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2013年6月 7日 (金)

「気持ちが悪い日本語 ベスト20」

先日の朝日新聞に「気持ちが悪い日本語」という記事があった。

<気持ちが悪い日本語 ベスト20>
1000円からお預かりします(845票)
コンビニやファミリーレストランの会計のときによく言われる表現。「から」と「預かる」両方とも言い方として奇妙に感じる。
全然似合いますよ(840票)
「全然」の肯定形で、かなり一般化した言い方。服装を気にする相手にこう言うのなら、「まったく問題なく」の意味がこもる。
ギターの音が耳ざわりがいい(796票)
漢字だと本来は「耳障り」。何かに振れた感触を表す「触り」の言い方も生じ、「耳に触れる感覚」のように使われる。
来年もよろしくお願いしておきます(726票)
年末のあいさつなどで使われることも。何か起きる前に、事態を見込んであらかじめ支援をお願いするという厚かましさが出る。
わたし的にはOKです(707票)
「的」に「としては」の意味を込め、頻繁に使われる表現。「気持ち的には若い」などの「的」と同じで便利な言葉でもある。
受付でいただいてください(663票)
パーティーで司会者が客に言う「いただいて」。「もらう」の謙譲語で「お受け取りください」が適切。
以上でよろしかったでしょうか(658票)
ファミリーレストランなどで注文時に多用される表現。過去形を使うことに違和感。
コーヒーで大丈夫ですか(656票)
 「コーヒーでいいですか」という単なる確認の場面で「大丈夫」を使うと、相手が返事に困ることも。
やばいよ、この昧(623票)
若い世代が、そもそもマイナス評価を表す「やばい」を肯定的な意味で使って刺激的な表現にする。
わからないじまいです(609票)
「食わず嫌い」「負けず嫌い」の「ず」と同じで「ない」には置き換えることができない
役所のほうに勤めています(580票)
それは間違つてるっぽい(576票)
普通に頭に来たんだけど(568票)
昔そこで遊んだときがある(555票)
おビールをお持ちしました(551票)
今日ひまだったりする? (511票)
わけわかんないしー(505票)
うたわさせていただきます(498票)
おめでとうございました(485票)
二個上の先輩がいました(479票)
21)この店の安さは半端ない
22)ご負担をいただく形になっております

23)患者さまはこちらへどうぞ
24)お土産をいただきましてすみません
25)お名前をいただけますか

「(beランキング)気持ちが悪い日本語
お釣りあると「~から預かる」?
 【中島鉄郎】読者の方から、「リストの言葉の一覧を読んでいて気分が悪くなりました」(東京、55歳女性)とのご意見もいただきました。すいま……いえ、すみません。ただ、刻々と変化している言葉は生き物。時には「誤」が「正」になるケースもあり、一筋縄ではいかないことがよくわかりました。

130606nihongo  選択肢のリストは、「明鏡国語辞典」の編者で、新潟産業大学長の北原保雄さん(76)の「問題な日本語」シリーズ(大修館書店)から選んだ。
 1位の「1000円からお預かりします」は、レジで勘定をするときによく聞く言葉遣いだ。
 北原さんは「まずは1000円から、仮にお預かりします」というようなニュアンスを込めて使われ始めた表現ではないかとみる。
 実際のレジでは、客の出した紙幣をすぐにレジに入れずに一回「預かって」、お釣りを出して渡す場合もある。「そういうとき、『1000円(を)お預かりします』なら表現として問題はない。ただ、お釣りのない場合、『1000円ちょうど(を)お預かりします』と言うのはおかしい」
 「レジを打つ立場になって、この表現はありだ、と考えが変わった」という兵庫県の女性(36)がいた。「お釣りのある会計で、千円札を出されると『1000円から』と言いたくなる。なぜなのか。推理した結果、その『から』には『お釣りがありますよ、まだ帰らないで』という意味が含まれているためだと思う」
不要を意味する「それ大丈夫です」
 2位の「全然~肯定形」も日常的によく使われている。
 北原さんは「『全然』は規則的に否定表現と呼応する、との考えが強すぎるのでは」と言う。
 「場合によって、例えば、否定的な状況や懸念をくつがえすような『まったく問題なく』というような気持ちで言う『全然~肯定形』はおかしくない。夏目漱石や芥川龍之介の作品にも使われています。明治時代には、全然おかしくなかったんですね」。服装を気にする相手への「全然似合いますよ」は誤りとは言えないのだ。
 語感に対する好みは個人差が激しい。「気持ち悪い」と感じる表現はランキング外にも多く、さまざまな感想をいただいた。
 「水道業者が何でも語尾に『です』をつける。『なるほどです』『~と思いますです』。仕事は出来ても、その人のランクが私の中では落ちた」(東京、50歳女性)、「私は学食のおばちゃんですが、不要なものを『それ大丈夫です』っていう学生が多い」(東京、52歳女性)、「『地味においしい』。なぜその修飾語なのか、理解できない」(東京、48歳男性)、「『こちらハンバーグになります』。じゃあ俺は間違ってカレーライスを頼んだのか、と言いたくなる」(千葉、65歳男性)。
 一方、同じ選択肢で「私も使う」「どこが悪いの?」という表現を選んでもらった結果、(1)台風が上陸する可能性がある(2)理由は特にないです(3)違和感を感じる(4)すいませんでした(5)ネコに餌をあげて、の順に多かった。
 (1)は本来、実現する見込みを表す「可能性」よりも、「おそれ」のほうがぴったり来るが、今では違和感がない。(2)の「ないです」も「ありません」が適切だが、「形容詞+です」は会話の中では自然な表現。(3)は、「『ノーベル賞を受賞する』と同じケースで、重言でも問題にならない」(北原さん)。(4)は「み」が「い」に転じたくだけた言い方で、(5)の「あげる」は「やる」の美化語となっており、動物だけでなく花や草木にも使われている。
 北原さんが最後に、最近気になる言葉として挙げたのが10位の「わからないじまい」。「ない」は「ず」の口語形だが、「食わず嫌い」の「ず」と同様、「ない」には置き換えられない。ところがネットにはさらに「わからないじまい」の進化形「わかりじまい」も出てきた。「意味は同じで、『ない』も『ず』もとっているのです」。「結局、わかりじまいだった」と言われたら、さすがにそれは気持ち悪い。
     ◇
 調査の方法 朝日新聞デジタルの会員に登録していただいた方を対象に、ウェブサイトで5月上旬にアンケートを実施した。回答者は1301人。」(
2013/06/01付「朝日新聞」b2より)

実は自分も、このblogを書いていると、言葉には注意が行く。明らかな間違いは、Wordが指摘してくれる。しかし、これら現代っぽい言葉に、Wordは追いつけない。
確かに言葉は生き物で進化する。でも、言葉は人と人との伝達の道具でもある。だから双方で通じるなら、何でも有りである。一方、全員が分からなければ、一般用語としてはNG??

先日、NHK第2の「NHKカルチャーラジオ 人間を考える~心をはぐくむ~ 金田一秀穂氏講演」(2013/05/19放送)を聞いた。
それによると、我々人類=ホモサピエンスは、この5万年でアフリカから世界に広がったが、他の原人たちが滅んだのと対照的にホモサピエンスが驚異的な発展・繁栄を享受できたのは、言語(会話)を取得できたことが理由だと言っていた。それまでの人類は、経験は自分だけのもの。それが言葉を得ることによって、他人の経験を自分の経験(知識)にする事ができた。「あそこに美味い食い物がある・・・」とか。そして5000年前に出来た文字で、無数の人の体験(知識)を自分のものにする事が出来たのだとか・・・

言うまでもなく、意志や知識の伝達の道具の言葉は、相手に伝わることが第一。よって上のベスト20のような独りよがりな、あまりに現代っぽい言葉は、自分のような田舎のじいちゃんには通じないので(!)、それはやはり言葉として失格なのであ~る。自分的には・・・!?

●メモ:カウント~440万

130607yabai <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

民主党政権の元首相は「・・させていただきます」という言葉を不必要に連発しましたが、それはそれとして、最近は「・・・させていただく」という言葉に乱れが生じていますね!「何々をやらせていただく」というところを、「何々をやらさせていただく」といったりします(「やる」のところにはいろいろの動詞がはいる)。というより、それがむしろ普通になってしまっている気がします。なぜこんな言い方になってしまったのでしょうか?

【エムズの片割れより】
日本語の乱れは、若者だけではないようで・・・

投稿: KeiichiKoda | 2013年6月20日 (木) 17:02

上のコメントへの追記です。先日、ある女優が鎌倉の有名寺へ行って、住職・僧侶にインタビューするテレビ番組がありました。鎌倉が好きなので、見ていたら、ある有名なお寺の老僧が出てきて、インタビューの中で「・・・を気付かせる」ではなく、「・・・を気付かさせる」などという言葉を使っていました。女優ではなく、このお寺の高僧と思われる僧侶がです。日本語も正しく話せない人の、「有難い」お話などは聞きたくないと、テレビを切ったことはむろんです。カエサルではないが、ブルータスお前もか!という心境でした。

投稿: KeiichiKoda | 2013年10月 3日 (木) 09:40

「~いたします」という謙譲語がすたれて「~させていただきます」に取って変わられたのは、“出る杭は打たれる”からだと思います。
 「~させていただきます」と勝手に相手と連携して、自分に掛る責任を薄めて、その安心感で、よく考えることもなくこの表現を多用しているから、ご指摘のような、不必要な「さ(せ)」をつけてしまうのだろうと思ってます。
情けない限りです。

投稿: Tamakist | 2013年10月 4日 (金) 10:30

日経新聞の2017/2/28の朝刊に「さあ準備、会社デビュー」という記事があり、「新入社員が就職後にまず悩むのが「敬語」」とあり、4つのポイントをあげられています。この4つ目のポイントに「さ入れ言葉」があり、「書かさせていただきます」「帰らさせていただきます」では、「さ」が余計になり、それぞれ「書かせていただきます」「帰らせていただきます」が正しい、と注意しています。文化庁の「国語に関する世論調査」によると、「さ入れ言葉」が気になるという人が増えているらしい。さしずめ、私などはその「気になる」一人にちがいない。上の私の、2013/6/20と10/3のコメントをご覧ください。「さ入れ言葉」という用語があるということはこの日経新聞の記事を読むまで知らなかったのですが、投稿したコメントを読み返してみると、どちらも「さ入れ言葉」に対するコメントです。昔、ある会議の席上で同僚が「さ入れ言葉」をしきりに連発するので気になってしかたがなかったことを思い出しました。

【エムズの片割れより】
上の用語とは違いますが、1年前まで居た小さな会社で、新入社員が「**先輩に・・」と、上司を「先輩」と呼んでいたのにはビックリしました。
大学では1学年先輩はそう呼ぶのでしょうが、会社でも、1年先に入った先輩は、「**先輩・・・」。
そんなワケの分からなくなった世界から離れて、今はホットしています!?

投稿: KeiichiKoda | 2017年3月 6日 (月) 11:15

現在放送中の朝ドラ「ひよっこ」はご覧になっていますか?現在、昭和40年から41年ごろが舞台なのですが、ちょっと気になることがあります。先週だったか、行方不明になってしまった主人公みね子の父親を一緒に探してくれていた茨城県出身の若い巡査が父親が倒れたので、介護のために巡査をやめて地元へ帰ることになり、みね子に「父親を看れる人が自分以外にいない」云々と言っていました。昭和40年ごろにいわゆる「ら抜き言葉」はなかったはずですが、言葉遣いについても時代考証はしていないのでしょうか?
もう一つは、みね子が舎監の愛子と最後の食事をするとき、「いただきます」といって手を合わせていましたが、食事のとき手を合わせるという所作はたぶん現在の幼稚園や小学校ではそういうふうに教えこまれているのでしょう、最近のドラマではめずらしくない光景すが、昭和40年代には私の知る限りそういう習慣はなかったし、少なくとも昭和30年代の学校の給食の時間にそうやって食事をした記憶はありません。(ちなみに我が家ではそうやって食事をしたことはありません。)当時のホームドラマ、たとえば、「バス通り裏」(あるいは映画「男はつらいよ」でもよい)にはそんなシーンが出てきたことがあるでしょうか?
朝ドラというと、かならず昭和時代が出てきますが、当時は使われていないはずの現代の言葉遣い・習慣が持ち込まれていて、その時代を知っている私などには非常に違和感を覚えることがしばしばありますが、ほかの皆さんはどうなんでしょうか?

【エムズの片割れより】
今やっている朝ドラは、早々に見るのを止めてしまいました。
食事の時に「頂きます」と手を合わせるのは、自分は、昭和45年に入社したとき、2つ先輩がやっていて、奇異に感じました。
何かの宗教かと思っていましたが、単なる躾けだったことを後で知りました。
我が家も、感謝の意味で手を合わせよう。とカミさんと話すのですが、次の日には忘れています。

投稿: KeiichiKoda | 2017年6月12日 (月) 17:41

私は昭和20年代に子供時代を送ったのですが「ら」抜き言葉を使っていました。例えば「見る」を「見られる」ではなく「見れる」と話していました。地方によって違うのではないでしょうか。遠州地方より東の静岡あたりは言葉がもう少し丁寧ではないかと思います。
「頂きます」は家では言葉だけでしたが、よその家でごちそうになる時は手を合わせて「頂きます」と言いながら頭を下げていました。父親がご飯を食べる作法に厳しくて箸の持ち方から食事中にしゃべってはいけない、横を向いてもいけないと目を光らせて子供たちを見ていました。横を向くと頭を叩かれました。戦後のまずいご飯が父親の怒鳴り声でもっと不味くなったように思います。我が家の子供と夫の食べ方を父が見たら頭にコブがいくつ出来る事かと思います。

【エムズの片割れより】
懐かしいですね。自分が子どもの頃は、夕食の後は、兄貴と二人に親父の「お説教」の時間でした。
「心掛けの悪い人間は幾ら勉強が出来てもダメ」・・・
ゲンコツが飛んできた時には、何度「殺してやる」と誓ったことか・・・
“お説教”は、何の為にもなりませんでしたね。

投稿: 白萩 | 2017年6月13日 (火) 00:37

追記
「頂きます」と手を合わせて頭を下げるのは、88回手をかけてお米を作ってくれたお百姓さんに、お礼を言うのだと母が言っていました。母の実家は農家でしたので、機械の無かったその頃のお百姓さんの苦労を知っていたからだと思います。それと恵みをくれた神様にも感謝するのだと言っていました。食べ物を粗末にするなという教えがあったのだと思います。今の私のだらしのない食生活を見たら母はカンカンに怒るだろうと思っています。今日もゴミ袋に一杯残り物を出して捨てています。親の教えは身につかなかったようです。

投稿: 白萩 | 2017年6月13日 (火) 07:09

お二人のコメント面白いですね。ら抜き言葉をネットで調べてみると、大正末から昭和のはじめにかけて使われるようになったとあります。意外と古いんですね。本多勝一氏は、著書の中で、彼の育った長野県伊那谷ではむしろら抜き言葉が標準語だった、と語っているらしい。私は中学時代(昭和30年代)国文法はどちらかいうと得意で、もしら抜き言葉が周囲で使われていたら、すぐに「例外」に気づいていたはずですが、そんな記憶はありません。文科省(当時は文部省?)の国語審議会が「ら抜き言葉」を共通語(標準語)として認めない決定をしたのは1993-1995年だったようですから、逆にこのころにはら抜き言葉が広く使われるようになったんでしょうね。今では、NHKのアナウンサー以外にはほとんどら抜き言葉を使わない人を探すほうが難しいぐらいになってしまいました。
最初の子供が生まれたときは、松田道雄の育児書を読んでいたのですが、その中に、「子供に肉を食べろ、肉を食べないと大きくなれないなどと言ってはいけない、子供は肉を恨むようになる」というような面白い文章があって、私たちは食卓でお説教をしないようにしてきました。

【エムズの片割れより】
松田道雄の育児書・・・。懐かしい・・・

投稿: KeiichiKoda | 2017年6月14日 (水) 10:31

keichikoda様は私の年代よりずっとお若いと思われます。私の親は明治の半ばに生まれていましたから、物資の無い時代を10人近くの子供を育てていたのですからのんびり食事を楽しむことは無かったと思います。特に戦後の配給の時代は飢えとの戦いだったと思います。
お米の代わりにキザラと呼ばれるダニの湧いた砂糖がきたのです。子供はカルメ焼を毎日火鉢で焼いて食べていました。コーリャン、アワ、キビもお米の代わりにきました。皆栄養失調でした。今思うと恐ろしい時代でした。親は子ども守るために食料の調達に必死でした。昭和25,6年まで大変だったと思います。鶏肉はありましたが、卵は貴重品でした。病人が食べるものでした。私は両親に今のスーパーを見せてやりたいと思います。ご飯をこぼしてはいけないという躾が大事だったのですね。今は美味しいものを楽しく食べるのが当たり前になりました。良い時代です。

【エムズの片割れより】
そうカルメ焼き・・・
甘味料でサッカリンというのもありました。

投稿: 白萩 | 2017年6月15日 (木) 14:05

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