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2012年10月の27件の記事

2012年10月31日 (水)

「次期政権に何を望むのか」~ブームに弱い日本人

先日の日経新聞「大機小機」にこんな記事があった。

次期政権に何を望むのか
 衆院解散・総選挙が近づいている。再び期待はずれの政権選択にしないために、これまでの問題を整理してみよう。
 まず反省しなければならないのはブームに弱い我々国民のありようだ。移り気な投票行動が政策を不安定にし、衆参のねじれを生んだ。政策への一貫した姿勢があってこそ結果責任も問える。現在の政治の混迷は国民自身の写し絵でもある。
 どんな政策にも良い面と悪い面があることが必ずしも理解されていないことも気がかりだ。
 一例は原子力発電所の問題だ。事故の危険を考えれば全廃が理想的ともいえるが、現実には効率的な原発エネルギーが世界の繁栄を支えている面がある。日本が率先して原発利用をやめれば、産業空洞化、雇用・賃金減少、生活切り下げ、一段の増税につながる可能性もある。力を失った日本に中韓が圧力を強めることも想像に難くない。脱原発のためのコストやリスクについては慎重に考える必要がある。
 オスプレイ問題では、危険性への地元の懸念と怒りは理解できる。ただ、中国の膨張をにらみ日米安保を今後も基軸に据えるのなら、対中けん制上、有効な面もある。配備する以上は安全対策の順守や地元への配慮を徹底すると同時に、機能を有効に生かす努力も大切だ。
 政策の効果を享受するには、ある程度の副作用を甘受する厳しさも必要だ。だが、マイナス面が誇張されるケースもある。有権者には功罪両面を踏まえた賢明なる選択が求められる。
 優れた選択には優先順位が付いているとも言われる。では次の政権に望む最優先課題は何か。それは政府・日銀が一体で取り組む円高修正とデフレ脱却だろう。日本の競争力を左右する問題だ。
 だが、この問題も一面だけで判断される恐れがある。デフレは現役世代には雇用と賃金が減る大問題だが、年金生活者には物価は下がる方がよい。投票で多数派を占める高齢者は必ずしもデフレ退治に賛成ではない。
 求められるのは年金世代の深い思慮だ。円高・デフレが続けば日本の産業基盤が根こそぎ崩壊することに思いを致してほしい。雇用が減れば、年金も維持できない。一面だけの利を追い求めると思わぬ落とし穴があることを、経験豊富な日本のリタイア世代は熟知していると信じたい。(六光星)」(2012/10/24付「日経新聞」「大機小機」より)

米国では、いよいよ大統領選が近い。きっちりと4年に一回の選挙が粛々と行われている。新聞によると、この4年毎に国のトップを決めるという米国のルールは、戦争の下でも、一度も破られないでずっと続いているという。国民も、一度託した以上は自分たちも責任を取る(4年間は見守る)、という仕組みなのだろう。
それに引き替え、日本では、政治家たちが国民不在の政争ゴッコをして遊んでいるが、それは政治家だけの責任だろうか・・・?

先の記事で、「まず反省しなければならないのはブームに弱い我々国民のありようだ。移り気な投票行動が政策を不安定にし、衆参のねじれを生んだ。政策への一貫した姿勢があってこそ結果責任も問える。現在の政治の混迷は国民自身の写し絵でもある。」という一文はなかなか痛い指摘。
つまり今の政治も、自分たちの責任では?と思うと、どうもそうにも思えてくる。投票と世論、という圧力で、政治家たちを踊らせているのは我々自身かも・・・

最近のポピュリズム(大衆迎合主義)や第三極(橋下、石原・・)の騒ぎも、そのお祭りに我々国民が乗ってくると踏んでの活動。
“国民をバカにするなよ”と言ってやりたいけど、本当に言えるのかな・・・

加えて、「求められるのは年金世代の深い思慮だ。」という指摘も耳に痛い。“やっと年金を貰えるようになったのだから、絶対に削られないように・・・・”と自分たちは思っていないか??
どうも自信がないな・・・。自分もまさに平均的日本人・・・・

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2012年10月30日 (火)

「新聞と世論」

少々古い記事だが、先日の朝日新聞にこんな記事があった。

新聞と世論 窓~論説委員室から
 愛媛県松山市の「坂の上の雲ミュージアム」を訪ねた。日露戦争と明治時代の新聞のあり方を紹介した企画展が面白かった。
 司馬遼太郎が自著「坂の上の雲」に記した言葉が展示してある。
 「日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表しない。むしろ流行を代表するもので(略)」
 日露戦争のポーツマス講和条約後に起きた日比谷焼き打ち事件に至る報道を評したくだりだ。
 「新聞は満州における戦勝を野放図に報道しつづけ国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり(略)」
 帝政ロシアとの妥協を知った多くの新聞は政府の弱腰を批判した。新聞と世論がナショナリズムを媒介に激情を燃え上がらせた。
 100年を経た今、日本のメディアは変わったと思う。第2次大戦の反省から出発し、日本を戦争に引き込む道には警戒の目を向けてきた。
 尖閣や竹島問題で隣国のメディアには愛国調が目につく。日本のメディアが比較的冷静に思えるのは、戦後の積み重ねがあるからだろう。
 日中韓とも政治の激動期を迎えつつある。世論と新聞との関係がいよいよ問われようとしている。
 21日まで新聞週間。司馬の言う 「内省力を欠く論調」に陥らないよう自戒したい。(脇阪紀行)」(2012/10/20付「朝日新聞」夕刊p2より)

新聞などのマスコミが、売らんが為だけに国民を煽(あお)り、戦争に突き進んだ日本の歴史は周知の事実。でも最近の週刊誌の広告をみるに、それと変わらないような気がする。
自分はどうも週刊誌は苦手。それに引き替え、亡くなった親父や兄貴は大の週刊誌好きで、週刊新潮、週刊文春など、必ず読んでいた。
それがたまたま先日、橋下市長と朝日新聞が戦争状態になった、週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」という記事を読む機会があった。自分は週刊朝日もほとんど読んだ事はないが、大人しい印象の週刊朝日が、このタイトル・・・。

週刊誌は、中吊り広告を読むだけで充分、との話がある。また、読者は“それなり”に読んでいるので、週刊誌で煽られる事はない・・・のかも知れない。それに、週刊誌はマスコミには入らない???

何れにせよ、売るためだけに事を荒立て、ワイワイ騒ぐマスメディアはどうも気になる。どのメディアも何かを報道するとき、“品性”という言葉を噛み締めて欲しいもの。
そして我々読者は、メディアの報道を鵜呑みにせず、自分の“良識”というフィルターでよく濾(こ)さなければならない。
ま、わかっちゃいるけど・・・・ね。

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2012年10月29日 (月)

「オジギソウは、なぜおじぎする?~関節部分の水が移動するの」

先日の朝日新聞「ののちゃんのDO科学」に、「オジギソウ」の仕組みについての記事があった。曰く・・

オジギソウは、なぜおじぎする?~関節部分の水が移動するの
先生「まず、「おじぎ」をする仕組みから説明しましょうか。オジギソウは、葉枕(ようちん)という、体でいうと関節にあたる部分の作りが特別で、おじぎをしやすくできているのよ。」
「普通の植物だと、茎の表面が固いけど、オジギソウの葉枕は、外側が柔らかいの。いわば動きやすい関節といったイメージね。」
「葉枕の中には、水がためられているのね。葉が刺激を受けると、そこから「刺激を受けた」という連絡が電気や化学物質で葉枕まで伝わってきて、葉枕内にある水を下のほうから上に向け移動をさせるの。」
121027ojigisou 「水が移った上の部分は、水をたっぷり含んで風船を膨らませたように体積が大きくなるの。逆に水が抜けた下の部分は、しぼんで小さくなるわけね。それで葉枕を関節にして枝が下に向けに折れ曲がるの。」
「葉枕を形作る、小さなかたまりの細胞の一つ一つに、水が出し入れされる仕組みがあるのよ。葉が閉じるのも、枝分かれした部分が垂れるのも、この葉枕の仕組みが関係しているのよ。」
のの なんのためにオジギソウはそんな動きをするのかな。
先生「オジギソウが自分の体を守ろうとしているから、と言われているわ。オジギソウが動くのは、指で触ったときだけじゃないの。例えば、雨が降ってきたり、強い風が吹いたりしたときも、葉を閉じて枝を下に垂れるの。下に垂れると、オジギソウに強い雨や風が当たりにくくなるでしょ。だから雨がやむと、ゆっくりともとに戻るわけ。」
「光がすごく強いときにも、触られたときと同じような動きをするのよ。これは、葉で光を受けて、植物が生きるためのエネルギーを作る「光合成」という作用に関係しているとされているの。光が強すぎると、光合成がうまくできなくて、エネルギーを上手に作れなくなってしまうのよ。だから、ちょうどいい強さの光になるまで、葉を閉じるの。オジギソウのかわいいおじぎは生きるために大切なことだったのね。」(取材協力=神澤信行・上智大理工学部物質生命理工学科生物化学グループ准教授、構成=今直也)」(2012/10/20付「朝日新聞」P. e6「ののちゃんのDO科学」より抜粋)

オジギソウについては子どもの時の思い出がある。小学校5年の時の夏休み、家に遊びに来た祖父母にねだって、水戸にあった祖父母の家に泊まりに行った。1週間ほど居ただろうか?その時に、庭にあったオジギソウが面白く、帰るときに家に持って帰った。それを自宅の庭に植え、近所の子どもに分けたり、学校へ持って行ったり・・・。触ると“動く植物”は、なかなかの評判で、エッヘンと思ったもの。

それにしても、いつも家で「原理を考えねば・・・」と言う割には、我ながらオジギをする仕組みは知らなかった。それがひょんな事で、なるほど・・と思ったワケ・・・。

それにしても今まで、いくら“ヘエー”と思っても、その仕組み(背景)までは考えないで、その場で終わっている。それで今頃“ヘエー”・・・
でも自分は、結構舞台裏が好き。つまり、例えばテレビでお菓子を作っている工場のラインなどが出てくると、目を凝らす・・・。そしてうなる・・。ナールほど・・と。

でも自然はスゴイ・・・。このオジギソウ、たぶんまだ我が家の庭にもあったはず・・・。今度見かけたら、関節の部分を良く見てみよう。
腰が低いオジギソウ・・・。だから結構我が家では人気なのである。

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2012年10月28日 (日)

「首相問責の効果」と「伊 ブルドッグ知事選挙“候補”」

今朝の朝日新聞に、参院の首相問責決議についての、こんな記事があった。曰く・・・

「<政治断簡>首相問責の効果 わかっちゃいるけど
         編集委員 根本清樹
・・・・・・・
 いままた、強すぎる参院が政治を右往左往させている。
 先の通常国会で参院が可決した野田佳彦首相問責決議。自民党はこれをタテに、与党の国会運営に揺さぶりをかけ、衆院解散を迫る。
 29日に始まる臨時国会で、参院は首相に所信表明演説をさせない。史上初めてというが、憲法63条に明記された首相や閣僚の議院出席権との関係はどうなのか。
 問責決議の性格や効果を改めて考える必要がある。
 衆院が内閣不信任を決議した場合、内閣は全衆院議員をクビにできる(解散)。さもなくば内閣総辞職せよと、憲法69条にある。つまり内閣と衆院は相討ちの関係にある。
 一方、参院議員はクビにできない。それなのに、問責を理由に衆院解散か総辞職せよと要求し、それが通るなら、参院は内閣よりも衆院よりも強いということになる。
 そのおかしさを、自民党も実は先刻ご承知である。
 「問責決議には憲法上の根拠はまったくなく、これで内閣に総辞職、解散を迫るのは憲法の精神をねじ曲げる」
 2008年6月、当時の谷垣禎一自民党政調会長は衆院本会議でこう弁じた。
 民主党などが参院で、時の福田康夫首相問責を決議し、解散総選挙を求めたことへの誠に正当な反論だった。
 わかっているくせに、やられたらやり返す。わかっちゃいるけどやめられないのは、はしご酒だけにしてください。与野党の皆さん。
 ちなみに造船疑獄が政界を揺るがせた1954年4月、吉田茂内閣に対する「警告決議」が参院で可決され、緒方竹虎副総理は「謹んで承ります」と述べた。総辞職を求める野党は「承りっぱなしにするのか、承ってどうする所存か」と息巻くが、緒方は「承って、将来の戒めといたしたい」の一点張りで通した。 」(2012/10/28付「朝日新聞」p4より)

朝食時、タイムシフトレコーダーで、NHKの朝7時のニュースを見ていたら、愛犬メイ子がテレビに向かって突進して吠えかかる・・・。ウチのメイ子は、テレビに犬が映ると、必ず画面に向かって飛び掛かるのである。何・・?と見ると、イタリアの選挙で、何とブルドックが候補者に・・・だって。

伊 ブルドッグが知事選挙“候補”に
 イタリアでは、政府が厳しい財政緊縮策をとる一方で、政治家が汚職などで摘発されるケースが後を絶たないことから、国民の間に政治不信が広がり、南部のシチリア島では、「こんな政治なら人間より犬に任せた方がましだ」と、犬を知事選挙の候補に見立てて投票を呼びかける運動が話題を呼んでいます。
 イタリアのシチリア州で28日に行われる知事選挙で「候補者」に擁立されたのは、南部のファバーラで飼われているオスのフレンチブルドッグの「ステファノ」です。
 もちろん、犬が本物の候補者になることはできませんが、「今のような政治なら人間より犬に任せた方がましだ」という怒りから、飼い主で地元の飲食店を経営するベナルドさんたちのグループが、ステファノに投票し、抗議の意思を示そうと呼びかけているのです。
 ベナルドさんたちが市内にステファノの選挙事務所を開設し、選挙ポスターやチラシも作ったところ、全国紙にも取り上げられ、州のあちこちから賛同の声や問い合わせが寄せられています。
 イタリアでは、政府が財政を立て直すため、増税や社会保障費のカットなどの緊縮策をとっていますが、26日にはベルルスコーニ前首相が巨額の脱税事件で禁錮刑の有罪判決を受けるなど、政治家の不祥事が後を絶たず、国民の間に政治不信が広がっています。」(2012/10/28 NHK 7AMのニュース
ここ)より)

今の日本の政治を思いながら、どちらにもうなずいてしまった。
日本でも次の衆院選で、誰かが犬の候補者を建ててくれないかな??どの政党にも入れたくない自分は、犬の候補者に1票を投じるのに・・
でも今の政治家は、この“無効票の重み”を自覚しないだろうな・・・。何とも手がない世の中になったものだ・・・。

夕食を食べながら、久しぶりにサザエさんを見た。カミさんが言うには、「テレビはサザエさんが一番。ニュースを見ると悪い“気”が入ってくるので・・・」
そんなこともあり、このところテレビでニュースを点けるとカミさんとケンカになる。ニュースは見たくないと・・・。
でも、新聞とテレビニュースは、自分にとっては趣味・・??
でも犬の方がまし・・という政治では、確かに見る価値はないかもね・・・?

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2012年10月27日 (土)

映画「終の信託」を見る

今日封切りになった映画「終の信託」(ここ)を見て来た。終わった後、カミさんの第一声は「良い勉強になりました。えん罪の作られ方が・・・。直ぐに弁護士を呼ばなければ・・・。そして常にICレコーダーを用意しておかなければ・・・」。確かにそんな所か・・・

121027tsuinoshinntaku1 「それでもボクはやってない」(ここ)と同じ周防正行監督だということで、見る気になった。確かに同じような視点・・・。でも、まず2時間半は長かった。この映画の紹介をみると、“ラブストーリー”とある。自分のこの映画に対する勝手な期待が「リビングウィル(生前遺書⇒尊厳死)」と「えん罪」だったためか、ラブストーリーという視点では印象が薄かった。つまりあまり二人のラブは感じなかった。

まず初めのメインテーマは尊厳死。生前、主治医の草刈民代に、末期のぜん息患者の役所広司が、“その時は尊厳死を・・”と頼むのだが、エビデンスも無く、主治医がただ一人で実行するのは、例え10年前が舞台とはいえ、少々乱暴・・。しかし、ぜん息の発作の役所広司は圧巻。役所広司が、(あまり世には知られていないが)ホンモノのぜん息持ちなので、それを内々知った周防監督が役所を見込んだのでは・・・なんていうバカな妄想をしてしまうほど・・・

そして、検察での取り調べの場面が、この映画の神髄。呼び出し状によって、主治医が検察庁を訪問する場面からこの映画はスタートするが、検察での時間推移が作品全体を貫く背骨になっている。午後3時の指定で呼び出されて、2時半前に行くが、待合室で2時間も待たされる。それも検察のテクニックだという。
121027tsuinoshinntaku そして延々と続く大沢たかお扮する検察官との戦い。それはまさに検察の“見立て”に誘導する権力との戦い。そして、その誘導に素人は嵌って行く。
自分はまだ経験がないが、検察での事情聴取はたぶんこれに近いのだろう。先の遠隔操作ウイルス事件でも、関係のない人が上申書まで書いて自白し、有罪になっているが、その取り調べの現場を覗いた感じ・・・。

でも色々と不自然さも感じた映画だった。原作があるため、周防監督もその枠に囚われたのだとは思うが、先に書いたように、二人のラブストーリーもそんな感じはしなかったし、不倫の場面もかえってこの映画の品を落とす。役所広司が亡くなる場面でも、主治医の取り乱し方は不自然だし、検察官が何も見ずに、何月何日に何をした・・と指摘していく場面も違和感・・・

とは言っても、ラスト数十分の検察の取り調べ場面だけでも、この映画を見る価値はある。この映画では、さすがに主治医が検察官に医学上のことで反論を展開し、見る方もついそれを応援してしまうが、冷徹な検察官は、ただ違法を認めさせることのみに誘導し、そして主治医は破れる・・・
最後の字幕で、“裁判のその後”の展開に、ちょっと“救い”はあるものの、主治医は結局、医者人生を棒に振ることに・・・(実は役者の名前を覚えるのが苦手な自分は、草刈民代という名は、NHKのドラマ「眠れる森の熟女」で最近知った…)

前に書いたイタリアの地震予知の誤安全宣言事件(ここ)ではないが、(イソップの)狼少年の方が確かに楽・・。つまり、何事も“触らぬ神に祟りなし”・・・

この映画、無理にラブストーリーに拘らず、尊厳死とえん罪に的を絞って、展開を早くすれば、もっと中身の濃い映画になったように思う。それにしても「それでもボクはやってない」は心に残った映画だったな~~。

(関連記事)
映画「それでもボクはやってない」を観て

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2012年10月26日 (金)

「発見とは何か~10項目の条件考える」~根岸英一氏の話

日経新聞の「私の履歴書」。今月(2012年10月)は、ノーベル賞受賞者の根岸英一氏だ。その21回にこんな記事があった。曰く・・・

発見とは何か~10項目の条件考える
   豊富なアイデア、特に重要   根岸英一
 「その反応はどのように発見したのですか?」。パデュー大の教授に就き各地で講演していた時のこと。コロンビア大でのセミナーでR.ブレスロウ教授が突然質問した。
ジルコニウム触媒を用いた「アセチレンのカルボアルミ化」という新しい反応を発表したばかりだった。新反応を発見と呼んでくれたことは素直にうれしかったが、そこでハタと考えてしまった。
ある水準以上の発見が限りなく続いて有機合成化学の未来は切り開かれていく。新反応の発見は、有機化学者に課せられた最大の使命の一つのはずだ。それに関する質問に対し信念に基づいた即答ができないとは、大変ふがいないことではないか。
 この質問に対する一義的な答えがあるなら、誰でも毎年あるいは毎月のように何かを 発見してしまうだろう。新反応に限らず、発見はそう簡単ではない。あれこれ考え私なりの発見・発明の条件をまとめた。十数年前に日本の専門誌の巻頭言で初めて披露し、その基本は今でも変わっていない。それは10項目ある。
 発見の大前提には「何か欲しいか」という①願望と「何を必要とするか」という②ニーズがある。そしてそれを目指す③作戦あるいは計画を立てなければいけない。
 発見に向けて最も大切な項目は、ブラウン教授に学んだ④系統だった探索だ。ただしこれを進めるためには、知性的な側面から3つの項目が欠かせない。⑤豊富な知識と⑥豊富なアイデア、そして⑦正確な判断だ。
 アイデアは計画の実現のために特に重要だと考えている。大学の研究で学生や博士研究員がアイデアを持ってきた時、私は必ず「ほかにどういうアイデアを考えているのか」と聞いている。少なくとも5~10個、望ましくは20~30個のアイデアを持ち、最良と思われるものを検討すれば、よい結果に結びつく確率は高くなるはずだ。
121026rireki  知性面以外にも必要な条件が2つある。探索に向けた⑧意思力あるいは意欲と、探索をあきらめない⑨不屈の行動力だ。私自身「エターナル・オプチミズム」という姿勢を貫いてきた。日本語に訳すと「永遠の楽観主義」になってしまうが、ここには絶対にへこたれないという意味合いが含まれている。
 実際に実験を始めると、うまくいくことはほとんどない。では何回、失敗を続けられるのか。私は思ったような結果が1ヵ月出なければ、いったん棚上げする方針を決めている。別のテーマに取り組んでいるうちに、失敗した実験がだんだん客観的にとらえられるようになる。違う視点から別のアイデアが浮かび、再挑戦する。それを繰り返してきた。
発見の条件の10番目の項目は「セレンディピティ」だ。スリラン力の3人の王子が思いがけない発見をする昔話に基づくこの才能は、最近とても重要視されている。しかし私は最後に置いた。多くの場合にセレンディピティがなくとも発見は可能と考えている。中心はあくまで、系統だった探索だと確信する。
 テレビ番組でこの発見の条件を話したら、音楽家の松任谷由実さんが見ていて感激し、対談に招いてもらえた。私も感激した。(有機化学者)」(2012/10/22付「日経新聞」「私の履歴書」より)

この記事に詳しい解説がない「セレンディピティ」について、wikiで調べてみた。
「セレンディピティ(英: serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。」だそうだ。

さて、この論、何にでも通用する考え方ではないかと思う。例えば、自分がまだ若く独身で、何とか若い可愛い(例えばメイちゃん(←実はウチの愛犬)みたいな)女性をゲットしたいと考えるとする・・・。すると、
①「願望」~若い可愛い妻が欲しい
②「ニーズ」~両親がそろそろ孫が見たいと言っている
③「作戦・計画」~どこで探す?友人のツテ?親戚のツテ? それとも結婚相談所?・・・
④「系統だった探索」~一番可能性のある所から当たろう・・・
⑤「豊富な知識」~紹介された女性とどんな話をする?
⑥「豊富なアイデア」~そしてデートの場所は?
⑦「正確な判断」
~おっ!脈がありそう!?
⑧「意思力あるいは意欲」~絶対に彼女を見付けるぞ!
⑨「不屈の行動力」~友人からの紹介がダメなら、親戚に頼もう・・
⑩「セレンディピティ」~天は必ず自分に味方!!

ここまで書いて、さすがにバカバカしくなってきたな・・・。これは多分に昨夜見た、菅野美穂と天海祐希のテレビドラマ「結婚しない」の影響だな・・・・。ったく、いい年をして!?

しかし、この「発見の条件」。発見以外でも通用する。例えばメーカーがよく起こす品質事故。先ずは事故原因を探さなければいけない。それには系統立った探し方をしないと、いつまで経っても原因が分からない事になる。
昔、原発設計の部門と一緒に仕事をした事がある。自分たちがある品質事故を起こしたとき、その連中は、大きな黒板に、考えられる原因をツリー状に解析し、それぞれを検証するための道筋を作って行った。スゴイ早さで・・・。それはFTA(Fault Tree Analysis=故障の木解析)であった。
どんな問題解決にも、科学的に系統立って考えるのが一番。根岸さんのこの「発見の条件」はその思考方法について、参考になる。
最後に話は脱線するが、ウチのカミさんを見ていると、判断は全て“カン”・・。それで人生を謳歌できるのだから、科学的な解析方法なんて、日常生活では必要ないのかな・・・なんて弱気になったりして・・・。(カンで生きる女性は、人類ではない??)

<付録>愛犬メイ子が、今日、また後ろ右足を上げてケンケンして歩くようになった。もう10歳。しばらく良かったのだが・・・。早く良くなってくれ~~。散歩が出来ない!!

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2012年10月25日 (木)

イタリア地震学者らの誤安全宣言に禁錮6年

今朝の朝日新聞「天声人語」は、先のイタリア「ラクイラ裁判」についての話題だった。曰く・・・

「知る者は言わず、言う者は知らず」という。物事を深く理解する人は軽々に語らない、との戒めだ。世の地震学者は今、この言葉を呪文のように唱えていよう。
3年前にイタリアで起きた地震で、直前に「安全宣言」を出した学者ら7人に、禁錮6年の判決が下った。危険を十分に知らせず、被害を広げた過失致死傷罪。求刑の4年を上回る厳罰である。
一帯は当時、群発地震に見舞われ、不安が募っていた。発生6日前、7人は「知る者は語れ」を期待されてリスク検討会に臨む。結論は「大地震の予兆とする根拠なし」、防災局幹部は「安心して家にいていい」と踏み込んだ。遺族会によれば、やれやれと帰宅した中から30人ほどの犠牲者が出た。
死者309人、被災者6万人の現実は重いが、専門家は実刑に戸惑いを隠さない。山岡耕春名大教授は「驚いた。学者の責任を厳しく問えば、自由な発言や本音の議論を妨げる。長期的には住民にも不利益では」と語る。
口が災いの元では、学者たちは黙り、万一の備えが綻(ほころ)びかねない。同じ地震国の住人として、科学の手足を縛るような判決には首をかしげる。弁護側は「まるで中世の裁判」と控訴する構えだ。
福島の原発事故でも、東電や政府の関係者が民事と刑事の双方で訴えられている。被告席の背後にどっかと座る「安全神話」は、一片の安全宣言より罪深い。再び神話に頼ることのないよう、原子力に携わる全員が口を開く時だ。安全に関する限り、沈黙は「禁」である。 」(2012/10/25付「朝日新聞」「天声人語」より)

この判決には驚いた。確かにプロとして、ジャッジは間違った。しかも明確に・・。しかし、刑務所に6年、という罰はどうだろう?しかも求刑4年に対し、判決は6年。
今回の福島原発事故でも問題になっている通り、一般国民への告知は政治的な思惑も絡む。そして希望的観測が一人歩きする。最悪値を考えたくない・・・と。

昔見た、映画「日本沈没」を思い出した。小林圭樹扮する田所博士が、日本が沈没するという事実を「気が狂った」状態を装ってテレビで言う。大衆は、狂人が言うのだから・・と“それなりに”聞く。ここには、真実を受け止められない国民に、どうそれを伝えるか・・という一つの解が示されていた。

同じく、韓ドラでは、王様の主治医は、王様が亡くなると死罪に処されるしきたりという。王様の命を助けられないのは、確かに重い罪だが、かといって人間は誰も死ぬ。つまり、王様が死ぬときに主治医だった医師は、実に運が悪い・・・、という事になる。よって、王様が高齢になってからは、誰も主治医のなり手がいないのでは・・?

地震予知も同じ。もし予知を間違えたときには、刑事罰に問われるとすると、バカバカしくて予知メンバーのなり手は居なくなるだろうし、たぶん地震学者は家族親戚だけを逃がして、だんまりを決め込むことだろう。

ところで、予知できなかった先の東日本大震災の時の地震学者たちは、どう評価されたのか・・・。地震学会での自己反省の様子はテレビに流れていたが、地震後、マスコミも含めて吊し上げるような極端な非難の話は聞かなかった。しかしそれは、「無視」を意味するのかも・・・。
イタリアのように、予測が外れて罪に問われるほど地震学者に期待されていることが良いのか、それとも日本のように「無視」されるほど、影が薄い方が良いのか・・・。
このイタリアの裁判は、刑事罰に処する以外に、もっと手段があるような気がして、違和感が残った。

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2012年10月24日 (水)

森若里子の「思い川」

今日は、なぜかド演歌・・・。突然こんな音楽が流れてくると、ビックリ?? 当サイトをどこのどなたがご覧になっているかは知らないが、まあマイペースで・・・
今日は、森若里子(もりわか・さとこ)の「思い川」の紹介である。しみじみとした旋律は心に滲みる・・・。

<森若里子の「思い川」>

「思い川」
  作詞:星野哲郎
  作曲:船村徹

寒いでしょうね ふるさとは
ごめんなさいね 行けないで
乳房知らない わが子のために
誰の祈りか 紙の鶴
ゆれて流れる 思い川

終着駅の 向うには
灯りもあれば 愛もある
くらい宿命を ひきずりながら
負けてしまった 弱虫の
こころ励ます 思い川

がんばりましょう あなたしか
あなたを救う ひとはない
そりゃあ死ぬのは なんでもないが
生きるつらさを のりこえりゃ
春が又くる 思い川

森若里子では、前に「女の川」(ここ)を紹介した。今日の「思い川」はその姉妹編と言うべきか・・・。共通点はまさに星野哲郎と船村徹のコンビ・・・。
実は自分にとっては、歌詞よりも旋律の方が重要なのである。つまりは自分は船村音楽が好きなのであ~る。船村節は、それ以外に「紅とんぼ」(ここ)、「風雪ながれ旅」(ここ)、「哀愁のからまつ林」(ここ)を紹介した。
自分的には、船村音楽の中での一押しは、やはり島倉千代子の「哀愁のからまつ林」だ・・・・・

さて、音楽は誰でも何かの思い出につながるもの。この歌は、2004年11月に、お袋と伯母とを連れて、伯母の菩提寺がある焼津に墓参りの小旅行をした時のことを思い出す。ちょうど左手に富士山が見える道を走りながら、カーステレオでこの森若里子を流していたら、やおらお袋が「この歌は誰だ?」と聞いてきた。自分の歌にして、カラオケで歌いたいのだと言う。それで、我が家でこの歌をお袋にカラオケで歌わせ、それを録音して持って帰ってもらったっけ・・・・。
その後、お袋が地元の老人会で、カラオケでこの歌を歌ったかどうかは聞いていない。
そのお袋も今はホーム。もうカラオケで歌うこともあるまい。
何とも、ほろ苦い「思い川」ではある。

(関連記事)
森若里子の「女の川」 

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2012年10月23日 (火)

「夫の後ろ姿見て家事分担の子ら」

先日の朝日新聞の投書欄「声」にこんな記事があった。曰く・・・

夫の後ろ姿見て家事分担の子ら
    パート女性(名古屋市 49)
 ドイツに留学中の娘は、寮でドイツ人の男子学生2人とルームシェアしている。驚くのが彼らの食事の後かたづけ。男性らは食べ終わると直ちに立ち上がり、食器を洗う。ふきんで拭く。棚に収める。役割を分担して片づけてしまう。
 我が家でも、3人の子どもが小学生のころから、夕食時の洗い物は当番が担当し、食事時間のずれる高校生・大学生は、各自で行うルールが守られている。これができたのは、自ら進んで洗い物をする夫の、まさに「後ろ姿」を見てきたことが大きいだろう。
 父親はいくら職場で奮闘しても、子どもたちは家庭で毎日直視する生の姿が現実的であり、その姿を冷静に見ている。これからの子育ては、「父親力」がさらに必要とされるのではないだろうか。」(2012/10/21付「朝日新聞」p11「声」より)

この投書をどう読む?? 多くのお父さんにとっては、耳の痛い話・・・
しかし、子どもが“家庭”から受ける影響は計り知れない。良くも悪くも・・・。考えてみるとそれは当然のこと。何せ、子どもは他の家庭を知らないのだから・・・
子どもは「お泊まり」が好き。伯母や祖母などの他の家庭に滞在し、その家庭で日々当たり前のように行われている所作にビックリする・・・。そして、自分の家庭が絶対ではない事を知る。

それにしても、この投書の父親は偉い。たぶん意識せずに後ろ姿を見せていたのだろう。
自分が子どもの時はどうだったか? 反抗心旺盛だった自分は、親父から幾ら叱られても「(親父は)言葉だけ…」「自分はどうなんだ!?」という反抗ばかり…。後ろ姿など、見たことはない。いや、後ろ姿を見ようとはしなかった。(むしろ、後ろ姿(=スキ)を見せたら蹴飛ばしてた!?ま、典型的な次男さ)
次に、自分の子どもに対しての態度は?? うーん。語るべき言葉など、無いな…。
ま、そんなもの・・と開き直るのは楽。でもね~。

自分は、外から帰ると必ず洗面所に直行する。そして石鹸で手を洗う。これは習慣。だから息子がたまに帰ってきて、そのまま食卓につくと、つい「手を洗ってこい」と言ってしまう。
そう、これも子どもの時に身に付けさせられた、しつけ。それが一生体から離れない。「三つ子の魂百まで」という。その通りだ。

最近、食後の食器を台所の流し台まで運ぶ事を、当たり前のようにやっている。
思い出すと、実はこれも子どもの時の習慣だった。「自分が食べたものは、自分で台所に運びなさい」と子どもの時に言われ、兄弟で運ぶようになった。そしてお袋が「これは楽で良い」と喜んでいたのを思い出す。
このトシになっても、子どもに対する教育、しつけについて思い返してしまう。我が家の場合は、どうだったのか・・・と。
今更、引き返せないし、引き返したいとも思わない。しかしこれだけはハッキリ言える。少なくても、“後ろ姿”を見せる教育はしてこなかった!! ホホホ・・・・

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2012年10月22日 (月)

今日はサラリーマン生活の転機の日

実は今日は、我がサラリーマン生活の転機の日なので、そのことを備忘録としてメモしておく。
実は、今月めでたく自分も“高齢者”になった。現在の会社との契約は、誕生月で更新される。規定には、格段の理由がない限り65歳が限度・・・と書いてある。よって、自分も格段の理由が見つからない事から、“長い間、ご苦労さん・・”と言ってくるのかな?と思っていた。しかし何のアクションも無い・・。規定では3ヶ月前に決めることになっているのに・・・
そして1ヶ月前になって、そのままの待遇でさらに1年の契約更新の書類が一方的に届いた。ラッキー・・・・!! そこで行動開始・・・・。

実は、通勤の毎朝の5時半起きに、自分はアゴが出ていたのだ。それで、次の契約更新のときには、朝の出勤時間を遅らせてもらおうかな・・・と考えていた。つまり、朝寝坊するために・・・
そして相談の結果、朝の出勤時間を定時の8時半から10時に変えてもらった。毎水曜日の休みは今まで通り。よって週6.5H×4日=26Hとなり、嘱託社員から“パート”にめでたく“昇格”。
もちろん週30時間を切ったため、健保もクビ。これは昔の会社の健保に入れて貰った。
そんなわけで、実は今日が社長出勤の初日だったのだ・・・。

朝、早起きのシルバー族は多い。そんな人から見ると、自分が5時半起きでフーフー言っている姿は、見ていられないのかも・・・??
しかし、寒い朝、まだ暗いうちに家を出るのはなかなかしんどいもの・・・。それで、高齢者到達を機に、自分に“優しく”寝坊をする事にしたわけ・・・。

初日の今朝、結局夜中に何度も起きて、あまり良く眠れなかった。でもしっかりと7時まで寝た。そして12年ぶりの出勤前の朝食・・・。(今までは体調の関係で、会社近くのドトールで・・・)
久しぶりの出勤前朝食に、カミさんも緊張・・・!? 「朝、起きられないかも・・」と弱音・・・

しかし2時間も遅い出勤風景は、全てが新鮮。バスや道路、そして電車の混み具合も“なるほど・・・”と感心・・・。結論は、予想に反してスイスイ・・・。今朝は早めに家を出たが、明日からは今日より20分遅くで大丈夫。

会社にいるときには今までと変わらないが、毎朝の変化点は大きい。よって、これで得られた時間をそれなりに有効に使わねば・・・
とにかく今までは「そのうちに・・・」がキーワードだった。結局、読書にしても何にしても、それを言い訳に時間が過ぎて行った。つまり、後回しの人生・・・
そろそろそれにストップをかけなければ、もう“後が無い”のである・・・

そんなことを考えながら帰宅の途についたら、電車で何と席を譲られてしまった! M駅で電車に乗ろうとしたら、あわてて降りてくる人がいた。電車に乗るとその席が空いていた。座ろうかなと思ったら、前に立っているオジサンが座りそう・・。まあいいや・・と思っていたら、そのオジサンが自分を見て、何と「どうぞ」と言う。「いや結構です」と言ったものの、恥をかかせてはイカン、と思い直して「スミマセン」と座った。
調べてみたら、前に席を譲られてショックを受けたのが3年半前(ここ)・・・。まあ仕方がないか・・・・
それにしても、今日ガクゼンとしたのは、実に自然なのである。そのやりとりが・・・。
つまり、誰が見ても自分はもう高齢者。そして、席を譲られても、自分は自然に振る舞える・・・
やはり自分は“高齢者”なのであるな~~。たぶん・・・。いや、確実に・・・・。トホホ・・・

●メモ:カウント~345万

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2012年10月20日 (土)

「iPhone5」~日本製部品の独壇場

先日の日経新聞「真相深層」に、世界中で売れに売れている「iPhone5」で使われている部品についての記事があった。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

スマホ進化 支えるお家芸 日本製部品の独壇場 iPhone5でも増す存在感
 発売から3日間で500万台が売れた米アップルの新型スマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)「iPhone(アイフォーン)5」。前機種より軽く、高機能化したその内部を見ると日本製電子部品が存在感を増している。スマホの進化を超小型部品など日本のお家芸が支えている。
高機能化で真価
 調査したのは電子技術専門誌の日経エレクトロニクス(日経BP社)。KDDI、ソフトバンクモバイルが販売する「5」それぞれ1台を電子機器の技術者や解析専門業者の協力を得て分解、メーカーなどを調べた。
 「5」は前モデルの「4S」より大きい4型液晶パネルを搭載しながら厚みは18%減の7.6mm、重さも28グラム減の112グラムと薄く、軽くなった。これは外装の切り替えに負うところが大きい。
121020iphone  前機種の「4S」までは背面に強化ガラスを採用していたが、「5」は外装をアルミニウムの箱形ケースにして軽量化した。液晶パネルやリチウムイオン電池、プリント基板など主要部品の重さはほぼ同じだった。
 むしろ日本製部品は高機能化で真価を発揮している。「5」では高速携帯電話技術の「LTE」に対応。このためアンテナから信号を取り出す回路が増え、通信を制御する大規模集積回路(LSI)が強化された。従来と同じ面積、重さの基坂上で回路を増やすには日本製の超小型部品が不可欠だ。
 通信を安定させる村田製作所の高周波フィルター、消費電力を低減するTDKや東光などの電源コイルが前機種より大幅に増えた。さらにパナソニックや日本航空電子工業の超小型の端子、旭化成エレクトロニクスの電子コンパス、セイコーエプソンの水晶振動子など「スマホの機能向上を支える部品は日本製の独壇場だ」(部品メーカーの技術者)。
 調査に協力したフォーマルハウト・テクノ・ソリューションズ(東京・江東)によると「メーカーを特定できていないが超小型コンデンサーも日本製が多数を占めるはずだ」という。
 極小部品以外でも日本勢が目立ってきた。液晶パネルでは今機種からジャパンディスプレイの採用数が韓国LGディスプレーを上回ったもよう。フラッシュメモリーでは東芝、DRAMではエルピーダメモリが韓国サムスン電子より多く供給しているようだ。1000点以上のスマホ部品の4割が日本製とされるが、「採用の範囲が広がった感がある」(通信機関係の技術者)。
中台勢も向上
 背景にあるのは供給力だ。米調査会社ガートナーによると「4S」末期の出荷量は1ヵ月に約1000万台。仮に1台あたり10個の部品が採用されると月1億個を供給する必要がある。
 日本の部品メーカー首脳は「アップルが求める品質で大量に供給できるメーカーは限られている」と明かす。同時に「アップルの新機種に合わせた設備投資の判断も難しい」と漏らす。
 ただ、中国、台湾勢が供給を増やした分野もある。リチウムイオン電池では中国の天津リーシェン・バッテリー(天津市)が採用されソニーと競合。台湾のシンテック(新竹市)は小型の電源コイルを納入している。このほかプリント基板などでも中台勢の取扱量が増えている可能性がある。
 部品解析の技術者は「中国、台湾勢の技術力も高まっている。価格競争が高機能部品に広がっていく可能性が高い」と予測する。
 アップルが近く発表するとされるタブレット(多機能携帯端末)「iPad(アイパッド)」小型版でも多くの日本製部品が搭載される見通し。今後も日本勢が優位を保つには膨大な数量を高品質で供給する能力と、微細加工など得意技にさらに磨きをかける必要がある。  (産業部 山田剛良)」(2012/10/19付「日経新聞」p2より)

当サイトでは、前にアップル製品に使われている部品について、2度取り上げた。2007年9月の「iPod」(ここ)と、2010年4月の「iPad」(ここ)。
改めて読み返すと、既に5年前に垂直統合のシャープについて警鐘が鳴らされていた事が分かる。周知の通り、シャープの垂直統合のビジネスモデルは崩壊した・・・。
そして2年前の「iPad」では、日本製部品の影が薄いと指摘されていた。そして今回の「iPhone5」では大きく挽回・・・!?
テレビの不振を代表に、最近、日本の家電製品で良い話を聞かない。しかし部品業界は、なかなかしぶとく善戦しているようだ。日本からの輸入を絞っている彼の中国でも、部品だけは無風状態で影響なし・・・・だと、今朝の日経に載っていた。

話は変わるが、何でこうも世の中、スマホばかりなのだろう。携帯電話も新製品はスマホばかり。シルバー世代向け“らくらくホン”まで、今度は“らくらくスマートフォン”だってさ・・・
121020 実は自分はスマホを持っていない。機械好きな自分だが、欲しくないのである。自分の携帯は4年以上前のdocomoのN705iu。とにかく14.5mmと薄く、105gと軽い。機種変更を考えても、これほど軽い機種は見つからないので、ついそのまま・・・。
スマホは小型パソコンだという。しかし自分の場合、外出先でパソコンを叩く必要がほとんど無いのである。家ではノートPCで充分だし・・・
・・・と、うそぶいていたら、先日軽井沢に行ったときに、ある行き先の情報が無くて弱った・・。もちろん息子が持っていたスマホが活躍したワケだが、まあ困るのはそんな時だけ・・・(上の写真は2012/10/22付「日経新聞」p6より)

しかし自分が“要らん”と言うスマホと言い、XPを使い続けているパソコンと言い、これらは「新しい機能を覚えるのが面倒」という自分の老化が原因ではないか・・?と気付くと、少しゾッとする。
スマホを持っている周囲のシルバー族は、既に自分を越えているのかな・・・・?
それでもなお“スマホは要らん!”と意気込む新人“高齢者”ではある。

(関連記事)
iPodのコスト構造~垂直統合と水平分業
iPadの原価構成~日本製部品の影薄く

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2012年10月18日 (木)

最高裁の参院選“違憲状態”判決

昨日(2012/10/17)、最高裁による参院選の“違憲状態”判決が出た。

参院「1票の格差」5倍は違憲状態 最高裁、制度見直し迫る~10年選挙で判決
 「1票の格差」が最大5.00倍だった2010年7月の参院選選挙区の定数配分は違憲として、弁護士らが各地の選挙管理委員会に選挙無効を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允長官)は17日、「違憲状態」との判断を示した。一方、定数配分の是正にかかる合理的期間は過ぎていないとして結論は違憲とせず、選挙のやり直しを求めた原告らの請求は退けた。
 そのうえで「単に定数の一部の増減にとどまらず、都道府県単位を改めるなど、しかるべき立法措置を講じ、投票価値の不均衡を解消する必要がある」と述べ、制度の抜本的見直しを迫った。
 最高裁が参院選の定数配分を違憲状態と判断したのは、1992年参院選を巡る大法廷判決(96年9月)以来、2度目。2009年の前回衆院選についても昨年、違憲状態としており、両院とも違憲状態という異例の事態となった。来夏の参院選に向け、国会は早急な選挙制度改革を迫られる。
 大法廷は15人の裁判官で構成され、判決は多数意見。
 10年参院選では、議員1人当たりの有権者数が約24万人だった鳥取県に対し、神奈川県は約121万人。前回の07年参院選から定数配分を変更せずに実施し、格差は07年の4.86倍から拡大した。大法廷は両県で生じた5.00倍の格差について、著しく不平等な違憲状態にあたると判断した。
 その上で、過去の最高裁判例が「違憲」判断の要件とした「著しく不平等な状態が相当期間続いた場合」に当たるかどうかを検討。10年選挙の実施は、07年選挙を巡る09年10月の大法廷判決が選挙制度の是正を求めた約9カ月後だったが、合理的な許容期間を過ぎていないと結論づけ、違憲宣告を見送った。
 一審の高裁段階では計17件の判決が言い渡され、「違憲」3件、「違憲状態」9件、「合憲」5件と判断が分かれていた。」(2012/10/17「日経新聞」webより)

それに先立ち、2012/10/17付の「日経新聞」朝刊に「日本は代議制民主主義国家ではない」という「意見広告」なるものがあり(原文PDFはここ)、勉強をかねて読んでみた。分かり易く書いたようだが、自分には少し分かりにくい・・・

ポイントは・・・・
「日本は代議制民主主義国家ではない」
(1)代議制民主主義は、
①「主権者は、国民である」
②「正当(な)選挙」
③「国会議員の多数決」
の3本柱から成り立っている。
(2)代議制民主主義は、主権者(国民)が、国会議員を通じて、主権者の多数決で、立法、行政、司法の三権(国家権力)を行使するという、潔い『割り切り』である。
人口の“少数”が国会議員の“多数”を選び、国会議員が、多数決で三権を支配したのでは、国会議員の「最大多数の最大幸福」、ひいては、国会議員主権国家でしかない。

・国会議員は国会で一入一票である。
「国会議員の国会での一人一票」の根拠は、「国会議員を選出した選挙区の議員一人当たりの登録有権者(主権者)の数が同数であること」に求めざるを得ない。なぜならば、「主権者は、国会議員ではなく、国民だから」である。
全ての国会議員は、それぞれ(いわば、各主権者(国民)からの同数の「目に見えぬ委任状」を手に持って、国会で、国家権力の行使を国民の多数決で決定するために、議論・投票を行う)「特別な代理人」でしかないのである。
・・・・
 日本の2010年参院選挙区選挙は、どうであったか?
1票対0.2票(最大)の「住所差別選挙」のため、全登録有権者の33%(3436万2005人)が全参議院選挙区選出議員(146人)の51%(74人)を選び、全登録有権者の67%(6966万7130人)が、その49%(72人)を選んだ(総務省発表より)。
 不条理である。
・・・・
「投票価値の等価値」は憲法の要請である。他方で、都道府県を基準とする選挙区割りは、公職選挙法の要請でしかない。
・・・・
国会議員は利害関係者
(「議員にルールを決めさせるのは、野球の投手にストライクかボールか判断しろと言っているようなもの」升永英俊弁護士:2012/10/18付「朝日新聞」p39より)

法の支配
① 最高裁判所は、日本を「一人一票」の「代議制民主主義国家」に変える究極の国家権力(違憲立法審査権 憲法81条)を有している。
②最高裁判所裁判官は憲法尊重義務を負う(憲法99条)。
③日本を「代議制民主主義国家」に変えることは、最高裁判所しかできない。
・・・・

つまり、“現在の公選法は憲法に違反しているので、違憲立法審査権で最高裁が踏みつぶすしか手は無い。自分のクビを気にする国会議員にそれをやれと言っても、出来るワケがない・・・”ということかな・・・?

でもこの三段論法は、整理して考えるとその通りだ。
逆に、こんな当たり前のことが放置されていること自体が、異常・・・。それに、それが許されている日本という国の不思議さ・・・・

このコメントが分かり易い。
最高裁にも責任
   元最高裁判事の泉徳治弁護士の話
 最高裁は「違憲」と明確に宜言すべきだった。2006年の判決以来、是正を求めてきたのに、6年経っても自らの当落に関わる国会議員は動かなかったからだ。今回も、わずかな改正で済まされてしまう恐れがある。
 ねじれ国会で国政が停滞する原因は、いびつな選挙制度にもある。それを放置してきた最高裁にも、責任があるという自覚が必要だ。今こそ、一人ひとりに平等な選挙権を与え、本当の意味で「国民の信を問う」制度にしたうえで、日本の針路を決めなければならない。」(2012/10/18付「朝日新聞」p39より)

今朝の新聞を読んでも、政府も2大政党も、幾ら判決が出ても直ぐに動く気配はない。まあ、国民そっちのけで党利党略の今の政治家たちは、誰が考えても、自ら自分の不利になる事をやるわけが無い・・・・か。そうなると手が無い・・・。何せ、最高裁の判決を無視しても、誰も罰せられないのだから・・・

結局は、次の選挙で最高裁が憲法(違憲立法審査権)に則り、「選挙無効」として当選者を全員クビにするしかあるまい。

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2012年10月17日 (水)

国会の一院制を考える

とうとう最高裁大法廷が今日の判決で、参院選の「1票の格差」についてレッドカードを突き付けた。それについては、追って考えるとして、先日の日経新聞「大機小機」に、国会の一院制についての話が載っていた。曰く・・・

政治改革
 国内外の情勢がめまぐるしく変化し、これまでになくあらゆる政策課題に機動的に対処することが強く求められている今、日本の統治機構を抜本的に改革することが急がれる。参院で野党が多数を占めるねじれ国会で法案審議が停滞する中、一院制の導入を目指す動きも出ている。
 2003年以来活動を続けている超党派の議員連盟は、衆議院と参議院を対等に統合した新国会(両院を廃止して新たな一院制へ)を発足させるべしと決議した。今年4月には一院制の導入、国会議員の定数500人以内を骨子とする憲法第42条改正原案を、衆議院議長に提出している。
 政治の停滞によって国民が背負うコストが増大していることは明らかだ。台湾は4年前、立法委員(国会議員)を225人から113人に、一気に半減させた。仮にわが国が一院制500人になれば①ねじれ現象解消と審議遅滞解消②国会の本務である十分な政策討議の復活③議席数の3削減が地方を含めた行財政改革の強い引き金になる――などが予想される。
 国際連合加盟国193力国の約6割が一院制だ。二院制の国でも中心が下院であることが多い。米上院は100議席と少数。フランスでは下院は直接選挙だが、上院議員は下院議員、地方議会議員らによる間接選挙となっている。両院意見不一致の場合は両院協議会を招集するか下院に決定権を委ねるか、政府がイニシアチブを持つ。
 連邦制国家の独では連邦議会は直接選挙で議員を選ぶが、参院は各州の首相や閣僚らで構成しており参院議員という特別な呼称はない。議席数は69にとどまる。参院の同意が必要な同意法律(州の利害にかかわるものが中心)と連邦議会の議決に参院が異議を申し立てる異議法律があり、同意法律は参院で否決されれば不成立。だが異議法律は、参院で異議申し立てされても連邦議会の多数決で覆る。
 敗戦後の日本は1960年まで、55年の自民党誕生を挟んで「政治改革」の15年を経験した。その後は経済の15年、文化の15年、混乱の15年を経て2005年以降、再び政治改革の15年期に入っている。20年までに、選び抜かれた政治家らが政策を軸にした政治を展開する、新時代にふさわしい国会の体制に移行していることを期待したい。(一礫)」(2012/10/10付「日経新聞」p19「大機小機」より)

最近の政治、国会運営には目を覆うばかりだが、その日本の議会の仕組みに対し、外国ではどうしているのだろう??と思っていたが、“少しの解”が書いてある。
それによると、日本のような、それぞれが強力な権限を持っている二院制は他国には無いようだ。
言うまでもなく、参院は「良識の府」であるが、wikiによると「再考の府」「政局の府」でもあるという。

でも、どうも「良識の府」のような気がしない。同じような仕組みがダブっているとしか思えない・・・。今日の最高裁判決でも、「衆院とほぼ等しい権限を与えており、急速に変化する社会情勢の中で、長い任期を背景に役割は大きくなっている」と指摘されているようだ。
上の記事はテキパキと分かり易いが、国会の一院制化ともなると、その改定には憲法の改定が必要となる。そう思うと、議会改革は非常に高いハードルのような気がする。

先日、NHKで吉田茂のドラマを放送していたが、彼(か)のGHQの原案による日本の憲法。一度も改定されていない世界でも稀な日本の憲法・・・。よって現憲法は、それなりに完成度が高かったのかも知れないが、65年という時代の変化に耐えられるものかというと、少々疑問・・・
かと言って、特に第九条を考えると、簡単に憲法改定が進むとも思えない・・・。

しかし、「あきれる」レベルの政治に対し、我々が持っている手段はたった1票の投票権のみ・・・。その1票も今日の最高裁判決が断じたように、価値の不平等・・・。そして、無為無策、業務放棄の政治・・・・
こんな現状では、どの政党にも投票したくないな・・・。よって次の選挙では、前向きの「投票しない」投票権を駆使しようか・・・と、カミさんと話す最近ではある。(まあ、何も変わらないけどね・・・)

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2012年10月16日 (火)

「放送局は色覚バリアフリーを」

先日、朝日新聞の投書欄を読んでいて、現代社会の障がい者対応について考えてしまった。色覚障がい者の投書の話である。曰く・・・

放送局は色覚バリアフリーを
     会社員 男性(54)
 私は、赤系統や緑系統の色を区別するのが難しい「赤緑色覚障がい者」の一人です。都心の地下鉄の路線の色分け表示などが分かりません。庭の芝が緑なのか、枯れて茶色なのかも、目を近づけて、やっとわかる程度です。ましてや、紅葉の美しさなど、生まれてこのかた一度も味わったことがないのです。
 特に不満なのは、テレビ局です。一部の局以外は、生活に欠かせない気象情報などで、色覚障がい者に対応していません。緑、薄い赤、赤などで色分けされたテレビの画像は、録画して一時停止させ、目を凝らしながら見てやっと、なんとか理解できる程度なのです。この障がいは男性の20人に1人の割合で存在します。特にNHKは受信料を視聴者から受け取ってもいます。放送局や交通機関など私たちの生活に直接かかわる組織には工夫をお願いしたいと思います。」(2012/10/11付「朝日新聞」p14「声」より)

(色覚異常の原理的には単純。言うまでもなく、色は赤青緑の三原色で表示されるが(=カラーテレビの原理)、色覚異常者は、網膜にある3種類の色センサーのうち、赤または緑のセンサー(赤錐体/緑錐体)の感度が弱いらしい。)
まず色覚障がい者の数の多さである。Wikiによると「先天赤緑色覚異常」の人は、日本人男性の4.5%だという。そして白人男性では8%・・・。
121016shikikaku これほど多い人が、色を正常に認識出来ていないとは・・。そして、どのように見えるかがwikiの「色覚異常」(ここ)に載っている。この写真を見て唸ってしまった・・・・・(写真はクリックで拡大)
4.5%の人が全員このように見えるかどうかは別にして、この投書が指摘している通り、このようにしか見えない可能性のある色覚異常者に対し、社会的配慮が不足していることは事実だろう。

前にも書いたが、実は自分の右耳は壊れている。突発性難聴で、高域が聞こえない。これは遺伝も関係していると、自分は勝手に思っている。実は自分の兄も同じく左耳がほとんど聞こえないという。後で聞いてみると、知識の無さから、突発性難聴を放っておいたらしい。弟も一時同じように聞こえづらくなり、病院の治療で復活した。よって、我が兄弟は、どうも遺伝的に耳が弱いのだと思う。
十数年前、その突発性難聴で有名なK大病院に通っていた頃、診察室に呼ばれる声が聞こえなくて困った。耳鼻科では、聞こえが悪い人が通っているのに、医師も看護師も、まるで配慮がない。普通に「**さん、どうぞ~」と声を掛ける。待合室でも診察室の前で待っているときも、その呼ばれる声が聞こえないのだ・・・
日本有数の大学病院でも、このありさま。全ては推して知るべし・・・。

上の例は、それの視覚編だが、社会的配慮という点では、改善の余地が多くあると思う。
テレビひとつ見ても、聴覚障害者のためにはセリフの字幕表示など、配慮が仕組みとして出来あがっている。しかし色覚障害に対しては、指摘の通り、確かに配慮が足りない(らしい)。
“らしい”・・・。そうなのだ。つまり、正常人が番組を作っているため、視覚障害者への配慮など、考えたことがないのだろう。いや、気が付いていない・・・??
両者で、なぜこれほど違うのか・・・? これは多分に、聴覚障害は加齢で誰にでも起こるため、分かり易いのだが、視覚障害は生まれつきのものであり、正常人には想像が難しいことが原因なのかもしれない。
たぶんテレビ局には色覚障害者は(入社試験で落とされ?)居ないのだろう。だから誰も視覚障害者への配慮が必要なことに“気が付かない”・・・・

それにしても、テレビ局はこの投書をどう読むのだろう・・・・
解決は実に簡単。色覚異常の人を一人雇えばよい。その人をフィルター(評価者)として、作った画面が見えづらいかどうかを、事前にチェックする仕組みを作れば良いだけ。
この話は「色覚異常の人が、男性の5%にも及んでいること」をテレビ局が認識しているかどうか・・だけの話。たぶんテレビ局が、キチンと認識すれば、字幕と同じく対応するのではないか?
ぜひこの投書をテレビ局の人が目にして、何らかの改善に取り組んで行くことを期待したい。あわせて道路標示など、国などの機関も同様に、ぜひ“5%の人への考慮”を期待したいもの。(もちろん自分も“知らなかった・・・”と、気が付かなかった者のひとりではあるが・・・)

(2012/10/21追)テレビの字幕付き番組の割合についてのデータがあった。
CMに字幕、つけませんか
・・・字幕放送は一般の番組で先行した。総務省は07年、複数の人が同時に話す生放送などをのぞき、17年度までに原則全番組に字幕を付けるよう目標を設定。その結果、11年度時点で、NHKが70.6%、在京キー5局が90.8%を達成した。・・」(2012/10/17付「朝日新聞」p37より)

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2012年10月15日 (月)

軽井沢小旅行(2/2)

2泊3日で軽井沢に行ってきた。昨日に続いて、その道中のメモ「その2」である。(写真はクリックで拡大)

次に行ったのが、息子のリクエストで行った「石の教会」。これがなかなか見応えがあった。車で細い道を行くと、ホテルの玄関に着いてしまった。それで、道案内風のホテルの人に聞くと、丁寧に、駐車場の奥だと教えてくれた。車を停めて、行ってみてビックリ。

<軽井沢「石の教会」>

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入り口に案内の女性がいる。ここはどうもホテル内の教会みたい・・・。石で囲われた道を行く。この道もビックリ。Uの字状の石の道なのだ。少し行くと、右手に視界が開ける。下に何とも分からない(?)建物。ちょうど式を終わった新郎新婦が、その建物の出口から出て来た。
石の道は、この教会の裏手に続く。内村鑑三記念館に入ると、10人ほど待っている人がいる。教会内部が見学できるという。少し待つと、式が終わったので入れるという。カメラはダメと釘を刺されたが、入ってビックリ。まさに写真を撮りたい風景・・・。天井は石のアーチの間にガラスがはめ込まれており、天から光が漏れる。部屋の両脇の石積みからは、植物が垂れ、何とも荘厳な雰囲気・・・・。そして、何とも不思議な造形・・・。何とか内部の写真は無いか・・・と探したら、Netにこんな写真があった。これで雰囲気が分かるだろう・・・。しかしこの式場は、相当な人気があるのだろう・・・。今回の小旅行で一番見応えがあった。

<「軽井沢千住博美術館」>

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ちょうど1年前に開館したという千住博美術館。まずその豪華さに圧倒された。あまりに斬新な建物。そして内部は大きな空間。そして展示は、滝の絵と「星のふる夜に」シリーズのおおきく2つ。展示の数も多いとは言えないが、受付嬢やガードマン、そしてショップの人々・・・。一人の画家のためにこれだけの美術館がある・・・・。

2日目の帰りは、「星野温泉」に戻って、「トンボの湯」に入ってから保養所に・・・。

そして3日目。まず「大賀ホール」に行ってみた。

「軽井沢大賀ホール」>

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SONYの社長を永く勤めた大賀典雄氏の退職金等の寄贈16億円で、2005年に建てられたホール。テレビで見ていたので、行ってみたが、これも豪華。何より池の側で、駅にも近く、立地が抜群。もちろん中には入れなかったが、雰囲気は分かった。

それから軽井沢駅の裏の「軽井沢プリンスショッピングプラザ」で買い物。このモールもビックリ・・・。それほど人口が多いとも思えない軽井沢だが、まさに東京人向けのショッピングモール。午前中だというのに、車も人も多かった。

最後に、カミさんがNetで見付けたレストラン「こどう」で昼食後、軽井沢を後にした。

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<横川SAの釜飯「おぎのや」>
上信越道の横川SAにある釜飯の「おぎのや」。ちょとやり過ぎでは?と感じた。下の写真でも分かるように、NEXCO東日本の「横川SA」の看板が、何と「おぎのや」の看板によって陰に隠れてしまっている・・・・。正面から見ると、“おぎのやIC”に見える。確かに釜飯は飛ぶように売れていた。でも少しやり過ぎでは・・・と思った。

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<<付録>>
カミさんが、“せっかく近くまで来たので、沼田市にある「吹割ノ滝」に行ってみたい”というので、帰りに寄ることにした。軽井沢から沼田まで、決して近くは無いが、地図で見ると碓井軽井沢ICから高速に乗って、藤岡ICTから関越を下り、沼田ICで降りてから20K弱か・・・・。
滝の場所をカーナビで目的地に指定して、スタート。何の疑問も無く車を走らせると、何か変・・・。高速に乗らないで、下の道をどんどん行く・・・。ナビを見ると「下仁田IC」から高速に乗れ、と言う。「高速優先」で検索しても、どうしても「碓井軽井沢IC」から乗るコースが出て来ない。ナビの言うままだと、着くのが4時半頃になってしまう。高速で行きたい・・と、何度やってもダメ。それでナビは諦めて、道を戻った。すると直ぐに高速入口の表示が見付かり、くねくね道路を行って、「碓井軽井沢IC」から高速に乗った。
ヤレヤレとナビを見ると、今度は「松井田妙義IC」で高速から降りろ、と言う指示・・・・・。心が何故かざわめく・・・。「何でだ???」と平常心を失ってきた?? 危険防止の為、横川SAに入る。ナビを何度再検索しても同じ。藤岡JCT経由で高速を行くより、下の道路の方が早いのか?? 地図を見ても、距離的には確かに近いが、時間的には早いとは思えない・・・・
迷っていると、カミさんが「帰ろうか・・」と言い出す。お互い、何か神がかりなものを感じた。何かから「沼田には行くな。真っ直ぐ帰れ」と言われているような気がして・・・・・。
結局、沼田の「吹割ノ滝」には行かず、そのまま帰ることにした。

もちろん帰りはスイスイ。4時過ぎには家に着いてしまった。
それにしても、あのカーナビの動きが分からない。軽井沢駅前から群馬の沼田ICに行くのに、他のカーナビも「碓井軽井沢IC」から高速に乗るコースは選択肢に無いのだろうか・・・?
ともあれ、何か心がざわめいた帰り道ではあったが、無事に今回の小旅行を終えられた。イヤな予感がしたときは、ムリをしない、に限る・・・のだが・・・・。

(関連記事)
軽井沢小旅行(1/2)

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2012年10月14日 (日)

軽井沢小旅行(1/2)

2泊3日で軽井沢に行ってきた。その道中をメモしておく。
息子の会社の保養所が軽井沢にあるというので、初めて取ってもらい、2012/10/11~13に行ってきた。
初日、車であきる野ICから圏央道~関越~上信越道を通り、碓氷軽井沢ICで降りる。平日のせいか、ノンストップで2時間余。行程はカミさんが予め決めているので、その通りに動く。まずは軽井沢駅前から「見晴台」を目指す。人の多い軽井沢銀座の奥の道を行く。ホントウにこの道で良いのかな・・・と進むと、突然人家が現れ、神社がある。車を停めて、行ってみる。「熊野皇大神社」とある。(写真はクリックで拡大)

<「熊野皇大神社」と「見晴台」>

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ここは熊野神社という通り、牛王符(ごおうふ)もあった。この神社が高台にあるので、ここが見晴台かと思って神社の人に聞いたら、別の場所だという。言われるままに行ったら、公園のような場所があり、遠くに山々が見えた。ここは県境らしく、看板には群馬県と長野県の境を示す矢印があった。天気が良かったので、山々がキレイ・・・。

次は「白糸の滝」。“普通の道”の有料道路を行くと、直ぐに見付かった。せせらぎをたどって行く。きれいな水が急勾配を流れ下っている。

<軽井沢の「白糸の滝」>

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水温は11.8度だという。岩の割れ目から大量の水が噴き出すさまは、大自然の力を感じる。まさに富士山の白糸の滝のミニチュア版。
初日はここまで。それにしても、保養所を探すのが大変。別荘地はどの道も同じように見え、カーナビも用を為さない。やっと見付けた保養所の前に、猿の親子が見えたとか・・・

次の日は「星野エリア」。午前中は「野鳥の森ネイチャーウォッチング」。「ピッキオビジターセンター」でツアーを申し込む。10時からの2時間コースで、一人2000円。今日の参加者は、我々の他に、子ども連れの若夫婦とおばさんの計7人。若い女性ガイドさんに連れられて、約2キロの散策へ。

<「野鳥の森ネイチャーウォッチング」>

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まさに山の中。個人ではとても怖くて入れない。所々に、山の斜面にケモノの足跡。ガイドさんが「これは新しい。たぶん熊だろう」としばらく絶句・・。それを聞いていて、少し怖くなった。しばらく周囲が気になり、見回していたが、クマの姿は無い・・・
この辺りのクマは、1.5m程度で、「子熊を見付けた」という話は、だいたい大人のクマだという。捕まえたクマは、発信器を取り付け、常に居場所を把握しているという。そして人家に近付くと、犬の鳴き声を使って山に追い返す。それでも人家に降りてくるクマは、仕方がないので駆除するという。今年も一頭駆除。途中、桜の木に無数のひっかき傷。クマが木に登った跡だという。ギョッとしたが、このガイドさんも、クマのホンモノを見た事がないというので、一安心・・。
途中、ムササビの巣を覗いた。巣の箱の中にテレビカメラが仕掛けてあり、リュックからモニタを出してつないで見せてくれた。巣の中に見えたムササビは、実にサービス精神が旺盛らしく、最初は丸くなって寝ていたのが、突然毛繕いを始め、巣の中の様子が良く分かった。

昼食を「村民食堂」でとり、「ハルニレテラス」に行く。

<軽井沢「ハルニレテラス」>

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いやはや洒落た町並み。湯川に添って、板敷きのフロアの両側に、レストランとコーヒーショップが並ぶ。平日なのに人も結構多い。夏の夜は、川のせせらぎを聞きながら、さぞ良い雰囲気なのだろう・・・・。それにしても、幼児連れの若夫婦が多いこと。それに若い女性の友だち連れ。シルバー族は思ったより少ない・・・。
我々も丸山コーヒーで一休み。息子が友人に勧められたというここのショップ、なかなか美味しかった。それにしても、一級品のこの界隈の雰囲気は、さすがに天下の軽井沢・・・・・<続く>

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軽井沢小旅行(2/2)

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2012年10月12日 (金)

「世界がもし100 人の村だったら~たべもの編」

先日「危機と日本人~食べ残し天国日本」という記事を書いたとき、「日本の残飯排出量は、世界で1番」ということを知った。ホントウかな?と調べていたら、こんな一文を見付けた。

『世界がもし100 人の村だったら たべもの編』
世界には65 億人の人がいますが,もしもそれを100 人の村に縮めて<たべもの>のありかたを見てみるとどうなるでしょう。
100 人のうち,47 人は農村に,53 人は都市に住んでいます。
畑を耕したり,家畜をそだてたりしてたべものをつくっている人は,20 人です。
15 人がアジア人,3 人がアフリカ人,2 人が南北アメリカやヨーロッパなどの人です。
20 人のうち,13 人はトラクターで,7 人は人の力で耕しています。
村人は,食事エネルギーの半分以上を,穀物からとっています。
100 人の村人のうち,50 人は米を,26 人は小麦を,7 人はとうもろこしを,あとはいも類などを主食にしています。
村人100 人のうち,16 人は1 年を110 万円以上で暮らし,いろいろなものをたくさんたべています。
そのうち2 人は日本の人で,1 年を平均360 万円で暮らしています。
43 人は,1 年を64 万円で暮らし,きちんとたべています。
41 人は,1 年を8 万円以下で暮らし,ときどきしかたべられません。
100 人のうち,太りすぎの人は,15 人です。
アメリカでは,砂糖にすると,1 人が1 日にティースプーン50 杯分の糖分をとっています。
日本では,12 杯です。
アメリカの大人を100 人とすると,60 人は太りすぎです。そのうち14 人は超肥満です。
アメリカの子どもを100 人とすると,25 人が太りすぎです。アメリカでは,太りすぎが死亡原因の第2 位です。
世界がもし100 人の村だったら,1 年のあいだに,75 人は20 キロの,25 人は80 キロの肉をたべています。
村ではこれまで肉類を食べるかどうかは風土や文化によりさまざまでした。
でもいまは,お金があればだれもがたべるようになりました。
1 人が1年にたべる肉は,インドでは5 キロ,中国では45 キロですが,イタリアでは,80 キロです。
1 人が1 年に食べる卵は,インドでは30 個,アメリカでは174 個,日本では226 個です。
家畜の餌は穀物です。
肉や牛乳や卵をたべるということは,穀物をたべることです。
たとえば,1 キロの牛肉をたべると,11 キロの穀物をたべたことになります。
この村でとれる魚を100 尾とすると,18 尾を中国が,9 尾をペルーが,5 尾をアメリカが,5尾を日本が,5 尾をインドネシアがとっています。
でも,魚のとりすぎのため,村の4 分の3 の漁場で魚がへってきています。
村人はこの100 尾のほかに,50 尾の養殖の魚もたべています。
養殖の魚は,囲われたところでそだてられ,脂がのりやすい餌をあたえられます。
寄生虫を殺し,病気をふせぐためにいろいろな薬もあたえられます。
畑でトラクターをうごかし,化学肥料や農薬をつくり,たべものを工場で加工し,包装するものをつくり,運ぶには,石油がいります。
アメリカの4 人家族は,1 年にたべる牛肉のために,1000 リットルの石油をつかいます。
アメリカでは,石油の15%を,たべもののためにつかっています。
わたしたちが暮らす日本は,春夏秋冬,旬の食材にめぐまれています。
そこでは,<たべもの>はどうなっているでしょう。
ヨーロッパは,せまい国がほとんどです。
でも,食料自給率は,フランスが121%,ドイツが99%,イギリスが61%です。
日本の食料自給率は40%です。
わたしたちのからだの60%は,よその国の資源をつかって,よその国の人がつくったたべものでできています。
わたしたちのたべものをつくっている畑の70%は,よその国にあります。
わたしたちのたべものをつくるために,よその国で1 年につかわれる水は,日本でつかわれるすべての水の1.1 倍です。
日本の穀物自給率は28%です。
砂漠の国,サウジアラビアは29%です。
大豆の自給率は5%。小麦も野菜も,おおかたは輸入です。
和牛の餌も70%以上は輸入です。
もしも日本でつくられるたべものだけでやりくりするとしたら,
わたしたちは1 日2600 キロカロリーとっているのを,1900 キロカロリーにへらさなくてはなりません。
小麦を50%,肉を90%,油やバターを90%,魚を15%へらして,米を30%,いも類を600%ふやさなくてはなりません。
日本のわたしたちは,食費のうち8%を生鮮食品に,30%を外食に,62%を加工食品につかっています。
加工食品は日本が世界一たくさん輸入しています。
加工食品には,添加物が欠かせません。
日本では,1500 種類の食品添加物を1 人が1 年に24 キロたべていることになります。
小学生と中学生を100 人とすると,朝食をかならずたべるのは77 人です。
19 人はたべないことがあります。2 人はほとんどたべません。
70 人は,給食をいつも,あるいはときどきのこします。
日本のわたしたちは,世界でいちばんたくさんのたべのこしを捨てています。
わたしたちが捨てるたべのこしは,年に2000 万トン以上です。
世界の食料援助量は,年に1000 万トンです。
『世界がもし100 人の村だったら ③たべもの編』(池田香代子+マガジンハウス編)より一部抜粋 」(
ここ)より

「世界がもし100 人の村だったら」については、前に記事を書いた(ここ)。
その続編で“たべもの編”もあったらしい。しかしここに書かれていることは、凄まじい。我々の日常生活も、このように数値化されると、空恐ろしい・・・

改めて、本を読んでみようかな・・・と思って、「世界がもし100人の村だったら 総集編」の中古本をAmazonで注文してしまった。

それにしても、上に書かれている実態。日本人で良かった・・・と思う以前に感じる、このすきま風・・・。これは何だろう??

言うまでもなく、我々の体は食物によって作られている。その食べ物に対して、我々は何と無頓着か・・・。
食事のとき、「頂きます」と両手を合わせよう。と言いつつ、実行したことがない自分・・・。良く考えて食卓に向かおう・・・、と思うこの頃である。(←“また”直ぐに忘れると思うけど・・・)

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2012年10月11日 (木)

「危機と日本人~食べ残し天国日本」

先日の日経新聞に「食べ残し天国日本」という記事があった。食べ残しが多いのは当然アメリカ・・・と思っていただけに、少々ショック・・・・。曰く・・

危機と日本人~食べ残し天国日本
   精進・断食、長寿の近道  山折哲雄
・・・・・だから出先の会食の席などではつい食べ残してしまう。が、食べたいものも残っているから、おもち帰り用に包んでもらう。あるときのことだった。環境を大切に、という地道な運動をはじめているNPO法人の事務所で、ドギーバッグ(Doggy Bag)というのにお目にかかった。食べ残しの食品(料理)を入れてもち帰るための、紙製の容器だという。「ドギー」というから犬用かと思ったら、それは洒落(しゃれ)で、人間さまにこそ活用してもらうのだという。中身はというと、一つのパックに折り畳み式の紙袋が大小二つ入っている。なるほど出先のレストランや料理屋などで、食べ残した料理をもち帰るための携帯用容器だということがわかる。面白いのは、その「携帯用ドギーバッグ」と書いた頭のところに、大きな文字でMOTTAINAIと印刷してあることだった。モッタイナイ運動を市民の日常生活に浸透させる企ての一環だったわけだ。食べ残した料理はもち帰りましょう、という呼びかけであるが、この小さなバッグの表面には、つぎのような文字が印刷されていた。
  日本の残飯排出量は、世界で1番
  EU諸国の何と4倍!!
  日本の食糧自給率は40%!

 このわれわれの日本がいつのまにか、食べ過ぎ食べ残し天国になってしまっていることは知る人ぞ知るである。どこに行っても、食べ放題、飲み放題の飲食店が若者たちのあいだでにぎわっている。店のなかは喧騒(けんそう)をきわめ、わき立っている。こんな国は世界でも珍らしいのではないか。天下泰平の世の中というほかはないが、あるとき新聞の片隅に設けられているコラムが目にとまった。見出しに
 「何度も断食 長寿の近道」
とあった。京都大学のチームが線虫という虫を使って実験し、その遺伝子の働きをしらべていて明らかになったのだという。断食、長寿、の活字が目に飛びこんできて、それが私の関心を刺激したのである。
 線虫という存在が長さ1ミリほどで、寿命は25日、というのからしてあっけにとられる。まさに顕微鏡の世界の話である。そんな実験を何から思いついたのか、私には見当もつかないが、その実験による結果が二つ紹介されている。一つは、エサを減らしてカロリー制限をすると、約1.2倍、寿命がのびることが確認されたという。もう一つが、2日ごとに2日間断食させて、断続的に飢えさせる。すると、寿命が1.5倍ものび、しかも活発に動いていることが発見された。
 カロリー制限型と断続的な断食型という二つの実験結果の報告である。効果についていうと、後者の断続的な飢餓タイプがはるかにすぐれているというから面白い。ともかくエサのコントロールで寿命の制御がおこなわれているというわけだ。そこにはもちろん特別の遺伝子の作用があるのだという。
 その記事を読んでいて、私が妄想の虫にとりつかれて思いおこしたのが、少々おおげさな物言いなるけれども、人類の悠遠の歴史、といったことだった。仏教では、昔から精進とか断食ということが大切にされてきた。右の線虫実験でいうと「精進」がカロリー制限、それにたいして「断食」が断続的な飢餓体験にあたるだろう。インドのブッダは80歳、日本の親鸞は90歳まで生きていた。二人はもしかすると、カロリー制限と断続的な飢餓の二つの方法を巧みに併用して、長寿を実現することができたのかもしれない。」(2012/10/07付「日経新聞」p23より)

外食で、食べ残しを持って帰る入れ物に、名前が付いていたとは・・・
そして、ドギーバッグ(Doggy Bag)という名前は、食べ残しを持って帰るのが恥ずかしいので、“犬の餌にする"という名目で持ち帰っていたことに由来するとか・・・

我が家では、外食で残りを持って帰った経験は、あまり無い。しかし特に中華料理では、出て来た量があまりに多く、食べ残しを持って帰ることはあった。いつも店の人に言うと、透明なプラスチック容器と袋とを貰えた。しかし考えてみると、食べ残しを持って帰るのは、非常に良いことでは??
レストラン側でも、せっかく作った料理を、残されて棄てるより、よっぽど嬉しいはず。客は、食べられない料理を次の日に“チン”すれば、それはまた美味しく頂ける。
そんな習慣が日本であまり根付いていない(?)のは、何故だろう?“みっともない??” いやいや、“もったいない”が優先だろう。

そして先の記事で、線虫の実験が面白い。“さもありなん”という結果。少々の飢餓は、生体の活動を活発にさせる。よって、胃腸のためにも腹八分目が良い・・・。そう。分かってはいる。でも、結局腹一杯に食べてしまう・・・!?

我が家では、よく体重計に乗る。そして体重が増えると、「ヤベー!」と叫ぶ。そう、体重増加は我が家では罪なのである。それなのに、食卓は満載・・・
食べ残しのMOTTAINAIと、“食欲の秋”。このふたつの言葉が頭を巡る秋の夜長ではある。

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2012年10月10日 (水)

小寺彰・東大教授の「領土問題の処理急ぐな」

政治的な話題は、それぞれの立場で“色々あり”、当サイトではなるべく取り上げないことにしているのだが・・・。まあ、今日は“勉強”である。こんな見方もあるのか・・・と。
先日の朝日新聞の「経済教室」という欄に、こんな記事があった。曰く・・・

「領土問題の処理急ぐな
   「紛争存在せず」堅持を~国際裁判、過度な期待 禁物
         東京大学教授 小寺彰
<ポイント>
○紛争の存在承認は相手の主張認めることに
○解決の意思共有なしに国際裁判は機能せず
○両国関係が安定するまで帰属問題は凍結を

 尖閣諸島の帰属を巡って日中間の議論の応酬が続いている。日韓の竹島問題も8月と比べるとやや落ち着いてきたが、依然収拾からは程遠い。
 最近、米倉弘昌経団連会長が尖閣諸島について「領土紛争」があることを認めるべきだと主張したほか、橋下徹大阪市長が法にのっとって国際司法裁判所(ICJ)で解決すべきだと発言した。尖閣諸島や竹島の日本領有の正当性の議論から一歩進んで、日中、日韓が角を突き合わせている現状にどう対処すればよいかという議論が登場するようになった。ただ、領土紛争の存在を認めることが何を意味するか、ICJによる国際法にのっとった解決とはどういうものかについて、十分に理解しているのかはやや疑問だ。

 竹島について韓国は領土紛争の存在を否定し、尖閣諸島については逆に日本が領土紛争の存在を否定している。領土紛争の有無は、相手方の領土主張に対して一定の正当性を認めるかどうかに関わる。
 土地の所有権に例えると分かりやすい。ある日Aの家の前を通りかかった人(B)が突然家に来て、この家は自分の家だと申し出た場合(ケース1)と、Xが所有する土地をまずYに売り、それを隠してZにも売った(二重売買)ときに、土地の所有権がYにあるかZにあるかが問題になった場合(ケース2)を考えよう。ともに特定の土地の所有権が問題になっているが、状況は全く違う。ケース1のBの主張は完全な言いがかりだが、ケース2のY、Zにはそれぞれ一理ある。紛争があるというのはケース2で、主張の対立があっても紛争がないというのがケース1だ。
 尖閣諸島については、日本はケース1、中国はケース2に当たるという立場だ。逆に竹島については、韓国はケース1、日本はケース2と考えている。日本が竹島について領土紛争があると考え、尖閣諸島についてはそう考えないことは、全く矛盾していない。
 領土紛争の存在を認めることは、相手方の領土の主張に一定の正当性を認めることである。領土紛争の存在を認めると、両国はその領土紛争の解決のために話し合いを始めることが求められる。この点を如実に示すのは、北方領土に関する日本とソ連(現ロシア)の経緯だ。北方領土については1956年の日ソ共同宣言で継続協議とされたが、その後ロシアは領土問題は解決済みと主張し始めた。ソ連の主張は日本側の粘り強い交渉で覆され、91年の日ソ共同声明でソ連は領土問題の存在を認め、日ソ間で北方領土の帰属を巡る交渉が始まった。
 ソ連が領土紛争を認めたというのは、領土の帰属が全部または一部が日本のものでありうることを認めることにほかならない。尖閣諸島について、そうした立場にわが国は立つべきなのか。尖閣諸島の帰属について、中国が日本領とは認めないという主張をして日中間で見解が対立することと、領土紛争があるということは全く違うことだ。
 また「紛争」を「国際紛争」と呼ぶ場合もあるため、国際紛争(ConfliCt)と紛争(dispute)が混同されることがある。国際紛争とは武力衝突のある状態を意味し、それに至らない状態を対立とよぶ。紛争が元で対立や武力衝突が生まれることはよくあるが、紛争の有無にかかわらず対立や武力衝突は起こりうる。日米安保条約が関係するのは武力衝突であって紛争ではない。尖閣諸島を巡って武力衝突が起きれば米軍は動くことになろうが、尖閣諸島の帰属を巡って米国が日本の味方をしてくれると考えるのは早計だ。
 米国政府も尖閣諸島の領有権については中立の立場をとることを再三述べている。国際紛争や国家間対立は国際社会の平和に関わる国際的関心事項だが、領土帰属の問題は国内の土地係争と同様に基本的には関係2国間の問題だ。

 紛争の司法的解決を考える際には、国際裁判と国内裁判の違いを頭に入れる必要がある。国内の紛争については、当事者の一方が裁判所に付託すれば他方の意向にかかわ121010senkaku らず、裁判所が最終的な決着をつけられる。他方、国際裁判にかけるには、両当事者の合意が必要だ。国際社会では、紛争の平和的解決が義務づけられているが、国際法にのっとってICJなどの国際裁判所で解決することまでは要求されていない。
 国内ならばケース1でもケース2でも、所有権を主張する側は裁判所に訴えて決着をつけられるが、国際社会はそうではない。紛争を平和的に解決するための一つの選択肢として、国際裁判所による司法的解決があるにすぎない。
 竹島について日本政府は韓国に対してICJへの付託を提案した。それは日本が国際法にのっとった解決を志向することを通告し、韓国の一連の行動への「対抗策」を打っただけであり、韓国はそれに応ずる法的義務も道義的義務もない。一時マスコミは応訴しない場合は韓国側に説明責任が生じると報じていたが、それは誤りだ。国際裁判は、紛争解決のための有力ではあるが一つの解決方法でしかない。
 最近ICJでは領土問題の扱いが増えている(表参照)。とはいえ、国際裁判の領土問題への関与についての評価が変わったわけではない。国際裁判所で領土問題の解決が可能なのはどういう場合だろうか。第1の条件は、領土問題を残しておくよりも、たとえ全部ないし一部が相手方に移っても領土問題の解決の方が重要だという意識が生まれることだ。例えば、領土がどちらに帰属しても大した話ではなく、領土問題が残ることで両国間の関係が悪化するのは良くないという雰囲気が広く存在するような場合だ。
 領土に関連して海洋資源や鉱物資源が取り沙汰されるが、竹島問題があっても、日韓間では漁業協定や大陸棚開発に関する協定も既に締結されている。同様に、尖閣諸島問題があっても、東シナ海漁業について日中漁業協定が成立している。これらの例は、領土問題を解決しなくても周辺の天然資源問題を処理できることを示している。
 どのような形であれ、平和的に領土問題を解決した方がよいという判断が成り立てば、次にそれをどう実現するかが問題になる。最後まで交渉により解決を図るという考え方もあるが、裁判官という第三者により国際法にのっとって結論を出してもらった方が短時間で済み、かつ国民などの関係者の納得も得られやすい、すなわち処理コストが低いと考えられる場合もある。この意識が成り立てば、当事国は国際裁判による司法的処理を選ぶことになる。ただし、一方の勝訴の可能性があまりに高い場合には、他方の裁判付託の誘因は弱まる。
 尖閣諸島や竹島についてICJで解決を得るには、島の帰属問題よりも両国間の関係の安定化の方が重要であり、かつ帰属問題を解決する最善の方法は司法的解決だという意識が日中韓3国の間になければならない。しかし、島の帰属を巡る対立が反日感情と結びつき、尖閣諸島の領有が中国の核心的利益と位置づけられている現状では、国際裁判により問題を処理する条件は全く整っていない。

 領土帰属がナショナリズムと結びついた大きな政治問題である限り、力ずくの解決を求めないとすれば、関係国・国民が冷静になり両国関係が安定するまでは、領土帰属を巡る対立を完全に解消できないと考えるほかない。両国の主張の是非について最終的な決着をつけることは求めず、当面凍結して、対立の解消に向けた雰囲気が醸成されるまで問題処理を気長に待つ以外に方法はない。国際問題の平和的解決を国是にすることは、一刀両断の解決を求めないことといえる。(こてら・あきら 52年生まれ。東京大法卒。専門は国際法)」(2012/10/09付「日経新聞」p13より)

最初にも書いたが、今日は“こんな見方もあるのか・・・”という勉強。よって、今日はコメント無し。オワリ・・・

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2012年10月 9日 (火)

「世界の高齢化 長寿の配当受け取る社会を」

先日の朝日新聞「私の視点」に「世界の高齢化 長寿の配当受け取る社会を」という記事があった。国連の立場の人から見た日本の高齢化社会とは・・・・? 曰く・・・

<私の視点>世界の高齢化 長寿の配当受け取る社会を
    国連人口基金(UNFPA)事務局長 ババトゥンデ・オショティメイン
 国際高齢者デーの10月1日、国連人口基金(UNFPA)は高齢者支援に取り組む民間団体「ヘルプエージインターナショナル」とともに報告書「21世紀の高齢化 祝福すべき成果と直面する課題」を東京で発表した。
 高齢化が世界全体で急速に進んでいる。現在、60歳以上(国連では60歳以上を高齢者と呼ぶ)は9人に1人だが、2050年には5人に1人になる。とくにアジアにおいて高齢者の比率の増加が際立つ。こうした現状を知らせ、各国政府に必要な対応をとるように促す報告書を発表する場として、私たちは日本を選んだ。
 日本は世界一の高齢社会だ。高齢者比率は12年の統計で31.6%で、世界で唯一、30%を超えている。だが今回日本を選んだ理由はそれだけではない。より大きな理由は、世界の手本となる国だからである。
 例えば「敬老の日」の存在は世界が見習うべき慣行だ。60歳を超えても働き続けられるし、起業したければ融資も受けられる。国民すべてが加入する医療保険システムや年金制度、支援が必要な人たちを登録し、必要に応じてケアを提供する介護保険システムもある。認知症の対策を全国規模でとっている点はとりわけ評価できる。大切なのは、高齢者をコミュニティーの一員ととらえる考え方だと思う。こうした日本の取り組みは、途上国の多くにとって非常に参考になる。ぜひ広く世界に伝えてほしいと願っている。

 今年は「高齢化に関するマドリード国際行動計画」が採択されて10年の節目だ。この計画は02年にマドリードで開かれた第2回高齢者問題世界会議でまとまった。その後の10年を振り返ると、高齢者問題が重要だという認識は各国政府で明らかに高まっている。しかしまだ十分ではない。この間に高齢者のための法律や国家計画をつくった国は57。世界に190以上の国があることを考えると、あまりに少ない。
 高齢者対策の第一のポイントは所得の保障だ。高齢者が経済的に自立できるよう後押しし、力づけなければならない。第二は保健医療サービスの提供だ。安価でアクセスしやすいヘルスケアが必要である。この二つのポイントを人権という基礎にたって進める。つまり、年金や医療保険は高齢者の権利であるという考え方が大事である。さらに、これらの制度で家族全体が利益を得ることも忘れてはならない。
 高齢者に優しい社会は、高齢者が貢献できる社会である。実は高齢者の生産性は高い。正しい措置が講じられれば、社会は長寿の配当を受け取ることができる。
 ところが、「高齢者に仕事を」と訴えると、若者に仕事の優先権を与えるべきではないか、と反問されることがある。若者の失業率の高さが多くの国で問題になっているのは事実だ。しかしこれは「高齢者か若者か」と二者択一を迫る問題なのか。質の良い仕事はすべての世代にとって重要である。
 国際労働機関(ILO)が提唱する「ディーセントワーク(働きがいのある人間らしい仕事)」という理念に、私たちは共感する。若者にはディーセントワークを提供すべきだが、それは決して高齢者の柔軟な働き方を妨げるものではない。高齢者には経験があり、知恵があり、ノウハウがある。若者のディーセントワークを支えるのが高齢者だろう。柔軟に働くことは、すべての人の利益になるはずだ。

 UNFPAの大きな使命は人口爆発を防ぐことだった。過去60年間で合計特殊出生率(女性1人が産むと見込まれる子どもの数)は6.0から2.5へと半分以下になった。私たちは、産む、産まないは女性が選択すべきだという考えを広め、女性差別をなくすように求めて出生率を低下させてきた。だがそれが高齢化社会をもたらしたわけではない。高齢化は衛生、環境、栄養、医療、保健のすべてを改善してきた結果、我々が勝ち取ったものだ。まさに祝福すべき成果なのである。
 とはいえ、各国政府が必要な社会制度を整えなければ、たちまちさまざまな問題が噴出するだろう。素晴らしい制度を持っている日本でさえ、不断に努力する必要がある。高齢化は未来の問題ではない。まさにいま現在、取り組まなければならない課題だ。そこで重要なのは、高齢者は多様であるという認識である。貧困層、女性、男性といった集団ごとに特有のニーズがある。それぞれに応じた対策を講じていかなければならない。
 近代化した社会では、子どもは親から独立し核家族を作る。親は高齢になっても自立していたいと望む。この流れを逆戻りさせるのは難しい。高齢者が自立して暮らすには、年金や医療制度を整えるだけでは足りない。暮らしやすい家、使いやすい交通手段、栄養十分な食事、そしてコミュニケーションが不可欠だ。最近の情報技術の進展は、親と子、祖父母と孫がつながるのに大いに役立っている。こうした最新技術の活用の面でも、日本は世界のお手本になると期待している。(構成・編集委員・高橋真理子)
(ババトゥンデ・オショティメイン=49年、ナイジェリア生まれ。同国の保健相、国家HIV/エイズ活動委員長などを歴任し、11年から現職。) 」(2012/10/08付「朝日新聞」p15「私の視点」より)

毎回言っているが、同じ事象も、見る視点が異なるとその風景は大きく違って見える。
日本の高齢化社会も、見方によって“世界の手本となる国”と見えるらしい。しかもそれが、国連の人口問題担当の事務局長が言うのだから、その意味は重い。
「高齢化は衛生、環境、栄養、医療、保健のすべてを改善してきた結果、我々が勝ち取ったものだ。まさに祝福すべき成果なのである。」とまで言われてみると、そんな見方もあるな・・・とも思う。

先日、市役所から介護保険証が送られてきた。介護認定の申請もしていないのに、何で??と思ったら、65歳に達すると機械的に全員に保険証が送られてくる仕組みらしい。

話は飛ぶが、(大きな声では言えないが)今朝大事件が起きた。出社前にいつものコーヒーショップでコーヒーを飲もうと、コーヒーカップにミルクを注いだ。すると、何と!!近くに置いてあった水の入ったコップが白く濁った・・・! あわてて“誰か見ていないかな・・・?”と、周囲を見回してしまった・・・
この世に生を受けて65年。その長い人生で、コーヒーを飲むとき、コップの水が白く濁ったのは初めて・・・・(まあ単純に、隣のコップにミルクを入れてしまっただけだが・・・)

あれだけ「何でオレに介護保険証なんだ?」とバカにした青い介護保険証が、妙に身近に感じられる秋の夜である。

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2012年10月 8日 (月)

土居裕子の「ちいさい秋みつけた」

やっと秋らしくなってきた。とにかくこの夏は異常気象だった。いつになっても秋風が吹かないな~と思っていたが、それがやっと・・・・。たぶんこれから急速に秋になるのだろう。そしてあっと言う間に冬へ・・・・
そして短い秋にはこんな歌を・・・。「ちいさい秋みつけた」である。
数えてみたら、自分はこの歌の音源を22曲持っていた。老舗のボニー・ジャックス(ここ)を除くと、他の歌はまあまあ・・・。
それが、先日NHK FMで土居裕子の「ちいさい秋みつけた」が放送されていた。少々テンポが速いものの、この歌唱は素晴らしい・・・

<土居裕子の「ちいさい秋みつけた」>

 「ちいさい秋みつけた」
    作詞:サトーハチロー
    作曲:中田 喜直

  誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
  めかくし鬼さん 手のなる方へ
  すましたお耳に かすかにしみた
  よんでる口笛 もずの声
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

  誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
  お部屋は北向き くもりのガラス
  うつろな目の色 とかしたミルク
  わずかなすきから 秋の風
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

  誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
  むかしの むかしの 風見の鳥の
  ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
  はぜの葉あかくて 入日色
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

あまりにも聞き慣れて歌だが、この土居裕子の歌声は自分にはフィット・・・・。しかし土居裕子のCDはなかなか手に入らない。唯一、彼女のオフィシャルサイトからだけ手に入る(ここ)。
この曲も探しに探したら、NHKの「みんなの歌」のCDに入っていた。しかし「みんなの歌」で、いつ放送されたのかは分からない。自分が持っている音源の中では最速だが、放送時間の関係で、テンポが速いのかな・・・??

それはそれとして、ちいさい秋といえば、今朝の日経新聞の「春秋」に、どんぐりころころの話が載っていて面白かった。曰く・・
「使わない文房具が引き出しにあふれている。その中に紛れてドングリが一つ。誰がくれたのか、自分で拾ってきたのか。日ごろは気にもとめないが、弾丸のような完璧な流線形に、表面は傷一つない。何年も捨てずにいた訳が分かる気がする。机の中に小さい秋がある。
童謡の「どんぐりころころ」に、幻の3番の歌詞があるのをご存じだろうか。ドングリが池にはまり、ドジョウが出てきて一緒に遊ぶのが1番。やっぱりお山が恋しくて、泣いてドジョウを困らせるのが2番。それで終わりでは子供にとって悲しすぎると考えたのだろう。別の音楽家がハッピーエンドの歌詞をつけ足した。
どんぐりころころ泣いてたら、仲良し子リスが飛んできて、落ち葉にくるんでおんぶして急いでお山に連れてった――。実は桂文枝さんが創作落語でつくった4番もある。どんぐりころころ帰ったら、仲間がみんな拾われて、お話し相手がいなくなり、どじょうに会いに転がった……。これで物語はエンドレスに続く。
実りの秋は忙しい。連休が明ければ、大きな国際会議があり、ノーベル賞の発表も続く。ところが政治の行方はさっぱり見通せず、景気の方向も定まらない。多くの政治家や経営者が、大差のない背比べをしているように見えるのは気のせいか。この国が衰退しないことを念じながら、手のひらでドングリを転がしてみる。」(2012/10/08付「日経新聞」「春秋」より)
何と3番と4番もあったとは・・・・。もっともオリジナルにはない歌詞だが、何とも楽しい話だ。(もちろん、とっくに著作権も切れているので問題ない)

さっきのNHKニュースでは、京大・山中教授がノーベル生理学医学賞受賞・・・と大きく報道されていた。良い話もある。
話があっちこっち飛んだが、せっかくの秋。短い間だが、運動会に(?)旅行に、大いに楽しもう。

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2012年10月 7日 (日)

「なおざり」と「おざなり」

今日は、軽い話・・・
先日の日経新聞に「その違いわかりますか」というコラムがあり、「なおざり」と「おざなり」の違いについて、書いてあった。曰く・・・

その違いわかりますか~なおざりとおざなり
先日、ある旅館について友人が「あそこは接客がなおざりでよくない」と言った。そのときは気付かず、聞き流したのだが、実はこれ「接客がおざなり」の間違い。響きが似ているので、こんなふうについ取り違えて使ってしまうこの2つの言葉。辞書を引くと、なおざりの意味は「いい加減にしておくさま」。おざなりは「いい加減に物事をすませること」。
いい加減、適当というニュアンスは共通だ。
では、何が違うかというと、なおざりがいい加減ゆえに何もしないのに対し、おざなりはいい加減とはいえ、一応何らかのアクションを起こすこと。つまり、友人が泊まった旅館のスタッフは、形式的に心がこもっていなくても、とりあえず接客はしたわけで、その様子がおざなりだったというのが正解だ。
なおざりは、猶(なお=そのまま)と去り(さり=遠ざける=何もしないで放っておく)が合体したという一説があるが、定かでない。平安時代にはすでに使われていた古い言葉だ。のちに「等閑」という同義の漢語が漢字に当てられた。
一方のおざなりは、漢字で書くと「御座なり」。使われだしたのは江戸時代から。座敷(宴会の席)で、その場だけの表面的な言動をするさまから来た。2つの違いをなおざりにしないで、しっかり使い分けよう。(ライター 松田亜希子)」(2012/10/06付「日経新聞」s3より)

当サイトのコンセプトは“ヘエー”だが、「なおざり」と「おざなり」の違いについては、“ヘエー”では無いので、念のため・・・・(←つまり自分は知っていたぞ・・・)
しかし、「おざなり」という言葉は使うが、「なおざり」という言葉はあまり使ったことはない。でも何と平安時代から使われているという。どうして分かるのかな? 古文書に出てくるのか・・・・? 
改めて広辞苑を引いてみた。
『おざ‐なり【御座なり】
 当座をつくろうこと。その場のがれにいいかげんに物事をするさま。「―の計画」「―にする」「―を言う」』
『なおざり【等閑】ナホザリ
①あまり注意を払わないさま。いい加減にするさま。かりそめ。おろそか。ゆるがせ。源氏物語若菜下「―のすさびと初めより心をとどめぬ人だに」。「規則を―にする」「―な態度」
②あっさりしていること。徒然草「よき人は…興ずるさまも―なり」 』
この説明では“アクションの違い”は分かりづらいが・・。

当たり前のことだが、人が話をする時には、自分の言葉で話す。つまり自分のモノになっていない言葉は使わないもの・・・。よって、自分が「おざなり」という言葉をあまり使わないのも、多分この言葉が自分にフィットしていないのだろう。
でもこんなコラムは楽しい。「その違いわかりますか」という題からして、言葉の違いを論ずるコラムかどうか分からない。来週をまた楽しみにするか・・・・(←多分忘れると思うけど・・・)

●メモ:カウント~340万

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2012年10月 6日 (土)

少子高齢化~女性労働力の活用

先日の朝日新聞の社説にこんな記事があった。曰く・・・

少子高齢化―がんばりようがあるか
 たぶん、「がんばりようがある」とわかれば、みんな、なんとか、がんばっちゃうんだと思う。/「がんばりようがない」というときが、いちばん、じつは、くるしいわけで。(糸井重里「羊どろぼう。」から)
 「がんばりようがある」と思うのは、どんなときだろう。
 65歳以上の高齢者が今年、3千万人を突破した。20~64歳の現役世代は減少していく。65年に9.1人で1人のお年寄りを支える「胴上げ型」だった日本社会は、いまや2.4人で1人の「騎馬戦型」。2050年には1.2人で1人を支える「肩車型」になる――。
 政府が社会保障と税の一体改革を訴えるため、盛んに発信したメッセージである。
 これで「がんばれる」だろうか。現役世代は肩の荷が際限なく重くなる絶望感を抱き、高齢者は年をとることが何か悪いことのようで不安になる。そんな反応が自然だろう。
 ここで示された人口構成の変化にうそはない。
 だが、「支える」ための負担の重さは本来、「働いていない人」1人を何人の「働いている人」で支えるかで示すべきだ。
 この指標だと、見える風景は違ってくる。
 今年の労働経済白書の試算によると、働いていない人と就業者の比率はここ数十年、1対1前後で安定してきた。
 高齢者が増える一方、子どもの数が減ることで、社会全体としてみると、働いていない人の割合が極端に高まっているわけではないからだ。
 さらに白書は今後、一定の経済成長を達成し、多くの女性や高齢者が働くようになるケースでは、就業者は現状の延長に比べ、2020年で352万人、30年で632万人増えるという見通しも示している。今より働く人の比率が増える。
 働き手が押しつぶされる肩車型のイメージとは随分違う。
 もちろん、年金や医療、介護でお金がかかる高齢者が増えるため、社会全体での負担増は避けられない。
 ただ、働いていない人が就業者に回れば肩の荷は軽くなる。
 ことに女性の就業である。女性が働きやすい政策が展開されると、出生率が上昇する傾向は多くの先進国でみられる。子育ての支援は、女性の就業率を向上させながら、少子化も改善するという点で効果が大きい。
 働ける人が働くのは「がんばりようがある」世界である。そこに目を向けて、一人ひとりが「がんばっちゃう」と、世の中は変わる。」(2012/10/04付「朝日新聞」社説より)

高齢者激増の議論が盛んだが、この記事が言うように、視点を変えて「働いていない人」1人を何人の「働いている人」で支えるか、という指標では、ここ数十年あまり変わっていないという。 少し元気が出るな・・・

ところで、先日のNHKラジオ第2で、こんな話を聞いた。
・ゴールドマン・サックスのレポートによると、「日本の男女雇用格差を解消できれば、日本の就業者数は820万も増加し、日本のGDP水準は15%も押し上げられ、これは日本の自動車産業のおよそ2倍の規模になる」
・2011年11月の英国のエコノミスト誌によると、「日本が高齢化社会に突入し、経済が弱体したとき、日本企業は力強くてエネルギーに満ちた働き手をどこから探してくるつもりだろうか。女性の活用が成されていない日本社会の歪みをこれでもかと指摘して、日本企業は慎重に紙をリサイクルするが、女性の能力を無駄にすることには無頓着」
・米国のシンクタンク、シルビア・アーヒューレットさんは「日本経済復興の特効薬は、女性の活用にあるが、今も才能とやる気にあふれた多くの女性が男性社会の壁に阻まれている。」という。
・ダボス会議のグローバル・ジェンダー・ギャップ指数によると「各国の男女平等指数=世界男女格差指数で、世界135カ国中98位。先進国では最下位。日本は高等教育を半分以上の女性が受けているにもかかわらず、そのうち9%しか指導的立場についていない。女性の有能な能力を充分に活用しきっていない。」
これらの報告書を読む限り、先進国で最も労働人口の危機にさらされながら、依然として女性の活用に消極的な不思議な国ニッポン・・・、という風に世界は見ているような気がする」(2012年09月16日21時NHKラジオ第2「文化講演会「歴代の金メダル監督に学ぶ」ジャーナリスト…吉井妙子」より)

テレビドラマの昔の場面で、よく「女に教育は必要無い」と父親に言われて、女の子が学校に行けなかった・・・という場面に出くわす。つまりこれは、女性は専業主婦が当たり前、という日本の文化に根差すのだろう。
一方、中国を初め、ベトナムなど海外に行くと、女性が働くのは当たり前の世界。若しかすると、専業主婦なる言葉は、日本独自???これは調べていないので分からない。
しかし女性労働力の活用、という面では、単に就職の問題だけでなく、子どもの保育機関充実の問題など、そう簡単ではない。
先日、テレビで映画「大奥」を放送していた。男だけが罹る流行病で、男の数が激減。女性が左官・大工などで働いている場面があったが、これを面白いと感じるうちはまだまだ・・・
日本の国家政策として、子ども手当の次に、女性雇用拡大の政策が出てくるのはいつの時代だろうか・・・

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2012年10月 5日 (金)

“ことば”は生きもの~若者言葉から

今日の夕方のNHKニュースで、俳優・大滝秀治さん(87)が死去したと報じていた。存在感があった俳優であり、段々寂しくなる・・・。

さて、先日の朝日新聞「天声人語」にこんな記事があった。
「生まれては消え、消えては生まれ。うたかたのような言葉の中にも、生き延びて市民権を得るものがある。腹が立つ意味の「むかつく」もどうやら根を張ったらしい。日常会話で使う人が全体の約半数、30代までに限れば4分の3を超えるそうだ.
文化庁の国語世論調査は毎年、ひとしきりの話題を提供してくれる。今年の調べでは、「なにげなく」を「なにげに」と言う人が約3割いた。「正反対」を「真逆(まぎゃく)」、「中途半端でない」を「半端ない」がともに2割強と聞けば、言葉は生きものだと痛感する。
この手の言葉は、若者の間から生まれて、年かさの世代へ攻め上がる。年配層は眉間(みけん)にしわが寄るが、「真逆」も「半端ない」も16~19歳では6割以上が使っている。遠からず定着と相成るのだろう。
これを乱れと見るか、言葉の賑(にぎ)わいと見るか。茨木のり子さんに「日本語」と題する詩がある。〈制御しがたい奔流は/濁りに濁り/溌剌(はつらつ)と流れてゆくがいい/決壊を防ごうと たとえ百万人/力を併せて清潔なダムを作ってみても/そこに魚は住まないだろう〉。
茨木さんは別の随筆で、聞き苦しい言葉は無数にあると言いつつ、「いやな日本語を叩(たた)きつぶせば、美しい日本語が蘇(よみがえ)るというものでもないだろう」と書いていた。
曖昧模糊(あいまいもこ)を「あいもこ」、かくかくしかじかでを「かくしかで」――などと若者言葉は多彩だ。眉が八の字になりかけるが造語の才には脱帽する。頑迷にならず、迎合もせず、生きた濁流を眺めようか。 」(2012年9月29日付「朝日新聞」「天声人語」より)

ウーン・・・・。この造語には「むかつく」な~~。(おっと「むかつく」を初めて使ってしまった!!)
言葉には品性というものがあると思う。ここに挙げられた「むかつく」「なにげに」「真逆(まぎゃく)」「半端ない」などという言葉は、自分的には品性があるとは思えず、古い自分は使ったことが無い。
ところで、これらの言葉は、広辞苑的にはどうなのだろうと、引いてみた。すると・・・・
「むか‐つ・く  自五
 ①胸がむかむかする。吐き気をもよおす。「飲みすぎて胃が―・く」
 ②癪しやくにさわって腹が立つ。「相手の態度に―・く」  」

が、ひとつだけ見つかった。

考えてみると、そりゃそうだ。広辞苑に載っていないからこそ話題になる。
確かに、中国の簡体字ではないが、効率化のために言葉を略する流れはあるのだろう。しかし、“造語の才には脱帽する”ものの、“感心する”造語はあまり知らない。
文化庁の国語世論調査をちょこっと覗いてみた(ここ)。
すると自分もエラそうに言えないな・・・と思った。
そこには誤使用例があった。
「失笑する ⇒○こらえ切れず吹き出して笑う ×笑いも出ないくらいあきれる」
「割愛する ⇒×不必要なものを切り捨てる ○惜しいと思うものを手放す」
「にやける ⇒○なよなよとしている ×薄笑いを浮かべている」
自分は少なくても上の3つは×。でも皆で渡れば怖くない!?お互いが間違って使っていればそれはそれで平和・・・

話は変わるが、ふと、昔のテレビドラマ「JIN -仁-」(ここ)を思い出した。
若い脳外科医が江戸時代にタイムスリップする話だが、当時「江戸時代にタイムスリップしても日本語は同じかな?通じるのかな?」という疑問を持った。
しかしこの天声人語を読んでいると、自ずと答が出ていることが分かる。
つまり、時代時代によって、時の言葉は違う。“てにおは”は同じでも、名詞の類は、ほとんどが違うだろう。つまり、時の文化が違うので、話はほとんど通じないのでは!?

おっと、自分とて平成の世に生きる者・・・。幾ら世代が違うとは言え、同じ時代の言葉が分からない・・・というのでは、あの世に行ってからみっともない。せいぜい、若い人の言葉を理解するよう努力でもしようか・・・(←直ぐに忘れると思うけど・・・)

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2012年10月 3日 (水)

久保木幸子・伴久美子・安田章子の「花かげ」

自分はどうも童謡「花かげ」に囚われてしまっているようである。よって、誰かが「花かげ」を歌っていると、必ず録っておく・・・。よって「花かげ」の音源も19曲になった。
自分の場合、一番好きなのは塩野雅子の歌(ここ)であることに変わりはないが、先日、NHKラジオ深夜便で、久保木幸子の「花かげ」を初めて聞いた。
録音は古いが、その清々しい歌唱に魅了された。本当に少女の歌・・・。

<久保木幸子の「花かげ」>

「花かげ」
     作詞:大村主計
     作曲:豊田義一

十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの おねえさま
くるまにゆられて ゆきました

十五夜お月さま 見てたでしょう
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの ねえさまと
お別れおしんで 泣きました

十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
遠いお里の おねえさま
わたしはひとりに なりました

ふと、歌詞で、“桜”で“十五夜”・・・??と気付いた。今年の十五夜は先日の9月30日だったがのに・・・と。そうしたら広辞苑にはこうあった。
「じゅうご‐や【十五夜】
  旧暦の毎月15日の夜。三五さんごの夕。「―の月」
  旧暦8月15日の夜。秋(旧暦7・8・9月)の最中もなかに当るから仲秋といい、また、月に芋を供えるので芋名月という。古来、観月の好時節とされ、月下に宴を張り、詩歌を詠じ、民間では月見団子・芋・枝豆・栗などを盛り、神酒を供え、芒すすき・秋草の花を盛って月を祭った。」

つまり、十五夜は毎月あり、先月は中秋の名月だった・・・。大いなる勘違い・・・(=無知・・ホホホ)

121003kubokisachiko さて、久保木幸子は、昭和20年代のいわゆる童謡歌手。前にも書いたが、子どもの頃自分の家にも彼女らの童謡のSPレコードがあった。「自宅でレコードコンサートをやる」と言って親父が買ってきたもの。(結局、自分の音楽人生は、どうもそれがスタートらしいことは前に書いた(ここ))。

ついでに(失礼!)、自分が好きな他の童謡歌手でも聞いてみよう。
まずば、大御所の伴久美子・・・

<伴久美子の「花かげ」>

伴久美子の歌は、何歳の時の録音かは知らないが、何か大人びて聞こえる。お姉さんの歌・・・。
121003yasudaakiko 次に彼の安田章子。

<安田章子の「花かげ」>

この歌も、なかなかのもの。実に声がキレイ・・・。何かセーラー服を着て歌っている感じ・・・。
その安田章子も、大人になるとこうなる・・・・。まさに世界の大姉御の貫禄である(失礼!)。

<由紀さおりの「花かげ」>

シルバー族にとっては、良く分からない若い歌い手さんよりも、よっぽど昔の童謡の方がフィットするのであ~る。

121003yukiyasuda(2012/10/04追)
いやはやビックリ!? 由紀さおりの本名が安田章子だっていうことを、ウチのカミさんが知らなかった・・・・。ちなみに、由紀さおりのお姉さんが安田祥子だってことも!??

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2012年10月 2日 (火)

「働きやすい会社2012」ランキング

日経新聞に毎年恒例の「働きやすい会社」のランキングが発表された。今年も眺めてみようか・・・。

働きやすい会社2012~パナソニック、再び首位
日本経済新聞社は29日、主要企業を対象に実施した2012年の「働きやすい会社」調査の結果をまとめた。3年ぶりに総合首位となったパナソニックをはじめ、電機各社が上位を占める傾向が続いた。グローバル化に即した人材採用や、育児・介護との両立支援など働く環境の変化に素早く対応した企業が高い評価を得た。

<働きやすい会社 2012>
①(4) パナソニック  511.16
②(2) 日立製作所  503.55
③(3) 東  芝     503.52
④(5) ダイキン工業  502.86
⑤(1) ソ ニ ー     500.06
⑥(13)第一生命保険 490.51
⑦(6) 富士フイルム  488.08
⑧(7) キヤノン     483.83
⑨(50) イ オ ン    481.78
⑩(10)損害保険ジャパン 478.75
(注)カッコ内は昨年順位

 調査は10回目で今回は日経HR、日経リサーチと共同で企画。企業の人事・労務制度の充実度を点数化し、ビジネスパーソンが重視する度合いに応じて傾斜配分し、ランキングを作成した。4つのテーマ別にランキングも作った。
 パナソニックは前年の4位から順位を上げ、09年以来の総合首位。テーマ別でも「人材の採用・育成」と「多様な人材の活用」で2位に入った。グローバルに活躍できる人材の獲得に向け、中国や北米などに「リクルートセンター」を設けて現地で人材を一括採用。12年度は通年で1100人を採用し、来年度も同水準を予定している。
 社員教育も充実させている。今年から丸1日英語のみを使う日を設けるなど、社員が自ら語学の習得に取り組むよう意識づける研修を始めた。「内向き」といわれる新入社員向けに精神面のケアを重視した教育も始めた。

内外の人事評価 日立が共通化へ
 日立製作所は前年と同じ総合2位。昨年度からグループ約900社、32万人の人事データベースの整備に着手した。課長職以上では世界共通の人事評価制度づくりも進める。国内外で人事制度を統一して人材を有効活用する狙いだ。11年度には主任級以下の海外研修制度を大幅に拡充し、この2年間で約2千人を海外に送り込んだ。
 総合3位の東芝は「多様な働き方への配慮」で高評価を得た。11年4月に横浜事業所に「きらめキッズ横浜」と呼ぶ社内保育園を開設するなど、仕事と育児の両立支援を強化している。妊娠、出産、育児といった各段階で利用できる支援制度を分かりやすく紹介した冊子も発行している。
 電機各社はバブル崩壊後の低成長に加え、ここ数年はグローバル競争の激化で経営環境が厳しく、国内では人員増強が難しくなっている。賃上げよりも労働時間の短縮や休業制度の充実などで社員の働きに報いてきた。一方で競争力を高めるため、外国人や女性など多様な人材の戦力化を急いでいる。

有給休暇の取得第一生命が促進
 第一生命保険や損害保険ジャパンといった生損保各社が上位に入ったのも目立つ。
 第一生命は社員が年度初めに有給休暇の取得計画を立てるといった施策により、11年度の有給休暇消化率が前年度から4.1ポイント上昇した。

働く環境、何を重視~労働時間の適正さ
 同時に実施したビジネスパーソン調査では、働きやすい会社の条件を聞いた。非常に重視する項目で最も多かったのは「労働時間の適正さ」(43.48%)で「休暇の取りやすさ」 (42.26%)が続いた。「半休や時間単位など年次有給休暇の種類が充実」(32.03%)も多い。
 厚生労働省の就労条件総合調査によると2011年の年次有給休暇の取得率は48.1%で前年から1ポイント上昇。一方、年次有給休暇を時間単位で取得できる企業は7.3%にとどまる。育児や介護をしながら働く人が増え、より柔軟に勤務時間を選べる制度が求められている。
 「社員の勤続年数の長さ」(36.82%)や「若手社員の定着率の高さ」(30.10%)を重視する人も多い。また、「人事考課の結果伝達、反論・修正機会の有無」(32.20%)や「評価結果・目標達成度フィードバックの有無」(28.58%)といった人事評価の透明性を望む声も多かった。」(2012/09/30付「日経新聞」より)

例によって大手電機メーカーがズラリ・・・。
でもこのランキングは、“自ら会社を選ぶ事が出来る”ラッキーな学生にとっては、会社を選ぶための有力な参考資料。その際に参考となるのが、「社員の勤続年数の長さ」「若手社員の定着率の高さ」といったデータ。短期的には給料などの待遇面が気になるが、サラリーマン生活は長期戦。よって定着率は、最も重要なアイテムでは??

そして、会社にとっては、働きやすさ、定着率といったデータを気にするのも良く分かる。言うまでもなく、会社は人の集まり。その人材の優劣で会社の将来が決まる。よって優秀な学生を集めるためにも、働き易さをアピールする。

話が変わるが、今朝の新聞に、携帯3位のソフトバンクが同4位のイー・アクセスを買収するという記事があった。サラリーマン、自分の会社の行く末は、自分の生活の根幹に関わる。
ふと、昔現役時代のことを思い出した。当時顧客だった人のつぶやきである。その人の会社は、元々日本有数の会社の子会社だったが、紆余曲折を経て、外資の会社となり、それがその時に、日本の新興オーナー会社に買収された。
設立当初古い会社の子会社だったので、企業年金等の社員待遇の仕組みは手厚い。しかし新興オーナー会社は、決して社員に対して暖かいとは言えない。その人曰く「会社が買収されて、その親会社に合わせ、給料が大幅に下がるんだって。しかし実際には下がらない。つまり、企業年金が廃止され、今まで積み立てた金を、給料が下がる分に充てられる。よって見かけ上は変わらないが、企業年金がいつの間にか無くなってしまう・・・」
この話を聞いた時、伸び盛りの若い会社は、社員にとってはどうなんだろう・・と思った。

自分がシルバー世代になって思う事は、長期戦のサラリーマンにとって、“古くて大きな会社”ほど社員に対しては暖かい・・・が結論。
しかし、毎度言っているが、一部の優秀な学生を除いて、ほとんどの学生は会社を選べない。それが現実。しかし、そんな中でも、目標は高く掲げて頑張って欲しいもの。
求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば開かれん。すべて求むる者は得、たづぬる者は見いだし、門をたたく者は開かるるなり」(『新約聖書』「マタイによる福音書」七・7-8)より

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2012年10月 1日 (月)

「住んでみたい街」①吉祥寺、芦屋/「実際に住んでみて良かった街」①横浜、西宮

今日から10月。下期のスタートである。それにしても暑い。今日は台風一過の晴天だったが、気温が何と31℃。とても秋とは思えない・・・・。
さて、先日の朝日新聞に「住んでみたい街」「実際に住んでみて良かった街」というアンケート記事があった。曰く・・・・
住んでみたい街~1位 吉祥寺、実際に住んでみて良かった街~1位 横浜
 マンション大手7社は27日、「住んでみたい街」(6月時点)の調査結果を発表した。首都圏1位は5年連続で吉祥寺、関西圏1位は8年連続で芦屋だった。初めて「実際に住んでみて良かった街」を調べたところ、首都圏は横浜、関西圏は西宮が1位だった。
 7社が運営するウェブサイト「メジャーセブン」の会員のうちマンション購入希望者の6千人が回答(自由記述)した。首都圏の上位10地域は順位は違うが、昨年と同じ顔ぶれ。11位以下では渋谷が昨年の21位から15位、武蔵小杉が24位から20位に順位を上げた。商業施設やマンション開発が進んでいるからだ。
 関西圏は3位までの順位に変動はなく、京都(11位→7位)と大阪(19位→10位)が上位10位に入った。」(2012/09/28付「朝日新聞」p11より)

この記事に従い「メジャーセブン」なるページを開いてみた。すると「第17回 住んでみたい街アンケート(首都圏/関西圏)2012年」というページがあった(ここ)。詳細なデータもある(ここ)。

それによると、結果は、
「マンション購入意向者に聞く、住んでみたい街アンケート(首都圏/関西圏)2012年度
[首都圏] 1位「吉祥寺」、2位「自由が丘」、3位「横浜」
「渋谷」「新宿」「武蔵小杉」がランクアップ
「実際に住んでみて良かった街」は「横浜」「吉祥寺」「中野」がトップ3
[関西圏] 昨年同様、1位「芦屋」、2位「西宮」、3位「夙川」
「神戸」「京都」「大阪」がランクアップ
「実際に住んでみて良かった街」は「西宮」「神戸」「豊中」がトップ3
海外で住んでみたい都市は、1位「ホノルル」、2位「ニューヨーク」、3位「パリ」
~新築マンションポータルサイト「MAJOR7」第17回マンショントレンド調査~」
だそうだ。(写真はクリックで拡大)

(首都圏)
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(関西圏)
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首都圏で1位の吉祥寺は、自分も馴染みの街だが、あまりピンと来ない・・・。皆さんが選んだ理由は「商業施設が充実」「公園が多い」「日常の生活に便利」「交通の便がよい」「自然環境が豊か」だそうだ。なるほど・・・・。それに、浦和も住んで良かった街の13位とは・・・。あまり関係無いが、自分の生まれ故郷の近く。結構良い所らしい・・・・。
昨日、夕食を食べながらテレビを見ていたら、若い女性が横浜は良い所、という話をしていた。買い物も何もかも、全て横浜でこと足りるので東京に行く必要が無い・・と。それで「通勤は?」と聞くと「東京・・・」というオチもあった。
でもこのアンケートは、あくまでマンションを買いたい人へのアンケート。つまりは前途洋々とした若い人の好み・・・

福島の避難民ではないが、年寄りは皆「どんな設備の良い所よりも、自分は住み慣れた家が一番」と言う。どこに住んでも良い、という若い人はともかく、年を取ると、慣れた所が一番・・・・のような気がする。
しかしそこまで達しない、いわゆる“高齢者寸前”の人は、まだ体力があり、幾分か冒険をしてみたいもの。当サイトにコメントを頂いたキャンピングカーで全国を回る人や、ポーランドなどで暮らす人など・・・。体力と時間があり、冒険心に富む人は60歳台がチャンス・・・。

121001sumitai7 一方、海外で住んでみたい街として、ホノルルが断トツ1位なのは良く分かる。自分も海外の街にそれほど行った訳ではないが、我が家で唯一リピートで行った街がホノルルなので・・・・
カミさんは未だに都会のマンションと言っているが、それはまだまだ若い証拠。トシと共にトーダウンするのを待つしかあるまい。しかし我が家で“最後の海外旅行”と位置付けているホノルルには、いつ行くのだろう・・・・

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