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2016年8月の18件の記事

2016年8月31日 (水)

子どもの「いじめ」に思う~青森・女子生徒の遺書

今朝の朝日新聞の「天声人語」を読んで、改めてイジメについて考えた。
「(天声人語)スマホに残された言葉
 その文を打ち込んだとき、どんな絶望が彼女を覆っていたのか。青森市で先週、電車にはねられて亡くなった中学2年の女子生徒のスマホには「ストレスでもう生きていけそうにないです」との言葉があった。中学校でいじめを受けていたという▼「みんなに迷惑かけるし、悲しむ人も居ないかもしれないくらい生きる価値本当にないし、綺麗(きれい)な死に方すらできないけど、楽しい時もありました。本当に13年間ありがとうございました」。つらいが、あえて引用した▼青森県では19日にも中学1年の男子生徒がいじめを訴えるメモを残し、自ら命を絶った。あってはならないことが続いてしまった。18歳以下の子どもの自殺は長期の休み明けの前後に多く、とりわけ9月1日に集中している。見えない重荷を背負った子がいないか、心を配りたい▼「状況は厳しいかもしれない。でも、永遠には続かない」。作家の石田衣良(いら)さんが2006年の本紙に寄せた訴えを読み返したい。「死んだふりをして、苦しい時間を生きのびてください。そして、いつか笑いながら光のなかを歩いてください」▼つらい「いま」は、いつまでも続かない。同時に、「ここ」にも縛られなくていい。図書館、フリースクール……。いまある関係から離れることのできる場所はある▼学校になんて通わなくていい。そう言うのは簡単だが、子どもにとっては大変な勇気がいるかもしれない。見守る、耳を傾ける。発信されないままの言葉を少しでもすくえれば。」
(2016/08/31付「朝日新聞」「天声人語」より)

父親が公開したというスマホに残された遺書について、記事をググったら、こんな記事があった。そして「日テレNEWS24」(ここ)でも詳細に報道されていた。

「「いじめ、しないで」…遺族が中2生徒の遺書公開 複数生徒の実名も
 青森市立浪岡中2年の女子生徒(13)が列車にはねられ死亡した問題で、遺族が29日、生徒の遺書の一部を公開した。「もう生きていけそうにないです。いじめてきたやつら、自分でわかると思います。二度としないでください」といじめ被害を訴えている。いじめたとする複数の生徒の名前もあった。 
160831isyo  遺書はスマートフォンに保存されていた。家族への感謝を記した上で「生きる価値ない。本当に13年間ありがとうございました」などと書き残した。 
 同級生の話では、生徒は中学1年のころから教室にいる時や体育の授業中に、無視されたり暴言を吐かれたりしていた。1年の3学期ごろからは、週に数回しか学校に来なくなった。 生徒の父親らは29日、いじめの有無などを調査するよう学校に要請した。学校側は市教育委員会と連携して調査する。 
 生徒は1年の1学期に学年生徒会の会長を務めた。入学当初はバレーボール部で、途中で美術工芸部に移ったという。津軽民謡に合わせて踊る「手踊り」の学外チームにも所属していた。
 生徒は新学期の始業式翌日の8月25日午前、青森県藤崎町のJR北常盤駅で列車にはねられ、死亡した。ホームから飛び込んだとみられる。
 学校は29日、全校集会で生徒の死亡を報告し、1分間黙とうした。」(
こ2016/08/29付「産経ニュース」ここより)

そしてその遺書とは・・・
「遺書
突然でごめんなさい。ストレスでもう生きていけそうにないです。
●が弱いのは自分自身でも分かってるし、●が悪い所もあったのは知ってるけど、流石にもう耐えられません。東京いって全国でまた皆で優勝したかったけど、行けなくてごめんなさい、だから7人で、優勝してください。●も頑張ってね。
学校生活も散々だし、それでストレスたまって起立性なったのに、仮病とかいう人が沢山いて、説明しても、あまり信じてくれなかった。
 1、2年の時で●の噂流したりそれを信じたりいじめてきたやつら、自分でわかると思います。もう、二度といじめたりしないでください。
 (伏せ字)
家族へ。先立つ不幸を許してください。もう無理です。特別虐待があったわけでもないし、不自由な事はありませんでした。でも、何でかストレスが溜まっていくんです。家では一人の時間が1番落ち着きました。ここまで育ててくれたお母さんとお父さん、喧嘩もしたけど仲良くしてくれた●、電車事故ってお金かかるかもしれないから、ごめんなさい。今までありがとうございました

●はすぐ拗ねるし、うるさくて●が大好きで、めんどくさくなったりしました。でも、いじめられた時一緒にいてくれて。噂流された時もずっと味方でいてくれてありがとう。一人称、●に治るといいね。

●は最近なかよくなったね。小学校の時から一緒だったけど、こんなに話すようになると思わなかった。●が●の1番の相談相手になれてよかった。うつ病なおしてね。●の分まで頑張っていきて。

●、●の相談のってくれたり、たくさん笑わせたり遊んでくれたり、本当にありがとう。とても大好きです。
手踊りの人たちへ
●の所の穴を開けてごめんなさい。手踊りは楽しかったし、●とか●とかチビ達も仲良くしてくれてすごく嬉しかった。●、●、・・・さん達、先生、親の人たち、本当にありがとうございました。
学校の先生達、
沢山迷惑掛けてごめんなさい。●先生、1年の時はおせわになりました。●先生、たくさん相談乗ってくれてありがとうございました。●先生、●先生、●先生もたくさん迷惑かけたし、見ないふりしないで味方してくれて本当にありがとうございました。
●のお葬式では、来たい人をちゃんとよんであげてください。いないかも知れないけど、●と手踊りの子達には何とか来て欲しいです。
文章めちゃくちゃでごめんなさい。
みんなに迷惑かけるし、悲しむ人も居ないかもしれないくらい生きる価値本当にないし、綺麗な死に方すらできないけど、楽しい時もありました。本当に13年間ありがとうございました。いつか、来世ででも●が幸せな生活をおくれる人になれるまで、さようなら。
また、会おうね。
 2016年8月25日木曜日(am8:34)」(
原文のまま。●部分は黒塗り)

写真の通り、「もう、二度といじめたりしないでください。」の後に続く11行は伏せ字になっている。たぶんイジメに関する具体的な記述なのだろう。一般公開は無理としても、これから調査をするという学校側には、伏せ字のない原文が提示されているはず・・・。
「イジメは無かった」というのが、学校側の調査結果の定番だが、今回ばかりは、そのゴマカシは効かない。

そして、この1時間半後に、亡くなったという。
遺書を公開した父親は、こう語っていた。
「つらい悲しいというのは当然なんですけれども、二度とこういういじめを繰り返してほしくないっていう、娘の願いですね。少しでもかなえてあげたくて。本当に道具も何も使わないで人を殺せるという“言葉”。どれだけ怖ろしいか、本当に気づいてほしいです。」

遺書と言えば、マラソンの円谷幸吉の遺書を思い出した(ここ)。
死に逝く人の言葉は、なぜか似ている。

自分は、“いじめ”とか“いじわる”という言葉が大キライ。先日も、テレビドラマで、見ようかなと思って見始めたが、イジワルがの場面が出て来たので、見るのを止めてしまった。陰鬱なイジメやイジワルは、テレビドラマでもイヤ。

子どもがイジワルに遭った場合、親としては何が出来るのだろう?
思い出すと、我が家でもイジメの事件はあった。長男が中学3年の時、友だちから金をゆすられていることを知った。即、学校に相談し、相手の父親に直接電話して、中学の校長室で会った。相手の友人が言うには、「賭けで40万円勝ったので払え」。父親は、郵便配達の仕事をしており、母親はいなかった。学校は、席を用意しただけで、話し合いには参加しなかった。長男がそれまで幾ら払ったかは分からなかった。しかしケジメとして、なにがしかのお金を弁償して貰い、手打ちとした。
長男はそれ以外にも、色々な事件があったが、学校に行かない、ということは無かった。
一方、次男は、近くに住む同じ塾の友だちを、バスの中でポカン! 相手の子は泣き出したという。後から、両方の母親が仲直りさせたが、自分はそんな話を聞いて、ウチの次男は、いじめられる方ではなく、いじめる方かと、安心した!?

子どもが小学校低学年の頃、前に住んでいた団地で、隣の家のお母さんと子どもだけが引っ越した、という話を聞いた。後で聞くと、子どもが学校でイジメに遭い、転校して母親も一緒にどこかに行ったという。詳細は分からななかった。

ウチのカミさんが後で言うに、「エライ!」
いったんイジメに遭うと、なかなか止まらない。学校に行って友だちに会うのがイヤになって、2学期が始まるこの時期、自殺という悲劇を生む。
それには「逃げる」のが最良。出来れば私学に転校するのが一番。
しかし、それは親にとって、大変な難題。特に兄弟がいる場合は、2つの家計になって、食事や家事などが大変。しかし、上の天声人語にもある通り、「つらい「いま」は、いつまでも続かない。」のである。
親が、子どものために、転居や転校まで決断出来るかというと、なかなか出来るものではない。自分も、もしそうなったとしても、到底無理だったろう。
そんなとき、祖父母の応援が得られれば、可能性は高くなる。子どもだけ、しばらく祖父母の家の近くの学校に転校・・・。

ともあれ、肝心な事は、子どもに対するイジメを、親としてキャッチできるかどうか?
ちょうど思春期。子どもとの意思疎通はなかなか難しい。
しかし、子どもを守るのは親しかいない。
我が家では、とっくに終わってしまった子育て。でも、未だに様々反省する(?)子育てではある。(あ~、終わって良かった!?)

160831otona <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年8月30日 (火)

福島原発事故の国民負担は1人3万3000円

先日、こんな記事があった。
負担額4兆2000億円超す=福島原発事故で国民転嫁-除染・廃棄物費用など
 東京電力福島第1原発事故で掛かる除染や廃炉、損害賠償などの費用のうち、国民の負担額が2015年度末までに4兆2660億円を超えたことが28日、分かった。日本の人口で割ると、1人3万3000円余り。東電は政府にさらなる支援を求めており、今後も拡大する見通しだ。
160830genpatu1  時事通信は15年度までの復興特別会計の決算状況などを精査。原子力災害関連予算の累計執行額や東電など電力7社が電気料金の値上げ分に含めて賠償に回す一般負担金などを集計した。
 その結果、除染や汚染廃棄物の処理、汚染土などの中間貯蔵施設の費用に計2兆3379億円支出されたことが判明。政府が原子力損害賠償・廃炉等支援機構などを通じて立て替えている。
 除染や汚染廃棄物処理の費用は最終的に同機構が保有する東電株の売却益が充てられる計画。東電株の取得に際して金融機関が行った融資160830genpatu2 には政府保証が付き、株価低迷などで返済が焦げ付けば税金で穴埋めされる仕組みだ。
 政府は東電株の売却益を約2兆5000億円と見込むが、株価の大幅上昇が必要な上、環境省は今年度中に除染費用などの累計額がその額を上回る可能性があるとみている。
 中間貯蔵施設の費用にはエネルギー特別会計から計約1兆1000億円が支出されることになっており、その大本は電源開発促進税で、電気料金に含まれている。
160830genpatu3  これ以外に、政府は直接の財政支出で廃炉支援や食べ物の放射能検査、研究開発の拠点整備などを実施。計1兆3818億円が使われた。
 また、東電など電力7社は事故後の電気料金値上げで、既に一般負担金分として少なくとも3270億円を上乗せ。さらに、東電は汚染水処理装置の保守管理費や賠償相談のコールセンター運営費などで2193億円以上も消費者に転嫁した。」(2016/08/28-15:31時事通信ここより)

この図を見ても、なかなか理解が難しい。しかし結論として、「国民の負担額が2015年度末までに4兆2660億円。日本の人口で割ると、1人3万3000円余り。」とのこと。
国債による借金の826万円(ここ)からすると、微々たるもの、にも見えるが、単位が何でも“兆”なので、その規模の大きさが分かる。
この事故は、“東電という一民間会社の事故”と捉えるのかというと、それは違うだろう。原発は国策であり、東電の瑕疵も大きいだろうが、地震発生の場所が、別の所だったら、別の電力会社の原発がやられていたかも知れない。その意味では、国民全体で負担するのは仕方がないのかも知れない。

それに比べて、大分前の話になるが、復興予算19兆円の詐欺まがいの使い方(ここ)は、今読んでも憤りを覚える。国民の新たな負担を、このようにハゲタカのようにむしり取る役人。
その後、追求の手はどうなったのだろう。このような実態の発掘をマスコミには期待したいのだが・・・

国の施策は、いったん動き出したら止まらない。健康診断における胃のバリウム検査ではないが、ムダと分かっていても、絶対に止まらない。戦争も同じ。始まったら最後、止まらない。理由は簡単。止めると、「今までの判断が誤りだった」ということになり、責任者を出さないために、事なかれで、止めない。
それに反し、ドイツの原発中止や、英国のEU脱退などは、「止~めた!」と方向を変えた訳で、とても日本には出来ないこと。
しかし世論の後押しがあれば、中止の決断も出来る。1995年の青島都知事による「世界都市博覧会」の中止が良い例。

今日は、「小池都知事 築地市場の移転延期の方針固める」というニュースが流れた。「都民ファースト」によって、4年で建設費が3倍に跳ね上がったという原因が、どこまで解明できるか?

ともあれ、原発事故の費用の流れを勉強してしまった。
言えることは、放射能は怖ろしい、そして「地震は起きないだろう」という過信は怖ろしい、ということ。
地球が壊滅するSF映画は、いつも核での放射能汚染なのだ・・・。

そう言えば、先日、民意を得て当選した鹿児島県知事が、九州電力に対し鹿児島県の川内原子力発電所を一時停止して安全性を再点検することなどを要請した。
この例も、沖縄・普天間基地移設問題と同じく、民意を国がどう扱うか、の良い指標。
民意=国民主権がないがしろにされている今の日本だが、原発事故で一人3万円以上も“金を出している”国民。もっともっと“口も出そう”ではないか。

●メモ:カウント~930万

160830sekai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年8月28日 (日)

台風10号、史上初、東北に上陸?

ここ数日、ニュースの最初の方に、台風10号の動向が報道されている。我が家でも、今までに無く、「台風どうなった?」という話が多い。
160828taifuu1 我が家でこの台風の情報を知ったのは、先日(2016/08/24)朝のテレビ番組「羽鳥慎一モーニングショー」でのこと。
ここで衝撃的なことを言っていた。その骨子は・・・
・トリプル台風 3つ目は“過去最強クラス”で上陸か?
・「ヨーロッパ中期予報センター」では、9月1日位まで予報している。気象庁では精度の問題で5日ほど。
・それによると、30日に関東地方に上陸して日本海側に抜けていく、という予報。
・「ヨーロッパ中期予報センター」はEUの国々がお金を出して運用している日本の気象庁のような所で、15日位先まで予報している。日本の気象庁も11日先まで計算はしているが、精度の問題で、5日先までしか出していない。
・台風10号は“過去最強”で上陸の可能性がある。
・日本で過去に勢力が強い台風は、①1961年9月16日の「第2室戸台風」で925hPa、死者194人、負傷者4972人、②1959年9月26日の「伊勢湾台風」で、929hPa、死者4697人、負傷者3万8921人。それよる強い可能性。

これは衝撃的な報道で、気象庁がまだ予報を出していない段階であり、この台風10号の予報に関しては、国内では最初の報道かも知れない。これは貴重。気象庁のような「精度が・・」という建前論ではなく、危ない情報は早期に、というスタンスが重要。
このニュース以来、我が家では「台風どうなった?」となったのである。

話は変わるが、昨夜、「Yahoo!ニュース」を見ていたらこんな記事があった。
台風10号、史上初となる東北太平洋岸~北関東に上陸か
  森さやか  NHK国際放送局 気象アンカー、気象予報士
進路を東に変え、本州に接近し始めている台風10号ですが、その進路に変化が現れています。危惧されていた、首都圏直撃コースよりも、関東の東の海上を進んで、その後、東北地方や北関東に上陸する可能性が高まってきたようです。
台風10号は、27日(土)15時現在、中心気圧955hPa、最大風速45メートルの「非常に強い」勢力で、15キロのペースで東北東に進んでいます。29日(月)に「非常に強い」勢力のまま、関東の南へと到達する見込みです。
注目されるその後の進路ですが、これまでの予報よりも、やや東寄りに進む予想が出ています。神奈川や千葉県などに上陸する恐れもあるものの、以前に増して、東北地方や茨城県を進む確率が高まっています。
参考までに、米軍合同台風警報センターの予想進路図を紹介すると、こちらも気象庁と同じような予報を出しています。ただ、気象庁よりもさらに、大回りのコースをとって、より北に上陸する予想をしています。
もしこの通りに、台風10号が東北地方の太平洋岸に上陸したら、それは未だかつてない事態です。

160828taifuu2 下の図は太平洋側だけに着目し、1951年以降の台風の上陸場所を地域別に比べたものです。
過去最も上陸が多かった地方は、一位の鹿児島県を含む九州で、続いて四国・東海・近畿・関東・北海道となっています。ちなみに、関東地方は神奈川県と千葉県です。
一方で東北地方と茨城県では、一つも上陸が確認されていません。それは、通常台風は南から北東に向かって進むために、これらの地域に上陸する前に、他の場所に上陸してしまうためです。・・・(2016年8月27日 18時28分配信)
」(ここより)

上の台風の上陸地点のデータは面白い。いつも沖縄の方から北上してくるため、東北地方への上陸が少ないことはわかる。それにしても、茨城から東北がゼロとはビックリ。
それが今回、その記録を破りそうなのだ。
しかし「台風10号は27日、勢力を強めながら本州の南海上を東へ進んだ。気象庁の予報では30日から31日にかけて東日本に上陸する恐れが高まっている。上陸の可能性がある地点は静岡から函館まで広範囲に及ぶ。台風10号の動きは、大きく回転する上空の気流「寒冷渦」の動きに左右されるため、気象庁は進路予想について「非常に難しい」としている。」(ここ)という産経の報道もあるので分からない!?

上の記事にあった「米軍合同台風警報センターの予想進路図」(ここ)を覗いてみた。すると今現在(2016/08/28 16時)、このような進路になっている。
気象庁の予想図と見比べてみると面白い。
<米軍合同台風警報センター><気象庁><ウェザーニュース>
160828taifuu3 160828taifuu4 160828taifuu5

米軍の方が連続的で分かり易い。気象庁のお馴染みの予想図は、何となく漠然。ウェザーニュースの予想図や、民放の予想図は、円の中心を線で追っているが、折れ線。それに対して、米軍の図は曲線。

160828taifuu6 ともあれ、今現在の「ヨーロッパ中期予報センター」の30日の予想図(ここ)は左図になっている。つまり、8月24日の予想とあまり変わっていない。
という事は、先の「羽鳥慎一モーニングショー」は大スクープ!?

ホントウにヤバイ事は、気象庁も建前論の5日間予報の発表だけではなく、もっと早い時期から大騒ぎすべきではないだろうか?
台風10号の上陸は避けられないとしても、被害が少ないことを祈ろう。

160828canvas <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年8月27日 (土)

藤山一郎の「波」

このところ、宅配レンタルCDで、持っているFMからの音源などを、CD音源に取り換えている。
幾ら良い音でFM放送を受信しても、オリジナルのCDにかなうものはない。前にも書いたが、アナログレコードも、幾らハイレゾのビットレートで録音しても、やはりCD音源にはかなわない。

そんなことで、今まで手に入っていなかった昔の色々なレコード音源も、CDの音源を手に入れることが出来た。その中のひとつ、藤山一郎の「波」という歌を紹介しよう。

<藤山一郎の「波」>

「波」
  作詞:藤浦 洸
  作曲:藤山一郎

岩をかむ波 砂を這う波
おおいかぶさる波 想いくだける波
あヽ私は立っている 私はみつめてる
私は待っている 美しい愛情の波を

寄せてくる波 遠くゆく波
そっとささやく波 秋の大きな波
あヽ私は立っている 私はみつめてる
私は待っている 美しい愛情の波を

この歌は1959年(昭和34年)の作品だという。
160827fujiyama1 自分がこの歌を知ったのは、高校2年の時に買った「藤山一郎 なつかしの歌声」という25センチLP。ジャケットを見ると、「'59.6 定価¥1000」とあるので、まさしくこの歌は、このレコードが最初だったらしい。
自分のメモには、買った日が「昭和39年7月7日」とあるので、5年ほどレコ160827fujiyama2 ード屋の店頭で眠っていたものを買ったのだろう。

それ以来、この歌には巡り会わなかった。そして、今回やっとこのレコードの音源がCD化されている事を知り、手に入れたというわけ。

この歌は、前に五郎部俊朗が歌ったものを入手したことがあった。それも聞いてみよう。

<五郎部俊朗の「波」>

藤山一郎とはだいぶん違う。歌謡曲というより、歌曲として歌っている。確かに、歌謡曲という雰囲気の歌ではないが・・・

前に何度か書いたが、自分の好きな歌のオリジナル音源を、CDで探す旅。ストックが段々と無くなってきた。つまり、大部分の音源を手に入れてしまった。
段々と楽しみが無くなる寂しさも!?

160827neko <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年8月24日 (水)

お箸の持ち方

夕食を食べながら、テレビを見ていたら、家庭での食事の風景が映されていた。しかし映っていた小学生の女の子は、ご飯茶碗を、直接口に当てて、箸でご飯を掻き込んでいた。そして別の女の子は、ランチプレート(ランチ皿)を、これまた直接口に当ててガツガツ・・・・
これらは、見ていてどうも頂けない。正しい食べ方を、子どもの時に親が教えないと・・・

お箸の使い方も同じだが、先日読んだ新聞の投書を思い出した。
「お箸の持ち方 不安
    パート・女性(48)
 お箸を正しく持てません。子どもの頃から、こっけいな持ち方で目を引き、恥をかいたことが多々あります。
 社会人になり、さすがに具合が悪いケースが増えてきました。矯正を心掛け、なんとか人様から持ち方を指摘されないぐらいにはなりました。それでも、きれいに使いこなせているとは、まだまだ言えないレベルです。
 教える自信がないので、息子には矯正用お箸を買いました。恥をかかずに済む程度には伝えたつもりですが、私に正確な知識がないだけに正しい使い方かどうか心配です。」(
2016/07/31付「読売新聞」投書より)

特にお箸の使い方は、子どもの時の習慣がそのまま定着してしまう。大人になってからではなかなか直せない。
160824hashi_3我が家では、カミさんの箸が、正しくない。手に持つ先端が一緒になってしまう。自分はもちろん先端がちゃんと分かれている。どのように教わったかは、全く覚えていない。
先日、ウチの息子の使い方を“観察”してみた。すると、長男は×、次男は○だった。
自分もカミさんも、どう教えたかは覚えていない。

今更・・・の話だが、我が家では、二人の女の子の孫が心配。
先日、息子に「もう箸は使っているのか?」と聞いたら、「まだまだ」と言っていた。
いったい、子どもは何歳から使えるようになるのだろう? 何歳頃に教えなければいけないのだろう? Netでググってみると、こんな記事があった。

「元保育士です。
箸の研修に行った事があります。
箸は早くから持てるようになったから良いというものではありません。
やらせれば早い子で、2歳位で持てるようになりますが、「早く持てたから良いわけではない」という事を学んだので・・・。
うちの園では絶対3歳過ぎるまでは箸は持たせたらいけないと主任から言われていました。
まずはスプーンで親指を下にした持ち方でその時に使われる筋肉をしっかり使い、次は親指を上にした持ち方でまた違う筋肉をしっかり使ってから箸に移行するようにと。
早くても3歳までは箸の練習は不要だということでした。自分も研修に行ったので異論ありません。
4歳くらいまでに使えれば良いと思っています。」(
ここより)

なるほど・・・。つまり、3歳になった頃から教えるのが普通らしい。

160824hashi1最近では、上の投書のように、箸の使い方グッズもあるという。我が家の子育て時代に、こんなグッズがあることを知っていたら、与えたのに・・・と思ったり・・・。

そう言えば、右利き、左利きも子育てでは迷う。子どもが左利きなのを、右利きに親が強制的に直させる、という話も聞く。
我が家では、自分は右、カミさんは左、長男は右、次男は完全な左利きである。
特に次男の時に迷った。結局、カミさんの意見の通り、何も強制しない、という事にした。すると、文字を書くのも、何もかも左利きになってしまった。
左利きの人が文字を書くのを見ると、違和感を覚える。「よく書けるな~」「よく紙が引っ掛からないな~」と思ってしまう。でもそんな人も結構多く、よく見かける。

ウチの孫が右か左かは分からない。それはともかく、女の子だけに、箸の使い方だけはマスターして欲しいもの。
まあ原理的には、親が出来なければ教えようがないので、子どもは心配。しかし親が出来れば、ちゃんと子どもに教えられるので、大丈夫。
その点、ウチの孫は大丈夫、だと思うのだが・・・

160824dokidoki<付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年8月22日 (月)

臭いのため、専門業者にエアコンの洗浄を頼んだ話

今日は、エアコンクリーニング専門店に頼んで、自室のエアコンの洗浄をしてもらったので、その体験記。
今朝は、五輪の閉会式の話題を吹き飛ばして、11年ぶりに関東に上陸したという台風9号のニュースが流れていた。その雨の中、約束通り、エアコン洗浄屋さんが来て、クリーニングをして貰った。

数週間前から、自室がどうも焦げ臭いことに気付いた。カミさんがベランダで蚊取り線香を焚いているので、その臭いかと思った。しかし、消えている時間帯も臭いのでおかしい。
もしこの臭いが、電気配線から来ているとすると、火事の危険性があるのでヤバイ。しかし、クンクンと部屋中、どこを嗅いでも、原因カ所が分からない。
寝ている時、エアコンを切ると、臭いが薄くなったような気がした。原因はエアコンか?
自室のエアコンは5年前に買ったパナソニックの「CS-J281C-W」というモデル。

初めて取説を読む。「におい除去」という機能が付いていることに気付く。そしてカビ防止の「乾燥」という機能もあった。5年間、使ったことが無かった・・・・。ヤバイ・・・
居間の東芝製は、冷房の後は勝手に乾燥モードになって、数時間運転していた。Pana製は、設定しないと動かないのか・・・
そして初めて「臭い除去」というスイッチを押してみた。すると部屋の中がもうもうとしてきたので、まあ働いたのだろう。しかし、かえって乾燥した焦げくさい臭いがひどくなった。内部のカビが、「臭い除去」で焦げたのだろうか? 咳が出るように部屋の空気が悪い。
洗浄しかないな・・・・。ホームセンターに、色々売っている。それを使って自分でやる?いや、水滴が落ちないような養生は素人ではムリかも・・・

結局、プロに頼むことにした。さてどこに頼む?
「エアコン」「洗浄」でググると「くらしのマーケット」というサイトが一番目にある。そこに郵便番号の入れると、色々な業者がズラリ。「料金が安い順」「クチコミが多い順」などで検索できる。料金は安い店だと7千円ほどらしい。「クチコミが多い順」で検索すると、一番が267件の圧倒的多数の店があった。東京エアワークス 練馬本店という店(ここ)。それに料金も8千円でまあまあ。「クチコミ評価」も3位。
これで行こう。「昨年度家庭用壁掛けエアコンクリーニング実績2000台以上。当店は家庭用エアコンクリーニング専門店です。」という謳い文句も気に入った。早速予約申し込み。

今は結構混んでいるらしく、作業日は申し込んで1週間後。まあ仕方がない・・・
そして、台風の一番ひどい中、午後来てくれた。関口知宏そっくりの男性と女性のペア。
車から降ろす機材が予想以上に多い。液剤のタンクやコンプレッサーなど。
状況を説明すると、冷房・強の時の風速・温度を調べる。2.6m/sで20℃だという。風力が弱い。内部を照明をあてて見ると、ポツポツと黒いカビが一面に・・・。おお、汚い・・・
「カビのせいで、吸い込みも悪く、送風ファンからの吐き出しも悪いが、カビを取れば、臭いも消えるし、風力も強くなるだろう」との話。

カバーを外し、女性スタッフが風呂場で洗う。そして養生。室内機全体をビニールカバーで覆う。電子機器には水が入らないように養生。これが素人ではなかなか出来ない・・・
そして、コンプレッサーを回す。使う液剤は3種。アルカリ性の溶剤で、カビを浮かせ、次のImg_15351弱酸性の溶剤で中和させ、最後に水で二つの洗浄剤を落とす、という工程。
最初の溶剤で高圧洗浄すると、黒い水がしたたり落ちる。ビニールのカバーはなかなか良く出来ており、小さな窓から噴霧器を入れてシューっと洗うと、汚れた洗剤は下部のビニールのホースにより、下に置いたバケツに流れ込む。途中、アルミのフィン(熱交換器)の洗った部分と洗わない部分を比べると、明らかに色が違う。やはりスキマにカビが詰まっているようだ。ここが汚れていると、熱交換の効率が悪くなるので、冷えなくなるとのこと。

Img_15301 Img_15271 Img_15251

途中で、臭いを嗅ぐ。するとナマ臭いにおいがする。いつもとは違うが、悪臭。液剤でカビが剥がれたようだ。最後に、PHを測って、問題がないことを確認。カバーを元に戻す。カバーも、ビスで止まっており、それを外さないと取れないようだ。
洗い終わった洗剤は、真っ黒。そして、完成したエアコンから出る風は、始める前の2.6m/sから5.0m/sに改善。風の温度も20℃で問題ないとのこと。
フィンの間のカビが取れて、風の通りが良くなったようだ。

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途中、色々と雑談してしまった。エアコン専門業者は、毎日エアコンに触れているだけに、エアコン製品についての秘話?を知っている!?
「エアコンのメーカーはどこが良い?」「日本の一流メーカー(東芝・日立・三菱・Pana・富士通・ダイキン)であれば、どこも安心。しかしほとんどのメーカーは三菱製のモーターを使っている。ダイキン製は、水が変なところに入っていかないので、ハードに洗える。洗いやすい。」
「素人がホームセンターで買ってきて洗浄するのと、プロとではどこが違う?」「まず薬剤が違う。強い薬剤を使っている。よってこの汚水も、そのままでは環境汚染で下水に流せないため、別の薬剤を入れて処理してから捨てている。ホームセンターで売っている洗浄スプレーは、フィンの奥まで行き渡らないのでそれほど取れないし、アルミフィンの奥に残留してしまうので、それが詰まって、風が出づらくなる。」
「1日にどの位回っているの?今がシーズン?」「1日に個人宅だと3~4軒。一般の家庭はシーズンがあるが、不動産屋からのマンスリーのアパートなどは通年。」
「ウチは初めてだが、結構皆さん洗浄しているの?」「個人のお宅はここ2~3年多くなった。業務用エアコンは我々のような専門業者がやるが、一般の家庭はダスキンなどが水回りなどの清掃のついでにやることが多い。業者によってやり方はまったく違う。」
「これで臭いは消える?」「これで無くならないと、ドレンパンや送風ファンを外して分解掃除をすることになる。実は、臭うと言われて洗浄を依頼されるエアコンは、パナソニックのこの機種が一番多い。この機種は、色々なモデルがあるが、昔のナショナルの頃から中の構造は変わっていない。売られている台数も多いのだろうが、臭うと言われて行くと、だいたいこの機種だ。」
「設置業者のミスも多い。結露水を集めるドレパンを、水が流れるようにホースのある方を下にしなければいけないが、それをしていないと、水が溜まって水が乾燥できずにカビが発生することがある。」
「エアコンの性能や風速まで測ってくれるとは思わなかった。」「専門業者しかやらない。一般のクリーニング業者はしない。」
「これからは、乾燥モードを使って、冷房の後は必ず内部乾燥をしよう。」「今使っている薬剤のメーカが言うには、冷房を使った後、湿った状態で放置すると、2日目からカビが付き始めるそうだ。」

いやはや色々と勉強になった。
そして、帰りがけに、「使っていて何か不具合があったら、言ってくれれば無料で診断させて貰う。」と言われたのにはビックリ。8千円しか払っていないのに、何かあったら無料で点検に来てくれるという。なるほど。クチコミで評判がよいはずだ・・・

実は、我が家では、6カ所にエアコンがあった。昔から東芝製を使っており、最近になって三菱製を買っている。その中で、今回の自室のエアコンだけがパナソニック製。それだけが臭った。
これは、上で業者さんが言っていたことと符合する。つまりパナソニック以外のエアコンでは臭ったことがないのである。子ども部屋のエアコンは、25年前の東芝製。それが、息子が帰ってきた時に動かすのだが、まだ動く。この古い機種には、自動乾燥の機能はない。でも臭わない。
居間の10年前の東芝製エアコンは、何もしなくても勝手に冷房の後に乾燥モードになる。最近買った三菱製は、「内部クリーン」スイッチが別にあり、設定が必要。Panaも同じ。
今回のことで、慌てて三菱製エアコンの「内部クリーン」をONにした。自室のPana製も「乾燥」スイッチをONにした。
しかし、今日の業者さんの「パナソニックのこの機種は、臭いが出て洗浄を頼まれることが多い」という事実が重たい。

今日、悟ったこと。
・カビのために、エアコンから出る風速が半分になっていた。つまり冷やす能力が半分!?カビもバカに出来ない。
・エアコンに付いている「乾燥」「内部クリーン」など、カビ防止機能はONにしておこう。
・壁掛形のパナソニック製エアコンは、実績として、構造(設計)的に“臭いやすい”ので、今後は買わない。(ちなみに、2015年のエアコンのシェアは、Pana:22.4%、ダイキン:18.1%、三菱:15.1%、日立:14.9%、富士通ゼネ:10.0%(ここより))
・もし洗浄が必要になった場合は、今日と同じ業者さんに頼むことにしよう。

色々とエアコンについて“勉強した”一日であった。

160822petika <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年8月20日 (土)

Panaのブルーレイレコーダの温度をヒートシンクで4割下げた話

先日、パナソニックのブルーレイディーガDIGA(DMR-BRX7020)を買ったが、筐体の温度上昇が気になり、ヒートシンクとアルミ板で、7℃(31%)(⇒最終的には8.3℃(37%))下げることが出来たので、今日はその話。

先日、「Panaのタイムシフトレコーダー「DMR-BRX7020」が素晴らしい」(ここ)という記事を書いた。
そこでも書いたのだが、筐体の下面と背面が異様に熱い。触るとヤケドするほど。
ノートPCは、発熱する底部をわざと直接机に触れさせ、熱を逃がす設計をしている。しかしこのレコーダーは、低面の板に熱を逃がし、それを自然空冷で放熱する設計らしい。しかし、背面のファンからの空気が底面を流れるとは言え、底面の熱を他に逃がしたやりたくなった。
Panaの設計を尊重すると、「底面から空冷」なので、底面の熱を逃がす方法を考える。背面は底面からの影響と考える。
1608002heat 検討したのは、アルミ製のヒートシンクとアルミ板。材質はアルミが一番。アルミは銅に次いで熱伝導率が良く、電子機器のヒートシンクは皆アルミだ。
筐体の下部の熱をヒートシンクで吸い取って放熱し、加えて下に敷いたアルミ板で放熱することを考えた。
そして、まずAmazonで色々見て、12cm×10cm×1.8cmのアルミ製のヒートシンクを4つ手配した。(送料無料で購入時@514円。現在は @436円ここ
先日それが着いたが、なかなか宜しい。

測定方法は、手元にあったSATO製の室内外デジタル温度計(PC-6800)(ここ)を使う事とした。
室外用の熱電対を、筐体の下部にガムテープで留めた。レコーダの状態は、電源を切ってチャンネル録画(10ch)だけをしている状態に統一。
やったことを順番にメモしてみる。

1)まず、ヒートシンク4つを並べ、その上にレコーダーを置いてみた。しばらく置いておくと、160820pana1 ヒートシンクがチンチン。つまりは底面の熱が逃げている。
この時の周囲温度は28.9℃、筐体下部の温度は49.6℃だった。

2)上のように、ヒートシンクを4つ並べると安定は良いが、レコーダーを裏返してみると、レコーダーの底面の形状から、4つ全部は底面に直接当たらないことが分かった。後部に2つ置くのが、ちょうど発熱部に直接当たるので都合が良い。しかし、後の方160820pana2 だけのヒートシンクでレコーダーを支えるので安定が悪い。しかし4つを発熱部に直接当てるためには、熱伝導シートか熱伝導グリースを間に付けてやる必要があるがが、セットにはグルースを塗りたくないので止めた。
よって、ヒートシンクをせっかく4つ買ったので、2段重ね、レコーダーの後方の発熱部にピッタリ当たるように置いた。上の段で受けた熱を下の段のシンクに伝えて、2段で放熱する。それに下の空間が広くなって、より空気の流れが良くなる。
こうすると、周囲温度が28.8℃で、筐体下部の温度は46.7℃になり、3℃近く下がった。なるほど、これは良い。

3)次に、下のヒートシンクの熱を、アルミ板で逃がしたらどうなるかを調べてみた。手元に、160820pana3 アルミ製のノートPCの置き台があったので、それを利用してみた。大きさは、31cm×25cm×2mmである。
下にアルミ板を敷いた結果は、周囲温度29.0℃、筐体下部の温度は44.6℃となり、アルミ板を敷いた効果で2.1℃下がった。
(なお、チャンネル録画を10ch⇒5chにすると、42.7℃だった。内部の処理量によって、当然、発熱量は変わる。)

4)これ以上の手は無いので、今度は順番に抜いて行く。ヒートシンクを2段から1段に減ら160820pana4 してみた。アルミ板はそのままである。すると、周温29.1℃、筐体下部の温度は46.1℃となり、1.5℃上昇した。つまり、2段の方が良い。

5)次にその状態で、アルミ板を抜いてみた。
160820pana5_3 すると、周温28.7℃、筐体下部の温度は49.1℃となり、3.0℃上昇した。
やはりアルミ板は敷いた方がよい。

6)最後にヒートシンクを抜いて、通常の状態にした。すると、周温29.0℃で、筐体下部の温160820pana6 度は51.5℃となった。これがPanaの設計値。つまり、筐体の底面は周温に対して、22.5℃高い設計なのである。

以上の結果から、10chのチャンネル録画時、ヒートシンクを2段重ねて底面の後に2組み置き、下にはアルミの板を敷くことで、6.9℃下げることが出来た。(本来は、周温からの差で評価するべきだが、ここでは無視している。またヒートシンクと、筐体またはアルミ板との間は、熱伝導シートや熱伝導グリスで埋めるのが普通だが、今回は汚れるのがイヤなので使っていない。)

160820heat2_2
ヒートシンクだけでなく、アルミ板の効果も確認できたので、改めて30cm×40cmのアルミ板を手配することにしよう。
熱容量からすると、アルミ板は厚い方が良い。

なお今回、ヒートシンクを購入した店は、値段は安いが(国内の店で買うより半値)、北京の店からの発送なので、注文してから着くまで、2週間弱かかった。それに、着いたシンクは傷だらけで何の梱包もなく、裸だった。まあ、機能に問題はないので、気にしないが・・・。

この方法は、メーカーがどこであれ、筐体の下面から放熱される設計のセットには応用できる。まあ、7℃下げたからと言って、機器の寿命にどれだけ影響があるかは分からない。しかし自分は、「セットの温度は低いに越したことはない」と“思い込んで”いるので、この処置をした。自分的には、22.5℃⇒15.5℃に、31%発熱を下げたことには意味があると思うのだが・・・。
3千円の温度対策ではある。

(2016/09/16追記)~ヒートシンク3段積みで筐体底面の温度は4割ダウン
現役時代、電気メーカーで電子機器の開発をしていた頃の「温度試験」を思い出して、もう少し頑張れないかと考えた。
シャーシの底面をよく見ると、発熱部のへこんだ部分は、横が21センチ、奥行き方向が18センチほどだ。理想は、この発熱部分全体にヒートシンクを当てて、熱を逃がしたい。
一方、今回使ったヒートシンクは、横10センチ×縦12センチ×厚さ1.8センチのもの。
もし12センチを半分の6センチずつに切断できれば、12+6=18センチで、理想的。底面の発熱部分全体にヒートシンクを当てることが出来る。そして横方向は10センチを二つ並べても21センチに十分入る。
1608200 試しに、ホームセンターで、アルミ用の金鋸の歯と、金鋸を600円弱で買ってきて、切断を試みた。すると1時間弱で2個を6センチずつに切断できた。
よし、試してみよう。とAmazonから前回と同じ中国の通販会社に同じヒートシンクを2個追加発注。
しかし、これが届かない。発注から21日目の昨日、やっと届いた。しかも、届いたものは、前の物に比べて厚さが0.6mmほど薄い。つまり、それを2段重ねて使うと、1.2mmほどの段差が出来てしまう。
仕方がないので、下に1.5mmほどの鉄の小さな板を敷いて、調整した。

1608201 それで試してみた結果、奥行き方向の12+6=18センチにしたものを横に二つ並べたのだが、何と悪化! 44.6℃から45.6℃と、1度も“悪化”してしまった。
原理的には、放熱部全体にヒートシンクを当てているので、効率は良くなるはずだが、ヒートシンクの厚さが同じでないため、底面にピタッと当てることが出来ず、かえってスキマが生じたのが原因と判断。(ヒートシンクを買う時は、一度で発注する事が必要。原理的にはこちらの方が良いと思うのだが・・・)

1608204 元に戻しても今回買ったヒートシンクが勿体なので、3段に積み上げて実験してみた。その結果、43.2℃、つまり、2段から3段にしたことで、今までの44.6℃から1.4度下げることが出来た。
前のデータを見ると、2段と1段との差は1.5度。まあ同じような効果だ。
結論として、これで行くことにした。

1608205 なお、3段に重ねた2つのヒートシンクの位置は、下部のシャーシで、くぼんだ横21cm×奥行き18cmの部分の、左側は一番左で一番後に、右側は一番右で、後ギリギリから2cmほど前にした。発熱部は後のため、両方ともなるべく後が良いのだが、セットの安定性のために、右のヒートシンクは少し前にした。とにかく、底面の発熱部分にピタッとヒートシンクが当たることが大事。レコーダーを揺すってみて、ガタガタするようだと、ちゃんと当たっていない。
1608206 繰り返すが、本来の使い方は、発熱部とヒートシンクの間に、熱伝導シートか熱伝導グリースを挟むべき。しかし自分は、セットを汚したくないので使わなかった。よって物理的に、底面発熱部とシンクの表面をピタッと設置することが必須!!!
また、3段に積んだヒートシンクは、それぞれずれないため、境目を細く切った紙のガムテープで止めた。大きく切ったガムテープだと、放熱に影響が出るかと思い、最小限に小さく切った。熱い部品を止めるのだが、意外と紙のガムテープは良かった。セロテープや布のガムテープは、熱に弱そうなので試していない。

なお、温度計の下の値は、温度計周辺の温度。つまりレコーダーからの排気風まで含めたレコーダーの周温であり、部屋の温度ではない。そして評価は、周温との差を見なければいけない。
つまり、何も対策をしなかった場合は、51.5℃-29.0℃=22.5℃の温度上昇。ヒートシンク3段積み+2mmアルミ板では、43.2℃-29.0℃=14.2℃の温度上昇。つまり、この対策によって22.5℃-14.2℃=8.3℃下げることが出来た。率にして37%、約4割である。もちろん温度は常に微妙に変化しており、目安である。
なお、この状態はあくまでも“チャンネル録画10CHの電源OFF”の時であり、同時に通常録画など他の動作をしている時には当然温度は上がる。

(関連記事)
Panaのタイムシフトレコーダー「DMR-BRX7020」が素晴らしい 

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2016年8月19日 (金)

体調不良のときは「ユンケル黄帝顆粒」!?

今朝は体調が少しおかしかった。例のごとく、“鬼”のカミさんから朝たたき起こされ、朝ドラを見ながら朝食を採ったり、生ゴミを出したまでは良かったが、新聞を読みながら、体調が少しおかしいことに気付いた。
目が渋い。睡眠が足りないのかと、ベッドで横になるが、どうもいかん。
昼前になって居間に降りて行くと、益々体調が良くない。昼食のチンして食べる“料理”も大儀で、数少ない自分の分担のため、サボったことがない昼食の用意も、珍しく今日はサボってしまった。

そこでカミさんが言う。「元気薬飲んだら?時間がもったいないでしょう!」
160819yunker そうなのだ。我が家には、こんな時のために「元気薬」があるのだ。それもそうだと、直ぐに元気薬を飲んだ。するとどうでしょう。あれよあれよという間に、いつもの体調に戻った。これはありがたい。我が家の秘薬、「元気薬」=「ユンケル黄帝顆粒」(ここ)なのである。

この所、無かったが、たまに調子が悪くなることがある。原因は、だいたい寝冷え。夜、体を冷やすとてきめん。翌日の午前中は、体に力が入らず、調子が悪い。午後になって、やっと戻る、というのがいつものパターン。
今朝も、どうもこれらしい。でも体を冷やした記憶は無いが、まあそうなのだろう。

ふと、前の記事を検索してみたら、8年前に「我が家の秘薬~桂枝加竜骨牡蛎湯」(ここ)という記事を書いていた。その頃に比べると、今はまだ良い。こんな薬もすっかり忘れていた。しかし、ここで書いている「ヤク」こそ、今で言う「元気薬=ユンケル黄帝顆粒」なのだ。

薬は副作用があるので、なるべく飲まないのが原則。しかし、困った時は仕方が無い。頭痛の時など、薬は有り難い存在。
まあ今日なども、放っておけば治るのだろうが、あとは治るまでの時間の問題。今日は、直ぐに良くなったので、時間を有効活用できた・・・・。
いや、ホントウに有効活用した? 新聞を読んでいるだけでしょう? あとはテレビでオリンピックを見たり・・・。結局、カミさんに言わせると、ダラダラ・・・。
中性脂肪を減らすために、ラジオ体操でもしようかと2日前から始めたが、これも今日は忘れた。
考えれば考えるほど、「元気薬」で体調を戻しても、それほど時間を有効活用していない・・・。本人は毎日忙しいつもりだが、周囲からは評価されていない。

今も、パソコンで無意味にキーを叩いているだけで、これが有効活用かどうか・・・。おっと話がずれてきた。
とにかく、体調不良で元気がない時は「ユンケル黄帝顆粒」なのであ~る。

160819roomba <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年8月18日 (木)

さだまさしの「椎の実のママへ」~伯母の思い出

さだまさしの「椎の実のママへ」という歌を初めて聞いた。さだまさし独特の物語風の歌である。

<さだまさしの「椎の実のママへ」>

「椎の実のママへ」
  作詩・作曲:さだまさし

漢口(ハンカオ)の春は 大使館の柳の青
それから池に降る その花の白
甘露園のコール・コーヒー越しに 
うちあけられた愛 それが春

漢口の秋は 焼き栗のはじける香り
読み終えた文庫本で うけとめた愛
かぞえの二十二で嫁いでそのまま
終戦を迎え だから秋

 天津からひきあげたあと七年たって彼女にとって初めての
 そして最後の子供を産んだ
 夫は優しくて働き者だったから 誰もが彼女を幸福(しあわせ)とよんだし
 確かに幸福なはずだった

いくつかの春は 知らず知らず人を変え
淡い思い上がりが その心を変え
煙草とコルトレーンの中で二度目の恋をみつけて
それも春

ひとつ屋根の下で やがて別の愛
それぞれが違う 愛を過ごして
一人息子だけが取り残される形で
終わるも愛 つまり秋

 みんなの謗(そし)りの中で 彼女は故里の長崎へ帰って
 小さな喫茶店をはじめた
 「椎の実」のママを慕って沢山の若者達が集まって
 「椎の実」はいつでも 煙草とコルトレーンで一杯だった

 僕と同い年の一人息子は おきまりの様に
 ビーチボーイズを聴き乍ら一度ぐれたが
 自分の足で歩き出す迄に随分迷ったけれど
 やがて歩き出した
 彼は父親を愛するのと同じ位に 母親を愛していたし
 僕はそんな彼が大好きだった

長崎の春は 黄砂と凧上げ
一人息子は母と暮らすと決めた
小さな店のカウンターに二人で
立てたらいいねと そんな春
 
彼がもうひとつの 愛を手にした頃
母は突然に病いをみつけた
癒るはずのない病名を知らされて
立ちつくしたのは それも春

まさか彼が母より先に まさか逝っちまうなんて
誰も思わなかった だって恋人と海に出かけて
オールを流されて 飛び込んだまま
だって昨日まで 元気だったんだもの
        
母は嘆き悲しみ出来るなら私とひきかえにと
今までを悔やんだ
ねェ早かったよ ねェ早過ぎたよ

僕は彼の為に 唄を作った……

 ジャズとクラシック以外は耳を貸さなかった彼女が
 僕の唄を愛する様になったのはこの頃だった
 自分の残り時間のすべてをかけて 息子の為に祈り
 それと同じ位に 僕を 僕の唄を愛した

 三度目の手術の後は 彼女の生き甲斐だった
 お店にも立てなくなってしまい
 それでも生きようとしたのは
 この時初めてひとつになった 彼女の兄弟達の心と
 死んだ息子の為だったと思う
 
思い起こせば 誰も彼も皆
本当はとても愛し合っていた
わずかなすれ違いが物語を
変えてしまうなんて それも愛

椎の実のママが 死んだ晩に
みんな同じ色の涙を流した
結局愛されて死んでいった彼女は
幸福だったと 思っていいかい

ねェ愛されて死んでいったあなたは
幸福だったよね そうだよね

さよなら 椎の実のママ
さよなら 僕のおばさん

この歌はどんな歌かとNetでググってみると、1979年10月12日発売のシングル「親父の一番長い日」のB面だという。もう40年近く前の歌だが、自分はいままで巡り会わなかった。
そして、この物語は、「精霊流し」が作られた背景を歌っているようだ。

Wikiの「親父の一番長い日」の項に、こんな記述がある。
「「椎の実のママへ」は、さだの母方の叔母に当たる女性の生涯を描いた楽曲であり、叔母への哀悼歌である。彼女は離婚後に故郷の長崎で「椎の実」という名前のスナックを経営しており、それがタイトルの由来となっている。彼女の息子(さだの従兄)の水難事故死が、160818shiinominomama さだが「精霊流し」を制作したきっかけとなっていた。その事実が歌詩中にも触れられている(同時に「精霊流し」のイントロから冒頭にかけてのメロディが挿入される)。
さだにとってあまりにも重いテーマの楽曲であるため、さだはコンサートでは決してこの曲を歌おうとしなかったが、デビュー20周年コンサートでその封印を解き、レコーディング以来14年ぶりの歌唱を行った(ライヴ・アルバム『のちのおもひに』に収録)。その際、オリジナルの歌詩の一部に史実に反する箇所があったとして歌詩を修正している。シングル盤の歌詩では漢口の「大使館」と歌われていたが、当時漢口には大使館はなく、あったのは日本領事館であったため「領事館」に改められた。
レコーディングはさだ1人の演奏による弾き語りの形式で行われた。
ライナーノーツにはさだの母親に対する献辞がある。
さだの自伝的小説『精霊流し』を原作とするドラマおよび映画においても、この叔母をモデルとするキャラクターが重要人物として描かれる。」

ここ)によると、叔母さんの病気は「末期の子宮がん」だったようだ。
また(ここ)によると、「長崎では凧のことを「ハタ」と呼び、ハタ揚げは長崎くんち、精霊流しなどと並び長崎の三大行事の1つに数えられている」のだそうだ。

自分が知っている同じような歌では、「償い」(ここ)、「風に立つライオン」(ここ)がある。
さだ独特の旋律で、素人にはとても歌えない。
しかし、何故か心に響いてくる。やはり事実を背景にしている歌だからかも知れない。

こんな歌を聞きながら、自分の伯母さんを思い出した。お袋の4つ年上だった「焼津の伯母さん」は、我々が子どもの頃、最も近しい親戚だった。
戦後、満州から引き上げ、焼津に住んでいた。子どもが出来なかったことから、自分がお袋のお腹にいた頃、是非欲しいと言われていたそうだ。その後、自分の3つ下の養子を貰った。清人という従兄弟が、伯母さんの本当の子どもで無いと知ったのは、だいぶん後。
前にも書いたが、伯父夫婦は血のつながった我々兄弟を可愛がってくれて、毎月、小学館の「小学一年生」のような雑誌を送ってくれた。毎月、それは楽しみにしていた。

それが突然途絶えた。伯母さんの夫は、けんかっ早い性格だったらしく、ある夜、友人が呼びに来て、出かけていったっきり、帰らなかった。翌朝、海岸で死体で見つかった。犯人は分からなかったという。それが伯母さんの苦労の始まり。
自分は当時、小学校低学年。お袋が赤ん坊の弟と一緒に焼津に行ったことは覚えている。当時住んでいたのは埼玉県の与野。田中計器の寮に住んでいた遠い親戚の家に預けられ、そこから学校に行った。
その後、美人だった伯母さんは、再婚の話も多かったというが、息子の為にそれをしなかった。そして息子が高校を卒業するまで、焼津で雑貨屋を営んでいたが、その後、お袋を頼って、お袋のいる竜ヶ崎に引っ越してきた。それを橋渡ししたのは自分だった。学生の頃、旅行すると、いつも焼津に寄ってはたくさんの小遣いを貰っていた。その時、引っ越したいという話を聞いて、お袋に伝えた。それからまもなく、引っ越してきた。

清人という従兄弟も、新聞配達の仕事をしていたが生活は荒れていたらしく、我々従兄弟とも伯母とも縁が切れたまま、数十年の時間が過ぎた。そして2007年3月7日、警察から、アパートで孤独死しているのが発見されたという電話があった。生活保護を受けていたが、お金を取りに来ないので、アパートを調べたら亡くなっていたという。死亡推定は2週間前の2月20日。
認知症で特養に入っていた伯母は、息子が亡くなったことが理解出来なかったようで、それがせめてもの救い。そんな伯母も、東関東大震災の2日前に、93歳で亡くなった。交通がマヒしている中、葬儀は弟がすべてを取り仕切ってくれた。そんな伯母の人生だった。

改めて血のつながりを思う。伯母さんを特養に入れることに奔走し、清人を焼津の墓に葬ったのは兄貴だった。上に書いたように、兄貴も自分も、学生時代に旅行の帰りに焼津を訪れ、多額の小遣いを貰った。そのことは、年月が経っても忘れなかった。その恩を返すためもあり、伯母さんの老後は息子に代わって我々が動いた。それが伯母さんと甥の我々兄弟の関係だった。

こんなことを思い出すのもお盆の供養かも・・・

さて、8月は、お盆と終戦と高校野球のシーズン。近くの会社の新築工事も、全面休日。
そして今年は、リオ・オリンピックで毎日が騒がしい。
そんな喧噪の中でも、お盆が静かに過ぎて行く。
自分の親父も8月15日、20回目の命日を迎えた。

なぜか、こんな歌が心に沁みる、暑い夏の夜ではある。

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2016年8月14日 (日)

NHK「ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~」を見て

昨夜放送になったNHKスペシャル「ある文民警察官の死 ~カンボジアPKO 23年目の告白~」(2016/08/13放送ここ)を見た。時宜を得た好企画の番組で、誰にも見て欲しいと思った。

NHKの解説にはこうある。
ある文民警察官の死 ~カンボジアPKO 23年目の告白~
1993年5月4日。タイ国境に近いカンボジア北西部アンピルで、UNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構)に文民として初めて参加していた日本人警察官5人が、ポル・ポト派とみられる武装ゲリラに襲撃された。岡山県警警視、高田晴行さん(当時警部補・33歳)が殺害され、4人が重軽傷を負った。湾岸戦争以来、日本の悲願であった人的な国際貢献の場で起きた惨劇は検証されることなく、23年の月日が流れた。しかし、今、当時の隊員たちが重い口を開き始めている。番組ではカンボジアPKOの襲撃事件を様々な角度から描き出す。そこには、戦後日本の安全保障政策が大きく転換しPKOでもさらなる任務が求められることになった今、私たちが目を背けてはならない多くの“真実”がある。」(
2016年8月13日(土)放送 ここより) (下の動画はここより)

ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目... 投稿者 gomizeromirai

この番組の中で、印象に残った言葉をメモしてみた。
「外務省 柳井俊二条約局長「湾岸戦争の時はお金を出す以外に何もできなかった。国際的にもそれが批判された。やはり日本としても、ただ日本が平和を乱さないというだけの平和主義では足りない。世界の平和のために何らかの貢献をしなければいけない。人的な貢献を含めて何かしなければいけない。」

(1992年の)PKOを巡る議論は自衛隊派遣に集中。世論の関心も警察官派遣には向けられませんでした。
「参加5原則」は、①停戦合意の成立 ②紛争当事者の合意・・・など。
文民部門に派遣される警察官の任務は、「現地警察家の助演・指導・監視」。武器の携行は認められませんでした。
警察庁長官官房「最近の国会論議と同じで、要するに後方地域の民生支援だと。文民警察ですから戦闘があるような危険地域に派遣するわけではありませんと。今から思うと本当に不思議なぐらい雲をつかむような、とにかくやってみなくちゃいかんと」

UNTACの最大のミッションは、公正な総選挙を行い、民主国家としての基礎を作ることでした。しかし、ポル・ポト派が武装解除を拒否していたのです。1970年代、100万人以上を虐殺したとされるポル・ポト派。・・・

カンボジアに派遣されることになったのは、各都道府県の警察から選抜された75人でした。
「我々が成田から飛行機に乗るときの見送りで、家族がみんな泣いていた。あれを見たら失敗したと思いました。手を挙げるのではなかったと思いましたね」
「言っていいことかどうか分からないんですけど、「今日お返事ください」と最後言われたんですよね。「別に行かなくてもいいよ」「断ってもいいよ」と言われるんですけれども、警察官をいう仕事上は「君断ってもいいよ」と言われても、断れないんですよ。」

隊員たちは、最終的に29カ所に分かれて配置されることになりました。丸腰で任務地に向かった隊員たち。UNTAC本部と連絡手段が無い場所すらありました。任務地には、事前に危険だと警告されていたタイ国境に近いアンピルも含まれていました。・・
「最低限備えてある電話やFAXはおろか、UNTACへの直接の通信手段も持たず、陸の孤島だ」「このような状態をUNTAC本部は知らない」

1月12日、カンボジア北西部の日本人文民警察官の宿舎が40人の武装集団に襲撃されました。
当時の宮澤政権の河野官房長官。「一番気にかけていたのは自衛隊。文民警察は、散っていたので、注意深く見るということまで手が回っていたかどうか・・・」

山崎文民警察隊長は、出発前に政府から活動の実施要領を受け取っていました。そこには、隊員の生命や身体に危害が及ぶ可能性がある場合は、業務を一時休止できるとありました。
「具体的に業務の一時停止ってどうやるのか。「日本だけやめます」と言えるの? どう考えたって一定期間一緒にやってきた仲間がいて、彼らがみんなで「危ないからやめよう」と言ってやめるのなら、それはできるけれど、日本だけが最初に尻尾を巻いて、法律に書いてあるので業務の一時停止を行います。それはできないだろうなと思っていましたね。」

身を守るものは防弾チョッキだけ。その中で、危険にさらされた隊員たち。今回、一部の隊員たちが、独自に自動小銃を調達していたことを初めて明かしました。PKO法に反したとしても、自分の身をまもるためには、この選択しかなかったと語りました。
「自分の身を守るためには、これが一番最適の武器だと判断したからなんです。15ドルです。弾の入った物が20ドル、合わせて35ドル。高いですか?自分の身を守るためだったら僕は安いと思ったんです。・・・」

そしてポル・ポト派の最高幹部が「ポル・ポト派の政策を妨害しているのは日本である。日本大使館員・外交官の命は保証しない。」と声明。

当時のカンボジア大使は、治安に関する情報は、ほとんど秘密指定として外務省に送っていた。「本当は何も秘密指定にしたくなかった。でもそういう情報がどんどん飛び交うと、やはり危ない、危ないということだとね、誰も来なくなるし、ボランティアもいなくなるし、日本人に被害は無くなるでしょうけど、日本との関係は決して好ましい方向に進まないと思いますよね。」
事態の深刻さが必要以上に大きく伝えられることは、国益を損なうと考えていた、と言います。

そして4月14日、日本人文民警察官が初めて武装集団に襲われます。しかしUNTACはポル・ポト派とは断定できない、としました。日本政府も、派遣の前提である停戦の合意は崩れていない、との立場を変えませんでした。
そして1993年5月4日、会議に行く日本人の車列が襲撃され、高田晴行さんが死亡。それでも日本政府は、停戦合意という派遣の前提は崩れていない、という立場を変えることはありませんでした。

柳井さん「世界の他の国々は、ある程度危険があると、犠牲もありうると十分承知してやっているわけですね。みんなが力を合わせて平和を守るというのとなんで、だからそういう貢献を日本としてもしなきゃいけない。
・・・・」(
2016/08/13放送NHK「ある文民警察官の死 ~カンボジアPKO 23年目の告白~」より)

言うまでもなく、日本は自衛隊を筆頭に、海外派兵の話が前のめりで進んでいる。その陰には、こうした危険があることを誰もが“漠然と”知っている。
しかし、忘れられていたこのような事実を白日の下にさらしたこの番組の価値は計り知れない。うがった見方をすると、NHKの籾井会長が放送をよく許可したものだと思う。そこには元河野官房長官が出演していたことも影響しているのかも・・・

ともあれ、平和ぼけしている国民に、海外派兵がいかに危険かを周知させるにはよい番組だと思う。
そして、当時のカンボジア大使が、現地の危険性を隠そうとしていた事実。それは、人の命は、国益よりも軽いことを如実に示している。これは先の戦争での国の考え方そのもの。

この事件をNetで検索してみると、(ここ)に詳しい。ここから毎日新聞の記事を拝借して再掲する。(1993/05/05付「毎日新聞」より)

160814199305mainichi 160814199305mainichi1

その記事を読むと、「監視要員辞退者さらに増加も」という記事がある。
「これまでに十人前後が辞退しているだけに、今回の事件で内定者から更に辞退者が増えることも予想される。」
ここだけが救い。現地の危険に関する情報はアテにならぬ。つまり、現地大使館や政府の発表も、隊員の命よりも国としてのメンツを優先するので、アテに出来ぬ。
すると、先の自動小銃ではないが、自分で自分の身を守るしかない。この警察以上に、命令されれば従うのが自衛隊。でも辞退するしか方法はない。
今の政府の動きは、“自民党の歴史”でもあるので止められない。つまりは、こんな事件を思い出して、“命令されても拒否する、拒否できる”風土を醸成するしかないのかも知れない。

迫り来る派遣隊員の命の危険・・・。それだけに、資料を提供し、PKOに潜むこれらの危険性をNHKの番組として世に出した当時の隊員の勇気に敬意を表したい。
同時に、できるだけ皆でこの番組を見て、戦場に人を派遣することの危険性を再認識したいものだ。

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2016年8月12日 (金)

「ゴキブリが出たぞ~~~~!」

昨夜は大事件!何と自室にゴキブリが出たのである!
昨夜、11時頃だったか、ボケーッとテレビを見ていたら、何やら動く気配・・・。見ると、カーテンに大きなゴキブリ。4~5センチあるだろうか。ギョッとして、血の気が引く。
カミさんは寝ているので助けも呼べない。仕方なく、そうっと、1階にハエ叩きを取りに行く。戻ってもゴキブリはそのまま動いていない。最初の一発が重要。これで仕留めなければ、家具の裏に回って、今晩は寝られなくなる・・・。
エイッ!とたたくが外れ! (後での反省だが、ゴルフの構えと同じ。先ずハエ叩きの長さなど、位置を決め、それから本番! これをしないで、やぶから棒に振っても当たらない。)

案の定、下に落ちた。そしてアンプ棚の裏に。これで思った。今晩は眠れないぞ・・・。こんなバケ物を放ったまま、安眠できるほど自分は無神経ではない。仕方がない、「殺虫スプレー」を取りに行こう。
しかし居間を探しても「殺虫スプレー」が無い。この所、ゴキが出なかったので、抜かった!
恐る恐る寝ているカミさんを起こして、「シュー」の場所を聞く。
カーテンをたくし上げて、アンプの裏に「シュー」。するとどうだ。ゴキが、カーテンが無くなったガラス戸(サッシ)をするすると登って行くではないか。シメタ!これでやっつけられる。
しかし、ハエ叩きは当たらない。落ちた!ケーブルのスキマにいる。エイッ!と何度もたたく。よし、動かなくなった。直ぐに、屋外に放り出さなければ!
そしてシャッターを開けて、ゴキをベランダに放り出す・・・。と、何とすぐそこに同じような動く物体がある。ヒエー!と慌ててシャッターをガッチャーンと下ろし、ガラス戸を閉めた。

ゾッとしながらも、ゴキをやっつけた。これで部屋には居ない。よって今夜はゆっくりと眠れる・・・
それにしても、どこから入ってきた?スキマは無いはず。分からん。ガラス戸の下からかも知れない。ここはスキマがあるので。よし、明日はスキマを埋めるように木材でも買ってくるか・・・

今朝起きて、カミさんが言う。「あのシャッターの締め方は何?」「ベランダにも他のゴキが居た。死体をベランダに放り出した。」「それでは見に行こう・・・」
二人でベランダに行ってビックリ。死体が無い。それではあの放り出した黒いものは何?ケーブルの間に居たが、たたいても一切動かなかった。若しかすると、あれはゴキでは無かった?すると、まだ部屋に居る??? ゾ~~~~!

そもそもゴキはどこから入ってくるのか? Netで見たら、親切なサイトが色々あって、そこにアドバイスがあった。
自分の部屋にあてはめると、可能性は3カ所。
1)アンテナケーブルの貫通孔
2)サッシのすき間
3)エアコンの排水ホース

アンテナケーブルの貫通孔は、ケーブルがぎっしりだったので気にしていなかったが、ゴキは1mmのすき間から入ってくるというので、ここは粘土で塞ぐことにした。
サッシのすき間も、可能性大。朝、良く見ると、サッシや網戸には、それなりの対策はしてあって、ほとんどすき間は無い。しかし、1mmのすき間は無いかと見ると、安心は出来ない。ここには「すき間テープ」という便利な物があるらしい。
そして、エアコンの排水ホース。こんな細くて長いホースから入ってくるとは思わなかったが、色々なサイトに同じような指摘があるのでホントウらしい。
そして、最後の対策後は、バルサン。まだ居るかも知れないゴキに対して、安心して眠るために、これは必須。

朝、近くのドラッグストアが開くのを待って、「16畳用の黒バルサン」「ハエ叩き」「ゴキブリ用スプレー」「すき間テープ」「防水すき間テープ」を買い込んできた。
160812sukima 「すき間テープ」はなかなか良い。粘着力もあり、スポンジ製なのですき間にピッタリと入る。サッシの下、手前のすき間を埋め、外側も防水用のすき間テープを貼った。
アンテナケーブルの孔も粘土で塞ぎ、エアコンのホースも、網状の布で覆った。
そしてバルサン。今までもゴキ退治はしたが、ホウ酸団子が一番だった。でも今回は、そんな生ぬるいことは出来ない。バルサンで一網打尽だ。

バルサンを焚いて、待つこと3時間。部屋はまだモウモウ。空気を入れ換えて、部屋の中をチェック。しかしゴキの姿は無い。
前に家中でバルサンをやった時(ここ)、目に見える形でゴキの死体があった。しかし、今回は無い。ということは、やはり居なかった? やはり昨夜ベランダに放ったのは、ゴキの死体だった? では今朝、何故無くなった? 近くに居た友人のゴキが、死体を持ち去った?いや共食いした?それにしても、影も形もなかったのだが・・・

ともあれ、1~1.5mmのすき間から入ってくる、というNetの情報にはビックリ。この観点だと、自分の部屋はすき間だらけだった。しかし手は打った。他の部屋のサッシも、主要な所は貼った。
居間やキッチンでは、最近は見かけない。
歴史をひもとくと(と言っても、このサイトを検索するだけだが)、最初の大騒ぎが04年7月、2度目の大騒ぎが11年7月だった。15年2月にもスリッパで退治したらしい。

時たま、寝ている間に虫に刺されることがあった。原因は不明。かゆくて、虫に刺されたとしか思えない肌の痕・・・。
しかし今日は、しっかりと部屋を燻蒸した。ゴキブリスプレーもベッドの脇に置いた。もちろんハエ叩きも設置した。
網戸もなるべく使わないことにした。すき間が多いので。

さてゴキちゃん、これでも入ってくる場所があるかな?
知恵比べではある。ゴキは自分の生涯の天敵。絶対に許さない!

(関連記事)
大山鳴動してゴキブリ一匹!? 

160812inu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年8月11日 (木)

喜多郎のハイレゾ音源が発売された

今日は良い日だ~。何と、喜多郎のハイレゾ音源が発売されていることを知ったのだ。
考えてみると、ほとんどの人が関係無いことを、ここに、まあくどくどと書いているもの。しかしここは自分の日記なので、自分にとっての大事件は書きたくなるのであ~る。

昔のアナログ録音のハイレゾ化こそ、自分にとって価値ある音源。そこで待ち望んでいたのが喜多郎の初期の作品のハイレゾ化。そもそも自分は、喜多郎は初期の作品しか聞かないのだ・・・。
今まで、たまにハイレゾ販売のサイトを覗いては、「まだだな~」と落胆していた。しかしこの所、それを覗くのをサボっていた。
それが今日、ひょんな事で、e-onkyoのサイトで、喜多郎のハイレゾ音源が、2016年7月20日に発売されていたことを知った。20日も前だ。

原盤を持っているPony Canyonのサイトにこんなニュースがあった。
喜多郎、「シルクロード」「敦煌」など名盤5枚がハイレゾ配信&高音質CD化
グラミー賞アーティストとして、また、ニューエイジ音楽の代表的ミュージシャンとして世界的に知られる喜多郎のキャニオンレコード時代のアルバム5枚がハイレゾ音源で、2016年7月20日に配信リリースされる。同時に、新素材技術を使った高音質CD “UHQCD” でも発売される。

喜多郎のブレイクは1980年に放送されたNHK番組「シルクロード」の音楽を担当したことが切っ掛けだったのは広く知られている。番組が放送された途端、今ではすっかり有名になった「シルクロードのテーマ」を聞いた視聴者から番組に「あの曲は何だ?」という問合せが殺到したという。
当時は日中平和友好条約締結から2年、日本人にとって “シルクロード” は太古への憧れを掻き立てる浪漫と幻想の地であった。そして、その想いは今の世も変わらないかもしれない。
喜多郎がシンセサイザー・ミュージックに傾倒していったのは、クラウト・ロック/電子音楽の重鎮クラウス・シュルツとの出逢いが大きい。アジアの響きの根底にはしっかりとジャーマン・ロックの実験性が息づいているのがわかるだろう。

今回再リリースされるのは以下の5タイトル。
「OASIS」は、「シルクロード」による大ブレイク直前の1979年発売された3作目となるアルバムで、キャニオンレコードとして1作目の作品。ジャケットのアートワークは当時のEarthWind&Fireをはじめとするジャケット制作で世界的に大きな人気を博していた、長岡秀星が担当している。
「シルクロード(絲綢之路)」は、1980年に発売されたNHKのTV番組「シルクロード」のオリジナル・サウンドトラック。あの有名な番組のテーマ曲でもある “SILK ROAD/絲綢之路” を1曲目に収録している。
「シルクロード~絲綢之路~Ⅱ」は、再びNHKのTV番組「シルクロード」 のオリジナル・サウンドトラックで、前作「SILK ROAD/絲綢之路」の続編。
「敦煌」は、1981年発売されたTV番組「シルクロード」のオリジナル・サウンドトラック盤の第3弾で、同番組のサントラ盤の中では頂点に位置する傑作。1980年に発売されたパルコ劇場でのライブ・アルバム「イン・パースン」を間に挟んで、7作目となるアルバムとなる。
「氣」は、1981年に発売されたNHKのTV番組「喜多郎&秀星」のオリジナル・サウンドトラック盤。8作目のアルバムでキャニオンでは最後のリリースとなった作品だ。

配信リリースでの新マスタリングによる96kHz/24bitハイレゾ音源の音質は圧倒的。サンプリング技術の延長でしかないデジタル(PCM)シンセサイザーと違い、アナログシンセの音にはアコースティック楽器同様に44.1kHz/16bitには収まり切れない周波数帯・倍音域が含まれているが、ハイレゾ音源はその響きの陰影や音の粒立ちといったものを見ごとに再現している。

UHQCDはレコード各社から何種類か出されている高音質CDをさらに素材的に高めたマスタークオリティに近いCDだが、このハイレゾ・マスタリングの高音質をCDレベルでも十分に再現している。加えてCDパッケージに紙ジャケットを採用し、帯から歌詞カードに至るまでオリジナルLPをCDサイズで再現しているのは、マニア心をくすぐるに違いない。(2016/7/4 14:05 by Pony Canyon NewsMUSIC)」(
ここより)

そして、HD-Music.のサイトに、「喜多郎、キャニオンレコード時代のアルバム5Wハイレゾ化!制作スタッフインタビュー」(ここ)という記事があって興味深い。

この記事の中で、マスタリングエンジニアの能瀬秀二氏が、「私も中学生のころに「シルクロード」を聴いて「凄い音楽だ!」と感銘を受けていましたので、そのマスターの音を聴いた時にいっぺんに中学時代に気持ちがタイムスリップしました。」と言っている。
当時中学生だった人がマスタリングを担当か・・・。時代の推移を感じざるを得ない。

また制作ディレクターの河野文雄氏は、
「喜多郎さんは、シンセサイザーの黎明期からシンセ奏者を代表するアーティストとして活躍されていました。この頃のシンセサイザーは、現在のシンセサイザーとは異なるアナログ・シンセサイザーでしたが、アナログとデジタルではハイレゾ化の際の質感はたいぶ異なるものですか?」
「河野: 最近はPCMシンセも大容量化してHD化してたりしますが、以前のPCMシンセはメモリー容量の関係でサンプリング周波数が低いですから、音源をハイレゾ化しようが元から無いものは無い(^^)。
その点、アナログシンセは波形自体が倍音豊かだったり、自然にサチュレーション掛かってたりしますから、ハイレゾ化で随分聴こえるものが変わってくるように思います。」

と言っている。

160811kitarousilk_2 そうなのだ。デジタルシンセサイザーは、所詮CD並みのサンプリングでしかない。その点、アナログの音源は帯域が広い。
まず買ったのが、「NHK特集「シルクロード」オリジナル・サウンドトラック「シルクロード(絲綢之路)」」。
シルクロードのテーマを、CD音源とハイレゾ音源のスペクトラム解析を比較してみると、これだけ違う。

 (CD音源)    (ハイレゾ音源)
160811cd 160811hireso

CD音源が20KHZで切れているのは仕方がないが、ハイレゾ音源は32KHz程度まで伸びて160811kitarouki いる。これが聞こえるかどうかは別にして、アナログマスターならではの帯域。
そして続けて買ったのが「気」。
これは自分が「空の雲」が好きなので、まず買った。

さて聞いてみての感想・・・。
案の定、音のつぶつぶが良い。特にギター(シタール?)などの弦の音が生々しい。そしてCDの音量を上げていくとウルサイ部分も、ハイレゾだとさすがにそれはない。
自分が「シルクロード」のCDを買ったのが、昭和57年12月11日だった。SONYのCDプレヤーを買ったのが同12月14日だったので、そのプレヤーが届く前に2枚のCDを買った。最初に買ったのがメータ/NYフィルの幻想交響曲、そして次の日に買ったのが、この「シルクロード」。よって、まさに34年前の、いわば元祖のCD音源なので、比較してみるとノイズ量が違う。
ハイレゾ盤は、無音部分のノイズが取り除かれている。

ともあれ、自分の大好きな初期の5枚がリリースされた。もちろん全部買うが、じっくりと1枚ずつ聞きながら、順番に買っていこう。(Pony Canyonには、まだ「イン・パースン」の音源が残っているが、これもハイレゾ化を期待!)

念願かなうと共に、追い求めるもの(こと)が少なくなって行くことに少々の寂しさもある。
あとは、小椋佳、さだまさし、中島みゆきの初期のアナログ音源がハイレゾ化されるのを待とう。

160811olympic <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年8月10日 (水)

「がん5年生存率、3~5ポイントの向上」

だいぶん前の記事だが、がんの5年生存率が向上したそうだ。
がん5年生存率、3~5ポイントの向上 過去2回比、治療改善・早期発見
 国立がん研究センターなどの研究班は22日、がん患者を追跡した5年後の生存率(全国推計)を発表した。地域がん登録をしている都道府県のデータを集計するのは3回目。今回は2006~08年にがんと診断された21府県の約64万人を調査、全てのがんの5年生存率は62・1%で、過去2回より3~5ポイント高く、緩やかに向上している。
1608105nenngan  5年生存率は、がん患者で診断から5年後に生きている人の割合が、日本人全体の5年後に比べてどのぐらいかを示すもの。割合が高いほど治療で生命を救える効果があり、5年が治療や経過観察の目安の一つとされる。
 5年生存率が緩やかに向上した背景には、予後がよい乳がんや前立腺がんが増えている面もあるが、国立がん研究センターの若尾文彦・がん対策情報センター長は「治療法が改善され、検診で早期発見ができるようになった」と分析する。例えば、白血病で新しい薬が治療に導入され、肝臓がんでは局所療法に効果が出ているという。
 若尾さんは「大腸がんや肺がん、乳がんでその後に分子標的薬や新しい抗がん剤が登場しており、次の集計ではさらに生存率の向上が見込まれる」と話す。(熊井洋美、川村剛志)
 (対象者は00~02年が15万4022人、03~05年が19万404人、06~08年が64万4407人)」(
2016/07/22付「朝日新聞」p3より)

このリストを見ると、今更ながら、がんの部位によって生存率に大きな差があるのが分かる。
膵臓、肺、食道のがんは良くないことは知っていたが、肝臓も悪い。

前に「がん10年生存率~発生部位で大きな差 乳がん80% 膵臓は5%切る」(ここ)という160120gan0記事を書いた。その時に知ったのだが、5年生存率は、胃や大腸については「治った」と言えるが、乳がんや肝臓がんについては、5年では決して安心出来ないようだ)。

ともあれ、がんを初めとする病気は、どうも過度なストレスが原因のような気がしてならない。
自分のような、サラリーマン卒業組は、少なくとも昔のような仕事上のストレスは無い。心配なのは、ヒマになってのストレスがどうか・・・
いや、それよりも心配しなくてはいけないのが、カミさん。亭主が毎日家に居ることでのストレスたるや、大変なもの。いくら亭主が自室に籠もっていても、ただ居るだけで、気になるという。
常に居場所がない亭主も哀れなものだが、しかしこれも現実。
ここ数日、珍しくカミさんが風邪を引いたが、最近、カミさんの体調が悪くなると、「自分が居るせいか?」とギクッとするこの頃である。
ともあれ、“平穏な日常”も、なかなか実現が難しい。

160810uma <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年8月 8日 (月)

二葉あき子の「千羽鶴」

こんな歌をご存じだろうか?
二葉あき子の「千羽鶴」という歌。

<二葉あき子の「千羽鶴」>

「千羽鶴」
  作詞:鈴木比呂志
  作曲:八洲秀章

しろがねの
月夜に匂う 千羽鶴
きみの心を 染めあげて
翼の色も 淡くかなしく

沓(とお)い日よ
はじめて逢った あのときに
千代紙折りし 細い指
ほのかに白く 浮かぶいとしさ

なつかしの
想い出の中に 住む人よ
きみの吐息も ささやきも
翼に秘めし あわれ折鶴

この歌は、自分は昔から知っていたが、Netで検索しても情報はほとんど無い。JASRACのデータベースを検索しても、二葉あき子以外は歌っていない。
この音源は、前に紹介した(ここ)46年前に買った「さくら貝の唄 八洲秀章作曲集」というLPにあったもの。このLPの解説にはこうある。
「昭和33年、コロムビア全国歌謡コンクール課題曲として作られたものです。二葉あき子吹き込みにより同年4月にレコードは発売されました。」

八洲秀章の抒情歌は、今の若い人の歌とは相容れない。しかし我々老人にとってみると、こんな歌に心が安まる。実に上品な歌だと思う。
しかし、残念ながら、昭和33年のオリジナルの音源は持っていない。

今日は、天皇が「お気持ち」を述べられた。時代は変わって行く。人も次々と亡くなっていく。そして、原爆や戦争時代の生き証人がいなくなっていく。
これらの昔の歌も同じで、徐々に失われていく。
それは非常にもったいない。だから、このように、Net上に挙げておけば、どこかで生き延びるのでは?という自分のささやかな抵抗でもある。

追)
なちさんからのコメントによると、この「千羽鶴」は、昭和31年12月の「ABC(大阪の朝日放送)ホームソング」であり、及川由子さんが歌ったものだとのこと。こちらがオリジナル?
なちさんから送って頂いた音源をアップしておきます。

<及川由子の「千羽鶴」>

160808byouin <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年8月 6日 (土)

オバマ大統領の広島スピーチと歴史研究家の森重昭さん

先日、テレビで「NNNドキュメント~知られざる被爆米兵~ヒロシマの墓標は語る~」(ここ)(2016/08/01放送、再放送8月7日(日)11:00~BS日テレ)を見た。
この番組で、オバマ大統領の広島訪問の時に抱擁した人が、被爆死した米兵捕虜の調査を40年に亘ってしてきた人であり、あの抱擁は、それに対する感謝だったことを、今更ながら知った。深く考えない自分は、単なる被爆者代表だと思っていた。
改めて関連の記事を探すと、毎日新聞にこんな記事があった。

米大統領広島訪問 米兵の被爆調査 森さん 抱き合い、涙
「被爆死した12人の米兵も天国できっと喜んでいる」
 広島の原爆慰霊碑前でオバマ米大統領と対話した被爆者で歴史研究家の森重昭さん(79)=広島市西区=は約40年にわたり、被爆死した米兵捕虜について調査を続けてきた民間研究者だ。「原爆の犠牲者に国籍は関係ない」との強い思いから、国内外の資料をもとに被爆死した12人の米兵の存在を特定。原爆による死没者として広島市の名簿に登録された。
160806mori  森さんは、オバマ氏から「長期にわたり多くの米兵の調査をしていただいた」とねぎらいの言葉をかけられ、「被爆死した12人の米兵も天国できっと喜んでいる」と伝えたという。オバマ氏と抱き合った森さんの目には涙が浮かんだ。
 原爆投下時、8歳の森さんは広島市西部にいて無事。以前通った市中心部の学校のそばで、捕虜になった米兵が被爆死したことを聞き、40歳のころから調査を始めた。資料の分析や遺族との手紙のやりとりで地道に被爆死米兵を特定。撃墜された爆撃機から脱出し、その後捕虜になった米兵たちだった。捕虜として原爆投下直前、広島から東京に移された米軍上官が「ずっと部下を死なせた責任を感じていた。事実を知りたい」と森さんの自宅を訪れたこともある。
 1998年には当時捕虜が収容されていた爆心から約400メートルの軍施設跡に記念碑を設置し、2009年にようやく12人目を捜し当てた。森さんは「オバマ氏の広島訪問で、核なき世界への一歩になればいい」と期待を込めた。【原田悠自、鵜塚健】」(
2016/05/27付「毎日新聞」ここより)

今日は71年目の広島原爆忌。
2016年5月27日の歴史的な現役アメリカ大統領の広島訪問。そこでのスピーチは、大統領が自ら推敲を重ねたものだったという。
改めて、全文を読んでみた。そこに込められた平和への願い。世界で最も権力を持っている人の言葉だけに、ひと言ひとことが胸に響く。
改めて、ここに記しておきたい。(各紙で翻訳は様々。本来は原文で読みたいもの・・・)

オバマ大統領の広島スピーチ全文~2016年5月27日
71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。
なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?
私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。
私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。
彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、内省するように求めています。
広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たち人類に対しても使ったのです。
どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます。
多くの帝国が勃興と衰退を繰り返しました。多くの人間が隷属と解放を繰り返しました。そして、それぞれの歴史の節目で、罪のない多くの人たちが、数えきれないほどの犠牲者を生んだこと、そして時が経つに連れて自分たちの名前が忘れ去られたことに苦しめられました。
広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらしました。そうした国の頭脳たちは、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていました。にもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。そのような衝動が、極めて単純な部族間同士の衝突を引き起こし、新たな能力によって増幅され、新たな制限のないお決まりのパターンを生んでしまったのです。
数年の間に、およそ6000万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供、私たちと何ら違いのない人たちがです。射殺され、撲殺され、行進させられて殺され、爆撃で殺され、獄中で殺され、餓死させられ、毒ガスで殺されました。世界中に、この戦争を記録する場所が数多くあります。それは勇気や勇敢な行動を綴った記念碑、言葉では言い表せないような卑劣な行為の名残でもある墓地や空っぽの収容所といったものです。
しかし、この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こすのです。
私たちの思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして人間の本質と切り離して自分たちを定めたり、自分たちの意志に応じてそうした本質を曲げたりする能力といったものを私たちが人類として際立たせること――まさにそうしたことも類を見ない破滅をもたらすような能力を私たちに与えられることによって、どれだけ悲劇をもたらす誘発剤となってしまうか。
物質的な進歩、あるいは社会的な革新によって、どれだけ私たちはこうした真実が見えなくなってしまうのか。
より高い信念という名の下、どれだけ安易に私たちは暴力を正当化してしまうようになるのか。
どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられないのです。
国家は犠牲と協力で人々が団結するストーリーをこしらえ、優れた功績を認めるようになります。しかし、自分たちとは違う人々を抑圧し、人間性を奪うため、こうしたものと同様のストーリーが頻繁に利用されたのです。
科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。
現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。
技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。原子の分裂へとつながった科学的な変革には、道徳的な変革も求められます。
だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。
私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像します。
私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。
私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。
私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。
言葉だけでは、こうした苦しみに言葉に表すことはできません。しかし私たちは、歴史を直視するために共同責任を負います。そして、こうした苦しみを二度と繰り返さないためにどうやってやり方を変えなければならないのかを自らに問わなければなりません。
いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶があれば、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶があれば、変化できるのです。
あの運命の日以来、私たちは自らに希望をもたらす選択をしてきました。
アメリカと日本は同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。それは私たち人間が戦争を通じて獲得しうるものよりも、はるかに多くのものを勝ち取ったのです。
ヨーロッパ各国は、戦場を交易と民主主義の結びつきを深める場に置き換える連合を構築しました。抑圧された人々と国々は解放を勝ち取りました。国際社会は戦争を防ぎ、核兵器の存在を制限し、縮小し、究極的には廃絶するために機能する組織と条約をつくりました。
それでもなお、世界中で目にするあらゆる国家間の侵略行為、あらゆるテロ、そして腐敗と残虐行為、そして抑圧は、私たちのやることに終わりがないことを示しています。
私たちは、人間が邪悪な行いをする能力を根絶することはできないかもしれません。だから、国家や私たちが構築した同盟は、自らを守る手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。
私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。
それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。
平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。
私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。
人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています
アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。
しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。
だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。
亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。
国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。
世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。」(
The Huffington Post 執筆者: 吉川慧 ここより)

平和とはいかに難しい事か。
そしてその実現が、いかに遠いことか。

森さんがアメリカ政府から招待されたということからも、名もない森さんのような人の活動が、現役大統領の広島訪問という有り得ないことを実現させたひとつの契機になったのかも知れない。
そこで発せられた、異例とも言える17分間の、重い、長い言葉。一般人であれ、大統領であれ、平和への祈りは同じ。森さんはそれをどのように聞いたのだろう。

改めて、何度も噛み締めながら読んでみたいスピーチである。

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2016年8月 4日 (木)

「監視国家」にひた走る日本

今日(2016/08/04)の朝日の夕刊を見ていたら「素粒子」の「こんなところで何をにらんでいたか。警察のカメラが選挙運動拠点の労組の建物を。ここまで来ている監視社会」という言葉が目に入った。
昨日報道された、ニュースだ。

大分県警別府署 隠しカメラ、「民進党」関連建物敷地内に
参院選の選挙期間中に設置 人の出入りなど録画

 7月10日に投開票された参院選大分選挙区で当選した民進党現職らの支援団体が入居する大分県別府市の建物の敷地内に、同県警別府署員が選挙期間中、隠しカメラを設置し、人の出入りなどを録画していたことが、3日分かった。カメラの設置は無許可で、建造物侵入罪などに該当する可能性があり、県警の捜査手法に批判の声が出るのは必至だ。
 県警や関係者によると、隠しカメラが設置されていたのは、別府市南荘園町の別府地区労働福祉会館。連合大分の東部地域協議会や別府地区平和運動センターなどが入居しており、参院選の際には大分選挙区で立候補した民進党現職の足立信也氏(59)や、比例代表に出馬した社民党の吉田忠智党首(60)の支援拠点になっていた。
 カメラは参院選公示前の6月18日深夜から敷地内に2台設置され、同会館の玄関と駐車場の出入りを録画していたとみられる。公示翌日の同23日、敷地内で草刈りをしていた別の施設の職員が発見した。1台は敷地内の斜面に、もう1台は木の幹にくくりつけられていたという。
 内蔵のSDカードを確認したところ、別府署員がカメラを設置する様子も映っていたため、同会館の関係者が同署に連絡。署幹部が謝罪に訪れ、同24日にカメラを撤去したという。県警によると、カメラを仕掛けたのは別府署刑事課の署員2人。同署が設置を決め、場所も同署で判断したという。設置した署員は「雑草地だったので、(同会館の)管理地だとは思わなかった」と話したという。
 県警は「個別の事案について、特定の人物の動向を把握するためにカメラを設置した。対象者が誰かは言えない。不特定多数を対象にしていたわけではない」と説明。「刑法上の処置が必要なら厳格に対応する。調査がいつまでかかるかは分からず、公表や処分の必要性はその後判断する」とした。捜査上のカメラの設置は警察署の判断でできるため、県警本部に設置の報告は上がっておらず、過去に同様の問題が報告されたこともないという。
 大分県内の野党関係者は「無許可で監視カメラを設置するなど言語道断で、許されない。選挙活動への不当な介入だ」と話す。
 大分県警の小代義之刑事部長は3日、「捜査活動の一環としてカメラを設置したが、他人の管理する敷地内に無断で立ち入ったのは不適切な行為であり、関係者におわび申し上げます。今後は適切な捜査について指導を徹底します」とのコメントを発表した。
 参院選大分選挙区では、民進、共産、社民の野党3党が支援した足立氏が、1090票差という大接戦の末に自民党の新人候補を振り切って3選。吉田党首は比例で落選した。【西嶋正法、田畠広景、大島透】」(
2016/08/03付「毎日新聞」ここより)

昔は刑事が張り込みをやった。それが今はカメラだ。しかも、対象が犯罪の容疑者ではなく、選挙活動中の労組の出入りの人だという。昔の赤狩りを彷彿とさせる事件。

また先日、こんな記事もあった。
「(耕論)通信傍受の拡大
 批判の渦の中、通信傍受法(盗聴法)ができて17年たち、盗みや詐欺など身近な犯罪も対象になる。通信の秘密と背中合わせの捜査手法の拡大。どんな社会につながる道なのか。

 ■いきつく先は「監視国家」 青木理さん(ジャーナリスト)
 通信傍受法(盗聴法)が成立したのは1999年のことです。世論の反対や不安は根強く、野党やメディアが強く批判し、与党の公明党にも慎重論がありました。
 そのため、対象犯罪を暴力団などの組織が絡む組織的殺人、薬物・銃器犯罪など四つの類型に限定し、実施は通信会社の施設でその社員の立ち会いを義務づける、それなりに制約のある仕組みになりました。
 当時、共同通信記者としてこの問題を取材していましたが、捜査当局がねらっていたのはもっと強力な盗聴法でした。それがついに実現したのが、今回の法改正なのです。
 改正の最も大きな問題は、盗聴への通信会社社員の立ち会いが不要になり、裁判所の令状さえあれば、警察の施設内で盗聴できるようになってしまう点でしょう。心理的な歯止めがなくなり、外部からのチェックもきかなくなりかねません。
 しかも対象犯罪が傷害、窃盗、詐欺といった、より一般的な犯罪に広げられた。友人や知人がそうした嫌疑をかけられ、組織性を疑われれば、ごくふつうの市民の通話も盗聴されてしまうのです。
160804tuusin  かつて違法な盗聴に手を染め、いまもそれを認めない公安警察は大喜びでしょう。監視対象者が軽微な傷害や窃盗をして、それが組織的に行われたという疑いをかけるだけで正々堂々と盗聴できるのです。冷戦終結後は自らの組織の存在感を維持するため、与野党を問わない政治関連の情報収集にまで手を広げているようですが、その手段にも悪用されかねません。
 これを許したのが、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件などの不祥事に端を発した刑事司法改革だったのはあまりに皮肉です。警察と法務・検察は、一部の事件で取り調べを可視化(録音・録画)することと引き換えに、盗聴法の強化と、これも念願の司法取引なども合わせて実現させました。したたかというより、「火事場泥棒」とでもいうべきです。
 取り調べの可視化とセットとなったためか、かねて盗聴法に批判的だった野党や日本弁護士連合会、メディアも真っ向から批判せず、問題点の指摘さえしませんでした。
 かつてのような大きな批判もないまま、このように問題の多い法改正がされたのは、日本社会全体に自由や人権、プライバシーの保護より、治安の維持を優先させる「安心・安全」志向が強まっていることも大きいと思います。
 お上に任せておけば安心という発想ですが、そのいきつく先に待っているのは自由もプライバシーも制限された「監視国家」です。後から振り返ると「あれが転換点だった」ということになるかもしれません。(聞き手・山口栄二)
    *
 あおきおさむ 66年生まれ。共同通信社記者を経て、06年にフリーに。著書に「日本の公安警察」、「ルポ 国家権力」。」(
2016/07/21付「朝日新聞」p15より)

昔、自分が準現役の時、あるキャリアから、口の堅い人材の派遣を要請された。それで、社内で一番の堅物、つまり応用が利かないので有名な男を派遣した。業務は、警察などから要請される、携帯電話の位置情報確認などのキャリアとしての窓口・受付・連絡。
案の定、その男から実際の業務についての話は一切聞けなかった。厳格に秘密を守った結果。
そうなのだ、もうこの仕事は必要なくなった。警察が自分たちだけで携帯の位置情報、通話内容を知ることが出来る・・・。

日本はあらゆる所で、国家権力が個人の情報を捉える動きが加速している。街角の監視カメラから、携帯電話による個人の行動の記録、そしてマイナンバーカードによる財産の把握・・・
既に銀行や証券会社では、マイナンバーの登録が口座開設や取り引きの必須条件になっている。
だんだんと当たり前になっていく国家による個人の管理。
そして、それらの恐ろしさが、日常の中で段々とマヒしつつある我々一般国民・・・。

2年前に書いたフランク・パブロフの「茶色の朝」(ここ)を、また思い出した。

マヒが一番怖い。後で、我が家でも、家の周辺に監視カメラが設置されていないか、見回ることにしよう・・・。

●メモ:カウント~920万

160804ji <付録>「ボケて(bokete)」より

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2016年8月 3日 (水)

Panaのタイムシフトレコーダー「DMR-BRX7020」が素晴らしい

まさに満を持してPanaのタイムシフトレコーダー「DMR-BRX7020」を買った。予想通り、ブラッシュアップを重ねた、非常に完成度の高い製品だった。今日は、使い出して2日目のメモであ160803diga る。よってまだまだ使いこなしてはいないが・・・。
Panaでは、このタイムシフトレコーダーのことを「全自動ディーガ」と呼び、タイムシフトの自動録画機能を「チャンネル録画」と呼ぶのだそうだ。自分は東芝流のタイムシフトの方がしっくり来る。

我が家では、居間のカミさん専用機として、4何前から東芝の「DBR-M190」を使っている。これがなかなか便利。よって、定年退職を機に、自室でもタイムシフトが欲しいな、と思って、機種を検討してきた。また、半年ほど前、居間の「DBR-M190」を自室で見るために、アダプタ「DBP-S600」を買って(ここ)、いちおうM190の過去番組も見られるようにはなった。
「そんなにテレビばかり見ていてはダメ」と思ったり、「ホントウに必要ある?」という疑問が頭をよぎる。しかし、“退職したら買うぞ”と思っていたので、買うとしたら・・・という検討はしていた。しかし選択肢は、東芝が転けている現在、Panaだけ。
3月位からウォッチしていたが、予想通り5月20日に新機種が発売された。それがこの「DMR-BRX7020」という機種。自分はもともと「買うなら最高機種」だから、機種選定には迷わない。
5月20日の発売時に18万円だったものが、最近は14万円台。そろそろ買う時期かな・・・・

ヤフオクでも新品が安く売られていることがある。しかし、自分がこだわったのが「長期保証」。機械部品であるHDD(ハードディスク)が24時間動きっぱなし。だから、壊れない訳がない、という自分の“思い込み”がある。Netで見ると、Panaのレコーダーの修理は4万円とも6万円とも書いてある。よって、長期保証が入れないヤフオクはダメ。すると価格comで安い店を探すしか無い(ここ)。しかし長期保証は5年が普通。だが、7年保証を売っている店がたまにあるので、7年の保証がパックになった店を探した。
結論として、先日価格コムで、過去最安値で買えた。これは偶然。つまり、たまたま価格コムの「DMR-BRX7020」を見ていたら、5000円ほど安い店が突然現れた。見ると7年の長期保証がある。それで即注文。
5年保証も7年保証も、店によってそれぞれ価格は色々。つまりは、本体価格+長期補償費の合計で判断することになる。自分の買った店は、7年保証代が本体価格の9%なので、決して安くはないが、7年間で1度故障したら元が取れる。
それにしても、価格コムから、突然現れる安い店をどう捉えるか? これは「値下がりお知らせ~本製品の最安価格が設定金額以下になった時に1度だけ通知します」という機能を使うしかなさそうだ。目標額を設定しておくと、それ以下になった時にメールが届く。それで直ぐに注文・・・。そんなワケで、今回、価格コムで突然安い店が現れ、早い者勝ちで安く買えることを知った。

さて、本題。本体を開けてみて、その設定の簡単さにビックリ。直ぐに動き出した。とにかく動作が早い。操作で何のストレスも感じない。最初に気に入ったのが「字幕」。この頃、ドラマのセリフを聞くのが面倒になり、NHKの朝ドラなどで、よく「字幕」を使う。しかし我が家の三菱のテレビでは、長時間モードで録画した番組では字幕が出ない。そしてDRモードで録画しても1.3倍再生モードでも出ない。東芝のタイムシフトでも、長時間モードの録画では出ない。録画時間を長くするために、字幕情報を削っている為だ。しかし、このPanaの機種は、15倍モードまで字幕が出る。しかも1.3倍再生モードでもOK。これは気に入った。
そして1.3倍再生モードの画面が気に入った。我が家の三菱のテレビは1.3倍画面がスムーズで気に入っていたが、東芝の「M190」は、ぎこちなく、使えなかった。しかしこのPanaは実に自然に見ることが出来る。実は自分は1.3倍モードの愛好者。見る時間が短くなるので・・・。

さて「チャンネル録画」の設定。この機種は、タイムシフト録画の領域が4TB、そして通常録画領域が3TB。そして3TBの領域も最大2.75TBを2チャンネルのタイムシフトに回せる。よって、今回のこのレコーダーはタイムシフトが目的なので、通常録画領域は250Gとして、2.75TB分をタイムシフトに回した。
自分の条件は、NHK総合とBSプライムは24時間、WOWOWの2チャンネルも24時間、他の160803diga1 民放はとりあえず夜だけ。それで割付を考える。左の写真で、上の欄がタイムシフトの4TB、下の欄が追加した2.74TB分だ。設定してみて分かったのだが、4TB領域は、チャンネルをひとつ追加する毎に、領域が均等に割り振られ、割り振られた後は、例えEテレで1日に録画する時間をケチっても、その分は他のチャンネルには回らず、Eテレの録画日数が増えるだけ、ということ。結局、NHKを24時間録るためには、外部USB HDDが必要になり、ついそれも買ってしまった。もちろん買う機種はPanaの推奨名。今回は、3TBのHDD「HD-LL3.0U3-BKE」が1万3千円ほどだった。HDDも安くなったもの・・・。もちろんこれにも、1000円で5年保証を付けた。HDDは必ず壊れるのだ!!

それで、USB HDDの3TBにNHKの2局を24時間。民放他に4TB、WOWOWの24時間録画に追加の2.75TBを割り付けた。そもそもWOWOWで契約したB-CASカードはWOWOWを通常録画をしたい場合は、追加の領域にしか設定出来ない。よって、追加領域にWOWOWを設定した。

さて、あとは録画モードをどうするか・・・。Panaは、チャンネル録画は5倍モードが推奨だという。
今まで使っていたモードを調べてみた。東芝の「M190」は、地上デジタル(17Mbps)に対して、「AVC高画質(8Mbps)」モードでしか、使い物にならなかった。それ以下ではあまりに画質が悪い。これはBSデジタル(24Mbps)で比べると「3倍モード」。
一方、愛用の三菱テレビの録画モードは、AF(1.8倍=13.5Mbps)またはAN(2.8倍=8.5Mbps)を使っていた。AE(5.5倍=4.25Mbps)でもほとんど不満はなかった。
話は脱線するが、三菱の画像圧縮技術は素晴らしいと思う。自分が現役の頃、まだ光ケーブルが一般的でなかったときに、テレビ会議に使うCODEC(動画像圧縮装置)の画像圧縮技術で、三菱は業界の最先端を入っていた。もしかするとその技術が背景にあるのかも知れない。とにかく低ビットレートでの画像は、三菱が一番優秀ではないか?

話を戻すと、つまりは、自分は今まで、録画は3倍モードで使ってきたことになる。それで実際にこのPanaで、各録画モードで画質を比較してみた。画像を圧縮して、一番弱いのは動く部分。つまり、画像のうち、止まっている部分は前のコマの情報を使えばよいので、いかに動く部分の情報を少なくするかが情報圧縮のポイント。よって、動く部分の画質劣化を評価すれば良いのだが、これがなかなか難しい。
それで、自分は、よく左上に表示される時刻の文字に注目した。この部分は番組内容に左右されない。特に背景が暗くて動いている時に変化が大きく出る。原画またはDRだと、時刻文字の周辺は少し「垢(アカ)」または滲みがあるだけだが、12倍モードになると、文字の周辺がひとつの大きなブロックのように見える。これを指標に、録画モードを変えて、文字の滲み具合を見た。
結果、設定は3倍モードにする事にした。3倍までなら、DRの滲みとそれほど変わらない。7倍位までは、まあまあ。しかしさすがに10倍以上になると、文字周辺のブロックノイスが目立って、画面が平坦になって見るに堪えなくなる。
そもそもこのモード設定は、各人のタイムシフトの目的による。単に見逃し番組の確認なら、多少画質が悪くても、長期間録画できる低速。しかし自分の場合は、オリジナル(放送時間中)の番組はほとんど見ない。見るのは録画番組だけ。とすると、なるべく良い画質で見たい。よって3倍なのだ。
160803diga2 しかし、今までの機種と違って、時間とチャンネル毎に、録画モードを選択出来る。チャンネル毎に設定したり、ジャンル別に設定したり。つまり、自分のように、アニメやバラエティー番組を見ない人は、そのジャンルを低速に設定しておくと、その分だけ、録画時間が長くなる。
かくして、何とか2週間分の過去番組を確保できた。

まだ2日しか使っていない。しかし、この「DMR-BRX7020」のシリーズは、その完成度の高さに圧倒される。
特に過去番組すべてにチャプターが打ち込まれているのは、非常に便利。CMになるとスキップボタンで、CMの後に飛んでくれる。これは強力な武器。

それに、5年前に買った自分の三菱のテレビは、光デジタルの音声出力が、デジタル処理のために遅れて表示される画面と合わなくて使い物にならなかった。しかしこの機種は、音声を最大250mSまで遅らせることが出来る。これによって、画像と音声とが合う。完璧だ。

それともう一つ。「1.3倍速」の音が素晴らしい。再生していて、「アレッ?今は普通速だったかな、1.3倍モードだったかな?」と迷うほど。これは大変な事で、要は違和感がほとんど無いということ。今使っている三菱の1.3倍の音も良かったが、その上を行く。それに引き替え、東芝の「M190」はNG。(「M190」の「早聞き」は、仕様には書いていないが、実測したら1.35倍だった) 画面もギクシャクしていたが、音声も聞き取りづらく、使わなかった。
そう言えば、SONYのウォークマンのことを思い出す。自分はNHKラジオ深夜便の録音を、ウォークマンで早聞きしているが、昔のウォークマンは1.3倍速でも聞き取りづらかった。それがモデルが新しくなるに連れ、聞き易くなり、今使っている「NW-A17」では2倍速でも充分に聞き取れる。つまりは、SONYは謳っていないが、年を追って技術革新している結果、と言うことなのだろう。このPanaの1.3倍速の音も、同じことで、進化してきた結果なのだろう。

逆に、自分にとっての軽い問題は、無線ネットワークが、Wi-Fiが暗号化していないとつながらない仕様。実は面倒なので、我が家のWi-Fiは暗号化していない。よって、LANは有線でつなぐしかなかった。LAN経由で、他のテレビやM190の録画番組を見ることが出来るのは、確認出来たが、実際には利用しないな。
それと心配なのは熱。筐体の下、及び背面パネルが、あまりに熱い。さわるとヤケドをするほどに熱い。もちろん熱設計はちゃんとなされているので、心配は無いが、これも自分の思い込みだが「熱い機械は壊れやすい」。とにかく放熱がちゃんとされるように、本体の周囲のスペースは、広く取ることにして設置した。
(追:2016/09/16 ヒートシンクとアルミ板で、筐体の底面を4割下げた。ここ参照)

<対策前>   <対策後>
160820pana6 1608204_3

使い出しての予想外は、元々あるテレビを操作しなくなったこと。HDD内蔵のテレビが、あっと言う間に、単なる「カラーモニター」に成り下がってしまった。つまり、テレビは単なる表示器。HDMIケーブルでつないで、操作はすべて「DMR-BRX7020」からに・・・。まあ時代の最先端の操作が楽しめるのでこれでよいのだが・・・。
いずれのテレビの買い換え時は、まさに「モニター」として“表示機能だけが優秀”であれば良い、ということ。相性から、今度はPanaのテレビかな??

ともあれ、あまりの多機能のため、取説を全部読むにはもう少し時間がかかる。とりあえず、基本機能だけを確認した結果だ。
今回は、確実に「買って良かった」機種であった。

(関連記事)
Panaのブルーレイレコーダの温度をヒートシンクで4割下げた話 

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2016年8月 2日 (火)

さだまさしと香西かおりの「線香花火」

今日は、なぜか「線香花火」。
この歌は、1976年11月25日に、さだまさしのソロ・デビュー曲としてリリースされた曲だそうだ。ちょうど40年前の歌。

<さだまさしの「線香花火」>

「線香花火」
  作詞・作曲:さだまさし

ひとつふたつみっつ流れ星が落ちる
そのたびきみは 胸の前で手を組む
よっついつつむっつ流れ星が消える
きみの願いは さっきからひとつ
きみは線香花火に 息をこらして
虫の音に消えそうな 小さな声で
いつ帰るのと きいた

あれがカシオペア こちらは白鳥座
ぽつりぽつりと 僕が指さす
きみはひととおり うなずくくせに
みつめているのは 僕の顔ばかり
きみは線香花火の 煙にむせたと
ことりと咳して 涙をぬぐって
送り火のあとは 静かねって

きみの浴衣の帯に ホタルが一匹とまる
露草模様を 信じたんだね
きみへの目かくしみたいに 両手でそっとつつむ
くすり指から するりと逃げる
きみの線香花火を 持つ手が震える

揺らしちゃ駄目だよいってるそばから
火玉がぽとりと落ちて ジュッ

実はこの歌もグレープ時代の歌だとばかり思っていた。実に雰囲気がグレープ。
最近よくグレープの歌を聞く。改めてWikiで確認すると、ディスコグラフィーは、シングルでは下記の6枚だけだという。
1)雪の朝/虹がかかったら(1973.10.25.)
2)精霊流し/哀しみの白い影 (1974.4.25)
3)追伸/ひとり占い (1974.10.)
4)ほおずき/残像 (1975.03.25)
5)朝刊/交響楽 (1975.08.25)
6)無縁坂/雲にらくがき (1975.11.25)

さだまさしにとっては7枚目となるこの「線香花火」だが、Wikiのディスコグラフィーで確認す160802senkouhanabi ると、20枚目の「生生流転」 (1981.9.25)までの曲が自分は好き、と言うか、それ以降の曲はほとんど聞かない。
当サイトに何度も書いているが、自分の好きな音楽家(作曲者)は、初期の作品“だけ”が好きなのだ。
喜多郎、小椋佳、中島みゆき、井上陽水、そしてこのさだまさし。そう言えば、1970年代の若手歌謡曲歌手の歌も、皆同じ傾向。初期の曲以外は聞かない。
皆さん、ベテランになるに従って、自分の感性とは離れていくようだ。

そんなワケで、昔の音源を何とか良い音で・・・と、CDを色々と探っている。
自分は、他の歌手がカバーした曲も良く聞くが、それは成功例と失敗例とがはっきり分かれる。失敗例は、聞いていて飽きる。しかし成功例は、名盤となって残る。チェウニの「池上線」(ここ)などがその好例。

この「線香花火」も唯一見付けたカバー曲が香西かおりの音源。このカバーは、成功例だろう。実にしみじみと、何度聞いても飽きない。

<香西かおりの「線香花火」>

華やかな花火大会の大きな花火とは違い、自分にはこのような小さな花火が合っているような気がする。
人生、既に余生の段階・・・。せっかくなので「ぽとりと落ちて ジュッ」とならないように、細く、長く・・・!?

160802yoshio <付録>「ボケて(bokete)」より

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