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2014年4月14日 (月)

「素っ裸」と「真っ裸」~スピーチの思い出

先日の朝日新聞beの「ことばの食感」というコラムにこんな記事があった。

「「素っ裸」と「真っ裸」 中村明
 ある類語辞典の出版披露のパーティー会場で、司会者から突然「素っ裸」と「真っ裸」に何か違いはあるか、とマイクを振られた時には面くらった。
 言語学の大家が会う人ごとに意見を求める話題らしい。その辞典の編集主幹として出席しているてまえ、即座に何か答えないと格好がつかない。とっさに「素」のつく語と「真」のつく語の発想の違いを考えてみた。すると、「素足」「素手」「素肌」は靴下・手袋・衣類を身につけていない状態、「真っ赤」「真っ青」「真っ正直」はその状態に次第に近づく最終段階であることに気づいた。
 とすれば、「素っ裸」は衣類を身につけているか、いないかという、1かゼロかの、いわばデジタル思考であり、「真っ裸」は厚着から次第に薄着になって最後の一枚をずらしながら落とすという連続的な接近、つまりアナログ思考だと言えるのではないか。
 苦し紛れにそんな思いつきをしゃべった。調子に乗って、川端康成の「伊豆の踊子」のヒロインが湯上がりに主人公の目にさらしたのは「素っ裸」だろうと口走ったのが運の尽き。家で調べたら「真裸」とあった。それ以来、ここは「まはだか」と読んで気品を保っている。(早稲田大学名誉教)」(
2014年4月5日付「朝日新聞」b3より)

広辞苑を引くと・・・、こうある。
すっ‐ぱだか【素っ裸】 まるはだか。すはだか。
まっ‐ぱだか【真っ裸】 全くのはだか。まるはだか。「―で飛び出す」
ま‐はだか【真裸】 全くのはだかであること。まっぱだか。赤裸。

広辞苑の解説ではその違いが良く分からない。でも上の記事の解説は、デジタルかアナログかで分かり易い。
それにしても、司会者の突然の指名に、「とっさに「素」のつく語と「真」のつく語の発想の違いを考えてみた。」と頭が動くのだから言語学の“プロ”は違う・・・。

最近は本当に少なくなったが、現役時代は、色々な会合で、「ひとことご挨拶を」とマイクを振られる機会も多かった。特に酒が入った席では、如何にウィットに富んだスピーチが出来るかが、ベテラン・サラリーマンの妙・・・。それは立場(役職)が上がるほど多くなった。さすがに最初は戸惑ったが、これは仕事の一環であると割り切って、そんな時には、もし突然指名されたら・・・、と心の準備をしておいたもの・・・。

スピーチに対し、実は自分にはトラウマがある。大学時代、HとTと自分を入れて3人組の友人がいた。そのうちのHが、大学時代から付き合っていた彼女と、社会人になって直ぐに結婚した。そして結婚式に、自分とTが呼ばれた。自分はHから「スピーチを」と頼まれていた。もちろん結婚式は初めて。Tが「少し遅れていこうぜ」と言うので「そうだな・・・」と、誰も居ない式場のロビーでしばらくタバコを吹かして時間を潰し、「そろそろ行くか」と会場を覗いてビックリ。もちろん式は始まっており、席に着くのが目立つこと・・・。そして座るや「では友人代表の**さんからご挨拶を」と来た。
まったく非常識の自分は、結婚式の本を買って読むでもなく、漫然と「立てば何とかなるだろう・・・」と思っていたのだからどうしようもない。
スポットライトが当てられ、立つと同時に頭は真っ白け・・・。もちろん、しどろもどろの挨拶になったのは当然の流れ・・・。
でもこの経験はその後の人生に活きた。「どうにかなるだろう」は、決して「どうにもならない」と分かった。それ以降、あらかじめ分かっている挨拶は事前に原稿を書いて練習したのは言うまでもない。よってそれ以来、何度かの仲人や主賓を含めて、トチッたことはない。
しかし突然の指名は、始末が悪い。でもそんな場でも、皆はそれを“そつなく”こなすのだ・・・。自分は、そんなセンスも無いので、マイクが向けられる可能性がある場では、もしマイクが来たら・・・と、何か考えておくようにしていた。でもそんな時、マイクが来ないと、それはそれで不満・・・

こんなコラムを読みながら、現役時代のスピーチのことを思い出してしまった。
やれやれ、そんな事もなくなった今は、何と平和なことか・・・!!

140414bijyutukan <付録>「ボケて(bokete)」より


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