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2016年6月 6日 (月)

議会で3分の2を占めるとどうなる?~ハンガリーの例

今朝の朝日新聞の記事。長い記事だが、この話は重要だ。
「(憲法を考える)「3分の2」、進む権力集中 2010年ハンガリー、中道右派が大勝
 野党の反対を押し切って新たな憲法を作る。チェック機関である憲法裁判所の権限を弱める。その一方で、メディア規制を強化する――。ハンガリーで権力の一元化が進んでいる。2010年、中道右派「フィデス・ハンガリー市民連盟」が総選挙で、憲法改正に必要な「3分の2」の議席を獲得したことに端を発する。選挙での大勝は、政権に万能の力をもたらすものなのか。現地を訪ねた。

 ■新たな憲法、個人より共同体
 ハンガリーの首都、ブダペスト。中央を流れるドナウの河畔にあって、ひときわ威光を放っているのが、築110年を超える国会議事堂だ。ここに、厳重に保管されているものがある。「聖なる王冠」。王国時代からの権力の象徴だ。
 2012年に施行された新憲法の前文にあたる「民族の信条」には、この王冠が登場する。「我々は……民族の統合を体現している聖なる王冠に敬意を払う」
 オルバン・ビクトル党首率いるフィデスは10年、当時与党だった社会党への不信票をとりこみ、386議席のうち263議席を獲得、政権を奪還した。これを「投票所革命」と位置づけ、憲法の部分改正を10回以上繰り返し、並行してまったく新しい憲法を制定した。
 新たに憲法に盛り込まれた規定からは、個人の権利より民族や共同体を重くみる思想が浮かび上がる。
 ▼個人の自由は、他者との共同においてのみ、展開することができると信ずる
 ▼我々の共生の最も重要な枠組みが家族及び民族
 ▼何人も……その能力及び可能性に応じた労働の遂行により、共同体の成長に貢献する義務を負う
 狙いは何か。第1次オルバン政権(98~02年)で報道官を務めた、週刊誌編集長のボロカイ・ガーボルさん(54)は言う。「経済危機が深刻化する中で、働いて国家に尽くすよう国民の価値観を変えようとした」
 憲法学者のマイティーニ・バラージュさん(41)は「民族主義的な主張は、政権が権力を強めるための一つの手段」とみる。「民族や共同体を強調することで、敵/味方という分断を社会に持ち込んだ。難民排斥の動きはその一例だ」
 昨年夏、難民の入国を阻むため、オルバン政権が国境にフェンスを次々と作ったことは記憶に新しい。欧州連合(EU)諸国との協力を拒み、強権的な政治姿勢を象徴する出来事だった。

 ■憲法裁判所の人事も介入
 政権の対決型政治スタイルは、新憲法の制定過程でも発揮された。
 新憲法の案が国会に提出されたのは11年3月。わずか9日間の審議で1カ月後に成立させた。賛成262票、反対44票、棄権79票。「3分の2」の威力を見せつけた。
160506hungary  社会党の国会議員、バーランディ・ゲルゲイさん(39)は「新憲法をつくること自体には反対ではなかったが、与党は全く聞く耳を持たず、合意を取ろうとしなかった」と振り返る。
 政権はチェック機関である憲法裁判所も政治のコントロール下に置こうと、人事にも手をつけはじめる。
 野党抜きでも憲法裁判所の裁判官を任命できるよう憲法を変え、予算や税、財政に関する法律を裁判所の審査の対象から外してしまった。
 「違憲の法律の憲法化」という状況も生まれた。憲法裁判所が家族や宗教に関する法律の規定を「憲法違反」と判断すると、これに反発した政権は13年、法律ではなく憲法のほうを改正し、違憲の規定を憲法に書き込んだ。さらに新憲法が施行される前の憲法裁判所の裁判の効力は失われる、と明記した。
 元大統領で、90~98年に憲法裁判所長官を務めたショーヨム・ラースローさん(74)は言う。「憲法裁判所の果たしてきた役割を台無しにするものだ。1人の人間に権力が集中し、立憲主義とは呼べない状況が生まれている」

 ■「バランス欠く」メディアに罰金
 メディアを規制する独立機関の再編や公共放送職員の大幅リストラなど、オルバン政権は次々にメディアへの介入を始めた。とりわけ、国内外で激しい議論を巻き起こしたのが、11年1月施行のメディア法だ。
 主な内容は、規制機関「国家メディア・情報通信庁」の下にある「メディア評議会」が、新聞やテレビ、ラジオなどの報道内容について、(1)バランスを欠いている(2)民族、宗教、マイノリティーの尊厳を傷つける――などと判断した場合、メディアに罰金を科すというもの。
 国内の報道機関は猛反発し、欧州委員会や欧州議会などからEUの基本理念である報道や表現の自由を脅かしかねないとの批判が相次いだ。ハンガリー政府は、外国籍メディアを適用対象から除外するなどしたが、微修正にとどまった。
 リベラル系の全国紙「ネープサバッチャーグ」は当時、新聞の1面全面を23カ国語で表記された「ハンガリーの報道の自由は失われた」の文言で埋め尽くし、抗議の意思を表明した。
 現在の編集長、ムラニ・アンドラーシュさん(41)は「政府から直接圧力を受けたことはないが、政府系の広告が明らかに減り、収益に影響している」と話す。さらに「公共放送で政府批判が報じられなくなった」とも。例えば新憲法の施行直後の12年1月、ブダペスト市内で数万人規模の抗議デモがあったが、ごく小さな扱いだったという。
 オルバン政権に批判的なラジオ局「クラブラジオ」に周波数が割り当てられないという問題も起きた。クラブラジオ潰しではとの批判が高まった。
 クラブラジオ側が裁判で勝訴し、現在は別の周波数で放送を続けている。同社を経営するアラト・アンドラーシュさん(63)は「広告収入は激減したが、基金を作って1万5千人の市民が寄付で支えてくれている。我々は決してコントロールされない」と話した。

 ■個人が義務果たす社会に トローチャーニ司法相
 新しい憲法を作った狙いはどこにあるのか。トローチャーニ・ラースロー司法相(60)に聞いた。
     ◇
 ハンガリーは政治的、経済的、道徳的な三つの危機に陥っていた。汚職が繰り返され、累積債務は膨らみ、政治家はうそをつく。これまでの憲法は、危機に対応できなかった。
 グローバル化が進み、国と国の価値観の差がなくなっている。人々は消費することばかりに関心が向かい、責任や義務は置き去りにされる。共同体を守るため、我々のアイデンティティーとは何かを決定したことに新憲法の意義がある。
 二つの世界観がある。個人の人権を中心に置く考えと、社会の中に個人を位置づけ、伝統や歴史を尊重する考えだ。我々は後者の世界観、価値観を言葉にし、国民に伝えたかった。
 労働に関する価値観が憲法に入ったことも重要だ。手当など給付を中心とする福祉国家ではなく、仕事をする義務を果たし、個人が責任をとる社会作りを目指す。家族に関しても親に子供を育てる義務があるのと同様に、子供も大人になれば、年老いた親の世話をする道徳的義務がある。
 憲法裁判所の権限を弱めたと批判があるのは承知している。私も4年間判事を務めたが、体制転換後の20年間、憲法裁判所が国の価値観を判決の形で表明していた。憲法の上に憲法裁判所があり、憲法以上の権力を持っていた。新憲法によって、この上下関係を変えたに過ぎない。

 ■<視点>傍観者ではいられない
 合意形成を欠いた新憲法の制定、司法の独立への介入、国家による特定の価値観の押し付け……。ハンガリーで目の当たりにしたのは、「数の力」を背景にした「非立憲」的な政治の姿だ。しかし、すべて憲法や法律の定めにはのっとっている。民主主義の一つの帰結なのだ。
 「独裁は決して民主主義の決定的な対立物でなく、民主主義は独裁への決定的な対立物でない」。ナチスの独裁を正当化したドイツの法学者、カール・シュミットは著書「現代議会主義の精神史的状況」に記す。
 民主主義は時に多数の専横を生む。だからこそ、憲法で権力を縛るという立憲主義の考え方を手放すわけにはいかない。立憲主義が根底におくのは、「多数で決めたことでも、だめなものはだめ」。自由で民主的な社会には、民主主義と立憲主義をバランスよく使っていく術が不可欠だ。
 ハンガリーで起きている立憲主義に対する民主主義からの挑戦。「非立憲」的政治は、日本でも進んでいる。傍観者でいられるだろうか。(編集委員・豊秀一)

 ◆キーワード
 <憲法改正、国民投票必要なし> ハンガリーの国会は一院制で、国会議員の3分の2以上の賛成があれば憲法改正ができる。日本のような国民投票は必要ない。現在の与党は2010年と14年の総選挙でいずれも「3分の2」の多数を得たが、15年の補欠選挙で敗れ、現有議席は「3分の2」をわずかに下回っている。」(
2016/06/06付「朝日新聞」p2より)

このハンガリーの例は、まさに日本での “安倍政権の今後”を予見しているようで怖ろしい。
つまり、安倍首相が、与党の3分の2の議席の確保を目指しているが、それが実現した時に、国はどうなるか・・・。
このハンガリーの例は、「国会は一院制で、国会議員の3分の2以上の賛成があれば憲法改正ができる。」というので日本とは違う。しかし「現在の与党は2010年と14年の総選挙でいずれも「3分の2」の多数を得た」ということは、11年4月に制定された新憲法を含む上記の政権の動きに対して、国民が信を与えたという事。
これでは国民は文句を言えない。もし国民がこの政権の横暴を否定したなら、14年の総選挙でこの政権は敗れるはず・・・

民主主義とは難しい。多数決とは難しい。
上の記事での指摘、つまり「民主主義は時に多数の専横を生む。だからこそ、憲法で権力を縛るという立憲主義の考え方を手放すわけにはいかない。立憲主義が根底におくのは、「多数で決めたことでも、だめなものはだめ」。」という指摘はその通りだ。

最近、新聞・テレビの世論調査を見るのがツライ。相変わらず、現政権をの支持率が高い。
それを背景に、相変わらず「選挙で信を得た」と言いながらの「何でもやり放題」を許している。国民が選挙という手段で止めようとしていないのだから、益々政権はつけ上がる。

ハンガリー国民が、これだけの理不尽をされながら、なぜ止めようとしなかったのかは分からない。「15年の補欠選挙で敗れ、現有議席は「3分の2」をわずかに下回っている。」というのがせめてもの救いだが、良く分からない。

繰り返し出てくる話が、アフリカは民族が単位。多数決では、必ず多数の民族が勝つ。だから政権は変わらない。そして変わらない政権は必ず腐敗し、私利私欲に走る。という悪循環。
日本でも1強は絶対にダメ。必ず専横政治になる。
早くも参院選のフェーズになったが、目を覚まして欲しい日本の国民である。

160606tasuuketu <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

日本の政治が変わらない理由は50年前、田舎に越してきてよくわかりました。「個人の自由は他者との共同においてのみ展開することが出来ると信ずる」この言葉の通りの選挙が行われていたからです。自治会で推薦した候補者の為に町民はこぞって応援すべきだと殆どの人が思っていたからです。この状態は今も変わっていません。選挙の挨拶回りに来た候補者が素手で握手を求めたので「嫌だ」と言ったら「若い男と手を握れて嬉しいだろう」と言われました。「醜男は嫌いだ」と言って顔をひっぱたいてやろうかと思いました。50年未だ変わらぬ選挙が続いています。それが当たり前だと思っている人が居なくならない限り安倍政権は続くかもしれません。政治の中身など考えて投票する人などいるのかと疑ってしまいます。

【エムズの片割れより】
そもそも日本の国民が、よく考えないで投票している実態があるのでしょうね。
かつて、吉田首相は「国民はバカだから・・・」と公言していましたが、それを現在でも跳ね返していないののかも・・・
かくいう自分も、かつて会社の組合員時代、何も考えずに組合の推薦する人に投票していました。

投稿: 白萩 | 2016年6月 7日 (火) 15:29

現在のような1強多弱の状況を生み出した原因は、小選挙区制度にあると思います。小選挙区にあっては、1かゼロかのデジタルの世界で、少数派のの意見(=得票)はゼロとして扱われ、日の目を見ることができません。
中選挙区制度に戻すべきです。

【エムズの片割れより】
自分も中選挙区制に戻すべきだと思います。しかし、小選挙区制に変えたのは、非自民の細川内閣の時だったというから、皮肉ですね。

投稿: 弘中健一 | 2016年6月 8日 (水) 23:06

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