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2014年11月27日 (木)

英語「も」大事~益川敏英さんの英語観

先日の朝日新聞に、こんな記事があった。
「(耕論)何のための英語入試改革
 大学入試の英語が大きく変わりそうだ。文部科学省は「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能を測る方式にかじを切ろうとしている。この改革はいったい何のためなのか。そもそも生徒たちは、どういう英語を学ぶべきか。

■「読む」1技能でも研究深めた 益川敏英さん(物理学者)
 最近、国はどうしてこんなに英語、英語と熱心なのかな、と不思議に思うことがあります。たぶん国際ビジネスの現場で、英語で通用する人材が大勢ほしいんでしょうね。文句なしに英語が必要な世界でしょうから。それに我々の時代と違って、いまや英語は世界共通語。「話す」「聞く」も含めた4技能を伸ばそうというのは、間違いではないと思います。
 だけど、学問や研究の世界は、ビジネスの現場とはちょっと話が違う。たとえば国文学では、英語はそれほど重要じゃないでしょう。そういう違いを無視して入試で一律に、全員に4技能を課すのは、どうかな。
<学問は遊びから>
 僕の狭い経験からも、学問で大事なのは「遊び」の心です。教科書通りに覚えることではない。自分で問題をつくり、自分で解いて、ここまでわかるんだと感動する。そんな経験がもとになって、物理や数学が本格的に好きになっていく。自分のセンス、感覚を研ぎ澄ましていくんです。そういうトレーニング、つまり何かに憧れ、情熱を燃やす時間が高校生ぐらいになったら必要なんです。
 だけど若いうちから英語に追いまくられていたら、そんな時間が持てなくなりはしませんか。それで4技能が身についたとしても、逆に専門分野の力がおろそかになったら元も子もない。英語はあくまでも他者に何かを伝えるための道具、手段なんですから。
 僕は語学が大嫌いです。学生時代もまったく勉強しませんでした。物理の本を読んでいるほうが、はるかに楽しかった。
 こんな生き方も、かつてはギリギリ許されました。大学院の入試で、僕が苦手のドイツ語を白紙で出して問題にされたときも、「語学は入ってからやればいい。後から何とでもなる」と言って通してくれた先生がいた。電子顕微鏡の世界的権威の先生でした。
 いまだったら、こんな判定はできないでしょうね。ルール通りにやらないと怒られる。僕がいま学生だったら、大学院に進むこともできなかったかもしれません。
 でも振り返ってみて、英語ができたらもっといろんな研究ができたかも、なんて思うことは一切ありません。断言できます。
<母語で学ぶ強み>
 ノーベル物理学賞をもらった後、招かれて旅した中国と韓国で発見がありました。彼らは「どうやったらノーベル賞が取れるか」を真剣に考えていた。国力にそう違いはないはずの日本が次々に取るのはなぜか、と。その答えが、日本語で最先端のところまで勉強できるからではないか、というのです。自国語で深く考えることができるのはすごいことだ、と。
 彼らは英語のテキストに頼らざるを得ない。なまじ英語ができるから、国を出て行く研究者も後を絶たない。日本語で十分に間に合うこの国はアジアでは珍しい存在なんだ、と知ったのです。
 ちなみにノーベル賞受賞記念のスピーチも、恒例の英語ではなく日本語で済ませました。英語の字幕つきで。英語でやれと言われたら、行く気はなかったですよ。
 こんな僕でも、実は英語は読めます。「読む」の1技能です。だって興味のある論文は、自分で読むより仕方がない。いちいち誰かに訳してはもらえませんから。
 ただし、いんちきをします。漢字がわかる日本人なら漢文が読めるのと同じです。物理の世界だったら基本的な英単語は知っていますから、あとは文法を調整すればわかる。行間まで読めます。小説だとチンプンカンプンですが。
 英語は、できるに越したことはない。でも、できなくたって生きていく道はある。つまり、英語「も」大事なんです。「も」という言葉がないといけないと僕は思う。だから仮に入試で英語が0点の学生がいたとしても、それだけで門前払いにするようなことだけはしないでほしいなあ。
 それに将来はわかりませんよ。20年もたてば、日本語で話せばすぐに翻訳してくれる器具が間違いなくできているはずですから。
 それよりも、まずは学問に本質的な興味を抱くこと。得意分野を磨くこと。その先に、やっぱり英語もできたほうがいいね、という程度の話なのではありませんか。(聞き手 萩一晶)
    *
 ますかわとしひで 40年生まれ。京都産業大学益川塾塾頭、京都大学名誉教授。「CP対称性の破れ」の起源の発見により、08年にノーベル物理学賞受賞。」(2014/11/26付「朝日新聞」p17より)

日本のノーベル賞受賞者で、益川さんほど自分に身近に感じた人はいない。
理由は単純。英語嫌いと聞いたので・・・
その益川さんの英語観である。自分にとっては「その通り!」のご意見・・・

何度も書いているが、自分も語学大キライ人間のひとり。そもそも英語の挫折の歴史は古い。中学1年で英語が始まったが、その3学期には既に挫折している。つまりそこから成績が悪くなっているのである。つまり“合わない”歴史は半世紀にも及ぶ。
高校の授業は、毎時間ただただ時計を見て、終わるのを祈るだけ。差されるのでは・・・という授業中の恐怖感は、いまだに覚えている。特に英語の教科書を読め、ナンテ言われたら、それはもう地獄。
大学でのドイツ語も同じ。今考えても、よくもまあ単位が取れたもの・・・。もちろん入社試験も英語もボロボロ。よくもまあ入社できたもの・・・。
もちろんサラリーマンの現役時代も、読むのだけは何とかこなしても、それ以外はもちろんNG。よって海外出張はことごとく逃げた! でも前にも書いたが、とうとう逃げられなくなって米東海岸に大名(金を掛けたという意味)出張をしたことがある。その時に一緒に行った連中が「英語は出来ない」と言っていたのに、アメリカへの入国審査で、にこやかに談笑しながら入って行く。自分だけ最後に取り残されて、パスポートを出して何か言われても「??」・・・。まあ相手も諦めてくれたが、連中の「裏切り」は許せなかった。
まあ、自分の「(まったく)出来ない」というレベルと「(十二分には)出来ない」の差だったのだろうが・・・

マ、全てがこんな調子・・・
だから語学嫌いでもノーベル賞を取れたことに、当時は拍手喝采したもの・・・。
だからと言って、自分も益川さん同様に、英語を否定しているワケではない。「4技能の全てが必須、前提」という考え方がキライなのである。生徒たちを先ず「4技能全て出来ること」というフィルターにかけ、そこで引っ掛かる(4技能がパーフェクトでない)人間は全て排除する、という考え方に怒りを感じるのである。
自分も「語学なんて単なる手段」でしょう?と言いたい・・・。語学なんか出来なくてもノーベル賞が貰える人がいるのだ。考えるほど怒りが増してくる!!

ある元首相が、海外要人との会談で、自分も一通り英会話は出来るが、細かいニュアンスがあるので話はキチンと日本語でして、通訳はプロに任せる、というスタンスだと聞いたことがある。つまり英会話は必要な時は、その道のプロに頼める。しかし、益川さんの言う通り、本業は誰にも頼めない。

まあ強がりを言っていても、先の米東海岸に行ったときに、「英会話が出来ると住む世界がグローバルに広がる」ことは実感したもの・・・。よって出来ることに越したことはない。
でも我が人生では、とにかく「日本語バンザイ!」 理屈抜きに「日本語バンザイ!」なのであ~る。日常でも困った事はない。海外旅行でも“誇りある我が日本語”で通した。
それが我が人生であり、今更変える気もない。トホホ・・・

141127hitori <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

まったくです。
外資系企業でワーキングプアするのに、「よりよい条件で働かされる」ための必須アイテムなんじゃないですかね。

日本語もできん子に、英語を要求する。

投稿: おっさん | 2014年11月30日 (日) 23:20

先日、大手スーパーで夫がベルト売り場を店員に訊いた。あちらがカジュアルでこちらがフォーマルの売り場ですと店員が言った。夫がキョトンとしていたので、この人は英語が分からないのでね、でも、私は世界中の言葉が出来るから大丈夫と言ってやった。「ホッテントット語まで出来るのよ」とおまけを言ったら今度は店員がキョトンとしていた。夫は耳が遠いのか、本当に英語が分からいのか、私も分からないでいます。聞くのも失礼かなと少しは気遣いしているのですよ。正直な話、私の周りにはアメリカ人が一人もいないので英語は無用なのです。

【エムズの片割れより】
・・・・・(←圧倒されて・・・の意)

投稿: 白萩 | 2014年12月 1日 (月) 22:00

面白いですねぇ!

理数系の人と文系の人とでは感じ方が正反対。
かく言う私は典型的な文系人間です。だから今日の記事の中身、数学&物理と英語をすっかり入れ替えると私の考えに一致します。

しかし私も昨今から今後の英語教育の目指す方向には違和感を抱いています。
私は60~70年代に英語教育を受けました。
その頃は教科書からして現在の「話す、聞く」より「読む、書く」に重きを置いていました。会話能力に若干の遅れは認めるとしても、読み書きなら大丈夫!と思う同時代人も多いんじゃないかな。
文法にあまりにも間違いが多いと、教養を疑われると聞いたことがあります。
益川さんも仰っているとおり、読み書きさえできたら、専門用語で何とかなると思います。
それには中高で学ぶ基礎が大事!

いずれにしても…母語をきっちり教育することこそすべての基本。母語の4能力をしっかり身に着けて、英語を話すというより、英語で何を話すか、話す内容を考える力を持つことが最重要だと思います。
だから幼児からの英語教育には反対です。
小学5、6年生からで十分、が私の持論です。
長文になってしまいました。すみません!

【エムズの片割れより】
どうも自分はウチのカミさんが言っていた「語学能」が存在するような気がします。つまり頭脳で「語学能」が開く人は、幾らでも外国語を話すようになる。逆にそれを持っていない人は、幾ら勉強しても、話せない・・・。もちろん自分はダメだけど・・・
ビジネスの現場では、外人と対等に話せるかどうかが問題で、読めるのは当然・・・。
既に、それが前提となっていますね。話せない人はそこでビジネス的に住む世界が決まってしまう・・・
よく「英語で考えるようにならなければ」と言われていますが、まあ現役生は大変です。つくづくリタイアして良かった・・と思います。

投稿: アンディーのママ | 2014年12月 3日 (水) 09:48

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