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2013年9月 6日 (金)

「女子高校生と外交官 きちんと向き合う大切さ」~子どもへの対応

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(ザ・コラム)女子高校生と外交官 きちんと向き合う大切さ 大久保真紀
   1995年9月28日の夕方。私は東京・南麻布のフランス大使館の前にいた。いまかいまかと、大使館に入った女子高校生4人が出てくるのを待っていた。
 この年に再開されたフランスの核実験に反対する署名を高校生が大使館に届けるという連絡を前日、受けた。「高校生が署名提出」という簡単な記事を書くつもりだった。だが、なかなか出てこない。姿を見せたのは、約2時間後。彼女たちはほおを紅潮させ、なぜかうれしそうだった。
 4人は東京学芸大学付属高校の2年生。文化祭でチラシを配り、仲間と署名を呼びかけ、約2千人分を集めた。
 自分の高校時代を振り返ると、核実験には全く関心がなかったし、署名を集めるという行動を考えたこともない。彼女たちの問題意識には感心するばかりだった。
 4人によると、大使館では、1等書記官のフィリップ・ルフォールさんが通訳を伴って迎えてくれた。南太平洋での実験は環境に悪影響があるのではないか、と質問する彼女らに、ルフォールさんは図を描きながら「影響はない」と説明。「環境に影響がないのならパリでやればいい」と食い下がると、「パリ近郊でできないのは、振動がひどいからだ」などと話した。
 彼女たちは率直に疑問をぶつけた。「核不拡散条約で他国に保有を禁ずる核兵器をなぜもつのか」「地球を何回も崩壊させる核兵器をもつのに、なぜ改めて実験するのか」。ルフォールさんも「日本は核の傘の下に入っている」「(最近核実験した)中国には抗議しないのか」などと応じた。議論は平行線だったが、ルフォールさんは目を見て話し、4人の意見も丁寧に聞いた。気づくと予定の30分を大幅に超えていた。
 「ちゃんと対応してくれたね」。彼女たちは興奮気味に経緯を話した。
 感動した私はその夜、社に戻って長い原稿を書いた。翌日の夕刊社会面に「『反核の声、聞いて』女子高生4人 2000人の署名携え訪問 仏大使館の門が開いた 2時間異例の応対」という記事が載った。
      *
 この夏、4人の中のひとり、黒木麻衣子さん(34)が会いに来てくれた。現在は英国で国際関係学を研究する。「あれは私の人生を変えた出来事だった」と語った。
 あのとき、黒木さんは抑止力としての核の存在を強調するルフォールさんに、生意気にもこう言った。「核の存在前は優秀な外交官が戦争を防ぐ唯一の手段だった。あなたのような外交官がたくさん出て、本当の平和が来るように祈る」と。すると、ルフォールさんは「外交官になりなさい。あなたみたいな人がなれば日本の外交がおもしろくなる」と握手をしてきた。
 未熟な高校生の話をまともに聞いてくれたことに、黒木さんは心を動かされた。国際政治に関わりたいとの思いが生まれた。2浪後に慶応大学に合格したが、入ったのは史学科。その後、上智大学大学院で念願の国際関係論を学んだ。「国際政治学者になりたいという目標を見失わないで来られたのは、あの瞬間があったから」と言う。進路で悩むたびに、自分たちのことが書かれた記事を取り出した。「読むと、あの時のことがよみがえる。新聞に私の生き方の原点が刻み込まれているんです」
 もうひとり、中田祐恵(さちえ)さん(35)は大学卒業後、共同通信の記者になった。当時は環境問題として核実験をとらえていたが、入社後に広島支局に勤務。被爆者の話を聞き、キノコ雲の下で起きた悲惨な現実を考えるようになった。さらに、福島第一原発の事故もあった。いまは宮内庁担当だが、「核兵器も放射線被害も含め核の問題にずっと関わっていきたいと思っている」。
 あとの2人には連絡が取れなかった。
      *
 ルフォールさんはどうしているのだろう。フランス大使館に問い合わせると、欧州連合で南カフカス地域及びグルジア危機担当特別代表を務めていた。メールを送ると、丁寧な返事が届いた。「私はいま56歳。18年前の彼女たちの訪問はよく覚えている。4人は聡明で、正直で、誠実だった」。多くの国から批判された核実験だったからこそ、批判を無視するのではなく、議論し、人々の考えを聞くことが必要と、高校生の黒木さんらに会ったという。
 記事が出た後、4人は先生に「国立の高校ということを考えているのか」と怒られたらしい。意見は違っても、真摯に真剣にルフォールさんが議論してくれたことが、彼女たちのその後に大きな影響を与えた。
 松江市教育委員会は漫画「はだしのゲン」の閲覧を制限、その後撤回した。手続きの不備を理由にしているが、事の本質には触れていない。閲覧制限も「暴力描写が過激」としてとられた措置だった。いずれも事なかれ主義と私には見える。「はだしのゲン」を読み返すと心が痛くなる場面もあるが、それが原爆や戦争の現実。起きたこと、起きていることを子どもにきちんと伝え、議論することが日本人は苦手だ。高校生とルフォールさんの「あの日の出来事」は、大人が若い人にきちんと向き合うことの大切さを教えてくれる。(編集委員)」(
2013/09/01付「朝日新聞」p8より)

会社見学など、子どもを大切にする企業は多い。将来のお客さま、という視点だ。しかし国家間でのこの話は面白い。なかなか出来ることではない。対応しても、キリがないから。そして、どうしても“面倒だ”という感情が先に立って、ちゃんと対応せねば・・・、という理屈が引っ込むから・・・

しかし、この例のように、誠意ある対応を受けた若者の心が純であればあるだけ、それらの対応が若者の人生に与える影響も大きい。この4人も「あれは私の人生を変えた出来事だった」のだ。

ふと、自分も「外国」というキーワードで、昔のことを思い出してみた。まず「スイス」が浮かんだ。中学1年の頃だったか、スイスの山の風景写真が大好きだったので、何の要件か忘れたが、スイス大使館に手紙を書いた事があった。ほどなく、大きな封筒に、スイスの山の写真がたくさん載ったチラシ、カタログが送られて来た。これには感激した。こんな子どもの手紙にも対応してくれた・・・。

そういえば、BCL(Broadcasting Listening)カードの記憶もある。中学2年の頃、短波ラジオ130906card を自作して、海外の日本語放送を聞いた。そして受信報告を送ると、海外のラジオ局からベリカードが送られてくる。英国BBCからはソノシートのベリカードで、ビッグベンの鐘の音が聞こえた。ラジオ・オーストラリア、北京放送局、ボイス・オブ・アメリカ、ラジオ・モスクワなど・・・。子ども心にも、世界を空想して心が躍ったもの・・・。そして、子どもの頃の記憶は長く残るもの・・・(写真は、当時のもの。S37.1.24の日付がある)

そんな事を考えると、その影響が長く残るので、子どもへの対応は心せねば・・・。もう自分の子どもには間に合わないから、孫への対応に心することにするか・・・。

130906okusuri <付録>「ボケて(bokete)」より


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