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2014年9月 7日 (日)

「体温の相性」~もう秋・・・

先日の日経新聞にこんなコラムがあった。
体温の相性 高橋秀実
 ゆえあって、私は先月からアルゼンチン・タンゴを習っている。この暑い盛りになんで? と我ながら思うのだが、幸い教室は冷房が効いており、私などはステップがまったく覚えられず、一歩も踏み出せないままフリーズした状態が続くので汗もほとんどかかないのである。
 やはり自分には向いていないのだろう。大体、リズム感というものがないし、情熱も欠けているのかもしれない、などと思い悩みながら女性たちと手を取り合っている。ダンスというより長時間にわたる握手会の様相なのだが、そうこうしているうちにあることに気がついた。
 体温である。
 手と手を合わせると、体温が一人ひとりまったく異なっていることがわかる。十人十色ならぬ十人十体温。こんなにも違うものなのかとあらためて感心したのである。ひんやりと冷たい人もいれば、蒸すように熱い人、やんわりと涼やかな人もいる。もちろん「冷たい」といっても、あくまで私より冷たいだけで、私自身がもっと冷たければ、あたたかいと感じるわけで、あくまで相対的な体温。いうなれば相性のようなものがそこにあるのだ。
 そういえば私が妻と結婚しようと決めた理由のひとつは体温だった。彼女の手はふわっとしていた。おそらく体温が平衡状態になるからだろう。相手の体温を感じるというより境目が消える感じ。私の手が溶け出し、彼女とひとつになる。細胞レベルでエネルギーが循環しているような気がしたのである。
「決め手は体温だ」
 婚活に励む人たちにもそうアドバイスすればよかったのか。
 というのも、彼らは「性格が合わない」「条件が合わない」「今ひとつビビッとこない」などと考え込むばかりで、お互いに考え込むので平行線なのである。一緒に生活してみなければ本当の性格などわからないし、結婚前の条件など結婚後に急変することもある。備えることが憂いを生むようなものなのだが、彼らはいたって真面目なので、しまいには「自分は本当に相手のことが好きなのか?」などと突き詰めてしまう。そうなると客観的な思考回路に陥るので、おのずと冷静になり、冷静な自分を知って「それほど好きではない」と結論したりするのだ。
 そもそも「好き」とは、もともと「好く」という動詞である。そして「すく」の「す」は「吸う」「吸い着く」などの「す」と同根で、早い話、吸着を意味している。つまり人を好きになるというのは吸着するということで、吸着するからにはやはり体温が重要なのだ。理屈はともかく体温の確認。実際、歳をとると体のあちこちが痛くなるが、「手当て」というくらいで、手を当てられることに勝る薬はない。それに夫婦となれば最期は手を取ってお別れすることになるわけで、これほど大切な感覚はないのである。
 ちなみに妻の手は夏は冷たい。冷房の効いた部屋にずっといると脂肪が保冷剤のように機能するのか、適度にひんやりとするのだ。逆に冬場は暖房にあたためられ、保温効果で寝床でも湯たんぽのようである。本人にとって脂肪は邪魔かもしれないが、私にとってはなくてはならないもので……。これ以上書くと、単なる惚気(のろけ)話になってしまうので、いったん筆を置くことにしたい。(ノンフィクション作家)」(2014/08/30付「日経新聞」夕刊p7より)

日本人はホントウに肌の触れあいが少ない民族だと思う。日常的にハグする習慣がないこともあるが、肌の触れ合いには気恥ずかしさを覚える。
他人との肌の触れ合いのエピソードを思い出すと、子どもの頃の母親を除くと、それは一気に中学に飛ぶ。体育祭でのフォークダンス。女生徒と“手をつなぐ”ナンテ夢のような話で、指の先をほんの1平方センチほど相手の指と触れ合って、それでダンスをしていた。まあ女生徒と話さえしたこともなかった多感な中学の頃は、そんなもの・・・。
大学のサークルの合宿の時、社交ダンスなるものを先輩から初めて習った。マンボとか、足をボックスに動かすなど・・・。それもその時だけ・・・。まあとにかくビックリした。

親との接触もない。昔、親父が脳溢血で危篤になった時、看護婦さんに促されて、チョコッと親父の手に触れてみた。子どもの頃、親父にぶん殴られた時の、頬と親父の手の“接触”以来だな、とその時思った。まあ親父なんてそんなもの・・・。
それほど少ない。それが欧米ではどうだ。初対面で握手をする。それが当然のエチケット。初めてアメリカに出張したときは、慣れなくて困った。
まあ郷に従え・・・なのだが、自分はどうも好かん。

しかし、こんなことを言っていられるのも、現在が“普通の状態”だから・・・。精神状態が弱い時は、そんなことは言っていられない。がんの宣告など、精神がダメージを受けている時は、そんな事は言っていられない。そんな時は、やはり一番の味方は、他人の肌のぬくもりかも知れない・・・。
9月になって、急に気温が下がってきた。気分的にも、少しナイーブになって、他人の手のぬくもりが恋しくなる季節である。

140907neta <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

私が一番嫌なのは選挙運動で議員立候補が握手を求めてくる事です。「どうしてこんな男の手に触らなくてはならないのか」と思い手を引っ込めてしまいます。候補者は嫌な顔をして去っていきます。私だけかと思い他の主婦に聞いてみるとやはり抵抗があると言います。他人の手には触れたくないですね。私が握手だけでもして置きたかった人は恋した人だけです。ホームで別れるとき何故握手だけでもして置かなかったのかと今でも後悔しています。それ以外の人とは握手はしたくないのです。手は私たちの年代の女性にとっては大切なもののように思います。じかに知らない男性の皮膚には触れたくないですね。おかしいのでしょうか。

【エムズの片割れより】
同感です。実は、たまにOBでの飲み会があるのですが、散会する時に、皆で握手をするのです。シラけるので付き合っていますが、どうも自分には違和感があります。
それに引き替え、中学の時のフォークダンスで、段々とお目当ての女の子が近付いてきて、直前で音楽が終わったりして・・・。その時のドキドキ感が懐かしい・・

投稿: 白萩 | 2014年9月 7日 (日) 23:53

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