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2014年4月 1日 (火)

「売れたら勝ち」自覚せよ~佐村河内氏ゴーストライター問題

佐村河内守氏のゴーストライター問題も、最近は世間のトーンが下がったようだ。
今朝の朝日新聞に、こんな記事があった。
「「売れたら勝ち」自覚せよ 佐村河内氏ゴーストライター問題
       ノンフィクション作家 神山典士

 佐村河内守氏の問題について、2月初頭から何回か週刊誌で書いている。世間を騒がせた「ゴーストライター」について、実は私には書かずにはいられないことがある。
 今回、私の友人たちは一連の記事を読んで、「ゴーストライターがゴーストライティングの批判をしている」と思っていたはずだ。私はフリーランスの書き手になって四半世紀、50冊以上のゴーストライティングを手がけてきたからだ。もしその行為が罪ならば、裁かれるべきは佐村河内氏と新垣隆氏だけでなく、私を含めた少なくない出版界の書き手や編集者も同罪になるだろう。
 今日書店に行けば、「経営者」や「スポーツ選手」「芸能人」たちが著者となる書物は無数にある。読者にしても、彼らが1人で書いているとは思っていないはずだ。つまり出版界においてゴーストライティングは、今や一つのビジネスモデルなのだ。
 とあるベストセラーを持つ大学教授が、やはり高名な教授に対してこういったという。「君の本が売れないのは自分で書いているからだよ」と。この教授の作品は、講演などをもとに優秀な編集者が構成執筆し、大成功を収めたことは有名な話だ。
 私にしても、著者となる人への周到なインタビューを繰り返し、練りに練った構成で原稿が出来上がっていく過程はあながち嫌いではない。一つの価値、1人の新しい著者を世に生み出していく作業は、クリエイターの本質的な喜びに間違いない。だから私には、新垣氏の「佐村河内ブランドでも自分の曲が多くの人に聞いてもらえるのは嬉(うれ)しかった」という言葉と気持ちは、よく理解できるのだ。
 だが私は、この作業で一つの習慣を持っている。共同作業の終盤、書物が世に出る直前に、私は必ずその著者に対して一言添える。「仮にこの書物が売れたとしても、売れたのはテーマであって、あなた自身ではない。それを誤解して、天狗(てんぐ)にならないでくださいね」、と。
 書物が売れることで与えられる富や名声に、著者が無自覚に酔ってしまうと、時に最悪の事態を招く。残念ながら新垣氏は、そこまで佐村河内氏をコントロールできなかった。その出会いが若すぎたか、佐村河内氏が聞く耳をもたなかったか――。
 さらに重要なことだが、そもそも作家を名乗る人間は、他人の手による文章など、気持ち悪くて自分の名前で発表できるはずがない。私はどんなに信頼している編集者でも、文章の語尾に勝手に手を入れようものなら激怒する。その語尾は全体を支える支柱だ。一つでも狂えば、建物として成立しない。
 今回は「作曲家」を名乗る人の後ろに「幽霊の作曲家」がいた。それは断罪されるべきものだ。とはいえ私の中にも出版界放送界音楽界あらゆる組織の中にも佐村河内なるものは存在し、「売れたら勝ち」と囁(ささや)いている。私たちはそのことに無自覚であってはならない。そのことを改めて問いかける事件になったと私は思っている(ちなみにこの文章は、天地神明にちかって神山本人が書きました)。
    *
 こうやま・のりお ノンフィクション作家 1960年生まれ。週刊文春で佐村河内氏のゴーストライター問題をスクープ。著書に『めざせ! 給食甲子園』など。」(
2014/04/01付「朝日新聞」p17より)

佐村河内氏については、自分も6年間も前の2008年10月に当サイトに書いている(ここ)。
今回の事件を見て、この記事を削除しようかとも考えたが、カミさんがそのままにしておいたら?というので放ってある。
実は、6年間に先の記事を書いた後、彼がマスコミでもてはやされるのを自分は冷ややかに見ていた。NHKスペシャルの氏の番組も、我慢に我慢を重ねてやっと一通り見た。見ないのに批判など出来ない、と思ったから・・・。
このサイトにも採りあげたのに、なぜ氏を毛嫌いしてきたのか・・・。それはあまりに“臭さ”を感じたから・・・。前の記事にも書いたが「発作が起きると、浮遊感覚、全身の硬直、嘔吐が起き、光に対して敏感なので家から出られない。オムツをして糞と尿にまみれた生活をする深い闇を経験した。・・」という状態があまりに“臭”かった。テレビ番組でも、カーテンをした暗い部屋をいざっている異様な光景に目を背けた。何よりも、“聞こえない”のに普通の話し方をしている異様さ・・・。自分も突発性難聴を経験して、難聴には詳しいつもりだが、あの話し方を見て「絶対に聞こえている」と確信していた。
それに、「絶対音感が備わっていれば、ピアノで確かめなくても分かる。これは、子どもの頃に訓練することによって養われるもので、大人になってからでは養えない。」というのも。やはり信じられなかった。これでは、モーツァルトも“努力の人間”か?ということになってしまう。よって今回の事件も、自分にとっては、やっぱり・・・という感じ・・・。

でも、それと上の記事とは別問題。ゴーストライター自体は、上の記事の通り、当たり前のこと。しかし、今回の問題は、佐村河内氏があまりにテレビなどで、自分の“ゴーストの姿”を作り過ぎた。テレビ番組のように、光に敏感で、部屋中真っ暗にしていないと発作を起こすはずが、記者会見の場では、ケロッと明るい会見場で、普通に話をしている。そう、それが真の姿。音楽でだましたと言うより、広島の耳の聞こえない難病の作曲家というゴースト、それが世間の反発を招いた。

上の記事にもあるように、「仮にこの書物が売れたとしても、売れたのはテーマであって、あなた自身ではない。それを誤解して、天狗にならないでくださいね」という言葉が心に突き刺さる。
人間は、できるだけ自分をエライと思いたいもの。自分が世界で一番好きで大切だから・・・。
しかしそこに落とし穴がある。

「謙虚さ」という業(ごう)が、人間にとって如何に難しいことかを知らしめた事件ではあった。(ちなみにこの文章は、天地神明にちかって(青文字部分を除いて)“エムズの片割れ”本人が書きました。)

140401masscomm <付録>「ボケて(bokete)」より


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