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2013年1月の27件の記事

2013年1月31日 (木)

「ドラマは録画で」~録画再生の視聴率

明日の2013年2月1日は、テレビ放送開始(NHK)60周年だという。そんなことで、今日はテレビの話・・・(長くなって恐縮だが、なかなか面白いデータなので・・・)
今朝の朝日新聞1面に、こんな記事があった。さもありなん・・・。(写真はクリックで拡大)

「ドラマは録画」くっきり 再生率、「生」を上回る例 非公開データを分析
 テレビの録画再生を含めた視聴率の実態が、朝日新聞が入手した調査結果で初めて分かった。視聴率は放送時間中に見られた数値しか公表されていないが、視聴実態をより反映した録画を含めた数値をみると、人気ドラマの中には録画再生が放送中を上回る例もあった。テレビ放送が始まって2月1日で60年、視聴率調査が始まってから半世紀以上がたつが、公表数値が視聴実態と離れつつあることが浮き彫りになった。
 公表されている視聴率は番組の人気の「唯一のものさし」とされ、調査会社ビデオリサーチが全国27地区6600世帯を対象に、放送中に見た人の割合を地区ごとに調べている。関東、関西、名古屋は各600世帯が、北部九州、札幌などは各200世帯が対象だ。
 同社ではこの調査とは別に、東京30キロ圏内で録画機器を所有する約200世帯を対象に、放送中の数値に加えて録画した番組を放送の7日後までに再生した人の割合を示す「録画再生率」も調べている。朝日新聞は今回、今年1月1日~7日の1週間分のデータ(未公表)などを入手し、実態を分析した。公表された600世帯の「視聴率」と単純に比較はできない。
130131shityouritu  録画再生率が圧倒的に高いのはドラマだ。3日放送の「ラッキーセブンスペシャル」(フジテレビ)は放送中が12.6%だったが、録画ではそれを上回る13.5%だった。連続テレビ小説「純と愛」(NHK)は4日朝の放送中は17.6%、録画再生は5.4%。平日午前放送の韓流ドラマでは、放送中が0.5%だけだったが録画が3.0%に達した例もあった。アニメなどの子ども番組も録画再生が多く、6日朝の「仮面ライダーウィザード」(テレビ朝日)は放送中の4.0%を上回る5.3%だった。バラエティー番組は、あまり録画再生されていない。
 番組を録画して後で見る「隠れた視聴者」は、デジタル化で録画が飛躍的に簡単になったのに伴い増えている。関係者の中には「見応えのある番組ほど視聴者は録画して見る。実態を反映した数字も公表すべきだ」という声もある。

TVの見方 変化を反映~録画再生率 番組評価に影響も
 昨年、夜の連続ドラマで平均視聴率が20%を超えた作品はゼロだった。ヒット作が減り「テレビドラマの地盤沈下」を指摘する声も多い。だが実際には、「隠れた視聴者」が大勢いることを今回のデータは示す。
 NHK放送文化研究所の調べでは、録画機器の普及率は50%超。録画した民放の番組を1週間に5分以上再生した人の割合も年々増え、昨年は約4割に達した。2月1日で放送開始から60年を迎えるテレビの見方は様変わりしている。
 にもかかわらず、テレビ局や広告会社は放送中の視聴率を絶対視。調査開始から半世紀以上、番組の人気や質までも評価する指標であり続けている。なぜか。
 視聴率はそもそもスポンサーに対し「この番組にCMを出せば○○人が見ていますよ」と説明するための指標だったからだ。CMが飛ばされやすい録画再生率が高くても「意味がない。企業が興味を持つのは『良い番組』ではなく、放送中に数字を取れる番組だからだ」と放送局幹部。長年の商習慣に慣れた業界は、CM料金に直接結びつかない「録画」を公表すべきなのかどうか、判断がつかないのが現状だ。
 だが、ドラマの制作現場では近年「作り込んだ力作ほど視聴率が取りづらくなっている。わかりやすく手軽な番組が増えて低俗化が進むのではないか」との懸念が広がっている。
 現在は、バラエティー番組が好調な日本テレビやテレビ朝日が視聴率競争で優位に立つが、録画再生率も加味すれば、ドラマ枠が多いフジテレビやTBSにもさらに多くの視聴者がいることになり、競争に変化が生じる可能性もある。
 米国ではすでに録画も含む視聴率が公表されている。調査対象者に音声認識装置を持たせ、職場などで番組を見聞きした場合も含めて実態を正確に測ろうとの試みもあるほどだ。
 リサーチ評論家の藤平芳紀さんは「技術の発展で視聴形態は劇的に変化し、自宅以外のあらゆる場所でテレビに接している。メディアのあり方に大きな影響を与える基礎データなのだから、録画も含めて実態を正しく反映させた調査結果が世に出されるべきだ」と指摘する。(田玉恵美)」(2013/01/31付「朝日新聞」p1、4より)

自分は、ほぼ100%TV放送は録画で見ている。何よりも、見る時間に制約がないのがよい。
「視聴率」は、あくまでもCMのための統計なので、録画再生による視聴は(CMはスキップして見られていないので)対象外、という論も分かる。しかし視聴者からすると、視聴率は番組の人気度を測る貴重な数字!?
よって、ナマで見ている率だけを論じられても・・・というところ。

上の記事と内容がダブるが、念のため(?)、別の記事で視聴率をおさらいしてみると・・・
「(ニュースのおさらい)テレビの視聴率って何? 視聴率3冠王って何?
 テレビの話になると、ついて回るのが視聴率。テレビ朝日が昨年、1959年の開局以来、プライム帯(午後7時~11時)で初めて年間1位になって話題になりました。テレビ局が日々、良い数字をめざして競争するのはどうしてなのか? どうやって測っているのか? 調べてみました。
6600軒で調査、番組の人気示す
 視聴率は、同じ時間帯に同じ番組を見ている人がどれぐらいいるのかを示すもので、番組の人気をはかる、たった一つの「ものさし」だ。
 「ビデオリサーチ」という会社が全国27地区6600世帯を対象に地区ごとに調べる。くじ引きのような形で選んだ家庭に機械を取り付け、いつ、どのチャンネルを見ているかを測る。
 関東、関西、名古屋は各600世帯。九州、札幌などは各200世帯。関東では大体3万世帯に1世帯の割合だ。関東、関西、名古屋は2年ごと、それ以外は3年ごとに交代する。
 ある番組をすべての世帯が見ていたら100%、6世帯だったら1%になる計算だ。
 全世帯調査ではないので誤差も生まれる。例えば1月20日に放送されたアニメ「ワンピース」(フジ系)は関東地区で7.5%だが、上下で2.2%の誤差、つまり9.7%~5.3%だと考えられるという。
 テレビ局は、視聴率を全日帯(午前6時~午前0時)、ゴールデン帯(午後7~10時)、プライム帯(午後7~11時)に分けて、年間(1月~12月)と年度(4月~翌年3月)で順位を競い合っている。
130131shityouritu1  三つの時間帯でトップなら「3冠王」で、ここ30年間、日本テレビとフジテレビが競り合ってきた。だが昨年、テレビ朝日がサッカーの生放送で30%以上を連発、「ドクターX」(平均19.1%)などの連続ドラマやバラエティーも好調で、プライム帯でトップにたった。
 テレビ局が視聴率を気にするのは、そのよしあしがもうけを決めるからだ。民放局のテレビ番組は企業のCMで成り立っている。企業は商品をたくさんの人に知ってほしいため、多くの人が見ている、つまり視聴率が高い番組にCMを出したがる。だから視聴率が高いと、テレビ局は高い収入を得られる。
 テレビ局に行くと、「今期最高の○パーセント!」などと書かれた紙があちこちに貼られている。テレビ朝日では、年間視聴率が発表された日、社員らが大勢集まって1位を喜び合った。番組が高視聴率だったときには社員食堂を無料にしたこともある。
録画・ワンセグ含まず
 ビデオリサーチの調査が始まったのは1962年。いま、テレビの見方は大きく変わっている。一度にたくさんの番組をとれる高性能な録画機も登場し、ドラマやアニメを時間のある時にまとめて見る人が増えている。外出先でスマートフォンや携帯電話のワンセグ放送を見る人も多い。
 ところが、測る基準は半世紀前とほとんど同じだ。自宅の固定テレビやテレビつきパソコンで、放送中に見た番組だけ。録画やワンセグで見た人がどんなに多くても、視聴率には表れない。チャンネルが増えたBS放送の数字も発表されない。
 変わらない理由は、視聴率がCMを流すスポンサーのための調査だからだ。スポンサーが知りたいのは、いかにCMが見られているか。録画の場合、CMを早送りする人が多いので、わざわざ測る必要がないと判断されている。
 視聴率が実態にあっていないという指摘は増えている。とはいえ、世間の関心を反映しているのも間違いない。昨年、最も高かったのは「NHK紅白歌合戦」(12月31日)で42.5%。ロンドン五輪やサッカーの日本代表戦など、国民の多くが生放送で見たいと思う番組は、高視聴率を記録することが多い。
 時代が変わっても、テレビ局は、視聴率とにらめっこしながら、番組をどう面白くするか考え続けている。(江戸川夏樹) 」(2013/01/26付「朝日新聞」より)

そうなのだ。世に言う視聴率は「番組を“CMと一緒に”見た人の数」なのである。決して、「番組を見た人の数」ではないのである。よって、この記事で言うように、生中継の番組は大きい数字が出て、ドラマなどは小さな数字が出る。
問題は、その数字の乖離だが、今回の調査で結構大きいことが分かった、ということ。
よって、今までの「視聴率」という言葉は、誤解を招かないために「CM込みで見られた視聴率」とでも変えないといけないのかも・・・ね。

ミーハーの自分は、どうも視聴率が高かった番組を後から見るクセがあるので、その意味でも視聴率をチョコッと気にしているのであ~る。
(ついでに、録画機へのコメント。2010年発売までの三菱製は、CMスキップがほぼ完璧。しかし、録画再生時、途中で再生を止めた時のポイントが直ぐにリセットされてしまうのは致命的。東芝製のCMスキップ機能は、時たまドジるがまあまあ。しかし1.3倍再生モードでの画面がギクシャクでNG。パナソニック、日立製は、1.3倍モードの再生、録画再生の再生ポイントの記憶は三菱と違ってOKだが、CMスキップが出来ない。しかしCMスキップ機能は大変に便利・・・)

130131ningyou <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月30日 (水)

「目は囗ほどに…大切な対面」

先日の日経新聞「今どき健康学」にこんな記事があった。曰く・・・

目は囗ほどに…大切な対面
 以前、コミュニケーションを積極的にとることは健康維持に役立つと書いた。特に、こころの健康にとって大切だ。配偶者や友人、知人などとコミュニケーションをうまくとることはストレスの解消につながる。
 このコミュニケーションに関し、私たち人間は動物社会では独特の方法をとっているらしい。これについて、霊長類研究の第一人者である京都大学の山極寿一教授が面白いことを述べている。
 山極教授によれば、食事をとる時の行動の違いで、ゴリラやチンパンジーなど類人猿に共通する方法があるという。長年、アフリカのゴリラを研究していて気づいたらしい。
 普通、サルの仲間は散らばって食事をとる。なるべく仲間と鉢合わせしないよう心がけているようだ。食事は仲間とエサの奪い合いになりがちだからだ。
 ニホンザルの社会では、群れの中で上位のサルが食べ物を独占するというルールがある。順位が低いサルは上位のサルの前では手を出さずに、別のエサを探すことで無用なトラブルを回避する。
 ところが、類人猿では群れの中の上位と下位の区別はない。順位が低い、例えば子どもが上位の個体に近づき、食べ物を譲ってくれるようねだることが常態化しているという。
 そのとき、対面して相手の目を見つめることでコミュニケーションをとっているらしい。対面して相手を見ることは動物社会では敵対行動で、相手を威嚇することにつながる。類人猿ではそういうことはなく、複数の個体が仲よく対面してエサを食べる光景がよくみられる。
 人間はこの類人猿の行動特性を受け継いで、相手の目を見ることでコミュニケーションをとっていると考えられる。そういえば、私たちは食事どき、ちゃぶ台の時代から対面が習慣になっている。
 目はこころの窓、見ることによってその人の健康状態がわかる場合もある。まさに「目は口ほどにものを言う」である。食事に限らず、会話でも相手を見ることは大切だ。
 近年は食事の時に対面しても、何も話さず下を向いて黙々と食べるという人も多いらしい。せっかくのコミュニケーションの機会をみすみす失っているようで少し気がかりだ。(江戸川大学特任教授 中村雅美)」(2013/01/27付「日経新聞」p15「今どき健康学」より)

「目力(めぢから)」という言葉がある。でも広辞苑に載っていない。Wikiには、「目力(めぢから)とは目の表情や視線が相手に与える印象である。目力の強い人は、意思や内面的に強そうに見える。また、目力とは人の精神状態そのものでもあり、楽しい気分の時は強まり悲しい気分の時は弱まるとされる。目力の無い人は死んだ目などと言われる。」とある。

視線の強さ、とも言えるこの眼力。自信に満ちている人は眼光鋭く、逆に体が弱ってる人は、目力が弱い。まさに人の生命力のバロメーターがこの目力なのだろう。目は、いわば心の窓。

それにしても、「対面して相手を見ることは動物社会では敵対行動で、相手を威嚇することにつながる。」という一文に、自分は「なるほど・・・」。動物の世界では、相手を凝視するということは、これから飛びかかるぞ、という一触即発の状態・・・。
それで分かった。
我が家の愛犬メイ子は、目をじっと見ると、直ぐに目をそらせる。メイ子と「あっぷっぷ」をすると必ず自分が勝つ。なるほど、それは、そんな原理があったからか・・・

話は飛ぶが、今朝の朝日新聞「天声人語」のひと言に目がとまった。
「・・東京・井の頭自然文化園のアジアゾウが66歳になり、日本で飼われてきたゾウの長寿記録を塗り替えた。はな子は1949(昭和24)年、2歳でタイから来た。戦後初の輸入ゾウとして人気を呼んだが、まず、ねぐらに忍び込んだ酔っぱらいを、次に持病で倒れた職員を死なせてしまう。荒れる巨体は鎖につながれ、処分を迫る声も出た。幸い、新しい飼育係が鎖を解き、人間不信を癒やしてゆく。その名は、戦中の猛獣処分で餓死させられた上野動物園の花子を継ぐ。餌ほしさに芸を見せる花子の悲話と同様、はな子の波乱の半生も童話や手記になった。ゾウの威容はそれ自体ドラマチックだ。・・・」(2013/01/30付「天声人語」から)

餓死させられるゾウが、何とかエサを貰おうと健気(けなげ)に芸をする姿・・・。前にも聞いたことがある話だが、これほど聞いていて心が苦しくなる話はない。
その時のゾウの目を、普通の人間は見ることが出来ない・・・

ともあれ、相手の視線を避けるような生活だけは、何とも避けたいものだが・・・。

130130imanomita <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月29日 (火)

「東大に大胆な英会話入試を」

先日の日経新聞のコラム「大機小機」にこんな論が載っていた。いつもは堅い「大機小機」も、たまにはこんな気楽な(?)話もある・・・?? 曰く・・・

東大に大胆な英会話入試を
 東京大学が秋入学構想の実現で悪戦苦闘している。「タフでグローバルな東大生を」と、浜田純一学長が1年前に打ち上げた。入試時期は変えないが入学時期を国際標準の秋に移すという構想。留学や様々な国際体験の機会を増やし、グローバル人材の拠点にするという野心的な試みである。
 だが改革には抵抗がつきもの。「入学時期の変更だけでグローバル人材が育つか」「国家試験とのタイミングがずれる」「秋までどの組織が面倒をみるのか」など、学内からも消極論が相次いだ。世間と大学人の溝は深い。結局は学事暦の変更にとどまりそうだ。入学と卒業の時期は変えず、始業時期を秋にずらすという妥協案である。
 グローバル人材に必要な要素は色々あるだろう。ただ世の中が痛切に求めているのは複雑なことではない。英会話力だ。文科省もそれなりに努力してきた。学校間の国際交流、英語教員の海外研修、外国人の英語補助教員制。だが全く力不足。英会話力の国際比較でも日本は163カ国地域中135位。グローバル戦線で勝てる訳がない。日本は沈むだけだ。
 そこでひとつわかりやすいグローバル人材育成案を提案しよう。東大に大胆な英会話入試を導入する――という単純なアイデアである。全試験科目のおよそ30%程度の比重は必要だろう。
 東大を頂点とする学歴神話は衰えたりとは言えまだ生きている。「東大入試で英会話力が決め手」となれば、受験校や予備校も英会話シフトを敷くだろう。世の教育ママ・パパも英会話教育に熱を入れ、街の英会話教室も盛んになる。国全体の英語力は底上げされる。
 守旧派からは当然、慎重論が噴出する。「アカデミズムの砦(とりで)でもある東大の学生が、ただ英会話ができることでよいか」「高校側の体制が整っていない」「帰国子女が有利など公平性を欠く」「そもそも東大が英会話試験を実施できる体制になっていない」など。どれももっともだ。
 確かに直ちに実施するのは難しい。「5年後導入」あたりが現実的ではないか。試験の実務は過渡的にはTOEFLかTOEICなどの専門機関に委託すればよい。
 断行すればほかの大学も触発される。グローバル人材育成への起爆力は「秋入学」以上だろう。さて関係者は本気で考えるだろうか。(横風)」(2013/01/25付「日経新聞」p17「大機小機」より)

自分もどちらかと言うと、秋入学については懐疑的。日本のあらゆる仕組みが春入学で出来ているのに、東大だけが先行して秋入学を実施しても、他の仕組みがそれに追従してくるとは思えず、単に東大だけが浮いてしまって、結果として学生に不利なしわ寄せが行くだけのように思えてならない。
それに比べて、この英会話入試という発想は面白い。そうなのだ、社会で求められているもの、そして社会で役立つものは、難しい古典英語の解釈などではなく、世界中でコミュニケーションが困らないこと。つまりは英会話を自由にこなせること・・・。帰国子女!大いに結構。少なくてもコミュニケーション能力はあるので・・・
しかし英会話能力は、東大の入試において、必要条件だが十分条件ではない。その他の科目で、“英会話だけ”の人はふるいに掛ければよい。
それにしても、英会話は既に“ビジネス以前”の必須アイテム。そもそも英語で外人とコミュニケーション出来なければ、ビジネスがスタート出来ない時代なのでは・・・?

でも、英語をそれほど必要としない仕事もある。でもそれはそれ。要は、東大ともあろう日本の代表的な大学の学生は、英語で自由に話せるくらいの能力は当然持っている・・・という事を、世間は期待している。つまり東大生は「当然、英語は話せるでしょう?」が世の一般的な意識なのだ。
単にそれにキチンと応えるだけ、という話かも・・・。

話は飛ぶが、先日、NHKテレビで「コズミックフロント モンスターテクノロジーを支配せよ ~アポロ計画 知られざる成功の鍵~」(2013/01/17放送)を見た。ケネディ大統領が宣言した「1960年代中に人間を月に到達させる」との公約を実現した話だ。この話もそうだし、スパコン開発の話も同じ。
何かが先頭を切って走ると、それに付随する技術革新も引きずられるように発展していく。
つまり、東大の秋入学の行方は分からないが、こんな英会話重視の入試スタイルがもし実現すると、日本人の英語嫌い文化に、大きな石を投じることになるかも・・・ね。
まあ、天下の東大がマジメにやるとも思えないが、話だけでも面白い・・・。(←念のために言っておくけど、自分は英語大嫌い人間。未だに英語の試験の悪夢を見る。でも一方では、英会話羨望人間でもある。英語が必要なのは分かってるけど、自分で勉強するのは、キ・ラ・イ!!)

130129shigatsu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月28日 (月)

「妻の最期」~突然やってくる死をどう受け止める?

実は一昨日、2年ぶりに1時間余の不整脈に陥った。自分の最初の不整脈の発症は9年前。紹興酒の飲み過ぎによる脱水が原因。・・・だとばかり思っていたら、一昨日の場合は、自宅で何もしていない状態での発作なので、ビックリ。
別に死ぬほどのことではないのだが、こと心臓に関する現象だと、心細くもある。こんなことで、突然死ぬこともあるのかな・・・ナンテ。

先日、日本尊厳死協会に入っているカミさんのもとに送られて来た会報「リビング・ウィル」に、こんな投書が載っていた。曰く・・・

妻の最期
    (男性)岩見沢市(59歳)
 ずっと元気で、今年2月の人間ドックでもどこにも異常がなかった妻が、数日前から体をだるそうにし、休日に病院に連れて行こうとしたときには車のシートに半身を預けて崩れ落ち、救急車を呼んだ。車内では酸素マスクなどの懸命の措置。到着した病院では「黄疸(おうだん)が出ている。血圧も低い。入院して検査をしましょう」と言われた。それでも、病室で目覚めた本人にも私にも危機感はなく、頼まれた本や身のまわりの品を家に取りに戻ったついでに献血カードと臓器移植の承諾書と尊厳死協会の会員証を一応まとめて持って行くのに深い意図はなかった。
 所要で1泊旅行に出た私の代わりに付き添っていた娘によれば、翌日もとりとめない話をし、昼食も取ったという。が、その数時間後、トイレに行こうとして倒れ、容体が急変する。「苦しい。助けて助けて」を娘はふざけているのかとさえ思ったそうな。けれど、家族の聞いたそれが妻の最後の言葉だった。
 家族に連絡をと言われた娘が会員証を示すと、医師は、裏面の宣言書を(初めてではないにしろ)興味深けに読んでいたという。私には、よって、無用な延命措置はしませんでしたときちんと説明してくれた。急性循環不全。気丈な娘の冷静な判断と、故人の意志を尊重してくれた誠実な医者。本人も私たち家族も死期を覚っての別れの言葉一つを交わせなかったのは無念だ。けれど、生前から「長生きなんかしたくない。ぽっくり逝きたい」と語っていた妻には、そのとおり本望の生き方であったろうと思う。享年61歳。」(日本尊厳死協会・会報「リビング・ウィル」(2013年1月1日号)p13より)

先のアルジェリアのテロに限らず、まさに人間はいつどこで死ぬか分からない。だから、常にそれを前提に生きるべき・・・、なのだろう。でもそれは、言葉では簡単だが実際には・・・!?

理想は“いつ死んでも可”という生き方なのだろうが、それは一体、どのようなものなのだろう・・・?? 自分的には、それには物理的なものと精神的なものとがあるような気がする。
物理的なものは、遺書の作成や遺産の処理、遺品(自分の所有物)の整理、葬儀への準備等々、自分が死んでも、残された人が困らないように処置しておくもので、これは自分でやる気になればいつでも出来る。
それに対して精神的なものは、自分の心の整理。自分で生きているときにやりたいことは何か。それをいつ実行するのか・・・。そして“もうこの世でやりたいことはない”と思えたとき、初めて“いつ死んでも良い・・・”と思える(のかな???)。

先日、NHKラジオ深夜便で、「今年にかける、80歳でのエベレスト挑戦~冒険家・プロスキーヤー…三浦雄一郎」(2013/01/03~04放送)(ここ)を聞いた。
三浦さんは、年齢が高くなっても元気でいるためには、常に目標を持つことだ、と言っていた。80歳でエベレストに登る、という目標のもとに、着々と体を鍛えて行った三浦さん。それを始めてから、いわゆるメタボ系の病気は皆飛んで行ったとのこと。高齢者が誰でも持っている持病たちが、ある目標の下で三浦さんのように20キロのリュックを常に担ぐ、といった方法で体を鍛える過程で、皆飛んで行ってしまう・・・

でも人間はわがままな存在。これを達成したらもういつ死んでも良い、ナンテ思っても、それを達成した途端、次の欲望(煩悩)が生まれる。
実は自分も、昨年ある目標を理想的な形で達成したのだが、今はもうそんな事は忘れて、次の煩悩(欲望・希望)にうなされている。
まさしく自分は“足る”を知らない存在。まあこれは、自分の人間性の問題だけど・・・

自分ももう高齢者。少しずつでも、物理的な準備から始めてみようかな・・・
(何? 自分は、今死んだら後悔するかって?? そりゃあもう・・・。**を見るまでは死ねないさ・・・。ホントに、いつまで経っても勝手なものさ・・・)

130128danbou <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月26日 (土)

メールの返事はいつ返す?

昨日帰宅したら、ホントウに珍しく、FAXが届いていたという。内容は、現役時代の会社の仲間による「新年会の案内のメール」の“返事がない”ので、念のためFAXを打ったという。
確かにメールは来ていた。ちょっと予定とぶつかっていたので、今年はパスしようかな・・・と思っていたので、締め切りは25日だから・・・と返事を出していなかった。それがその25日の夕方にFAXで煽られてしまった。それでツイ予定をやり繰りし、「新年会出席」の返事を締め切りギリギリの25日夜中に出した、というわけ。
まあ今回は、「回答期限は25日まで」とあったので、ギリギリ間に合わせたが、それにしてもメールの返事のタイミングは色々ある。

メールの返事で、苦い思い出がある。現役最後の頃、ある人に言われた。「**さんはメールを出しても返事をくれないんだから・・・」「会議通知は、出席する場合は、別に返事しなくても良いでしょう・・・」
そう答えたものの、腹にズシンと来た。それは自分の勝手な解釈。メールを出した方は、メールが届いているか・・・、会議にちゃんと出席してくれるのか・・・を気にしている。それまでの自分は、「欠席する時だけ、返事すれば良いでしょう・・・」という自分勝手な解釈・・・。それを、人に指摘されて初めて気付く・・・

今の会社に移ったときビックリしたのは、会議通知が出ると、メールを受け取った人は、全員同報で「出席します」というメールを間髪入れずに返信するのだ・・・。だから、全員が誰が実際に出席するかが分かる。この会社では、それが当たり前のカルチャー・・・。なるほど・・・

それ以来、自分もそのやり方を真似ている。とにかくメールで会議通知が来たときには、「出席」のひと言でも返事を出す。誰かからメールを貰ったときは、間髪入れずに「了解」のひと言だけでも返事を出す。逆の立場だったら、それがどれほど清々しいことか・・・。
誰かが言っていた。「メールを貰ったら、直ぐに“了解”のひと言でも返事を出すことにしている。もし遅れると、返事が遅れたことへのお侘び、遅れた理由を書かなければいけないので・・・」
これは人によるスタンスの話。自分の場合は、人に言われるまでそれに気が付かなかった、という大失態。今思い出しても、これはビジネスマンとしての自分の姿勢に問題があった、と今でも後悔している。
こんな事を書きながら、大学に入って帰省したとき、お袋から言われたことを思い出した。「お金(下宿代)を送ったときには、着いた、という返事をよこしなさい」「だって、現金書留だから着くのは当たり前じゃないか・・・」
つまりその時から、現役最後の時まで、自分は“分かっていなかった”のだ・・・

先の新年会のFAXの例は、結果として25日の納期には間に合わせたつもり。でも、相手の身になって考えてみると、一刻も早く返事するのがエチケットだよね。
今日は、今となっては取り返しの付かない自分の思い込みの“メールのスタンス”についてのお話でした・・・。トホホ・・・

130126maji <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月25日 (金)

組合健保から国保に変える決断をした話

先日、今まで入っていた会社の健保を脱退し、国民健康保険に入ることを“決断”した。まあこれは保険料の節約の話で、それほど大げさなことでは無いのだが・・・

自分は今まで、ずっと会社の健保組合に入っていた。何の疑問もなく。それが昨年、今の会社での勤務時間短縮に伴い(ここ)、会社の健保をクビになったため、国保か昔の会社の健保かの二者択一で、昔の会社の健保にOBとして入り直した。

これは、昔の同期の仲間に取材したら、皆元の会社の健保に入っており、ルールでは一旦入ったら75歳まで脱退できないが、もしやめたいときには、引き落としの銀行口座を不足状態にしておけば、即刻健保から脱退させられる、という知恵を聞いたためでもあった。
当時試算したら、市の国保の保険料とほとんど同じだったこともあり、前の会社の健保に戻った。
そうしたら先日、“財政悪化のため、来年度から保険料率を上げる”との通知が来た。しかも、健康保険料は7.70%から9.00%に、介護保険料は1.00%から1.40%への大幅アップだという。つまり対前年比で19.5%アップ。
そして、同封されていた通知書に、何と“脱退希望者は申し込め”との脱退届まで付いている。脱退は許さないはずだったのに・・・。まあ、保険料2割アップでは国保との乖離が大きくなり、脱退希望者が多いだろう・・・という配慮なのか、それとも財政逼迫の主原因が、我々OBが多く金を遣っているため、その人員削減策なのか・・・

改めて市役所に、保険料について電話で問い合わせてみた。すると所得と夫婦の年齢を言っただけで、直ぐに保険料を教えてくれた。結果、自分の試算の一部が間違っており、元の会社の健保保険料は、国保よりも22%高かったことが分かった。そして、来年度の試算では、36%の違いとなる。
保険料だけを考えれば、なかなか厳しい話。それで、今回脱退届を出して、4月に国保に移ることにした。

なお、自分で国保の保険料を試算するときに必要な「所得」は、確定申告のときに計算される「所得」の数字。所得税で使われる社会保険料や医療費を控除する“前の数字”だ。これは確定申告作成のページで収入だけ記入すれば、直ぐに試算してくれる(ここ)。

会社の健保のメリットを考えてみると、①高額療養費の付加金 ②人間ドックなどの利用 ③保養所の利用 位か・・・。①の高額医療については、組合健保は自己負担額25,000円以上に還付金が出るが、国保の場合はそれが80,100円以上になるという。他にも色々と条件があるらしいが・・・。②の人間ドックは、どうせ行かない・・・。③の保養所は、懐かしいので、昔よく行った箱根の保養所に3月末に一度だけ行ってみることにした。

ついでに、今の日本の健保の仕組みがどうなっているのか、少し勉強してみた。Netで見付130125kenpo1 かったこの表が分かり易い。日本の健保の種類が良く分かる。中小企業で、健保組合が無いときに入る「協会けんぽ」の人が28%と結構多い・・・。国保は31%。(写真はクリックで拡大)

まあ単純に保険料だけで判断するのもどうかと思うが(人間ドックの費用を考えると差は縮まる?)、段々と昔の会社との縁が薄くなっていく・・・。健保の縁が切れると、あとは企業年金だけ。まあこれは一生続くが、何となく寂しいようでもあり、そろそろ縁が切れる時期かな、とも思う。
段々と自分から、昔の会社のマークが消えていくことを実感するこの頃である。これも執着・・・!?

130125panchi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月24日 (木)

「夢を気にしますか?」

先日の朝日新聞に「夢を気にしますか?」という記事があり、最近夢ばかり見ている自分は興味深く読んだ。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

夢を気にしますか?
・・・・
 夢とは何か。なぜ人は夢を見るのか。睡眠障害や夢に詳しい熊本大学の粂和彦准教授に尋ねると、夢には「普段、抑えている深層心理の表れ」といった深い意味はあまりない、というのが現在の医学的解釈だという。誰でもほぼ毎晩、夢を見ているが、起きる直前に見た夢を覚えていて、「夢」として認識する。睡眠不足だと夢を見ないこともあるし、長く寝ても目覚める直前に深い睡眠だと、夢を忘れてしまうそうだ。
 アンケートの自由回答で、特に多かっだのが「トイレを探す夢」。この夢のメカニズムを、粂さんはこう解説してくれた。「膀胱が膨張すると、交感神経が刺激されて睡眠が浅くなり、『トイレに行きたい』という体からのサインが夢に投影されるのです」
130124yume  試験や学校の単位、遅刻などにまつわる悪夢も多かった。「入試や単位取得のための大事な試験の日程を間違え、気付いたら終わっていてゾッとする夢を、いまだに年に1回は見る」(東京、45歳男性)。「遅刻しそうで必死になって走る夢をよく見る。そんな体験は一度もないのに」(大阪、39歳女性)。
 夢を見ることの多い浅い睡眠中は、脳内で、嫌悪的なことを監視する機能がある「扁桃体」が活発になるため、夢の内容も悪いことが多くなり、落第や遅刻など、恐れていることが夢に表れやすくなるという。ちなみに粂さんによれば「サルの扁桃体を破壊すると、サルは不安を感じなくなり、蛇などの天敵を怖がらなくなる」という。・・・・・
 「仲良くもなかった同級生が出てくる」(大阪、40歳女性)など、唐突さ、不自然さも夢の特徴。最近の研究では、脳はかなり古い記憶も、睡眠中に高い頻度で思い出していることがわかってきたという。粂さんは「夢で脈絡なく浮かんで消える記憶を、脳が起きた時に無理やり『意味づけ』し、良くある出来事に近づけて物語を『捏造』することがある」。
 たとえ「捏造」であれ、こんなエキサイティングな気分を味わえるなら夢でもいい。「若い頃、アラン・ドロンとキスする夢を見た」(東京、57歳女性)、「ウルトラの戦士たちが50人くらいで『だるまさんがころんだ』をやっていて、キングギドラがこっそり参加していた」(福岡、48歳女性)。
 最後に、見たい夢を見られる方法を粂さんに尋ねてみた。「見たい夢、楽しかった夢の続きを思い浮かべ、寝る前に自分に暗示をかけると、可能性は高まります。寝ている間も意識は完全に無くならず、続いているので」。今晩、試してみてはいかがでしょう。     (寺下真理加)」(2013/01/12付「朝日新聞」b10より)

実は自分は夢ばかり見る。夢について、改めてこんな記事を読むと、なるほど、そんなものか・・・、と思う。試験の日が迫って来るのに、まったく勉強していなくて焦っている夢などは定番。トイレ探しの夢も・・・。でもこんなアンケートを見ると、自分だけでは無いのだな・・・と、安心したりする。
しかし結局、夢を見るのは睡眠が浅いからだ、と思うとあまり良いことではない。ほとんどは悪夢だが、時々良い夢を見ることもある。朝起きるのがもったいなく、目が覚めても無理矢理寝て、夢の続きを見たこともある。
夢の話をカミさんにするのは日常的なこと。あのさ・・・と言うと「また夢の話でしょう・・・」と言いやがる。お互い、慣れたもの・・・
幾ら悪夢でも、口に出して話すと楽になるような気がして話し出すのだが、そのうちにバカバカしくなって話すのを止めてしまう。すると、聞いていないはずのカミさんが、「せっかく聞いてあげているのに・・・。時間のムダ」と怒る・・・

でもやはり夢は常に見ているものらしい。夜中に何度か起きると、その起きた時に見た夢を都度覚えている。しかし朝になると、直前に見た夢の印象が強く、夜中の夢は忘れている。この記事の通りだ。そしてどんなに大事件の夢を見ても、日常の現実に頭が切り替わると、直ぐに忘れてしまう・・・

こんなことを書きながらも、書いている事自体がバカバカしくなる・・・。
だから夢は気にすることはないのだ。でも、やはり気になる夢・・・

この記事の表をみると、夢を見ない人がいるという。眠りが深いのだろうと、羨ましくもある。まあ自分はせっかく夢を良く見る体質。それなら自己暗示をかけて、楽しい夢を見るしかないな・・・。ホホホ・・・。

130124gohan <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月23日 (水)

「日本の輸出相手 米国が最大に~OECDなど、付加価値基準の新統計」

先日の日経新聞に、面白い記事があった。日本の最大の輸出先は、実は米国だった・・・という話。曰く・・・

日本の輸出相手 米国が最大に~OECDなど、付加価値基準の新統計
 経済協力開発機構(OECD)と世界貿易機関(WTO)は16日、付加価値の流れを追う新しい貿易統計を公表した。これによると、日本の輸出先は米国が最大となり、輸出総額に基づいた従来の統計で最大だった中国を上回った。対米の貿易黒字は従来の6割増となり、日本経済における米国市場の重要性が一段と鮮明になった。
 新たな「付加価値貿易」の統計は、複数国に生産拠点が分散する国際分業の浸透を踏まえ、通商関係の全体像を把握するのが目的だ。例えば、日本から中国に60ドル相当の部品を輸出し、中国で完成させて100ドル(40ドル分の価値増加)で最終消費地の米国に渡った場合、日本が60ドル、中国が40ドルそれぞれ米国に輸出したと計算する。従来の統計では日本が中国に60ドル輪出し、中国が米国に100ドル輸出したと計上される。
 日本企業は部品などの半製品やサービスを中国などアジア新興国に輸出する。これらを使って組み立てられた最終製品がアジアから欧米に輸出され、最終的に消費されることが多い。新統計ではどの国で生み出された付加価値が、どの国で最終消費されたかが分かるようになる。
130123boueki  2009年の実績を付加価値に基づいて計算すると日本の最大の輸出国は米国で、全体の19%を占めた。従来統計では中国が24%で首位だったが、付加価値でみると2位の15%に下がり、逆転した。韓国は3位で変わらないものの、シェアは9%から4%に落ちる。
 貿易黒字は中韓向けはほとんどなくなり、対米国では360億ドルと6割も増えた。中韓への中間財輸出が米国の最終消費に行き着いていることを示している。
 従来の統計では、中国など最終財を輸出する国の国際競争力が過大に評価される面があったが、付加価値に基づいた統計ではこうした傾向が是正される。新統計が浸透すれば貿易収支の構図が塗り替わり、各国の対外政策も大きな影響を受ける可能性がある。    (パリ=竹内康雄)」(
2013/01/17付「日経新聞」p5より)(写真は2013/01/19付「日経新聞」p17より)

この議論は、まさに“そりゃそうだ”という話で、今更・・・という感じもする。しかし統計上は、この付加価値という数字の把握が難しいのかも知れない。例えば、ある部品が中国に輸出されたとき、何%が国内向け製品に使用され、何%が米国向け製品に使用されたかは、中国で生産された製品の構成部品を分析しないと分からないのでは??
それにしても、この視点はまっとうな議論だ。日本での売上でも、商社が売上日本一・・・と喧伝されないのと同じ。

しかしこの当然すぎる評価は、なぜマスコミで報道が少ないのだろう・・・、と思っていたら、今朝の日経「大機小機」で、まったく同じ話が載っていた。

ほとんど内容は同じだが、念のために読んでおこう。
貿易に付加価値という物差し
 スマートフォンのIPone(アイフォーン)は中国で生産され、米国に出荷される。ところが部品をみると、韓国、台湾、ドイツそして日本などでつくられる。
 しかも製品化に際して、ソフトウエアやサービスなどが上乗せされる。その際に販売元の米アップルは多くの付加価値を上げている。売り上げと企業活動が生み出した価値(付加価値)は異なるのである。‐
 国境をまたぐ貿易取引を測るうえで、この点は重要な意味を持つ。通常の貿易取引額は輸出入の売り上げを単純集計した数字である。だが企業経営の上ではもうけが肝心なのだから、付加価値をベースにした輸出入をはじいた方が、ビジネスの実感に沿うはずである。
 そんな考えに基づいて、経済協力開発機構(OECD)と世界貿易機関(WTO)が、輸出されるモノやサービスを原産国の付加価値に還元してみた。2009年時点の試算をみると、実に興味深い姿が浮かび上がる。
 付加価値で測った日本の輸出額は、米国向けが19%と中国向けの15%を上回る。適常の輸出統計では対中が24%、対米は22%。「中国の方が米国より重要な貿易相手国」などという向きがあるが、いかにも浅薄な議論であり、付加価値という物差しを当てると対米輸出の大切さが分かる。
 貿易収支でみると、米国の重要性がさらに際立つ。通常の貿易収支の黒字額は、対米224億ドル、対中145億ドル、対韓86億ドル。これが付加価値ベースとなると、対米黒字が358億ドルと6割も増えるのを尻目に、対中は21億ドル、対韓は4億ドルの黒字に縮んでしまう。
 これは中韓向け輸出には部品など中間財が多く、最終消費地が米国であることを映している。日本企業としては国内から米国へ直接輸出するのが望ましいものの、生産コストが高いのでそうは問屋が卸してくれない。
 そこで主に中国に生産拠点を移し、企業グループ内に付加価値を囲い込もうとしてきたのだが、ここに来て重大な変化が生じた。中国における人件費の高騰である。
 このままでは、かの国の従業員の取り分か増え、日本企業の分は減る。国内回帰が難しければ、対応策は生産拠点を中国以外のアジアに移すか、最終消費地の米国に持って行くかである。もうけの上がらぬ投資先の見直しは必至だ。(和悦)」(2013/01/23付「日経新聞」p17「大機小機」より)

話は飛ぶが、GSユアサのボーイング787のバッテリー事故は大変な事態。製品は、何があっても燃えてはダメ。メーカーは、周りがどんなに悪くても(周りに原因があったとしても)、自社の製品から火を出したらオシマイ・・・。
昔、新入社員の時に、誰かから言われた。絶対に社内でしてはいけないことは、殺人と火災。これは別に会社に限らず、世の中の常識。
それが空の上、となると、昔のパソコンのバッテリー焼損事故などとは重要度のケタが違う。バッテリーメーカーも、時間との戦いで大変だろうが、技術立国日本の威信に賭けても、早期の原因究明を祈ろう。
日本は部品レベルではまだまだ超一流なので、自信を持って・・・!

130123hato <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月22日 (火)

唱歌「思い出(久しき昔)」

この歌を聞くと、小学校低学年の時の教室の風景を思い出す。教室の外から聞こえてくる上級生の歌声・・・。その歌を歌いたいために、早く6年生になりたい・・・と思ったもの。その憧れの歌が「故郷(兎追いし・・)」そして「思い出(かきに赤い花さく・・)」だった。(その当時の思い出は、前に書いた。ここ
その自分にとって大切な歌「思い出」を、まだ取り上げていなかった・・・。
改めてこの歌について調べてみると、ビックリしたことが2つあった。
一つは、音源が非常に少ないということ。自分は童謡・唱歌の音源も集めているが、いま数えてみたら1624曲あった。しかしこの「思い出」の音源は、東京放送児童合唱団と由紀さおりの、たった2つしか無い。オリジナルの「久しき昔」の音源2つを加えても4曲。これは、NHK FMでほとんど放送されていないということを意味する。つまり自分は、数十年に亘ってエアチェックしているので、たぶん・・・
それほどマイナーな歌ではない、と思うのだが・・・
その中では、やはり東京放送児童合唱団の歌が好きだな。

<東京放送児童合唱団の「思い出」>

「思い出」
  作詞:古関吉雄
  文部省唱歌(イングランド民謡)

垣(かき)に赤い花さく いつかのあの家
ゆめに帰るその庭 はるかなむかし
鳥のうた木々めぐり そよかぜに花ゆらぐ
なつかしい思い出よ はるかなむかし

白い雲うかんでた いつかのあの丘
かけおりた草のみち はるかなむかし
あの日の歌うたえば 思い出す青い空
なつかしいあの丘よ はるかなむかし

もう一つビックリしたのは、「“柿”に赤い花咲く・・・」だとばかり思っていたら、「“垣”に赤い花咲く・・・」なんだって!
130122kakinohana 昔の六年生の音楽の教科書に「かきに赤い・・」と書いてあったら、まず“柿”を連想してしまうよね。もし“垣”なら「かき“ね”に赤い・・」としてくれれば・・・。もっともこれでは詩にならないか~・・・(写真のように、柿の花は赤くないんだって!)

童謡・唱歌を聞く上で、自分にとって東京放送児童合唱団の存在は非常に大きい。子どもが一人で歌う(幼児っぽい)歌は、自分は全く聞かないが、児童合唱団の歌は良く聞く。児童合唱団では、クラウン少女合唱団、コロムビアゆりかご会、タンポポ児童合唱団、ひばり児童合唱団、森の木児童合唱団、杉並児童合唱団、西六郷少年少女合唱団、東京荒川少年少女合唱隊、そして東京放送児童合唱団などの音源が多いが、やはり格が上なのが、NHK東京児童合唱団(東京放送児童合唱団)。

児童合唱団について調べてみた。NHK東京児童合唱団は、wikiによると、「1943年(昭和18年)、NHKが放送合唱団を公募し、音羽ゆりかご会を東京放送児童合唱団として任命」という前歴はあるが、「1951年(昭和26年)には、NHK独自の児童合唱団として再編成。2003年10月より「東京放送児童合唱団」から「NHK東京児童合唱団」に改めた。」とある。つまり、1951年の発足らしい。
そして最も老舗の「音羽ゆりかご会」は、1933年に童謡作家の海沼實が創設したという。そして「同一音源であっても、日本コロムビアから発売される場合は「コロムビアゆりかご会」、他社から発売される場合は「音羽ゆりかご会」表記になる」とのこと。

なるほど・・・。それにしても「NHK東京放送児童合唱団」という表記が多いこと・・・。これは正確ではないのだ。自分も今日知った・・・。たぶん2006年以前の録音は「東京放送児童合唱団」であり、それ以降は「NHK東京児童合唱団」という表記になっているのだろう。

最期に、「思い出」の原曲である「久しき昔(“Long Long Ago”)」も聞いてみよう。

<東京混声合唱団の「久しき昔」>

   「久しき昔」(“Long Long Ago”)
     (アメリカ民謡/イングランド民謡)
     作詞:ジャック・ディ・メロ
     訳詞:近藤朔風
     作曲:トーマス・ヘーンズ・ベイリー

   語れ愛(め)でし真心 久しき昔の
   歌え床(ゆか)し調べを 過ぎし(久しき)昔の
   汝(なれ)帰り ああ うれし 永き別れ ああ 夢か
   賞(め)ずる思い変わらず 久しき今も

   愛(あい)し小道忘れじ 久しき昔の
   汝(な)忘れそと告げたる 久しき昔の
   わが笑(えま)い 人に賞(ほ)め 汝(な)が語る 愛に酔う
   その言葉なお胸に 久しき今も

   いよよ燃ゆる心(情)や 久しき昔の
   語る面(おも)は床(ゆか)しや 過ぎし(久しき)昔の
   長く汝(なれ)と別れて いよよ知りぬ真心
   共にあらな楽しや 久しき今も

(関連記事)
野上弥生子の「母の歌」と上落合小学校 

130122dochira <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月21日 (月)

「終末期の医療~患者の意志、明文化を」

先日の日経新聞「ヘルスこの一手」にこんな記事があった。曰く・・・

終末期の医療~患者の意志、明文化を
 年始は改めていろいろなことを考える良い機会だ。中高年の家族のいる家庭では、老後、特に終末期の医療をどうするか、健康なうちから考えておくのがよい。本人や家族の希望や考えを出し合い方針を決めておけば、いざという時に円滑に対処できる。
 まず確認すべきことは、患者が終末期の医療をどこで受けたいか。自宅、病院、老人ホームなどの専用施設、あるいはそれ以外の場所など、決めておくとよい。
 次に終末期にどのような医療的措置を受けたいかも話し合っておく。心臓マッサージなどの心肺蘇生を希望するかしないか、延命のために人工呼吸器をつけたいか不要か。食事を口からとれなくなったとき、胃ろうや鼻チューブによる栄養補給をしたいか必要ないか。痛みや苦痛をとる緩和療法として消炎鎮痛剤や麻薬、鎮静剤を積極的に使用してほしいか、使用を控えてほしいか。こうした緩和療法が不十分で効果が出ない場合に、鎮静剤の投与で意識を失わせてほしい、あるいは緩和療法で死期が早まってもやむをえないと考えるか、意識を保つために痛みがあっても我慢するか、といった点も検討が必要だ。
 こうした延命治療を中止するタイミングについても、話し合っておくべきだろう。具体的には、余命が何カ月以下と診断されたら、すべての積極的治療、延命治療を拒否するか。いわゆる植物状態が何カ月以上続いた場合に、人工呼吸器や栄養チューブなどを外し、自然経過に任せるか、といった点だ。
 さらに認知症になったときの医療行為についても確認しておこう。認知症など自分で希望する医療を判断できなくなったときには、本人が意識があった時に指示した内容に従ってほしいか、それに従わず家族や代理人に相談してほしいか。また希望する医療を判断できなくなったとき、自分の代わりに主治医と話してもらう人を指名しておくか、といった点も考えておく。
 我々医師も、終末医療において患者の意思を大切にしたい。そのためにも患者本人の意思をきちんと書面として残しておいてほしい。医学は日々進歩し、救命医療は発展してきた。人生最後の選択である終末医療も患者本人が決める時代だ。(東京ミッドタウンクリニック 特別外来医師)」(2013/01/12付「日経新聞」s11より)

先日、NHKスペシャルで「終(つい)の住処(すみか)はどこに~老人漂流社会」(2013/01/20放送~ここ)を見た。
老いて頼る人もなく、自治体の世話で、施設を転々とする老人。これは決して他人事ではない。
「無縁社会」という造語を作ったNHK。今度は「老人漂流社会」という言葉を作った。つまり、これからの日本社会は、「無縁社会」と同じくらい「老人漂流社会」が大きな問題なのだろう。
この番組でも、身寄りのない老人を預かる施設が、入居時に本人に「最期をどうするか」について、明確な質問をしていた。

自分の人生にどうケジメを付けるか。この番組に出て来た人は、一人で生きて行けなくなったとき、自治体の斡旋で、入居施設を一月ごとに変わる。それが今の日本のルール。まあ良く言えば、「無縁社会」よりはマシ。自治体が自分の行く場所を考えてくれるから・・・。でもそこには、自身の意志は無い・・・。
それにしても、独身者は別として、妻に先立たれた男ほど、どうしようもない存在はない。この番組でもその例が多い・・・

どうも最近、こんな話題を取り上げることが多い。我が家の家訓は「臭い物には蓋!」なのだが、蓋をいくらしても、もう歳(とし)なので、漏れて臭ってきているのだろう。
つまりそんな年代に差し掛かっている、ということ・・・。まさに、トホホ・・・である。

●メモ:カウント~380万

130121mikan <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月20日 (日)

「「痴漢報道」―JR西日本の重役はなぜ死ななければならなかったのか」

実はウチのカミさんは、痴漢事件に関して、非常に敏感である。前にも書いたが(ここ)、それは前に駅のホームで、大きな声で痴漢を“摘発”している、素人とは思えない女性を目撃してからだという・・・

130120gendai 「週刊現代」(2013年1月26日号)に「「痴漢報道」―JR西日本の重役はなぜ死ななければならなかったのか~「警察発表」だけで報じる新聞・テレビ」という記事があり(ここ)、自分も読んでみた。なるほど・・・

「「この人、痴漢です!」女性にそう訴えられた瞬間、男は地位も名誉も財産もすべて失う。その「罰の重さ」と比して、新聞やテレビはあまりに気楽に「逮捕」を報じていないか。冤罪かもしれないのに。

「やってへん、やってへん」
 最初に断っておくが、痴漢が卑劣で許されざる行為であることは、いまさら言うまでもない。
 だがもし、痴漢で逮捕された男性が、恥辱に耐えかねて最終的に自死を選んだとすれば、それを「死んで当然」と断罪するのは後味の悪さが残る。
 さらに、万が一それが冤罪だったとするならば、取り返しのつかない悲劇と言うしかないだろう。
 公園の便所で命を断ったJR西日本の重役。その寂しすぎる最期を思うと、痴漢という行為の「罪と罰」のバランスについて、改めて考えさせられる。
 '12年12月21日、午前7時28分。JR西日本執行役員の男性A氏(56歳)は、JR阪和線の駅から普通電車の先頭車両に乗り込んだ。同じ駅から電車に乗ったのはA氏と女子高校生(17歳)、男性会社員(24歳)の3人だった。
 車内はすし詰めというほどではないが座席は埋まっており、ドア付近に3人が立ったまま扉が閉まる。女子高生の右側に会社員、左後方にA氏が立ち、電車は動き出した。
 同7時30分。電車が天王寺駅に到着する寸前、女子高生は右隣の男性会社員の左ヒジを突き、小声でこう訴えた。
「後ろの人、痴漢です。捕まえてください!」
 直後、電車は天王寺駅9番ホームにすべり込む。扉が開いた瞬間、A氏は外に飛び出して猛然とダッシュした。女子高生の訴えを受けた男性会社員が走って後を追う。・・・
 会社員に別の男子大学生も加勢し、A氏を挟み込むように引っ立てた。
「やってへん、やってへん」A氏は2度、繰り返した。
 会社員が駅員を呼び、A氏は事務所に連行される。駅員はA氏が自分の会社の重役とは露知らず、110番通報した。
 間もなく鉄道警察官2名と天王寺署員2名が現場に駆けつけ、迷惑防止条例違反容疑で現行犯逮捕。A氏の身柄はパトカーで天王寺署に移送された――。
 確認されている客観的事実は、以上である。ここから先、警察の取り調べは密室で行われ、その内容は容易に知りようがない。
 ところが翌22日のテレビ各局は、A氏の過去の映像を使用して顔と実名をさらした上で、A氏の痴漢容疑を報道した。
 さらに翌日の朝刊各紙も、顔写真は使用しないまでも同じく実名で、A氏の逮捕を報じている。「JR西役員JRで痴漢」と極太文字で見出しを掲載するスポーツ新聞もあった。
・・・・・・・
 23日夕方、容疑を否認したまま釈放され、二日ぶりに自宅に戻ったA氏は、それらの報道状況を初めて知ることになる。テレビで自分の顔まで公開されていることに、絶望したことは想像に難くない。・・・・・・
 JR西日本は逮捕の一報を受けて、「事実であれば誠に遺憾。詳しい状況を確認の上、厳正に対処する」とコメントしている。「事実であれば」と断っておきながらも、最初から犯罪者扱いをしていることが、文面から読み取れる。
 大切なのは、この「事実かどうか」の部分だ。A氏は「背中かお尻に右腕が当たったかもしれないが、痴漢はしていない」と否認を貫いたまま、みずからの人生を閉ざした。本人からはもう、シロかクロか確認することはできない。
 痴漢事件に詳しい清水勉弁護士が言う。「痴漢事件というものは、我々法律家から見ると不条理な点があります。もともとが刑法犯ではなく『条例違反』で、その条例は『相手を不快にさせる行為』が問題だとしている。きわめて瞹昧なんです。被害者が『不快だ』と訴えたら、そこに嘘があるはずがないという前提に立っている。刑法犯の場合は、逮捕する際にもっと厳密な客観的証拠が求められます。
 別の見方をすれば、痴漢は捜査機関にとって非常に『やりやすい』犯罪だと言えます。被害者の『不快だ』という訴えがあれば、いくらでも犯罪者をつくることができるのですから」・・・・・
A氏は女子高生に「この人痴漢です」と指摘され、電車のドアが開いた瞬間一目散に逃げ出している。この行動について、前出の司僚はこう推測する。
 「我々鉄道マンは、痴漢の疑いをかけられた時点で、逮捕を逃れることが不可能に近いことを熟知しています。被害者や周囲の人に取り押さえられ、駅事務所に連行された時点で、もうおしまい。どんなに抗弁しようと身柄は警察に引き渡されます。Aさんが実際に触ったかどうかはわかりませんが、ダッシュで逃げたのは、Aさんの脳裏に『逮捕』の二文字が浮かんだからだと思います」。
 痴漢の疑いをかけられた人間は、事実かどうかにかかわらず、逮捕される
 ここにまず第一の恐ろしさがあるわけだが、本人の人生により深刻な影響を及ぼす第二の恐怖が、間もなく訪れる。報道である。
・・・・・
 報道の難しさに加えて、忘れてはならないのが、被害を訴えた女子高生の置かれた状況だ。天王寺署の捜査関係者が語る。
 「被疑者が自殺したと一報が入った段階で、すぐに署員が連絡を入れた。報道で知るより、こちらから事情を説明したほうがいいと考えたからだ。
 まず電話で母親に伝え、直後に署員が自宅を訪問した。母親の話では、自殺の知らせを聞いて被害者は号泣したそうだ。被害者ケアを担当する警察官が直接、本人と面談したときも目が真っ赤で、うつむき加減で話を聞いていた。
・・・・・・
彼女は警察の取り調べに対し、こう証言したという。
 「(A氏の顔を見て)痴漢のオジサンやとすぐにわかりました。高校1年と2年のときに3~4回、お尻を触られたことがあります。触り方はいつも同じで、電車を降りる寸前にお尻を触って逃げるんです。その後はオジサンを見かけると離れるようにしていたから被害に遭ってなかったけど、あの日は確認が遅れ、後ろに付かれてしまった。もし触ってきたら隣の男の人に助けを求めようと決めていました。
 なぜ顔を覚えているかというと、高1で初めてオジサンに触られた日が、私の16歳の誕生日だったからです。記念の日にショックなことがあり、あの顔は忘れたくても忘れることができませんでした」
・・・・・・・
 自死を選んだ重役。その重荷を一生背負っていく女子高生。彼らのことを思うと、警察発表を機械的に垂れ流す報道各社の姿勢が、あまりに軽く思える。A氏が逮捕直前に口走った「やってへん」という言葉が、誰かに信じてもらえることも、もはやない。」(「週刊現代」(2013年1月26日号p58より~原文PDFは
ここ

「疑わしきは罰せず」、という刑事裁判の原則が適用されない痴漢事件。
これを読むと、我々オジサンは、予防策を考えるしかないことが分かる。極端な言い方だが、どんなに事実が曖昧でも、(特に)日本の女子高生は、(結果として)どんな地位の男をも破滅させる「権力」を持っているので・・・・
もしこの事案が、たぶんA氏の遺書にも書いてあっただろう、冤罪だと仮定すると・・・

オジサンは、A氏のように名指しで女子高生にキラわれたら最後・・・。物理的に女子高生から距離を置くしかない。
・A氏は女子高生に嫌われていることに気付かず、女子高生に「後ろに付かれてしまった。もし触ってきたら隣の男の人に助けを求めようと決めていました。」と、あらかじめ、女子高生が見えない後ろから、何らかの接触があった時点で、痴漢されたもの、と“決められて”いたらしい。その女子高生に嫌われていることに、事前に気付いていれば、自分が乗る車両を変える、などの手段があったのでは?
・ウチのカミさんが言うように、高校時代のいわゆる思春期の女性は、非常に心が不安定であり、神経が過敏なのだという。よって、男にとっては些細なことでも、女子高生にとっては不快に感じる、ということを良く認識する。オジサンが近寄るだけでも、女子高生は不快なのだ・・・
・ 通勤電車は、多くの人が、毎日同じ時刻発の電車の同じ場所に乗る。よって毎朝顔を合わせる女子高生に痴漢すると、次の朝も会ってしまう。その事を良く自覚する。しかも、今回のように、2年も前から同じ女子高生に、電車に乗った直後の“2分間”に痴漢をしてはいけない。(←どうしてもクロとは思えない・・・)
・もちろん一般的な予防策、つまりどんな満員電車でも、せめて神経過敏な女子高生からは離れて乗り、そして出来る限り、両手をつり革に、の対策は当然(ここ)。

そしてもし疑われたら・・・
・ A氏のように、ダッシュしないとしても、とにかく現場から堂々と離れて、現行犯逮捕を避ける(ここ)。
・ それが出来なかった場合は、相手から何百万円を要求されたとしても、示談金を言う通りに払い、告訴されることを避ける。
・ A氏のような著名人の場合は、自動的に実名と顔写真が報道されるので、女子高生に名指しで嫌われた時点で人生を諦める!?

それにしても、誰もが不条理だと分かっている日本のこんな仕組みを、抜本的に改善する方法は無いものだろうか?
・ こんな不条理な条例を、何とか改訂しようとする政治家が居ないか、探す。
・ 居ないとすると、JRに対して「一番前の車両が女性専用になっているが、一番後ろの車両を男性専用として欲しい」と陳情する。(誰か署名活動を始めてくれたら、自分もサインするけど・・・・・・)
・ 世論に、この不条理な条例の改定を訴える。NHKスペシャルででも、痴漢冤罪事件を取り上げてくれると良いのだが、NHKも報道機関のひとつなので無理だろうな・・・

(関連記事)
痴漢冤罪から身を守る「理論武装」 
痴漢冤罪~最高裁の逆転無罪判決に思う 
映画「それでもボクはやってない」を観て 

<参考>(~ここより)
大阪府公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例
(卑わいな行為の禁止)
第六条 何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
一 人を著しくしゅう恥させ、又は人に不安を覚えさせるような方法で、公共の場所又は公共の乗物において、衣服等の上から、又は直接人の身体に触れること。
二 人を著しくしゅう恥させ、又は人に不安を覚えさせるような方法で、公共の場所又は公共の乗物における衣服等で覆われている人の身体又は下着を見、又は撮影すること。
三 みだりに、写真機等を使用して透かして見る方法により、公共の場所又は公共の乗物における衣服等で覆われている人の身体又は下着の映像を見、又は撮影すること。
四 みだりに、公衆浴場、公衆便所、公衆が利用することができる更衣室その他公衆が通常衣服の全部又は一部を着けない状態でいる場所における当該状態にある人の姿態を撮影すること。
五 前各号に掲げるもののほか、人に対し、公共の場所又は公共の乗物において、人を著しくしゅう恥させ、又は人に不安を覚えさえるような卑わいな言動をすること。
(罰則)
第十六条 次の各号の一に該当する者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
 二 第六条の規定に違反した者
2 常習として前項の違反行為をした者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。

130120buru <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月19日 (土)

映画館でMETオペラ「アイーダ」を見た

今日は、初めて映画館に行って歌劇を見てきた。演目はヴェルディの歌劇「アイーダ」。4時間弱、3500円也。

近くのシネマコンプレックスで、オペラや交響楽団の演奏会を上映していることは、前から知っていた。しかし、ハイビジョンTVで、自宅で見られるのに・・と、あまり興味がなかった。
しかしやはり自分はミーハー。世の評判で、自分の価値観はどうにでもなる・・・
年末の新聞で、こんな記事を目にした。

劇場の臨場感 ITで全世界に
 3Dやデジタル撮影、ITの技術革新が欧米の名門歌劇場やオーケストラを大きく変えている。迫力ある3D映像で演目を上映したり、演奏会をリアルタイムで中継したりする試みが目立ってきた。今の時代に即して発信力を高め、観客層を若い世代にも拡大するのが狙いだ。
・・・・・・
高精細で高音質
 最新技術を活用し、劇場外で存在感を高める。そうした近年の動きに先べんをつけ、他の歌劇場に刺激を与えたのは米メトロポリタン歌劇場だ。常に革新を目指すピーター・ゲルブ総裁の下、世界各地で同歌劇場のオペラを上映する「METライブビューイング」を2006年末にスタート。高精細のデジタル映像と高音質で、一流の歌手と演奏家によるオペラを放映している。現在、世界60力国約1900ヵ所で見ることができる。
 日本では全国16の映画館で上映。過去4年で6館増えた。この間、デジタル映写機が急速に普及したことが増加を後押しした。「これまでデジタル機材がなかった地方や小規模の映画館でも上映できるようになり、全く状況が変わった」(配給元の松竹演劇開発企画部の片岡佑輔氏)・・・・・・)」(2012/12/29付「日経新聞」p36より)

なるほど・・・。劇場の臨場感か・・・!!せっかく近くのシネコンでやっているのだから、一度位は“試して”みる価値があるかな・・・と。
“METライブビューイング”のサイト(ここ)を覗いたら「アイーダ」(ここ)という演目が見付かった・・・。というワケで、初日の今日、行ってみたわけ・・・。

自分はいつも、座席は前日にNetで予約する。昨夜予約したときには、他に1件予約済み座席があっただけなので、たぶん今日はガラガラだろうな・・・と、劇場に入ってビックリ。何と、普通の映画に比べて数倍の席が埋まっている。まあ1週間だけの、日に一度だけの上映。しかも今日は初日の休日。でも3500円もする“オペラ”なのに・・・

130119aida 上映時間は4時間弱。時間はまさにニューヨークのメトロポリタン歌劇場(通称:MET)と同じ。向こうは午後1時開演だが、こちらは10時開演。幕と幕の間の時間は、解説とインタビュー。それが終わると幕が開くまで10~15分の休憩で、客先の映像が流れる。まさにMETと同じリアルタイム・・・

幕が開く・・・。映像そのものは、TVの普通のオペラ中継と同じ。各カメラが130119aida1切り替わり、字幕が出る。METビューイングのサイトの謳い文句は「もうオペラグラスなんていらない!」(ここ)だが、その通り。
確かに、劇場に行って見る、という視点で捉えると、歌手の表情などが手に取るように分かるので、まさにオペラグラスはいらない。しかし見慣れたTV中継の視点で捉えると、同じ・・・!!
130119aida2 でも上から見るカットはTVでは見たことがない。本当に真上から映したシーンがある。これは珍しい。
音については、“5.1chサラウンド”と謳っていたが、どうもそのようには聞こえなかった。観客のブラヴォーの声も拍手も画面から聞こえる・・・

劇場に入るときに置いてあったタイムスケジュールに「~生の舞台さながらに、拍手は「ブラヴォー」の歓声を歓迎いたします~」と書いてあったが、さすがに声を出す人は無く・・・

見終わっての感想?? メトロポリタン・オペラの最新作を・・・、と見に行く人は別にして、自分のように、単に「一度くらいは、有名オペラの全曲を見ておかなければ・・・」という者にとって(ここ)、自宅のTVで見るのと、それほどの違いは感じなかった。

ともあれ、前々から全曲みたいと思っていた「アイーダ」を一気に見ることが出来た。物語も単純なので、分かり易かった。
でも、メトロポリタン歌劇場で、過去に1000回以上も上演したという、超有名オペラ「アイーダ」でさえ、集中して見ると疲れた。つまり自分はどうもオペラは苦手のようだ・・・
それにしても予想以上に多かった観客。そっちの方が意外だった・・・。それと3500円という値段をどう捉えるか? 4時間の映画と思えば、そんなものだが、自宅で見るハイビジョンTVと比べると、それだけの価値があったかどうか・・・?

昔の記事で、「せめて、名前だけは知っている、または序曲だけは良く知っているオペラを、死ぬまでに1度は見ておかないといけない・・・」と書いたのだが、どうもその“誓い”も崩れそうになった今日のオペラ見物であった。

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オペラ「フィデリオ」をTVで見る 
「曲を楽しむなら このオペラ」ベスト10 

130119pengin <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月17日 (木)

日経・社会部長の「東大脳の限界を知りました」!?

ウチには全く関係無いけど、そろそろ今年もセンター試験のシーズン。
先日の日経「ザ・コラム」に、こんな記事があった。“東大脳”についての話・・・

ああドラゴン桜 東大脳の限界を知りました
    山中 季広「日経新聞」東京・社会部長
 地元千葉で「ドラゴン桜」と呼ばれた文理開成高校(私立)が今年、入試中止に追い込まれた。6年前に校名を替え、「東大合格」を旗印に掲げた。漫画「ドラゴン桜」を地で行く経営だったが、思うように生徒が集まらなかったらしい。
 「ドラゴン桜」は、経営不振の私立高に乗り込んだ熱血弁護士が1年で東大合格者を出すという物語である。作者の三田紀房さん(55)に尋ねてみると、連載中は講演先各地で「わが校もドラゴン桜方式で進学校化を果たしたいんです」と学校経営者らから話しかけられたという。
 三田さん自身は、一人や二人の東大合格は学校再建の決め手にならないと話す。「新設校の評判を上げる即効薬として、東大合格と甲子園出場がある。東大は甲子園よりはるかに達成しやすい目標ですが、ある年にポッと受かったくらいで経営は好転しません」。知人が勤める野球の強豪校でさえ定員確保に四苦八苦しているのを見て、少子化の深刻さを実感したと言う。

 漫画連載は5年に及び、ドラマにもなったから、ご記憶の方も多いだろう。魅力の一つは主人公が放つ決めゼリフだった。
 「いいか、日本のルールは東大脳を持ったヤツらが作っているんだ」
 「一生負け続けるのがイヤなら、お前らも東大脳に変わってみろ」
 聞けば、三田さんは明治大卒で、20代は父親の残した洋品店の借金に追われたという。熱いセリフには、思うに任せぬ日々に培った処世観がこめられている。
 漫画で紹介した受験技術の大半は、講談社の担当編集者だった佐渡島庸平さん(33)が提案した。灘高・東大卒、本物の「東大脳」である。「狙い目は理科1類(理工系)だとか、作品で描いたのは東大受験生の常識ばかり。参考書ではなく漫画で、しかもとっぴな表現ができたのが受けました」と佐渡島さん。連載では灘高仕込みの勉強法を惜しみなく開陳したそうだ。
 もうひとり、ずぬけた東大脳をご紹介したい。福井一成さん(57)。現役で東大文科2類(経済学系)に合格し、なぜか翌年には理科3類(医学系)を受験してまた受かったという人である。
 30年ほど前、東大受験生だった私は福井さんの合格手記を読み、「世の中にはこんな受験生がいるのか」と感嘆した。
 訪ねてみると、伝説の受験生はいま、医学博士として東京都内の高齢者医療施設で働いていた。いまや日本一の東大合格者数を誇る東京・開成高校のOBだが、「2度東大を受けたのは、あのころの開成が受験界の中位校だったからです」と振り返る。
 「ドラゴン桜ほどじゃありませんが、当時の開成は『とにかく現役合格を増やせ』式の進路指導でした。安全圏の学部ばかり勧められ、素直に文2を受けた。翌年、初心に帰って理3に挑みました」
 福井さんによれば、合格に求められる東大脳は、当時もいまも(1)効率のよい暗記能力(2)高速の処理能力の2点に尽きる。「東大入試はノーベル賞やグーグルの入社試験とは違う。発想力は問われない。5教科を偏りなく記憶する、定石の解法を脳からすばやく引き出す、解くのに時間のかかる超難問は見切る。要るのはそんな力です」
 「時間のかかる超難問」と聞いてすぐ、尖閣など領土問題や巨額の政府債務が頭に浮かんだ。東大卒の官僚や政治家たちの頭脳でも一向に解決しないのはなぜですか。
 「脳科学的に言えば、使う部位が違うからです。たとえば東大数学で使うのは、主に左脳の側頭葉や海馬など記憶を担当する領域。財政や外交の課題を解くには、論理的思考をつかさどる左脳の前頭葉がメーンになる」。交渉ごとには政治的鋭敏さや人間的魅力が欠かせないが、それらは脳内のさらに別の部位が関与するそうだ。
 東大入試で鍛えた側頭葉や海馬だけでは国家的難題はとても解けないわけである。

 このところ東大脳の限界についてしばしば考える。5教科7科目の知識を頭にギューギュー詰め込んで東大にもぐりこんだ私自身、新聞社に職を得てすぐ発想力の乏しさを思い知らされた。何を取材するにもまず過去記事を探す癖を先輩に指摘された。
 30歳で米大学に留学すると、東大式勉強法の弱点を痛いほど悟った。米国の教授たちの厳しさたるや東大の比ではない。「私の学説をなぞるな」「君の意見を言え」。他国からの留学生ははるかに貪欲で、授業では北京大脳やパリ大脳に圧倒されてばかりいた。私がほめられたのは実に二次方程式の解法くらいしかない。
 自分のアタマの限界を母校のせいにするつもりはないけれど、東大は、グローバルな競争で他国に伍(ご)していけるよう東大生をもっと外向きに刺激していただきたい。明治以来、東大は、知識をすばやく答案用紙に再現できる「東大脳」を輩出してきた。欧米に追いつくことが何よりも急がれた時代、それは東大に託された国策そのものだった。だが、この先は違う。日本が殻を破るには、あるべき「東大脳」の定義を東大自身が思い切って変えるほかない。」(2013/01/13付「日経新聞」p10より)

「オーイ、“ドラゴン桜”って知ってるか?」とカミさんに聞くと、さすがマンガ好き!我が意を得たり・・・と、詳しく説明してくれる。自分は初めて聞いたけど・・・
そんな記事を読んで、“ナーンダ、東大卒の自慢話か・・・”では、この話が終わってしまうので、それはそれとして・・・

東大出の人の“頭の良し悪し”は、結局の所、記憶力と処理能力だって・・・。
現役時代を振り返ってみると、確かに東大出の人は優秀な人が多かった。東大以外でも、それなりの有名大学出は、それなりに優秀だった。でも東大出でも、自分とそれほど変わらない人も居た。つまり優秀⇒(結果として)東大であって、東大⇒優秀ではないのであろう。

ところで、優秀って何だ??
仕事もそうだが、あらゆる場面において、求められる能力は千差万別。先日NHK TV「イッピン」で見た燕市のスプーン製造会社の“磨きの達人”は、その道50年のおばさん・・・。
当然、人によって得手不得手の分野がある。たまたま記憶力に長けていた人が東大・・・・であって、それが人間社会の評価の全てではないのだ。

サラリーマン(ほぼ)卒業生の自分も、現役時代を振り返ってみると、会社という組織で優秀な人とは、「人を動かせる(魅力を持った)人」のように思う。人を動かせれば組織を動かす事が出来る。自分ひとりの力なんてちっぽけ。でも組織を動かせれば、何万人分もの仕事が出来る。そして結果も出せる・・・。
そんな意味では、優秀な人・・・とは、豊臣秀吉の若かりし頃かも知れないな・・・。
そして逆に“優秀でない人”とは、ゲンコツでしか人を動かせなかった人。つまり大阪の某高校の、バスケットボール部の顧問教師??

ま、自分なんか、「東大脳」とは縁が無かったので、「東大出のくせに・・・」という陰口を叩かることもなく・・・・・・。(でも自分も東大脳があれば、それはそれで邪魔ではなかったけど・・・残念!)

130117yubiwa <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月16日 (水)

風の画家 中島潔が描く「生命の無常と輝き」展に行く

今日は、カミさんと一緒に、片道3時間弱をかけて、高崎まで“風の画家 中島潔が描く「生命の無常と輝き」展”に行ってきた。

自分が中島潔を知ったのは、前にも書いたが(ここ)、NHKのヒューマンドキュメンタリー「風のImg_00011 画家“いのち”を描く」 (2010年12月23日放送)を見てから。次いで「没後80周年 金子みすゞ展」(2011年2月2日)で、初めてホンモノを見て、その繊細さに感激。そして、ラジオ深夜便で氏の話を聞いたときに(ここ)、清水寺成就院の襖絵が全国で順次公開されることを知ったが、如何せん近くでの公開は見付からなかった。でも、何とかホンモノを見たい・・・。いずれ京都まで見に行こうか・・とまで・・・。(写真はクリックで拡大)
Img_00021 NHKには「 キーワードウオッチ!」という仕組みがあり、キーワードによって番組の放送を予め教えてくれる。それで登録しておいた“中島潔”というキーワードで飛んできたメールが「佐賀イズム「風の画家 唐津くんちに挑む~中島潔とふるさと~」(2012年12月31日(月)午前4:00~)の放送予告。その番組の録画を見て、福岡の次が高崎で公開されることを知ったわけ・・・

高崎では2013年1月2日から2月17日まで公開されている。P10102831 平日狙いで、今日行ってみた。仕事で深谷までは何度も行ったことがあるが、高崎は初めて。まさに地方都市・・・。昼食を駅ビルにあった“峠の釜飯”のレストランで採り、いざ出動・・・。会場の高崎市タワー美術館は駅前。

P10102841 P10102871_2 P10102911

会場には70点の作品。前に「金子みすゞ展」で見たいわしの絵は、かぶりつきで見た。ところが、前半の絵は、展示が遠く、ガッカリしたが、後半の絵は、近寄ることが出来たので、その繊細さを堪能出来た。

しかし京都・清水寺のふすま絵はさすがに圧巻。展示も部屋のふすま部分を切り取った感じの雰囲気で・・・。その存在感たるや・・・・。でも逆に、絵柄が大きいため、繊細感はない。

Img_00031 Img_00041 Img_00051

Img_00091_2 作品は、京都のふすま絵を除くと、2011年など最近の作品が多かった。どの絵もまさに“中島潔の世界”。この左の作品を見ながら、実はワーグナーのワルキューレの騎行」を思い出した。あんまり関係ないけど・・・

平日なので、ゆっくり作品を鑑賞出来た。しかし女性のグループは困る。大きな声で、作品の論評を盛んになさる。じっくりと見ている後ろの声は、邪魔以外のなにものでもない。その点、老夫婦は小さい声で内緒話的に話すので、良いが・・・

作品鑑賞の後には、売店があった。額に入った作品が、まるで展示会の延長のように列んImg_00081 でいる。見ると、10数万円から数十万円まで・・・。これは「レフグラフファイン版画」というのだそうだ。売店にいた人が説明してくれたが、これはデジタル版画で、例えば280部作ったうちの何番という連番が取られており、全ての作品は作者のチェック(監修)が入っているという。もちろんサインもあり、高精度の複製画。しかし高価で手が出ない・・・・・

ともあれ、念願かなった。たくさんのホンモノを身近で見ることが出来た。しかも、平日だったので伸び伸びと・・・。自分の好きなのは、やはり小さな作品。その繊細さたるや、凄い・・・
でも、中島潔ワールドは不思議な世界。童画と称するが、子どもの絵はまさにマンガ。そして風景には風が流れる・・・。日本画とマンガの融合???
それゆえ、パリ・三越エトワール美術館での展示会も、清水寺への奉納も、結果が危ぶまれたという。しかし、その成功は言うまでもなく・・・

付録だが、今日の失敗は、「65歳以上は無料」だということを忘れていたこと。行く前は覚えていたのだが、つい・・・。それを帰ってきてから思い出した。残念!
しかし、ちょうど1年前に行った千葉「ホキ美術館」(ここ)に次ぐ絵画鑑賞のための遠出。まあたまにはこんな事も宜しいのではないかと・・・

(関連記事)
画家・中島潔氏の話 
「没後80周年 金子みすゞ展」に行く 
写実絵画の千葉「ホキ美術館」に行く 

130116bikkuri <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月15日 (火)

「健やかに生き、安らかに逝く」~死への準備

実は、ウチのカミさんが日本尊厳死協会に入っているため、季刊で会報「リビング・ウィル」が送られてくる。先日送られて来た冊子(2013年1月1日号)に、関西支部大会の講演の記録として、こんな記事があった。

健やかに生き、安らかに逝く
   久坂部 羊(作家・医師)

 日本の医療は今や世界のトップレベルにあるのに、多くの人が「安らかな最期」を迎えられないのは、どうしたことでしょう。
 私は在宅医療のクリニックで、非常勤ながら訪問診療を続けていますが、現場では多くの矛盾を抱えています。先日も、私が施設で診ていた末期がんの患者さんが亡くなったあと、病院からこんな報告書が届きました。
 『○○さんは夜間、看護師が巡回したとき心肺停止の状態で発見されましたが、すぐ当直医が人工呼吸器をつけ、心臓マッサージをして蘇生に成功しました。そして翌日、家族が見守る中、お亡くなりになりました』
 それを見て、私はなんと殺生なことをするのかと思いました。安らかに死んでいる者の囗をこじ開け、太い管を入れ、肋骨が折れるような心臓マッサージをして、薬で無理やり心臓を動かしてどうするのか。家族が死に目に会えたからといって、それは家族の自己満足ではないか。
 一方、私事で恐縮ですが、妻の叔父が胃がんで吐血したあと、救急搬送され、人工呼吸、中心静脈栄養、導尿カテーテルなど延命治療のフルセットをつけられ、主治医から、「今夜がヤマでしょう。助かる見込みのない人に、貴重な輸血を続けるわけにはいきません」とまで言われたのに、止血剤が功を奏し、徐々に回復して、無事に退院したという希有な経験もしています。
 医療の現場では不確定要素が多く、なかなか思い通りにいきません。だから延命治療を受けるのも、拒むのも、結果がどうなるか、ある程度わからないという覚悟が必要です。
 だれしも死ぬのは一回きりなので、十分な準備をしておかなければ失敗します。私は多くの患者さんを看取ったので、少しは実態を知っていますが、一般の人はきれい事や無責任なマスコミ情報に惑わされ、十分な準備ができないまま、その日を迎える場合が多い気がします。
 フランスの哲学者パスカルは、「我々は絶壁が見えないようにするため、何か目を遮るものを前に置いたのち、安心して絶壁のほうに走っている」と言っています。死を忌み嫌い、現実を直視しない多くの人は、まさにこの言葉の通り、「苦痛と悔いに満ちた最期」に向かっているように思えます。
 先日、ベストセラー『大往生したけりや医療とかかわるな』の著者である中村仁一氏と対談しましたが、お互いに共通していたのは、いかにほんとうのことが世間に隠されているかということです。効きもしない抗がん剤で自ら命を縮める末期がんの患者、いつまでも元気で活き活きとなどと絵空事にかまける高齢者、何の症状もないのに健康診断や人間ドックに熱心に通い、検査で健康を確認しないと落ち着けない人々。日本には医学的な根拠のない思い込みが蔓延し、その裏で儲ける業界があり、世界でも稀に見る健康不安と過剰医療の国になっています。
 ほんとうのことが伝わっていないことの一例として、「がんで死ぬことのよさ」があります。がんは世間的には蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われていますが、医師の中には「死ぬならがん」という人が少なくありません。それは、医師ががん以外の病気で死ぬ不都合をよく知っているからです。心筋梗塞や脳出血などによる突然の死は、周囲に多大の迷惑をかけるし、自分も思い残すことがいっぱいのまま人生を終えなければなりません。長生きしてあちこち痛み、他人の世話を受けながら、死ぬに死ねないのも耐えがたい苦痛です。身体が元気でも、認知症になればこれまた困ります。それらの死と比べれば、がんは比較的最後まで身体の自由が利き、意識もはっきりしているので、余裕を持って死の準備ができ、なおかつ苦痛に満ちた長生きをしなくてすむので、医師の間では「がん人気」が最近、ひそかなブームになっているのです。
 思う存分長生きして、充実した老後を過ごし、満たされた気持で人生を終えたいなどという絵空事を夢見ているかぎり、地に足の着いた最期は迎えられないでしょう。(以下次号に続く)」(日本尊厳死協会会報「リビング・ウィル No.148」p24より)

この一文を読んで、「絵空事」というキツイ言葉が耳に残る。
なるほど・・・。「思う存分長生きして、充実した老後を過ごし、満たされた気持で人生を終えたい」ということは絵空事か・・・・

そして医師の間では「がんブーム」だという。もちろん誰も、自分が何で死ぬかの選択は出来ない。それが充分に分かっている医師でさえ、がんで死にたいそうな・・・。
でもこんな事を願っていると、いざ、がんと宣告された時の心も持ちようは、随分違って来るのではないか・・・
普通の人は、がんと聞いて茫然自失。しかし“がん希望”の医師は、どうせ一度は死ぬのだから・・・と“ラッキー”と思う???(←どうも信じられないが・・・)

こんな話を書き出すと、決まって16年前に80歳で亡くなった親父を思い出す。前にも書いたが、親父は、いつもの仲間と趣味のマージャンをしながら、何かおかしい・・・と、脳出血で倒れ、次の日に亡くなった。
家族が病院に着いた時には、脳幹がやられていたため、人工呼吸器でやっと生きている状態。それで次の日に、家族で相談して人工呼吸器を外して亡くなった。
死後、親父の遺品を整理をした兄の話によると、突然の死ではあったが、全てが整理してあったとのこと。自分の心の内を表す一切の文もなく、淡々と・・・。

話は飛ぶが、死んだ人の心の内を、後で知ったらどうなるのだろう。
ウチのカミさんは、寝る前に日記を付けているという。そして先日、たまっていた今までの日記を全部処分したという。何を書いていたのかは知らない。しかし、死んだ後に読まれたくない、ということなのだろう。
それが誰であれ、もし死んだ後にその人の日記を目にして、その人の心の内を知ったとき、もし死ぬ前なら取り返しが付く。しかし死んだ後では、残るのは取り返しがつかない後悔だけ・・・
そんな事を考えると、日記は残さない方が良い。そして、残されない方がよい。つまり、表に出たいつもの姿が、お互いの真の姿・・・。

そんな意味でも、親父はなかなかの死に方だったと思う。つまり、日常、如何に死の準備をしていたか、という点で・・・。

さっきの話に戻るが、“がん希望”の理由は、死までの準備の時間が与えられるから、だという。しかしその時間は、死の恐怖と戦わなければならない時間。それをどう評価するか・・・

毎回書くが、自分は実に気の弱い人間。がんと宣告されただけで“ショック死”してしまうほど・・・
よって、やはり自分は突然死がいいな・・・。なぜなら、死の恐怖から逃れられるので・・・
でもその前提として、死への準備が為されていることが必要。
自分も親父にならって、健康な内から準備をしておいた方が良いな・・・と思うこの頃である。
つまり、がんを宣告された瞬間から、準備などどこかへ飛んで行ってしまうに違いないと思うので・・・。
先の医師のような「余裕を持って死の準備ができ・・・」ということは、自分にとってはまさに“絵空事”なのである。

130115panda <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月14日 (月)

「自分だけの時間を大切に」

先日の日経新聞「抗加齢を学ぶ」に、こんな記事があった。

自分だけの時間を大切に
 人生は楽しく、幸福に生きることが最も大切だ。我慢やストレスの多い生活はやめた方が良い。世間の常識に縛られ、周囲の非難を気にしていると、心身に悪いだけでなく、楽しむべき人生が台無しになってしまう。今、悩んだり、悔やんだり、腹が立ったりしていることでも、死ぬ前に思い返せば、大したことではない。
 ところが現役時代は、なかなかこんな心境にはなれない。どうしても毎日起こることが気になり、ストレスなしで楽しく生きるのは難しい。しかし、定年退職後の人生では、考え方や設計次第で楽しい生活を送れる。煩わしい人間関係や見えや誇りなどもなくなる。
 また、他人に対する批判や嫉妬なども無意味になる。まったくの白紙状態から新しいことを始められるのだ。退職前の諸事に引き続きかかわっているのは、迷惑になるだけでなく、時間の無駄だ。
 仕事をやめたら、自分だけの自由な時間を最大限活用しよう。楽しいと感じることを好き勝手にやればよい。他人の評価を気にすることはない。人生は一回きり。自らを振り返り、幸せな楽しい人生だったといえる生活を目指そう。(京都府立医科大学学長 吉川敏一)(2013/1/4付「日経新聞」夕刊p7より)

シルバー族にとっては、なかなか“元気の出る”一文ではある。
今自分が“高齢者”の仲間入りをして、現役時代振り返ってみると、良く働いた、と思うと同時に、よくもまああんなストレスに耐えられたものだと・・・
そのストレスがいかに大きかったかは、未だにその夢を見ることからも分かる。そして見る夢が、ほとんどが対人関係だったことにも改めてビックリする。

現役時代、対人関係は避けることの出来ない“どうしようもないこと”と受け取っていた。もちろんストレスも、自己のコントロール外・・・
しかし、現役から離れ、仏教を知るようになって、「四苦八苦」の“八苦”の中に、「怨憎会苦(おんぞうえく)」(~うらみや憎しみをもった相手と付き合う苦しみ)という言葉があることを知った。(ここ
つまり、対人関係の苦は、お釈迦さまの心の中にもあったほど、苦しみの一つとして、昔から存在していたのだ。
自分は、サラリーマン時代の対人関係は、逃げられないもの、誰でも、どんな状況でも甘受するしかないもの、と認識していただけに、この言葉を知って、“お釈迦さまでも抱えている悩み、苦しみ”だと分かって、何かホットしたことを覚えている。
その“苦”が、上の記事ではないが「他人の評価を気にすることはない。」年代に到達して、やっとこの先が見えた。もう我慢する必要は無いのである。これこそ、定年のご褒美・・・

しかしサラリーマンの悲哀は、上司は何十年経っても上司、ということ。自分だって、同じように元部下は何十年経っても部下扱い・・・。エラそうなことは言えぬ・・・。
まあ自分から進んで参加する“会社の同窓会”は別として、何の肩書きもなく、肩を怒らせる必要のない暮らしが、どれほど楽なものか・・・
それなのに、何故見る?昔の夢・・・・・。最近も夢ばかり見るが、ほとんどが現役時代の夢・・・
サラリーマン時代に染み付いたストレス、トラウマは、そう簡単に拭い去ることが出来ないものらしい。
これに対する“見舞金”は、昔貰った退職金の中に入っていたのだろうか・・・・

P10102711 ところで、今日は雪・・・。天気予報では、明け方から雪、となっていたが、朝起きると雨。昨夜、カーポートにつっかえ棒をしたので、それがおまじないになって雪は降らないのでは・・と思っていたが、昼前から大雪に・・・。休日で良かった・・・。でも雪かきで、腰が・・・

130114oyatu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月13日 (日)

「太陽は真空でなぜ燃える?」

先日の朝日新聞「ののちゃんのDO科学」に太陽の話が載っていた。

「〈ののちゃんのDO科学〉太陽は真空でなぜ燃える?
「太陽が熱と光を出すしくみ」
ののちゃん
 早起きして、初日の出を見たよ。太陽って、すごく遠いところにあるのに明るいよね。
先生 明るいけど、地球には太陽から出る光の22億分の1しか届いていないそうよ。
のの 何が燃えて、あんなに明るくなっているのかな。
先生 もし、石炭などを燃やしてあの明るさを出そうとすると、太陽と同じ重さの石炭でも、1500万年くらいで燃え尽きてしまう計算になるんですって。昔、ケルヴィンという科学者が計算したそうよ。
のの ええ? 太陽の寿命は?
先生 100億年くらいよ。ちなみに、今の太陽の年齢は46億歳。
のの あれ、計算があわないよ。今も太陽は明るいのに。
先生 その通り。しかも、燃えるのに必要な酸素もないし。地球の大気には20%くらい酸素が含まれているけど、宇宙はほぼ真空だからね。実は「燃えている」わけではないの。「核130113taiyo 融合」という反応で大量の熱や光を出しているのよ。太陽の表面は6000度だけど、中心部はとっても高温で1600万度もあるの。核融合反応はすごく高温になると起きるのよ。太陽は、主に水素でできたガスの固まりなの。とても大きくて重いから重力も強くて、ガスが逃げられず星の形に固まっているわけ。中心部の水素ガスは強力な重力で押しつぶされ、2400億気圧というすごい圧力になっているの。この高い圧力と熱でつぶされ、いくつかの反応を経て、四つ分の水素原子核が、一個のヘリウム原子核に融合するのが「核融合」。この反応の際に、ばくだいなエネルギーが光や熱の形で放出されるの。中心部では毎秒400万トンの水素がエネルギーへと変わっているの。400万トンと言っても太陽のおもさは地球の30万倍以上あるから、あと60億年は大丈夫よ。
のの 水素がなくなったら?
先生 水素が全部ヘリウムになったら、今度はヘリウムが核融合反応を起こしてベリリウムを経て、最終的に炭素や酸素ができるの。ベリリウムというのは、宝石のエメラルドの成分ね。太陽や地球にある物質なども、元はこの核融合反応でできたものだと言われているのよ。
のの 炭素の次はどうなるの?
先生 太陽の重さだと、炭素と酸素になって核融合反応は終わり。
のの その後はどうなるの?
先生 太陽はバランスを崩して火星の軌道をのみ込むほど膨張して燃え尽き、次第に冷えて暗い星になると考えられているのよ。 (取材協力=国立天文台の常田佐久教授、構成=竹石涼子)」(2013/01/05付「朝日新聞」e6より)

これは子ども用の記事だが、こんな話を読むと何かワクワクする・・・。自分も子どもの時に、こんな話を読みながら、ワクワクしたもの。将来、科学者になるんだ・・・ナンテ。
しかし大人になってからは、そのワクワク感も無くなり、何となく過ごしている・・・

思い出してみると、自分の実家にはそんな本が色々とあったな・・・。世界七不思議とか・・・。つまり亡くなった親父もそんな本が好きだったらしい。まるで科学とは無縁に見えた親父だったけど・・・・

人生は回る・・・。還暦は歳を一回りして子どもに還ること、とも・・・。自分もだいぶん前に還暦を迎え、今度はカミさんが還暦を迎える番・・・。
まあ、そんな世代にはなったが、改めて本屋で、そんな子どもの頃を思い出して、ワクワクする科学雑誌を買って読んでみるのも、また新鮮で楽しいかもね・・・
“好奇心”は、老化防止にも良いみたいだし・・・

130113chichibanare <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月12日 (土)

マーラー版「第九」のCD

自分はやはり“ミーハー”の代表格。大晦日に行った「ベートーヴェンは凄い!2012」で、初めてマーラー版と称する「第九」を聞いたが(ここ)、そこで三枝さんが紹介していた、(数少ない録音の中での)ヤルヴィ130112jarvi 指揮のCDが、やはり聞きたくなって、つい手に入れてしまった。でも3000円の新品を買おう、という熱意もなかったので、中古CDを・・・。
送られて来たCDは案の定、新品同様。(本もそうだが、CDでも中古品で後悔したことは一度もない。いつも新品同様・・・)(写真はクリックで拡大)

マーラー編曲による第九のCDは、3種類ほどしか出ていないらしい。つまりそれだけマイナーな曲。でもこのヤルヴィ指揮のCDは、2006年の録音で音は良いようだ。SA-CDとのハイブリッド盤。

一通り聞いた感想は・・・。実演で聞いたほど違和感がなかった。一番印象に残った第1楽章の主題の、2つのティンパニの強打。それがCDではさほどに・・・・
第1楽章と、第4楽章のサワリを聞いてみよう。

<マーラー版「第九」#1・4より~ヤルヴィ指揮>

第1楽章のffで、ヘンな旋律が出てくるが(48秒)、これは普段は埋もれているチェロとコントラバスの旋律をトロンボーンとチューバが弾いている。スコアにあるとはいえ、いつも聞いている音楽と違うので、やはり違和感があるね・・・(←ケニチさんの指摘で本文修正)

130112mahler CDのライナーノーツに、マーラーの自筆の写真が載っていた。なるほど、マーラーは、原符のスコアに、朱入れで編曲したのか・・・。まあそうだろうな・・・
しかし、この編曲をどう聞くか・・・。自分はやはり違和感が残った。それは、如何に聞き慣れた音楽で(聞こえる音で)耳が慣らされているか・・・だ。(←ケニチさんの指摘で本文修正)
まあ“試し”で買ったヤルヴィ盤だが、録音も良いので、これからも聞くことになりそう・・・

ついでだが、「ベートーヴェンは凄い!2012」コンサートのプログラムに載っていた「あえて第九CDのベストテンを挙げてみる 樋口裕一」という記事。
4番の演奏が終わった後で、樋口氏と三枝氏のトークがあったが、樋口氏は「第九」のCDを何と270枚以上持っているとか・・・。
その樋口氏が推薦する第1位のCDが、1942年3月のフルトヴェングラー盤だという。曰く・・・
「①フルトヴェングラー+BPO 1942年3月22・24日
 数あるフルトヴェングラー指揮の第九の中でも、これはとりわけ凄味がある。強烈なティンパニが全身を揺さぶり、魂を最高度の高揚に導く。音質が悪いのが残念。」

レコ芸のベストテンでも、「第九」は今まで必ずフルヴェンのバイロイト盤が1位だった。それなのに、270枚の第九の中から、樋口氏はあえてこれを推薦・・・
Img_30151 それで、ついまた聞いてみたくなるのが、ミーハーな自分・・・。CDを手に入れるか・・・
イヤ待てよ・・・と、こんなことを思い出した。確か昔、当時話題になったフルトヴェングラー/ベルリン・フィル盤のLPを買ったはず・・。
それで、納戸のレコードケースから探し出した盤がこれ・・・・。ジャケットImg_30161 に“昭和44年4月7日購入”のメモ。米エベレスト盤のLPである。
ジャケットを見ても録音年代は書いていない。しかし、独唱陣を見て、このLPが1942年3月22・24日録音盤だと分かった。
それを。上のヤルヴィ盤と同じ部分を聞いてみよう・・・。#1と#4の一部。擬似ステレオ化されている。

<フルトヴェングラー+BPO「第九」1942年3月22・24日録音>

確かに、ティンパニの音は強烈・・。それに、相変わらず第4楽章終結部の凄いこと・・・。何とかオケが付いて行っている??

このLPを買った昭和44年(1969年)というと、自分が大学4年の時。この盤が凄い・・という情報源は、たぶんレコ芸だと思うが、それをまさか半世紀ぶりに聞く事になろうとは・・・。
それにしても年月の流れは速い。フルトヴェングラーの演奏会から27年後にLPを買ったわけだが、そのLPを買ってから、もう44年も経っている。
自分も長く生きたものだ・・・(!?)。それにしても、色々と話題を提供してくれた「ベートーヴェンは凄い!2012」であった。

(関連記事)
「ベートーヴェンは凄い!2012」で、本邦初演!マーラー版の「第九」を聴いた 
「ベートーヴェンは凄い!2012」コンサートに行った 

130112miki <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月11日 (金)

国会の定数訴訟~「無効」の備え欠く国会

先日の朝日新聞の社説に、こんな記事があった。曰く・・・

定数訴訟―「無効」の備え欠く国会
 衆院の一票の格差をめぐる裁判が来週から全国ではじまる。計34の小選挙区で選挙の無効を求める訴えがおきている。
 昨年の総選挙は、いわゆる0増5減をうけた区割り作業が間に合わず、最高裁が「法の下の平等に反する」とした議員定数配分のままおこなわれた。
 国会は、その最高裁判決から1年8カ月もの間、格差をたださなかった。手直しは十分できたはずで、憲法違反の選挙だったのは明らかだ。
 「なお時間が必要だった」といった言い訳に耳をかす判決が出るようであれば、人々の批判は、国会を通り越して裁判所にむかうことになるだろう。
 焦点は、違憲選挙という判断にたったうえで、「とはいえ無効にすると国政が混乱する」という事情をくみ、選挙自体は有効とする「事情判決」を言いわたすか、それとも無効判決に踏みこむか、にある。
 最高裁はこれまで、定数訴訟で選挙無効を宣告したことはない。この慎重な姿勢が国会を甘やかし、ひいては司法への失望を呼んだ面は否定できない。
 だが、そうした結論にいたった背景にも目をむける必要がある。無効となった場合、その後の段取りを定めた法律を、国会はつくっていないのだ。
 無効判決が確定すると、提訴された選挙区の議員は身分を失い、補充の選挙が必要になる。そのためには、まず、定数の配分方法や区割りに関する法律を改めなければならない。
 残った議員だけで法案の審議をすることになるが、それでいいのか。再選挙の期限をいつに設定するか。制度が全体としてゆがんでいたのだから、一部の選挙区だけやり直してすむ問題ではない。総選挙で再出発するのが筋だが、内閣の解散権との関係をどう考えるか――。
 解散の制度がない参院についても、あわせて対策を考えておかなければなるまい。
 こうした問題は30年以上前から指摘されていたが、この間、国会は放置し続けてきた。
 あれこれ目配りして無効判決にためらいを感じる司法。それを知りつつ手当てを怠る政治。いつまでも権利が全うされない国民。そんなおかしな図とは決別しなければならない。
 もちろん違憲・無効とされないよう、公正な選挙制度をつくっておくのが国会の務めだ。
 しかしそのことと、「無効」に備えて必要な手続きを決め、混乱を最小限におさえることとは矛盾するものではない。
 法治国家としてとるべき、至極当たり前の対応である。」(2013/01/08付「朝日新聞」社説より)

改めて、「社説とは何だろう・・・」。
広辞苑には「しゃ‐せつ【社説】新聞・雑誌などに、その社の主張として掲げる論説。」とある。
それにしても、上の社説の論調は、厳しい。ここまで弾劾している社説は珍しいのではないか?(中国で、新聞の当局の指示による記事書き換え問題で大騒ぎをしているが、それに比べると、日本は言論の自由がある!?)

自分は、両院の1票の格差について、最近興味深く新聞を読んでいる。そして、この記事を読んで、改めてその根の深さを認識した。
そうなのだ。もし裁判で違憲判決が出ても、それに対応する仕組みが無いのだ。それを裏から見ると、このことが、政治が判決を甘く見る温床に見える。要は国会議員が、そして政府が高を括っていられる状態にあるのだ。
なるほど・・・。確かにこんな仕組みであれば、もし自分が国会議員であっても、放って置くだろうな・・・・。
国会議員の腹の中は、“やっと手に入れた議席。それを自ら削るなど、やるわけがない。選挙を無効にするなら、やってみろ!”・・・??

政治に自浄作用が期待できないとなれば、他にどのような手段があるのか・・・。
前に外国の例を見た(ここ)。
国会議員の選挙制度などは、どの国も同じようなもの。つまり手本は外国に幾らでもある。要はやる気だけ・・・。
自分の足を切らないのは当然。警察が「自分で自分を逮捕するバカがどこに居る」という“うそぶき”と同じ。
つまり国会以外でそれを正す仕組みを作るしかない。でもその法律を作るのは国会の仕事。すると、そんな自分の足を切る法律を作るわけ無いよね・・・。
こんな堂々巡り・・・。ま、日本はいつまで経ってもダメですね・・・

(関連記事)
2012年衆院選、比例区復活当選者125人による格差拡大~3.1倍? 
“仕事は「次の次」の内閣で”~一票の格差 
最高裁の参院選“違憲状態”判決 

130111suteinu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月 9日 (水)

車検をガソリンスタンドで安く済ませた話

我が家の車の3度目の車検を、初めてガソリンスタンドに頼み、安く済んだので、今日はそのお話・・・

我が家の車はトヨタのコンパクトカー。ちょうど買って7年、3度目の車検を迎えた。
自分は今まで、20歳台末に車を手に入れてから、車検は全てディーラーに出していた。しかし先日の中古車の売却で、価格コム経由で意外とメリットがあったので(ここ)、試しに車検も価格コムでどうなるかを調べてみた。
まず価格コムの「車検 比較・見積もり」コーナー(ここ)にアクセス。中古車売却と同じように、郵便番号を入れると、近くの車検代行業者がズラリ。このサイトは、価格コムが運営しているのではなく、リクルートの「カーセンサーnet」という所で行っているとのこと。
出て来たリストには、安価なガソリンスタンドから、高価な日産まで、58,400円~96,220円の値段が並ぶ。一番安い所は、少し遠いので、2番目に安い近くのガソリンスタンドを候補にして見積を頼むと、HPの表示通りの66,450円で、修理する必要があるかどうか見るので車を見せて欲しい、とのこと。

車検の日にちが近付くに従って、いつものトヨタから電話。こちらも、修理が必要かどうか、無料点検をしたいというので、休日に持って行った。40分ほどかけてチェックをした結果は、“発煙筒の交換”以外はOKとのこと。
そして出て来た見積が、定価で12万円ほど。整備を最小限にすると86,000円だという。24ヶ月点検はどうしてもやるので、この位は掛かる・・・。
自分の前のメモを見ると、1回目の車検(新車3年目)が93,000円、2回目が78,000だった。

実は自分は、車検以外の整備を全くしていない。若い頃は半年点検だとか1年点検だとか、ディーラーに言われるままに出していた。しかし、そのうち出さなくなった。でもトヨタ車は優秀。ノントラブル。まあオイルやタイヤ、バッテリーは都度交換しているが・・・

前の車検のときより高いので、やはりスタンドに出そうか・・と、その足で前に見積を取った130109syaken スタンドに行ってみた。まあ、色々な名目で、少しは高くなるのだろうな・・と思いつつ・・・(写真はクリックで拡大)
「ヘッドライトの調整治具が無いので、他に持ち込むので3150円かかる」とのこと。まあ仕方が無いか・・・。トヨタでは8400円するので・・・。
スタンドに車を持って行った帰りの足がないので、無料だという代車を借りることにしたら、保険料の1,050円が必要だという。まあこれも仕方が無いか・・・
ということで、結局、交換が必要な発煙筒を含めて71,700円という見積になった。
よって今回はこれで頼むことにした。価格コムに載っている日産よりも25,000円安く、トヨタの整備無しよりも14,000円安い。しかし価格コムの最低の所よりは、8,000円高い・・・(写真はクリックで拡大)

今朝9時過ぎに車を持って行って、代車の軽で家に帰り、新聞を読んで、昼食を食べていたら、電話・・・。車検が終わった、との連絡。何と3時間半・・・
ホントウに車検が取れているのかな・・・とスタンドに行くと、洗車が終わった愛車が置いてある。
車検証も、自賠責も、24カ月点検の整備票もある。「前輪が片減りしていたので、タイヤを前後入れ替えておきました」とのこと。
ガソリンのサービス券や、ウォッシャー液のサービス券などをくれ、クレジットカードで払ってオシマイ。
「何でこんなに安いの?」「ガソリンスタンドの仕事の合間にやっているので、専用のメンバーが居ないだけ安い」「トヨタの整備と何が違うの?」「ウチも認証工場なので、基本は同じ。でもトヨタなどは指定工場(民間車検場)なので、車検も出来るが、ここは車検場に車を持って行って検査を受ける」「車検票は貼ってあるの?」「貼ってあります」「トヨタは、車検済みのステッカーは、あとから郵送されてきて、自分で貼るが?」「トヨタなどは、まとめて役所に持っていくのでそうなる」「お宅と同じ系列のスタンドのA社は、何で安いの?」「A社は同じ系列だが、いわゆる車検代行で、24カ月の整備を行っていない。整備はあくまでお客さん責任、ということで安くなっている」「しかし3時間半は早い・・・」「まだ正月明けで、車検場も空いていたので・・・」「なるほど・・・・」

「何で値段が違うのか?」の答えは、24カ月点検の値段が違うのと(今回の例では2.6倍)、ディーラーの推奨交換部品による。

結局、車の整備をどう考えるのか・・・の問題。つまり予防保全の考え方だ。
壊れたら修理する、というのが一般的。しかし車は命に関わる。よって、“事前に故障の可能性のある部品は替えてしまう”、という飛行機と同じ予防保全、の考え方が出てくる。
しかし待てよ・・?? その考え方が、車検制度そのものでは?? それに加えて“トヨタ推奨定期交換部品の取替”と“今回の推奨整備”を行うディーラーの整備は、ことによると過剰整備???

カミさんに聞くと、車が事故に遭ったときにも、どうしたら良いかが分からず、ディーラーの担当者を呼ぶ人が居るとか・・・。つまり、田舎の電気屋さんと同じ。田舎の爺さん婆さんは、電球を買うのも、高所の電球交換作業付が当たり前・・・。それでは高価でも仕方が無い。

前に我が家の車の歴史を書いた(ここ)。ウチはトヨタ車ファン・・・
よって、「新車はどうですか?」と言われても、いつも「トヨタ車は優秀。ノントラブルなので、買い換える必要が無い…。もちろん半年点検も1年点検も必要無い…」と言っている。
でも今の車も8年目に入る。例のごとく、あと5年後、13年乗ったあとで、どうするか・・・。70歳でも買い物には必要!?

まあ今回、車検代を節約するとどうなるか・・・を実験してみた。何も変わらないと思うけど、今まで何も考えずにディーラーに出していた車検を、自分も年金生活間近・・・なので、少し変えてみた。
インプットが少なくなるので、もし必要が無ければアウトプットも節約せねば・・・・ね。

(2014/12/26追)
前に記事を書いてから2年経った。今回は9年目の車検。前回の体験をベースに、今回の体験談を追記しておく。しかし、これはあくまでも「予防保全(故障の未然防止)」をしない、“単に車検を通すためだけの体験談”なので注意!

数か月前に、2年前に車検を頼んだガソリンスタンドから郵便が届き、「このチラシを持参すると1万円引き」というチラシ。1万円引きの値段が、価格コムでの値段と同じ。
同じく、ディーラーからも、車検の無料見積もりのハガキが来た。例によって、まずディーラーに車を持って行って、1時間ほど掛けて見てもらう。結果は「“残念ながら”、交換しないといけない部品は無かった」とのこと。見積は、24ヶ月点検等で、13万円。

それから、1万円引きのチラシを持って、前のスタンドに事前見積のために車を持って行った。すると、2年前の対応と少々違う。
「ディーラーさんよりも安くやります」!ん??
出てきた見積は、何と12万5千円・・・。何と5千円安いだけ・・・。
「ディーラーは、部品の交換は必要ないという診断だった」
「いや、タイヤも減っているので2本交換が必要ですし(規定1.6mmに対し、結果は2.3mmだった)、オイルも汚れている(交換後7ヶ月⇒確かに汚れてはいるが)ので交換。ブレーキも車検に通すために分解調整する必要があります」
これは面白くなってきた。
「スタートはあくまでもチラシに載っている7万円で、価格コムの値段。そこから交換する部品の増額は仕方がないが、タイヤの交換やブレーキの調整をしなければ車検に通らないなど、ディーラーは言っていなかった」
「(そんなことを言っても、工場長が・・・。自分は必要ないと思っているんですが・・・)じゃあ、外しましょうか?でも、ブレーキの調整だけはやらせて貰わないと、車検で落ちる」
「でもブレーキなどの重要部品で、もしそうならディーラーでそう指摘するはず」
「じゃあこれも外しますが、もし車検で落ちたら、やり直しの余計は費用が掛かりますが、それで良いですね。それとビーム調整だけはやらないと落ちる」
「それは2年前もやったので、了解」
そして再見積の結果は、(1.0t超1.5t以下で)法定費用5万4千円に、点検料(ビーム調整込み)2万6千円、チラシの値引き1万円を入れて、ちょうど7万円。価格コムの値段と同じになった。ビーム調整代4千円と、基本点検料が6千円高かったが、チラシの1万円値引きと相殺された。(価格コム経由で申し込んでいたら、7万4千円だった) もちろん代車(ガソリン代実費)も無料で借りて・・・。

その結果、分かったことは、
・ディーラーと同じくスタンドも、車検に必要かどうかは別にして、「必要だ!」と称して色々な“車検を通すためには不要な”作業項目を入れてくる。
(今回はディーラーの見積に合わせた?確かにオイルは汚れているし、タイヤもそろそろ交換時期ではあるが・・・。でも基本点検料などの定価が、価格コム値段より高かった)
・それを避けるためには、やはりまず価格コムから、あらかじめメールで見積を取り、それをベースに「ディーラーが“車検に不要”と判断した部品の交換、点検はしない」と宣言することが肝要。
(ディーラーは、ルール的に見積もった点検を簡単には外せないが、スタンドの場合は、ユーザーが「やる必要が無い」と宣言すれば、「仕方がない」となる。「推奨調整をしなければ絶対にダメ」と言われれば、スタンドを変えるしかない)

まあスタンドの事情も分かる。スタンドも人の子。売上を上げるため、まず安い見積(価格コム)で客を呼び込み、「それは最低限の価格で、“この車”は***の交換が必要なのでこうなる」と言って、うまく仕事量を増やせればそれに越したことはない。もし「車検に通す」ことだけが目的なら、繰り返すが「ディーラーが、交換は(車検には)不要と判断している」と言い張るしかない。

それにしてもトヨタ車は優秀である。我が9年目、5万キロのコンパクトカーでも、タイヤ、バッテリー(これだけは安かろう悪かろうなので、トヨタでの交換が安心)、オイル(いつもトヨタで1360円でやっている)を除くと、購入後、一度も車検時の点検以外はしたことが無くても、少なくても9年目の車検は通る。繰り返すが、「予防保全(故障の未然防止)のための整備の必要性」は無視しての話だが・・・。
(昔、新車を買って、まずガソリンを入れなければ・・・、とスタンドに行ったら「オイルが汚れていますので交換しましょう」と言われた。それが自分の場合、トラウマになっている・・・)

(2017/01/10追)
11年目の車検は、ガソリンスタンドではなく「ユーザー車検代行」ここ)で行った。自分はスタンドよりも、こちらで充分・・・。

(関連記事)
11年目の車検を「ユーザー車検代行」で安く済ませた話
カタログの燃費表示と「実燃費」~我が車の歴史 
車を競争入札で高く売った話 

130109sosou <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月 8日 (火)

「2012年・首都圏商業施設の集客力ベスト20」

先日の日経新聞に、首都圏の商業施設の集客力についての記事があった。いわゆる、街の賑やかさの指標だが、そんなものらしい・・・。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

<首都圏商業施設の集客力ベスト20>
①渋谷ヒカリエ
②三越銀座店
③伊勢丹新宿本店
④西武池袋本店
⑤ヨドバシAkibaビル
⑥小田急百貨店新宿店
⑦そごう横浜店
⑧ルミネ新宿
⑨京王百貨店新宿店
⑩池袋サンシャインシティ
⑪ビックカメラ有楽町店本館
⑫東武百貨店池袋店
⑬東京ソラマチ
⑭高島屋横浜店
⑮ルミネエスト新宿
⑯松屋銀座店
⑰東急百貨店東横店
⑱御殿場プレミアム・アウトレット
⑲東急ハンズ新宿店
⑳高島屋新宿店

渋谷ヒカリエ首位に 首都圏の商業施設集客力~「新規開業」が好調
 首都圏の主要商業施設の勢力図に異変が起きている。日経リサーチが首都圏に住む約1万5千人を対象に「直近3カ月以内に利用した商業施設」を聞いたところ、渋谷ヒカリエ(東京・渋谷)が首位となった。東京スカイツリータウン内にある東京ソラマチ(同・墨田)も13位に入り、2012年に開業した目玉施設の好調ぶりを裏付けている。

 日経リサーチのデータベース「首都圏センサス」の調査に基づき、ランキングを作成した。調査は首都圏の約700の商業施設を対象に12年秋に実施した。
130108syuukyaku  2位は三越銀座店(同・中央)で、前年の調査の4位から順位を上げた。10年秋の増床改装の勢いを維持している。前年に首位だったルミネ新宿(同・新宿)は8位に後退した。家電量販店の順位変動も目立っており、前年は上位10施設のうち3施設を占めたが、今回はヨドバシAkibaビル(マルチメディアAkiba)の1施設だけとなった。
 12年5月に開業した東京スカイツリーの足元にある商業施設の東京ソラマチは13位に入り、同年4月にお台場地区に登場したダイバーシティ東京プラザ(同・江東)も23位に食い込んだ。
 12年に開業した3施設の利用動向を首都圏センサスで分析すると、各施設の個性も見えてくる。
 渋谷ヒカリエは女性客が約7割で、男性客を大きく上回った。20歳代以下から50歳代以上まで、幅広い年齢層の女性が訪れている。ダイバーシティ東京プラザと東京ソラマチは女性客が約6割、男性客が約4割だった。
 利用動向で際立った違いが見られたのは「誰と行っているか」だ。
 渋谷ヒカリエは43%が「1人で行く」だったのに対し、東京ソラマチは17%、ダイバーシティ東京プラザは14%にとどまった。渋谷ヒカリエが渋谷駅直結の利便性を生かし、会社や学校帰りの来店客を呼び込んでいる姿が浮かび上がる。
 一方「子ども連れで行く」はダイバーシティ東京プラザが23%に達し、渋谷ヒカリエ(6%)と差が付いた。東京ソラマチは「配偶者と2人で行く」(24%)が目立った。家族連れや夫婦のお出かけスポットとして定着した様子がうかがえる。
 注目3施設の勢いは今年も続きそうだ。
 渋谷ヒカリエは国内最大規模のミュージカル劇場「東急シアターオーブ」も好調で、12月には全館の年間目標来館者数である1400万人を早々と突破した。3月の東急東横線と東京メトロ副都心線などとの相互直通運転開始が追い風とみる。
 ダイバーシティ東京プラザも、当初想定していた初年度売上高目標の300億円を達成できる見込み。東京ソラマチは、隣駅の東武鉄道浅草駅に12年秋に開業した商業施設「エキミセ」との相乗効果を期待している。

神奈川・埼玉・千葉、上位にSC目立つ
 神奈川、千葉、埼玉の3県で「直近3カ月以内に利用した商業施設」を見ると、ショッピングセンター(SC)やアウトレットが目立った。
 神奈川の首位はそごう横浜店(横浜市)で、高島屋横浜店(同)、ラゾーナ川崎プラザ(川崎市)が続いた。JR辻堂駅北口に2011年秋に開業した大型商業施設のテラスモール湘南(藤沢市)も25位に入った。
 SCやアウトレットが上位陣に並んだのは千葉。1位がららぽーとTOKYO―BAY(船橋市)で、3位に三井アウトレットパーク幕張(千葉市)、9位に昨年開業した三井アウトレットパーク木更津(木更津市)が入った。三井不動産系の施設が上位に目立つ。
 埼玉の首位はイオンレイクタウン(越谷市)。そごう大宮店(さいたま市)、ルミネ大宮(同)が続いた。駅ナカ商業施設のエキュート大宮(同)が4位に食い込んだ。」(2013/1/5付「日経新聞」p31より)

これらのベスト20を見ると、新しいヒカリエとソラマチを除くと、どこも、自分も一度くらいは行ったことがあるようだ。しかし、それは過去に“行ったことがある”のであって、“いつも行く場所”では無い。
にぎやかな街に行くのが好きな人が多い。ウチのカミさんも大好き。しかし自分はどうも人混みがキライ。たまたま吉祥寺の街を歩くことが多いのだが、住みたい街の一番人気の吉祥寺なれど、“何でだろう?”といつも思う。特に特別な店があるわけでもなく、普通の街・・・。
でも、特にシルバー族にしてみると、“にぎやかさ”は活力の元。つい釣られて、元気になってしまう・・・。これは良いこと。

話は飛ぶが、先日NHKで「追跡!真相ファイル~海外での老後をなぜ選んだのか」(2012/12/25放送)(ここ)を見た。それによると、“シニア層の間で海外に長期滞在するロングステイを選ぶ人々が増えている。特にフィリピンは気候が温暖なうえに、安い人件費をいかした日本人向け介護施設が多く、人気の渡航先の一つとなっている。”そうだ。
確かに、普通のシルバー族は、老後のインプットとしては年金が多くを占める。そんな限られたインプットで老後を快適に過ごしたい・・・とすると、生活費が少なくて済むフィリピンなどが選択肢に入ってくるらしい。しかし、そこには色々な落とし穴が・・・・。
健保が使えない。日本語が話せるスタッフの居る介護施設だったのに、いつの間にか、話せる人は給料の高い所に転職していって、今は誰も日本語を話せない・・・
挙げ句の果てに、結婚したフィリピン人妻が、住居や家財道具一切を売り払ってドロン・・・。不動産を日本人名義に出来ないスキをつかれて・・・・

お金は無いけど、にぎやかな街のウィンドショッピングで若い人のエネルギーを吸収して若さを保つか、それとも、日本語は通じないけど、温暖で生活費が安いアジアでゆったりと(←たぶん)過ごすか・・・
もちろん日本の田舎暮らしの選択肢もあるけど・・・。

何れにせよ我々シルバー族は、このリストにあるような“喧噪”から一歩離れて、そろそろ“(人生の)整理”に取りかからないといけないのかな・・・と思いつつ、吉祥寺の街を歩いた今夜であった。

130108tougyuu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月 7日 (月)

我が家の庭のお客さま~鳥のエサ台

ウチのカミさんは、鳥が大好き。“飼う=買う”のも、“食う”のも・・・
我が家の“鳥の歴史”のことは、前に書いた(ここ)。でも、犬が来てから(ここ)小鳥は飼わなくなった。

しかし家の周囲に林が多いせいか、小鳥が庭に飛んでくる。我が家のお客さまである。そして最近、カミさんはそのお客さまに、エサをあげることに凝っている。

先日、庭に鳥のえさ台を設置した(ここ)。そうしたら、毎日たくさんの小鳥が来て、エサを突っついているという。それでカミさんの毎朝の日課が、庭のエサを取り替えること・・・。もう今は、小鳥に対する“責任”だとまで言っている。
エサはミカンとリンゴ。それと、Netで見付けたらしく、先日カミさんが鳥用のバードケーキ(いわゆるダンゴ)を作った。
そして次に自分に来た“リクエスト(=命令)”が、「ダンゴを入れるエサ用のかごを、針金で作れ!」。Netで見付けたというエサ籠の写真では、太い針金を円筒状に巻いて作っていP10102321 る。これは原理的に、相当太い針金が必要・・・。それより、何か良い入れ物は無いか・・・と、100円ショップに行った時に、探してみた。そして我ながらこれが良い、と選んだのが、料理用の泡立て器。これならダンゴも入れ易いし、鳥も難なく突っつける。(写真はクリックで拡大)
してやったり・・・と、早速エサのダンゴを泡立て器に入れて、庭のエサ台に縛り付ける・・・。そして待つ・・・・。
次の日にカミさん曰く・・・。「どうも鳥たちは、邪魔みたい・・・」
昨夕、まる一日経ったが、エサのダンゴには、一箇所も突っついた痕がない・・・

カミさんが散歩で、近所で鳥にエサを与えている家を見付けたという。それで昨日、それらを散歩がてら見て回った。
P10102371 一軒目は、葉が落ちた木に、何とリンゴとカキとミカンが“なって”いる!!年末から同じ状態だという。でもカラスも突っつく気配はない。
そもそもこれは、CS(Customer Satisfaction=顧客満足)がなっていない。つまり顧客志向ではないのである。ウチでは、ミカンの取付場所、取付角度まで、自分がカミさんに「こんな角度では鳥が食べづらいではないP10102381 か!!」と指導しているのに・・・・
二軒目は、南に面した庭に、大きなザルにカキが入れてあった。そして、たくさんのスズメやメジロがにぎやかに食べに来ていた。これは良い。
三軒目は、木の枝に、単にリンゴを置いてあるだけ。前は一軒目と同じようP10102421に、リンゴを丸のまま串刺しにしてあったが、半分に切ってあげたらしく、スズメが食べに来ていた。

それにしても、ウチのダンゴに、鳥は見向きもしないとはけしからん。まあ、メイ子(愛犬)用の階段を居間に設置した時にも、様子をうかがって、実際に利用するまでに時間が掛かった。
“信頼し合っている”愛犬ですら、こうだ。よって、一見(いちげん)の“お客さま”である小鳥たちにとって、この泡立て器は“危ない物”。また、新しいエサは“毒ダンゴでは?”と、いぶかっているのだろう。よって、3~4日は様子を見るが、それ以上見向きもしないとすると、顧客志向の視点で見直さないといけないな・・・

何とも平和な、我が家の庭ではある・・・。(でも何でオレが、(別に“鶏肉が大好き”というわけでもないのに、こんな事に巻き込まれるのだろう・・・。トホホ・・・)

130107esa <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月 6日 (日)

ベートーヴェンの作曲料

昨年の大晦日に行った「ベートーヴェンは凄い2012」コンサートのプログラムが、何とも面白い。まさに“ベートーヴェンあれこれ”・・・・
その中に、ベートーヴェン時代の著作料についての記事があり、面白く読んだ。曰く・・・

ベートーヴェンの生きた社会と音楽
   恫朋学園大学教授・音楽学 西原 稔

・・・・
献呈と出版との問題
 19世紀のウィーンでは貴族は音楽家を率先して支援した。当時の慣行として、作曲家が作品を貴族に献呈すると、貴族はその見返りに献呈料を支払うのが常であった。ベートーヴェンはその作品の多くを貴族に献呈しているが、それぞれにおいて献呈料がベートーヴェンに支払われている。この献呈料はベートーヴェンだけでのことではなく、シューベルトも作品を貴族に献呈して献呈料を得ている。たとえば、シューベルトは、《糸を紡ぐグレートヒェン》(作品2)をモーリツ・フォン・フリース伯爵に献呈して、200フロリン※(1フロリンは現在の日本円で1万円程度)の献呈料を受け取っている。この200フロリンという額は、彼が助教師を務めていた時期に得た年収80フロリンの倍以上であり、下級公務員の年収の半分に相当する。ベートーヴェンの場合、交響曲1曲のあたりに献呈料は500フロリンが相場であった。
 献呈された作品に関しては、一定期間、貴族はその作品を独占的に使用する権利を得るのが通例であった。貴族は、芸術家を支援し、また芸術を愛好するということを内外に示すことで社会的な尊敬を得ることができ、作曲家は貴族の支援を得ることで、経済的な安定を図ることができた。
 ナポレオン戦争のさなかであったにもかかわらず、何故にウィーンの貴族は音楽家に高額の献呈料を支払うことができたのであろうか。それは皮肉にも戦争のおかげであった。この戦争はオーストリアの場合、徴兵で集められたフランスの軍隊と、ハプスブルク家との戦争であった。ハプスブルク家は王家であるが、オーストリア市民に従軍の義務はない。そのために同家は多くの傭兵を募って戦争に備えなければならなかった。そのためにハプスブルク家はボヘミアやハンガリーなどの貴族から傭兵を募り、その結果、周辺の貴族は経済的に豊かになった。その一方でハプスブルク家は資金難に陥り、そこで紙幣を乱発し、1811年に通貨の大幅切り下げを余儀なくされる。
 貴族に作品を献呈し、献呈料を得るものの、作品は作曲家に帰属することから、作曲家は出版することで収入を得た。ベートーヴェンは交響曲第5番と第6番、それにハ長調のミサ曲、チェロ・ソナタ(作品69)の出版に際して、総額900フロリンで出版社と交渉に臨んでいるが、交渉はまとまらず、最終的に600フロリンで妥結している。また、19世紀の前期ではベートーヴェンの場合、ピアノ・ソナタ3曲の出版料は100ドゥカーテン(450フロリン)程度が相場であったらしく、彼は1810年、この額でブライトコップフ・ウント・ヘルテル社と妥結している。
 当時は、印税という考え方は取り入れられておらず、出版ということは、出版社が作品を買い取ることを意味した。つまり、作品を一度出版するとその所有権は出版社に移ったのである。さらに、一つの国の内部では、著作権が保護されていたが、国際法がまだ未整備であったために、国際著作権も確立されておらず、ウィーンで出版された楽譜が、廉価で外国で出版することは当然のビジネスとしてみなされていた。この海賊版は作曲家にとって頭を抱える非常に大きな問題で、そのためにその後、ショパンが行ったように、ドイツとフランスとイギリスで同時に初版を刊行するということも、自衛策として取られたのである。・・・・

※注 フロリンの価値
 当時の物価と現在の物価を比較するのはなかなか難しいことと、パンやワインなどの値段の比較となるとさらに難しいために、1820年代~1830年代のウィーンの人々の年収と家賃等を示す。
 歌劇場の主演歌手  4500~4600フロリン(推定4500万円~4600万円)
 宮廷楽長         2000フロリン(推定2000万円)
 宮廷の官吏       400~500フロリン(推定400万円~500万円)
 ブルク劇場の楽長   560フロリン(推定560万円)
 歌劇場の首席奏者  1080フロリン(推定1080万円)
 中等学校の教師    450~900フロリン(推定450万円~900万円)
 小学校の教師     120~250フロリン(推定120万円~250万円)
 (日本の公立小中学校教師の推定平均年収650万)
 ベートーヴェンの1823年の冬の薪代 100フロリン(推定100万円)

 ベートーヴェンが通っていたレストランの食事代 24クロイツァー(1フロリン=60クロイツァー):およそ4000円
 3~5部屋のアパートの年間家賃 250~600フロリン(地域によって異なる):およそ250万円~600万円」(“ベートーヴェンは凄い2012”プログラムp57より)

交響曲1曲の貴族から貰う献呈料は500万円ほど。そして出版社に著作権を売る場合は、「運命」「田園」が他の2曲と合わせて600万円ほどだったとは、何とも安い・・・・。
そして献呈料だが、「ラズモフスキー」のように、弦楽四重奏曲の愛称として後世に名が残るとすると、その費用が数百万円は安いかもね・・・・。

しかし、こんな記事、上のような給料表を見ていると、ふっとその時代にタイムシフトしたような不思議な気分になる。

しかし天才の姿格好は、生活態度を同じく、何とも“品”からはほど遠かったようで・・・
このプログラムには、ベートーヴェンの色々な肖像画の写真も載っているが、楽譜を持った有名な写真は、“こうあって欲しい”という願いで書いたような・・・。つまり、他の肖像画に比べて、あまりに好青年!?(この写真のPDFはここ)(写真はクリックで拡大)

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ともあれ、現代に残っているのは楽譜だけ。つまりどんな生活態度であっても、その作品は不滅・・・
このところ、「ベートーヴェンは凄い2012」コンサートのプログラムを片手に、ベートーヴェン研究!!?の日が続いている。

(関連記事)
「ベートーヴェンは凄い!2012」コンサートに行った 
「ベートーヴェンは凄い!2012」で、本邦初演!マーラー版の「第九」を聴いた 

★(メモ)カテゴリに「音楽の記事(ここ)」及び「生と死を考える(ここ)」を追加。

130106camera <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月 5日 (土)

「温泉の保温効果~湯上がり後も湯冷めしないのはなぜ?」& 初詣

さて今年も、“ヘエー”をコンセプトに、世のニュースを眺めて行こうか・・・
今朝の朝日新聞の、まさに“今さら聞けない+”コーナーに、温泉の保温効果についての記事があった。曰く・・・

温泉の保温効果~湯上がり後も湯冷めしないのはなぜ
       二酸化炭素などで血管が拡張

 温泉が恋しい季節です。温泉に入ると、自宅の風呂よりも体がよく温まり、入浴後も長くポカポカする感じがします。はっきりと分かっていないことも多いそうですが、温泉に含まれる成分がどうも関係しているようです。
 真水を沸かした「さら湯」でも、温度が高ければ体は温まります。お風呂の中では水圧によって押されるので心臓がよく働き、血液の流れが促される結果、同じ温度の部屋にいるよりも温まるといわれます。また、浮力によるリラックス効果も指摘されます。

130105onsen  こうした入浴の効果を、温泉に含まれる様々な成分が、さらに高めているようなのです。温泉は、地下から湧く水の中に、硫黄など19種類の物質のうちの1種を一定の割合以上含んでいるか、温度が25度以上あるもの、と法律で決められています。
 血流を促すことで体を温めるといわれているのが、二酸化炭素です。入浴剤メーカーのバスクリン(旧ツムラライフサイエンス)が鹿児島大などと共同で、血行促進や温熱効果について実験した研究があります。
 二酸化炭素と硫酸マグネシウムを含んだ入浴剤を入れた風呂と、さら湯の風呂を用意。10人が日を変えて10分間ずつ、39度の温度で全身浴をしました。入浴剤入りの方が入ってすぐに血流量が多くなり、風呂から出た後も続いたそうです。皮膚の温度も入浴剤入りの方が高く、風呂から出た後は時間がたつほど差が広がりました。
 バスクリン広報責任者の石川泰弘さんは「入浴剤は温泉成分をもとに開発しているので、温泉の効果といえます」。
 血流がよくなる仕組みはこうです。まず、お湯に溶け込んだ二酸化炭素が皮膚から血管内に入ります。血中の二酸化炭素は私たちにとっては、いわば毒なので、体が早く排出しようとして血流が増えると考えられています。
 「保温効果」を期待できるのが、芒硝(ぼうしょう)(硫酸ナトリウム)や食塩(塩化ナトリウム)といわれています。二酸化炭素と同様の実験を行ったところ、芒硝入りの方がさら湯より入浴後の皮膚の表面温度が高い状態が続いたとする報告があります。
 岡山大病院三朝医療センター(鳥取県三朝町)長の光延文裕教授によると、これら成分が、皮膚の表面でベールのような働きをして熱の発散を抑えると考えられています。ただ、実際にベールのようなものができているのかどうかは確認されておらず、光延さんは「科学的な根拠ははっきりしていないが、経験的に保温効果は認められます」と話します。

 三朝医療センターなどの医療機関では、リハビリなどに血行促進や温熱の効果を利用していますが、わたしたちの普段の生活では温泉に入る機会はそれほど多くありません。光延さんは「市販の入浴剤でも、温泉のような効果は得られます」と教えてくれました。
 昔の入浴剤は色や香り、温泉成分の含有割合などで「雰囲気」を楽しむものが主でしたが、最近は温泉成分を分析し、効果の面に力を入れた商品開発も進んでいます。バスクリンの「きき湯」や花王の「バブ」などは、二酸化炭素入りを売りにしています。バスクリンの石川さんは「濃度や細かな成分は本物の温泉と違いますが、実験などで効果を確かめています」と説明してくれました。
 温泉は広く療養などに使われていますが、研究者の間でも医学的、科学的な根拠がはっきりしないといわれます。入浴を避けた方がよいとする禁忌症や、効能にあたる適応症などの掲示内容について、医学的な根拠をふまえた見直しが検討されています。日本温泉気候物理医学会が、調査の報告書をまとめ、国に提出しています。
<記者のひとこと>
 温泉成分と効果を知っていると、温泉や入浴剤選びがより楽しくなります。ただ、温泉では様々な効能が掲示され、療養にも使われていますが、温泉の効果のメカニズムを研究する人はそれほど多くないそうです。環境省が進めている医学的な根拠にもとづく見直しに期待しています。(川田俊男)」(2013/01/05付「朝日新聞」e6より)

バスクリンは、単なる“温泉ムードのため”だとばかり思っていた。だいたい色がどぎついし、自然の温泉の香り・・・・というには、あまりに乱暴。よってこの入浴剤、カミさんや息子は好きでも、自分が入るときにはあまり入れたことはない。
でもこの記事で人生観が変わった!!
なるほど、実際に効果があるのか・・・。よし!これからは進んでバスクリンを入れよう・・・!!(そもそも自分はホンモノの“ミーハー”なのだ!!)

最初に書いたように、このサイトは自分が“ヘエー”と感心したことをメモっている。しかし良く考えると、それは自分の無知を、世の中に暴露していることではないか・・・・!?まさに、それは恥の上塗り・・・!!?
でも、待てよ!?? この朝日新聞の記事も、「今さら聞けない+(PLUS)」と断っている。つまり、バスクリンで感心しているのは自分一人ではないという事だ。少なくても、朝日新聞のこの記者も同じ・・・。
まあ現役の新聞記者と“同じ頭”なら、許せるかも・・・・??

上の記事と全く関係無いけど、今日やっと初詣に行ってきた。毎年初詣に行く高幡不動尊。それがここ数年の不景気の影響か、ものすごく混むのである。元旦から毎年一日ずつずらして行ってみたが、まるでダメ。駅前から長蛇の列。よって今年は思い切って三が日を外して今日行ってみた。
そうしたら、ちょうど良い混み具合・・・。境内に入ると、正月の気分がまだまだあるし・・・

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列に並んでお参りし、いつもの甘酒屋で甘酒を一杯。しかし毎年、同じ場所に同じ店が並ぶ。よって、習慣的に毎年同じ店で甘酒を飲むことになる。
でも今年は、変化が一つ・・・。帰り道で、何とカミさんが“ゲソ焼き200円”を買ったのだ・・。これは珍しいこと。元来カミさんはゲソ好き・・。それをウマイと食っている・・・。
来年からは、高幡不動でゲソ焼き・・・という事になりそうな・・・

相変わらず、どうでも良いことを書いている。ともあれ、もう自分も高齢者。
体が動くウチに、バスクリンとは言わないで、ホンモノの温泉旅館でゆっくりしよう・・・。
そう言えば、推薦温泉旅館ベスト10なんていう記事を書いたっけかな?? そのためにこのblogにメモっているのだが(ここ)、それは無かった・・・

130105tonari <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月 4日 (金)

正月に“家族”を思う~終わりと始まり

今朝の日経新聞の「春秋」にこんな記事があった。曰く・・・

「「お母さん」。俳優の高倉健さんが亡き母親に呼びかける。雪山での厳しい撮影があった。気を張る役柄も多かった。それもこれも、すべては「あなたに褒められたくて、ただ、それだけで」頑張ってこられたのだと。かつてエッセー集で、そう真情を吐露していた。
 年末年始の帰省で、しばらくぶりに老いた親と時間を共にした方も多かろう。ふだんは自身が子を持つ立場で、あるいは管理職や経営者として、弱みを見せず、身過ぎ世過ぎに肩ひじを張る。そんな大人たちも、親の前では「坊」や「××ちゃん」だ。健さんのように、親の目が自分の支えという人もいるかもしれない。
 日本の「子供」は増えているか、減っているか。小さい子は減少の一途をたどる。しかし親と生きる人、と解釈するなら話は別だ。いま親が存命中の人は、大人から赤ん坊まで約8700万人。総人口の7割だという。試算をまとめた博報堂生活総合研究所は、少子高齢化とは見方を変えれば「総子化」だと位置づける。
 「子供」の平均年齢は終戦直後こそ10代だったが現在33歳。20年後は40歳近い。存在感を増す大人の親子。一緒に旅を楽しんだり、起業したり。転職、子育てと、力を合わせて何かに挑戦したり、人生の困難を乗り切ったりという例が増えているそうだ。高齢化を嘆くより、家族の力を生かす。前向きな発想で生きたい。」(2013/1/4付「日経新聞」「春秋」より)

一昨年(2011年)、10年以上ひとり暮らしをしていた田舎のお袋がホームに入ったため、それまで40年間続いていた、“正月になると両親の所へ帰る”という行事が無くなった。
独身時代は、スキーに行くときは別にして、正月休みは行く所が無かったこともあるが・・・。まあ昔は、正月はどの店も休みだったし・・・
そして結婚し、子どもが出来て、いつの間にか、正月元旦の午後は、田舎の家に兄弟夫婦全員が集まる、という習慣が長く続いた。我々兄弟3人の夫婦と我々の子どもが集い、決まって夕食はお袋と3人のヨメさんで、マグロの寿司を握った。
ウチの子どもたちにとっては、年に一度伯父や叔母に会う貴重な時間でもあり、お年玉を貰う唯一のチャンスでもあった・・・。
そして毎年11人の全員で、応接間で記念写真を撮った。その時の“全員”から、親父と伯母と義姉が居なくなった・・・・。
そして“家に帰る”は、老人ホームへの見舞いに変わった・・・・・。

でも世の中、終わる行事もあるが、始まる行事(?)もある。
昨年3月に息子が結婚したが、この正月は元旦にそのヨメさんたちが家に来てくれた。つまり、今までの我々家族4人に、一人“新人”が加わり、何と家族が増えたのだ・・・。
自分はしみじみと思った。「今まで長い間、両親の所に我々が帰っていたが、これからは我々の所に子どもたちが帰ってくる。集まる場所が変わった。つまり、世代がひとつシフトした・・・」と。
これは極めて感慨深いもの・・・・

それに変わったのが初詣の護摩のお札。今までは子ども2人の分も頼んでいた。でも今年からは結婚した息子のことは、ヨメさんに任せた。よって、自分の分と息子1人分に減らした。これも変わったもののひとつ・・・

話は飛ぶが、先日、兄貴が「もし自分に死が近くなったときは、パイプにつながれて延命するのは絶対に止めてくれ」と言い出した。「いつそうなるか、誰が先は分からないが、もしその意志があるのなら、あらかじめリビングウィル(終末期の医療・ケアについての意志表明書)を書いて置いた方がよい」と教えてあげた。
リビングウィルについては、前に当サイトでも書いた(ここ)。しかし兄貴はリビングウィルを知らなかった。そして自分の持っていった日本尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」(これ)を読んで、それにサインした。義姉が亡くなっているため、それを自分と弟の二人でもっておくことにした。もちろん我々夫婦も、お互いそれを書いて、持ち合っていることは前に書いた。

時の流れと共に、何かが始まり、何かが終わりに向かって動いていく・・・・。
当たり前だが、始まりがあれば、必ず終わりが来る。それは分かってはいる。でもオワリは寂しい。なるべく終わらない方が良い・・・・
よって、今年もオワリの話には蓋をしておいて、新しい始まりの話だけをしながら、1年が過ぎると良いな・・・、と夢想しているこの正月ではある。

(関連記事)
「終末期医療―自らの死生観を語ろう」~尊厳死の宣言書

130104barebare <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月 2日 (水)

「ベートーヴェンは凄い!2012」で、本邦初演!マーラー版の「第九」を聴いた

2012年の大晦日、「ベートーヴェンは凄い!2012」を聞いた。このコンサートについては(ここ)に書いた。今日は、そのコンサートの目玉である、本邦初!というマーラー版「第九」に130101kobaken ついての話である。
実は、当日会場で、三枝さんの解説を聞くまで、そのことを意識していなかった。つまりマーラー版なる「第九」があることすら知らなかった。コンサートの合間の三枝さんの話で、今日の「第九」は“本邦初のマーラー版であり、記念すべき歴史に残る演奏会である”ことを知ったわけ・・・
早速買ったプログラムに、解説が詳しい。それらで、勉強していこう。(写真はクリックで拡大)

三枝さんも笑って言っていたが、N響の首席トランペット奏者・関山幸広氏も知らなかったというマーラー版。自分と同じ・・・。こんな大御所がご存じ無かったので、自分が知らなかったのも当然!?
マーラー版のトランペット  N響首席トランペット奏者・関山幸広
 今年のベートーヴェン全交響曲連続演奏会での第九はマーラー版で演奏すると聞いて、僕は大変驚きました。僕ももう三十年近くオーケストラ奏者として活動してきましたが、第九にマーラー版なんてものがあるなんて初耳でした。演奏したこともないどころか、聴いたことすらないっていう。もう第九に関してはこれまでに何十回、何百回と演奏してきたので、まさかこの歳になって第九のCDを聴いてお勉強するなんてことになるとは夢にも思いませんでしたよ(笑)。
 オリジナルと何が違うかというと、やはり一番の違いは編成の大きさでしょうね。木管楽器は倍管、ホルンは八本、ティンパニまで二人という、まさにマーラーの交響曲を彷彿とさせる大きな編成に編曲されていることです。もちろんトランペットも倍の四人です。これによってオリジナルの第九よりも壮大でパワフルな、それこそマーラーを聴いている感覚ですね。
 もちろん編成を大きくしただけって訳ではないです。次に目立った違いといえば、旋律を金管楽器が補強しているところですね。より音に厚みを持たせたいっていうマーラーの考えなのでしょう。所々キツそうでソッとする場面もありましたけどね(笑)。
 もう一つ大きな違いを挙げるとしたら、これはスコアを見ていて気づいたのですが、ダイナミクスの幅が増えていることですね。オリジナルの第九はpp(ピアニッシモ)からff(フォルテッシモ)までしかないんですが、マーラー版のダイナミクスはpppp(エストレマメンテ・ピアノ)からffff(エストレマメンテ・フォルテ)まで存在するんですよ。これもマーラーの曲などに多く見られますね。極度に弱く、極度に強くって意味なのですが、編成といい、旋律の補強といい、ダイナミクスの幅の増加といい、やはりマーラーらしい聴いていて圧倒してしまうような音楽にしたかったのでしょうね。・・・・・)(当日のプログラムp42より)

大幅に増やしたという楽器群・・・。その前に、そもそもベートーヴェンの交響曲の楽器編成はどうなっているのだろう?
同じく、プログラムに三枝さんの解説がある。
巨大化するオーケストラ  三枝成彰
・・・オケの編成も時代を追うにつれて大きくなる。バロック時代、楽団員の数は15人ほどが一般的だったが、やがて人員を増やすところが現れた。ベートーヴェンも「パリには50人のオケがいる」とうらやましがったらしい。そして定着していったのが2管編成(フルート2、オー130102gakki ボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ1、弦楽5部)であるが、ベートーヴェンは第3番で初めてホルンを3本にし、第5番でトロンボーンを3本、そして第9番で大太鼓やシンバルといった異教徒の楽器、そして声楽を大胆に取り入れた。この後は90~100名規模の3管・4管編成の作品も現われ、ときには5管編成、6管編成、7管編成、8管編成と、どんどんそのスケールは大きくなっていった。
 また、それには楽器の進化にも一因がある。たとえばトランペットはベートーヴェンの初期の作品のころまで、機構上の問題から倍音しか出すことができなかったが、19世紀にヴァルヴやピストンといった新機能が本格的に取り入れられるようになってからは吹けるメロディーの幅が広がり、オケの中でも以前より大きな役割を担えるようになった。この機能の進化が、奏者の人数を増やす発想につながっていったのだと思われる。・・・」(同プログラムp43より

なるほど・・・・
それでは、マーラーはどのように“編曲”した??
分裂した歓喜―マーラー編曲によるベートーヴェン「第9」 矢澤孝樹(音楽評論)
・・・・ マーラーの「改訂」とは何か。それは、大きく分けて3つの角度からなされている。まずは楽器編成。2管編成で書かれていたオリジナル編成を倍管にし、ティンパニを2人に増強、さらに原曲に用いられていないテューバを加える。次に、弦楽器のプルトを細かく分割130102score したり、アーティキュレーションやボウイングに細かな指示をつけ加えたり、音色上のヴァラエティの多様化と表情の隈どりの強調。さらに、声部の補填や縮減、副旋律や新たなパッセージの付加といったテクスチュア自体への介入(1895年ハンブルクの演奏では終楽章にパンダ[別働隊の楽団]を使用したという)。
 これら「改訂」の目的はマーラーによれば、ベートーヴェンの交響曲を、マーラー時代の巨大化したオーケストラと演奏会場において「適切に響かせる」ことにあった。しかし現代の私たちが実際に耳にしてその印象はどうか。
 本日使用されるヨーゼフ・ワインベルガー版の新クリティカル・エディションを用いた、クリスチャン・ヤルヴィ指揮のCDがあるが(プライザー KKC-5119)、そこで聴かれるのは驚くほどマーラー白身の交響曲に接近した姿である。・・・・」(同プログラムp39より)
(上のスコアのPDFはここ

プログラムによる勉強はこの位にして、さてその演奏は??
まず、第九の舞台設営の間に、三枝さんが、管楽器を元に、オリジナルとマーラー版の違いを演奏してくれた。これが良く分かった。つまり、ベートーヴェンの時代には楽器で音が出せないために休符にした部分を、ベートーヴェンがもし音が出せたら、こう記しただろう・・という想定での音符の追加。マーラーはそれをこう編曲した・・・、という演奏である。そして、音符の補強・・・。

後ろで合唱団のための舞台設営が進むが、あんなきゃしゃな台で、数十人の合唱団の重量に耐えられるのかな・・と心配したり・・・
陣容は、指揮者1名+弦楽器61名+管・打楽器:39名+ソリスト4名+合唱230名(予定) =335名だという。
自分もこんな大規模な第九は初めて・・・・
演奏が始まって、なるほど・・・と思ったのは、音の厚みとゴージャスさ・・・。
さすがに違和感はある・・・・。第1楽章の第一テーマの2台のティンパニによる強打にはビックリ。ちょっとやり過ぎ??という感。
付け加えられた副旋律もさすがに違和感がある。特に第3楽章で、ベースのピチカートの伴奏に、ホルンで補強されていた部分は(たぶん)、耳を塞ぎたくなった・・・・。

確かに、マーラー的な、巨大交響曲にはなった。そうだ、プログラムにこんな解説もあった。
「〈第九〉における推理小説的現場検証 金子建志
作曲時のオーケストラの状況に合わせるべきか?
 初演はベートーヴェンが生涯を閉じる3年前、1824年のウィーン。当時のオーケストラの状況は今とは全く異なっていた。「今」というのは曖昧な表現だが、例えばチャイコフスキー、ドヴォルザーク、マーラーといった人達の交響曲が誕生した19世紀の後半以後は、我々が普段接する近代オーケストラが、個々の楽器の構造としても組織としても、既にフォーマットとして確立されていたため、「今」と極端な違いはない。そうした近代オーケストラへのドラスティックな転換は、ベートーヴェンの死後、急激に進んだのだ。
 作曲家・指揮者として近代オケ確立の先陣に立って時代を切り拓いていったのはベルリオーズとワーグナーだが、例えば新時代の夜明けを告げることになったベルリオーズの〈幻想交響曲〉が初演されたのが1830年だから、もしベートーヴェンがもう20年長生きして〈第九〉を最晩年に完成したとしたなら、ここで取り上げるような問題の多くは解決していたのである。ハイドンやモーツァルトの18世紀のオケをモノクロ・フィルム時代にたとえるなら、その最後の巨匠がベートーヴェン、カラー時代最初の天才映画監督がベルリオーズやワーグナーということになろう。
130102gakufu  モノクロからカラーへというイメージの転換に最も寄与したのが、ベートーヴェンの死後、ホルンやトランペットに新たに組み込まれたピストン(ヴァルブ)だ。金管の原型は長い管をそのまま吹くアルペンホルンだが、その構造は水道管やゴムホースを吹いても全く同じで、物理的に共通な自然倍音①しか出ない。ベートーヴェンの時代までのトランペットやホルンは、基本的にその制約の中にあったため、〈第九〉の終楽章冒頭のトランペット②aのように書かざるを得なかったのだ。・・・・」(同プログラムp46より)

この解説を読むと、まさにマーラー編曲の音が理解出来る。そうだ、“モノクロの第九”が、“カラーの第九”に変身したのだ。いや、マーラーの場合は、“3D(立体映画)の第九”かも・・・。
それをどう聞くかは、聞く人の感性の問題。好き嫌いの問題・・・・
自分は、ピリオド楽器の演奏はあまり好きではないが、さりとてこのようなゴージャスな演奏をどう聞くか・・・。
三枝さんが薦めていた「ヤルヴィ指揮のCD」を一度聞いてみたい気もするが・・・・

130102rireki ともあれ、ひょんな事で、人生初でたぶん最後のマーラー版の第九のナマを聞けた。実に良い大晦日であった。よってこのような大胆な企画に拍手・・・・
来年の「ベートーヴェンは凄い!」はどんな企画が出てくるのか・・・
当分、目が離せなくなった大晦日のイベントではある。
(このプログラムに「ベートーヴェンの履歴書」が載っていた。三枝著で中央公論から本が出ているらしい。早速買って読んでみよう・・・)

(関連記事)
「ベートーヴェンは凄い!2012」コンサートに行った 
マーラー版「第九」のCD 

130102lion <付録>「ボケて(bokete)」より

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2013年1月 1日 (火)

「ベートーヴェンは凄い!2012」コンサートに行った

明けましておめでとうございます。
昨夜(2012/12/31)の大晦日は、東京文化会館の「ベートーヴェンは凄い!2012」を聞きに行ってきた。13時から23時40分まで、11時間に及ぶベートーヴェンの全交響曲連続演奏会である。

この演奏会を知ったのは、3年前。つまり2009年の大晦日にこのコンサートの事を知130101kobaken って「来年の大晦日はベートーヴェンを聞きに行くぞ!」と“宣言?”した(ここ)もの・・・・
翌2010年は、マゼールの指揮だったが、チケット争奪戦に敗れた(ここ)。
2011年は、何となく忘れてしまった。それが昨年(2012年)は、12月中旬になって、ふとそのことを思い出し、ヤフオクを覗いてみた。案の定、チケットが出品されている・・・・。
というワケで、今年は“試し”にヤフオクで安い席のチケットを手に入れ、昨晩、視察(?)に行ってきた、というワケ。今日はそのメモである。

チケットは、S席 20,000円、A席 15,000円、B席 10,000円、C席 5,000円、D席 2,000円の5種類。毎年、公演の直前までS席とA席は売れ残っているが、安いC席とD席は発売の最初の数分で完売となる。よって自分は、“C席とD席は、席の数が非常に少ないのでは?”という疑問が前からあった。それが、今回のヤフオクの出品を見ていて分かった。
つまり、ヤフオクにはチケットの種類と座席番号が表示されるため、どの席が幾らかが推察出来るのだ。文化会館の座席表は、(ここ)にあるように、全部で2,303。NHKホールなどに比べると、ほど良い広さ・・・。そして分かった事は、・・・
D席(2000円)は、5階の左右の2列目だけ。つまり32×2=64席なので、全体の2.8%。
C席(5000円)は4階の左右(たぶん)と、5階の正面席なので、290+28=218席、つまり全体の9.5%。
1階の正面は、1列目がA席で、2列目からはS席らしい。1階の左右は、1~2列目はA席で、3列目からはS席らしい。それ以外は分からない。まあこんな席配置だと、やはり安い席は少なく、即完売も分かる・・・。そしてほとんどがS席らしい・・・
今回はそれでも、公演日には売れ残っていたS席、A席も含め、全席完売になっていた。
今後のために、席を少し見て回ったが、4、5階は足乗せ台が付いている。つまり座席が急勾配なので、足乗せ台がないと、足が床に着かない。3階以下は、普通の座席。つまり、4、5階は真ん中の座席へ行くのが大変・・・

座席のことはこの位にして・・・。
130101bunkakaikan 13時前に文化会館に着くが、大袈裟な“のぼり”があるわけでもなく、普通の公演。しかし自分にとっては久しぶりの文化会館。昔のカラヤンの公演(ここ)や、旧日フィルの解散コンサート(ここ)を思い出す。あれから、もう40年・・・・

自分の席は、4階の左サイド。13時に交響曲第1番の演奏が始まる。指揮は小林研一郎、130101bunkakaikan1 管弦楽は岩城宏之メモリアル・オーケストラ。最初の音を聞いて思った。「ここでも立派に音が聞こえる・・・」(まあ当然だが・・・)そして「臨時のオケかと思っていたが、どうしてどうして、なかなかの演奏・・・」。(ほとんど)トチリも無く・・・・。それもそのはず、名簿を見ると、このオケは現役オーケストラの精鋭部隊で作られているようで、N響の現役メンバーも多いようだ。
ティンパニーの音が強く聞こえる。でも納得。つまり、ティンパニーは原理的に振動板が上下方向に振れる。つまり音が上方に行くのだ。だから自分の4階は、水平方向に聞く1階よりも良く聞こえるのだろう。第1バイオリンは席から見えない。よって直接音はたぶん聞きづらいのだろう。でも右耳が壊れている自分は、左右のバランスはどうでも良いので、OK。

演奏が始まって間もなく、左の席のオジサンが、音楽に合わせて頭を振っているのに気付く。それが気になって仕方がない・・・。頭の振りが無くなったと思ったら、今度は手を振り出した。まるで小さな指揮者のごとく音楽を楽しんでいる・・・。舞台がちょうど左下なので、どうしても目に入る。目の中で手が揺れている・・。必死に目をつむって聞いたりしたが・・・。そのうちに止めるだろうと思ったが、結局、11時間の公演中、止まることはなかった。
音楽を楽しむのは良いのだが、これは周囲の人に非常に迷惑。もしリズムを取りたかったら、靴の中の足の指を振れば良い。そうすれば、誰の迷惑にもならない。自分もそうした・・・・。
まあ、このような長丁場の演奏会は、海外旅行の時の、飛行機の席に似ている。10時間近く一緒に過ごす周囲の人は“運命の人”・・・・

2番の2楽章。それは新鮮・・・・。頭に旋律がない。つまりこの楽章の旋律は知らなかった・・・。
エロイカが終わった後に、三枝さんのトーク。今日の第九はマーラー版だという。プログラムを片手にその解説を始めた。プログラムは、会場に入ったときに2千円で売っていたが、ベートーヴェンの交響曲に、今更プログラムも無いだろう・・と買わなかった。しかし、マーラー版についての解説が載っているらしいので、直ぐに買いに“走った”。
この事については、別の記事で書くが、このプログラムはなかなかのもの。2千円は高くなかった・・・。

最近、じっくりと聞くことが無くなった6番「田園」も含め、久しぶりに全曲を聴いた。演奏とし130101jikan ては、7番が一番良かったと思った。案の定、皆そう思ったらしく、7番が終わったとたん、大歓声・・・・(第九については別途・・・ここ
でもこのコンサートの“感じ”が分かった。会場はとにかく暑い。階が上だったこともあるが、冬の服装では汗をかく。そして「出入り自由」とはなっているが、演奏が始まると会場の人の出入りは無い。これは普通の演奏会と同じ。ただ、席によっては、部分的に聞かない人も居て・・・・。でも7番以降は、ほぼ満席。
長丁場だったので、食べ物を持って行ったのだが、結局食べる機会はなかった。ロビーでお握りを食べている人もいたが、夜7時~8時半の夕食休憩もあり、外食時間は充分。自分はアメ横まで食べに行った。

かくして、11時40分に全曲が終わった。自分の席は、端の方だったので、電車の都合で直ぐに退却。でも1階の真ん中の席の人は、なかなか席を立てなかったのでは・・・。つまり拍手が長い・・・。久しぶりのコンサートだったが、演奏が終わる毎の各演奏者に対する指揮者からの紹介と拍手が、非常に長いと感じた。これが普通なのだろうか?一般が良く分からないので何とも・・・

でもこのコンサートは予想以上に良かった。それにしても指揮者は大変。演奏者は1曲毎に交代出来るが、指揮者は一人。それに、まったく手抜きが無い。これはまさに“凄い”・・・・
今回に味をしめて、たぶん来年からは毎年行くことになりそう・・・。つまり、自分的に“年末恒例の行事”になりそうである。問題は、今後の席をどうするか・・・・。右耳が壊れている自分は、安い席でも充分に楽しめそうだが、さて来年はどうしよう・・・。2013年はS席にして、音の違いを確かめようかな・・・・
ひょんな事で実現したコンサートだったが、良い年末となった。

(関連記事)
「ベートーヴェンは凄い!2012」で、本邦初演!マーラー版の「第九」を聴いた
マーラー版「第九」のCD

130101neko <付録>「ボケて(bokete)」より

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