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2013年2月17日 (日)

冨田勲の「イートハーヴ交響曲」から「雨にも負けず」

NHK「ETV特集~音で描く賢治の宇宙~冨田勲×初音ミク 異次元コラボ~」(2013/02/03放送)(ここ)で、宮沢賢治の「雨にも負けず」の合唱曲を聴いた。
この番組は、またまた新聞の番組欄で知って録画しておいたもの。その番組を見て、この素晴らしい音楽「イートハーヴ交響曲」を知った・・・
なかでも、宮沢賢治の詩に冨田勲が作曲した、合唱曲「雨にも負けず」が耳から離れない。一部分を聞いてみよう。

<冨田勲・作曲「雨にも負けず」>

「雨にも負けず」
  作詞:宮沢賢治
  作曲:冨田 勲
雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫な体をもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな茅葺きの小屋にいて
東に病気の子どもあれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日どりの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼうと呼ばれ
ほめられもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい 

この「雨にも負けず」は、「イーハトーヴ交響曲」の第6楽章である。冨田勲の「イートハーヴ130217tomita1 交響曲」については、自分はまったく知らなかったが、昨年(2012年)11月23日に東京オペラシティコンサートホールで初演された模様を、テレビの番組では伝えていた。
それによると、10年前、冨田さんの親戚(又従兄弟)にあたる元東北大学元総長の半導体の権威・西澤潤一氏が、「これ(雨にも負けず)に曲をつけ130217tomita0 てくれんか」と言ってこられたのが事の発端だったという。それが10年経って、今やっと実現した・・・。
しかし五七五などの定型詩と違い、語数が自由なこの詩に曲を付けるのは大変だったろうと思う。しかし素晴らしい合唱曲になっている。
(実は自分は、宮沢賢治の作品はほとんど読んだことが無く、「イーハトーヴ」という言葉も知らなかった。Wikiによると「イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉である。」とのこと)

番組をじっくりと見たが、このコンサートが既にCDとして発売されていることを知り、早速CDを注文してしまった。それが今日届いた。改めて全曲を通して聴いてみると、何という壮大な音楽か・・・。何という異次元の音楽か・・・。

自分が聞く日本の作曲家による交響曲は、それほど多くない。他には小川寛興作曲の交響曲「日本の城」(ここ)くらい・・・。
ピュアな交響曲とは違う、次元を超えたこの「イーハトーヴ交響曲」。歌うのはコンピュータ人間の「初音ミク」。これも名前やその存在は知っていたが、歌を聞くのは初めて・・・。シンセサイザー音楽の草分け、冨田勲氏らしい選びかた・・・。
しかし冨田勲氏も、齢(よわい)80にしてこの大事業。人間、その気になれば何でも可能?

背景はこのテレビ番組で良く分かった。先のNHKの番組と言い、今日送られてきたCDと言い、こう短時間のうちに何度も聞いた番組、音楽は自分にとって珍しい。
この「イーハトーヴ交響曲」のCDは、数ある自分のCDライブラリーにとって、大切な1枚となると同時に、合唱曲「雨にも負けず」は、これから多くの合唱団が歌う、合唱曲の古典になるだろう、と思いながら聞いている。
自分の知らない(古いCDの)音楽探しも良いが、こんな新しい音楽探しも、また楽しいものである。

130217neiki <付録>「ボケて(bokete)」より


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コメント

宮澤賢治の映画を観て以来、賢治に興味があります。
熱烈な法華経信者で、子供のような純粋さ、熱心さで突っ走ったような人生に感じています。
その交響曲のCDをネット通販で探したら約三千円ほどしてたので購入を躊躇してしまいました。
オーディオ機器の買い替えには何度も何万円も使うけど、一枚のCDに三千円を費やすのは抵抗感が強いという、我ながら変な価値観だなあと思います。
中古で安くなったら買おうと思っています。いつになるか分かりませんが。

>日どりの時は涙を流し
>寒さの夏はおろおろ歩き
賢治が残した手帳に書かれていたのは、まさしく「日どりの時は」のようですが、研究者の間では、それは「日照(ひで)りの時は」の誤りだと結論付けられているようです。
賢治が書いた他の原稿に、カタカナでヒドリと書いた後にヒデリと訂正した箇所があるそうで、賢治はヒデリをヒドリと間違えて書いてしまう癖がある、ということのようです。
岩手の方言の関係かもしれない、なんて思います。花巻の方言には詳しくないのですが。私は宮城県です。
文学的にも、冷害による稲の不作に苦しんだ賢治なので、太陽が出た日照りに喜びの涙を流し、太陽が出ない冷害の夏に途方に暮れる、狼狽する、という対比に解釈するのが妥当だということのようです。
ヒドリは、日雇いの賃金が払われる日(日取り)という意味だと解釈する人もいるようですが。
岩手で、雨にも負けず、の詩の石碑を見たことがあって、そこでも「ひどり」になっていたので、ちょっと違和感を覚えた記憶があります。
賢治の映画では、死の床の賢治が、弟から今年は豊作だと聞かされて、そうか太陽が出たか、と安心したように言うシーンがありました。
賢治は農学者として冷害の克服に努力したようですが、それでも自然の前には自分の無力さを痛感させられ続けた人生だったと思います。
まさしく、役に立たない、デクノボウ、ですね。
今は温暖化の影響で北海道が稲作に適しだしたようですが、賢治の時代には考えられないことだろうなあ、と思います。
現代なら、岩手でも賢治の目指した理想郷の実現は現実味があるだろうなあ、と思います。
あっ、でも、稲作だけでは食っていけない今の日本の農政では、やはり農業での理想郷の建設は難しそうですね。

【エムズの片割れより】
今回は珍しく、新譜を買ってしまいました。ホントウに久しぶりに・・・
「日照り」は、自分も気にしましたが、歌詞は「ヒドリ」の通りでした。
芸術というものは、例え筆者が間違って書いても、後の人は、そこに何かの意味を見いだそうとします。賢治も意識的にこう書いた・・・、と思う方が楽しいかも・・・。

投稿: たかはし | 2013年2月18日 (月) 21:56

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