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2015年8月21日 (金)

「書くこと」の意味

先日、朝日新聞でこんな記事を読んだ。
「(記者有論)若い世代の投稿 自分を、他人を、動かす言葉
           声編集・加藤真太郎
 新聞投稿指導の達人がいる。
 東京都町田市立小山中学校の社会科教諭の芝田実さん(52)。「投稿チャレンジ」と銘打ち、宿題の一つとして生徒たちに思い思いの投稿文を書かせる。文章には手を加えず、生徒が希望する朝日、毎日、読売、東京、産経の5紙いずれかに送る。3月まで勤めた立川市立立川第七中学校では、12年間に2万通以上を投稿。1123本が紙面に載った。
 私が担当する朝日新聞の「声」欄にも毎週、多い時は10通を超える投稿が芝田先生から届く。原動力を知りたくて、会いに行った。
 なぜ新聞投稿なのかを、芝田先生はこう話す。「世の中の動きに関心を持ち、自分の考えを発信できる人間に育ってほしい。新聞投稿を書くと、そのために必要な情報収集力、思考力、まとめる力、表現力、発信力が育まれるのです」
 小山中の教室での指導の現場を拝見した。生徒たちが「部活動」「ありがとう」「税金」など自分が書きたいテーマで原稿用紙に向かう。目安は20分間。半分ほどしか埋められない子もいた。芝田先生は「最初は書けなくても、続けることで力がつく」と励ます。
 生徒たちの姿を見ながら、私は「書くこと」の意味を考えた。
 まず、何を書くか考える。それを探すために自分自身の内面を見つめる。夢、目標、悩みごと、いじめ、マナー、政治、教育、平和……。テーマによって、関心は家族や友人、先生といった身近な存在から社会、国、世界へと広がっていくだろう。知らないことは学び、調べなければならない。投稿文には、もう一つの要素が加わる。読む人に理解してもらうための表現力や発信力だ。
 自分の中にあるモヤモヤしたものを文字にして、社会と結びつける。それは自分を発見することであり、自分を鍛えることでもある。
 この一連の作業を芝田先生は「成長の種」と話した。言い得て妙だ。
 こんな例があったという。教師に暴言を吐いたり、授業を抜け出したりしていた女子生徒の投稿が新聞に載った。その後も何度か載り、周囲の見る目が変わった。自信がついたのだろう。生活態度が変わり、自ら投稿に書いた通り、高校合格に向けて懸命に勉強に取り組んだ。
 「声」欄には、1日に200通ほどの投稿が寄せられる。若い世代の意見が、世代を超えた議論に広がることも少なくない。4月に掲載した「シニア世代は働くべきではない」をはじめ、高校生の投稿に賛否両論が寄せられ、何度か反響欄「どう思いますか」につながった。ここに来て、安全保障関連法案や戦争に関する投稿が若い世代からも増えている。
 若い人の「言葉の力」は、多くの人の気持ちを動かす。その力が増すように応援したい。」(2015/08/14付「朝日新聞」p14より)

ここに書かれている芝田実先生のスタンスは、大いに同感。
「新聞投稿を書くと、そのために必要な情報収集力、思考力、まとめる力、表現力、発信力が育まれるのです」・・・
その通りだと思う。

ふと、大学1年(教養)の時のいわゆる「国語」の試験を思い出した。日本文学だったか、課目は忘れたが、試験で「書くこと」についての小論文の出題。
たまたま当時、日記を付けていたので、祖母の短歌の趣味のことなどから、書くことについて、色々と書いた。書きたいことが幾らでも浮かび、答案用紙の裏まで書き殴った。
答案の返却の時、最初に呼ばれた。「A」とあった。

しかしサラリーマンになって、あまり「書く」ことは無くなった。それがメールの時代になってから、書くことが日常化した。
それ以来、このblogも含め、自分にとって「書くこと」は日常化している。

過去の自分の文章を読み返すことはほとんど無いが、でもそろそろ人生の締めくくり。
当blogも含め、後の人の迷惑にならない程度に、書き残すことにしようか・・・

150821henji <付録>「ボケて(bokete)」より


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