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2014年5月10日 (土)

「60歳から、まだ30年も生きるとして」

日経から毎日送られてくるニュースメール。その中で、先日、タイトルに惹かれて読んだ記事・・・。“読みもの”として(失礼!)面白かった。
60歳から、まだ30年も生きるとして(鈴木幸一 IIJ会長)
・・・・・・・
 高齢化社会になると、さまざまな「老い」の症状をいつも間近に見ることになる。老衰に至る過程の肉体の衰え方は様々で、そのひとつが細胞の衰えによるがんという病に始まって、さまざまな病にかかる友人、知人の消息を耳にする。60代も後半になると、そんなものである。そうはいっても昔に比べれば、会社をリタイアしても何故働いていないのか疑問に思うほど、健康で活力のある友人や知人の数が圧倒的に多い。60歳を過ぎても、30年は人生が残っている人間がほとんどではないか、と思ったりする。60歳から次の30年をどう過ごすのか、その費用を誰が負担するのか、という財政の大問題を考えても、解決の道筋が見当たらず、ぼうぜんとするだけだが、その30年という時間をどう過ごすのかということは、財政負担とは違う難問である。肉体も衰えないまま、ある日、こつぜんと逝くのであれば話は別だが、肉体ばかりでなく、精神が衰えていく過程の30年となると、それはそれで深刻な話である。衰えていくことが「老い」なのだから、それを受け入れていくのが人生であるという当たり前の前提を否定はしないけれど、そう簡単ではない。長寿社会になることは、いいことに違いないけれど、それはそれで難しい話である。
 「老い」のひとつの姿であるボケや認知症にかかった知人も増えてきた。自ら認知症の初期ではないかと病院に行き、その進行を防ぐ薬の治療を事細かに教えてくれる友人がいて、たまに話を聞く。こと、認知症については暇にまかせて勉強して、その症状、原因、医療の状況、進展等々について、大学で講義ができるくらいの専門知識を身につけている。今すぐにでも評論家になれるほどの知識を披瀝(ひれき)されると、ホントに認知症の初期なのかと驚く。「それだけの知識を得られるのに、認知症なのか」と聞くと、「それはそうだよ。ある日突然、駅に降りたら、酒も飲んでいないのに家に帰る道がまったくわからなくなったのだから。迷惑を掛けないようにする最善の道はなにかと思って、すぐに大学病院に行ったら、認知症の初期だと判断されて、それから猛勉強を始めたの。薬の効果で進行は遅くなったようだが、今度は自分の病を徹底して知ってやろうと思ってさ。時間もあるし、相当なことまでわかってきたよ」。「そんな認知症ってあるのかなあ」といったら、「認知症は認知症だよ」と、すまして言われてしまった。病にかかった人間が、その道の大家になるのも面白い話である。
 昔からお付き合いのあった高名な有識者の方が認知症になったものの、招かれる酒席には出席して、誰も気づかないままだったという話を聞いた。もともと寡黙な方で、端然とほほ笑みを絶やさず、2時間ほどの酒席を過ごされるものだから、同席している出席者は、その症状に気づかなかったということらしい。私など、飲むほどにお喋りに興じるわけで、すぐにも病院に連れて行かれるに違いない。私の父親は90歳近くになって惚(ぼ)けがひどくなり、何年か面倒を見ていた姉が対応できなくなって施設に入れたら、事故にあって間もなく亡くなった。いちど会いに行ったら、「どちら様でしたっけ」と、すました表情で丁寧に聞かれて、答えに窮した記憶がある。ずいぶんと時が経たのだが、その時の不思議な会話を折に触れて思い出す。表情もまったく違和感がなかったのだから、わからないものである。
・・・・・・・(以下略)

鈴木幸一(すずき・こういち)1946年9月生まれ。国内インターネットサービスの草分け。インターネットイニシアティブ(IIJ)を設立し、郵政省(現総務省)との激しいやりとりの末、93年にネット接続サービスを開始。後に続くネット企業に道をひらいた業界の重鎮。酒、タバコ、音楽と読書を愛し、毎春、東京・上野で音楽祭を開催、自宅は蔵書に埋もれる。」(2014/05/06「日経新聞」(鈴木幸一氏の経営者ブログ)より)

自分より1つ年上の氏が、老いについてこれだけ“意識”されている。まあ自分が老いを意識するのも、仕方がないか・・・。
先日、会社で「昨日、何年かぶりでカミさんとゴルフの打ちっ放しに行った」という話をしたら、「実はあるOB会で、ゴルフの幹事をしているが、先日一緒にプレーするはずだったKさんが心筋梗塞で急に亡くなった」という話を聞いた。82歳。こんな亡くなり方は理想かも知れない。ある程度のトシになれば、ゴルフの予定日が、何と自分の葬式の日になった、というのもオツな話かも・・・?健康のまま亡くなった、ということなので・・・

幸い、自分の周囲にボケや認知症にかかった人は見当たらないが、自分でボケを疑ったことは何度かある。
15年ほど前だろうか、突然会社でパスワードを忘れた。そんな事は初めてだったので、あわてて近くの脳神経外科に行った。そしてたまたま居た物忘れ専門の先生から、色々な検査をされ、結局無罪放免。まあそれ以来、自分もこの程度のボケで収まっているので、誤診ではなかったよう・・・
夫婦で焦ったこともあった。昔の話だが、町田だったか、初めて買い物に行った時、車をどこかのタワー型の駐車場に停めた。買い物が終わって車に戻ると、何と車が盗まれていて無い。確かここに停めたはず・・・。どうすりゃいいのだ・・・。念のため、上の階や下の階も確認するが、無い。結局見つかったのだが、ぐるぐる回って上の階に行く形の駐車場のため、どのフロアも風景が同じ。それで階の思い込みが原因だった。結局「誰かが、車を上の階に勝手に移動したのだろう」ということでチョン。夫婦二人で、ボケを心配したもの・・・

しかし、“物忘れ”で、一番のバロメータになるのが駐車場かも知れない。同じような風景の中で、車を停めた場所に直ぐに行けること。それを迷うようになったら、少々心配・・・。
このような話題も、およそ他人事では無くなってきているこの頃である。

140510kimadui <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

60歳から30年近く生きている男・・・、まだ駐車した場所を忘れることはありません。
ホケない原因は、主にネットにあると思っています。(特にエムズさんの。)
あなたはこの歳になるまで20年もあります。
大いに人生を楽しんでください。

【エムズの片割れより】
まだ20年もありますか・・・!!嬉しいですね。ホントウなら、色々な事が出来そうで・・・
元気付けて頂いて(!)、ありがとうございます。

投稿: toriaezu3965 | 2014年5月11日 (日) 14:49

駐車した位置をちゃんと覚えておくということに近い感覚のものでは、愛車のロックをしたかどうか、その記憶の曖昧さについて、しょっちゅう揺らぎます。
ほぼ必ず10mほど行ってから、もう一度車に戻ってドアを確認してしまいます。
困ったものだと、毎回痛切に思いますが、あまりストレスに考え込まないようにも心しています。
そういう仕草に浮かび出てくる自信のなさも老いのひとつなのでしょうね。

まだ61ですけどね。体は断然丈夫なのですが、頭の方がやはり心配です。

【エムズの片割れより】
ウチのカミさんは、出かけると必ず「(台所の)火を消したかな・・・」と言います。これも老化のひとつなのでしょうか・・・ね?

投稿: ケンカバ | 2014年5月11日 (日) 15:35

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