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2015年3月の23件の記事

2015年3月31日 (火)

森山良子と倍賞千恵子の「死んだ男の残したものは」

森山良子の「死んだ男の残したものは」は、学生の頃に良く聞いた歌である。
先日久しぶりに、CDに入っていたこの歌を聞いた。「過去の歌」のはずが、「今の歌かも…」と思いながら聞いた。

<森山良子の「死んだ男の残したものは」>

「死んだ男の残したものは」
  作詞:谷川俊太郎
  作曲:武満 徹

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

森山良子のこの歌は、1969年発売の「さとうきび畑 / 森山良子カレッジ・フォーク・アルバ150331moriyama1 ム No.2」というアルバムに入っていた。
同じく、その前に発売された「カレッジ・フォーク・アルバム」も良く聞いた。大学4年の時だ。友人の間をこのLPレコードが回り、皆テープに入れて聞いた。何度も何度も・・・
当時、森山良子は自分と同じ21歳・・・

wikiによると、
「「死んだ男の残したものは」は、日本の反戦歌の1つである。谷川俊太郎の作詞、武満徹の作曲による。ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられ、友竹正則によって披露された。」
作詞も作曲も大物だったのだ・・・。今まで気付かなかった・・・

この歌は色々な歌手が歌っているが、中でも倍賞千恵子の歌がドラマチックで良い。一緒に聞いてみよう。

<倍賞千恵子の「死んだ男の残したものは」>

それにしても、なぜ今頃、ベトナム戦争の反戦歌が心に沁みるのだろう・・・
そう・・・。いままで想像だにしなかった“戦争”が、段々と近づいて来ているから・・

150331kuroneko <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月30日 (月)

「漢方」の名、口に苦し

先日の朝日新聞に、こんなコラムがあった。
「(日曜に想う)「漢方」の名、口に苦し 特別編集委員・山中季広
 わが家の薬箱に漢字があふれてきた。葛根湯(かっこんとう)に桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)。実家の両親の薬袋には猪苓湯(ちょれいとう)や麻子仁丸(ましにんがん)。十何年か前までは違った。○○リン、××ミン。片仮名の薬ばかりだった。
 年を追って家々に浸透してきた漢方薬だが、生薬の最大産地である中国では国内需要が爆発的に伸び、供給が追いつかない。政府は一部生薬に輸出規制をかけた。近年は投機マネーによる買い占めが頻発。乱獲も絶えない。
 生薬の8割を中国からの輸入に頼る日本はたまらない。中国市場に振りまわされないよう、日本の漢方メーカーの一部は中国以外に調達先を求めた。
    *
 最大手ツムラ(東京)は、国内需要を満たすべく東南アジアのラオスに自社農場を作った。今月初めに現地を訪ねると、38度の炎天下、地元農民200人が赤茶けた畑に種をまいていた。
 「ベトナム、タイ、カンボジアなどを調べて回り、ラオスを選んだ。土壌が適していて、治安がよく、人手が確保でき、まとまった広さがあること。それらが決め手でした」。現地法人の神保智一社長(46)は話す。
 最初の難関は不発弾処理だった。ベトナム戦争時、米軍が大量のクラスター爆弾を落として去った。危なくて開墾もままならない。農地に弾薬がないか確かめるのに3年を要した。
 広大な農場で、栽培には年間延べ12万人もの労力を要する。近隣にはゴム園やコーヒー農園が多く、繁忙期には人手の奪い合いが避けられない。
 ラオスの人々に漢方薬をのむ習慣はないものの、着実に現金収入の得られる職場は歓迎された。ツムラが中学校を寄贈したことも大きい。小学校を終えれば農業を継ぐほかなかった子供たちに、進学の道が開けた。
 「収入面と教育意識の面で村が変わった。念願の高校併設も決まった」とソムプー・インティサン校長(45)。
 7年前に定植した桂皮が昨秋、収穫にこぎ着けた。早ければ来年、ラオス産成分入りの漢方薬が初出荷される。
 ラオスへの行き帰り、東洋医学のイロハを入門書で学んだ。日本の「漢方」と中国の「中医」に大差はないと思い込んでいたが、実際には相当な隔たりがあると知った。
 理念先行の中医に対し、漢方は治すための実学。中国は脈を調べ、日本はおなかを診る。薬の配合も違う。
    *
 漢方をとりまく国際環境に詳しい慶応大学の渡辺賢治教授(55)によると、欧米の医療機関が盛んに東洋由来の治療を試みる時代を迎えた。とりわけ難治のがんや膠原(こうげん)病、アトピー性疾患といった分野で関心が高い。
 東洋医学が脚光をあびるにつれ、中国が大変な熱心さで本家本元を主張するようになった。中国流を世界の標準にすえるべく、国際標準化機構(ISO)の会議に日韓を圧する大人数を送り込む。「国際中医師」という資格を欧米に普及させる。鍼灸(しんきゅう)を国連の無形文化遺産に登録したのも中国である。
 韓国も負けじと自国の「韓医学」を世界に売り込む。対して日本は、政府に戦略が乏しく、役所の縦割り意識がじゃまをして足並みがそろわない。
 今さら悔やんでもしかたないが、漢方の歴史をたどると、明治政府があまりに冷淡だった。脱亜入欧の時代、オランダやドイツの医学に目を奪われ、漢方の名医たちを路頭に迷わせた。
 さらにさかのぼれば江戸の医師たちの命名センスが惜しまれる。西洋由来の蘭方(らんぽう)に対抗して漢方と呼んだ。それが受け継がれたわけだが、何ごとにつけ日中が肩ひじ張り合う現在、漢の字は中国を必要以上に利してしまう。
 国際会議で日本代表が漢方のすぐれた点を詳述しても、中国代表の胸には響かない。「しょせん中国医療の派生だろう」「漢王朝の名を冠しているじゃないか」といった顔をするそうだ。
 できれば江戸や明治の先達には別の名をつけてほしかった。「日方」はどうか。「和方」じゃダメか。漢方薬をのむたびむなしく代案を練っている。」(2015/03/22付「朝日新聞」p2より)

我が家は、漢方薬を結構利用している。実は自分も、前は「漢方」は中国の薬だとばかり思っていた。それが純粋に日本で育った薬だったのだ。
なるほど。名前だけ考えると、「漢方」という名は、まさしく残念。

まあそれはそれとして、「中国は脈を調べ、日本はおなかを診る。」というのは、そうかも・・・
でも日本の漢方医でも色々・・・。自分が行ったことがある漢方医を思い出してみると、八王子の漢方薬局は、脈と舌。M医院は触診と舌。中国人の女医さんは何も診ない。話だけ。K中医は脈と舌。
別にそれで分かるのなら、診なくても良いのだが、体に一切触れない中国の女医さんだけは、ちょっと不安・・・
そう言えば、前に見ていた韓国ドラマでは、脈でほとんどの病気を診断していた。脈で言い当てるのだからスゴイ・・・

いつもお世話になっているツムラのサイトを見たら、色々な情報がある。漢方薬が出来るまで(ここ)や、保管方法での品質(ここ)など・・・
ついでに(ここ)を見たら、漢方薬の使用期限は5年、とあった。漢方は、結構持つらしい・・・

ともあれ、良く分からない体調不良では、漢方の存在は有り難い。何か病名が付かないと追い返される西洋医と違って、漢方医は、ワケが分からない症状も聞いて処方してくれる。
まあ自分もこれから、体の老化から色々な症状が出てくるのだろう。
その時は、漢方のお世話になろう。

150330atatame <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月29日 (日)

社会保障の世代間での損得

先日の朝日新聞に、年金の世代格差についてのグラフがあった。よく言われることだが、一目瞭然なので、見ておこう。
「(教えて!格差問題:4)社会保障の損得、世代間でどれくらい違うの?
 経済学に「財政的幼児虐待」という言葉がある。世代間格差を研究する米国の研究者が使って広まった言葉で、若い世代やこれから生まれてくる子どもほど、とてつもない借金を背負わされる、という意味だ。
 かつては税金や保険料を納める働き手がたくさんいたから、お年寄りの老後を支えることもできた。1950年には65歳以上の高齢者1人に対し、現役世代(15~64歳)は12人いた。それが、今は2.5人しかいない。その分、若者に負担が重くのしかかる。
 年金や医療、介護などに支払う保険料に対し、受け取れる年金やサービスには、世代間でどれほどの差があるのだろうか。
150329syakaihosyou  学習院大の鈴木亘教授(社会保障論)の試算がある。会社員の夫が平均的収入で40年間働き、妻が専業主婦の世帯をモデルにすると、1940年生まれは、一生を通じて4930万円の「得」になるが、65年生まれだと差し引きゼロ。2010年生まれは3650万円の「損」になる。祖父母と孫世代で8千万円以上の差だ。
 若い世代の負担はそれだけではない。国は膨らむ社会保障費をまかなうために、1030兆円もの借金を重ねている。これも、将来世代に回されるツケだ。
 高齢化は昔からわかっていたことだ。「現役世代が高齢者を支える今の仕送り方式から、自分で老後に備える積み立て方式に変えるなど、政策で対応できた」(鈴木氏)はずだが、後手に回っている。
 若い世代に負担が偏る背景には、若者の政治への関心の低さがあるかもしれない。総務省によると、昨年末の衆院選の投票率は、20代の32.6%に対し、60代は68.3%。いきおい、政治家は高齢者に痛みの少ない政策を選びがちだ。鈴木氏は「若者がお任せ民主主義を続けていると、自分たちがどんどん損する方向にものごとが決まっていく」と警告する。
 格差は同じ世代の中にもある。生活保護の受給者209万人(2012年)のうち、60代以上が半数を占める。高齢者がみな裕福、というわけではないのだ。
 こうした世代内の格差は、教育を通じて子の世代に引き継がれやすい、と指摘される。親の年収が高いほど、全国学力調査の正答率が高く、4年制大学への進学率も高いとの研究報告もある。放っておけば世代間で連鎖し、「格差の固定化」につながりかねない。(疋田多揚)」(2015/03/25付「朝日新聞」p7より)

“経済学に「財政的幼児虐待」という言葉がある”とは、初めて知った。なるほど言い当てている。
グラフを見ると、自分の世代では3000万円の得になるそうだ。しかしウチの孫は△3600万円か・・・。息子どもはそれぞれ1000万円以上の損なので、全体的には△だな・・・

そう言えば、昔、死んだ親父から「我々の世代は、払った額の何倍もの年金が貰え、非常150329nenkin_2 に恵まれている。しかしこれから生まれる世代は大変だ」と言っていたことを思い出した。
当時、年金という言葉がピンと来ず、聞き流していたが、今になって考えると、この話は重たい話だ。
誰もが分かっていながら、それが放置されているのは、すべて選挙のせい・・・。我が身可愛さで、我々年金を貰う老人たちも、そして政治家たちも、物言わぬ子どもの世代に全てを押し付けて知らん振り・・・

まあ、せめてもの罪滅ぼしだ。我が家では孫にせっせと小遣いをあげることにでもしようか・・・。
(追:上の図は、2015/03/30付「日経新聞」p9より)

=============
*上の話と関係無いけど、今朝は三菱の液晶テレビのトラブルでドタバタ。
朝、「お父さん!テレビが壊れた!」というカミさんの声でたたき起こされた。見てみると、電源を入れて2~3分たつと、電源が落ちて画面が真っ黒。それから「起動中」の表示が出て、絵が出るが、また2~3分で落ちる。これを繰り返している。録画のリストを見ても、番組の1~2分の断片でぎっしり。主電源の入り切りをしても同じ。これは故障だな・・・
修理受付が始まった9時に三菱に電話するも、「混み合っているのでかけ直せ」の一点張り。それから何度かかけたがつながらないため、メールで修理依頼をした。
それから、使っていない前の東芝のテレビを、代わりに設置したりで、大変・・・
昼頃になって、どうもヘンだと思い出した。今までは、「順番におつなぎしますのでお待ち下さい」だった。若しかしたら、ファームのバグかも知れない・・・と、Netで見ると、案の定、全国的に発生していた。
地デジのアンテナ線を外すと、現象が出ないことを知って、アンテナを外した。
昼過ぎに、Netで「直った」という書き込みがあったので、我が家も試したら、直っていた。

まあ有り得ること。しかし影響はデカイ。
「広報部では「オンエアダウンロード放送に当社のものではないデータが影響した」と話しており、三菱電機側が流したわけではないデータがなんらかの関係で影響を及ぼし、不具合にいたったとしています。」とのことだが、顧客はテレビの故障・・・

“記念に”NHKの午後7時のニュースをメモしておく。
三菱電機製の液晶テレビでトラブル
大手電機メーカー「三菱電機」製の液晶テレビで、何も操作していないのに突然、電源が入ったり切れたりするトラブルが、29日の午後にかけて全国規模で発生し、会社では詳しい原因を調べています。
トラブルが起きたのは三菱電機が「REAL」のブランド名で販売している液晶テレビのうち平成22年以降に製造した製品です。
会社によりますと、29日の午前0時ごろから何も操作していないのに数分おきに電源が入ったり切れたりするトラブルが全国規模で発生したということです。
該当するテレビは国内で118機種、162万台に上りますが、トラブルは29日の午後にかけて順次復旧したということです。
三菱電機では、テレビの基本ソフトを更新するために電波で情報を受け取る際に何らかのトラブルが発生したとみており、現在、詳しい原因を調べています。
三菱電機は「トラブルは復旧しましたが、利用者の皆様には大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と話しています。」(
より)

夕方、三菱から「遅くなってスミマセン」と電話がかかってきた。相手が女性だったので「もう直ったの?」と優しく聞くと、「今朝から大変だったんです」と・・・
原因が何であれ、現象が出てしまうと、顧客はガッカリしてしまう。

原因をNetで探すと、三菱のプレスは、
「本障害は、特定放送データを受信した際に発生することが判明致しました 。本日正午頃より、障害発生の原因となっていた特定放送データの配信を変更しており、それ以降は障害が発生しなくなることを確認しております。」
報道では、
「三菱電機によると、今回の原因となったデータは、他社が配信したもので、三菱電機が配信停止を要請したことで、障害が復旧したという。」
「なお、この障害は特定の放送データを受信した際に発生したことが判明、この特定放送データの配信を変更した29日正午頃以降は障害は発生しなくなることを確認したとしています。」
「同社によると、午前0時ごろに配信された同社以外の機器向けの更新情報が、何らかの原因で同社のテレビが誤作動を起こすきっかけになった。正午ごろに、原因とみられる更新情報の配信を止めたところ、障害は解消した。」

なるほど、だから地デジのアンテナを外すと良くなったのだ。
テレビのファーム更新履歴を見ても、最近更新をした形跡はなかったので、三菱が何かをした訳ではなかった。
まあ、三菱の信頼を失わないためにも、“他社名”を含めて、原因をキチンと公表して欲しいもの。
我が家では三菱のテレビに満足しているのだから・・・
三菱さん、頑張ってね!

(2015/04/11追)
三菱製テレビ、不具合修正へ
 三菱電機の液晶テレビで先月、電源が勝手に切れたり入ったりした問題は、放送電波で配信された正常なデータをテレビが異常と検知し、受信前の状態に戻そうと再起動したためだったことが9日分かった。同社は13日から不具合を修正するソフトウェアを配信する。
 テレビを動かすソフトは、放送電波を使って自動で更新されている。三菱の「REAL(リアル)」には、配信されたデータの一部を正常に認識できない不具合があったという。
 ソフトの修正は2010年から15年3月までに製造した120機種約168万台が対象。初期設定を変えていなければ、自動的に修正されるという。問い合わせは、同社の相談センター(0120・752・530)で午前9時から午後7時まで受け付ける。」(2015/04/10付「朝日新聞】p37より)

150329sironeko <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月27日 (金)

市販薬の使用期限の目安は3年・・・

自分は、薬の物持ちが良い。これは困ったこと・・・
先日の「日経Gooday」にこんな記事があった。
市販薬は開封後、いつまで使っていいの?
「使用期限」は未開封の場合で品質が保証される期間のことです

    日本医薬品情報学会(2014/12/21)

 食べ物に賞味期限や消費期限があるように、市販薬にも薬の品質を保証する「使用期限」が決められています。薬は、食べ物のように目に見えて腐敗したりすることは滅多にありませんが、時間が経つにつれて含まれている有効成分が分解されてしまったり、副作用を起こしやすい物質に変化したりして、期待通りの効果を示さない可能性が出てきます。 市販薬は時間の経過と共に、気温や湿度、紫外線などによってその有効成分が化学変化を起こします。そこで製造後、薬の効果が保たれ、安心して使える期間を「使用期限」として、メーカーが決めています。
 使用期限は、ある一定の環境下(例えば「気温25℃・湿度60%で3年間」、「気温40℃・湿度75%で半年間」などの条件)でその薬を保管した場合の、有効成分への影響や薬自体の品質などを調べ、得られたデータを基に決定しています。さらに、主に温度や湿度、光による影響を把握することで、添付文書上に記載する開封後の保管方法を決めています。

使用期限の目安は3年
 市販薬の使用期限は製造から3年が目安になっています。3年より短い期間で薬剤の品150327siyoukigen1 質や効き目が変化してしまう市販薬には、外箱や本体に使用期限を記載しなければならないと医薬品医療機器法(正式名称「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」、2014年11月25日に薬事法から名称変更)で定められています。
 一方、室温保存で製造から3年以上、品質や効き目が変わらないものについては法律上、使用期限の明記を求められていませんが、現在、ほとんどの市販薬で使用期限が記載されています。ただし、使用期限とは未開封の場合での期限ですので注意してください。

シロップ剤や目薬には例外も
 では、開けてしまった市販薬はどのくらいの期間であれば、品質や効き目が保たれるのでしょうか。
 1錠(もしくは1回量)ずつ個包装された薬であれば、比較的環境が安定しているので、外箱の開封後であっても、使用期限内であれば使用して構わないと考えられます。一方、薬の品質や効き目が変化しやすいものは、個包装されていない瓶入りの薬やシロップ剤、目薬などです。瓶入りの錠剤やシロップ剤は開封後半年、目薬は開封後1~2カ月の間の使用にとどめるのが賢明です。
 前述したように、メーカーは環境に伴う品質の変化を調べるのと同時に、劣化を極力抑える保管方法についても調べています。添付文書には「室温で保管すること」「直射日光の当たらない涼しいところで保管すること」など、詳しい保管方法について記述があるので、そちらを参考にして市販薬を保管してください。

150327siyoukigen2  使用期限を過ぎてしまった市販薬や、いつ開けたかわからなくなってしまった薬は処分するようにしましょう。1年に1回は救急箱の中身を点検して、整理することをお勧めします。

Profile一般社団法人日本医薬品情報学会 OTC情報委員会
日本医薬品情報学会(JASDI)は、薬剤師が中心となって医薬品情報学に関する教育や研究を行うことで、薬学・医学・医療の進歩向上、国民の健康に貢献することを目的として活動しています。本会のメンバーは病院や街の薬局で働く薬剤師、薬学系大学教員、製薬や医薬品流通関連企業、薬事関連行政担当者などです。主な活動として、学会機関誌JJDIの発行、学術大会・学術フォーラムの開催、一般向けの公開講座、医薬品情報学に関する教育・研究の支援、専門薬剤師の認定などを行っています。」(「
日経Gooday」ここより)

実は、自分は余った薬を取っておき、次に同じような症状が出た時に、再利用するのが“趣味?”だった・・・。
さすがに、実際に飲むことはまれだが、でも先日実際に飲んで、案の定かえって体調を崩した。たぶん変質した薬の影響だろうと想像・・・。いつもカミさんからは止められているが、つい・・・

でも世の中の常識では、薬の使用期限は3年ほどらしい。もちろん開封後はもっと短いし、もっと長い期限を書いている市販薬もある。

しかし、何かの症状が出たときに、いちいち病院に薬を貰いに行くのはおっくう。いや、何よりも近くに薬があるというのは、安心につながるので・・・
ウチのカミさんはまったく逆。そんな怖い冒険は出来ない、と言う。先日も家の薬箱がスカスカになっていてビックリ。たくさんあったバッファリンがもぬけの殻・・・。危ないから棄てたという・・・。
病院に行けない夜中や休日など、とりあえずは助かることもあるのに、という自分の意見はバッサリ・・・

まあ市販の薬には、それぞれ使用期限が書いてあるので分かり易いが、病院で貰った薬は分からない。薬の袋と一緒にしておかないといけない・・・
そして分からないのが、ツムラの漢方薬。顆粒が1包ずつキチンと梱包されているので、長持ちするような気がする。しかし、それが入っている箱には、やはり使用期限が書いてあり、患者に渡すときは、あくまでその時に飲み終える前提になっているらしい。まあ言われてみれば、当然だが・・・

まあこれを機に、これからは(期限切れの)毒の薬を飲まないように、心を入れ替えることにするな・・・。病院が面倒!もあるが、仕方がない。
前に「賞味期限切れ~いつまで食べられる?」(ここ)という記事を書いた。同様に、こんな記事もここにメモしておくと、後々便利なのである。

150327byouinn <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月25日 (水)

「摩天楼、数で中国突出」「アジアの胃袋」~日経グローバルデータマップより

毎週楽しみにしている日経のグローバルデータマップ。最近の二つを紹介・・・
「(グローバルデータマップ)摩天楼、数で中国突出~米国の倍、日本の10倍近く
そびえる摩天楼は経済の勢いを物語る。新興国で高層ビルが増殖中だ。世界の建設など150325buil の専門家が集まる「高層ビル・都市居住評議会(CTBUH)」によると、高さ200m以上の超高層ビルが最も多いのは中国で346棟もある。2000年時点の49棟から7倍に増えた。当時に比べ経済規模は9倍弱に膨らんでおりビル建設が相次いだ。アラブ首長国連邦(UAE)も高層ビルの開発が進み、ドバイにあるブルジュ・ハリファは世界一の高さを誇る。日本の超高層ビルの棟数は韓国にも抜かれている。ドイツなど欧州で棟数が少ないのは、ビルの高さ制限など建設制限も影響しているようだ。」(2015/03/16付「日経新聞」p9より)

この中国のビルの数には圧倒される。
このことについては、前に上海に行ったときに、「上海の高層ビル群に圧倒された」(ここ)という記事を書いた。2007年5月 2日のことである。
まさにあのときの印象がこのグラフになっている。中国のエネルギーはスゴイ・・・
しかし、あまりのニョキニョキに、「大丈夫かな?」と感じることも事実。

次いで、こんな記事も・・・
アジアの胃袋、肉食化 所得増で加速、食糧争奪の火種に
 アジアの肉食化が進んでいる。国際連合食糧農業機関(FAO)によると、1人あたりの消費150325ajianoi量は日本と中国が世界平均を上回り、東南アジアも増加が続いている。背景には食の欧 米化に加え、経済成長に伴う所得の増加もある。肉は豊かさの象徴。食費を増やせるようになると、動物性たんぱく質の摂収量が多くなる傾向がある。中国や束南アジアは魚介類の消費量も緩やかな右肩上150326hitoriatari がりだ。日本食ブームですしが普及したことも一因とみられる。巨大な人口を抱えるアジアの胃袋は経済とともに広がるばかり。食料争奪戦の火種にもなりそうだ。(2015/03/23付「日経新聞」p9より)

このグラフで目立つのが、幾ら最近減っているとはいえ、日本の魚の消費量が突出していること。さすがに周囲を海で囲まれている国だ。
ここでも中国の伸びが顕著。これはあくまでも1人当たりなので、人口は関係無い。結局これは、野菜、穀物類から肉、魚への転換なのだろう。
内陸に広い中国。しかしこれだけの魚の供給が必要だとすると、なるほど、前に書いた「「中国の領海問題」~中国の国内事情」(ここ)の動きも理解できる。

こんな図を見ながら、それぞれの国の抱える問題を色々と頭に浮かべるのも、また酒の肴には良いかも・・・?

●メモ:カウント~710万

150325kinn <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月24日 (火)

「ただいま、文藝春秋社執筆室から実況中継でお送りしています。」

先日の日経夕刊にこんなコラムがあった。
執筆室 千早茜
 ただいま、文藝春秋社執筆室から実況中継でお送りしています。とはいえ、この原稿が掲載されるのは一週間以上も先の事なので、ライブ感などまったくだせはしないのですが、ちょっとした昂奮(こうふん)状態であることが伝われば幸いです。
 なぜ昂奮状態かを説明致します。この部屋、執筆室といえば聞こえがいいが、要はカンヅメ部屋なのです。つまりは依頼された原稿ができていない状態ということ。できていないくせに昂奮している場合ではないのだが、やっぱりカンヅメ部屋にいるというのはちょっと嬉(うれ)しい。なんだか、とても作家っぽい。物書きになってまだ六年ほどの知名度も低い小説家としては作家として認められたような気分になる。そして、一体どれだけの作家がこの部屋の、いま私が座っている椅子(それもとても文豪っぽい椅子)でうんうん苦しんでいたかと思うと、胸がドキドキする。座っているだけで、文豪エキスが浸(し)み込んできそうだ。浸み込まないかな。
 さて、この執筆室、どんな部屋かと胸を高鳴らせてやってきたが、若干広めの普通のビジネスホテルのような感じで最初は少しがっかりした。清掃は近くのホテルの方がしてくれるらしく、タオルも浴衣もベッドメイキングの仕方もホテルそのもの。ただ、書き物机はかなり大きく、広辞苑が置いてある。内線電話もあるが、編集さんは携帯電話でかけてくるので鳴らない。それ以外は特に変わったものはない。私の前に泊まった人は誰かと訊(き)いてみたが、わからないということだった。
 すべての出版社にこのような執筆室があるのかは知らない。だが、新潮社には新潮クラブというものが神楽坂にあり、三回ほど泊まらせてもらったことがある。閑静な住宅地にある二階建ての和風の家で、一階の部屋にはこたつがあり、庭の眺めも良く、とても落ち着く。通いの管理人さんがいて、その方がお茶やおやつを与えてくれる。私にとって食べ物をくれる人は良い人で、無条件に懐いてしまう。新潮クラブに泊まりたいと言ったのは、ある文豪の幽霊がでるという噂があったからで、もし遭遇できたら霊験あらたかな気がしたからだった。しかし、神楽坂には美味(おい)しい店も遅くまで飲める店も多い。たらふく飲み食いして、優しい管理人さんの敷いてくれた布団でぬくぬくと眠り、庭にやってくる小鳥の声を聴きながら手作りの朝食をいただいた。果たしてあんな長閑(のどか)な環境で執筆できるのだろうか。少しは文豪エキスが欲しいと思い、前に泊まった人を訊くと「ヒクソン・グレーシーです! 千早さん、彼の入ったお風呂に入ったんですよ!」と言われ、なんとなく要らない筋肉がついたような気分で新潮クラブを後にしたのを覚えている。
 それに比べて文藝春秋社の執筆室はかたくるしい。廊下に人の気配はなく、書く以外何もさせないぞという気迫がこもっている気がする。会社のまわりにもあまり店がない。そして、運悪く(運良く?)ずっと雨が降っている。しかし、はかどるかというと、はかどらない。こうやってわくわくしながらエッセイを書いてしまっている。おまけに社内には資料室があって、二十四時間いくらでも本が読め、珍しい図録を眺められる。真夜中に誰もいない館内をうろつくのも楽しい。きっとこれが掲載されたら怒られることは間違いない。(作家)」(2015/03/17付「日経新聞」夕刊p7より)

こんな他愛のないコラムは(失礼!)、読んでいて楽しい。
筆者は、原稿が書けないので、カンヅメ部屋に入れられている状況。それを逆手に取って、そのこと自体をネタに原稿を書いている。

同様なことを思い出した。あれは中学の時だったか、国語の時間に、自由題での作文を書くことになった。自由題は困る。何を書いて良いか分からない。
白紙のままでは出せないため、「自由題には困る。書くことがない。何を書いて良いか分からない。時間だけが過ぎる。困った、困った・・・」という作文を書いて出してしまった。その作文に付いた点数は・・・忘れた。
同様に、準現役時時代(天下り?会社時時代)、期首恒例の予算大会(キックオフ)後の立食パーティーで、突然スピーチを指名され、困ったことがあった。その時も苦し紛れに「このように、まったく予想外の事態が起こる事がある。仕事も同様で、常に、いつ何が起きても良いように、準備しておくことが肝要・・・」ナンテいうことを言って逃げたっけ。

何が無くても、現在置かれた状況は、それはそれでまた“テーマ”になるのである。
こんなジョークっぽい話は大好きである。

150324rule <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月23日 (月)

死んだ後、思い出してくれる・・・FMシアター「夏の午後、湾は光り、」より

毎週聞いているNHK FMの「FMシアター」。
今週(2015/03/21)は、第35回BKラジオドラマ脚本賞最優秀賞作品だという「夏の午後、湾は光り、」。
あらすじをNHKのHPから引くと、
「京都府・伊根町の分校に通う16歳の多賀子は、たった一人の園芸部員。育てた花をリヤ150322ine2 カーに乗せて、地域の人々に売り歩いている。ある夏の午後、花を売り終わって学校へ戻る途中、多賀子は美しい女性・友里に出会う。田舎道に不釣合なお洒落をした友里は、多賀子がひそかに片思いしている忠志先生の、別居中の妻だった……。
足を挫いた友里をリヤカーに乗せ、先生の元へと運ぶ羽目になった多賀150322ine1 子。複雑な思いを抱えてリヤカーを引く多賀子だったが、背中合わせで言葉を交わすうちに、友里と心を通わせていく。
リヤカーが進む山道から、午後の陽光を受けてきらめく伊根湾が見える。のどかな田舎町を舞台に、「忘れない」ことの苦しさと尊さを描く。」(
NHKのここより)

このドラマを聞きながら、頭に浮かぶ風景・・・。“京都府・伊根町の分校”をNetの地図で探すと、実際にあった。こんな地図を頭に浮かべながら聴くと、益々風景が頭に浮かぶ・・・

このドラマの中の、こんなセリフが心に残った・・・

<FMシアター「夏の午後、湾は光り、」より>

★この番組の全部(50分)をお聞きになる方は(ここ=ZIP)をクリックしてしばらく待つ。

このセリフを、少しだけ文字にしてみると・・・
「おじいちゃんやおばあちゃんが戦争の話をしてくれる。
・・・
皆、誰かに覚えてて欲しいねん。おじいちゃんもおばあちゃんも、遠からず死んでしまうやろ。そしたら、この国は、戦争がどんなに怖かったか、悲しかったか、それを知らん人ばっかりになるだろ。
いつか戦争が始まりそうになったとき、あれは怖いものやから止めとき、と言う人がいなくなるやろ。皆、それが怖くてしょうないねん。
それと、おじいちゃんもおばあちゃんも、自分のこと、誰かに覚えてて欲しいねん。多賀ちゃんに持てる限りの思い出話をした人間がいたこと、ずっと覚えてて欲しい。自分がこの世に居なくなっても、時々思い出してくれる人間が居るって、嬉しいことやで。
それはもう、安心して死ねる気がするくらい、嬉しいことやと、先生は思うわ・・・」(
桑原亮子・作「夏の午後、湾は光り、」より)

別に目新しいセリフではない。良く言われていること。
でも、きな臭い話だが、現政権が日本を戦争の出来る普通の国にしようと突き進んでいる今、改めて心に響く言葉・・・
それに、死んで行く人の心情も、何か分かるような気がする・・・。

話は変わるが、昨年、叔父が亡くなった。3人いた叔父の中で、唯一子供がいなかった。それで、定年後、夫婦で熱海の温泉付きの豪華老人ホームに移ったのだが、二人とも献体を申し込んでいた。お骨を墓に納めても、継ぐ人がいないため、たぶん献体の後は、共同墓地に入るのだろう。
叔父はそれを、かなり割り切っていた。夫婦ともに身寄りがいないので、死んだらオシマイ・・・。献体してそのまま消える・・・
それはもう、仕方のない選択肢。

そんな事を思いながら、つくづく我が家の孫という命の継承者の存在を、有り難いと思う。我が唯一の孫も1歳4ヶ月になった。もう自在に歩き回り、何やらしゃべろうとしている。
歯が上下4本ずつ。良く食べるので、女の子なのにお腹はポンポン・・・。健康そのものだ。
この、すくすくと育つ新しい命を見守りながら、自分はまだまだ幸せだと思う。孫が可愛いという通常の次元を超えて、命の継承、いや、将来、自分たちの存在を思い出してくれるかも知れない命の存在に対して、有り難いと思う。
上の物語、いや上のセリフを聞きながら、月並みだが、この子の成長を見届けるまで、簡単には死ねないぞ・・・と思い、そしてまた、この命の継承に対して感謝し、自分もそのうち“安心して死ねる気がする”かも・・・と思いつつ聴いたドラマであった。

150323ongaesi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月22日 (日)

葬儀費用の地域の違い

お彼岸である。
先日の日経新聞にこんな記事があった。
葬儀代 進む低価格競争 ~異業種参入 支払い多様化
 人生の終わりをどう迎えるかを考える「終活」が広まり、多くを語りにくかった葬儀代についても意識が向きやすくなってきた。葬儀業界は異業種の参入が相次ぎ、ブラックボックスだったコストを透明にする動きもある。支払い方法も多様になり、低価格競争に向かう流れも生まれている。
 高額支出の代名詞でもある葬儀費用だが、最近は低下傾向にある。日本消費者協会の150322sougidai 調査によると、日本人が葬儀にかける費用は2013年時点(第10回調査)で平均188万9000円だった。これはピークだった03年(第7回調査)の236万6000円と比べて2割ほど安い。葬儀業は許認可制ではなく、新規参入は自由だ。異業種からの参入が増えていることで競争原理が働き、費用の低下が進んでいる。
 09年に参入したのが流通大手のイオンだ。14年に葬祭事業を「イオンライフ」として分社化し、「イオンのお葬式」として展開する。全国約500の葬儀社と提携し、規模などに応じて20万~70万円程度の定額プランをそろえる。催事場の空き時間を使ったり、イオンの流通網を活用したりすることで従来の葬儀よりもコストが抑えられるという。
 13年に設立したベンチャー企業のアメイジングライフは、身内だけでお通夜と葬儀を行う「シンプル葬」を東京と福岡で手掛ける。提携する葬儀社とのやりとりをネットに集約するなど人件費や固定費を削減し、火葬場への僧侶の手配などオプション料金を含めても葬儀費用は約70万~80万円にとどまる。ネット上で費用の見積もりや申し込みが完結するのが特徴だ。スマートフォン(スマホ)からでも申し込みができる。
 低下が進んでいるとはいえ葬儀費用はまだ高額だ。「負担が大きすぎる」「お墓や仏壇の購入のためにある程度のお金は残しておきたい」など、一括払いを避けたい人向けに支払い方法も多様化が進んできた。
 その一つの「葬儀ローン」はジャックスやオリコなど、信販大手が葬儀社と提供する。葬儀ローンは葬儀社が窓口になって契約することが多いため、手続きが簡単とされている。金利水準は提携している葬儀社の価格帯によって変わってくるが、両社とも平均して年率7~8%が多い。葬儀費用に充てることのできるローンは、他に利用目的を限定しない銀行の「フリーローン」などがある。
 最近ではクレジットカードで葬儀代を払えるようにもなってきた。前出の「イオンのお葬式」は、1回払い限定だがイオンカードでの支払いが可能。アメイジングライフの「シンプル葬」はVISAやマスターカードなど五大国際ブランドのクレジットカードが使え、分割払いやリボ払いも可能だ。決済大手のベリトランスもクレジットカード大手のクレディセゾンなどと組み、葬儀を終えた喪主が葬儀費用をクレジットカードで支払ったり、ローンを組めたりするサービスの提供を2月から始めた。(谷翔太朗)」(2015/03/14付「日経新聞」p22より)

当サイトは、相変わらずこんな記事を気にしている。上の記事で面白いのは、地方毎の葬儀代のかけ方・・・。平均を見ると、関東北部が236万円の1位で、中部南部と近畿が200万円を超えている。そして最低の四国は134万円。何と1.8倍近い。これが平均なので、その違いに驚く。
これは文化なのだろう。つまり、地域の文化・風習によって、大きく変わるようだ。

葬儀は残された人のために行うという。確かに、現役時代にはよく葬儀に行った。誰々のご母堂の葬儀など・・・。もちろんご母堂を知っていて、悼む訳ではない。知っている喪主との“今後の関係のため”に行くのである。まさに義理・・・
でも、現役を引退した後では、そんなしがらみも消える。“素”になる。付き合いで行くことも少ない。そして自分たちが行う葬儀は簡略化される。リタイア後は、会葬者も近親者に限られるので、それは当然の動き・・・
そもそも葬儀の連絡を受けて困る人はいても、喜ぶ人はいない。つまり誰も知りたくないのである。本当は行きたくないのである。しかしそれは“お義理”の世界・・・。よって、自分は知らせない。そして、昨年と今年の近親者の葬儀では、そのようにした。
結果、誰も困らず、喪主は少ない費用で満足裏に終えることができた。

結婚式と葬式の膨大な費用は、常に話題になる。まあ結婚式は「これから」なので、少しはお金をかける意味があるかも知れないが、葬儀は1回きりで、その後が無いので、それほど満足感は残らない。
それにしても、世の中では直送等、葬儀の簡素化が話題になっている割に、このリストを見ると、まだまだ「しがらみ」は大きいな、と感じた。
都会では、既に「何でもあり」の自由な風潮になっているものの、お寺(菩提寺)のしがらみがあるとそうそう自由にはならない。
これから我々団塊の世代がお墓に入るとき、お寺とのしがらみと、どう折り合いを付けるかが、試されている。
次世代への負の遺産とならないように、“簡単に”消えねば・・・ね。

150322keitai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月20日 (金)

コンサートでの「ついていない」席

先日の日経新聞にこんなコラムがあった。
透明な鎖 内田麻理香
 クラシック音楽のコンサートの楽章の間に、聴衆が一斉に咳(せき)払いをする。実際、生理的に咳がしたいのかどうかはともかく、それまで張り詰めていた空気を解放するかのように「ごほん」の音が響き渡る。欧州でクラシック音楽のコンサートを多く聴いた人によれば、これは日本だけの現象ではないらしい。確かに、クラシック音楽のコンサートでは周りの人に迷惑をかけてはいけないという無言の圧力がある。
 クラシック音楽を生で聴くのは、CDやテレビでは味わえない多くの楽しみがある。ただ、考えてみれば、初心者を威圧する見えない鎖が多い。演奏中はもちろん、楽章の休みの間は拍手をしてはならず、曲全体が終わるまで待たねばならない。
 オペラのときはもっと大変だ。ウィーンのオペラ座に行ったときのこと。あの場は社交場を兼ねていると教えてもらったので、自分なりに目(め)一杯(いっぱい)着飾って、「浮かないか」と心配したが、それでも足りなかったようだ。周りは蝶(ちょう)ネクタイをした男性や、毛皮のコートにドレスをまとった女性が会場の大半を占めている。この人たちは、どこからわいて出てきたのかと驚くほどだ。
 そこまで気合を入れたにも関わらず、「ついていない」席に座ることになった。目の前にいる身なりの良い老紳士が高いびきをかいて睡眠に没頭してしまったからだ。しばらくすると舞台の名演に引きこまれて、いびきの音は気にならなくなり、いまだにそのオペラは良い記憶として残っているので問題はなかった。
 このような、ついていない席は、あらゆる場面で遭遇する。映画を観(み)るとき、せっかく事前に予約した席でも、目の前の人の背が高いと上映時間中、ずっと首を斜めにして観るはめになる。私の身長が低いせいもあるが、これもついていない席だろう。
 先日、地元仙台に名門オーケストラが来るということで、久しぶりにコンサートに赴いた。花粉症の私は、鼻をずるずるさせていてはいけないと薬を飲み、それなりに身なりを整えて行った。しかし、落とし穴があった。お隣さんだ。今回も例のついていない席に座ることになった。
 鼻息の音がピアニッシモの音をかき消すほどなのは、私と同じ花粉症か、もしくは生まれつきか。ただ、この方は落ち着きがない。飲食ができない会場なのに、持ち込んだ水を飲む、演奏中に何かの紙をがさがさ開くなどあれこれ音を立てる。こうなったら、例の席に巡りあってしまったと諦めるしかない。そう思ったのは私だけではないらしい。前に座っていたお客様たちも数人、何度か後ろを向いて様子を窺(うかが)っていた。
 これも結果的には、その思いを払拭できるくらい文句なしのコンサートであった。ちなみに、ついていない元となったお客様も、端から見てもわかるくらい、非常にその演奏を楽しんでいらした。同じく音楽を愛する同志なのだ。オペラ座で居眠りしていた紳士よりは、よほど音楽を自由に楽しんでいたと思う。
 ルールやマナーは、他人に迷惑をかけないために大事だ。でも、過剰で形骸化したものもある。今回のコンサートでのお隣さんは極端だっただけに、その手の縛りについてあれこれ考えるきっかけになった。不合理な不文律にも従わざるを得ない、小心者の私には羨ましい。(サイエンスライター)」(2015/03/14付「日経新聞」夕刊p4より)

なぜこの記事が気になったのか・・・。実は背景に、自分の深い懺悔が存在する。
若い頃(新入社員の頃)、度々クラシックのコンサートに行っていたことは前に書いた。その頃の、自分は、まさに「ついていない」席の製造者。さぞさぞ周りの人は迷惑だったろう。
何と自分は、音楽に合わせて、体を動かしていたのだ。「オレはこの曲を良く知っているぞ」という自慢をしたかったのだろう・・・。足先を動かしたり、指先を動かしたり・・・。
今思い出してもゾッとするバカな動作を、トラウマのように思い出しては赤面?いや、懺悔している。

そう言えば、数年前のコンサートでも、同様の経験をした。「ベートーヴェンは凄い!2012」(ここ)で、同様な頭を振る人と隣り合わせ、誠に迷惑だった。
まあ表現は悪いが、昔自分がしたことの報い。「自業自得」だったのだろう。

さすがに“オトナ”になってからは、コンサートでは一切動かない。音楽が終わっても拍手もしない。ま、後から少し申し訳なさそうに拍手することもあるが・・・

そう言えば、上の「ウィーンのオペラ座に行ったときのこと。あの場は社交場を兼ねていると教えてもらったので、自分なりに目一杯着飾って、「浮かないか」と心配したが、それでも足りなかったようだ。」というところを読んで、前にウィーンの楽友協会大ホールに行ったときのことを思い出した。(ここ
ツアーの準備書では、この音楽会には正装で、とあったので、ブレザーにネクタイで行ったのだが、会場に行ってみると、だれもがカジュアル姿。逆に自分が浮いてしまったことを覚えている。

さすがに日本のコンサートは、正装している人はいないが、かといってGパン姿も少ない。
さっき新聞を見ていたら、全面広告でポール・マッカートニーのコンサートがSS席10万円、とあった。多人数がかかわるオペラでもないのに、あまりに高価。
しかし、この歳になると、もうクラシックは行く気にならないが、自分も、もしPINK FL
OYDのメンバーが来たら、行くかも・・・。それが例えトリビュートバンドであっても、前に良かったので・・・(ここ)。
リタイアして、お金は無いけど時間はあるので、もっとコンサートに通えば良いのだが、腰が重いこの頃である。

150320oreno <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月19日 (木)

井上陽水の「背中まで45分」~カウントダウンの文化

先日、NHKラジオ第2の「文化講演会」という番組で、東大のロバート・キャンベルさんの講演を聴いた。

はじまりは坂の途中で~日本文学が見せる人間のゆとりと威厳について考えるために」(2015/02/15放送)
講演:ロバート・キャンベル(東京大学大学院教授)
東京大学大学院教授で、日本文学者のロバート・キャンベルさんは、日本には「カウントダウン」の文化があると言う。何々まであといくつ、などと考えることは、人が「死」に向き合った時に大きな意味を持つ。明治時代の二人の文学者、中江兆民と正岡子規の著作から、「死」に向かうカウントダウンの状況で見られる人間のゆとりと尊厳について考える。」(
NHKのここより)

この話の中で、沢田研二が歌った井上陽水の「背中まで45分」について、こんな話があった。

<ロバート・キャンベル講演「はじまりは坂の途中で」より>

どうも気になるこの歌・・・。音源を手に入れて聞いてみた。こんな歌だった。

<井上陽水の「背中まで45分」>

「背中まで45分
  作詞・作曲:井上陽水

出逢いの場所は ホテルのロビー
目と目があって あいさつはなく
夜は始まり それが45分前
会話の為に 名前を聞いて
ありふれた名で すぐに忘れた
指が動いて それが35分前
それからよりそい 二人で恋をし
長い廊下 転がされて
迷い込んだ ホテル ラウンジバー

二人で飲んだ トロピカルシャワー
めまいのように はじけてとんだ
歌も聞こえて それが25分前
笑った後は けだるい気分
眠りませんか? 僕の部屋でも
夢に向った それが15分前
二人で手をとり ダンスをしながら
出てゆくのを 見送るのは
誰もいない ホテル ラウンジショウ

部屋に入れば それがちょうど5分前
ドレスを脱いで 抱きあう時に
背中の指が 静かにはねた
それがちょうど それがちょうど 今
背中まで45分 背中まで45分
背中まで45分 背中まで45分………

なるほど・・・。カウントダウンね・・・。
キャンベルさんの話は、喉頭がんにより、余命1年半と宣告された中江兆民の遺言の書「一年有半」(実際には9ヶ月で死去)、そして正岡子規の「病牀六尺」などを通し、究極のカウントダウンである「死」までの道程について語っていた。

カウントダウンはあらゆる所に存在する。それはある決まった結論に向かって、粛々と進む過程。2020年の東京オリンピックに向かっても、既にカウントダウンは始まっている。もちろん“知らぬが仏”の自分自身の終局にも・・・

まあここで、今さら艶っぽい話をするつもりは毛頭ないが、まあこの歌も、カウントダウン・・・
たった45分で?? まあそんなにうまく行くとは思えない歌なので、この歌はそれほど売れなかったとか・・・

もっとも、自分を振り返ると、お見合いから2週間後、2回目のデートで婚約したので、この歌も理解出来ないことはない。まあ男女の仲は、理屈よりも、感じることなので・・・。

話は飛ぶが、先日見たNHK「プロフェッショナル~仕事の流儀 恐れの先に、希望がある~小児外科医・山髙篤行」(ここ)(2015/03/16放送。再3/20AM1)。
赤ちゃんの手術の成否は、その赤ちゃんのその後の数十年の人生がかかっている。それには入念な準備が必要で、手術の成功の90%は準備段階で決まる。と言っていた。
氏の手術に向かってのカウントダウンである限られた時間の中で行われる真摯な準備の姿に心を打たれた。

カウントダウンという「残された時間」の中で何をするか・・・。上の歌のように彼女を口説くのもよし、山髙医師の絶対に失敗しないために準備をするのもよし、そして中江兆民や正岡子規のように、死への準備をするのもよし・・・
さて、今の自分のカウントダウンの項目は、果たして何か・・・

150319kawa <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月17日 (火)

少年法の厳罰化「効果ある」78%

先日の日経電子版にこんな記事があった。
「(クイックVote)少年厳罰化、再発防止「効果ある」78%
       第215回 編集委員 佐藤賢
 川崎市の中学生殺害容疑で少年3人が逮捕されたことを受け、自民党内から少年法の見直し論が出ています。逮捕された少年3人は18歳1人と17歳2人です。20歳未満としている少年法の対象年齢の引き下げや罰則強化などが論点になります。
150317syounenhou  まずは少年法とはどんな法律なのか、見てみましょう。
 少年法は罪を犯した20歳未満の少年について、刑事処分や家庭裁判所の審判手続きを定めた法律です。「少年」を「20歳に満たない者」と定義し、法律の目的を「非行のある少年に性格の矯正、環境の調整に関する保護処分を行い、少年の刑事事件について特別の措置を講ずる」としています。
 少年に対する刑事処分か保護処分かの判断は、家庭裁判所に委ねられており、家裁が刑事処分が適当と判断して少年を再び検察に送致(逆送)すれば、起訴されて通常の刑事裁判で審理されます。
 この刑罰対象の低年齢化と厳罰化が進んでいます。2001年施行の改正少年法では、この刑罰対象年齢が16歳以上から14歳以上に引き下げられ、16歳以上による重大事件は原則、逆送とする規定が盛り込まれました。
 07年には、刑事責任を問われない14歳未満の触法少年への強制調査権が警察に与えられ、少年院送致できる年齢も14歳以上から「おおむね12歳以上」に引き下げられました。
 電子版読者の皆さんに少年法の内容を知っているか聞いたところ、「ある程度知っている」が71.7%で最も多く、「知っている」が19.5%、「知らない」が8.8%でした。
 ある程度知っているとした49歳の男性は「低年齢なら殺人しても死刑にならないというのは誰でも知っている」とコメントしました。
 知っているとした36歳の男性は「これほど知られている法律は他にないだろう。少年ならば誰でも知っている」との認識です。商法や民法などと比べれば、よく知られている法律かもしれません。
150317syounenhou1  厳罰化は再発防止などに効果があると思いますか。「効果がある」は78.0%で、「あまり効果はない」の22.0%を上回りました。
 効果があるとした50歳の女性は「見せしめのためにも厳しくすべきだ」と主張しました。あまり効果がないとみる66歳の男性は「衝動的な犯罪も散見され、厳罰化をしてもさほどの抑止効果があるか否かは疑問」と語りました。
 20歳未満としている対象年齢を引き下げる少年法の見直しは必要でしょうか。「必要だ」は93.3%で、「必要ない」は6.7%でした。
 必要だとする人の意見を見てみます。
○「対象年齢は18歳に引き下げるのが妥当だ。18歳は大人」(68歳、男性)
○「法律が制定された戦後と現代は状況が大きく異なる」(37歳、女性)
○「選挙権も与えるならば、責任も取らせるようにすべきだ」(74歳、男性)
 必要ないとした63歳の女性は「年齢を引き下げることが解決につながるとは思えない。犯罪は心の問題」と指摘しました。
 川崎の事件のような凶悪な事件は目立ちますが、警察庁によると少年犯罪の件数自体は減少傾向にあります。少年による凶悪犯罪の再発防止には何が必要なのか。川崎の事件を検証し、幅広い視点から冷静に国民的な議論をしていく必要があります。」(2015/03/11付「日経電子版」より)

選挙権を18歳に引き下げようという動きがある。
言うまでもなく、権利(権限)と責任は表裏一体。選挙権を持つということは、一人前。つまり、それなりの責任も持つということ。
しかし、20歳以下は少年法で守られている。「光市母子殺害事件」(ここ)が良い例で、18歳になったばかりの被告が死刑になるかどうかが問題となった。

最近、少年による残酷な殺人事件が多い。「人を殺してみたかった」が代表例。そんな世間の風潮を踏まえてか、上の記事のアンケートでは、厳罰化で再発防止の「効果ある」が78%だったそうだ。
日本は、今まで「20歳から一人前のオトナ」という概念だった。もし選挙権を18歳以上に与えるのであれば、それは18歳以上をオトナとして認めるということ・・・
つまり少年法も一緒に改定して、18歳以上はオトナとしての扱いにすべきではないのか。
戦後の混乱期の「空腹に耐えられず、パンを盗んだ少年」と、今「人を殺してみたかった少年(少女)」を同一視できるとは思えない。
よって、「低年齢なら殺人しても死刑にならない」と一律的に決めるのではなく、オトナと同じ刑罰を与える“可能性もある”いう状態が、抑止力につながるのではないか?
例え、その適用例がゼロだとしても・・・。

150317hitch100 <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月16日 (月)

「医薬分業」について考える

だいぶん前の記事だが、「医薬分業」について、どうも気になる。
医薬分業、問われる意義 機能不全、費用かさむ
 患者が病院や診療所の外にある調剤薬局で薬を受け取る仕組みを「医薬分業」という。薬の専門家である薬剤師によって、医師が処方した薬の安全性や有効性を確認することが目的だ。ところが、この仕組み、本来の役割を果たさぬまま、費用がかさみつつあるという問題に直面している。
150316iyaku  患者がこれまでどのような薬を服用してきたか、また、それらの薬で副作用が出なかったか、などは重要な情報だ。調剤薬局は本来、これらの情報を基に患者に服薬指導をする。複数の薬の飲み合わせで相互作用が起こらないかにも気を配る。
 調剤薬局がこのような仕事をするためには、患者が処方されてきた薬の記録が必要だ。この記録管理などをきちんと実施すれば、薬局は公的医療保険制度から一定の報酬を得ることもできる。
 ところが、一部チェーンの調剤薬局が患者の薬情報を記録せず、患者に薬を渡していた。ドラッグストア大手ツルハホールディングスの子会社、くすりの福太郎(千葉県鎌ケ谷市)に続き、イオンの子会社、CFSコーポレーションが運営する調剤薬局でも発覚した。
 これらの薬局では条件を満たさずに報酬を受け取っていた疑いもある。本来の役割を果たさずに、利益だけを得ていたかもしれないのだ。
 かねて調剤薬局をめぐる疑問は指摘されている。
 例えば「お薬手帳」だ。調剤薬局に行くと、処方された薬の内容などを記載するための手帳を渡されることがある。複数の薬局に行く患者などは1冊の手帳に各薬局が出した薬の情報を記録していけば、すべての薬歴が一目でわかり、服薬指導なども実施しやすい。
 しかし、患者がすでに手帳を持っているか、また、必要としているかなどを確認せず、患者が来るたびに機械的に簡単な手帳を出す薬局もあるようだ。手帳への情報記入が一定の報酬を得る条件となっているためとみられる。これでは手帳がたまるばかりで、本来の機能を果たせない。
 健康保険などの公的制度を通して国民が使う医療費は年40兆円ほどに達する。このうちおよそ7兆円が調剤薬局に支払われる。厚生労働省の統計を見ると、診療費よりも調剤費の伸びの方が大きい年も珍しくはない。
 この市場を見込んでチェーン薬局の参入も相次ぐ。ただ、医療費の財源は国民が負担する健康保険料や税金。医療費抑制は大きな課題であり、利益だけを追求してよい市場ではない。
 限られた財源の中で医療の質を上げることも求められる。価格が安い後発薬の普及を進めたり、処方された薬の種類が多すぎるときは、医師と相談して整理することなどにももっと積極的に取り組んでほしいところだ。
 服薬指導や健康指導に真摯に取り組む調剤薬局も一部ある。それでも今の状況のままでは、「病院や診療所で薬も受け取ればよい」との声が強まっても不思議はない。
 土田武史・早大名誉教授は「関係者は患者・国民のために医薬分業はどこまで役立っているのかを見つめ直すべきだ」と話している。(編集委員 山口聡)」(2015/03/01付「日経新聞」p3より)

1年ほど前、久しぶりに行った大学病院で、薬局が無くなっていてビックリしたことがあった。いわゆる「医薬分業」である。敷地の外に、近くの薬科大が開設した薬局が出来、皆そこに薬を取りに行く。何とも不便になったものだが、その背景がこれらしい・・・

Netで見たら、こんな記述も見付かった。
「医科と歯科を合わせた診療日数×投薬率に対する処方せんの発行枚数でみた医薬分業率は72年にほとんどゼロ%だったが、2013年には67%にまで拡大した。」
「内服薬を7日分処方してもらって、薬局でお薬手帳を出してもらうと、院外と院内で料金はどう違うか。
院外処方だと、医療機関に払う処方せん料が680円、これに薬局に払う調剤料が350円、調剤基本料が410円、薬剤服用歴管理指導料が410円で合計1850円かかる。ところが、院内処方なら医療機関に払う薬剤情報提供料が100円、手帳記載加算が30円、調剤料が90円、処方料が420円、調剤技術基本料が80円で、薬局への支払いはゼロだから合計720円である(自己負担と保険部分を含む総額、規制改革推進室調べ)。実に2.5倍以上もの差があるのだ。」
「なぜ院外薬局が高いのかといえば、薬局は単に薬を調合して出すだけではない。複数の病院から処方せんが出ている場合に飲み合わせとか薬の飲み過ぎをチェックする。飲み残しがあれば医師と相談して、処方を変えるなど薬局独自のサービスを提供しているからだ、という。」(
ここより)

医療機関が薬で利益を得る、いわゆる「薬漬け医療」を避ける目的は、まあ分からないわけではないが、通常の医者通いでは、患者は不便さを感じる。
「お薬手帳」も、その成果として、どの程度の指摘が薬局から医師へフィードバックされているのか、どうも疑問だ。患者が「お薬手帳」をキチンと管理し、薬剤師がホントウにめくってチェックしている率はどの程度あるのだろう・・・。どうも建前先行で、患者は何冊もだぶついた手帳に翻弄されているようでならない。そして、いつも飲んでいる薬では、分かりきった説明を聞かされ、お金と手間の負担ばかり増えて困る・・・

やはり、真の解決策は、いわゆる「マイナンバー」、つまりICカードによる「個人番号カード」へのカルテや投薬情報の一元化ではないか・・・
カードにデータが入れば、医師は診察の段階で、他の投薬状況が分かり、薬剤師のチェックも不要。でもまあこれは、薬の飲み合わせを良く分かっている医師の存在と、ICカードの個人情報の管理が必要であり、それへの懸念は確かにあるが・・・。

ところで、医院の近くにある薬局。医院と薬局との関係はどうなっているのだろう・・・。
医院と薬局とが一対一という組合せも良く見る。まさにお抱え薬局み見えるのだが・・・

法律では、病院は特定の薬局へ患者を誘導してはならないと決まっているらしい。また、病院と薬局は原則として同じ建物、敷地内に併設してはならない、という規制もあるらしい。つまり建前的には、医院と薬局との間の利害関係はない。しかし、医院にとっては、近くに薬局がないと困るし、薬局も病院が流行ってくれないと客が減るので困る。これも建前は別にして、不思議な関係だ。

でも「医薬分業」の成果が、数字で表れていない現状を見ると、どうも自分には、医師会と薬剤師会とが政治と結託して、患者に負担を負わせているように思えて仕方がないのだが・・・

150316pisi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月15日 (日)

騒音の中でのスピーチ

先日の日経新聞に載っていた永田和宏氏のコラムに、いたく同感した。
立食パーティでの挨拶は 歌人・京都産業大学教授 永田和宏
 先週、かなり過激なことを書いたばかりだが、もう一度だけ余計なことを書く。
 パーティにもいろいろあるが、会衆が百人を超えると立食パーティとなることが多い。立食パーティでの挨拶、こいつはなんとかならないものか。
 乾杯に入るまではいいのである。みんなそれなりに前を向いて聞いている。しかし、乾杯も終わり、自由に懇談ということになると、食べ物を取りに行ったり旧知と話が弾んだりで、会場が底(そこ)籠(ごも)るようなざわめきに包まれる。その懇談にいよいよ油が乗ってきた頃、「それではまたご挨拶を」ということになり、次々に登壇してスピーチが始まる。しかし会場では、再び挨拶が始まるということにさえ気づかないで話し込んでいる人が大半。聞いているのは、舞台に近い十数人と主催側だけという始末である。
 話すほうは会場の騒音に負けじと思わず声のトーンを高くせざるを得ないし、聞く側はスピーチをしている方(かた)が気の毒で、話の内容に意識を傾ける余裕がない。
 主催者側としては、これこれの人には話してもらわないと失礼にあたるという配慮が当然あるのだろう。しかし、余程(よほど)の自己陶酔型のスピーカーでない限り、あの騒音のなかで、誰も聞いていない聴衆を相手にしゃべらせるのは、その方がよほど失礼。
 立食パーティでは乾杯前に数人の挨拶があり、以降はただ食べ、かつ飲み、そして会衆者同士が会談、懇談をする、それでいいのではないか。どうしても途中で挨拶をさせたければ、司会者が余程の強権を発動するか、巧妙に会場を鎮める、そのあとで始めるに如(し)くはないだろう。しかしまあ、これも余計なおせっかいかなあ。」(2015/03/11付「日経新聞」夕刊p1より)

実に良く分かる話である。
自分も現役時代、色々な会で挨拶やらスピーチをやらされたが、とにかく騒音の中でスピーチをするほどツライものはない。自分自身で段々と白けてきて、とても話が続かない。つまり、上の記事のような相手がほとんど聞いていない会では、自身でめげてしまい、話のトーンも落ちてきて、途中で止めてしまいたくなるもの。
逆に、どんな重要な会議でのプレゼンや、結婚式でのスピーチも、相手が静かに聞いてくれていると、段々調子が出て来て“乗る”こともしばしば・・・。

唯一、騒音の中でも何とか話せるケースは、一人でも自分の方を見て話を聞いてくれている人を見付けたときだ。その人を相手に話すと、騒音の中でも何とか無難に終えることも出来る。
そんな体験を何度かしているうちに、どんな騒音の中でも、誰かの挨拶が始まると、エチケットとしてわざとそっちを見て、うなずいてあげることにしている。自分もそうして欲しいので・・・

そんな経験からか、昔、部下の結婚式などのスピーチを頼まれると、必ず「やっても良いが、皆が酔っ払う前にやらせろ」と要求したもの。よって主賓など、ほとんどが最初の挨拶になってしまったが、でもワイワイの中での話に比べると、皆が聞いてくれているだけ、楽だった。
自分にはもうそんなスピーチの機会は少ないが、どんな会でも、話し手の立場になって、挨拶が始まったらちゃんと聞いてあげるようにしたいものだ。

150315yome <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月14日 (土)

「東京に多いオーケストラ~世界でも突出」

東京にオーケストラが多いとは聞いていたが、全国33のプロオーケストラのうち、10が東京にあるとか・・・
「(なんでも調査団)東京に多いオーケストラ 世界でも突出、音楽学校の集中が背景に
 プロオーケストラの苦闘ぶりを描いた新作映画「マエストロ」が人気を呼んでいる。交響曲を奏でるオーケストラへの世間の関心は相変わらず高いようだ。そこで、東京を中心とする首都圏のプロオーケストラ事情を探ってみた。
150314orche  首都圏にはプロオーケストラの数はどのくらいあるのか。日本オーケストラ連盟によると、加盟楽団の数は正会員・準会員合わせ国内全体で33。このうち12楽団が首都圏に集中する。12楽団のうち神奈川フィルハーモニー管弦楽団(横浜市)などを除く10団体が都内に拠点を構える。
 東京の楽団数は海外の大都市と比べても多い。主な楽団を数えるとニューヨークはニューヨーク・フィルハーモニックなど2団体程度、パリもパリ管弦楽団など4団体。多いといわれるロンドンとベルリンでも各6団体だ。
 人口200万人に1楽団。楽団数をめぐる人口当たりの指標として関係者の間でよく挙げられる数字だ。東京の場合、人口(1300万人)から見れば現在の約半分の6団体程度がほどよい数となる。
 なぜ、東京にはオーケストラが多いのか。「戦前から東京には演奏者養成の受け皿とな150314or る音楽学校が官立のほか私立が5校以上と多くあったことが背景にある」。同連盟専務理事の吉井実行さんはこう推測する。官立とは東京芸術大学音楽学部へと発展する東京音楽学校のこと。私立では東京音楽大学となる東洋音楽学校、国立音楽大学になる東京高等音楽学院などがあった。また、「聴くだけにとどまらず自ら演奏したがる日本人の国民性も関係しているのでは」という。その証拠にアマチュア団体は都内だけでも数え切れないほどあるというのだ。
 オーケストラの聴衆の数は近年、横ばいを続けている。現状への危機感から、現在の聴衆の中核である中高年層に代わる新たな客層を掘り起こそうと、若い女性や子供らを対象にした演奏会を開く楽団も増えている。日本フィルハーモニー交響楽団はこれまでに40年間、毎年夏に10日間ほどの子供向けコンサートを続けている。
 東京フィルハーモニー交響楽団専務理事の石丸恭一さんは「潜在需要を掘り起こす努力をすれば、今のプロオーケストラの数では少なすぎるくらいだ」と新規客層開拓の必要性を説く。
〈もっと知りたい〉
○国内楽団の最古参は1911年に名古屋で産声を上げた「いとう呉服店少年音楽隊」を起源とする東京フィルハーモニー交響楽団だ。NHK交響楽団の前身の設立は26年。東京都交響楽団は五輪記念で1965年に誕生した。
○楽団の合併もその後あった。東フィルが旧新星日本交響楽団と合併した2001年だ。新国立劇場のオペラ演奏を専門に手がける楽団の一本化を目的に、東フィルは新星と東京交響楽団に合併を呼びかけ、新星だけが応じた。」(2015/03/10付「日経新聞」p35東京版より)

最近でこそ、ほとんどコンサートに足を運ばなくなったが、若い頃は熱心に通ったもの。学生時代は、地元に来た楽団を聞きに行く位で、あまり聞くチャンスは無かった。それが就職と共に首都圏に住み始めてから、機会ある毎に行ったもの・・・
就職した1970年には14回、1971年には8回、それ以降も年に4~5回は行っていた。当時、三多摩コンサートというものがあり、立川などで安くコンサートに行けた。1972年には外山雄三/新星日本響で「第九」も歌った。
カラヤン/ベルリン・フィルを聞いたのが1970/5/20と1973/10/27。日フィルの小澤征爾による解散前のラストコンサート「復活」(1972/6/16)も聞いた。
それが結婚と同時に、仕事が忙しくなったこともあり、すっかりご無沙汰。だいたい子育てとコンサートとは、ちょっと距離がある。
現役リタイア後も、ほとんど行っていない。
それにしても、相変わらずのオーケストラ大国の東京。定演がどのくらい盛況なのかは知らないが、クラシック界がにぎやかなことは結構なこと。

歳を取ると、毎日がはやいとは良く言われる。どうもその原因は「イベント」の量の差ではないかと思うようになった。
先のコンサートを始め、若い頃は毎日がイベントだらけ・・・。毎週とは言わないが、スキーにも良く行った。今考えると、今日は飲み会、今日はスキー、今日はボーリング、今日はコンサート、今日はドライブ。今日はエレクトーンの練習・・・と、独身時代は毎日が濃密だった・・・
それに引き替え、今はイベントがわずらわしく、何も予定がないとホッとしたりする。まさにこれは加齢・・・
こんなオーケストラの記事を読みながら、「昔は良く行ったっけ・・・」と思い出に浸る一方、今の「予定がほとんど無い」状態は決して良くない!と気が付いて、焦る?この頃である。

150314konnyuu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月13日 (金)

「介護職の給料、なぜ低い?」

自動車や電機業界が、高額ベースアップをするというニュースが流れている。それに反して、介護現場での低給料がどうも気になる。
先日の日経新聞に、その仕組みが解説されていた。
「(エコノ探偵団)介護職の給料、なぜ低い?
専門性、理解されにくい現実 公定価格の上限も影響

 「介護の仕事に転職を考えているのですが、仕事がキツくてお給料も安いと聞きました」。会社員の女性の話に探偵の松田章司も頭を抱えた。「人手不足といわれますが、低賃金だとしたら理由は何でしょう。調べてみましょう」

 まず厚生労働省の統計を調べた。福祉施設の介護員の月給は2014年の全国平均が常150313kaigo 勤で21万9700円、訪問介護員(ホームヘルパー)は22万700円。全産業平均の32万9600円より約11万円低い。介護計画を作るケアマネジャーも26万2900円と全産業平均を下回っていた。
 非常勤ではホームヘルパーの時給が1339円と全産業の1041円より高い。ただ訪問軒数と実働時間に限りがあり、1日の平均労働時間(3.8時間)と月平均労働日数(16.1日)を考えると1カ月あたり約8万2千円。全産業は約9万2千円だ。
 勤続年数や学歴をそろえるとどうか。福祉分野の勤続5~9年では男性は高卒、大卒ともすべての年齢層で全産業平均よりおおむね低く、大卒の女性も低かった。高卒の女性はすべての年齢層で全産業平均と同等以上だった。

現場から不満の声
 「現場で働く人に聞いてみよう」。章司は奈良県内のグループホーム(認知症対応型共同生活施設)で働く介護福祉士の佐藤美枝子さん(仮名、46)に聞いた。月給は16万円前後。同県内の全産業の同じ年齢層の女性平均を7万円以上下回る。「入浴や排せつの介助、月4~5回の夜勤など仕事のわりに給料が少なすぎます」。佐藤さんは夫と2人の子どもの4人暮らし。「辞めたいと思ったこともありますが、利用者の『ありがとう』の言葉で続けています」
 専門職のケアマネジャーにも聞こうと、章司は神戸市で働く山下幸司さん(仮名、33)に会った。月給は20万円台後半。兵庫県の同じ年代の男性平均は31万5200円だ。「利用者にどこまで支援が必要か、身体や心理面の様々な情報を収集するなどしてケアプランを作るのが主な仕事です。今後も専門性を生かしたいのですが、今の給料で妻と2人の子どもを養うのは難しく、転職する可能性もあります」と山下さんは明かした。
 介護職の離職率は約17%に低下し、全産業(約16%)に近づいてきたが、有効求人倍率は1月に2.60倍(全産業1.14倍)だ。政府は4月から介護職員の賃金を月1万2000円上げる方針だが、不十分との声は多く、同じ介護分野でもケアマネジャーや生活相談員は対象外だ。
 「介護職の賃金はなぜ低いのですか」。章司が学習院大教授の鈴木亘さん(44)に会うと「そもそも介護報酬が公定価格であり、上限が決まっています」と指摘した。「施設介護は介護報酬の6~7割が人件費、訪問介護は9割が人件費です。サービス内容と価格を自由に決めて介護報酬を増やせればよいのですが、要介護度に応じサービス内容と介護報酬が決まっています。賃金を上げづらい現実があります」と鈴木さん。
 「4月の介護報酬改定で報酬全体は引き下げとなりました」と章司が言うと、鈴木さんは「賃金を上げるには保険料を上げて介護報酬を増やすか、他の有料サービスと一緒にした『混合介護』を認めるしかありません。ただその場合も労働者に直接届く方法にすべきです」と話した。

医療との両立を
 章司は全国老人保健施設協会の会長、東憲太郎さん(61)にも会った。「介護はかつて家族の仕事でした。浴室の掃除、ベッドメーキングなど誰でもできる仕事をする現場もあり、社会的地位、専門性が低いとみられているのではないか」と東さん。
 「賃金は労働生産性(付加価値)をもとに決まります」と話すのは成城大教授の河口洋行さん(49)。「現在も介護福祉士がたんの吸引などの医療ができますが、生産性向上のため1回の訪問で介護と関連する医療を同時にできるようにすべきです。ドイツでは介護士と看護師の協会が統一され、養成課程の共通化が進み、デンマークでは介護と医療の一部ができる新たな職種があります」と教えた。
 政府も質の高い介護ができるプロを育てるため、職員をレベル認定する「キャリア段位制度」を導入しているが、評価者が施設内部者であるなど客観性に疑問の声もある。
 「生産性といえば、施設介護職員1人あたりの利用者数には限りがあったはずだ」。調べると、制度上3人が上限だが、現状は平均2人となっている。全国老人福祉施設協議会の事務局長、天野尊明さん(35)は「職員の休憩と介護の中身充実のためには2人が限界です」と説明した。

ロボ実用化に時間
 「介護ロボットは活用できないのか」。特別養護老人ホーム「新とみ」(東京・中央)を訪ねると、利用者の車いすなどへの移乗で、職員の腰を支える装着式の介護器具を見せてくれた。運営する社会福祉法人シルヴァーウィングの常務理事、石川公也さん(58)は「負担軽減と効率向上が期待できます。ただ装着が大変で改善が必要です」と話した。また人間に似た介護ロボットも開発が進むが、実用化には時間がかかりそうだ。
 事務所で章司が「財源問題はありますが、生産性がキーワードです」と報告すると所長が一言。「君たちも生産性を上げれば昇給を考えよう」

(調査メモから)潤沢な内部留保、使えるか
 介護職員の賃金を巡っては社会福祉法人の内部留保に批判が出ている。
 財務省や厚生労働省によると、社会福祉法人が運営する特別養護老人ホームには約2兆円、1施設あたり3億円超の内部留保がある。修繕費などを引いても1施設約1.6億円に上る。4月の報酬改定で2.27%(約2072億円)のマイナスとなったのも、内部留保が理由の一つだった。
 特養の経営者らは「介護報酬は入金までに2~3カ月かかる。毎月の収入の2~3カ月分は最低必要」と主張する。特養の月収3カ月分は7千万~8千万円とされるが、それを差し引いても8千万~9千万円残る。社会福祉法人は原則非課税でもあり、「内部留保を介護職員の賃金に回せるはずだ」との声がある。
 ただ全ての社会福祉法人に潤沢な内部留保があるわけでなく、約14%の法人は内部留保がない。一部の法人が平均を上げているとの見方もある。
 また今回の改定では職員の賃金や職場環境の改善を条件にした加算金が1.65%(約784億円、月1万2千円)増えるが、一律の引き上げには疑問の声がある。京都市内のある特養経営者は「配分方法は法人に任されており、当施設は有資格者に重点配分する。全介護職員の給料を一律1万2千円増やすことはしない」と言う。介護分野の賃金引き上げについてはさらなる議論が必要だ。(経済解説部 福士譲)」(2015/03/10付「日経新聞」p28より)

やはりこの議論は難しい。話が一企業ではなく、大幅なベースアップは国全体の問題となるから・・・
低賃金の原因のひとつには、施設の収入が「要介護度に応じサービス内容と介護報酬が決まって」いるという公定歩合なので、どうしても作業に応じた報酬となり、個別の努力や効率アップによる報酬増がしにくい仕組みがあるようだ。
それに、支出側である国の社会保険の財政破綻の危惧もささやかれている。
国に金が無い ⇒ 公定価格による出費減 ⇒ 安い給料 ⇒ 人が辞めてしまう ⇒ 現場労働環境の劣化と、サービスの低下・・・
という負のスパイラルに陥っているとすると、とても簡単には収まらない。

これから我々団塊の世代が、お世話になる介護。
「お手上げ」で放っておくことも出来ない。海外の例を参考に、負のスパイラルから脱する妙案を考えたい所だが、さてさて解が見つかるのかどうか・・・
さっき見たテレビで、認知症になった親が暴力を振るう例が放送されていたが、家庭での介護の現場は、予想以上に修羅場。
少しでも支援の手を!!

150313omomi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月11日 (水)

お墓に求めるもの

今日、ホームセンターに行くと、お花売り場が大盛況。お墓に供えるお花がいっぱい・・・。そろそろお彼岸なのだ。

普段は、あまり気にしないお墓。でも、近親者が亡くなると、急にその存在感を増す。
我が家も同じ。親の世代が亡くなり、今度は自分たちの番…!?
お墓とは自分たちにとって、何? という素朴な疑問も湧く。
先日の朝日新聞に、こんな記事があった。

「(お骨の駆け込み寺)お墓に求めるもの考えて
 第一生命経済研究所・小谷みどり主席研究員/東京都

時代にあった埋葬とはどのようなものか。死生学が専門で、「変わるお葬式、消えるお墓」(岩波書店)の著書もある第一生命経済研究所の小谷みどり主席研究員(46)に、「お墓のゆくえ」を聞いた。

 ■お墓に関するあれこれ
 ①2013年は死体総数132万5144体のうち132万4766体が火葬された。火葬率は99.97%。
 ②「先祖とは」を複数回答で尋ねると、最も多かったのは「自分の親や祖父母などの近親者」(73.2%)。「自分の家系の初代または初代以降すべて」(50.3%)を上回った。
 ③「お盆やお彼岸にお墓参りをする」割合は76.9%。年齢が高いほど多いが、35〜49歳でも67.5%だった。
 ④都立小平霊園にある合葬墓の今年度応募状況で、遺骨での申し込み倍率4.2倍に対し、生前申し込みは27.8倍。
 ⑤「死期が近い場合の心配や不安なこと」を複数回答で尋ねると、「死ぬとどうなるのか、どこへ行くのかということ」は19.2%だった。特に男性で、自分の死を恐れる意識に影響を及ぼす傾向が出た。
 ⑥「自分の墓が無縁化すると思うか」という設問に、「いつかは無縁墓になる」「近いうちになる」は合わせて54.4%に達した。
 一方、合葬墓については、「自分は利用したくないが、継承者の問題から普及するのはやむをえない」と答えた人は49.3%。「友人や家族などと一緒なら利用してもよい」「知らない人と一緒でも利用してもよい」は合計で29.2%に達した。
 ※①厚生労働省集計。②③⑥09年の小谷氏調査。35〜79歳の男女584人が回答。⑤13年の小谷氏調査。50〜79歳の545人が回答。④都集計。

■「先祖祭祀」から「故人祭祀」へ
 ――お墓の歴史は。
 「子々孫々が一つの墓に入る『○○家の墓』の歴史は実は短い。一つの墓石の下に骨つぼをたくさん入れるのは火葬でないと無理。日本の火葬率は99%を超える=関連データ①。50%を超えたのは1935(昭和10)年です。火葬の普及の産物が『○○家の墓』と言えます」
 ――埋葬できないままの遺骨が増えています。
 「遺骨を祀(まつ)る身寄りがいない。お墓の継承者がいなくなって無縁になった。色んなパターンがあります」
 「お墓に入れたくない、建てたくないという理由で家に遺骨を置く人も多い。それは、死後の選択肢が増えたからでもある。いま、多くの人の感覚は、先祖祭祀(さいし)というよりも、『故人祭祀』。遠くの墓でお参りに行けないのであれば、身近に置いておきたいという気持ちが強い」
 ――故人祭祀に移ってきたのは。
 「『先祖の概念』を調べると、せいぜい自分から3代前までの顔を見知っている故人が先祖。辞書的な意味での『始祖から代々』という概念ではない=②」
 「火葬になって先祖代々の墓が普及し始めてから100年近く。ちょうど3代目になってきて、ほころびが出てきている。その一つが、後継ぎがいない問題。ライフスタイルが多様化し、生まれ育った場所で死ぬ人が少なくなった。戸籍上は子孫がいても、先祖の墓にある場所には誰も住んでいない状況が起きる。高度成長期以降に広がり、無縁化につながってきた」

 ■予定決まれば死の不安減る
 ――お墓も多様化しています。
 「故人を偲(しの)ぶ気持ちは、日本人は昔から根強い。お墓は多様化しているが、老若男女問わず、年1回は墓参りする人はいまだに多い=③。調査でも、『死んだ人が見守ってくれている』という感覚を多くの人が持っています。だからお墓がすごく大事。継承できない、守ってくれる人がいないという問題と合致して選択肢が増えてきた」
 ――合葬(合祀〈ごうし〉)墓が人気です。
 「合葬墓の特徴は、多くが自分の意思で申し込んでいること。都立霊園の倍率を見ても、生前申し込みの倍率が高い=④。合葬墓は継承を前提としない。『子供に迷惑をかけたくない』というのが、いまの高齢者に共通するキーワードです」
 ――祀ってほしいとは思っている?
 「『死の恐れ』についての調査では、死後の自分がどうなるのか、不安だと思えば思うほど、死ぬのが怖くなる=⑤。こんな葬式をしてもらえる、ここに眠ることになるという確証があれば、死の不安の軽減につながります」
 ――安心を得るには?
 「二つの立場があります。遺族として先祖の墓をどうするか。自分が死んだときにどこに入りたいか」
 「高齢者は前者の不安が大きい。先祖からの墓を自分の代で終わりにしては申し訳ないと思っている。でも、『○○家の墓』の歴史は短い。時代に合わなくなってきているだけの話。自分に合ったところに改葬できるようになればいい」
 「一方、自分が死んだらと考えたとき、『無縁』になる恐怖がある。だから、合葬墓や永代供養墓のニーズが高くなっている=⑥」
 ――ではどうしたら?
 「新しいお墓の考え方を受け入れていくべきだと思います。「○○家の墓」を守ろうとしても無縁にならないという保証はない。無縁になりたくないのであれば、永代供養のお寺でもいい。遺骨を収蔵する機能を重視するのなら、公営墓地の納骨堂にいけばいい。いまはいろんな選択肢がある。自分がお墓に求めるものは何かを考えてほしいと思います」 (聞き手・井上恵一朗)」(2015/03/07付「朝日新聞」第2多摩版p28より)

つらつらとお墓について考えてみる・・・。
「死んだら無、ゼロなので、そんなことはどうでも良い」という考え方がある一方、霊魂のイメージからお墓にこだわる人も多い。自分はどちらかと言うと、こだわる方かも・・・
代々のお墓が、自宅に近い人は、それほど悩まないで済むが、お墓が地方にある場合、または長子でなく、自分が入るお墓がない場合は、さてどうするか・・・と考えてしまう。

先日、同期の友人が、自分のガンが分かったときに、お墓を買ったと言っていた。我々も、そろそろお墓が身近な問題となってくる年代なのである。
お墓が無い場合、どんな選択肢があるか? もし先祖代々のお墓がある場合は、長子が継承するという建前はあるものの、いっそのこと皆が代々の墓に入ることにすれば、新築経費の節減といずれは廃れるであろう継承問題を、徳川家の御三家のように分散化させる手はあるかもしれない。しかしそれは兄弟たちがよほど仲のよい場合に限られるかも・・・。それは、親の死去と共に発生する遺産分割問題で、兄弟間の行き来が途絶える、という話はよく聞くので・・・。
子どもへの負担軽減のために、新築をしないとすると、都立霊園などが候補にあがる。でも一般埋葬でない場合は、20~30年後には合葬になるらしい。
合葬をどう考える? 死んだ後は、遺骨の始末だけなので、どうでも良い、と考えるか、それとも、死後も夫婦など近しい人と一緒にいたい、と考えるか・・・
それに、上の記事に、「こんな葬式をしてもらえる、ここに眠ることになるという確証があれば、死の不安の軽減につながります」とあるように、葬式は別にして、自分はここに眠る、と分かると何か安心するような気もする。
逆に、○○家の先祖とは関係のないヨメさんの立場からすると、見も知らぬご先祖さまと一緒はいやだ、という声もあるという。まさに感情、好き嫌いの話なので、考えても仕方が無い話・・・

また、「合葬墓は継承を前提としない。『子供に迷惑をかけたくない』というのが、いまの高齢者に共通するキーワードです」ともあるが、結局、親が合葬墓に入ると、その子も入る墓がないので、やはりその都度の合葬墓か・・・
子世代への“迷惑”のひとつは「奉讃会費」や「餓鬼料」などと呼ばれる管理費。公立の場合は安いのだろうが、一般のお寺の場合は、年額7,000円とか24,000円とか・・・。でも、1世代30~40年としても100万には届かない。その額をどう見るか・・・

何の脈絡もなく、ダラダラと書いてきたが、結局、“骨となった自分”をどうイメージするかの問題。
もし今、自分が判断すると、優先順位は①「近親者と一緒に(夫婦は必須)」②「出来るだけ骨壺のまま」残ると良いのかな・・・ナンテ考えている。
そもそも自分は、知らない人とワイワイするのが苦手なので、最終的に合葬されて、自分の右手の骨の隣に知らない人の頭の骨がある・・・ナンテ、イヤで、これでは死ぬに死ねない。
もっとも、お骨をどうするかを考えるのは残された人。自分の意志とは無関係に色々されるのがイヤだったら、ま、死なないことだけど・・・。
近親者の逝去が続き、「お彼岸」という言葉が身近になってきたこの頃である。

★上の記事と関係無いけど、前に書いた「大人に贈りたい絵本~「100万回生きたねこ」 」(ここ)という記事に、佐野洋子著「100万回生きたねこ」の朗読をアップしたので、良かったら聞いてみて下さい。(下にもアップ)

<朗読~佐野洋子著「100万回生きたねこ」>

150311neko <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月10日 (火)

TVドラマ「デート〜恋とはどんなものかしら〜」が終わっちゃう!?

フジテレビ系で現在放送されているTVドラマ「デート〜恋とはどんなものかしら〜」(ここ)が、いよいよ終盤に差し掛かってしまった。実に残念!
しかし、自分にとってこれほど放送を心待ちにしたドラマは、久しぶり。最近では断トツだな・・・

とにかくストーリー展開が今までに無くユニーク。意表を突く展開が次から次に・・・。作者は、視聴者を翻弄(!)して、さぞ愉快だろう。
実に他愛のないラブコメディーなのだが、なかなか目が離せない。念のため、ストーリーをwikiから引くと・・・
「内閣府の研究所で働く藪下依子は、30歳を目前にして父親から見合いを勧められる。しかし、恋愛経験が無く、結婚は相手との「契約」と捉える依子は、ことごとく見合いに失敗150310date し、結婚相談所に登録。一方、自身を高等遊民と自称する谷口巧は、女性と新しく出会うことで働く意欲を持って欲しいと願う幼馴染の島田宗太郎によって、勝手に結婚相談所に登録させられる。依子は巧のプロフィールに記載してある身長や生年月日などの数字が全て素数で構成していることに興味を持ち、デートをすることになる。
デートを重ねるうち、不器用ながら互いに気になる間柄となって行く二人だったが、その矢先、依子に想いを寄せる鷲尾豊、宗太郎の妹・島田佳織が割り込み、四角関係の事態となってしまう。」

代表的リケジョの、杏が演じる主人公・藪下依子は、まさにコンピューター人間で、感情というものがない欠陥性格。しかしそれを取り巻く人々は、皆人間性が豊か・・・。その対比が何とも面白い・・・
優秀な物理学者だった母親を演じる和久井映見や、特に父親を演じる松重豊が、実に普通のお父さんで、好感を持て、自分は好き。リケジョの娘との対比が実に愉快。
そして杏の相手役の谷口巧を演じる長谷川博己も、有り得ない高等遊民の役を飄々としてこなす。
その取り巻きが、優秀な役者揃い。風吹ジュンが演じる母親も、フットワーク軽く楽しいし、松尾諭と国仲涼子が演じる島田宗太郎、島田佳織という兄弟の幼なじみも個性的。
何よりも、あの沖縄の“ちゅらさん”の国仲涼子が、見事に美しい女優に脱皮していたのにはビックリ。
そして、主人公の二人と、国仲涼子の子ども時代を演じる子役たちが、どこから見付けてきたのか、オトナになったそれぞれの役者と雰囲気が似ている。まさにそれぞれの子ども時代を彷彿とさせる子役たちなのだ。憎い・・・

しかし場面展開は忙しい。番組が始まると、突然「現在」が突飛なく始まり、事情が分からずアレッと思うと、場面は2週間前に戻って、その背景が流れる・・・といった具合で、何とも風変わりな進行。しかも逆転に次ぐ逆転で、テンポの速いこと・・・

自分は、TVドラマはナマで見たことがない。全て録画を見ている。しかしこの「デート」だけは例外。(月)の夜が待ち遠しく、ついナマで見てしまう。こんな経験は今までに無い。
見ても、中味は言えない。カミさんが(火)のお昼ご飯を食べながら見るので、バラす訳には行かぬ・・・
このドラマ、カミさんに教えられて見始めたものだが、誰かが新聞に書いていた。「見ないと損!」。まったくその通り。
あと2回で終わってしまう。まあ、ストーリー的には、杏演じる藪下依子が人間性を取り戻し、相手役の高等遊民を名乗る谷口巧が、仕事を始めて終わるのだろう。
今まで見たことがない類のドラマに、年がいもなく楽しめたドラマであった。

150310nioi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月 9日 (月)

歌謡曲のハイレゾと、元気な還暦過ぎの歌手たち

先日、布施明のハイレゾ音源が発売されていることを知り、直ぐに買ってしまった。
1960年代の学生の頃から聞き始めた布施明は、まさに自分の青春の歌。その思い出の歌の数々をハイレゾで聞きたくて前に探したが、売っていなかった。それが最近発売になったようで、見付け、何のためらいもなく、3500円でDSD(Direct Stream Digital)の音源を購入。どの曲もさすがにファイルが大きく、それぞれ300~400Mもある。
さて、SONYのHAP-Z1ESに入れて聞いてみた感想だが・・・

自分の耳が衰えているせいか、CD音源との差が良く分からない・・・
新しい歌(録音)は、まあCDの“林”に対して、ハイレゾは“森”のように聞こえるが、1960年代などの昔に録音した音源は、その差が微妙・・・

そもそも自分は、CD時代になってCDフォーマット(44K/16bit)で録音したマスター音源は、ハイレゾ音源にはならないと思い込んでいる。しかしその前の時代のアナログテープでのマスターであれば、ハイレゾが楽しめると期待していた。
前に買った森山良子の1960年代終わりの音源のハイレゾも、テープヒスが増えたキライはあるものの、マスターテープの音だな・・・とは感じた。しかし今回購入したDSD音源は、期待とは違って、どうも自分の耳では良く分からない・・・
もしかすると、HAP-Z1ESのCD音源の改善で、DSD音源との差を縮めているのかも知れない??

でも安心感だけはある。「霧の摩周湖」など、散々聞いた音源だが、“これ以上の音質はない”と思って聞くと、何か安心する。
あとは小椋佳の初期の歌と、前川清やさだまさしも欲しい・・・。発売済みの山口百恵は、65曲で6900円だって・・・。とても高価で買えない。抜粋盤が出たら買う?? 喜多郎の初期の作品のハイレゾ化も期待したいが、無理か?
それに、香西かおりのハイレゾも欲しいが、これはCD時代になってからの音源しか無いだろうから無理か・・・
それぞれ、もし出たら、一応は買ってみるつもり・・・

話は変わるが、自分の青春時代に聞いた歌手が、今でも現役なのには驚かされる。
先日、BSフジで「森山良子コンサートツアー2014~2015 グレイテスト・ヒッツ」(2015/02/05放送)を見て、その声が現役と変わらないのでビックリ。森山良子67歳の声だ。それに布施明も「デビュー50周年記念コンサート」を開くという。
森山良子、布施明をはじめ、伊東ゆかり、森進一、都はるみ、五木ひろしなどは自分と同じ学年だし、ひとつ下では、前川清、井上陽水、由紀さおり、谷村新司らがおり、皆さん70歳が間近でも、まだまだ現役で、歌声もバリバリ。
先日、その極めつきであるNHK「小椋佳生前葬コンサート」(2015/01/20放送)を見た。これは小椋佳が4日間(2014/09/12~15)に亘って100曲を歌うという“凄まじい”もの。
小椋佳も70歳を迎え、そもそも4連ちゃんのコンサートに、体力が耐えられるかが問題だった。もともと素人出で、がんで胃の摘出手術をした小椋佳が、少し痛々しい姿や声ではあったものの、それをやりとげた執念はすごい・・・

自分と同年代の歌手も、還暦などとっくに過ぎ、もう70を迎える世代になってきた。それでも皆さんの元気には圧倒される。
それらベテラン歌手の歌を主に聞いているのは、同じ年代の我々。
時間とお金があって、ハイレゾを楽しんでいるのは、主にシルバー族なのでは??
レコード会社も、そのシルバー族が喜ぶ昔のアナログ音源をハイレゾ化してくれると、売れると思うのだが・・・
ま、自分も昔の音源探しなどをしながら、“元気に”昔の思い出にでも“浸ろう”か・・・
あまり生産的では無いけど・・・

150309ooji <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月 8日 (日)

イ・ムジチ合奏団/ホリガーの「雪の降る町を」

またまたFM放送で、自分にフィットする音楽を教えて貰った。イ・ムジチ合奏団と、オーボエの名手、ハインツ・ホリガーによる「雪の降る町を」である。

<イ・ムジチ合奏団/ホリガーの「雪の降る町を」>

編曲は日本人。雪の情景を表すのだろうか、弦のトレモロが少々気になるが、オーボエの音色が何とも美しい。
楽器の中で、自分はオーボエが好き。オーボエと言えば、映画「失楽園」のサントラ(ここ)が好き。何とも哀愁のある音色である。
このように、自分は日本の叙情歌をイージーリスニング風に編曲したものも、良く聞く。古くは、岩城宏之の「日本の抒情」とかいうレコードを買ってきたのは入社した頃で、45年も前の話。
そう言えば、」上海交響楽団の「荒城の月」(ここ)にも凝った。どれも日本人による編曲だが、聞き慣れた曲が、何故かハッとする音楽になる。
このイ・ムジチ合奏団は言うまでもなく、ビバルディの「四季」で日本では有名で、もう30回近く来日しているという。自分も若い時に二度ほどナマを聞きに行ったことがある。その弦の美しさに感動して、二度目行ったのだが、慣れたせいか、二度目はそう感動しなかった。
そのイ・ムジチ合奏団が、日本の四季を演奏したCDに、この曲は収録されている。
もちろんそのCDを手配したので、到着したらじっくりとイ・ムジチとホリガーの日本の四季を堪能することにしよう。

150308tama <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月 6日 (金)

「村山談話」と「小泉談話」を読む

先日の朝日新聞に、村山談話が出来た経緯の記事があった。
現政権は、「侵略」や「おわび」という文言を削ろうとしているが、その前提の当時の経緯と、村山談話、そして小泉談話の原文を確認しておきたい。

村山談話、おわび明記 戦後50年、草稿段階から「侵略」表現
 1995年8月15日の「村山談話」につながる動きは、6月9日の国会決議から始まった。
 侵略や謝罪の表現があいまいにされた決議に対し、首相官邸には落胆が広がっていた。「何のために社会党から首相が出たのか、悔しい思いだった」。村山富市首相の政務秘書官だった園田原三氏は振り返る。
 談話作成の検討は、国会決議前からあったものの、それは閣議決定された村山談話とは別のものだった。首相の演説などを担当する内閣参事官室が準備を進めていた。
 しかし国会決議が不調に終わり、村山首相や五十嵐広三官房長官は、より明確な外交メッセージの作成を決意する。書き手に指名したのは官邸で外交を補佐する外務省出身の谷野作太郎・内閣外政審議室長だった。同じく外務官僚で首相秘書官だった槙田邦彦氏は「歴史認識は外交問題と直結する。能力を考えても谷野さんしかいなかった」と回想する。7月上旬、村山首相は谷野氏に「一文を書いてくれ」と伝えた。
 谷野氏は、1週間ほどで草稿を書き上げた。当時の自民党や国会決議があいまいにしていた「侵略的行為」という表現を、最初から「侵略」と明記した。「私自身、『侵略的行為』という表現に強い違和感を持っていた」
 ただ、谷野氏は「おわび」の文言を盛り込むことをためらった。槙田氏も、草稿に「おわび」がなかったことを覚えている。谷野氏は「あの頃、すでに日中、日韓間の主題は謝罪ではないと感じていた」と語る。重要なのは歴史をゆがめることなく次世代に正しく伝えることだと考えた。
 槙田氏の考えは違った。「おわびという言葉を入れるかどうかは、世界が注目している。入れるべきだ」。五十嵐長官にこう進言し、その場にいた園田博之官房副長官もうなずいた。五十嵐長官からおわびを盛り込むよう指示を受けた谷野氏は、「最終的には政治判断に従った」。こうして村山談話の骨格が整った。
 詰めの作業をほぼ終えた8月7日午前。村山首相、河野洋平自民党総裁のほか、正副長官らが官邸に顔をそろえた。
 村山首相が文案を示すと、河野氏の表情がゆがんだ。「これはなかなか厳しいぞ」。国会決議ですら反発が出た党内を抑えられるのか。翌日に控えた内閣改造では、タカ派の平沼赳夫氏や江藤隆美氏らの入閣も内定していた。河野氏に不安がよぎった。
 自民党の空気を察してか、8日の内閣改造で官房長官に就いた社会党の野坂浩賢氏は、談話を閣議決定して政府の公式見解とすることを提案する。野坂長官は平沼、江藤両氏や島村宜伸文相らを一人ずつ回り、事前了解を取りつけたと著書「政権」に記している。槙田氏によると、改造前まで運輸相だった亀井静香氏も党内の説得にあたった。
閣議で読み上げ、異論出ず
 焦点は橋本龍太郎通産相の意向だった。大物閣僚である橋本氏は、戦後50年国会決議に反発した日本遺族会の会長も務めていた。橋本氏の説得には、村山首相が自ら動いた。
 8月11日、村山首相は首相執務室から橋本氏に電話をかけた。談話を説明すると、橋本氏は「現物を見たい」と言った。
 発表前の談話が通産省に届けられ、村山首相は返事を待った。間もなく、電話が鳴った。2人のやりとりは、「村山富市回顧録」に詳しい。
 村山「あの文案見てくれたか」
 橋本「見た」
 村山「異議はありませんか」
 橋本「別にないですよ。ただ強いて言えば、あの文章を見たら『終戦』と『敗戦』の二つの言葉が使われている。どっちか一本に絞った方がいいんじゃないでしょうか」
 村山「どっちがいいと思いますか」
 橋本「そりゃあ『敗戦』の方がいいんじゃないですか」
 談話には「終戦」と「敗戦」が1カ所ずつあったが、「敗戦」にそろった。槙田氏は「橋本さんのコメントは意外だった」と当時を振り返る。
 8月15日午前10時、官邸の閣議室。野坂長官の「副長官が総理談話を読み上げるので謹んで聞いてください」との発言に続き、古川貞二郎官房副長官が談話を読み上げた。
 古川氏の回顧録「霞が関半生記」に当時の様子が記されている。
 「僕は丹田に力を込めて読み上げた。閣議室は水をうったようにシーンとしていた。だれも発言しない。僕は心底ホッとした」
 午前11時。村山首相は、記者会見で談話への思いを語った。「謙虚に反省し、国民全体としておわびの気持ちを表すことが、50年目の節目に大事なことではないか」(藤原慎一)

 村山談話(全文)
 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳(は)せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難(ありがた)さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを二度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この二つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤(あやま)ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊(みたま)を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖(よ)るは信に如(し)くは莫(な)し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

 ■小泉談話(全文)
 私は、終戦60年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。
 先の大戦では、300万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。
 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。
 戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟(はいきょ)から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。
 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります。
 我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の7割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。
 国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後60年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。
 戦後60年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。
(2015/03/04付「朝日新聞」p4より)

安倍政権が意欲を示している戦後70年談話。それに世界の目が集まっている。
報道では、キーワードである「侵略」と「おわび」に焦点が当たっているが、じっくりとこの二つの談話を読んでみると、納得出来る部分が多い。
しかし今回心配されている安倍政権の談話。
自民党の萩生田総裁特別補佐は「やはり総理の、言うならば、専権事項としてやられたらよろしいと思います」(2015/02/09)と発言したとか…。これはアドバルーンであり、政権の本音であることは疑う余地もない。
もしこんな事が許されたら、まさに日本は独裁国家となってしまう。国民の大多数が考えていないことを、首相の主義主張によって、それが「日本の総意」となってしまう。まさにそれを狙った今の政治の動き・・・。
それに、安全保障を巡る矢継ぎ早の政権の過激な動きは、まさにあっけにとられてしまう。
「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」という諺があるが、まさにそれを地で行っている感・・・
日本はいつからこんな品性のないワンマン、独裁国家に成り下がってしまったのか・・・。

立花隆氏の「しばらく前まで、この国、本当にダメじゃないかと思っていましたが・・・」という言葉(ETV特集「立花隆 次世代へのメッセージ~わが原点の広島・長崎から~」(2015/02/14放送の34分頃より)が脳裏から離れない。
国民不在の、こんな政権の独走を許す日本は、本当に「もうダメかも知れない」・・・

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150306kotatu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月 5日 (木)

世界の教科書の中の日本

先日の朝日新聞に、世界の教科書の中で、日本についてどう書いてあるかの記事があり、興味深く読んだ。

<中国>
「8月15日、日本政府は無条件降伏をやむなく宣言し、9月2日、降伏文書に正式に署名し150305chugoku た。ここに至って、中国人民の抗日戦争は最後の勝利をついに獲得した」
「中国とアメリカの関係の緩和は、中国と日本の関係を直接推進した。1972年、日本の首相田中角栄が中国を訪問して、中国と日本両国の国交正常化の協定に調印した」
出典「中国の歴史 中国高等学校歴史教科書」(2004年)

<韓国>
「アメリカは初めは日本国王を裁判にかけようとしたが、日本の安定を優先して彼を処罰し150305kankoku なかった。しかしアメリカは日本の軍事大国化を防ぐために「平和憲法」をつくって日本が軍隊を保有できないようにし、いかなる名目でも戦争に介入できないようにした」
(靖国神社について)
「日本の東京にある神社。1978年からは東条英機などアジア・太平洋戦争を主導したA級戦犯を祀(まつ)っている。韓国はじめ周辺国は、侵略戦争を美化するものだと批判している」
出典「検定版 韓国の歴史教科書 高等学校韓国史」(2013年)

<ロシア>
「日本との戦争でロシアは停滞敗北を被った。(中略)軍事行動の進展中に、もっとも否定150305rosia 的な影響を与えたのは、敵の力の過小評価と、司令部の無能であった」
注)日露戦争についての記述
出典「ロシアの歴史 下 19世紀後半から現代まで ロシア中学・高校歴史教科書」(2011年)

<ドイツ・フランス>
「核兵器に頼らなければ、日本を降伏させることはできなかったのか? それともアメリカ150305doitsu は、莫大な費用を費やして開発した新兵器の破壊能力を試す機会を探していたのか?」
「原子力爆弾を受けた広島の黙示録的悲惨は、原子力時代の到来を告げた。広島産業奨励館の廃墟は、今日もなおこの悲劇の大きさを物語っている」
「広島に原子爆弾が投下される数週間前、サンフランシスコ会議で国連憲章が採択された。それまでとは違う世界を作り上げることができるのか?」
出典「ドイツ・フランス共通歴史教科書 現代史 1945年以降のヨーロッパと世界」(2008年)

(戦後70年 世界の教室から)過去を伝える、未来を考える 
考えさせる歴史教育を 近藤孝弘・早大教授(歴史教育学)
 歴史教育へのアプローチは国によって様々です。米国はマイノリティーに対する差別、英国は移民問題や独立機運の強いスコットランドなど、国内の多様性を学ぶことを重視します。一方、ドイツやフランスでは、戦火を交えたり占領したりした近隣諸国との関係を学ぶことに、より多くの時間を割いています。他方、中国などのアジア諸国は、ナショナリズムの色彩が強いと言えます。
 日本では、小学校、中学校、高校で計3回、歴史を教えます。小学生で無理なら中学か高校で覚えてほしいという考え方です。「鳴くよ(794年)ウグイス平安京」のように、細かい知識の定着を図るのが日本の歴史教育の特徴です。
 その基本的な方向性は、米英と独仏の中間とも言えますが、国内の多様性、国際関係の学習いずれも物足りない。教科書に朝鮮半島からの渡来人についての記述はあっても、短い。中国や韓国と歴史の共同研究も試みましたが、その成果はまだ限定的です。自分が考える「正しい歴史」を教えようとする姿勢が、相手国のナショナリズムと正面からぶつかってしまい、歴史学習を相互理解の場とするのを難しくしています。
 欧州では歴史の学力観が日本と大きく異なります。歴史を正解として学ぶことよりも、資料や歴史書を読んで歴史認識の多様性を理解し、それをどう表現するかが問われます。たとえば、ドイツの高校では、「ナチスによるユダヤ人らの大量虐殺はなぜ起きたのか」といったテーマを何時間もかけて考えさせます。
 米英独仏に共通するのは、政治教育の一環として、近現代史を重点的に学ばせることです。
 グローバル化に対応するためには、日本が世界やアジアでどういう状況に置かれているかを正しく知ることが重要です。なぜ、アイヌ民族や在日韓国朝鮮人が今のような形で暮らしているのか。なぜ米軍が沖縄に駐留しているのか。いくつかのカギとなるテーマについて様々な歴史学の見解を紹介し、考えさせるような歴史教育が求められています。(聞き手・伊東和貴)」(2015/03/03付「朝日新聞」p19より)

確かに、日本の歴史教育で、現代が語られることは少ない。そもそも学校では、縄文式から始まって、現代に届く前に授業が終わってしまう。
それで、今頃「池上彰の現代史講義」などを見て、ナルホド~と感心している。

しかし、教科書は重たい。
昔、下の息子の中学受験を一緒にやったことがある。その時、息子の知識の吸収に、ホントウに砂に染み込むような感覚を覚えたもの。つまり子どもの頭は真っ白で、何にでも染まる。それはある意味、怖ろしいこと。

そして最近の日本の教育は、アジア諸国のようなナショナリズムの方向に舵を切っているようで、心配。道徳の教科書問題も含め、政治が日本人の心の領域にまで差配するようになったら、時代がまさに戦前に逆行してしまう。

日本がたぶん教えていない「核兵器に頼らなければ、日本を降伏させることはできなかったのか? それともアメリカは、莫大な費用を費やして開発した新兵器の破壊能力を試す機会を探していたのか?」という視点を、遙か彼方のドイツ・フランスで教えているとすると、当事国の日本としては何ともみっともない。でもアメリカ合衆国・日本州としては、まあ、出来ないな・・・
国々の教育の方向は、そう簡単には変わらないものだが、日本の歴史教育も、良い意味で変わらないこと、つまり現政権の戦前への急激な逆行圧力に対して、屹立として変わらないことを祈るしか手は無いか・・・

150305enpitu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月 3日 (火)

「拝啓 これからガンになる皆様へ」

こんな記事を目にすると、つい読んでしまう。幾ら考えてもエンドレスの話なのだが…
拝啓 これからガンになる皆様へ
「期限付き」と「突然」、幸せな最期はどちら? 人の余命と「受け入れる決意」
森山紀之=東京ミッドタウンクリニック健診センター長 常務理事

その言葉は、ある日不意に言い渡される―。「がん」。次の瞬間、多くの人は「死」を初めて実感し、我が人生を改めて振り返る。今は日本人のおよそ半分が、なんらかのがんにかかる時代。がんをきっかけに診察室で繰り広げられる人間模様とともに、がん治療の最前線を歩み続ける医師が綴る、現代人に贈る生き方の道しるべ。

「なぜ黙っていた? 時間がもったいないじゃないか」
 もうずいぶん昔のことになりますが、ある財界人の最期に立ち会ったことがあります。がんが見つかった時点で、すでに余命は半年でした。当時、がんの告知は一般的ではなかったため、本人には知らされていませんでした。
 ところが、どんな理由があったのか本人の知るところとなり、私が呼ばれました。その人は、「死ぬのは全然構わない。でも、なぜ黙っていた? 時間がもったいないじゃないか、やることは山ほどあったのに。あとどのくらい生きられるのか」と、怒りが抑えきれないようでした。
 「あと3カ月です」―。私が正直に伝えると、一瞬息を飲んだ後に、「そのうち、(意識がある状態の期間として)どれぐらい使えるのか」と即座に聞き返しました。
 大したものだと思いました。一瞬で死を受け入れ、微動だにしなかった。そこから残された時間を余すことなく使い、「あっぱれ」としか言いようのない最期を迎えたのでした。
 現在のがん治療は、インフォームドコンセントが主流ですから、患者さんが希望すれば、余命がどんなに短くても、告知をすることになっています。
 何歳まで生きられるかはわからないけれども、まあ平均寿命くらいまでは行けるんじゃないか―。
 きっと多くの人たちは、こんなふうに自分の命の長さについて楽観的に考えているのではないでしょうか。そうしたところにいきなり「余命」を宣告されたとしたら、動揺するのは無理もありません。

「余命が分かる期限付きの死」のほうがいい
 以前、ご紹介した、「がんは百人百様」(関連記事:「がんの専門医でも、答えられないあの質問」)であるのと同じように、がんの受け止め方も百人百様です。先の財界人のような受け止め方ができる人もいる一方で、泣きわめく人、誰かのせいにしないと気が済まない人、「なんで俺ばかりがこんな目に」と悲嘆に暮れる人…もいます。
 もしもこの先…、自分の「余命」を知ることになったら、次のように考えてみてはいかがでしょうか。
 「死ぬまでの間に猶予が与えられたのだ」と。残りが半年であれ、あと1年であれ、できうる限り「生」を全うすることに意識を向けてみるのです。
 そもそも、人間が迎える寿命を「死」から見てみると、2つに大きく分けられます。それは「余命が分かる期限付きの死」と、心筋梗塞や脳梗塞といった血管アクシデント、不慮の事故などによる「余命が分からない突然の死」です。いずれのケースもたくさん接してきた私からすると、前者のほうが、後者よりも「圧倒的にいい」と言えます。

心筋梗塞で倒れた父が遺した言葉
 「突然の死」に対しては、本人はもちろんですが、周りの人たちにとっても何も準備ができていません。不幸にもこうしたことが起こってしまうと、残された人たちは大変なことに巻き込まれることが少なくありません。当の本人は「死んだから関係ないよ」と冗談半分で言うかもしれませんが、例えば、会社の経営者だったり、一家の大黒柱だったりすれば、遺された社員も家族も、その後の対処方法や人生設計に窮するといった話は珍しくないのです。
 じつは、私の父は、私が高校生の時に亡くなりました。ある日、心筋梗塞で倒れ、幸いにも一命は取りとめ、その後1年間ほど生きながらえました。闘病している父に、「死にそうなときって、どんな感じなの? すごく苦しがっていたけれども」と、こんな質問をしたことを覚えています。
 父は私の問いに対して、「そんなに苦しくなかったよ。意識がもうろうとしていて、苦しいことが分かっていないんだから。それより、もしこのまま死んだら、お母さんには迷惑をかけ続けたなぁ、まだ高校生のお前がかわいそうだなと思っていたよ」と答えました。
 そのまま死に至らなかったからこそ、こうした言葉を私に遺せたのだと思います。もしも、父があのまま目を開かなかったら、死に対する考え方も含めて、私は今の自分とは違う人間になっていたのではないかとさえ思います。

「死を受け入れた」からこその長生き、回復
 さて、話を「2つの死」に戻しましょう。
 多くの人が「がん」と聞けば、真っ先に「死んでしまうのか」「余命はどれぐらいあるのか」と考えてしまうでしょう。命の陰りにおびえたり、やりどころのない不安にさいなまれたりするのも当然です。一方で私は、「人間として死を受け入れることは、とても意味がある」と考えています。
 もちろん、がんは早期の発見と治療で、統計的にもかなり治る確率が高くなりつつある疾患です。ですがその一方では、かなり進行していたり、手術が成功しても再発したりするケースも少なくありません。「絶対に治る」とは言えないのががんでもあることは、前回もお伝えしました。
 医師として患者に向かって「死を受け入れなさい」とは決して言えません。ですが、それを見事に受け入れて、余命を輝かしく生き抜いた患者さんたちを、私は数多く見てきました。死を受け入れ、残り少ない時間だからこそ大切に使おうと前向きな決意をした人の中には、その後、驚くほど長生きしたり、場合によっては奇跡的に回復したりする例が少なからずあります。私もそうした多くの患者から、「生きることとは何か」といった哲学的な学びを得ました。

余命2週間の女性が夫とうなぎを食べに行った理由
 思い出すのは、肝がんの末期だった60代の女性のことです。余命が残り2週間ぐらいになっても、まだ元気で普通に食事ができる状態でした。
 彼女から突然、「先生、主人と3人でちゃんとしたところでうなぎを食べに行きたいのですが、お付き合いしていただけませんか?」と言われて、夕食をともにしたことがありました。食事をした翌日、「うなぎがお好きだったのですか」と彼女に言葉をさしむけたら、次のように答えました。
 「そうではありません。主人はいつも忙しくて、私と一緒にゆっくり過ごしてくれることがありませんでした。だから、最期に1回だけ主人とゆっくり食事をしたかったんです。ちゃんとしたうなぎ屋だと、うなぎをさばくところからはじめるので、時間がかかると思って。昨夜の主人は、優しい目で私の話を聞いてくれて、今まででいちばん素敵でした。もうこれで思い残すことはありません」
 人はいつか死を受け入れなければならない。「余命が分かる期限付きの死」は「突然の死」と比べれば、自分の命を自分で全うできる“幸せな死”だというのは、いささか誇張が過ぎるでしょうか。(まとめ:平林理恵=ライター)」(
2015/2/23「日経Ggooday」ここより)

なぜ自分はこんな記事が気になるのか…。それは、自分がガン宣告を受けたときのための予行演習!? 訓練!?
最近、我々夫婦の両方のお袋さんが相次いで亡くなり、世代的に自分たちに順番が回ってきたせいか、カミさんと、それぞれが死んだ後の話がよく出る。自分が先に逝ったら・・・、という、残った人への“指示”。
まあ一番重たいのは、夫婦で入る墓の話だが、これは根が深いので、論を避ける。
次いで、財産!? これもほとんど“残金”が残らないので、心配は不要か…
すると何が心配? もうここまで来ると、そうそう心配事も無いか・・・。 ⇒するとストレスは無い? ⇒すると長生き!? いやいや体の老化は、そう甘くない・・・

自分は、病気やガンの原因は長期のストレス(心配事)ではないかと思っている。つまり、長期のストレスの結果が、ガンの宣告につながり、そしてガンの宣告を受けると、それがストレスになって、さらに病状が悪化して、”直ぐに”死ぬ・・・。それが自分の将来の姿のように思う。ま、それまでは、気楽にblogでも書くさ・・・

死への準備、というと、前にも何度か書いたが、親父の死に様(ざま)を思い出す。死に様と言っても、親父は友人と麻雀をしながら脳出血で急逝したので、たぶん本人はラッキーと思ったのでは?と思う・・・
でもその後、遺品整理をした兄貴の話によると、そうとう整理されていたという。日頃、「大事な物は、このバックに入っているから」と親父から皆が言われていたので、その有り場所も知っていたし、中の書類も整理されていたので、亡くなったあとの整理では、困らなかったらしい。
さてさて自分・・・。上の記事とは異なり、気が弱い自分は、「余命が分かる期限付きの死」よりも「余命が分からない突然の死」の方を強く願うので、その「突然」がいつ来ても大丈夫なように、準備しておかねばならぬ・・・

話は飛ぶが、先日、自分の唯一のメル友(昔の同僚)とのチャット。
友「…その翌日から私は入院し、先週末退院して現在自宅療養中です」
私「入院? どうしたの?」
「軽いガンでした。3キロ減りました」
「手術? 内視鏡? それで治ったの?」
「治ったと思うよ。先月からCTや内視鏡で検査して判った。大腸ポリープは無し、あとは脳のチェックのみ。(エムズ)さんもやった方がよいですよ」
「脳の検査は、必ず何か出るので、絶対に受けません」

唯一のメル友から来た「軽いガン」になったというメール。“軽い”がん!? 「それで治ったの?」「治ったと思うよ」
自分も、このような“軽いノリ”で自分のガンを語ることが出来るようになれば、自分も成長したな、と思うのだが・・・。まあ、その悟りの境地はほど遠いな・・・

150303iya <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年3月 1日 (日)

「残業代ゼロ」制度は必要か?

「残業代ゼロ」法案が2016年4月の実施を目標に、進められている。自分は頭から否定していたが、ちょっと冷静になって、下記の新聞記事を元に、双方の言い分を確認しておきたい。
「(争論)「残業代ゼロ」制度は必要か 棗一郎さん、大内伸哉さん
労働者1人あたりの平均年間総実労働時間/働き方はどう変わる?
   労働時間の規制が適用されず、残業代もつかない新しい働き方、ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)が導入されそうだ。これは労働者の命と健康を脅かす危険な制度なのか、それとも日本の将来にとって必要な自由な働き方なのか。
 ・割増賃金は残業を促すか
 ・WEで柔軟な働き方が可能か
 ・労働時間規制に例外は必要か

【×】労働者支配、命と健康脅かす 弁護士・棗一郎さん
 労働基準法は法定労働時間(1日8時間、週40時間)を定め、使用者は原則として法定労働時間を超えて労働させてはならないとしています。例外的に、労使協定を結んで法定労働時間を超える労働をさせた場合には、その補償として残業時間に応じた割増賃金を支払う義務を使用者に課しています。法定労働時間制は世界標準のルールです。「岩盤規制」などではありません。
 新制度は、その規制の適用除外となります。政府は2007年に管理職手前の人を対象にしたホワイトカラー・エグゼンプション(WE)を提案しましたが、世論の猛反発を受けて国会上程を断念しました。今回は高度プロフェッショナル制度と呼んでいますが、ごまかしです。労働時間規制の原則を適用除外するという制度であることに変わりありません。
 適用除外には、今でも経営者に立場が近い管理職に適用される「管理監督者」がありますが、深夜労働の規制はかかります。新制度はそれもなくなるので、深夜労働にも歯止めがかかりません。
 「残業代ゼロ」と言われていますが、問題の本質はお金ではありません。いくらでも長時間働かせて、労働者の時間を際限なく奪うことができ、割増賃金を払う必要もなく、労働者の時間を支配できることにあります。
 使用者には、労働者の命と健康を守る安全配慮義務があります。しかし、新制度では、150301zangyo1 労災の過労死認定基準である毎月80時間以上の時間外労働を命じても合法です。対象者が働きすぎで過労死しても、使用者の責任を問えないことになってしまいます。
 柔軟な働き方が必要だといいますが、すでに裁量労働制やフレックスタイム制などがあります。こうした働き方をしている人はすでに5割を超えています。グローバル化で企業活動が24時間行われているというなら、交代制にすればいいではないですか? 新制度が必要な理由になりません。
 実際に働いた時間と関係なく成果に応じた賃金のみを支払うことで、ダラダラ残業が減り、皆早く家に帰れるようになって、長時間労働がなくなる、というようなことはありえません。残業の一番の原因は、所定労働時間内では終わらない過大な業務命令やノルマです。長時間労働がなくなるかどうかは、業務量の多寡です。労働者が業務量を自分でコントロールできるかどうかで決まるのです。
 わざと所定時間内に仕事を終わらせないで、残業代を稼ごうとする不良労働者がいるなら、所定時間内で終わらせるように命じればよいだけです。規制を外す根拠になりません。今でも多くの企業が成果主義賃金制度を導入しています。それなのに、残業はなくならないし、長時間労働もなくなっていないではありませんか。
 年収1千万円以上の労働者であれば、長時間労働による過労死や過労自殺をしても仕方がないということにはなりません。
 新制度では本人の同意が必要とされています。しかし、成果主義賃金体系のもとで新制度の適用を断ったら、賃金は上がらないし、昇進もできなくなるでしょう。拒否できるわけありません。採用の際の労働条件となってしまえば、合意しなければ就職もできないことになります。合意だけでは駄目だから、憲法で労働者の権利が認められ、労働法で一律に規制するようになったのです。
 新制度は、日本で働く労働者の命と健康を脅かす危険なものであり、過労死を助長する“過労死推進法”です。
     *
 なつめいちろう 1961年生まれ。日本労働弁護団常任幹事。日本マクドナルド店長の「名ばかり管理職」訴訟で原告側代理人を務めた。

【○】制約ない働き方が成長に貢献 労働法学者・大内伸哉さん
 ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)を議論する時は、労働時間規制の全体像を考えなければいけません。
 現在の規制には長時間労働による健康障害という問題があり、強化すべきところがあります。一方、工場で働くようなブルーカラーを念頭につくられてきた規制がそぐわない労働者がいるという現実もあります。規制を強化した上で、規制にふさわしくない人は対象から外す発想が必要です。
150301zangyo2  法律は1日8時間、週40時間を超える労働を禁止していますが、労使協定を結べば実質的に制限がありません。また、残業した超過分には企業に割増賃金というペナルティーがかかりますが、割増賃金は労働者には報酬的な側面があり、長時間労働を促進する要因になります。
 大切なことは、割増賃金に頼らない規制に変えることです。これ以上働かせてはいけないという絶対的上限の導入や、休息を確実に取らせることなどが解決方法になると思います。
 しかし、指揮命令に忠実に従うのではなく、知的な創造力を生かして企業に貢献する人がいます。そういう人にとっては、労働時間規制はそもそも不要です。特に、割増賃金という形で報酬をもらうのではなく、よい成果を上げて基本給や賞与、さらには昇進という形の報酬が良いと考えている労働者にとっては、時間の制約は余計な規制です。こういう人がWEの対象になります。
 WEにふさわしい労働者に適用される限り、長時間労働をするかどうかは本人の判断に委ねられます。日本の経済成長にとって必要な創造的な働き方は、時間に拘束されない自由な働き方から生まれてくると思います。寸暇を惜しんで働いて、大きな成果を上げた人の長時間労働は問題とされてきたでしょうか?
 WEは、自分の仕事の遂行に裁量があることが絶対条件で、働き方の自律性がポイントなのです。きちんと限定すれば範囲はむやみに拡大しません。むしろ、日本経済の課題はWEが適用されるような労働者が少ないことではないでしょうか。
 企業も、WEを残業代の節約ができる制度だと考えてはいけません。本来の賃金でどうやって労働者に創造的な仕事をしてもらうか。インセンティブ(動機付け)を考えることが重要です。WEから何かがすぐに生まれるのではありません。賃金制度の創意工夫を労使に委ねるための制度なのです。
 実際にWEが適用されるのは、仕事の遂行に裁量が大きく、賃金が成果型の労働者です。裁量労働制と重なりますが、現在の制度は使い勝手が悪いので、「管理監督者」も含む統一的な適用除外の仕組みを考えるべきです。
 政府案は、年収のような働き方と無関係な条件で範囲を限定しようとしている点に問題があります。健康確保対策が中途半端に入っていることも問題です。WEにふさわしい自律的な働き方をする人は休息も自己判断でとるべきです。法は強制ではなく、本人の希望に応じて休息をとれるようにすべきでしょう。
 今の労働法は、労働者を弱者と位置づけ、保護するという発想が強すぎます。強くなれなかった労働者に対するセーフティーネットも大事ですが、労働者が労働市場で自分を売り込む力を高めるよう、自立を促す考え方も必要ではないでしょうか。
 (聞き手はいずれも編集委員・沢路毅彦)
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 おおうちしんや 1963年生まれ。神戸大学大学院法学研究科教授。著書に「労働時間制度改革」「解雇改革」(いずれも中央経済社)など。
 ◆キーワード
 <ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)> 一定の条件にあてはまるホワイトカラー労働者を、労働時間規制の対象から外すこと。「残業」という考え方がなくなり、法定労働時間より長く働いたり、深夜や休日に働いたりしても、割増賃金は支払われない。政府は、高い専門的知識があり、年収1075万円以上の人を想定した新制度をもうけるため、労働基準法の改正を目指している。」(2015/02/14付「朝日新聞」P37より)

このグラフをみて、オヤッと思ったことがある。日本は長時間労働の国だとばかり思っていたが、何と米国よりも労働時間が少ないのだ。
まあそれはそれとして、この二つの論を読んでみても、やはり自分は反対派だな…
自分も“ベテランサラリーマン”だったが、「成果」というのがくせ者。変幻自在なのである。本人が充分な成果を挙げたと思っても、上司は「まだまだ…」。成果が営業売上のように、数字で捉えられるのであれば、はっきりする。しかし、それ以外は、何をもってその人の「充分な成果」と言えるのかが難しい。もしその年に「充分な成果」を挙げたとしても、次の年には、それ以上の目標を与えられるのは普通。会社は、幾らでも「充分な成果を挙げていない」状態にする事が出来る。
これは目標管理制度についても同じ。何を目標にするのか…。それを正しく運用するには、上司の高度のスキルが必要であり、これも現実は成果をあげるのは難しい。
残業代が労働者の給料を補填する現実はその通り。ダラダラ仕事で残業代を稼ぐ人もいるだろう。しかし、それをさせないのが、上司の仕事。

建前的には、残業は予定以上の仕事が入ったときに行うもので、原理的に発生するのは人件費だけになるため、本来は会社は残業が増えれば増えるほど儲かるのが仕組みのはず。
しかし、中小企業では、残業代は仕事の有る無しには関係無く、「固定費の増」という捉え方から、年度初めに部門毎の残業費の上限を予算化、配分しているのが現状。その結果、労働者は仕事が幾ら増えても、残業代は頭打ち。そして仕事には顧客があることから、代休を取る前提で残業時間を会社に貸す。その結果、休んでも「有給休暇」は使わずに「代休」の連続になり、結果「有給休暇制度」は、誰も取れない有名無実の制度になりかねない。

どんな会社も法は守る。しかし、何らかの法が制定されるや、それに対して知恵を絞って“有効活用”することは必定。そしていったん制度がスタートすれば、時間と共に適用範囲が拡大解釈されていくことも必定。
このような「高級な制度」は、超大企業のように上司も部下も超優秀な会社ならともかく、普通の会社では到底運用はムリだと思うのだが…。
大企業に優しく、中小企業の労働者には厳しい、相変わらずの安倍政権ではある。

●メモ:カウント~700万

150301pressure <付録>「ボケて(bokete)」より

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