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2015年3月 6日 (金)

「村山談話」と「小泉談話」を読む

先日の朝日新聞に、村山談話が出来た経緯の記事があった。
現政権は、「侵略」や「おわび」という文言を削ろうとしているが、その前提の当時の経緯と、村山談話、そして小泉談話の原文を確認しておきたい。

村山談話、おわび明記 戦後50年、草稿段階から「侵略」表現
 1995年8月15日の「村山談話」につながる動きは、6月9日の国会決議から始まった。
 侵略や謝罪の表現があいまいにされた決議に対し、首相官邸には落胆が広がっていた。「何のために社会党から首相が出たのか、悔しい思いだった」。村山富市首相の政務秘書官だった園田原三氏は振り返る。
 談話作成の検討は、国会決議前からあったものの、それは閣議決定された村山談話とは別のものだった。首相の演説などを担当する内閣参事官室が準備を進めていた。
 しかし国会決議が不調に終わり、村山首相や五十嵐広三官房長官は、より明確な外交メッセージの作成を決意する。書き手に指名したのは官邸で外交を補佐する外務省出身の谷野作太郎・内閣外政審議室長だった。同じく外務官僚で首相秘書官だった槙田邦彦氏は「歴史認識は外交問題と直結する。能力を考えても谷野さんしかいなかった」と回想する。7月上旬、村山首相は谷野氏に「一文を書いてくれ」と伝えた。
 谷野氏は、1週間ほどで草稿を書き上げた。当時の自民党や国会決議があいまいにしていた「侵略的行為」という表現を、最初から「侵略」と明記した。「私自身、『侵略的行為』という表現に強い違和感を持っていた」
 ただ、谷野氏は「おわび」の文言を盛り込むことをためらった。槙田氏も、草稿に「おわび」がなかったことを覚えている。谷野氏は「あの頃、すでに日中、日韓間の主題は謝罪ではないと感じていた」と語る。重要なのは歴史をゆがめることなく次世代に正しく伝えることだと考えた。
 槙田氏の考えは違った。「おわびという言葉を入れるかどうかは、世界が注目している。入れるべきだ」。五十嵐長官にこう進言し、その場にいた園田博之官房副長官もうなずいた。五十嵐長官からおわびを盛り込むよう指示を受けた谷野氏は、「最終的には政治判断に従った」。こうして村山談話の骨格が整った。
 詰めの作業をほぼ終えた8月7日午前。村山首相、河野洋平自民党総裁のほか、正副長官らが官邸に顔をそろえた。
 村山首相が文案を示すと、河野氏の表情がゆがんだ。「これはなかなか厳しいぞ」。国会決議ですら反発が出た党内を抑えられるのか。翌日に控えた内閣改造では、タカ派の平沼赳夫氏や江藤隆美氏らの入閣も内定していた。河野氏に不安がよぎった。
 自民党の空気を察してか、8日の内閣改造で官房長官に就いた社会党の野坂浩賢氏は、談話を閣議決定して政府の公式見解とすることを提案する。野坂長官は平沼、江藤両氏や島村宜伸文相らを一人ずつ回り、事前了解を取りつけたと著書「政権」に記している。槙田氏によると、改造前まで運輸相だった亀井静香氏も党内の説得にあたった。
閣議で読み上げ、異論出ず
 焦点は橋本龍太郎通産相の意向だった。大物閣僚である橋本氏は、戦後50年国会決議に反発した日本遺族会の会長も務めていた。橋本氏の説得には、村山首相が自ら動いた。
 8月11日、村山首相は首相執務室から橋本氏に電話をかけた。談話を説明すると、橋本氏は「現物を見たい」と言った。
 発表前の談話が通産省に届けられ、村山首相は返事を待った。間もなく、電話が鳴った。2人のやりとりは、「村山富市回顧録」に詳しい。
 村山「あの文案見てくれたか」
 橋本「見た」
 村山「異議はありませんか」
 橋本「別にないですよ。ただ強いて言えば、あの文章を見たら『終戦』と『敗戦』の二つの言葉が使われている。どっちか一本に絞った方がいいんじゃないでしょうか」
 村山「どっちがいいと思いますか」
 橋本「そりゃあ『敗戦』の方がいいんじゃないですか」
 談話には「終戦」と「敗戦」が1カ所ずつあったが、「敗戦」にそろった。槙田氏は「橋本さんのコメントは意外だった」と当時を振り返る。
 8月15日午前10時、官邸の閣議室。野坂長官の「副長官が総理談話を読み上げるので謹んで聞いてください」との発言に続き、古川貞二郎官房副長官が談話を読み上げた。
 古川氏の回顧録「霞が関半生記」に当時の様子が記されている。
 「僕は丹田に力を込めて読み上げた。閣議室は水をうったようにシーンとしていた。だれも発言しない。僕は心底ホッとした」
 午前11時。村山首相は、記者会見で談話への思いを語った。「謙虚に反省し、国民全体としておわびの気持ちを表すことが、50年目の節目に大事なことではないか」(藤原慎一)

 村山談話(全文)
 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳(は)せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難(ありがた)さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを二度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この二つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤(あやま)ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊(みたま)を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖(よ)るは信に如(し)くは莫(な)し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

 ■小泉談話(全文)
 私は、終戦60年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。
 先の大戦では、300万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。
 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。
 戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟(はいきょ)から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。
 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります。
 我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の7割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。
 国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後60年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。
 戦後60年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。
(2015/03/04付「朝日新聞」p4より)

安倍政権が意欲を示している戦後70年談話。それに世界の目が集まっている。
報道では、キーワードである「侵略」と「おわび」に焦点が当たっているが、じっくりとこの二つの談話を読んでみると、納得出来る部分が多い。
しかし今回心配されている安倍政権の談話。
自民党の萩生田総裁特別補佐は「やはり総理の、言うならば、専権事項としてやられたらよろしいと思います」(2015/02/09)と発言したとか…。これはアドバルーンであり、政権の本音であることは疑う余地もない。
もしこんな事が許されたら、まさに日本は独裁国家となってしまう。国民の大多数が考えていないことを、首相の主義主張によって、それが「日本の総意」となってしまう。まさにそれを狙った今の政治の動き・・・。
それに、安全保障を巡る矢継ぎ早の政権の過激な動きは、まさにあっけにとられてしまう。
「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」という諺があるが、まさにそれを地で行っている感・・・
日本はいつからこんな品性のないワンマン、独裁国家に成り下がってしまったのか・・・。

立花隆氏の「しばらく前まで、この国、本当にダメじゃないかと思っていましたが・・・」という言葉(ETV特集「立花隆 次世代へのメッセージ~わが原点の広島・長崎から~」(2015/02/14放送の34分頃より)が脳裏から離れない。
国民不在の、こんな政権の独走を許す日本は、本当に「もうダメかも知れない」・・・

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150306kotatu <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

安倍政権の危険で悪辣な手口は「シロ」を「クロ」と言いくるめる・・・ことや、あったことを無かったことにしてしまう…文官統制問題・・・・など「歴史修正主義者」らしい新たな段階に進んできています。
 あの「永遠のゼロ」の手口です。「反戦主義者」であれ 「個人主義者」であれ 最後の段階では愛する家族と国家のためには 敢然と戦って死んでいく・・・・というやつです。日本アカデミー賞がこんなこどもだましの作品に7つ、8つの賞をあたえたときいて耳を疑いました。 
 ハリウッドの会場で続いたという「格差拡大への警鐘スピーチ」との[意識の違い」は一体なんでしょう。
 今どきの若者や若者ぶった「大人」をとりこむために起用した「サザン」。その悪ふざけにはちょっと[お灸]を据えましたが、この手の「囲い込み」は今後も続くでしょう。 
 あの北原 白秋が徐々にからめ捕られて 最後は「立派な」戦争詩人にまでなってしまった痛々しさを今こそ 思い返してみるべきでしょう。

投稿: todo | 2015年3月 8日 (日) 04:22

今日、3月27日の報道ステーションを観ていて、日本から言論の自由が無くなっていくのかと恐ろしくなってきました。メディアに対する官邸からの圧力とは何か、もっとはっきり視聴者に知らせて欲しいですね。総理の言っていることは建て前と本音が全く相反していると思うのですが、自公両党の中に歯止めを掛けられる議員が一人もいないとは、本当に嘆かわしいことです。先日の八紘一宇発言で議員の知性の無さが丸わかりになりましたね。笑えない悲しみが平和を愛する国民に根付いたと思います。こんな情けない議員が国民を不幸にしていくのでしょうね。嗚呼・・日本よ何処へ行く。

【エムズの片割れより】
先日週刊誌に、安倍首相の国会での眠そうな写真に、「もういい加減にしてくれ。何をやっても(デモ)自分の思う通りになるんだから・・・」というコメントがありました。
言い当ててるかも・・・

投稿: 白萩 | 2015年3月27日 (金) 23:45

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