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2012年11月12日 (月)

立石義雄氏の「私の履歴書」~「英語が危ない」直談判

今月(2012年11月)の日経新聞「私の履歴書」はオムロン会長の立石義雄氏。これがなかなか面白い。我々一般ピープルと同じなのだ!? 曰く・・・

薄氷の卒業 「英語が危ない」直談判 米国赴任を控え武者震い
 「危ないな」。卒業の最後の関門、一般教養の英語の答案用紙を出すと、不安が心の中でどす黒く渦巻いた。こういうときの私の勘は鋭い。
 卒業の「合格ライン」は60点。59点ならあえなく留年。留年は許されない理由があった。父の会社、立石電機に就職が決まっていた。しかも父から初代ニューヨーク駐在員として赴任するよう申し渡されていた。英語のせいで卒業が危ういというのに、米国で仕事をしろとの厳命だ。
 当時、富士通への就職を考えていた私には迷いがないわけではなかったが、父の言葉で「おやじの会社で働こう」、そう決断した。
 卒論の「ベンチャー企業論」はすでに書き上げていた。日本は高度経済成長のまっただ中。家電、乗用車、オートバイなどが世界市場を狙って実力を蓄えていた。ソニーをはじめベンチャー企業も国際的に注目され始めていた。
 立石電機は継電器で培った制御技術を進化させて、「オートメーション企業」に経営の舵(かじ)を切り、工場の生産ラインの自動化を軸に受注を伸ばしていた。
 父が能率学の大家で産業能率大学を創立した上野陽一先生の講演を聴いて、独自の嗅覚でオートメーション技術に注目した。52年のことだ。
 翌年、オートメーション生産システムで世界最先端のフォード社の工場のほか、米国各地の現場を視察して「オートメーションの時代が来る」と確信、この分野に日本でいち早く本格参入した。父は「第二の創業」を宣言した。
 7歳年長の長兄の孝雄と、3つ上の次兄、信雄は立石電機に入社していた。ふたりの兄を支え、縁の下の力持ちになるつもりだった。
 いよいよ「英語が危ない」。そこで先生に直談判を試みた。英語の担当教官は田中彌市郎先生。京都・四条通りの大丸の近くで今も盛業中の日本人形の老舗、「京人形 田中彌」のご子息だ。
 京都市内のご自宅に伺って、私は率直に切り出した。「先生、英語の点数が心配なんです」。さらに就職が決まり、米国に赴任することも打ち明けた。「アメリカで英語を一生懸命勉強します」
 温厚な中年の先生だが、立場上「よし、分かった。任せておけ」とは言えない。不安をかかえたまま、「よろしくお願いします」と頭を下げて帰ってきた。ドキドキしながら結果を待った。英語の成績は「可」だった。無事卒業である。後で点数を聞いてみると、ぴったり60点。
 陳情が奏功したのか、実力で勝ち取った点数なのか。それは確認していないけれども、確かめるまでもない。先生の恩情だったのだろう。お願いに行ったときは手ぶらで行ったのだが、改めて一升瓶を持参してお礼に伺った。田中先生は「がんばれよ」と励ましてくださった。田中先生は同志社を退職された後、お店を継がれた。
 ベンチャー企業として飛躍を目指す立石電機にとって、米国進出は試金石だ。しかし、その先兵の役割を大学を出たばかりで、英語が苦手な三男坊にさせるわけがない。言ってみれば本格進出に備えた布石であり、若い私の武者修行が狙いだったのだろう。だが私は奮い立っていた。(立石義雄 オムロン名誉会長)」(2012/11/08付「日経新聞」「私の履歴書」より)

大学での単位は、得てして人の人生を大きく変える。もちろん自身の責任ではあるのだが、教師も人の子。色々あるのである・・・。
自分も大学時代、ご多分に漏れず、苦い思い出もある。でも何とか乗り切って4年で卒業できた。今考えても、良く卒業できたもの・・・。
1年の時、ドイツ語で非常に厳しいと言われている先生が居た。たまたま自分の学科はその先生ではなかったが、友人の学科はその先生に当たった。結果、多くの人が単位を取れず、2年に上がれなかった。先輩と強いパイプがあった人は、先輩の助言によって、別の先生のドイツ語を受講した。
そして4年の卒業時、必須科目の単位は怖い。この立石氏の例ではないが、たった一科目のことで、長期の就活も無に帰す可能性もある。
もちろん単位を学生に与えるかどうかは、先生の権限。しかし・・・だ。
たった一科目で、人の人生を変えてしまう権限が、幾ら教師でもあるのだろうか?
上の記事での田中先生は立派。自分の判断がその人間に対してどのようなインパクトを与えるのか分かっていたのだろう。世の教師は。こんなケースをどこまで考えているのだろう・・・

医学部の卒業を控え、就職まで決まっていたのに医師国家試験に落ちて、すべてを棒に振った話を前に聞いた。これは仕方がない。非常に公正なので・・・
しかし、大学での単位は、教師によってレベルが非常にばらついている。同じ人間、同じ学力でも、教師によって単位が取れたり取れなかったりする。少なくても自分の時代はそうだった。
こんな話も聞いた。長い苦労の末、一流企業への就職内定ももらい、後は卒業するだけ・・・という段階で、単位が危ない・・。その男は、試験用紙に就職が決まっていることなど、泣き言を書いたのだという。結果、何とか卒業できた・・・。
これは正解。先生も事情を知らなければ、温情の施しようがない。自宅に押しかけて行くのはやり過ぎだが、この場合の泣き言は必要だった。

先日、会社の同僚が裁判員になった。被告の人生を変えるかも知れない…というストレスは、大変だという。裁判に限らず、人の人生を左右する判断を求められる職業は多い。
たまたま自分はそんな職業ではなかったが、今更ながらそんな自分の人生にホッとしている最近である。


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