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2015年6月27日 (土)

「彼女」~死に向かう姿

先日の日経。
「(プロムナード)彼女 若松英輔
 余命が限られていると分かっていても彼女は、そのことを周囲に伝えるのを強く拒んだ。話を聞いた人が自分のことで人々が心配するのがいやだったのである。そこには夫の家族や自分の両親もふくまれていた。関係が悪かったのではない。親友も死まで彼女の闘病を知らなかった。
 だが容体が悪化し、腹水がたまり始め、夫ひとりでは介護することができなくなる。隠し通すことができなくなって彼女は、自分がガンであることを両親に伝えた。以後、夫ともども彼女の実家で暮らすことになった。亡くなる五ヶ月ほど前のことである。
 腹水だけでなく、胸にも水がたまり、呼吸することすら困難になることがあった。激しい苦痛であることは明らかだった。だが彼女は苦しみを訴えない。夫は「何でも言っていいんだよ。苦しいときはそう言ってね」と話した。すると彼女はしばらくだまってこう言った。「ありがとう。でもいいの。私が感じていることそのまま口にしたら、聞いたあなたはきっと、耐えられないと思うから」
 亡くなる前日のことだった。胸水の勢いが増して呼吸が困難になり、救急病院に搬送された。医師は応急処置をし、夫に状況は極めて深刻だと伝えた。彼女と夫が病室に入ると彼女の母親が来ていた。このとき、ほとんど口をきけない彼女が母に言ったのは、疲れるといけないから今日は家に戻って、明日また来てほしいということだった。「明日」は来なかった。彼女は、自分の最期を母親に見せまいとしたのである。
 二人きりになると彼女は、酸素マスク越しで夫にむかって、「ごめんね。少し疲れちゃった」と言った。亡くなったのは彼女の母親が病室を出て、三時間も経過していないときのことだった。夫は、まず妻の両親に連絡をし、自分の家族にもはじめて妻の闘病と死を伝えた。翌日が密葬と決まった。彼女は実家に運ばれ、その晩、夫は妻の横で寝た。幾度か顔をさわってみたが、つめたく動かない。当然ながら話しかけても応答はない。なぜか涙は出なかった。
 密葬には夫の家族も参列した。夫の母親は棺をつかみ、「どうして、あなたそこにいるの」とむせび泣いた。その声を聞いたとき夫は、本当に妻がいなくなったのだと初めてのように思う。わずかに残っていた理性がほころんでいたら夫は、葬儀を妨げるほどに慟哭したかもしれない。
 精神科医だった神谷美恵子の『生きがいについて』にはしばしば、愛する者を喪った若い女性の手記が引かれる。だが、手記を書いた女性とは、患者のひとりではなく、突然恋人を喪った若き日の神谷自身だったのである。
 「ガラガラガラ。突然おそろしい音を立てて大地は足もとからくずれ落ち、重い空がその中にめりこんだ。私は思わず両手で顔を覆い、道のまん中にへたへたとしゃがみこんだ。底知れぬ闇の中に無限に転落して行く。彼は逝き、それとともに私も今まで生きて来たこの生命を失った。」
 だが同書で神谷は、イギリスの詩人テニスンの次のような一節も引いている。
 「愛し、そして喪ったということは、いちども愛したことがないよりも、よいことなのだ」
 本当なのだろう。今はこの詩人の呻(うめ)きもよく分かる。これまで書いてきた「彼女」とは、五年前に逝った私の妻である。(批評家)」(2015/06/11付「日経新聞」夕刊p7より)

読んできて、何とも切ない。
大いなるものは、なぜこうも、人間の最期に、苦難を与えるのか・・・
そこに救いは無いのか・・・

こんな記事を読むたびに、最期まで意識があるのは残酷だと思う。
意識が正常なだけに、苦痛も敏感に受け止めてしまう。
それにしても「夫は、まず妻の両親に連絡をし、自分の家族にもはじめて妻の闘病と死を伝えた。」という推移に、それを聞いた夫の家族はどう思うのか・・・
夫である息子と、その両親との関係を色々と想像してしまう。
家族とは何か? 息子と親との関係とは・・・

自分なら耐えられないな・・・。家族とは、迷惑をかけあうもの。心配をされあうもの。家族だからこそ色々なことを一緒に悩み、起きた問題に巻き込むもの。それが出来るから家族。それが出来ないなら、他人と同じで真の家族とは言えないのでは??

そうは言っても、相手の心痛を思って、事実を伝えないのも、やはり「思いやり」・・・
家族には色々な形があり、一概には定義できないもの・・・。それは分かる。
しかし少なくとも自分は、家族とはどんな喜びも哀しみも分かち合える存在、と捉えたい。
まあ、我が家で起こった大事件は、たぶん家族に直ぐに伝わるだろう。上の彼女のように、それを秘匿しておくだけの力が無いだけだが・・・

話は飛ぶが、今日、ある男と話をしていて、こんなことを思った。
「今後起きるであろう課題は、起きた時に考えよう・・・」

想定される事件は、起こる前にシミュレーションをしておいて、予め方策を練っておくことは必要だと思っていた。でも、状況は刻々と変わる。その事件が起きた時は、既に周囲の状況は変わっている。何よりも、人の心も時間と共に変わっていく。つまり、以前にシミュレーションしたときとは、状況が違うのである。
よって、起きた時に考えよう・・・

えっ? 何の話かって?? 
お墓をどうするとか、病気になったらどうするとか、腰痛で動けなくなったらどうするとか・・・、ま、すべてさ・・・

150627musuko <付録>「ボケて(bokete)」より


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