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2015年2月の22件の記事

2015年2月28日 (土)

「皇太子さまの会見発言 憲法への言及、なぜ伝えぬ」

昨日の朝日新聞の「池上彰の新聞ななめ読み」は、先の皇太子の記者会見についての話である。

「(池上彰の新聞ななめ読み)皇太子さまの会見発言 憲法への言及、なぜ伝えぬ
 記者会見に出席し、同じ話を聞いたはずの記者たちなのに、書く記事は、新聞社によって内容が異なる。こんなことは、しばしばあります。記事を読み比べると、記者のセンスや力量、それに各新聞社の論調まで見えてくることがあります。
 2月23日は皇太子さまの誕生日。それに向けて20日に東宮御所で記者会見が開かれ、その内容が、新聞各社の23日付朝刊に掲載されました。
 朝日新聞を読んでみましょう。戦後70年を迎えたことについて皇太子さまは、「戦争の記憶が薄れようとしている」との認識を示して、「謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と指摘されたそうです。
 また、今年1年を「平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」と話されたそうです。
     *
 同じ記者会見を毎日新聞の記事で読んでみましょう。こちらは戦後70年を迎えたことについて、「我が国は戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」と述べられたそうです。
 皇太子さまは、戦後日本の平和と繁栄が、日本国憲法を基礎としていると明言されたのですね。以前ですと、別に気にならない発言ですが、いまの内閣は、憲法解釈を変更したり、憲法それ自体を変えようとしたりしています。そのことを考えますと、この時点で敢(あ)えて憲法に言及されたことは、意味を持ちます。
 いまの憲法は大事なものですと語っているからです。天皇をはじめ皇族方は政治的発言ができませんが、これは政治的な発言にならないでしょうか。
 ところが、憲法第99条に、以下の文章があります。
 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と。
 皇太子さまは、憲法のこの条文を守って発言されているに過ぎないのですね。
 でも、憲法擁護義務を守りつつ、「憲法は大事」と伝えようとしているのではないか、とも受け取れます。それを考えると、宮内庁と相談しながらのギリギリのコメントだったのではないかという推測が可能です。
 こんな大事な発言を記事に書かない朝日新聞の判断は、果たしてどんなものなのでしょうか。もちろんデジタル版には会見の詳報が出ていますから、そちらを読めばいいのでしょうが、本紙にも掲載してほしい談話です。
 他の新聞はどうか。読売新聞にも日本経済新聞にも産経新聞にも、この部分の発言は出ていません。毎日新聞の記者のニュース判断が光ります。
     *
 こうなると、他の発言部分も気になります。朝日新聞が書いている「謙虚に過去を振り返る」という部分です。このところ、日本の戦争の歴史の評価をめぐって、「謙虚」ではない発言が飛び交っていることを意識されての発言なのだな、ということが推測できるからです。皇太子さまの、この言外に含みを持たせた発言を、他紙は報じているのか。
 毎日新聞と日経新聞は報じていますが、読売新聞にはありません。産経新聞は、本記の中にはなく、横の「ご会見要旨」の中に出ています。
 日経新聞は、「謙虚に過去を振り返る」の発言の前に、「戦後生まれの皇太子さまは天皇、皇后両陛下から折に触れて、原爆や戦争の痛ましさについて話を聞かれてきたという」と書いています。天皇ご一家が、戦争の悲惨さと平和の大切さを語り続けてこられていることがよくわかる文章です。朝日新聞の記事では、こうした点に触れていません。記者やデスクの問題意識の希薄さが気になります。」(2015/02/27付「朝日新聞」より)

自分は格別皇室について意見を持っているわけではないが、こんな記事を読み、日本の将来のことを最も良く考え、憂えているのは、“交替のない”天皇や皇太子ではないかと思うようになった。
我々庶民は、日本の将来について、幾ら考えても憂えても、それほど影響力がある訳ではない。しかし皇室は違う。先の戦争を経て、日本の平和を願うのは、皇室の最大の願いではないかと思うからである。そんな視点で、この記事を読むと意味深い。
各新聞のスタンスはさておき、この記事に取り上げられた、皇太子の記者会見での回答を改めて読んでみよう。

<皇太子殿下お誕生日に際し(平成27年)~皇太子殿下の記者会見>
会見年月日:平成27年2月20日

問2 今年は戦後70年の節目の年です。戦争と平和への殿下のお考えをお聞かせください。先の大戦や戦没者慰霊については天皇,皇后両陛下からどのようにお聞きになり,愛子さまにはどう伝えられていますでしょうか。

皇太子殿下
先の大戦において日本を含む世界の各国で多くの尊い人命が失われ,多くの方々が苦しい,また,大変悲しい思いをされたことを大変痛ましく思います。広島や長崎での原爆投下,東京を始め各都市での爆撃,沖縄における地上戦などで多くの方々が亡くなりました。亡くなられた方々のことを決して忘れず,多くの犠牲の上に今日の日本が築かれてきたことを心に刻み,戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め,平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。そしてより良い日本をつくる努力を続け,それを次の世代に引き継いでいくことが重要であると感じています。
両陛下には,これまで様々な機会に,戦争によって亡くなられた人々を慰霊し,平和を祈念されており,今年は,戦後70年に当たり,4月にパラオ国をご訪問になります。戦後60年にはサイパン島をご訪問になりましたが,お心を込めて慰霊されるお姿に心を打たれました。また,両陛下には,今年戦後70年を迎えることから,昨年には広島,長崎,沖縄で戦没者を慰霊なさいました。私は,子供の頃から,沖縄慰霊の日,広島や長崎への原爆投下の日,そして,終戦記念日には両陛下とご一緒に黙祷(とう)をしており,その折に,原爆や戦争の痛ましさについてのお話を伺ってきました。また,毎年,沖縄の豆記者や本土から沖縄に派遣される豆記者の人たちと会う際に,沖縄の文化と共に,沖縄での地上戦の激しさについても伺ったことを記憶しています。
私自身もこれまで広島,長崎,沖縄を訪れ,多くの方々の苦難を心に刻んでまいりました。また,平成19年にモンゴルを訪問した際に,モンゴルで抑留中に亡くなられた方々の慰霊碑にお参りをし,シベリア抑留の辛苦に思いをはせました。
私自身,戦後生まれであり,戦争を体験しておりませんが,戦争の記憶が薄れようとしている今日,謙虚に過去を振り返るとともに,戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に,悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。両陛下からは,愛子も先の大戦について直接お話を聞かせていただいておりますし,私も両陛下から伺ったことや自分自身が知っていることについて愛子に話をしております。
我が国は,戦争の惨禍を経て,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が,日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し,平和の尊さを心に刻み,平和への思いを新たにする機会になればと思っています。」(
ここより)

天皇はどう言っているのか・・・。2ヶ月前の、天皇誕生日の記者会見で、同じような質問に答えている。

<天皇陛下お誕生日に際し(平成26年)~天皇陛下の記者会見>
会見年月日:平成26年12月19日

問1 ・・・・また,来年は戦後70年という節目の年を迎え,両陛下のパラオご訪問が検討されています。改めて先の戦争や平和に対するお考えをお聞かせください。

天皇陛下
・・・先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう,常により良い日本をつくる努力を続けることが,残された私どもに課された義務であり,後に来る時代への責任であると思います。そして,これからの日本のつつがない発展を求めていくときに,日本が世界の中で安定した平和で健全な国として,近隣諸国はもとより,できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう,切に願っています。」
ここより)

まったく同じ質問に対して、質量とも、皇太子が一歩踏み出して発言していることが分かる。
まるで政府が作ったような当たり障りのない天皇の発言に対し、将来の“自分の時代”として、より将来を考えているであろう今回の皇太子の発言は、ギリギリの自分の意見の発露なのかも知れない。

夕食後、NHK「歴史秘話ヒストリア~天皇のそばにいた男 鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相」(2015/02/25放送ここ)を見た。昭和天皇が鈴木首相と共に、陸軍500万人を抑え、終戦に至った道を描いている。
何度も見ている御前会議の御聖断ではあるが、今更ながら上の皇太子の発言も、昭和天皇が経験した戦争への反省の歴史を踏まえての発言のように思える。
しかし、「憲法改定を行った初めての総理大臣」という歴史に残る名誉欲のために、そして自身の野望のために、選挙で勝ったことを根拠に軍国主義に突っ走る安倍内閣・・・。
そして幾ら対抗馬が居ないとしても、結果としてそれを選んだ最も責任ある国民。

各新聞の、原文からの“チョイスの思惑”については、既に論ずるに値しないが、今回の“朝日の論調を気にしない”であろう「池上彰の新聞ななめ読み」で、(自分の勝手な深読みとしても、)皇太子の良識ある歴史観を垣間見ることが出来、皇太子が日本の将来(=現状の日本の危うさ)を憂えていることがよく分かった。
(安倍首相は、幾ら皇太子が諫(いさ)めても、聞く耳を持たないであろうが・・・)

150228nabi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月27日 (金)

「こわい夢」

自分は夢をよく見る。だからこんな記事もマジメに読んでいる。
こわい夢 千早茜
 悪夢体質である。
 とにかく頻繁に悪夢をみてうなされる。それもひどい時には一晩に幾つもみる。
 世の中の人々が一体どれだけ夢をみているのかは知らないが、夢占いやフロイトの夢判断などがあることから考えれば、みんなそこそこ夢はみるものなのだろう。昔飼っていた犬でも寝ながら吠(ほ)えたり足をばたばたさせていたりしていたので、人間がみていなかったらなんだかちょっとさみしい。
 けれど、周りの人に訊(き)いてみると、私くらい一晩にたくさん夢をみている人は多くはないようだ。私は基本的には一晩に四つ五つくらい夢をみる。まったく夢をみない晩はほとんどなく、少なくても二つか三つはみる。一度、夢日記をつけようと思ったことがあったが、夢があまりに多く、ひとつひとつが長いので面倒になりやめた。
 何かの本で読んだ情報によると、人は一晩にかなりたくさんの夢をみているが覚えていないことが多いそうだ。とすると、私は夢においては異様な記憶力が発揮されていることになる。しかし、残念ながら平素の記憶力はどうもぱっとしない。寝る前に明日やることをメモに書いて仕事机の上に置いておかなくては、次の日は何からはじめたらいいのか途方にくれるくらい頼りない記憶力だ。どうも記憶の容量を夢に取られているような気がする。悔しい。
 私の夢はいつもフルカラーで、匂いや感触まである時がある。楽しい夢ならいいのだが、悪夢だとひどい思いをすることになる。悪夢は暴力的なものが多い。戦場にいたり、怪しい人間に追われたり傷つけられたりする。ここには書けないような凄惨な目に遭ったりもする。感覚がある夢の時だと恐ろしく痛い。おまけに、夢というのは不思議なもので一定のパターンがあり、なにやら不穏な気配を感じて「あっこれはまずい展開になるやつだ」と気付いても、自分の選択で夢の結末を変えることができない。「嫌だ、怖い」と思いながらも、定められた受難へと突き進んでいく。一度、腕をナイフで切り裂かれた夢をみて、あまりの痛みに叫びながら跳び起きると、片腕だけが熱くなっていたことがあった。休息のために寝ているのに、起きて鏡を見ると目の下には隈(くま)、ということもたまにある。ちょっと脳よ勘弁してくれよ、と思う。
 悪夢は本当に疲れるし、あまりに濃厚だとどっちが現実かわからなくなり、一日のはじまりがどんよりとしたものになる。ただ、けっこうバラエティに富んだ不幸や災難を夢で経験しているので、そういったものに対する耐性はついたと思う。それでも、怖くて仕方ない夢はある。小さい頃は父が死ぬ夢だった。その夢をみてしまうと、震えながら父の部屋へと暗い廊下を走った。父は寝ていても仕事をしていても、私の背中をぽんぽんと叩(たた)いてくれた。叩くリズムは心地良く、大きな手は温かく、私は深い息をついて安堵した。温(ぬく)もりだけは夢にはない。自分の体温が自分では感じられないように、さすがの脳も人の温度は作りだせないのかもしれない。
 今はうなされると夫が手を握ってくれる。悪夢は辛いものだけど、そばにいる人のありがたみと日々の平穏さを教えてくれる気がする。とはいえ、みないに越したことはないのだが。(作家)」(2015/02/17付「日経新聞」夕刊p7より

自分も夢を見る大家。だから夢の話題には事欠かない。1年前にも「怖い夢」(ここ)という同じような記事を書いている。でも懲りずにまた書く・・・

朝起きて、カミさん相手に夢の話をするのは日常。今朝の夢は、亡くなったお袋や伯母が登場。なぜか前に住んでいた家で、居るはずのない兄貴が引っ越しの整理をしている。自分も一緒になって、古いテレビなどを、捨てる捨てないの作業・・・。まあ夢はワケが分からない。

自分が顔を洗いながら、忘れる前に夢の話を始めると、カミさんはいつも「何? 今の話は夢の話? 黙って聞かなければいけない?」・・・。「もちろん聞かなければいけない!」と無理に聞かせる。まあそれは覚えている物語なので話せる。しかし上の記事のように、自分も一晩で幾つもの夢を見るので、朝その全部を話せる訳ではない・・・
いわゆる悪夢は、「これは夢だな。起きれば逃れられる」と意識して、無理に目を覚ますこともある。その時は「ああ、夢で良かった」とホッとする。逆に、楽しい夢では「ああ、これは夢だな。続きを見たいな・・・」と、目が覚めそうになっても、無理をして眠って続きを見ようとしたこともある。少しだけだが、夢も意識でコントロール出来そうな所が面白い。

今朝のように、亡くなった人が夢に出てくることもある。親父はほとんど出て来なかったが、昨年お袋が亡くなってから、親父も“お袋とパック”で出てくるようになった。内容的にはどうって言う話では無いが・・・

人には霊感の強い人がおり、その人は霊を見ることが出来ると言う。ウチの長男もそんな一人。昨年お袋が亡くなったときも夢に出てきて、自分に対する文句を言っていたそうな・・・
そして先日亡くなった義母も、夜、自室で見えたという。
その息子の話を聞いて以来、夜中にトイレに行くときに、怖くなっている。トイレの前の廊下の常夜灯のそばに誰かが出てくるような気がして…。おお、怖っ!!
カミさんに言うと、「前兆でゾゾッとするらしいので、それが無ければ出て来ない」と言うが、なぜが怖い…。それに、さっき、「お墓の刻印ができたら気にならなくなった」と言うと「四十九日が過ぎるまでは、この辺をうろちょろしているよ」ナンテ言いやがる。

夢を見るのは、眠りが浅いためだという。でもなかなかそれを治すわけにも行かず・・・
これも加齢とはいえ、たまには夢を見ないでぐっすりと眠りたいものである。

150227conveni <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月26日 (木)

「黒い屍体と赤い屍体」~立花隆と画家・香月泰男

NHK Eテレ、ETV特集「立花隆 次世代へのメッセージ~わが原点の広島・長崎から~」(2015/02/14放送ここ)を見た。その中で紹介されていた、画家・香月泰男の「赤い屍体」についての話に衝撃を受けた。(動画はここ

この番組の中で、香月泰男の作品「一九四五」について、ナレーターはこう言う。
「・・・描かれているのは、中国からシベリヤへ向かう鉄道の線路脇にうち捨てられていた日150226katuki 本人の屍体です。生皮を剥がれ、筋肉を示す赤いスジが全身に走った赤い屍体。教科書の解剖図の人体、そのままの姿だった。憎悪に駆られた中国人に殺されたに違いないと、香月は述べています。」
そして立花隆は言う。
「日本人は、すごく悪い加害者的な行為を中国人に対してしてきたので、戦争が終わった途端に(中国人が)手近な日本人をつかまえて生皮を剥いだりしたという、歴史的事実があった。香月さんは車窓から見たその屍体を「赤い屍体」と名付けて、日本人が加害者だったということをみんなが忘れてしまっていることが、香月さんの絵をずっと描かせ続けたひとつの動機ではないか」

香月泰男(立花隆)著「私のシベリヤ」より
「日本に帰ってきてから、広島の原爆で真黒焦げになって転がっている屍体の写真を見た。
黒い屍体によって日本人は戦争の被害者意識を持つことができた。
みんなが口をそろえて、ノーモア・ヒロシマを叫んだ。まるで原爆以外の戦争はなかったみたいだと私は思った。
私には、まだどうもよくわからない。あの赤い屍体についてどう語ればいいのだろう。赤い屍体の責任は誰がどうとればよいのか。再び赤い屍体を生み出さないためにはどうすればよいのか。
だが少なくともこれだけのことはいえる。戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、黒い屍体からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない。」

そして立花隆は、
「この問題提起というのは、どうも日本人というのはあの戦争が終わった後、あの戦争の話というと、日本中に黒い屍体が転がっている話ばかりして、ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキというスローガンをただどなっていれば平和がくる、という感じでいるが、それはちょっと違うのではないか」
と指摘している。
それにしても、人間の生皮を剥ぐという行為は、あまりにむごい。日本は、それほどの憎しみを生むほど、中国に残虐行為を行ったということだ。それが、日本が行った戦争の原点。

番組の中で、立花隆が、欧州で前に「第一次大戦の最後の兵士が亡くなった」というニュースが流れたと言っていた。そして日本では今、「最後の被爆者が亡くなった」という日も近い、とも。
段々と、先の戦争の記憶が薄れて行く。
そして一方では、こんなタイトルの記事が流れている。

戦後70年談話、安倍カラーへ地ならし 有識者懇が初会合
・・・1995年の終戦記念日に旧社会党出身の村山富市首相が発表した戦後50年談話は、過去の植民地支配と侵略を痛切に反省し、心からおわびすると記した。2005年、当時の小泉純一郎首相の戦後60年談話はそのときの表現をほぼ踏襲した。
 安倍首相の談話が過去の談話の表現をどこまで残し、何を加えるかが焦点だ。両談話を「全体として引き継ぐ」としているが、「植民地支配と侵略」や「心からのおわび」といったキーワードの維持に慎重だからだ。
 25日に示した5つの論点をみても首相が重視するポイントは明確だ。まず「戦後日本の平和主義や経済発展、国際貢献への評価」であり、「米中韓などとの間で歩んだ和解の道」を踏まえた「21世紀のアジアと世界のビジョン」だ。侵略にもおわびにも触れていない。・・・」(
2015/02/26付「日経新聞」ここより)

ここで言う「有識者懇談会」とは何か?
「知恵蔵2015」の「集団的自衛権の有識者懇談会」(ここ)にもあるように、安倍首相は見直し賛成派の論客を懇談会のメンバーにそろえて…」なのである。

国民からみて、有識者懇談会など、何の意味もない。税金を使って、ただただ首相の論を正当化するだけの会合。そんな傀儡の会議に“有識者”のメンバーもよく付き合うものだ。
しかし、日本は確実に戦争、いや結果としての侵略(「赤い屍体」を生む戦争)に向かって突き進んでいる。専守防衛から踏み出そうとしている。

立花隆は、カナダ人の旧友の、こんな話も紹介していた。
冷戦時代、カナダには米国の迎撃ミサイル基地が数カ所あった。それは核兵器を積んだソ連の爆撃機をカナダの上空で打ち落とすため、アメリカがカナダに1963年核ミサイルを配備。しかし打ち落とせば、カナダは核の被害を受ける。そのカナダの友人は、カナダ政府に対して反対運動を展開し、1961年に核配備に反対する国民は18.5%だったが、1966年には43.9%にまで増やし、1969年にカナダ政府は国内にある米国のミサイル基地を決断したという。
国民の意思で政治は変えられる。それが民主主義だ。と…

つまり今、日本が戦争へ突き進んでいる道も、国民の意思で止められるのである。
止めるのも、政府の動きを放置して戦争への道を拓くのも国民。
「赤い屍体」を再び繰り返さないため、我々が唯一持つ1票の重みと、国民の意思の表示を、もう一度再認識したい。

150226soudesuka <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月25日 (水)

時計の精度に思う…

先日の日経新聞にこんな記事があった。
「ニュースな科学 時計の誤差、もはやない?
 今年は7月1日午前9時前に、3年ぶりに「うるう秒」が加えられる。1秒の定義のもとになっているセシウム原子時計と地球の自転にズレが生じるためで、累積で1秒になる前にうるう秒が設定される。
150225tokei  セシウム原子の振動を利用する今の原子時計で生じる誤差は3000万年に1秒以内だ。14世紀初めに北イタリアで作られた機械式の時計は1日に30分~1時間もずれていた。教会などの高い塔に設置し、つり下げたおもりが少しずつ落ちていく力で歯車を回す。
 17世紀後半に振り子時計が誕生し、一気に精度が高まった。その少し後、細い金属が渦巻き状になったひげぜんまいで動く時計が発明された。現代のぜんまい式時計は部品を精密に加工するとともに、温度で伸び縮みしにくい金属を使うことで、誤差を1日に10秒以内に抑えている。1920年代には水晶の細かな振動を使って時刻を計るクオーツ時計が開発され、大きく精度が上がった。
 今は原子時計よりも正確な「光格子時計」が登場している。原子を振動させる光の周波数を物差しにしており、東京大学のチームが10日、160億年以上で1秒という世界最高の精度を達成した。時計の進歩は刻々と進んでいる。」(2015/02/13付「日経新聞」p35より)

時計の精度も随分と上がったもの…。
ウチの時計は、ほとんどが電波式。世の中に電波式が出た当初からその正確さが好きで、これを買っている。
1997年にSEIKO初のソーラー電波腕時計(M615)が出た時も、つい買ってしまった。これは直ぐに電池が切れて、いちいち照明で充電するのがわずらわしく、ほとんど使わなかった
それに引き替え、壁掛けの電波時計は、価格も安く、時刻の誤表示も無いので、安心して使っている。

先日、突然腕時計が欲しくなった。今使っているのは13年前に買った単なるクオーツ。別に壊れた訳ではないが…
自分は非常に思い込みが強く、デザインが「グランドセイコー」風なのが好き。この際、高価だがグランドセイコーを買おうかと思って、店で手に取ってビックリ。その重たいこと…。あっと言う間に熱が冷めた。
どうせ買うなら、やはり電波時計だな。ソーラーは「光にあてる」手間があるので、普通の電池式がよい。そして、日付表示は必須で、出来たら曜日の表示も欲しい。これからサンデー毎日になったら、「今日は何曜日?」が必要になるはずなので・・・
今使っている13年前の2万円の腕時計は、電波式で無いことを除くと、自分にピッタリなのだが、探してもこれの“電波式”が…、無い・・・。電波式は全てソーラー。
そして、SEIKOでは、デザイン的に「グランドセイコー」っぽいものは、曜日の表示がない。そしてやっと探し当てたのが、シチズンの製品。結局これを買ってしまった。デザインはいまひとつだが、曜日表示付きの電波式は、この機種しか見つからなかったので…

これを買って1週間。ふと時計を見ると、何と時刻が30分も遅れている。電波の受信もNG。買った時計屋に聞くと、「基準位置がずれているのだろう」と言う。これには参った。使っている時に、基準位置の変動によって時刻表示が“ずれる可能性”があるとすると、常にその心配をしなければならず、安心して使えない。表示を信頼できない。
結局、メーカー返送で、内部の機械(ムーブメント)の交換の修理になった。
まあ今のところ無難に動いているが、電波時計は原理的に衝撃などによって基準位置のずれは発生するらしいので、たまに確認する必要がありそう…
今まで使っていた腕時計も、ほとんど時刻合わせをすることなく、特に不便は感じていなかったが、改めて電波時計と比べてみると、月に2~3秒は進むようだ。
ま、遅れるよりは進む方が良いが…。でも今回電波時計に変えたので、これからは正確だ・・・

現役時代と違って、それほど時刻にうるさく無くなったこの頃。年齢からして、もう買い換えることは無かろうと思う、腕時計談義ではある。

1502250girigiri <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月24日 (火)

2015年の「サラリーマン川柳」入選作

今年も、第一生命の「第28回サラリ-マン川柳」の入選作100句が発表になった(ここ)。

ざっと見ると、時代と共に自分とかけ離れていくような気がする。つまり、流行語にちなんだ句が多いので、流行語にうとい自分は、付いて行けなくなってきたのだ。
でもまあ気を取り直して、自分にフィットした10句を並べてみようか…。投票はしないけど・・・。(番号は第一生命のリストの順番)

14) 本当の 子にも孫にも 振り込めず(日本エレキテナイ連合)
振り込み詐欺のニュースを見る度に、「皆さん、良くこれだけのお金を持っているな~」と感心する。我が家にも前に振り込み詐欺の電話があったという。「**だけど」という一声で、ウチの息子はそんな丁寧な口の利き方はしない、と直ぐに分かったという。
ま、分からなくても、そもそも振り込むお金が無い。ウチに電話をしてくる詐欺屋さんも、家の財産をもう少し研究してから電話を掛けてくるべき。

17) 湧きました 妻よりやさしい 風呂の声(湘南おじん)
これは確か。ウチのお風呂も、「もうすぐお風呂が沸きます」と「お風呂が沸きました」と言ってくれるのだが、なかなか優しい。もちろんウチの妻も優しいけど…!?????

23) 年老いて モトがとれない 飲み放題(ひとり爺(ジ)ッち。)
これも確か。シルバー族の飲み放題は、幹事の会計のめんどうくささからの開放では?と思っている。もっとも自分も、先日の同期会の幹事では飲み放題にした。私的な会合なら、絶対に飲み放題にはしないな…

35) 部屋がない ローン組むのは 俺なのに(下部父)
このテーマは時代を問わず普遍だね。単身赴任から帰ってみたら、自室が子どもに占領されていた…ナンテ言う話もあるらしい。自室は唯一安穏を得られる場所なので、必須。
そう言えば、先日コーヒー会でウチに来た同期の友人を、ハイレゾを聞かせるために、初めて自室に入れたら、「自分の部屋を持っているのか…。オレも作ろうかな…」なんて言っていたっけ・・・

38) パパお願い♪ ゴーストライター 子の宿題(ダラリーマン)
佐村河内氏のゴーストライター事件も、もう昔の話…と思っていたが、昨年の2月の話で、ちょうど1年前だったんだね。小保方事件と違って、こちらは過去の話となり、ホンモノの作曲者がテレビなどで活躍している。

39) あゝ定年 これから妻が 我が上司( 呼人(よびと)
この句の作者は幸せ者だ。ウチなんて、定年が見えて来たときから、カミさんはずっと上司。しかも、「サンデー毎日になったら、フィフティ・フィフティなので、家事も半分ずつだよ」なんて言われて、会社を辞めるに辞められない状態が続いている…

41) 「あなた来てー」 唯一の出番 虫退治(レリゴーッ)
この句の作者はエライ。虫を退治できるので…。自分など、「オーイ!ゴキブリが出たぞ~!」と二三歩後ずさりして、カミさんを呼ぶ。でも先日、夜中に見付けたときは、カミさんが寝た後だったので、仕方なく自力でスリッパで叩いた。自分も強くなったものだと自賛した。

46) リタイヤで 妻の偉大さ 今 わかる(読み人知らず)
この句の作者も、悟りが足りないな。リタイヤする前でも、「妻の偉大さ」は充分に分かっていなくては・・・。まして、よく聞く話だが妻の急逝で分かるなど、妻に失礼! 妻は結婚した途端に、偉大なのだ。(←コレ、決して褒めているワケではないのだが…)

59) 里帰り 孫が来るたび 諭吉去り(赤いチャンチャンコ)
早くそうならないかな~~。孫でもヨメさんでも、やはりあげるなら現金が一番では?
本当は、印象に残る“物”であげたい所だが、貰う方は、自分の好みで“物”を買いたいはずなので、キャッシュが一番。これはもう相手のことを思って割り切るしかない。

72) 8%(ハチパー)で 暗算できぬ 料金に(年金生活)
これもそうだが、平成になって、西暦との読み替えがまったく出来なくなった。昭和の時代は、1970年が昭和45年と、5の倍数だったので読み替えも出来たが、2015年が平成27年だと、計算が出来ない。
ま消費税だけは10%になれば、非常に簡単にはなるが、あまり嬉しくもなく…

総じて、昔のサラ川は面白かった。味わいがあった。それに引き替え、最近のサラ川は面白くない。
もっとも自分の“味わう実力の低下”のせいかも知れないが・・・

150224doudemo <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月23日 (月)

「ラーメンを食べると鼻水が出るのはなぜ?」

毎日、日経から飛んで来るメルマガ。そんな中で、こんな記事を見付けた。毒にも薬にもならない話だが(失礼!)、良いニュースの無いこの頃、ホッとするかも・・・

ラーメンを食べると鼻水が出るのはなぜ?
熱くても寒くても、辛くても出る鼻水の不思議に迫る

 寒い日が続くこの時期。ラーメンやうどん、鍋など、温かい食べ物が恋しい季節だ。ところで、こういった熱々のものを食べると、鼻水がズルズル出てくる人がけっこういる。ラーメン屋のテーブルによく箱ティッシュが置いてあるのも、この現象がかなり普遍的であることの1つの証といえるだろう。
 なぜラーメンで鼻水が出るのだろう。JCHO(ジェイコー)東京新宿メディカルセンター耳鼻咽喉科部長の石井正則氏は、主に2つの理由があると話す。
熱い湯気の刺激から粘膜を守る防御反応
 「1つ目は、熱い湯気を鼻水の気化熱で冷まそうとするラジエーター作用。熱さの刺激を和らげようとする反射的な反応です」
 体には、体内の環境をできるだけ一定に保とうとする働きがある。外気が暑くなったときに、汗をかいて体温を下げようとするのは、代表的な体温維持のメカニズムだ。同様に、鼻の中で「熱い!」という刺激を感じたときは、鼻水を出して熱を冷まそうとするのだ。
 そうか。熱さを感じた鼻粘膜が、汗をかいているようなものか。
 「逆に、寒い日に急に野外に出て冷気にさらされた場合には、冷たい刺激に反応して鼻水が出ます。いずれも、急激な温度変化を和らげ、粘膜を守っているのです」

1日に出る鼻水は1.5リットル
 鼻水は、普段から体を守るために働いている。1日に分泌される量は約1.5リットル。これが鼻粘膜の表面をまんべんなく覆って湿り気を保ち、吸い込まれた異物を取り除く。
 通常、鼻水の大半はのどの奥へ流れこみ、唾液などと一緒に胃へ飲み込まれる。湯気を吸い込んだときには量が増えるので、外にあふれるわけだ。
 さらに風邪や花粉症になると、鼻水の量が飛躍的に増える。これは、大量の花粉やウイルス感染といった刺激によって、炎症反応が起きるためだ。異変を感知した白血球などの免疫細胞が鼻粘膜に集まり、「ヒスタミン」という物質などを放出。この刺激で鼻水の分泌150223hanamizu 量が急激に増加する。同時に粘膜が腫れて鼻腔が狭くなるので、鼻詰まりも起きてしまう。
 「鼻水で細菌や花粉を洗い流し、“通路”を狭めてこれ以上の侵入をブロックする。防御反応の一環です」
 なるほど。細菌や花粉を追い出すのも鼻水。暑さ寒さから粘膜を守るのも、鼻水。実は、体のために頑張っていたんだな。
コショウの辛さで鼻水が増える
 さて、話をラーメンに戻そう。2つ目の理由とは何だろう。
 「ラーメンは、コショウやトウガラシなどで辛くしますね。辛いものを食べると、鼻水が出やすいのです」
 辛いから鼻水? 意外な結びつきにも思えるが、ここには自律神経の働きが関わっている。自律神経は、体の中のさまざまな機能を調節する神経で、主に体が緊張したときに働く交感神経と、主にリラックスしたときに働く副交感神経の2系統がある。鼻水をコントロールしているのは副交感神経だ。
 「辛いものを食べると、舌と胃粘膜にある辛味センサーが反応し、脳の中の『中枢自律神経線維網』というネットワークが反応します。すると、交感神経と副交感神経が両方とも活性化するのです」
 交感神経の働きで、汗が出る。一方、副交感神経の作用によって、唾液や消化液、そして鼻水の分泌が増える。辛さの刺激によって鼻水が増えるこの現象は「味覚性鼻炎」と呼ばれ、ラーメンのほかにも、カレーライス、スパイスが効いたスープや鍋などを食べたときによく起きるそうだ。
 「この反応は個人差があります。汗ばかり出る人もいますし、鼻水ばかり出る人もいます。両方が出る人もいます」

のどちんこを冷やせば鼻水は出ない?
 なるほど~。では、鼻水を出さない食べ方はないのだろうか?
 「コショウをかけすぎないのが基本です」と石井さん。さらに、こんな方法も教えてくれた。
 「食べる前に氷(アイスキューブ)をほおばり、舌でのどちんこの辺りにしばらく押し付けてキンキンに冷やします。こうすると副交感神経が麻痺して、まったく鼻水が出ません」
 ほぉ、そうなんですか。
 「ただし、口の中の感覚も麻痺するので、全然美味しくない。しかも、食べ始めるとすぐに口腔内が温まって、効果も消えます。実験としては面白いですが、実用的ではないでしょう(笑)」
 あー、それは残念。まあ、体がスパイシーな美味しさを感じているサインと受け止めれば、鼻水もそう悪くない気がする。寒い日は、鼻水をすすりながらホットなものをいただきましょう。(北村 昌陽=科学・医療ジャーナリスト)」(
2015/2/12付「日経Gooday」ここより)

自分も昼によくラーメンを食べるが、確かにティッシュで鼻をかみながらの“奮闘”。
そう言えば、どのラーメン屋にもティッシュがあるな・・・

それはそれとして、自分の鼻風邪による“鼻水のキレ”が悪くなったこと・・・。体の老化で、たかだか鼻風邪でも、“ヌケ”に時間が掛かるようになってきた。これは痰も同じ。
風邪を引いたときは、あまりにティッシュの使用量が多いので、トイレットペーパーを使うのだが、それも瞬く間に無くなって・・・
しかし何とか治って、鼻がスースーするときの気持ちの良いこと・・・
それにしても「1日に出る鼻水は1.5リットル」という量は半端ではない。鼻風邪や花粉症の時なら分かるが、平常時の1.5リットルは想像を絶する。唾液ならいざ知らず、自販機のペットボトル3本分。いやはや体の中の防御システムはスゴイ・・・

今日の関東の気温は20度位まで上がったとか…。春も近い。
何とか今年のインフルエンザも峠を越し、次は花粉症の季節!?

改めて、普通の状態(=健康=鼻水の無い状態)の有り難さが身に沁みるこの頃である。

150223syokupan <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月21日 (土)

新沼謙治の「南部牛追唄」

岩手県出身の新沼謙治が、杉並児童合唱団とともに歌う「南部牛追唄」を初めて聞いた。その編曲の妙もあり、素晴らしい出来である。

<新沼謙治の「南部牛追唄」>

「南部牛追唄」
 岩手県民謡(編曲:尼崎裕子)
 新沼謙治/杉並児童合唱団

田舎なれどもサーハーエ
南部の国はヨー
西も東もサーハーエ
金の山コーラサンサエー

今度来るときゃサーハーエ
持って来ておくれヨー
奥のみ山のサーハーエ
ナギの葉をコリャサンサエー

Netで探すと、こんなCDの解説が見つかった。
「「南部牛追い唄」(岩手)
    《田舎なれども 南部の国は 西も東も 金の山》
  岩手県は山が多く、物資の運搬には、力の強い牛が主に使われた。牛方たちは、沢内盆地の米を黒沢尻(北上市)や盛岡の南部藩の米倉へ運ぶために、三、四日も旅を続けた。その道中に唄ったのが「馬方節」に対する「牛方節」である。戦前は盛岡の星川萬多蔵が右手に青竹を持ち、床を叩きながら牛方の生活を唄いあげていた。戦後、弟子の福田岩月が舞台用のために、少し甘さを加えた。旋律が美しいために人気があるが、節回しを誇張したり、やたらに声を張り上げ、語尾を伸ばして唄うと牛がとまどう。」(
ここより)

何とも、平和な音楽ではある。

150221nobita <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月20日 (金)

「介護、官製賃上げに限界」

介護の現場は大変だ。非常に厳しい介護の仕事に携わる人には頭が下がる。
その介護の仕事の給料が安い。それについて、こんな記事があった。

介護、官製賃上げに限界
政府、スタッフ待遇改善めざすが… 大規模化で生産性向上必要

 介護スタッフに賃上げの春は来るのか。政府は2015年度から、介護スタッフの月給を平均1万2千円上げる方針を決めた。だが、過去のデータを検証すると賃上げがどこまで及ぶかは不透明だ。財政難が深まるなかで官製賃上げは矛盾がにじむ。全国30万施設の大半を占める零細事業者の集約で生産性を高め、賃上げ原資を捻出する方策が必要になりそうだ。
 「正直、アベノミクスの実感はない。賃上げに期待したい」。東京・世田谷の特別養護老人ホーム(特養)で働く介護福祉士(38)はこう話す。だが、賃上げへの道筋は視界不良だ。
認識と実態ズレ
 まずはデータから検証してみよう。政府はこれまでも介護スタッフの待遇改善に向け資金を投じており、厚生労働省は「09年度から累計で月3万円アップの効果があった」とする。ところが、13年の賃金構造基本統計調査をみると介護スタッフの月給は約22万円。全産業に比べ10万円ほど低い水準はほとんど変わっていない。
 ギャップはなぜ生じるのか。介護スタッフの賃上げでは勤続が1年延びるごとに賃金表に従って増やす「定期昇給」が8割近くと最も多い。賃金表そのものを書き換えて一律に水準を底上げするベースアップは1割どまりだ。
 一方、重労働で知られる介護の現場では2年未満で辞める人が全体の3割になる。都内の特養ホームの施設長は「3年たつと当初入ったスタッフは2割しか残らない」と明かす。短期間で転職したり辞めたりする構造そのものが変わらないと、賃上げ効果がなかなか現場に及びにくい。
 政府が決めた賃上げの枠組みもつぎはぎ感が強い。介護業に従事する人は約250万人とみられるが、賃上げの対象は7割を占める介護スタッフのみだ。介護に直接携わらないリハビリ専門職や調理師を対象外とするのは「現場の運営実態から離れた方策」(都内の特養の施設長)との声が根強い。
零細事業者多く
 政府は事業者の収入となる介護報酬を15年度から2.27%下げると決めた。介護費が約10兆円に膨らみ「財政(の悪化)を無視できない」(塩崎恭久厚労相)ためだ。減収で経営難になる事業者は介護スタッフの賃上げに取り組みにくい。むしろ「人件費を抑えるためにボーナス削減などが進み、待遇は良くならない」(特養の業界団体、全国老人福祉施設協議会幹部)との声も出る。
 介護の需要は増えているのに財源は乏しく、賃上げの効果が及ぶかわからない。八方ふさがりの感があるが、首都圏で介護事業を手掛ける大手企業の役員は「政府に頼らずに取るべき手はある」と指摘する。大規模化を進めて生産性を高める方向に活路を見いだす戦略だ。
 この会社は傘下の高齢者住宅などを50カ所以上まで拡大。介護スタッフの業務見直しも進め、配膳や掃除、見回りといった専門性の乏しい仕事はパートやアルバイトに任せた。
 スタッフは介護に専念させる仕組みで、限られた人件費をスタッフに重点的に充て仕事の負担も軽くできるようになった。規模拡大や分業の徹底で生産性を高めた結果、収益が向上し賃上げを可能にする原資を確保できたという。
 介護サービスを提供する施設・事業所は全国で34万カ所。零細経営が多い。帝国データバンクの過去の調査では、職員数が10人未満の法人が約2割、10~50人未満の法人が約3割にも上った。
 特養ホームの運営をほぼ独占する社会福祉法人も、半数は「1法人1施設」。キヤノングローバル戦略研究所の松山幸弘研究主幹は「零細経営では限界がある。規模を拡大し合理化すれば職員の定着率も上がる。待遇の改善にもつながってくる」と指摘する。
 高齢化が進むなか、25年度には介護スタッフは30万人不足する。1000兆円に膨らんだ国の借金を考えれば、官製賃上げは対症療法の域を出ない。事業者集約を促す規制緩和や制度改革を急ぎ、生産性を高めなければ介護現場の苦境からの脱却は逃げ水のように遠のいてしまう。(武田敏英)」(2015/02/19付「日経新聞」P2より)

スタッフの定着率は、その組織(会社)の魅力度に直結する。学生が就職の企業を選ぶときに、退職率を気にするのは正しい。入社した人が、やり甲斐を持って生き生きと仕事をしていれば、退職者は少ない。しかし、いわゆるブラック企業では、どんどん人は辞める。
介護の現場も同じ。利用者が老人ホームを選ぶときに、スタッフの定着率はその施設の魅力度を測る格好の材料だ。
しかし、上の記事のように、模範たるべき特養でさえ、「3年たつと当初入ったスタッフは2割しか残らない」とすると、他は推して知るべし…

ウチの家族も、3人老人ホームに入っていたが、今は1人だけ。よって、まだまだ他人事ではない。
我が家は、ホームで色々とお世話になっただけに、介護の仕事をする人の大変さも分かり、それだけに何とかその待遇が改善されることを祈りたいものだ。

150220nekoze <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月19日 (木)

「名前で世相を読む 男子は「蓮・はると」時代へ」

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
名前で世相を読む 男子は「蓮・はると」時代へ
 昨年(2014年)に生まれた新生児の名前の人気ランキング(明治安田生命保険調べ)が発表された。名前の流行にはどんなサイクルや法則があり、今はどんな時代に差し掛かっているのだろうか? 過去103年のランキングの推移を細かく追いかけながらまとめてみた。まず今回は男子名編。
名前の流行はほぼ10年周期
 男子名で多かったのは「蓮」「大翔」「陽向」「陽太」「悠真」「湊」「悠人」「陸」「駿」「朝陽」の150219namae 順。これがトップ10の顔ぶれ。首位の「蓮」(前年3位)、2位の「大翔」(同4位)、3位の「陽向」(同8位)、4位の「陽太」(同15位)がそれぞれ順位を上げた一方、前年首位の「悠真」は5位に順位を下げ、上位の顔ぶれが大きく変わった。
 比較できる過去103年のランキングで首位の変遷を追うと、流行のサイクルが浮かび上がる。例外はあるが、ほぼ10年くらいの期間で「清」→「勇・勝」→「博・茂」→「誠」→「大輔」→「翔太」→「大輝」→「大翔」→「蓮」と変遷しているのだ。つまり、現在は「蓮」時代の初期に差し掛かっていると判断することができる。

2011年から「蓮」時代に突入
 では、「蓮」人気はいつごろから始まったのだろうか?
 「蓮」がトップ10に顔を出したのは1999年(平成11年)の9位が最初。その後、ジワジワと順位を上げて2004年(平成16年)に初めて首位に輝き、「大翔」とトップ争いを繰り広げるようになる。本格的な「蓮」時代に入ったのは2011年(平成23年)以降のことだ。
 流行の変遷は時代の空気や世相を明確に反映している。
 戦前は「清らかさ」、戦中は「勇ましさ」「勝つ」など武運が強く求められた時代。それが戦後になると、「茂」「稔」「隆」など経済発展や「博」「誠」など学問による立身出世を願う風潮に切り替わり、やがて「大輔」「翔太」「大輝」「大翔」など雄大さや躍動感、ロマンのある名前が好まれる時代に突入する。テレビなどメディアの発達に伴い、ドラマや映画、アニメの主人公、芸能界やスポーツ界の有名人にあやかろうという機運も強まった。

武運、経済発展、学問、ロマン……元号も
 参考までに、首位の変遷をさらに細かく検証してみよう。
150219namae1  1912年(大正1年)、1913年(大正2年)、1914年(大正3年)の首位はそれぞれ「正一」「正二」「正三」。元号(大正)と年を組み合わせた名前の人気が高まった。1927年(昭和2年)、1928年(昭和3年)にも「昭二」「昭三」という元号(昭和)と年を組み合わせた名前が首位にたった。元号が変わった初期には元号にちなんだ名前が流行する傾向があるようだ。ただ平成の初期には「翔平」という名前がトップ10入りしたくらいで、この傾向は薄らぎつつある。
 1916年(大正5年)に突然、首位になった「辰雄」は辰(たつ)年だったことにちなんだ名前。1960年(昭和35年)、1961年(昭和36年)に首位になった「浩」は現皇太子の浩宮さまのご生誕(1960年)にあやかった名前と考えられる。
 秋篠宮家の長男、悠仁(ひさひと)さまが誕生された2006年以降は「悠」という字を取り入れた名前が急速に増え、2013年(平成25年)にはついに「悠真」が首位に輝いた。

読みからも世相が見えてくる
 さて、名前の表記ではなく、読みの流行について探ってみると、異なる法則が浮かび上がる。同じ表記でも読み方が多くなるのだ。
 たとえば2位の「大翔」には「ひろと」「はると」「やまと」「そら」「たいが」「たいと」など様々な読み方がある。3位の「陽向」も「ひなた」「はるた」、4位の「陽太」も「ひなた」「ようた」「はるた」などと読み方にかなり幅が出てくる。
 かつて「清」は「きよし」、「誠」は「まこと」、「大輔」は「だいすけ」などと名前の読みがほぼ定まっていた時代と比べると、表記と読みの関係は明らかに異なっているようだ。

表記と読みでランキングが乖離するワケ?
 そこで注目したいのが読みのランキング。表記のランキングとはまったく一致していない150209namae2 ことに気が付く。トップ10は「はると」「ゆうと」「そうた」「ゆうま」「りく」「そうま」「はるき」「れん」「あさひ」「ゆうせい」「ひなた」「かいと」の順。名前の表記のランキングで首位だった「蓮」(れん)は7位にとどまった。
 なぜ表記と読みのランキングがこれほど乖離(かいり)しているのだろうか?
 実は名付けの方法が大きく変化したことと関係している。最近の子どもの名前は、最初に音や響き、リズムで読みを決め、そこに好みの漢字や文字を当てはめるケースが増えているのだ。
 これは最近の両親が名付け本を参考に名前を付けているためと考えられる。多くの名付け本が音や響きやリズムで読みを決め、その後に当て字で表記を決める方法を紹介しているからだ。だから読みで「はると」「ゆうと」などに人気が集中しても、名前の表記は多様化する傾向が強くなる。

まず音や響きで読みを決め、漢字を当てはめる
 たとえば、読みランキングで首位の「はると」の表記は「大翔」「陽翔」「陽150209namae3 斗」「春翔」「晴斗」「悠人」「晴翔」「悠翔」「遥人」「陽大」「遥斗」「春音」「春斗」「晴人」など30種類以上もある。2位の「ゆうと」だと「悠人」「悠斗」「優斗」「優人」「悠都」「悠翔」「弓人」「結仁」「佑都」など20種類以上もある。
 そうなると「悠人」や「悠翔」が「はると」とも「ゆうと」とも読めるややこしい現象も起きる。人気が高い名前ほど読みや表記が分かりにくいのはこのためだ。

多くは限られた音の組み合わせ
 読みのランキングを見ると、意外な事実に気がつく。ごく限られた音(読み)の組み合わせによる名前が大部分を占めているのだ。
 目立つのは「ゆう・はる・しょう・りょう・こう・そう」+「と・き・た・ま・すけ・せい」という組み合150209namae4 わせ。「はると」「ゆうと」「しょうた」「りょうた」「こうき」「そうた」「ゆうせい」「そうま」……などトップ10の名前のうちの多くがこれに属する。
 名前の読みにも流行のサイクルがある。比較可能な2000年からランキングの変遷を追いかけると、首位は「ゆうき」→「ゆうと」→「はると」と大きく推移している。つまり、現在は「はると」の黄金期のまっただ中に差し掛かっているといえる。
 ちなみに「はると」が初めてトップ10入りしたのは2003年。以降、急速に順位を上げ、2009年から6年連続で首位の座を維持している。一方、2000~2005年に首位だった「ゆうき」は2013年からはトップ10圏外に沈んでしまった。
 このほかランキングの変遷からは、(1)「しょう」「りょう」が付く名前から「はる」「そう」が付く名前に人気がシフトしている、(2)名前の末尾は「と」「き」「た」の人気が高いが、最近は「ま」「すけ」「せい」も増えている――という傾向も読み取れる。
 このように名前の流行は、生き物のように世相を反映しながら、絶えず変貌を遂げているのだ。(編集委員 小林明)」(2015/02/06付「日経新聞」)

時代の推移に、老人の自分が付いて行けないことは多々あるが、スマホなどと同じく、この「名前」も到底自分の古い頭では付いて行けない。
いわゆるキラキラネームという珍名には、付いて行けない、と言うより、辟易している。
このキラキラネーム。世の親たちは、死ぬまで使わざるを得ない子ども本人のことを考えているのだろうか?とさえ思う。自分から言わせると、それはもう虐待である・・・。
上の記事は、そこまでは行っていない現状報告だが、それでも老人から見ると、なかなかの難物である。ま、時代の脱落者(自分のこと)のたわごとではあるが・・・

人にとって、聞いていて一番心地よいのは自分の名前だそうだ。人から言われて、一番心地よいはずの、その名前を、間違えて言われたときには、どんな気持ちになるのか・・・
上の例のように、「何と読むか分からない」「何通りもの読み方がある」という名前では、間違われるのが普通になってしまう・・・。
また上のように、「はると」の30種や「ゆうと」の20種など、同じ読みの名前がたくさんあると、例えば病院などで「○○さん」と呼ばれると、何人もの人が「ハイッ」と言うのでは? または、自分が呼ばれても、間違った呼び方だと、自分ではないと思ってしまうのでは?
名刺ならまだ振り仮名を振ることも出来るが、それ以外ではあまりに不便・・・。そしてそれは、全部親の責任…。
ま、時代の脱落者(自分のこと)の過剰な心配かも知れないが・・・

30数年前、自分も子どもの名付けでは、ずいぶんと考えた。そのポリシーは、「間違って読まれないこと(一つの読み方しかないこと)」「電話で名前の漢字を相手に簡単に伝えられること」「発音したときに、はっきり聞こえること」などだった。

幸いにも、自分は今のキラキラネームなどの子どもは周囲に居らず、名前を呼ぶ機会は無いので困っていない。それに引き替え、ウチのカミさんは、手帳に友人の孫の現代的な名前を書いて、何とか間違えないように気を遣っているようだ。

子育てのスタートにある子どもの名付け。世の親たちは、“(一生使う)子どもからの視点”を忘れないようにして名付けて欲しいものだ。

150219jigoku <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月18日 (水)

集団的自衛権記述~教科書までが追従?

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
集団的自衛権記述、公民教科書が訂正 10社、大半「閣議決定」の事実のみ
 中学と高校の公民教科書にある「集団的自衛権」の記述をめぐり、教科書会社10社が昨年8~12月に訂正を申請し、文部科学省が認めた。いずれも昨年7月に政府が憲法解釈を変える閣議決定をしたことを受けた措置で、4月から使われる教科書に反映される。
 訂正されたのは、「集団的自衛権」の記述があった11社の23点のうち、10社の22点。内訳は中学公民2点、高校現代社会12点、政治・経済8点だった。
 中学公民のうちシェアの大きい日本文教出版は昨年8月に申請。「政府が憲法上許されないとしてきた集団的自衛権までも認めることにならないか、という疑問も示されています」との記述を「2014年に、政府はこれまで許されないとしてきた集団的自衛権の行使を限定的に認める憲法解釈の方針を示した閣議決定を行いました」と訂正した。担当者は訂正理由について「実際の状況が記述と異なるので、ルールに沿って訂正した」と話した。高校の現代社会と政経でシェアの大きい東京書籍も昨年10月、「憲法の下で行使は禁止」の表現に「政府は行使容認を閣議決定した」などと追加。担当者は世論の反応などを説明しなかった理由について「限られたスペースで記述を見直したため」としている。
 22点の訂正のうち、「日本をとりまく安全保障の変化に対応するため」などと背景まで説明したのは3点にとどまった。
 一方、育鵬社は中学公民で「『行使することができる』と解釈を変えるべきだという主張もあります」との記述があるが、訂正しなかった。担当者は「まだ閣議決定の段階で、正式に法案として整備されたわけではないことを含めて当社として判断した」と話す。
 文科省によると、訂正は客観的事情の変更があった場合などに教科書会社が申請する。例年、数千件の申請があり、事実関係が確認できれば承認されるという。(高浜行人)
バランス欠く恐れ
 日本教育法学会理事の浪本勝年・元立正大教授(教育政策)の話
 事情が変われば教科書会社の判断で修正するのも当然だ。ただ、集団的自衛権の行使容認には憲法学者などから多くの批判があり、国会の法案審議もこれからのことだ。小幅な記述変更にとどまりやすい訂正ではそうした事情までは書けないため、政府の立場のみを書いた一面的な記述になりがちだ。政府が決めたのだから正しい、という印象を中高生に与えかねず、結果としてバランスを欠き、健全な批判力の養成につながらない記述になっているのではないか。」(2015/02/14付「朝日新聞」p34より)

先にNHK会長の発言で、実際に指示を出していなくても現場が萎縮するのでは?という懸念を書いた(ここ)。
この教科書問題もおなじように見える。

広辞苑で「そんたく」を見るとこうある。
そん‐たく【忖度】(「忖」も「度」も、はかる意) 他人の心中をおしはかること。推察。「相手の気持を―する」」

日本は今、国中が「忖度(そんたく)」という言葉で覆い尽くされているようだ。
テレビ局や新聞、はてまた教科書会社までもが、安倍政権の顔色をうかがい、それに追従している・・・。これは怖ろしいこと・・・。元気なのは、週刊紙くらいか・・・
こんな時代は、少なくても戦後は無かった・・・

教科書の記述がどれほど子どもたちに影響を与えるかは知らない。しかし、子どもたちにとって、教科書の記述は絶対の真実に映る。子ども達は「正しいこと」と受け止めてしまう。そして国外でもそれは「日本の基本的な考え方」と受け止める。
単なる「閣議決定」という民意からかけ離れたところでの動きだけで、営々と築いてきた日本の歴史がどんどん既成事実化して書き換えられてしまう。子どもの心にまで・・・

「しかし」・・・だ。

昨日の朝日新聞にこんな世論調査結果が載っていた。
内閣支持率上昇50% 70年談話「おわび必要」52% 朝日新聞社世論調査
 朝日新聞社が14、15の両日実施した全国世論調査(電話)で、安倍内閣の支持率は50%(1月17、18日実施の前回調査42%)と上昇した。不支持率は31%(同37%)。中東の過激派組織「イスラム国」による日本人人質事件への政府対応については、「評価する」50%が「評価しない」29%を上回った。
150218sijiritu  安倍内閣の支持率が50%になるのは、2014年3月以来。日本人人質事件に対する政府の対応を「評価する」と答えた層の70%が安倍内閣を支持しており、支持率上昇に影響したものとみられる。
 無党派層では政府の対応を「評価する」39%、「評価しない」34%だった。
 「イスラム国」による日本人を標的にしたテロ事件が今後も起きる不安については、「大いに」「ある程度」を合わせた「感じる」が86%。「あまり」「まったく」を合わせた「感じない」は13%だった。人質事件のあとも、「イスラム国」対策の難民支援や食糧援助を続けるとした首相の方針には「賛成」が72%、「反対」が14%だった。
 政府が今年発表する予定の戦後70年談話について、戦後50年と60年の談話に入っていた「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」という言葉を「入れるべきだ」は52%で「その必要はない」の31%を上回った。安倍内閣支持層でも「入れるべきだ」50%、「その必要はない」35%だった。」(2015/02/17付「朝日新聞」p3より)

「イスラム国」による日本人人質事件への政府対応については、「評価する」50%が「評価しない」29%を上回った。」、そして「人質事件のあとも、「イスラム国」対策の難民支援や食糧援助を続けるとした首相の方針には「賛成」が72%、「反対」が14%だった。」とすると、「I am not Abe」「We are not Abe」(ここ)と言う日本人は、29%または14%なのか・・・

「イスラム国」への対応の先に待っている「日本の参戦」。
日本人の過半数は、それを心配していないらしい・・・

着々と「戦争の出来る国」へ突き進む政権の動きと、その動きに無頓着の日本人の現実。
「ダメだこりゃ!」で済む話でもない。
いったいどうなってしまったのだろう! 今の日本は・・・!

150218uma <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月17日 (火)

「東京の積雪予想 7割的中せず」

今朝、家を出たら雪が舞っている。おっとっと・・・だ。
今夜の予報によると、明日(2015/02/18)午後6時までの24時間予想降雪量は東京23区で3センチの見込みだという。さて今回の予報は当たるかどうか・・・

先日書いた「外れた降雪予報の影響・・・」(ここ)という記事に、マッノさんから頂いたコメント(ここ)で、下記の記事を教えて頂いた。

これがなかなか面白いので、少し紹介する。
東京の積雪予想 7割的中せず
雪予報外れに憤慨
今から2年前の2月、当時の東京都知事だった猪瀬氏が東京の雪予報が外れたことに対して、「責任を追及します。狼少年は許さない。」とコメントし、物議を醸しだしたことがありました。
当時を振り返ると、気象庁は前日に、東京23区で10センチの降雪が見込まれるとして、大雪に対して十分な注意を呼びかけました。JR各線は大雪によるダイヤ乱れを回避するため、当日の朝は通常よりも少ない運転本数で対応、各ターミナル駅は大変な混雑で、ダイヤは大混乱、一時騒然とした雰囲気に包まれました。結果的に、東京都心では雪は降ったものの、積雪には至らず、大雪予報は空振りに終わりました。
実は、気象庁が雪予想を外したのはこのときだけではなく、半月ほど前の成人の日(1月14日)にも大雪を見逃すという失態を演じていたのです。猪瀬氏の発言はともかくとして、気象庁が2度続けて雪予想を外したことにうんざりとした人も多かったと思います。

東京の積雪予報 7割的中せず
それでは、東京の積雪予報はどのくらい的中しているのでしょうか?
2013年以降、東京23区で積雪が予想された10事例を元に、検証してみました。積雪の予想は前日夕方の大雪情報です。
150217sekisetu1 東京の積雪予報の検証結果(2013年~2015年2月上旬)検証結果をみると、的中したのは10例のうち、わずか3例に過ぎず、予想以上に悪い結果に驚いています。地上付近のわずかな気温の違いが積雪に大きく影響していることがはっきりと表れています。
この冬(2015年)は今のところ、1勝1敗ですが、来週の火曜日(17日)から水曜日(18日)にかけ、雪が降るおそれが出てきました。今回も低気圧の動きと地上気温によっては雪が積もる可能性もあり、難しい判断を迫られそうです。

最悪の状況を予想する
東京の雪日数と積雪日数(1981年~2010年の30年平均)東京都心では一年間に平均して150217sekisetu2 10日ほどの雪の日がありますが、ほとんどは積もらず、1センチ以上の積雪日は平均して2日~3日程度です。雪が降ると予想されても、実際は3回に1回くらいしか、積もらないのです。また、積もったとしても数センチ程度、とても大雪と呼べる量ではありません。
それでも、東京都心では雪が積もる場合と積もらない場合では、状況が全く違うのは周知の通り。雪国の人からしてみれば、あまりに脆弱と思われても、ひとたび雪が降ると予想されれば、対応を取らなくてはなりません。
実際、先日(今月5日)の雪では、積雪が予想されたものの、結果はご存じのとおり空振り。あるゴルフ場では前日の段階でキャンセルが相次ぎ、損失が出てしまったそう。笑えない話です。
気象庁の大雪情報は最悪の状況を考えて発表されているため、実際は予想よりも雪が少なくなる場合が多いです。これが予想外れ感を助長していると思われますが、天気予報は空振りよりも見逃しを戒めとしますから、どうしても予想が過剰になってしまいます。
数値予報(スーパーコンピュータによる予想)は着実に進歩していて、今や人間の予想よりも当たるようになったといっても、現状ではまだまだ利用者の要望に応えているとは言い難い。ついつい、防災が第一ですからと言い訳したくなりますが、本当のことをいえば、より精度の高い予想、利用者の要望に応える予想を目指すことが一番です。
また、雪や雨が降り出したあとでも、気象状況は刻々と変化していきます。先日のように、大雪の可能性が低くなっても、警戒を呼びかけ続けるのではなく、状況の変化をいち早く伝えることも大事と考えます。(片山由紀子 気象予報士/ウェザーマップ所属)2015年2月13日」(
ここより)

なるほど「最悪の状況を予想」した結果の的中率が3割か・・・

それにしても、3日以上バスが動かなかった1年前の豪雪のトラウマ(ここ)は、なかなか消えそうにない。
とにかく雪だけはゴメン・・・。救急車や消防車も走れない・・・。家族に緊急事態が起こっても動くに動けない。
おっと、日本は広い。豪雪地帯も多い。そこに住む人は本当に大変だと思う。
それを考えると、数センチの積雪で大騒ぎをしている東京は、贅沢なのかも・・・。

あとひと月無事に過ぎれば、春なのだが・・・

150217syujyutu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月16日 (月)

「生きている」ことは“吸収と排泄”

先日、NHKラジオ深夜便で「野本三吉(元沖縄大学学長、作家)  生きる事の意味を問い続けて(1)2015年2月5日放送)を聞いた。
その中で、こんな話に、なるほど・・・と思った。(下記の後半部分)

<野本三吉氏「 生きる事の意味を問い続けて(1)より>

つまり、「生きている」ことは、空気を吸い、食物を食べ、水を飲むことができていること、そして空気を吐き、排泄が出来ること。つまり吸収と排泄が出来ると、人間は生きていることになる。
それを少し哲学的に考えると、吸収するということは、食べることだけでなく、自分が体験したことが血肉化されてくる。そして排泄は表現だという気がしてきた。泣いたり笑ったりできることも表現。この表現できることと、色々なものを体験、吸収することの二つが出来たら「生きている」ことになる・・・。と氏は言う。

確かに老人ホームなどに行くと、その食事と排便がいかに大切かを教えてくれる。それだけが出来ていれば、生物としての人間は生きられる。しかし、人間として生きているということは、体験による吸収と表現のアウトプット・・・

ま、その考え方によると、女性の長話は、まさに生きている証だけど・・・

話は変わるが、先日「死の単純さ」を感じた。
先日義母が亡くなって葬儀、納骨が済んだが(ここの下半分)、焼き場の順番は待ったものの、葬儀から菩提寺への搬送、本葬、そして納骨。菩提寺の都合があったとは言え、あれよあれよという間に、大きな大人の体がほんのわずかな骨となり、そしてお墓の下に去って行った。
あの大きな棺が、たったこれだけの骨の断片に変わった。肉体が消え去った・・・
精神的なことは別にして、物理的には、人間が死んで消えることの単純さを思い知った。

おっと話がそれた。
生きていることは、精神的、肉体的なインプット/アウトプットが出来ていること。最終的には、生物としての“食べて排泄する”ことだけが残るのであろうが、そうなる前に、出来るだけ体験による吸収と表現による「生きていること」に頑張ることにしようか・・
このblogも精神的な排泄=表現だ。つまりこれも、自分の「生きていることの証」なのかも知れないな・・・と、勝手に納得した。

150216neko <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月13日 (金)

日本国憲法第12条~国民の不断の努力による憲法保持の義務

先日頂いたtodoさんからのコメントで、日本国憲法第12条に、“国民が憲法を保持する努力をする義務がある”ことを再認識した。

日本国憲法 第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

wikiの「日本国憲法第12条」の項にその沿革がある。
<<沿革>>

<大日本帝国憲法>
なし

<GHQ草案>
(日本語)
第十一条 此ノ憲法ニ依リ宣言セラルル自由、権利及機会ハ人民ノ不断ノ監視ニ依リ確保セラルルモノニシテ人民ハ其ノ濫用ヲ防キ常ニ之ヲ共同ノ福祉ノ為ニ行使スル義務ヲ有ス
(英語)
Article XI. The freedoms, rights and opportunities enunciated by this Constitution are maintained by the eternal vigilance of the people and involve an obligation on the part of the people to prevent their abuse and to employ them always for the common good.

<憲法改正草案要綱>
第十一 此ノ憲法ノ保障スル自由及権利ハ国民ニ於テ不断ニ之ガ保持ニ努ムルト共ニ国民ハ其ノ濫用ヲ自制シ常ニ公共ノ福祉ノ為ニ之ヲ利用スルノ責務ヲ負フコト

<憲法改正草案>
第十一条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならぬのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

<日本国憲法>
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

つまり、国民が憲法を守る活動は、憲法から要請されている「国民の義務」なのである。
よって、憲法の解釈の変更(集団的自衛権の解釈の閣議決定)についての国民としての反対の声(マスコミの報道や、テレビや新聞を通してのジャーナリストの反対の意見を含む)に対して、政権がテレビ局に対して苦情を言うなど(ここ)、憲法違反になるのではないか?

繰り返すが、前に書いた「「報ステ」に対しては、先月23日、コメンテーターの元経産官僚の古賀茂明氏が人質事件の対応で安倍首相を批判した際、官邸の秘書官筋がテレ朝上層部に抗議したという騒動もあった。」(ここ)のような、政権の圧力は、憲法の要請に基づいて国民が果たそうとしている、広い意味での「憲法を守る」義務の活動に対して、それを妨害するまさに“憲法違反の行動”ではないのだろうか・・・

我々国民は、もう一度、この「日本国憲法第12条」に目を向けて、安倍政権の、自政権に都合の悪い発言を封じ込めようとしている動きに、「憲法違反」の視点で反撃する必要があるのではないだろうか。
第九条を初めとする現憲法の保持も、他人事ではなく、我々国民自身の何らかの活動の「不断の努力によって、これを保持しなければならない」のだから・・・

150213musume <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月12日 (木)

イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」

またまたFM放送で、こんな曲を“発見”してしまった。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」という曲である。(世界的に有名な曲でも、自分にとっては新発見!)
このイントロを聞いたとき、ピリッと来た。どこかで聞いた音楽に雰囲気が似ている・・・。

前に「NHK FM 青春アドベンチャー「アンデルセンの雪の女王」のバック音楽」(ここ)という記事を書いたが、ここで発見したカンテレの音楽と実に雰囲気が似ている。この音楽は「カンテレによる「コネヴィストの教会の鐘」」(ここ)という曲だった。

この音楽が頭にあるので、このイントロがスッと頭に入った。そしてこれがイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」という超有名な曲であることを知った。

<イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」>

wikiによると、イーグルス(Eagles)は、1971年にデビューしたアメリカのロック・バンドであ150212hotel り、「ホテル・カリフォルニア」は1976年発表の5作目のアルバムの表題曲。1970年代のアメリカン・ロックを代表する楽曲のひとつと言われているとか・・・

段々と、ピリッと来る音楽が無くなってきたが、こんな音楽を聞くと、「何の何の!!」と思う。グローバルな音楽の世界。自分にフィットする音楽を見付けると、無情の嬉しさを感じる。

150212dassyutu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月11日 (水)

もはや「I am not Abe」「We are not Abe」と言えない日本!?

元経産官僚の古賀茂明氏(59)が、テレビ朝日系の「報道ステーション」で「I am not Abe」と発言したことに対し、官邸が激怒したそうだ。

「日刊ゲンダイ」(ここ)によると、
外務省が「報ステ」に異例抗議 安倍官邸が強める“言論封殺”
・・・「報ステ」に対しては、先月23日、コメンテーターの元経産官僚の古賀茂明氏が人質事件の対応で安倍首相を批判した際、官邸の秘書官筋がテレ朝上層部に抗議したという騒動もあった。まるで“狙い撃ち”の様相だ。
「安倍政権は政府にとって都合の悪いことを報じるメディアを選別し、圧力をかけているのではないか。こんな報道規制がまかり通れば、多くのメディアは萎縮し、御用機関になり下がってしまうでしょう。メディアが正常に機能しなければ、安倍首相はやりたい放題。まるで独裁者です。そもそも、外務省が首相に進言しなかったのなら、そちらの方が大問題。緊迫した中東情勢を全く把握していなかったということなのでしょうか」(元NHK政治部記者で評論家の川崎泰資氏)
 都合の悪いメディアへの言論封殺が、ますます強まってきている。」(
2015/02/06付「日刊ゲンダイ」(こ)より)

つまり今の日本は、“とうとう言論の自由が無くなってしまった”らしい・・・
それに対する危機感がある。

「「政権批判の自粛、社会に広がっている」1200人声明
 「イスラム国」人質事件後、政権批判の自粛が社会に広がっている――。フリージャーナリストや学者らが9日、会見を開き、「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」を発表した。インターネットなどを通じ、映画監督森達也さん、社会学者の宮台真司さん、作家平野啓一郎さんや中島岳志さんら表現に携わる1200人が賛同し、NHKのディレクターや新聞記者も名を連ねた。
 「政府が主権者やメディアに監視、検証され、批判されることは当然のこと。批判を控えることは戦前の翼賛体制につながりかねない」。そう指摘するのはジャーナリストの今井一さん。今月2~4日、衆・参院予算委の人質事件に関する野党議員の質疑とNHK・民放のニュース番組の放送時間を検証。2日は4分以上報じる民放がある一方、多くが1分以内。約20秒の番組もあった。「メディアは『自粛』しているという自覚がない。非常に危険だ」
 元経済産業官僚の古賀茂明さんは「いまは相当危機的な状況に至っている」。1月下旬、コメンテーターとして出演するテレビ朝日の番組で人質事件に絡み「アイ・アム・ノット・アベ」と話したところ、ネット上で「政権批判をするな」などの非難が殺到。神奈川県警から自宅周辺の警備強化を打診されたという。声明では、「物言えぬ空気」が70年前の戦争による破滅へ向かった、と指摘している。
 昨年暮れの衆院選前に政権与党が報道各社に「公正な報道」を要請したことにからみ、古賀さんは当時、「報道の自由が失われるまでに3ステップある」とし、「ホップ」で報道抑圧、「ステップ」で報道機関の体制への迎合(自粛)、「ジャンプ」で選挙による独裁政権の誕生、と指摘した。古賀さんは「報道の自粛が蔓延(まんえん)し、国民に正しい情報が行き渡らなくなりつつあるのではないか」と警鐘を鳴らした。(斉藤佑介)」(
2015/02/10付「朝日新聞」より(ここ))

同じく「日刊ゲンダイ」の2015/02/02付のサイトに「古賀茂明氏が語る「I am not Abe」発言の真意」(ここ)という記事がある。

長いが、これは読む価値がある。
古賀茂明氏が語る「I am not Abe」発言の真意
安倍首相は「有志国連合」の有力メンバーになりたかった
 イスラム国の人質事件では、ほとんどの大メディアが安倍政権批判を控えている。そこにあるのは、「人質が殺されそうなときに足を引っ張るな」という情緒論だが、そんな中、敢然と、しかも痛烈な言葉で安倍首相を批判したのが、元経産官僚の古賀茂明氏(59)だ。

150211koga フランス人は『Je suis Charlie(私はシャルリー)』というプラカードを持って行進したけど、日本人は今、『I am not Abe』というカードを掲げる必要があると思う」
 テレビ朝日系の「報道ステーション」での発言に官邸は激怒、ネトウヨ(注:ネット上で、右翼的な言動を展開する人々のこと)たちは大騒ぎとなった。一方、「よくぞ言った」という支援の輪も広がりつつある。古賀氏が改めて“過激発言”の真意を語った。

――あの発言が出た直後から、大変な反響だったと聞きましたよ。官邸の秘書官筋からテレビ朝日の上層部に抗議の電話が入り、大騒ぎになったとか。古賀さん自身には何かありましたか?

 局に対してはいろいろな声があったようですが、僕には直接ありません。でも、誰かが声を上げて、「これはおかしい」と言わなければ、太平洋戦争と同じ状況になってしまう。だから、注目度が高い番組に出た際、考え抜いて発言したわけで、反論は予想通りですし、むしろ反響の大きさに驚いているくらいです。

――戦前と同じ状況というのは、ついに日本も米国と一緒に泥沼のテロとの戦いに引きずり込まれてしまった。キッカケは安倍首相の軽率としか思えない中東歴訪と、イスラム国と戦う国への2億ドル支援表明です。多くの日本人が不安を抱えているのに、声に出せない。そんな状況ということですか?

 今度の人質事件では、いろいろな報道がされていました。でも、必ず最後の方は「テロは許しがたい行為だ」「いまは一致団結して、安倍さんの戦いを支持すべきだ」というところに帰結してしまうんですね。そうなると、あらゆる議論が封じ込まれてしまう。今は戦前のように治安維持法もないし、特高警察もいませんが、安倍政権のテロとの戦いに異論を挟むのは非国民だ、みたいな雰囲気が醸成されつつある。テロリストを擁護する気は毛頭ありませんが、日本が米国と一緒になって世界中で戦争に参加する国だというイメージをつくっていいのか。多くの人が違うと思っているのに、誰も声を出せない。それってやっぱり、おかしいでしょう。

――順番に伺います。古賀さんは安倍総理が中東歴訪以前に後藤さんが人質になっていることを知っていたという前提で話された。「臆測でものを言うな」という批判もありました。一部報道では当初10億円、その後20億円の身代金要求があり、奥さんは外務省に相談していたと報じられたからですか?

 政府はずっと前から知っていたことを認めましたよね。でも、それは官僚だった私から見れば当たり前のことでした。こうした情報に接した官僚が上に上げないということはあり得ません。あとで情報を上げなかったことが分かったら、大変な失態になるからです。大臣秘書官、次官、官房長にはすぐ上げる。同時に官邸の外務省出身の秘書官にも連絡がいくはずです。その秘書官が安倍首相に伝えないということもあり得ない。伝えなければ、大きなリスクを背負うし、伝えて損をすることはないからです。

――だとすると、この時点で官邸・外務省は身代金を払わない方針を決めたのか、「放っとけ」とばかりに無視したのか。右往左往しているうちに時間が過ぎてしまったのか。

 10、20億円程度であれば、官房機密費で払えます。まして、1月には安倍首相の中東歴訪が控えている。身代金を払って解決させる選択肢もあったはずですが、官邸にそういう提案をして却下されたのか、それさえできない雰囲気だったのか。いずれにしても、人命よりも優先させたい事情があったとみるべきです。

――それは何ですか?

 安倍首相は対イスラム国の有志国連合の有力なメンバーになりたかったのだと思います。世界の列強と肩を並べて、認められたい。それが安倍首相の願望であるのは間違いないと思います。そんなときにイスラム国に身代金を払ったことがバレたら、米英に顔向けできなくなる。そんなリスクは背負いたくない。後藤さんの命よりそちらを優先したのです。

世界の大舞台で“二枚舌外交”を繰り広げる安倍首相
――なるほど。そうなると、安倍首相がエジプトでイスラム国に宣戦布告するような言い方で、2億ドルの支援表明をしたのも分かりますね。

 有志国連合として認めてもらうために空爆や武器供与をしたいけど、現行の憲法ではできない。できるのは人道支援くらいです。そこで、イスラム国を名指しして、そこと戦うためのお金であると聞こえる言い方をした。他にもテロ組織はたくさんあるのに、イスラム国にだけ言及したのは不自然ですし、本来、人道支援というのは武力紛争にはかかわらず、どちらにも加担せずに、政治的意図を排除して、人道主義の立場から行うもので、日本はいつもそれを強調していた。ところが、あの演説は人道支援というトーンを弱めて、軍事的政治的意図を込めた支援であるような言い方をした。この発言を米英は歓迎したようですが、身代金を取れずに焦れていたイスラム国にしてみれば、これで交渉の余地なしとなった。「宣戦布告された」となったのだと思います。

――安倍首相は動画が公開された後、盛んに人道支援だと強調していますけど?

 最初は人道支援ではなくイスラム国と戦うための支援であるかのように装い、これは失敗したと思ったら、急に人道支援を強調する。二枚舌外交です。五輪プレゼンテーションの汚染水発言もそうでしたが、世界の大舞台で大嘘をつく。それが安倍政権の特徴です。

――「人命第一」と繰り返していますが、これも怪しいもんですね。

 25日、NHKの日曜討論で安倍首相は「この(テロ殺害事件)ように海外で邦人が危害に遭った時、自衛隊が救出できるための法整備をしっかりする」と言いました。これは驚くべき発言で、イスラム国が聞いたらどう思うのか。人命第一と言いながら、その交渉の最中に「いまは戦争できないけど、法律を改正したら、おまえたちを叩くために自衛隊を出すぞ」と言ったわけです。普通の感覚であれば出てこない発言で、安倍首相は中東で米国と人質奪還の共同作戦をやりたいのでしょう。人命のかかった危機を「政治利用」しようとするとんでもない発言です。

――でも、そうなると、日本人は対テロ戦争に引きずり込まれる。世界中でテロの標的になってしまう。

 中東での日本のイメージとは「戦争をしない国」です。ポジティブな平和ブランドがあるんです。安倍さんはそれをぶっ壊そうとしている。少なくとも政治的にも軍事的にも、米国の正義=日本の正義というイメージで走ろうとしている。安倍さん自身の願望でしょう。でも、日本は米国とイコールではありませんよ。日本は世界に敵が少ないんです。一方、米国はシンパもいるが敵も多い。おそらく、米国ほど敵が多い国はないと思いますよ。途上国では中国よりも嫌われている。イスラム国がやっていることはめちゃくちゃですが、その根底には米国がイラクやアフガニスタンで無実の女性や子供、民間人を大量に殺戮した過去がある。その報復は国際法上は許されないが、メンタリティーとしては理解できる。だから、イスラム国は急拡大したのでしょう。そんな中、米国の正義=日本の正義で、米国の敵=日本の敵というイメージがつくられつつある。イスラム国のPR戦略の巧みさもありますが、安倍さん自身がそういう認識の政治家であるというのも真実だと思います。

――ちょっと待ってください。多くの日本人は米国の敵=日本の敵なんて思っちゃいませんよ。中東で戦争しようとも思っていない。

 だからこそ、「I am not Abe」というプラカードを掲げる必要があるのです。私たちは安倍さんとは違う、安倍さんは変なメッセージを送ったが、彼は日本国憲法を踏みにじるおかしな人だ、普通の日本人じゃない。我々は違うということを、世界に訴える必要がある。安倍さんのもとに結束しろという意見があるが、それは危険です。「I am not Abe」ということで、日本人の命を守るには、安倍さんの考え方を否定すべきだということを言いたかったのです。憲法の前文を見てください。日本はあらゆる国と仲良くし、それを通じて、世界平和に道を開くことを基本理念にしている。日本を攻撃しない人々を敵にするのは、憲法上、許されないのです。この理念は後藤さんの考えと共通しています。「I am Kenji」ですね。そうしたことを訴えるべきで、さもないと、世界中で日本人はテロの標的になってしまいます。

▽こが・しげあき 1955年、長崎県生まれ。東大法卒。通産省へ。行政改革などにかかわり、改革派官僚として名を馳せる。2011年に退職、評論活動へ。「日本中枢の崩壊」(講談社)が38万部のベストセラー。近著は「国家の暴走 安倍政権の世論操作術」(角川oneテーマ21)。」(「日刊ゲンダイ」2015/02/02(ここ)より)

そうなのだ。
「誰かが声を上げて、「これはおかしい」と言わなければ、太平洋戦争と同じ状況になってしまう。」
「だからこそ、「I am not Abe」というプラカードを掲げる必要があるのです。私たちは安倍さんとは違う、安倍さんは変なメッセージを送ったが、彼は日本国憲法を踏みにじるおかしな人だ、普通の日本人じゃない。我々は違うということを、世界に訴える必要がある。」

その通りだと思う。しかし、今の日本の現実は、自政権に都合が悪い意見には、政権がマスコミに圧力をかけ、日本全体が政権に対して萎縮、自粛しているという・・・
つまり、既に日本は、「I am not Abe」「We are not Abe」と言えない「灰色の朝(ここ)」になってしまっているのでは・・・と感じられ、ゾッとする。

安倍政権による事態の悪化は、我々が想像しているよりもはるかにピッチが早い。既に取り返しが付かない所まで、日本は来てしまっているのかも・・・。
とにかく、この暴走を早く止めないことには、今の大人は、子どもの世代に大きな禍根を残すことになろう。

150211neko <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月10日 (火)

「正岡律 子規の介護という偉業」

今年のNHK大河ドラマは、吉田松陰の妹が主人公。偉人の陰には女性がいる。
先日の日経新聞に載っていた正岡律も同じような存在かも知れない。

正岡律 子規の介護という偉業
 俳人・正岡子規には律という三つ違いの妹がいた。肺結核から脊椎カリエスを発症し、寝たきりになった子規を、母・八重とともに看たのがこの律だった。二十代後半から三十代前半の七年弱を、彼女は兄の介護に捧げたのだ。
150210masaokaritsu  部屋を清潔に保ち、食事を支度し、兄の包帯を取り替え、排泄の世話をする――これが律の日々である。カリエスの悪化で子規の背中と腰には穴があき、そこがただれて膿が溜まった。当然、包帯の取り替えも細心の注意を要する。律の談話が残っている。
 「穴に一寸でも触れようものなら飛び上がる程であったらしいので、フランネルのような柔らかい布に、一面油薬を塗って、それで穴を塞いで、その上に脱脂綿を一重、その上へ普通の綿をかなり厚めに載せて包帯をかけ、ピンでとめておくのでした」
 朝食後に飲む痛み止めが効いた頃を見計らい、律は手際よく作業をした。これほど献身的介護をしても、病人の側からすれば不服もあったようだ。子規は「病牀六尺」で、家事の手間は省いても介抱第一にすべきだと訴える。
 「病人を介抱するというのは畢竟病人を慰めるのに外ならんのであるから、教えることもできないような極めて些末なる事に気が利くようでなければならぬ」
 兄妹の間になにか諍いがあったのか、「仰臥漫録」では律に対して「癇癪持ちで強情で気が利かぬ」と、辛辣なことも書いている。
 「律は理屈づめの女なり。同感同情の無き木石のごとき女なり。義務的に病人を介抱することはすれども同情的に病人を慰むることなし」
 身勝手な言い分に映るかもしれない。だが子規も、耐え難い痛みと、一切の自由が効かぬ体に苛立っているのだ。ことに病を得る前は、野球を愛し、旅を楽しみ、快活に生きた子規だからこそ、余計にやり切れなかったのだ。
 律はけれど、介護を苦労としては語らなかった。包帯取り替えについても「お互いにお勤めのような思いでした」とさらりと述懐するにとどめている。子規を看取ったのちは、自活のために共立女子職業学校に入学、裁縫を学んだ。おそらく優秀な生徒だったのだろう。卒業後は教員として母校に採用されている。二度の結婚離婚を経験しているためかその後所帯を持つことはなく、家で裁縫を教えつつ、老いた母の世話をした。
 律は歴史的偉業をなしたわけではない。女性の自立目指して運動したわけでもない。彼女はただ一心に家族を支えた。子規も、時に文句こそ言え、自分の介抱は律にしか委ねられぬことを知りすぎるほど知っていたはずだ。
 介護にはさまざまなケースがあり、ひと言で片付けることはできない。ただ、他に代わることのできない仕事を偉業というのなら、律の介護はまさにそれである。そして今現在も律と同じように、誰かのかけがえのない支えとなって働いている方が数多くいらっしゃるのだ。表には出なくとも、それは確かに偉大な仕事なのである。
  ◇
 離婚を2度経験 1870~1941年。現在の愛媛県松山市に生まれる。幼い頃に父を失い、母、兄と共に暮らす。15歳のとき結婚するが2年後に離縁。その2年後、松山中学校の教員・中堀貞五郎と一緒になるが1年で離縁。東京で日本新聞社の社員となった子規に呼ばれて上京。のちに結核を悪化させた子規を、根岸の家(子規庵)で介護する。子規亡きあと、叔父・加藤恒忠(拓川)の三男・忠三郎を養子に迎える。」(2015/02/07付「日経新聞」p37より)

そう言えば、NHKドラマ「坂の上の雲」では菅野美穂が律を演じていた。
妹が兄を献身的に介護・・・か・・・。今の時代、夫婦間でもなかなか難しい。
それが、特養などの介護の現場では、それが自然に営々と行われている。

先日、特養で亡くなった義母。葬儀屋さんの車に乗る前に、お別れ部屋の小さな仏壇の前で、スタッフなどホームの方々が、30~40人もいただろうか、入れ替わり立ち替わり、手を合わせてくれた。そして、顔をさすって言葉をかけてくれる人・・・。
病院の看護士さんも同じだが、介護の現場の人たちには、頭が下がる。しかしこの特養のHPにあるスタッフ募集の欄をみてビックリ。4交代制の介護職員は、パートで時給は920円(夜勤は1150円)だという。正・准看護師でも月給は25万円・・・・

時代的に、家族に頼れなくなりつつある介護。その現場は、3K職場であるにもかかわらず、これほど厳しい職場なのだ。
介護の現場で働く人たちの職場環境を向上させるため、我々は何をしたら良いのだろう。
先日発表されたNHKの月例調査によると、内閣支持率は、イスラム国問題があったにも拘わらず、1月の支持率50%(不支持率32%)が、2月には54%(不支持率29%)に上がったという(ここ)。
こんな数字を見ていると、やはり介護よりも武器、いやイスラム国周辺の国への援助か・・・と思ってしまう。
自分は最近、“日本国民”が分からなくなってきた・・・。

150210pose <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月 9日 (月)

心配なNHK会長の資質~NHK受信料の保留へ?

先日の朝日新聞の社説にこんなのがあった。
NHK会長 ― 向き合う先は視聴者だ
 NHKの籾井(もみい)勝人会長が、おととい(2015/02/05)の記者会見で、公共放送のトップとして、また見過ごすことのできない発言をした。
 戦後70年で「従軍慰安婦問題」を取り上げる可能性を問われ、こう答えたのだ。
 「正式に政府のスタンスというのがよくまだ見えない。そういう意味において、いま取り上げて我々が放送するのが妥当かどうか、慎重に考えなければいけない。夏にかけてどういう政府のきちっとした方針が分かるのか、このへんがポイントだろう」
 まるで、NHKの番組の内容や、放送に関する判断を「政府の方針」が左右するかのような言い方だ。
 就任会見で「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と発言し、批判を招いて1年余。籾井会長は相変わらず、NHKとはどういうものか理解していないように見える。
 当たり前のことだが、NHKは政府の広報機関ではない。視聴者の受信料で運営する公共放送だ。
 公共放送は、政府と一定の距離を置いているからこそ、権力をチェックする報道機関としての役割を果たすことができる。番組に多様な考え方を反映させて、より良い社会を作ることに貢献できる。そして、政府見解の代弁者でないからこそ、放送局として国内外で信頼を得ることができるのだ。
 政府の立場がどうであれ、社会には多様な考え方がある。公共放送は、そうした広がりのある、大きな社会のためにある。だからみんなで受信料を負担し、支えているのだ。
 公共放送が顔を向けるべきは政府ではない。視聴者だ。
 NHKがよって立つこの基盤が、籾井会長には、まだ分からないのだろうか。この1年の間、繰り返し指摘されてきたことだ。もはや失言や理解不足というレベルではない。
 多くのNHK職員らは、視聴者のために、より良い番組作りを目指しているはずだ。そこには様々な考え方や意見が反映されなければならない。
 政府に寄り添うような考えを公言する会長のもとで、現場が息苦しくなったり、番組内容が過度に抑制されたりしていないか、心配だ。こういう懸念が生まれること自体が、NHKの価値を大きく損なっている。
 この事態を招いた籾井氏には重い責任がある。会長としての資質をめぐる疑問は深い。経営委員会は、近く一部の委員が交代する予定だ。新体制で、厳しく向き合ってもらいたい。」(2015/02/07付「朝日新聞」社説より)

数十年の間、自分が「良識の府」として信頼してきたNHKは、安倍首相が送り込んだNHK会長の上記のようなスタンスで、その輝きを急速に失った。
そして少なくとも自分は、どんな番組でも、つい、陰に“政府広報機関としてのNHK”を感じてしまう。
上でも言っているように、政府の広報機関なら諦めも付くが、我々の銀行口座から引き落とされている受信料というお金によって運営される報道機関が、政権から送り込まれた会長の「鶴の一声」で様変わりするとしたら、我々視聴者は、営々とNHKの歴史を築いてきたNHKの諸先輩と共に、嘆く他はない。

籾井会長が、現場にどんな指示を出しているか、もうそんな事は関係無い。公式な記者会見で、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」「正式に政府のスタンスというのがよくまだ見えない。」という発言をする事で充分だ。
この発言を聞いて、NHKの現場が「会長とのトラブルを避けて、会長の意向を汲んで動く」であろうことは、想像に難くない。いや、もし自分でも、「サラリーマン的事なかれ主義」で、あえてヤバイことに足を突っ込むことはしないだろう。誰もが、保身のために身を縮め、言葉を選ぶ。政権(会長)から文句を言われないように、身を潜める。“出る杭”にはならない・・・。何ともやりきれない・・・

話は飛んで、また人質事件の国の対応の話だが、“戦争を語り継ぐ第一世代”である94歳のno more war 池田幸一」氏の言葉(ここ)が、今更ながら沁みる・・・
「・・・衆参両院は山本太郎議員を除いて一人の反対も無く「イスラム国」を非難する決議を採択し、我が国は坂道を転がり落ちるように対テロ戦争に突入致しました。アメリカを軸とする有志連合(国際社会ではありません)に味方して、「イスラム国」征伐に手を貸そうというのです。安倍政権のみならず立法府までもが戦争に賛成し、これに伴うデメリットの一切を敢えて受けようというのです。
 なるほど彼らのやり方は悪魔の所業であって、とても許せるものではありません。しかし、だからと云って我が国が〝戦争状態に入れり”で良いのでしょうか?いま第一に考えるべきは、如何にしてテロの魔の手から免れるか、この一点ではないでしょうか。卑怯と蔑まれてもよし、バカと罵られても結構、いまこれを言うのは身に危険を感じますが、何処から考えても安倍総理のやり方は愚かであり、私は間違っていると思うのです。
 凡そ一国の宰相たる者は、亡くなった菅原文太さんではありませんが〝国民に腹一杯飯を食わせ、危害から身を守ること”を第一に心掛けるべきではありませんか。最小の費えで最大の安全を確保する政治力、それが今回は全くあべこべで、飛んで火に入ってわざわざ国難を呼び込む愚かさ、中国も韓国も敵視されないアジアに於いて、なぜ我が国だけがテロの恐怖に慄かなければならならいのか。全ては総理のスタンドプレーによる悲劇であり、このようなリーダーを持った不運を嘆くべきか、私が許し難いのは総理の“テロには屈しない”に添えて〝人命第一”を唱えた声明です。
・・・
 それにしても不思議でならないのが共産党の態度です。ひと言も文句を付けずにテロの非難決議に加わったのはどういうわけか。なるほど「イスラム国」は非難に値するとは云え、安倍内閣共々にアメリカの手先になって「イスラム国」征伐に参加せよとは、怒れる国民感情に逆らっては損だとの打算が政府追及の矛先を鈍らせたのか、絶好のチャンスです、どうして安倍政権の暴走を食い止め、内閣打倒の先頭に立たないのか?
・・・
・・・とても淡白な日本人の手に負える争いではありません。
 それであるなら、ややこしい中東には手を触れず、厳正中立のスタンスに立って淡白に考えればどうか。即ち敗戦時に誓った〝二度と戦争はしない、してはいけない”の原点へ戻ればよいのであって、それには憲法が命綱、バカにされようが卑怯だと云われようが、これを唱えて平和教に徹底することです。安倍総理の失敗で生じた傷跡を癒すにはこれしか有りません。・・・」(
ここより)

なぜこうも、日本はバカな国になってしまったのか・・・。顔がキライだった老政治家・小沢一郎氏の意見(ここ)の方が、よっぽどまともだ。
池田氏が指摘するまでもなく、反自民で国民が期待した共産党でさえこの体たらく。こうなっては、政治家に任せられない。国民自身が動き出さねば・・・
まずは政権から送り込まれたNHK会長や委員が居なくなるまで、NHK受信料の支払を保留しようかな・・・。

(2015/02/10追)
「「NHK籾井会長、即刻辞任を」 ジャーナリスト団体
 日本ジャーナリスト会議(JCJ)と市民団体「放送を語る会」は10日、NHKの籾井勝人会長が定例記者会見で戦後70年にあたり従軍慰安婦を番組で取り上げるかどうかについて、「正式に政府のスタンスがよくまだ見えない。慎重に考えなければ」などと話したことを受け、政府の方針に従って番組を制作することを表明したにほかならないとして、即刻辞任を強く求める要望書を同局に出した。
 要望書では、NHKが政府から独立した放送機関であることや、放送法に不偏不党や番組が何人からも干渉、規律されることがないと定められていることを明記したうえで、「政権党の意に従うと宣言したに等しい」としている。2団体は同日、NHK経営委員会にも籾井会長の罷免(ひめん)を求める要望書を提出する方針。」(
2015/02/10付「朝日新聞」ここより)

150209rikasitu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月 7日 (土)

「外れた降雪予報の影響・・・」~もはや風評被害?~気象庁は謝った??

2月5日~6日(2015年)の降雪予報には、皆びびった。
昨年2月の、2度に亘る大雪の記憶がまだ新しいから・・・。そして今回・・・

降雪予報、なぜ外れた 気温下がらず・低気圧予想より南に
 東京都心でも最大5センチや3センチの降雪量――。気象庁は5日、6日についてそんな予報を出したが、いずれも降雪量は記録されなかった。「雨か雪かは微妙な差で予報が難しい」。気象庁の担当者は話している。
150207yuki  都心で雪となるのは(1)本州南岸を低気圧が進み、雲が広がって気温が下がる(2)低気圧に流れ込む水蒸気の量が増え、雲が広がる(3)上空に寒気が流れ込む――などの場合が多い。
 気象庁は4日夕、都心の降雪量が5日夕までに最大5センチと予報。5日夕には6日夕までに最大3センチを予想した。だが、5、6日ともにゼロだった。
 同庁によると、低気圧が予想より南側を進んで雲の範囲が狭くなり、低気圧に流れ込む水蒸気も少なかった。都心では気温2度以下が降雪の目安だが、5日午前3時の気温は4・4度で、午前9時で2・3度。2度を下回った10時ごろから、みぞれとなった。6日は雲が広がらなかった。気象庁天気相談所の松原竹男所長は「予報は当日の気温などで左右される」と話す。
 東京都中野区のホームセンターはスコップや融雪剤を大量に並べた。予想は外れたが、「雪対策の商品を切らさないようにしている」という。 (土居貴輝)」(2015/02/07付「朝日新聞」p32より)

しかし、このハズレによる影響は大きかったようだ。前日から飛行機の欠航が大きく発表されていた。ちょうど札幌雪祭りがあったようで、楽しみにしていたのに欠航で行けなかった人の心中如何に?? まあ実際に雪が降れば、仕方がないと諦めもつくが、積雪ゼロでは、何のための運休かと、怒るのでは??

雪の影響…全日空・日本航空計96便が欠航
 関東地方では5日午前から雨に雪が混じり始め、一部の交通機関に影響が出ている。
 空の便は、全日空が午後の便を中心に羽田空港発着の国内線46便の欠航を決めている。また、日本航空も午後に羽田空港発着の国内線50便の欠航を決めた。鉄道は、東海道・山陽新幹線と東北・秋田・山形・上越・長野の各新幹線や首都圏のJR在来線、私鉄・地下鉄各線も雪などによる目立った遅れもなく、平常通り運転している。・・・」(2015/02/05付(
ここ)より)

今回は良かったらしいが、以前の台風や雪予報でのJRの運休、間引きはひどかった(ここここ)。
そして今回の場合、JRや航空会社で対応がバラバラ・・・。前はJRが、そして今回は飛行機が止まった。各社はそれぞれの情報や基準で運休や欠航を決めているのだろうが、気象庁の出す予報、警報の影響は大きい。

それにしても、ここまで外れると、本家の気象庁の「ハズレ記者会見」はあったのだろうか・・・。台風にしても積雪にしても、「被害が少なかったので、良かったでしょ?」では済まない人たちも居る。もちろん我々庶民も、長靴でどたどた会社に行ったり、交通機関が止まったりで、不便はゼロではない。
そして、カミさんの友人の娘さんが勤めている高級雑貨店では、積雪予報のため、来店者が激減して売上が大きくダウンしてしまい、「ここまで外れると、もはや風評被害だね」と言っていたとか・・・。

気象庁もプロ。自分たちの出す予報が社会に与える影響というものを、もう少し重く考えて頂き、交通機関を止める可能性のある台風や積雪情報の大幅なハズレに対しては、なぜ外れたかについて、予報の責任者が記者会見でキチンと説明責任を果たして頂きたいものだ。

150207kuroneko <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月 6日 (金)

赤瀬川原平 著「老人力」より

先日のNHKラジオ深夜便「神奈川ゆかりの文学作品の朗読」(2015/01/24放送)で、渡邊あゆみアナがこんな一節を朗読していた。

<赤瀬川原平「老人力」より>

これは、「老人力」の「眠る力を探る」という作品の前半の朗読だ。
聞いていて、ナルホド・・・と納得し、ツイこの本を読んでみようか・・・という気になった。図書150206roujinn 館で調べると、あった。しかも「大活字文庫」というのがあった。面白そうなので、これを借りてきた。本を見てビックリ。22ポイントの大文字の本・・・。
確かに老眼にとっては見易いが、如何せん高価。700円台の文庫本が、3千円×2分冊の6千円とは、図書館以外では買えない。
この本をめくってみて、別のことに気が付いた。書いてある事が、実に軽いので、ページをめくるのが早い。いわゆる速読が出来る。目でざっと眺め、主な漢字を追うだけで、だいたい内容が分かる。だから直ぐに読み終えた。

おっと本題・・・。
眠るとか、忘れるとか、自分の意志ではどうしようもないこと。風邪の時の発熱もそうだ。自分の体であって、自分の思い通りには行かない。だからそこに、別の自分を感じる。
その別の自分が、このところ、いよいよ衰えだしてきたのである。見ようと思っても、見えない。聞こうと思っても聞こえない。何とも歯がゆい。
そう言えば、最近の箸の使い方も同様だ。PCのキーの叩き過ぎだとは思うが、右手の箸の使い方で、どうも自由さが衰えてきたように感じる。細かいものを箸で挟む時に、少々努力が必要・・・。

それにしても、こんな本をめくっていると、誰も同じだな・・・と安心もする。しかし、少々「自分もホンモノの老人」になりつつあるな・・・と、ガックリもする。
ま「老人力」という力を信じて、頑張るしかないな・・・

話は飛ぶが、この朗読の「横浜放送局の渡邊あゆみ」アナ。よく聞くベテランの声だな・・・思っていたらNHKの番組「歴史秘話ヒストリア」のアナだった。地方局からの深夜便は、ほとんどが若いアナのギクシャクした放送。これも横浜放送局というので、同じく若いアナかなと思っていたが、この安定した放送に、超ベテランのアナも地方局に居るのだな・・・と再認識した。
最近、深夜便にあまりフィットしない新人アナもいるが、渡邊あゆみアナが定年後に正式なアンカーをやってくれると、実にフィットするな・・・と思うのだが・・・

●メモ:カウント~690万

150206yukari <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月 4日 (水)

「地球の動植物は173万種超」

連日、イスラム国の人質事件の報道がされている。憎しみが憎しみを生む連鎖・・・。つい、「いのち」というものについて考えてしまう。
話は違うが、先日こんな記事があった。

地球の動植物は173万種超
 地球上には、多様な生物がすむ。いったいどれくらいの生物がいるのだろうか。国際自然保護連合(IUCN)によると、専門家が学名をつけて記載している動植物の種の数は2014年11月時点で、173万725種ある。
150204syunokazu  内訳をみると、最も多いのが昆虫で、100万種と半数以上を占める。現在の地球は実は「昆虫の星」といえる。次に多いのが花をつける顕花植物の26万8000種で、クモ類の10万2248種が3番目だ。脊椎動物の中では、魚類が最も多く3万2900種、人間を含む哺乳類は5513種と最も少ない。
 こうした生物種の中でIUCNが絶滅の恐れがある絶滅危惧種に指定したのは2万2413種ある。最も多いのは顕花植物の9905種だ。昨年指定されたことで話題になったニホンウナギや太平洋クロマグロを含む魚類が2222種と続いている。
 世界中で毎年、新しい生物が発見されているが、実は地球上にすむ動植物は1000万~3000万種にのぼると推定されている。いま確認されているのはその1割ほどにすぎず、生物は依然として未知の部分が多い。全体像を把握するには相当な時間がかかるといわれている。」(2015/01/16付「日経新聞」p31より)

地球上には、1000万~3000万の種があるという。その中で最も知恵が発達しているはずのヒト。そのヒトが、憎しみで「いのち」をもてあそんでいる・・・。
しかし、ヒト以外の種に「憎しみ」という感情があるとは思えない。ウチの愛犬メイ子を見ていても、それは分かる。

そのヒト特有の憎しみの連鎖の世界に、日本の政治家はなぜわざわざ日本国民を巻き込むのか?
生まれ、そして老いていく「いのち」。その大切さについて、よくよく考えてみたい。このままでは、いずれ戦場に派遣されてしまかも知れない自衛隊員も、大切な「いのち」なのだから・・・
(義母の危篤の報に接して・・・)

150204ika <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月 3日 (火)

アンゴラの下着は暖かい

結婚すると、自分の知らない世界のことを知ることが出来る。自分にとって、アンゴラの下着はそんなもののひとつ。
この冬も、今は一番寒い時期である。しかし自分は、昔買ったメディマのアンゴラの下着のおかげで、寒さ知らず。通勤でセーターも要らず・・・

カミさんがよく行く、年末の京王ホテルで行われる新宿伊勢丹のバーゲン。前はよく付き合わされたが、そこでカミさんに勧められて買ったのが、メディマのアンゴラの下着。
これはアンゴラうさぎの毛で作ったもので、「アンゴラ兔毛は、毛の内部に空気泡をもってい150203angora るので外気を遮断する二重窓構造。だから、外気と肌の間に空気の壁を作り、冷たい風を肌に通しません。まさに自然が生み出した温度調節素材なのです。
さらにアンゴラ兔毛の大きな特徴は、優れた吸湿性と発散性を併せ持っている点です。吸湿は コットンの約3倍。しかも、吸収した水分を発散させるパワーを持っています。」(
ここより)とのこと。カミさんの話では、冬山登山の人も着ているという。知らなかった・・・

メディマはドイツのメーカーだそうで、買うとき「数千円の下着なんか・・・」とその値段にビックリしたもの。しかしカミさんの「一度買えば長く使えるから・・・」というので、買ってしまった。肌着とズボン下を・・・。それぞれ、何と1万円もするという物を、バーゲンで5千円で・・・
何だか、アンゴラが何%入っているかで、値段が全然違うという。確かに100%の製品だと、何と3~4万円もする・・・。ひとつの下着が・・・だぜ。しかも百貨店でしか売っていない。
しかしこれには参った。確かにホンモノは違う。暖かさが違う・・・。

後年、カミさんが一時期、ユニクロのヒートテックの下着に凝ったことがあった。自分も随分買った。しかし今は全部捨ててしまった。
理由は、汗の吸収・・・。ヒートテックは、生地が薄いのに、確かに暖かい。しかし昼食で熱いラーメンなどを食べたら最後、悲劇・・・。暑くて暑くて、汗がじっとり。それが抜けない。よって後でその汗で寒くなる・・・。
その点、アンゴラはバッチリ。自分の40%のアンゴラでもそんな事がない。

自分は冬になると、それぞれ二つの肌着とズボン下を洗濯しながら交替で着ている。それでどんな風が吹いても、寒くない。それはそれはたいしたものだ・・・

まあ老人になると、どうって言うことのないものに、少し位お金を掛けても良いかも・・・。でもそれが毎日の事だと、恩恵は大きい。
何せ、ウチでは10年以上前に買ったこの下着が、まだまだ現役なのである・・・

良いものは高い。でも充分に元が取れるものもあるのである。(アンゴラ兎さんゴメンね!!)

150203yoshi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月 1日 (日)

「弔辞に拍手を・・・!?」~山田太一氏の話

通勤電車の中で聞いているNHKラジオ深夜便。脚本家・山田太一氏の「未知の自分に出会う“老い”」(2015/01/24 AM0時台)というコーナーでの、こんな話が頭に残った。
先ずは聞いてみて下さい。

<山田太一氏の「未知の自分に出会う“老い”」より>

この話はエッセイとしても出版されているらしい。
『月日の残像(山田太一)新潮社』
「ルナールの日記」から、女優大原麗子の葬儀でのこと
【彼女の女優生活を数十分にまとめた映像が流されたのである。華やかに、いいところをよく選んで編集したビデオだった。私は見ているうちに、これは映写が終ったら拍手をしようと思った。孤独な死を迎えた女優を囲んだ最後のみんなしての集まりではないか。よく生きぬきましたね、と拍手してなにが悪いだろうと思った。
終った。拍手をした。私ひとりだった。なんという非常識というように見る人もいた。平気だった。ルナールの言葉が頭にあった。 なぜ弔・・・・】

この話を聞いて、自分も山田太一氏の「よく生きぬきましたね、と拍手してなにが悪いだろうと思った。」という意見に賛成である。

普通の人の葬儀では、女優生活の映写などは出来ない。良くて友人による弔辞が読まれるくらい。でも弔辞は普通、故人の業績を讃えるもの。それを皆で拍手して、何が悪いのか・・・。
その人の人生に拍手して何が悪いのか・・・。

弔辞という言葉を聞いて、またまた19年前に80歳で亡くなった親父の葬儀のことを思い出す。
親父は、昔の会社の仲間と、麻雀の例会の最中に脳出血を起こして脳死状態になり、次の日に亡くなった。
葬儀では、その麻雀友だちが、一晩かけて書いてくれたという弔辞を読んでくれた。それはジャバラ折りの用紙に、毛筆で書いてくれた立派なもの。
その文言は、もうほとんど覚えていないが、仕事のことを自宅で全く話さなかった親父が、どんな会社人生を送り、どんな老後を送っていたのかを、息子たちはその弔辞でその片鱗を知った。
親父の友人たちは、親父の家族が知らない別の顔を知っていて、それを書いてくれたわけだ。

自分も段々と親父の年齢に近付きつつある。そのせいか、その弔辞をもう一度読んでみたいと思ってきた。
たぶんその弔辞は、兄貴が持っている。何かの機会に、それを探し出して、読んでみよう・・・。

話は戻るが、弔辞での拍手。心では賛成していても、山田太一氏のように実行する勇気は自分には無い。
でも、悲しんで送り出すだけでなく、「よく生きぬきましたね、と拍手して」送り出す葬儀もあって良いような気がする。
しかし弔辞そのものが、そもそも老人の葬儀では無い。誰も書いてくれない。書く人が、そして読む人がいない・・・

4年ほど前に、「細川護熙氏の「私の死亡記事」」(ここ)という記事を書いた。
細川さんと同じく、自分の人生の成果(=弔辞)は、あらかじめ自分で用意しておく必要があるのかも知れない。

150201obaachan <付録>「ボケて(bokete)」より

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