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2013年9月の27件の記事

2013年9月30日 (月)

2013年「第13回シルバー川柳」入選20句

毎年恒例の「シルバー川柳」・・・。今年は発表の日に見落としてしまったが、今年も例年と同じ9月11日に「全国有料老人ホーム協会」が、今年の「シルバー川柳」の入選作を発表していた(ここ)。少し遅いがコメントとともに・・・

<「第13回シルバー川柳」入選20句>(順不同)
■お医者様 パソコン見ずにオレを診て (男/秋田県/74歳/農業)

⇒最近の大病院の医者はホントウに、パソコン入力にばかり目が行っているよね。見ていると、入力作業が結構大変な作業量・・・。医師も大変・・・
■寝て練った 良い句だったが朝忘れ (男/埼玉県/73歳/無職)
⇒自分も夜中に目覚めて、よくグッドアイデアをひねり出すのだが、朝起きてそれを思い出すと、ほとんどが妄想で役に立たない・・・
■「先寝るぞ」「安らかにね」と返す妻 (女/埼玉県/71歳/主婦)
⇒そろそろ言葉にも“配慮”を・・・。男は気が弱いのだ・・・。
■欲しかった 自由と時間持て余す (女/岩手県/77歳/無職)
⇒サンデー毎日になったサラリーマンは、誰も同じな経験をするのでは??
■お迎えは 何時でも良いが今日は嫌(女/神奈川県/84歳/無職)
⇒そう、今日はイヤ!と言いながら、どんどん歳を取る・・・。それで良いのだ!
■お迎へと 言うなよケアの送迎車 (男/福岡県/84歳/無職)
⇒上と同じく、そろそろ言葉にも“配慮”を・・・。敏感になって来るので・・・
■金貯めて 使う頃には寝たっきり (男/福島県/69歳/無職)
⇒そうだよ。足が動くウチに、旅行でも何でもしておかなければ・・・
■欲しい物 今じゃ優しさだけになり (女/大分県/74歳/主婦)
⇒物欲があるうちは、健康な証拠!?
■骨が減り 知人も減るが口減らず (男/広島県/53歳/公務員)
⇒それは頭が動いている証拠。周囲は迷惑だろうが、本人的にはラッキー!
■症状を 言えば言う程薬増え (女/奈良県/85歳/無職)
⇒薬は毒。最低限の薬に絞りたいものだが・・・
■孫が聞く 膝が笑うとどんな声? (女/埼玉県/59歳/無職)
⇒「ケタケタケタ・・・」と笑うのさ・・・
■本性が 出ると言うからボケられぬ (男/神奈川県/53歳/会社員)
⇒そう思って、100歳までボケないで頑張りましょう!
■メイドカフェ? 冥土もカフェがあるんかえ? (女/三重県/36歳/パート)
⇒自分もメイドには行ったこと無いけど、“冥土にカフェがある”と思うだけで、楽しみだよね。
■ひ孫の 名読めない書けない聞きとれない (男/京都府/48歳/会社員)
⇒ヘヘヘ・・・。今度生まれるウチの孫の名前は、読めるし書けるんだ~~
■耳遠く オレオレ詐欺も困り果て (男/兵庫県/60歳/公務員)
⇒耳の遠いのは、結構便利らしいよ。
■子は巣立ち 夫は旅立ち今青春 (男/栃木県/61歳/無職)
⇒これは女性の専売特許! それを男性が作るとは・・・。男は決して言えないので、憧れ?
■検査あと 妻のやさしさ気にかかり (男/岐阜県/63歳/自営業)
⇒それはヤバイ! 何かあるぜ、きっと!
■白内障 術後びっくりシミとシワ (男/大阪府/71歳/無職)
⇒ハイビジョンTVと同じ。見え過ぎるのも問題??
■期限切れ 犬にやらずにオレに出す (男/東京都/74歳/無職)
⇒ま、居候(いそうろう)は仕方がないな・・・??
■ 暑いので リモコン入れるとテレビつく (女/宮城県/75歳/無職)
⇒確かに周囲はリモコンだらけ・・・。でも耄碌しないで、頑張ろう。
(「全国有料老人ホーム協会」のHP(ここ)より。第1回~第12回の入選作はここ

いつも書いているが、これらのウィットは、自分には無い才能。だから“他人の名作”を読んで、ナールほど!と感心するのが自分の趣味なのさ・・・。

130930ninjin <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月29日 (日)

「家族の責任、どこまで 徘徊中、線路に…遺族に賠償命令」

先日の朝日新聞に、何とも重たいテーマの記事があった。
「(認知症とわたしたち)家族の責任、どこまで 徘徊中、線路に…遺族に賠償命令
 家を出て徘徊(はいかい)していた認知症の男性が線路内に入り、列車にはねられて亡くなった。この男性の遺族に対し、「事故を防止する責任があった」として、約720万円を鉄道会社に支払うよう命じる判決が出された。認知症の人を支える家族の責任を重くみた裁判所の判断。関係者には懸念の声が広がっている。
妻がまどろんだ一瞬
 事故は2007年12月に起きた。愛知県に住む当時91歳の男性が、JR東海道線の共和駅で、列車にはねられて死亡した。
130929haikai1  男性は要介護4。身の回りの世話は、同居する当時85歳の妻と、介護のために横浜市から近所に移り住んだ長男の妻が担っていた。この男性が外に出たのは、長男の妻が玄関先に片付けに行き、男性の妻がまどろんだ、わずかな間のことだった。
 男性はホームの端から数メートルの線路上に立っていたところ、列車にはねられた。線路に入った経路はわかっていない。事故で上下線20本が約2時間にわたって遅れた。
 JR東海は、男性の妻と、横浜市で暮らす長男を含めたきょうだい4人に対し、振り替え輸送の費用など損害約720万円の支払いを求め、名古屋地裁に提訴した。
 JR側は、遺族には「事故を防止する義務があった」と主張。訴えられた遺族側は、徘徊歴は過去に2回だけで事故の予見はできなかった、などと反論した。
判決「見守り怠った」
 今年8月に出された判決は、死亡した男性には「責任能力がなかった」とし、遺族のうち男性の妻と長男の2人に賠償責任を認めた。
130929haikai  長男は、家族会議を開いて介護方針を決め、自分の妻に男性の介護を担わせていたことから、「事実上の監督者」と認定した。さらに徘徊歴や見守りの状況から事故は予見できた、と指摘。男性の認知症が進行しているのに、ヘルパーの手配など在宅介護を続ける対策をとらなかったなどとし、「監督義務を怠らなかったと認められない」と結論づけた。死亡男性の妻についても、「目を離さずに見守ることを怠った」とした。
 一方、他のきょうだいは、遠くに住むなどの事情で、家族会議に参加しないなど、介護に深く関与していなかったとし、責任を認めなかった。
 遺族代理人の畑井研吾弁護士は「介護の実態を無視した判決だ。認知症の人は閉じ込めるか、施設に入れるしかなくなる」と批判。長男らは名古屋高裁に控訴した。
 JR東海によると、飛び込み自殺などで運休や遅れが発生した場合は、損害の請求をするのが基本的な立場。ただ訴訟にまで発展するケースはここ数年は例がないという。同社は「認知症の人の介護が大変だということは理解しているが、損害が発生している以上、請求する必要があると考えた」としている。(中林加南子、立松真文)
施錠しかないのか
 長男(63)のコメント 判決が指摘する「(出入り口の)センサーを切ったままにしていた」「ヘルパーを依頼すべきだった」といった事項を全て徹底しても、一瞬の隙なく監視することはできません。施錠・監禁、施設入居が残るのみです。父は住み慣れた自宅で生き生きと毎日を過ごしていましたが、それは許されないことになります。控訴審で頑張るしかないと思っています。
■「補償の仕組み必要」/無施錠の施設、落胆
 65歳以上の高齢者のおよそ7人に1人が認知症と推計されている。家族や関係者にとって判決は重く響く。
 認知症の人と家族の会(本部・京都市)の高見国生代表理事は「あんな判決を出されたら家族をやってられない。責任をまるまる家族に負わせればいい、というのではダメだと思う」と判決を批判。一方で「認知症の人の行動で他人に損害が生じうるのは事実。何らかの保険のような、補償の仕組みを考える必要があるのではないか」と語る。
 NPO法人「暮らしネット・えん」(埼玉県)が運営するグループホームは、カギをかけず認知症の人が自由に出入りできる。本人のペースを大事にするためだ。外に出ようとしていれば職員が付き添う。ただ注意しても、気づかぬうちに利用者が外に出かける状況をゼロにはできない。無施錠の方針は監督責任のリスクと隣り合わせだ。小島美里代表理事は「(判決の考え方で)今まで積み重ねてきたことを無視された気持ちになる。怖くて、事業をやめたいとすら思う」と話す。
 「安心して徘徊できるまち」を目指す福岡県大牟田市。今月22日に、徘徊で行方不明者が出た想定などで恒例の訓練を実施した。井上泰人長寿社会推進課長は「徘徊者に声をかけるなど、地域で見守る意識を高めることが、ますます大事になる」と語る。
 認知症ケアが専門の柴田範子・東洋大学准教授は、徘徊事故防止に関して、鉄道という公共性の高い企業の責務を指摘する。「鉄道会社は認知症についてきちんと知っておくべきだ。その知識を踏まえて、駅や踏切で事故のリスクを軽減する対策を取ってほしい」(編集委員・友野賀世)」
(2013/09/27付「朝日新聞」p29より)

この判決をどう読むか・・・。人間誰でもある歳になると、身体に色々な弱点が出てくる。それが徘徊という症状になったとき、その人を介護している人はどこまでの責任を負うべきか?
この事件では、JR東海が「男性の妻と、横浜市で暮らす長男を含めたきょうだい4人に対し」損害の支払いを求めたという。そして出た判決は「遺族のうち男性の妻と長男の2人に賠償責任を認めた。」というのだ。
この記事を読んで、「正直者がバカをみる」「逃げ得」という言葉が頭をよぎる。この例では、百歩譲って、賠償責任があると仮定しても、妻が責任があるのは分かるとしても、兄弟のうち、なぜ長男だけの責任なのか? 別居していて、家族会議に参加していないので責任無し、なら、誰も親のことなど放っておく。放っておけない者だけが、孤軍奮闘して、事件の責任を負うことになる。しかし、こと遺産分けになると話は別で、それぞれの兄弟がしゃしゃり出てくるもの・・・。
この判決はどうも解せない。単純に考えると、少なくても遺産分配の権利と同等の責任分担はあって然るべきでは??

しかし、この手の賠償責任は誰もが遭遇する可能性がある。そしてJRが損害を受けたという事実もある。すると、この記事にあるような、国の補助を含めた保険のような仕組みで助け合うしか無いのかも知れない。

これからの高齢化社会。安心して歳を取るには、まだまだ未成熟な日本社会である。

130929papano <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月28日 (土)

SONYのHDDオーディオプレーヤー「HAP-Z1ES」の発売が楽しみ

先日、日経新聞を読んでいたら、こんな記事を見つけた。
CD超える高音質音源 ソニー、楽曲配信 機器も販売
ソニーは26日、CDに比べ高音質の「ハイレゾリューション(ハイレゾ)」音源分野に本格参入すると発表した。10月中旬からハイレゾ音源のアルバムの配信を開始。ハイレゾ対応のアンプやウォークマンなど18機種を12月まで順次発売する。・・・
 ハード面では家庭用6機種とポータブル用12機種を順次発売する。家庭用はハードディスク内蔵の音楽プレーヤーやアンプ、スピーカーなど、ポータブル用は携帯音楽プレーヤーやヘッドホンなど国内外で販売する。・・・」
(2013/09/27付「日経新聞」p17より)

SONYのNAC-HD1のファンである自分が「ハードディスク内蔵の音楽プレーヤー」という言葉に反応したのは言うまでもない。
Netで検索すると、10月26日にSONYがハイレゾ機器の新製品発表を行ったという。自分が注目したのは、まさにNAC-HD1の後継機に見える「ハードディスクオーディオプレーヤー HAP-Z1ES(定価22万円)」(ここ)という10月26日発売の製品。

130928hapz1es 背面パネルを見るとこの「HAP-Z1ES」の特長が良く分かる。LAN端子と、RCA出力とXLRのバランス出力、そして外付けHDD用のUSBしかない。光出力も無いのである。
内蔵の1TBのHDDには、PCに置いた楽曲データを、LANのルーター経由で送り込むのだという。D/Aを外部機器を使わせない仕様は、D/Aによほど自信がある証拠!?

多分、買うな・・・。
前に「PCオーディオ~ハイレゾ音源をどう捉える?」(ここ)という記事を書いた。
自分も自己満足の「良い音」を求めて、ハイレゾを少しかじってみた。でも自分のPCの性能の問題もあり、あまりハイレゾにのめり込む事は無かった。
しかし、この製品には大いに興味が湧く。PC不要で、元の音源を最高の環境で音にしてくれる。しかも、CDの音源も補完して音を良くするとか・・・

音を良くする新技術を論ずる知識はあまり無いので、操作・機能面だけをNAC-HD1と対比して幾つか俯瞰してみると・・・。

1)この“PCにある音源を本体に送り込む”という仕様は、自分にとっては致命的なこと。つまり音源が自分のPCに無いのである。もちろんmp3は掃いて捨てるほどあるが、それは意味が無い。持っているハイレゾ音源がほとんど無いのである。とすると、手持ちのCDをリッピングすることになるが、それをいちいちPCにWAV形式に取り込んでから転送するとなると、大変な手間・・・。自分の愛用しているNAC-HD1は、自前でCDトレイを持っており、CDを入れると高速で勝手にリッピングしてくれるので便利だが、今回の製品は、転送するデータを作るのが大変・・・。多分この商品のコンセプトは、この機器の性能を生かすため、ハイレゾ音源は新たに買って来い、ということなのだろう。

*追)SONYの回答「HAP-Z1ES は、PC に溜めているハイレゾを含む音楽を自動転送し、その音楽を良い音で視聴できる、且つ、簡単に自動転送してお楽しみいただける製品となっております。PC に取り込まれていないCD 音源につきましてはお手数となりますが、PC から取り込みを行っていただく必要があります。」

2)曲名はNAC-HD1と同じように、Gracenoteから持ってくるのだが、これが結構間違いが多い。その修正はどうするのだろう? また同じ楽曲も色々なCDに登録されており、NAC-HD1はそれを選ぶことが出来るが、この機械は? ちなみにNAC-HD1では携帯電話のように幾らでも修正が出来る。

*追)SONYの回答「PC からHAP-Z1ES に転送する際に、Gracenote にアクセスし自動的に楽曲情報を登録していますが修正が必要な場合は、楽曲ファイルをPC のソフトウェアなどで編集しなおす必要があります。」

3)NAC-HD1と違って、この製品は「ボリュームノーマライズ Auto/Off」が付いているので、たぶんCDでの音量の大小を吸収してくれる。しかし、これはアルバムゲインとトラックゲインがあるのだろうか? これが無いと、交響曲のアレグロとアンダンテの楽章の音量差が、同じになってしまう・・・。

*追)SONYの回答「アルバム毎にトラックゲインを解析し、アルバムゲインとして設定しています。」

4)NAC-HD1と同じように「アーティスト」が選べるが、ここで「おまかせチャンネル再生」が選べると有り難い。つまり自分で選んだアーティストだけのランダム再生機能。NAC-HD1では、おまかせチャンネル再生の時に、“たまたま”あるアーティストに当たったときに、Aボタンを押すと、そのアーティストのランダム再生が出来る仕様になっている。(この機能は無いようだ)

5)リストの並ぶ楽曲の順番は、どうなっているのだろう? ABC(アイウエオ)順だけ? NAC-HD1では、録音した順にアルバムが並ぶ。もちろんそれも必要かも知れないが、ABC順にも並べ替えられるようになっていると有り難いが・・・

*追)SONYの回答「アルファベット順に並びます。ただし、メタ情報によって多少順番が前後する可能性はあります。たとえば、「The Beatles」という表示でも「Beatles」という情報で登録されている場合は「T」ではなく「B」に表示されます。」

6)新たに、タブレットから各種制御が出来るらしい。これは本体の小さい画面を見なくて済むので有り難いが、それはどの位の範囲なのだろう? 例えば、HAP-Z1ESに転送した楽曲を削除するのもタブレットから出来る?? 削除はたぶんPCの専用アプリに付いているのだろうと思うが・・・。

*追)SONYの回答「HAPMusicTransferから、本体のハードディスクをエクスプローラーで表示し該当曲を削除することができます。」

7)HDDのデータのバックアップはどうするのだろう? 元々PC内のデータを転送する、というコンセプトからすると、バックアップは元のPCにデータがあるでしょう・・・ということ? まあそれも分かる。つまり、PCの外部HDDなどに、専用フォルダでデータをまとめておく必要がありそう。(データのコピーは自由に出来るので、適宜バックアップを取ることになる)

アプリもHAP-Z1ESの取説もまだ公表されていないので、何とも分からないことばかりだが、自分のオーディオ機器も、汎用は「NAC-HD1」、ハイレゾはこの「HAP-Z1ES」となりそうである。(追:使い方は(ここ))
発売前から「買うぞ!」と決めた商品は、自分にとっては実に珍しい・・・。今から「HAP-Z1ES」の発売が楽しみである。

(関連記事)
NAC-HD1からWAV/FLACとして読み出す方法
SONYの「HDDオーディオプレーヤーHAP-Z1ES」が素晴らしい
SONYのHDDオーディオプレーヤー「HAP-Z1ES」は多分買わないな・・・ 
SONYのHDDオーディオプレーヤー「HAP-Z1ES」の残念な仕様 
SONYのHDDオーディオレコーダー(NAC-HD1)に惚れた話 

130928kiraware <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月27日 (金)

危うく交通事故に・・・!?

半年ほど前に、「「時計を見るのを止めた!?」~急がない誓い」(ここ)という記事を書いて「急がない誓い」を立てたはずだが、実は全く守っていない。

昨夕も、会社から出た所で、あやうく交通事故になる所だった。これは自戒を込めた反省文である。

帰るとき、会社から出ると、一方通行の道を横切る。昔の街道だったらしく、道幅は10mほどあるだろうか、結構広い道路。昨夕、その道を渡ろうとしたとき、一方通行の左手から車が走ってきた。立ち止まって、その車をやり過ごし、道を渡ろうとしたときに、目の前を自転車が通りすぎた。ハッと思って歩き出さなかったので、衝突は免れた。自転車の後ろ姿を見ると、年配の男性。自分も、一方通行で右手から車が来ることはないので、確かに右手を見ていなかった。しかし、自分の目の前ギリギリに自転車が走り去るとは、まったく予想していなかった。
自分はこのとき、広い道の、既に1/3位は渡りかけていたので、自分の後にも充分に道路のスペースはあったし、何よりも自分が道路を渡ろうとしていたのは自転車も分かっているはず。それなのに、なぜ自分の目の前を走る?? なぜ歩こうとしている人の後でなく、前を通り過ぎる?? でもこれはこちら側の論理・・・。
もし自分が道路を渡ろうとスタートしていたら、その自転車の横に衝突することになり、自転車は転んで運転者がケガをしていたかもしれない。またもし車が来ていたら、轢かれていたかも・・・。
コンマ何秒、というホントウにチョットした時間差で、事故は起こるもの。それを避けるには、自分で周囲に充分に安全を確認しながら歩くしかない。それは道路だけでなく、あらゆる所で言えること・・・。
でも頭では分かっていても、実行は難しい・・・。

家に帰って、カミさんに話すと、「“大いなるもの”が救ってくれたのでは?」という。確かにそうかも知れない。
これに懲りて、幼稚園生のようにこれから自分も、「道路を渡るときは、右を見て、左を見てから渡りましょう!!」
そう、還暦を過ぎて、もうすぐ6年。つまりまさに自分は今、幼稚園生、または小学校1年生なのだ・・・。自分は、何とも懲りないバカ者なのであ~る・・・(←ホントウに懲りたのかな?? 自信無いな・・・)

130927nitori <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月26日 (木)

「若いホームレスに出番を」~ビッグイシューが10周年

少し古い記事だが、ビッグイシューが10周年を迎えるという
「「若いホームレスに出番を」 ビッグイシュー日本の佐野章二代表に聞く 
 ホームレス自らが路上で販売する雑誌「ビッグイシュー日本版」が今月、10周年を迎えました。発行する有限会社「ビッグイシュー日本」の佐野章二代表は10年間を振り返り、20代、30代の若いホームレスが増えていることを心配しています。
20~30代が急増、住宅支援広げて
 ここ10年間の一番の変化は、若いホームレスが急増したことだ。リーマン・ショック前の2008年7月には、ビッグイシューの東京の販売者の平均年齢は56歳だった。その2年後には平均年齢が11歳もさがった。
 NPO法人「ビッグイシュー基金」で20~30代のホームレスに聞き取り調査をした。転職を5回以上繰り返し、派遣切りや会社の倒産でホームレスになったという人が多かった。「いざという時に頼れる友人がいる」という人はごく少数で、3割にアルコールやギャンブルの依存症、4割にうつ的症状があった。
 国はこうした実態をほとんど把握できていない。厚生労働省のホームレスの定義は「公園130926homelessや河川、道路、駅などで生活している人」。こうした人だけを調査して「ホームレスは減っている」と発表している。しかし若いホームレスは路上ではなく、ネットカフェや24時間営業のファストフード店などで夜を明かす場合が多い。「見えない存在」になってしまっている。
 僕の実感では、若いホームレスは今も、リーマン・ショック直後と同程度か、むしろ増えている。イギリスでは路上で暮らす人の他、家を失いそうな人などもホームレスとみなしている。厚労省も定義を広げるべきだ。
 ビッグイシュー基金は、他の若者支援の団体とのネットワーク作りを始めた。ビッグイシューの販売の仕事があわなくても、違う団体につなぐことで支援を続けたいと思っている。
 就職できても、職場の人間関係などでつまずき、ホームレスに戻ってしまうケースが少なくない。本人の責任でもあるが、企業には、働くのが苦手な若者も職場に迎え入れる努力をしてほしい。行政は、住居費を支援する「住宅手当」をより拡充するべきだ。家さえあれば、残りの生活費は働いてまかなえるという若者は多い。生活保護で生活全てをみるより、行政の財政負担も軽くなる。
 ホームレスになるのは「自己責任だ」と突き放す人もいるだろう。しかし若年ホームレスの問題は、引きこもりやニート、フリーターなど数百万人の若者の問題と地続きで重なる部分が多い。彼らに居場所と出番を準備する。そんな社会を作る必要がある。(聞き手・長富由希子)
*さの・しょうじ 2003年に「ビッグイシュー日本版」を創刊。ホームレスに情報提供や支援をするNPO法人「ビッグイシュー基金」の理事長も務める。71歳。
<ホームレスの現状> 厚生労働省は「公園や河川、道路、駅などで日常生活を営んでいる者」と定義。この定義による調査では、今年1月時点で全国に8265人いて、2009年(1万5759人)から半分近く減った。「ビッグイシュー基金」が40歳未満の若年ホームレス50人に08~10年に聞き取りをした結果では、「野宿のみ」は3割弱で多くがネットカフェなども利用。路上調査だけでは実態が見えにくくなっている。家を失ってネットカフェや漫画喫茶などで寝泊まりする人について厚労省はリーマン・ショック前の07年、全国に約5400人いると推計。「仕事を辞めて家賃が払えなくなった」との理由が多い。同省はこれ以降ネットカフェなどの調査をしていない。 」
(2013/09/18付「朝日新聞」p30より)

同じような話題として、「脱法ハウス」なるニュースも最近TVを賑わしている。5月に毎日新 130926dappouhouse 聞が報じた中野の例だと、アパートの部屋を無理に2つに分けて、1.7畳のスペースに生活困窮者が暮らしている。(ここより)

それに端を発して「他人同士が一つの家に集まって住む「シェアハウス」のうち約8割の2000棟以上が、国などの基準で「不適合」とされる可能性が高いことが分かった。」(ここより)という動きもある。

一方、ここで暮らす人は、TVのインタビューで「住所が無いと就職活動もできない」と、国の建前論を嘆いていた。

こんな動きをみると、「法は何のためにあるのか?」と思ってしまう。“ここにこう書いてあるから、誰がどう困ろうとも、ダメなものはダメ・・・”
そんな建前論なら、子どもにだって出来る。法は人のためにあるのでは? 社会のためにあるのでは?
「これから法の解釈はこうするので、皆早く部屋から出ていって、ホームレスにでも何にでもなれ!」という弱者切り捨てが政治だとすると、ビッグイシュー日本の佐野さんが幾ら頑張っても話は水掛け論・・・

日本人は、それほどドライではないはず。弱者救済とパックでの政治・政策を期待したいのだが・・・。

(関連記事)
ホームレス支援の雑誌「ビッグイシュー」 

130926engiwaru <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月25日 (水)

「異議あり、新国立競技場計画」

今朝の朝日新聞の「天声人語」。
「そのイチョウ並木は数々のテレビドラマのロケ地になってきた。見覚えのある方も多いだろう。東京・神宮外苑の絵画館に向かって真っすぐ伸びる通りである。都会の景色として指折りといえる▼並木から見れば絵画館の左奥に、国立競技場はある。7年後の東京五輪に向けて建て替えられ、8万人が入れる巨大施設となる。「『いちばん』をつくろう」。日本人が誇りに思えるような新競技場をめざすという▼五輪が来ることの意義は深いとしても、そこまでの大きな建物が必要なのだろうか。今の計画に世界的な建築家が疑問を投げかけている。幕張メッセなどの作品で知られる槇文彦(まきふみひこ)さん(85)だ。きのうの本紙文化面で思いを語った▼緑が豊かで歴史的な遺産でもある外苑の敷地は限られており、ふさわしくない。コストも高い。「五輪のためなら、どんなにお金をかけてもいいと錯覚している」。この問題をより多くの人に知ってほしい、というのがそのメッセージだ▼槇さんの問いは新競技場の是非を超えて重い。日本建築家協会の機関誌に寄せた一文で、欧州での経験を紹介している。ある街で音楽ホールを建てようとしたところ、コンペの最優秀案が市民投票で却下された。別の街では行政が修復を渋った劇場を市民の声が救った例もある▼日本は果たしてそのような成熟した市民社会だろうか、と槇さん。これを機に、今からでも説明と議論の活発な循環を生み出したい。そうなれば五輪の意義はより大きくなるはずだ。」(2013/09/25付「朝日新聞」「天声人語」より)

上で指摘された昨日の記事は、自分も気になっていた。曰く・・・
異議あり、新国立競技場計画 建築家・槇文彦さん
 東京・神宮外苑の国立競技場の建て替え案は巨大すぎる、変更すべきだ――建築家で東京大教授も務めた槇文彦さん(85)が、そう唱えている。未来的な新競技場のデザイン案は、五輪招致活動でもたびたび登場したが、景観や安全性の観点から疑問を呈している。
 国立競技場(東京都新宿区)の建て替え案は、日本スポーツ振興センター主催の基本構想国際デザイン競技の結果、昨年11月にイラク出身のザハ・ハディド氏の案が選ばれ、同氏がデザイン監修をすることが決まった。総工費1300億円が見込まれている。
 槇さんが最も問題視しているのは、8万人収容、延べ床面積29万平方メートルといった、デザイン競技の募集要項の条件そのものだ。
 五輪開催が決まり、槇さんは要望書を関係各所に提出する方針。また問題提起を受けて、10月11日には、建築家の伊東豊雄さんや隈研吾さんらが発起人となり、「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」と題したシンポジウムを、東京・神宮前の建築家会館で開く。
 設計競技などで選ばれた案が経費や構造上の理由で変更されることはそれほど珍しくない。同センターは「建て替えには多くの意見を頂戴している。『国立競技場将来構想有識者会議』において様々な角度から議論、検討いただいた上で、完成に向けて準備を進める」(広報室)と回答、設計を変更する可能性もしない可能性もあるとしている。(編集委員・大西若人)
景観・安全 巨大施設の五輪後は
 前回招致の時のような臨海部なら構わないが、神宮外苑は、緑豊かで歴史的文脈の濃密な風致地区です。そこに、あのような巨大な建物を造ろうという計画自体が基本的に間違っています。限られた敷地に、延べ床面積29万平方メートルという、東京ドームの2倍半、五輪史上最大級の競技場を、なぜ建てようとするのか。
 上空から見た完成予想案が知られているが、実際にあの角度で見ることはほとんどない。地上からは、8万人の観客席を支える巨大な壁を見上げることになるだろう。安全上の懸念もある。周囲に十分な広場がとれないのに、8万もの人を集めて大丈夫か。大会終了後は交通規制で対応することもできないでしょう。
 人件費やエネルギー消費も考えるべきです。五輪後、仮に運営が行き詰まれば、つけは税金の形で人々に回ってくるでしょう。五輪のためなら、どんなに大きくても、どんなにお金をかけてもいいと錯覚しているとしか思えません。
 今の完成予想案が五輪を象徴すると思われているようだが、もともと競技場は、建物としての魅力を持たせるのが難しい。世界的に傑作は少ないのです。
 あそこに造るのなら、例えば5万人規模にして3万人の仮設席を加えるなどで対応すればいいでしょう。
 私の考えを受けて、有志がシンポジウムを予定しています。五輪という目標に向かう意義が大きいからこそ、この問題が市民に広く知られる必要があります。(談)
     ◇
 まき・ふみひこ 東京大や米ハーバード大で学ぶ。プリツカー賞など受賞多数。作品に、代官山ヒルサイドテラス、幕張メッセ、神宮外苑地区の東京体育館など。 」(
2013/09/24付「朝日新聞」p33より)

そして、今朝の日経新聞の「大機小機」にはこんな記事が・・・。
公共事業と東京五輪
 公共事業というと無駄遣いと言われ、支出削減ばかりが強調される。実際、無駄なものも多い。では、支出を減らせばよいかと言えば、そうでもない。その分の生産力が活用されなければ無駄なままだ。やめるだけでは何もできないが、何かを作ればそれが残る。きちんとした物を作れば、ぜいたくに見えても後で役立つことは多い。
 世界で最も美しい建造物といえば、インドのタージ・マハルと、ドイツのノイシュバンシュタイン城を挙げる人が多い。東洋と西洋を代表するこの2つの建造物は、背景が驚くほど似ている。
 タージ・マハルは、ムガル朝皇帝のシャー・ジャハンが王妃のために作った白亜の大理石の霊廟(れいびょう)だ。あまりに浪費したために、息子のアウラングゼーブにより幽閉された。
 ノイシュバンシュタイン城はバイエルン王ルートヴィヒ2世が作った城だ。彼も財政負担などを理由に幽閉された。いずれも自分の趣味のためだけに贅(ぜい)を尽くしたもので、無駄遣いの極致ともいえる。
 では、後世の人々の目にはどう映っているか。偉大な皇帝は誰かとインドで聞けばシャー・ジャハン、バイエルンで聞けばルートヴィヒ2世、という答えが返ってくる。実際、タージ・マハルもノイシュバンシュタイン城も世界中を感動させ、毎年インド、ドイツに巨大な観光収入をもたらしている。
 一方で倹約を旨とし彼らを放逐幽閉した次の皇帝は何を残したか。例えばムガルの次期皇帝アウラングゼーブは質素なイスラム寺院を残すのみで、後世の人々は見向きもしない。ルートヴィヒ2世を継いだ摂政ルイトポルトも何かを残したとは言いがたい。
 生産力が低かった当時はこれらの事業に生産力が使われ、民生品の生産が減り国民の負担になっていたかもしれない。そのため事業の是非を判断するには、この負担と後世の人々への恩恵とを比べる必要があるだろう。
 一方、現代の日本では物が売れず人も生産力も余っている。ここでさらに倹約し生産力を余らせても得るものはない。景気にもマイナスだ。折しも東京は2020年夏季五輪の開催決定に沸く。この機会に国内外の来訪者はもちろん、後世の人々も喜ぶ質の高い施設をつくるべきではないか。(魔笛)」(
2013/09/25付「日経新聞」「大機小機」より)

色々な視点がある・・・。しかし、今回の国立競技場計画について、「上空から見た完成予想130925kyougijyou 案が知られているが、実際にあの角度で見ることはほとんどない。地上からは、8万人の観客席を支える巨大な壁を見上げることになるだろう。」という指摘が面白い。
その点では、タージ・マハルやノイシュバンシュタイン城とは根本的に違う。近代的なデザインで作っても、タージ・マハルやノイシュバンシュタイン城のように、そのデザインを楽しめるチャンスは無いのである。

改めて現在の国立競技場を眺めてみると「オリンピックの前哨戦とも言える1958年(昭和33)の第8回アジア大会の際に建設されたものであり、このアジア大会の成功により、東京オリンピックが決定した。オリンピック開催に際して、拡張工事により、アジア大会時の5万2千席から7万5千席に収容人数が増設された。本来は10万席を目標にしていたが、立見席を入れてこれが精一杯の増設だった。」(ここより)
そして現在の収容人員は、54,224名とのこと。つまり今回の8万人規模の計画は、いわゆる“流れ”なのだろう。
デザインと言えば、現在の国立競技場や武道館は、当時その前衛的なデザインに、皆ビックリしたもの。でも慣れてしまえば何とやら・・・
今回の槇氏の指摘は、デザインではなく、規模を言っている。前の東京五輪と同じく、3万人の仮設席で良いのではと・・・

五輪関係者が“歴史に残る建物”を目指しているとしたら、それは規模ではないのである。規模に価値があるのなら、誰でもお金で幾らでも建てることが出来る。しかし名建築はそれとは違う。周囲の環境にマッチした、歴史の荒波にも耐えて評価される建物・・・。それは何か・・・

これから行け行けドンドン、何でもありの五輪建設祭が始まる。福島の原発被災者の事も念頭に、オトナの議論で進むと良いのだが・・・。要は“ホドホド”なのであろう。

130925oisii <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月24日 (火)

若山彰の「木更津にて」

今日は、探していたCDが手に入ったので、改めて若山彰の「木更津にて」を聞いてみよう。
前に、手仕事屋きち兵衛さんの「木更津にて」を紹介したが(ここ)、後に若山彰の歌を聞いて、何とかオリジナルのCDが欲しいと思っていた。しかし何せ1990年発売のCD・・・。しかし念ずれば何とやら・・・で、新品のCDが手に入った。

<若山彰の「木更津にて」>

「木更津にて」
  作詞:小山義雄
  作曲:手仕事屋きち兵衛

桜貝寄せる岸辺に
肩組んで夢をひろった
遠いあの日の海も消え去り
波のささやき今いずこ ああ・・・
いつかしら時過ぎて老いひとり
静かに渚さまよう

悲しみを海に沈めて
夕焼けにもろ手かざして
明日に誓った空を探せど
むなしく風が吹くばかり ああ・・・
寒々と身にしみて老いひとり
しみじみ風の声聞く

光る波 燃える帆の色
紅富士の遠い招きに
胸をこがしたあの少年は
心の奥に住んでいる ああ・・・
木更津にもどり来て老いひとり
今なお 海に夢追う

この歌の情報は、前のきち兵衛さんの記事で、ジャンさんがくれたコメントに詳しい。少し抜粋すると、・・・
「実は、この「木更津にて」の項が掲載されてから、きち兵衛さんにお目にかかることがあり、この歌の生まれた経緯を伺いました。
「わすれ雪」がラジオから流れている頃、それを聞いた小山義雄氏がNHKに「きち兵衛さんに曲をつけてもらいたい」と投稿して来たのだそうです。
いい詩だったので、プロデューサーから是非曲をつけてといわれて、出来た曲だそうです。それから、小山義雄氏とはどんな人かとNHKで調べたら大変立派な方だと分かったとのことです。
出来上がった「木更津にて」を若山彰さんが是非とも歌いたいと仰って、NHKの新ラジオ歌謡で流れて私たちの耳に届いたということです。」
ここより)

このきち兵衛さんと若山彰さんの二つの歌は、3番の歌詞が少し違う。きち兵衛さんは「故郷にもどり来て老いひとり」だが、この若山彰版は「木更津にもどり来て老いひとり」。

それはそれとして、改めで聞くと、声量のある朗々としたバリトン歌手の若山彰が、叙情豊かに歌う、貴重な音源である。

(関連記事)
手仕事屋きち兵衛の「木更津にて」 

130924kasya <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月23日 (月)

Uさんが送ってくれた中條高徳著「おじいちゃん 戦争のこと教えて」の読書メモ

今日は、現役時代の会社の大先輩であったUさんが送ってくれた読書メモ(?)の紹介である。
季節毎に会う、ある飲み会がある。前回の夏バージョンの会で、これも会社の大先輩のWさんから「Uさんは読書家でスゴイ。毎回読んだ本の感想をメールで送ってくれる」という話を聞いた。たまたまその時に聞いた「今のテーマは“死”・・・」に興味を持ったので、Uさんに頼んで、自分も同報リストに入れてくれるように頼んだ。それ以来、毎週のように送ってくれる。その読書量は驚異的・・・。
そして今日届いたのが、中條高徳著「おじいちゃん 戦争のこと教えて」の読書メモ。Uさんのメールにはこうあった。

「暑さ寒さも彼岸まで、と言われていますが、暮らしやすい季節になって来ました。皆様お変わりありませんか?
今回紹介する本は「おじいちゃん、戦争のこと教えて」中條高徳著 小学館文庫である。8月の終戦記念日は一か月前に終わったが、あの戦争は何だったのかをもう一度考えて見るのも良いだろう。外国人特に、中國、韓国、米国の人達に「日本は、何故、あんな大国と戦争をしたのだ」と聞かれた時、皆様は何と答えますか?むしろ、答えられますか?日本ではあの戦争の評価が未だ定まっていないと言っても、「貴方の意見は?」と再度問われた時、何と答えますか?
130923ojiichan 本書は、プロの作家や学者が書いた物ではない。終戦時、陸軍兵学校に在学していた市井の人が、新制大学を卒業しアサヒビールに就職し、副社長まで勤め上げ、父親の転勤でN・Yの高校に通う孫娘の質問に答える形で、先の戦争について語っている本である。
著者の意見に全く賛同できなくても構わない。一人一人が自分の意見を持とうではないか。知識が無ければ調べればよい。
それにしても、アメリカの教育は奥深い。戦争した相手の国の人の「戦争観」を聞くというのは、アメリカの底力でありフェアーさである。各位のご一読をお勧めする。K.U」

Uさんは、自分が現役の頃、N社向けの営業担当をされていて、一緒にN社の仕事をしたことがあった。その後、子会社の社長をされていて、自分もその社長室に何度か“遊びに”行った事があった。営業出身でもあり、読書家ということは分かるが、送られてくる、いわゆる読書メモが、どれも力作なのである。今回のメモも、Wordで11ページ。メモの内容は、その本の要約と、最後にUさんの「コメントと感想」が書かれている。

★「中条高徳著「おじいちゃん、戦争のことを教えて」孫娘からの質問状 小学館文庫」のUさんの読書ノートのPDFはここ

先の戦争の評価は、我々一人ひとりの思想、歴史観に直結するので、扱いが非常に難しい。筆者は、陸軍兵学校に行った人なので、自分のように“朝日新聞の読者”からすると、やや違和感がある。しかし、本文にあった言葉を引用すると、「一つの事を反対側から見ると違ったことが分かった」は大切なことである。つまり、思い込みを排除する“多角的な視点”は大切な事である。
そのうちに時間が取れたら、Uさんの薦め通り、一度この本を買って読んでみたいと思う。

そして、いつも思うのだが、Uさんのような読書の仕方、つまり一冊の本をただ読み飛ばすのではなく、このように読後に自分の言葉で本の内容を“紡ぎ出す”読み方は、普通の人には到底出来ない。しかも1週間経たないうちに、1冊を自分のものにしている。このような読み方こそ、本が自分の血肉になっていくのだろう。何とも、スゴイ人がいたものである。
(なお、Uさんの許可が頂けたら、また他の本も追って紹介したいと思う)

130923taimer <付録>「ボケて(bokete)」より


2013年9月22日 (日)

RCAケーブルをモガミで自作した話

ピュアオーディオは、つくづく“思い込み”の世界、そして“自己満足”の世界だと思う。それは良く分かっている・・・。
先日、音が変わる訳もないのに、いや、自分の耳でその差が分かるとも思えないのに、D/Aコンバータを、今持っているものの2倍の価格の上位機種に替えてしまった。もちろん聞き比べてもその差は分からない。だからムキになって聞き比べる気もしない。あるのは自己満足だけ。これ以上、上の製品は無いので、良い音が出ているはず・・・という自己満足なのだ。

そして最後に残ったのが、RCAケーブル。これについては、前に「ピン(RCA)ケーブルでこんなに音が変わる」(ここ)という記事を書いたことがあるが、先日、色々と調べてしまったので、自分なりの理解をメモしておく。

オーディオの本を見たり、オークションを覗いたりすると、たかだか1mのRCAケーブルが、定価で数万円~13万円もするのでビックリ。
でもそこはアナログの世界。何かあるのだろう・・・と、オークションで多く出ている「モンスター」というブランドのケーブルを試しに買ってみようかな・・・と思った。会社で、オーディオの趣味の男に聞くと、「モンスターの音はキライなので、オルトフォンのケーブルを使っている」とのこと。やはり1万円位のRCAケーブルは使っているとのこと。

でもやはり、高々数mのケーブルとコネクタに、ホントウに数万円の価値があるのかと、はなはだ疑問に思った。Netで色々見てみると、(ここ)の記事が目に止まった。
ケーブルのレビュー記事である。確かに、自分の思い込みで言うと、音質に一番影響があるのはケーブルで、コネクタは単につなぐだけなので、それほど影響はあるまい・・・と。よってケーブルから見て行く事とした
この記事の記載で気になったのが、下記の記述。
「☆Belden 8412
 レンジは広くなく、特に高域は伸びない。しかし、中低域の張り出しは他のケーブルでは得られない魅力で、躍動感が出てくる。どちらかというと、古い音源に向いている。また、薄い低域と耳障りな高域に悩まされているユーザーには「特効薬」になる可能性あり。」
「☆MOGAMI NEGLEX 2534
 私がリファレンスとして常用しているケーブル。フラットでクセが少なく、音像はしなやかで高域の伸びも良い。妙な強調感は皆無。システムの「素」をチェックするのに最適。特に初心者が最初に入手する製品としては、絶対のオススメ品。」
ここより)

自分は、高域が好きなのだが、女声のサ行の摩擦音がキライ。そんな自分から見ると、“耳障りな高域に悩まされているユーザーには「特効薬」”という記述は魅力的・・・。

他に(ここ)にある記事をどう読むか・・・。」
「一般的には、日本の音楽はモガミ社、又はカナレ社のケーブルが合い、洋楽(特に米国)はベルデン 8412が合います。
この理由は、録音時に使用していたケーブルが、日本はモガミ、又はカナレ、米国はベルデンだからです。米国の業界スタンダードが、このBelden 8412です。
再生は、録音時の逆の行為をするわけですから、この現象が起きます。マイクや楽器、又はシンセサイザーという音源が、CDPに入れ替わるだけです。
  もっと簡単に言えそうなところです。双方とも再生とみなして、マスターテープという音源を鳴らしてレコーディング結果をモニターしていた音、そのマスターテープという音源が、CDPに入れ替わるだけですから、ケーブルが同じであれば、バランスがぴったり合うのは、当たり前です。
レコーディング・スタジオで鳴っていた音こそが、最も良い音であることに異論をさしはさむかたはおられないことと思います。プロの現場ですから、それは当然です。
我々は、レコーディング・スタジオの音に最も近づく手段を取ればそれで十分です。ところが、我々が泥沼に足を取られてしまう理由は、ベルデン 8412あたりの高精度のケーブルに比較しまして、民生用ケーブルに、あまりにもクセがあるからに他なりません。」
ここより)

そして「MOGAMI モガミ 2534」については、
「多くの日本の録音は、このケーブルでぴったり合います。国内の録音の70%ほどがそうでしょう。それほど優れたケーブルであるにも関わらず、このことは、あまり知られていません。モガミ2534の精度は、ベルデン8412と同じく、全周波数帯域に渡って、0.1db以下となります。・・・なお、国内の録音の、残りの30%はカナレ4E6Sのほうで合うと思います。モガミ2534で再生して、少し高域がきつめに再現される、国内の録音、それがカナレ4E6Sで合う録音です。」ここより)

この記事も、かなり筆者の“思い込み”の気配がする。しかし“録音スタジオでの音場を再現するのがベスト”という論は、何か説得力がある。録音スタジオで使っているケーブルがベスト・・・か。なるほど・・・。
それに「モガミ 2534」はそもそもマイクケーブルだという。確かにマイクケーブルなら数百m伸ばす事がある。しかもそのケーブルで音に色が付いてはいけない。だから無色の音か・・・。なるほど・・・
それと、市販の色々なメーカーのケーブルは、得体が知れない。買って試してみるまで分からない。しかし、このように特性が分かっている有名なケーブルなら、安心である。
よって、自分もこの論に乗って、「MOGAMI モガミ 2534」というケーブルを使ってみることにした。
そしてまず1mのRCAコネクタ付きの1mのケーブルを注文してみた。後はチューナーとアンプをダイレクトにつなぐ5mのケーブルをどうするか・・・。

Netでみると、注文に応じて「MOGAMI モガミ 2534」でRCAケーブルを作ってくれる所があるが、完成品は6~7千円もする。自分で作ろうか・・・。見本は注文済みの1mを見れば良いので・・・

それでまず、RCAケーブルの注文を受けている会社に、素直に自分の好みの音に合う組合せを聞いてみた。そして返ってきた回答がこれ・・・。
「モガミ 2534に、コネクタはNYS352B、半田はフラット特性のKR-19 SHRMAという組み合わせが今回ご希望の音質に関してはマッチングするかと思います。」
なるほど・・・。しかしケーブルとコネクタを選び、はてまたハンダまで選ぶとは、なかなか奥が深い。
でも前にRCAコネクタを、「接点改質剤 ナノカーボン」というもので拭いたら、音が良くなった気がしたので、それも“有り”か・・・。確かにハンダにも信号が流れる・・・。
もうここまで来たら、破れかぶれ!? 言う通りにしてみるか・・・。通販でどこが安いか調べてみたら、ケーブルはサウンドハウスというところが安かった。しかしノイトリックのNYS352Bがなかなか手に入らない。まあそれほど変わらないだろう・・・と、同じサウンドハウスにノイトリックのNYS352Gを頼んだ。ケーブル10mとRCAコネクタ4個で、送料込み2,780円。ハンダは、ヤフオクで200円弱。しめて5m×2本で、3000円也。

それで作ったケーブルがこれ・・・。ケーブルの芯線の使い方は、先に買った既製品に合わせた。参考に何枚か写真を載せておく。外皮を15mm位取り、白ケーブル2本を根本から裸にして、シールドケーブルと一緒に撚り、コネクタのアース側にハンダ付け。白線2本は外皮の根本から、裸にするのがコツ。そしてこのアース側の線は、コネクタのホット側にショートしないように短めに・・・。そして青線2本は撚って、コネクタのホット側につなぐ。(サウンドハウスに、ケーブルの処置は違うが(ここ)に動画がある)

(既製品のコネクタ処置)(今回使った材料))(既製に合わせ15mm程度に外皮を取る)
Img_31411 Img_31391 Img_31431

(既製同様、青と白+シールド線を撚る)(シールドをコネクタのアースにハンダ付してケーブルをかしめる)(最後に青のホット線をコネクタにハンダ付け)
Img_31441 Img_31461 Img_31481

そして、いつものように、FMチューナーの局がないところのノイズをホワイトノイズに見立てて、今まで使っていたSONYの安いRCA赤白ケーブル5mと、今回のモガミのケーブル5mの違いを、「Audacity」のスペクトル解析で解析した結果がこれ・・・。

(SONY汎用赤白ケーブル)(モガミ2534)
Sony1 Mogami1

(SONY汎用赤白ケーブル)(モガミ2534)
Sony2 Mogami2

これをどう読むか・・・。モガミの周波数特性は平坦ではなく、複雑・・・!?

それで使ってみた感想?? 最初に聞いた音は、やはりハッとした。NHK FMのアナウンサーの声が何とも生々しい!?
自分にとっての「良い音」とは、聞いていて“嬉しくなってしまう”音であり、散歩の時に、“また聞きたいな・・・”と思い出す音である。そんな意味では、“良くなった”・・・(はず!!)。
とにかく、もうこれ以上グレードアップの手段はない。よって、この音が最高の音なのである・・・。そう自分に言い聞かせる・・・。
オーディオの世界は、どこまで行っても、思い込み、自画自賛の世界なのである。

(関連記事)
ピン(RCA)ケーブルでこんなに音が変わる 

130922tokoya <付録>「ジワジワ来る○○」より

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2013年9月21日 (土)

日本の右傾化は本当!?(付録~冷蔵庫とのバトル)

今朝の朝日新聞の「天声人語」を読んでビックリ。あまりに具体的な事象を捉えた論だったから・・・。曰く・・・
「歌い手が録音に合わせて口だけ動かす。俗にいう「口パク」である。オバマ大統領の2期目の就任式で、歌手のビヨンセさんが披露した米国歌がそうだった。北京五輪の開会式での「天使の歌声」もそうだった。音楽業界では珍しくないらしいが、それが学校の入学式や卒業式という場であったらどうだろうか▼大阪府教委が府立高校に通知を出した。式で君が代を斉唱する時、教職員が本当に歌っているかどうか、「目視」で確認せよ、と。去年、府立和泉高で校長が教員の口の動きを監視させ、物議を醸した。その校長が教育長になり、全校に広げる▼式場で教頭らが目を光らせ、歌っていない者がいたら、名前を府教委に報告する。判断の基準は形式的な「口元チェック」ではなく、「公務員として誠意ある態度かどうか」だという。漠然とした話だ▼例えば「感極まって歌えなかった」場合は目こぼしになるかも知れないという。そんなことまで考える情熱があるなら他のことに注いではと思う。自主性が大切と普段から説いてきた先生が、信念を封じて口パクをする。想像したくない光景だ▼起立斉唱を義務づける条例がある以上、守るのは当然と考える人も少なくないだろう。だが、君が代をどう考えるか、歌うかどうかは個人の思想・良心の自由にかかわる。最高裁も去年の判決で教員へのいきすぎた処分に釘を刺している▼先生がお互いに監視しあう。教育の場が荒廃しないか。多感な生徒の心に暗い影を落とさないか。」(2013/09/21付「朝日新聞」「天声人語」より)

最近の日本は、平和憲法の改定だの、集団的自衛権の解釈変更だの、はてまた秘密保安法だのと、何ともかまびすしい。
今日会ったある人が言っていた。それらはマスコミが国民を煽っているだけ。憲法改定など、100年経っても絶対にされない。理由は、今の日本に憲法改定をする必要性がないから。それに公明党だけでなく、自民党内部にも慎重論者が多いので、到底2/3の賛成は得られない。
集団的自衛権も、湾岸戦争のときのように米国から援軍を頼まれても、憲法を楯に体よく断れる手段を持っており、それを手放すはずはなく、一応米国に対してポーズを取っているだけ。
安倍首相も、全てゼスチャー、ポーズ。憲法改定にしても何にしても、出来ると思ってやっていない。米国に対するポーズ・・・。
何とも、過激な見方だが、そんな見方もあるのか・・・と聞いていた。
でも上の記事には、右傾化をちょっと心配。特に、教育現場でのことなので、どうも聞き流せない。この教育長、人の心は命令や恫喝では動かせない、という当たり前のことを教育されてこなかったのかな・・・!?

(付録)~冷蔵庫とのバトル
最後に昨夜から今日にかけての我が家の冷蔵庫とのバトルをメモしておく。
これは大まじめな話なので、そのつもりで・・・
昨夜、カミさんが、「最近冷蔵庫の製氷機が動かない。氷が出来ない」という。先日、冷蔵庫の大掃除をしたときに、製氷機の内部を分解したのでそのせいだという。しかしちゃんと元に戻したし、その後ちゃんと氷が出来ていたので、それとは関係無いはず。(だいたい掃除をしてもらってこの言い草は何だ!)
取説をNetで探して読んでみると、製氷機は毎月掃除をしろ、と書いてある。それで初めてその通りに分解してみたら、容器がヌルヌルしていたので洗った。でもそれで直るわけもなく・・・。でもお陰で、今まで不思議だった水の容器から冷蔵庫の製氷機に水が供給される仕組みは分かった。磁石の力で、水槽の中にあるポンプの羽根を回して、水を冷蔵庫側に送る仕組みらしい。
それから、コンピュータの誤動作かとブレーカを一度落としてみたりしたが、良く分からない。それで、一気製氷のボタンを押して、一晩様子を見ることにした。
調べてみると、この冷蔵庫は買ってちょうど9年。Netで見ると、この修理には1万3千円~2万円位かかるという。そして冷蔵庫の寿命は10~15年ほどとのこと。本当に製氷機が壊れていたら、修理するか、買い換えるか、迷うところ・・・

そして今朝、水槽を見ると、水がまったく減っていない。つまり製氷機が一晩経っても動いていない。「やはり買い換えるか・・・」と冷蔵庫の前で言った。そして一気製氷のボタンを元に戻した。
2~3時間後、冷蔵庫の大きさをメモしようと、メジャーで測りだしたら、カミさんが「氷が出来ている」と言う。確かに水槽の水が少し減っている。そして、少しだが新しい氷が出来ている。ポンプが動かなくなったと思っていたが、動いたらしい。
テキは、「やはり買い換えるか・・・」という自分の声に、“ヤバイ”と思ったらしい。やはり“棄てられる”と聞くと、老身にむち打つのか・・・
そしてラストチャンス!! 出掛けに、冷蔵庫に向かって「帰るときまでにちゃんと氷を作っておけよ。ちゃんと作れないなら、買い換えるからな!」と冷蔵庫に言い聞かせた。
そして夜帰ってきて冷蔵庫を見ると、やはり少しだが氷が出来ている。出かけたついでに、各社の冷蔵庫のカタログを貰ってきたが、カミさんとの話で、今日の冷蔵庫の努力を認め、しばらく様子を見ることにした。
機械が壊れそうになったら、大きな声で「棄てるぞ!」と宣言すること。少なくても我が家の機械は、それでビビって元気を取り戻すのであ~る。
<事後談>何の事はない。水を入れる容器の、磁石で動くポンプ部分を分解して掃除したら、ポンプの羽根がクルクルと良く動くようになった。それからは製氷機は完璧。ちゃんとメンテすれば、わざわざ “言い聞かせる”ことはないのだ。

(関係記事)
我が家の食洗機
「悉有仏性」~続・我が家のパソコン奮闘記

130921dourokouji <付録>「ジワジワ来る○○」より

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2013年9月20日 (金)

「ヒマの上にも5年」

だいぶ前の記事だが、朝日新聞の「男のひといき」という欄にこんな記事があった。

(男のひといき)ヒマの上にも5年
 退職して丸5年が過ぎた。決してあっという間ではなかった。ボランティア、市民講座、通信教育、四国遍路とあれこれやってみた。退職後の予定などまったく考えていなかったせいもあって、自由を謳歌(おうか)するというより、のたうちまわったという感じが強い。当然ながら家内との間もぎくしゃくして、険悪な空気が漂うことも一再ならず。
 しかしこのところ家内の機嫌がいい。昨年から週2日、アルバイトに出かけているからだ。自分自身も現役時代の生活のリズムが少し戻ってきて、心なしか体調もよくなったように感じる。やはり現実の社会とのかかわりの中で、少しでもなすべきことを持つことが必要だったのだ。それを思い知るのに遠回りして5年もかかってしまった。
 アルバイトの日は家内が昔のように弁当も作ってくれる。そして車が見えなくなるまで見送る。機嫌がいいと手まで振ってくれる。バックミラーに映る笑顔がうれしそうだ。
 私のいない自由な時間と空間は、かけがえの無い宝物なのだろう。それはそれで大切なことだ。ヒマの上にも5年、やっとそんなことが骨身にしみてわかるようになった。(山口県下松市 男性 無職 66歳)」(
2013/08/25付「朝日新聞」p29より)

この記事を読んで、“身につまされる”という言葉が頭に浮かんだ。つまり、他人事ではないのである・・・。
ウチのカミさんは良く言う。「会社を辞めたらフィフティ・フィフティだからね。家事も分けましょう!」と、こっちは笑って言いやがる・・・。でもこれは自分にとっては深刻な状態・・・。だから、それがイヤで、会社に逃げているのだが・・・

この記事を読んでも、“居場所”ということを考えてしまう。つまりは全て居場所の問題なのである。夫の居場所。妻の居場所・・・。
長い間、家庭は妻の居場所だった。そこに夫という他人が入ってくる。それで妻の居場所は脅かされる。夫に妻の居場所が占領されてしまうのである。だから妻は不機嫌になる・・・。妻は理屈では分かっていても、長い間培ってきた自分の居場所が占領されるのは面白くない・・・。
ま、そうだろうな・・・。でも会社を定年で辞めた後の夫の居場所はどうする? 上の記事でも「ボランティア、市民講座、通信教育、四国遍路とあれこれやってみた。」とある。
結局は居場所探し。でも結局、自分の居場所は無かった・・・と、この人は言っている。

自分の場合、取りあえずは会社に居場所を求めているが、それもいつまで続くか分からない。次の居場所を探さなければ・・・、と言い出して、もう7年も経ってしまった。(つまりこのblogを書きながら探しているが、もう7年・・・)
これは解のない堂々巡りの話だが、居場所という言葉が頭から離れないこの頃なのである。

130920inuyou <付録>「ジワジワ来る○○」より

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2013年9月18日 (水)

「敬老政治」、40年の背伸び

先日の日経新聞に、なるほどな・・・、とうなずかざるを得ないような記事(指摘)があった。

「敬老政治」、40年の背伸び “票”でゆがんだ社会保障 本社コラムニスト 平田育夫
 今から40年前、厚生年金を一気に2.5倍の月5万円に増やし、70歳以上の医療費自己負担を廃止した。田中角栄内閣が1973年を福祉元年と銘打って進めた社会保障の拡充だ。
 若い人の敬老精神は薄れたが、政治家の“敬老意欲”は以後、ますます強まる。増える高齢者の票に期待し、経済の実力以上の医療・年金給付などを続けた。
 当然ながら社会保障と国家財政に黄信号がともったが、政府・与党は今回も本格的な改革を先送りする。

 「敬老政治」40年。無理な善政は続かない現実を選良たちはまだ直視しない。
 狭心症で心臓血管のバイパス手術を受け命を救われた。その費用304万円のうち自己負130918keirouseiji 担は6%の18万円強。原則は3割負担だが月々の支払額を一定限度に抑える高額療養費の制度があるので安い。角栄氏の置きみやげで、70歳以上の限度額はさらに低い。
 医療制度の充実を実感するが、その陰にはもちろんいくたの犠牲がある。
 例えば75歳以上の医療費の36%は現役世代の保険料で賄う。大企業の健康保険組合からみると保険料の実に46%が高齢者に回る。
 もっと憂えるべきは不足分を補う借金である。医療だけではない。高齢者医療と基礎年金、介護向けの国費(高齢者3経費)は今年度18兆円弱で、うち10兆円弱を国債で賄う。
 国債は原則60年償還だから、赤ちゃんや今後生まれる子にも、祖父母や曽祖父母が受けた医療や年金のツケを回す。これは罪深い。財政破綻を早めもする。
 明らかに無理な社会保障をしている。なぜここまで来てしまったのか――。

 国民皆保険・皆年金が確立したのは61年だが、60年代後半から政治色を強めた。美濃部亮吉・東京都知事ら革新系首長が高齢者の医療費を減免したのだ。
 この「革新のお株」を国政で奪ったのが角栄氏だ。伸びる経済と豊かな財政が許した大盤振る舞い。皮肉にも福祉元年に石油ショックがあり、高度成長が終わる。少子高齢化も重なって「実力を超える社会保障」の歴史が始まった。
 膨らむ社会保障費にまず警鐘を鳴らしたのは官僚。83年、吉村仁厚生省保険局長(後に事務次官)は、国民が保険で容易に医療を受けられるので「忍び寄る危機についての認識は極めて薄い」(社会保険旬報)とサラリーマン本人の定率自己負担導入に奔走した。
 だがその後、小泉純一郎元首相らを除き与野党とも動きが鈍く、医療や年金の改革は牛の歩みだった。
 その背景には高齢人口の増加がある。65歳以上の割合は70年の7%から最近は25%に上昇。しかも高齢者の投票率は高く、昨年の衆院選では60歳代が75%と20歳代の2倍だった。
 この大集団の機嫌を損ねたら怖い。そんなおびえもあろう。「高齢化社会では政界の関心が多数派の高齢者に向かう」。米社会学者サムエル・プレストンの29年前の指摘が耳に痛い。
 安倍晋三内閣は社会保障制度改革の骨子を決めたが、給付の抑制策は全体に小粒。消費増税と同時に厳しい抑制策をとりにくいとしても、中長期的な改革の方針もあいまいなので、社会保障制度の持続性と財政の安定にメドが立たない。
 事態は切迫している。大和総研の試算では、2030年ごろから公的債務の国内総生産比を下げて財政を立て直すには、消費税率を30年代半ばまでに25%へ引き上げるのに加え社会保障の「超改革」が要る。
 公的年金の給付額を3分の2に減らす。医療費の自己負担は70歳以上も3割にし、介護保険の自己負担を1割から2割へ引き上げる……。「30年代に団塊ジュニアが高齢者となる前に改革を終えたい」と鈴木準・同社調査提言企画室長。
 微温的な改革では済まないとなれば、手厚い支援を本当に必要な人に絞る考え方も大事になろう。
 「命にかかわる病気とそれ以外に分け、自己負担に差をつける」よう提案するのは印南一路・慶応義塾大学教授。心筋梗塞、脳卒中などの治療は自己負担を3割から1~2割に下げ、便秘や不眠などは負担割合を高くする案だ。
 また低所得者への医療などの優遇策を守るため「低所得でも資産は多い人」が使えないようにする必要がある。共通番号を使えば可能だ。さらに基礎年金の半分を賄う国庫負担を高所得者には少なくし給付額を減らすのもやむをえまい。
 高所得者や資産家に限らず、ある程度の蓄えや収入のある高齢者はもはや気前の良い社会保障に期待してはならない時代だろう。

 最大の問題は高齢者の反乱を警戒する政治家。「給付」と「票」をどう切り離すかの問いでもある。
 まず「1票の格差」の是正が要る。高知県、島根県など高齢化地域の多くは1票が重く、お年寄りの声が政治に届きやすい。1票が軽い埼玉県、東京都などで高齢化が進む前に票の格差を無くせば、現役世代の声もすくい上げられる。
 もっとも日本のお年寄りは柔軟だ。大阪市は財政窮迫を訴え、70歳以上が市営交通に無料で乗れるパスに自己負担を導入した。社会保障改革も、説明を尽くせば分かる人は多いはず。政治家のおびえこそが怖い。
 敬老の日。戦後を築いた方々を敬いつつ、今の0歳児が古希を迎える年のこの日にも思いをはせたい。」(
2013/09/16付「日経新聞」p4より)

「敬老政治」とはなかなかうまい表現だ。確かに高齢者の投票率は高く、選挙に大きな影響を与えているのだろう。それを政治が意識していることも分かる。でも、そろそろ限界かも知れない。
消費税増税も何とか国会を通ったのに、この期に及んで実施を躊躇している声もあると聞く。今更何だ!?

我々プチ高齢者も、孫子の世代まで、自分たちのツケを回すことには、後ろめたを感じている。よって、スジが通れば、増税やむなし、年金減額やむなし・・・、と考えるのではないか?
今日も、買い物に行って、幼児を連れた若いお母さんをみると、つい自分たちの孫の世代を考えてしまった。つまり、これから生まれる世代が、大きくなって老後を迎える頃には、世の中はどうなっているのか・・・。それらを思うと、このままで済むとは誰も思っていない。
上の記事にもあるように、「命にかかわる病気とそれ以外に分け、自己負担に差をつける」とか、「低所得でも資産は多い人」へは優遇策を適用しないとか、アイデアは色々ある。

政権が、自らの保身のために作るのではないかと揶揄されている「秘密保護法案」や、なぜ今?と思われている集団的自衛権の議論に時間をかけるヒマがあったら、孫の世代に多大な影響を与える財政再建の議論にもっと時間を費やすべきと思うのだが・・・。
高齢者は、スジが通る話には話が分かる世代なのであ~る。(たぶん・・・。きっと・・・。自分以外は・・・!?)

130918tanma <付録>「ジワジワ来る○○」より

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2013年9月17日 (火)

「幻の障害年金 解消へ、時効の起算点改めよ」

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(私の視点)幻の障害年金 解消へ、時効の起算点改めよ 木戸義明
 公的年金に加入し、保険料を払い続けていれば、事故や病気で障害者となった場合には障害年金を受け取れる。だが、受給できるはずの障害年金の一部を、時効成立を理由に受け取れない人が多数いるのをご存じだろうか。
 障害年金は、本人が請求し、国が支給を決定することで支払われる。国は本人の診断記録などを元に、障害が生じた日を特定し、さかのぼったその時点から受給権が発生したとみなす。
 だが、国が認定する障害の発生時点から5年を超えた後に障害年金を請求した場合、受給権があっても受け取れない「幻の障害年金」が生じてしまう。現在の制度運用では、障害年金の請求時点から5年前までの分の年金はさかのぼって支払われるが、それ以前の分は「請求権の時効が成立した」とされ、支払われないからだ。
 現実には障害発生から受給手続きまでの期間が5年を超えるのは珍しくない。回復の可能性を信じ請求を遅らせる人、障害年金の制度自体を知らない人も多いからだ。「幻の障害年金」は特に、国民年金加入者に目立つ。
 一定の年齢で受給資格が生じる老齢年金と異なり、障害年金は国が支給を認めた時に初めて、本人に受給権の発生時点が知らされる。それなのに、本人も知り得なかった受給権発生時から時効を計算するのはおかしいし、障害者を支える目的にも合わない。
 この問題について昨年、名古屋高裁で画期的な判決が出た。「時効を理由に国が障害年金を支払わないのは不当」と訴えた統合失調症の女性の主張を認め、国が時効と見なしていた4年5カ月分の年金を支払うよう命じたのだ。
 訴訟には私も原告の成年後見人として参加した。判決は「時効の起算点は、国が支給決定を本人に知らせた時とするのが妥当」とした。国は上告受理を申し立てているが、すぐに取り下げ、「幻の障害年金」が生じないよう、判決通りに運用を改めるべきだ。
 さらなる問題は、現時点で「幻の障害年金」がある人の救済をどうするか、ということだ。訴訟は多くの場合、現実的ではない。私は現在、社会保険の不服申し立てを受け付ける「社会保険審査制度」を活用し、「幻の障害年金」を受給に結びつけようとしている。粘り強く活動するつもりだ。と同時に、この問題への世間の注目が集まり、行政の姿勢を変えるきっかけとなることも願ってやまない。(きどよしあき 社会保険労務士、消費生活アドバイザー)」(
2013/09/14付「朝日新聞」p17より)

この記事、なるほどな・・・と思いながら読んだが、ちょっと難しい。
民法に、
第166条(消滅時効の進行等)
1 消滅時効は、権利を行使することができる時から進行する。

とあるので、「時効の起算点は、国が支給決定を本人に知らせた時とするのが妥当」という判決は妥当だと思う。しかし、5年経つまでは「時効無し」と同じだが、5年を超えるとどうなるのだろう?
従来の、過去5年よりも以前は時効で請求権無し、というのは分かり易いが、「時効の起算点は、国が支給決定を本人に知らせた時」という意味は、もし決定から7年後に請求したら、発生後2年間分だけが時効で受け取れない?? どうも素人には難しい。
5年を越えたとたん、全部がパーになるとは思えないので、今度法律のプロに聞いてこよう。(追って追記します)

それよりも、現実問題として、障害年金は2級で年額約80万円とのこと。つまり障害年金が認定されると、時効にならない5年間で約400万円を受け取ることになる。それがもし20年間さかのぼったとすると、1600万円となる。これは画期的なことだが、支払う国からすると、財源の問題から門前払いが多くなってくるかも・・・。つまり、過去にさかのぼる請求ほど、認定しない傾向にならないか心配・・・。1件の金額が増えると、国は認定の件数を減らしてくる??

結局、まずは「障害年金は、本人が請求し、国が支給を決定することで支払われる。国は本人の診断記録などを元に、障害が生じた日を特定し、さかのぼったその時点から受給権が発生したとみなす」という仕組みを、障害年金を請求する可能性のある人、または保護者が知っていないといけない。
確かに、障害の事実を認めたくない、治ると信じたい、ということもあるだろう。しかし、誰だって障害年金をもらえる状態になる可能性はあるわけで、まずは請求の制度を国民全員が知っていることが重要。その啓蒙をどうするか・・・だ。
全国の病院に、その啓蒙のポスターを貼っておくとか・・・。誰が? 「早く障害年金を請求しようぜ!NPO」が??

話は飛ぶが、今日、友人である九州のある社長からのメール。社員が、実習に行っていた東京の会社の寮で、夜中に体がしびれ、病院に搬送されたところ脳出血だったとか。42歳。言語障害と手足の障害が残り、これから九州に戻ってリハビリとのこと。
回復を祈念するものの、一方では、障害年金の制度のことを教えてあげることも重要。
若いほど、障害年金制度には無縁なので・・・。
繰り返すが、誰でも、いつでも、障害者になる可能性はあるのである。その場合は一刻も早く請求を!

130917kankoku <付録>「ジワジワ来る○○」より

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2013年9月16日 (月)

「褒めるコツ」・・・

先日、“褒める”ことについて書いたが(ここ)、折良く(?)褒めるコツについての記事があった。曰く・・・

「褒め上手」で関係円滑に~よく観察、具体的に称賛
 人に褒められるのはうれしいが、人を褒めるのは案外難しい。相手によっては「上から目線」と受け取られ、的外れなところを褒めると「分かってないな」と逆効果になることもある。何をどう褒めたら人間関係や組織運営がうまくいくのか、褒める達人に聞いた。
 コミュニケーションスキルの講師で「褒め方」に関する著書が数多くある谷口祥子さんは、褒める基本として次の3つを挙げる。
 1つ目は「抽象的でなく、具体的に」。抽象的に褒めても、相手の心に響かない。「この人はちゃんと私を見てくれているんだな」と分かるように、具体的に褒める。そのためには、普段から相手を観察していなければいけない。
130916homeru  2つ目は「目上の人にはYOUメッセージでなく、Iメッセージで」。例えば「あなたは文章が上手ですね」と褒めると、相手を評価しているようで上から目線になる。目上の人に対しては失礼だ。自分はどう感じたのか、Iメッセージで褒める。
 3つ目は「レッテルを貼ることが叱る代わりにもなる」。例えば子どもに「ちゃんと片付けなさい!」と叱るよりも 「○○ちゃんは片付け上手だから」と褒める方が断然、散らかさなくなる。相手に望ましいレッテルを貼ることで、望ましい行動をさせる「レッテル効果」だ。
 職場に「年上の部下」や「年下の上司」がいて人間関係が複雑な場合、「相手を褒めたいが、自分が褒めるのは失礼ではないか?」とちゅうちょすることもあるだろう。そこで谷口さんはえん曲な褒め方を指南する。
 「質問褒め」は、相手の褒めたいところを質問する方法だ。「どうしたら、○○さんのように時代の先を読むことができるのですか?」といった調子。「相談褒め」は、相手に頼ることで間接的に褒める方法。「アドバイスをいただけませんか?」と相談を持ちかける。

 自分のこだわりの世界を持つ、いわゆる「オタク」タイプも褒めるのが難しい。性格分析診断で企業の人事・採用支援をしているイー・ファルコン(東京都中央区)社長の志村日出男さんは「オタクの人を軽く褒めると『私の世界を全然知らないくせに』と、かえって心の距離が開いてしまうこともある」と忠告する。
 「相手の世界に少しでも入って理解し、信頼関係を築いたうえで、相手の“根”に寄り 添いながら本気で褒めると、距離が近づく」と助言する。褒める側にとっては少々面倒だが「彼らの深い知識や発想が企業に新しい価値をもたらす可能性を秘めている」。褒め方を覚えておくのは企業にとっても得策だ。

 レンタル事業などを手がける武蔵野(東京都小金井市)社長の小山昇さんは、感謝の気持ちを表すことで褒める仕組みを組織に取り入れている。「サンクスカード」という道具を活用し、人を育成してやる気を出させている。従業員同士で「○○さん、口口してくれてありがとう」といったカードを手書きで書いて、相手に渡すのだ。
 「人は口で褒められるとうれしいが、形になるともっとうれしい」
 だが「皆でサンクスカードを書こう」と声をかけてもなかなか書かない。「心を込めたカードを書こうとすると、それがストレスになる」。そこで「アメとムチ」で義務にしてしまった。
 パート・アルバイトは月に5枚、社員は10枚、課長職以上は20枚書くと500円を支給する。管理職は20枚に満たないと罰金5千円。すると皆が書くようになった。
 「動機は不純でもいい。心にもないサンクスカードを書いて渡しても、相手はうれしいものだ。書き続けるうちに、周囲の人の良いところを探す癖がつき、自然と言葉に心が込もってくる」と説明する。
 早速、周囲の人の良いところを探して褒めてみよう。(ライター上田真緒)」(
2013/09/14付「日経新聞」s5より)

上の記事で、サンクスカードまで行くと、少々抵抗があるが、全体的にはそうだろうな・・・と思う。

先日、ひょんな事から若手を褒めてしまった。
ある機械の調整手順書をある若手が書いた。ひょんな事で、それを自分が“添削”することになり、何度かコメントした。彼は仕事の合間に修正しているらしく、忘れた頃にやってくる・・・。先日も「また見て下さい」と持って来た。「あれから時間が経っていて、今はそっちに頭が切り替わらないので、後で赤ペンで重箱の隅を突いてやる・・・」と言って、書類を置いておかせた。次の日に、それを思い出して見てみると、特に修正するような箇所もない。席を見ると居ないので、忘れないようにと、何かのTV番組を思い出しながら、メールのタイトルに「良く出来ました」と書いて、本文に「特に修正する箇所もない。良く出来ていると思う。」とだけ書いて打っておいた。
程なく、返信が来て、その中に「嬉しくなりました」という文言を見付けた。
自分には褒めるという意識は全く無かった。ただ自然にありのまま書いただけ・・・。程なく本人がやってきて「ありがとうございました」と言う。入社2~3年目の若手が、還暦をとうに過ぎたオジサンから認められてので、嬉しかったと見える。

上の記事はある意味テクニックのような事が書いてあるが、自分は自然でよいと思う。ただ“認めてあげる”というこちらの自然な姿勢さえあれば、結果として褒めることにつながる。そして、それが、本人が苦労したことであればあるほど、「してやったり」という達成感につながる。
あらゆることに、良かったことは良かったと、相手に伝える努力が自分にはもっと必要だな、と思うこの頃である。

(関連記事)
「教育というのはいいところをもっと褒めること」 

●メモ:カウント~480万

130916nyoubo <付録>「ジワジワ来る○○」より

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2013年9月15日 (日)

集団的自衛権に対する各界有識者の意見~色々ある・・・

先日の朝日新聞に、集団的自衛権に対するこんな意見が載っていた。

「(問う 集団的自衛権)タカ派の平和ぼけ、危険 軍事ジャーナリスト・田岡俊次氏
 ――米国は、集団的自衛権の行使容認に熱心な安倍晋三首相を評価していると思いますか。
 「今の米国の国家目標は財政再建と輸出倍増だ。そのために、巨大市場を抱える中国を封じ込めるのではなく、抱き込もうと努力している」
 「行使容認は中国の猜疑(さいぎ)心を招きかねない。もはや米国にとって集団的自衛権は無意味で、日本の動きに冷淡な態度を示さざるを得ないだろう。日本は1人だけ泳ぐのが遅い水泳選手が、ターンを終えたほかの選手たちと反対方向に泳いでいるようなものだ」
 ――歴代政権は「行使できない」という立場です。
 「そう解釈してきたのは『自衛隊は自国の防衛にしか使いません、海外に出ることはありません』と強調し、合憲性を訴えるためだ。米国から海外派遣を迫られた時に、逃げる理屈としても都合がよかった」
 「憲法にも国連憲章にも、武力による威嚇または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては放棄する、とある。米国に『あなたのやっていることは国際紛争を解決するための手段だから加われません』とストレートに断れば角が立つが、集団的自衛権が認められていないから、といえば圧力をそらせる。それを信じた一部の米国人が『集団的自衛権を認めてくれ』と言い、一部の日本人がそう思いこんだ」
 ――首相は安全保障環境の悪化を指摘しています。
 「冷戦時代のソ連の脅威に比べればましだ。北朝鮮が核を使う確率は低い。核を持っているのは攻撃を受けないため。自分から使えば米国や韓国の反撃でつぶされるから、一応抑止はきいている」
 ――中国はどうですか。
 「中国が尖閣諸島の領有権を主張しながらも『棚上げでいい』と言うのは、日本の実効支配を認めるに等しい。互恵関係回復に妥当な落としどころだ。首相は中国包囲網をつくろうとしているようだが、米国、韓国、豪州は加わらず、成功しないだろう。安全保障の要諦(ようてい)は敵を減らすことだ。敵になりそうな相手はなんとか中立にすることが大切で、あえて敵を作るのは愚の骨頂だ。タカ派の平和ぼけは本当に危ない」(聞き手・山下龍一)
     *
 たおか・しゅんじ 1941年生まれ。68年から朝日新聞で防衛庁担当。編集委員、米ジョージタウン大戦略国際問題研究所主任研究員を歴任。現在は軍事ジャーナリスト。」(
2013/09/14付「朝日新聞」p4より)

この記事はシリーズで、前にも読んだことがあった・・・と探してみると、色々あった。第1回目は森本敏・前防衛相だった。

「(問う 集団的自衛権)現行の解釈、変えられる 森本敏・前防衛相
 安倍晋三首相が集団的自衛権の行使容認に向けて着々と環境整備を進めている。日本の安全保障政策の大きな転換となる動きを各界の有識者はどう見ているのか。1回目は民主党政権で防衛相を務めた森本敏拓殖大特任教授に聞いた。(インタビューは随時掲載します)
 ■同盟国として米の役割補強
 ――日本に集団的自衛権の行使は必要ですか。
 「東アジアの安全保障環境は非常に厳しくなっています。中国の海軍力、空軍力は近代化され、元に戻ることは考えにくい。米国は今から10年で1兆ドルという国防費を削減する。日本やオーストラリアなどの同盟国がこの地域で米国の役割を補わないと、日本の安全も維持できなくなる。今やらなければならない」
 ――行使を認めない現在の憲法解釈はおかしいと。
 「集団的自衛権を『国際法で認められているが、必要最小限度の自衛力の範囲を超えるから使えない』という解釈は主権国家として無理がある。自衛隊を違憲だとする世論に対して『必要最小限度の実力組織』と合憲性を強調。集団的自衛権を行使しないという論法で周辺国の懸念を払拭(ふっしょく)する政治的な判断でしょう。条文解釈や法理解釈ではない。政治的な解釈だから、変えられないという意見を私はとらない」
 ――民主党政権時代の防衛相として、現在の解釈で不都合がありましたか。
 「非常に困ったことがあった。米国などの多国間軍事演習『コブラゴールド』に自衛隊が参加したときに、上陸演習と海空共同訓練に参加できなかった。内閣法制局が『集団的自衛権を行使できないのに、なぜ参加する必要があるのか』と、認めなかったからだ」
 「もう一つは、国連平和維持活動(PKO)協力法の改正案を出せなかったこと。他国軍や民間人が危険にさらされた場合、武器を使って助ける『駆けつけ警護』を入れることに内閣法制局が反対した。それ以外の部分だけで改正案を出せば自民党に『そんなこともできないのか』と攻撃される。駆けつけ警護をやりたいのに『無理だ』と答弁するのは、絶対嫌でした」
 ■行使には相当な手順必要
 ――行使までにはどんな手続きが必要ですか。
 「政府が憲法解釈を変更して、集団的自衛権を行使できると表明しても、関連法の整備に3年近くかかる。自衛隊員に必要な教育訓練をし、装備を調え、マニュアルを改正し、米軍と部隊の運用要領などを協議して実施できるまでには相当な作業と手順が必要だ」
 ――行使容認で諸外国はどう反応しますか。
 「中国や韓国は賛成しないと思いますが、日本の政策だから他国の反対でやめる性格のものではない。この問題は日本だけではやれない。一番肝心なのは同盟国である米国に正しく理解してもらうことです」 (聞き手・山下龍一)
    *
 森本敏(もりもと・さとし) 41年生まれ。航空自衛官などを経て、外務省安全保障政策室長。野田政権で2012年6月から防衛相。 」
(2013/08/29付「朝日新聞」より)

ついでに、他の意見も読んでみよう。(このシリーズの全部ではないが・・・)

「(問う 集団的自衛権)憲法の解釈変更は姑息 丹羽宇一郎・前中国大使 
 ――安倍政権は憲法の解釈変更で集団的自衛権の行使容認を目指しています。どう思いますか。
 「日本が戦後、基本にしてきた憲法の平和主義に関わる問題です。解釈を変えて集団的自衛権を行使しようとするのは、スポーツ選手が自分の都合でルールを変えるようなもの。そんな姑息(こそく)な手段を考えないで、正々堂々と国民に憲法改正を問うべきだ」
 ――安倍晋三首相は自著で日本の立場を「権利はあるが自由にならない『禁治産者』に似ている」と表現しています。
 「国の守りを固めることは必要だが、専守防衛でいくべきだ。国連憲章は集団的自衛権を行使できるとしているのであって、行使しなくてはいけないものではない。米国の友人は冗談半分で、『日本の自衛隊はいざという時に助けになるのか』と言っている」
 ――安倍首相は行使容認の積極派を内閣法制局長官に起用しました。
 「適材適所で選ばれたのだろう。政権の方針にとやかく言わないが、法制局は法の精神を最も重視する役所だ。あらゆる角度から検討し、意見すると思う」
 ――安全保障環境が厳しくなる中、容認すべきだという意見もあります。
 「平和憲法を守る唯一の被爆国という立場で非核・非戦を世界に訴えるべきだ。集団的自衛権の行使を認め、平和主義をやめれば『なぜ日本は過去に言ってきたことをひっくり返すのか』と世界に見られる。中国や韓国と対抗して同じ土俵にのらず、法の精神を尊重してきた先人の努力を水泡に帰してはいけない」
 ――中国は日本の動きをどう見ていますか。
 「戦争をしてはいけないと思っているのは日本も中国も同じ。戦争で被害を受けるのは常に弱い国民だからだ。今の日中関係は首脳間に信頼関係がない。必要なのは対話をすること。冷え切った状況で対話を始めるのが政治家の度量だ」
 ――行使容認に転換すれば周辺国はどう反応するでしょうか。
 「東南アジア諸国は昔の日本のイメージを忘れがたく持っている人も多い。軍国主義復活とは言わないが、集団的自衛権で日本が攻撃に参加できることになる。李下(りか)に冠を正さずで、日本は危ないところには近づかないことが大事ではないですか」(聞き手・広島敦史)
     *
 丹羽宇一郎(にわ・ういちろう) 1939年生まれ。伊藤忠商事社長、会長を歴任。民主党政権時代の10年6月から12年12月まで、民間初の駐中国大使。」
(2013/09/06付「朝日新聞」より)
===========
(問う 集団的自衛権)個別的自衛権で十分 柳沢協二・元内閣官房副長官補 
 ――集団的自衛権をめぐる議論をどう見ますか。
 「安倍晋三首相が何をしたいのか、どう考えてもわからない。安倍さんは集団的自衛権が行使できなければ、並走する米艦が第三国から攻撃されても反撃できない、北朝鮮から米国に向かうミサイルも撃ち落とせないと言う。だが、そんな事態で在日米軍基地が攻撃されないことはあり得ない。日本の領域が攻撃される以上、いずれも個別的自衛権で十分対応できる」
 ――内閣官房副長官補としてイラク戦争への自衛隊派遣に携わりました。
 「当時、非戦闘地域に限定して自衛隊が復興支援を行ったのは憲法の制約ではなく、小泉政権の判断だ。憲法解釈を変更して他国部隊への『駆けつけ警護』やもっと後方支援をやれるようにするのは議論が逆転している。今の憲法解釈は自衛隊を運用するうえで判断基準の役割を果たしてきた。それを取り払う解釈変更には反対だ」
 ――安全保障環境の悪化で集団的自衛権が必要になったとの見方があります。
 「それは違う。当時は米国が対テロ戦争にもっと自衛隊を派遣してくれと言ってきたから、議論が状況にマッチしていた。いまの中国、北朝鮮の動きは個別的自衛権で対応できる」
 ――内閣法制局長官の交代は行使容認の環境整備にみえます。
 「内閣法制局は歴代の自民党内閣の意向に沿う形で憲法解釈をしてきた。法制局が悪いというのはフェアではない。解釈変更は改憲と同じ効果がある。閣議決定や関連法案の成立で変更していいのか。集団的自衛権を行使したいなら憲法改正を論じるべきです」
 ――米国から「集団的自衛権が必要」と伝えられたことはありますか。
 「まったくない。安倍首相は日米同盟強化のためと言うが、米国は『尖閣諸島をめぐって軍事衝突しないでくれ』と思っている」
 ――夏の参院選で自民党1強体制になりました。
 「かつて自民党内はハト派、タカ派が切磋琢磨(せっさたくま)していたが、今は多様性がなくなっている。政権のエンジンブレーキとして公明党が果たす役割は大きい」(聞き手・山下龍一)
     *
 柳沢協二(やなぎさわ・きょうじ) 46年生まれ。防衛庁官房長、防衛研究所長を経て、04年4月から09年8月まで、安全保障や危機管理を担当する内閣官房副長官補。」(
2013/08/30付「朝日新聞」より)

これらの意見をどう読むか・・・。もし持論があるなら、それぞれの意見に対してキチンと反論出来るか? 単にマスコミに踊らされていることは無いか・・・?
今日は、だからどうだ・・・という話ではなく、色々な意見があるので、キチンと聞く耳を持とう、ということ。勉強は必要・・・。

130915kanji <付録>「ジワジワ来る○○」より
~「全て○または×にしないこと」あったので、仕方なく一つを「○」にしたら、99点だって・・・。キッタネー・・・

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2013年9月14日 (土)

「敵は身内、競争を嫌うムラ社会」

先日の日経新聞にこんな記事があった。

敵は身内、競争を嫌うムラ社会 成長戦略の忘れ物(1)
 山中伸弥京大教授のノーベル賞受賞で脚光を浴びる再生医療。政府は新法をテコに医薬品や関連製品の審査を短縮する。安倍晋三政権が進める一大政策だ。
官の対応に遅れ
 愛知県蒲郡市。日本で唯一、政府承認の再生医療製品をつくるジャパン・ティッシュ・エンジニアリング(J-TEC)を訪ねた。社長の小沢洋介さん(49)は冷静だった。「次から次へと規制が現れる」
 やけど患者の肌を再生する皮膚の細胞シート。厚生労働省は2007年、体の3割以上にやけどを負った人向けに製造・販売を認可した。2年後には医療保険の適用も承認したが、保険の対象は体の1割までにとどめた。その差は保険外。保険診療と保険外を併用する「混合診療」は原則禁止なので、すべて患者負担になってしまう。
 J-TECは保険外の部分を無償で提供し、見込んだ利益は吹き飛んだ。今では体の2割まで保険対象になったが、小沢さんの不信感は消えない。「新しい製品を出すたびに似たようなことが起きかねない」
 「創業不毛国」ニッポン。政府は10%台と欧米並みの開業率をめざす。阻むのは細かな規制や制度。技術の進歩や経済の変化に、官の対応が追いつかない。
 でも、問題は官だけか。妙な話を聞いた。洗髪しない理容店「1000円カット専門店」にも、必ず洗髪台があるらしい――。
 埼玉県内の専門店を訪れた。髪を切り終わったところで「壁の裏に洗髪台がありますよね」。理容師は無言でうなずく。「髪を洗いたい」と言うと「お客さんには貸していません」。何のための設備なのか。
 規制のせいだ。埼玉県は09年、新しい散髪店に洗髪台の設置を条例で義務づけたが、洗髪の義務はない。そんな不思議な条例が29道県に広がる。客を奪われた理容業者が全国で地方議員に陳情攻勢をかけた。
 大手の「QBハウス」。洗髪台を置くと席が1つ減り、月間売上高は約100万円減る。社長の北野泰男さん(44)は「単なる嫌がらせ」と吐き捨てる。
格安業者に不利
 タクシー業界にも似た話は多い。大阪地裁は7月、近畿運輸局の公示が違法との判決を出した。公示は近畿管内の運転手の走行距離を1日250キロまでと定め、関東や中部の270キロより短くしていた。地裁は合理的な根拠に欠けると判断した。
 原告は初乗り500円の格安業者など11社。短い距離しか走れないと、安い価格でたくさんの人を乗せる格安業者には不利になる。厳しい制限には価格競争に苦しむ既存業者の影もちらつく。政府の新しい特区づくりに携わる政策工房社長の原英史さん(46)は断じる。「安全確保の名を借りてワンコインタクシーを狙い撃ちする規制だ」
 挑戦者の足を引っ張る日本のムラ社会。いくら元気な芽を育てようとしても、同業者が規制を盾に踏みつぶすのでは意味がない。官と民が絡みつく規制を地道に解きほぐすしかない。首相も1000円カット店に行き、洗髪台を確かめるところから始めては――。」(
2013/09/13付「日経新聞」p1より)

世の中には「いやになっちゃう話・・・」というのはあるものである。これらの例も、それ・・・
しかし、世の中の全ては利権の塊。そして、私利私欲の世界。

こんな記事を読みながら、こんな事を思いだした。昔の自治会での話である。ウチの団地に、小学校の前を通る抜け道がある。自治会の役員をしていたその道の近くのAさんが、団地の自治会の名前で、その道路の通行禁止の請願を出すと動き出した。名目は「小学校の前の道をたくさんの車が走るのは子どもに危ないので、通行止めを!」というもの。
もちろん小学校前には横断歩道があり、信号もある。子供たちはちゃんと学校の前の歩道を歩いて通学している。これが危ない、と車の通行禁止にするなら、車が走る道路は無くなってしまう・・・。
あまりに、自治会を利用していることが露骨なので、アンケートが来たときに、通行禁止にするのは行き過ぎである、と書いた。それが、後日アンケート結果が載った回覧板を見ると、自分の意見は載ってはいたが、都合の悪い文章はことごとく削除されていた。
まさに“お手盛り”・・・
女性の自治会長に言ってみたもののラチがあかず、結局、そんな事の片棒を担ぐ気にはならないため、自治会を脱退してしまった。その後、聞いた話では、男の自治会長になってから、この件は公式に取り止めになったとか・・・。

“自分だけが可愛い”という動き。これは幾らでも転がっている話。
たぶん自分も、他人から見れば同じような事をしているのだろう。まずは、真摯に自分の周辺を眺めてみなければいけないな・・・、と“頭では”考えた記事であった。行動は自信がないけど・・・。

130914genkan <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月13日 (金)

山根基世・元NHKアナが作家・雫石とみさんを語る

PCに録音しておいて、通勤途上で聞いているNHK第2の「文化講演会」。先日、自分の好きな元NHKアナウンサーである山根基世さんが出演していた。
その話の最後に、作家・雫石とみさんの話をされていて、強く印象に残った。少々長いが、これを聞いて欲しい。

<NHK「文化講演会」「子どもの言葉を育てるには」より~山根基世>
(2013/09/01放送NHKラジオ第2「文化講演会」より)

山根基世さんについては、当サイトでも4年ほど前に取り上げたことがある(ここ)。
元NHKアナウンサーの大御所と一緒に、「ことばの杜」(ここ)を立ち上げ、その代表を務めている。
その山根さんが、前から推している作家が雫石とみさん。
改めてNetで検索してみたが、なかなか雫石とみさんの情報はない。それでも2つ見付けた。
NHKの「あの人に会いたい」という2009年2月28日に放送されたときの記録。
「雫石とみ (しずくいし とみ)1911〜2003作家
戦争ですべてを奪われ、天涯孤独の身で日雇い労働者として働き続けた作家雫石とみ。130913shizukuisi 65歳の時に発表した処女作「荒野に叫ぶ声」には、明治44年宮城県の貧しい農家に生まれ、社会の底辺を這うようにして生きてきた日々が包み隠さず綴られている。昭和62年、とみは「銀の雫文芸賞」という文学賞を創設した。資金は日雇い労働でこつこつ働いて建てた家と土地を売って作った私財2800万円をあてた。「書くことが生きる支えになったから、そういう人を奨励するため」と語る。91歳でなくなるまで埼玉県川口市の六畳一間のアパートでひとりぐらしを続けながら日記をもとに文筆活動を続けた。」(
ここより)

そしてもう一つは、下記。
「【スペシャルインタビュー】子どもの「話しことば」を育てる~「自分の目でものを見て、自分の頭で考えて、自分のことばで話す」~山根基世 LLP「ことばの杜」代表
 私自身が取材などの経験から感じるのは、人間は自分が自覚している以上に存在の根底を「ことば」で支えられているということです。特に異色の作家、雫石とみさん(*)の取材を通して、それを思いました。雫石さんは小学校もろくに出ておらず、「ことば」とは無縁の生活を送っていましたが、戦後の婦人保護施設で人から蔑まれ、自尊心をずたずたに傷つけられ、それでも人間として生きようとしたとき、日記を付け始めます。ほかにいくらでも気晴らしはあったはずなのに、やはり「ことば」でしか、マグマのように渦巻いている感情を出せない、そうしないと生きていけなかった。そんな人間の不思議さが、雫石さんにはありました。・・・
・・・・・
(*)雫石とみ:1911(明治44)年、宮城県生まれ。20歳で上京し、その後結婚し二女をもうけるが、1945(昭和20)年の東京大空襲で夫と子どもを失う。戦後入った婦人保護施設での壮絶な生活をきっかけに日記をつけ始める。その後文章の応募を続け、55歳のとき労働大臣賞受賞。65歳で処女作『荒野に叫ぶ声』(社会評論社)を発表。1987(昭和62)年、コツコツと貯めた2800万円の私財を投じて「雫石とみ文芸賞基金」と、高齢者をテーマとした文学賞「銀の雫文芸賞」を創設(2008年より新たに「NHK銀の雫文芸賞」となる)。他の著書に『輝くわが最晩年-老人アパートの扉を開ければ』(ミネルヴァ書房)などがある。2003(平成15)年没。
※山根さんはみずから企画立案して、1997(平成9)年、当時86歳だった雫石さんを取材、番組「ETV特集 シリーズ21世紀の日本人へ 書かなければ生きられなかった~文筆家・雫石とみ~」などが放映され、大きな反響を呼んだ。」(
ここより)

その時のインタビューの模様が(ここ)にある。

これらの記事を読んでいくと、まさに異色の作家:雫石とみさんは、山根さんが発掘したようにも見える。その雫石さんが亡くなってからもう10年。しかし山根さんは、雫石とみさんのことを語り続けている。つまり、それだけ“ことばの重さ”と雫石さんとが対比していたのだろう。
自分がこれから雫石とみさんの作品を読むかどうかは分からない。しかし、この山根さんの話で、「ことば」というものを再考したことは事実。つまり、このサイトで言葉遊びをしているような自分に、ハッとした・・・のである。

(関連記事)
山根基世アナの「父の人生」(&広瀬修子アナのナレーション) 

130913itazura <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月12日 (木)

「教育というのはいいところをもっと褒めること」

今朝の朝日新聞の「天声人語」はこんな記事だった。
「はやり歌のベストテンとか、お金持ちの百傑とか、ものごとに順位や序列をつけて眺めるのが人間は好きだ。相撲の番付もしかり。これを他の分野に応用した「見立(みたて)番付」なるものが、江戸時代に盛んにつくられた▼名所旧跡や神社仏閣から名産品まで、色々な種類があった。商家の丁稚(でっち)番付もある。大関は主人からのれん分けしてもらう小僧、関脇は返事の早い小僧、小結は早起きな小僧といった具合である▼逆に悪い丁稚の番付もあり、尻の重い小僧、寝小便や居眠りをする小僧らが高位にいる。一方は、かくあるべしと使用人に説き、他方は、こうなってはならぬと戒める意味合いだろう。静岡県の川勝平太(かわかつへいた)知事がこのたび選んだのは後者だった▼全国学力調査の小学6年の国語Aで、静岡県は最下位になった。知事は記者会見で「先生の授業が最低だということ」だといい、512校のうち、成績が下から100校の校長の名前を公表すると宣言した。「責任の所在を明確にしたい」と▼悔しさや怒りが抑えがたかったのだろうか。それでも行き過ぎというほかない。そもそも市町村ごとや学校ごとの順位は表に出さないことになっている。ランキング競争には一面の効能もあろうが、こと公教育の場では副作用が強い▼まして下位校に限って世間にさらすというのでは、下村文科相が「教育というのはいいところをもっと褒めること」と指摘したのも当然だろう。戒めを通り越して懲らしめのための公表になってしまわないか。 」(2013/09/12付「朝日新聞」「天声人語」より)

この記事で、実は自分は、“知事は記者会見で「先生の授業が最低だということ」だといい、512校のうち、成績が下から100校の校長の名前を公表すると宣言した。「責任の所在を明確にしたい」”という知事の気持ちも、分からないでもない。恥を知れ!といった所か・・・。
要は、その結果を受けて、先生方がこれから、どう動くかだ。どう改善するかだ。そして、次のテストで相当に順位がアップをして当然・・・、という動きをすれば良い。
もし何もしない先生方だとすると、公表されても仕方がないのかも・・・。要は自浄作用のない先生方、つまりオトナではないので・・・

それよりも、自分がこの記事を取り上げたのは、「教育というのはいいところをもっと褒めること」という言葉があったので・・・。
前に自分の小学校5年生の頃の思い出の記事で、小学校での表彰制度について書いた(ここ)。
転載すると・・・、
「それと思い出すのが「表彰」。この小学校の校長が「誰でも何か褒める事があるはず」との考えで、たくさんの児童が何かの理由で表彰された。そして朝礼の時、全校生徒の前で「表彰」されるので、嬉しかった。その話が近所の子どもの母親から、先にお袋の耳に届き、学校から帰ると「学校で表彰されたんだって?」と言われ、得意になったものだ。この校長の「子供を褒めて育てる」という方針は、今でも正しいと思っている。」(2009/10/22の記事(ここ)より)

ふと思い出してそれを探してみたら、あった。表紙には「昭和33年度 表彰簿」とある。表彰“状”ではない、表彰“簿”だ。「ほめることがら」という項目名からみても、先の文科相の「教130912hyousyou1 育というのはいいところをもっと褒めること」と同じスタンスである。(写真はクリックで拡大)
そして一項目毎に校長印があり、校長自ら目を通し、また「保護者の感想や意見」という欄により、保護者と一緒に褒めて育てよう、という校長の意気込みが感じられる。
この制度は昭和33年11月から始まったらしい。その時の茨城県龍ヶ崎市立龍ヶ崎小学校の校長は、石井理平治とある。
もちろん褒めて育てる、というのは家庭でも同じ。しかし自分が息子どもを褒めて育てたかというと、まったく自信がない。仕方がないので、これから生まれる孫に対しては、褒めることに徹することにしよう。(←たぶん忘れると思うけど・・・)

130912kyosei <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月10日 (火)

「安倍政権と戦争の記憶~日本見つめる歴史家、キャロル・グラックさん」

ちょっと古い記事だが、米国の歴史家から見た日本の姿の記事があった。大変長いので恐縮だが・・・。

「(インタビュー)安倍政権と戦争の記憶 日本見つめる歴史家、キャロル・グラックさん
 日本の「右傾化」について、どう思うか、この国を知り尽くした歴史家にそう聞こうとしたら、たしなめられた。ラベルを貼って簡単に分かった気にならないように。歴史は決して、短距離走者ではないのです、と。地理的にも時間的にも視野をぐっと広げて、2013年夏の日本と、安倍晋三首相率いる安定政権を眺めてみると……。

 ――参院選でも大勝した安倍政権について、米メディアでも右傾化を懸念する意見が見受けられますが。
 「実は、うんざりしているんです。過去数カ月間の日本に関する報道で、ナショナリズムや軍国主義といった言葉が実に多く使われています。世論調査の結果を考えれば、そんな心配はないことがわかるのに」
 「日本に関する海外メディアの報道は極端で、しかも浅い。日本がすぐに軍国主義になることはないし、憲法9条への支持はまだ強い。なのにメディアは安易にラベルを貼る。橋下徹大阪市長の慰安婦発言も好例です。まるでウイルスのように、あの種の発言は広まる。日本人の多くは発言に賛同しているわけではないのに、米国人はそれを知らない」
 「以前から感じているのですが、日本はいつも極端な言葉で形容されます。経済問題でもそうです。1980年代には『世界を支配する』、90年代には逆に『日本は終わった』と報じられ、その後、日本はほとんど無視された。安倍首相が再登板してアベノミクスを言い立てると、おお、欧州ができなかったことをした、再び日本に注目しよう――。私は歴史家だから確信していますが、世の中は決して、極端から極端へは変化しない。歴史は、短距離走者ではないのです」
   ■     ■
 ――海外メディアの日本理解の浅さは分かりましたが、安倍首相は憲法改正を目標に掲げていますね。
 「憲法改正を目指すことは、自民党政権として別に新しいことではありません。そもそも憲法9条を変えずとも、自衛隊の役割は劇的に変わった。カンボジアやイラクなど、事実を見れば自衛隊はすでに海外に派兵されている。アジアの地政学的要因や、さらなる防衛費負担を求める米国の圧力があったからです。将来的に、もし9条が改正されたとしても、それまでには、改正が必要ないほど多くのことが実現しているのではないですか。憲法は、シチューを煮るための鍋に似ています。大切なのは中身であり、鍋ではない」
 「仮に今、憲法改正に着手したら、政治のエネルギーを吸い尽くしてしまうでしょう。中韓や東南アジア諸国との関係をどうするか、世界でどんな役割を果たすべきか、そんな課題が山積みだというのに」
 ――前回政権時、安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げていましたが、これはどう思いますか。
 「同種のことを言い始めたのも、別に安倍首相が最初ではありません。戦争が終わって70年近く経つというのに、いまだに『戦後』という言葉を使っているのは日本だけ、という点は実に興味深いですが」
 「日本が戦後という言葉を使い続けた理由は、それだけ、この体制が安定したものだったからでしょう。諸外国では、このように使われる言葉を見つけられません。その理由のひとつは米国です。米国が、日本の記憶とシステムを『冷凍』していたから。そして日本にとっては、それが快適だった。おかげで天皇は象徴となり、民主的で平和な国家が続いている、と」
 「安倍首相は『普通の国』になるために9条を変えることを欲するけれど、戦後体制の『ある部分』は変えたくない。それは日米関係です。民主党が試みて失敗したようなことはしたくない。安倍首相は、本当に戦後を変えたいのでしょうか」
   ■     ■
 ――安倍首相は終戦の日の全国戦没者追悼式で、アジア諸国に対する加害責任に触れませんでした。
 「安倍首相を含む自民党の右派政治家たちは長い間、戦後問題やナショナリズムに関わることを国内政治扱いしてきました。加害責任を否定することで、国内の支持を得ようとしてきた。彼らはまるで、自分たちの話す日本語は海外ではまったく理解されないと思っているようです。実際はソウルや北京やワシントンにすぐに流れるというのに。これは一種の『地政学的無神経』です」
 ――なぜ日本ばかりが謝罪しなければならないのか、という疑問を持つ人もいます。
 「この20年ほどで、戦争の記憶に関する『グローバル記憶文化』とでも呼ぶべきものが生まれました。それは、国家が過去に行った行為について新しい国際規範ができた、ということを意味します」
 「戦後すぐは、その規範は存在しませんでした。国家の首脳は50年代、『ごめんなさい』と言って回ったりはしなかった。この『謝罪ポリティクス』につながる新しい記憶文化が生まれた理由のひとつはホロコーストです。欧州連合(EU)が創設される過程でホロコーストはヨーロッパ共通の記憶になりました。多くの国が追悼の日を設け、教育を始めた。EUが90年代以降に北・東欧に広がると、この記憶も広がった。私は『溶媒効果』と呼んでいます」
 「トルコを例にとると、オスマン帝国末期のアルメニア人虐殺をトルコ政府が認めないことを、EUは重大視しています。EUの一員になるにはグローバル記憶文化の共有が要求されるのです。EUがトルコ加入に難色を示す理由として、これは明らかに政治利用されています」
 ――その新しい規範が、東アジアにも広がったということですか。
 「日本は長い間、戦争の記憶に関して何もする必要がなかった。強固な日米関係に支えられていたからです。中国は共産主義国だから、存在しないのと同じだった。しかし、冷戦が崩壊し、日米関係が唯一の重要な国際関係ではなくなった」
 「アジアと向き合うことを余儀なくされ、90年代になって突然、日本政府は戦争の記憶に対処しなければならなくなったのです。それは世界的な『新しい常識』です。自民党が国内政治として扱おうとしても、それとは別種の国際環境が存在している。米下院が慰安婦問題で非難決議をしたのも、その流れです」
   ■     ■
 ―― 一方で安倍首相は、8月15日の靖国神社参拝は見送りました。
 「靖国神社は取り扱いの難しい問題です。戦没者の慰霊施設だからこそ、人々はA級戦犯ではなく、戦死した祖父や曽祖父を思い浮かべる。少なからぬ国民が参拝を支持しているのは理由があります。これは国内問題でもあり、国際問題でもあるから、取り扱うには巧妙な手腕が必要ですが、自民党にそれができるとは思えない。この夏、安倍首相が靖国に参拝していたら、取り返しのつかない失敗となったでしょう」
 「歴史問題は、いまや安全保障にすぐに結びつくのです。取り扱い次第で、すぐに『日本再軍備』反対という声が高まる。竹島や尖閣諸島などの領土問題でも、慰安婦や南京事件が持ち出される。歴史問題が利用されている面は確かにあります」
 ――「地政学的無神経」以外に気にかかることはありますか。
 「在日コリアンへの悪意に満ちたデモなど、ヘイト・ナショナリズムには懸念を持っています。これは安倍首相よりもはるかに危険です。中韓の若者たちは日本が嫌いだといい、日本でも……。まるでブーメランです。若年層がお互いに憎み合うとしたら、いったい東アジア全体では、どんなシチューができるというのでしょう。軽率な愛国心は、祖国に対する誇りとは違うのです」
 「90年代、世界各国で新しいナショナリズムが生まれました。冷戦が終わり、不確実に変化する世界秩序を前に、経済的な繁栄を譲り渡さなければならないと感じた先進諸国が直面した問題です。このポスト冷戦期、日本にもたらされた最も大きな変化は、アジア諸国の成長、特に中国の台頭でした。東アジアで経済関係がこれほど分厚く広がったことはかつてありません。地政学上の大きな変動は緊張をもたらします。ナショナリズムの矛先が中国、韓国に向かうのは、そのためです」
 「90年代からずっと言い続けているのですが、日本はグローバルプレーヤーになる努力をするべきです。非核国で、兵器も売らず、かつ世界有数の経済大国という稀有(けう)な国です。ノルウェーが平和交渉の仲介役をするように、他国がしない隙間の役割を見つけるべきでしょう。クール・ジャパンだけでは無理でも、もっと多面的なソフトパワーを武器にして、何かできるはずです」
 「それは、台頭する中国にどう対処するか、という問いへの答えでもあります。軍備に軍備で対抗するのは、ばかげていますから」
     *
 Carol Gluck 41年生まれ。米コロンビア大学教授。同大東アジア研究所所属。米国における日本近現代史、思想史研究の第一人者。
 ■取材を終えて
 海外メディアに誤解されやすい。かつ、世界的な「常識」の変化に無頓着である。グラック教授の日本への指摘を縮めれば、こうなる。言い換えれば、あまちゃんで自己プロデュースに失敗しているということか。国家の自画像をどう描くか。海外の反応が気になりがちな私たちにとって、この夏の宿題は難問だ。(ニューヨーク支局長・真鍋弘樹)」(
2013/08/20付「朝日新聞」p13より)

米国の日本歴史学者の視点に、ハッとする。マスコミに扇動されず・・・なんて言ってもムリ。結局は読んでいるのが何新聞かで、大きな影響を受けている。その点、海外の人の目線で自分たちを見直してみるのも一つの方法。(まあこれも朝日新聞だけど・・・)

2020年の東京五輪の招致に成功した安倍首相は、得意満面で益々右傾化の独裁色が強くなるのでは?と心配していたが、米国の人から見ると「仮に今、憲法改正に着手したら、政治のエネルギーを吸い尽くしてしまうでしょう。」として、「軍備に軍備で対抗するのは、ばかげていますから」 と一刀両断。
つまり、「憲法を変えてまで、自衛隊に何をさせたいの?もう実現しているでしょう?」ということ? 

それにしても、五輪招致成功のマスコミのはしゃぎ方は異常。世論調査で、国民の五輪招致への賛成が少ないことがネック、と報道されていた記憶は新しい。それなのに、決まった瞬間から、国民全員が諸手を挙げて狂喜乱舞している前提での報道。
ヘソが曲がっているエムズ君は、上の記事と同じく、今度は五輪招致を冷ややかに見ている論を探すのであ~る。

130910kanabun <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月 9日 (月)

美空ひばりの「さくらの唄」

FM放送で、新しい歌を“発見”するのが自分の趣味・・・。先日、美空ひばりの「さくらの唄」という歌を“発見”した。

<美空ひばりの「さくらの唄」>

「さくらの唄」
  作詞:なかにし礼
  作曲:三木たかし

何もかも僕は なくしたの
生きてることが つらくてならぬ
もしも僕が死んだら 友達に
ひきょうなやつと わらわれるだろう
わらわれるだろう

今の僕は何を したらいいの
こたえておくれ 別れた人よ
これで皆んないいんだ 悲しみも
君と見た夢も おわったことさ
おわったことさ

愛した君も 今頃は
僕のことを忘れて 幸福だろう
おやすみをいわず ねむろうか
やさしく匂う さくらの下で
さくらの下で
さくらの下で

何とも旋律が優しく、不思議な形式で書かれている。何部形式か分からぬが、「A、A」?それとも「A、A'」??
130909sakuranouta 調べてみると、この歌は昭和45年に三木たかしが歌ったもので、それを昭和51年のTBS水曜劇場「さくらの唄」のエンディング曲として、美空ひばりが歌ったものらしい。
ここ)によると「なかにし礼の小説「黄昏に歌え」によると、『さくらの唄』は、兄の借金を丸ごと抱え込んで、得意の絶頂から失意のどん底にたたき落とされた時、自分の身代わりにもう一人の自分をあの世に送り出すために書いた、私の遺言歌のようなものだった」とある。

自分の数十年に亘るエアチェックに、この歌は一度も引っ掛からなかった。そんな意味で、世の中にはまだまだ幾らでも良い歌は隠れているのだと思う。
引き続き、今まで自分が聞いたことのない“自分にフィットする歌”を、掘り起こして行く事にしよう。

130909nomenai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月 8日 (日)

朝日新聞の「いわせてもらお」

今朝は、お祭り騒ぎのマスコミに乗って、5時半頃に目を覚ましてしまった。そしてテレビを点けたら、何と2020年のオリンピックは東京に決まった・・だって。何ともビックリ・・・。まったくの予想外!
そして今日は一日中、テレビはその話の特番ばかり・・・。

まあそれはそれとして、昨日の朝日新聞にこんなコーナーがあった。

「(いわせてもらお)
■独居
 85歳の義父は田舎で独り暮らし。寂しくないよう、月曜から金曜までヘルパー、デイサービスを活用している。「土日は寂しくない?」と電話で尋ねたら、「土日くらい一人にさせてくれよ」と言われた。(相模原市・まだまだ元気です・55歳)
■肉
 先日、義母(70)が「肉がどこかにあるはずなんだけど」とカバンの中を探し始めた。冷蔵庫じゃなく、カバンの中を探すなんて、いよいよボケが始まったのかと驚く私に、「朱肉ある?」。(山梨県富士吉田市・肉は肉でも……・32歳)
■ついて行く
 娘がまだ幼い頃。妻が私の無鉄砲な行動に「もう、ついて行けない!」と叫んだ。それを聞いた娘はしばらく考え込んでいたが、突然「わかった! お母さんは自転車に乗れないからだ!」と叫び、うれしそうに跳びはねた。その場の空気が和らいだことは言うまでもない。(札幌市・助かりました・62歳)
■毛
 「体毛は、人間の大切な部分を守る」と教わった小学生の孫。「おじいちゃんの頭は、もう大事じゃなくなったんだね」と私の頭を見てつぶやいた。(東京都日野市・そんな言い方しなくても……・61歳)」(
2013/09/07付「朝日新聞」b10より)

東京オリンピックが開かれる7年後の2020年。世の中はどうなっているのだろう? 今年生まれた赤ちゃんも7歳。充分にオリンピックを理解するだろう。
米国がシリアを攻撃するとか、日本の平和憲法を改定するとか、物騒な話が多い世の中だが、まあこんなバカバカしい話でも聞きながら、7年後の“平和の祭典”に期待することにするか・・・。

130908shikaeshi_2 <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月 7日 (土)

「もしもピアノが弾けたら・・・」ベスト10~自演の「月光の曲」と「エリーゼのために」

今朝の朝日新聞に「もしもピアノが弾けたなら」というランキングがあった

「(beランキング)もしもピアノが弾けたなら
切ないほどの哀感、奏でたい
「もしもピアノが弾けたなら、あの曲を弾いてみたい」という夢はありませんか? 少しは弾けるけれど、いつかあの難曲を、という方もいるでしょう。読者が選んだ弾いてみたい曲1位は、「エリーゼのために」。曲に重ねた思いも数多く寄せられました

 「エリーゼ」が幅広い年齢層の人々に愛されていることは、アンケートからも読み取れた。最年少の中学生男子(13)も、最高齢の男性(88)も、この曲を選んだ。
 「小さい頃、親友の家にはピアノがあった。教育熱心なお母さんは私が遊びに行くのを嫌がっていたが、オルゴールで聴いた『エリーゼのために』を、ピアノの鍵盤で音を探しながら2人で弾いたことを今も覚えている。父の転勤で別れ、のちに彼女が病で20歳で他界したと知った。もし今、ピアノが弾けたら、彼女のためにこの曲を弾きたい」(東京、49歳女性)
130907piano  家に余裕がなく、ピアノを習うことが出来なかった、という声も多かった。そんな子ども時代のあこがれの曲でもあった。
 「級友が得意げに『エリーゼのために』を弾くのを見て、とてもうらやましかった。習い事をさせてもらえなかった私は、絵に描いた鍵盤で、音楽の教科書を見ながらいつも指一本で弾いていた」(兵庫、61歳女性)。「父の戦死公報が入った後、一家で母子寮に。寮の集会室のオルガンを独占して迷惑顔された。ようやくピアノを買えたのは、父の死から30年後だった」(埼玉、76歳男性)
 トップ10に5曲がランクインしたショパン。「数あるショパンの作品中、理屈抜きでいちばん心に染みる曲」(栃木、77歳男性)として2位に選ばれたのが「別れの曲」だ。映画「さびしんぼう」や、テレビドラマ「101回目のプロポーズ」で流れ、この曲が胸に刻まれたという人も少なくない。
 クラシックからポピュラーまで幅広い楽曲を舞台で華麗に奏でているピアニスターHIROSHIさんは、「『エリーゼのために』や多くのショパン作品には、日本人が好む切ないほどの哀感が漂っている気がします。絶望や歓喜以上に、哀愁に心ひかれる国民性が、今回のトップ10にも表れていますね」と分析する。
 3位は再びベートーベン。「幼い頃、どこかで聴いたメロディーが忘れられず、その名が『月光』と知った時は胸がドキドキした。あまりにその音色が月にぴったりで。いつか聴く側から弾く側になってみたい」(福島、48歳女性)
■「明日に架ける橋」競合曲抑え7位
 ポピュラー曲で唯一トップ10に入ったのは、「明日に架ける橋」だ。「初めて聴いた時、なんて美しい曲なのだろうと思った。中学で英語を学び、歌詞を知ってまた感動。ぜひ自分で弾いてみたい」(東京、55歳男性)。「サイモン&ガーファンクルはアコースティックギターの印象が強いので、『レット・イット・ビー』『イマジン』『渚(なぎさ)のアデリーヌ』などを抑えてのベスト10入りに驚いた」とHIROSHIさんはいう。
 自分が味わえなかった体験を子どもにこそ、と思うのが親心。「私が出来なかった分、長男には早くからピアノを習わせた。『トルコ行進曲』を発表会で弾くのを聴き、私も弾きたかった、と昔を思い出した」(三重、57歳女性)
 ピアノで自分の限界を知ることもある。「中学時代、友人が『革命のエチュード』を弾いた時、衝撃で立ち上がれなかった。何でもそつなくこなす自負があったが、この時初めて天賦の才能とは何か、分かった気がした。彼女は音大に進んだ」(東京、39歳女性)
 いくつになっても、ピアノの道は続いている。「60歳を過ぎ、家族に冷ややかな目で見られながら、思い切ってデジタルピアノを購入。遅々たる上達ぶりだが、死ぬまでに『乙女の祈り』を弾くことを目標にぼちぼちと練習をしている」(福井、69歳男性)
 HIROSHIさんは、こんなエールを寄せてくれた。「私自身、52歳の今も2週に1度、師に指導を仰ぎ、日々着実に進化しています。いくつになっても上達できますので、頑張りましょう!」(佐々波幸子)
     ◇
 調査の方法 朝日新聞デジタルの会員に登録していただいた方を対象に、ウェブサイトで8月上旬にアンケートを実施した。回答者は1849人。ピアニスターHIROSHI(ヒロシ)さんのアドバイスを受け、編集部で絞り込んだ約100曲のクラシックやポピュラーのピアノ曲から最大8曲まで選んでもらった。」(2013/09/07付「朝日新聞」b2より)

<「もしもピアノが弾けたら、弾きたい曲」ベスト10>
①エリーゼのために(ベートーベン) 588票
②別れの曲(ショパン) 393票
③月光ソナタ(ベートーベン) 358票
④トルコ行進曲(モーツァルト) 340票
⑤ノクターン第2番(ショパン) 287票
⑥子犬のワルツ(ショパン) 274票
⑦朝日に架ける橋(ポール・サイモン) 263票
⑧英雄ポロネーズ(ショパン) 226票
⑨幻想即興曲(ショパン) 209票
⑩カノン(バッヘルベル) 207票
⑩ラ・カンパネラ(リスト) 207票

もし自分が同じ事を聞かれたら、「月光」と「エリーゼのために」は別格として、「モーツァルトのトルコ行進曲」と「幻想即興曲」「ラ・カンパネラ」と答えるかも・・・

自分は子どもの頃から、楽器は好きだったが、結局何もモノにならなかった。子どもの頃はハーモニカ、学生の頃はギターも買った。しかし誰かに教わったこともなく、ギターでは「禁じられた遊び」を勝手に練習したが、結局独学なので、何も弾けなかった。
そして大学3年の時(1968年)、ピアノで「月光」にチャレンジした。そしてまさに独学で弾いたのがこれ・・・。

<自演の「月光の曲」>

この独習の経緯については、「「月光の曲」の思い出」として2007年3月14日の記事として書いた(ここ)。
この録音は、たぶん1977年頃、兄貴宅の義姉のピアノで録ったもの。車でオープンデッキを持って行って録音したことを覚えている。とにかく、指が付いていくのが精一杯で、情緒も何もあったものではなかった。聞いてみると、何もと扁平な演奏。練習は、曲が耳に残っているので、指を間違えると直ぐに分かる。それだけが頼りだった。このゆったりした曲だからこそ、何とか弾けるようになっただけ・・・。

同じ時に「エリーゼのために」にもチャレンジしたが、これは無理だった。早い所が無理・・・。弾ける所だけを弾いたのがこれ・・・。同じ時の録音。

<自演の「エリーゼのために」>

老後、ピアノにチャレンジ、という選択肢も確かにある。散歩の途中で、ピアノを教えている家もある。カミさんは「ピアノでもやったら?」と言う。しかし自分の能力は分かっている。それに自我流が身に付いてしまっているので、もうダメだろう。自我流は、スキーもゴルフも全てがそうだった。よって、全てがモノにならなかった・・・。自分の人生は、みんなそんなもの・・・。
改めて、自分の楽器人生、はてまたピアノとの関わりについて、昔を思い出しながら読んだ記事であった。

130907mayoiinu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月 6日 (金)

「女子高校生と外交官 きちんと向き合う大切さ」~子どもへの対応

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(ザ・コラム)女子高校生と外交官 きちんと向き合う大切さ 大久保真紀
   1995年9月28日の夕方。私は東京・南麻布のフランス大使館の前にいた。いまかいまかと、大使館に入った女子高校生4人が出てくるのを待っていた。
 この年に再開されたフランスの核実験に反対する署名を高校生が大使館に届けるという連絡を前日、受けた。「高校生が署名提出」という簡単な記事を書くつもりだった。だが、なかなか出てこない。姿を見せたのは、約2時間後。彼女たちはほおを紅潮させ、なぜかうれしそうだった。
 4人は東京学芸大学付属高校の2年生。文化祭でチラシを配り、仲間と署名を呼びかけ、約2千人分を集めた。
 自分の高校時代を振り返ると、核実験には全く関心がなかったし、署名を集めるという行動を考えたこともない。彼女たちの問題意識には感心するばかりだった。
 4人によると、大使館では、1等書記官のフィリップ・ルフォールさんが通訳を伴って迎えてくれた。南太平洋での実験は環境に悪影響があるのではないか、と質問する彼女らに、ルフォールさんは図を描きながら「影響はない」と説明。「環境に影響がないのならパリでやればいい」と食い下がると、「パリ近郊でできないのは、振動がひどいからだ」などと話した。
 彼女たちは率直に疑問をぶつけた。「核不拡散条約で他国に保有を禁ずる核兵器をなぜもつのか」「地球を何回も崩壊させる核兵器をもつのに、なぜ改めて実験するのか」。ルフォールさんも「日本は核の傘の下に入っている」「(最近核実験した)中国には抗議しないのか」などと応じた。議論は平行線だったが、ルフォールさんは目を見て話し、4人の意見も丁寧に聞いた。気づくと予定の30分を大幅に超えていた。
 「ちゃんと対応してくれたね」。彼女たちは興奮気味に経緯を話した。
 感動した私はその夜、社に戻って長い原稿を書いた。翌日の夕刊社会面に「『反核の声、聞いて』女子高生4人 2000人の署名携え訪問 仏大使館の門が開いた 2時間異例の応対」という記事が載った。
      *
 この夏、4人の中のひとり、黒木麻衣子さん(34)が会いに来てくれた。現在は英国で国際関係学を研究する。「あれは私の人生を変えた出来事だった」と語った。
 あのとき、黒木さんは抑止力としての核の存在を強調するルフォールさんに、生意気にもこう言った。「核の存在前は優秀な外交官が戦争を防ぐ唯一の手段だった。あなたのような外交官がたくさん出て、本当の平和が来るように祈る」と。すると、ルフォールさんは「外交官になりなさい。あなたみたいな人がなれば日本の外交がおもしろくなる」と握手をしてきた。
 未熟な高校生の話をまともに聞いてくれたことに、黒木さんは心を動かされた。国際政治に関わりたいとの思いが生まれた。2浪後に慶応大学に合格したが、入ったのは史学科。その後、上智大学大学院で念願の国際関係論を学んだ。「国際政治学者になりたいという目標を見失わないで来られたのは、あの瞬間があったから」と言う。進路で悩むたびに、自分たちのことが書かれた記事を取り出した。「読むと、あの時のことがよみがえる。新聞に私の生き方の原点が刻み込まれているんです」
 もうひとり、中田祐恵(さちえ)さん(35)は大学卒業後、共同通信の記者になった。当時は環境問題として核実験をとらえていたが、入社後に広島支局に勤務。被爆者の話を聞き、キノコ雲の下で起きた悲惨な現実を考えるようになった。さらに、福島第一原発の事故もあった。いまは宮内庁担当だが、「核兵器も放射線被害も含め核の問題にずっと関わっていきたいと思っている」。
 あとの2人には連絡が取れなかった。
      *
 ルフォールさんはどうしているのだろう。フランス大使館に問い合わせると、欧州連合で南カフカス地域及びグルジア危機担当特別代表を務めていた。メールを送ると、丁寧な返事が届いた。「私はいま56歳。18年前の彼女たちの訪問はよく覚えている。4人は聡明で、正直で、誠実だった」。多くの国から批判された核実験だったからこそ、批判を無視するのではなく、議論し、人々の考えを聞くことが必要と、高校生の黒木さんらに会ったという。
 記事が出た後、4人は先生に「国立の高校ということを考えているのか」と怒られたらしい。意見は違っても、真摯に真剣にルフォールさんが議論してくれたことが、彼女たちのその後に大きな影響を与えた。
 松江市教育委員会は漫画「はだしのゲン」の閲覧を制限、その後撤回した。手続きの不備を理由にしているが、事の本質には触れていない。閲覧制限も「暴力描写が過激」としてとられた措置だった。いずれも事なかれ主義と私には見える。「はだしのゲン」を読み返すと心が痛くなる場面もあるが、それが原爆や戦争の現実。起きたこと、起きていることを子どもにきちんと伝え、議論することが日本人は苦手だ。高校生とルフォールさんの「あの日の出来事」は、大人が若い人にきちんと向き合うことの大切さを教えてくれる。(編集委員)」(
2013/09/01付「朝日新聞」p8より)

会社見学など、子どもを大切にする企業は多い。将来のお客さま、という視点だ。しかし国家間でのこの話は面白い。なかなか出来ることではない。対応しても、キリがないから。そして、どうしても“面倒だ”という感情が先に立って、ちゃんと対応せねば・・・、という理屈が引っ込むから・・・

しかし、この例のように、誠意ある対応を受けた若者の心が純であればあるだけ、それらの対応が若者の人生に与える影響も大きい。この4人も「あれは私の人生を変えた出来事だった」のだ。

ふと、自分も「外国」というキーワードで、昔のことを思い出してみた。まず「スイス」が浮かんだ。中学1年の頃だったか、スイスの山の風景写真が大好きだったので、何の要件か忘れたが、スイス大使館に手紙を書いた事があった。ほどなく、大きな封筒に、スイスの山の写真がたくさん載ったチラシ、カタログが送られて来た。これには感激した。こんな子どもの手紙にも対応してくれた・・・。

そういえば、BCL(Broadcasting Listening)カードの記憶もある。中学2年の頃、短波ラジオ130906card を自作して、海外の日本語放送を聞いた。そして受信報告を送ると、海外のラジオ局からベリカードが送られてくる。英国BBCからはソノシートのベリカードで、ビッグベンの鐘の音が聞こえた。ラジオ・オーストラリア、北京放送局、ボイス・オブ・アメリカ、ラジオ・モスクワなど・・・。子ども心にも、世界を空想して心が躍ったもの・・・。そして、子どもの頃の記憶は長く残るもの・・・(写真は、当時のもの。S37.1.24の日付がある)

そんな事を考えると、その影響が長く残るので、子どもへの対応は心せねば・・・。もう自分の子どもには間に合わないから、孫への対応に心することにするか・・・。

130906okusuri <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月 5日 (木)

高2生「借金70万円、なんで俺が」~親子の関係

最高裁で、「婚外子」の相続差別について、違憲判断が出たという。
親と子の関係は、とにかく色々だ。どこの家庭にも、必ずと言って良いほど“事情”がある。たぶん、問題のない親子関係などこの世に存在しないのでは??
先日の朝日新聞にこんな記事があった。

「(いま子どもたちは)欲しいって言わない~借金70万円、なんで俺が
 「いま、70万円の借金背負ってます」。東京都立の商業高校2年生、ハジメさん(17)=仮名=は、深いため息をついた。
 板橋区の2DKのアパートで、40代の母親と2人暮らし。母はハジメさんが幼いころに離婚している。「病気で働けない」と言うが、ハジメさんは「ぐうたらなだけ」と思う。いま、会話はほとんどない。
 高校に入学したころ、母が言った。
 「もう自分で食えるでしょ。働いて」
 生活保護を受けているため、収入があった場合は福祉事務所に申告が要る。母は「本当はダメなんだけど、働いて」と言った。金をくれず、食べさせてもくれない。働くしかなかった。
 すし店やコンビニエンスストアで毎日、アルバイトをした。多い日は1日15時間。自分の稼ぎで食費、学校の教材費、簿記などの検定料、洋服代、携帯電話代など生活費のほとんどをまかなった。将来、進学や一人暮らしをするための金もためた。
 7月の放課後。母から「アルバイトのこと、国の人にばれたよ」と言われた。福祉事務所に通報があったらしい。これまで稼いだ約70万円分を申告しておらず、全額を福祉事務所に払わなければならなくなった。
 一括では支払えず、月々の生活保護費から3万円ずつ天引きされる。母には「お前のせいだよ。ちゃんと働くようになったら返して」と言われたという。
 「母に借りは作りたくないから返すつもり。でも、遊びに使ったわけじゃない。母のせいで生活保護を受けているのに、何で俺が借金を背負わなきゃいけないんだろう」
 アルバイトはこれからも続ける。福祉事務所に申告すれば、収入は生活保護費から減額されるが、控除の形で収入の一部を受け取れる。高校生で月収10万円なら、3万5千円が手元に入る計算になる。
 「半分ももらえないって、働く気が起きないっすよね」
 働かなければ生活に困るし、来年の修学旅行にも行けなくなる。ハジメさんはもう一度、大きなため息をついた。(斉藤純江)」(
2013/08/28付「朝日新聞」p30より)

何とも切なくなる話である。子は親を選べない。与えられた環境で生きるしかない。まるでペットの犬と同じだ。幼少の頃は、とにかく合わせるしかない・・・
でも成長して、オトナになってからの親子の関係は・・・??

NHKのラジオ第2で「『シートン動物記』に見る 人と自然」(2013年7月~9月放送)を放送しているが、その番組の最初の方でこんな話があった。シートンの父親は厳格で全てを自分が決める。つまり、シートン本人の意志(博物学者になりたい)とは無関係に、進むべき道(画家)を命じた。息子が自分の命令に刃向かうと、会計士だったこともあり、生まれて以来記録してあったシートンの養育費の領収書を全て示して、返却を求めたという。シートンは、父親の呪縛から逃れるために、それを全部支払い、これで親に何の借りもない・・・と、それから自分の人生を始めたという。
学費などの具体的な費用などなら分かるが、生まれてこの方、衣食住全ての費用を金銭で“返せ”とは、この父にとって息子は投資の対象だったのか・・・? それとも売り言葉に買い言葉だった?? まあ、幾ら親の意思で全てが決まる時代だったにせよ、凄まじい。

TVドラマでも、親子の関係をテーマにした番組は多い。今放送中の「Woman」も同じ。親と子の関係、それは人間社会の永遠のテーマかも知れない。
ふと、自分と親との関係、自分と息子の関係を含め、改めて「親と子とは何だ?」と考えてしまう一文ではあった。

130905wax <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月 3日 (火)

「三本締め」の由来

今日は毒にも薬にもならない話。先日の朝日新聞に三本締めの記事があった。

「(帰ってきたモンジロー)三本締めで割れない仲に 
 疑問解決モンジロー、今年も帰ってきたよ。今回の疑問のテーマは数字にまつわること。お祭りや酉(とり)の市とかで、みんなでする手拍子の「三本締め」はなぜ三なんだろう。どんな意味があるのかな? 「三」にちなんで応援の定番、「三三七拍子」の由来も調べてみたよ。
商売繁盛の願い込め
 三本締めは、いつごろからやっているの? 江戸時代の町火消しの伝統を受け継ぐ「江戸消防記念会」(東京都)は行事でよく三本締めをしているので聞いてみたよ。
 記念会の資料によると、三本締めは江戸時代初期から式典などで行われてきた。「物事が無事収まりました」という感謝の思いを込め、ひとつの区切りとしてやるそうだ。
130903tejime  リズムの由来を事務局長の須藤晃二さんに聞いた。手拍子は「パ・パ・パン(3回)、パ・パ・パン(3回)、パ・パ・パン・パン(3+1回)」。手拍子9回で漢字の九。これに最後の「パン」が点を意味して、「丸」を表す。「丸く収まりました」という解釈だと言い伝えられているそう。キキッ。三本締めが宴会や納会、結婚式などおめでたい席でされていることに関係していそうだね。
 でも、なんで3回繰り返すの? 三本締めといえば、毎年11月に各地で開かれる酉の市。熊手を買ったお客さんに感謝を込めて三本締めをする光景はおなじみだね。浅草のお酉(とり)様で知られる「鷲(おおとり)神社」(東京都台東区)の酉の市。実家が熊手屋を出している書家の橘右之吉さん(63)によると、「三は割れない縁起のいい吉数。ごひいきの関係が壊れずこれからも続くように、お客さんの商売繁盛も続くようにという願いを込めているんだと、両親から教わりました」。ウッキー、縁起を担いでいたんだね。
 橘さんは歌舞伎や寄席の演目などを書く江戸文字の書家さん。歌舞伎や落語の舞台でも三本締めをするけど、そこでは「お客様に一本、主催者に一本、演者に一本という解釈もある」んだって。
 ところで、手締めは三本締めだけでなく、地域によって種類があるんだって。たとえば大阪の「大阪締め」。年始の大発会で大阪締めをしている大阪証券取引所の担当者は「江戸時代の米取引で商売が成立した時にやったのが最初という説が有力だそうです」。福岡では、博多祇園山笠などで、博多手一本という手締めをしているよ。
 風習に詳しい写真家の芳賀日向さん(57)は「日本の祭りや行事はおもしろいことはすぐに取り入れる。郷土の中でそれぞれの形が作られたのでは」と話していたよ。
 酒の文化にくわしい酒文化研究所の狩野卓也さん(54)に、酒席で三本締めをする時のマナーを聞いたよ。座敷なら座布団をはずして立つ。テーブルなら、イスをテーブルに入れてその後ろに立つ。「音頭をとる人の動きをよく見て。心を一つにする、楽しく盛り上がるためにタイミングははずさないように」だって。キキッ。
スポーツでは三・三・七
 夏が過ぎればスポーツの秋。応援の定番の三三七拍子は誰が始めたのかな? 「最初に始めたのは明治大応援団の初代団長です」というのは同応援団OB会副幹事長の三森勲さん(56)。同大4年生だった相馬基(もとい)さん(故人)が1922年、初代応援団長になり、当時盛んだったレガッタ(ボートレース)の応援のために考えたそうだよ。
 三・三・七のリズムは「『勝った ほうが いい/勝った ほうが いい/勝った ほうが いいっ たら 勝った ほうが いい』という三・三・七区切りのかけ声に合わせて拍手ができるようにと考えて作られたんです」と三森さん。相馬さんは元相撲部だったので、大きく両手を広げて動かす身ぶりは相撲取りが土俵入りする時の不知火型を採り入れたんだって。ウキッ。相撲と応援がつながっていたのか。
 応援団は太平洋戦争で一時途絶えたものの戦後、復活し、三三七拍子も受け継がれた。六大学野球の応援で知名度が上がり、中学や高校の応援団もまねしてやるようになったそうだよ。三森さんは「さまざまな応援に使われているのはうれしいこと。これからも受け継いでいってほしい」と話していたよ。」(
2013/08/28付「朝日新聞」p33より)

酒宴の最後は締めで終わるもの。まあケジメが付いて良いのだが、これも色々ある。普通は「にぎやかに、関東三本締めで・・・」と、上に解説のある三本締めだが、周囲の迷惑を考えて、「一本締めで」と、“パン”で終わることも多い。それを越えて、音を出さないように、指で締めることもある。人差し指で、パン。もちろん音は出ないが、これも時代の流れ・・・

昔、サラリーマンの現役の頃、忘年会などの酒宴で、最初の乾杯の音頭や、最後の締めは、ある意味“名誉”的指名だった。**長に昇進したときなど、突然思わぬ“ご指名”を受けてどぎまぎしたこともある。
でもまあ年の功で、何とか切り抜けたが、一応はひと言、気の利いた挨拶をするのが普通。だからそのうち、もし指名されたら・・・と、ひと言を用意しておいたもの。とっさに機転が利いていわゆるスピーチを言えるほど、自分には才能が無かったので・・・。
でもこれらは中年のサラリーマンの世界のこと。今の若い人は、どんな酒宴をしているのか・・・。普通の飲み会でも、最後は三本締めで絞めているのか? たぶん地方によって、色々あるのだろうが・・・
別に興味もないが、何か酒宴の席が減ってホットしている自分がここに居る。

130903maita <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月 2日 (月)

「マスコミが勝った選挙~テレビうらおもて」

タイトルと話は違うが、今日は浅野内匠頭の心情が良く分かった!!
実は、今夜、同僚の義母の通夜があり、行ってきた。話を聞いたのが今朝で、明日の葬儀は予定があって行けないので、会社帰りに行ったわけだが、行ってみてビックリ。95%の人が、真夏だというのに正装なのだ。自分の常識が覆った。通夜は訃報を聞いて、急いでかけつけた・・・という形なので、平服でも許される、と思っていたが、このところしばらく通夜に行く機会が無かったら、世の中、通夜も皆正装の時代に変わっていた・・・。上着を着ていない自分のような半袖シャツの人は1名見かけただけ。知った顔もいたが、そそくさと帰ってきてしまった。
それにしても、ひょんな事で、服装で自分だけ浮いている浅野内匠頭の心情が良く分かってしまった・・・。

さて、気を取り直して・・・(もっとも、さっきTVドラマの「半沢直樹」を見て、気分を持ち直したが・・・)
先日カミさんが買ってきた、駅で売っているホームレスさん支援雑誌「ビッグイシュー」221号(2013年8月15日号)にこんな記事があった。

マスコミが勝った選挙~テレビうらおもて
作家、音楽評論家 伊藤悟
 参議院議員選挙以降、初めての原稿になる。素朴に納得のいかなかったことを書きつらねたい。
 参院選前からテレビ局はこぞって「ねじれ解消」がこの選挙の争点だと報じていた。投票が終わって出口調査で自民党大勝がわかると「これでねじれが解消されました」。そもそも二院制は、それぞれの議会の多数派が違って(=ねじれて)いてもかまわない、それで独裁が防げるという制度なのだから、ねじれを解消したいというのは政党だけの論理だ。実際ねじれていても過半数の法案は成立していて、まったく困った状態ではなかった。「ねじれ解消」を言っていたのは、自民党幹部だけだった。それがどうして全国民的課題にされるのか。
130902  TBS系は、選挙終了後の特別番組の中で、自民党の憲法改正案を取り上げ、自民党幹部と「公益(国の都合)で基本的人権を制限するのはどうか」など議論をしていた。どうして選挙前にこれをやらなかったのか。争点は、憲法改正、TPP、原子力発電などたくさんあったのに、わざと取り上げられなかったことは明白だ。
 おまけに自民党・石破幹事長の「国防軍になったら軍事裁判所的なものが必要。命令に従わなければ死刑、懲役300年」なる暴言も軽くふれる程度。もっとささいな発言で叩きに叩かれて議員を辞めた人だっているのに。要するに自民党に甘~い報道しかしていない。
 さらに、サンプルの取り方や質問のしかたに疑問がある世論調査を次々発表して「自民大勝」の予想をまき散らかした。選挙後の山形新聞の記事に、棄権した人5人のインタビューが載っていたが、うち2人の棄権理由が「どうせ自民党が勝つから」だった。まるで投票率を下げるために世論調査や予測をしているようなものだ。選挙直前は世論調査などの公表を禁止している国もあるというのに。
 開票速報でも奇怪なことが。東京選挙区で当選した山本太郎氏をインタビューする際、途中で不自然にそれを打ち切った局が2局もあったのだ。選挙速報の特番は事前に綿密に構成されており、公平を期すため、結果が出る前も後も話を聞く時間は厳密に守られる。なのに、NHKはスポンサーがテレビを仕切っているという話になったら突然音声がフェイドアウト。インタビューが続いていると思って話し続ける山本氏が少しの間画面に映っていた。日本テレビ系は、2分の予定なのに「被曝」と言ったら強引に話を変え、30秒で終わりにした。テレビ朝日系で古舘伊知郎が時間を延ばして山本氏の話をじっくり聴いていたのと対照的だ なんだか、マスコミが勝った選挙みたいに思えてしかたない。(伊藤悟)
*いとう・さとる 作家、音楽評論家。『ひょうたん高大漂流記』飛鳥新社など著書多数。」(「ビッグイシュー」221号(2013年8月15日号)より)

さて、この記事をどう読む?? 確かに「ねじれ解消」という言葉は良く聞いた。しかし確かに“ねじれ”とは選挙結果の話であり、決して争点ではない。また、ねじれを解消したいのは与党だけ。つまり自分たちの良いようにやりたいので、ねじれた参院に妨害して欲しくないためだ。
マスコミに影響される我々の方も問題だが、確かにマスコミの扇動は半端ではない。

ところで、この記事で、「選挙直前は世論調査などの公表を禁止している国もあるというのに。」という部分が気になった。
Netで調べてみると、(ここ)の論文に調査結果があった。

各国の選挙世論調査に対する法的規制一覧(アイウエオ順)
1.規制なし(39ヶ国)
アイスランド、アイルランド、アメリカ、アルゼンチン.イギリス、イスラエル、イラン、インド、インド130902serontyousa ネシア、エジプト、オーストリア、オランダ、ガボン、ギリシア、キプロス、クウェート、ケニア、シンガポール、スイス、スウェーデン、スーダン、タイ、チリ、デンマーク、日本、ニュージーランド、ノルウェー、パキスタン、パプア・ニューギニア、バングラディッシュ、フィリピン、フィンランド、ブラジル、ホンジュラス、マリ、マレーシア、南アフリカ、メキシコ、ヨルダン

2.規制有り(15ヶ国)
【イタリア】選挙世論調査の公表禁止(投票前15日間)
【オーストラリア】選挙日間の水曜夜12時から選挙終了まで「選挙事項」の放送禁止
【カナダ】選挙世論調査の公表禁止(選挙日前の金曜夜12時から投票終了(月曜)まで)
【韓国】人気投票等の禁止(但し選挙運動に関係しない世論調査報道は盛ん)
【コロンビア】選挙世論調査の公表禁止(投票前30日間)、調査方法などの明示
【スペイン】選挙世論調査の公表禁止(投票前5日間)、調査方法などの明示、中央選管が管掌
【セネガル】世論調査の実施禁止(選挙期間中=2週間)
【チェコスロバキア】選挙世論調査の公表禁止(投票前6日間)(チェコになっても継続)
【ドイツ】投票終了前の出口調査結果の公表禁止(選挙世論調査自体は盛ん)
【ハンガリー】選挙世論調査の公表禁止(投票前8日間)
【フランス】選挙世論調査の公表禁止(投票前1週間)、調査方法などの明示、世論調査委員会の設置・管掌
【ペルー】世論調査の実施禁止(投票前1週間)
【ベルギー】調査方法などの明示、世論調査委員会の設置・管掌(選挙世論調査の公表禁止(投票前30日間)条項は91年に廃止)
【ポルトガル】選挙世論調査の公表禁止(投票前1週間)、調査方法などの明示、監督機関(AACS)の設置・管掌(但し罰金を払って禁止期間中に調査結果を発表する報道機関も存在)
【ルクセンブルグ】選挙世論調査の公表禁止(投票前1月間)」(
亀ヶ谷雅彦氏の論文(ここ)より)

これらの国による規制の詳細については、上記の論文を読んで頂くとして、フランス、ドイツ、カナダ、イタリアといった先進国でも、何らかの規制をしているということは、各国も投票日直前の世論調査への問題意識があるということ・・・。
まあ、日本のマスコミの選挙世論調査は、各紙同時に発表されるので、何らかのカルテルが結ばれているような、うさん臭いことだとは思っていたが・・・

マスコミの扇動にも動じない、独自の視点を持つことが、如何に大変なことか・・・。

130902goro <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年9月 1日 (日)

関東大震災から90年~祖母の震災体験記

今日は、関東大震災から90年目だという。今朝の朝日新聞に「関東大震災を知る」という特集があり、関東大震災について良く分かった。(写真はクリックで拡大)

「(災害大国 あすへの備え)関東大震災を知る 
 日本の地震災害で最多の犠牲者を出した1923年(大正12年)の関東大震災。90年後の今も未曽有の災害から学ぶべきことは多い。10万5千人余の犠牲者の9割近くの原因となった火災は、ちょうど日本海側にいた台風による強風で拡大し、逃げ場を奪った。揺れや大津波、山崩れ、地盤の液状化による被害も大きい、複合災害だった。関東大震災で何が起きたかを知り、現代ならどんな被害が出るかを考え、いずれ見舞われる都市直下の大地震の備えにしたい。
90年経ても通じる教訓
 9月1日午前11時58分に発生した関東大震災は、マグニチュード(M)7.9の巨大地震だった。震源域は神奈川県から房総沖に及ぶ、長さ130キロ、幅70キロの範囲におよんだ。
130901kantodaisinsai  大きな余震が相次いだ。発生から5分で東京湾北部と山梨県東部でM7級の余震が起きた。東京・上野で地震に遭った物理学者の寺田寅彦は「最初にも増した烈(はげ)しい波が来て、二度目にびっくりさせられた」と書き残している。
 M7級の余震は2日までに計5回。その後も、翌年1月の丹沢地震(M7.3)など、阪神大震災級の余震が6回。気象庁のまとめでは、1年間でM6以上の余震は29回に達した。関東大震災の研究を続けてきた武村雅之・名古屋大学教授は「本震は一級、余震は超一級だった」と表現する。
 東京の中心部でも現在の震度6~7に相当する地域があった。住宅の倒壊による死者は全体で1万1086人、阪神大震災の犠牲者の2倍だった。
 大震災が起きたとき、台風が新潟県付近にいた。台風に吹き込む形で、関東地方には強い南風が吹いていた。今の大手町では秒速10メートルを超えた。さらに、深夜には20メートル以上の風が観測された。炎が起こす風が加わったとみられる。台風の移動とともに風向は変わり、延焼につながった。全体の犠牲者10万5385人のうち、火災が9万1781人を占めた。
 震源域は陸上にも及ぶ直下型地震だったが、本来は相模トラフ沿いで起きる海溝型地震だった。震源域が海底にあるため津波が発生、伊豆半島東岸や神奈川県の相模湾岸、房総半島を大津波が襲った。山崩れや地盤の液状化も広範囲で起きた。多様な地震被害が同時に起きた複合災害だった。
 学ぶべき教訓も多い。
 都心部で大きく揺れたのは元禄地震(1703年)や安政地震(1855年)と同じ場所。次の地震でも大きく揺れる恐れがある。今は、企業の本社や官庁など災害時に司令塔となる施設が密集している。土地の開発で、揺れやすい場所はさらに増えている。
 当時の東京市での134件の火災のうち、初期に消し止められたのは57件。都心部の大地震では消防力を超える火災が起きる恐れがあり、延焼の危険が大きい木造住宅の密集地域の対策が急がれる。
 避難場所となった軍服工場である被服廠(ひふくしょう)跡地では荷車で持ち込まれた家財道具が火災で燃え、人々は身動きできなかった。東日本大震災では、大津波から逃げようとした自動車による渋滞が発生した。社会の変化と災害の起き方を踏まえ、避難のあり方や避難場所の安全性を改めて確認する必要がある。
 横浜や横須賀であった石油タンクなどの火災は、現代では社会を支える湾岸部のコンビナートのリスクを示している。
 神奈川県の大山では地震から2週間後に降った雨で土石流が発生した。直接被害だけでなく、大地震では土砂崩れや治水施設の損壊が多発する恐れがあり、復旧が進む前の台風や豪雨を想定する必要がある。大きな余震も含め、地震後も相当期間は警戒を怠れない。(編集委員・黒沢大陸)」(
2013/09/01付「朝日新聞」p35より)

この記事を読んで、本震に続く6回もの巨大余震があり、「本震は1級、余震は超1級だった」ということを初めて知った。しかも当時、台風が新潟県付近にあったため、強い南風があって火災が広がり、犠牲者10万人のうち火災が9万人を占めたとは・・・。
この朝日新聞の地図は実に良く分かるので、参考に(ここ)にPDFを置いておきます。

その記事を読みながら、祖母が残した「歌集 筧(かけい)」に当時のことが書かれていることを思い出した。

「歌集 筧」の筆者の略歴(自分の父方の祖母である)
略 歴
 明治二十七年四月一日、父鈴木文作、母つぎの三女として茨城県東海村に生る。三歳の時母二十八歳にて急病死す。当時長姉八歳、次姉六歳、弟は生後数カ月なれば里子に、私か一番手が懸るとの事なので母の妹に預けられ、四歳となり実家に帰ったときは、継母がきていた。父は警察官だったので幾度か転任のたびに学校も友人も変り悲しい思ひをした。
130901kakei  大正二年三月、日本赤十字社東京支部救護看護婦学校卒業。(現在の短大)
 大正四年二月、生後数日で定められた許嫁**敏(早大卒)と結婚、舅、姑、義妹あり当時封建性きびしかりし嫁の座に忍従す。
 大正十二年九月一日、関東大震災に遇ふ。当日は舅も夫も出勤中の出来事とて、家は潰れなかったが、昼食時とて火災は忽ち四方より起った。姑が「地震よりも火事が怖ろしいのだから、さあ、急いで逃げなくては」といふ。当時私共は両国の隅田川の近くに住んでいたので、重要書類と有金を胴に括り着け、転地先から帰ったばかりの病弱な一年生の長男を帯で背負ひ、姑は仏壇の過去帳を身に着け、当歳の私の三男を背負ひ、十二歳の妹の手を引き、火に追はれ乍ら、山の手へ、山の手へと逃れて野宿すること四目、どこを歩いても各商店は深く戸を閉ざして叩けども声なく或る時は一椀の粥を受けて啜り合い、或る時は炎天下長時間の行列に立ち、玄米の握り飯唯一個を分け合ひ、辛じて命をつなぐ。舅は、夫はと姑と語り案ずるはその事のみ。五目目に至り、市街は焼け尽して火もおさまったらしいというので、わが家は如何にと汗と埃にまみれ歩きに歩く。焼けただれた電線は至るところにぶらさがり、まだ燻ってゐるところを通り、そこにもここにも死体がころがってゐるのに口を被ひながら辿り着いて見れば案の定焼野ヶ原、そのとき気丈な姑は、隅田川べりに私共を待たせ、単身、夫の勤務先に様子を見に行く。(それ迄は火で遮断されて行けなかった)
 夫の勤務先も食堂が潰れたため多数の犠牲者が出たとのこと。しかし二人の人夫に名を記した大旗を持たせ、私達の名を連呼しながら探し歩き尋ね歩き、遂に失望して社に返ったとき、恰度そこへ母が尋ねて行つたのだといふ。喜び勇んだ夫は直ぐに人を連れて私達を迎へにきてくれ、とりあへず会社の小室に落着く。舅はどうしたか行方不明であったが、水戸の私の実家迄探しに行ったとのこと。十日目で舅に巡り逢ひ、一家七人、乞食のような姿ながら命ありし事を手を取り合って喜ぶ。向島の家作も焼失して了ったので一同心を合せて必死の復興に励む。
 大正十四年四月実父逝去。
 大正十五年一月、夫の勤務先の会社不況となり、合併の整理に合ふ。幼友であった方が当時足利紡績会社の重役であったので救はれて、永年住み慣れた東京を去り、一家を挙げて足利市に移る。
 昭和四年二月舅逝去。
 昭和十一年継母逝去。
 昭和三十三年十二月、夫胃癌にて逝去。」(「歌集 筧」より)

上の「転地先から帰ったばかりの病弱な一年生の長男を帯で背負ひ、」の長男が、当時7歳だった自分の父である。また「当時私共は両国の隅田川の近くに住んでいた」場所が、自分が結婚するまで本籍だった両国であり、前に訪ねたことがある(ここ)。

この歌集については、前にも少し書いた(ここ)。祖母は現在も続いているという「ぬはり社」の創刊とともに入社し、43年経った1970年(昭和45年)に、喜寿を迎える記念に、それまでの明治以来書き溜めた3000余首から、ぬはり社の創始者である菊池知勇氏によって600余首を選んで頂き、非売品として出版されたもの。計算すると、82歳で亡くなった祖母が、76歳の時の出版である。
それにしても、この本に記された震災の状況は生々しい。この震災で逃げていた時に、もし火災に巻き込まれていたら、自分は存在していないわけで、何とも複雑な気持ち。自分にとって、関東大震災は他人事ではないようである。
ともあれ、先の東日本大震災と原発事故で、「“あり得ないこと”は何も無い」ことを悟った。
この先、何が起こるか分からない。今日の関東大震災90年目を迎えて、いつ何が起きても大丈夫!と言えるような日常を送りたいものだ。

130901maniatteru <付録>「ボケて(bokete)」より

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