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2013年2月 3日 (日)

「死が恐ろしかったらどうしたらよいか」~この美しい目の前の世界

雑誌「大法輪」の2013年1月号の特集は「死から学ぶ生きる力」だった。その中にこんな一文があった。

死が恐ろしかったらどうしたらよいか
二つの詩をご紹介しましょう。

 「どう生きるか」
 生まれて死ぬ一度の人生を
 どう生きるか
 それが仏法の根本問題です
 長生きすることが幸せでしょうか
 そうでもありませんね
 短命で死ぬのが不幸でしょうか
 そうでもありませんね
 問題はどう生きるかなのです

 「人生に定年はない」
 人生に定年はありません
 老後も余生もないのです
 死を迎えるその一瞬までは人生の現役です
 人生の現役とは自らの人生を
 悔いなく生ききる人のことです
 そこには「老い」や「死」への恐れはなく
 「尊く美しい老い」と
 「安らかな死」があるばかりです

 もうおわかりですね。死を迎える一瞬までは「現役」と受けとめて、悔いなく生ききれば死への恐れはありません。

<死を恐れなかった少年の臨終>
 小児ガンで病と闘っていた小学三年生のS君がお母さんに告げました。
 「お母さん、ボク死ぬんだよね。ボク死ぬの怖い。けど頑張るよ。もし死ぬ時が近くなったら、ボクよいしょよいしょって言うからさ、家族みんなで、ボクの手を握ってよいしょよいしょって一緒に言ってね……」
 その日がやって来ました。
 家族が見守る中、苦しげに息をしながらもS君が声を出しています。
 「よいしょ、よいしょ、……」
 家族も共に連呼します。
 やがてS君の声は絶えて、安らかな死を迎えたのでした。小さな命の旅立ち、けれどそこには死の恐れはなく、みごとな臨終でした。」(雑誌「大法輪」2013年1月号p81より)

怖い死の世界に、「よいしょ、よいしょ」と掛け声をかけながら死んで行く子ども・・・。何とも言葉が無い・・・
誰でも一度は死ぬ。そんな当たり前のことから、極力目をそらせて生きている自分。上のS君とは大違い。大のオトナなのに・・・

なぜ死を見据えるのか。それはせっかくの残りの人生を、惰性で生きないための自分への戒め・・・。
それでは、「どう生きるか」・・・。そして「悔いなく生ききる」とは??
頭の中だけでぐるぐる考えていても、解があるわけではない。誰も、そんなことを思い巡らせているうちに人生が終わってしまうのだろう・・・。

最近良く思う。目の前に広がっている世界が何と“カラーで”美しいことか。駅で乗り換えるときの、前を歩いているアンチャンのマフラーの赤がキレイ・・・。目の前の世界が、何と“無限の解像度を持った”実にカラフルで美しい世界なのか・・・。
つまり、昔の白黒のテレビを思い出しつつ、 “見える”という当たり前のことでさえ、よくよく有り難いことなのだと思う。
もちろん、耳に聞こえる音も、そのハイファイたるや・・・。そして味覚も触覚も・・・
おっと般若心経の話になってきた・・・!?(ここ

たぶん自分も、良く言われるように、いつか死を意識したとき、自分に感じられる世界の美しさにおののくのだろう。
その当たり前の“目の前の世界”、そして特に事件があるわけでもない平和な“日常の生活”、それらを有り難いと思わなければ、それこそバチが当たるかも・・・、と思うこの頃である。

130203nekotomaguro <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

「電池が切れるまで」と言う本があります。悪性疾患で死んでゆく子供たちの事が書かれていますが、彼らは実に潔く死に赴きます。まるで、死の向こうには別世界があるかのように。見守る大人たちにも覚悟が問われます。
柳沢先生の般若心経の解釈は、非常に興味深いですね。天伺史郎(土井利忠)さんも同様の解釈をされてます。お二人とも科学者である事が共通してます。

【エムズの片割れより】
そうですか・・・。実はウチのカミさんが中1の時に、小学校に上がる前の弟を白血病で亡くしています。そのせいで、カミさんはキューブラー・ロスなどを読んでおり、「死ぬ瞬間の子供たち」では、自分の死よりも、親を悲しませる事の方がむしろ辛いそうです。ちゃんと送ってあげられる親はそういませんから・・・
そして体験上も、死に近い子どもは、魂が抜けやすいそうです。
柳沢さんはどうして居られるか・・・

投稿: メメント・モリ | 2013年2月 3日 (日) 22:06

よいしょ、よいしょ‥。

すごいです‥。

子供でも立派な大人だなあと思いました。私も、そのときにはそうしようかと思いました。

死の床にあって激痛を受けている釈迦の様子について、悩まされることなく堪え忍んでおられた、というような記載が経典にあったことを思い出しました。パーリ語で伝えられた初期経典の大パリニッバーナ経だったと思います。

その経典には、釈迦が、町の様子を美しいと語っている記載があるようです。

まさに歴史上の人間味溢れる釈迦の生身の姿がそこに描写されていると解釈している仏教学者がいました。

また、その経典のサンスクリット版には、人生は甘美で愛しい、というような記載もあって、作家の五木寛之が、古い経典の記載に比べると、人生を甘美で愛しいと釈迦が語るのは異質に感じるが、仏教が伝わっていくなかで、釈迦にそう語ってもらいたいという意識が翻訳者に働いたのだろう、と解釈したテレビ番組を見たことがあります。記憶はあまり定かではないのですが。

歴史上の釈迦の教えは、それが後世に伝わる過程で変容した部分はあるだろうが、しかし、その変容があったからこそ、釈迦の教えの根幹が今日にまで伝えられたとも言えるだろう、とも五木寛之は解説していました。それはブータンの仏教を取材したときのものでした。

仏教諸派の解釈にはいろいろあっても、その根幹は、ちゃんと伝わっているのだろうと私も思います。

【エムズの片割れより】
お釈迦さまの教えは、理念が受け継がれているのでしょうね。その中には人間・釈尊があっても良いと思います。
良く思うのは、何と我々が足(たる)を知らないで生きているか・・・

投稿: たかはし | 2013年2月 5日 (火) 00:56

>「死ぬ瞬間の子供たち」では、自分の死よりも、親を悲しませる事の方がむしろ辛いそうです。ちゃんと送ってあげられる親はそういませんから・・・

死の床にあって親を悲しませないように配慮する、頑張るというのは、それも善行であり、その功徳によってその子供は、今度は、丈夫な体で生まれ変われる、仏教的にはそう考えたいなあと思いました。

癌で亡くなった息子を前にした母親が、よく頑張った、と声を掛ける場面をテレビドラマで見たことがあります。それを思い出して、ちょっと泣きそうになりました。

【エムズの片割れより】
死を迎える子どもは、そのことを良く知っており、魂が肉体から抜け易く、宇宙から世界を見てきた・・・ということも言っていたようです。(義弟の体験より)

投稿: たかはし | 2013年2月 5日 (火) 01:26

>死を迎える子どもは、そのことを良く知っており、魂が肉体から抜け易く、宇宙から世界を見てきた・・・ということも言っていたようです。(義弟の体験より)

そういえば、自分が生まれる世界を天から見ていて、どの親に生まれるか選択して生まれてきたという話を聞いたことがあります。

それから、幽体離脱とか、霊界に行って戻ってきたという体験を話す大人がいるようですね。

ブータンでは、自分は如来の生まれ変わりたる化身だと話す子供がいるそうです。

人とは、そういう体験をするものなんだろうなあ、いつかは私も経験するかもしれないと思っています。

そして、その体験が真理なのか、幻覚なのかという問題は、それは論議しても仕方ないと私は思っています。

初期仏教を標榜しているテーラワーダでは、不滅の魂の存在を認めませんが、しかし、人の心は、瞬間瞬間に生滅を繰り返していて、それは肉体の死後も同様で、生きているときに悟れなかった人は、死の瞬間に滅した心が次の瞬間に生まれる、生まれ変わる、と説明するようです。生きている今に心が瞬間瞬間に生滅を繰り返しているというのも体験に基づいているんだろうと思います。

それは不滅の魂とは違うとのことですが、でも、実質的にはほとんど同じことだと私は思っています。

【エムズの片割れより】
何とも哲学的な話になってきました。自分もスピリチュアルな世界は信じる方で・・・

投稿: たかはし | 2013年2月 6日 (水) 07:27

現在は老人福祉の世界で仕事をしていますが、以前は小児医療の最先端の現場におりました。
白血病や心臓病のこども達と過ごした日々。
幾多の別れを経験しました。こども達は、不安を口にすることはあっても、死への恐怖はなかったように感じていました。つらい状況でも、最期まで希望をもっていたように思います。
お年寄りの看取りでは、「お迎え」を表現される方がかなりあり、それを受け止めてもらうと穏やかな最期を迎えられたように思います。

「看取り先生の遺言」奥野修司著 文藝春秋社の 岡野医師は、自分が死を覚悟せざるを得なくなった時、「死へのみちしるべ」がないことに愕然とされ、医療者と宗教者が手を携えることの必要性を語り、その具現化に全精力を傾けられました。とても深い内容の本でした。

【エムズの片割れより】
死は重たいテーマですが、逃げられないテーマ。それ故、元気なときに考えておきたいテーマだと思っています。
どう死を迎えるか?その時になると、全部がすっ飛ぶ気もしますが・・・

投稿: 風雅 | 2013年2月 9日 (土) 01:04

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