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2015年1月の23件の記事

2015年1月31日 (土)

「脳が顔を認識する仕組み~上下逆転は苦手」

この記事も「ヘェ~」である。
下の写真の右下は、目と口を上下逆にして貼り付けてある。だから異様に見える。右上も実は同じ写真。しかし上下逆転している写真だと、それほど違和感は無い。この現象を「サッチャー錯視」というのだそうだ。サッチャー元首相の顔だと、この現象が分かり易いため、その名が付いたとか・・・

脳が顔を認識する仕組みは? 上下逆転はなぜか苦手
 人は他人の顔の特徴をどうやって読み取るのか。家族や知人か、初対面の人か。喜怒哀楽は? 顔や表情の識別は社会生活を営むうえで極めて重要だ。現代の脳科学は識別の仕組みをまだ十分に明らかにしていない。
 「見ているものが顔だという認識と、それがだれで、どんな表情であるかの認識は脳内の別の神経細胞が担う」と産業技術総合研究所の菅生康子主任研究員は話す。
 顔の識別に関係する神経細胞は右の側頭葉にある。人間とサルの顔の画像と、同じ画像の上下を逆さにした倒立画像をサルに見せて神経細胞の活動を調べたところ、興味深いことがわかった。
 脳はまず顔であることを識別、少し遅れて表情など顔の詳細をチェックすることがわかった。顔を識別する第1段階で使う情報の量は顔が正しい向きでも倒立でも違いはなかった。しかし、顔のチェックは正しい向きと倒立では神経細胞が処理する情報量に差があることがわかった。倒立画像の方が少ないのだ。
150131kao  心理学では「サッチャー錯視」と呼ばれる現象が知られている。顔が逆さになっていると口や目などに加えられた画像操作に気づきにくい。英国のサッチャー元首相にちなんで名づけられた。同首相の顔写真を加工して例示されることが多い。
 顔が倒立だと、脳は顔の細部を的確に把握できないようだ。サルの実験で見つかった情報量の少なさは、倒立した顔を見たときに「神経細胞がうまく情報処理できないことの現れではないか」と菅生主任研究員はみる。
 顔認識の仕組みを解明する研究はこの10年ほどで急速に進みつつあるという。磁気共鳴画像装置(MRI)を用いた研究で、脳のどの部位が認識時に活動しているかわかってきたことが大きい。
 ただわからないことがまだたくさんある。脳がなぜ倒立画像での表情識別が苦手なのか、その理由も現状ではわかっていない。さらに脳が識別した顔の特徴を記憶にある顔の画像とどのように照合して個人を識別しているかなど、より解明が難しそうな課題がある。
 表情などから相手の気持ちを察する能力は集団生活に欠かせない。
 表情が読めなかったり相手が誰だか識別できなかったりする「相貌失認」と呼ばれる障害がある。また認知症になると家族の顔を忘れる。こうした症状がどうして生ずるのかを知り治療法などを見つけるうえでも、顔認識の仕組みの解明が役に立つと考えられる。(編集委員 滝順一)」(2015/01/25付「日経新聞」p17より)

理屈は別にして、この現象はなかなか面白い。
Netで検索すると、色々なサイトで実体験できる。(ここここなど)

もし自分が“次の世”で、「お見合い写真」を撮るとしたら、上下逆の顔写真を作る事にしよう。自分の顔の造作のいい加減さが、バレないかも知れないので・・・

150131sunaba <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月30日 (金)

津村謙の「上海帰りのリル」

最近、見直している歌がある。懐かしのメロディーの代表曲である津村謙の「上海帰りのリル」。
この超有名な歌。聞けば聞くほど、「ヒットするはずだ」と思う。津村謙の「ビロードの歌声」とタンゴの軽快なリズム・・・。聞いていて何とも心地よい。

<津村謙の「上海帰りのリル」>

「上海帰りのリル」
  作詞:東条寿三郎
  作曲:渡久地政信

船を見つめていた
ハマのキャバレーにいた
風の噂はリル
上海帰りのリル リル
あまい切ない思い出だけを
胸にたぐって探して歩く
リル リル どこにいるのかリル
誰かリルを知らないか

黒いドレスを見た
泣いていたのを見た
戻れこの手にリル
上海帰りのリル リル
夢の四馬路(スマロ)の霧降る中で
何もいわずに 別れた瞳
リル リル 一人さまようリル
誰かリルを知らないか

海を渡ってきた
ひとりぼっちできた
のぞみ捨てるリル
上海帰りのリル リル
くらい運命(さだめ)は二人で分けて
共に暮らそう 昔のままで
リル リル 今日も逢えないリル
誰かリルを知らないか

150130tsumuraこの歌は昭和26年(1951年)の歌だが、歌詞にある「四馬路」って何だろうと、Netで検索してみた。
するとこんな解説が見つかった。
「「四馬路」とは四頭だての馬車が通れる程の広い通りの繁華街と云う意味で、当時は上海の海岸通りを“夢の四馬路(すまろ)”と呼んだのです。」(ここより)

「夜霧のブルース “・・・夢の四馬路か 虹口の街か・・・”
・・・四馬路(スマル)は主として欧米列強の租界、虹口(ホンキュ)は日本租界だったところで、歌詞の<青い夜霧に>というのは、黄浦江の河口に租界(上海ボンド)があり、テ-ムズ河口の霧のロンドンのように霧が出やすく、そこに歓楽街の紅い灯、青い灯が映って冒頭の表現となるのです。「上海帰りのリル」にもこの地名が出てきますが、四馬路や虹口にいた女性はソノ筋の女性ということになります。・・・」(
ここより)

なるほど・・・。つまりリルは、当時の上海の租界(外国人居留地)の“ソノ筋の女性”らしい・・・。

まあそれはそれとして、JASRACのデータベースを見ると、さすがに超有名曲だけあって、歌っている人が51人も登録されていた。

自分はこのうち、何曲持っているかを調べてみたら、津村謙の他には、鮫島有美子、倍賞千恵子、三橋美智也の歌があった。

このうち、三橋美智也の歌を聞いてみよう。

<三橋美智也の「上海帰りのリル」>

昭和36年(1961年)に37歳で事故死したという津村謙。さすがにこの歌の音源はSP盤のひとつしかない。この「ビロードの歌声」で、上の三橋美智也のようなステレオ再録をしてくれていたら良かったのだが、望むべくも無く・・・

内容的には重い歌ではないが、日本人の心に永遠に残る、珠玉の歌である。

150130yonsai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月29日 (木)

「帰れる場所」と「埋めたどんぐり」

先日の日経新聞にこんな記事があった。
手帳の中のどんぐり 千早茜
 家に帰れなくなったらどうしよう、という不安がいつもある。
 両親からも夫からも「家猫」と呼ばれる私はたいそう家が好きで、家で好きな音楽を聴いて本を読んで茶を淹(い)れ自分の匂いのする寝床で眠れれば、何の不満もなく生きていける。大きな声では言えないが、なんとか家に居続ける方法はないものか、と考えた結果、小説家という職業にいきついたところが多分にある。
 思えば、小さい頃から心配性だった。家族と旅行にいくと、あらゆる悪い事態を想定した。それが本当に起こった場合の精神的衝撃をやわらげようとしていたのだろうと思うが、飛行機で海外にいったり、アフリカの地平線の果てまで延々と続くまっすぐな道を見てしまったりすると、何かあったらもう自力では家に帰れない、と絶望的な気持ちになった。旅行の度にうっすら死を意識していた子ども時代の私は、不幸想像力においては誰にも負けていなかった気がする。何の得にもならない能力なのだが。
 そんな私の性格を知ってか知らずか、はじめての一人暮らしをする際、母は私に封のされた小さなポチ袋を手渡してくれた。私が北海道から京都の大学に入った時のことだった。「なにかあったらこれで帰ってらっしゃい」と母は言い、そのポチ袋の中には北海道までの運賃が入っていると説明してくれた。「なにかあったら」という言葉を聞いた瞬間に、十通りくらいの不幸な「なにか」を想像してしまった私は、そのポチ袋に非常な安心をもらった。これがあれば家に帰れると感謝をし、手帳のポケットにしまった。大学生活は楽しかった。結局「なにか」は起きず、一度も一人暮らしが寂しいと感じたことすらなかった。
 けれど、心配性は治らず、いつの頃からか自分はそういう人間だと割りきるようになり、治そうと思うこともなくなった。東京に出張にいく時、取材旅行にいく時、家から離れるどんな時でも、私は帰りの運賃を別に取っておく。カードでは駄目、ちゃんと現金でなくては安心しない。そして、運賃といっても正規の料金ではなく、非常事態用の料金を想定して若干多めの額を用意する。例えば大阪で飲む時だったら、酔い潰れてもいいように京都までの深夜タクシー代くらい。それを、財布や鞄(かばん)や手帳や化粧ポーチなどのポケットに隠しておく。隠しておく理由は、素敵(すてき)なものに巡り合った時についつい使ってしまわないようにだ。心配性の私は自分すら信じていない。
 しかし、非常事態は起きず、私は予定通りちゃんと家に帰る。一度終電を逃したことがあったが、二時間かけて黙々と歩いて帰った。なので、埋蔵金はどうなるかというと、たいてい冬支度のリスのごとく忘れる。忘れた結果、ある日、鞄の整理や手帳の更新、もしくは新しい隠し金をつくる時に発掘される。我が家ではそれを「どんぐり」と呼び、「どんぐり発掘されたよー、ご飯でも食べにいこう!」と喜び合う。自分のお金であることをすっかり忘れて、空からお金が降ってきたかのような幸福感にひたる。雪の下からどんぐりを見つけたリスもあんな気持ちなのだろう。一人で心配したり喜んだり、不幸も幸福も自作自演なところが虚(むな)しい気もするが、もしかしたら、すべてのことは自分の気の持ちようなのかもしれない。そういえば、あのポチ袋どうしただろう。(作家)」(2015/01/27付「日経新聞」夕刊p7より)

何とも、読んでいて楽しい。
「なにかあったらこれで帰ってらっしゃい」と母親から渡されたポチ袋・・・。どんなにか心強いか・・・
人間にとって、帰ることの出来る場所、そして自分の居場所は、心の安定に非常に重要なので・・・。

先日、TVドラマを見ていたら、「戦前の結婚は、家と家が決めて、結婚式で初めて見ることも普通だった。それを今は恋愛だとか何だとか言うくせに、離婚率は戦前の方が低かった」と言っている場面があった。
自分が「その通りだな」と言うと、カミさんから反論。昔の家は、一度嫁に出したら最後、帰る家は無かった。婚家で何かあっても、実家には入れて貰えず、結局病気になって死んでしまう。それに引き替え、今は「いつでも帰ってらっしゃい」が普通・・・
さてさて、どちらが良いものやら・・・

さて、上の記事。自分もカバンにはいつも500円玉を放ってある。小銭が無くて困ることはある。その時に、カバンの中をごそごそやると出てくるのは有り難い。
ハンカチなども同じ。忘れることを前提に、いつもカバンにひとつ入れてある。たぶん誰でもやっていること・・・
しかし、上の筆者のように、それをマジメに捉えると何とも可笑しい。
家の中をごそごそやると、100万円位発掘されると楽しいが、そもそも埋めた記憶がないので、まあ我が家では出て来ない。
おっと、そう言えば、昔、兄貴から着なくなったブレザーを貰ったことがある。家に帰って着てみたら、内ポケットに*万円の現金。その“発掘したどんぐり”をどうしたかって??
そんなこと・・・、言えない・・・

150129pet <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月28日 (水)

「マスク」に思う

マスク大キライ人間だった自分が、この1週間マスクを付けて出社している。
もちろん事の起こりは、10日ほど前からの風邪。それが何とか治って、会社に行こうとすると、カミさんから「マスクを付けて!」という命令。
そもそもマスクは、他人に迷惑を掛けないために付けるのだとか・・・
仕方なくマスクで通勤。もちろん息が苦しいのと、メガネが曇るのでキライなのだが、付けてみると、それほど息が苦しくない。それと、マスクの保湿効果によってか「鼻血」が出なくなった。自分の冬場の鼻血は乾燥が原因(ここ)なので、メリットはあるようだ。
まあこの位の苦しさなら・・・と、会社でもしばらく付けていることにした。

さてマスク効能なのだが、マスクをしていると何か安心であることを発見した。
Netで見ると「だてマスク」も多いらしい。その効能はやはり「自己防衛本能」「自分だけの空間作り」「表情を見られたくない」等々があるらしい。
特にこの「表情を見られたくない」は、立場が逆の場合、不愉快な面もある。相手の表情が分からないため、非常に話しづらい・・・。会話をしていても、話がギクシャクしてくる・・・。
思い出すのが、数年前、会社から帰ろうとしていたら、その日で会社を辞める人が来て「お世話になりました」という。いちおう挨拶はしたものの、マスクをしていたので相手の表情が読めず、自分の言葉も空虚になり、なぜか「失礼なヤツだ」と感じたもの。
そんなこともあり、マスクはキライなのだが、付けてみると、何という安心感・・・

そう言えば、こんな事があった。先日、電車に乗ると、車両のある一部に人がいない。見ると、誰かが吐いた痕・・・。これから電車は混んでくる・・・。滑って転ぶ人が出るかも・・・。普通は、途中で降りるので放っておくのだが、マスクをしていたその時の自分は違った。
読み終わった新聞をその上に置いた。すると電車に乗り込んできた人は、ん?とその部分に注意する。吐いた後か・・・と気付いて、歩く時に避けて歩く。自分はマスクをしていたから、知らんフリしてやったが、マスクをしていなかったらやっていなかったかも・・・。

もっとも、家に帰ってその話をカミさんにしたら、「新聞を置くことでかえって滑りやすくなったのでは?」と言われてしまった。
ま、マスクをしていたので、誰が置いたか分からないので、バレることは無いな・・・、と安心した。

150128gorogoro <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月27日 (火)

学校給食と子どもの貧困

だいぶん前だが、「朝日新聞」の「天声人語」にこんな記事があった。
「自分は中流と考える人が約9割という新聞記事を読んで、向田邦子さんは、これは学校給食の影響だろうと思った。「毎日一回、同じものを食べて大きくなれば、そういう世代が増えてゆけば、そう考えるようになって無理はない」と書いたのは1980年のことだ▼「お弁当」と題したその随筆は、戦前の小学校のお昼というのは、貧富などを考えないわけにはいかない時間だったと続く。そして、「私がもう少し利発な子供だったら、あのお弁当の時間は、何よりも政治、経済、社会について、人間の不平等について学べた時間であった」とある▼そんな一文を、あすから学校給食週間が始まると聞いて思い出した。年配者には懐かしい「ララ物資」による、戦後の学校給食再開がそのルーツだという▼困窮する日本にアメリカなどから贈られた援助物資をそう呼んだ。やがて全国に給食が普及し、小学校のお昼から表向き貧困は消えた。高度成長から80年代ごろは、世の中が最も平均化して見えた時代だろう▼いま中流は細り、子どもの6人に1人が「貧困」とされる水準で生活している。3食のうちしっかり食べているのは給食だけ、給食のない夏休みに体重が減る子がいる――深刻な話も聞こえてくる▼向田随筆ではないが、もう少し利発な政治家や官僚だったら、子どもの苦境から、不平等について学ぶのではないか。親から子へと格差は固定しがちだ。恵まれた世継ぎの多い政界だからこそ、想像力を欠かぬよう願いたい。」(2015/01/23付「朝日新聞」「天声人語」より)

「ララ物資」という言葉は初めて知った。戦後の米国からの食糧支援のことは知っていたが、「ララ物資」は1952年(昭和27年)に終了したらしいので、昭和29年小学校入学の自分の時代には、既に終わっていたらしい。
それにしても、学校給食とは、何とも懐かしい話であり、頭の中を当時の色々な風景がよぎる。
アルマイトのカップに、脱脂粉乳。たまに甘いコーヒー味のものが出て、子ども心に喜んだもの。それに、コッペパンと、なにがしかのおかず。
脱脂粉乳を飲めない女の子がいて、先生を筆頭に「頑張れ!」「頑張れ!」と飲ませたのだから、今考えると幼児虐待!

子どもの貧困では、中学時代のA君を思い出す。今思うと、知的障害者だったと思われるA君。授業に付いて行けず、学校に来ない。そもそも教科書もどこかに・・・。たまに来ても、何も持たずにただ机に座っているだけ。そしてまた欠席が続く・・・。
ある時、「A君に学校に来て貰うには?」という学級内の話し合いがあり、出た結論が「鉛筆や下敷きなどの文房具が無いから、来たくないのでは?」
それで皆で少しずつお金を出し合って、鉛筆やノート、下敷きなどを買って、A君の家に届けに行った。
家は、まるで吹き抜けで、道路側から家を通して庭が見える。家具もほとんど無い。家の中は荒れ果て、小さな弟妹がいたが母親は居なかった。その光景がまだ目に残っている。
後で、その家のことをお袋に話したら、父親は、ウチの親父と同じ会社に勤めているが、母親が居なく、お金を家に置いておけないため、いつも持ち歩いている、とか・・・。
次の日だったか、A君のおばあさんが、妹を背中に背負って、校長のところに来て、「恵んで貰う必要は無い」と文房具を返しに来たとか・・・。おばあさんが育てているのか、家庭の事情は分からなかった。

今考えると、当時子どもだったとは言え、自分たちは無分別なことをした・・・
その頃は、子ども心に、まるで知的障害のような発想が無いため、A君がなぜ皆と一緒に出来ないのか、それが不思議だった。
A君の母親がなぜいなかったのかは知らない。もし母親が居れば、A君ももう少し別の生活が出来たのかも知れない。昭和30年代半ばの話である。

テレビでもよく話題になるが、子どもに、日々の食べ物さえ与えられない家庭がたくさんあるという。特に片親の家庭で多いらしい。
日本の将来を担う子どもたち。それが日々の糧にも困っているとは・・・

それに引き替え、「恵まれた世継ぎの多い政界」の面々・・・。Netを叩けば、直ぐにこんな言葉が出てくる。
「総理は総額25億ドル(約3000億円)の中東支援についても、『日本にとってはたいしたカネではないが、中東諸国にはたいへんな金額だ。今回の訪問はどの国でもありがたがられるだろう』と自信満々で、常人の感覚とは違うなと感じた」(「週刊ポスト」2015年2月6日号 ここより)

上の記事にある「子どもの6人に1人が「貧困」とされる水準で生活している。3食のうちしっかり食べているのは給食だけ、給食のない夏休みに体重が減る子がいる」という実態を政府は知ってか知らずか・・・

ま、首相が言うように、選挙で多くの国民が投票したので、「何をか言わんや・・・」だが、何かチャウ・・・。

しかも、孫崎享・元駐イラン大使が言っているように「安倍晋三首相は中東歴訪の中、1月17日、エジプトで「イスラム国」対策のため、としてイラクやレバノンに2億ドルを支援することを表明した。2億ドルには難民支援、人道支援という名目が付けられている。しかし、安倍首相は「「イスラム国」の脅威を食い止めるため」、「イスラム国と闘う周辺各国に」としており、利敵行為とみなされる。人道支援や、後方支援といった名目に日本人は惑わされやすい。・・・
「イスラム国」の立場からみれば、イスラエルを含む中東諸国を訪問して、公然と「イスラム国」に敵対する示威行動をしたに等しい。「イスラム国」は今回の安倍首相のカイロでの発言を、宣戦布告と見なし、湯川遥菜さん殺害につながってしまった。」
(こより)

ん? 国内に日々食べられない子どもがいるというのに、中東諸国にお金をばらまいたあげくに、日本がイスラム国に「宣戦布告」??
学校給食の話をしていたのに、何で「宣戦布告」の話になってしまう??
政府が早く目を覚まして、人質事件を早く解決してもらわねば・・・

150127ipponn <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月26日 (月)

「テレビの力」~NHKの報道姿勢

先日、日経新聞にこんな記事があった。
テレビの力 今野 敏
 普段は、あまりテレビを観(み)ない。いつ頃からそうなったのか、記憶が定かではないが、おそらくここ二十年くらいは、ほとんどテレビの前で過ごすことがなくなった。
 とはいえ、まったく見ないわけではなく、朝起きたときは(とはいってもかなり昼近くになってからなのだが)情報番組などを眺めている。たまに自宅で夕食をとるときは、NHKのニュースなどをかけている。
 毎週水曜日の夜は、空手の指導日で、そのまま道場生と飲みに出かける。隔週の火曜日は棒術の指導で、やはり飲みに行く。月に一回、日曜日に棒術の集中稽古があり、その日もたいてい飲みに行く。
 推理作家協会代表理事として、各出版社のパーティーにも出席する。編集者との打ち合わせと称して飲みにでかけることもある。
 それやこれやで、毎月スケジュールを眺めると、夜はほとんど自宅にいない、ということになってしまう。
 たまに、夜を自宅で過ごすことができると、本当にほっとする。それは貴重な時間だ。そういうときに何をしているかというと、海外ドラマのDVDなどをレンタルしてきて、まとめて観る。そういうわけで、テレビ番組をゆっくり視聴する環境にないことは確かだ。
 年末年始は、北海道の実家に帰り、それなりに時間があったので、ずいぶんとテレビを観た。
 そして、やっぱり退屈してしまった。どのチャンネルも似たような顔ぶれで、似たようなことをやっている。もう、お笑い芸人の顔を見るだけでうんざりという気分だった。
 別に芸人さんたちの責任ではあるまい。それを使う側の問題なのだと思う。どんなにおもしろい芸人さんでも、毎日毎日テレビに出ていると、観るほうも飽きるし、出演するほうにも緊張感がなくなるのは当然だろう。そして、楽屋落ちというか、視聴者には関係ない出演者の個人的な話題があまりに多いと感じた。
 いつだったか、大江健三郎さんが、テレビに出る芸人は、反射神経でしゃべっている。会話というのは、もっと思慮深くあるべきだ、という趣旨のことを言われていたことがあり、いたく納得したことがある。
 ドラマにしても、「本気で作ってるのか」と疑いたくなるものが多い。いろいろ事情があるのだろうから、無前提に批判はしたくないが、観る気が起きないのはいたしかたないだろう。
 子供の頃は、テレビに釘(くぎ)付けだった。兄弟で必死にチャンネル争いをしたものだ。あの頃と今は何が変わったのだろう。
 おそらく、観る側も作る側も変わってしまったのだと思う。環境も大きく変わった。かつては、テレビは茶の間の中心だった。家族はテレビを観るために茶の間に集まった。
 作り手は茶の間に送るべく番組を作ればよかった。今はそういう時代ではない。作り手もたいへんなのだと思う。
 とはいえ、今でもテレビの力は大きいと感じる。テレビに出ている人が有名人、という図式は今も昔も変わらない。報道機関としてのテレビの影響力は大きい。主に世論を形成するのはいまだにインターネットよりもテレビなのだ。昨今は、テレビがその力を持て余しているような気がしてならない。(作家)」(2015/01/14付「日経新聞」夕刊p7より)

自分はホンモノのテレビ好き人間。
でも見ると言っても、ほとんどがNHK。民放のお笑い番組は大キライ。特に、タメ口のようなヘンな節を付けた言い方をする男声アナウンサーには辟易・・・。
そんな自分だが、最近、傾向が変わってきたように思う。つまりニュースなど、NHK一辺倒だったのが、民放のニュースも見るようになってきた。
NHK会長が首相のご指名で送り込まれた影響かどうかは分からないが、NHKニュースを見るときに、疑りの目で見るようになってきてしまった。NHKのニュースは、何かフィルターが掛かっているような・・・。
例えば、今起こっているイスラム国の人質事件の2度目の声明で、安倍首相を名指しで言っている部分。
「Abe, you killed Haruna. You did not take the threats of my captors seriously and you did not act within the 72 hours.」
この部分が、どう報道されているのか、タイムシフトVTRで各局をチェックしてみた。すると、在京民放4局(除TV東京)のニュースでは、イスラム国の声明がそのまま字幕付きで全文堂々と報道されていた。
しかし、NHKでは要約のみの報道で、上の部分の報道は無い。

NHKニュース「これは私とともに拘束された湯川さんが殺害された写真だ」「(無し)」「妻よ愛している。2人の子どもに会いたい」
日テレ(NNN)「安倍 お前が遥菜を殺したのだ」(英語の音声付き)
TBS(JNN)「遥菜さんを殺したのは安倍(首相)あなただ。2人の娘と妻に会いたい」
フジ「安倍首相 あなたがハルナ(湯川遥菜さん)を殺した」
TV朝日「安倍首相 あなたがハルナを殺したのです」

これらは局の方針なのだろう。しかし視聴者から見ると、まず「事実」を知りたい。“メディアの意志”の入っていない事実を・・・
それがどうもNHKではムリになってきた様子なのである・・・

読売新聞始め、新聞各紙が「安倍(首相)、あなたが(湯川)遥菜さんを殺しました。あなたは私が捕らえられているという脅しを真剣に受け止めず、72時間以内に行動しませんでした」と報道する中で、NHKの報道姿勢が少々気になる。

でも「テレビの力」は絶大。自らの意思で買って読む新聞と違って、勝手に耳に入ってくるので・・・
ま、ご用心、ご用心・・・。(どうしても人質の話に行ってしまう!!)

150126nyuusankinn <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月24日 (土)

戦後70年間戦争をしなかった国は8カ国

今朝の日経「大機小機」にこんな記事があった。
戦後日本70年の総括
 戦後70年にあたって発表予定の首相談話が注目されている。日本は戦後の荒廃から目覚ましい勢いで立ち直り、最も成長した平和国家である。その発展の教訓を伝えて世界に貢献する希有(けう)な機会である。
 戦後70年間戦争をしなかったのは国連加盟193カ国のうち8カ国しかなく、アジアで日本以外はブータンだけである。世界に誇るべき歴史である。戦前も歴史だが、戦後70年は現代に暮らす人間には十分に長く、より重要な歴史である。戦後生まれが総人口の8割にもなり、戦争を望んでいる日本人はいないだろう。何よりも、戦争は引き合わない。
 戦後70年の歴史の本質は何か。日本が開戦した契機は領土拡張による石油資源の確保であった。だが、戦後日本が高度成長できた原因は自国内に資源を持たなかった点にこそある。
 国内に資源を持たないため、世界中で最も高品質で最も低価格の資源を選んで輸入し、加工することで高い付加価値を生み、さらなる輸入資源の購入原資を得ることができた。加工貿易を糧として生き、付加価値を生む技術や世界に売れる新製品の開発に突き進んだ。資源があれば、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉のときの農産物と同じで、国内産業保護のため輸入は制約される。
 成長の源泉は領土ではなく、絶えざる技術進歩であり、それを生む人材教育である。日本の教育は、江戸時代に寺子屋が普及し、識字率が当時としては世界最高水準だった。明治以降の急速な近代化もその基礎の上にある。戦後の民主化は社会の自由度を高め、西欧以外では初の先進国となった歴史は途上国の目標でもある。・・・(桃李)」(2015/01/24付「日経新聞」p17より)

この記事の中で「戦後70年間戦争をしなかったのは国連加盟193カ国のうち8カ国しかなく、アジアで日本以外はブータンだけである。」という部分を読み、その国はどこだろう?と思った。
Netで見ると、その国は、アイスランド、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、スイス、ブータン、日本の8カ国“らしい”。(公式なサイト情報は見つからなかった。別の8カ国を紹介したサイトもある。ノルウェー、デンマークが、オーストリア、ジャマイカに入れ替わっている)

誰も思い付くスイスを除くと、北欧の国々ばかり。
この理由は?とNetで検索していたら、こんな記事が見つかった。
何故北欧諸国は戦後、戦争に巻き込まれなかったのですか?

大戦後の戦争の原因になるものが、北欧諸国には無かった。
戦争の原因として
①米ソ対立の発火点という地政的な位置には無かったこと。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフリカ、アフガンなどの米ソの代理戦争とは無縁の地政的な位置でした。
②民族対立
中東戦争、バルカン諸国などがそうですね。
③宗教対立
中東戦争、印パ紛争
④経済的な貧困
北欧諸国などはおしなべて豊かな国です。
⑤政体の未成熟
民主主義が確立しており、独裁者のアンバランスな政治とは無縁であり、バランスの外交を行っている。
=====
ノルディックバランス、つまりアメリカとロシアの間のバランスを上手く取りながら外交政策をしてきたからです
ただしスウェーデンやフィンランドは国連PKF(国際連合平和維持軍)という形であちこちの鉄火場に首を突っ込んでいますし戦死者もいます。・・・」(
ここより)

ん? 戦後、「戦争をしなかった」と評価されている国にも戦死者は居る??
すると、こんな記事があった。

戦後70年、1人の戦死者も出さず 黄金時代を生んだ平和主義を検証する
・・・だが、大局的に見れば、将来の史家は戦後70年を日本史上の「黄金時代」と呼ぶかもしれない。日本のようにこの70年間戦争をせず、平和を享受してきた国は世界196ヵ国(北朝鮮を含む)の中でも極めて少ない。2011年に米英軍による攻撃で始まったアフガン戦争では、ドイツは最大時5000人を派遣し、死者54人が出た。中立国だったスウェーデンも最大時506人を派遣、死者5人、オーストリアは派遣3人(死者なし)、フィンランドは派遣181人(死者2人)、アイスランドは8人(死者なし)、スイスも密かに32人を出し、軽傷者2人との報道もあった。
 欧州でも、南北アメリカ、アジア、中東、アフリカ、太平洋でも、ほとんどの国が第2次大戦後も直接の戦争当事国となったり、海外派兵を行い、内戦が起こるなど、多くの戦死者を出してきた。そのなかで、人口1億2800万人、GDP4.8兆ドルの大国である日本が70年間も戦闘で1弾も発射せず、テロの犠牲以外には1人の戦死者も出していないのは奇跡に近い平和政策の成功、と思わざるをえない。」(
ここより)

なるほど・・・。軍の海外派兵で戦死者が出ているのか・・・
しかし、安倍政権の方向を見ると、スウェーデンやフィンランドと同様、今後「戦闘によらない戦死者*」だけでなく、「戦闘による戦死者」が今後出てくるかも知れない。
(*なお、2004年の「イラク日本人青年殺害事件」の1人は、自衛隊をイラクから引き上げることを要求され、“小泉首相は即座に「テロに屈することはできない。自衛隊は撤退しない」と表明した。30日(日本時間31日)、首を切断された遺体が発見され、後日になって殺害の模様が公開され、その後その動画がインターネット上に流布する事態となった。”という経緯から、自分は日本の「戦闘によらない戦死者」だと思っている。)

今回事件の引き金となった、(石油輸入の安定のために?)積極的に中東に出ていって、国際貢献を・・・という方向は、日本国民にとって、どうしてもキケンだと思わざるを得ない。
少なくとも、「政治」(自衛隊の海外派兵や積極的平和主義など)による国民の死者が出ることだけは避けたいと願うのだが・・・

150124syokun <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月22日 (木)

「いいがかりつけてなかった? 徳川家康」

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(文化の扉 歴史編)いいがかりつけてなかった? 徳川家康
 関ケ原の戦いの後、豊臣方が建立した京都・方広寺の鐘の銘文にいいがかりをつけて、大坂冬の陣を起こしたとされる徳川家康。だが、史料からみる限り、実情はいささか異なるようだ。

 徳川家康は1542年、松平広忠の嫡男(ちゃくなん)として岡崎城(愛知県岡崎市)で生まれた。62年、尾張の織田信長と同盟。72年に三方ケ原の戦いで武田信玄に大敗するものの版図を広げ、84年の小牧・長久手の戦いでは当時、最大勢力を誇っていた豊臣秀吉を苦しめる。
150122ieyasu  豊臣政権下の五大老となってからも天下を狙う野望を胸に、1600年の関ケ原合戦では豊臣恩顧の大名を裏切らせて石田三成率いる西軍を破る。
 1603年には征夷大将軍に任じられ、05年にはそれを息子の秀忠に譲るも、14年、豊臣秀頼が建立した京都・方広寺の釣り鐘の銘文に「国家安康」「君臣豊楽」とあるのを「家康の名を引き裂いて呪詛(じゅそ)するもの」といいがかりをつけて大坂冬の陣を起こす。さらに講和の際、外堀だけの約束だった大坂城の堀を内堀まで強引に埋めて裸城にし、翌年の夏の陣で豊臣氏を滅ぼしたとされる。ドラマなどでは、腹黒い狸(たぬき)おやじというイメージで描かれることが多い。
     *
 だが、こうした家康像は修正が必要なようだ。
 国際日本文化研究センター教授の笠谷和比古(かさやかずひこ)さん(日本近世史)は、方広寺の鐘に関する家康の抗議は「筋が通っており、捏造(ねつぞう)などではない」と話す。
 証拠は銘文を選んだ僧の清韓が残した弁明書だ。清韓は「国家安康と申し候は御名乗りの字をかくし題に入れ」と記し、意識的に「家康」の2文字を入れたことを認め、祝意を込めたと主張する。
 だが当時、人をその諱(いみな)(この場合は家康)で呼んだり、諱を無断で鐘銘に使ったりするのは礼を失する行為。「一方の『君臣豊楽』では豊臣の文字を入れて秀頼や秀吉などの諱は使っていない。呪詛といわれても仕方ないのでは」
 また、大坂冬の陣の後に行われた堀の埋め立ても、外堀だけの約束だったのを徳川方が強引に内堀まで埋め立てたとされるが、当時の第一次史料にはそうした記述はないという。「二の丸や三の丸の堀の埋め立てには1カ月以上を要しており、その間にトラブルが生じた様子もない。豊臣方が止めるのを押し切り、徳川方が勢いで埋めたというような事があったとは考えにくい」
     *
 笠谷さんによれば、家康は元々、豊臣家を滅ぼそうなどとは考えていなかった可能性が高いという。
 関ケ原合戦の前に、のちに東軍に属する武将が集まって行われた小山評定は、当初は石田三成の謀反を鎮定してほしいという増田長盛や淀殿の要請に応じる形で方針が決定されており、関ケ原後の領地の再配分も、あくまで五大老の筆頭という立場で行っている。
 「領地の給付状況をみると、西日本には徳川譜代の大名がまったく配されていない。家康は、東日本は徳川、西日本は豊臣という、『二重公儀体制』による全国支配を考えていた節がある」
 家康が征夷大将軍に任じられ、それを息子の秀忠に継がせる形としたのも、「秀頼には将来、秀吉と同じく公家の最高位の関白になってもらい、将軍と関白という二つの権威でそれぞれ日本を治めようとしたから」と推測される。
 では、なぜ家康は豊臣氏を滅ぼしたのか。笠谷さんは「彼は二重公儀体制を志向しながら、自らの死後、実績のない秀忠ではそれを支えきれないと危惧していた」と話す。「豊臣の一大名に戻れればいいが、徳川家が滅ぼされてしまう可能性の方が高い。悩んだ末に踏み切ったのだと思います」
 幕府成立後、神君と尊ばれ、神にまで祭られた家康だが、明治維新以降は新政府の旧敵ということでマイナスイメージが強調されるようになる。しかし歴史は家康も悩める人間であり、人の親であったことを私たちに教えてくれる。(編集委員・宮代栄一)」(2015/01/12付「朝日新聞」p24より)

この論は、なかなか面白い。自分は今まで、銘文や堀の埋め立ての話も、そして、いいがかりの理屈も含めて、まったく疑ってこなかった。
しかし、特に堀の埋め立てなど、確かにこれは大工事。1ヶ月以上も工事をしていたら、その工事を拒否したり妨害することは出来たはず。それが、もし平穏に行われていたとすると、約束があったという考えも分かる。

徳川家康といえば、山岡荘八で読んだ。読書家ではない自分だが、30年以上前、世界で一番の長編ということで、山岡荘八の「徳川家康」を読んだ。現役真っ盛りの頃だ。
この本は面白く、次々と読破していくのに達成感を覚えたもの。1冊を一晩で読んだ事もあった。それを読み終えた後、同じく山岡荘八で「豊臣秀吉」も読んだ。この時期、山岡荘八に少し凝っていた。
だから、上の二つの話も、完全に疑っていなかった。それを覆すとは、何とも面白い。

肝心なのは、証拠。
上の記事によると、清韓が「意識的に「家康」の2文字を入れたことを認め、祝意を込めたと主張する。」とある。
一方、wikiの「大坂の陣」の項にはこうある。
「この事件は豊臣家攻撃の口実とするため、家康が崇伝らと画策して問題化させたものであるとの俗説が一般に知られているが、上記にあるように、いずれの五山僧も「家康の諱を割ったことは良くないこと」「前代未聞」と回答し、批判的見解を示したものの、呪詛までは言及しなかった。しかし家康の追及は終わらなかった。例え、銘文を組んだ清韓や豊臣側に悪意はなかったとしても、当時の諱に関する常識から鑑みれば、このような銘文を断りなく組んで刻んだ行為は犯諱であることには違いなく、呪詛を疑われても仕方のない軽挙であり、祝意であっても家康本人の了解を得るべきものであった。姓が用いられた豊臣と、諱が用いられた家康の扱いの差についての指摘もある。家康のこの件に対する追求は執拗であったが、家康の強引なこじつけや捏造とはいえず、崇伝の問題化への関与も当時の史料からみえる状況からはうかがえない。しかし、崇伝も取り調べには加わっており、東福寺住持は清韓の救援を崇伝へ依頼したが断られている。清韓は南禅寺を追われ、戦にあたっては大坂城に篭もり、戦後に逃亡したが捕らえられ、駿府で拘禁されたまま1621年に没している。なお鐘と銘文は、方広寺にそのまま残され、現代に至っている。」
なるほど・・・。少なくとも、自分の思い込みは、どうもそれだけではないようだ。

一方、堀の埋め立てについては、同じくこうある。
「和議条件の内、城の破却と堀の埋め立ては二の丸が豊臣家、三の丸と外堀は徳川家の持ち分と決められていた。この城割(城の破却)に関しては古来より行われているが、大抵は堀の一部を埋めたり、土塁の角を崩すといった儀礼的なものであった。
しかし、徳川側は徹底的な破壊を実行する。松平忠明、本多忠政、本多康紀を普請奉行とし、家康の名代である本多正純、成瀬正成、安藤直次の下、攻囲軍や地元の住民を動員して突貫工事で外堀を埋めた後に、一月より二の丸も埋め立て始めた。二の丸の埋め立てについては相当手間取ったらしく周辺の家・屋敷を破壊してまで埋め立てを強行した。講和後、駿府に帰る道中に家康は埋め立ての進展について何度も尋ねている。工事は23日には完了し、諸大名は帰国の途に就いた。この際、門や櫓も徹底的に破壊されている。
豊臣方は「二の丸の埋め立ては当方の受け持ちである」と抗議したが、徳川方は「工事が進んでいないので、手伝う」といい約定破りのかたちでそのまま、埋め立てを行ったという説もある。」

これも、なるほど・・・である。

つまりドラマのように、「問答無用!」ではなかったようだ。
和議条件で、三の丸と外堀とともに、二の丸も埋められるようになっていたとすると、誰が埋めようが良い訳で、「言い掛かり」では無い事になる。

今回は、自分の再認識の勉強用だが、風説とは別に、歴史には色々な事実や背景があるということだ。歴史は奥が深い・・・

150122sora <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月21日 (水)

「イスラム国」の人質声明の動画

大事件の勃発である。Youtubeにアップされた「イスラム国」の人質声明の動画(これ)を、下記の記事が文字で描いている。日本のテレビ報道では、なぜか最初のNHK国際ニュースの場面が放送されない・・・
人質の日本人、表情を変えず 「イスラム国」の動画
 過激派組織「イスラム国」が公開したとみられる動画は、NHKの国際ニュース映像で始まる。
 キャスターが英語で「中東地域への数百万ドルの援助と円借款を発表し、その地域での過激主義の広がりに懸念を示した」と述べ、安倍首相が中東地域への支援を表明したとの内容だ。
 映像は、首相とエジプトのシーシ大統領との会談映像を挟んだ後、首相の演説の場面になる。「テロと大量破壊兵器がその地域に広がれば、国際社会は多大な打撃を受けるだろう」との発言が英語で流れる。
 その後、銃声2発が響き、「日本の首相と国民へ」という英語とアラビア語の文字が出てくる。画面は砂漠に切り替わり、目以外の部分を黒い衣装で覆って立っている男と、その前でオレンジの服を着て中腰で後ろ手で座らされている男性2人が出てくる。2人の男性には「KENJI GOTO JOGO」と「HARUNA YUKAWA」の字幕がつき、左が後藤健二さん、右が湯川遥菜さんだと示している。
 黒装束の男は「日本の首相はイスラム国から8500キロ以上離れた場所にいるかもしれないが、あなたは自ら進んで(対「イスラム国」の)十字軍への参加を志願した。我々の女性と子供たちを殺し、イスラム教徒の家々を破壊するために、1億ドルを得意げに提供した」と批判。「したがって、この日本人市民の命の値段は1億ドルとなる」と言い、左手に持ったナイフを後藤さんとみられる男性に近づけた。
 次に、湯川さんとみられる男性の方もナイフで指し、「イスラム国の伸長を食い止めようと、イスラム国と戦う兵士の訓練のために、あなたはさらに別の1億ドルを提供した。したがって、このもう1人の日本人男性の命も1億ドルだ」と続けた。
 最後に「日本国民へ」と話し始め、「イスラム国と戦うために2億ドルを払うというあなたたちの政府のバカげた決定のために、72時間以内に日本政府に対して、2億ドルをイスラム国に支払うという賢明な判断を迫らなければならない。あなたたちの市民の命を救うために。さもなければ、このナイフはあなた方にとっての悪夢となるだろう」と脅迫した。
 後藤さんとみられる男性は終始、口を真一文字にして目を開き、まっすぐ前を見つめていた。湯川さんとみられる男性も、前を見て姿勢をほとんど変えなかった。」(
2015/01/20付「朝日新聞」ここより)

「イスラム国」の声明全文
 過激派組織「イスラム国」が流したとされるビデオでの声明は次の通り。
       ◇
 日本の首相へ
 あなたは「イスラム国」から8500キロ以上離れた場所にいるかもしれないが、あなたは自ら進んで(対「イスラム国」の)十字軍への参加を志願したのだ。あなたは我々の女性と子供たちを殺し、イスラム教徒の家々を破壊するために、1億ドルを得意げに提供したのだ。したがって、この日本人市民の命の値段は1億ドルとなる。
 さらに、あなたは「イスラム国」の伸長を抑えようと、イスラム戦士に対抗する背教者を訓練するために、もう1億ドルを差し出した。したがって、このもう1人の日本人市民の命の値段も1億ドルとなる。
 そして、日本国民へ
 「イスラム国」と戦うために2億ドルを払うというあなたたちの政府の馬鹿げた決定のために、あなたたちは72時間以内に日本政府に対して、2億ドルを「イスラム国」に支払うという賢明な判断を迫らなければならない。あなたたちの市民の命を救うために。
 さもなければ、このナイフはあなたたちにとっての悪夢となるだろう。」(2015/01/20付「朝日新聞」p9より)

数日前にこんな記事もあった。
自衛隊、ジブチの拠点強化 防衛省、有事にも使用検討
 アフリカ東部のジブチに海賊対策で設けた自衛隊拠点について、防衛省が中東有事での哨戒機派遣や緊急時の邦人救出など、多目的に使えるよう施設の強化を検討していることが防衛省関係者への取材でわかった。長期間の使用が前提で、中東・アフリカの活動拠点として新たに位置付ける。安全保障法制の審議と並行して検討を進め、2016年度予算に施設建設などに向けた必要経費を計上することを目標にする。
 事実上の「海外基地」(防衛省関係者)で、安倍政権下で進む安保法制の転換によって自衛隊の海外任務が拡大することを見越した動きだ。
150121jieitai1  拠点は、ジブチ国際空港に隣接する12ヘクタールをジブチ政府から賃借。約47億円かけて司令部庁舎や隊舎、P3C哨戒機3機分の駐機場と1機分の格納庫などを建設し、11年6月に開設した。
 海賊対処法に基づいて、哨戒機2機を運用する航空機部隊を中心にした海自の約110人と拠点警備に当たる陸自の約70人を4カ月交代で派遣。ソマリア沖・アデン湾を航行する客船や商船を海賊から守る派遣目的に沿って使われている。
 防衛省や自衛隊の複数の幹部によると、検討中の計画では、海賊対策以外にも、災害派遣や国連平和維持活動(PKO)のほか、有事やテロなどの際に自衛隊部隊を送り込んだり、物資を輸送したりするアフリカ・中東の拠点として活用する。自衛隊法など安保法制を改正するなかで、多目的化する内容を定める。
 あらかじめ配備した陸自の軽装甲機動車を使って陸路で邦人を救出する▽駐機スペースを拡大して政府専用機や輸送機で邦人を輸送する▽海賊対策として常駐させている哨戒機を中東有事の際に警戒監視のために現地に送る――といった案が浮上しているという。
150121jieitai2  ジブチには、仏軍基地やアフリカ唯一の米軍基地があり、北大西洋条約機構(NATO)諸国も駐留する。防衛省は、15年度予算案に調査検討費として3千万円を計上。米英仏の各国軍の海外基地の活用法と、施設整備や維持の費用について調べる。
 防衛省幹部は「積極的平和主義に基づけば、自衛隊が海外に唯一持つ拠点を生かす方策を考えるのは当然だ。米国やNATOとの連携、テロ情報の共有といった観点からも拠点の多目的化は有益だ」と説明する。(福井悠介、三輪さち子)
     ◇
 〈ジブチ〉 正式名称はジブチ共和国。2万3200平方キロメートル(四国の約1.3倍に相当)に約90万人が暮らす。人口の94%がイスラム教徒。1977年にフランスから独立した後、内戦が断続していたが、2001年に終結した。サウジアラビアを中心とするアラブ穏健派との関係が深い。首都はジブチ。」(2015/01/19付「朝日新聞」より)

そして、今朝の日経新聞にはこんな記事も・・・
「・・・首相は会見で、2億ドルの資金援助を「避難民の方々が命をつなぐための支援だ」と強調した。17日のカイロでの演説では「支援するのはイスラム国がもたらす脅威を少しでも食い止めるためだ」とも述べていた。
 自衛隊の海外派遣などを通じて積極的に地域の平和と安定に貢献する「積極的平和主義」は安倍外交の土台だ。集団的自衛権の行使を認める議論では「戦争に巻き込まれることはあり得ない」「むしろ日本に戦争を仕掛けようとするたくらみを防ぐ抑止力になる」と説明してきた。野党などからは日本が紛争解決などに深くかかわれば、日本人がテロなどの犠牲になるとの声が出ている。・・・」(2015/01/21付「日経新聞」p3より)

安倍首相の言葉が何であれ、結果として、イスラム国からの“日本を見る目”は、この動画だということらしい。
昨夜来、「映像は合成だ」という指摘がある。今夜のNHKのニュースも朝日の夕刊も、その話・・・。誰が見てもこれは合成映像だ。しかし、それがどうした・・・。人質が現実であり、黒装束の男がホンモノなら、人命救助からはまったく意味のない議論のような気がする。よほどネタがないのか・・・。
昨夜もテレビで解説者が「お金に色は付いていないから」と言っていたが、確かに、幾ら「軍事目的ではない」と説明をしても、相手に通じるとも思えず・・・。難しい・・・。

それにしても、上の記事のように、国民が「戦争に巻き込まれるのでは・・・」と心配していたことが、あまりに急激に現実の問題になってきた。
しかしマスコミが、「映像は合成だ」ばかりで、日本がなぜ今こんな事態に至ってしまったのか、については、ほとんど言及していないのが気になる。
自分は典型的なノンポリであり、ただただ「戦争だけはしてはいけない」と願うだけなのだが、この人質の二人が「戦後日本70年の最初の戦死者」にならないことだけを祈りたい。

(参考サイト)(2015/01/23追)
「志村建世のブログ」より「no more war 池田幸一メール 安倍総理が今なすべきこと」 

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2015年1月20日 (火)

パン屋「カフェ・ド・ハルン」~八王子「道の駅」の左隣

カミさんから「行こう」と言われて、「ウン、行こうか」と簡単にうなずくパン屋が、八王子「道の駅」の左隣にある150120harune1 「カフェ・ド・ハルン」というパン屋である。
カミさんが誰かのクチコミで聞いてきた店で、自分が誘われて行ってみたのが数年前。特に自分は「コロッケバーガー(126円)」がお気に入り。

場所は、中央高速八王子インター側の、新滝山街道にある八王子「道の150120harune1_2 駅」の左隣にある。コンビニのサンクスの隣に、イタリアンレストランの「マードレ・イタリアーナ」と、ここ“美味しいパンとコーヒーの店”「カフェ・ド・ハルン」が並んで一体運営されている。
150120harune2 よって駐車場は共通なので、自分はいつも空いている手前の「マードレ・イタリアーナ」の駐車場を利用している。右隣のコンビニとの間に通路があるのだが、コンビニの駐車場を使うと罰金らしい。
このパン屋、何よりも値段が安い。105円~180円などで、先日も8個買ったが、計1,054円だった。今どき、適当に取って130円平均など、安い。
150120harune3 ドリンク類は170円。面白いのが、パンの取り方。入り口に使い捨てのビニールの手袋が置いてあり、普通のパン屋のように、パンをハサミで取るのではなく、手で取るのだ。
重いお皿と、組み立て式の紙箱が置いてあり、持ち帰り分は箱に入れる。そしてレジで、お盆に・・・
種類はどの位あるのか・・・。数えていないが数十種類・・・。そう言えば、レジの後に「ご予約分」の棚があったので、あらかじめ予約して作って置いて貰う人もいるみたい・・・

150120harune2_2 この店、年中無休らしいが、近くの創価大の女学生がバイトで入っているらしく、人手は困っていなさそう・・・。
しかし行くのは平日で、それも昼を避けた時間帯が良い。休日や平日の昼など、駐車所に入れない。先日も平日の11時半頃行ったが、帰りは12時を回っていたせいか、駐車場がいっぱいだった。

ロッジ風の建物も良いが、山小屋風のトイレもキレイ。八王子「道の駅」に来られたときは、チョコッと寄ってみたらいかがでしょう・・・。
お薦めです。(なお、写真はNetで拾ってきたので、最新ではない)

150120shiage <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月19日 (月)

風邪でダウン中・・・

いやはや自分の体も老化のせいか、弱くなったものだ。

昨年の11月に久しぶりに風邪を引いたが、また同じように風邪でダウン中。今回は、咳と痰から始まり、珍しくマスクをして出勤したのだが、(土)から微熱。それ以来のダウン。
11月にもらった解熱剤も、咳を止める薬も、飲んだら一応効果はあるみたい・・・
しかし、この微熱というヤツが、自分は大の苦手。ちょこっと微熱があるだけでめげてしまう。

今回も、今朝未明に目を覚ました時に、熱を測ったら38.1℃。これにはビックリ。それまで最高は37.4℃だったのに・・・。
これはインフルかも知れない・・・と、近くの医院に行くことにした。5時半に予約電話をすると、もう13番・・・。 みなさん早い・・・。

医院で、インフルの検査をして貰ったら、陰性とのこと。とりあえずはホッとしたが、それにしてもこの微熱がしつこい。
前回のメモを見ると、発熱は5日間続いていた。
ん?とすると(水)まで下がらない??

抗生剤は風邪には効かないという。でも肺炎防止にいちおう飲んでいるのだが・・・
たまたま今は下がっているので、パソコンを叩いているが、こんな事をしていると、たぶんバチが当たって、また熱が出るな・・・。

今、測ってみたら、ヤバイ! 36.7℃だ!! 微熱だ~~~
自分は寝る以外の方法を知らない。パソコンなど叩いていないで、早く寝ようっと・・・

67才のこの体。もう賞味期限が近いのだろうか・・・
(カミさんは「体を動かさないから!」の一点張り。まあそうだろうけど・・・)

(2015/01/20追)
つくづく、体というものは、自分のものであるが、自分の意志では動かない、不思議な存在だと思う。
熱があって寝ている時、どうしたら最も早く治るのだろうと考える。しかし「黙って静かに寝る」こと以外、思い付かない。しかし、だからと言って、自分の意志通りに良くなるとは限らない。そこには、自分とは違う意志をもった存在を見る。
自律神経のように、生物として体内で勝手に動く仕組みがあることは知っている。しかし、それがもどかしく感じるとが病気の時・・・
風邪は、教科書通りに、時間が経つと自動的に(?)治ってくれる。それは有り難いが、これが、別の病気の時は、色々と考えさせられてしまう。
先週、会社で打合せの最中に、突然右目に大きなゴミが飛んだ。目にゴミが入ったような異物感もない。ほどなく、ゴミはあまり気にならないほどになったものの、飛蚊症の突然の発症であった。
改めてNetで見ると「生理的飛蚊症」は治らないという。これも右耳の難聴と一緒で、仕方がないと諦めるしかない。空を見ると、左目はツルンとしているが、右目は何やら細かい点々が無数に見える。ゴミも・・・
こうして段々と体のあちこちに故障が顕在化してくる。老化・・・。それに対する解は「運動」だという。
(カミさんからの圧力を筆頭に、)これから「運動」という文字が、自分の人生の中で「飛蚊症」のように、飛び交うのであろう・・・。

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2015年1月16日 (金)

「涙のムハンマド」載せるか…日本の新聞のスタンス

最近、各紙の「スタンス」に興味を持っている。今回の仏週刊紙の風刺画掲載についても、各紙の判断が分かれており、面白い。
涙のムハンマド」載せるか…日本の新聞、判断分かれる
 「涙のムハンマド」は載せるべきか否か――。仏週刊新聞「シャルリー・エブド」が14日、銃撃事件後初めて発売した特別号。その風刺画の掲載をめぐって、日本の新聞では判断が分かれた。各紙に取材した。
 風刺画は、イスラム教の預言者ムハンマドが目から涙をこぼし、連続テロに抗議する合言葉「私はシャルリー」と書いたプラカードを胸に掲げている。特別号の表紙は、この絵に「すべては許される」の見出しがついている。
 朝日新聞は15日朝刊で風刺画の掲載を見送った。14日朝刊で長典俊ゼネラルエディターが風刺画掲載の考え方を表明。同日、東京本社で開かれた紙面会議でも15日朝刊に「特別号発売」の記事を掲載するにあたり、風刺画の扱いが議論になった。販売されている場面の写真に絵柄が写り込むのは許容という意見もあった。沢村亙編集長は中東に詳しい記者らと協議し、最終的に見送りを決めた。「紙面に載れば大きさとは関係なく、イスラム教徒が深く傷つく描写だと判断した。たとえ少数者であっても、公の媒体としてやめるべきだと考えた」。記事では絵柄を具体的に説明。イスラム教徒の受け止めも紹介した。
150116asahi  毎日新聞は、現段階で掲載は考えていないという。小川一(はじめ)編集編成局長は15日朝刊で「表現行為に対するテロは決して許されず、言論、表現の自由は最大限尊重されるべきだ。しかし、言論や表現は他者への敬意を忘れてはならない。絵画による預言者の描写を『冒とく』ととらえるイスラム教徒が世界に多数いる以上、掲載には慎重な判断が求められる」と述べた。
 読売新聞グループ本社広報部は、風刺画を掲載していない理由について、「表現の自由は最大限尊重すべきものだと考えています。ただし、今回の風刺画を掲載するかどうかについては、社会通念や状況を考慮しながら判断していきます」とコメントした。
 東京新聞は13、14両日の紙面に風刺画を掲載した。「イスラム教を侮辱する意図はない。『表現の自由か、宗教の冒とくか』と提起されている問題の判断材料を読者に提供した」と説明する。14日朝刊では、フランスの風刺文化とイスラム社会の原則との溝の深さを指摘する記事を掲載し、「他者の尊重や文化の違いから生じるトラブルを防ぐ努力を各国が行わなければならない」と報じた。
 共同通信は風刺画を配信。「表現の自由をめぐる事件に関連した動きであり、読者の知る権利に応える責務があると判断した」という。産経新聞も14日朝刊で掲載し、「読者に判断してもらう材料として掲載した」。やはり同日朝刊に掲載した日本経済新聞は取材に「記事・写真掲載の経緯や判断は公表していない」と回答した。
 一方、ニュースサイト「ザ・ハフィントン・ポスト」は13カ国でトップページへの掲載の対応が分かれた。日本版の高橋浩祐編集長によると、米国本社が世界同時掲載を提案。米、仏、韓国など9カ国が同調したが、日本はトップページでの掲載は見合わせた。高橋編集長は「トップ掲載は、その国の編集方針として支持していることを意味する。表現の自由へのテロに屈しないという趣旨には賛成だが、イスラム教徒にとってムハンマドの肖像画は冒とくにあたり、風刺画は違うと感じた」と話す。(斉藤佑介、吉浜織恵)
     ◇
<大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理)の話>
 日本のメディアでは「風刺」が軽んじられ、その評価に一貫性がない。風刺画は市民が社会で感じる漠然とした違和感や疑問を表現するもので、抑圧の体験や歴史から生み出されてきた文化であり知恵だ。ヘイトスピーチとは違う。
 欧州では、多様な表現の自由が守られることで社会秩序が保たれると考えられる。日本では表現の自由は尊重するとしながら、社会秩序を乱してまではどうかと考えるメディアがあり対応が割れている。改めて表現の自由や風刺に対する考え方を明確にしてほしい。

<内藤正典・同志社大教授〈イスラム地域研究〉の話>
 特別号の表紙掲載は見送るのが賢明だ。ただ、あの絵を掲載すべきかどうかは、あくまで非イスラム世界の議論だ。
 シャルリー・エブド紙は過去に執拗(しつよう)に預言者ムハンマドをからかう絵を載せてきた。挑発であろうがなかろうが、イスラム教徒は一連の事件と経緯を知っている以上、風刺画は教徒の誰もが見たくない。テレビ局の中には都内の教徒に特別号の表紙を見せて取材する局もあったが、無神経だ。イスラムに対するリテラシーがないのであれば、報道は慎重であって欲しい。」(2015/01/16付「朝日新聞」p33より)

これをどう捉えるか?
自分は概ね、毎日新聞のスタンスに近い。
「判断材料を読者に提供した」というスタンスも分かるが、これらは「話題になっている風刺画とはどんなもの?」という読者の素朴な疑問に応えるもの。
しかし、その気になれば、読者はNetで幾らでもそれがどんな絵か、調べることが出来る。その読者の「興味本位の物見」に対して、公の媒体があえて火に油を差す再掲載をする重みがあるのかどうか、どうも自分は疑問を感じる。
これは政治の与野党の論戦とは違う。政治姿勢を風刺している絵とは根本的に違う。政治家は批判されることは承知の商売。しかし宗教がらみの、人の琴線に触れることは、それとは違う。それはムハンマドも、イエス・キリストもお釈迦さまも、はてまた北朝鮮の独裁者も同じ位置付けかも知れない。
人が信じているものは、信じていない人から見れば無価値。だからと言って、信じている人の心をえぐることをして良いかというと、それは違うと思う。

どうも、今回の事件は、人の「思いやり」の問題のような気がする。
(自分はあまり好きな言葉ではないが、)日本は「お・も・て・な・し」、つまり「思いやり」の国だそうなので、「日本では起こり得ない事件」と思いたいが、どうだろう・・・

150116syoumi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月15日 (木)

高英男の「ロマンス」

先日、FMで高英男の「ロマンス」という歌を聞いた。
これは本場のシャンソンなのだが、何とも歌謡曲っぽくって、自分にフィットした。

<高英男の「ロマンス」>

「ロマンス」
  作詞:アンリ・バシス
  作曲:ジョゼフ・コズマ
  訳詞:中原淳一

友よ 聞きたまえ この愛の歌
とわの幸せを かなでる歌を
パリ 君こそ我が 心の友よ
喜びもうれいも 君とともに

青い光あび パリの街角
恋の心の なぜにときめく
パリ 君こそ我が 心の友よ
喜びもうれいも 君とともに

Paris, qui n'est à personne,
Est à toi si tu le veux.
Mon amie je te le donne
Ce cadeau c'est pour nous deux.

悲しみもさちも ふたりの胸に
秘めて歌う歌 パリのロマンス

それにしても、音が悪い。幾らSP盤の復刻とは言え、スクラッチノイズがひどいのが残念・・・

さて、高英男をwikiで調べてみると、こうある。
「昭和26年(1951年)、フランス・パリへ留学。ソルボンヌ大学に学ぶ。
昭和27年(1952年)、帰国。帰朝リサイタルでは、フランスから持ち帰った『愛の讃歌』『ロマンス』『詩人の魂』などを日本人では初めて披露する。また、このときの中原淳一の発案で、日本人のシャンソン歌手第一号となる。昭和28年(1953年)、キングレコードから『枯葉/ロマンス』でレコードデビュー。」

つまりこの歌は、高英男のデビュー盤のB面だった。
そして、NHKの紅白歌合戦でも、1953年~1960年まで、7回出場したうち、3回この歌を歌ったという。

それにしても、聞いていると、シャンソンというより、日本の歌謡曲でも通るような旋律に聞こえる。何とも心地よい歌・・・

この歌のオリジナルは、ジュリエット・グレコだという。
最後に元祖に敬意を表して、ジュリエット・グレコでも聞いてみよう。

<ジュリエット・グレコの「ロマンス」>

140115hou <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月14日 (水)

違和感を覚えるフランスの風刺画

連日、仏週刊紙の銃撃事件についての報道が流れている。
仏週刊紙、銃撃事件後初めて発行 短時間で売り切れ
 フランス連続テロ事件で銃撃を受け編集長らが殺害された風刺週刊紙シャルリエブドが14日、事件後初めて発売された。犠牲を乗り越えて最新号を発行した同紙はテロに対する不屈の精神の象徴と受け止められている。パリの売店では早朝から多くの市民が買い求め、短時間で売り切れ状態になった。
 イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画が掲載された1面のレイアウトは12日に公表された。イスラム圏に限らず、転載に慎重なメディアが多数派を占める国もあり、「表現の自由」をめぐる議論が巻き起こる可能性がある。」(
2015/01/14 18:02共同通信)
シャルリー・エブド紙の発行部数は通常5万部前後だが、この最新号は500万部だったという。(最終的には、「通常の実売の200倍を超す空前の700万部を刷り、1万件程度だった定期購読は20万件に急増したという。」2015/02/07付「朝日新聞」)

表現の自由を謳い、西欧の首相級がデモ行進をしている。しかし、この風刺画と表現の自由との関係について、自分はどうも違和感を覚える。
フランスには日本についての風刺画もあるという。
「フランスでは風刺画が活発に描かれますが日本についても福島第一原発関連でいくつもの風刺画が描かれ、日本で不評を買っていました。
150114fuusi 今回のテロで犠牲になったイラストレーターの中には、以前別の風刺新聞でこんな風刺画を描いていた漫画家が含まれています。これは原発事故でやせ細り手が3本生えた力士がオリンピック競技に出場しているとしたもの。リポーターはマイクを持って「福島のおかげで相撲がオリンピック競技になりました」と伝えています。
この風刺画は菅官房長官が遺憾の意を示すほどの話題になりました。」(
ここより)

日本ではそれほど馴染みがない風刺画を理解するためには、上の絵をみてどう感じるか、が分かり易い。
自分には、原発事故で避難を余儀なくされている多くの人たちや、その対応に当たっている人たちの心を踏みにじる絵にしか見えない。これが「表現の自由」という次元なのかどうか・・・
先の北朝鮮の金正恩の暗殺を題材にしたハリウッド映画「ザ・インタビュー」についても、同様な違和感を覚えた。

人の琴線に触れるようなことを、なぜあえて行うのか。もちろん動機は「売れる」こと、「儲150114charlie け」だ。売らんが為に、宗教レベルのことでもあざける。それは、風刺というより、侮辱であり、あまりにも低俗な議論。「表現の自由」というような高尚な議論ではない。
まさに新大久保のヘイトスピーチと同じ次元。

話は変わるが、実は、当サイトの最初の記事が「己所不欲、勿施於人」(ここ)。

子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、
子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人

子貢(しこう)問いて曰く、「一言にしてもって終身これを行なうべきものありや」、
子曰く、「それ恕(じょ)か、己の欲せざるところは、人に施すなかれ」

これは非常に難しい事。しかし実行できるかどうかは別にして、これは人の常道だと思う。
人のいやがることを、あえて売らんが為に、「表現の自由」という衣をまとって火に油を注ぐ仏紙の行動・・・。そこには巻き添えで命を失った人への哀悼の意は見えない。
そして世界がそれに踊り、経営不振だったシャルリエブド紙は一躍世界的に有名になってしまった。
こんな動きは、どうも自分は好きになれない。

「表現の自由」も、もう少し品性を持った、誰でも納得できるような議論にしたいものである。

●メモ:カウント~680万

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2015年1月12日 (月)

遊休農地の有効活用~「農地バンク」の貸し手不足

先日、「人口減少は怖くない」??(ここ)という記事で、「放置されて荒れ果てた農地が、米国のような機械化された広大な工業農地に生まれ変わったら・・・、と考えると、何と楽しいことか・・・。“新”日本列島改造論で、少人数日本に向けた新たな国作りなど、ワクワクする楽しい話ではないか・・・。しかも、それを国主導の民力活用で推進すれば・・・」なんて勝手なことを書いたが、何と、既に動いていることを知った。

先日の日経新聞にこんな記事があった。
農地バンク足りぬ貸し手 政府目標達成に黄信号 所有者尻込み、改革に影
 点在する農地や耕作放棄地をまとめて借り上げ、税金で整えたうえで生産者に貸し出す農地バンク(農地中間管理機構)。減反廃止を決めた安倍政権下の2014年春に鳴り物入りで始まったが、活用がなかなか進まない。企業などの需要は旺盛だが、農地の供給が増えないためだ。今年度内に14万ヘクタールを貸し出す政府目標の達成は微妙だ。

借り手需要多く
 「借りたいという希望は多いんですが……」。全国有数の米どころ、宮城県の農地バンク担当者は浮かぬ顔だ。借り受け希望面積は2万ヘクタールを超すが、14年12月上旬時点で手当てのめどがついたのはわずか750ヘクタール。今年度に1700ヘクタールの農地を貸し出す目標の達成に黄信号がともり始めた。
 宮城県はまだマシな方かもしれない。群馬県では1700ヘクタールの目標に対し、実績は90ヘクタールどまり。農地バンク担当者は「貸し手の掘り起こしが遅れた。今年度はそれほど動かないだろう」と話す。
 政府は18年に国主導でコメの生産量を減らす生産調整(減反)をやめて、経営者が自由150112nouchibank に生産できる体制を整える。10年間で140万ヘクタールの農地をまとめて、大規模生産者などに集約する計画。「農地バンク」は減反廃止の推進と表裏一体のプロジェクトだが、需要と供給がかみあわない。
 全国ベースで見ると、3万の生産者が合計23万ヘクタール借りたいと14年9月末時点で希望している。政府は今年度に14万ヘクタールの農地を貸し出す目標を掲げるが、潜在的な農地の需要はもっと大きい計算だ。企業も約500社が1万ヘクタールの借り受け希望を提出した。
 だが、昨年8月末時点で全国で貸し出した農地はわずか552ヘクタール。農林水産省は「農地の貸し出しは冬場に増える。15年3月末に評価すべきだ」と強調するが、目標達成への道筋が見えない。
 貸し出す農地の確保は困難との懸念は当初からあった。農地バンクの貸し出しは10年が基本だ。「返してもらえなくなるのでは」「近所の知り合いならいいが、よく知らない生産者には貸したくない」。地域の共同体を意識する地元農家の間ではこうした声が依然として多い。
 農地を相続しながら都市部で会社勤めしたり、農家をやめたのに農地を所有する「土地持ち非農家」の掘り起こしの難しさを指摘する声もある。土地持ち非農家は全国で137万戸で、約20万ヘクタールを所有する。非農家は県外など全国に点在している可能性がある。

補助金で後押し
 政府は当初2年間だけで1200億円以上の税金を投じ農地保有者の背中を押そうとしている。貸し出し面積に応じ30万~70万円を配る経営転換協力金、農地バンクがすでに借りている農地の隣接地を貸す場合に10アール当たり2万円を交付する耕作者協力金、まとまった農地を貸した地域に10アール当たり2万~3万6000円を配る地域集積協力金の3本柱だ。
 農地バンクの利用率も都道府県ごとに順位づけし定期的に公表する。自治体の競争を促すことで農地の供給拡大につなげる狙いだ。
 参考になりそうなのが熊本県の事例だ。
 「私に農地を預けてください!」。14年12月2日、熊本県の地元紙にこんな一面広告が掲載された。
 蒲島郁夫熊本県知事と熊本のマスコットキャラクター「くまモン」の着ぐるみが並び、農地バンクへ農地の貸し出しを呼びかけた。県内のイオンなど6カ所で「農地貸し出し応援キャンペーン」も開催。県は農地バンクの担当部署も設け50人体制を整えた。農業の衰えが地域衰退に直結しかねないとの切迫感がある。
 効果は出ている。14年11月には熊本市に経営面積200ヘクタールを超える農事組合法人「熊本すぎかみ農場」が設立された。農地バンクを活用して拡大した農地でコメ、麦、大豆の低コスト生産をめざす。200ヘクタールを超す法人の設立は県内で2カ所目になる。
 政府は企業でも農地を所有できる農業生産法人への出資比率を原則25%未満から50%未満に広げる。5年後には50%以上の出資容認も検討する。農業の生産性を高め競争力向上につなげる狙いだが、肝心の農地の確保が進まなければ画餅に帰しかねない。(羽田野主)」(2015/01/08付「日経新聞」P2より)

農地中間管理機構(農地バンク)
農家から借りた農地を税金で整備し、専業農家に貸し出す公的機関。関連法案が昨年成立し、現在までに46道府県に一つずつ作られた。公益社団法人が多い。今年度の予算額は約300億円。10年後には全農地の8割を集約する目標を掲げている。」(2014-08-30付「朝日新聞」p5より)

理念は素晴らしいが、なかなか進まない・・・という。
ふと、前に同じような施策があったな・・・と思いだした。

「移住・住みかえ支援機構」による「マイホーム借上げ制度」だ。機構のHP(ここ)にはこうある。
「JTIの「マイホーム借上げ制度」は、50歳以上のシニアを対象にマイホームを借上げ、賃貸住宅として転貸するシステムです。シニアライフには広すぎたり、住みかえにより使われなくなった家を、子育て世帯などに賃貸。家を建てては壊す時代は終わりました。社会の財産として長く活用する時代です。」(ここより)

この制度が出来たときに、カミさんが興味を示し、資料を取り寄せたことがあったが、実際に・・・と検討すると、あまり魅力がなかった。
これも理念先行形で、足下が追い付いていない。いわゆるお役所仕事・・・

これらの素晴らしい理念を実現させるにはどうしたら良いか?
結局、民間の知恵と競争の力を引っ張り込むしか無いのかも・・・。
理念を実現するために、知恵を絞ったら、その分が戻る仕組み・・・。推進役も借り手も貸し手もWin-Winになる仕組み。
上の農地バンクも、うまく行かない原因を早急に明確にして、原理的にうまく動く仕組みを作り直した方が良いのかも・・・
例えば、農協が中心になって、地域をまとめる仕組みとか・・・

両方とも、せっかく良い理念なのに「惜しい・・・!!」制度である。

150112kinako <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月10日 (土)

「誰も少年を助けなかった 祖父母殺害し強盗、懲役15年」

少年事件で、背景に親子関係があるものは、何とも切ない事件が多い。先日のこの事件も同じだ。
誰も少年を助けなかった 学校通わせず母親は金を無心 祖父母殺害し強盗、懲役15年
 祖父母を殺害し金品を奪ったとして、強盗殺人などの罪に問われた少年(18)が昨年暮れ、さいたま地裁で懲役15年の判決を受けた。法廷で明らかにされたのは、少年の「無援の日々」だった。裁判長は問うた。大人は救いの手を差し伸べられなかったのですか。

 事件があったのは、昨年3月26日正午ごろ。少年は埼玉県川口市のアパートに暮らす祖父母を包丁で刺すなどして殺害し、母親(42)=強盗罪などで服役中=と共謀して現金約8万円やキャッシュカードなどを奪った――とされる。
 昨年12月に6回開かれた裁判員裁判で、検察と弁護側の冒頭陳述や少年、母親の証言で明らかにされた事件までの経緯はこうだ。
 小学4年。
 生活が大きく変わった。別居を続けていた母親と父親が離婚。少年を引き取った母親は知人男性から金銭的な支援を受けるかたわら、ホストクラブ通いを続けた。1カ月帰宅しないこともあった。「捨てられたかと思った」。少年は弁護人から問われて答えた。
 ■公園に寝泊まり
 5年生になると、母親が交際する別の男性と3人で静岡県内へ。学校に通ったのは2カ月間。その後、住民票を静岡に残したまま埼玉県内などを転々とし、自治体も居場所を把握できなくなった。
 金があるときはホテルに泊まり、ないときは公園で野宿をする生活。男性からは理由もわからないまま、暴行を受けた。
 ■「殺してでも金を」
 中学校にも行かなかった。この間に13歳年下の妹ができた。母親は少年に親戚に金を無心するよう強く求めるようになった。「中学で野球部に入って道具が必要なんだ」。少年は、うそを重ね、実父のおばから現金400万~500万円を借りた。
 男性が失踪すると、母親は少年への依存を強めた。
 16歳だった少年は母親と2歳の妹を養うために塗装会社に就職し、会社の寮に家族で住み込んだ。浪費する母親からせがまれて給料の前借りを始めると、「(相手を)殺してでも金を持ってこい」と母親にたびたび言われるようになった。給料の全てが前借りの穴埋めに充てられるようになった。
 そして事件当日。
 「殺してでも金を持ってこい」。母親はこの日も自身の父母から金を借りてくるように迫った。1人で祖父母宅に行ったが、祖父に強い口調で断られた。「母親から言われた言葉を思い出した」。法廷で少年はそう振り返った。証人として出廷した母親は「殺害は指示していません」と言った。
 殺害以外に方法があったのではないか。
 検察側に問われた少年は「それ以外、考えられなかった」と言った。弁護人が「昔から母親の指示に従って生活しており、自ら考えて行動することができなかった」と言葉を継いだ。少年は母親と目を合わせようとしなかった。
 一番の味方であるはずの母親に追い詰められ、肉親から嫌がられながら借金を重ねた。少年の親族に裁判長は言った。「あなただけではないが、周りに大人がいて、誰かが少年を助けられなかったのですか」。少年の情状証人に立ったのは10年以上前に別れた実父だった。
 懲役15年――。
 判決を言い渡した裁判長は前を向く少年に「君のことを思う人と一緒に、社会に帰ってくるのを我々も待っていようと思う」と語りかけた。少年は「はい」と、小さな声で答えた。この日、判決を不服として東京高裁に控訴した。
 正月、少年に年賀状が1通届いた。事件の弁護人からだった。「年賀状をもらうのは小学校以来。うれしかった」。少年は差出人の弁護士に笑顔を見せたという。 (高橋克典)」(2015/01/08付「朝日新聞」p34より)

祖父母が、娘にそそのかされた孫に殺される、という悲劇・・・。
自分は主犯は母親だと思うが、この母親は息子と同じ強盗殺人ではなく、単に強盗だけで起訴され、懲役4年6月の判決だったという。子どもの頃から親の道具として使われてきた息子。確かに2人を殺した罪は重いが、主犯の母親との量刑の差に違和感を覚える。
それにしても、親と子の関係の事件は多く、いかにその関係が難しいかが分かる。

先日、正月の挨拶に、ヨメさんが孫を連れて遊びに来てくれた。1歳を過ぎたばかりの孫は、髪の毛も増えて、女の子らしくなってきた。その成長は目を見張るばかり。今回来た時も、最初は、母親の胸に、まるで赤ちゃん猿が母猿の胸にひっついているように離れなかったが、徐々に慣れてくると、一人で歩き出した。
昔の我が家のことはもう忘れてしまったが、この孫と母親との姿を見るにつけ、赤ん坊の後に母親が居なかったら、どんなにか精神が不安定になるか・・・と思い、改めて母親が子どもにとって絶対的な存在であることを感じた。
そして、その絶対的に信頼している母親から、「(相手を)殺してでも金を持ってこい」と日夜命令されていた今回の事件。
逃げ場所の無い子供は、親によってどうにでもなってしまう。殺人者にもなってしまう・・・。
しかしその背景を見るにつけ、今回の裁判での母親の罪状がどうも腑に落ちない・・・。

話はまたまた飛ぶが、先日、カミさんが「これは短編なのですぐに読める」と、図書館から借りてきた小池真理子の「怪談」の「幸福の家」というところを読めと言う。自分は気が弱いので、ホラー物には近付かない。タイトルが「怪談」なので、躊躇したものの、命令には逆らえない・・・。読むと、どうってことのない展開・・・。でも最後は、背筋がゾゾッと・・・
ここで描かれている親子も、平和な家庭の父親が、知人の借金の保証人になったばかりの家庭の崩壊。そして父親による一家心中・・・。

「親と子の関係」について、つい考えてしまう。子どもがそれなりの年齢になれば、親から独立、が普通。しかし、そんな簡単には行かない家庭がたくさんある。子どもの引き籠もりの家庭も多いと聞く。
どれも、周囲や社会がそれらに気付き、支援の手を差し伸べられないか・・・だ。
まさに裁判長が、主犯の母親の実姉(伯母)に対して「あなただけではないが、周りに大人がいて、誰かが少年を助けられなかったのですか」と言っていた言葉が沁みる・・・。
「親と子」について、改めて色々と考えさせられてしまった事件であった。

150110tori <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月 9日 (金)

会社近くの食堂の休業~商店街の高齢化

今日は実にプライベートな話。
通勤途中、駅から会社まで古い小さな商店街を通る。その中の一軒の古いD食堂に、昼食に良く通っていた。その店が休業してからだいぶ経つ。
会社の周辺には、あまり他の会社が無いため、昼食を取れる食堂が少ない。よって、気に入った店にそれぞれ週に一度くらい通っていた。
そのひとつであったD食堂は、おじいさんが料理を、おばあさんが配膳をしていた。メニューは数十あり、多過ぎ。色々食べてみたが、どれもそれほど美味しいというわけではなく、結局、チャーハンと味噌ラーメンを交替で食べていた。それが食べられなくなって久しいのだ。
店の店頭には「本日は休業させて頂きます」という札が相変わらずぶら下がっている。

今朝、たまたま前の店のおじいさんが道に出ていたので聞いてみた。
「前のD食堂は止めてしまったの?」
「ご主人が亡くなってね。おかみさんがメニューを絞って再開するという話もあるけど」
「亡くなったの・・・」
「11月末に倒れて、年末に肺炎でね・・・」
「何歳でした?70を超えていたかな・・・」
「78だったかな・・・」
「そうですか・・・。この食堂には、前に良く来ていたので・・・。ありがとうございました」

この商店街は、高齢者ばかり。この道も5年以上通っているが、2軒あった肉屋が1軒になり、並んでいた寿司屋とラーメン専門店がアパートに建て替わってしまった。ラーメン屋は、いつも人が並んでいたのに、寿司屋同様、後継者が居なかったとか・・・
隣のSONYの看板の電気店もシャッターを閉じたまま。豆腐屋も閉めた。どんどん店が閉じられていく。地方ではなく、東京区内の商店街もこの通りだ。

昨夜のテレビでも、老舗の味噌屋が「余力のあるうちに廃業」と言っていた。味噌の需要が少なくなり、卸していたスーパーなどが次々に閉店。将来が見通せなくなり、余力のあるうちに廃業を決心したとか・・・。並んでいた古い大きな味噌樽が惜しい・・・。

どこでも、小規模店舗の衰退は急速だ。ショッピングモールなど大規模店舗に人の流れが移っていくのは仕方がないが、でも何か寂しい。
確かに、仏教で言うように、「諸行無常(この世に存在するものはすべて変化するものであり、一瞬といえども同一性を保持することはできない)」であり、『この世に生じたものは必ず滅する』ことは分かるものの、それでもなおかつ「黄昏(たそがれ)」は、何と寂しいものか・・・。

150109rironn <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月 8日 (木)

「日本の住宅、なぜ寒いの?」

先日の日経新聞にこんな記事があった。
エコノ探偵団 日本の住宅、なぜ寒いの?
  「家は夏をむねとすべし」浸透 低い「燃費性能」我慢続く

 「今日は寒いですねー」。近くの中学校で英語の指導助手をしているカナダ人大学生が探偵事務所を訪ねてきた。「日本は家の中でも寒いので、冬の生活はカナダよりも厳しいです」。「えー、本当かしら」。探偵の深津明日香が立ち上がった。

 明日香は主な都市の1、2月の平均気温を調べた。東京はパリに近く、仙台はニューヨークやベルリン並み。もっと寒い長野はプラハ、青森はストックホルムとほぼ同じ水準だった。「なぜ、日本の家が特に寒いのかしら」
 早稲田大学教授の田辺新一さん(56)を訪ねた。「日本には断熱(内外の熱の出入りの遮断)の考えがなく、冬に寒いのは当然と我慢して住んできたからです」。示された資料を見て明日香は驚いた。家庭1世帯あたりの年間エネルギー消費量を国別に比較したもので、暖房用は欧米諸国が日本の4~6倍、韓国も2倍以上使っている。
 「家全体を冬中暖める欧米と、コタツなどで暖を取る日本の違いのほか、寒さは我慢するしかないと思っている人が多いのです」。近畿大学建築学部長の岩前篤さん(53)が説明した。住宅技術評論家の南雄三さん(65)も「日本の家の暖房は省エネ以前の段階です。もっと暖めた方がいい」と強調する。
 「家の性能はどうかしら」。調べると、壁や窓などの断熱性能を国が省エネルギー基準で地域別に規定している。ただ、義務ではなく目安にすぎず、基準以下の家も建てられ続けているとわかった。

緩い断熱性能基準
 明日香は外国の状況も調ベようと、ドイツの住宅に詳しい日本エネルギーパス協会(東京・港)代表理事の今泉太爾さん(36)を訪ねた。「暖房費が多いドイツは省エネのため、新築住宅に対する断熱の義務基準を段階的に強化し、日本の基準との差が広がっています」と説明する。
150108danbou  特に性能差が大きいのが窓だ。冬に屋外へ流出する熱の半分が窓からとされる。断熱性能を示す熱貫流率(低いほど高性能)をみると、日本では2.33以下を最高性能と認定し、売れ筋のアルミ複層ガラスは4以上。一方、ドイツは1.3超を使用禁止にしている。欧米だけでなく、近年は韓国や中国でも日本より高性能の窓が売れ筋という。
 EU各国では家の売買や賃貸の際、室内を快適に保つのに必要なエネルギー消費量、つまり「家の燃費性能」の表示を義務付けている。「車を購入する際には燃費性能を重視するように、家も燃費を考慮して選ぶのです」と今泉さん。断熱工事に費用をかけても、将来の暖房費削減(燃費向上)で元が取れるため、ドイツでは既存住宅の断熱改修も進んでいるという。

欧米は室温規制も
 「暖房使用が極端に少ないうえ、性能は低い。日本の家が寒くて当然ね。でも、なぜ変わらないのかしら」。明日香は住環境計画研究所(東京・千代田)会長の中上英俊さん(69)を訪ねた。「欧米と違い、日本の家は暖房費に削減の余地がなく、コスト回収できないので特に既存住宅で断熱が進まないのです」
 東大准教授の前真之さん(39)にも聞くと、吉田兼好の『徒然草』の有名な一節「家の作りようは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる」の影響を指摘した。「アフリカで進化した人間は暑さより寒さに弱い。家はまず冬を旨とすべきです」。しかし、日本では建築関係者にも「夏旨」を信奉し、断熱を嫌う人が少なくないという。
 「夏に涼しい家で冬は寒さに耐えるのが日本の伝統ってわけね」。事務所でため息をつくと、何でもコンサルタントの垣根払太が助言した。「健康への影響を調べたら」
 明日香が調べると、欧米では健康への配慮から住宅の最低室温を規制する国が多い。英国は冬季の室温としてセ氏21度を推奨し、16度以下は「呼吸器疾患への抵抗力低下」などと規定。家主に改修を命じることもある。他方、日本では店舗や事務所などの室温を17~28度に保つ法規制はあるが、住宅は対象外だ。

低温は万病のもと
 明日香が再び岩前さんに連絡を取ると「健康に対する寒さの影響は大きく、室内の低温は万病のもとです」と指摘した。例えば急激な温度変化で体調が急変する「ヒートショック」。入浴中の事故死だけで年間1万9千人以上と推計され(厚生労働省研究班の昨年春の報告)、交通事故死の4倍以上だった。
 北海道大学教授の羽山広文さん(59)によると、外気温が下がる冬季は疾患などで高齢者の死亡が増えるが、外気温低下と自宅死亡率の相関関係は西日本で高く、北海道は最も低かった。その理由は「家の断熱性能が低い地域は室温も下がり、高齢者の体に悪影響が及ぶのに対し、断熱化が進んだ北海道では室温が維持されるためと考えられます」と羽山さん。
 「北海道の家は冬も暖かいというけど、健康にもいいのね」。明日香は健康への効果も考慮した断熱工事の費用便益分析を慶応大学教授の伊香賀俊治さん(55)に聞いた。「便益が光熱費削減だけでは回収が長期になりますが、健康が保たれて払わずに済む医療費や介護費を便益に加えれば、数年で元がとれます」
 「健康のため、冬暖かい家は世界の常識です」。明日香の報告に所長は「わしの健康価値を考えれば、うちを改修しても元はすぐ取れるな」。」(2015/01/06付「日経新聞」p28より)

この記事は自分にとって、目から鱗・・・。なるほど・・・
テレビの時代劇を見ても、雪が降っている屋外に対して、屋内では障子一枚で火鉢に当たっている姿が普通。我慢をすることは、もう日本の文化なのだろう。
それにしても、家屋の「燃費」という考え方が新鮮・・・。確かに断熱効果のある家屋は暖房費が少なくて済むので、断熱工事に投資した方が長い目で見れば得なのだが、そのような考え方はほとんど聞かない・・・。まあ家のカタログにはあるのだろうが・・・。
そして、そもそも日本では暖房費にお金をかけていないので、幾ら燃費を向上させても、節約につながらず、それは贅沢になってしまうので、日本ではその考え方は進まない・・・か。なるほど・・・

前にも書いたが、昔、現役の頃、北海道の出身者から「北海道ではコタツが無い」という話を聞いてビックリ。「部屋中を暖めるので、コタツなど必要ない。足下だけ暖めでもどうしようもない」と言われて納得・・・。
一方、我が家は・・・と言うと、一応窓ガラスは二重ガラスになっている。しかし、前にそのサッシメーカーに聞いたら、「当社では、断熱、防音などとは謳っていない。それを使っている家のメーカーが「断熱、防音」と謳っても、当社ではその性能について責任を取れない」と言われたことがあった。まあいい加減なもの・・・

会社では、環境庁のウォーム・ビズ(20℃)を受けて、エアコンの設定は22℃になっている。我慢は美徳・・・
でも昨日来た先月の我が家の電気料金を見ると、3万円を超した。16畳の居間を、“たった3kg”の愛犬のために長時間暖房するのが大きな原因だろうが、カミさんの「メイ子と電気代のどっちが大事!?」との話には言い返せない。
薄いカーテンしかない掃き出し窓に、分厚いカーテンを付けると、カーテン代の元が取れるかな・・・ナンテ、“部屋の燃費”という、せこいことを考えている寒いこの頃である。

150108syako <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月 6日 (火)

日の出と日の入りの時刻

正月が明けて、世の中が動き出した。
昨日は仕事始めで、久しぶりに少し早く起きたが、外が暗い。日の出が遅いのだ。
この日の出や日の入りの時刻がどうも気になる。前に同じような記事を書いたが(ここ)、今日はその復習!?

ここ)で調べてみると、東京で、この冬の日の出が最も遅いのは、2015年1月2日~13日の午前6時51分。そのピークが1月7~8日なので、まさに今日が最も日の出時刻が遅い日に当たっていた。
逆に日の出が早いのは、2015年6月6日~21日の4時25分。ピークは6月13~14日。

一方、日の入りが早いのは、2014年11月29日~12月13日の16時28分。ピークは2014年12月6日だった。そして、日の入りが遅いのは、2015年6月24日~7月4日の19時1分。ピークは6月29日だった。
毎年、閏年の関係で少し変わるが、それほど大きくはない。(この)グラフが分かり易い。
夏至と冬至は、日の出と日の入りのピークとはずれていることが分かる。

150106geshi 150106touji 150106hinode

グラフでみると、日の出と日の入りの曲線が正弦波にはなっていない。これを日数で数えてみると、日の出のピークは、157日:208日であり、日の入りのピークは、205日:160日であり、なるほど正弦波ではない。これは地軸がずれていることから来るのだろう。

ま、それはそれとして、日の入りも遅くなりつつある。そして今日から日の出も早くなる。そして実際の寒さは遅れてやってくるので、これからが本番。
ただただ昨年のような、大雪だけは御免蒙りたいが、今年はどうだろう・・・。

150106koutyo <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月 5日 (月)

ワルター編曲のピアノ連弾版・マーラー「巨人」

このところ、色々な“名曲”を、ピアノ編曲版で聞いているのだが、今回はマーラーの交響曲第1番「巨人」である。

先日Netで、何と20歳のワルターが編曲したというマーラーの「巨人」と「復活」のピアノ版があることを知り、CDで聞いてみた。
そのCDの解説にはこうある。
ワルター編曲版マーラー「巨人」「復活」!
マーラー:交響曲第1番「巨人」のスコアを出版したヨゼフ・ヴァインベルガー社が、第2番「復活」とともにピアノ4手版編曲を依頼してきた際に、マーラーがその仕事に白羽の矢を立てたのが、当時彼のもとで働いていたまだ20歳のブルーノ・ワルターだったのです。作曲も勉強し、ピアノの名手でもあったワルターは、マーラーの期待にこたえるべく真摯に編曲をこなし、両曲は1899年に出版されました。ワルターの回想録によると、彼はマーラーとさまざまな作品を連弾で楽しんだといわれています。その中にはシューベルト、ワーグナー、そしてこれらの交響曲のワルターによる編曲版も含まれていたのでしょう。ワルターは、オリジナルのオーケストラ演奏のイメージを損なわずにピアノの特性を十分に活かして細やかに表出しています。トレンクナーとシュパイデルによる連弾が、高度なテクニックを駆使しながら息の合った見事な連弾を聴かせてくれます。トレンクナーはワルター・ギーゼキングとヴィルヘルム・ケンプに、シュパイデルはイヴォンヌ・ロリオ、シュテファン・アシュケナーゼ、ゲザ・アンダ等に師事したピアニストです。ほぼ編曲と同時代の1901年製スタインウェイ・コンサート・グランドによって演奏されているのも大きな特徴ともいえるでしょう。 」(
ここより)

米国から送られてきたCDを聞いた感想・・・。さすがに、うなった・・・。
あの大規模なマーラーがどうなるかと、ハラハラして聞いてみたが、やはりムリがあった・・・!?
その中でも、最も素直に聞けた「巨人」の第3楽章を聞いてみよう。

<ワルター編曲ピアノ版「巨人」#3~Trenkner & Speidel>

それにしても、彼のワルターが編曲したとは・・・。しかも20歳で・・・。
確かにワルターがマーラーの弟子だったことは知っていたが・・・

ワルターの「巨人」の思い出話は、前に書いた(ここ)。この「巨人」だけはワルター以外には浮気していない。高校時代以来、ずっとワルター盤だけを聞いている。そのワルターの編曲と思って聞くと、また味わいがある・・・

しかしピアノ版を聞いていると、耳はどうしても主旋律を追いかける。それが頭にあるオーケストラ盤と合致すると、あまり違和感は無い。しかし、幾ら4手でも、伴奏を弾くのに忙しく、主旋律のテンポが遅れたりすると、即「ヘンだ!」と感じてしまう。
マーラーの交響曲は大編成なだけに、編曲もそうだが、弾くのも大変だ。

名曲を色々な指揮者で聴くのも面白いが、このように別次元から眺めてみるのも、別の趣があって面白い。

150105zei <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月 4日 (日)

「人口減少は怖くない」??

正月の新聞は、こんな話題でスタートした。
人口自然減 最大の26万人 出生数、4年連続で最少 14年推計
 2014年に国内で生まれた日本人の赤ちゃんは前年より2万9千人少ない100万1千人で、統計の残る1899年以降最少を更新したことが31日、厚生労働省の人口動態統計の年間推計で分かった。死亡数も戦後最多の126万9千人。出生数が死亡数を下回る「自然減」は26万8千人で過去最大となった。
 出生数は4年連続で最少を更新した。1990年代は120万人前後で推移していたが、05年150104jinko に初めて110万人を下回った。14年はかろうじて100万人台を保ったが、9月に明らかになる確定数では割り込む可能性もある。
 日本の人口の自然減は8年連続。05年に初めて自然減に転じ、07年以降は減少幅が拡大、10年に10万人、11年に20万人を突破した。
 厚労省は「20~30代の女性の人口が減っており、今後も出生数の減少が見込まれる。高齢化も進展しており、人口減の傾向は続く」としている。
 14年の死因の最多はがんの37万人。次いで心筋梗塞などの心疾患(19万6千人)、肺炎(11万8千人)、脳卒中などの脳血管疾患(11万3千人)と続いた。死因上位の4疾患は4年連続で順位に変化が無く、死者数の約6割を占めた。
 婚姻件数も前年比1万2千組減の64万9千組で戦後最少を更新。戦後で最も少なかった11年(66万1895組)を大きく下回った。
 一方、離婚件数は22万2千組で、前年より9千組減った。02年に28万9836組で戦後最多になって以降は減少傾向にある。」(2015/01/01付「日経新聞」p46より)

年々日本の人口減が進んで行く。それが危機か??

先日の日経新聞には、こんな記事もあった。
人口減少は怖くない
 今世紀末には日本の人口が半減しそうだ。国力がガタ落ちになるから、今のうちに何とかしなければとばかりに、国を挙げた論議になっている。
 しかし、人口減少の何が怖いのか、どこまで心配すべきものなのかを冷静に考えておきたい。
 明治時代初期の日本の人口は3500万人で明治の終わりに5000万人を超えた。日中戦争の頃に7000万人、1967年に1億人を突破し、2008年には第2次世界大戦前の2倍近くになった。その結果、先進国のなかで突出して人が密集する国になった。
 仮に日本が英国並みの人口密度だとすると人口は9800万人になる。ドイツなら8700万人、フランスであれば4300万人だ。
 これらの国々は日本とほぼ同じレベルの国土面積だ。ちなみに日本が米国並みの人口密度ならば総人口は1250万人にすぎない。
 昨今の日本は歴史的にも国際的にも「混雑しすぎ」といえないか。8000万~9000万人程度で居心地が良い感じもする。
 もちろん現在の福祉や税制など国の基幹部分の仕組みは人口1億人超を基準にできあがっている。今の速度で人口が急減していけば体制の維持が困難になる。当然、減少ペースを落とす対策を講じなければならない。
 だが、より根本的には効率的な国土・社会の運営へ思い切った構造転換を進めていくべきだ。その際、人手が成長のエンジンで、ハード産業が高い付加価値を生み出す、という従来の発想から抜け出す必要がある。これにこだわると新興国にかなわず、人口減少の副作用も抑えられない。
 そこで推進したいのが地方の中核都市のコンパクトシティー化と相互のネットワーク化だ。エコ社会の推進につながるし、人が住まなくなった土地で生産性の高い農林水産業を展開できる。
 まずは都市への人の集積でソフトパワーを磨く。生まれたスペースを活用して国際レベルの1次産業を育成する。国全体を人手のかからない高機能で高付加価値な構造に変えていくのである。
 昔流の「産めよ増やせよ」にとらわれず、日本にとって心地よい人口の適正水準を策定し、その人口を確保するための方策を考えることが大切だと思う。人口減少をむしろ好機だととらえるべきではないか。(鵠洋)」(2014/12/17付「日経新聞」p17「大機小機」より)

ピンチはチャンス、とはよく言われる。日本の人口減も、果たしてホントウにピンチか?という議論である。
確かに、人口増はせせこましい環境を生む、と捉えると、人口減による広々とした環境の方が望ましい、とも考えられる。要は、人口の増減よりも、それで浮いた土地などを、どう効率よく活用できるか? そこから何が生まれるのか・・・という議論だ。

上の記事で「人が住まなくなった土地で生産性の高い農林水産業を展開できる。まずは都市への人の集積でソフトパワーを磨く。生まれたスペースを活用して国際レベルの1次産業を育成する。国全体を人手のかからない高機能で高付加価値な構造に変えていくのである。」という発想は面白い。
放置されて荒れ果てた農地が、米国のような機械化された広大な工業農地に生まれ変わったら・・・、と考えると、何と楽しいことか・・・
そうだ。人口減ということは、人の住まなくなった土地が増えると言うこと。シャッター通りも含めて、“新”日本列島改造論で、少人数日本に向けた新たな国作りなど、ワクワクする楽しい話ではないか・・・
しかも、それを国主導の民力活用で推進すれば・・・。

ふるさと納税でも、お礼の米が不足して、急遽遊休地がまた米を作り出した、という話もある。施策次第で、ピンチがチャンスに生まれ変わる。

アベくんも、憲法改定などに力を入れるのではなく、1次産業などの足下の国力増強策に力を入れてくれると良いのだが・・・。ま、ムリだと思うけど・・・

150104kotatu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月 2日 (金)

“目から鱗”の、素晴らしい超ローカルスーパー「一期家一笑」

カミさんが「これは面白そう」と録画しておいたという番組を見た。TV朝日の「業界なるほど人事交流 覗いてみた3つのドア」(2014/12/30 12:00~14:00放送)(ここ)。
この中で、スーパーマーケット編に出て来た「ローカルスーパー」が、“目から鱗”で気に入った。
この番組では、スタンダードスーパーの東京の「エコス」の社員3人が、練馬区の最高級スーパー「エスカマーレ」と、愛知・豊橋市のローカルスーパー「一期家一笑(いちごやいちえ)」(ここ)を訪問する。その中で、「一期家一笑」のスタンスが、まさに“目から鱗”なのだ・・・。

この店の特徴を、番組の進行に沿ってメモしてみると・・・
・店が大きな道に面していない脇道の立地。
150102ichigo5 ・看板に、自虐的に「超ローカルスーパー」と表示。
・「エコス」の社員3人に対応したのが、チーフの杉浦大西洋(ひろし)さん。この人、魚のかぶり物をしている・・・。子どもに受けるかと始めたが、老人にも受けるので止められなくなったとか・・・。
150102ichigo0 ・入り口に従業員の写真。手に持っているのは“個人的な”今年(2014年)の目標。 曰く「激ヤセ」の杉浦さんに、「えがお」なのに笑っていない馬場さん。「イエイィ!」の木下さん。チーフ曰く「いつも忘れてしまうので、忘れないように・・・」。(写真は番組とは違い、2015年の目標)
・駐車場は30台。売り場面積はスタンダードスーパーの1/4。それなのに創業60年という。
・生鮮コーナーの野菜は産直。近くの農家が畑直送で毎朝持ってきてくれる。「配送コストを抑えられるので、地産地消を心がけている」
150102ichigo2 ・鮮魚の仕入れは、車で5分の豊橋魚市場。「野菜と同じく、地産地消を心がけている」。しかも値段が安い。これは「あれもこれも無いといけない、という考え方を捨てた。鯖がない日、イカがない日はしょっちゅう。そこは割きって考えている」。これは「売れる品だけに仕入れを限定し、売れ残りを減らすことで価格を抑える戦略」とのこと。
・精肉コーナーは、客の好みを反映して、豚:鶏:牛=6:3.5:0.5の比率だという。豊橋市は全国有数の豚肉生産地だとか・・・。そして仕入れは、店長の同級生が育てている津田畜産の来夢ポークのみ。チーフの父の店長が、学生時代に野球でバッテリーを組んでいた同級生で、その歴史は50年以上。
150102ichigo3 ・総菜コーナーのメニューは、ほとんどが日替わり。人気は煮物や煮サバ。普通のスーパーは揚げ物が多いが、ここではお年寄りが多いので、煮物が多いとか。その手作りの総菜は、量り売りのバイキング形式で、お年寄りが少量でも買える。そして(土)限定だが、餃子の手作りの実演。作っている戸田さんは、勤務歴12年だがス、タッフの定着率が高いので、それでも中堅とか。
・そして「総菜の半分はレシピ無し。人によって味も違う」「家庭で、お母さんに昨日と味違う、とは言わないでしょう。だから、均一性よりもちょっとバラついていた方が自然で良いのでは?というスタンス」「毎日買ってくれるお客さんから“味が違うよ”と言われてスタッフに聞くと、ショウガを入れ忘れた、とか・・・」
150102ichigo1 ・「ブロッコリーのサラダ作って」と言われても、材料さえあれば、その場で作ることもできる。ここにはルールが一切存在しない。
・会員サービスでは、ポイントカードの名前がレジに表示されるようになっており、「**さん、ありがとうございます」と言えるようになっている。
・「配達サービスは有料で200円。これは、無料だとお客さまが遠慮して頼み過ぎてしまう。タダで来て貰うと、たくさん買わないと店に悪いというイメージがあるので、その心の負担を減らすために200円頂いている」

そしてこの店を訪問した東京「エコス」の社員さんの感想は、「まず驚いたのは、従業員とお客さんの距離が非常に近い。これは自分の会社に持ち帰って実践したい」・・・
実はこの店、「日曜日が定休日。理由はチーフが“日曜日は家族と過ごす日”という信念だから」・・・

この「一期家一笑」のスタンスから感じた感想は・・・
・なまじっかな経済学など、ここでは必要ない。ISOの標準化も必要ない。あるのは「お客さん第一」の基本スタンスだけ。それが徹底しているだけに、お客の心をがっちりとつかんでいる。
150102ichigo4 ・従って、スタッフの定着率も良く(勤続12年で中堅・・・)、お客さんと従業員との間が近く、まさに“仲間“・・・
・これは、小さな個人スーパーだからこそ出来るのかも知れない。地方都市だから生き残れるのかも知れない。しかし60年という歴史は、何かが無いと続かない。
・その“何か”は、(カミさんが言うには)人が行う仕事の「糊代」かも知れない。つまり、「ブロッコリーのサラダを作って!」「はいよ!」という、スタッフの裁量が多分にある仕事のやり方。マクドナルドのようなISO 9001(品質マネジメントシステム=徹底したマニュアル化による、人によるばらつきを無くして品質を保つ)の仕事の仕方とは真逆な関係。
・「配達サービスは、お客さんの心の負担を減らすために200円頂いている」という言葉に代表される、チーフの「お客さんにとって」という視点が、店中に徹底されている。これは文化であり、一朝一夕には出来ないので、番組で紹介は無かったが、60年来の父親の店長の基本スタンスなのかも知れない。(100円ではタダとあまり変わらないし、300円では少々高い。200円は絶妙の価格設定・・・)
・しかも、売れ残りを少なくすることえでムダを省き、価格を抑える、という戦略もホンモノ・・・。

最近のスーパーは、「プライベートブランド」が何と多いことか・・・。老舗のメーカー品を探そうにも、棚には「プライベートブランド」がぎっしりで、その店に入ったが最後、「プライベートブランド」を買わざるを得ないような状態・・・。これが顧客志向か? お客の選択肢を奪い、店の都合にお客を強引に誘導する大手スーパーと、この「一期家一笑」のやり方はまさに対極にある。

そして店の努力度、知恵の絞り方・・・。
自分の家の近くにもスーパーはある。いわゆるスタンダードスーパー。しかし競争相手がないため、全てがマンネリ化。「日頃の努力が見られない」、とカミさんは余程のことが無い限り、この店には買いに行かない。
一方、TVに良く登場する近くの有名な鮮魚屋さんは、売れ残った魚は次の日には総菜の材料に回す、など、安く良いものを・・・と知恵を絞っているという。そんな店もある。

地方都市ではシャッター通りが増えている。しかしこの店のスタンスを見習えば、まだまだ生き残れるチャンスはあるのではないか・・・と思った。もちろんお客との信頼関係は、一朝一夕では作れないが・・・。
とにかく我々日本人は、品質の維持、競争力アップに標準化、マニュアル化を推進してきた。しかし、それが全てではないことをこの店は示している。

たぶんこの店は、これから多くのマスコミに紹介されて行くと思う。そして、多くの人が、この店のスタンスから、「お客は人間である」という原点に回帰するなど、多くのアドバイスを貰えると思う。
まさに“目から鱗”の店、「一期家一笑」なのである。

★なお、この番組は(ここ)で全編(60分)を見ることが出来る。

*写真は、チーフのblog(ここ)から借用させて頂いた。

150102osobann <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年1月 1日 (木)

「百人一首で好きな歌」ベスト10

皆さま、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

さて、先日の朝日新聞に、正月らしい「百人一首で好きな歌」ベスト10が載っていた。
「(beランキング)百人一首で好きな歌 時を超えて重なる気持ち
 学校の宿題で覚えようとする息子を見て久しぶりに百人一首のことを思い出しました。何十年か前、意味も十分理解せず(または「ももひきや……」など誤ったイメージで)暗記した大半は忘れましたが、改めて鑑賞すると込められた心情、詠まれた背景や歌枕に興味がわきます。お気に入り、十八番(おはこ)の歌を聞いてみました。

 1位は、富士山の雄大な景色を万葉歌人が歌いあげた「田子の浦に……」。「教科書で紹介されていて一番最初に覚えた」(群馬、49歳男性)という人も多いようだ。「子どものころ150101hyakuninn 祖母が口ずさんでいた。祖父母は静岡生まれ、満州で終戦を迎えた」(東京、78歳男性)というエピソードには故郷や故国への思いがしのばれる。
 ランキング入りは少なめだが、百人一首には恋の歌が多く、43首に上る。「『忍ぶれど……』では中学の時、片思いに終わった学年一の美少女への初恋をほろ苦く思い出す」(静岡、77歳男性)、「明治生まれの父が結婚前に母に贈った本に、『瀬をはやみ……』の歌が書かれたしおりがはさんであった。中学生だった私は意味もろくにわからないままこの歌が好きになった」(北海道、82歳男性)。長崎の女性(57)は「あひみての……」の歌に「恋愛をこれほどみごとに表現するとは。今も昔も恋する人の心は同じ」と感心する。一方、「保育園で息子が3首ぐらい覚えてきたが、意味を伝えるのが難しかった」(滋賀、44歳女性)という場面もある。
 ■かるた上手は往年の乙女ら
 百人一首を選んだのは平安末期から鎌倉初期に活躍した歌人、藤原定家だ。知人から山荘のふすまに張る装飾用の色紙を頼まれて書いた。広く世間に知られたのは室町時代、連歌師の宗祇が和歌の「テキスト」として紹介して以来らしい。かるたとして広まったのは江戸時代。初期のものは手書きの高級品で良家の子女の教材用とみられるが、木版で量産されると庶民に普及した。明治に入り競技としても盛んになり、「万朝報(よろずちょうほう)」を創刊した黒岩涙香が1904年にルールを統一した。
 定家の山荘があった京都西郊の小倉山近くに、百人一首がテーマの博物館「小倉百人一首殿堂 時雨殿」がある。11月下旬は周辺の嵯峨野・嵐山は紅葉の盛り。館内に展示された宮中歌合わせの再現ジオラマ、100人の歌人が勢ぞろいした人形などとあいまって、和歌が生活の一部だった平安貴族の世界が身近に感じられる。
 学芸員の東浦由高さんは「百人一首には当時の評価は必ずしも高くない歌も入っています」という。官選の歌集と異なり、70歳を超えていた定家が心の琴線にふれた歌を自由に選んだ結果らしい。「世に知られるまでの経緯やかるたの始まりなど不明なことも多いですが、これほど日本人の生活に溶け込んだ古典はないのでは」
 百人一首のかるた取りに血が騒ぐのはどうも女性に多いようだ。「ふだんおとなしい母ががぜん張り切っていた」(青森、55歳女性)、「孫とのかるた取りでは、なるべく手を出すまいとこらえるが、次第にエスカレート。孫ががっかりしてしまう」(神奈川、68歳女性)、「認知症の義母が連勝です。子どものころの記憶が鮮明に残っているよう」(徳島、52歳女性)。かるた会は明治の小説「金色夜叉」にも書かれたように、かつては男女が出会う場でもあったという。胸をときめかせた少女たちも多かったのだろう。
 恥ずかしながら記者が今回初めて知ったのは、北海道の板かるた。木製の札に独特の書体で書かれ、読み手は下の句だけ読む。北海道出身の千葉の男性(72)は「熱が入ると木札が飛び交うので、始める前にふすまや障子を外した」と記憶する。
 かるた取りをするかアンケートで尋ねたところ、「よくする」3%、「たまにする」12%、「めったにしない」28%、「まったくしない」50%。少し寂しい結果だが、東京の男性(70)は60年ぶりに再デビューしたという。「67歳でボケ防止に競技かるたを始め、今は同世代の人たちと毎週楽しんでいます」(大庭牧子)

 <調査の方法> 朝日新聞のウェブサイトでデジタル会員登録者を対象に11月中旬にアンケートをした。回答者は1555人(男性56%、女性44%)。小倉百人一首の中で好きな歌、思い出深い歌を五つまで選んでもらった。」(2014/12/13付「朝日新聞」b2より)

<「百人一首で好きな歌」ベスト10>
① 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ(山辺赤人)(525)
② 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに(小野小町)(462)
③ 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも(安倍仲麿)(397)
④ 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山(持統天皇)(387)
⑤ ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ(紀友則)(319)
⑥ ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは(在原業平朝臣)(266)
⑦ 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで(平兼盛)(220)
⑧ 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな(藤原義孝)(183)
⑨ 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ(崇徳院)(172)
⑩ 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき(猿丸大夫)(165)

残念ながら、自分が覚えているのは、①~⑤くらいまで・・・。
今、家庭で百人一首のカルタをするのは1割程度らしい。思ったより多い・・・!?
思い出すと、我が家でも昔は正月によくやっていた。と言っても、明治27年生まれの祖母がまだ生きていた頃の話。祖母が亡くなってからは(昭和50年代以降・・・)、たぶんやったことはない。
短歌作りが趣味だった祖母は、自分が学校で習って、「春過ぎて 夏来たるらし白妙の 衣ほすちょう天の香具山」と言うと、喜んでいたもの・・・。
自分が最初に覚えたのは、この歌だった。意味?良く分からないまま・・・
「田子の浦にうち出でて見れば・・・」も「天の原ふりさけ見れば・・・」も「ひさかたの光のどけき・・・」も、意味を問われると、答えられない。(何せ、高校時代の古文の漢文も大キライだったので・・・)
ま、たぶん語調だな・・・。何となく、口に出すと語調が良いので誰でも覚えやすい。それが上位にランクされた原因!?

正月の風景も変わった。自分が小学生の頃は(昭和30年代の最初)、元旦は学校に行って、紅白の餅を貰い、家に帰って、お年玉が貰えるかとドキドキして・・・。そして親父が「食150101takeuma べるものはあるのだから、そんなのいらない」と言っているのを聞いて、涙を流し、影でそっとお袋から少額のお年玉を貰って、それを手に喜び勇んで外に出たもの。
考えてみると、お年玉については悲しい思い出しかないな・・・。
それでも霜柱でぐちゃぐちゃになった道を、お年玉で買った竹馬で歩く・・・。そんな日本の風景も遠い昔・・・。(この写真はNetから拾ってきたもの)

でも今日は元旦。この歳になると、正月は年賀状位しか変化点はない。年賀状も、大学時代以降、会ったことが無いし、またこれからも会わないだろう昔の友人とも、惰性的に?やりとりしている。
やはり年賀状は「まだ生きてるよ~」の連絡か?

ともあれ、時間が過ぎるのが早い。そして、今年の目標も「何事もないこと」ナンテ保守的になってしまう。
今年の正月も、百人一首どころか、何も事件が無い、喜ばしい正月であるが、この平穏が一年続くことを祈りたい。

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