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2015年9月 3日 (木)

「悪の凡庸さについて」~なぜ日本人は寝たままなのか?

このところ、先日読んだ矢部宏治(著)「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」の話が多い。この本にこんな一節があった。
悪の凡庸さについて
 いまこの文章を書いている2014年の東京では、『ハンナ・アーレット』(マルガレーテ・
フォン・トロッタ監督/2012年)というドイツ映画が予想外のヒットをつづけています。この映画の主人公は、エルサレムで1961年に始まったナチスの戦争犯罪者アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、問題作「エルサレムのアイヒマン-悪の凡庸さについての報告」(雑誌「ニューヨーカー」連載)にまとめた有名な女性哲学者です。
 大きな議論を呼んだそのレポートの結論、つまりナチスによるユダヤ人大量虐殺を指揮したアイヒマンとは、「平凡で小心な、ごく普通の小役人」にすぎなかった、しかしそのアイヒマンの「完全な無思想性」と、ナチス体制に存在した「民衆を屈服させるメカニズム」が、この空前の犯罪を生んでしまったのだ、という告発に、多くの日本人は、現在の自分たちの状況に通じる気味の悪さを感じているのだと思います。
 アーレントが問いかけたきわめて素朴で本質的な疑問、つまり大量虐殺の犠牲者となったユダヤ人たちは、
「なぜ時間どおりに指示された場所に集まり、おとなしく収容所へ向かう汽車にのったのか」
「なぜ抗議の声をあげず、処刑の場所へ行って自分の墓穴を掘り、裸になって服をきれいにたたんで積み上げ、射殺されるために整然と並んで横たわったのか」
「なぜ自分たちが1万5000人いて、監視兵が数百人しかいなかったとき、死にものぐるいで彼らに襲いかがらなかったのか」
 それらはいずれも、まさに現在の日本人自身が問われている問題だといえます。
「なぜ自分たちは、人類史上最悪の原発事故を起こした政党(自民党)の責任を問わず、翌年(2012年)の選挙で大勝させてしまったのか」
「なぜ自分たちは、子どもたちの健康被害に眼をつぶり、被曝した土地に被害者を帰還させ、いままた原発の再稼働を容認しようとしているのか」
「なぜ自分たちは、そのような『民衆を屈服させるメカニズム』について真正面から議論せず、韓国や中国といった近隣諸国ばかりをヒステリックに攻撃しているのか」
 そのことについて、歴史をさかのぼり本質的な議論をしなければならない時期にきているのです。」(矢部宏治(著)「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」P103~104より)

この部分を読みながら、ゾッとした。
「なぜ自分たちが1万5000人いて、監視兵が数百人しかいなかったとき、死にものぐるいで彼らに襲いかがらなかったのか」
言われてみると、実に不思議・・・。幾ら機関銃で撃たれても、数百人と15000人では、勝負にならないはず・・・。
確かに同じなのだ。今の日本と・・・

Netで内閣支持率の検索をしていたら、こんなページがあった。報道ステーションの内閣支持率の推移である。(ここ
それによると、支持率が下がると政権は倒れることが良く分かる。
しかし現在の安倍内閣の支持率は、まだまだ高く、当分倒れるとは思えない。
憲法違反と山口繁・元最高裁長官までが言っている(2015/09/03付「朝日新聞」)安保法政の成立を前に、日本人はなぜ“寝たまま”なのか・・

150903jitensya <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

 「代行民主主義」と「メディア依存」の弊害でしょう。少しぐらいおかしいと思っても、自分で考え自分で行動するのは「時間もないし」「専門的みたいで難しそう」だと他人=政治屋にまかせてしまう。
 かって日本にも自分で考え時には自分の命を懸けて行動した「義民」と呼ばれた人々がいました。この夏 山歩きの帰りに長野県青木村で「義民資料館」を見学しました。「百姓一揆]とは「窮鼠猫をかむ」というようなものではなく「理不尽な圧制や不正にたいし場合によっては「実力行使」を含めて権力と対峙し交渉し首謀者の「死罪」という犠牲を払いながらも「要求と権利」を獲得してきた歴史であると学びました。
 7月には・・・「反戦僧侶」の寺を訪ねました。5月には治安維持法違反で獄死した「反戦川柳」の鶴 彬さんの資料館を訪ねました。
 これらはみな今まで知らなかったこと、知らなかった人々です。知らなかったことに対し多少の恥ずかしさと後ろめたさはありますがこの年で知ってよかったと思います。 
 そしてもう一つ知っておかなくてはならないことが 「沖縄と基地」です。
 矢部 宏治さんの本「本土の人間は知らないが 沖縄の人はみんな知っていること」という本を今年になって読み始めました。自分の無知を恥じながら しかし沖縄を、辺野古をやはり自分のこの目でみてみたいと強く思わせる本です。

【エムズの片割れより】
単なる物理的な年齢を重ねるだけでなく、人間性にも磨きをかけたいものですが、なかなかtodoさんのような実行力が自分には無い・・・

投稿: todo | 2015年9月 4日 (金) 04:31

やっと図書館で借りられたので、矢部宏治(著)「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読んでます。
まだ、アーレントには届いてませんが・・。
同じ本を読んでいてうれしいと、とりあえず、それが言いたくて書きました。

【エムズの片割れより】
図書館ですと、順番待ちが多かったでしょう。ウチでもカミさんが図書館で借りて、「はやく返せ!」コールが大きかったので、結局買ってしまった・・・
実は自分は、この手の本はほとんど読んだ事がないのです。
勉強不足でした。しかしこの本、「せめて太字だけでも読んで!」というスタンスが面白いですね。

投稿: Tamakist | 2015年9月 4日 (金) 13:05

日本はアメリカの州の1つに過ぎないという川柳が新聞に載っていましたが、全く最近の政治には呆れ果てています。統幕長が政府より先にアメリカと安保法制の確約をしていたとは全くの驚きでした。いったい誰が日本をあやつっているのかわからなくなりました。こんな権限を与えているのは誰なのでしょうか。アメリカの人たちよ日本国民にも尊厳というものがあります。戦争で日本が壊滅するのはもうこりごりなのです。日本を戦争に巻き込まないで下さい。自国の軍事産業を太らせないで下さい。地球を壊してどうするつもりですか。

【エムズの片割れより】
底辺は「利権」なのでしょうね。誰かがどこかで儲けている。それが政治を利用して巨大な圧力となって一般国民を苦しめる・・・。
案外安倍政権も、あやつり人形だっりして・・・

投稿: 白萩 | 2015年9月 4日 (金) 13:40

この本の「アーレントが問いかけたきわめて素朴で本質的な疑問、つまり大量虐殺の犠牲者となったユダヤ人たちは、~」
という書き方に引っかかりました。
つまり、私的には、“アーレントの問いかけってこれ?”と思ったわけです。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/191681.html
から引用します。
***
 なぜそれほどの非難の嵐が起こったのか、主な論点をあげてみましょう。
問題の一つは、アーレントがユダヤ人組織のナチスへの協力にふれたことでした。アイヒマンが統括したユダヤ人移送業務において、効率的な移送のために必要な、一覧表の作成などを、ユダヤ人リーダーたちが行っていたということがありました。これはすでに他の歴史家によって指摘されていたことではありましたが、アーレントは総攻撃を浴びました。この問題は彼女の裁判レポートのテーマではまったくなく、ほんの数行しか言及されていない事柄でした。ところが、彼女の言葉は、ナチスの犯罪の共同責任をユダヤ人に負わせるものとして受け止められました。イスラエル国家では、そのユダヤ人リーダーたちが、主要なポストについていたということもありました。
 そして最大の、今でも論争が続いている論点は、「悪の陳腐さ」「悪の凡庸さ」という言葉にありました。裁判でアーレントが見たアイヒマンは、怪物的な悪の権化ではけっしてなく、思考の欠如した官僚でした。アイヒマンは、その答弁において、紋切り型の決まり文句や官僚用語をくりかえしていました。アイヒマンの話す能力の不足は、考える能力、「誰か他の人の立場に立って考える能力」の不足、と結びついている、とアーレントは指摘しました。無思考の紋切り型の文句は、現実から身を守ることに役立った、と彼女は述べています。ナチスによって行われた巨悪な犯罪が、悪魔のような人物ではなく、思考の欠如した人間によって担われた、と彼女は考えました。しかしユダヤ人社会では、大量殺戮が凡庸なものだったというのか、ナチの犯罪を軽視し、アイヒマンを擁護するのか、といった憤激と非難の嵐が起こりました。」
****
つまり、私は、アーレントの「悪の凡庸さ」と聞くと、アイヒマンについて述べられてことをまず思うのです。
なので、「日本人はなぜ“寝たまま”なのか」の問題は大きいですが、「彼女の裁判レポートのテーマではまったくなく、ほんの数行しか言及されていない事柄」 と言われる箇所をこの本の著者が持ち出したことに、ちょっと引っかかりました。

【エムズの片割れより】
オリジナルを読みました。何でも奥が深いですね・・・。
しかし「悪の凡庸さ」・・・・。
まさに、今の自民党や公明党など、安保法案賛成に投票する“マシン化した人たち”に、「悪の凡庸さ」の哀れささえ感じます。
上の記事での「アーレントはそうした悪に抵抗しうる可能性として、思考すること、考えることを追究します。「ものごとの表面に心を奪われないで、立ち止まり、考え始める」ことを彼女は重視しました。」という言葉が身に沁みます。

投稿: Tamakist | 2015年9月11日 (金) 10:25

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