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2014年4月 4日 (金)

親父の説教、そして「取り返しがつくこと」と「取り返しがつかないこと」

先日の日経新聞の「私の履歴書」。「豊田章一郎(3)父・喜一郎」(2014/04/03付)にこんな一文があった。
「・・・最初は豊田自動織機に自動車部を設け、次いで1937年にトヨタ自動車工業を設立し、副社長に就任した。
 私が父という人間を意識し始めたのもこの頃だ。仕事が忙しく、不在がちだが、たまの休みで家にいても、少しの暇にも紙と鉛筆をもち、思いついたアイデアや図案を書き留める。
 ともかく目が覚めている間は、常に何かを考え、すべてが仕事や研究に結びついているような人だった。
 とはいえ、家族をないがしろにしたわけではない。夏休みはよく家族旅行に出かけた。あるとき河口湖でバスに乗り遅れたことがある。普段は温厚な父がこのときはやや怒って「こんなことをやっていてはダメだ。人生で何かチャンスがあっても、それをつかみ損ねたら競争に負けるんだ」と説教を始めた。
 1936年に国産車を奨励する自動車製造事業法という法律が制定され、認定企業に豊田自動織機と日産自動車が選ばれた。これがその後トヨタが飛躍する一つの契機になった。
 父の「遅れたら負け」という言葉には、当時の高揚した思いが込められていたのだ。父からは後々、仕事についての考え方を教わったが、河口湖での会話がその端緒だったと思う。
 「1日3回手を洗え」。こうよく口にして、手が油や鉄粉で汚れるぐらいでないと、エンジニアとして大した仕事はできないと私たちに教えた。トヨタは、実際に自分の目で見て、物事を判断する「現地現物」という考え方を重視しているが、これも、喜一郎がよく言った「実地第一主義」から来ている。・・・」(
2014/04/03付「日経新聞「私の履歴書」より)

久しぶりに「説教」という言葉を聞いた。もう最近では死語になっているのだろう。自分が小学生高学年の頃、夕食後は必ず親父の説教があった(このことは前にも書いているが)。その光景はまだ頭にある。デンと座った親父の、丸いちゃぶ台のこちら側に、3歳年上の兄貴と自分とが正座。自分の左手には火鉢を父との間に置いたお袋が座る。そして続く延々の説教。心の中は「早く終わらないかな・・・」だけで、ほとんど聞いていない。しかし今でも覚えているのは「人間、心掛けが大事。幾ら勉強が出来ても、心掛けがダメなヤツはダメだ」。お陰で、自分は自他共に認める「心掛けの悪い」人間に成長してしまった。(ホホホ・・・)
上の記事の趣旨とは違うが「1日3回手を洗え」という言葉・・・。これはしつけの範疇だが、帰ったら手を洗う、という習慣は、自分が子どもの時にうるさく躾けられたもので、このトシになっても、子どもの頃に付いた習慣は未だに続いている。しかし息子が帰ってくると、直ぐにデンと座ってしまうので「手を洗え」とつい言ってしまう。
自分の子育てでは、そのしつけは出来なかったようだ。

最近「取り返しがつくこと」と「取り返しがつかないこと」を意識している。
人間、ある行動をする場合、その判断基準によって、事態は大きく変わることがある。人生で起こる出来事のほとんどは取り返しがつくこと。しかし交通死亡事故などは、まさに取り返しがつかない代表例。つまり死んでしまっては、後での挽回は出来ないのだ。
日常での「行動」について、それが「取り返しがつくこと」かどうかは、人生経験を積むほど正確さを生む。逆に若い人は、その判断基準が非常に危なっかしい。
会社などで、若手がもし「取り返しがつかないこと」をしようとしていることが分かった場合、我々人生のベテランはどのような行動を取るべきか?

家庭でも会社でも、「説教」という習慣が失われた現代は、日常的に自分たちの人生経験を若手に教えることは難しく、相談もされない場合が多いので、もしそのような事態を知ったら、超法規的に「取り返しがつかないこと」を、体を張って「させない」という強硬な行動が必要である、と思う。
人生経験から生まれた判断基準は、それぞれ多大な犠牲のもとに培われた各人の財産なのだから・・・。

おっと話がずれた。親父の説教だった・・・。先日、カミさんが好きな日テレの「7男2女11人の大家族石田さんチ」(2014/03/27放送)を見た。それにしても石田さんちの親父はスゴイ。叱るときは本気になって叱っている。大人になっても、息子のアパートに様子を見に行っている。何よりも、いつまでも会話がある。これは当たり前ではない。
自分ももう少し親父と話せば良かった、とトシを取ると共に強く思うようになった。後の祭りとはこのことを言う。久しぶりに聞いた「説教」という言葉ではある。

140404funjyatta <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

私の育った地域は個人経営の商工業者が多く毎日が忙しく子供に説教をしているような親は見た事がないですね。他人の子供でも悪いことをすれば怒鳴るか殴るが当たり前で怒鳴る言葉は「罰当たり!」が一番多かったように思います。神仏などの信仰心が全くないのに「罰当たり」とは何を意味していたのでしょうか。「罪を犯せば罰があたる」簡素にして意味の深い名言のような気がします。私の父には説教をするだけの教養がなかったのかもしれません。が長い説教より効き目はあったと思います。

【エムズの片割れより】
「叱る」のは「怒る」のではない、と良く言います。感情的になったら、ダメ。そう考えると、説教は、相当の自信がないと出来ないのかも・・・。
今の若い親にも、自分の子どもにはちゃんと叱って欲しいと思います。もちろん説教も・・・。でも期待薄かな??

投稿: 白萩 | 2014年4月11日 (金) 15:58

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