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2013年1月21日 (月)

「終末期の医療~患者の意志、明文化を」

先日の日経新聞「ヘルスこの一手」にこんな記事があった。曰く・・・

終末期の医療~患者の意志、明文化を
 年始は改めていろいろなことを考える良い機会だ。中高年の家族のいる家庭では、老後、特に終末期の医療をどうするか、健康なうちから考えておくのがよい。本人や家族の希望や考えを出し合い方針を決めておけば、いざという時に円滑に対処できる。
 まず確認すべきことは、患者が終末期の医療をどこで受けたいか。自宅、病院、老人ホームなどの専用施設、あるいはそれ以外の場所など、決めておくとよい。
 次に終末期にどのような医療的措置を受けたいかも話し合っておく。心臓マッサージなどの心肺蘇生を希望するかしないか、延命のために人工呼吸器をつけたいか不要か。食事を口からとれなくなったとき、胃ろうや鼻チューブによる栄養補給をしたいか必要ないか。痛みや苦痛をとる緩和療法として消炎鎮痛剤や麻薬、鎮静剤を積極的に使用してほしいか、使用を控えてほしいか。こうした緩和療法が不十分で効果が出ない場合に、鎮静剤の投与で意識を失わせてほしい、あるいは緩和療法で死期が早まってもやむをえないと考えるか、意識を保つために痛みがあっても我慢するか、といった点も検討が必要だ。
 こうした延命治療を中止するタイミングについても、話し合っておくべきだろう。具体的には、余命が何カ月以下と診断されたら、すべての積極的治療、延命治療を拒否するか。いわゆる植物状態が何カ月以上続いた場合に、人工呼吸器や栄養チューブなどを外し、自然経過に任せるか、といった点だ。
 さらに認知症になったときの医療行為についても確認しておこう。認知症など自分で希望する医療を判断できなくなったときには、本人が意識があった時に指示した内容に従ってほしいか、それに従わず家族や代理人に相談してほしいか。また希望する医療を判断できなくなったとき、自分の代わりに主治医と話してもらう人を指名しておくか、といった点も考えておく。
 我々医師も、終末医療において患者の意思を大切にしたい。そのためにも患者本人の意思をきちんと書面として残しておいてほしい。医学は日々進歩し、救命医療は発展してきた。人生最後の選択である終末医療も患者本人が決める時代だ。(東京ミッドタウンクリニック 特別外来医師)」(2013/01/12付「日経新聞」s11より)

先日、NHKスペシャルで「終(つい)の住処(すみか)はどこに~老人漂流社会」(2013/01/20放送~ここ)を見た。
老いて頼る人もなく、自治体の世話で、施設を転々とする老人。これは決して他人事ではない。
「無縁社会」という造語を作ったNHK。今度は「老人漂流社会」という言葉を作った。つまり、これからの日本社会は、「無縁社会」と同じくらい「老人漂流社会」が大きな問題なのだろう。
この番組でも、身寄りのない老人を預かる施設が、入居時に本人に「最期をどうするか」について、明確な質問をしていた。

自分の人生にどうケジメを付けるか。この番組に出て来た人は、一人で生きて行けなくなったとき、自治体の斡旋で、入居施設を一月ごとに変わる。それが今の日本のルール。まあ良く言えば、「無縁社会」よりはマシ。自治体が自分の行く場所を考えてくれるから・・・。でもそこには、自身の意志は無い・・・。
それにしても、独身者は別として、妻に先立たれた男ほど、どうしようもない存在はない。この番組でもその例が多い・・・

どうも最近、こんな話題を取り上げることが多い。我が家の家訓は「臭い物には蓋!」なのだが、蓋をいくらしても、もう歳(とし)なので、漏れて臭ってきているのだろう。
つまりそんな年代に差し掛かっている、ということ・・・。まさに、トホホ・・・である。

●メモ:カウント~380万

130121mikan <付録>「ボケて(bokete)」より


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