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2015年4月22日 (水)

「完治せずとも穏やかな人生」

どうもこんな記事が気になる。先日の日経新聞にこんな記事があった。
完治せずとも穏やかな人生
 滋賀県東近江市で、自宅のベッドに横たわる98歳の女性。1週間前から寝たきりとなり、前日から食事もほとんどとれなくなった。3月上旬のことだ。
 往診に来た永源寺診療所の医師、花戸貴司所長(44)が問いかける。「病院行こうか? 家にいたい?」「……ここがええんや」。かすかにまぶたを開けた女性が答えた。
 近くに住む孫(44)も「家族で最期の時間を大切に過ごしたい」。花戸所長は苦痛をとるための方法などを訪問看護師や薬剤師、介護ヘルパーらと話し合った。2日後、女性は自宅で静かに息を引き取った。

過剰な治療せず
 診療所がある東近江市の永源寺地区は人口約6千人の3割以上を高齢者が占める。自宅で最期を迎えることを9割が希望し、半数が実現している。「家族にとっても命や人生の役割について深く考えるきっかけになる」と花戸所長はいう。
 兵庫県尼崎市の長尾クリニックの長尾和宏院長(56)はこれまでに約800人を在宅でみとった。過剰な投薬や治療をやめ、穏やかな最期を迎える「平穏死」を実践する。
 ただ、あらゆる治療に消極的なわけではない。長尾院長は、胃に穴を開けてチューブで栄養剤などを入れる胃瘻(いろう)を勧めることもある。胃瘻は「不要な延命措置」の代表ととられがちだが、「治さないといけないものと、そうでないものを、はっきり説明したうえで対応する必要がある」という。
 「まあまあ型」と「とことん型」。近年、医療現場でこんな言葉がしばしば聞かれる。
 病気の完治を目指す「とことん」に対し、完治せずとも地域で生活ができるようにする「ま150422nikkeiあまあ」。病院経営管理などが専門の高橋泰・国際医療福祉大教授は「75歳を過ぎるとまあまあ型を必要とする比率が急速に高まる」と指摘する。ところが「現在の日本には『とことん』型を提供しようとする病院が多い」ことが問題とみる。
 将来推計人口などによると、2010年からの30年間で75歳以上の人が800万人増え、税金や保険料などで医療費を支える65歳未満は3千万人減る。毎年1兆円ずつ増え続ける社会保障費をどう抑制するか。一つの解が「まあまあ」と「とことん」の使い分けだ。

患者の声に配慮
 「とことん」「まあまあ」を提唱した永生病院(東京都八王子市)の安藤高朗理事長によると、カギを握るのは患者のトリアージ(治療の優先度を決める緊急度判定)だ。病状に加えて本人や家族の希望を聞き、高度な専門医のもとで徹底的に治療するか、慢性期対応の病院などでじっくりみてもらうかを決める。安藤理事長は「最終的には患者本人の意思が優先される。どう生きたいのか考えておくことが重要だ」と話す。
 日本の医療は、すべての患者を100%健康にする目標に向かって進んできた。しかしその限界は見え始めている。年齢ピラミッドの変化に合わせ、限られた医療資源をどう分配するか。患者側にも「まあまあ」を受け入れる意識改革が必要だ。持続可能な医療の設計図を描くために一歩を踏み出す時は今しかない。」(2015/04/20付「日経新聞」p1より)

先日、同期の連中数人で集まったとき、「(今年はもう)68だぜ・・・」「もういいか・・・」「いや、70までは・・・」という話になった。
もう「お迎え」の話題が出る歳になってしまった。

上の記事は、人生、何年生きたら「ま、いいか」になるのかを教えてくれる。
つまり、「とことん型」は、“まだまだ(生き)足りない!” 「まあまあ型」は“(充分生きたので)ま、いいか”か・・・
それが「75歳を過ぎるとまあまあ型を必要とする比率が急速に高まる」というのだから、我々もあと7~8年!? これは意外と短い・・・

我が家では、カミさんとお互いの終末期の迎え方について良く話しをする。「とことん型」で、イチかバチかの治療を提示されたとき、どう判断するか・・・。つまり、手術をすれば*割は治る可能性があるが、*割は、かえって寝たきりになってしまう可能性がある。と言われたとき、踏み出すかどうか・・・
寝たきりも、意識がちゃんとある場合と、意識はあるとしても認知症が進んでしまう時とがある。
カミさんは「ちゃんとした施設を探してあげるから・・」と言う。「冗談じゃない!オレは自宅がいいんだ!」と言ったものの、認知症になったら、とても自宅での介護はムリ・・・。
それはお袋と義母を施設で送ったことで体験済み。よって、それは仕方がないと思う。しかしそれは正常な意識がないことが条件・・・。シラフでは、一人で施設に行くのは、とても耐えられないな・・・

自分は、やはり75を過ぎれば「まあまあ型」を選ぶ気がする。そして、もし80を迎えられれば、かえって認知症も良いかもと・・・と。これはカミさんの「アナタは気が弱いから、認知症になった方が死の恐怖が無くなるので良いかも・・・」との言葉に同意しての気持ち・・・。

ここ1年で相次いで亡くなったお袋も義母も、認知症がある程度進んでいたので、少なくても死の恐怖は無かった。それは良かった・・・
しかし認知症でも、おとなしい認知症ならともかく、騒いで、身体拘束されるかも知れず・・・。
考えただけでゾッとする・・・

身近な話として、我が家の愛犬・メイ子も、老境に入っているらしい。食事が不規則。食べたり食べなかったり・・・。今までは1日2回のエサをサボったことなど無かったのに・・・
何を考えているのか・・。それが分からないだけに切ない。 メイ子も“その時”は、たぶん何も考えずに「あれ? 何かヘンだよ、おかあさん・・・」で死んでしまうのだろう。
少なくても、死の恐怖については、メイ子の方が幸せな気がするこの頃である。

150422nigakunai<付録>「ボケて(bokete)」より


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