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2014年1月の24件の記事

2014年1月31日 (金)

大島渚監督「忘れられた皇軍」~戦争の傷跡「すべて解決済みなのか」

昨日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(論壇時評)戦争の傷痕 すべて解決済みなのか
      作家・高橋源一郎
 安倍晋三総理大臣が去年の暮れ、現役総理としては7年ぶりに靖国を参拝し、大きな波紋を呼んだ。それから、ほんの少し前、新たにNHKの会長になった人が、「従軍慰安婦はどこの国にもあった。解決した話なのに、韓国はなぜ蒸し返すのか」と発言し〈*1〉、これもまた大きな問題になろうとしている。
 だが、わたしにとって、もっと大きな出来事は、1月12日深夜、テレビで、監督大島渚の半ば伝説と化したドキュメンタリー「忘れられた皇軍」〈*2〉が半世紀ぶりに、放映されたことだった。
 その夜、テレビの画面を見た人たちは、半世紀前と同じように、目をそむけるか、あるいは、視線を釘付けにされたかのいずれかだったろう。
 そこに登場していたのは「元日本軍在日韓国人傷痍(しょうい)軍人会」の12人だ。日本の軍人として戦った彼らは、戦争によって手や足や視力を失った。なのに、戦後、韓国籍になった彼らには、軍人としての恩給は支給されなかった。日本政府に訴える彼らに政府は「あなたたちは韓国人だから韓国政府に陳情せよ」といい、韓国政府に訴える彼らに政府は「その傷は日本のために受けたものだから日本政府に要求せよ」という。だから、彼らは、その無残な体を見せつけるように、街頭に現れ、日本人に直接訴えたのだ。
 「眼(め)なし、手足なし、職なし、補償なし」という旗をかかげ、募金をつのる異形の者たちに、戦後18年、急激に復興しつつあったこの国の人たちが向ける視線は冷ややかだ。つかの間の慰安を求めて、安い酒を飲んでも、彼らの口をついて出るのは日本の軍歌だった。
 番組の後段、片手と両眼を失った元日本人軍属、ジョ・ラクゲンは自らサングラスをとる。国家と歴史に翻弄(ほんろう)された男の、潰れた眼から涙がこぼれる。
 彼がもし戦死していれば、靖国に「英霊」として祀(まつ)られただろう。だが、生き残った者には金を払わないのである。
 最後にナレーションは、ほとんど叫ぶようにこういう。
 「日本人たちよ、わたしたちよ、これでいいのだろうか? これでいいのだろうか?」
 その問いは、この半世紀の間に答えられたのか。問題は、すべて「解決済み」なのだろうか。
    *
 ニューズウィーク日本版が繰り返し載せた「靖国」に関する論考〈*3〉からは、内向きで感情的な議論になりがちな、この問題を、冷静にとらえようとする「外側の視線」が感じられた。
 「劇場化する靖国問題」の筆者たちは「今の日本には『2つの靖国』が存在している」と書く〈*4〉。それは、「中国と韓国がむき出しの感情をぶつけ、結果的に外交の道具と化した『ヤスクニ』」、そして「外国からの批判に惑わされ、日本人自身が見失ってしまった慰霊の場としての靖国」だ。
 それぞれの国内事情から「ヤスクニ」を外交カードとして使わなければならない中国や韓国、また、それに対抗するうちに、「慰霊」の場としての靖国を忘れそうなこの国。
 日本遺族会会長であり、父をソロモン沖で失った尾辻秀久参院議員は「苦い思いをかみしめ」ながら、この混乱は、日本人が自らの過去と向かい合ってこなかったツケだ、という。合祀(ごうし)されたA級戦犯たちの問題がいつまでもくすぶり続けるのは、日本人自身の手で彼らの責任を問わなかったからではないか、と〈*5〉。
 わたしの親しい週刊誌記者が、ある時、「嫌韓」や「反中」記事なんか書きたくないが、売れるから仕方ないといったことがあった。だが、メディアには、冷静さを取り戻そうとする動きもある。
 週刊現代の特集は「『嫌中』『憎韓』『反日』 何でお互いそんなにムキになるのか?」〈*6〉。「憎しみの連鎖」が続く現状を「常軌を逸している」とし、それぞれの国の事情を取材しつつ、日本人の根底にある「差別意識」に触れる。
 「憎しみに気をとられるな」という声が聞こえる。社会に溢(あふ)れる「憎しみ」のことばは、問題を解決できない社会が、その失敗を隠すための必須の品なのだ。
    *
 最後に、わたしの個人的な「靖国」について書いておきたい。
 父親のふたりの兄はアッツ島とフィリピンでそれぞれ「玉砕」している。大阪に住んでいた祖母は、上京すると靖国に詣でた。そんな祖母に、わたしの父親はこういって、いつも喧嘩(けんか)になった。
 「下の兄さんの霊が、靖国になんかおるもんか。あんだけフランスが好きだったんや、いるとしたらパリやな」
 では、その、わたしの伯父は「英霊」となって靖国にいるのだろうか、それとも、パリの空の下にいるのだろうか。
 父は、兄たちが玉砕したとされる日になると、部屋にこもり、瞑目(めいもく)した。それが、父の追悼の姿勢だった。もちろん、父は祖母の靖国行きを止めることもなかった。「忘れられた皇軍」兵士、ジョ・ラクゲンは父と同い年だ。
 伯父の霊は、靖国にもパリにもいないような気がする。「彼」がいる場所があるとしたら、祖母や父の記憶の中ではなかっただろうか。その、懐かしい記憶の中では、伯父は永遠に若いままだったのだ。「公」が指定する場所ではなく、社会の喧噪(けんそう)から遠く離れた、個人のかけがえのない記憶こそ、死者を追悼できる唯一の場所ではないか、とわたしは考えるのである。
    *
〈*1〉籾井勝人(もみいかつと)NHK新会長の発言(記事「従軍慰安婦『どこの国にも』」=本紙26日付)
〈*2〉大島渚監督「忘れられた皇軍」(日本テレビ・ノンフィクション劇場=1963年放送)
〈*3〉「靖国参拝はお粗末な大誤算」ニューズウィーク日本版1月14日号、特集「劇場化する靖国問題」同1月28日号
〈*4〉前川祐輔・深田政彦「劇場化する靖国問題」ニューズウィーク日本版1月28日号
〈*5〉尾辻秀久参院議員の発言(記事〈4〉で紹介されたもの)
〈*6〉「『嫌中』『憎韓』『反日』 何でお互いそんなにムキになるのか?」週刊現代1月25日・2月1日合併号
    ◇
たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。初のルポ作品である近著「101年目の孤独」では、子どものホスピスなど内外の様々な場を訪ね歩いた。」(
2014年1月30日付「朝日新聞」p15より)

この一文は、自分の腹にズシンとこたえた。
こんな番組があったのも知らなかったし、先の放送も見ていなかった。しかし「忘れられた皇軍」で検索するとNet上に動画がたくさんアップされている(ここなど)。
それで自分もじっくりと見た。

日テレの番組紹介にはこうある。
反骨のドキュメンタリスト 大島渚 『忘れられた皇軍』という衝撃
    2014年1月12日(日)/55分枠  24:50~
2013年1月、大島渚監督が逝った。「大島渚は不器用で、反国家むきだしにして体を張って闘っていた」そんな大島の魂がこめられたドキュメンタリーが、日本テレビに遺されている。『忘れられた皇軍』(1963年放送) 日本軍属として戦傷を負い、戦後、韓国籍となった旧日本軍の兵士たち。片腕と両眼を失った白衣の傷痍軍人が何の補償も受けられぬまま、街頭で募金を集める…大島は一体何を訴えようとしたのか?当時の制作スタッフや妻・小山明子の証言からひもとき、テレビと映画2つのフィールドで活躍する是枝裕和監督や同時代を生きたジャーナリスト田原総一朗と共に考える。50年を経た今、大島の映像は少しも古びることなく、見る者を激しく揺さぶる。テレビを考え抜いた映画監督、大島の遺言とは?」(
ここより)

このドキュメンタリーは、ちょうど50年前の1963年8月16日に放送され、今回その正味25分のフイルムを発掘しての、初めての再放送だという。

番組の詳細は記さないが、繰り返し繰り返し、ナレーターはこう叫ぶ。「日本人たちよ。 私たちよ。 これでいいのだろうか。 これで、いいのだろうか。」・・・
番組の中で、大島渚が、1992年に韓国籍のため障害年金を受けられない2人が訴えた裁判で、2年後に出された判決「原告らの訴えは棄却」の後で言う。「日本国が補償するのは当たり前のことですよ。法律に合わなければ法律を変えりゃいいんですよ。何を考えているんだ」・・・

そして映画監督の是枝裕和は、このドキュメンタリーについてこう言う。
「大島さんが生涯、批判し続けたのは被害者意識というものだったよね。「あの戦争は嫌だったね。つらかったね」という自分たちが何に加担したのかってことに目をつぶって被害意識だけを語るようになってしまった日本人に対して、「君たちが加害者なのだ」ということをあの番組でつきつけているわけですよね。その強烈さに、見た人間たちはうち震えたわけですよね」

なるほど・・・。大島渚の「これで、いいのだろうか」という言葉には、A級戦犯だけが悪い、と言って逃げている国民、戦果に熱狂していた国民はホントウに被害者なのか?と言っているのかも・・・

上の記事で“「忘れられた皇軍」兵士、ジョ・ラクゲンは父と同い年だ”という一文があるが、実は自分の父とも同じ歳。それ故、このドキュメンタリーの画面は、自分にとってはまだ記憶に鮮明な現代・・・。
放送された1963年は昭和38年・・・。ちょうど自分が高校に入った年だ。白い服を着た傷痍軍人も、子どもの頃、道端でよく見かけた。しかし当時は、その背景を知る機会も無く・・・
でも今、改めて思う。我々も加害者の末裔なのだ・・・。それを前提に考えねば・・・。

そして靖国をどう捉えるか?についても、上の記事の「個人のかけがえのない記憶こそ、死者を追悼できる唯一の場所ではないか」という指摘に、なるほど・・・と思った。
なかなか重いテーマ、重い指摘である。

140131denwa <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月28日 (火)

「歩きスマホ」は怖い

「米調査会社IDCが27日発表した2013年の世界のスマートフォンの出荷台数は、前年比38.4%増の10億420万台と初めて10億台を突破した。」のだそうだ(ここより)。
1年で10億台・・・。途方もない数字・・・

先日の「日経新聞」のコラム「春秋」に、そのスマホの話題があった。
「薪を背負って歩きながら本を読む少年――。江戸時代の後期に活躍した農政家、二宮尊徳の若き日の姿をうつしたとされる像は、それなりの年齢に達した日本人なら一度は目にしたことがあろう。全国の小学校の校庭などに陸続と建てられたのは大正のころからという。
刻苦勉励して立身出世をとげ、世のため人のために尽くす。「坂の上の雲」を目指した近代日本の理想の人間像を体現していた気がする。だからだろうか、近年、像のある小学校の数は減っていると聞く。高度消費社会とか成熟社会などと形容されている21世紀の日本には、いまひとつそぐわない人間像なのかもしれない。
最近、ふと尊徳翁を思い浮かべることが少なくない。一心不乱に手元を見つめて歩いている人を、よく見かけるのだ。もちろん手にしているのはスマートフォン。歩きスマホだ。そして残念なことに、刻苦勉励の精神が盛り返している印象はない。ゲームやチャット、ネットサーフィンに没頭している人が大半とみうける。
目につくのはむしろ、身の回りへの注意力の低下だ。線路に落ちたり、柱にぶつかったり。米国では著名な科学誌のコラムニストが「スマートフォンと呼ぶのはやめよう」と提唱したことがある。スマートは「賢い」の意味だが、使われ方がスマートとはとても言えない、というのが理由だ。尊徳翁なら、何と言うだろう。」(
2014/1/27付「日経新聞」「春秋」より)

そしてだいぶん前だが、「朝日新聞」の「天声人語」にもこんな記事があった。
「電車の中で化粧をする女性が出現したのはいつごろだったかと調べると、本紙「声」欄に1994年の投書があった。近ごろ多く見かける、と。一昨年には電車内で着替えたり、むだ毛を剃(そ)ったりする女子高生の目撃談が載っている▼かたわらに人無きがごとし。化粧に身の危険は感じないが、スマホに熱中しながら突進してくる人に出会うと怖い。前を見ていないのだから、こちらでよけるしかない。理不尽な、と思いつつ難を避ける▼歩きたばこはかなり減ったが、「歩きスマホ」は増える一方だ。危ないという苦情の声も高まっている。筑波大の徳田克己(かつみ)教授(バリアフリー論)は今月、人混みをよく歩く大学生650人にアンケートし、その結果を先週末にまとめた▼スマホを使いながら歩いている人とぶつかったか、ぶつかりそうになった経験を6割がもっていた。場所は駅の構内が最も多く、次に屋外の歩道。画面が大きく、ゲームや地図など長く見続けがちになるから、ケータイより危険という▼ケータイとスマホの国際比較が面白い。徳田教授は約80カ国を回った。ケータイをいじって歩く姿は特に日本で目立ったが、歩きスマホは世界中で見られる。これもアプリの進化によるものか。「スマホは文化の違いを乗り越えてしまった」。だからぶつかる危険も世界共通だ▼自分は大丈夫と思う人が多いのだろうが、周りは迷惑だし、本人も無防備ではないか。イヤホンで耳まで塞いでいる人もいる。本当に大丈夫ですか?」(2013/05/25付「朝日新聞」「天声人語」より)

ついでにもう一つ・・・。これも古い「朝日新聞」の記事である。
危険な「歩きスマホ」、ホーム転落やわいせつ被害も
 ネットにメール、地図、ゲーム……。携帯電話が多機能になり、さらにはスマートフォン(スマホ)の普及によって、画面を見ながら歩く人が増えている。便利な半面、駅のホームから落ちたり、人にぶつかったりと危険も潜む。
 東京のJR四ツ谷駅の中央線上りホームで、小学5年生の男児(10)がホームから転落したのは先月27日午後4時過ぎのこと。幸い電車との接触は免れたが、顔などを負傷した。目撃者によると、男児は携帯を見ながらホームの端を歩き、何かにつまずいたように見えたという。
 1週間後の3日、同じホームに行ってみると、数人に1人が歩きながらスマホや携帯をいじっていた。男子大学生(21)は「危ないと思うこともあるけど、友人とのやりとりとか便利さを優先してしまう」。一方、立ち止まって操作していた会社員の男性(57)は「一度、電柱にぶつかりそうになった。危ないよね」。
 国土交通省によると、2011年度、過ってホームから転落したのは3243人。「携帯を使用中」は18人(0.6%)で多くはないが、10年5月にはJR東中野駅で死亡事故も起きた。
 バリアフリー論が専門の徳田克己・筑波大教授が先月、首都圏と大阪圏で通学に電車を使う大学生650人にアンケートすると、携帯機器を操作しながら歩く人とぶつかったり、ぶつかりそうになったりした人は「よくある」「時々ある」を合わせて6割。けがをした人も15人いた。携帯機器の97%はスマホだった。徳田教授は「画面を注視する時間が長いスマホが普及し、危険度は格段に増している」と指摘する。
 操作中に思わぬ被害に遭うケースもある。強制わいせつの認知件数が3年連続で全国最多の大阪府。府警が昨年中に路上で被害に遭った859件を分析したところ、14%がスマホや携帯を使用中だった。府警犯罪対策室は「周囲への注意がおろそかになり、すきができやすい」とみる。
■「規制必要では」
 「携帯・スマホの歩きながらの使用は、思わぬけがや事故につながる場合があります。控えてください」
 JR東日本は今回の事故を受け、首都圏の主要駅や車内でそんなアナウンスを始めた。東京メトロも同様の放送を開始。近く啓発ポスターを作って各駅に張り出す予定という。
 携帯最大手のNTTドコモも、「歩きスマホが危険という問題意識をもっている」と啓発に力を入れ始めた。放送中のラジオCMで、母親が子供たちに「外で歩きながら使うと、とっても危ないの」と諭す場面を入れた。「危険です、スマホのながら歩き」という注意を最新機種の新聞広告などに入れている。
 障害のある人たちにとっては深刻な問題だ。山手線を利用する全盲の織田洋さん(59)は「駅や道路で歩きながら使うのはやめてほしい」と訴える。最近、点字ブロック上で電車を待っていると、まともにぶつかられることが増えた。「前は周囲の人が避けてくれていたのですが」
 大阪市西区の自営業の男性(49)は約2カ月前、車いすの男性に付き添ったとき、駅で携帯を操作中の人と何度もぶつかりそうになった。「嫌な顔をする人さえいる。マナーの呼びかけは必要だけど、本来、思いやりで何とかならないかと思う」と嘆く。
 何らかの規制が必要との声もある。「歩きスマホ禁止条例」を提案するのは、コラムニストの小田嶋隆さん(56)だ。東京都千代田区が02年に施行した路上喫煙禁止条例が参考になると言う。「最初は賛否両論あったが、その後、全国に広がった。スマホも試験的に規制してみればいい」
 ただ、徳田教授は「これまでは啓発が不十分だった。マナーの呼びかけが先」と規制には否定的だ。私案として「スマホマナー5カ条」を提案する。
視線は画面に釘付け
140128sumaho1  「歩きスマホ」の危険性を実証した調査もある。愛知工科大の小塚一宏教授(交通工学)が11年、名古屋の繁華街で、スマホを使うとどれだけ視野が狭まるかを調べた。額に瞳の動きを追うカメラを付け、20メートルの横断歩道を手ぶらで渡った時と、スマホでツイッターをやりながら渡った時の140128sumaho2 視線を比較した。
 手ぶらでは、前後左右、奥の建物までまんべんなく見ているのに対し、スマホ歩きでは、数メートル前を数回見ただけで、ほぼ画面に釘付け。小塚教授は「とっさの動きができない高齢者や障害者、幼児らにとっては脅威」と話す。
徳田教授が提案する「スマホマナー5カ条」
(1)使う時は道の端に寄り、立ち止まって
(2)階段では使わない
(3)電車を降りるときは見ない
(4)横断歩道では使わない
(5)見るときはイヤホンを外す
(中田絢子、井上恵一朗)」
(2013/06/04付「朝日新聞」より)

長々と引用したが、ホントウに“歩きスマホ”は多い。通勤時間帯の駅での人の流れにも悪影響・・・。何せ、手元を見ながら歩くので、歩くスピードが遅い。特に階段を降りるときにも、スマホを見ながらなので、歩くスピードが遅い。これはホントウに迷惑だし、もし転げ落ちたら、周囲の人も巻き込まれてしまう・・・。
両耳をイヤホンでふさいでいる人も多い。確かに自分の経験からも、両耳から音楽を聞いていると、どんな雑踏の中でも自分の世界に浸ることが出来、気持ちのよいことこの上ない。しかし、これもキケンとの隣り合わせ。誰かに話し掛けられても、近くで危険を知らせる警笛が鳴ろうとも、気が付かない。これは、まさにキケン・・・。

実は自分も、これら経験の卒業生。もう右耳にイヤホンを刺さなくなって久しい。片耳を開放することによって、周囲の音が聞こえるため、何があっても対処できる。たまに電車に座っているときに両耳で聞くこともあるが、両耳をふさいだまま電車を降りてそのまま歩き出すと、これが怖い・・・。今まで気付かなかったが、聞こえないと言うことが、怖い・・・

自分はどちらかと言うと、周囲の状況に疎い性格。それはカミさんによく言われる。でも今更思う。少なくてもキケンから身を守ること、そして周囲に迷惑を掛けないこと。それらは、誰でもが守るべきエチケットだと思うのだが・・・
(今日の記事で、blogネタのファイルを3つ処理出来たのだが・・・バレた?? 自分はあるフォルダにblogネタを溜めておくのだが、昨年5月と6月のスマホに関するネタが処理出来ず(アップしないまま)、ずっと放ってあった。それがひょんな事で処理出来た。アーせいせいした・・・!)

140128mizuzeme <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月27日 (月)

「どうせ死ぬなら『がん』がいい」中村仁一×近藤誠著~Uさんの読書ノート

Uさんが送ってくれる読書ノート(Uさんは「読書日記」と呼んでいるが・・・)は、自分が博学のUさんにかなうはずもなく、ほとんど読んでいない本ばかり。しかし今回の「どうせ死ぬなら『がん』がいい」は、たまたまカミさんが友人から借りていて自宅にあったので、読んでからUさんのコメントを読んだ。

★「どうせ死ぬなら『がん』がいい」中村仁一×近藤誠著~Uさんの読書ノートのPDFはここ

この本のエッセンスは上のPDFを読んで頂くとして、それに加えて自分が気になった所・・・
「近藤 がんの早期発見、がん治療のための化学療法が盛んになるほど、がん医療は産業化していきますからね。医者やスタッフはもちろん、医療器具や放射線装置などまで、おびただしい営業実績ができあがっていく。
 一例を挙げると、CT装置(人体にエックス線をあて、輪切り画像をコンピュータ上に展開する装置)の台数は、日本がダンゼン世界のトップ。CT検査による被ばく線量も、検査が原因の発がん死亡率も世界一です。原発事故で国が避難の目安にした「年間」の被ばく線量は20mSv(ミリシーベルト)。胸部CT検査は1回で10mSvですよ。しかし国も医療機関も、健康被害が目立たないように画策してるから、国民は医療被ばくのこわさに気づいていない。医者は、問診や聴診よりCT検査の方がてっとりばやくてもうかるから「とりあえず」「念のために」と安易にすすめます。日本で行われているCT検査の8~9割は、必要のないものです。」
「中村 ぼくは最近「胃ろうをやって、本人がうれしがりますか? ありがたいと思いますか? 感謝すると思いますか?」って家族に考えてもらうんだけど。そうしたらそれに対して、この間、実に明快な、納得できる答えをもらいましたよ。「本人がどう思うか? そんなことはどうでもいい。生き残るわれわれが満足して、後悔しなきゃいいんだ」つて。」

そして、Uさんのコメントである。
「コメントと感想
中村医師は「大往生したければ、医療とかかわるな」幻冬舎新書 が三部作の完結編と言い、近藤医師は「がん放置医療のすすめ」文春文庫で言いたいことは言い尽くしたと言っている。本書はこの二つの著作の“要約”と言える。
中村医師が感心した、近藤語録に「予防医療は患者を“呼ぼう”医療」「“不安”を煽ってフアンを増す」がある。又、現場一筋の中村医師は、大学病院や大病院、企業の嘱託医、開業医、の次の老人ホームの医者である自分を卑下して「ホームレス医師」と呼んでいる。
医学も科学である以上、仮説を立て、実験して、正しくデータを取り、それに基づいて治療をすべきである。今の医学ではどうしても治す事が出来ない病気に対しては、どうしたら患者が苦しまず、穏やかに生きる事が出来るかを考え、実行するのが医者の役目であるはずなのに、業界繁栄や生活の為に、患者が苦しむ手術や抗がん剤を使い、しかもそれでも生存率を高める事が出来ないとは、何と悲しい事であろうか!今後、お二人の本の内容が、標準治療の一つになる事を切に希望する。これは、我々患者予備軍の世論にかかっている。多分、経済的理由から、医者の内部からこの考えは支持されないであろう。」

中村仁一氏の「大往生したければ、医療とかかわるな」は前に読んだ(ここ)。
近藤誠氏の本も何冊も読んでいる。お二人のスタンスは同じ。だから対談が可能な訳で、
「近藤 最近、過去に雑誌で論争した医者との対談の企画が持ち上がったので、最新のデータなども含めて2ヵ月問猛勉強して、「どこからでもかかってらっしゃい」と楽しみにしていたんですが、相手が降りてしまった。残念です。」
とあるように、近藤氏は非常な勉強家であるので、反対者が対談するのは大変らしい・・・。
つまり、世界の論文に通じている近藤氏は、その裏打ちがあるが故に患者の支持が強力なのだろう。
そして、Uさんのコメントで、「中村医師は「大往生したければ、医療とかかわるな」幻冬舎新書が三部作の完結編と言い、近藤医師は「がん放置医療のすすめ」文春文庫で言いたいことは言い尽くしたと言っている。」とあるように、両氏の本の読者にとって大切なのは、両氏のスタンスを理解することであり、たくさん本を買い込んで読破することではない。要は、医療と距離を置け、と言うスタンスを我々(患者たち)がどう捉えるか・・・

話は変わるが、今まで何度も書いているが、中学・高校時代の友人だった外科医の下記の言葉が、今更ながら思い出される。
「・・体にメスを入れることは極力避ける。薬は長期に飲んではダメ。薬は対症療法。体質を変えて行かないといけない。・・ホルモン剤など絶対飲んではダメ。食事と運動。遺伝子組み替えは絶対に避ける。ハイテクなど要らない。副作用を出してはそれの薬を飲んでまた副作用。薬ばかり増える。西洋医学は行き詰まっている。新人の医師も、どの病気には何の薬と決まっているのでバカでも勤まる。今は医療は商売になっていて、訴訟防止に気が向いているだけ・・・」
この話を聞いたのは、もう10年も前のこと。この友人の外科医は、長く大学病院の外科にいて、県の総合病院の院長が最後だった。そんな“切るのが商売”だった外科医が、外科医を卒業してから、医療への不信と、体にメスを入れることへの危惧を語っていた。その話と、この本の“医療によって殺される”という話が、自分の心の中で符合するのである・・・。

しかしこの医療への姿勢の“今後”は、Uさんも指摘されているように「多分、経済的理由から、医者の内部からこの考えは支持されないであろう。」が、「これは、我々患者予備軍の世論にかかっている。」ということだ。
この手の話は、自分の頭の中でもぐるぐる回っているように思うが、事がことだけに、まあ繰り返し考えて行こう。何せ、親の死に際して、延命治療で理屈通りには行かなかった経験から(ここ)、「自分や家族の“その時”に、理屈通り行くか?」という重い命題なので・・・。

(関連記事)
中村仁一(著)「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を読んで 

140127neko_2 <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月26日 (日)

スギテツの「ヴァイオリンの奏法でものまね」~「題名のない音楽会」より

今朝、新聞を読みながらテレビを点けると、TV朝日で「題名のない音楽会」(2014/01/26)を放送していた。何となく見ていたら、今日は「クレーマーさち子教授のヴァイオリンの裏技バラします」(ここ)とか・・・
これがなかなか面白かった。ヴァイオリンの可能性の追求!?

<スギテツの「ヴァイオリンの奏法でものまね」>

「パトカーのサイレン」はグリッサンド(指を均等に滑らせ音程を変化させる)+重音
「救急車のサイレン」はトレモロ+グリッサンド
「暴走族を取り締まる警察」はグリッサンド+重音+トレモロ
「踏切」はバロック奏法(ヴィブラートはつけずに、全ての音符をディミヌエンドで演奏)+重音
「コンビニエンスストア」は、ラとソのバロック奏法
「FAX」はトリルの応用

そしてヴィブラートの違い。ノンビブラートの松任谷由実風。強い演歌の前川清風。しゃくり上げる武田鉄矢風。そして西城秀樹や浅田美代子、淡谷のり子風など・・・

ワン・ボウ・スタッカート(連続した音符を弓を返さずに小刻みに演奏)や、リコッシェサルタートでのとんびの鳴き声や、ウグイスや鶏の鳴き声など・・・

140126sugitetsu Netで見ると、スギテツとは、ピアノ/編曲の杉浦哲郎さんと、ヴァイオリンの岡田鉄平さんのコンビだそうだ。(ここ

それにしても、ヴァイオリンの岡田鉄平さんは役者だ・・・。可笑しいことに、言った本人が一緒に笑ってはいけないことは鉄則だが、このヴァイオリニストは、実にクールに淡々と話す。それが何とも可笑しい・・・。

自分も楽器は好きだが、このような、普段素人がうかがい知れない楽器の裏側の面を見せてくれる番組は実に楽しい。今日のヴァイオリンの奏法についても、素人が知る機会はほとんど無かった。ヴァイオリンだけでなく、別の楽器についても同じような番組が出来ると嬉しいな・・・と思って、今まであまり見なかった「題名のない音楽会」だが、レコーダに毎週予約をしてしまった。

140126neta <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月25日 (土)

日本人の命の価値は約3300万円

先日、日経新聞に人命の価値の記事があった。
「経済教室第4章 価値が語る費用(5) 人命の価値を計算
      東京女子大学教授 竹内健蔵
 東日本大震災や台風・豪雨による洪水によって防潮堤や堤防の重要性が指摘されています。これらも公共プロジェクトであり、その効果を見極めなくてはいけません。
 防潮堤や堤防によって、津波や洪水による死者やけが人を少なくできます。その効果を測定するためには人命の価値やけがの程度による価値を明確にしておかなければなりません。同様に道路整備や改良によって交通事故が減少する効果の計測にも人命の価値の計算が必要になります。
 「人命の価値を計測する」ことほど傲慢不遜なことはない、と考える人は多くいます。確かに感情的には分かりますが、だからといって、それをそのままにしておいて良いでしょうか。というのも、実際に交通事故の損害賠償では金銭による支払いがなされており、保険に関する計算も同様です。経済学は科学ですから、感情を抑えて科学的手法を用いて、この困難な問題を解いていかなくてはなりません。
 現実に行われているのは、逸失利益の計算です。人は2つの選択肢を持っています。つまり、生と死です。交通事故で亡くなった人は強制的に死を選択させられます。そのために140125inochinonedan 生きていれば得られたであろう所得額を犠牲にさせられたわけですから、死亡者の価値はその機会費用である所得によって計算されるということが、逸失利益による考え方の背景にあります。
 逸失利益で計算すると、交通事故による死亡の場合、平均的な人命の価値は日本では約3300万円となります。ところが内閣府の報告書によると、米国における人命の価値は約4億1300万円です。ということは、米国人の人命の価値は日本人の10倍以上ということになります。」(
2014/01/24付「日経新聞」p29より)

日本人の平均的な命の値段は、たった3300万円だって・・・! 何と安いのだろう・・・
そもそもサラリーマンの生涯賃金は?と調べてみると(ここ)、最高のキーエンスという会社は6億円にも達している。

もちろん放送、商社は高給だが、このサイトのベスト1000社のうち、真ん中の500位は2.5億円だという。
ここで論じられているのは「逸失利益」なので、これらの数字は入社したての男性の例になるのかも知れない。

しかし命をお金に換算とは・・・、何か解せないが、他に手段があるかと問われると、思い浮かばない。よって、裁判が全てをお金に換算して行われているように、この仕組みも仕方がないのかも知れない。
でもこの論は、なぜか寂しい。何せ、自分などのシニア族は、既に賞味期限切れなので「逸失利益」となるとツライ・・・。
でも残された人生、それだけではあるまい。ゴールデンエイジとも言われる65~75歳頃の世代の価値が、単に「逸失利益」だけで評価されるのは気にくわない。つまり、お金で表現できない人生の価値、それは存在するのだ。
でもそれは、その時期を“活かして”こそ!・・・
自分がそのお金では評価できない大切な時期を活かし切れているのかと自問するに、どうも自信が無い・・・。仕方がないので「お金で判断できる」今の仕事を続けるしか無いのかも・・・。

140125sanpo <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月24日 (金)

田中投手のヤンキースと「アンチ巨人」~親父の想い出

このところ、テレビでは楽天・田中投手のヤンキース移籍のニュースで持ちきり。久しぶりに明るいニュースで大いに結構。年俸23億円×7年間という契約は、我々素人には関係無いが、でも日本人がそこまで評価されたのは嬉しい。
今朝の日経新聞「春秋」もその話題・・・
「1964年、ヤンキースは転落への曲がり角にあった。「常勝」の誇りは驕(おご)りにかわり、他の球団に比べて黒人選手を使うのにも消極的だったチームはこの年、2年連続でワールドシリーズ(WS)に敗れる。このあと、WSにすら出られない惨状が11年続くのである。
「この地球上で時間が始まって以来ずっとWSに出場してきたように思えた」と書かれた名門は、半世紀後のいま、成績だけなら普通の球団にすぎない。されどヤンキースだ。かつてほどではないにせよ、いまだ話題になるのが金に飽かせた補強と、好き嫌いのはっきりした野球ファンの存在である。巨人とよく似ている。
田中将大投手(25)がヤンキースと契約を結んだ。年俸にすれば約23億円。破格の金額もさることながら、日本シリーズで巨人をやっつけて判官びいきの喝采を浴びた男が、今度は立場を180度変えてピンストライプのユニホームを着る。そのことが田中投手の個性とどんな化学反応を起こすか、その辺りに関心が向く。
「くたばれ!ヤンキース」と題する本に「われわれはヤンキースを嫌う一方で、同じくらいヤンキースを必要としている」とある。アンチ巨人に重なる屈折したファン心理である。彼らは「嫌いだけど、いないと物足りない」という強敵を相手チームに求めるものだ。そんな「悪役」になる素質を、マー君には十分感じる。」(
2014/01/24付「日経新聞」「春秋」より)

常勝チームは嫌われるもの・・・。昔の大相撲の北の湖もそうだった。勝ってばかりいたので、褒められるよりも憎らしかった。
上の記事で「アンチ巨人」という言葉を見て、18年近く前に死んだ親父を思い出した。親父は多趣味だった。将棋、釣り、麻雀、野球、積ん読、週刊誌、健康管理・・・
中でも野球は見るのもやるのも好きで、会社の草野球の前日になると、「野球を教えてやる」との口実で、兄貴と自分がキャッチボールに駆り出されたもの。写真では一度ピッチャー姿を見たが、ナマで親父が投げているところ見たことがない。プロ野球も好きで、いつもテレビの横にラジオを置いて、二つの試合を一緒に聞いていた。一度だけ「何が面白いの?」を聞いたことがある。すると「巨人が負けるのが楽しい」と言って、スポーツ紙まで取って脳出血で亡くなるまで楽しんでいた。
前にも書いたが(ここ)、何度か東京ドームのスイートシートに行ったことがある。親父が死んでからだいぶ経っていたが、もし可能だったら、こんなところに親父を一度でも招待できたらよかったな・・・と思った。もちろん東京ドームのスイートシートは、ドームのスポンサー会社の接待の場であり、素人は入れないのだが・・・。

上の記事で“「悪役」になる素質を、マー君には十分感じる”という視点も面白い。確かにテレビで記者会見を見ていると、松井選手の善良そうな姿に比較して、少しふてぶてしくも見える。まさにマー君がオトナになった証(あかし)!??

野球オンチ人間の自分でも、田中投手のヤンキースでの活躍を見たいものだ。

(関連記事)
東京ドームのスイートシートに行った 

●メモ:カウント~530万

140124tama <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月23日 (木)

ある遺書~「お別れのことば」

雑誌「大法輪」(2014年2月号)「いのち輝かす仏教」という記事にこんな一文があった。

「農業一筋に生き、近所の人たちから“いざという時の相談人”と頼りにされていたSさん(男性・86歳)が、世寿をまっとうして亡くなったのですが、こんな遺言、「お別れのことば」を残しておいでになりました。

遺言・別れのことば――反省をこめて――
●いろいろ知っていると思っていましたが、何も知らない私でした。
●あれやこれややってみましたが、あまり他人さまのためにお役に立てない私でした。
●表向きは善人らしくしていながら、実は悪人と言われても仕方のない私でした。
●いただくばかりで、何もさしあげようとしない私でした。
●多くの方々のお力によって生かしていただいているのに、自分の力で生きていると考えちがいをしている私でした。
●死ぬ時には何ひとつ持って行けないとわかっていながら、これは私の物、これも私の物と、手渡すことのできない私でした。
●感謝することもなく、懺悔することもなく、自分さえよければいいとの思いで生きてきた私でした。
 こんな私を仏さまは、お導き下さるでしょうか?
 こんな私に仏さまは、お戒名を授けてお弟子にして下さるでしょうか?
 私を父とよび、祖父とよんで大切にして下さった家族のみなさんに、心から感謝します。
 みなさん、ありがとう。
 財産と言えるほどのものは残せませんでしたが、役に立つものがあったら、みんなで仲よく分けあって下さい。財産相続の争いほどみにくいものはありませんから……。
 どうか天地いっぱいの力をいただいて、生かされて生きるよろこびの中に、与えられた今日のつとめを果たしていくような人になって下さい。
 お願いしますよ。さようなら。ありかたい人生でした。
               凡愚老人・八十六歳

 この遺言を読んだ遺族のみなさんの心の中に、悲しみをこえて、暖かなものがいつまでも残り、こんな遺言が書ける人間になりたいという思いが、ふつふつとわいてきたとのこと……。
 「死に方」は「生き方」によって決まります。この遺言はSさんの生き方を表しているように思えてなりません。」(「
大法輪」(2014年2月号)p31より)

遺言については、当サイトでも何度か取り上げた。しかし遺言と聞くと、直ぐに頭に浮かぶのは財産分与のこと。しかしこの遺言は、それらを超越していて、なかなかに爽やか・・・。
この記事は、仏教の雑誌なので仏教の視点で書かれているが、一般の人は、「仏さま」のことをそれほど認識しない。つまり、何となく漠然と捉えている・・・
でも残される人への想いは、宗教の有無とは関係無く、純なもの・・・

残された人に、これだけ純に感謝できる人生を送った人。そんな人はこのように静かに逝けるのだと思う。一方、世の幽霊話は、全てが“怨み”。
果たして自分はその時に、何も怨みがない状態で逝けるのかどうか・・・。今から心掛けなければ間に合わないな・・・と思いながら読んだ記事ではあった。

140123saigo <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月22日 (水)

「出身大学は人生にどれほど影響するか」

先日、Netでこんな記事を見つけた。
出身大学は人生にどれほど影響するか
 出身大学はその後の人生にどれだけ影響するのか?  これを明らかにするために、プレジデント誌では1970年代~2010年代の各年代に就職した関東、関西の働く男女計1000人にアンケート調査を実施した。
140122daigaku  まず、就職活動。かなり影響すると答えた人が59.7%、多少影響するが35.0%と、出身大学が就職活動に影響するとの回答が実に95%近くに達した。企業の採用時の「学歴不問」は、言葉通りに受け取らないほうが賢明かもしれない。
 一方で転職活動となると、かなり影響するは29.5%と大幅に減少、多少影響するが46.5%と高いものの、就職時に比べれば転職は出身大学の影響が減少するようだ。
 年収、昇進においても、出身大学が影響するという回答が6割を占める。完全な実力主義の会社もあるだろうが、伝統企業においてはやはり学閥は健在で、入社時のみならず出世においても、出身大学名が重視される傾向はまだ根強いといえそうだ。
 さらに出身大学の影響は、結婚や恋愛にまで及んでいる。結婚において出身大学が影響するという回答は7割近くに達し、恋愛でも半数だった。恋愛はともかくいざ結婚となると、出身大学、その先の就職先企業のブランドや年収、出世といったものが、直接大きく影響していることがわかる。
 出身大学の名前だけではなく、大学での多彩な出会いや人脈形成、就職活動における卒業生の支援など、大学の持つリソースの差が、こうして人生にも影響していくと考えられる。
 出身大学が私生活における満足度や幸せ度に影響すると回答した人が、43.0%にとどまる一方で、仕事生活では影響するという声が大きくなった。結果的に、人生全体の満足度、幸せ度においても、出身大学が影響するという答えが半数を占める。『大人養成講座』(1993年)などの著作があり、バブル世代の若者文化に詳しいコラムニストの石原壮一郎氏(63年生まれ、埼玉大卒)は、「出身大学の印象は、どうしても一生ついてまわる。だが、自分が成功しないことを、出身大学のせいにするのは不幸の始まりだ。成功した人は、自分の出身大学など、気にしていない」と語る。・・・・・・(以下略)

1401221970 1401221980 1401221990 1401222000 1401222010

*調査概要/楽天リサーチの協力を得、12年8月2~6日にかけてインターネットを通じて調査を実施。調査対象は関東、関西の働く男女各500名。」(「プレジデント」(ここ)より)

上の表は、各年度の「就職時の元気度」と「今の幸せ度」の相関らしい。良く分からない表だが、コメントが面白い・・・。
自分の入社した1970年を見ると・・・。何かピンと来ない。いわゆる“伝統企業”だったが、入社時には皆元気があったが、この表では1位は早大か・・・。確かに早大出は多かったが、同期でも出身校は全国あらゆる学校であり、あまり気にはしていなかった。

就職活動に大学のブランドは当然影響する。でも自分たちの時代は、企業から大学への推薦依頼制度があり、大学の推薦さえ貰えれば、余程のことがないかぎり合格した。学生も二股はかけなかった。それが双方のエチケット。自分の記憶では、8割以上は推薦を受けた1回の入社試験で決まったはず・・・。
でも入社後の出世に関しては、学閥よりも人脈がすべてでは・・・? つまり、エラくなる人に近かった人は、部長位まではその人の後押しで上がったのでは??
しかしいわゆるゼネスタ、つまり役員クラス以上になると、大学のブランドが必要、とも聞いた。まあ自分には関係無いので詳しくは知らない。
ともあれ、医者の博士号と同じで、出身校のブランド名は、無いよりはあった方がベター。
でも上の記事にあるように、「自分が成功しないことを、出身大学のせいにするのは不幸の始まり」は正解で、全ての責任は自分にある。それだけは確かな事である。

140122kamaboko <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月21日 (火)

「脱原発」と「秘密保護法の撤廃」~地方議会の意見書

今朝の朝日新聞の「天声人語」は、こんな記事だった。
「「お呼びでない」は、いわずと知れた故植木等(うえきひとし)さんのギャグである。お門違いな場にしゃしゃり出て、お門違いなことを言い、そこにいる人たちから白い目で見られる。そのときに繰り出すセリフだ▼こんな一片の紙など、お呼びでないよ。国はそう言い捨てるのだろうか。「脱原発」を求める意見書を可決した地方議会が、全国で455にのぼっている。おとといの本紙が報じた。地方自治法に基づくもので、衆参両院の議長や首相らに出す▼たとえば高知市議会は3・11直後に動いた。原発は安全面で「技術が未確立」、自然災害にも「無防備」だとして、政策の抜本的見直しを求めた。長崎県議会は「放射線の恐ろしさを経験した被爆地として」原発に頼らない社会づくりを訴えた▼拘束力はない。受け取った側に回答する義務があるわけでもない。国策であるエネルギー政策によけいな口出しをするなと反発する政治家や官僚もいるかもしれない。それでも全国の3割近くの地方議会が声をあげた事実は重い▼電力供給のあり方は地域住民のくらしに直結する。放射能の危険は原発に近い自治体だけの問題ではない。住民を代表する議員が、政府と電力会社と立地自治体にまかせきりにせず、自分たちで考え、行動しようとするのは当然だろう▼声のあげ方はさまざまでいい。こうした動きは日本の民主主義を分厚くする。お呼びでないといわれても、植木さんよろしく「こりゃまた失礼いたしました」と引き下がる必要はない。」(2014/01/21付「朝日新聞」「天声人語」より)

上に出てくる意見書の記事を、改めて読んでみる・・・。
「「脱原発」の意見書、455地方議会で 原発事故後
 東京電力福島第一原発の事故後の3年間で、全国の455の県や市町村議会が、原発に頼らず電力供給する「脱原発」を求める意見書を可決したことがわかった。都道府県を含めた全自治体の3割近くに達し、大半の意見書が、原発に代わって太陽光や風力など自然エネルギーを大幅に増やすよう求めている。
 「脱原発」は23日告示の東京都知事選で争点になっているが、全国各地の地方選挙でも重要テーマとなる可能性がある。
 国会に提出された地方議会の意見書を、朝日新聞が独自に集計した。参院事務局によると、原発・エネルギー問題の意見書は、事故後の3年間で計1475件あった。このうち、賠償や汚染水対策などの意見書を除き、「脱原発」を求めているものを調べた。
140121ikensyo  都道府県別では、泊原発がある北海道が54自治体と最も多かった。原発事故の起きた福島と隣り合う山形は25、栃木は22、茨城は19。伊方原発のある愛媛のとなりの高知は23あり、県内の自治体の過半数に達した。原発が多く立地する福井のとなりの京都も17あった。原発の立地県に隣り合う府県で「脱原発」の意見書が多いのが特徴だ。
 「安全性の未確立な原発依存の見直し」(高知市議会)、「原発に依存しない社会への転換」(東京都国立市)、「原発ゼロをただちに求める」(埼玉県深谷市)など、提出された意見書はエネルギー政策の大幅な転換を訴える。原発からの「撤退」や「脱却」などと、わかりやすい言葉を掲げる意見書も目立つ。
 意見書は、地方議会の議員が提案し、議会内で討論して可決される。平和・非核団体などが議員に呼びかけることもあり、可決された文書の数や内容は、地域によってばらつきがある。
 事故前まで、自治体はエネルギー政策を国に任せてきたが、事故後は住民の安全を守る立場から国に意見する事例が増えている。(中川透)」(
2014/01/19付「朝日新聞」p1より)

これは「脱原発」だが、前に「秘密法」についても同じような記事があった。

秘密保護法の撤廃・凍結、41議会で意見書可決
 昨年12月に成立した特定秘密保護法に対し、40以上の地方議会が成立後に撤廃や凍結を求める意見書を可決していたことが、参議院事務局への取材で5日、分かった。特定の法律に反対する意見書がこれほど多く可決されるのは異例だという。
 同法を巡っては、成立前にも北海道釧路町など各地の地方議会が廃案や慎重審議を求める意見書を可決していた。
 意見書は地方自治法に基づき、地方議会が国会や行政機関に提出する書面で、回答義務はない。撤廃や凍結を求める意見書は昨年末までに北海道や福島、長野、沖縄など14道県の41市町村議会で可決され、参院が受理した。衆院や首相官邸などにも同じものが送られているとみられるが、衆院は国会閉会中は受理しないことになっている。
 抜本的見直しや慎重な運用を求めたもの、反対を表明したものなどを含めると、同法に関する意見書を可決した議会は参院受理分で、岩手、新潟両県議会をはじめ、17都道県の68議会に上る。これ以外にも、可決されたが年末年始の休みのため未受理の意見書もあるとみられる。〔共同〕」(
2014/01/06付「日経新聞」p42より)

言うまでもなく国会議員は国民の代表であるが、同様に地方議員も国民の代表。つまりどちらも国民の代弁者なので、言うことは同じはずだが、政権・国会のやっている方向と、地方議会の方向は全く違う。特に秘密法に関しては、「成立後に撤廃や凍結を求める意見書を可決」していることは重い。普通は、成立前は色々な動きがあっても、いったん成立してしまうと、潮が引くように議論は下火になるのが常・・・。しかし今回の秘密法は違う・・・。成立後の動きなのだ。

話は変わるが、沖縄の辺野古反対の現職市長が、名護市長選で勝った。これこそ民意。しかし政権はそれをも無視する構えで、調査の入札を発表したという。
確かに、民意だけで政治を行うことは出来ないかも知れない。ポピュリズム(大衆迎合)には限度がある。しかし、真に必要な施策であれば、心ある人は理解するもの・・・。そして歴史という裁判で、勝つ。
しかしこれほどハッキリと民意が反対であるにもかかわらず、一方的に「理解を求めていく」と言いながら突き進む現政権の姿勢はどうなのだろう・・・。そこには「もし理解が得られない場合は引っ込める」という姿勢はみじんも感じられない。永遠に「理解が得られるまで・・・」と言い続け、突き進むのだろう。そして歴史という法廷でどのような判決を受けるのか・・・

原発に関しては、自分の心も揺れている。昔、原発の仕事をしたことがあるので、どうも原140121iten 発反対と言うのに抵抗がある。でも、前に「福島第一原発4号機~東京を救ったのは、東電の工事の不手際だった」(ここ)という記事を書いたが、もしこの不手際という偶然が無かったら、米国が自国民に対し80キロ以内からの待避勧告をしたと同様に、「50キロ圏内は速やかに避難。汚染レベルが高くて移転を求めるべき地域が110キロまでの範囲の中に生じる。移転希望の受け入れは200キロ圏が対象になる」となっていただろう。これは福島市もとより、水戸・仙台・山形市も移転。そして東京23区ギリギリのさいたま市、そして新潟市、前橋市近くまでが、希望者は移転の対象・・・という事態。

まさに小説の「日本沈没」なみの事態が有り得た、という事実。それを思うだけで、先の太平洋戦争同様、もうこりごり、と思うのも自然・・・。

政権の手先に成り下がっている国会議員に期待するつもりは毛頭ないが、地方議会が民意を汲んで決議をしているこれらの動きに、やりたい放題政権にブレーキをかけるエネルギーを感じ、日本の将来に少しだけ明るさを期待したいが、どうだろう・・・。

(関連記事)
福島第一原発4号機~東京を救ったのは、東電の工事の不手際だった 

140121simasen <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月20日 (月)

鳴海日出夫の「りんどうの花咲けば」

先日CDで「(決定盤)NHKラジオ歌謡大全集」が発売されている事を知って、その試聴をしていたら、「りんどうの花咲けば」という歌が気になった。
Netで見ると、何と自分のごひいきの八洲秀章の作曲による・・・。

<鳴海日出夫の「りんどうの花咲けば」>

「りんどうの花咲けば」
  作詞:鈴木比呂志
  作曲:八洲秀章

心に燃えて いたけれど
口には云えぬ 頃だった
りんどうの花 ほの揺れて
君のうなじも 白かった

かげぐちなども 言ったけど
いとしくなって 泣いたっけ
りんどうの花 むらさきに
前髪匂う やさしさよ

こころに咲いて いたけれど
ほのかな夢の 花だった
りんどうの花 散る頃に
旅ゆく雲を 見つめてた

しかし、何と!この歌は、既に2年半ほど前に自分は録音して持っていたのだ・・・。それが何で今回「初めて聞いた!」と思ったのか・・・。
それはどうも、この歌がメジャーになりきらなかったことと関係があるようだ・・・。

鳴海日出夫は、前に「さざん花の歌」(ここ)を紹介した。Wikiによると、「さざん花の歌」は1954年5月15日の発売。そしてこの「りんどうの花咲けば」は1955年4月15日発売なので、ほとんど同時期のラジオ歌謡。

でも聞いてみると、この歌はあまりヒットするようには思えない。歌の題も、歌手も作曲家も、そしてこの音源の編曲もベストなのだが、歌詞が何となく面白くない。「かげぐち」という言葉や、「・・・だっけ」「・・・だった」という叙情歌として歌いづらい歌詞が多く、自分にはどうもフィットしない・・・。
そして旋律も、まさに八洲秀彰なのだが、「ほの揺れて」の転調が、どうも自分にはフィットしないのである。つまり八洲秀章ファンの自分でも、ちょっと・・・。よって、実に惜しい・・・。(楽譜はここにあった)

でもまあ、色々と探せば、自分を待っていてくれる(?)秘曲がまだまだありそうだ。そう思うと、なぜか楽しい・・・。
前に、伊藤久男の「あゝ逢い見ての」(ここ)を探したときも嬉しかったが、まだまだ世界は広い。また自分にフィットしそうな歌を探そう・・・。

140120siranai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月19日 (日)

世界の肥満率~アメリカ人はなぜ太る?

先日の日経新聞に、アメリカ人の肥満についての記事があった。
アメリカ人を太らせたあの政策 外国人の不思議
 日本を訪れる外国人旅行者数は昨年、初めて1000万人を超えた。都会や観光地では珍しくなくなった外国人の姿だが、体つきも文化も異なる日本人からすると、不思議に思うことがまだまだある。欧米人はなぜあんなに太っているのか、なぜ寒いのにTシャツ姿で平気なのか……。謎の数々に迫ってみた。
沈むアトラクションのボート
 おそらく日本人にとって一番びっくりなのは、欧米人の肥満ぶりだろう。とくに際立つのは米国人。最近は日本でもお腹の出たメタボな人が増えているが、米国人の肥満ぶりは質量ともに異次元だ。
 例えて言うなら、体重150キロぐらいの相撲取りや、巨大な洋梨のような体型の人が普通に歩いている。日本では見かけなくても、米国旅行、あるいはテレビで米国のニュース映像を見たとき、思い当たる節のある人は多いだろう。
 こんなエピソードをご存じだろうか。ディズニーランドの本家、米国カリフォルニア・ディズニーランドは2009年、老舗の人気アトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」を1年かけて大改装した。
 表向きの理由は、設備の老朽化。だが真相は、肥満客のせいで客を乗せたボートが沈み、船底が引っ掛かってボートが立ち往生する事態が頻発したためと言われている。
 大改装の狙いは、水路を深くし、かつボートの浮力を強化し、肥満客が大勢乗り込んでも滞りなくアトラクションを運営することにあったという。
 他にも米国では、航空会社が肥満客の搭乗を拒否してニュースになったり、サンフランシスコ市が体重による雇用差別を禁止する条例を制定したりするなど、肥満が深刻な社会問題となっている。
 ミシェル・オバマ大統領夫人は就任以降、子供の肥満撲滅のため、「Let’s Move」と銘打った大々的なキャンペーンを展開している。
 米国人の肥満ぶりはデータからも明らかだ。一般に肥満度は、体重(kg)を身長(m)の2乗で割ったBMI(Body Mass Index)値で測る。世界保健機関(WHO)は、BMI値が30以上を「肥満(obese)」、25以上30未満を「太り気味(overweight)」と分類している。例えば、身長170センチの人なら、86.7キロ以上で肥満とみなされる。
脂肪を蓄え飢えに備えた狩猟民族
 経済協力開発機構(OECD)の最新データによれば、米国の成人の肥満率(全成人人口に占める肥満人口の割合)は、33.8%と世界一。「太り気味」も人口の約3割いるので、普通の体型の人は3人に1人しかいない。ちなみに日本人の肥満率は3.9%だ。
 では、米国人はなぜそんなに太っているのか。肥満問題に詳しい東京女子医科大学糖尿病センターの内潟安子センター長は、「人類学的要因に加え、社会的背景が大きい」と話す。
140118himann  内潟氏の言う人類学的要因とはこうだ。欧米の白人はもともと狩猟民族だった。狩りは成功する日もあれば失敗する日もある。だから、獲物にありつけない日に備え、体内に脂肪を蓄える必要があった。そうしないと餓死の危険性が高まるからだ。結果、白人は自然と太り気味の体型になった。
 それに対し日本人など農耕民族は、田畑で育てた食物を保管し必要に応じて食べる術を身につけたため、余分な栄養素を体内に蓄える必要がなかった。それで白人に比べてスリムな体型になったという。
 だが、それにつけても米国人の肥満ぶりは異常に映る。実際、肥満が原因の心疾患や脳梗塞、がんなどによる死者数が米国では急増している。生存のための体の反応が度を越して暴走しているのだ。背景にあるのが社会的要因だ。
 米国人は昔から今のように激しく太っていたわけではない。米政府の統計などを分析すると、米国人が異常に太り出したのは1980年代。いったい何が起きたのか。
アメリカの肥満は貧困と同義語
 第1に、ファストフードを中心とする外食産業の発展と競争激化で、安くて高カロリーの食べ物が世の中にあふれた。日本の外食業界で最近流行の「メガ盛り」や「ガッツリ飯」の源流となる「アメリカン・サイズ」が生まれたのも、この時期。米国人が日常食べる量は、この20~30年で明らかに増えているのだ。
 第2に、政府による農家への補助金ばら撒き政策によって、甘味料の原料や家畜の飼料となるトウモロコシが大量生産されるようになった。その結果、高カロリーの炭酸飲料やジャンクフードの価格が一段と下落。カロリーの過剰摂取に拍車がかかった。
 第3に、レーガン政権以降に進められた「小さな政府」を目指す経済政策によって、国民の間の貧富の差が拡大。低所得層は日々の食事を安価なジャンクフードに依存するようになった。
 実際、米国では所得の低い層ほど肥満率が高いという現象が起きている。肥満はもはや贅沢病ではなく、貧困と同義語なのである。このあたりの事情について、拙著『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ)で追究してみた。
 しかし本当の問題はここからだ。今、この米国発の肥満が、経済のグローバル化の流れに乗って、世界中に感染しつつある。例えば、中国では1980年に1%未満だった成人の糖尿病有病率が今や11%を超えた。クウェートでは肥満治療手術を受ける人が過去10年で10倍に増えたという。
 日本にとっても対岸の火事ではない。東京女子医科大学の内潟氏は「日本人も食生活の変化などの影響で肥満が増えている」と警鐘を鳴らす。(ジャーナリスト 猪瀬聖)」(
2014/01/10付「日経新聞」より)

自分が外人の肥満にホントウにビックリした時のことは、今でも覚えている。10年ほど前にオーストラリアに旅行したとき、ある公園でツアーの自由時間を過ごしていると、歩いているカップルの人が太っているの何のって・・・。それもほぼ全員が太っているカップルなのだ。ほとんどが地元オーストラリアの人なのだろう、カップルは二人とも見事な太り方・・・。まさに「欧米人はなぜあんなに太っているのか、なぜ寒いのにTシャツ姿で平気なのか……」の不思議・・・

同じようなテーマで、前に「低い肥満人口率と米・茶」(ここ)という記事を書いた。
そこには、日本の肥満率が小さいのは「米を中心にしたヘルシーな食生活のおかげ」。そして欧米では「肉、乳製品が中心の食生活は、肥満人口率を高めるが、それに加えて甘い飲料も大きな要因とされる」とある。
それに比べ、今回の「脂肪を蓄え飢えに備えた狩猟民族」という指摘は面白い。それに国別の肥満率表が面白い。これらの国々を見ていると、日本人も結構食べているのに太らない。つまり太るか太らないかは、地域、つまりは人種によるのだろうな・・・と考えてしまう。

会社の近くの食堂で、たまに一緒になるある同僚。まさにメタボで、太っている影響が足や腰に出ているらしくビッコを引いている。でも食堂での注文はパスタの“特盛り”。まさに二人分ほどあるパスタを悠々と平らげる。あれだけの体を維持するためには、このくらい食べないと持たないのだろう。それにしても、体を普通の健康体に戻すためには、まず小食にすれば良いのだろうが、そう簡単な事ではないようだ。

太っていて良いことはほとんど無い、と思っていたが、上の記事のように食べられない状況(⇒餓死=老衰)に対しては、持久力に差が出るようだ。近くの90歳を超えたお婆さんは、体重が25Kほどに減っていたというが、寝込んでから直ぐに逝ってしまったらしい。しかし先日のウチのお袋の場合は、小太りであったためか、3ヶ月間生きた。
先の東日本大震災や韓国でのビル崩壊事故など、閉じ込められて食べられない状況を考えると、確かに太っていて体の中にエネルギー源がある場合は、生き延びられる可能性は高い。でも何となく自分はやせ形の方が好き・・・。
太っている「狩猟民族」と痩せている「農耕民族」という分類に、妙に納得した記事であった。

(関連記事)
低い肥満人口率と米・茶 

140118danjiki <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月17日 (金)

「平成四半世紀の重大ニュース・ベスト25」

先日の朝日新聞に、「平成四半世紀の重大ニュース」なる記事があった。平成が始まったのが1月8日なので、まさにちょうど四半世紀が経った事になる。

<平成四半世紀の重大ニュース・ベスト25>
①東日本大震災(2011) 1208票
②阪神大震災(1995)  970票
③東西ドイツ統一(1990) 870票
④ソビエト連邦崩壊(1991) 817票
⑤「平成」がスタート(1989) 807票
⑥地下鉄サリン事件、オウム真理捜査(1995) 770票
⑦消費税(3%)導入(1989) 532票
⑧米国で同時多発テロ(2001) 528票
⑨バブル経済崩壊(1991) 442票
⑩湾岸戦争勃発(1991) 412票
⑪東欧諸国で共産体制崩壊(1989) 367票
⑫松本サリン事件(1994) 362票
⑬中国で天安門事件(1989) 308票
⑭リーマン・ショック(2008) 291票
⑮欧州連合発足(1993) 224票
⑯皇太子殿下・雅子さんご成婚(1993) 217票
⑰自民党大敗で政権交代(2009) 213票
⑱2020年東京五輪が決定(2013) 199票
⑲イラク戦争勃発(2003) 192票
⑳JR宝塚線事故(2005) 191票
(21)山中伸弥氏ノーベル賞受賞(2012)
(22))坂本堤弁護士一家殺害(1989)
(23)iPS細胞作製に成功(2007)
(24)北海道拓殖銀行・山一証券破綻(1997)
(25)探査機はやぶさ帰還(2010)

(beランキング)平成四半世紀の重大ニュース
 ■「平らか」を願ったはずが…

 1989年の1月7日早朝に天皇陛下が亡くなり、64年を数えた昭和が終わりました。同日午後発表され、翌日から施行された新年号平成は、中国の歴史書にある言葉「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」に由来します。あれから四半世紀、平成の日々に起きたできごとを振り返ってみました。
140117jyuudainews  平成最大のできごとはやはり、これをおいて他にはなかった。アンケート回答者の71%が選んだ東日本大震災(2011年)だ。
 「映像を見て何度泣いただろうか。今日と同じ明日が来るとは限らないことを思い知らされた」(新潟、61歳男性)、「いとこが亡くなった。忘れられない」(北海道、25歳男性)など、多くの人にさまざまな傷痕を残した。
 巨大地震、津波に続いた東京電力福島第一原発事故の影響もなお深刻だ。「エネルギーと暮らしのあり方を問い直すきっかけになった」(東京、55歳男性)、「便利さばかり追求してきたと反省。安全で暮らしやすい将来を次世代に残さなければ」(東京、70歳女性)。
 2位も震災だ。「阪神大震災で我が家は全壊。勤めていた銀行が結果的に倒産」(兵庫、78歳男性)、「実家が全壊し思い出の品のほとんどを喪失」(兵庫、68歳男性)。一方で「多くの方に助けていただき、自分も困っている人に手をさしのべられるようになった」(兵庫、41歳女性)など「ボランティア元年」といわれる動きにわずかな救いもあった。
 世界地図もダイナミックに塗り替えられた。「ベルリンの壁の上に市民が乗って、つるはしで壊している映像が衝撃的だった」(東京、46歳女性)、「世界秩序がいとも簡単に葬り去られていく姿に釘付け」(東京、48歳女性)。「ソ連崩壊で、理想が現実になることの難しさを知った。青春が終わった気がした」(東京、75歳女性)という感慨を持つ人もいた。
 「映画の一場面と思ったら、緊迫した顔のキャスターが早口で現実と告げた」(愛媛、50歳女性)のは、米同時多発テロ。飛行機が高層ビルに激突するという信じがたい光景を「目撃」した衝撃は大きかった。その10年前の湾岸戦争も、前代未聞の映像が記憶に残る。「ピンポイント攻撃をする、ゲームのような戦争をテレビニュースで見て背筋が寒くなった」(福岡、51歳女性)。
ノーベル賞で誇りを持てた
 振り返ると「とても平成とはいえないような出来事ばかり」(兵庫、51歳女性)。当初バブルのただ中だった経済は暗転、「またすぐに景気回復すると思っていた」(神奈川、45歳男性)が、出口は遠かった。今度こそと思ったところへリーマン・ショック。「退職金の半分以上をつぎ込んだ株が暴落。現在も2割5分の赤字」(大阪、66歳男性)。温暖化の影響か「気候が荒くなった」(東京、71歳女性)のも不気味だ。
 明るいできごととして特筆する人が多かったのは、日本人のノーベル賞受賞。「(iPS細胞で医学生理学賞の)山中伸弥教授を始め、国際的に胸を張れる」(埼玉、77歳男性)。平成に入って12人が受賞した。小惑星探査機「はやぶさ」の「トラブルを乗り越えて帰還した偉業」(千葉、48歳女性)も印象に残る。
 「昭和に比べ、すべてスピードが速い」(長崎、64歳女性)と感じる背景にはIT(情報技術)の急激な進展もありそうだ。「ウィンドウズ95」発売で一般家庭にもパソコンが普及、「仕事を辞めてしまった私が社会とのつながりを持ち続ける大切なツールに」(群馬、54歳女性)など恩恵も大きいが、わずか数年でライフスタイルを変えたスマートフォンの広がりなど「脅威さえ感じる」(神奈川、65歳男性)も誇張ではない現状だ。
 選択肢にはなかったが、アンケート実施中の12月6日に成立した特定秘密保護法を挙げ「将来に禍根を残す」(愛知、64歳男性)、「どんどん拡大、変貌(へんぼう)していくことがないように……」(埼玉、60歳女性)と危惧する人は多かった。「他国と戦争することがなかった時代として平成が続いてほしい」(東京、55歳女性)との願いはだれしも共通だろう。(大庭牧子)
     ◇
 調査の方法 朝日新聞デジタルのウェブサイトで、会員を対象に昨年12月初めにアンケートを実施した。回答者は1694人。編集部が示した約100のできごとから「10大ニュース」を選んでもらった。」(
2014/01/11付「朝日新聞」b2より)

我が家では、平成元年はある意味、スタートの時だった。4ヶ月前の昭和63年9月に今の家を建てて引っ越してきた。そして年が替わると同時に改元。昭和天皇の葬儀では、子どもたちを連れて、歩いて近くの道に行き、多摩御陵に向かう昭和天皇の棺を乗せた車が通るのを見た。もっとも子どもたちがそれを覚えているかどうかは分からないが・・・。
よってこの家での生活も四半世紀を経たと言うこと・・・。
その間何があったかは、あまり覚えていない。しかし今考えると、よく働いた時期だと思う。自分は会社が近かったせいもあり、車通勤だった。朝7時半に家を出て、夜11時過ぎに帰って、それから夕食。寝るのはいつも午前2時。もちろん土曜出勤も当たり前。
当時はそれが世の中で普通だった。しかし今振り返ると、皆よく働いた。会社以外の世界は何も無かった。本を読んだり、音楽を聞くこともなかった。子どもは思春期であり、母親任せ。唯一自分がメインでやったのは、平成2~3年の頃の下の子どもの中学受験。これはまさに小学生と一心同体で面白かった。あれからもう20年以上も経った・・・。

先日テレビで、相変わらずの成人式の模様を映していた。「もしあと20年生きていたら、孫の成人した姿が見られるな・・・」とカミさんに言うと、「大丈夫だよ。目標があれば長生き出来るよ」と言う。確かに、その時は86歳なので、ヘロヘロながらも、何とか生きているかも知れない。その時、今2ヶ月の孫がどんな娘に成長しているか・・・。怖くもあり、楽しみでもあり・・・。
平成になって四半世紀。ふと自分のこれからに、不安と期待を感じるこの頃である。

140117glass <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月16日 (木)

「年収630万円で親へは最大41万円」~大阪市の生活保護仕送り基準

だいぶん古い記事だが、先日、Netでこんな記事を見つけた。
年収630万円で親へは最大41万円 大阪市の生活保護仕送り基準巡り賛否両論
  生活保護受給者の親族が仕送りすべき援助額の「めやす」を大阪市が作り、その概要を報道発表した。親族の年収によってめやすを決めており、ネット上では、その内容について賛否両論になっている。
  改正生活保護法が今国会で成立して、2014年7月の法施行から、行政が調査権限を持って、年収や資産などの報告を受給者の親族に求めることができる。
「色々な事情がある親族がいる場合も無視?」
  大阪市のめやすは、そのときに親族に求める仕送りの基準となるものだ。
  市の保護課が作った報道資料によると、市職員の平均でもある年収630万円の場合は、受給者の親に最大で月に3万4000円程度までの仕送りを求める。これは年間にすると、約140116siokuri 41万円の負担だ。また、年収1000万円の場合は、最大で月に4万9000円程度までの仕送りを求めることになる。
  資料では、母子家庭の子供の父親が仕送りすべき援助額も出している。これは生活保護を受ける場合は、親権がなくても養育費も出すべきということだ。
  子供が義務教育を受ける10歳なら、年収630万円で月に6~8万円、年収1000万円で月に10~12万円の仕送りが適当だとしている。
  市職員については、受給者の親族になっているときは、報道発表された13年12月12日の時点から仕送りを求めていくとした。市の調査では、10月末現在で対象者が156人いたが、仕送りしていたのは13人だけだった。橋下徹市長はこの日の会見で、「節約してサポートしてもらう」と職員の自覚を促した。
  こうした内容が報じられると、ネット上では、賛否が分かれる議論になった。仕送りの基準額を示したことについて、「合意するよう促すまでなら問題ない」「大阪市職員から手本を見せないとね」と好意的な声も出た。一方で、「色々な事情がある親族がいる場合も無視?」「成人後も個人の自立はありえないようだな」などと心配する声も上がっている。
「親族の続き柄や関係性などくんで額決める」
  報道発表時には、大阪市がさらに詳しく9段階ある年収ごとなどに説明したらしく、メディアごとに断片的な情報が流れている。
  報道によっては、受給者の兄弟でも、年収630万円で最大41万円の仕送りが求められるとされた。また、年収300万円なら親兄弟に最大で月に2万2000円も仕送りすべきと紹介したケースもあった。
  大阪市の保護課に取材すると、年収ごとなどの表があることを認めながらも、「数字の一人歩きが怖い」として、ホームページ上などで表を公開していないことを明らかにした。
  親と兄弟とで求める仕送り額を同じにするのか、親族間の関係がよくない場合はどうなのかについては、市の保護課では、こう説明する。
「確かに、親と兄弟では違う部分があります。また、親族間で何十年も連絡がないときは、関係を壊すことにもなりかねません。ですから、親族の続き柄や、関係性、経済・家庭事情をくんで、求める仕送り額を決めていきます。表は1つのツールとして使うだけで、仕送りを強制するものでもありません」
  親族が関係を偽るなどして協力を得られない可能性もあるが、「丁寧に話を聞いてお願いしていきたい」と言っている。
  厚労省の保護課では、大阪市のめやすについて、こう話す。
「年収だけでなく関係性なども考慮すると聞いており、特段間違いではないと思います。ただ、強制と受け取られる恐れもあり、画一的な対応がなされるなら望ましくないでしょうね」
  自らがめやすを示すことについては、「仕送りを求めるかは総合的な判断になりますので、その基準額を今後示すことは考えていません」と否定している。」(
2013年12月13日J-CASTニュース(ここ)より)

こんな記事を読むにつけ、行政(国)が益々“個人の心”の領域に入り込んでくる現状に、危惧を抱く。家族間の付き合いは実に難しい。“家庭の平均値”を出すことなど出来るはずもないのに・・・。
言うまでもなく、どんな家庭も、問題を抱えていない家庭など無い。つまりどんな理想的に見える家庭でも、ちょっと横から覗けば色々な悩みを抱えている。これは、“良い”とか“悪い”とかの問題ではないのである。
よって、貧しいながらも必死に働いて生きている人たちの、家族への仕送りの問題など、まさに両者の心の問題なのだ。良い関係であれば、幾ら苦しくても仕送りをするだろうし、良くない関係であれば、どんなに金銭に余裕があっても仕送りしないだろう。
そんなナイーブな“個人の心”の領域に、行政は表を作って「仕送り額」を指導するのだそうだ・・・。

先日別の記事で、こんな一文も見付けた。
「餓死者」が出る経済大国・日本。「悲劇」を防ぐ手段はどこにある?
電気、ガス、水道が止められ、冷蔵庫にはマヨネーズなどの空容器のみ……。そんな大阪市の団地の一室で昨年11月中旬、31歳の女性の遺体が発見された。死因は餓死か衰弱死とみられ、死後1~2カ月経っていたという。
報道によると、この女性は約4年前に生活保護の相談で区役所を訪れたものの受給には至らず、最近は「お金がない」と親族に訴えていたという。経済大国といわれる日本だが、餓死や孤立死などの悲惨なニュースは絶えることがない。生活保護に対する風当たりは強まり、行政による窓口対応の問題点も指摘されている。・・・」(
ここより)

行政は、安易に生活保護に逃げ込むケースを避けたいのだろう。しかしそれによって餓死者が出る可能性があるとすると、運用を緩めてでも絶対にそれを避けるべきでは?
つまりこの問題は、犯罪における「推定無罪」、または「疑わしきは被告人の利益に」という考え方のように、例え生活保護認定の基準が下がって“上がり~”の人が増えたとしても、餓死者は絶対に出さない、というスタンスが正しい気がする・・・
それによって我々の税金が多少高くなっても、それは国民が理解するのではないか、と思うのだが・・・。

140116otsuri <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月15日 (水)

「賀状卒業」宣言~叔父の寒中見舞い

昨日、横浜の老人ホームにいる叔父から、印刷のこんな寒中見舞いが届いた。

「寒中お見舞い申しあげます。
年頭にはお年賀状を賜り有り難うございました。 実は小生は昨
年末に引いた風邪が、永年の持病の一つである関節炎の活動を誘
発し、特に右手の指に対するダメージが大きく、ペンを持つこと
が出来ない様な状態で、年賀状によるご挨拶を断念したという事
情がございました。
大変遅れ馳せではございますが、改めまして本年も宜しくお願い
申し上げます。
尚、小生は今年八十四歳となり、何かにつけ負担を感じるように
なりましたので、年賀状についてはこの辺で卒業させて頂くのが
潮時ではないかと思っております。永年に亘り頂戴致しました激
励の数々に対し、改めて厚く御礼を申し上げます。

  ″寒月に切り落されし軒の影″

  平成二十六年一月吉日」

今年の賀状が来ないので、?と思っていたが、賀状は卒業するという。いわゆる難病を患いながら、「頭はクリアだが、足が悪くて段々と階段が利用できなくなって・・・」と言っていたが、ペンが取れなくなるとは・・・。
この叔父は、亡くなった親父がかわいがっていた弟であり、学生時代(自分が0~4歳?)に、当時住んでいた大宮の我が家から大学に通っていたこともあって、我が家とは縁が深い人だった。
「仕事が趣味」と言っていた典型的な仕事人間だったが、退職後俳句に目覚め、どこかの会で選者を務めていると聞く。妻に先立たれて老人ホームに入ってからも、俳句だけはやっていたので、ペンが取れないとは残念・・・

2年ほど前に、「親戚付き合いに思う~ある寒中見舞いから」(ここ)という記事を書いた。ある親戚(従姉妹)から、「親戚付き合いはこれを最後に・・・」という寒中見舞いが届いたのだ。
それと同じような今回の叔父の寒中見舞い。

親戚も、段々と歳を取っている。だから付き合いも大変になってくる。考えてみると、自分が親しくしている親戚は、この横浜の叔父と大阪の叔母だけ。だからたまに電話するのだが、それも段々と疎遠になっていく・・・

息子の結婚による新しい親戚の誕生と、古い親戚の減少。それはまさに赤ちゃんの誕生と、お袋の死去、という世代の交代と同じである。自然の流れ・・・
自分は俳句は分からないが、″寒月に切り落されし軒の影″という句と共に「卒業」宣言をした叔父に、2年半ぶりに会いに行ってみようかな・・・と思うこの頃である。

(関連記事)
親戚付き合いに思う~ある寒中見舞いから 

140115orega <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月13日 (月)

小泉元首相の変節「オレたちにウソ言ってきた」~面白くなってきた都知事選

都知事選が面白くなってきた。明日(2014/01/14)の小泉会談というセレモニーを経て、細川元総理が立候補を表明するらしい。争点は脱原発。
そういえば、前に小泉元総理の原発についての記事があったな・・・、と探したら出て来た。1ヶ月ほど前の朝日新聞の記事である。
前に「ドミニカ移民 小泉談話の持つ力」(ここ)という記事を書いたが、その続編のような記事だ・・・。

(ザ・コラム)小泉元首相の変節「オレたちにウソ言ってきた」
         大久保真紀(編集委員)
 「小泉純一郎です。大久保さんいる?」
 先月12日の昼、社会部の電話が鳴った。受話器を取ったのは今春入社の新人記者。どぎまぎしながら、取材で外に出ていた私の不在を伝えると、「談話のことを取り上げてくれてありがとう。よろしく伝えておいて」。それだけ言うと、電話は切れた。
 その2日前、私はこの欄でドミニカ共和国に移住した人たちのことを取り上げた。「日本政府にだまされた」と移住者が訴えた損害賠償請求訴訟。国が勝訴したのに、当時の小泉首相が「政府として率直に反省し、お詫(わ)び申し上げます」と非を認める談話を出したことで、国の対応は百八十度転換した。私はこう書いた。
 「政治家が方向性を打ち出さない限り、官僚は動かない。それが日本の現実」
 この言葉が、安倍首相に原発ゼロを迫る小泉さんの琴線に触れたのだろうか。取材を申し込んだときは断ってきたのに。電話をもらったお礼の手紙を出すと、小泉さんは知人を介して、3人で食事でも、と伝えてきた。
 首相を退任してからはインタビューもテレビ出演もすべて断っているという。「取材ではないよ」と念を押されたが、直接会ってどうしても聞きたいことがあった。なぜ、いまごろ原発ゼロを声高に叫ぶのだろう。だって首相時代は、CO2削減を理由に原発推進の旗振り役だったのに。
    *
 「やあ、やあ」と言いながら、小泉さんは現れた。71歳には見えない若々しさ。席に着くなり言った。「いとこがブラジルに住んでいる。開拓でドミニカと同じような苦労をしている。ドミニカは(国が)ひどいウソついてたとわかったからな」。2004年に首相としてブラジルを訪問したときは移民に熱烈な歓迎を受けて男泣き。異国で暮らす同胞の思いに胸が詰まったそうだ。
 原発推進から原発ゼロに変節したのも、心を揺り動かされた何か大きな理由があるに違いない。そう思って質問した。小泉さんを変えた一番のものは何ですか?
 「電事連(電気事業連合会)の言ってること、ウソじゃん」。私の目を見据えて、強い口調でまくしたてた。
 「専門家が『安全で、コストが安い』『脱石油にはこれしかない』と言えば信用しますよ。何年もオレたちにウソを言ってきた。これですよ。こっちは原子力の知識なんかないんだから。3・11前はそんな関心もなかったし。あれほど制御しがたいものとは知らなかった」
 だまされたと思ったんですか。あえてそう聞くと、「そうだよ。思ったよ」。
 じぇじぇじぇ。原発ゼロに背中を押されたのは、官僚や専門家にだまされたことに気づいたからなんだ。まるでオレオレ詐欺の被害者みたい。同じことを何度も尋ねたが、福島の被災者への言及はなかった。
 じぇじぇじぇ。5年半も首相を務めた最高権力者がだまされたと嘆き、怒っているとは。でも、よくよく考えれば、日本はとんでもない国だ。正確な判断材料が一国の命運を左右する首相に示されず、安全神話を信じさせられてしまうのだから。小泉さんの変節は人間として何となく納得できるような気がした。
    *
 小泉さんの原発ゼロ発言が注目を浴びたのは、8月末に毎日新聞専門編集委員の山田孝男さんがコラムで取り上げてからだ。「新聞記事の影響の大きさが改めてわかったよ。だって、月2~3回してきた講演で同じこと話してきた。みんな無視したが、あの記事で無視できなくなったんだな」
 山田さんのコラムの中でも、小泉さんはこう言っている。「戦はシンガリがいちばん難しいんだよ。撤退が」「昭和の戦争だって、満州(現中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」
 昭和史に詳しい作家の半藤一利さん(83)に聞いてみた。「僕は小泉さんは大嫌い。(首相時代は)独裁になる前のヒトラーのやり口と同じだと感じたから」と前置きした上で「でも、彼の原発ゼロ発言は正論だし満州の例えはその通りだと思う」。
 そして、こう説明した。日露戦争の後、日本は手にした権益を守るために大国主義を選んだ。その結果、朝鮮半島を「利益線」にし、さらにそれを守るために、資源や人口問題などいろいろな理由をつけて旧満州を「生命線」とした。「近代史の中での意味を考えると、原発と満州国は同じかもしれない。かつては満州があって国を滅ぼしたが、これからは原発をもつことで国を滅ぼすことになるのではないか」
 小泉さんとの会食は3時間近く、話は映画や読書、ゴルフ、演劇にも及んだ。別れ際、抱きかかえていった30本の赤いバラの花束を手渡そうとしたが、体よく固辞された。一切もらわない主義だという。私が「(今日のこと)書きますので」と言うと、小泉さんはアッハハッと高笑いし、片手を上げて去っていった。」(
2013/12/15付「朝日新聞」p9より)

先日Netで、「もともと小泉さんは、安倍首相を見下している。その安倍首相が大宰相ヅラしているのを内心、苦々しく見ているといいます。」(日刊ゲンダイ2014年1月10日(ここ))
という言葉を見付けた。現・元総理の間には、色々とあるらしい。そして細川殿様が出てきて代理戦争?

これで自民党が押す候補が負けると、これは面白い。何よりも、“怖いもの無し”と勘違いしている現政権がハッと夢から覚める可能性も・・・!? そして「あと3年は選挙がないので・・・」とうそぶいている首相に冷や水が!?

それにしてもこの記事。何とも楽しい(?)事後談だが、怖ろしい言葉もある。
「よくよく考えれば、日本はとんでもない国だ。正確な判断材料が一国の命運を左右する首相に示されず、安全神話を信じさせられてしまうのだから。」

日本という国を差配しているのは、いったい誰なんだろう? 国のトップが、官僚や業界に言いくるめられ、それによって国の方針がジャッジされているとすると、空恐ろしい。
しかし、政治家とて素人の部分は多くある。それを補完するのが官僚だが、その官僚をも業界が差配しているとすると、官僚陣は業界以上に博学で、ウソを見破る実力を持っていないといけない。でもそんなことは、実現不可能・・・
先の原発事故でも、国の監督官庁の体たらくはとても正視できる状態では無かった。国にも業界のウソを見抜く力は無い。ではどうする??

何度かここに書いているが、やはり「実力」という言葉が頭をよぎる。それもこれも、全ては日本国民が持っている「実力」ではないかと・・・。業界が官僚や政治をだますのも実力。もちろん、だまされる方も実力。それによって、取り返しが付かない事故を発生させるのも実力。そして、東電のようなドタバタをしているのも実力。はてまた、選挙公約に書いていなかった「秘密法」などを勝手に立法化してしまう“白紙委任状を与えられたと勘違いしている政権”を選んだのも国民の実力・・・!?
つまり、すべては他人の責任ではない。政権を選んだ自分たちの責任。しかしそれは、マジメに考えて投票した国民に対しての話であって、良く考えないで投票する国民が多いと、飛んでもない方向に行ってしまう。ま、それも日本の実力だけど・・・
でも、これからどうする? 次世代に対してどう責任を取る? と考えると、取り返しが付かない気になる・・・。

全ての組織、男は、メンツが大事。いやメンツが全て。しかし、「自分はだまされた」と素直に認めて方向転換をするこんな元・エライ人は珍しい。
そんなスタンスに、都民がどう反応するか・・・。なかなか面白くなってきた都知事選である。
そしてこの選挙が、少しでも現政権のやりたい放題のスタンスにブレーキになれば・・・と思うのだが・・・。

(関連記事)
「ドミニカ移民 小泉談話の持つ力」 

140113choki <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月12日 (日)

「遺骨 宅配便で供養の寺に 広がる「送骨」批判も」

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
寺に宅配、「送骨」波紋 身寄りなく…低価格で供養
 遺骨を寺に宅配便で送り、納骨と将来の供養をしてもらう「送骨」が広がっている。「遺骨の引き取り手がいない」といった悩みに応える半面、一般の宗教感情にそぐわないとの批判もある。
140112ikotu  愛媛県伊予市の真言宗智山派入佛寺は、2011年から送骨を受け付ける。料金は5万5千円。埋葬許可書と共にゆうパックで送ると、専用の納骨堂で50年間、骨つぼを保管。その後は集合墓に合祀(ごうし)する。
 ネットで募り、500件ほど依頼があった。離婚した夫の遺骨を引き受けざるをえなかった女性などが多い。「かかわるのは面倒、金もかけたくない。でも寺に置いてあげたい、と思うようだ」と山田晃照住職。
 ところが納骨堂の設置を、市は「国民の宗教感情に合わない」などの理由で認めていない。寺は取り消しを求めて松山地裁に提訴したが9月に敗訴。判決は少子化など社会状況から、こうした供養に一定の需要があると認めた。しかし、住職と会わずにすむ簡便さや低価格を強調したことを挙げ、「商業主義的との印象を与える」と判断した。
 山田住職は「経済的弱者のために価格を抑えたのが商業主義と言われては納得できない」と控訴した。
 ただ全国では、送骨による集合墓などへの埋葬を可能とする寺が増えている。
 先駆けは、富山県高岡市の日蓮宗大法寺だ。継承者のいない人向けの集合墓を建てると、身寄りのない遺骨の依頼がいくつも寄せられ、送骨のシステムを整えた。栗原啓允住職は「死後の安心を与えるのは寺の役割。放ってはおけない」。
 埼玉県熊谷市の曹洞宗見性院は今年10月に始めた。橋本英樹住職は「檀家(だんか)だけでは少子化で先細りは見えている。送骨は寺が外に開かれるための一環だ」。
 国学院大の石井研士教授(宗教社会学)は「先祖供養を基盤とした日本のイエ制度は崩れつつあり、死者をまつる家族の不在が増えている」と、送骨が広がる背景を指摘。「全国から宗旨を無条件に受け入れると、宗教と商行為との線引きが難しくなるだろう」と話す。(宮本茂頼)」(
2013/12/30付「朝日新聞」p26より)

先日母が亡くなったこともあり、最近、故人との付き合い方について考えてしまう。もちろんお墓にお骨は収納されるのだが、お墓との付き合いはどうすれば良いのだろう? お彼岸や命日のお参りはあるだろうが、そもそも残された者にとってお墓とは何ぞや?

故人をなるべく思い出してあげることが供養になる、という話がある一方、亡くなった人にあまり思いを強くかけていると、天に戻ることが遅くなるので、時折思い出してお話しをしてあげることが魂には良い、という話も聞く。
また、そもそもお墓に魂は無いので、お参りをしてお墓を大事することよりも、輪廻転生の道を大事すること、つまり魂を磨くことこそが仏教で大事、とも聞く。
残された人にとって、お墓とはどんな存在なのだろう?

先祖代々の墓は、肉親が一緒にいる最後の場所なので、自分もそこに入る、と思うと精神が安定するのかも知れない。一方、先日都立小平霊園を散歩したが(ここ)、そこで見た樹木葬などの無宗教にも魅力を感じた。

先日の母の葬儀で、上野・谷中の菩提寺から来た住職が、火葬している時の食事のあと、こんな話をしていた。
「谷中といえども、最近はお墓の無縁化が進んでいる。親の年金、特に軍人恩給は金額が良いので、結婚しない子どもがそれで食べている。しかし親が亡くなると同時に生活保護者に転落する。そんな人が多いので、檀家に生活保護者が増えている。普通のお寺は、葬式の無い檀家が1~2割だが、自分の所では1/3くらいになっている。檀家は650ほどあるが、葬式のある檀家は450ほど・・・。
無縁化したお墓は、手続きをして更地に戻すが、15万円ほどかかる。中には、墓を返すが元に戻さない人がいる。どうせ売れば高く売れるので、更地にする費用はそこから出るだろう、と言う人までいる。近所の寺では、一区画墓石込みで95万円というのぼりを建てている寺まである。これから急速な檀家離れで寺も大変・・・」
つい「天下の谷中で、お墓が95万円で買えるのですか・・・!!」と言ってしまった・・・

粛々と進む葬儀。菩提寺のお経で、初めて聞いた「般若心経」。一緒に唱えていると、暗唱でなく“読んで”いるにもかかわらず、間違えている。観音経も“読んで”いる。こんな有名なお経でも、そんな唱え方なので、聞いていて有り難くもなく・・・
自分の葬儀でも、お経を読んで貰っても、有り難いわけではないな、と思う。まあ、葬儀のお寺へのお布施は、お墓に入れてもらう為のお金・・・。

おっと、取り留めのない話になってしまったが、残された人にとって、あまり意味のないお墓だとすると、上の記事の埋葬方法などは、現代人にとっては実に有り難い存在だと思うのだが・・・。

先日の母の葬儀のことを連絡したら、従姉妹から電話があった。その従姉妹の父親、つまり自分も叔父も、子どもが女の子だけで嫁に行ってしまったので、ウチの菩提寺に入っているのだが、時々お墓にお参りに行っているという。
遠くてなかなか行けない地方のお墓より、たくさんの人が入って、知っている色々な人にお参りに来て貰う方がにぎやかで良いのかな・・・とも思う。
おっと、それだったら、小平霊園の合葬式墓地が一番にぎやかかも!?
お墓について色々と考えてしまう今日この頃である・・・。

140112komainu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月11日 (土)

「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」川口マーン惠美著~Uさんの読書ノート

Uさんからの今年初のメールである。今まで送って貰ったストックがあるものの、今年も面白くなりそうである・・・。
今回の本は、“ドイツ”。メールにこうあった。

「各位
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年の初荷は「住んでみたドイツ、8勝2敗で日本の勝ち」川口マーン惠美著 講談社+α新書である。著者はドイツの音楽大学大学院を卒業し、30年ドイツに住んでいる女性である。日本でも、ドイツは医学、軍事、哲学などについて昔は馴染みが深かったが、今や、高級自動車ブランドしかお目に掛かれない。観光では分らない今のドイツを知りたくて本書を手に取った次第である。
ドイツは今や、EUで独り勝ちである。尊敬はされても余り好きになれないという感じである。ナチスは別にしても、頑固でお堅い印象がある。しかし、著者はEUの中のドイツは、アジアの中の日本と似ている所があると指摘する。そして、ドイツの動きを日本は注目する必要がある。ドイツを見ていれば、今後日本がどんな行動をとれば良いかが判って来る。というのである。
各位の中には、ドイツに駐在した御仁や在日ドイツ協会に参加している人も居る。是非ともドイツについての情報を発信願いたいものである。 以上」

★「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」川口マーン惠美著~Uさんの読書ノートのPDFはここ

井の中の蛙では、何も見えない。つまり、国内に居ると、全てが普通のことであり、他の国との差は分からないのは当然・・・。よってこの著者のように、ドイツに住んでみると、その差が明瞭に分かる。そこで評価してみると、総じてやはり日本は良い国・・・と写ったらしい・・・。

英語大キライ人間の自分が、初めてアメリカに出張したとき、大きなカルチャーショックを受けたのも、同じこと。国外から日本を見て初めて、あらゆる事での日本との差が分かり、遅まきながらやはり井の中の蛙では物の見方に限度があることを知った・・・。

さてドイツだが、自分のドイツの印象は、「ベートーベン」と、「ベンツ」と「ベルリンの壁」の国・・・。Uさんの指摘通り、確かにヨーロッパでも、パリやロンドンなどに比べると印象は薄い。(もっとも自分は、欧州はオーストリア以外は行ったことが無いけど・・・) テレビでよく見るのは、観光地よりもベルリンの壁を壊している映像ばかり・・・。それに比べて、パリだとセーヌ川の風景や美術館など・・・。
自分はどうも“ドイツはベートーベンの国”、という印象が強いせいか、お堅くてあまり面白くない国民!?という印象が強い。(もっとも日本はヘニャヘニャだけど・・・)まあそれだけドイツを理解していないという証拠なのだが・・・
その点、こんな本の紹介は面白い。今回は、“珍しく”一気に読んでしまった。(Uさんが読む本は、自分にとって難しいのが多いので・・・!?)

また話は飛ぶが、自分がいつも録音で聞いているNHKラジオ深夜便で、「ワールドネットワーク」(ここ)と「アジアリポート」という海外のレポートコーナーがある。電話で他の国に長く住んでいる日本人がレポーターとなって海外の話題を話してくれるのだが、これも同じで、日本と違う習慣に、いつも「ヘエー」と聞いてしまう。
こんな一文を読みながら、悪い所は簡単には直せないにしても、日本の良さは何とか維持したいものだ・・・(平和憲法も同じこと・・・)

140111sagi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月10日 (金)

「神頼みしたいことがありますか?」

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
神頼みしたいことがありますか?
約1億2700万人がひしめくわが国に神がみも八百万(やおよろず)いらっしゃるのなら、お一人あたり16人の迷える民の願いをかなえてくださればよいのです。初詣のお賽(さい)銭は超リーズナブルですが、もうちょっとだけお仕事に身を入れていただいて、今年こそどーかひとつ、お情けを!
己を客観視して願え
 記憶にあるかぎり人生5回目になる元日の「大吉」のおみくじを、去年の初詣でひいた東京都の男性(76)は、長年のしきたりにしたがって、その紙片を心をこめて折りたたみ、財布にしまいこんだ。
140110kamidanomi  初詣のおみくじは大みそかまで財布に入れておく。「転居 さしつかえなし」「争いごと 目上の人の助けを得る」などと書かれた文面を事あるごとに読み返し、「処世の指針」にしているのだ。
 東京でも指おりの古社と伝わる近所の神社を「心のよすが」と信奉し、勤め人だったころから約40年来、週に1度、欠かさず参拝している。30代のころ、脳梗塞(こうそく)で倒れた母親の命乞いをして、危篤だった容体から3年も生き延びた御利益を体験してから、ゆるぎない信仰が心に根づいたのだという。「やたらに神頼みはしませんが、小さな願いごとはだいたいかなう。守られている実感があるんです」
 「転職を決意したとき神頼みをしたら、4分の3だけ願いごとがかなった」と茨城県の男性(65)は苦笑する。
 東京の多摩地区に暮らし、大手マスコミで働いていた20代後半のころ、あこがれていた高校の英語教師への転身を思い立った。勤めをやめ、再就職先の学校を探し歩いた約半年の間、もよりの駅前にあった名もない神社を毎朝、拝み、「どうか、私を多摩地区の学校の教員にしてください」と一心不乱に祈った。
 「あきらめかけたころ、都内の私立高校から採用通知の電話がかかったんです。そこは多摩地区(たまちく)ではなく、港区の田町(たまち)にある学校でした。なんという神のお引き合わせかと、泣き笑いしてしまいました」
 神がみの足もとににじり寄り、黙したまま、ひそやかに告げられる人びとの願いは千差万別だ。今年の初詣では、こんな頼みごとが神域で念じられているようだ。
 「亡くなった両親や、やさしかった親類を思い浮かべながら家内安全をお願いする」(神奈川、60歳女性)、「施設にいる母の認知症が悪化しないように」(東京、53歳女性)、「趣味の意見投稿が頻繁に新聞に載る」(神奈川、62歳男性)、「世界が平和になり、飢餓がなくなる」(埼玉、65歳男性)などである。
 「悪妻の典型のような連れあいが、せめて人並みになるように。毎年、下がり続けている給料が少しでも上がるように。不本意な転勤を命じられないように」(大阪、47歳男性)と欲ばった参拝客もいないわけではない。でも、ほとんど強欲や背徳などとはほど遠い、謙虚で奥ゆかしくさえあるお願いばかりだ。
 だが、神頼み否定論者も、少数派とはあなどれない。
 ある親子は「息子が大学受験の日、神社で合格祈願をして帰宅すると、なんと試験時間中のはずの息子がいるではないか。驚いて訳を聞くと、受験票をなくしてしまったという。私はこのとき、『この世に神はいない!』と確信した」(福岡、64歳男性)と、不幸のどん底にたたき落とされているのだ。こんな悲劇をあげつらい、「神頼みは一種の『思考停止』だ」(福岡、67歳男性)、「神とは本来、罰を与える存在。人間の願いを都合よく聞き届けてくれるはずがない」(青森、62歳女性)などと、浮ついた「にわか信心」を非難するのである。
 「神前は、謙虚な心をとりもどす領域。合掌すると、己を客観的に見つめられるようになる。人事を尽くして天命を待つという心構えになれなければ、神頼みをする資格はない」(大阪、44歳女性)。
 そんな面倒くさいこと、怠惰で欲深い私のような凡人にはとても無理。宝くじで億万長者になるのと同じぐらいの確率で、霊験あらたかな御利益を当てにしております。(保科龍朗)」(
2014/01/04付「朝日新聞」b10より)

毎年、初詣に行っている近くの高幡不動。ここが混んでいる。今年も3日に行ったのだが、案の定、既に駅前から参拝の列。この現象は、調べてみると2011年の正月から始まったようだ(ここ)。
それまでは、元旦に行っても、駅までの列など無かったし、お参りも充分に出来た。しかし2011年以来、並ぶのがイヤなので、まともにお参りできていない。遠くからチョコッと頭を下げるだけ・・・。世の中、頼み事が多くなっているらしい。

ところで、お不動さんにお願い事をすることはOK? そもそも仏さまにお願い事・・・って有り??
「神頼み」という言葉があるように、神さまにお願い事をするのはある。しかし仏さまにはどうなんでしょう・・・?
でも高幡不動からは、毎年「願いごと」を書いたお札を貰っているし、そもそも仏さまの“観音さま”は、衆生を救ってくれる存在・・・。
そう言えば、亡くなった人も仏さまと言う。でも亡くなった人に願い事を期待しても、たぶんダメだろうな・・・。17年前に亡くなった親父に、色々頼んでみたが、全部ダメだった・・・。だから先日亡くなったお袋に頼んでもダメだな・・・。でも、よく祖父母が、孫の病気を持って行ってくれる・・・という話しは聞く。オトナは良いとしても、せめて子どもたちは守ってあげて欲しいものだが・・・。

大いなるものへの畏怖。朝、通勤電車を待つホームから見る空と遠い山々は、いつも“大いなるもの”を感じさせる。神さまも仏さまも、すべては大いなるもの・・・。
そろそろ我々世代は、勝手なお願い事を繰り返す時期は過ぎ、大いなるものとの対話が必要な頃なのかも知れない。

140110hima <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月 9日 (木)

近藤圭子の「海ほおずきの歌」

今日は、懐かしい童謡・・・。
この歌は、数年前に知った。昭和30年の発売と言うが、自分が子どもの時には聞いたことが無かった・・・。冒頭の波の音が、ザルと小豆?の擬音で、かえって懐かしい!?

<近藤圭子の「海ほおずきの歌」>

「海ほおずきの歌」
  作詞:田中一郎
  作曲:山本雅之

その日は海が あれていた
大波小波に はこばれて
見知らぬ浜辺に 打ちあげられた
わたしゃほおずき 海ほおずきよ
ソレ ドンブラ ドンブラ ドンブラコ

りょうしにひろい あげられて
きれいにおけしょう させられて
遠くの町まで うられて行った
わたしゃほおずき 海ほおずきよ
ソレ ドンブラ ドンブラ ドンブラコ

おかめにかがみ なぎなたと
名まえは形で ちがうけど
兄弟そろって みなうたうたい
わたしゃほおずき 海ほおずきよ
ソレ ドンブラ ドンブラ ドンブラコ

ところで、「海ほおずき」って何だ?? Wikiにはこうある。
140109umihoozuki 「巻貝の卵嚢(らんのう)のこと。植物のホオズキと使用方法が似ており、かつての日本ではグンバイホオズキ等の卵嚢が、口に含んで音を鳴らして遊ぶ使い捨ての玩具として縁日や海辺の駄菓子屋で売られていた。」

140109hoozuki 自分は見たことがない。植物の「ほおずき」なら知っている。確か、中味をグジュグジュ揉んで、外に出し、袋状の皮の部分だけにして、口に含んで音を出す。
もっとも、自分はこれもやった記憶はあまり無い。

考えてみると、自分の子ども時代はおとなしくて、あまり野山を駆けるような遊びはしなかったな・・・

見たことのない、「海ほおずきの歌」ではある。

140109kutusita <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月 8日 (水)

「2013年・首都圏商業施設の集客力ベスト10」

先日の日経新聞に、2013年の首都圏の商業施設の集客力についての記事があった。

<2013年・首都圏商業施設の集客力ベスト10>~対2012年
①←③伊勢丹新宿本店
②←①渋谷ヒカリエ
③←④西武池袋本店
④←②三越銀座店
⑤←⑥小田急百貨店新宿店
⑥←⑤ヨドバシAkibaビル
⑦←⑦そごう横浜店
⑧←⑩池袋サンシャインシティ
⑨←⑨京王百貨店新宿店
⑩←⑧ルミネ新宿

「商業施設の集客力 新宿伊勢丹、初の首位
首都圏、百貨店復権 景気回復・副都心線追い風
 首都圏で今年人気を集めた商業施設のキーワードは、「景気回復」と「副都心線効果」――。日経リサーチが1都3県に住む約1万5千人を対象に「直近3カ月以内に利用した商業施設」を聞いたところ、昨年の調査で3位だった伊勢丹新宿本店が首位となった。昨年トップの渋谷ヒカリエは順位を下げたものの、2位と好調を維持。利便性の高さと、高額品の品ぞろえが集客のカギをにぎっているといえそうだ。
 日経リサーチのデータベース「首都圏センサス」の調査に基づき、ランキングを作成した。140108syuukyakuryoku_2 調査は首都圏の約700の商業施設を対象に今年9月に実施した。
 伊勢丹新宿本店のすぐ近くには東京メトロの新宿三丁目駅がある。ここを走る副都心線が今年3月、東急東横線との相互直通運転を開始。これにあわせて婦人服や雑貨売り場の大規模改装を実施したことが奏功したようだ。
 同じ頃、株価が回復基調を強めたことも追い風になった。伊勢丹新宿本店が首位に立つのは、2009年の調査開始以来初めて。
 ランキング上位には、3位の西武池袋本店、5位の小田急百貨店新宿店など、副都心線沿線の百貨店が目立つ。株価上昇などで高額消費が勢いを増す中、消費者の足が利便性の高くなった百貨店に向かう様子が浮かび上がる。
 利用金額をみると、百貨店の好調ぶりはより鮮明だ。伊勢丹新宿本店とヒカリエで「施設での利用金額」を比較すると、伊勢丹は「1万円以上」が40%を占め、「5万円以上」も2.7%あった。これに対し、ヒカリエは「1万円以上」が13%どまりで、「5万円以上」はほとんどなかった。利便性の高さは同程度でも、品ぞろえや店のコンセプトの違いで結果が分かれた形だ。
 一方、「デフレの勝ち組」だった家電量販店。上位10施設に入ったのはヨドバシAkibaビル(マルチメディアAkiba)だけだった。
 順位を大きく下げたのが東京ソラマチ。昨年開業した東京スカイツリーの足元にある商業施設で、昨年は13位だったが、今年は32位に後退した。
 利用頻度を分析すると、「月1回以上」の割合が伊勢丹新宿本店の半分以下。近隣住民の利用も比較的少なかった。「スカイツリーへの観光客頼み」という構図から脱却し、商業施設単独での集客力をいかに高めるかが課題といえそうだ。

 首都圏の3県別に「直近3カ月以内に利用した商業施設」をみると、神奈川ではそごう横浜店がトップで、首都圏全体でも7位に入った。2番目は高島屋横浜店だった。
 千葉の首位はそごう千葉店で、ららぽーとTOKYO―BAY(船橋市)を上回った。三井アウトレットパーク木更津は県内21位にとどまった。埼玉はイオンレイクタウン(越谷市)がトップで、そごう大宮店が続いた。」(
2013/12/27付「日経新聞」p35より)

関西主要商業施設集客力ランキング(カッコ内は昨秋の前回調査の順位)
 順位  商業施設名
 1(3)阪急うめだ本店
 2(1)大丸梅田店
 3(2)ヨドバシカメラマルチメディア梅田
 4(4)阪神梅田本店
 5(5)LUCUA

前にも書いたが、あまり自分には関係のないベスト10である。
ホントウに繁華街の店に行って買い物をすることが無くなった。まあ現役時代は、デパートでスーツやコートを買ったものだが、リタイアモードになるや、もっぱらユニクロ・モード・・・
そして家電品は、昼のように明るい量販店で現物を見て、通販で買うのが当たり前。それにしても、繁華街のどの店も、店の維持は大変だ。立派なビルに明るい照明。どう考えても、通販店にかなう訳がない。でもそれぞれキチンと商売をしているので驚異・・・。

上の記事ではないが、デパートは活況らしい。それは我々とまったく違う人類がそれを支えているという。つまり、正月のNHKニュースでもやっていたが、一つ1000万円の腕時計を買う人たち・・・。
それは、どんな人が買うの?と聞くと、10億円単位の財産がある人は、株などの上昇に伴って、どかんと財産が増えたため、1千万円単位の買い物は苦ではないという。我々の1万円とその人たちの1000万円とが同じような金銭感覚なのだろう。まあいいけどさ・・・
まあ、今年のトップの新宿伊勢丹では、外商の売り上げが店の売上と同じ位あるというウワサもあるので、まあ我々とは別の世界だな・・・

ともあれ、“元気を保つには声を出すこと!”と、お悔やみの電話を貰った大阪の従姉妹に言われてしまった。
特に男は危ない。家に引きこもらず、繁華街で冷やかしの品定めをするのも、元気のもとになるかもね・・・

(関連記事)
「2012年・首都圏商業施設の集客力ベスト20」

140108uwaki <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月 7日 (火)

クロネコに輸送事故のHDDを修理して貰った話

今日は、クロネコの輸送事故で、外付けHDDを修理して貰った体験談である。
先日、ヤフオクで中古の外付けハードディスクを買った。5年以上前の製品だが、持っている1台が気に入っていたので、もう1台を追加で買った。
送られて来たHDDは、少々梱包が乱暴だった。しかし伝票には「精密機械」「コワレモノ」。
しかしHDDをパソコンにつないでも動かない。機器がつながれたことは認識するのだが、「使えません」という表示。何よりもHDDのランプも点かなければ、HDD内のモーターの音もしない。仕方がないので、出品者に返品を申し込んだ。
すると「出荷時には確かに動いていたので、輸送事故だと思う。クロネコに問い合わせてみる」との回答。
Netで調べてみると、クロネコは基本的に輸送で壊れた物は修理をしてくれるらしい。
次の日、どこからもアクションがないので、伝票番号頼りに、近くのクロネコの問い合わせ先に電話をしてみた。すると「申し訳ございません」と、荷主の電話番号や住所を聞いて、端末に入力している。そして、荷主と連絡をとって、電話をくれるとのこと。聞くと、出荷元でなく、受領元(自分)からのアクションでも良いと言う。
1時間ほど経ったころ、電話があった。出荷元のクロネコから。荷主と連絡が取れて、クロネコで修理をすることになったので、明日にでも取りに行きたい。もし修理が不可能な場合は、ヤフオクの落札価格の弁償ということになる、とのこと。
バッファローのHPを見ると、ハードディスクの修理費は1TBだと15,750円とある。これでは新品に交換した方が安いが、でも基本は修理とのこと。

そして引き取りから1週間ほど経ったとき、クロネコから電話。「データの復旧サービスは色々あるが、ハードの修理をしてくれる所がまだ見つかっていない。引き続き探している」という中間報告。「メーカーのHPを見る限り、修理不可能の形名には登録されていないので、修理は可能では?」と言った。
そして念のため、メールでメーカーにその形名のHDDの修理が出来るかどうかを聞いてみた。すると次の日に、修理は可能、という回答。
その旨をクロネコに連絡しようと電話したところ、既に近くの量販店に修理を頼んだとのこと。そして「多分修理は出来るが年末にかかって、時間がかかりそう」とのこと。
でもちゃんと何日に着の予定です、という連絡は入った。

そして、クロネコが製品を引き取ってからちょうど1か月後、予告通りクロネコから修理品が届いた。しかし箱を開いてビックリ。物が違う。型式が違う。クロネコからは、HDD本体の交換による修理、と聞いていたので・・・。
それで、てっきりバファローの出荷時に製品を間違えたのだろうと思った。電話でクロネコに問い合わせると、そのまま送ったので形名を確認していないが、量販店に確認する、とのこと。
しかし、しばらくしてクロネコからかかってきた電話は、メーカーから「代替品への交換で良いか?」と問合せがあり、クロネコの他の担当者が「良い」と回答したとのこと。自分の担当者にその事が伝わっていなかったので、ちぐはぐになった。
これ以上、時間を掛けても仕方がないので、仕方がない、とした。

結局、5年前の1TBの外付けHDDが、最新式の2TBのものに化けた。しかし自分の求めている性能、つまりFAT32での転送速度はやはり差があり、不満・・・。これは別の対処が必要・・・

しかしクロネコの、予想以上の“誠意ある対応”には感心した。クロネコの宅急便は、自動的に30万円の輸送保険が掛かっているらしいが、なかなか今回のような対応は出来ない。
我が家では、クロネコ以外は使ったことはないが、まあ今後も使うならクロネコだな・・・

140107karasu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月 6日 (月)

母の老衰死~最後の3ヶ月の記録

母が元旦(2014/01/01)の午前10時49分に、老衰で亡くなった。大正10年5月13日生まれ、享年92歳。
故人を思い出すことは、供養になるという。自分の記憶の中で、たぶんこれから徐々に薄れていくだろう母の死までの経緯。それをメモしておくことも、ひとつの供養の姿かな・・・と思ってメモしておく。

茨城県竜ヶ崎市の実家で一人で住んでいた母は、2年少し前の2011年10月3日、自宅の玄関で転んで大腿骨転子部(足の付け根)を骨折した。それが全ての始まり。たまたま玄関だったため、大声で助けを呼び、近くの人が気が付いてくれて病院に入院した。それから1ヶ月余、入院中にいわゆる痴呆の症状が出始め、夜おとなしく寝ないため、付き添い婦さんを頼んで話し相手になって貰ったり、大変だった。
このまま実家に一人で帰すわけにも行かず、結局、2011年11月25日介護付き有料老人ホームに入れた。(ここ

しかし老人ホームでの生活は、話し相手もなく、テレビを眺めながら、食べて寝るだけの生活。結局、痴呆が徐々に進んだ。女性は同じような年代の女性たちと雑談をするとばかり思っていたが、アテは外れた。たまにトランプをすることはあったようだが・・・

ホームに入って2年弱経った2013年8月頃から、手が震えだした。両手が胸の辺りから大きくビクつき、震える。しばらくすると治まるが、本人は不安がる・・・。そして食事が手の震えでうまく食べられない状態になった。
9月中旬になると震えがひどくなり、10月27日に総合病院を受診したが原因が分からず、神経内科がある病院を紹介され、ある高齢者の病院を受診した。そこでの脳のMRI検査では、「軽いアルツハイマーの症状が見られないことはないが、92歳の年齢からするとそう悪くはない」とのことだった。しかし物忘れ検査は悪かった。そして、やはり震え・ビクつきの原因は不明だった。
しかし家族としては、本人が言っていたように「老人ホームは、朝から一日何も、やることが無い」ことのストレスから来る精神的な病気だったのでは?と思った。

そして、とうとう食事が採れなくなった。下記はその日から起算しての経緯である。この記録は、直ぐ近くに住む弟が毎日病院を訪れ、毎日の状態をメールで送ってくれたので、それを元にしている。(「 」で表示)
<2013年10月06日(87日前)>食事が採れなくなる。以降、通院等による点滴。
<2013年10月11日(82日前)>食事が採れないので点滴が必要なため、ホームでは処置に限界があるので、地元柏市の大学病院の近くにある、いわゆる高齢者ための病院に入院。点滴開始。
<2013年10月13日(80日前)>看護師さんがトイレに付き添って行って、大便時に下血。一時、呼吸停止。意識消失。
医師の話では「黒色便から、上部消化管からの出血。原因は胃潰瘍、胃がん等が考えられる。貧血がひどい場合には、輸血する。今後、上部消化管出血により急変する可能性もある。」とのこと。
家族は、入院のストレスから来た出血では?との予想もした。
<2013年10月21日(72日前)>医師の話「血液検査の炎症数値が高く、またヘモグロビンの数値も良くない。しかし、抗生剤が効き、熱も下がりました。」
<2013年10月23日(70日前)>医師と面談。延命治療について、「家族の方針として、胃ろう、中心静脈栄養はしない。ただし寿命が短くなっても良いので、苦痛だけは取って欲しい」と伝える。モグロビンが6を切ったら輸血。余命3ヶ月?(その後、モグロビンの値は戻り、輸血はしなかった。下血は一度だけであり、消化管の出血は止まっているらしい。しかし白血球が多い)
<2013年11月09日(53日前)>11月2日に生まれた曾孫の写真を見せる。「女の子は(我が家では)初めてだね」との反応。
<2013年11月12日(50日前)>「看護婦さん2人がかりで、手と足の点滴の出来る血管を、捜しますが、なかなか見つかりません。30~40分かかって、やっと点滴の針が入りました。
お袋も、怖がり痛がり、悲鳴をあげます。本当、可哀想!
お袋の血管は細く、そしてもろく、1回使った血管は駄目になるので、どんどん点滴の出来る血管が、無くなっていきます。「毎日点滴の入る血管を捜すのが、大変なんです」と看護婦さんが、こぼしていました。」
<2013年11月13日(49日前)>医師からの話。「血管確保が大変厳しい状態です。血管確保・点滴が出来ない場合は、中心静脈点滴の処置をしてよろしいですか? それとも点滴を止めますか? 中心静脈点滴の処置をすると、高カロリーの点滴が可能になるので、一時的に元気にはなりますが、延命の範囲は出ず、やがて緩やかに弱っていく。点滴を止めた場合は、余命2週間ぐらい」
⇒点滴中止は、まだ忍びないので、水分だけしか出来ないが、皮下点滴の処置に変えることにする。
<2013年11月14日(48日前)>水分だけの皮下点滴に変更。「看護婦さんの話では、昨夜、手の点滴を自分で取ってしまったため、その後の点滴が入れられず、皮下点滴に切り替えました。お腹への皮下点滴の処置をしたのですが、お袋が嫌がり、管を抜いてしまいます。今迄、着せているパジャマでは、点滴の管を抜いてしまう為、病院にある、手が入らず、管を抜くことが出来ない、つなぎのパジャマを、着せられていました。
皮下点滴になり、途端に弱りました。反応が、大変弱く小さくなり、ろれつが回りません。」
<2013年11月18日(44日前)>(見舞いに行って、自分が出来た最後の会話になった)
話はできるがロレツが回らない。しかし曾孫の赤ん坊の写真を自分で手に取って見た。「女の子だってね。初めてだね」と言った。そしてしばらくウトウトした後に、「何もする事がないので帰れ」。またウトウトした後、「気になるから早く帰れ」と言われる。
今思い出すと、これがまともな最後の会話・・・。
<2013年11月27日(35日前)>医師の話。「心配していた身体の炎症値が、上がってきました。水分不足から、タンが多く硬くなっているので、口に当てる加湿器でタンを柔らかくして、出しやすくしています。尿も1000cc~600ccと、何とか出ています。緩やかに悪化しています。意識レベルは、少しずつ落ちて来ている様にも見えます。」
<2013年11月29日(33日前)>「この所は、呼吸が苦しそうです。起きている時は、息が苦しい、息が苦しいと、訴えます。口を開けて、大きな音の呼吸をしています。水分が足らない事もあり、タンが喉の奥で硬くなっているのが原因のようです。なんとかしてあげたく、タンの吸引を頼むと、タンの吸引は、大変苦しいので、大騒ぎになります。尿は、量が出てないせいか、濃い色になりました。足先、手にムクミが出ています。」
<2013年12月01日(31日前)>心電図の常時装着。目を覚ましたので、声をかけたが、まるで聞こえていないように、反応無し。目は少しキョロキョロするが、まるで分かっていない。看護婦さんが口の清浄にきたので、帰りに少し話をした。「意識レベルが下がっているが波があり、今朝は話が出来た。痰は鼻から管を入れて取っているが、痰を取らないと窒息する可能性があるため取っている。心電図を常時取っており、何かあればナースセンターですぐに分かるようになっている。歳なので、いつ何があってもおかしくないが、もし苦しむことがあれば、麻薬という手もある。これは貼り薬」「前からお願いしているが、麻薬でも何でも使って、苦しみだけは取って上げて欲しい」「伝えておきます」
<2013年12月04日(28日前)>夕方危篤の連絡あり。
夕方、血圧が下がり測定不能状態になったとのこと。午後8時半に病院に着いたときは何とか持ち直しており、血圧は徐々に130-80まで戻る。酸素吸入器の中で、何かをしゃべる。よく聞くと「死んじゃうよ」と言っている。「大丈夫、大丈夫」と耳元で言うと、少し静かになった。重たい言葉・・・
<2013年12月07日(25日前)>看護師さんが痰を取りに来たので聞いてみたら、「尿が昨日60cc今日20ccで、この血圧を保っているのはすごい。点滴は1日1リットル」
昏睡状態でも、苦しがっていないのは何よりである。
<2013年12月11日(22日前)>状態安定。むくみにより、水分の点滴を1日1リットルから500CCに減らす。
「脈拍 85前後、血圧 104-65、尿も昨日は最終 400cc今日も200cc。今日はムクミがかなり出ていたので、点滴の量を500ccに減らしています。そのせいか、手のムクミは少し改善しています。手足・全身 カサカサ状態です。気になる点は、呼吸がよく止まり、1分間に、2~3回 5秒から長いと10秒近く、呼吸が止まります。」
<2013年12月18日(14日前)>
看護婦さんが来たので聞いてみると、「血圧が132-93と高いようだけど?」「それは服の上から測っているせい。さっき聴診器で血圧を測ったら112だった」
血液の酸素量:100~98% ⇒「95以上なら苦しくない。」「尿の量は?」「昨日は340CC。今日は12時に交換したが、100CCだった。今日は200CC位かも」「安定しているのでしばらく大丈夫?」「危険な状態は続いている。意識レベルは下がっている」
看護師さんが「家族さんが来てくれてますよ。分かる?」と耳元で大きな声で言うと、うなずいた。 どこまで分かっているかは分からないが、聞こえてはいるよう・・・
<2013年12月28日(4日前)>状態安定
「今日も、目を覚ましました。2~3分でしたが、しっかり目を開け、私の確認も出来たみたいです。尿の量が、1日500ccの点滴に対し150ccに落ちて来ているので、足のムクミになって表れていると思えます。それ以外は、いたって安定しています。
見回りに来た看護婦さんも、血圧が下がった上旬の4日の日から、良く回復されました。凄いですね。と言っていました。」
<2013年12月30日(2日前)>
「タンの吸引の為、口に蒸気をかけていますが、喉にタンが絡むのか、さかんに咳をします。チョット辛いですが、タンの吸引をしてもらい、呼吸が静かになりました。
看護婦さんからは「こちらの言っている事も、わかるようだし、まだまだお元気ですよ」と言われました。」
<2013年12月31日(1日前)>明け方、危篤
「今、病院に来ています。3:45に電話が入り、4:10に病院に着きました。看護婦さんの話では、昨夜から脈に乱れがあり、180位になったりと、安定しなくなってきたようです。そして、今日に変わる頃から、血圧が下がり始め、60台に下がったのでご連絡しました。との事。今は90~100ぐらいで打っています。酸素は、自立呼吸で、100近く取れています。目を開けて、顔を少し動かすしぐさをしています。」
「午前8時現在、脈は65~100ぐらいを、行ったり来たりして、安定していません。血圧は、74-52で低めです。酸素は、97~99と取れていますので、苦しくは無いと思います。目の瞳孔反射は、あります。気になる事は、4時に来たときから、目は開けたままで、寝てくれません。焦点の合わない目で、顔を左右に動かし、周りを見ている様に、見えます。声かけも、聞こえているのか、反応が弱く、わかりません」
「午前10時半、酸素濃度が80%まで下がったので、看護婦さんを呼びました。血圧は 66-42でしたが、変動しています。酸素濃度 が70~80台に、下がって来ました。指先までの血行が、悪くなり酸素濃度が測りにくくなってきている様です。足は冷たく、血行不良から、足の爪は、紫色に変色しています。瞳孔の大きさで、看護婦さんの話では、まだ大丈夫のようです。」
<2014年1月1日(87日目)>死去
「午前9時半現在、脈は70~150位を行ったり来たりで、安定していません。モニター波形をみても、どれが脈だか、波形が細か過ぎて、良くわかりません。血圧は、さっき取れた値は、上が42でした。9:30の計測は、取れませんでした。血中酸素濃度は、70~80%台です。下顎呼吸をしています。尿は、昨日から全く出ていません。」
午前10時10分、自分たちが病院着。
看護師さんが瞳孔の開きを、スケールで測っていた。脈は乱れ、波形も小さい。呼吸の波形は出ている。アゴを動かして呼吸をしている。10時48分、アゴの動きが止まる。近寄ってみると、たまにアゴが動いて呼吸をする。しかし10時49分、それも止まった。看護師さんが来て、医師を呼ぶ。10時55分、医師が死亡を確認。
開いている口を閉じさせようとしたが、アゴが外れているような状態でダメ。看護師さんがアゴバンドをしてくれた。
葬儀屋に連絡。11時半から看護師二人により、体の処置。パジャマから浴衣に着替える。
12時に葬儀屋が迎えに着て、遺体を弟宅に運ぶ。その後、葬儀屋と通夜、葬儀の打合せ。

<<葬儀>>
葬儀は「価格コム」(ここ)で調べ、「イオンのお葬式 家族葬(密葬)プラン」(ここ)にした。
込み込みの定価498,000円。花を追加したり、化粧や料理を頼んだりで、結局68万円ほどだった。
打合せには、地元のK斎苑が来た。まずビックリしたのは、宣言から始まる。イオンで決まっているルールとのことで、担当者がメモ片手に「心を込めてお世話することを誓います」・・・(ここ
つまり、イオンのコンセプトに従って、地元業者が実際のサービスを提供する仕組み。請求書も、いったんイオンの許可を貰ってからでないと請求出来ない仕組みという。つまりはイオンの監督のもとで地元業者が行う葬儀なのだ。
今回の葬儀は、家族で相談の結果、息子と孫だけによる家族葬とする。よって親戚には事前には連絡しない。事前に連絡すると、何かしなくては・・・との負荷を掛けるかも知れないので・・・。よって香典、弔電の類も一切なし。
まずは火葬場の予約。三が日は火葬場も休みのため、一番早くて4日の15時半だというので、それに従い菩提寺の都合を聞く。結果、4日18時の通夜、5日13時半の告別式、に決定。
遺体を安置した弟のマンションは、棺が入らないため、納棺式は通夜の前に行うことになる。

通夜の日、会場に行ってみて、広く立派なのにビックリ。お花の祭壇も立派。そしてスタッフの数が多い。出席者が少数なのに、たくさんの人が対応してくれるので、かえって恐縮してP10204901 しまう。遺影の場所には大きな液晶テレビ。そこに鮮明なかつての母の笑顔がある。今までの黒縁の小さな写真に比べて圧倒的な存在感。そして無いはずの供花がある。見ると亡くなったときの病院の理事長名。前日に、喪主である弟に「お花をおくりたいので葬儀社を教えて欲しい」と、病院から電話があったとのこと。今考えると、結果的に良い病院で亡くなった。つまり病院が、いわゆる老人病院らしく、入院患者もほとんどが老人で、医師も看護師も老人に慣れていた。その点で、結果的に良い病院で看取って貰った。

会場の入り口には、額の写真とともに、やはりテレビでスナップ写真のスライドが映っていた。
4日14時半過ぎから、納棺の儀式。その中で、足に足袋を履かせるのだが、臨終まで水でパンパンに腫れていた足が、見るとガリガリに痩せている・・・。死後3日を経て水分が抜けたらしい。やはり最後は肉体を削って生きていたのであり、体は皮下点滴の水分で膨れていたのだ。
これを見て、少し後悔した。最後は医師に頼んで、水分の点滴を減らして貰うべきだった。体が水分を吸収しないので足が点滴でパンパンに腫れる。それでも、決められた水分の点滴を最後までしていた。これはかえって母を苦しめたのではないか・・・と、後になって思った。

そして出席者は少数だが、菩提寺の住職による型どおりの通夜。
予定以外の人は誰も来ない通夜のはずが、弟の仕事関係の人が数人来てくれる。念のために香典返しを用意してあったので、助かったという。
翌5日13時半から告別式。型通りだが、出席者は家族のみ。そして隣町の火葬場へ。火葬の費用は、自分の市だと1万5千円だが、他市に頼むと5万円だという。混んでいたので仕方がない・・・。
1時間後に骨あげ。あまりにもお骨が少ないのでビックリ。2年前に骨折した際、医師から「手術のときに金属が骨にスポッと入ってしまうんですよ」と言っていたのを思い出した。そうとうな骨粗鬆症だったのかも・・・。
でも骨壺には、氏名と没年月日が横に明瞭に書いてあり、ある意味感激した。今までは、蓋にマジックで氏名を書いた記憶が・・・
2年ほど前に、地元の葬儀社で、義姉のごく一般的な葬儀を行ったが、その時の200万円に比べ、規模が小さいとは言え、イオンの葬儀は確かに満足度は高い。

ここ3ヶ月を振り返り、母の老衰死で、人間の徐々に死を迎える姿を初めて見た。(ただし死亡診断書には、死因が「上部消化管出血」とあったが、そもそも“食べられない”ことによる死なので、家族は老衰だと思っている)
人間が、(老人ホームに入ったため)日常“すること”が無くなり、精神的に弱っていって、食べられなくなり、最後に自分の肉体をエネルギーにして、水だけで必死に1月半生き、そして力尽きて死んで行く・・・
その一部始終を見た。本人は死ぬとは思っていなかった。しかし精神は生きたくても、肉体は限界だった・・・。しかし、一番恐れていた苦しみはあまり感じないで逝ってくれて良かった。
そして通夜・葬儀も、イオンの葬儀で何の不満もなく行えた。葬儀屋さんには、ただ感謝・・・

息子の一人が、亡くなった当日は旅行中だったので、あえて祖母の死を知らせなかった。そして旅行から帰る2日になってメールで知らせた所、「了解」とのあまりに簡単な返事・・・。
後で聞くと、1日の夜に夢で悲しそうな祖母の姿を見たという。それに武者震いが10分ほど止まらなかったとも・・・。霊感の強い息子は、それで何かあるな・・・と感じていたので、亡くなったと聞いて、やっぱり・・・と、合点が行ったとか・・・。やはり虫の知らせはあるようである。

今頃、17年前に亡くなった親父とも会っているだろう。そして、ここ数年で亡くなった、実姉にも、早くして亡くなった長男の嫁(自分の義姉)にも、そして10年前に亡くなった義弟(叔父)にも・・・
そう考えると心が軽くなるが、危篤になったときに「死んじゃう」と言った言葉は、いつまでも自分の耳に残ると思う。

最後に、この経験で自分が得た教訓を三つ。
一つ目は「延命治療をしない」という判断について。
血管からの点滴が出来なくなったとき、医師から判断を求められる。そのときに、理屈通りに「何もしない」と決断すると、それは自分の親に「あと2週間の命」と、死を言い渡すことになりかねない。まだ意識があり、話も出来るのに・・・。それは出来ない。これは理屈と現実とは違った。
今回は、水分の皮下点滴、ということにしたが、確かに、あまり意味のない実質の延命治療だったかも知れないが、少なくても残された家族に“心の傷”は残さなかった点で、良かったと思う。よって自分の延命治療の方針は、自分が決めてあらかじめ家族に言っておくべし。家族にそれを判断させるのはコクである。
二つ目は、「死を看取る=臨終に立ち会う」ということの重要性。今まで、臨終に場に間に合わなければ仕方がない、と思っていたが、もし自分が臨終の場に間に合わなかったら、後でどんなにか余韻(心の納得)が残っただろう・・・と、今更ながら間に合って良かったと思った。臨終の場に間に合う方が、死を受け入れやすいようなので、出来る限り臨終に間に合うべし。
三つ目は、自分の死に際して家族に伝えたいことは、物理的に一つにまとめておくべし。母は十年以上前に、「自分が死んだら、遺影はこれを使って」と、息子3人に自分が気に入った写真をそれぞれ託した。しかし今回、3人でその写真を探したが、結局3人とも出て来なかった。よって自分が死んだときに伝えたい書類などは、物理的に一つのバックに入れて、その場所を家族に教えておくなどして、保管を家族に頼むのではなく、自分で保管してその場所を家族に知らせておいた方が確実。まさに、17年前に脳出血で突然亡くなった親父が「重要な書類はこのバックにある」と常々言っていたことと同じ方法である。

母の死で、色々な意味での人生の勉強をさせて貰った。
臨終の直前、母の耳元でヌケヌケと言ってしまったが、もう一度繰り返す。「ありがとね」。
合掌。

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(2015/02/09追)
<<老人ホームで何もせずに老衰で亡くなった義母の例>>

2015/02/05に義母が、同じく老衰で85歳で亡くなった。カミさんのメモによる、その経緯である。
2005/12/19(9年前) 特養に入所。既に認知発症。
2014/07/28(6月前) 吐血し、血圧が下がったので、緊急入院。検査の結果、進行性胃がん3型発覚。治療をせず、特養での看取りを頼む。
2014/09/04(5月前) 認知の進み方は激しく、体重は3ヶ月で6キロ位痩せた。食事はミキサー食、トイレはオムツでするようになり、うつらうつらしているのも多くなった。人とのコミニュケーションが取り辛く、要介護の項目が増えた。一人で出来るのは、食べることぐらい。
2014/09/22(4月半前) 「来たの、食べるとこなの。待っていて」と、娘にしっかり言う母に、看護師主任も驚いた様子。
2014/10/22(3月半前) 曾孫を連れて行くと笑った。食事があまり取れていないとのこと。
2014/10/24(3月半前) 歯を磨いてベットに寝せて色々話していたら、急に嘔吐。血圧は下がっていない。でも目の下の皮膚が白いので出血しているらしい。カーテンの上に、人が一人とか三人とか見えるらしく、サイドテーブルの上に、何も無いのに取ろうとする。「あなたを一人にするとかわいそうだけどそろそろらしい」とか言う。譫妄だろうか。
2014/10/31(3月前) 息子を連れて行くが、孫の事も私の事も忘れたらしい。「自分の名前は?」と聞くと「吾作の娘」と言う。自分の名前は出なかった。「何も分からなくなった。もう、良いのよ」と言う。「今日も女の人が見えるの?」と聞いたら「男の人が一人いる」とのこと。譫妄か?
2014/11/11(3月前) 医師と面談。看取り介護の確認書にサイン。
2014/12/01(2月前) 吐くようになる。母の兄が先日亡くなったことを話しても分からず。しかし、「なかなか逝けない」と言う。
2014/12/06(2月前) 「足が痛い」と言うため整形外科に行くが、レントゲン異常なし。特に治療せず。
2014/12/30(1月6日前) おやつの時間。「**さん、はい、目を開けて、あ~ん」とやるが、なかなか目を開けず、口も固く閉ざしている。苦労したが、力業でなんとか150CCくらい麦茶を飲ませる。バナナは割と口を開けてくれて三分の二ほど食べる。
2015/01/19(17日前) 一日中うつらうつらして、表情は苦しそう。飲みたくないのに麦茶を押し込まれ、口の中でもぐもぐしている。
2015/01/21(15日前) 昨日吐いたらしい。状態は悪く、いつ何があってもおかしくはないらしい。長くいた中で、私に母が言ったのは「だめだった」という言葉。最初はわからなかったが、昨日吐いてそのまま逝けるかと思ったけど、「だめだった」と言うことではないかと思った。
2015/01/24(12日前) 耳は聞こえるが意識はない。声をかけると、うなずいたりして反応はある。
2015/01/26(10日前) 医師、看護士と打合せ。元々7月末の段階でBSC(ベストサポーティブケア)の状態で、水の飲み込みも難しく、嘔吐があるため食事はとれなくなります、とのこと。看護士さんから「普通なら輸血を毎日する状態。でも、このまま痛みなくすっと逝けると思う」と言われる。嘔吐物が戻って肺に入り、急死になる可能性が高いとのこと。時々目を開け、ニコッとする。突然目を開けて、「持って行ってあげるから」という。心配を持って行ってくれるということなのかと一瞬涙が出る。
2015/02/02(3日前) 今回は一番状態が悪く、大声で呼んでも反応はなし。目を少し開けたが、意志のない遠い目。
2015/02/04(1日前) 昨日髪のカットをしたら、意識がなくなり、血圧低下が見られたとの事。部屋を2人部屋に移す予定とのこと。口の中が出血しているように見える。辛そうに手を動かしている。目は閉じているが前回より意識レベルは高い。「大丈夫?」と言うと、「だめ」とはっきり言った。初めて[痛い」とも言った。施設から「看取り介護になる」と言われる。
2015/02/05(当日) 施設の配慮で、部屋には童謡が流れている。午前中は、手をあちらやこちらにやって辛そう。そして、痛そうに目をぎゅっとして口をゆがめる。身のおきどころない様子を見ているのが辛い。医師は薬を使う検討もしたらしいが、認知の関係で、あまり効果が望めないと判断したらしい。
同日14:10 逝去。苦しみの時間が短くて良かった。医師の話。「食べられなくなって亡くなったので、死因は老衰としましょう。その原因は進行性胃がん6ヶ月」。
何の点滴のチューブにもつながれず、手がミトン(グローブ)でつながれることもなく、最期は少し苦しんだものの、良い看取りではなかったか・・・

茨城の菩提寺に電話。「一日葬にしたい」と言うと、「こちらではキチンと通夜、葬儀をする。日にちさえ合えば、(一泊で)通夜と葬儀に行く」とのことで、なかなか話が合わない。
葬儀社と打合せ。火葬場が混んでいる。同じ市なら、1週間後の2/10朝一番か2/11だが無料。提携しているM市なら5万円、隣のT市なら8万円掛かるが、2/7でもOKとのこと。
子どもたちの会社のこともあり、2/11とした。
その後、菩提寺と相談。2/11はあくまでも葬儀でなく家族だけの「お別れ会」とし、2/14に我々夫婦がお骨を菩提寺に持って行って、そのときに法名を頂いて正式な葬儀を行い、同時に納骨をすることになった。
都会では、直葬など「何でも有り」だが、地方では、そのお寺の決まった段取りでしか、葬式は行えないようだ。例え、葬儀の場所が都会であっても、菩提寺が都会での葬儀に来る場合でも・・・
今回は、「遠いこと」と「火葬場が空いている日にちでお骨にし、正式な葬儀は菩提寺で」という事で、実質の1日葬(お別れ会)と、納骨の1日で終えられそう。(住職の都合の悪い日しか、火葬場が空いていない・・・と言うのも手??)
菩提寺との関係(話し合い)は非常に難しい。都会的な割り切った考え方は、地方のお寺では通じない。しかしこちらには、「墓に入れて貰う」という弱みがあるので、強くも言えず・・・

(追)終えてみて、カミさんの感想は、「自分の思い通りの葬儀で、心残りがない」とのこと。葬儀は、お寺や会葬者のことを考えて規模などを決めることが多いが、やはり故人とのお別れは遺族のもの。残された人の気持ちを優先して、全てを決めるべきだと、今更ながら思った。(下記は、カミさんの書いた死亡報告)

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(追:2015/02/19)
2年続いて、お袋と義母を老衰で送った。その二つの経験を経ての感想である。
<老人病院で水分皮下点滴をしたお袋~48日目に死去>
・亡くなった時、皮下点滴で体はパンパン、ぶよぶよ。葬儀の時は水が抜けてガリガリ。
・看護士が一日数回痰を取るが、昏睡状態でもその時だけは苦しいらしく、体をよじっていやがる。
・「何もしなければ2週間」という医師の言葉に家族がたじろいて、水分点滴で1ヶ月延命したが、本人にとっては、点滴と導尿のパイプにつながれ、苦しんだだけの期間であった。

<老人ホームで何もしなかった義母>
・10日前頃から水も飲めなくなったが、点滴や導尿というパイプにもつながれず、体の手も自由。水分を入れていないため、苦しい痰の吸引もない。苦しんだ期間は最小で済んだのではないか・・・

もし今後、自分が「延命の判断」を求められたら・・・
・「本人がなるべく苦しまない」ことを最優先に、食事を自分で取れなくなった時点で、躊躇無く「何もしない」という判断をするだろう。
・お袋のときに行った水分点滴は、結果として「自分のわがまま(心の整理)のために、お袋から“苦しまない自然死”の機会を奪ったのではないか・・・」という後悔が残った。本人が自分の意志で「1日でも命を長らえたい」と言わない限り(特に認知症の時)、パイプによる延命は本人が苦しむだけで意味が無いと悟った。これは老衰に限らず、死が避けられない病気の末期は、全て同じだと思う。

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2014年1月 2日 (木)

「ベートーヴェンは凄い!2013」コンサートに行った

昨年に引き続き、一昨日の大晦日(2013年12月31日)、「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2013」コンサートに行ってきた。今日はその感想・・・
昨年はこのことをすっかり忘れていて、12月になってからヤフオクで5000円のC席チケットP10204421を入手して、そっと覗いてみた(ここ)。しかし今回は初めから行く気充分で、2万円のS席のチケットを、発売開始の2013/07/20午前10時に、近くのセブンイレブンで買った(ここ)。
P10204431 天気も上々で、早めに行ったので、少し文化会館の周辺を散歩してから入る。
チケットを早々に買ったかいがあって、座ってみるとさすがに最高の席。通路側なので見晴らしも良いし、出入りも自P10204441 由。もう少し後の方が良いかとも思ったが、まあ指揮者も演奏家もすぐそこ・・・
定刻の午後1時に交響曲1番から演奏が始まる。入場してきたビオラの主席がハンカチを忘れたらしく、あわてて取りに戻ったが、ひとり後から入ってくる時は会場から拍手が・・・。まあオケも聴衆もみんな慣れていて和気あいあいの雰囲気。
目の前で見る指揮者・小林研一郎は小柄。この体で、正味6時間、普通の演奏会の4回分を振る。
自分は普段演奏会に行っていないので、まさに1年ぶりのナマの音・・・。弦の音がまさにビロード。それに比べ、CDの音は木綿だな・・・。相変わらず金管が飛び出して聞こえる。どうも金管はおとなしくない楽器である。

休憩時間に三枝氏の話があった。これがなかなか面白い。ティンパニ奏者と、3楽章の終1401021 わりの音が間違いだ、という話・・・。それと、プログラムの文字が違っているという。「祝!旭日中綬章受章」と書くべき所を「祝!旭日中“授”章受“賞”」と印刷されており、今日まで気が付かなかった・・・と詫びていた。よってこのプログラムはプレミア物かも・・・

今回は自分にとっても2度目なので慣れてきたが、7番の第3楽章のフォルテッシモの表現は自分にとっては少々やり過ぎ・・・
でもやはり圧巻は5番、7番、9番のそれぞれの4楽章。曲が終わるとブラボーの嵐・・・
そして指揮者の丁寧すぎるほどの演奏者への感謝。1曲毎に、驚くことにほぼ全演奏者に対して握手して回る・・・。木管だけでなく、最上段のティンパニの所にまで上がって握手・・・。
自分は、これ以外の演奏会にはトンと行っていないので、これが最近の流行か!?と思うしかない。でも小林研一郎という指揮者は、愛嬌があり、指揮が実に分かり易い。これだと合唱団も楽・・・

8番の後に、また三枝氏の話。今度は、それぞれのパートの演奏者へのインタビュー。皆若く、来年への期待を持たせてくれるが、苦労話も多い。弦楽器奏者は、「実は貼り薬のニオイが漂っている」という話や、第2バイオリン奏者が「刻み音符が多く、マイクも右手で持てない」という話など、連続演奏会ならではの苦労話。確かに特に弦はメンバーの交代が無いようだ。なお、弦の並び順は、奏者の優劣が付けられないため、アミダで決めたりしているという。
1401022 最後に、三枝氏が「来年のスタートを遅らせようかと検討している。年が明けてから第九を聞きたいという要望があるため。しかしこれはアンケートの結果で決める」と言っていた。もしこれ以上遅れたら、自分は無理だな・・・。午前2時に終わっても、上野から家に帰る手段がない。帰りを気にして、ギリギリ8番まで聞いたとしてもやはり第九で締めくくりたい。時間が変わると、もう来年は無理かも・・・

かくして、最後の第九・・・。昨年は良く見えなかったが、合唱団の人数の多いこと。プログラムを見ると、武蔵野合唱団の団員は150名だという。そしてビックリしたのが、独唱者の位置。何と4人のソリストが、左手の第2バイオリンの後方なのだ。今まで、ソリストの場所は、合唱団の中央前か、指揮者の前、だとばかり思っていたが・・・。これは、自分のような右耳の難聴者の為の配慮?かと思ったりもしたが・・・、でもステレオ録音ではどうだろう・・・。
こんな配置もあるのだと、ある意味新鮮だった・・・。

そして予定より遅れて、0時2分に終了。フィナーレは、まさにオケと合唱と聴衆が一体になった高揚感で、ナマならではの素晴らしさ・・・。
電車の事があるので、自分は直ぐに退散したが、家に着いたのが1時半だった。
もし開演時間が同じだったら、また来年も来るかも・・・。

1401023最後に、プログラムに載っていた昨年のアンケート結果。「好きな交響曲は?」。9,7,3,6,5番の順だった。5番が意外と低い。7番の半分以下とは・・・

(関連記事)
「ベートーヴェンは凄い!2012」コンサートに行った

140102kobiro <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年1月 1日 (水)

ケテルビーの「ペルシャの市場にて」~お袋の思い出

小学校低学年のころ、いわゆるセミクラシックの音楽を2つ知っていた。ケテルビーの「ペルシャの市場にて」と、ブラームスの「ハンガリア舞曲第5番」だ。この頃は、親父が単身赴任中でもあり、交流は無かったので、はっきりと覚えていないが(珍しく!?)お袋から教えて貰った、と考えるしかない。しかしクラシックの先の2曲をどうやって教えて貰ったかは思い出せない・・・。
久しぶりに「ペルシャの市場にて」を聞いてみる。この手のセミクラシックは、アーサー・フィードラー指揮:ボストン・ボップス・オーケストラが定番だった。

<ケテルビーの「ペルシャの市場にて」>
アーサー・フィードラー:ボストン・ボップスorc

お袋は、ごく一般的なお母さんだったので、高級な(?)クラシック音楽とは無縁だった。しかしカラオケで美空ひばりの「みだれ髪」を歌ったり、何に対してもとても積極的だった。そう言えば詩吟もやっていた・・・。
そんな普通の母親でも、小学校の時に学校でハーモニカを習ったときに「荒城の月」を教えてくれたのはお袋。それは良く覚えている。

一方親父は、前にも書いたが(ここ)、小学校5年生の頃、童謡のSPレコードを買ってきて「レコード・コンサートをやる」と言い出した。たぶんそれが自分の音楽人生の原点・・・。
しかし上の「ペルシャの市場にて」は、それよりも前の話・・・。
親父は東海林太郞や藤山一郎などの、いわゆる「懐かしのメロディー」と倍賞千恵子などの「叙情歌」が好きだった。自分の聞くクラシックは、「すいぶんと高尚な音楽を聞くんだな・・・」と言っていて、当人は聞かなかった。

そんな訳で、自分の音楽好きは、遺伝も環境もあったのだと思う。つまり、セミクラシックから始まった自分の音楽人生。そのスタートに親が関係していたことは否めない。

親から子への伝承・・・。それはまさに家族における文化の伝承・・・。そしてその伝承は永遠に続く・・・
(2014年1月1日 午前10時49分 お袋、老衰のため死去。享年92)

●メモ:カウント~520万

140101tera <付録>「ボケて(bokete)」より

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