抱えているのです」
     *
 Dave Grossman 1956年生まれ。米陸軍退役中佐。陸軍士官学校・心理学教授、アーカンソー州立大学・軍事学教授をへて、98年から殺人学研究所所長。著書に「戦争における『人殺し』の心理学」など。

 ■取材を終えて
 戦場に立つということは、これほどまでに凄(すさ)まじいことなのだと思った。
 ただ、米国民がこぞって支持したイラク戦争では結局、大量破壊兵器は見つからず、「イスラム国」誕生につながったことも指摘しておきたい。
 日本が今後、集団的自衛権を行使し、米国と一心同体となっていけば、まさに泥沼の「テロとの戦い」に引き込まれ、手足として使われる恐れを強く感じる。やはり、どこかに太い一線を引いておくべきではないだろうか。一生残る心の傷を、若者たちに負わせないためにも。(萩一晶)」(
2016/09/09付「朝日新聞」p15より)

自衛隊が海外で武器を持って戦うことも、絵空事では無くなってきた。国連の名のもとでの派兵など、現実味を帯びてきた。
上の文を読むと、派遣された自衛隊員は、今の日本では凄まじい環境に置かれる事になろう。

「ベトナム戦争で大失敗をした。徴兵制によって戦場に送り込んだのは、まったく準備のできていない若者たちでした。彼らは帰国後、つばを吐かれ、人殺しとまで呼ばれた。」
「我々もベトナム戦争で学んだことがあります。世論が支持しない戦争には兵士を送らないという原則です。国防長官の名から、ワインバーガー・ドクトリンと呼ばれている。国家が国民に戦えと命じるとき、その戦争について世論が大きく分裂していないこと。もしも兵を送るなら彼らを全力で支援すること。これが最低限の条件だといえるでしょう。」

現在の自衛隊が、専守防衛ではなく、“世界の警察”として世界の戦場に派兵されることを考えると、日本の世論はどう動くか? 果たしてそれを支持するか? たぶんほとんどの国民は支持しないだろう。
現在の自衛隊員も、日本国民の防衛のために自衛隊に入ったのであって、知らない国の人のために、またはアメリカのために命を捨てる気は無い。と言うだろう。
しかし、現政権の目は、国民を向いていない。アメリカのご機嫌だけ・・・

はざまに入るのが、命令されて派遣される自衛隊員。そこには地獄が待っている。戦場で、殺すか殺されるか。そしてどんなに命令に忠実であろうとも、帰国して待っているのは、国民や家族の冷たい目・・・。
そこに救いはない。

当然、自衛隊への希望者は激減するだろう。しかし現役の自衛隊員には、生活があり、家族がいる。
既に自衛隊内で検討されているかも知れないが、世界に派遣されていく人の、選考基準は何か?
かの神風特攻隊でさえ、とてもイヤだといえる状態では無かったという。
たぶんゼロではないだろうから、今から「世界の戦争に志願」する人を募っておいたらどうだろう。自衛隊内で、「そんなことは約束して入っていない」という雰囲気になれば、志願者は極小だろう。すると、政府はどうするのか・・・

アメリカに先制攻撃をしての戦争勃発はあまり考えられないが、アメリカに代わる「世界の警察」としての任務と考えると、国連の名を借りた派兵は現実味を帯びる。
いやはや飛んでもない時代になったもの。日本国民は、海外派兵を自分の家族の問題、と捉えて考えてみる必要があるのではないか?

160917kazoku <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月14日 (水)

「改憲派から護憲派へ3点質問」

今朝の朝日新聞にこんな記事があった。
「(声 どう思いますか)8月11日付掲載の投稿「改憲派から護憲派へ3点質問」
 ■(声)改憲派から護憲派へ3点質問
 無職(愛知県 83)
 参院選の結果、憲法改正の議論が本格化しそうです。しかし、これまでの議論は改憲派と護憲派の意見がかみ合わないまま推移し、今日に至っているのではないでしょうか。
 この状況を改めるには、両派の間で質問と回答を重ねる議論が必要と考えます。「声」欄でやりとりができれば、多くの人に憲法について考えてもらえるのではないでしょうか。
 そこでまず、改憲派の私から護憲派のみなさんに質問させていただきます。
 (1)戦争放棄や戦力の不保持が9条に定められているが、それだけで日本は戦争を仕掛けられたり戦争に巻き込まれたりしないという根拠はあるか。
 (2)改憲派の「日本が第2次大戦後、戦争をせずにこられたのは、日米安保体制や自衛隊の存在のおかげ」という意見をどう思うか。この考えを否定されるなら、日本が平和を維持できた理由をどう考えているか。
 (3)日本の近隣には核武装を進める北朝鮮や、南シナ海や東シナ海で覇権をうかがう中国がいる。こうした国々の覇権主義的な行動を止めるには、対話のほか、抑止力として一定の軍事力も必要ではないのか。
 この3点について、ぜひ護憲派の方々のご意見を伺いたい。 (2016年8月11日付「朝日新聞」(声)より)
     ◇
安全保障、柔軟に議論する契機に
 大学生(熊本県 22)

 両派の間で議論が必要とのご投稿に大いに賛成です。私の回答は次の通りです。
 (1)戦争を仕掛けられないという根拠は、憲法の理念に基づいた具体的な外交や安全保障政策を通じて作り上げていくものです。
 (2)国際関係は様々な要素で動き、平和が続いた理由を安易に絞り込むことはできません。日米安保と自衛隊がなければ戦争に巻き込まれていたのではないかと考えるのであれば、9条がなければ日本がベトナム戦争や朝鮮戦争に巻き込まれ、日本の若者も血を流していたのではないかという可能性も考えるのがフェアでしょう。
 (3)軍事力による抑止に依存することは軍拡競争をもたらし、地域の緊張を高めます。日本が「戦力」を整備することは、かえって紛争の危険を高めることになりかねません。
 軍隊を持つか否かという硬直した二者択一にとどまらず、9条改正の議論を安全保障を柔軟に構想する議論に発展させたいものです。それが日本の民主主義に貢献すると思います。

戦争体験者の思いが平和支えた
 会社役員(長野県 39)

 私の考えは、こうです。
 (1)絶対的な根拠はありません。しかし、武力による威嚇や行使を初めから放棄し、交戦権を否認している国に対し、先制攻撃を仕掛けてくる国があるのでしょうか? 実行すれば、攻撃した国は国際社会から孤立することになります。そのリスクを考えると、攻撃を仕掛ける可能性は少ないと言えると思います。
 (2)日米安保体制や自衛隊に加えて、9条に基づく平和主義、そして何より、戦争を経験した方々の平和への思いゆえ、平和が維持できたと考えます。戦争が始まれば命が失われ、すべてが破壊される。その悲惨さを知る世代の思いです。
 (3)自衛のための軍備は必要と考えます。私は憲法の中で基本的人権が最も大事だと考えますが、それを守るためにも。ただ、どの程度の軍備なら自衛のための範囲内と言えるのか、といった部分を議論する必要があるでしょう。
 世代の違う投稿者さんと、是非語り合いたいですね。

憲法を積極的に使いこなそう
 派遣社員(大阪府 51)

 私は、憲法に修正が必要な部分はあるが、憲法9条の改変は不要だと考えています。以下、ご投稿にお答えします。
 (1)9条の存在だけで戦争回避はできません。9条の理念を国際社会に広め、その理念が実現するよう積極的に働きかけるべきです。
 (2)「日本が平和を維持できたのは9条のおかげ」とも考えられます。9条がなければ日本はすでに米国の戦争に巻き込まれ、派兵していたのでは。自衛隊や米軍基地と9条の共存は矛盾するとの意見もありますが、平和の理念と軍事力の共存は、国際社会全体が抱える矛盾でもあります。
 (3)軍事力で戦争を避けられるという論理に根拠はあるのでしょうか。抑止力に頼れば、必ず軍拡競争になります。「一定の軍事力」は先々、「無限の軍事力」になるのではないでしょうか。軍事力で国際問題が解決した例はなく、複雑な問題には多様なアプローチが必要で、日本は欧米とは違う手法を取ることが可能です。憲法をもっと積極的に使いこなすべきです。

9条改変なら北東アジア流動化
 アルバイト(神奈川県 65)

 ご投稿は、北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の東シナ海・南シナ海をめぐる動きが日本にとって危機的状況に入ったとみての声だろう。
 歴代政府は日米安保や自衛隊を個別的自衛権の範囲内と解釈してきた。国民は9条の戦争放棄・平和主義を支持しており、個別的自衛権の範囲内ならばと自衛隊などを認めてきたと思う。
 しかし、安倍内閣は「日米同盟強化」を名目に集団的自衛権の行使を認め、安保関連法を強行採決した。こうした中、中国や北朝鮮の不穏な動きは沈静化するどころか、むしろ活発化している。
 ここで日本が中国・北朝鮮脅威論に応えるべく9条を改変すれば、中国・北朝鮮に軍拡の口実を与え、各国の世論も揺さぶられ、北東アジア情勢は流動化しかねない。同盟強化が逆に「安全保障のパラドックス」として作用してしまう。
 私たちは、9条が侵略や植民地支配への反省の上にできた重みを、思い起こすべきだ。日中・日朝の正常な関係は、加害国日本がきちんと歴史に向き合っているとの信頼があってこそ成り立つ。」(
2016/09/14付「朝日新聞」p16より)

この8月の投稿は、自分もよく覚えており、直ぐには反論も出来ず、考えてしまった。

話は飛ぶが、今日のNHKニュースではこんなニュースを流していた。
北朝鮮の核実験めぐり 米と北朝鮮が激しい応酬
北朝鮮による核実験に対して国際的な非難が高まる中、スイスのジュネーブで開かれた軍縮会議では、アメリカが北朝鮮による核保有を断じて認めないとしたのに対し、北朝鮮はあくまでも核開発を推し進めると反論し、双方が激しい応酬を繰り広げました。
ジュネーブで13日に開かれた軍縮会議では、北朝鮮が先週、5回目の核実験を行ったことについて、アメリカや日本など30か国以上が相次いで非難する声明を発表しました。
このうち日本の佐野利男軍縮大使は、「世界の平和と安全を脅かす許されざる行為だ」と述べ、国際社会の制止を無視して核実験を繰り返す北朝鮮を厳しく非難しました。また、アメリカの代表も、「国連安保理決議に違反し続ける北朝鮮を、核保有国として認めるつもりはない」と述べ、北朝鮮による核兵器の開発や保有を断じて認めないと強調しました。
これに対して北朝鮮の代表は、「アメリカこそがわが国に核開発を強いている。アメリカの挑発が続くかぎり今後も核開発を続ける」と強く反論し、双方が激しい応酬を繰り広げました。
北朝鮮による核実験をめぐっては、13日にニューヨークで開幕する国連総会でも主要な議題となるものと見られ、北朝鮮に対する追加制裁に向けて各国の首脳がどこまで結束を示せるのかや、これに北朝鮮側がどう応じるのかが注目されます。」(
2016/09/14  4時49分ここより)

北朝鮮 爆撃機の韓国派遣で米に反発
北朝鮮による5回目の核実験を受けて、アメリカ軍は13日、B1爆撃機を韓国に派遣し、ソウル近郊の空軍基地の上空で韓国空軍の戦闘機とともに低空飛行する様子を公開しました。
これに対し、北朝鮮は14日、国営の朝鮮中央通信を通じて「アメリカが核戦略爆撃機を緊急出撃させる軍事的挑発を敢行した」としたうえで、爆撃機について「核の先制攻撃に利用する殺人装備だ」と主張しました。そして、「アメリカの挑発によって朝鮮半島情勢は刻一刻と爆発の局面へと突き進んでいる」として、圧力を強めるアメリカに反発しました。そのうえで、「いかなる挑発も一撃に撃退できる軍事的対応手段を備えたわが軍隊はアメリカの軍事的動きを鋭意注視している」と強調しました。
アメリカ軍は今回、核実験を受けて派遣したB1爆撃機について、「核兵器を搭載できない」として核戦力による威嚇には当たらないという認識を示すとともに、「同盟国を守るため必要な措置を取る」と述べるなど、引き続き断固たる姿勢で臨むと強調しています。
これに対し、北朝鮮は、「アメリカの核の脅しに対抗するためだ」として、核・ミサイル開発を正当化する主張を強調していくと見られ、今後、さらなる反発が予想されます。」(
2016/09/14 16時30分ここより)

北朝鮮の「アメリカによる脅威がなければ朝鮮半島に核問題はなかった。」「アメリカの挑発によって朝鮮半島情勢は刻一刻と爆発の局面へと突き進んでいる」という発言。
アメリカと北朝鮮の応酬は、上の「軍事力による抑止に依存することは軍拡競争をもたらし、地域の緊張を高めます。日本が「戦力」を整備することは、かえって紛争の危険を高めることになりかねません。」という意見に合っている。

アメリカが圧力を与えれば、与えるほど、反発する。
しかし、圧力を与えなければ解決するかというと、そう甘くもない。たぶん、北朝鮮の核開発は、言を左右にして止まる事はないのだろう。
さてその時に、日本はどうするか・・・・

来週もこの続きがあるそうなので、また読んで考えたい。

(関連記事)
「改憲派から護憲派へ3点質問」~その2 

160914ishi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月13日 (火)

トイレ個室のマナー

今日の「読売新聞」の夕刊に、こんな記事があった。
「[個室のマナー]個性表れるトイレ使用…松任谷正隆 音楽プロデューサー
 いつだったか、どこかのホテルでのことだ。寝坊したせいで慌ててチェックアウトをして、自分の部屋で用を済ませてこなかったことを少しだけ後悔しながらロビー横のトイレの個室に入った。
 トイレの個室は誰も入ることの出来ない僕だけの城だ。この瞬間だけは僕は本当に1人になれる。とはいえ共同のトイレだから荷物を床に置く気にはなれない。仕方なしにドアに付いているフックのようなものにバッグを引っかけ、携帯電話を取り出し、ゆっくりと用を足そうかとズボンを下ろして深呼吸をする。
 携帯のニュースでも見るか、と思っていたところに、バタバタと慌ただしい足音を立てて隣人が入ってきた。この感じからしてかなり切迫している様子だ。案の定、ものすごい勢いでドアが閉まったと思ったらものすごい勢いでガチャリと鍵がかかり、それと同時にベルトを外すカチャカチャという音とともにドスンと座る音がする。
 まあ、そのあとのことは擬音化するのにはばかられるので省略するが、僕がはたと思ったのは最後の紙を使うときの音だ。カタカタカタ、どころじゃない。まるでおもちゃの機関銃のようにすごい連続音がする。つまり隣人はものすごい勢いで、ものすごい量の紙を一気に引っ張り出していると思われるのだ。
 耳を澄ませていると、一気に引っ張り出した紙をくしゃくしゃと丸めて使っているらしい。それがおよそ2回。たった2回の動きでも、きっと2メートルは使っているだろうな、と思う間もなくバタンとドアの音がして再びバタバタと足音が遠ざかっていく。
 昔の山賊みたいな顔を想像した。と同時に紙の使い方って親からいつ教わったのだろう、という疑問が生じた。僕の場合は切り目に沿って6回。きちんと折りながら引き出すから、決してあのような音はしない。カタ、カタ、カタと小さく6回。すでに折りたたまれているから当然クシャクシャという音もしない。
 これ、親から教わったものでないことは確かだ。そして紙の使い方なんて、誰とも話題にしてこなかったことに気付いた。リサーチしてみると、まあそのスタイルの千差万別なこと。見事にその人なりのオリジナリティーというかキャラクターが滲にじみ出ている。
 隣人から漂う匂いを嗅ぐのは御免被りたいけれど、公共の場所は様々なことを学べる場所でもある。そういえば、このあいだの個室では、やはり隣人が入ってきて、ドアが閉まり、ズボンを下ろす音の次にいきなり温水洗浄便座の音が聞えた。誰かが誘い水としての使い方をするのだよ、と言っていたことを思いだした。待て。そんな使い方をしたらノズルが……。
 僕の周りの女子たちはたいてい公共の温水洗浄便座は使わないそうである。

  まつとうや・まさたか  今の近況と言えばレコーディングだ。最終段階でロサンゼルスに来ている。ここまでは過去最高の出来だと思っているが、ここで一気に奈落の底に落ちる可能性もある。一瞬たりとも気が抜けない時間が続いている。なんて言いながらこの日は寝坊した。」(2016/09/13付「読売新聞」夕刊p2より)

まったく同じ経験をした事がある。このカタカタだが、人によってもの凄い使い方をしている。まるで一人で全部の紙を使ってしまいそうな音を聞いた事がある。
自分は、なぜか4つ折りがクセ。カタカタと出した紙を、半分に折って、それをまた半分に折って使う。だから紙の量は最少。まあそれを何回か使うので、あまり自慢も出来ないが・・・
しかし、この最後の部分はショック。
「ズボンを下ろす音の次にいきなり温水洗浄便座の音が聞えた。誰かが誘い水としての使い方をするのだよ、と言っていたことを思いだした。待て。そんな使い方をしたらノズルが……。」
ウチの温水便座も、最初にチョロチョロとノズルを洗う音が聞こえる。この意味が分からなかったが、そういうことか・・・。でもそんな使い方をしたら壊れてしまうのでは?
でも、ノー天気は自分でさえ、「たいてい公共の温水洗浄便座は使わないそうである」ことになりかねない。
タダのもの(トイレットペーパー)の使い方は、人間の品性を表す。それに洗浄の使い方も、後の人のことを考えていない。せめてこれらは、品性を持って使いたいもの。

話は変わるが、我が家では、1階のトイレは(ほぼ)カミさん専用。2階のトイレは、自室のある自分専用。しかし、夜中はさすがに二人で使う。
その2階のトイレだが、巻紙の消費が結構早いのである。自分の使い方は、先に書いた通り“みみっちい”。それでも直ぐに巻きが細くなる。自分以外に使うのはあと一人しか居ない。
さすがに我が家の中には、カタカタ人間はいないと思うのだが・・・。でもカタカタという音を良く聞く。
品位を保ったトイレの使い方は、なかなか難しいものである。
ちなみに、先の記事、松任谷由実の亭主だそうな。ヘエ~・・・

160913abune <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月12日 (月)

2016年「第15回シルバー川柳」入選20句

今年も、「シルバー川柳」の入選作が発表になったようだ。一緒に読んでいこう。

■老いるとはふえる薬と減る記憶(女性/愛知県/68歳/主婦)
⇒まあ、そうだね。コメント無し。
■マイナンバー ナンマイダーと聴き違え(男性/山梨県/67歳/自営業)
⇒マイナンバーは、本当に役に立つのだろうか?トラブル続きだし・・・
■徘徊もタスキかければパトロール(女性/大分県/59歳/会社員)
⇒そう。逆襲も必要!物は言い様だ。
■年賀状出さずにいたら死亡説(女性/島根県/47歳/自営業)
⇒やはり最後は「今後、年始のご挨拶はご辞退させて・・・」と書かねば!
■長生きをほめる世間に子は疲れ(女性/愛媛県/63歳/子ども英会話教室講師)
⇒これから我々は、いかに子どもに迷惑をかけないで死ぬかが、大きな課題。
■上向いて歩こう今では下見よう(男性/埼玉県/69歳/自営業)
⇒これから危ない!転倒が、骨折、寝たきり、認知症への近道。
■想い出が身辺整理の邪魔をする(女性/神奈川県/92歳/無職)
⇒思い切って棄ててみると、意外と後悔することが無いことに気付く。
■壁ドンでズボンの履き換えやっとでき(男性/福井県/69歳/無職)
⇒まだ69歳でしょ?ラジオ体操でもしましょうかね?
■老人会みんな名医に早変り(男性/千葉県/82歳/無職)
⇒自分の場合、同期会がその場面。病気自慢が一番盛り上がるのは確か。
■三度目は聞こえたふりの半笑い(男性/大阪府/69歳/無職)
⇒耳が遠くなると、まあこうですね。心当たり有り。
■人生に迷いはないが道迷う(男性/愛媛県/47歳/公務員)
⇒人生も迷いだらけでしょう!?
■お互いにボケかトボケか気がつかず(男性/神奈川県/74歳/自由業)
⇒なるほど。良く分かる。
■脳トレで信じたくない老いを知り(女性/愛媛県/67歳/無職)
⇒いやいや、脳の衰えはまだまだでしょう。
■ハイタッチ腕が上がらず老タッチ(男性/北海道/48歳/会社員)
⇒70近くなって大変だった「五十肩」を思い出しました。車で。ハザードランプのスイッチまで手が上がらない・・。
■浪花節何のだしかと嫁が聞き(男性/岐阜県/74歳/無職)
⇒もうそんな時代なのですね。自分も聞かないけど・・・
■もったいない気づけば我が家はゴミ屋敷(女性/東京都/63歳/無職)
⇒自分の遺族のためにも、身辺整理は早々にスタート!
■アルバムに遺影用との付箋あり(男性/埼玉県/65歳/自営業)
⇒ウチのお袋がそうでした。気に入った写真を子どもたちに配って、これを遺影に! しかし葬式の時に、誰も見付けられず・・・
■俺だって死ねば弔辞で褒められる(男性/千葉県/72歳/自営業)
⇒いやいや甘い!葬式そのものを省略されるかも?直葬なんて・・・
■老犬とこぼしたおかず奪い合い(女性/熊本県/68歳/主婦)
⇒老いたくないものですね。せめて認知症にはなりたくない。
■うす味を愛だと知った四十年(男性/千葉県/80歳/無職)
⇒これは真実。カミさんにはただ感謝!ですよね。まあ自分のため、もあるでしょうが・・。介護したくない・・・と。
(「全国有料老人ホーム協会」のHP(ここ)より。第1回~第14回の入選作は(ここ))

しかしこれらの句も、段々と身近になってきた。つまり、他人事とは思えなくなってきた。それは自分が老いてきた証拠。
でも、これからの「老病死」も、出来たら明るく笑い飛ばしたいところ・・・だが。

160912kokeno <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月11日 (日)

「人もペットフード食べられる?」~最近のメイ子

先日、ペットフードについて、こんな記事があった。
「(ののちゃんのDO科学)人もペットフード食べられる?
■安全だけど、とっても薄味なの
ののちゃん 昨日おかあさんがおやつの用意を忘れて、晩ご飯までおなかぺこぺこだったよ。
藤原先生 あらあら、つらかったわね。
のの それでポチのところ見たらドッグフードがあって、クッキーみたいでおいしいかもって思ったの。今度、食べてみようかな。
先生 おもしろい発想ね。それでは真面目に考えてみましょう。犬や猫のペットフードにはどんなものがあるかしら。
のの さっき言ったクッキーみたいなのと、缶詰かな。
160911petfood 先生 そうね。主にドライとウェットという2タイプに分かれるわ。原材料を乾燥させて混ぜたのが水分10%以下のドライ、缶やアルミパウチに入れて殺菌したのが水分75%ぐらいのウェットね。水分が中間のものや間食用の製品もあるけど、総合栄養食という主食になるのはペットフードはドライかウェットが多い。飼い主は保存のしやすさやペットの好みを考えて選べるわ。
のの 人みたいにご飯とおかずじゃなくて1種類でいいの。
先生 総合栄養食の原材料は、トウモロコシなんかの穀物や肉、魚なの。三大栄養素の炭水化物、たんぱく質、脂肪がすべて含まれていて、ビタミンなんかも加えているから、基本的にはそれだけを食べて栄養がまかなえるの。安全についてもペットフード安全法で、添加物の基準値や有害物質の禁止、問題があった時にどこの原材料を使ったか、さかのぼれるように記録することが定められているのよ。
のの 栄養満点で安全って、すごい食べ物だね。じゃあ明日食べてみようっと。
先生 ちょっと待って。私たちと犬、猫が必要としている栄養の割合は違うの。もともと肉食だった犬や猫は、人よりもたんぱく質が多く必要なのよ。ペットフードは種類に合わせて配合が考えられているのよ。
のの 人にとって栄養バランスが良くなくても、食べる分にはいいんじゃないの。
先生 犬や猫は人と違って汗をほとんどかかないから、塩分をあまり必要としないの。1日に必要なのは人の3分の1ぐらいで、ペットフードは塩分も考えて作られているわ。もしペットフードを食べるなら、例えば味付けしていない肉や野菜を食べることを想像してみて。
のの うーん、あまりおいしくなさそう。食べるの止めようっと。
先生 そのぐらいの薄味が犬や猫にはちょうどいいの。反対に、人と同じハムやお菓子なんかをペットにあげるのは塩分や糖分のとりすぎになって、心臓や腎臓に悪いのよ。
のの 人とペットそれぞれ食べ物を分けてる方が、お互い気持ちよく健康になれるんだね。(取材協力=石山恒・ペットフード協会長、構成=野中良祐)」(
2016/09/03付「朝日新聞」p5より)

ウチの愛犬・メイ子(本名メイリー:ヨークシャテリア)は、このところ、明確な「食べない日」がある。それが段々と頻繁に発生する。前は、「食べない日」になると、胃腸の薬を飲ませたり、色々と心配した。しかしこの頃は、こっちも慣れてきて、「今日は食べない日だって!」・・・・
前は、幾ら食べない日でも、朝か夕のどちらかは少し食べていた、しかし、昨日なども、水以外は一切食べない。でもウンチはする。それが極端。食べない日の次の日は、猛烈に食べる。今日もそうだ。我々の食卓に手をかけて、「キャン」という。「もっとくれ!」の合図だ。160911mei3 いつもは、細く切ったキュウリをあげるのだが、今夜からその量を絞る事にした。結局、原因は食べ過ぎかなと・・・。
つまり「食べない日」の次の日は、猛烈に食べるため、結局食べ過ぎで、また調子を狂わせ、また「食べない日」に・・・。
エサも、まったくもったいない。カリカリだけなら、一日置いておいても良いが、カンヅメを開けたフードは、やはりあまり置いておけない。

このカリカリには一体何が入っているのだろうと、前から疑問に思っていたが、その解が上の記事らしい。人間が食べても、毒ではないが、味がないのでおいしくはない。
まあ当然だ。動物の食べ物は自然のもの。塩分などもってのほか、なのだろう。
思えば、昔は犬の食べものと言ったら、残り飯に味噌汁をぶっかけたものだった。今考えると、塩分の採りすぎで、良くない。
我が家でも、「くれくれ!」と言う時は、キャベツなどサラダをあげる。でも心臓が悪いので、塩分や糖分には気を付けなければ・・・。メイ子は心臓病と胃腸炎の持ち主なのである。

そのメイ子も、年末で14歳になる。「10年一昔」からすると、良く生きてきた。でも動作はすっかりスローになってきた。前は、散歩に行った時、広場でボールを投げては取ってきたものだが、それが出来なくなって久しい。前は1時間の「大回り」の散歩に良く行ったものだが、それも絶えて久しい。最近は、もっぱら近場の散歩。
160911mei2ねぐらは、出窓。最近は、いつも同じ場所にいて、我々を見下ろしている。元気がある時は、テレビに犬が映ると、ダッシュして吠えかかるが、元気の無い時は、黙って見ている。
夜は、前はカミさんの隣で寝ていた事もあるが、最近は、一緒に行っても直ぐに降りてくる。
夜中に1階と2階を行き来するので、危ないからと階段に常夜灯を付けたのは、昨年末だった。つまり、最近の衰えが早いということか?

前に旅行に行こうと、いつも行っている獣医さんに、預かってくれるか聞いた事があった。すると、病気(心臓と胃腸)を持っている犬は預からないという。飼い主不在の時に、何かあったらトラブルになるからだろう。
仕方がないのでメイ子に聞く。「メイ子~~。いつまで元気なんだ?~」。もちろんメイ子は答えない。つまりは、メイ子が元気なウチは、我々の旅行はお預け・・・・。
そろそろ、何かあった時にペットロスにならないように、我々も今から心構えが必要かも・・・

超然とした、我が家の老犬・メイ子ではある。

160911tonari <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月 9日 (金)

バーチャルの海外旅行はいかが?~トロント・ハバナ紀行

たまにメールが届く。高校時代の同級生で、同じ会社だった男。ただし、現役時代の会社では、会った事がない。高校の同窓会で、同じ会社だったことを“発見した!”程度。

その同窓会が縁で、“海外旅行病”の紀行記を送ってくれる。それがなかなか面白い。この紀行記については、前に「ローマ、マドリードの個人旅行ノウハウ集~「アホな海外旅行紀行記」(ここ)という記事で取り上げた。2009年だったので、もう7年も前。

7月末に送られて来たのは、「(トロント)ハバナ紀行」。
★もし良かったら、(ここ)にオリジナル「(トロント)ハバナ紀行」(2016年6月15日~22日)のPDFを置くので読んでみて下さい。

何が面白いかというと、まさにドキュメンタリー。書いている本人になったつもりで読んでいくと、バーチャルの海外旅行が出来る!?

160909habanakikou 今回は、2016年6月15日~22日の、カナダ・トロントと、キューバ・ハバナへの一人旅。
実はこの紀行記、1ヶ月ほど前に貰っていたが、「後で読もう」と思ったまま眠っていた。長文なのが分かっていたので(今回は44ページ)、つい「後で」となる。
でも読み始めると、その筆のリアリティさと、写真のキレイさで、一緒に行った気分になる!?

“真逆”という現代語があるが、この男と自分とは、まさに真逆。英語だけでなく、スペイン語やら中国語やらが趣味らしく、それを駆使しての一人旅が趣味。自分は“信じられない”世界。まあ、飛行機の隣の席の人には話し掛けるわ、途中で会った人とは写真を撮るわで、まあその“馴れ馴れしさ”は、自分とは別世界。

この男、まだ現役を貫いている。そのお金での一人旅。まあ優雅というか・・・
でも以前は、囲碁仲間と何人かで行っていたので、どうも最近は断られているらしい。
まあ、こんな自分とは真逆な(リタイア後の)趣味もある・・・ということ。
半分「尊敬」。半分「唖然」??

本人の了解が得られたら、シリーズ化して紹介しようかな・・・?

160909bag <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月 8日 (木)

両面テープのふすま貼りは、雨の日に行うべし

先日、和室のふすま貼りをしたのだが、雨の日にシワシワが発生して失敗したので、今日、そのやり直しをした。結論は、「両面テープタイプのふすま貼りは、雨の日に行うべし」。

ホームセンターで売っているフスマふすま紙には、色々なタイプがあるが、枠を外さず、元160908fusuma のふすま紙を剥がさなくて良いというので、「帳面テープタイプふすま紙」を買った。両面テープがセットになっている。用具として、「竹ベラ」と「ローラー」も一緒に買った。
160908fusuma1 やり方は簡単で、引き手を外してから、周囲に添付の両面テープを貼り、中央から外に向かって貼っていく。そして周囲を竹ベラで折り目を付け、後はカッターで余分な紙を切り落とすだけ。出来たら、1枚あたり40~50CCの水を霧吹き。それで乾くとピンと張る。
なるほど・・・・。それで、和室の入り口のふすま裏表と、押入の2枚の計4枚を貼った。
慣れてくると早い。しかし問題は霧吹き。左のように、大丈夫かな?と心配するくらい、ナヨナヨになる。でも乾くとピンと張るので宜しい。

160908fusuma2 ここからが本題。何と、雨の日にカミさんが「シワがよっている」と言う。ナヌ?と見ると、確かにシワ・・・。我が家の和室の入り口は、玄関の直ぐ隣で、光がちょうど横から差し込むため、シワシワが目立つ。他のは?と押入のふすまを外してきて並べてみると、どれもひどい・・・

やり方は、取扱説明書通りなのに・・・。“原理”を考えた。Netによると、「多くの紙は、濡らすと伸びますが乾くと、元の長さ以上に縮みます。」とある。子どもの頃、竹ひご飛行機を作った時、翼に貼った紙に霧吹きをするのと同じ。障子も同じだ。
結局、雨の日は湿度から、ピンと張った紙が緩むのだと判断。だとすれば、雨の日に、湿度で緩んだ状態で貼れば、天気の日にはよりピンと張るはず。

それで今日は雨なので、実行する事にした。まず、和室の窓を開け、その下にこれから貼るふすま紙を広げる。すると、直ぐに紙はしっとりとナヨナヨになる。湿度を測ると74%。よしよし、紙は伸びているな・・・
160908fusuma3 ついでに、余った両面テープがあったので、念のために、中央にも両面テープを貼る事にして、写真のように貼った。そして、ナヨナヨのふすま紙を乗せ、中央のテープから剥がしながら、外に向かって貼っていく。周囲のテ160908fusuma4 ープを剥がす前に、枠との境界に、竹ベラで折り目を付ける。この竹ベラが非常に有用。ローラーなどは無くても良いが、竹ベラだけは必需品。
後は、定規をあてて、カッターで余分な紙を切り落とす。そして引き手を元に戻して終わり。
160908fusuma5本当は、最後に霧吹きをするのだが、原理を考えて止めた。雨の湿気の多い日でも、ピシッと貼れている。この上、危ない事はしない。原理的には、これ以上たるむ事はないので、天気が良くなれば、もっとピンとする事はあっても、たるむ事はない。
めでたしめでたし・・・・

160908fusuma6たぶん、両面テープタイプのふすま紙は、雨の日は、どこでもたるんでシワになっているのだと思う。しかし、正面から見るとそれほど気にならない。しかし、我が家のように、光線が横から差し込む所では、雨の日は、シワが目立つ。
だったら、雨に日に伸びた状態で貼れば良い・・・という当たり前の話。そして「簡単な話ほど、落とし穴がある」という話である。
もう当分やらないが、今度ふすまを貼る時の為の備忘録ではある。

160908sinda <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月 7日 (水)

矢部宏治(著)「日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか」を読んで

先日(2016/09/04)の朝日新聞の書評欄に、矢部宏治(著)「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」が紹介されていた。この本については、1年ほど前、幾つか記事を書160907nihonnhanaze いたが、その記事の中に「矢部氏の近著「日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか」も3刷3万7千部と支持を得ている。」という記述があり、読んでみる気になった。
昨日、通販から届き、数時間で一気に読んだのだが、前著に比べて、“自分にとっては難解”だった。前著は、なるほど・・・と思いながら、スッと入ったのだが、今回は、悪戦苦闘!?
文中にも「ぜひがんばって読んでみてください。」(p225)という励ましがあるほど!?

この本は、前著同様、記録による検証が主。著者の思い込みではない。しかし、外交とは何と難しいものか。それを、米国の公開資料を読み解いて、日本の当時の外交が明らかにされて行く。

もう一度、ページをめくりながら“復習”して、自分が気になったところをメモしてみた。

「東京、神奈川、埼玉、栃木、群馬、新潟、山梨、長野、静岡の一都八県の上空をカバーす160907yokota る広大な空間が、実は完全に米軍の支配下にあり、日本の民間航空機はそこを飛ぶことができない。この巨大な空域は、東京郊外にある米軍・横田基地によって管理されているため、「横田空域」とよばれています。」(p18)

「ですから軍用機で日本上空まで飛んできた米軍やアメリカ政府の関係者たちは、この空域をとおって、日本の政府がまったく知らないうちに横田基地や横須賀基地などに着陸し、そのままフェンスの外に出ることができるのです。」(p21)

「そこでかれらは軍用ヘリでババババッと、いっきに飛んでくるわけです。これだと首都圏の基地から都心まで、20分くらいしか、かかりません。しかし都心には飛行場がない。では、そうしたヘリはどこに着陸するのか。
160907roppongi  左ページの写真を見てください。そうしたヘリが着陸できる米軍基地が都心にある。なんと都心中の都心である、六本木にあるんです。ですから横田空域をとおって、まったくのノーチェックで日本に入国した米軍関係者やアメリカ政府関係者が、そこからヘリに乗って、たった20分で東京の中心部までやってくることができるわけです。」(p26)

「日米合同委員会というのは、基本的には日本に駐留する米軍や米基地など、軍事関係の問題について日米で協議するための機関なんです。でも、アメリカは日本中に基地をおいていて、さらにはこのあと説明するように、実は日本国内のどんな場所でも基地にできる法的な権利をもっている。」
「たとえば、1953年9月29日に日米合同委員会で合意した、次の取り決めを見てくださ
い。
 「日本の当局は(中略)所在地のいかんを問わず〔=場所がどこであろうと〕合衆国軍隊の財産について、捜索、差し押さえまたは、検証をおこなう権利を行使しない」(p32)

「つまりそれが意味する現実は、たとえば在日米軍の軍用機が墜落したり、移動中の車両が事故を起こした場合、たとえそれがどんな場所であっても米軍が現場を封鎖して、日本の警察や消防や関係者を立ち入らせない法的権利をもっているということだからです。」(p34)

「つまり、この日米合同委員会というシステムがきわめて異常なのは、日本の超エリート官僚が、アメリカの外務官僚や大使館員ではなく、在日米軍のエリート軍人と直接協議するシステムになっているというところなのです。」(p37)

安保関連法の成立によって、「指揮権密約」のもつ意味が大きく変化した
 そのため日本は、実際にはこれまで、さまざまなかたちでアメリカの戦争に協力してきたのですが、自分たちが国外へ出て戦うことだけは拒否することを許されてきた。だからいままで「指揮権密約」、つまり「米軍が日本の軍隊を自由に指揮するための密約」については、ほとんど議論されることがなかったのです。
 たとえ「戦争になったら、米軍の指揮下に入る」という密約があったとしても、それが国内だけの話なら、専守防衛という日本の方針とそれほど矛盾はないじゃないか。長らくそう考えられてきたからです。
 ところが安倍政権が成立させた昨年(2015年)の安保関連法によって、状況は一変してしまいました。もしこの「指揮権密約」をのこしたまま、日本が海外で軍事行動をおこなうようになると、「自衛隊が日本の防衛とはまったく関係のない場所で、米軍の指示のもと、危険な軍事行動に従事させられる可能性」や、「日本が自分でなにも決断しないうちに、戦争の当事国となる可能性」が、飛躍的に高まってしまうからです。」(p56)

「そして、たとえひとりでも自衛隊に友人がいるかたは、現在の日本の自衛隊が、「戦争になったら、米軍の指揮下にはいる」というような、なまやさしい状態ではないことは、よくど存じだと思います。
 そもそも現在の自衛隊には、独自の攻撃力があたえられておらず、哨戒機やイージス艦、掃海艇などの防御を中心とした編成しかされていない。「盾と矛」の関係といえば聞こえはいいが、けっして冗談ではなく、自衛隊がまもっているのは日本の国土ではなく、「在日米軍と米軍基地」だ。それが自衛隊の現実の任務だと、かれらはいうのです。
 しかも自衛隊がつかっている兵器は、ほぼすべてアメリカ製で、コンピューター制御のものは、データも暗号もGPSもすべて米軍とリンクされている。「戦争になったら、米軍の指揮下にはいる」のではなく、「最初から米軍の指揮下でしか動けない」「アメリカと敵対関係になったら、もうなにもできない」
 もともとそのように設計されているのだというのです。」(p125)

「1950年10月27日に米軍(国防省)がつくった旧安保条約の原案です。・・・
②「戦争または差しせまった戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは、すべての日本の軍隊は、沿岸警備隊をふくめて、アメリカ政府によって任命された最高司令官の統一指揮権のもとにおかれる」
③「日本軍が創設された場合、沿岸警備隊をふくむそのすべての組織は、日本国外で戦闘行動をおこなうことはできない。ただし、前記の〔アメリカ政府が任命した〕最高司令官の指揮による場合はその例外とする」・・・
「アメリカ政府の決定に完全に従属する軍隊」という表現もおどろきですが、「国外では戦争できないが、米軍司令官の指揮による場合はその例外とする」という条文もおどろきです。
 そしてなによりのおどろきは、いままさに日本の自衛隊は、66年前にアメリカの軍部が書いた、この旧安保条約の原案のとおりになりつつあるということなのです。」(p127)

砂川裁判・最高裁判決
砂川とは当時、米軍立川基地(東京)のあった場所の名です。
 1957年7月、この米軍立川基地の拡張工事をめぐって、反対派のデモ隊が基地の敷地内に数メートル人ったことを理由に、刑事特別法(在日米軍に関する問題について、特別の罰則や刑事手続を定めた法律)違反で23人が逮捕、うち7人が起訴されました。
 1959年3月30日、この事件の一審判決で東京地裁の伊達秋雄裁判長は、在日米軍は憲法9条2項でもたないことを定めた「戦力」に該当するため、その駐留を認めることは憲法違反である。したがって、在日米軍に対して特別な法的保護をあたえる刑事特別法に合理的な根拠はないとして、被告全員を無罪としました。在日米軍を真正面から「憲法違反」であるとしたこの判決が、その後の60年安保や70年安保の原点にもなったとされる、有名な「伊達判決」です。
 ところがその後、アメリカ側の工作によってこの判決は同年12月16日に最高裁でくつがえされてしまうのです。その理由は、翌年に予定されていた安保改定に影響が出ることをおそれたマッカーサー駐日大使が、判決の年内破棄をめざしてはげしい政治工作を展開したからでした。
 まず一審判決が出た翌日、マッカーサー大使はすぐに藤山外務大臣を呼び出して、裁判の期間を短縮させるため、東京高裁を飛び越えて直接、最高裁に上告するように指示します。
 さらにその後は、田中耕太郎・最高裁長官と情報交換をしながら裁判をコントロールし、同年12月16日に計画どおり、最高裁で一審判決を破棄させたのです。
 このとき最高裁判決のなかで示された、『国家の存立にかかわるような高度の政治性をもつ問題については、裁判所は憲法判断ができない』(「日本版・統治行為論」)という判例によって、以後、日本政府がいくら重大な違憲行為をおこなっても、国民が裁判によってそれをストップさせることが不可能となり、日本国憲法は事実上、その機能を停止してしまうことになったのです。
 ですから現在の日本では、権力側か腹をくくれば、国民の人権は一瞬で「合法的に」うばいとられてしまう。沖縄で、福島で、そしていま安保関連法をきっかけに日本全体で起こりつつある憲法破壊の根源が、この駐日アメリカ大使の工作によって出された最高裁判決にあるのです。」(p274)

「この判決は、大きくわけて、つぎのふたつのことをのべています。
①米軍の国内駐留は合憲である。(「米軍駐留合憲論」第2項~7項)
②安保条約のような「わが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性をもつ問題」 については、それが「一見きわめて明白に違憲であるもの」以外は、裁判所は憲法判断ができない。(「日本版・統治行為論」8項~9項)」(p276)

再定義された日本国憲法
 そういう視点から読みなおしてみると、先ほどスルーしそうになった①の「米軍駐留合憲論」(要旨の第2項~7項)の部分でも、「日本には自国を防衛する権利がある」(第4・5項)
「その自衛の方法は国連安保理の軍事行動だけに限られてはいない」(第6項)
「憲法9条は、日本が過去の軍国主義を反省し、日本政府が再び戦争を引き起こさないために制定されたものである」(第2項)
「したがって9条2項で保持を禁じられている『戦力』とは、日本が指揮権と管理権をもって再び侵略戦争を引き起こすような軍事力ということである」(第3項)
・・・
 この定義にしたがえば、自衛隊がたとえ核兵器をもっても、海外へ派兵されても、指揮権が米軍にあるかぎりは違憲ではないということになるからです。」(p283)

3人の最高裁判事の予言
 そしてそうした日本国憲法の再定義、フルモデルチェンジという大きな戦略のために、本来この裁判にはまったく不必要だったにもかかわらず、わざわざ判決にとり入れられたのが「日本版・統治行為論」でした。
 それが具体的に、どのような役割をはたすためにつくられた「法理」だったかは、判決の「全文」のなかに、すでにあらわれています。
 というのはこの砂川裁判・最高裁判決では、①の「米軍駐留合憲論」については15人の裁判官全員が同意していたのに対し、②の「日本版・統治行為論」については、3人の裁判官が左のように重大な異議をとなえていたのです。(以下、要約)

○奥野健一(元大審院判事 参議院法制局長)と高橋潔(第一東京弁護士会所属弁護士)の「意見」
「[もし条約について憲法判断ができないとすれば]他国とのあいだで憲法に違反する条約を結ぶことにより。憲法改正の手続きをとることなく、容易に憲法を改正するのと同じ結果が得られるようになり、はなはだしく不当なことになる。」

○小谷勝重(元大阪弁護士会・会長)の「意見」
 「〔もし条約について憲法判断ができないとすれば〕憲法96条の定める国民の承認による改正手続によらず、条約〔の締結〕によって憲法改正と同じ目的を達成できることになり、理論上、三権分立の原則をそこね、基本的人権の保障に反する変更もできることになる。日本国憲法は、はたしてこのような結論を認めているのだろうか」
 この3人の言葉を聞いて、なにか思いあたることはないでしょうか。
 「政府が憲法違反の条約を勝手にむすぶことで、正規の手続きをへることなく、実質的な憲法改正をおこなうことが可能になる」
 そうです。まさにこれこそが、昨年の安保法案の審議において、私たちの目の前でおこった出来事だったのです。
 57年前に3人の最高裁判事が予言したとおり、この最高裁判決が下されたあと日本では、たとえば「日米安全保障協議委員会」で日米の外務・防衛担当4大臣が協定をむすんでしまえば、国民の意思に関係なく実質的な憲法改正をおこなって、三権分立の原則を無視することも、基本的人権を弾圧することも、自由にできるようになっているのです。」(p285)

私たちはなぜ、このような光景を目にしなければならないのか
 昨年(2015年)9月に成立した安保関連法と、その採決をめぐる大混乱は、そうした日本社会にひそむ「ウラの掟」の存在を、だれの目にもみえるかたちであきらかにしたものでした。「日米安全保障協議委員会」でアメリカとの軍事上の取り決めがすでにむすばれている以上、日本政府にとって、国会の審議も、憲法をめぐる議論も、デモによって示された国民の民意も、本質的にはほとんど意味をもたなかった。それらはどんな異常な手を使ってでも、無視し、乗りこえるべき対象でしかなかったのです。
 その象徴が、法案成立の2日前(2015年9月17日)、参議院特別委員会でおこなわれた強行採決時の、「人間かまくら」とよばれるあまりにも異様な光景でした。
 このとき委員会のメンバーではない多数の議員や議員秘書などが議場に乱入し、委員長席を立体的にとりかこむかたちでドーム状のバリアをつくって、法案に反対する野党議員の接近をブロックしたのです。
160907kokkai  これは当日の午前から練習をくり返していた予定の行動で、強行採決の指揮をとった自衛隊出身の佐藤正久議員が、母校の防衛大学校の恒例行事である「棒倒し」からヒントを得て、内側に背の高い人物、外側に太った人物を配置し、円錐状の鉄壁のバリアをつくったのだそうです。
 写真をみればわかるように、「人間かまくら」のなかにはほとんど光がさしこまないので、前もって委員長の手元をてらすためのペンライトまで用意したものの、結局大混乱のなか、採決を求める声は聞きとれず、速記録には「議場騒然」「聴取不能」と記載されただけでした。
 ところがおどろいたことに、その後公開された議事録には、まったくの虚偽である「議事経過」という文章が捏造されて書きくわえられており、法案は正常な手続きのもとで採決されたことになっていたのです!」(p286)

「「日本はなぜ、基地を止められないのか」
「日本はなぜ、原発と被曝を止められないのか」
「日本はなぜ、戦争を止められないのか」
 これらの問題は、すべてひとつの大きな構造のなかにあり、同じ原因によって生みだされたものです。そしてその大きな構造の根幹に横だわっているのが、まだ占領下にあった時代のアメリカへの戦争協力体制が、66年後のいまも法的に継続しつづけているという、「戦後日本」の歪んだ国のかたちなのです。」(p288)

占領下の戦時体制だけは、さすがにもうやめさせてほしい」といえばいい
 もっとも、私は今回、日本のこうした歪んだ現状が、「占領体制の継続」ではなく、「占領下の戦時体制(=戦争協力体制)の継続」なのだとはっきりわかったことで、逆にかなり明るい気もちになりました。
 「なんだ、結局占領中の朝鮮戦争への協力体制が、だまされてつづいてきただけなのか。手品のタネは、わかってみれば、案外単純な話だったんだな」と、ストンと胸に落ちるようになったからです。
 あとはこの事実を多くの日本人が知り、怒り、きちんとした政権をつくって、「占領下で始まった戦争協力体制だけは、さすがにもうやめさせてほしい」と、アメリカに対して主張すればいいだけなのではないか。
 ここまで不平等な条約の実態について、国民の認識が深まったとき、 「いや、ダメだ。このシステムは永遠につづけるのだ」といえるアメリカの外交官が、はたしているだろうか。「それでも日米関係は、いまのままが一番いいのだ」といえる日本の政治家がはたしているだろうか。そう思えるようになったのです。」(p289)

異常に長いメモになってしまった。
本書は、大部分を旧安保条約の検証に充てられている。もちろん自分は読んだことがない。こんな難しい条約は、読んでも分からない。
しかし、それに関する日米の密約が、今起きている事のスタートだという。
単に安倍首相だけが旗を振って動いているのではないのだという。66年前から続く色々な密約が、とても独立国とは言えないほどに日本を縛っており、それを直そうとはしない歴代の政権。

何よりも、「知らない」ことの恐ろしさ・・・。
本書の冒頭にあるように、鳩山元首相が、前著を「あなたが矢部さんですか。すごい本を書きましたね。私はこの問題(日米合同委員会などの軍事上の密約を生み出す法的構造)について、ぜんぜん知りませんでした」と評したごとく、日常的に密約を生み出している日米関係について、まず国民が知る努力が必要なのだ。
そして、まさに筆者が言う「あとはこの事実を多くの日本人が知り、怒り、きちんとした政権をつくって」しかない。
強い強い、米国に対等に渡り合え得る首相。靖国参拝で米政府から非難され、ビックリ仰天して、米にすり寄った弱い首相などではなく、米国に迎合しない首相・・・
何十年後に現れるか?
期待はできないが、期待するしかない。

(関連記事)
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在日米軍の殺人者を無罪にする役所間の連係プレー 
「悪の凡庸さについて」~なぜ日本人は寝たままなのか? 
沖縄と本土への米軍駐留を要請した昭和天皇 

160907mazui <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月 4日 (日)

細川護煕氏の「人生そんなに時間はない・・・」

先日、民放で「情熱大陸~細川護熙 (アーティスト)」(2016/08/21放送 ここ)を見た。(動画はここ
その中で、こんな発言が心に残った。

<「情熱大陸~細川護熙」より>

「細川さんが一番幸せだなって思う時ってどういう時となんですか?」
「一人でのんびりしてる時ですね。一人でのんびりして本読んでいる時ですね。」
「それは例えば、家族と、孫の成長感じる時とか・・・」
「あーそんな事はないですね。そんなことは、まぁ二の次だな。本読んでなくても、庭に出て桜見てる時だってそうですよ、要するにゆっくり一人で閑居暮らしをしているわけだから、そんなもう、つまらないことを人にいろいろ聞かれたりしてるんじゃ、たまらないんですよね。何か相談に来たいとか、そんなことされたって困っちゃう。人生そんな時間ないんですよ。だからもう本当に意義のあることをやっぱり、自分で意義があると思ったことをやっぱりやらないとね、意味があると思ったことをやらないと。そんな無駄な時間は、できるだけ過ごしたくないと思っているもんだから。」

(晴耕雨読の隠遁をよしとしながら、つい世の中にも首を突っ込んでしまうその矛盾。お殿様も人間なのだ。)
「細川さん、友達はいますか?」
「いないよ、そんなもん」
「それ言い切って支障ないですか?」
「支障ないよ。全然」
「「俺は親友だと思ってる」っていう人いない?」
「いないです。珍しいかね、それは。友達がいないと寂しいのかな、みんな」
(超然とした構えの奥で、しゃばけと折り合いをつけている

番組の紹介にこうある。
細川護熙 壮絶な夏の選挙戦を横目に絵筆を取る「元総理」…異色過ぎるアーティストの“GOING MY WAY”
選挙権年齢が18歳へと引き下げられて初の国政選挙となった参院選。そして、女性初の都知事が誕生した東京都知事選。日本の未来を大きく動かした2つの選挙で、候補者達が160904hosokawa 各地で激闘を繰り広げるなか、そんなものはどこ吹く風…とばかりに一人黙々と創作活動に励むのが「元総理」にしてアーティストの細川護熙78歳だ。
自らを“変人”と呼ぶ細川だが、確かにその異色ぶりは他に類を見ない。新聞記者を経た後熊本県知事を務め、たった一人で新党を結成すると僅か1年余りで「55年体制」を打破。連立政権の首班として第79代内閣総理大臣に就任するも、金銭スキャンダルを問われると辞任。60歳であっさり政界を退いた。その後は陶芸家として海外から高い評価を集めたかと思うと、2年前には突如「脱原発」を掲げて都知事選に出馬。昨年は日本ではタブー視されてきた「春画展」を史上初開催し21万人の来場者を集めるなど、とかく話題に事欠かない。そんな細川の新境地が絵師としての活動だ。2012年より京都の地蔵院や建仁寺に奉納した襖絵が評判を呼び、現在は奈良の名刹、薬師寺からの依頼を受諾。壁面66面、完成まで約7年がかりとなる障壁画の制作に一人で挑んでいる。
番組では、新米絵師としては異例の大抜擢となった薬師寺の障壁画プロジェクトの舞台裏や神奈川県湯河原での作陶の様子、また自らが仕掛ける様々な社会活動や知られざるプライベートにも迫る。特別なキャリアと多才ぶりから一見正体不明に見える、細川護熙。しかしその素顔を見つめると、いくつになっても大いなる好奇心を抱き、自分の心に正直に生きるシンプルな男の姿が見えてきた…」(
ここより)

細川氏の湯河原での陶芸家としての隠遁生活は、前にもテレビで見た。
しかし、改めて、人を寄せ付けない孤高の人を“目指す”姿に見入ってしまった。
「人生そんなに時間はない。だから本当に自分で意義がある、意味があると思ったことをやらないと。無駄な時間は、過ごしたくない。」

意義のある生活が出来る時間は、自分もあと何年か?
既に70年近い人生を歩んできたが、残された時間、つまり自律して生活できる時間は10年も無い。あと数年か・・・
さて、明日はどういう時間を過ごす??

160904neko <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月 3日 (土)

お酌の文化・・・

先日、朝ドラを見ていたら(2016/08/30の「とと姉ちゃん」)、主人公の男友達(星野)のところに、義父が訪ねて来て、「再婚しろ」と言いながら、お酌をする場面があった。
ここで、フト思った。いったい「お酌」という文化(風習)はいったいどこから、いつから始まったのだろう? Netでググっても余り良い解答は得られなかった。
・年少者から年長者へ
・目下の者から目上の者へ
・おもてなしする方からおもてなしされる方へ
・女性から男性へ
という記述が見付かったくらい。

サラリーマン世界において、お酌は宴会での大切なエチケット。それは否定しない。しかし、サラリーマンを卒業した今、振り返ってみると、お酌では、あまり良い記憶は無い。上司に媚びへつらう、イヤや自分の姿が思い出されてしまう。

そもそも宴会での手酌は、タブーだと思っていた。手酌をするという事は、周囲から自分が無視されているように感じられるため、出来なかった。幾ら喉が渇いていて、ビールを飲みたくても、コップに少し残しておいて、誰かが注いでくれるのを待つしかなかった。
注ぐ方では、常に周囲の人を見回して、コップが空にならないように気を付けなければいけなかった。考えてみると、これほど不都合なエチケットはない。誰も気兼ねなく、飲みたいだけ飲めば良いのに・・・

現役時代、子会社に移った時に、いつも飲みに行っている先輩二人に、誘われて一緒に飲み屋に行った事がある。その時、お酌をしようとすると、「ここでは、手酌で飲む事にしている」と言われた。3人だけのこの席では、勝手に自分のペースに合わせ、手酌で飲むのだという。この話を聞いた時、なぜか合点した事を覚えている。
そして、自由で、良い酒を飲んだ。自分のペースに合わせて。

考えてみると、お酒は、人それぞれのペースがある。強い弱いがある。お酌は、それを無視して、酒を無理強いしているようにも見える。
しかし宴会では、決まってビール瓶を持って、一回りしたもの。「まあまあ・・・」と言いながら、ビールを注いでは、少し話をして、また次の人の席に回ってお酌。自分の席に座ったままでは、他の人と話す機会が無くなる。それがお酌という手段で、コミュニケーションが取れる。それは分かるが・・・

イヤな上司にもお酌をしなければいけないのも、サラリーマンの性(さが)。
そして、サラリーマンをリタイアした今、お酌をしなくて済んでホットしている自分が居る。
お酌に限らず、つくづくサラリーマンは“我慢の世界”だと思う。我慢が出来なければ、サラリーマンは生きていけない。
それだけに、お酌に代表される?「我慢(=サラリーマン)」から解放された今の年金生活は、素晴らしい世界であると再認識している。

160903konnyoku <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年9月 1日 (木)

反戦を言い続けた101歳のジャーナリスト「むのたけじ」さん

NHKのEテレの「ETV特集」は毎週録画している。先日放送された「アンコール「むのたけじ 100歳の不屈」」(2016/08/27放送:再放送2016/09/03 am0:0~(金)深夜)も、何となく見た。しかし、何故か消すのをためらっていた。
この番組は、2015年 10月10日に放送されたもので、むのたけじさん(本名:武野武治)が8月21日に亡くなられたので、追悼番組としてアンコール放送されたものだった。

NHKのサイトにはこう解説がある。
「先日亡くなったジャーナリストむのたけじ。戦時中に「大本営発表のウソを書いた」責任を160901muno とって敗戦と同時に朝日新聞を辞職。その後は故郷の秋田で地方紙「たいまつ」を30年にわたって発行した。百歳を迎えても、気力は衰えない。「必ず戦争を絶滅させる。今の若者たちと話すと、新しい日本人が出てきたという希望を感じる」。これまでの歩みと百歳の日常を描き、この国の未来を考えるヒューマンドキュメントのアンコール放送。」(ここより)

むのたけじ 100歳の不屈 伝説のジャーナリスト 次世代への遺言
ことし100歳を迎えたジャーナリスト、むのたけじ。戦前・戦中は朝日新聞の記者だったが、「大本営発表のウソを書き続けた責任」をとって敗戦と同時に退職。戦後は、故郷の秋田で地方紙「たいまつ」を30年にわたって自力で発
行した。記者として戦前・戦後の日本社会を取材し続け、膨大な記事と発言を残してきた伝説のジャーナリストである。「戦争を絶滅させる」。その言葉や生き方は、読者のみならずジャーナリストをめざす若者にも影響を与えてきた。95歳を過ぎた頃から特に年少者や若者への関心があふれだしたという。「今の若者たちと話していると、新しいタイプの日本人が出てきたと感じる。絶望の中に必ず希望はある。戦争のない世の中を見るまでは死ねない」。100歳になった今も食欲は旺盛、講演や取材をこなし気力は衰えない。戦後70年のいま、伝説のジャーナリストの足跡とそのこん身のメッセージを通じてこの国の未来を考える“熱血”ヒューマンドキュメント。」(ここより)

むのたけじ100歳の不屈 投稿者 tvpickup

それが、今朝(2016/09/01)の「羽鳥慎一モーニングショー」の「そもそも総研」で「そもそも101歳の現役ジャーナリストは生涯を通して何を伝えたかったのか?」というテーマで、この「のむのたけじ氏」のことが取り上げられていた。8月22日の新聞各紙に追悼記事が載っていたようだが、自分は見逃した。(そもそも自分はのむ氏を知らなかった・・・)
しかし、この番組がすこぶる分かり易かった。
音声だけだが、抜粋でのむ氏の言葉を聞いてみよう。

<「羽鳥慎一モーニングショー」より「のむたけじ氏」>

印象強い言葉があったので、メモしてみた。
「戦争を始めてしまったら止めようがない、ということを力説したいのです。」
「相手を殺さなければこっちが殺される。(自分が)生きたければ、相手を殺さなきゃいかん。これが戦場の心理で、自分のバランスを保って、死なないように生きるように頑張ろうと、その感覚で続くのは3日くらいです。その次はどうなるか。悪いことだけれど“なるようになりやがれ”と本能です。本能に戻っちゃう。」
「(ジャワ島で)逃げて行った連合軍の兵隊がインドネシアの農村集落を襲って、女たちを何十人何百人、ベッドの上に縛り付けて強姦していった。そのベッドの袂(たもと)でたくさんの女たちが泣いている。そこに男が倒れている。たぶん妻が強姦されるために引っ張られていくのを助けようとしたんでしょう。無残な姿。それが“普通”だってこと。戦場では。この話はしたことがないから、いつかのための記録のためにしゃべっておきますが、“軍国美談”とか“戦いにも人情の花が咲く”とか言うような人がいるけれど、それはあだ花であって戦争というものは誰がどう言ってみたって絶対に許されない人類の一番悪い罪悪だと私は断定します。なぜこんな悪い手段を使って、幸福な世の中をつくるためにやるんだ、と言えるのか。」
「この70年間には日本人で戦死者は1人も出ないわけだ。戦争やらないから。外国人の誰も戦死させなかった。この70年というのは本当に日本の歴史の中では珍しい穏やかな状態なのです。それが続いてきて今ここになって、国会では集団的自衛権だとか何とか言って、もうあれを聞くと全く戦争の前夜です。私らの世代が知っているあの嫌な軍国日本へ帰ろうとするのか、そこが分からないです。」

「むのさんが最後まで「とにかく伝えたい」、ジャーナリストとして伝えたい事は何だったのでしょうか?」
「(次男談)戦争に参加するというか、組み込まれる危険性を非常に心配しておりました。」
「“戦争をやるぞ”という感じで戦争やるんじゃないんだって。なんとなく静かに、それでいて戦争やろうと思う人たちは、常にきちんと計画を作っているんだって。」
「今の日本人に対して言っておきたいこと、言いたい事はなんですか?」
「私は日本人に言いたい事は、“人様に頼むのはやめよう”と。我々の悩みは我々たち自身で考えて、お偉い人が来て、世の中を良くしてくれる事は、過去にもなかったように、今後そういうことは、未来永劫にあり得ないと。だから今、戦争になったらどうなるといったら、戦争になって一番苦しむ者たちが、じゃあどうすると(考える)。俺ら皆で家の中で語り合えばいいわけで、そうすると道が開かれてくる。それを言いたい。」

100歳でも、大きな声で講演をしていたむのさん。むのさんを突き動かしていたのは、戦争への危惧。誰もが、戦争前夜を感じている。
世界で、日本の立場が弱くなるので、自衛隊を世界に派遣。それで戦死者が出ても仕方がない。日本の政治家のメンツのために、戦争に巻き込まれても仕方ない。そんな方向に進んでいて、我々国民はそれを止められていない。
改めて考える。世界における日本国のメンツのために、戦争に巻き込まれて良いのか?メントと国民の命と、どちらが大切なのか?
戦後70年を経て、戦争の恐ろしさを忘れようとしている。
むのさんは言う。「人様に頼むのはやめよう」!
我々が、今何が出来るのか?何をすべきなのか? 改めて考えてみたい。

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