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2013年12月の26件の記事

2013年12月30日 (月)

心房粗動で救急外来に駆け込んだ話

今日は生まれて初めて、昨夜発症した不整脈で、近くの大学病院の緊急外来に駆け込んでしまった。(なおこれは、自分の備忘録なので、他の人は読んでも仕方がない記事・・・)
自分のメモによると、今回の不整脈の発作は7回目。一番最初が2004年7月で、その後しばらくは良かったのだが、今年(2013年)になってからは半年毎に3度目・・・(前にもここに書いた)
しかし今回が一番やっかいだった。止まるまでに14時間半。発症は昨夜の7時32分。脈がおかしい。いつものようにランダム。自分はすぐ分かる。それで、半年前の7月17日の時に、10年前の最初の時から行っている近くの大学病院の教授から貰ったサンリズムという薬を飲んだ。即効性があると効いていた薬だが、治まらない。2時間以上間を開けろと言われていたので、PM11頃と夜中のAM4時頃にも飲むが、朝になっても治まらない。今まではシベノールという薬を飲んで、都度止まっていたが、今回初めてサンリズムを飲んだため、自分との相性が悪いのかと、今朝8時に、残っていたシベノールを飲むが治まらない。
カミさんが病院に行こうという。しかし時期が最悪。年末年始で病院はどこも休みだろう・・・。それに行き付けの大学病院は、7月の発作の時に電話で「予約や紹介はないが、前に診て貰ったので行きたい」と電話したら、患者が溢れているらしく「先ず、行き付けの診療所に行け」の一点張りで、「行き付けはこの大学病院だ」と言ったが受けてもらえなかった。その印象があるので、今日も悲観的・・・。(他の医者にそのこと言ったら「電話で受けてくれなくても、行ってしまってくれ。行きさえすれば、何もせずに患者を帰すことはない」。なるほど・・・)

カミさんが休日の当番があるはず、と言うのでNetで調べてみると、隣町の市立病院の内科が休日当番でやっている。しかし電話すると、データを持っているので、先ずかかりつけの大学病院に電話をして欲しいという。もしダメだったら受けるという感触。それでダメ元で大学病院に電話すると、救急センターで受けてくれるという。即刻、カミさんの車で出発。体は息苦しく、ツライ・・・
9時過ぎに病院に着く。救急外来には先着が一組いたが直ぐに呼ばれ、広い部屋の片隅にあるベッドで心電図を付ける。心臓の鼓動がピッという音で分かる。鼓動がかなり早く、時々乱れる。昨夜とは様子が違う。昨夜はずっとランダムだったのが、今朝は早い鼓動でたまに乱れ・・・
ほどなく医師が来る。「循環器科の**です」という言葉に安心。専門医が居た・・・。昨日来飲んだ薬を言うと「随分飲んでいるんだ・・・。薬では止まらないかな・・・」なんてヤバイ話をする。そして心電図を取ったり、点滴を入れたり・・・
「家族は誰か来ていますか?」とか、カミさんが「一度家に帰っていいですか?」と看護師さんに聞くと、居て貰った方が・・・ナンテ言うので、内心ドキッ!!

しばらくして医師が来て言う。「今までのは心房細動だったが、今回のは心房粗動。だからサンリズムもシベノールも効かなかったのかも・・・。心房粗動は心房細動よりも痙攣の回数が少ない。心房粗動は、薬が効きにくく、2~3割と言われている。ダメな場合は眠らせて電気ショックをする。発作の回数が多いようだと、カテーテルアブレーションをすることもある。また予防のためにシベノールを飲み続け、脳梗塞防止のために血液サラサラの薬を飲む場合も・・・」と言う。そして「この薬で止まらない場合は、別の薬を試し、それでダメな場合は電気ショックにしましょう」が結論。エエッ?今日、電気ショック!? それは怖い・・・
そして点滴の隣に小さな点滴袋を追加して、ポタッではなくてジャブジャブと薬の点滴を入れた。すると拍動は早いものの、乱れは無くなって苦しさが楽になった。「どうです?少し楽になったでしょう。でも粗動はまだある」とのこと。
脈は113位で高止まり・・・。そしてしばらく時計を見ていたら10時06分、突然ピッピッという測定器の鼓動の音が遅くなった。これが瞬間的に変わったのである。測定器を見ると脈拍が86。これが自分の正常値・・・
しばらくして医師が来て言う。「良かったですね、戻って」「瞬間的に変わりました」「回線が切れたんですね。もう帰宅です」
帰宅という言葉を聞いてホットした・・・。「これから発作が起きたときは?」「シベノールを出しますから、まずこれを飲んで、ダメなら心房細動ではなくて心房粗動なので病院に来て下さい。不整脈の場合、自分で全く自覚しない人も居る。電気ショックでやっと粗動を止めてあげても、本人は何も変わらないと言うので、やったこっちの方がショック・・・」「循環器科は24時間誰か居ますので安心して下さい」
心電図と点滴を外しに来た看護師さんに「夜中でも発作が起きたらやってくれるの?」と聞くと「24時間やっていますので、まず電話を下さい」と言っていた。そして「来たときは脈が200もあったのに、良かったですね・・・」
病院に来て2時間後であった。

カミさんも自分も朝食前だったので、会計を済ませた後で、病院の店のコーナーでコーヒーを1杯・・・。
帰りの車の中。カミさんは「怒りがいけない。怒りは心臓の負担を増す」。ま、そうかも・・・
途中で同じ病院に向かうサイレンを鳴らした救急車とすれ違った。もちろん「頑張れよ!」と救急車の中にいるはずの患者に声を掛けた・・・。
原因の多くは加齢だという。だから何も無い日常は有り難い。しかし自分もとうとう生まれて初めて救急外来に行ってしまった。これからもご厄介になる回数が増えていくのだろう。
それにしても、近くに大学病院があり、正月にもかかわらず駆け込んでもやってくれるのは有り難い。自分が死ぬときもこの病院でいいかな・・・と思った。
あとは、予防カミさんの言う「怒りを避ける・・・」か・・・

夕方、毎年恒例、高幡不動に、元旦護摩修行のお札の予約に“元気に”行ってきた。
来年のお願い事は、数十年来決まっていたお願い事に変えて、「無病息災」にしたのは言うまでもない!

(2014/04/15追)~我が人生の、酒との決別の日
また同じように大学病院の救急外来に駆け込んでしまった。
今度は、夜中(今朝)の午前2時20分に目が覚めた。またもや不整脈。眠っているときの発症は初めて。洗面所に降りて行って、サンリズムを2錠飲む。少し経って、そうだサンリズムでは効かなかった、と気が付き、乱暴だが、2時40分、シベノールを2錠飲む。しかし、動悸は止まらない。6時にもう2錠飲むが止まらない。そのうちに、脈拍が数えられないほど、早く打つ。苦しい。
カミさんの車で、7時半に前と同じ大学病院の救急外来へ。心電図を取り、8時半になって診療が始まり、前と同じ医師が来た。飲んだ薬を確認して、そんなに飲んだのか・・・と。「心房細動と心房粗動は合併しやすい。粗動の方が、脈が150位になってツライ。前使った薬を使ってダメだったら、眠って貰って電気ショックという手があるが、とりあえず薬を使ってみましょう。今回は、時間が掛かりそうなので、奥さんは帰って良いですよ・・・」
点滴で、心臓の薬を入れ始めて1時間弱。脈拍の表示を見ていたら、それまで125ほどあった脈拍が、アラームの音と同時に瞬間的に86に。
看護師さんが直ぐに来て、「戻りましたね。良かったですね」。医師が来て、「今回も電気ショックは回避出来ましたね。サンリズムは、細動から粗動になりやすいので、やはりシベノールの方がよいと思う」「今後は・・・?」・・・
今までの自分の発症を並べてみると、飲酒と脱水が共通項。
今回こそ誓った。①禁酒、②水分を採る、③怒らない。今日は人生のターニングポイント。

131230mago <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月28日 (土)

京都のわらべうた「雪やコンコン」

本格的な冬である。今日は、日本海側のほとんどが雪の予報だった。
童謡の世界も、ほとんどの歌は聞いたなか・・・と思っていたが、先日こんな歌を見付けた。

<タンポポ児童合唱団の「雪やコンコン」>

「雪やコンコン」
  京都のわらべうた

雪(ゆき)やコーンコン
霰(あられ)やコーンコン
お寺の柿の木に
いっぱいつーもれ
コーンコン

Net上にも、この歌の情報は少ない。
そんな中で、こんな記述を見付けた。

「冬の寒い日、天空から舞い降る白い雪。
子どもの頃、よく歌ったのは、

「雪やこんこ 
霰(あられ)やこんこ
降っては降っては  ずんずん積もる
(略)・・・」

この歌は新しく作られた尋常小学唱歌の「雪」です。その参考にされた歌が“わらべうた「雪やコンコン」”。

「雪やコンコン」は京都で歌われていたもので、記録によると、伝承童話のもっとも古いものともいわれます。
1108年のこと、「讃岐典侍日記」(天仁元年正月二日条)には、幼い鳥羽天皇が「降れ降れこゆき」とうたった様子が書かれています。

つとめて起きて見れば雪いみじく降りたり。
・・・降れ降れこゆきと、いはけなき御気はひにて
仰せらるる聞ゆる。

讃岐典侍(さぬきのすけ)藤原長子が朝早くに起きて、庭を見れば、雪がたいそう降っているのですね。
すると、幼い鳥羽天皇が可愛い声で「ふれふれこゆき」とおっしゃっているのが聞こえてくるのです。
「いはけなき御気はひ」なんて、なんと可愛いのでしょう。
一千年前、京の都に降る雪の光景が見えてきますね。・・・」
(日本文化芸術財団のここより)

「また「雪やこんこん/あられやこんこん/お寺の柿の木にいっぱいつもれこんこ」が、平安期の「ふれふれ粉雪/たまれ粉雪/垣や木のまたに」(「徒然草」)に原型をもち、江戸前期には「雪やこんこ/あられやこんこ/お寺の柿の木に/ふりやつもれこんこ」(一休咄)であったなど、文献的にさかのぼることができる歌もある。 」(ここより)

東京ではまだ本格的な雪は降っていないが、雪の夜、こんな歌を聞くとしみじみとしてくる。
実に自然な旋律・・・。こんな歌に聴き入る我々は、やはり日本人なのである。

131228shimoyake <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月27日 (金)

「2013年・世界の子どもの幸福度 ベスト31」

相変わらず、“ベスト10”が好きな当blogであるが、今度は「子どもの幸福度」だそうだ。
先日の朝日新聞に、こんな記事があった。

日本の子、幸福度6位/物質的豊かさ21位 深刻な貧困状態 先進31カ国調査
 日本の子どもの幸福度は先進31カ国中6位。でも、物質的豊かさは21位――。国連児童基金(ユニセフ)と国立社会保障・人口問題研究所がこんな報告書をまとめ、25日に公表した。日本では貧困状態にある子どもの割合が高く、貧困の程度も深刻なことが改めて示された。

 幸福度は、物質的豊かさ▽健康と安全▽教育▽日常生活上のリスク▽住居と環境の5分野で、計20の指標を使って比較。総合1位はオランダ、2位がフィンランドとアイスランド。4位131227kodomono ノルウェー、5位スウェーデンと、北欧の国が上位を占めた。日本は「日常生活上のリスク」と「教育」の二つの分野で1位だったが、「健康と安全」は16位、「住居と環境」は10位。上位5カ国に比べ、分野別順位のばらつきが大きいのが特徴だ。
 物質的豊かさの順位が低いのは、貧困ラインを下回る子ども(0~17歳)の割合が14.9%と高いことや、下回った子どもたちの所得の平均が、貧困ラインの額の約7割にとどまっていることなどが理由だ。所得は世帯収入などから算出している。
 健康と安全の分野では、低体重(2500グラム未満)で生まれた乳児の割合が高かったのが響いた。報告書は、低体重の女性の増加や、妊娠中に厳格に食事を管理する傾向などを原因に挙げている。
 研究所の阿部彩・社会保障応用分析研究部長は「貧困状態にある子どもがこれだけ多いということは、いま好成績の分野も、今後悪化する可能性がある」と懸念する。
 この報告書は、日本でデータが入手できる指標だけを使って順位を出した。ユニセフが今春公表した順位には、日本はデータが足りないため入っていなかった。
 「日常生活上のリスク」の指標となったのは飲酒や肥満の割合、10代の出生率など。日本は飲酒や肥満の割合が低く1位、10代の出生率も4位だった。(田中陽子)
 ◆キーワード
 <貧困状態と貧困ライン> 世帯所得をもとに国民一人ひとりの手取り所得を割り出して順番に並べ、ちょうど真ん中の人の所得の半分が「貧困ライン」。これを下回る場合を「貧困状態」と位置づけている。
(2013/12/25付「朝日新聞」p38より)(写真は日経より)

<2013年・子どもの幸福度総合順位>
①オランダ
②フィンランド アイスランド
④ノルウェー
⑤スウェーデン
⑥日本
⑦ドイツ
⑧スイス
⑨ルクセンブルク
⑩ベルギー
⑪スロベニア アイルランド
⑬フランス
⑭デンマーク
⑮チェコ
⑯スペイン
⑰英国
⑱ポーランド ポルトガル
⑳ハンガリー
(21)オーストリア
(22)イタリア
(23)カナダ
(24)エストニア
(25)スロバキア
(26)ギリシャ
(27)リトアニア
(28)ラトビア
(29)米国
(30)ブルガリア
(31)ルーマニア

それにしても、この手の調査では、いつも北欧の国々が上位を占めている。
高福祉高負担の北欧だが、結果として国民の満足度が高いのは、驚異・・・。

そう言えば、前にこれら北欧の福祉の仕組みについて書いた事があった。
「「スウェーデン」高福祉国家の仕組み」(ここ
「人を大切にする国 デンマーク」(ここ

自分で上の記事を、もう一度読み返してみたが、やはり「なるほど・・・」。
そもそも、国民の考え方が日本とは大きく違うようだ。それぞれの国は、過去の自国の歴史から学び、紆余曲折の末に現在に至っている。よって、他国が簡単に真似るワケにはいかない。

しかしこれらは、単なる一国の話では無い事に驚く。つまり周辺の国々が同じような考え方なのだ。つまりこれらの考え方は、北欧の民族の考え方に根ざしているのかも知れない。

今更、“老後は福祉の行き届いた北欧で悠々と・・・”ナンテ、寒くて無理だが、でも“お寒い”日本に見切りをつけて、そんな国に住んでみたい気も・・・!?

(関連記事)
「スウェーデン」高福祉国家の仕組み 
人を大切にする国 デンマーク 

131227kotatsu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月26日 (木)

「秘密法とどう向き合う」~憲法学者・長谷部恭男さんの賛成論

先日の朝日新聞に、秘密法に対する憲法学者・長谷部恭男さんの賛成論が載っていた。
東大教授の長谷部恭男氏は、憲法改正手続きを定めた憲法96条改正に反対する「96条の会」の発起人であり、集団的自衛権の行使容認にも、憲法改正にも反対の立場だが、秘密法は賛成だという。
“3つはパック”だとばかり思っていたが、長谷部氏によると違うらしい・・・。その姿勢に興味を持ち、先日「朝日新聞」に載った記事を読んだ。

「(今こそ政治を話そう)秘密法とどう向き合う
       憲法学者・長谷部恭男さん
 去る11月13日、長谷部恭男東大教授は国会で自民党推薦の参考人として特定秘密保護法に賛成の意見を述べた。安倍政権が視野に入れる集団的自衛権の行使容認にも、憲法改正にも反対の立場の長谷部さんが、よりによってなぜ安倍政権に力を貸すのかと波紋が広がっている。真意を聞いた。

 ――もしかして、「御用学者」と呼ばれていませんか。
 「何のことでしょうか」
 ――国会で特定秘密法に賛成の意見陳述をしたことが、この法律に反対してきた人たちに衝撃を持って受け止められています。
 「特定秘密法が必要だと考えるから意見を述べた。それだけです。安倍政権のためではありませんし、自民党の推薦だということは、審議が始まる15分前に初めて知りました」
 ――特定秘密法が必要だと考える最大の理由は何ですか。
 「国を守るための法律だからです。国を守るとは、憲法を守るということです。単に物理的に領土を守るとか、国民の生命と財産を守るということではありません。中国や北朝鮮と同じ政治体制でいいなら、国を守る必要はない。しかし憲法の定める自由で民主的な統治の基本秩序を守り、現在の政治体制を守るためには、特定秘密法をつくり、特別な保護に値する秘密が外に漏れないようにしなければなりません」
 「国を守るためと称して安倍政権が視野に入れている、集団的自衛権の行使容認には大反対です。憲法改正についても、96条の憲法改正要件の緩和を含めて大反対です。ただそれと、特定秘密法は別です」
 ――秘密保持は、今ある法律を使えば十分可能ではないですか。
 「特定秘密法はむしろこれまでなかったことが不思議な法律で、あって当然のものをなぜ今つくるのかと問われても説明は難しいですね。ただあえて言うと、どこの国もそうですが、基本的に役所は自分が持っている情報をほかの役所には出したがりません。これまでは、各役所がそれぞれ、首相に情報を上げていました。これでは到底、国は守れません。たとえばテロリストの活動や重大犯罪から国を守るためには各役所が情報を持ち寄り、連携して効果的な対策を打たなければならない。特定秘密法ができたことで、秘密は守られるからちゃんと情報を出しなさいと言えるようにはなります」
 「法律には、特定秘密を扱う公務員や民間人は『適性評価』を受けると明記されました。家族の国籍、飲酒の節度、病歴などが調べられるのでプライバシーの侵害につながると批判されていますが、事実上、これはすでに行われています。近代国家である以上、こんな機微に触れる調査を行うなら法的根拠を明確にし、調査対象者が不服申し立てできる手段も備えておくのは当然です」
     ■     ■
 ――しかしこの法律では、そもそも何が「特定秘密」に当たるかが全くわからず、秘密の範囲が際限なく広がる危険性があります。
 「何を秘密とすべきかは時代や国際環境によって変化します。事前に隅々まで確定させられないのは、私たちが生きるこの世界がそういう風にできているからで、具体的な事例ごとに、専門知識をもつ各行政機関が判断し、指定したり解除したりするしかありません」
 「今回の仕組みは、特別に保護すべき情報を金庫の中に厳重にしまって、権限のある人だけが見られるようにするというものです。なんでもかんでも金庫に入れてしまうと政府の仕事がやりにくくて仕方がない。常識的に考えて、秘密の範囲が際限なく広がることはありません」
 ――それこそ常識的に考えれば、『沖縄密約』を否定し続けた政府を信用しろと言っても無理な話です。恣意(しい)的な運用が行われていないか、独立性と中立性の高い第三者機関を設けてチェックさせるべきです。
 「そうでしょうか。専門的な知見がない人に、特定秘密として指定すべきか否かの判断はできません。しかし高い第三者性を求めれば求めるほど、専門性の低い人を呼んでこなければならない。そんな組織を作ってもあまり意味がないと思います。発想を転換して、情報を手元に持っている人がそれを外に出しやすくする仕組みを作る、そのことに力を注いだ方がいいのではないですか」
 ――どういうことでしょうか。
 「アメリカでは、諜報(ちょうほう)機関に勤める人が退職後に回想録を書くのはごく普通のことで、事前審査を経れば出版できる仕組みが整っています。例えば、アルカイダの捜査にあたった元FBI特別捜査官が2年前に出した『The Black Banners』は全米でベストセラーになりましたが、誰を尋問しどんな情報を得たか、『特定秘密』に相当することも含め詳細に記述されていて驚きます。著者はFBIに原稿を提出して事前審査をパスし、CIAから『不条理な削除』を求められた部分は黒塗りにして出版しましたが、CIAの要求は政府の保秘指定のガイドラインを逸脱しているので、法的手段に訴えるとしています」
 「日本もそのような審査をパスすれば出版できる仕組みを作ればいいんです。そうしないと、本当に60年経っても情報が外に出てこなくなりますよ。例えば映倫(映像倫理委員会)は、外部有識者と映画出身者で構成される委員が、社会通念と映画倫理規程に従って自主的に規制を行っています。それにならって、メディア各社で組織を作り、出していい情報かどうか政府と協議するルートを持つ。審査を経て世に出たものの中に特定秘密が含まれていたとしても、審査を通ったことが故意の漏洩(ろうえい)ではないことを担保するので、罰せられる可能性もなくなります」
 「特定秘密法ができたことで、秘密を知りたいという人々の欲求が高まり、市場ができる。そこを狙って回想録を出そうという人や、内部情報を入手して報じようとするメディアや記者が増える。政府に情報を出せ出せと要求するよりも、彼らがすでに持っている情報を外に出せるルートを作った方がはるかに実際的です。政府が『黒塗りにしろ』と不当な要求をしてきたら、法的手段に訴えればいい。特定秘密法には抵触していないと。手元に情報を持っているからこそ、勝負できるのです」
     ■     ■
 ――そうでしょうか。特定秘密を漏らせば厳罰が科されるのだから、社会の萎縮はどんどん進むでしょう。長谷部さんと違って、多くの人は世間の空気を読みますから。
 「すみませんね、空気も読まないで。そう。だからメディアが今、空気を作るべきなんです。萎縮する必要はないという空気を。それなのに『漏らせば厳罰』ばかり言ってむしろ萎縮ムードをあおっています」
 「制度の外側からいくら心配しても心配な状況は変わりません。変えるためには内側に踏み込んで、情報を外に出せるルートを作るよう政府と交渉しないと。安倍政権の支持率が下がっている今が好機です。法律には反対だ、廃止しろとだけ言い続けていたら交渉できませんよ。ルートさえできれば情報はどんどん外に出てくるのですから。清廉潔白な朝日新聞さんは嫌かもしれませんが、清廉なだけでは勝負になりません」
 ――どんなに嫌みを言われても、特定秘密法、集団的自衛権、憲法改正をパッケージで見ると安倍政権に懸念を抱くのは当然でしょう。
 「確かに安倍政権は危ないことをやろうとしているようには見えます。しかし特定秘密法で日本が戦前に戻るというのは非常におかしな議論です。今にも戦争が起きると言わんばかりの報道で人々をおびえさせるのはそろそろやめて、次のステージに移った方がいいと思います」
     ■     ■
 ――自民党推薦の参考人として賛成意見を述べたことは結果的に「危ないことをやろうとしている」安倍政権に手を貸したことになります。
 「安倍政権が次のスケジュールに移るという意味なら確かにそうかもしれません。しかし、そもそも安倍政権をつくったのは有権者であり、民主党政権を徹底的に批判して『決められる政治』を希求した朝日新聞をはじめとするメディアです。誰が決めるかが大事なのに、メディアはそれを等閑視した」
 「私は安倍政権に決めて欲しいとは思っていませんでした。私たちは最初から理想の民主主義社会に生きているわけではない。あれもダメこれもダメではなく、自分ができることをまずやり、少しでもいい社会をつくっていくしかないのではないですか。有権者もメディアも『誰か』に責任転嫁し過ぎです」
 ――苛立(いらだ)っていらっしゃるんですね、日本政治や社会は無責任だと。
 「別に苛立っていませんよ。とても平和で大変結構と思っています」
     *
はせべやすお 56年生まれ。東京大学教授。憲法96条改正に反対する「96条の会」発起人。著書に「憲法の円環」「憲法のimagination」など。
 ■取材を終えて
 「ゼロか100かしかないんですか」。長谷部さんに問い返された。敗北感にさいなまれ、「敵/味方」の分断線を引いては自陣営に引きこもる。その積み重ねは結局、異論を封じ、社会を一色に染めたがっている「向こう」を利するだけなのではないか。線を越えて緩やかにつながり「次の一手」を探す。それが最も有効な抵抗のはずだ。(高橋純子)」(
2013/12/20付「朝日新聞」p17より)

「事実」と「真実」・・・。広辞苑にはこうある。
しん‐じつ【真実】うそいつわりでない、本当のこと。まこと。
じ‐じつ【事実】 事の真実。真実の事柄。本当にあった事柄。

「真実」を自分なりに捉えるには、「事実」を色々な側面から見て、自分なりに理解することが必要。そのためには、秘密法の反対論だけでなく、賛成論にも耳を傾けねば・・・。
そのような視点で、この記事を読んだ。

これを読んでみると、“質問”は新聞でいつも目にしている言葉。そして長谷部氏の回答は、何となくちぐはぐ。つまり議論が噛み合っていないように思えた。

「特定秘密法はむしろこれまでなかったことが不思議な法律で、あって当然のものをなぜ今つくるのかと問われても説明は難しいですね。」という言葉は、まず賛成というスタンスがあり、理屈ではない・・・。こうなると感情論!?
「そもそも安倍政権をつくったのは有権者であり、民主党政権を徹底的に批判して『決められる政治』を希求した朝日新聞をはじめとするメディアです。誰が決めるかが大事なのに、メディアはそれを等閑視した」という反論(?)はどう受け止める??
結局は、物別れ・・・!?

この議論を読むと、自分も含め、賛成論も反対論も、理屈よりも先に感情レベルの好き嫌いがあるように感じてしまう。
よって我々国民も、もし真剣に考えるのなら、(悪く言うと)単にメディアの煽りに乗って踊らされるだけでなく(=同じ言葉を繰り返すだけでなく)、メディアの意見を参考にするにしても、自分の意見をキチッと持つ事が、“冷めにくい”世論を作る源なのかも知れない。
正直、自分も、メディアの言葉のオウム返しは出来たとしても、賛成論者と対等に反対の議論ができるかと言われると、心もとないので・・・。

今日、安倍首相は靖国神社に総理大臣として参拝したという。まさに、もう世界に怖いもの無し・・・。先日のNHKスペシャルで安倍首相が言っていた「今後3年間は選挙がないのでじっくりと・・・」。なるほど・・・
こんな言葉を聞いて、前にも書いたが(ここ)、「独裁者」という言葉をまた思い出した。
「――投開票日の21日昼。麻生太郎副総理は首相にこう語りかけた。「あなたは歴史上にない独裁者になりますよ」首相が「独裁者、ですか」と応じると、麻生氏は「謙虚さが大事だ」と忠告。首相は「そうですよね」とうなずいた――」(2013/07/23付「朝日新聞」p2より)

世界を敵にした独裁者を日本で許さないため、国民一人ひとりが、“自分の言葉で”今の政治の向かう方向に対する懸念を自身の心に根付かせることが、冷めない世論、ひいては将来世代に対しての責任を果たす事につながるような気がする。

131226tuma <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月25日 (水)

「米原万里の(笑い話の)世界」~Uさんの読書ノート

先日、Uさんから“「米原万里」の小説からの「笑話」を抜き出したもの”を送って頂いた。
いわゆるジョークなのだが、これが意外と難しい・・・

★「米原万里の(笑い話の)世界」~Uさんの読書ノートのPDFはここ

Uさんの一押しの話は・・・
「フランスの客船に乗ったイギリス人が、昼食時に同席したフランス人に「Bon appetit」(ボナペチ)と言われ、「I am Anderson」と答えた。夕食時にも同じ挨拶をするので、英語の解かる船長に「あのフランス人は、何で同じ事を何回も聞くのだ。物覚えが悪いな」と言った所、船長に、フランスでは食事の前に言う「頂きます」という慣用語だと説明された。次に同席した時、イギリス人から「ボナペチ」と言ったら、相手が満面の笑みをたたえ、「アイ アム アンダースン」と答えた。」

Uさんのコメントは、「この中で一番気に入っている話は、ボナペチ」の話です。これは多文化との交流の原点を示しています。食事に初めて同席して、声をかけられたら、自己紹介として自分の名前を言ったと思い、自分の名前である「アンダーソン」と答えた。
意味が分かり、「ボナペチ」と機先を制して言うと、相手は、「頂きます」を英語で「I am Anderson」と言うのだと理解する。相互理解とは何と難しいものであろうか! 話は違うが、横浜開港100年の記念行事として、外国人記者クラブで、林横浜知事(女性)がデナーの前に、英語でスピーチをした。そして最後に、「Bon appetiti」と言っていた。普通に使う言葉らしい。」
とのこと。

そしてUさんの“二押し”は、
「日本の小説「失楽園」は日本経済新聞に毎日掲載され、中年のビジネスマンに圧倒的に人気があった。そこで、中年の男性をターゲットに映画化されたが、
「実際に映画館に行ってみたら、シツラケンではなくて、トシマエンでした」
これを時間のない中で、同時通訳するのは困難である。特にヨーロッパには、有名な同名の小説が有るので・・・!」

この笑い話は難しい・・・。

自分が選んだのは・・・
「中小企業の社長が、アメリカへ行き「挨拶」をしなくてはならなくなり、英語が全くダメなので、通訳を頼んだ。挨拶の最後に、最後ぐらいは英語で〆てやろうと思い、「ワン・プリーズ」(One please)と締め括った。通訳が「社長、最後のあれは何と言おうとしたのですか?」と聞いた所、社長曰く「ひとつ、よろしく」だよと言った。」

「父ちゃん、酔っぱらうってどんなことなの?」「ここに、グラスが二つあるだろう。これが四つに見えたら酔っぱらったと言う事だ」「父ちゃん、ここにはグラスが一つしか無いよ」

酔っ払い亭主を見かねた妻が詰め寄った。「あんた、ウオッカを取るの、私を取るの?ハッキリして頂戴」亭主曰く「その場合、ウオッカは何本かね?」

どうも自分はこのように“分かり易い”ジョークしか面白くない。
つまりこれは、ジョークを楽しむ教養に欠ける・・・ということかも・・・(トホホ・・・)

*米原万里さんは女性だった! 自分はUさんのこの一文を読むまで、この人のことをまったく知らなかった。下ネタから「ばんり」さんは当然男、と思っていたら、wikiに「米原 万里(よねはら まり、女性、1950年4月29日 - 2006年5月25日)は、日本の、ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。」とあった。
それに「趣味は駄洒落と下ネタ、そして犬や猫と暮らすこと。」ともある。
いやはや、本の世界はホントウに広い・・・

131225momotarou <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月24日 (火)

通夜の服装はいつから正装(喪服)になった?

この所、失敗(?)が2度。
9月の初めの月曜日。会社に行って、同僚の親が亡くなったことを聞いた。しかも前の週末に亡くなったので、通夜がその当日・・・。弱ったな・・・。ワイシャツ姿で通勤していたので、黒い服も無い。まさに、“とりあえず駆け付ける”ので、いいか・・・、と行ってみてビックリ。真夏だというのに、全員が黒の喪服。自分のようにワイシャツ姿で出席している人は居ない。居たたまれなくなったが、仕方がない。焼香を済ませて逃げるように式場を後にした。

そして先日、今度は同僚の通夜。今回の日程は前から聞いていた。亡くなってから1週間後の通夜だったので・・・。(火葬場が混んでいるのか?)
今回は迷った。果たして喪服で行くべきか・・・。もしそうだと、通勤に喪服を着ていく? それとも別に服を会社に持って行く? それとも一旦自宅に帰ってから着替えて行く?
結局、意地を通す(?)ことにして、ダークスーツと黒ネクタイで行くことにした。
会社に行くと、喪服で会社に来ている人もいる。会社では上は作業服なので・・・。そして式場の前で会った同僚は、一旦自宅に帰って喪服に着替えて来たという・・・。
そして通夜の会場。案の定、9割以上は喪服で来ている・・・。

自分の常識では、通夜は会社から直接行くので、ダークスーツに黒ネクタイ。葬儀は喪服・・・。
それが、このところ、しばらく通夜に行かなかったら、世の中、喪服に変わっていた・・・。

Netで「通夜 服装」で検索してみると、こんな記述があった。
「お通夜には、訃報を聞いて近親者やごく親しい人が駆け付ける場合には、地味な服装であれば構わないとされています。
 しかし通夜の儀式に会葬する場合には、カジュアルな服装はNG。男性の場合にはダークスーツが基本です。
もともとは、お通夜には地味な服装であれば喪服でなくても構わないとされています(むしろ喪服を着用するのは、まるで死を予期して事前に喪服を用意していたようだ…ということで着用を避けるのがマナーとされてきました)。
しかし最近では、通夜だけに参列し葬儀に出席しない場合には、礼服での弔問も増えてきているようです。
」(ここより)

「訃報を聞いて急いで通夜に駆けつける場合は喪服ではなく「地味な平服」で問題ありませんし、逆にそれが普通です。遺族の方も急なことで喪服を着ていない場合がありますので、喪服を着ていくと逆に失礼にあたることがあるからです。
しかし訃報を聞いて半日~1日ほど時間があるのであれば、「喪服(略式喪服)」で伺っても問題ありません。」(
ここより)

“9割以上が喪服”という実体験(!)と、これらの記述のニュアンスが違う・・・

先日、カミさんの友人が自宅に来たときに、この話題をした。すると「昔は、駆け付ける、ということで平服だったが、今は(通夜だけの)一度しか行かない、という事で、通夜も喪服が普通」と言われてしまった・・・。
身近の人から、こうハッキリ言われると、もう“降参”するしかない・・・

自分の常識に自信を喪失したシルバー族ではある。

131224meiko1 <メイ子11歳の誕生日>

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2013年12月23日 (月)

「島根県の「自虐」PR」

先日の朝日新聞の「天声人語」。
「きのう、東京の日本橋にある島根県のアンテナショップ「島根館」に行った。けっこうなにぎわいだった。県をPRする特製カレンダーの14年版を買えればと思ったのだが、とっくに売り切れていた▼特に縁のある地方ではない。ただ、この「自虐カレンダー」と称するシリーズが年々人気を増していると聞き、気になった。購入はあきらめ、見本を眺める。表紙に〈2200年は、島根に招致!〉とある。もちろん五輪を、である。ほんまかいな▼ついでに過去の分も拝見した。〈島根って、鳥取のどの辺?ってきかれた。〉〈定休日じゃないです。人がいないだけです。〉〈本社どころか、支社も少ない。〉。極めつきは〈日本で47番目に有名な県。〉▼実は7年前のネット調査の結果がある。日本地図の上でどの位置にあるかわからない都道府県の1位になったのだ。県職員らが知恵を出し合った。館長の佐々木博治(ひろはる)さんによれば「認知度が最低。これはわかりやすい。逆手に取って売りにしよう」ということになった▼今年「平成の大遷宮」があった出雲大社や落日の絶景で知られる宍道湖、世界遺産の石見銀山もある。それなのに知られていない不思議。「出雲大社県とでもなっていれば知名度は違ったかもしれない」と佐々木さんは笑う▼自虐戦略は功を奏しつつある。よそでも「おしい! 広島県」が話題になったりした。自分で自分を笑う。心に余裕のある大人でないとできることではない。自慢よりずっと上等である。」(2013/12/16付「朝日新聞」「天声人語」より)

この一文。最後の「自分で自分を笑う。心に余裕のある大人でないとできることではない。自慢よりずっと上等である。」というひと言が気に入った。

実は自分も島根県には行ったことがない。鳥取県も・・・。たぶん・・・。
島根と聞いて、一瞬地図で迷う。西が島根か鳥取か・・・。島根の人口は70万人とある。そして鳥取は57万人・・・。当八王子が58万人なので、だいたいその規模の見当は付く。
しかし島根は天下の出雲大社の國・・・。それに古事記から見れば、日本は出雲から出来た!?
でもなかなか行くチャンスがない・・・。現役時代の出張でも、まず行く機会はない。
でもこの一文で、何か行く気になってきた・・・

第二の人生を楽しむには、体力がまだある65歳から75歳までが、旅行に打って付けの時期だと言われる。まずは海外旅行、そして体力が衰えてきたら、国内旅行・・・。
しかし自分の場合、このところ、旅行が段々面倒になってきているのが怖い。つまり衰えが早い!?

でもこんな記事を見ると、すこしその気になってくる・・・

上の一文ではないが、外に出る元気が無くなってきた自分を笑いながら、「旅行なんて、もう卒業さ!」とうそぶいてみようか、それとも・・・
「心に余裕のある大人」というより、“高齢者”の初心者の強がりではある。

131223itiban <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月22日 (日)

「飯ば食わるるうちは…」~終末医療の選択は自分で・・・

先日の朝日新聞スポーツ欄の豊田泰光氏のコラムにこんな記事があった。
「(チェンジアップ)「飯ば食わるるうちは…」
       豊田泰光(野球評論家)
 川上哲治さんのお別れ会での息子さんのあいさつがよかった。体の不調も野球の不調も、とにかく食べて治すというのが信条だった川上さんは入院中もよく食べたそうだ。10月28日に亡くなる少し前まで、すきやきや出前のうなぎを平らげていたという。
 苦しいときにはまず食べる、という信条は熊本のお母さんの「哲、飯ば食わるるうちは絶対死なんばい」という教えからきたのだそうだ。
 食欲があるうちは大丈夫、何も心配は要らないというわけだ。しかし、当時は食欲はあっても食うものがない時代でもあった。栄養不足で、ちょっとした病気で老いも若きも死んだ。「飯ば食わるるうちは……」と言ってはみても、行うは難(かた)しだった。
 全国どこの家の子どもも、よほど裕福でない限り「おまんまを食えるだけでも幸せだよ」といわれて育った。そんな昔話をすると、今の人には煙たがられるが、エビの種類が違っていたとか、インチキビーフを食わされたとかで騒いでいられること自体、昔を思えばぜいたくなのだ。
 日本人が、白いご飯を好きなだけ食べられるようになったのはそう遠い昔ではない。今はコメを食えるのは当たり前で、味がいいとか悪いとか注文をつけている。こんなおごった時代がくるなど、川上さんの世代は考えもしなかっただろう。
 1951年、川上さんがオールスターの賞品としてもらったのが自転車、ぶどう酒、ようかんだった。オールスターの“前身”である「東西対抗戦」の賞品は子ブタだった。肉や甘い物が貴重な時代を私たちはすごしてきた。
 今、子ブタをもらって喜ぶ人はいない。250円で立派な弁当が食える。それはありがたいのだが卵1個、おにぎり1個に飢えていた私などはこの値段で食べていいのか、と後ろめたくなる。
 93年という川上さんの人生のなかだけで、こんなに世の中が変わった。流れの速さに本当は誰もついていけておらず、物の値打ちがわからなくなっているのではないか。「飯ば食わるるうちは……」。ときどき思い返してみたい言葉だ。」(
2013/12/12付「日経新聞」P37より)

我が家では、NHKの朝ドラ「ごちそうさん」に凝っている。テーマは「食べること」。しかし今回は面白い。前回のじぇじぇじぇとは比べようもないくらい・・・

人間にとって食べることは毎日の楽しみ。その充実度で、“人生の価値”は大きく違う。
そして当然となった外食。自分が子どもだった昭和30年代、外食をした記憶がほとんど無い。そもそも食堂が町にほとんど無かったこともあるが、食事は家で・・・が当たり前の時代だった。その頃に比べると、最近は何と贅沢に、そして多様になったものか・・・。

上のコラムと主旨が違ってくるが、先の一文「哲、飯ば食わるるうちは絶対死なんばい」を逆に捉えると、食べられなくなると動物は死ぬ・・・。
人間も生物。「食べられなくなったら死ぬ」。しかしその際(きわ)が難しい。
食べられなくなったときの終末医療をどうするか? そして延命治療をどうするか・・・。
つまり、血管確保が困難になって、末梢血管からの点滴が不可能になった時、何もしないか、それとも胃ろうか、中心静脈栄養か、または生理食塩水の皮下点滴(ここ)か?

老人(親)の場合、それを選択するのは、普通子どもなどの家族。しかし場合によっては、その選択は子どもにとって残酷・・・。
「自分の終末医療は、自分が決めて残された人に託すべき。残された人に判断させれば、後悔が残るかも知れない。本人があらかじめ決めておけば、それは避けられる・・・」
最近、カミさんとよく話す内容である。

131222bentou <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月21日 (土)

NYタイムズ・社説で安倍政権批判-「日本の危険な時代錯誤ぶり」

先日、Netでこんな記事を見つけた。
NYタイムズ・社説「安倍首相が戦前体制の復活望んでいる」
  米ニューヨークタイムズ電子版は2013年12月16日、「日本の危うい時代錯誤」と題した社説を掲載した。この中で、安倍政権が特定秘密保護法を国会で可決したことについて触れ、「法の文言はあいまいで範囲が広く、政治的に不都合だと判断された情報を政府が秘密扱いにすることが可能だ」としている。
  また、共同通信が実施した世論調査を引用して「回答者の82%が、法案を撤回または修正すべきとしていた」にもかかわらず、安倍首相が「ごう慢にも国民の不安を軽く扱った」と批判的なトーンで伝え、同法が安倍首相の唱える「美しい国」、すなわち「政府の国民に対する権力を拡大して、個人の権利を弱めることを目指している」と断じた。
  社説の最後では、安倍首相は「戦後体制の放棄が目標」としたうえで日本の評論家の談を引用し、首相が戦前の体制を復活させたがっており、それは時代錯誤で危険だと締めくくられている。」(
ここより)

Netでこの社説の全文を探したら、(ここ)に載っていた。
NYタイムズの社説「日本の危険な時代錯誤ぶり」
安倍晋三首相の政府は今月、国会で秘密保護法をゴリ押しして通過させた。この法律は日本の民主主義の理解が根本的に変えられることを示唆している。この法律の文言は曖昧で非常に広範囲にわたるものであり、政府が不都合だと思うものを何でも秘密にすることを許すことになる。秘密を漏らした公務員は10年まで投獄されうる。報道関係者が、「不当」な方法で入手したり、秘密指定されていると知らない情報を得ようとしたりすることでさえ5年まで投獄されうる。この法律は国家安全保障を取扱い、スパイ行為やテロも含まれる。
この法案が通る直前に、与党自民党幹事長の石破茂が、自身のブログで11月29日、秘密保護法案に反対して合法的にデモを行う人たちをテロリストになぞらえた。言論の自由に対するこのような無情なまでの軽視は、安倍政権が本当は何をやろうとしているのかについての懐疑心を大いにかき立てた。日本の公衆はこの法律が報道の自由と個人の自由を侵害することを恐れていることは明確のようだ。共同通信が行った世論調査によると、回答者の82%が、法律は廃案か見直すべきだと答えている。
しかし安倍氏は、傲慢なことに公衆の不安をものともしない。法案通過後に「この法律で日常生活が脅かされることはない」と語った。自民党の古参議員の中谷元は、「政府が関与する事柄と一般市民が関与する事柄は区別されるものだ」と表明し、民主主義についての驚くべき無知を露呈した。
この法律は安倍氏の、日本を「美しい国」に作り替える聖戦における不可欠な要素である。それは、市民に対する政府の権力の拡大と個人の権利保護の縮小、すなわち愛国的な人々に支えられる強い国家を想定するものだ。彼が公言してきた目標は、約70年前、占領中に米陸軍に課された国家の憲法を書き換えることである。
昨年4月に発表された自民党の憲法草案は、基本的人権の保証についての既存の条項を取り除いている。草案は、国旗と国歌を尊重しなければいけないとする。また、国民は「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」とする。さらに、総理大臣が緊急事態を宣言し、通常法を一時停止する権限を持つとされている。
安倍氏の目的は「戦後レジームの脱却」である。日本で批判する人々は、彼が1945年以前の国家を復活させようとしていると警告する。時代錯誤的で危険な思想だ。」(
2013年12月16日付「NYタイムズ」社説より(ここ)、原文は(ここ))

今日の記事は、コメントは必要無いだろう・・・。
要は、NYタイムズという米の代表的なマスコミも、安倍政権の動向に対して懸念しているということ・・・。
日本が井の中の蛙として、世界的視野で日本がどう見られているかを知りたいもの・・・。それが何かは分からないが、この社説はそのひとつなのかも知れない。

131221miso <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月19日 (木)

「そこまでやらなくてもいいんじゃないかと思う条例」ベスト5

先日、Netでこんな記事を見つけた。
そこまでやらなくてもいいんじゃないかと思う条例1位「家族が話し合う日を定めた『家庭の日条例』(岐阜県)」

ご当地ブームの昨今ではありますが、全国の条例にも地元色を存分に打ちだしたものがたくさんあります。魅力的なものから、なかにはちょっと首を傾げたくなるものまで――。そこで、そこまでやらなくてもいいんじゃないかと思う条例ついて、読者665名に聞きました。

Q.そこまでやらなくてもいいんじゃないかと思う条例を教えてください(複数回答)
1位 家族が話し合う日を定めた“家庭の日条例”(岐阜県) 36.1%
2位 見知らぬ子どもに声をかけてはいけない“子ども保護条例”(奈良県) 30.8%
3位 朝食はお米を食べましょうという“朝ごはん条例”(青森県鶴田町) 22.9%
4位 400平方メートル未満の家は建てられない“豪邸条例”(兵庫県芦屋市六麓荘町) 17.4%
5位 乾杯は地元のお酒(日本酒)でしようという“乾杯条例”(京都市) 17.3%

■家族が話し合う日を定めた“家庭の日条例”(岐阜県)
・「ふだんから話せばいい」(26歳女性/食品・飲料/販売職・サービス系)
・「それぞれの家庭で決めてほしい」(26歳男性/情報・IT/技術職)
・「大事なのは話す内容だと思う」(27歳女性/学校・教育関連/専門職)
■見知らぬ子どもに声をかけてはいけない“子ども保護条例”(奈良県)
・「子どもを守りたいのはわかるが、さすがにやり過ぎではないかと思う」(23歳女性/機械・精密機器/事務系専門職)
・「地域の交流がなくなりそう」(29歳女性/学校・教育関連/専門職)
・「困っている子どもを助けていると、怪しまれるのかと思うと極めて遺憾」(24歳男性/食品・飲料)
■朝食はお米を食べましょうという“朝ごはん条例”(青森県鶴田町)
・「朝ごはんも好きなモノを食べさせてほしい」(30歳女性/情報・IT/技術職)
・「自由にさせて」(35歳男性/機械・精密機器/事務系専門職)
・「パン派なので」(21歳女性/商社・卸/営業職)
■400平方メートル未満の家は建てられない“豪邸条例”(兵庫県芦屋市六麓荘町)
・「小さくてもセンスがあったらいんじゃないかと思う」(30歳女性/学校・教育関連/営業職)
・「贅沢」(27歳男性/運輸・倉庫)
・「サスガ! と思う」(31歳女性/アパレル・繊維/事務系専門職)
■乾杯は地元のお酒(日本酒)でしようという“乾杯条例”(京都市)
・「乾杯は自分が飲みたいものでしたい」(24歳男性/団体・公益法人・官公庁)
・「推奨条例らしいが、PRにもなっていないと思う」(27歳男性/情報・IT/技術職)
・「まぁ、地元の活性化にはなるからいいとは思うが」(22歳男性/ホテル・旅行・アミューズメント/販売職・サービス系)
■番外編:環境保全も大変なんです
・鈴虫を捕ってはいけない“すずむし保護条例”(長野県松川村)「捕る人ははじめからいないと思ったので」(32歳女性/金融・証券/事務系専門職)
・きれいな星空を守るため、照明を外に漏らしてはいけない“光害防止条例”(岡山県井原市美星町)「守るのがかなり大変そう」(30歳女性/金融・証券/事務系専門職)
・釣った外来魚を湖に戻してはいけない“リリース禁止条例”(琵琶湖)「後始末が大変」(30歳男性/自動車関連/技術職)

●総評
1位は「家族が話し合う日を定めた“家庭の日条例”(岐阜県)」でした。家庭の大切さや家族のあり方について見つめなおそう、との願いから生まれた条例のようです。家族で話し合う機会はそれほど減ってきているのでしょうか。

ちなみに「家庭の日」は、毎月第3日曜日と定められています。月イチで話し合う家族というのも寂しい気もしますが……。

2位は「見知らぬ子どもに声をかけてはいけない“子ども保護条例”(奈良県)」でした。挨拶などを禁止するものではないようですが、「正当な理由なく」というのが難しいところ。はたから見て状況はわかりませんから、声をかけただけでも通報される恐れが!? 防犯意識は必要ですが、地域のコミュニケーションがなくなったら悲しいですね。

3位には「朝食はお米を食べましょうという“朝ごはん条例”(青森県鶴田町)」が入りました。朝食をとらない子どもが増えてきたため、朝ごはんをきっかけに食生活を見つめ直そうというのが目的。鶴田町は米どころでもあり、米食を推進する狙いもあるようです。

4位「400平方メートル未満の家は建てられない“豪邸条例”(兵庫県芦屋市六麓荘町)」は、さすが高級住宅地・芦屋ならでは。マンションもNGで、住民の希望によって制定されたそう。5位「乾杯は地元のお酒(日本酒)でしようという“乾杯条例”(京都市)」と似た取り組みは、ほかの自治体でも行っています。

旅先ではご当地の味を楽しむのもいいですね。
(文・OFFICE-SANGA 丸田十五)
調査時期:2013年11月23日~2013年11月29日
マイナビウーマン調べ(2013年12月16日(月)19時56分配信)
調査数:男性256名、女性409名
調査方法:インターネットログイン式アンケート」(
ここより)

ヘエーと思って、第1位の条例を調べてみた。なるほど正式にある。
====
岐阜県家庭の日を定める条例
            昭和四十二年三月二十二日
            条例第十一号

 岐阜県家庭の日を定める条例をここに公布する。
    岐阜県家庭の日を定める条例
(目的)
第一条 この条例は、明るく豊かな家庭づくりをすすめるため、家庭の日を定め、青少年の健全な育成を図ることを目的とする。
(家庭の日)
第二条 毎月第三日曜日を家庭の日と定める。
2 家庭の日には、家族みんなが話し合い、楽しみ合い、協力し合うように努めるものとする。
(県民の責務)
第三条 すべて県民は、それぞれの家庭が家庭の日を享有し得る環境をつくるように協力するものとする。
(県の責務)
第四条 県は、市町村と協力して、家庭の日の趣旨にふさわしい事業を実施するように努めるものとする。
  付 則
この条例は、昭和四十二年四月一日から施行する。」(
ここより)
=======
このような条例は「理念条例」といって、罰則もなく、守らなくても良いのだそうだ。
言うまでもなく、法律の世界は、憲法の下に、国会が制定した「法律」、内閣が制定した「政令」、各大臣が制定した「省令(府令)」、そして自治体の議会が定めた「条例」と首長が定めた「規則」などがあるが、これらの「ヘエー」の条例を見ると、上位の法に抵触しているのでは?と心配するものもある。

それにしても、何かそぐわない・・・。人の心の領域と法の領域に・・・。
しかしこれらを繰り返していると、人は段々鈍感になり、「今こんな事を心で思ったんだけど、そんなことを思ってもいいんだっけかな?」と自問するようになるかも・・・
そして国の権力者によって、国民が心で思うこともさえも制限され、国民が権力者のロボットと化する・・・。おお怖い!
これがSFと楽しんでいられないところに最近の政治の不気味さを感じる。
安倍政権が、法で人の心まで差配する方向を明確にし出したが、条例レベルでは既に色々あるようで・・・

131219mikesann <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月18日 (水)

(どうする秘密法)「転換点、いま大事なとき」~半藤一利さん

2日続けて同じような話で恐縮だが、今朝の朝日新聞で、秘密保護法についての半藤さんの見解を初めて見付けた。
「(どうする 秘密法)「転換点、いま大事なとき」~半藤一利さん
 この国はどこに向かおうとしているのでしょう。個人情報保護法だけでも参っていたのですが、特定秘密保護法ができた。絶望的な気分です。
 個人情報保護法で何が起きたか。軍人のメモや日記を調べに防衛省防衛研究所を訪ねても、「個人情報」にかこつけて見せてくれなくなった。形式的には「遺族の許可が必要」というが、たとえ孫や遠い縁者を探し出せても答えはノー。つまり事実上の閲覧拒否です。秘密法でさらに秘密とされるものが多くなると、手も足も出なくなります。
 歴史的にみると、昭和の一ケタで、国定教科書の内容が変わって教育の国家統制が始まり、さらに情報統制が強まりました。体制固めがされたあの時代に、いまは似ています。あのときは、戦争になるまでそれから7、8年かかったけれど……。国家の明日というのは不思議なもので、その時代に生きている人は案外わからないものなんですよ。
 これから集団的自衛権の拡大解釈、そしてその先には憲法改正の動きが待っているのでしょう。しかし、そうならないように頑張るしかない。
 自民党の憲法改正草案には「公益及び公の秩序」という文言が随所に出てきます。「公益」「公の秩序」はいくらでも拡大解釈ができる。この文言が大手をふるって躍り出てくることが、戦前もそうでしたが、歴史の一番おっかないところです。この国の転換点として、いまが一番大事なときだと思います。」(
2013/12/18付「朝日新聞」p38より)

自分はどうもこの人の言葉を信用してしまう。だから、秘密保護法についても、半藤さんはどう言っているのだろう?と常に目を配ってきたつもり・・・。でも今まで見つからなかった。
半藤さんの見方も、今までの国民の危惧と同様。
このように、世の中に信用のある人の発言が、世論を揺り動かし、国民を目覚めさせて行く。
今後、益々の発言を期待したい。

131218mendo <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月17日 (火)

「秘密法廃止、民主提案へ」

今朝の朝日新聞に、こんな記事があった。
秘密法廃止、民主提案へ 通常国会
 民主党は特定秘密保護法の廃止法案を、来年1月からの通常国会に提出する方針を固めた。同党が臨時国会に提出した対案とともに「秘密法反対」の世論を喚起し、法改正につなげる狙いがある。17日に立ち上げる党の同法対策本部(本部長=海江田万里代表)で協議し、正式決定する。
 民主党は臨時国会で、▽秘密の範囲を外交と国際テロに限定した「特別安全保障秘密適正管理法案」▽国会が委員を選ぶなど独立性を担保した第三者機関の設置法案▽裁判所が秘密を直接検分し、指定の妥当性を判断出来る「インカメラ審理」を盛り込んだ情報公開法の改正案――など対案として5法案を提出。ただ、与党とみんなの党や日本維新の会との修正協議が先行し、全く反映されずに継続審議となっていた。
 民主党は対策本部で、特定秘密法に反対の声を上げている各界の著名人や有識者との連携を模索。法改正の機運を高めたい考えだ。」(
2013/12/17付「朝日新聞」p4より)

そして昨日の、同じく朝日新聞の投書欄「声」にこんな記事が・・・
「(声)秘密法改廃の請願始めませんか
    無職(千葉県 84)
 多くの国民の反対を押し切って成立した特定秘密保護法。国会周辺では抗議集会が開かれ、著名人を含む多くの人たちが抗議の声明を出しましたが、時間その他の都合で抗議集会などに参加できなかった市民も大勢いると思います。
 ひざ、腰を痛めてリハビリを続けている小生もその一人です。しかし、何もできないわけではありません。声を上げる手段の一つに国会などへの「請願」があります。
 請願は採択されても法的な強制力はなく、法の改廃を義務づけるものでもありません。でも、政治に対する無言の圧力であることに間違いありません。
 請願を出すことは、それほど難しくはありません。衆院議長に出された請願の中には、それほど多くない請願署名数で提出された例もあります。とはいえ、同趣旨の請願は何百、何千と多く出されることが大事です。特定秘密保護法に疑問を持っている方々には、同じくこの法律に疑問を抱いている国会議員に紹介議員になってもらい、草の根で請願を始めていただきたいのです。
 法律の改廃を請願する手続きは、ネットなどでも簡単に調べられます。」(
2013/12/16付「朝日新聞」p8「声」より)

あっと言う間に成立されてしまった「特定秘密保護法」。成立した次の日の朝、安倍首相が「今朝、目覚めたら公邸の周りが静かだったので、 嵐が過ぎ去った感じがした」と語っていたというが、日本人が熱しやすく冷めやすいということを見透かされているようなこんな発言を、言わせていて良いのだろうか?
結局は、反対運動を続けるしか無いのだが、それには何かイベント(または目標)が欲しい。何かの活動があれば、「請願」であろうが、国民は賛同して動くだろう。
そう考えると、今回の民主党の「特定秘密保護法の廃止法案」の提出は分かり易くて良い。

先日「(どうする秘密法)反対の声が歯止めになる」(ここ)という記事を書いたが、そこにあるように「世論の強い反対を退け、1952年に成立した破壊活動防止法(破防法)の本来の狙いは団体規制でした。しかし、この規制は一度も適用されていません。」と同じような、規制の制限を、今からでも国民はかけられるかも知れない。それには「嵐が過ぎ去った」と国民を見下した権力者を見返す必要がある。

今回の民主党の「特定秘密保護法の廃止法案」が、今後どのような動きになるかは分からないが、それが反対票を投じた野党も含めた国民全体の草の根運動で大きなうねりとなり、施政者を震え上がらせる活動になれば・・・と願う。もちろん自分もサインするぞ! 子供たちの将来のためにも・・・

(関連記事)
「(どうする秘密法)反対の声が歯止めになる」 

131217aiseki <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月16日 (月)

安田祥子の「比叡おろし」

今日は、安田祥子の「比叡おろし」の紹介である。実は同じ記事を前に書いている(ここ)。よって2度目の紹介なのだが、録音が違う。今回のは、伴奏がピアノだけなのである。

<安田祥子の「比叡おろし」>

「比叡おろし」
  作詞・作曲:松岡正剛

風は山から降りてくる
レタスのかごをかかえて
唇はくびれていちご
遠い夜の街を越えて来たそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を
雪にしてしまいますえ

風は琵琶湖に落ちてくる
北山杉を下に見て
夕焼けはよそゆきマント
光る銀の靴をはいていたそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を
雪にしてしまいますえ

風は今夜も吹いている
死んではだめよと言いながら
さよならは小さなみぞれ
そっと京都の町に捨ててきたそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を
雪にしてしまいますえ
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を
雪にしてしまいますえ

前の録音と違い、この録音は非常にピュアで、しみじみと、実に味わい深い・・・。自分はこっちの録音の方が好きだな・・・
この歌は、安田祥子の十八番(おはこ)であると思う。これ以上の歌唱は無いであろう。

この歌のエピソードについては、前の記事に書いたので繰り返さない。
それにしても、安田祥子はプロ中のプロ。こんな演奏は、カラオケでは到底実現できない。伴奏者との呼吸は、クラシックの演奏家ならでは・・・。

そんな素晴らしい歌手の安田祥子だが、CDは由紀さおりとのコラボがほとんどで、安田祥子ひとりでのCDはほとんど無い。これは残念!
もっともっと安田祥子の世界が評価されても良いのではないか?

今年も、本格的な冬が到来した。
歌詞は非常に難しいものの、今年の冬も、こんな歌でも聞きながら、寒さを楽しもう(?)ではないか・・・。

(関連記事)
安田祥子と小林啓子の「比叡おろし」 

131216kotatsu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月15日 (日)

癩作家・北條民雄著「いのちの初夜」を読む

先日、ハンセン病の多摩全生園に見学に行ったが(ここ)、それを機に、カミさんが昔読んだという北條民雄(大正3年~昭和12年12月)の「いのちの初夜」を図書館で借りて読み直していた。そして、「この本はやはり自分で持っていたい」と、改めて中古本を探して買った。それで、あまりにカミさんが絶賛するので、自分も読んでみた。

131215inochino この角川文庫「いのちの初夜」は、短編が8つ入っている。最初の短編が「いのちの初夜」。何ともロマンチックな題だな、と思ったが、読んでみると「いのち」とは、癩患者の肉体が滅びて“いのち”に昇華した姿であり、初夜とは癩病院に入院した最初の恐ろしい夜のことである。つまりこの小説は、(現在の)多摩全生園に入院した最初の一夜の体験がもとになっているという。

川端康成は、この文庫のあとがきで、「いのちの初夜」についてこう書いている。
「この作について私あての手紙に、「・・・けれど、書かねばならないものでした。この病院へ入院しました、最初の一日を取り扱ったのです。僕には、生涯忘れることのできない恐ろしい記憶です。でも一度は入院当時の気持に戻ってみなければ、再び立ち上がる道がつかめなかったのです。先生の前で申しにくいように思いますけれど、僕には、何よりも、生きるか死ぬか、この問題が大切だったのです。文学するよりも根本問題だったのです。生きる態度はその次からだったのです。……」と北條民雄は書いてよこした。」(p244より)

この「いのちの初夜」で、少し気になった部分をメモしてみる。
「どんなに痛んでも死なない、どんなに外面が崩れても死なない。癩の特徴ですね」(p38より)
「尾田さん、あなたは、あの人たちを人間だと思いますか」・・・
「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。なんという根強さでしょう。誰でも癩になった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬのです。社会的人間として亡びるだけではありません。そんな浅はかな亡び方では決してないのです。廃兵ではなく、廃人なんです。けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復(かえ)るのです。復活そう復活です。びくびくと生きている生命が肉体を獲得するのです。新しい人間生活はそれから始まるのです。尾田さん、あなたは今死んでいるのです。死んでいますとも、あなたは人間じゃあないんです。・・・」(
p40より)

癩によって滅びていく肉体。しかし肉体は滅びても、健全な精神で生きていこうとする癩患者・・・。

この短編は著作権が切れているため、「青空文庫」(ここ)で読むことが出来る。短いのでぜひ一読を・・・

北條民雄は、19歳の時に発病し、20歳で多摩全生園に入院。そして入院後に文学の創作を開始し、22歳で『いのちの初夜(原題「最初の一夜」)』により第2回文學界賞を受賞したが、翌年24歳で腸結核のために死んだ。
あまりに短い生涯であった。しかしこの短編の完成度はすごい。

この文庫本の3番目に収録されている「癩院受胎」にはこんな言葉がある。
「肉体を持っている限りここでは生きられません。断じて肉体は捨てなきあならんです。そうでなければ、ここでは自殺するよりほかにないんですよ」(p74より)
「覚悟するよりほかありません。生き抜く道はその上にあるでしょう。肉体を捨てることです。どんな発疹の肉体にの中にも、美しい精神は育つんですからね」
「肉体を捨てることが、人間にはできるでしょうか」・・・
「できます!」(
p76より)・・・・
一般に男の子は病気の進行が急激であるが、女の子はほとんどが治癒状態にあるのが多く、・・・」(「癩院受胎」p93)

3年ほどの文学生活であったが、その作品は川端康成に認められ、師事した。その凝縮した時間に、北條民雄の文学は病身の体を蝕み、体力を奪ったのだろう。しかし肉体は滅びても、癩病棟という特殊な環境を背景にした文学は世に残った・・・。

前の多摩全生園の見学紀のときも書いたが、既に過去の病気になったハンセン病。しかしこの病気の歴史は、「人権」というものをよくよく考えさせてしまう。
北條民雄の作品を通して、我々の心にある「差別」「偏見」というものを、今一度呼び起こして考え直してみるのも良いのかも知れない。

(2013/12/17追)
どうしても頭から離れない一文がある。「続癩院記録」の中の一文である。
「・・・・
 六号病室にもう数年の間病室を転々と移つて来たY氏がゐる。
 氏のことに就いては私は委(くわ)しく書くだけの元気がなかなか出て来ないのであるが、と言ふのは氏のことを書かうとするとなんとなく私自身息づまるやうな気がして来るのである。
 人の年齢といふものは、顔の形や表情や体のそぶりなどによつてだいたい推察されるし、またさうしたヂェスチュアや表情などがあつてこそ年齢といふ言葉もぴつたりと板についた感じで使用出来るのである。ところがさうしたものが一切なくなつてしまつた人間になると、年齢といふことを考へるさへなんとなくちぐはぐなものである。Y氏は今年まだ四十七か八くらゐであるが、しかし氏の姿を見るともう年齢などといふ人間なみの習俗の外に出てしまつてゐるのを感じさせられる。たとへば骸骨を見て、こいつはもう幾つになるかな、などは考古学者ででもない限り誰でも考へないであらうやうに、Y氏を見ても年齢を考へるのは不可能なばかりでなくそんな興味がおこつて来ないのである。氏は文字通り「生ける骸骨」であるからだ。
 眼球が脱却して洞穴になつた二つの眼窩、頬が凹んでその上に突起した顴骨、毛の一本も生えてゐない頭と、それに這入つてゐる皸(ひび)のやうな條、これが氏の首である。ちよつと見ても耳のついてゐるのが不思議と思はれるくらゐである。その上腕は両方とも手首から先は切断されてしまつてをり、しかも肘の関節は全然用をなさず、恰も二本の丸た棒が肩にくつついてぶらぶらしてゐるのと同然である。かてて加へて足は両方共膝小僧までしかない。それから下部は切り飛ばしてしまつてゐるのである。つまり一言にして言へば首と胴体だけしかないのである。こんなになつてまでよく生きてゐられるものだと思ふが、しかし首を縊るにも手足は必要なのであつてみれば、氏にはもう自殺するだけの動作すら不可能、それどころか、背中をごそごそ這ひ廻る蚤に腹が立つてもそれを追払ふことすら困難なのである。
 飯時になると、氏はそれでも起きてけんどんを前にして坐る。附添夫がどんぶりに粥を盛つてやると、犬のやうに舌をぺろりと出してそのあたりを探り、どんぶりを探し当てると首をその中に突つこむやうにしてぴちやぴちやと食ひ始める。少しも形容ではなく犬か猫の姿である。食ひ終つた時には潰れた鼻にも額にも、頬つぺたにも粥がべたべたとくつつき、味噌汁はなすりつけたやうに方々に飛び散つてくつついてゐる。それを拭はねばならないのであるが、勿論手拭を持つて拭ふといふ風な人間並の芸当は出来ない。それにはちやんと用意がしてあつて、蒲団の横の方に幾枚も重ねたガーゼが拡げてある。氏はころりと横になると、うつぶせになつてそのガーゼに顔をこすりつけて拭ふのである。既に幾度も拭つたガーゼは黄色くなつてをり――勿論附添夫が時々取りかへてやるが――それは拭ふといふよりも、一個所にくつついてゐるのをただあちこちとよけいくつつけるばかりであるが、そんなことに一向気のつかない氏は、顔はたしかに綺麗になつたに違ひないと思つて蒲団の中へもぐり込んでしまふ。
 私は昨夜もこの男のゐる病室へ用があつて出かけて見たが、氏は相変らず生きてゐた。しかし大変力の失せたのが目立つてゐて、近いうちに死ぬのぢやないかと思つた。
 だが、驚くべきことは、かういふ姿になりながら彼は実に明るい気持を持つてをり、便所へ行くのも附添さんの世話になるのだからと湯水を飲むのも注意して必要以上に決して飲まないといふその精神である。そして煙草を吸はせてやつたり便をとつてやつたりすると、非常にはつきりした調子で「ありがたうさん。」と一言礼をのべるのである。また彼は俳句などにもかなり明るく、読んで聴かせると、時にはびつくりするくらゐ正しい批評をして見せる。私は彼を見るときつと思ふのであるが、それは堪へ得ぬばかりに苛酷に虐げられ、現実といふものの最悪の場合のみにぶつかつて来た一人の人間が、必死になつていのちを守り続けてゐる姿である。これを貴いと見るも、浅ましいと見るも、それは人々の勝手だ。しかしいのちを守つて戦ひ続ける人間が生きてゐるといふ事実だけは、誰が何と言はうと断じて動かし難いのである。・・・」(
北條民雄著「続癩院記録」より。全文は青空文庫の(ここ))

こんな一文を読むと、つくづく人間は肉体と精神(気持ち)の二つで出来ているのだと思う。そして、我々シニア族もそれと同じで、老化によって肉体は故障がちになるのは致し方ないとしても、精神は永遠に若さを保つことは可能であり、精神をも老化させてしまうのは、本人の心の持ちよう次第なのだろう。でも、精神の若さを保つのは、結構大変なことではあるが・・・

(関連記事)
ハンセン病・多摩全生園の見学ツアーに行く

131215funjyatta <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月14日 (土)

「音の暴力」について

ふと思い出した音の暴力(?)の幾つか・・・

いつもの散歩道・・・。小学校の校庭から狭い道を隔てた1軒の家が、ずっと空き家・・・。
先日、散歩でその前を通ると、大音響の音楽・・・。見ていると小学生が校庭から一斉に校内に戻る。その音は、校庭に流す休憩時が終わる合図の音楽だという。校庭の端にあるスピーカーも、その家からみると、ほんの数m・・・。この家で聞く学校の音は、校庭の子ども達のワイワイ声も含めて、さぞさぞウルサイだろう。もっとも学校が出来た後に家は建っており、その音が原因で空き家になっているかどうかは知らないが・・・。

たまに行く大手スーパー。食料品を選んでいると、バックで流れているのは、ずっとビートルズの「Help!」。この旋律が、まるでエンドレステープが回っているように、延々と続く。曲の終わりが無いので、なおさら気になる。
この音楽は、レジが混んできて“従業員をレジに応援を・・・”という“ヘルプ”用の合図らしく、別の店では、応援依頼のアナウンスの後に少し流れて、しばらくして普通のBGMに戻るが、その店では延々と流れていた。
その時、ここで働いている人は大変だ。買い物客のように逃げられないので、この音楽がいったん気になり出すと、耐えられないのでは・・・?
そう言えば、あるモールの本屋さんでも、入学のシーズンのとき、「1年生になったら」という童謡が、延々と流れていたことがあった。これを聞いたときも、本屋さんの店員さんは大変だと思ったことがある。繰り返しは暴力!?

昔、独身寮にいたとき。ある音楽好きの友人からレコードを借りてテープに録音した。それを別の友人に録音してあげた。その友人の部屋がたまたまレコードを持っていた友人の隣の部屋だった。
ある日、レコードを借りた友人からクレーム。「俺のレコードを**に録音させただろう。聞きたくない時に、毎日それを聞かされる身になってみろ」
良く分かる。ゴメン・・・

ずっと前、駅前でバスに乗って発車を待っていると、オジさんの怒った声。大きな車内放送が、延々と「社内に危険な物を持ち込むな」「整理券は折るな」・・・を繰り返している。「こっちは疲れて帰ってきているんだ! いい加減にしろ!」。運転手が慌てて車内放送の音量を絞っていた。オジさんのイライラが良く分かる・・・。

同じバスで・・・。いつも乗る通勤バスの車内放送が、たまたま八王子出身の歌手の二人。バス会社とのコラボとか・・・。つたない話し方が気になり出すと、これもまたツライ・・・。もちろん内容は「社内に危険な物を持ち込むな」「バス停付近を汚すな」「整理券は折るな」等々同じ事の繰り返し。そして駅に着く頃には、まるで二人で漫才で、昨年12月発売“予定”のCDを、未だに「よろしくお願いしま~す」とやっている。その後、このグループは解散したと聞いたので、車内放送も中止になるのでは?と期待したが、未だに延々と続いている。
このグループのファンは、わざわざこのバスに乗りにやってくるのだろうが、毎日通勤で同じバスに乗るオジサンにとっては、車内で毎日毎日聞かされる“同じ話の繰り返し”は、苦痛そのもの・・・。コラボの契約はいつまでなのだろう・・・?

まあそんな事で、音の暴力について、色々なエピソードを思い出す
結局は気になるかどうかの問題・・・。気にならなければ、音(放送)は空気みたいなのも・・・。しかし何かのキッカケでいったん気になり出すと、それは地獄。特にバスの車内は、逃れられないので、ツライ・・・
気になる原因は、結局は“繰り返し”ではないか・・・。同じ事を、同じ音楽を、繰り返されると、我慢が出来なくなる。
気にするな、と言われようが、気になるものは気になるのである。

音の暴力。自分もそれを与えないため、よくよく心せねば・・・

131214syokupan <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月13日 (金)

「医者に殺されない47の心得」近藤誠著~Uさんの読書ノート

本屋に行くと、「文藝春秋増刊 近藤誠 何度でも言う がんとは決して闘うな 2014年 01月号」(2013/12/05発売)が平積みされている。(もっともAmazonでは既に品切れみたいだ131213kondou が・・・)
近藤誠氏の本が売れている。つまり氏のスタンスに共鳴する人が多いのだろう。

だいぶん前だが、週刊文春に近藤誠医師の「がんもどき理論」に対する、長尾和宏医師の反論(?)が載っていた。もっとも長尾医師はこの記事について「私は近藤氏に向けて発信しているわけではない。」と自身のブログに書いているが・・・(ここ
ともあれ、文春の記事は氏のブログにある(ここ)。

近藤医師は何度か当blogに取り上げたことがあるが、長尾和宏医師の話も取り上げたことがある(ここ)。
そんなお二人なので、そのスタンスの差を興味深く読んだ。

そんな事もある・・・、ということで、Uさんの読書ノートを読んでみる。

★「医者に殺されない47の心得」近藤誠著~Uさんの読書ノートのPDFはここ

Uさんは「コメントと感想」でこう書いている。
「本書の副題に「医療と薬を遠ざけて、元気に長生きをする方法」とある。初版は2012年12月19日であるが、2013年5月11日に14判も出版されている。
売れているのである。患者も今の医療が何かおかしいと感じているからであろう。
本書を要約する上で「がん」に関する記述は、前回の「がん放置療法のすすめ」で記されているので、全て省いた。がん以外の病気に絞って要約した。
著者自身は、ここ数十年病院での検査や診察を受けたことがなく、自分の血圧が幾らかも知らない。薬も歯の痛み止め以外飲んだことがないと言っています。
著者の年令(65才)でかかる病気は大抵「老化現象」で医者にかかったり、薬を飲んだりして治せるものでは無いからだとも言っています。

今の日本では、税収は増加しない中で、福祉関連予算は増加の一途を辿っています。毎年一兆円ずつ増えています。この対策の一つに、著者の言う症状のない人は「放置」するという治療も有効でしょう。特に重症ではない風邪などでは医者にかからない。成人病では薬に頼らない。自分で「選択」をする。と言う事を教わった。確かに、どんな優秀な医者でも「老化」は治せない。」

先日、カミさん奥歯で、被せてあった金属が取れた。早く治す必要があったので、いつもの行き付けの歯医者ではなく、近くの別の歯医者で外れた金属を付け直して貰った。その時に「元の歯がガタガタなので、抜くしかない」と言われたとか。診療時間のぎりぎりに飛び込んで、診察を受けられた感謝よりも、その指摘にショックだったとか・・・
でもその後に、気を取り直した。確かにたまにうずいたことはあるが、果たして抜くまで悪い状態なのかどうか・・・。行き付けの歯医者からはそんな事は言われていない。確かに金属を被せているので、外からは分からないのかも知れないが・・・

自分が現役時代に通っていた歯医者は、まあいい加減というか、「どこか痛くなったら来て下さい。悪くなれば必ず痛くなりますから・・・」。そして患者が言った歯の治療しかしなかった。
一方、現役時代に会社のビルに入っていた歯医者では、あるとき歯石を半分しか取ってくれないので、「全部やってくれないの?」と治療してくれた女性に聞くと、「先生から今日は半分だけ、と指示されているので」と言う。その歯医者に二度と行かなかったのは言うまでもない。

話を元に戻すと、本当に医者にかかった方がよいのは、全体の10%で、あとは「ほっとけば治る」と著者は言う。これから体が故障がちになる年代に入る我々シルバー族。さてさてどうしましょうかね・・・

*たぶん直ぐに売り切れるであろう、先の「文藝春秋増刊 近藤誠特集」。さっそく買ってはみたものの、あまり読んでいない。近藤氏の著書の集大成と言うが、最初から最後までガンの話・・・。まあ当然だが、読んでいると、どうも気が滅入る・・・。
“必要”になったときに読む事にして、今は大切に本棚にしまっておくことにした。

131213kotatsu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月12日 (木)

「(どうする秘密法)反対の声が歯止めになる」

ニュースでは、「石破茂幹事長が、特定秘密保護法で指定された秘密情報を報道機関が報じることに疑問を呈している」と報じている。
おいおい、もう始まったのかい・・・。イヤに早いな~~

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(どうする 秘密法)反対の声が歯止めになる
 ■憲法研究者・奥平康弘さん
 世論の強い反対を退け、1952年に成立した破壊活動防止法(破防法)の本来の狙いは団体規制でした。しかし、この規制は一度も適用されていません。オウム真理教に対して破防法に基づく解散の指定が請求されましたが、97年に棄却されました。
 暴力主義的破壊活動をした団体が将来も同じような活動を行う明らかな恐れがある場合、解散指定されると活動できなくなります。冷戦を背景に当局が念頭に置いていた団体は日本共産党などでした。
 当時、戦前の特高警察が再現されるのではと危険を感じた労働組合や学術団体、野党が強く反対しました。学生だった私もデモに参加しました。結果、国会では原案が修正され法律を適用する条件が厳しくなり、施行後も当局への歯止めになったのです。
 特定秘密保護法への反対の動きは政治史に残るでしょう。85年に国家秘密法が廃案になった時も、反対の広がりはこれほどではありませんでした。市民の自由の幅をできるだけ守るべきだという意識の表れだと思います。戦前への回帰の恐れというより、官僚の秘密主義が今も残っていることへの危機感が強いからだと見ています。
 今回の反対の声も法律乱用の歯止めになると思います。同時に絶えず監視していくことが必要です。公務員や記者らが秘密漏洩(ろうえい)罪に問われたとき、知る権利を保障する憲法21条に反するとして司法の場で論陣を張れるはずです。」(
2013/12/11付「朝日新聞」p1より)

また、ウォール・ストリート・ジャーナルによると、安部政権の支持率について、
安倍内閣支持率が急低下―特定秘密保護法案への懸念反映
・・・最近まで、安倍氏の支持率は60%前後と高率だった。しかし過去数日間実施され9日に発表された複数のメディアの全国世論調査では急速に低下した。
 例えばNHKの調査では、安倍内閣支持率は先月の60%から50%に低下した。また共同通信社によると、内閣支持率は10.3ポイント低下して47.6%となった。一方、ジャパン・ニュース・ネットワーク(JNN)の調査では、13.9ポイント下落して54.6%となった。
 これら3つの調査はいずれも、連立与党が野党の反対を押し切って、国家情報の漏えいを厳罰に処す特定秘密保護法を可決・成立させたことに対する国民の懸念を反映している。
 3つの調査では、同法案が十分に審議されていなかった、あるいは法律に不安を感じるとの回答が70%以上に上った。・・・
」(ここ)とあった。

出来てしまった法律は、廃案は難しいらしいが、改定は出来るらしい。よって、次の総選挙後の政権で、がんじがらめに適用を制約するしかないな・・・。
すると、やはりまずは現政権への支持率をきちんと国民が評価せねば・・・
安倍政権にこれだけのやりたい放題をされていながら、もし支持率が下がらないとすると、まさにそれは国民が今回の安倍政権のやり方を認めたこと。つまりは今後もやりたい放題をどうぞ・・・と言っていると同じこと。
もしそうなったら、もうどうしようもないね。国民の意思なので・・・。
もし支持率が急速に下がらないとすると、オレも腹をくくった!! 憲法九条を廃止して、子どもを戦争に行かせようぜ!(まさかそこまで国民は、にぶくてお人好しではないと思うが・・・)

31212boketa<付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月10日 (火)

2013年の「英語能力指数」~日本は60国中26位

今朝の日経新聞に、世界の「英語能力指数」なるものが載っていた。こんな指数もあるんだ・・・という話。

「(データは語る)英語能力、アジアではマレーシア 企業拠点の誘致 追い風
 世界で教育事業を展開するイー・エフ・エデュケーション・ファーストは60カ国・地域の英語能力を数値化した2013年の「英語能力指数」をまとめた。アジアではマレーシアが最も評価13121asahieigo が高く、英語が公用語のシンガポールを上回った。英語力の高さは企業がアジアで拠点を置く国を選ぶ際に有利に働きそうだ。
 シンガポールと同様に英語が公用語のフィリピンは調査の対象外だった。マレーシアは英国から独立した後もマレー人や華僑、インド人の間での意思疎通の言語として英語を使い、小学校から教育を始めて習熟度を高めている点が評価された。
 日本は7位。中国は11位だった。中国は政府や企業が英語能力の向上に力を入れており「ゆっくりとだが、着実に英語の能力を高めている」としている。最下位はタイだった。英語が通じれば、駐在員にとって仕事がしやすくなるだけでなく、買い物など日常生活の不安も減る。競争が激化するアジア拠点の誘致合戦にも影響しそうだ。」(
2013/12/10付「日経新聞」p11より)
(オリジナルのレポートのPDFはここ

1312101 1312102 1312103

そして1年前の2012年のレポートで、日本・韓国についてはこのような指摘。
高い教育水準の中に英語教育向上の余
日本と韓国は、識字率が大変高く、歴史的にも儒教の影響が強いため、教育に熱心です。英語教育も学校教育や何千とある民間の語学学校を通じて非常に熱心に行われていま131210eigo1 す。しかしながら成人の英語レベルは経済協力開発機構加盟国の平均58.58を下回ります。国際的な試験で数学や国語の分野ではかなり高いレベルを示す両国のこの結果は驚くべきものです。日常生活で外国人に接する機会が少ない上に、暗記学習に比重を置いた学習法や、教師と生徒の上下関係の文化による会話練習の難しさが、英語レベルの低さを招いているのかもしれません。英語以外の教科は非常にハイレベルなのに対し、英語に関してはレベルの低い生徒が多いのはなぜかということを日本と韓国の政治のリーダーが考える必要があります。」(
ここより)

順位リストをざっと概観するには、上の表のように、少し古いデータでもやはり日本語が良い・・・。
自分のようなヤマト人間には、やはり日本語がパッと頭に入るのだ。(このレポートの趣旨(英語力)とは、だいぶん離れてしまうが・・・)

ところで、これらのデータをどう読む??
自分の感想は「日本は予想以上に健闘!」。つまり日本が、英語教育と留学が盛んな韓国とほぼ対等、というのは立派。昨年度の21位の韓国と22位の日本は1位違い、そして2013年度の韓国24位と日本26位は上出来では? でも年々落ちているが・・・

北欧や欧州が強いのは、人種が近いせい? ではマレーシアやシンガポールは?
同じレポートにはこうある。
公用語としての英
マレーシアとシンガポールはアジアで最も英語力が高い国であり、多言語によって国が幾つかに分散され、英語がその橋渡し役となっている非常に良い例です。両国とも国の人口の大半を占めるマレー人のほかに、多くの華僑とインド人のコミュニティも存在しており、それぞれが独自の文化と言語を持っています。英語は随分昔から学校教育に取り入れられており、子供達は小学校から英語を習い始めます。小学校の終了時には英語の検定試験があり、また高校終了時にも試験があります。これらの国にとって英語は、どの地域の言葉というよりも3つのコミュニティが共有する言語として認識され、英語が国際間のコミュニケーションに欠かせないように、国内の各地域間のコミュニケーションに欠かせないものとなっています。」

なるほど・・・。英語が国民の間の文化の橋渡し役か・・・。
その点、日本は上の指摘のように、日常の必要性や、外国人に接することが少ない、といったことから話せなくても何とかなる。それが英語に対する距離感を産んでいるのだろう。

ともあれ、“皆それほど英語が強くなくて良かった~”と思うエムス君なのであ~る。
(しかしこんな記事に反応する所など、自分の英語コンプレックスは相当なもの・・・。まあ英語は“次世代”に任せようっと・・・!?)

131210tuitekoi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月 9日 (月)

「確率の世界とどう向き合うか」~終末への準備はいつ始める?

先日の朝日新聞に、こんな記事があった。
「(ザ・コラム)自然と科学 確率の世界とどう向き合うか
      上田俊英(東京本社科学医療部長)

 年の瀬になると、この1年の出来事をいろいろと思い出す。医療の世界で大ニュースといえば、高血圧治療薬ディオバンの「効果」をめぐる論文不正だろう。
 ディオバンは製薬大手ノバルティスの看板商品だ。「ほかの薬と比べ、ディオバンをのんだ人は、高血圧がかかわる脳卒中などのリスクが半減した」とする論文が京都府立医科大や東京慈恵会医科大などから出され、売り上げを伸ばしてきた。
 しかし、これらの研究にはノバルティスの日本法人の社員が、その肩書を隠して参加し、患者のデータがディオバンに有利になるよう操作されていた。ディオバンの「効果」は科学的な根拠を失った。
 ところで、ディオバンの「効果」を支えた論文の中身とは、どのようなものだったか。欧州心臓病学会誌に載った京都府立医科大の論文は、次のような内容だ。
 高血圧の患者3031人を二つのグループに分け、一方だけにディオバンをのませて、その後の病気の起こり方を調べた。すると、脳卒中になる人は患者1千人あたり、ディオバンをのんでいると年間5.6人、のんでいないと年間10.4人と算出された。その通りなら、脳卒中のリスクはたしかに半減したことになる。
 とはいえ、データを操作して練り上げたこの「効果」でさえ、ななめから読めば、違うメッセージが浮かび上がる。ディオバンをのんでも脳卒中になる人はいるし、脳卒中にならない人を数えれば、のんでも、のまなくても、差はわずか。いずれにしても、ほとんどの人は脳卒中にならない。「なぜ、のまなくてはいけないの」。そう思う人がいても、不思議ではない。
     *
 科学はさまざまな自然現象のなかから法則性を見いだし、自然を理解する学問である。しかし、法則は厳密でも、科学が導き出す解答は、たいていは確率的だ。
 なにしろ物質の根源である素粒子の世界が「不確定性原理」にとらわれている。
 ドイツの物理学者ウェルナー・ハイゼンベルクは1927年、ミクロの世界では物の位置と運動のようすを同時に、正確に知ることはできないという「原理」を発表した。理由は、人間の知恵と技が未熟だからではない。ミクロの世界では、物はもともとぼやけて存在しているからだ。
 ちなみにハイゼンベルクはミクロの世界を支配する量子力学の創設者のひとりで、31歳でノーベル物理学賞を受けた。第2次大戦中もドイツにとどまったため「連合国が最も恐れた男」といわれ、これが米国の原爆開発を加速させたとされる。
 いくつもの自然現象が複雑にからみあった生命科学や地球科学、巨大工学のような世界では、科学が導き出す解答は、なおさら確率的になる。そして、明確な答えを求める社会との間に、しばしば溝ができる。
 「医師のいうとおりに治療しているのに、いっこうによくならない」「安全だといっていたのに、事故が起こった」。そんな不満は、しょっちゅう聞かれる。
 私たちは科学という確率の世界と、どう向き合えばいいのか。
     *
 医療の世界では近年、「根拠に基づく医療」が花盛りだ。臨床研究や疫学研究、治療結果の統計学的な比較など最新の科学的根拠に基づく医療のことである。
 医療における科学的根拠の重要性を訴えている大野智・帝京大学医学部臨床研究医学講座特任講師は、科学の役割をこう説明する。「科学は、たとえばくじが入った抽選箱が二つあったとき、どちらの箱にどれだけの割合で『当たり』が入っているのかを教えてくれる、でも、どちらの箱からくじを引くのかは、決めてくれない。どの治療法を選ぶのかを決めるのは、人です」
 「絶対に有効」な治療法など存在しない。だから様々な価値観や死生観をもつ「人」の要素が紛れ込む、ということなのだろう。
 科学と社会が、それなりに友好的に向き合っていると感じる例も、あるにはある。毎日の天気予報で発表されている降水確率だ。日本では1980年6月に東京地方で始まり、86年3月に予報エリアが全国に拡大された。気象庁の海老原智・予報課長は「みんなが毎日、予報の検証をしているうちに、感覚的に理解されるようになったのでしょう」と話す。
 降水確率が10%なら、統計的に100回のうち10回は雨が降るわけだが、私は確率10%なら、傘はまずもたない。たまに、この選択が裏目に出たり、予報がはずれたりして、コンビニでビニール傘を買うはめに陥るが、たいして腹がたたないのは、損が気にならない程度だからだろう。
 原発事故なら話は違ってくる。既存の原子炉が損傷する深刻な事故の発生頻度について、国際原子力機関が掲げる目標は「原発1基あたり、1万年に1回」。
 さて、この確率をどう読もう。「1万年に1回」どころか「永遠にゼロ」がいいに決まっているが、それは「絶対に有効」な治療法を求めるに等しい。「1万年に1回」ならいいのか、それでも嫌なのか。決めるのは、やはり私たち、人、である。」(
2013/12/08付「朝日新聞」p10より)

最近、“ある医療”についての確率、可能性について、医師の話を聞いたり、Netで検索することが多い。そんな目で上の一文を読んでみると、なかなか含蓄がある。
「脳卒中になる人は患者1千人あたり、ディオバンをのんでいると年間5.6人(←0.56%)、のんでいないと年間10.4人(←1.04%)と算出された。・・・」
「ななめから読めば、違うメッセージが浮かび上がる。ディオバンをのんでも脳卒中になる人はいるし、脳卒中にならない人を数えれば、のんでも、のまなくても、差はわずか。いずれにしても、ほとんどの人は脳卒中にならない。「なぜ、のまなくてはいけないの」。・・・」

0.6%の確率が1%の確率に“改善”されたことを、どう評価するか?・・・

「科学は、たとえばくじが入った抽選箱が二つあったとき、どちらの箱にどれだけの割合で『当たり』が入っているのかを教えてくれる、でも、どちらの箱からくじを引くのかは、決めてくれない。どの治療法を選ぶのかを決めるのは、人です」
なかなかうまい例えで、実にその通り・・・。

普通の生活をしている人が、「確率」を一番認識するのは、やはり病気になったとき。手術の成功確率、または重篤な病気での生存確率等々。
先の原発事故を見ても、「絶対」など有り得ないことは、誰もが肝に銘じた。医療の世界でも同じだろう。例え99%の成功実績があっても、1%に入る事は有り得る。その覚悟は必要。よって出来ることは“ただ祈る”だけ・・・。

最近よく思う。人は(自分は)、永久に生きる前提で暮らしている。それで良いのか?と・・・。総溢血や心筋梗塞など、短時間で死ぬことも有り得る。例え確率が小さいとは言え・・・。
すると、「終末=死への準備」はいつから始めないといけないのか・・・

書店に行っても、「どうせ死ぬなら「がん」がいい」といった本が並ぶ。確かに死まで、ある程度の時間が与えられる病気は、自分がその気になれば後始末は出来る。しかし自分のように、非常に気の弱い人間には、その気力さえ失せてしまう気がする。
カミさんが良く言う。「人間60歳を超えたら、いつ死んでもおかしくない」。
確かに、シルバー世代になると、その確率は益々上がってくる。つまりは、死への準備=身辺整理のスタートは、早いほど良いのかも知れない。
なぜか世代交代を意識する最近である。

131209jiisan <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月 8日 (日)

「あなたの体罰、私は忘れない」

先日の朝日新聞の投書欄「声」にこんな記事があった。
あなたの体罰、私は忘れない
    翻訳業(岐阜県 42)
 先生。あなたが中学の同窓会に出席されると聞いたとき、出席を躊躇(ちゅうちょ)しました。授業中に受けた体罰が忘れられないからです。1年生のとき、私は、問題を早く解いた友人に「すごいね」と言いました。あなたは「何を話した」と怒鳴り、戸惑う私に、「言わないなら、言わせてやる」と、全員の前で口の中が切れるほど殴りました。
 同窓会で思い切って当時のことを尋ねたら、あなたは「覚えていない」。「もし後悔されているなら若い先生たちに語って」というと、「3月で定年退職したから」と笑って答えました。
 あなたは忘れても、私は忘れません。あの恐怖、恥ずかしさ、悔しさ、痛みを思い出すたびに、今も腹痛に悩まされます。あなたが言わないなら、私が言います。教師を目指す若い皆さん、決して体罰をしないでください。」(
2013/12/04付「朝日新聞」p16より)

自分は教師に体罰を食らった記憶は無い。しかし小学校3年生の時の、担任の女の先生との相性の悪さは覚えている。相性の悪さ、というのは今にして思うのであって、小学生の当時は「相性」などということなど知るよしもなく・・・。
当時の事件については(ここ)に書いたので繰り返さないが、皆の前で叱られ、一人孤独に陥った自分の心は、長い間、完全に萎縮してしまった。
その先生が2学期が終わった12月で、夫の転勤に伴う引っ越しのため、学校を辞めた。自分にとってはラッキーだったのであるが、冬休みに入った12月末のある日、友だち達と先生の家に“お別れ”に行く羽目になり、すごすごと付いて行った。先生の家は引っ越し当日で、もう家財道具はなく、たまたま、最後の掃除をしていた先生からあめ玉を貰った。
トラウマがあったのでホントウは行きたくなかった。しかし友だちたちに「行きたくない」と言う勇気は自分には無かった。

それと同じようなケースは、サラリーマンになってからは数限りなくある。これは誰も同じ。“付き合い”と称して、自分の感情を押し殺して飲みに付き合うことは幾らでもあった。
しかし現役を退いて、そんなしがらみから解放されたか?と思うと、まだまだ引きずっている自分を見付ける。
自分の心に素直な生き方(行動)は、たぶん死ぬまで出来ないのだろうな・・・。そう思うこの頃である。何とも、人生の人との付き合いは難しい・・・。

131208gestaltzerfall <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月 7日 (土)

「政権のNHK支配 監視を」~12/6「秘密保護法案」デモ風景・各局の放映時間比較

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
政権のNHK支配 監視を 露骨な人事、情報統制の発想
    メディア研究者・松田浩

 公共放送NHKが、安倍政権の“政治的人事”で、危機に立たされている。さきの経営委員人事で、安倍首相が新任の4委員を自らに極めて近い、“安倍一族”で固めたためだ。
 半世紀以上、NHKと政府との関係をウオッチしてきたが、このような露骨きわまる人事はみたことがない。これは単なる「お友達人事」の域を超えている。安倍政権による“NHK乗っ取り人事”とでも名づけるべきではないだろうか。
 12人の委員でなる経営委員会はNHKの最高意思決定機関で、会長の任命権限をもつ。その経営委に、憲法改正や歴史認識などで首相と政治信条を共有する委員たちが送り込まれた。さしあたり、来年1月に任期を迎えるNHK会長人事の行方が気になる。だが、それだけではない。伝統的に権力の意向を“忖度(そんたく)”することにたけたNHKの体質を考えれば、原発、教育、歴史問題、集団的自衛権などを報じる際の現場への萎縮効果は計り知れない。
 NHKの歴史は、政府・与党による介入の歴史でもある。だが過去、自民党は経営委員の人選には一定の抑制をみせ、国会同意をめぐり与野党間で大きくもめることはなかった。この流れを大きく変えたのが、第1次安倍政権だった。
 安倍首相は、菅義偉総務相(当時)とのコンビで首相を取り巻く財界人グループの一員である古森重隆・富士フイルムホールディングス社長(当時)を経営委員長に送り込み、「改革」を託した。古森委員長は自民党の要求通り受信料の値下げを断行する一方、編集権に踏み込む発言を行い、物議をかもしている。
 官房副長官時代の01年、従軍慰安婦を扱った番組の放送前に、NHK幹部らに持論を展開した上、「公正中立の立場で報道を」と指摘したのも安倍氏であった。
 参院選で一人勝ちし、国会のチェック機能が弱められたのをいいことに、政権の奢(おご)りは今、エスカレートしている。安倍首相は経営委員人事をテコに、NHKの直接支配に乗り出したのである。
 時あたかも特定秘密保護法案が衆院で強行採決された。共通して底流にあるのは、国民に与える情報をコントロールしようという安倍政権の発想である。
 かつて新聞記者出身の前田義徳会長がNHKを去るにあたって残した言葉が、あらためて思い出される。「政府の介入に大きく余地を残した現行放送法制の問題点を、諸君、どうか真剣に考えてくれたまえ」
 ただでさえ、日頃から政権寄りの報道が目につくNHKである。「みなさまの公共放送」が戦前と同じ「国家の公共放送」に変貌(へんぼう)することがないよう、視聴者・国民による厳しい監視の目が必要だろう。
     *
 まつだ・ひろし 1929年生まれ。メディア研究者。日本経済新聞社で25年間、放送担当の記者や編集委員を務めた。著書に『NHK 問われる公共放送』など。」(
2013/12/04付「朝日新聞」p31より)

メディア、特にテレビの力は大きい。「秘密保護法案」についても、政府の見解を主に伝えれば、素朴な国民は、賛成になるかも知れない。逆に国民のデモ風景をたくさん伝えれば、この法案には問題がある、という認識に立つかも知れない。
政権にとって、一番放送して欲しくない風景は、反対デモの風景だろう。益々国民の反対が増え、政権の支持率が下がる契機になるので・・・
そこで、国民のデモや反対集会などを、テレビ各局はどの程度伝えているのか・・・。タイムマシンシフトレコーダで、昨夜の各局のニュース番組のデモ風景の放映時間を測ってみた。(これは早送りでチェックしただけなので、正確ではない。もし抜けていたらゴメン)

★12/6「秘密保護法案」デモ風景・各局の放映時間比較
<NHK総合>
~延べ55秒
19:00「NHKニュース7」:25秒、
21:00「ニュースウオッチ9」:20秒

<日テレ>=延べ27秒
16:50「news every.」:15秒
23:58「NEWS ZERO」:12秒

<TBS>~延べ6分21秒
15:50「Nスタ」:1分06秒+20秒+1分36秒+1分18秒+1分25秒
23:30「NEWS23」:56秒

<フジテレビ>~25秒
16:50「スーパーニュース」:25秒

<テレビ朝日>~5分03秒
16:53「スーパーJチャンネル」:28秒+1分38秒
21:54「報道ステーション」:50秒+21秒+1分46秒

<テレビ東京>~30秒
16:52「NEWSアンサー」:30秒

明らかなのは、TBSとテレビ朝日が生中継を含めて積極的にデモや反対集会の風景を伝えていたが、他の局はこんなもの。報道の姿勢が良く分かる。自分の信じていた(?)NHKも、ま、こんなもの・・・。

ついでに、新聞とテレビの比較で、新聞の発行部数を調べてみた。
「2011年世界の新聞発行部数トップ10」ここ)によると、
1位 読売新聞(日本) 1000万部
2位 朝日新聞 (日本) 750万部
3位 The Times of India(インド) 380万部
4位 毎日新聞(日本) 350万部
5位 参考消息(中国) 310万部
6位 日本経済新聞(日本) 300万部

だそうだ。

一方、NHKの受信契約数はH25年10月末で「41,218,330」とある(ここ)。

つまり、4紙合わせても2400万、対してNHKは4100万。いやいやこの比較は間違い。新聞は1紙でも読む人は1~2人。対してNHKは子どもも含めて国民の大多数が見る。
つまり影響度は、新聞の比ではない。
そんなNHKが政府の道具と化したら、日本はどうなって行くのか・・・
仕方がないので、TBSとテレビ朝日に頑張って貰うしかないか・・・

昔のドイツ・ナチスではないが、「プロパガンダ【propaganda】(宣伝。特に、主義・思想の宣伝。)」という言葉が頭をよぎるこの頃である。

131207ashidematoi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月 6日 (金)

原大輔の「黄昏」

今日は、こんな歌はどうだろう?
原大輔の「黄昏」という歌である。

<原大輔の「黄昏」>

「黄昏」
  作詞・作曲:岸田智史

枯葉散る 季節になって
靴音さえも 消えました
何故でしょうか…
淋し過ぎて 胸の震え止まらない

コート無しの 身体寄せて
歩く二人は 恋人なのに
追いかけても
今あなたの 心何処に遊んでいるの

いつも通りに あの角まで
送ってくれますか?
ふりむかないで お別れに
心が心が 乱れます…

黄昏の 街を行く
一人ぽっちの 長い影
離れてても
あなただけは 陽ざしの中歩いてほしい…

あなたをもっと 知りたかった
私をもっと 見せたかった
それも無理ね…
このままでは 思い出さえも壊れそうだもの

いつもどおりに あの角まで
送ってくれますか?
ふりむかないで お別れに
涙が涙がこぼれます…

黄昏の 街を行く
一人ぽっちの 長い影
離れてても
あなただけは 陽ざしの中歩いてほしい…

秋の空に、こんなロマンチックな歌は似合う・・・

この原大輔という歌手。Wikiよると1983年に「秋冬」(ここ)を出して「有線大賞新人賞受賞」とある。その後の活躍は、1988年頃以降の記載がない。もう昔の歌手なのだろうか?

しかしこの歌声は、自分に取ってみると、小椋佳、手仕事屋きち兵衛、大塚博堂などに共通な歌声に聞こえる。何ともしみじみとした、哀愁に充ちた歌声に聞こえるのである。

ところで「黄昏」という文字。【広辞苑】にはこうある。
こう‐こん【黄昏】クワウ‥
 夕暮。たそがれ。
たそがれ【黄昏】
①「たそがれどき」の略。源氏物語夕顔「寄りてこそそれかとも見め―にほのぼの見つる花の夕顔」
②比喩的に、物事が終りに近づき、衰えの見える頃。「人生の―」

そろそろ「日本の黄昏か・・・?」とは思いたくない・・・。
こんな歌を安心して聞いていられる時代が続いて欲しいものだが・・・。

131206kawaita <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月 5日 (木)

日本の汚職指数「清潔さ18番目」

昨日の朝日新聞に「汚職指数」なるものの順位が載っていた。曰く・・・

「日本の汚職指数「清潔さ18番目」 国際NGO調査
 世界各国の汚職状況を監視する国際NGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」131205osyoku (本部・ベルリン)は3日、各国の公共部門の腐敗の度合いを示す「汚職知覚指数」の2013年のランキングを発表した。対象となった177カ国・地域の中で日本の清潔度は18位で、昨年の17位とほぼ同じだった。
 ランキングは、各国の政治と行政の汚職の状況についてビジネスマンの評価や専門機関の調査をもとに100点満点で採点し、点数が高いほど清潔度が高い。今年はデンマークとニュージーランドが91点でトップ。日本は74点で、昨年と同じ点数だった。最下位は8点でアフガニスタン、北朝鮮、ソマリアが並んだ。(ベルリン)」(
2013/12/04付「朝日新聞」p13より)

<2013年の主な国・地域の「汚職指数」の順位(12年)>
①デンマーク(1)、ニュージーランド(1)
③フィンランド(1)、スウェーデン(4)
⑤ノルウェー(7)、シンガポール(5)
⑦スイス(6)
⑧オランダ(9)
⑨オーストラリア(7)、カナダ(9)
⑱日本(17)
⑲米国(19)
(36)台湾(37)
(46)韓国(45)
(80)中国(80)、ギリシャ(94)
(94)インド(94)
(175)アフガニスタン、北朝鮮、ソマリア(いずれも174)

大問題の「特定秘密保護法案」も、今夜の参院本会議で採決されそうだったが、どうやら明日6日に延びた模様。
これが成立すると、何でも秘密なので汚職がはびこり、日本の順位はどんどん下がることは必定。
日本も北朝鮮の順位を狙って頑張ろうぜ!!(トホホ・・・)~無力感であまり書く元気が出ないエムズ君なのである。

131205neko <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月 4日 (水)

「秘密保護法案」~後の世代にどう責任を取る?

世論の反対論を無視して、安倍政権は秘密保護法案の成立に突き進んでいる。

「自公、秘密法案6日成立確認
 自民党の石破茂、公明党の井上義久両幹事長は4日午前、東京都内で会談し、特定秘密保護法案を5日に参院国家安全保障特別委員会で採決し、国会会期末の6日の参院本会議で成立させる方針を確認した。同席した公明党の漆原良夫国対委員長は、野党が採決先送りのために審議を引き延ばした場合、短期間の会期延長もあり得るとの認識を記者団に示した。
 石破氏は会談後、記者団に「衆参両院の審議を通じて論点も明らかになっている。そろそろ採決の時期が来つつある」と述べた。」(
共同通信2013年12月4日(水)12時9分配信)

昼の民放の番組で、先の石破幹事長のブログで書いた2013年11月29日付の記事、
「今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない(*本来あるべき民主主義の手法とは異なる)ように思われます」(ここより)*平成25年12月2日10:00):お詫びと訂正
について語っていた。
石破幹事長の本音が出ているこの発言について、特定秘密保護法案12条2項1号における「テロリズム」の定義「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。」についてどう捉えるか?だ。

・国家若しくは他人にこれを強要し、
・又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、
・又は重要な施設その他の物を破壊する

と読むと、「強要」と「殺傷」と「破壊」が同列になり、デモはテロとなる!?

・国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える“目的”で
・ 人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。

と、“強要”が“目的”にかかるように「他人にこれを強要する目的で」と読むと、デモは殺傷や破壊をしていないので、テロではないとなる!?

ひょんな事で、バレてしまった分かり辛い条文だが、何れにしても世の中の不信感は相当なもの。
しかし政権は6日の成立を目指しており、たぶんホントウに成立してしまうのだろう。“民主的な”多数決によって・・・

先日、ある法律の専門家に聞いてみた。
「いったん成立した法律は、将来廃止に出来るのか?」
「いったん成立してしまった法律は、改訂はあっても廃止という例はほとんど無い」
「らい予防法の廃止の例はあったのでは?」
“らい予防法の廃止に関する法律(平成8年法律第28号)
(らい予防法の廃止)
第一条 らい予防法(昭和二十八年法律第二百十四号)は廃止する。(
ここより)
「この法律は、そもそも事実が間違っていた」
「秘密保護法案が成立してしまうと、どうなる?」
「日本人は熱しやすく冷めやすいので、すぐに忘れ去られて行くのでは?」
何とも冷めた話だった。

国連など、世界も心配している「秘密保護法案」だが、たぶん明日にでも生煮えのまま参院で強行採決され、成立してしまうのだろう。
何度か書いているが、今の政権を生んでしまった現世代は、将来世代に対してどう責任を取るのだろう?
幾ら「自分は投票しなかった」と言ってみても、将来世代から見ると、今のオトナたちが選んだ政権が成立させてしまったことは事実である。

“特定秘密保護法の廃止に関する法律
(特定秘密保護法の廃止)
第一条 特定秘密保護法(平成二十五年十二月六日法律第***号)は廃止する。“

という法律の制定を将来世代に託すしか、今のオトナに出来ることはない。
幾ら後悔しても、長年培ってきた日本の民主主義を後退させた責任は、今のオトナなのである。

●メモ:カウント~510万

131204hantai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月 2日 (月)

「死ぬ瞬間」死にゆく人々との対話 キューブラー・ロス著~Uさんの読書ノート

数十年前から、カミさんから読めと言われていて、読んでいない本がある。キューブラー・ロス著「死ぬ瞬間」である。
カミさんは学生時代にこの本を読み、大きな影響を受けたという。
死へのプロセス、つまり第1段階「否認」、第2段階「怒り」、第3段階「取引」、第4段階「抑うつ」、第5段階 「受容」については自分も知っている。しかしなかなか本文が読めない。先日もチャレンジしたが、数ページで挫折した。
そんな折、Uさんから送って貰った読書ノートに、この本があった。それで改めてその要約を読んだ。

★「死ぬ瞬間」死にゆく人々との対話 キューブラー・ロス著~Uさんの読書ノートのPDFはここ

改めてこの要約を読んでみる。
「我々は、無意識下に自分自身について、決して死は起こり得ないとする基本的な思いを持っている。無意識下では、我々の生命がこの地上で終わるなどとは想像もつかない。」
これは本当である。誰も同じかも知れないが、日常、自分の命は永遠である、という気持ちで暮らしている。およそ死への自覚など無いのである・・・。

「ある医者は患者のニーズに極めて敏感であって、重篤な病気である事をあからさまではなく、だが巧みにはっきりと自覚させ、同時に希望の窓は必ず開けておく。」
2年半前に亡くなった義姉を思い出す(ここ)。ガンの宣告の時、医師から「世界的などんな名医でも治せません。」と言われたとか・・・。
希望を完全に打ち砕く宣告。それは事実かも知れないが、「絶対に治らない」と患者に宣言することが、医師としてどれだけ必要な事か・・・。患者の心を二度と立ち上がれないまでに打ち砕く必要性が、自分は未だに分からない・・・。しかし義姉はそれに耐えた・・・

「どんな患者でも何らかの治療法の可能性を諦めていない。こういう万が一と言う希望が、末期患者に特殊使命の感覚を与え、気力を維持させ、万事が耐え難い限界に達しているのに、さらに加えられるテストにも耐えさせるのである。」
人間はどんな時にも、“希望”が無ければ生きていけないものだと思う。

人に限らず、生物はその命を終えるとき、病気の痛みなどで苦しんで死んでいく。そして家族との別離という心の苦しみもある。
人はそれを営々と甘受してきた。世代の交代と考えると、それらは当たり前のことかも知れないが、しかし、(神は?)なぜこんな苦しみを与える?なぜそんな仕組みに・・・?
確かに本当の死の瞬間は、脳内モルヒネが放出されるとも聞くが、それまでの間は苦しむ・・・

この歳になると、自分たちの死について、良く話す。そしていつも出る話が「どうしたら楽に死ねるか・・・」ということ。
脳溢血は、死に損なう危険生があるので、うまく行くと3分で死ねる心筋梗塞が良いか・・・と。しかし心筋梗塞は痛いらしいので、やはり気を失う脳の疾患がよいか・・・
しかし自分の死を選べないのが、自然の理・・・。
ポックリ寺願望が良く分かってきたこの頃である。

131202kowai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年12月 1日 (日)

「怖い夢」

先日の日経新聞夕刊で、こんな記事を読んだ。
怖い夢 辻村深月
 こんな夢を見た。
 夏目漱石の『夢十夜』の有名な書き出しである。それを意識して、というわけではないけれど、今日は私の観(み)た夢についての話を書く。
 保育園に子どもを通わせる母親にとって、「お迎えを忘れる」ことほど怖いものはない。実際に忘れたことはないものの、私は夢に二度見ている。以下、夢の話であるから、どうか安心して読んでいただきたい。
 一度目に見た夢では、私は仕事で都内近郊の山に来ている。下山し、地元の駅に着いて時計を見ると、保育園のお迎えの時刻を十五分過ぎている。青くなり、携帯電話を確認すると、園からはすでに多数の着信が。これまで、「あと何分!」と急ぐようにしてお迎えに駆け込んだことは何度かあったものの、時間を過ぎている経験は初めてで、しかも、ここから保育園まではどうあがいてもあと一時間はかかる……というところで、目が覚めた。
 その夢も充分に怖かったが、二度目に観たものがまたすごく怖い。
 私は、とあるテレビの番組収録に立ち会っている。以前取材させてもらったプロデューサーが番組を録り終えるところを、スタジオの隅っこで最後まで見守り、出演者たちと笑い合って楽しく過ごす。――と、そこからまるで、夢が一部と二部のように内容が切り替わるのだ。
 スタジオを出たところで夢は終わらず、私は自分が保育園のお迎えを忘れていることに気づく。時間はもう、夜の十時すぎ。遅刻なんて言葉では済まされないほどの大遅刻に、携帯の着信を確認するのももどかしく、園に急ぐ。まだ、我が子はきちんと預かってもらっているだろうか。園の外に出されていないだろうか、と泣きそうになる。やがて、「すいません!」と息せき切って玄関に飛び込むと、うちの子は一番年配の先生に抱っこされ、保育園で待っていた。この段階で、夢の中の時計は十一時を回っている。
 先生に申し訳なくて、どう謝ればいいかわからず、「ごめんなさい、本当にごめんなさい」と早口で繰り返す。先生は怒らない。そのことにほっとしたのも束(つか)の間、先生が腕に抱いたうちの子の顔を覗(のぞ)き込んでこう言うのだ。
「ねぇ。誕生日だったのに」
 そこで、夢が終わる。
 この夢を観た後、起きてからしばらく動悸がおさまらなかった。そもそもうちの子の誕生日はまだなのに、なぜこんな夢を観たのか。言いようのない罪悪感みたいなものが、その日一日、ずっと抜けなかった。
 この話を保育園で知り合いのお母さんに話したところ、「ぎゃー」と叫ばれた。怖すぎる、というのである。「私も似たような夢は観たことがあるけど、何、そのオチ」と言われ、「そうだよねぇ」と私も苦笑したが、その数日後、今度は別のお母さんから「聞いたよー。あの夢の話」と話しかけられた。「聞いた私の方が気になっちゃって、今日はできるだけ早めにお迎えに行こうって思った」と言われ、なんだか保育園内で都市伝説のように広まっていくな、とまた苦笑。きっと私や、うちの園だけでなく、多くのお母さんが子どもを気にかけ、常に忘れ物をしているような緊張感を持って日々を過ごしている。響く人と響かない人がいるかもしれないが、何かの戒めのような、この「怖い夢」。夢で、本当によかった。
(作家)」(
2013/11/26付「日経新聞」夕刊p7より)

保育園の「お迎えを忘れる」という恐怖は、還暦をとっくに過ぎた自分にとっては、まったく分からない「怖さ」だが、自分も「怖い夢」については超ベテランなのだ。
朝起きても、さっき見た夢の内容は脳裏から消えず、カミさんを捕まえては、夢の内容を話すのだが、ハイハイハイ・・・というカミさんはどこまでマジメに聞いているのやら・・・

以降は、個人情報になるので少々ヤバイのであるが、こんな夢をよく見る。それも1度や2度では無く、何十回?も見ている。
場所は、会社の独身寮の部屋。引っ越しの日になっても、準備が出来ていない。段ボール箱も用意していなく、そろそろトラックが来る頃だが、何もしていない。それに肝心のトラックが来ない。予約してあったのに・・・と電話しようとするが、電話番号が分からない。どうしよう、どうしよう・・・と焦っている夢。

それと、こんな夢も良く見る。学生時代の語学の試験の前、勉強をしていなくて、どうしよう!という夢・・・。
全て、“焦り”の夢だ。朝起きて、ああ試験が無くて良かった・・・と思う。
学生時代の試験など、もう半世紀も前の出来事だが、未だに夢に出てくるとは、それだけ当時プレッシャーがあったという事なのだろう。
夢占いというのがあれば、何か分かるかも知れない。カミさんは「人生でやり残した宿題があるため」と評する。

それにしても「夢」という字。将来の“夢”と「悪“夢”」とのあまりに違う“夢”の違い。
しかし、子供たちには大いなる夢を持って生きて欲しいし、また夢おおき時代になってほしもの・・・

131201nora <付録>「ボケて(bokete)」より

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