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2014年2月22日 (土)

今だからこそ読んで欲しい寓話~フランク・パブロフの「茶色の朝」

今朝、カミさんと出かけたが、ついでに寄った昼食のスパゲッティー屋でカミさんが言う。「blogでぜひ採りあげて欲しい本がある。直ぐに読めるから読んで・・・」と。
聞くと、このフランスで100万部以上の大ベストセラーだったというフランク・パブロフの「茶色の朝」という本は、カミさんがたまたまある雑誌を探しているときに、ある書店のHPの「スタッフおすすめ」(ここ)にあった本で、それを図書館から借りてきて読んだという。

それでスパゲッティー屋の待合室のベンチで、仕方なく読み始めた。
なるほど・・・。そして、今の日本人だからこそ読みたい本だな・・・と思った。
出版社のHPからこの本を紹介すると・・・

フランク・パブロフの「茶色の朝」
仏ベストセラー・反ファシズムの寓話。世界10ヶ国以上で出版。「ごく普通の」国家が、日々の生活に知らぬ間に忍び込み、人びとの行動や考え方をだんだんと支配するようになるさまを描いたショート・ストーリー。
物語のあらすじ
世界中のどこにでもあるような、とある国の物語。友人と二人でコーヒーを飲みながらおしゃべりをするのを日課にしている男がいた。ある日、主人公は、その友人が飼い犬を始末したということを聞かされる。その理由は、ただ毛色が茶色じゃなかったからだった。その国の政府は、茶色の犬や猫のほうがより健康で都市生活にもなじむという理由で、茶色以外のペットは飼わないことを奨励する声明を発表したばかり。主人公は、自分が飼っていた白黒の猫をすでに処分した後であったが、友人がその犬を始末したことに少しショックを受けた。
時は流れ、二人は日課をいつも通りつづけていたが、小さな変化が起こっていた。人々は話し方を微妙に変え、茶色以外のペットを排除する政策に批判的だった新聞は廃刊になった。それでもたいして変わらない日々の生活がつづいた。友人はあたらしく茶色の犬を、主人公も茶色の猫を飼いはじめた。でもその時には、さらに新しい状況が生まれていた。友人をはじめ、多くの人々の逮捕がはじまった。そして夜明け前-ある「茶色の朝」-主人公の家のドアをノックする音がする・・・。 」(
ここより)(全文は下記、PDFはここ

この寓話は、作者が著作権を放棄しているので、原文はwebに載っている(ここ)。
今回読んだ本は、その翻訳と、絵、そして高橋哲哉氏のメッセージで構成されている(ここ)。

今日の記事について、コメントすることは何も無い。この寓話を読んだ人が、現在の日本の政治の動きを念頭に、どう感じるか・・・だ。
下記に全文を置くので、ただただ今の日本の政治を憂い、フランスで1冊1ユーロ(約140円)で100万部以上が売れたというこの寓話を、ぜひ一人でも多くの人に読んで欲しいと願うばかりである。

大月書店の「茶色の朝」の高橋哲哉氏のメッセー140222chairo ジは、本文の何倍もの量があるが、実に真実を突いて分かり易い。この本は10年前の2003年12月の出版だというが、まさに現在の日本の政治と国民の姿を見透かしていたようで、「私たち=ふつうの人びと」の“怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心”の心をえぐる。そして、こんなメッセージを突き付ける。

「やり過ごさないこと、考えつづけること」

その高橋哲哉氏のメッセージから、この本が出版された背景について、一部を紹介すると・・・、

「・・・フランスの読者にとって、茶色brunはナチスを連想させる色です。ヒトラーに率いられたナチス党(国民社会主義ドイツ労働者党)は、初期に茶色(褐色)のシャツを制服として着用していたので、茶シャツ隊les chemises brunesはナチスの別名になったのです。
 「茶色」は、ナチスを連想させるだけではありません。そのイメージがもとになり、今日ではもっと広く、ナチズム、ファシズム、全体主義などと親和性をもつ「極右」の大びとを連想させる色になっています。
 1990年代に入り、東西冷戦が終結すると、西ヨーロッパでもそれまでのイデオロギー対立が後退し、民族・国民的アイデンティティによりどころを求める動きが強まって、各国・各地域に極右運動が台頭しました。・・・
 西ヨーロッパ全体にこうした極右運動が広がっていくのを見て、あるフランス人はこれを「茶シャツのヨーロッパ」と名づけました。まるで西ヨーロッパ全体が「茶色」に染まっていくかのように見えたのでしょう。

 フランスとブルガリアの二重国籍をもつフランク・パヴロフが『茶色の朝』を書いたのも、フランス社会がやがて「茶色」に染まってしまうのではないかという不安と、なんとかそれに人びとの注意を促したいという危機感のなかでのことでした。
 シャン=マリー・ルペンという一種カリスマ的な人物に率いられた極右政党・国民戦線は、1980年代末ごろから大統領選挙(第1次投票)で15パーセント前後の得票率を示し、地方都市では市長の座を占めるようになっていました。そして、1998年の統一地方選挙で国民戦線が躍進し、保守派のなかにこの極右と協力関係を結ぼうとする動きが出てきたときに、パヴロフは強い抗議の意思表示として、この作品を出版したのです。しかも、多くの人びと、とくに若い世代に読んでほしいと考え、印税を放棄し、わずか1ユーロの定価で出版することにしたのです。
 その後、驚くべきことが起こります。 2002年春の大統領選挙で、ルペン候補が社会党のジョスパン候補をおさえて第2位となり、決選投票でシラク大統領と一騎打ちを闘うことになったのです。人種差別と排外主義で知られる極右候補が決選投票に残るという前代未聞140222matinbrun1 の椿事(ちんじ)に、フランス社会は大きく動揺しました。まさにそのときです、人びとがこのわずか11ページの小さな物語を発見したのは。自分たちが置かれた状況の意味を理解し、何をなすべきかを考えようと、多くの人が『茶色の朝』を読みました。「極右にノンを」の運勣がもりあがり、結果はルペン候補の敗北。パヴロフはその間、なんとベストセラー作家の仲間入りをすることになったのです。
・・・
『茶色の朝」は、私たちのだれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因であることを、じつにみごとに描きだしてくれています。・・・」(
大月書店「茶色の朝」p35より)

本とは翻訳のニュアンスがだいぶ違うが、全文を本で読めないときは、下記を読んで欲しい。
========<全文>=========

茶色の朝」フランク・パブロフ作(翻訳:左大臣)

太陽に向けて足を伸ばしながら、シャルリーと私は何を話す風でもなく、お互いが傍らで何を語っているのかにはさして注意も払わずに、頭の中にただ浮かんだ考えをやりとりしていた。コーヒーをすすりながら、時間がただ過ぎるに任せているのは心地よいひとときだった。シャルリーが彼の犬に(安楽死のための)注射をしなければならなかったという話を聞いた時には驚いたものだが、ただそれだけだった。耄碌した犬ころを見るのはいつも悲しいものだが、15歳を過ぎたとなってはいつの日か彼は死ぬという考えは持っておかなければいけない。

― 分かるだろう、あの犬が茶色だって押し通すには無理があったんだ。
― まあそうだが、ラブラドル犬が茶色であるべきだなんてあんまりな話だ。ということは、何か病気でも持っていたのかい?
― そういう問題じゃない。あいつは茶色の犬ではなかった。それだけさ。
― 何てこった、猫が処分された時と同じだっていうのかい?
― ああ、同じだ。

猫の時は、私は当事者だった。先月、私は自分の猫を一匹手放さなければならなかった。やつは白地に黒のぶちという悪い巡り合わせの(ふつうの)家猫だった。猫の過剰繁殖が耐え難いというのは確かだったし、国家の科学者たちが言うところによれば、茶色の種を保存するのが次善の策だということもまた確かだったのだ。茶色だけだ。あらゆる選別テストが示すところによれば、茶色の猫がもっとも都市生活に適合し、子供を産む数も少ないし、そして餌も大変少なくて済むというということだった。個人的には猫は猫だとは思うが、問題は何らかの方法で解決すべきなのだから、茶色ではない猫の排除を定める法令に従う他はない。街の自警団が砒素入りの団子を無料で配布していた。砒素入り毒団子は餌に混ぜられ、(去勢前の)雄猫たちは瞬く間に片付けられてしまった。その時は私の胸が痛んだが、人というのはあっさりと早く忘れてしまうものだ。

犬の時はさすがに驚いた。何故かはよく分からないが、たぶんそれは猫よりもずっと大きいからか、あるいはよく言われるように、人間にとっての輩(ともがら)であったからだろう。いずれにしてもシャルリーは、私が猫を処分した時と同じくらい自然な体でそれを話していた。そして彼は正しかったのだろう。感傷的になり過ぎたところで何か大したことが起きるわけではないし、犬についても、茶色いのが一番丈夫だというのも多分正しいのだろう。

お互い話すこともそれほどなくなったので、私たちは別れることにしたが、何か妙な印象があった。あたかもそれは何か言い残したことがあるかのようだった。あまりいい気持ちがしなかった。

それからしばらく経って、今度は『街の日報』がもう発行されないということを私がシャルリーに教える番だった。彼はびっくり仰天した。『街の日報』はクリーム入りコーヒーを飲みながら、彼が毎朝開いている新聞だったのだ。

― 彼らが潰れたって? ストライキか、倒産か?
― いや、いや、犬の一件の続きのためだ。
― 茶色の?
― ああ、ずっとそうだったのさ。一日とおかずにあの新聞は国のこの政策を攻撃していたからね。挙げ句の果てには彼らは(国の)科学者たちの実験結果まで改めて疑いだしたんだ。読者達はどのように考えるべきか分からず、ある者達は自分の犬を隠すことさえ始めたんだ。
― そりゃ度が過ぎたようだな……
― おっしゃるとおり。新聞はついに発禁になってしまったというわけだ。
― なんてこった。三連馬券についてはどうしたらいいんだい?
― そりゃお前さん、『茶色新聞』でとっておきのネタを探すしかないな。もう新聞はそれしか残ってないんだから。競馬とスポーツについてはそこそこイケてるって話だ。他の新聞がみんな脇へ押しのけられてしまった以上、新聞が街には一つくらい残っていてしかるべきだろう。いっつもニュースなしで済ますというわけにはいかないし。

その日はシャルリーとコーヒーをもう一杯飲んだが、『茶色新聞』の読者になるというのはなんだか嫌な気持ちだった。にもかかわらず、私の周りのビストロの客達は前と変わらぬ暮らしを続けていた。そんな風に心配する私がきっと間違っているのだろう。

新聞の後は図書館の本の番だった。これまたあまり明快な話とはいえない。『街の日報』と財務上同一グループをなしていた数々の出版社が訴追を受け、それらの出版社の本は図書館の書架への配架が禁止された。それらの出版社が刊行を続けていた本をよく読めば分かることだが、一冊に犬や猫といった単語が一つは出てくる。だがその単語に「茶色の」という言葉が常にセットになっているわけではない。出版社はやはりそういうことは知っておくべきだったのだ。

― 派手にやり過ぎちゃいけないよ。
シャルリーは言った。
― 法の網の目をかいくぐったり、法律といたちごっこをすることを引き受けたって国民にとっては何にも得にはならないんだよ。あ、茶色のいたちね。

彼は周囲を見回して、万一誰かが私たちの会話を晒し者にすることがないように茶色のいたち、と付け加えた。用心のために、私たちは文や語に「茶色の」と付け加えるのが習慣になっていた。最初の頃はふざけて茶色のパスティスを注文していたものだが、結局のところ言葉遣いは変われば変わるものであって、わけもなく仲間内で我々が「この糞ったれ」と付け加えるような感じで、言葉や文章を「茶色」にすることをそんなに奇妙には感じなくなっていたのだった。少なくとも、人々からよく見られていれば、私たちは静かに生きていられる。

そして私たちはついに三連馬券を的中させたのだ。ああ、たいした金額ではないけれども、それにしたって私たちにとっては最初の当たり茶色三連馬券というわけだ。
そのおかげで新しい規則の煩わしさも受け入れられるようになった。

ある日、私はそれをよく覚えているのだが、チャンピオンズカップの決勝を見に家に来ないかとシャルリーに言った。
彼が来たとき、私は爆笑してしまった。彼は新しい犬とやってきたのだ! 素晴らしいことにその犬はしっぽの先から鼻先まで茶色で、目まで栗色だったのだ。

― ほうら、ようやく見つけたこいつは前の犬より情感豊かで、指一本動かすか、目をちらと動かすだけで私に従うんだ。黒いラブルドル犬くらいで悲劇ぶるんじゃなかったよ。

彼がそう言い終わらないうちに、その犬はソファの下にもぐり込んで、頭がいかれたみたいにキャンキャンと吠えだした。
そいつは「たとえ茶色だからって、俺は主人にだって他の誰にだって従わないぞ!」と何かを相手に言っているかのように大声で吠えていた。そしてシャルリーは突如何かを理解したようだった。

― いやまさか、君もか?
― まさしくその通りだ。見ろよ。

そこでは、私の新しい猫が矢のように飛び上がってカーテンをよじ登って箪笥の上に待避していた。私の(去勢前の)雄猫も、毛並みも瞳も茶色だった。何て偶然の一致だ! 私達は大笑いした。

― そういうことだ。
私は彼に言った。
― いつも猫を飼っていたものだが、こいつもなかなかイケてる猫だろ?
― 素晴らしい。
シャルリーは答えた。

それから私達はテレビを付けた。その間私達の茶色の犬と猫はお互いに横目で様子をうかがっていた。どちらが勝ったのかはもう覚えていないが、素晴らしいひとときを過ごせたと思う。安全だという感じがしたからだ。それはあたかも、ただ単に街中の常識に従ってやってさえいれば、安心していられるし、暮らしもすっきり行くというかの如くだった。茶色の安全というのも悪くはないもんだ。

勿論、アパートの正面の歩道ですれ違った小さい男の子の事を考えてはいた。彼は足下に横たわる白いプードルの死体を前にして泣いていた。だがいずれにしても、大人が言っていることをよく聞けば、犬が禁止になったわけではなく、茶色の犬を探せばいいだけだと分かるだろう。茶色の子犬だって見つかるわけだし、私達のように、規則に従った暮らしをして安心できれば、昔のプードルのことなんかさっさと忘れてしまうだろうに。

そして昨日、信じられないことに、すっかり平穏に暮らしていると安心している私が、危うく街の自警団に引っ立てられそうになった。奴らは茶色の服を着ていて、情け容赦のない奴らだった。幸い、奴らはこの地区に来たばかりで、全員の顔と名前を覚えているわけではなかったので、私が誰だか分からなかったらしく、助かった。

私はシャルリーの所へ行った。日曜、シャルリーのところでブロットをやるつもりだったのだ。ビールを1パック、それだけを手に持って。ビールをちびりちびりと飲みつつ、2~3時間トランプをやるはずだったのだ。

ところがそこには、驚くべき光景が広がっていた。彼のアパートのドアは粉々に吹っ飛ばされていて、自警団の人間が二人、踊り場に突っ立って野次馬の交通整理をしていた。私は上の階に行くふりをして、エレベーターでもう一度下へと降りた。下では、人々がひそひそ声で話していた。

― だけど彼の犬は本当に茶色だったろ、ウチらだって見たんだから間違いないじゃないか。
― ああ、だけれども、連中が言うには、彼が前に飼っていたのは、茶色ではなく黒の犬だったそうだ。黒い犬だったんだよ。
― 前に?
― ああ、前に、だ。今では茶色以外のペットを飼っていたことも犯罪なんだよ。それを知るのは難しい事じゃない。隣近所に聞けば十分だろ?

私は足を早めた。汗が一筋シャツに伝った。以前に茶色以外のペットを飼ったことがある事が犯罪なら、私は官憲の格好の餌食だろう。今のアパートの人間はみんな私が白黒の猫を飼っていたことを知っている。以前に!そんなことは、考えてすらいなかった!

今朝、茶色ラジオ局はそのニュースを伝えた。シャルリーは間違いなく逮捕された500人のうちの一人だろう。最近茶色のペットを飼ったからといって、飼い主の心が変わったわけではないというのだ。ラジオのニュースは続けて言った。「不適切な犬あるいは猫の飼育は、それがいかなる時期のものであれ、犯罪です」。アナウンサーはさらに、不適切な犬あるいは猫の飼育が、「国家侮辱罪である」とすら付け加えた。そして私はその続きをしっかり書き留めた。曰く、「不適切な犬あるいは猫を個人として飼育したことがなくとも、親族、つまり父、兄弟、あるいは例えば従姉妹がそのような色の犬あるいは猫を人生に渡って過去一度でも飼育したことがある場合には、その者は重大な係争に巻き込まれる恐れがある」とのことだ。

……シャルリーがどこに連行されたか、私は知らない。だが、連中はやり過ぎだ。それは狂気だ。そして私は茶色の猫を飼ってさえいればずっと静かに暮らしいてられると思っていた。勿論、茶色の連中が過去の洗い出しをすれば、猫や犬を飼っていた人間はしまいにはみんな捕まってしまうだろう。
私は夜中寝ることができなかった。連中が動物に関する最初の法律を課してきたときに、私は「茶色」の話を信用すべきではなかったのだ。いずれにせよ私の猫は私のものだったのだし、シャルリーにしたってそれは同じだったのだから、「茶色」には否と言うべきだったのだ。

もっと抵抗すべきだったのだ。だがどうやって? 連中の動きは実に迅速だったし、私には仕事もあれば日々の暮らしの悩みもある。他の連中だって、少しばかりの静かな暮らしが欲しくて手を拱いていたんじゃないのか?

誰かがドアを叩いている。明け方のこんな早い時間には今までなかったことだ。日はまだ昇っていない。外はまだ茶色だ。だけれど、そんなにドアを強く叩くのはやめてくれないか。
今行くから。

ここより)(PDFはここ


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