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2014年6月16日 (月)

「医学生ですが死が怖いです」~逃げてもいいんです

先日、朝日新聞でこんな記事を読んだ。
「(悩みのるつぼ)医学生ですが死が怖いです
   <相談>相談者:医学部3年生 20代
 現在、私はある地方大学医学部の3年生で、将来は子どもを心身ともにケアできる優しい小児科医になりたいと思っています。しかし、実習や研修、仕事で避けることのできない「死」が怖くて仕方ありません。
 人間が死を恐れるのは当然かもしれませんが、小学生の頃から、死ぬことを考えると、とても恐ろしい気分になります。いつか自分の体が骨となり意識もなくなると想像すると、恐怖で叫び出したくなるほどです。中高生のときお世話になった病院の先生に憧れて医師を目指したのですが、医師になれば生死を少しは理解できるのではないかとも考えました。
 実際、医学の勉強を始めてから死に対する意識は少し変わり、「人は死後も後の世代に影響を残すことができる」と今は考えています。自分が死ぬまでに、病気の子どもたちにできるだけ良いことをしたい、と思い至るようになりました。
 今は友人と必死に実習や勉強をして、試験後は思いきり遊ぶという生活を満喫し、大学にいれば死の恐怖にとらわれることはありません。家に独りでいるふとした瞬間のみ、そういった恐怖を感じます。このままでは将来、余命の短い患者さんを受け持ったとき、その人の死に向き合うより自分の死を恐れてしまう気がして心配です。何かいい心の整理方法はありますでしょうか。

<回答>回答者:評論家 岡田斗司夫
「死が怖い」のはあなたの個性です
 私の父はがんで他界しました。大正生まれの父は弱音など吐いたことがありません。でも末期がんで入院しているとき、「ようやっと自分が死ぬのがわかってきた。斗司夫、死ぬのは怖いぞ」と笑って言いました。
 死は「理解すれば怖くなくなるもの」ではありません。理解すればするほど、理不尽に思えたり怖くなったりするものじゃないでしょうか。
 父はけっきょく、「死の恐怖」と和解したようです。「死ぬことは怖い」という本音を認めて、すこしだけ楽になったみたいでした。
 あなたは死が怖い。私の父のように「もうすぐ死ぬ」から怖いんじゃなくて、「いつか自分も死ぬ」から怖い。子どもの頃から怖いので、これはもうあなたの「個性」の一部です。
 「個性」なんだから治そうとか乗り越えようとしてもムダ。宗教や哲学も、たぶん助けにならないと思います。
 犬が怖い人は、無理して犬を飼う必要はない。「犬が怖い」を克服するためにあえて飼うのは、時間と犬の人生のムダでしょう。同様に、死が怖いあなたが「死を意識する職業」を選ぶのはムダだと私は思います。
 医者にならなくても、子どもたちのためになる仕事はいくらでもあります。
 例えば、医師免許があれば医者以外にも、厚生労働省の医系技官や保健所長になれます。外資系コンサル会社などでは免許があるとキャリア上、有利です。
 死が怖いんだから、堂々と逃げてもいいんじゃないですか? 私の父のように「必要になるまで」は直面しなくてもいいと思います。
 もう一つ、気になる点があります。ひょっとして医学部に合格しちゃったから「医者にならないともったいない」と考えているんじゃないですか?
 「死が怖い」「子どもの役にたちたい」「医者に憧れている」
 この三つだけでも相互に矛盾してしんどいのに、おまけに「せっかく医学部に合格したからもったいない」まで考え出したら、そりゃ動きも取れなくなりますよ。
 完全に「心の積載量オーバー」です。
 怖いことからは逃げてもいいんです。医学部に合格しても、医者にならなくてもいい。「死が怖い」のは、あなたの個性の一部です。
 否定せずに、その個性といっしょに幸せになる道を考えてください。」(
2014/05/31付「朝日新聞」b10より)

上の記事で「怖いことからは逃げてもいいんです」、そして、「「必要になるまで」は直面しなくてもいい」という考え方について、どう捉えるか・・・
上の意見は、自分の意志でコントロール出来る範囲なので、そうかな・・・とも思う。自分はゲジゲジが大キライ。そもそもムシ類が怖い。家でゴキブリが出てきた時など、大声でカミさんを呼んで退治してもらう・・・。よって、その類の話の延長なら、「死が怖い」から逃げるのも分かる。
それでは「逃げられない怖いもの」に対する対応はいったいどうすれば良いだろう。

上の医学生と同じく、誰でも「死」は怖い。それは「誰も「死」を知らない(体験出来ない)からだ」、と思っていた。だから怖いことも、良く知ってしまえば、「何だ、こんなものか・・・」と怖く無くなるのではないかと・・・。しかしそれは正解か?? つまり、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」は正解か?(←ちょっと例が違うけど・・・)

分かり易いのが、がんの宣告。誰も茫然自失するだろう。しかし自分のがんを勉強し、良く知れば怖く無くなるのか? 癒されるのか? つまり、もやもやと分からないから漠然と怖いだけで、相手の正体が分かれば怖さは減るのか?
どうも良く分からない・・・。「知れば知るほど怖いので、目を背けて知らない方がよい」という考え方もあるのでは・・・?

先日、カミさんが市の講習会で貰ってきたエンディングノートなるものを書いていた。そして自分にも書けと言う。その中に、終末期の医療の項に「病名や余命告知」について希望するかどうかを書く欄があった。カミさんは当然のように「希望する」。でも自分は絶対に「希望しない」と書くだろう・・・。でも、いとも簡単に告知されてしまうのが現代・・・
怖いことから逃げたくても、逃げさせてくれないのが現代か・・・

先日、兄貴と一緒に「親父は麻雀をしながら脳出血で逝った。祖母も、芝居見物の翌朝、脳溢血で逝った。実に羨ましい。まあ自分も70歳を越えたら、一発で死ぬのならまあ良いのかな・・・」ナンテ言う話をした。
人間としての尊厳を失いながら寝たきりで生きるのも、志半ばで死ぬのも、人間の意志ではどうしようもない。
さっきの医学生の恐怖も含め、「死」とは何ともやっかいなものだ。

140616gokiburi <付録>「ボケて(bokete)」より


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