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2014年11月 1日 (土)

重罪人の安楽死は本当に人権の尊重か?

だいぶ前だが、ニューズウィークのこんな記事を見付けた。
重罪人の安楽死は本当に人権の尊重か
    安楽死を認めるベルギーが抱えるもう一つの問題

 つらい状況から死によって救われたいと願うことは、重罪人にも許されるのか。
 ベルギーで先週、強姦殺人などの罪で終身刑となり、収監中だったフランク・ファン・デン・ブリーケンの安楽死が認められた。彼が訴えていたのは、30年間にわたる刑務所での生活による「耐え難い精神的苦痛」。解放されるために安楽死したいと、数年前から求めていた。
 弁護士によれば、ブリーケンは自らの暴力的な性的欲求の克服は不可能だと考え、仮釈放を辞退してきたという。その上で「過去にどんなことをしても、私は人間だ。だから安楽死を認めてほしい」と訴えていた。
 ベルギーでは02年に成人の安楽死を認める法律が成立。昨年は約1800人が死を選んだ。今年3月には、未成年者が安楽死を選ぶことも合法化された。
 根底にあるのは、人権尊重の姿勢だ。だが今回の出来事は、それが時に倫理的な問題を生みかねないことをあらためて浮き彫りにした。「専門家が関心を寄せるのは殺人犯の幸福のことばかり」。ブリーケンに殺された女性の遺族の言葉にも耳を傾ける必要があるだろう。[2014.9.30号掲載]藤田岳人(本誌記者)(
ここ)より)

ベルギーは安楽死の先進国。だからと言って、重罪人も安楽死で“罪を償う苦痛”から逃れて良いのだろうか? 重罪人が逃げる先が「死」なら、過去の罪はすべて許されるのか・・・。
普通の凡人にとって、死は忌み嫌う存在。しかし「明日がない」人にとっては、それは唯一の逃げ場所。

先日、文藝春秋の「スイス「自殺幇助NGO」死の手助けの現場~死にたい人が世界から集まる 桜井勉」(2014年11月号P280)を読んだが、少々ショッキングだった。
ルールとしての、自殺・・・。介護している奥さんがガンの末期になり、自殺を希望。その介護が無くなったら生きていけない夫が、一緒に自殺を希望。そして二人一緒に自殺・・・。

背景は良く分かる。人間の尊厳があるうちに、残り短いと分かっている“苦しみの最期”を、早く終えたいという気持ち・・・。
この重罪人の安楽死も、行き先に希望が見えない「生」なので、末期ガンの患者と同じような話になる。
よくドラマで「簡単には死なせない。充分に苦しんでから死ね」などというセリフがある。
でも、「死によって精算」も有り得るのかな・・・と思いながら読んだ記事ではあった。

141101kokyuu <付録>「ボケて(bokete)」より


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