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2013年4月 2日 (火)

「給食残さず?」~給食の“完食”教育について

先日の朝日新聞「声」の欄で、こんな記事を読んだ。
給食完食教育をやめてほしい
    
 薬店経営(東京都文京区 女性47)
 18日の「給食残さず もう一口食べて」を拝読しました。私は賛同できません。私が小学生の頃も給食を完食することが美徳とされていました。私は好き嫌いやアレルギーはありませんでしたが、一人前の量があまりに多すぎ、毎日「完食するまで許さない」という教師の圧力で、つらい日々を過ごしていました。
 食べ残しをせざるをえない私にとっては、毎日の給食の時間も、教師がする、飢えに苦しむ発展途上国の子どもの話も拷問に等しいものでした。成年になっても私の適量は普通の一人前の半分にすぎません。小食な児童に適量の倍を超える給食を無理やり与え、完食できないのはわがままだと脅迫するような教育が、児童の心にどれほど深い傷を負わせることか、理解していただきたいものです。
 先進国の児童が心身の健康を害してまで、適量を超す給食を食べることが、どうして途上国の子どものためになるのでしょうか。こんな教育は、人生から食事の楽しみを奪い去りかねません。小学校の給食完食教育は、即刻やめていただきたいと思います。」(2013/03/25付「朝日新聞」「声」欄より)

それで、18日の意見も読んでみた。
給食残さず、もう一口食べて
     主婦(山口県下関市 54)
 3200。何の数字だと思いますか? 長男が通う中学校で、年間に飲み残された牛乳の本数だ。1クラス当たりは1、2本だが、18クラスあるので合計すると、こんなに大量の飲み残しがでる。
 主菜でもスパゲティのミートソース、野菜のクリーム煮などが残量ゼロの半面、筑前煮、サバの塩焼きなど昔ながらの料理は、食べ残しが目立つ。おそらく家庭での食生活が反映された結果だが、非常にもったいないし、残念なことだ。
 学校の給食だよりに「もう一口食べる努力をしてみよう」と書かれていた。ささやかだけれど、今日からでも実行できる現実的な目標だと思う。アレルギーなどの理由があれば仕方ないが、なるべく好き嫌いをせずに、一口でも二口でも食べて残量ゼロを目指してもらいたい。」(2013/03/18付「朝日新聞」「声」欄より)

この学校給食での“完食指導”をどう見るか・・・??
この議論は、「量的には食べられるが、好き嫌いレベルで食べない」ものに対する“教育”と、「好き嫌いではなく、量的に食べられない」が一緒になって議論されているように思う。
現在の学校給食は、たくさん食べる人(食べられる人)と、少ししか食べられない人に対して、適量の分け方をしているのだろうか?それとも一律で配膳しているのだろうか?
まあさじ加減は、牛乳やパンのように器が決まっている物はムリだろうが・・・
総論として、自分は、個人毎の適量については、学校として配慮すべきだと思う。

ところで、自分の子供の頃、給食はどうだっただろう?
ここ)によると、「昭和27年、 小麦粉に対する半額国庫補助が開始され、4月から、全国すべての小学校を対象に完全給食がはじまりました。」とあるので、昭和29年入学の自分は、入学の時から給食があったことになる。
でも、学校に行く前に、近くのパン屋でコッペパンを買い、隣の肉屋でコロッケを買って、ソースと共にコッペパンにはさんで貰うのを、この上ないご馳走として、いまだに覚えているので、ここに書いてある完全給食という言葉とマッチしないな・・・。
中学でも、弁当という記憶があまり無いので、たぶん給食があったのだろう。高校の時は、毎日弁当だった。これは確実。

目をつぶって小学校の頃の記憶を辿ってみると、教室で、女の子が涙をためながらアルミの器の脱脂粉乳を、皆の「頑張れ!」という掛け声とともに飲んでいる姿がフラッシュバックした。そして何とか飲み終わると、皆でパチパチと拍手・・・
今考えると、これは完全なイジメ・・・。でも当時はこれが普通の姿だった。

ひるがえって今、自分も大食漢ではないので、「残さず食べる」というのが大の苦手。むしろ恐怖・・・。だから“弁当作りが趣味”のカミさんが、前から「弁当を作ってあげようか」と言うのを断っている。街の食堂のように、残すのが自由、という雰囲気でないと、伸び伸び食べられない・・・
だから、タマにお客が来ると、つい気を遣ってしまう。つまり、「なるべく大皿にして、強制的に食べさせることは避けなよ」とカミさんに言う・・・。なぜなら、皿が個別だと、人によってはムリに完食しなければ・・・となってしまう恐れがあるので・・・。自分だったら耐えられない・・・。

だから今の学校給食でも、個人毎の適量への配慮が無いとすると、“教育”は“イジメ”になりかねない、と思う。しかも毎日必ず来る拷問・・・!?

ところで、男にとってカミさんが作る料理は、ある意味“エサ”。つまりかなりの家庭で、実は亭主を生かすも殺すも、エサを与えるカミさんのさじ加減次第なのだ・・・。
何を隠そう自分は、生野菜大キライ人間だった。でも長い間、エサとして生野菜しか食卓に出ないと、根負けしてつい食べるようになるもの・・・。だってエサはそれしか無いので、餓死を避けるため!?(←は、オーバーだが・・・) ま、“食べず嫌い”は、そんなもの。
だから、好き嫌いを無くさせる教育は、存在すると思う。しかしそれを“絶対に許さない”にエスカレートするのは、どうだろう??
つまりオトナだって、ホントウにキライな物は、誰だって絶対に食べない。それは自分の意志で・・・。
まあ、“しつけ”と“イジメ”の境目・・・。幼児虐待事件のときに繰り返される言葉だが、完食教育についても、同じような事が言える。
何とも難しい教育の世界ではある。

130402koi <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

4年前の「ベジタリアンへの道」に、
娘が保育所に通っていた時に、
厳しい保母さんがおられのをコメントしたことを思い出しました。

子供達は震災で物の大切さを知っています。
臨機応変で良いのではと思います。
昔、給食の仕事をしていましたが、
残飯は豚の飼育をしている方が取りに来られていました。

【エムズの片割れより】
豚の飼料になるのでしたら、回転しているわけで、ムダではないですよね。

投稿: なち | 2013年4月 3日 (水) 08:15

昔,次男が幼稚園に通っていた時、パンが食べられない女の子がいました。給食時間が終わっても食べられないので、机ごと廊下にだされていました。泣くと物置に入れてしまいます。その子のお母さんは毎日給食の時間に下駄箱の所で待機していて、物置に入れられる寸前に家に連れ帰っていました。その幼稚園では規律に従わない子は悪い子になっていました。小さな軍隊だと思いました。障害のある我が家の次男はいじめの対象の様な存在で、親子ともども大変嫌な思いをしました。生涯で最悪の2年間でした。今でもこの幼稚園に通わせた事を後悔しています。学校や幼稚園は軍隊ではないと思います。パンを食べない、牛乳を飲めないという4歳の子供たちに与えたあの主任の怒鳴り声は今でも耳に残っています。

【エムズの片割れより】
何とも悲しい幼稚園の話(コメント)を読んで、我々も(と言うよりカミさんが)、大変だった幼稚園時代を思い出しました。毎日毎日が針のむしろで、育児とはこれほど大変なものかと・・・
カミさんが、「戻りたい時代は無い」とよく言いますが、過去は懐かしさよりも、苦しさが先に立ちますよね。

投稿: 白萩 | 2013年4月 3日 (水) 12:47

こんばんは。

幸か不幸か、ほとんど好き嫌いがない上、結構大食い、しかも戦後すぐ生まれなので食生活に贅沢を求めようがない育ちです。しかもしかも
母親が農家の出身なので、お米粒一つ残らず食べるように躾けられました。

ですので、正直なところ、「食べられない」という人の気持ちが100%理解できるかというとNoと言わざるを得ません。

もちろん白萩さんの仰るような幼稚園や学校は論外です。私の子供がそんな目にあったら、即刻抗議して、改善していただきます。

私の大姪にも野菜が一切駄目という子がいますが、彼女の将来のためにも何とか偏食をやめるよう持って行ってほしいのですが、私の目からすると親の対応はぬるいな…と思ってしまうのです。難しいですね。

【エムズの片割れより】
子どもの頃の躾けは大きいですね。自分も色々と言われましたが、あまり従わなかった・・・・!?

投稿: アンディーのママ | 2013年4月 3日 (水) 19:46

給食、悩ましいですね。食べられる人には全く問題とならない事だけに、理解してくれない人も多いです。

自分は給食が苦手で、毎日昼休みがありませんでした。来る日も来る日も食べきれない量のご飯と向き合ったせいで、今でも冷めたものが食べられず、お弁当にはパンを選びます。これでは栄養バランスも何もあったものではないと自分で笑ってしまいます。

小さいころは味覚が敏感、消化液や唾液の分泌量も個体差があるので、全員一緒に同じものを同じ量食べるというのは無理。食事の苦痛が大きくなってしまうと、私のように後の人生の食事にも影響が出ます。

食育って、肉体的に鍛えるものではないと思います。正しい食事のバランスがどんなものかということを将来のために知識として教えてほしい。だから、望ましい給食の形はバイキング。自分から様々な食材に手を伸ばすようにさせることが究極の食育だと思います。そしてそれが体にとっての一番の栄養になるのではないでしょうか。

【エムズの片割れより】
先日、食育で受けたトラウマの話を聞きました。鶏を締めて、直ぐに羽をむしらないと抜けないそうで、羽を抜いて・・・、という光景を見た人が、それ以来、肉を食べられなくなったとか・・・。
幼稚園でも、命を頂く大切さを教えるために、鶏をさばく所を園児に見せる検討もあるとか・・・
確かにそうなんですが、自分は違和感を覚えます。

投稿: amy | 2015年9月 4日 (金) 10:40

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