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2015年1月27日 (火)

学校給食と子どもの貧困

だいぶん前だが、「朝日新聞」の「天声人語」にこんな記事があった。
「自分は中流と考える人が約9割という新聞記事を読んで、向田邦子さんは、これは学校給食の影響だろうと思った。「毎日一回、同じものを食べて大きくなれば、そういう世代が増えてゆけば、そう考えるようになって無理はない」と書いたのは1980年のことだ▼「お弁当」と題したその随筆は、戦前の小学校のお昼というのは、貧富などを考えないわけにはいかない時間だったと続く。そして、「私がもう少し利発な子供だったら、あのお弁当の時間は、何よりも政治、経済、社会について、人間の不平等について学べた時間であった」とある▼そんな一文を、あすから学校給食週間が始まると聞いて思い出した。年配者には懐かしい「ララ物資」による、戦後の学校給食再開がそのルーツだという▼困窮する日本にアメリカなどから贈られた援助物資をそう呼んだ。やがて全国に給食が普及し、小学校のお昼から表向き貧困は消えた。高度成長から80年代ごろは、世の中が最も平均化して見えた時代だろう▼いま中流は細り、子どもの6人に1人が「貧困」とされる水準で生活している。3食のうちしっかり食べているのは給食だけ、給食のない夏休みに体重が減る子がいる――深刻な話も聞こえてくる▼向田随筆ではないが、もう少し利発な政治家や官僚だったら、子どもの苦境から、不平等について学ぶのではないか。親から子へと格差は固定しがちだ。恵まれた世継ぎの多い政界だからこそ、想像力を欠かぬよう願いたい。」(2015/01/23付「朝日新聞」「天声人語」より)

「ララ物資」という言葉は初めて知った。戦後の米国からの食糧支援のことは知っていたが、「ララ物資」は1952年(昭和27年)に終了したらしいので、昭和29年小学校入学の自分の時代には、既に終わっていたらしい。
それにしても、学校給食とは、何とも懐かしい話であり、頭の中を当時の色々な風景がよぎる。
アルマイトのカップに、脱脂粉乳。たまに甘いコーヒー味のものが出て、子ども心に喜んだもの。それに、コッペパンと、なにがしかのおかず。
脱脂粉乳を飲めない女の子がいて、先生を筆頭に「頑張れ!」「頑張れ!」と飲ませたのだから、今考えると幼児虐待!

子どもの貧困では、中学時代のA君を思い出す。今思うと、知的障害者だったと思われるA君。授業に付いて行けず、学校に来ない。そもそも教科書もどこかに・・・。たまに来ても、何も持たずにただ机に座っているだけ。そしてまた欠席が続く・・・。
ある時、「A君に学校に来て貰うには?」という学級内の話し合いがあり、出た結論が「鉛筆や下敷きなどの文房具が無いから、来たくないのでは?」
それで皆で少しずつお金を出し合って、鉛筆やノート、下敷きなどを買って、A君の家に届けに行った。
家は、まるで吹き抜けで、道路側から家を通して庭が見える。家具もほとんど無い。家の中は荒れ果て、小さな弟妹がいたが母親は居なかった。その光景がまだ目に残っている。
後で、その家のことをお袋に話したら、父親は、ウチの親父と同じ会社に勤めているが、母親が居なく、お金を家に置いておけないため、いつも持ち歩いている、とか・・・。
次の日だったか、A君のおばあさんが、妹を背中に背負って、校長のところに来て、「恵んで貰う必要は無い」と文房具を返しに来たとか・・・。おばあさんが育てているのか、家庭の事情は分からなかった。

今考えると、当時子どもだったとは言え、自分たちは無分別なことをした・・・
その頃は、子ども心に、まるで知的障害のような発想が無いため、A君がなぜ皆と一緒に出来ないのか、それが不思議だった。
A君の母親がなぜいなかったのかは知らない。もし母親が居れば、A君ももう少し別の生活が出来たのかも知れない。昭和30年代半ばの話である。

テレビでもよく話題になるが、子どもに、日々の食べ物さえ与えられない家庭がたくさんあるという。特に片親の家庭で多いらしい。
日本の将来を担う子どもたち。それが日々の糧にも困っているとは・・・

それに引き替え、「恵まれた世継ぎの多い政界」の面々・・・。Netを叩けば、直ぐにこんな言葉が出てくる。
「総理は総額25億ドル(約3000億円)の中東支援についても、『日本にとってはたいしたカネではないが、中東諸国にはたいへんな金額だ。今回の訪問はどの国でもありがたがられるだろう』と自信満々で、常人の感覚とは違うなと感じた」(「週刊ポスト」2015年2月6日号 ここより)

上の記事にある「子どもの6人に1人が「貧困」とされる水準で生活している。3食のうちしっかり食べているのは給食だけ、給食のない夏休みに体重が減る子がいる」という実態を政府は知ってか知らずか・・・

ま、首相が言うように、選挙で多くの国民が投票したので、「何をか言わんや・・・」だが、何かチャウ・・・。

しかも、孫崎享・元駐イラン大使が言っているように「安倍晋三首相は中東歴訪の中、1月17日、エジプトで「イスラム国」対策のため、としてイラクやレバノンに2億ドルを支援することを表明した。2億ドルには難民支援、人道支援という名目が付けられている。しかし、安倍首相は「「イスラム国」の脅威を食い止めるため」、「イスラム国と闘う周辺各国に」としており、利敵行為とみなされる。人道支援や、後方支援といった名目に日本人は惑わされやすい。・・・
「イスラム国」の立場からみれば、イスラエルを含む中東諸国を訪問して、公然と「イスラム国」に敵対する示威行動をしたに等しい。「イスラム国」は今回の安倍首相のカイロでの発言を、宣戦布告と見なし、湯川遥菜さん殺害につながってしまった。」
(こより)

ん? 国内に日々食べられない子どもがいるというのに、中東諸国にお金をばらまいたあげくに、日本がイスラム国に「宣戦布告」??
学校給食の話をしていたのに、何で「宣戦布告」の話になってしまう??
政府が早く目を覚まして、人質事件を早く解決してもらわねば・・・

150127ipponn <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

1番始めに給食を食べた日を覚えています。前日に先生から食器を持ってくるように言われて私はアルマイトのお弁当箱を持っていきました。昭和22年の1月か2月だと思います。校舎が焼けてなかったので、空っ風が吹きすさぶ校庭の片隅で鯨の肉の煮たものを玉杓子1杯ずつ貰って食べました。美味いも不味いもわかりませんでした。小学校1年生でした。その後は脱脂粉乳のミルクとか、うどんと野菜の煮込みとか、やっぱり玉杓子1杯ずつの日が杯続きました。5年生の途中からコッペパンとミルクと少しのおかずの完全給食になりました。給食費の払えない子は。先生に嫌味を言われて可哀想でした。全員が貧乏だったので、貧乏が今より苦にはなりませんでした。戦争は物品も精神も貧困にします。貧すれば鈍するは本当だと思います。戦争は絶対にしてはいけないのです。

【エムズの片割れより】
戦後間もない頃は、大変だったんですね。自分の時代は既に完全給食になっていたと思います。でも、小学校の近くで、コロッケとコッペパンを買った記憶があるので、週に数日は弁当だったのかも・・・。
当時は“メモ”がないので、記憶に頼るしか無いのですが、定かではありません。

投稿: 白萩 | 2015年1月28日 (水) 15:25

子供の貧困と言う問題で、一日三食の食事の内まともな食事は学校給食だけとか、だから夏休みには痩せてしまう子供が増えるなどは、
①誰がどういう方法で調査した結果なのか?
②日本の国の中で地域差は無いのか、東京に  限って言っても地域差はないのか?
③給食と言う限り小中学生を対象とした限定的 な調査なのか?幼児は含まれないか?

知りたいです。

投稿: 佐藤久太郎 | 2015年11月30日 (月) 22:39

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