« イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」 | トップページ | 「生きている」ことは“吸収と排泄” »

2015年2月13日 (金)

日本国憲法第12条~国民の不断の努力による憲法保持の義務

先日頂いたtodoさんからのコメントで、日本国憲法第12条に、“国民が憲法を保持する努力をする義務がある”ことを再認識した。

日本国憲法 第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

wikiの「日本国憲法第12条」の項にその沿革がある。
<<沿革>>

<大日本帝国憲法>
なし

<GHQ草案>
(日本語)
第十一条 此ノ憲法ニ依リ宣言セラルル自由、権利及機会ハ人民ノ不断ノ監視ニ依リ確保セラルルモノニシテ人民ハ其ノ濫用ヲ防キ常ニ之ヲ共同ノ福祉ノ為ニ行使スル義務ヲ有ス
(英語)
Article XI. The freedoms, rights and opportunities enunciated by this Constitution are maintained by the eternal vigilance of the people and involve an obligation on the part of the people to prevent their abuse and to employ them always for the common good.

<憲法改正草案要綱>
第十一 此ノ憲法ノ保障スル自由及権利ハ国民ニ於テ不断ニ之ガ保持ニ努ムルト共ニ国民ハ其ノ濫用ヲ自制シ常ニ公共ノ福祉ノ為ニ之ヲ利用スルノ責務ヲ負フコト

<憲法改正草案>
第十一条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならぬのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

<日本国憲法>
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

つまり、国民が憲法を守る活動は、憲法から要請されている「国民の義務」なのである。
よって、憲法の解釈の変更(集団的自衛権の解釈の閣議決定)についての国民としての反対の声(マスコミの報道や、テレビや新聞を通してのジャーナリストの反対の意見を含む)に対して、政権がテレビ局に対して苦情を言うなど(ここ)、憲法違反になるのではないか?

繰り返すが、前に書いた「「報ステ」に対しては、先月23日、コメンテーターの元経産官僚の古賀茂明氏が人質事件の対応で安倍首相を批判した際、官邸の秘書官筋がテレ朝上層部に抗議したという騒動もあった。」(ここ)のような、政権の圧力は、憲法の要請に基づいて国民が果たそうとしている、広い意味での「憲法を守る」義務の活動に対して、それを妨害するまさに“憲法違反の行動”ではないのだろうか・・・

我々国民は、もう一度、この「日本国憲法第12条」に目を向けて、安倍政権の、自政権に都合の悪い発言を封じ込めようとしている動きに、「憲法違反」の視点で反撃する必要があるのではないだろうか。
第九条を初めとする現憲法の保持も、他人事ではなく、我々国民自身の何らかの活動の「不断の努力によって、これを保持しなければならない」のだから・・・

150213musume <付録>「ボケて(bokete)」より


« イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」 | トップページ | 「生きている」ことは“吸収と排泄” »

コメント

「してもらおうとする」「してくれることを待つ」のは「くれない族」(古イネ!)の性だけど、日本国憲法の精神(と民主主義そのもの)は、「待っているだけではそれは失われる。失いたくなければ『不断の努力』がいる。なぜなら、そもそも民主主義そのものが、そういう努力の積み重ねにとって民衆が手にしたものだから。
と、丸山真男の「であることとすること」で読み取って以来、12条が好きです。変えるなんてとんでもない!!!

【エムズの片割れより】
今日の新聞に、公民の教科書に、早くも「集団的自衛権の閣議決定」が載りだした、とのこと。
どんどん既成事実化しています。スゴイですね~!

投稿: Tamakist | 2015年2月14日 (土) 14:10

奢れる人も久しからず・・・猛き人もついには滅びぬ。ひとへに風の前の塵に同じ。ふと平家を思い出しました。民意を無視する総理も塵と同じか。塵を吹き飛ばす風を起こせない他党の議員たちの情けなさ。岸信介の顔が総理の顔に重なって笑っているような気がしませんか。いつか来た道に戻っていますね。

【エムズの片割れより】
実は、このblogを始める時に(反対意見で叩かれるblogにしたくなかったので)「政治的なことは書かない」ことにしました。
しかし、12条を読んで「どんな手段でも国民が声を挙げなければ・・・」と思うようになりました。

投稿: 白萩 | 2015年2月14日 (土) 23:09

今日の朝日新聞の声の欄に、日本の代わりに犠牲になって戦った国のお陰で日本が平和だったという意見があった。しかし、ベトナム戦争も、イラク戦争もアフガン戦争も、日本とは関係がない。やらなくてもよい戦争を正義のためだと莫大なお金を使って戦争をした大国が間違っていたのだと私は思う。もし日本が軍隊を送ったら、日本の上空に軍機が飛び交い日本は第二次大戦の時のように爆弾が落ち街と言う街を焼き尽くされ大勢の国民が死ぬだろう。あの焼跡の惨状を知らない人のいうことは聞きたくない。戦争は絶対に回避すべきだ。戦争で人間を死なせてはいけない。どんな事があっても戦争をしてはならない。not Abe を大声で叫びたい。

【エムズの片割れより】
先日の朝日新聞騒動以来、「声」の欄も朝日が自社に都合の良い意見だけを載せているように感じて、まったく読まなくなりました。
改めて、上の「声」の記事を読んでみました。
「いまも世界中で戦争や紛争が後を絶たない。戦後70年間、日本が戦争をせず、日本国民が命を失うことがなかったのは、他国の国民が憲法9条の制約がある日本に代わって犠牲になってくれたおかげでもあるはずだ。」という意見には、非常に違和感を覚えますね。

投稿: 白萩 | 2015年2月15日 (日) 22:08

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」 | トップページ | 「生きている」ことは“吸収と排泄” »