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2012年11月16日 (金)

「世界で競うには英語力」

英語大嫌い人間の自分でも、こんな記事は気になる。そして「やっぱり英語は必要だよな~~」と思う・・・!?

世界で競うには英語力~頭脳の価値、評価正当に
      カリフォルニア大教授 中村修二氏
 日本人科学者のノーベル賞受賞が続き、日本の実力を世界に示す一方、電機・IT(情報技術)業界では米アップルや韓国サムスン電子が市場を席巻し、日本の影はすっかり薄くなった。有力な新興企業が次々と生まれる米国で大学の果たす役割とは何か。高輝度な青色発光ダイオード(LED)の量産に世界で初めて成功した米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授に話を聞いた。
 ――米国の大学の強みは何ですか。
 「まず感じるのは、世界の標準語である英語を使い、様々なルールや規格、標準化の中心にいることだ。そのため、米国の有力大学には世界中から優秀な学者や学生が集まってくる。米国人に優秀な学生がいなくても大学は最高水準を保てる。これは強い」
 「日本は技術はあるというが、技術を学ぶために日本の大学に世界中から優秀な学者や学生が集まってくるか。教育の中身以前の問題として言葉の壁がある。その現実は無視できない」
 ――日本にも英語重視の動きがあります。
 「不十分だ。学校での英語教育が実践的でないだけでなく、日本企業の採用や教育にも問題がある。日本の企業には米国で博士号を取得したようなエンジニアや研究者が少ない。英語で交渉できる人も少ない。韓国や中国の企業は米国の大学で教育を受けた人を大量に採用し、グローバル化を進めている。この差は大きい」
 「ある程度強制してでも、英語をきちんと話せる教育を施すべきだ。日本人は能力で他国の人々に劣っていない。共通語を身に付ければ必ず勝負できる。自らの技術や製品、サービスについて外国に説明し、売り込めないようではダメだ」
121116nakamura  ――米国では学生や大学教授が関係するベンチャー企業が多いですね。
 「大学に規制が少ないことが大きい。日本は規制がありすぎだ。司法制度一つとってみても日本は判例主義で、前例のないことは認めない。陪審員が大きな力を持つ米国では前例は必ずしも絶対ではない。その時々の正義をベースにルールは変わっていく。新しいことがしやすい環境にある」
 ――日米の大学の違いもありますか。
 「日本の大学では、先生が『本に書いてあること』を教え、学生はノートを取る形が多い。しかし、本にあるのは『歴史』でしかない。歴史学ならそれでもいいが、理系の、特に最先端の研究をしたい学生に本の内容を教えても意味はない」
 「米国の大学では、成功したベンチャー起業家やエンジニアが教壇に立つ。まだ本にもなっていない最先端の生きた知識を学べる。教壇に立つ側も学生の挑戦を受けながら教えるのだから刺激的だ。学生が最先端の技術を学び、それを上回るものを考えつけば起業するわけだ」
 「学生がいいアイデアを考えつけば、大学教授もベンチャー投資家に紹介したり、一緒に起業したりする。教え子が成功すれば教授の名誉にもなる。そうした好循環が次の大きな成功につながる可能性を高める」
 ――中村教授もLED関連のベンチャー企業を起業しました。
 「米国では、大学での研究成果を実際のビジネスで生かし、世の中に還元していくのは当然。大学教授が起業するのも自然のことと受け止められている。日本でも一時期、大学発ベンチャーがもてはやされたが『研究者が金もうけをするのはけしからん』との意識が残ったままでは成功するのは難しいのではないか」
 「大学であろうと企業の研究所であろうと、研究成果である知識やノウハウ、つまり頭脳の価値は正当に評価されるべきだ。米国では研究者が起業する場合、出資しなくても、株式が付与される。『頭脳』に対して株式が与えられるのだが、日本では研究者が資金を出さない限り、株式を受け取れることはない。頭脳に価値を認めていないからだ」
 「しかも日本のベンチャー投資は起業家に保証を求めることが多く、実質的には担保を取った融資だ。一方、米国のベンチャーキャピタルは投資リスクを取って出資する。起業に失敗した場合に起業家が自宅を失って再起不能になるようなことはほとんどないので失敗しても再挑戦しようとする。日米の仕組みや風土の違いは大きい」
(なかむら・しゅうじ 1979年徳島大大学院修士課程修了、日亜化学工業入社。93年に青色LED、95年に青紫色半導体レーザーを開発した。99年に退社し、2000年カリフォルニア大サンタバーバラ校(UCSB)教授に就任。11年には米放送界最高の栄誉であるエミー賞を受賞した。)」(2012/10/25付「日経新聞」より)

この論は、あの中村修二氏が言うのだから説得力がある。サラブレッド育ちではない人の(失礼!)言なので、なおさら・・・。
このように、英語の必要性が世界中で叫ばれていながら、日本ではなぜ遅れているのだろう。韓国・中国のように“先ず英語”という風土が日本に無いのは、何故か?
江戸時代の鎖国の影響?? いや、閉鎖的な日本人の国民性か? それとも日本人は、体質として言葉の習得が不得手!?

ふと大学1年の時を思い出した。入学して入ったサークルに、父親が私大の先生、という女子学生がいた。まさに箱入り娘だった彼女は、父親の勧めで、同時にESS(English Study Society, English Speaking Society 英会話部、英語研究会)にも入っていた。通称を「えっさっさ」と言った。その後、彼女が英語でどのような人生を送ったかは、賀状以外の情報が無いので知らない。
しかし40年前でも、英会話のサークルは存在した。今思うと、先見の明があった!?
英語が試験を前提とした苦痛以外の何物でもなかった自分は、こんなサークルとはおよそ縁が無かったが、今思う事は、“英語が苦手”は“努力が苦手”“勉強がキライ”と同義では無いかということ・・・。(←ハッキリ言って、自分は勉強が大キライ!!!)


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コメント

現在私は、豪州で生活をしています。
やはり英語での生活が一番苦痛です。

小さな子供が親と同じように話をするのに、なぜ私は話ができないのかと、嫌になってきます。

中学から習ってきた英語ですが、全くもって話になりません。
一番最初のABCの発音からして全く通じません。

電話で話をしているときでもスペルを言って下さいと言われて、その綴りのスペルを言うのですが、それすら中々相手に伝わりません。

何であの時の英語の先生はもう少しまともな英語の発音を教えてくれなかったのかと、今になって腹立たしく思います。
(教わったかもしれないが、実際に口に出す発音でのテストの合否は無かった気がする。ペーパーテストでの発音の如何はありましたが)

今現在の英語の教育はだいぶん変わってきているかと思いますが、ABCの発音さえきちんとできていたら英会話の習得も随分楽にできるのかと思っている次第です。

今もって私は、世間でよく言われているRやL、BやVの正しい発音ができないからね。
もちろんそのほかの紛らわしい発音も。

本当に日本の英語教育、何とかしてほしいと思う。

もちろんやる気のある人は独学でも何でも習得してしまうかもしれませんが、やはり学校教育は大事だと思います。

【エムズの片割れより】
英語の本場で暮らしている方も、なかなか通じませんか・・・。
思い出すと、中学に入学する前、雑誌の付録にABC・・・の発音のソノシートが付いていました。その時以来なのですが、受験や大学も含めて、およそ発音とは無縁の勉強でした。
今の大学の入試を、個別試験を止めてTOEICの点数としたら、日本の英語教育の世界も変わるかも知れませんね・・・

投稿: のんち | 2012年11月17日 (土) 07:09

世界とつきあうのに英語が必需だという事実は否定しません。
しかし我々は日本人です。
まず日本語をきちんと使えることが第一だと思っています。
だから、大阪のように小1から英語を取り込むなど全く賛成できません。
思考は言語で行います。
それを無視しては世界とつきあうことなんか不可能だと思うのです。
どうしてもというなら日本語を捨てた方が近道だと思います。
中国人は本来の漢字を捨てたために漢文を読めない人はほとんどのようです。
同じ悲劇を日本人も味わうつもりならの話ですが。

【エムズの片割れより】
あいうえお、を習う小学1年生で英語ですか・・・。
それにしても、英語どころか、日本語が不得手な日本人が多すぎます。よって、英語の前に日本語、と言うと、永久に英語を習うチャンスが無くなってしまうかも・・・ね。
要は、英語教育の中身だと思います。米英に行って、不自由なく生活が出来る生きた英語教育は、現在大学受験の世界で、どうすれば良いのか・・・・??

投稿: 通行人 | 2012年11月17日 (土) 10:40

 私は通行人さんの意見に賛成です。
 しかし、いいものを持っていても英語で交渉し切る語学力がないために悔しい思いをした人が、英語力だァ!と思うのも無理はないな。かといって、思考の基礎としての母語を充分に鍛えないままで、おしゃべり英語ばかりやっても、先が思いやられます。
 我々の世代は会話力としては全然鍛えられませんでしたが、READERの時間は、英語の持つ、日本語と違う思考構造を突きつけてきました。動詞を中心にした4つの文型の学習は、以後、私に「誰が、誰に、何を、どうするのか?」という問いの立て方を習慣にさせました。私にとって英語を学んだ意義は、ここに尽きます。

【エムズの片割れより】
どんな形にせよ、昔の英語の勉強が活きているのは良いですね。自分など、まったく・・・・。
むしろ自分場合は、初めてアメリカに行ったときの、アメリカ人の考え方の違い、文化の違いのショックの方が、その後のビジネスに活きています。

投稿: Tamakist | 2012年11月17日 (土) 11:11

数年前、ノーベル賞をもらった先生が、英語は喋れないし、外国に行ったことがないと仰言ってました。それでも能力と努力があれば、世界で評価される研究ができるのだと知り、英語に弱い私は我が意を得たりという気持ちになりました。
それにしても、明治維新まもなくのころ留学した人達はどのようにして外国語を身につけて行ったのか、えらいと思います。

【エムズの片割れより】
自分もあの先生のノーベル賞には、溜飲が下がりました。決して英語が絶対条件ではないと・・・。
まあ、それはそうなんですが・・・

投稿: かえるのうた | 2012年11月19日 (月) 10:03

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