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2012年12月20日 (木)

「俺についてこい」待望論

今朝の「日経新聞」スポーツ欄のコラム「チェンジアップ」にこんな記事があった。曰く・・・

「チェンジアップ~「俺についてこい」待望論  豊田泰光
 混迷のなかにある日本で求められているのは「俺の言う通りやってりゃ間違いないんだよ」と言ってくれるくらいの強烈な指導者ではないか。
 人それぞれ、自分で道を選ぶに越したことはないが、本当に苦しいとき「とにかく俺についてこい」と言ってほしくなることがある。それもまた人間の心理。先日の選挙ではそんなリーダーの出現が待たれたが期待薄で、体調も崩して投票に行けなかった。
 野球の監督にも「俺についてこい」式の人はいなくなった。それはいいことでもあるが、こういうご時世になると、弱小西鉄ライオンズを強豪に仕立てた三原脩さんのようなリーダーが恋しくなる。「俺についてこい」と本人は口にしなかった。しかし、我ら選手が「この人についていけば勝てる」と思っていたのは確かだ。
 本当は強打したいのだが、バントもありかな、と迷っているときにこちらの気持ちをくんで「打て」と決めてくれる。それが三原さんだった。普段は野放しにしていながら、肝心なところで決めてくれる。そんなことが重なり、この人についていけば間違いない、と思うようになった。
 極端なことを言えば、野球の勝ち方は誰でも知っている。理屈に大差はない。問題は人をその気にさせられるかどぅかだ。「所得倍増」や「列島改造」の政治家も一歩間違えばただの食わせ者となるところだったが、人をその気にさせる力があったのだろう。
 リーダーの力を思い知ったのは実は三原さんを失ってからだった。三原さんが大洋(現DeNA)に去ってから、魔法が解けたように西鉄は勝てなくなった。そして大洋はまさかの日本一に輝いた。
 結局監督の力だったのだろうか。「君たちは自分の実力と思っていたかもしれないが、それはうぬぼれだったのではないかな」。三原さんにそう言われているような気がした。
 絶対の指導者についていきたい、誰かにこうしろと決めてほしいという誘惑は思った以上に甘美なものだ。その分、失ったときの揺り戻しも大きい。リーダー頼みには正負の両面がある。(野球評論家)」(2012/12/20付「日経新聞」p37より)

米・オバマ大統領が再選され、日本では安倍総理の再登板が決まり、そして昨日は韓国でも、初の女性大統領の誕生が決まった。
このところ、各国のリーダーが決まっている。さてそれで、世の中が変わっていくのかどうか・・・・

話は飛ぶが、今月の日経新聞の「私の履歴書」は、森喜朗元総理。これがなかなか面白い。自分はこの人のことをほとんど知らないが、この連載を読んでいると、二世議員でない人が首相まで上り詰めていく過程が分かって面白い。氏の父親は、長い間地元の町長だったとのことで、氏が政治と無関係の世界で育ったわけでは無いらしいが、あまた居る二世議員のように、恵まれた選挙環境、というワケではなかったようだ。でも、少なくても大きな顔(&体)は政治家のボスの風格・・・??
それと、小泉郵政解散のときの、解散回避の説得に失敗したあと、テレビでビール片手に「缶ビールしか出なかった・・・。このオレに!だぜ・・」と言っていたパフォーマンスが懐かしい。なかなかの“役者ぶり”だったので・・・。
まあ、この森元総理が「俺についてこい」タイプだったかどうかは知らないが、我々一般ピープルから見ると、小泉元総理などに比べると、何をしたのか、少し印象が薄い・・・。
まあ、「私の履歴書」もあと10日間、つまりまだ1/3あるので、これからの記事で実績を検証しようか・・・

さて、今回の安部新総理。公約を読む限り、逆にあまり「俺についてこい」と暴走しなければ良いが・・・。
国民は、強いリーダーを待望する反面、方向によっては国を危うくさせる可能性もあり、なかなか誰に期待するかが難しい最近の状況である。

121220boss <付録>「ボケて(bokete)」より


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