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2014年10月30日 (木)

ヘイトスピーチに思う

先日の日経新聞にこんな記事があった。
ヘイトスピーチ 法規制議論 「表現の自由」あり方問う
 民族的少数者や外国籍市民らマイノリティーに対する差別や憎悪感情を扇る表現、ヘイトスピーチを取り締まるための法規制導入議論が注目を集めている。焦点となる「表現の自由との調整」については、扇動側や憲法学者、規制を求める国際人権派、さらには政府・自民党も主張しており、それぞれの意味と立場が問われる。
 在日韓国・朝鮮人らが特別扱いを受けていると主張する「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の朝鮮人学校校門前や在日市民の居住地域での排外主義表現の街宣活動、ネット発信などが内外に波紋を広げたことが導入議論のきっかけだ。国連の人種差別撤廃委員会の8月の日本向け勧告でも政府が対策を求められた。
 これらの街宣活動には威力業務妨害罪や侮辱罪など既存の法規を適用した例があるが、いずれも具体的に被害者が特定できた。問題は不特定多数の集団への憎悪表現で、誰の何が侵害されたのかが不明である場合は刑罰は科されないからだ。
 そこで「集団侮辱罪」規定を新設し、集団への憎悪表現は構成員の利益や権利侵害の危険性があるとして取り締まる考え方が提案されている。
 ただ、抽象的な規定だけに乱用の恐れがぬぐえないとの批判もある。実際の破壊行為などにつながるかどうか分からないのに処罰される破壊活動防止法の扇動罪に違憲論が根強いのと同様で、集団侮辱罪も構成員の受け止め方は一様ではない。
 ヘイトスピーチ規制議論は、民主主義社会の基盤である言論の場に国が介入することから、表現の自由の保障との調整という難題を伴ってきた。導入国でもマイノリティーの側が摘発されるなど、本来の趣旨から逸脱した事例が起きている。
 韓国側の要請を受け自民党も8月下旬、対策検討のプロジェクトチームを設けた。平沢勝栄座長は「許されない行動だが、要は収まればいい。現行法規をもっと活用できないか、洗い出しが先だ」と話す。「新たな統制を導入すれば、在日米軍に対する基地反対住民の批判を憎悪表現として取り締まるようなケースも起こりかねない。警察官がデモの発言を聞いて現場で止めるなんてことはできない」と慎重な検討を強調する。政府が規制を見送ってきた理由も「表現の自由を不当に制限する恐れがあるから」だ。
 これに対し、ヘイトスピーチ問題に詳しい師岡康子弁護士は「この間のヘイトスピーチは、事実上、反論できない立場に置かれたマイノリティーに対し強い精神的苦痛を与えている」と指摘する。さらに「暴力など直接的な危害に及ぶヘイトクライムを誘発し、特定集団の殺害といったジェノサイドにつながりかねない危険な行為。歴史はそれを証明しており、深刻な認識から出発しなければ表現の自由の議論も空回りする」と強調する。
 そのうえで「政府は差別の実態調査とそれに基づき民事事案を対象とした包括的な人種差別撤廃法の導入から始める必要がある。そもそも政府自らが戦後も在日コリアンを差別し、社会全体で放置してきた結果が今のヘイトスピーチまん延の背景だ」と語る。
 西土彰一郎・成城大教授(憲法)は「まず規制対象を政治家ら公人の発言に限定すべきだ。『表現の自由』を差別と向き合わない口実にするような政府では規制の副作用の危険が大きい」とみる。一方、法規制導入の影響はマスメディアにも及ぶ可能性がある。「表現の自由を守るならマイノリティーに寄り添うメディアの報道こそが今、求められている」と指摘する。(編集委員 田原和政)」(2014/10/27付「日経新聞」p38より)

ヘイトスピーチは、日本人として心が痛む活動である。特定民族に対する憎悪表現も、表現の自由で守らなければいけない権利なのだろうか。
確かに、上の記事を読むと、どこかの誰かが、このヘイトスピーチ規制をチャンスとばかりに、幾らでも拡大解釈できる法を作り、国民・世論を縛っていくことも想像に難くない。特に最近の秘密法や集団的自衛権の政府の動きを見ると心配・・・。

それにしても、テレビでヘイトスピーチのデモを見ると、凄まじい。およそ、「話せば分かる」次元を超えているように思える。だから単純に、法で縛ればよいのに・・・と思ったりもしたが、でも難しい・・・。

話は飛ぶが、先日、テレビで映画「ローン・レンジャー」を見た。ロッシーニの「ウイリアム・テル」序曲の音楽に乗って、白馬にまたがるかっこよさ。
でも背景にあるのは、先住民への弾圧だ。

中世の南北アメリカ大陸、アジア諸国、アフリカなど、先進国による侵略・占領は、まさに殺人の連続であり、ヘイトスピーチどころではなかった。今でも、イスラム国が殺人を当然として動いている。
しかし、これらの国と日本とは違う。開国の時に、外人が呼んだという不思議な日本人の微笑み・・・。「ジャパニーズスマイル」・・・

明治9年に来日したフランスの画家のフェリックス・レガメは、日本人の印象をこう述べている。
「日本人の微笑みは無償で与えられるものなのだ。それは全ての礼儀の基本となっていて、どんなに耐え難く悲しい状況であってもほほ笑みを浮かべるのである。」

先日見た「NHKスペシャル カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~」でもこの光景を見た。関東大震災の時ですら、皆、水を求めてバケツを持って並ぶときも、不思議な微笑みを浮かべながら整然と待つのが日本人なのである。
そうなのだ。今の日本人にはヘイトスピーチはそぐわない。微笑みの日本人らしくないのだ。
そう感じるのは自分だけだろうか・・・。この活動を止めるため、我々に何が出来るのであろうか・・・。

141030goukaku <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

 
私は明治以降のそして今の多くの日本人の持っている排外主義が心底嫌いです。
 
安倍政権の思想的、心情的基盤はヘイトスピーチの団体とほぼ重なっていて「歴史修正主義」という共通認識に立っている。ヘイトスピーチ団体との違いは、ただ現実政治で「日米安保」にどれだけ依存するかという程度の差しかないとすれば、安倍政権にヘイトスピーチの取り締まりを期待するのは100パーセント無理というもので幻想というべきでしょう。

【エムズの片割れより】
日本では移民が少ないように、確かに排外主義はあるのでしょうね。
その中で頑張っているNHK朝ドラ「マッサン」の、スコットランドから日本に嫁に来たエリーはスゴイ。周囲の偏見に負けないで頑張っている!!(コメントとあまり関係無いけど・・・)

投稿: todo | 2014年10月31日 (金) 05:27

それにしてもこの間の橋下大阪市長と在特会との会談?は何だったのでしょうね。ヘイトスピーチは許されるべきではありませんが、橋下市長の態度にも呆れてしまいました。

【エムズの片割れより】
公人中の公人が、公衆の前でつかみ合いのケンカ!?

投稿: かえるのうた | 2014年10月31日 (金) 16:06

本当にあれは大人のする会話ではないですね。どちらも子供ですね。見苦しかったです。
ヘイトスピーチは言論の自由で守るべきものではなく、あれは言葉の暴力でしかないと思います。暴力は排除すべきです。民主主義の破壊につながります。

【エムズの片割れより】
確かに言われる通り、ヘイトスピーチは、言論ではなく、言葉による暴力ですね。

投稿: 白萩 | 2014年10月31日 (金) 16:52

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