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2012年6月の28件の記事

2012年6月30日 (土)

「日航再生の明と暗~リストラの意外な勝者は」

先日の日経新聞の「経営の視点」に日航の再生についての記事があり、興味深く読んだ。曰く・・・

「日航再生の明と暗 リストラの意外な勝者は
 経営再建中の日本航空が9月に東証に再上場する見通しになった。2010年1月に同社が法的整理に追い込まれた際は「2次破綻もあり得る」という悲観論も多かったことを考えると、予想を超えるスピード再生といえる。
 企業の破綻とその後の再生劇は、ときに関係者の明暗をくっきりと分ける。日航をめぐって、大きな痛みを被ったのはまず株主と金融機関である。
 株式の100%減資で、既存の日航株は紙切れになった。3メガバンクなどの金融機関も、貸出債権の87.5%にあたる5215億円がカットされた。かつて絶大な信用を誇った「日本の翼」が負債の重みに耐えきれず、結果として借金を踏み倒したのだ。
 他の関係者の痛みも軽くない。多くの社員が希望退職や整理解雇で会社を離れた。企業年金も減額された。路線リストラで地域社会も泣いた。日航グループの撤退によって例えば広島西飛行場は定期便がなくなり、年内に廃港となる。
 一方で再生の果実を得るのはだれか。まず筆頭は今の日航株の96%を保有する公的ファンドの企業再生支援機構である。同機構は3500億円を日航に投じたが、再上場時にはその価値が7000億円に膨らむという見方もある。機構の大株主が政府であることを考えると、日航株への投資リターンの最終的な受益者は国民ともいえる。
 日航の社員もやはりメリットを得る。彼らの努力で会社が立ち直ったのだから当然かもしれないが、今夏の日航の賞与は2カ月分で、ライバル全日本空輸の1.5カ月分を上回る。さらに、財務に余裕の生まれた日航は最新の「ボーイング787」を大量に導入する予定。新型機材で快適なフライトを楽しめる乗客もそれなりの恩恵を得る。
もう一つ、見逃してならない「意外な勝者」がいる。航空市場の人材の流動性の低さに悩んできた新興の航空会社だ。元祖LCC(格安航空会社)のスカイマークは08年の夏に663便に及ぶ大量の欠航を出した。風や霧が原因ではない。パイロットが思うように採用できず、ギリギリの人数で回していたところに、機長2人が突然会社を辞め、人繰りがつかなくなったのだ。
 だが、日航のリストラで、100人以上の人材がスカイマークに移籍した。「ベテランの客室乗務員もいれば機長もいる。日航が人材を吐き出してくれたおかげで、当社の事業基盤が強くなった」とスカイマークの幹部はいう。
 長らく日航という城に囲い込まれてきた人材が解き放たれ、同社だけでなく他のLCCなどにも散らばった。それは航空市場の競争促進に寄与するだろう。
 米シリコンバレーが発展した一つの契機は、1990年代初頭のIBMの大リストラだ。IBMを辞めた優秀な人材が西海岸の新興企業に大量に流れ込み、それがシリコンバレーを活性化した。
 日航をめぐる破綻と再生のドラマも、単に「公的支援などで日航がやたらに元気になって終わり」ではつまらないし、痛みを被った人にも申し訳ない。これを機に日本の航空市場全体の活性化につなげたい。(編集委員 西條都夫)」(2012/6/25付「日経新聞」p9より)

今も、どこかの会社でリストラの風が吹きすさんでいる・・・。しかし、この記事は、決して暗い日陰の部分だけではないことを示している。日陰の部分と共に、日なたの部分もあるということ・・・。
しかしこの日航の例は、時間軸が短いだけに分かり易い。たった2年で、V字回復・・・。当時は皆の心は暗く、2年後のこんな復活劇は予想していなかったのではないか・・・
もちろんそれには彼(か)の京セラの稲盛さんの日航会長としての手腕も大きかったのだろう。しかし残念ながら、人件費の削減はどの会社でも一番大きな課題であることは確か・・・
約10年前に大々的に始まった電機業界のリストラでも、多くの人材が会社を去った。そしてその人材が韓国にも渡ったことは良く聞く話。そして多くの分野で日本は韓国に逆転された・・・。しかしそのうち、(使い捨ての韓国で?)未だに活躍している方がどれだけ居られるかは分からない。

毎度書くことだが、我々団塊の世代は、確かに良い時代を過ごせた。あとはどう現役の世代に返すか・・・。小さなことだが、とにかく健康でいることだけでもその貢献につながるのではないか・・・。
現在の生きることすら難しい時代を過ごす若い人に、何をしたら応援につながるのか、つい考えてしまうこの頃である。

<付録>
今日の話とは関係無いけど、今日の我が家の庭・・・・。カミさんが丹精込めたアジサイが、今を盛りに咲いている・・・(写真はクリックで拡大)

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2012年6月29日 (金)

NHKドラマ「はつ恋」にドキドキ??

当サイトに何度も書いているが、ハッキリ言って自分は“ミーハー”である。つまりテレビ番組において、自分の意志など無く、話題になったドラマを後から追いかけて見ている。
現在全8回中5回まで放送されたNHKドラマの「はつ恋」(毎(火)総合22時~)も同じ。見ていなかったが、どこかで今話題になっていると聞き、たまたま深夜放送で集中再放送があるのを録画したのがキッカケで、見出した。これはメロドラマ??

ストーリーは・・・
「村上緑(木村佳乃)は言語聴覚士として充実した日々を送っていた。それはやっと掴んだ日々だった。
初恋の相手の信じられない裏切りで、絶望の淵をさまよった緑は、年下の潤(青木崇高)との出会いに救われ、言葉が人に与える影響の強さを痛感し言語聴覚士となった。それくらいの言葉を初恋の相手、三島(伊原剛志)は残し、医師になったら迎えに来るという約束を信じ続けた緑の前から消えたのだ。今は、緑を心から愛す潤と幼い息子に囲まれて幸せを手に入れた。そんな時緑は肝臓がんと診断される。しかも手術は極めて困難と告げられる。
緑の肝臓がんの切除手術を成功させられるのは唯ひとり、現在パリで活躍する日本人スーパードクターだけだった。潤の奔走の末、その医師との面会がかなうが、緑の目の前に現れたのは、初恋の人、三島だった。思わぬ再会にその場を逃げ出した緑は、三島による手術を拒否する。しかし、愛する家族のために再び生きる決意をした緑は…」(
ここより)

広辞苑で“メロドラマ”を引くとこうある。
メロドラマ【melodrama】=波瀾に富む感傷的な通俗恋愛劇。もと、18世紀イタリアに起った、音楽を伴奏として台詞せりふの朗誦を行う劇。後には歌劇中にも挿入され、変化に富む場面や装置によりさらに神秘でロマンチックなものが多くなった。」
このドラマも典型的メロドラマなのだろう。
確かに展開が波乱に富み、次の展開を期待して(?)、ドキドキする・・・!?

高校時代の恋人同士が ⇒妊娠流産 ⇒大学医学部に行っていた恋人にそれを知らせに行ったら、冷たくあしらわれ ⇒ 言葉の重みから言語聴覚士になった ⇒年下の男からプロポーズされて結婚 ⇒息子にも恵まれ幸せな家庭 ⇒手術が難しい肝がん発症 ⇒世界的スーパードクターに手術を依頼 ⇒その医師が元恋人 ⇒昔、医師として初めて患者を死なせた時に、たまたま彼女が訪ねていった事を知る ⇒その医師が脳出血で失語症に ⇒言語聴覚士として元恋人を治療・・・
といった展開。
東京から失語症の治療に訪れた病院が、何で緑の居る静岡の病院???・・・など、不自然な設定も色々あるが、まあドラマだからそれはそれとして・・・。

妊娠までした元恋人に振られて心に傷を負い、35歳まで男っ気のない生活をしていたときに、一方的に結婚を申し込まれて結婚。幸せを掴んだのだが、元恋人に逢って心が揺らぐ・・・・。緑がセリフで言う。「幸せなのに、いったい私は何をしているんだろう」・・・
お互いの理性が勝って、いったんは別れるのだが、今度は医師と患者が入れ替わっての再会・・・という展開に、妻を愛する夫はいったいどうすりゃいいんだろう・・・・
緑にしてみると、夫と出会うずっと前の出来事。しかも夫からの一方的なプロポーズでの結婚だったので、結果として知り合う前の過去のことは、夫は何があってもそれを許す前提での結婚だった、ということになる!? 理屈的にはそうなのだが・・・・

これを一般論で考えてみると面白い。
内容はどうあれ、夫婦の間で、知り合う前の出来事について、現実問題としてお互いにそれをどう扱っているのだろう。なかなか難しい問題だ。それらを、どこまで相手に話すかは難しい問題・・・。
このドラマでは、妻の高校時代の妊娠、流産というショッキングな出来事は、ドラマ5回目現在、夫には言っていない。まあ言わないのが当然だろう。

たぶん誰でも、言えない事情は心に秘めている。それを封印したまま墓場まで持って行ければ、夫婦に波風は立たない。しかしこのドラマのように、いったん何かのキッカケでそれが再燃すると、やっかいなことになる。それはまさに感情の問題なので扱いが難しい・・・。「焼け木杭(ぼっくい)に火が付く(←焼け“ぼっくり”に・・ではない!!)」ということわざもある。
理屈の上では、知り合う前のことは、“お互い許す”しかないのだが、さてさて現状として“焼け木杭”が動き出した・・・。このドラマ、今後どういう展開になるのか・・・・。何よりも夫の今後の動向が気になるな・・・・。

しかし今回の、NHKが深夜放送で放送済み分の再放送をした“粋(いき)な計らい”は、評価に値する。民放では、視聴率アップのためによく午後の時間帯に、それまでの回を再放送をする例はあるが、NHKでは珍しい。
このドラマの話題・・・、メロドラマが嫌いなウチのカミさんは、この話にはまったく乗ってこない。よって、我が家ではこのことについての“議論”は無い。
(何? 自分の若い頃の出来事だって? もちろん自分は“秘密の多い”“複雑な”男なので、カミさんに言えない事は山のようにあるのさ・・・。でも、あんまり多いので、何を秘密にしていたか忘れてしまったけど・・・)

<付録>
自分が過去、NHKのドラマで印象に残っているのは「蔵」(ここ)と「蝉しぐれ」(ここ)。
そのうち、2003年に放送された「蝉しぐれ」の再放送があるという。オリジナルは@45分×7回だったが、今回は@90分×3回だという。45分カット??
当サイトお薦めのドラマなので、もし見ていない人が居られたら、ぜひ・・・・

▼時代劇アンコール 蝉しぐれ <全3回>ここ
[BSプレミアム] 7/5(木)~ 7/7(土) 後7:30-8:59
藤沢周平原作の「蝉しぐれ」をドラマ化。
【原作】藤沢周平【脚本】黒土三男
【出演】内野聖陽,水野真紀,勝野洋,竹下景子,
 村上弘明,鈴木杏樹,石橋蓮司,平幹二郎,石橋保 ほか
7/5(木)(1)「嵐」
7/6(金)(2)「罠(わな)」
7/7(土)(3)「歳月」<終>

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2012年6月28日 (木)

ザ・ピーナッツ伊藤エミさん死去(71歳)~「モスラの歌」

今朝の新聞に、ザ・ピーナッツの姉・伊藤エミさんが死去したという報が載っていた。71歳だったという。
「1960年から70年代にかけて活躍し、ヒット曲「恋のバカンス」「恋のフーガ」などで知られる双子姉妹デュオ「ザ・ピーナッツ」の姉、伊藤エミ(本名・沢田日出代)さんが、今月15日に亡くなっていたことが27日、分かった。71歳だった。関係者によると、最近は病気療養中だったという。死因は不明。葬儀はすでに近親者のみで執り行ったとしている。
 そっくりな笑顔で昭和の一時代を彩った、二輪花の、一輪が静かに散った。関係者によると、かねて病気療養中だったエミさんは病魔に打ち勝つことはできず、静かに息を引き取ったという。
 一卵性双生児の姉・エミさんと、妹・ユミ(本名・月子)は幼少時代から合唱団に所属。17歳のとき、名古屋市のナイトクラブで歌っているところを、渡辺プロダクションの渡邊晋社長(当時)に才能を見いだされた。英才教育を受けて、ザ・ピーナッツを結成。1959年4月に「可愛い花」でレコードデビューを果たした。
120628itouemi  たぐいまれな歌唱力と双子ならではの美しいハーモニーで、「恋のバカンス」や「恋のフーガ」など大ヒット曲を連発し、シングル・アルバムを合わせ、1750万枚を売り上げた。NHK紅白歌合戦にもデビューイヤーの59年から16年連続で出場。音楽バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」のメーン司会を務め、コントもこなすなど人気を博した。61年には2人そろって映画「モスラ」に出演し、「モスラ~や、モスラ~や」で知られる劇中歌も担当した。
 73年に一度は引退を決意するも、日本歌謡大賞特別賞を受賞したことから一時引退を撤回、75年4月に芸能界を去った。このときエミさんは、ザ・ピーナッツの「東京の女」の作曲を手掛けた歌手・沢田研二(64)と交際しており、75年の引退直後に結婚した。子宝にも恵まれ男児を出産したが、87年に離婚。その後も芸能界に復帰することはなかった。
 脚光を浴び続けた16年間の芸能生活では、後輩の園まり(68)や小柳ルミ子(59)にドレスをプレゼントするなど、仕事仲間の面倒見が良かったエミさん。引退後は人前に出ることを極力避けて、“一般人”として暮らしていた。
 それでも芸能界でお世話になった恩人が亡くなった際には、告別式とは別に人目につかないタイミングで弔問し、義理を忘れることはなかった。表舞台から姿を消してからは、ファンの前に再び登場することもなく、そのままひっそりと天国へと旅だった。(2012年6月28日)」(
ここより)

ザ・ピーナッツは、自分の音楽人生(!?)の中でも、“非常に良く”聞いた歌手のひとり。ちょうどレコードがモノラルからステレオに変わる時代で、ステレオ録音の初期の頃、二人が左右に分かれて録音された歌は、何ともステレオを意識した録音で懐かしい。
前に「心の窓にともし灯を」の記事を書いた(ここ)。自分がこの歌を初めて“録音”したのが1964年(昭和39年)なので、もう半世紀も聞いている歌手、という事になる。それに引退が1975年だというので、もう引退から32年も経っている・・・。早いものだ。

今日は、上の記事にも出てくる「モスラの歌」を聞いてみよう。これは1961年に公開された映画「モスラ」の劇中歌で、この音源はたぶん擬似ステレオである。

<ザ・ピーナッツの「モスラの歌」>

「モスラの歌」
  作詞:由起こうじ
  作曲:古関裕而
モスラヤ モスラ
ドゥンガン カサクヤン
インドゥムゥ
ルスト ウィラードア
ハンバ ハンバムヤン
ランダ バンウンラダン
トゥンジュカンラー
カサクヤーンム

この歌詞は、架空の言葉だと思ったら、何とインドネシア語だという。そしてその意味は、下記のようだという

モスラよ 永遠の生命 モスラよ
悲しき下僕の祈りに応えて
今こそ 蘇れ
モスラよ 力強き生命を得て
我らを守れ 平和を守れ
平和こそは 永遠に続く
繁栄の道である

そして、改めてビックリしたのが、作曲が古関裕而だということ。ナルホド・・・・
ともあれ、とっくに引退されたとはいえ、時代に大きな影響を与えたこれらの人たちの逝去の報に、つい時代の流れを意識してしまう。
こんな歌でも聞きながら、伊藤エミさんの冥福を祈ることにしよう。

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2012年6月27日 (水)

「曜日の順番は惑星と関係ある?」

今日はナゾナゾである。1週間の曜日「日月火水木金土」って、どうやって決めたの?・・・
“そんなの昔から決まっている。今更考えても仕方がない・・”と言っては、話が終わってしまって面白くない・・・・。
そのナゾナゾの解は、こんな話だそうだ・・・。曰く・・・

曜日の順番は惑星と関係ある?
 1週間の曜日「日月火水木金土」が、どのように決まったかご存じですか。
 太陽系の惑星は、太陽から近い順に水星、金星、地球、火星、木星、土星……と並んでいます。つまり太陽(日)に続き、水金地火木土の順です。曜日とは順番が違いますね。また、月は地球の近くにあるはずですね。
 曜日の由来には諸説ありますが、星にちなむ有名な説をご紹介しましょう。
 惑星の名前は、天動説が信じられていた時代につけられました。そのころの太陽系の図では、地球が中心にあり、内側から「月水金日火木土」の順に七つの星が回っています。アリストテレスの描いた図もそうです。
 この七つの星は、ほかの星(恒星)とは異なった動きをします。人々はそれを「神がパトロールしている姿」とみなしました。また、月が新月から上弦、上弦から満月、満月から下弦、下弦から新月へと変わる間隔がそれぞれ7日間ぐらいだということも判明していました。このため人々は、この7日間をそれぞれ七つの星の神が支配していると考えたのです。(写真はクリックで拡大)
120627youbi  左の図のように考えました。1日目は最も遠いところを回る土星の神が支配する 「土星の日」で、1時間ごとに、土星、木星、火星、太陽……と遠い順に交代していきます。日付が変わるまで続けると、2日目は太陽から始まり、太陽が全体を支配する「太陽の日」になります。その後も同じように1時間で交代していくと、毎日の最初にくる惑星は「土日月火水本金」の順になるのです。
 ちなみに1日を24時間にすることは、黄道12星座に基づき、すでに古代バビロニアの時代に決められていました。
 どの曜日を週の初めとみるかは、時代や地域によって違うようですが、毎日、特定の惑星に支配されているという考え方が黄道12星座と結びつけられ、現代に至るのです。(的川泰宣・JAXA名誉教授)」(2012/06/23付「朝日新聞」夕刊p4より)

我々が当たり前に思っている事象・・。それを「なぜ?」とマジメに聞かれると、答えに窮する。そんな事は幾らでもある。つまり、何も考えずに、そんなものだ、と我々は受け入れて生活している。
でも、まあせっかくこの世に受けた生である(当blogの口癖・・・)。こんな雑学も、ヘエーとビックリしながら耳を傾けてみるのも一興??
かくして、(もし覚えていたら)こんな話題を酒の肴にすると、“ヘエー”と周りから言われるかもよ?

●メモ:カウント~305万

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2012年6月26日 (火)

サプリメントの効用は?~疲れ目に効く??

先日の日経新聞「今どき健康学」というコラムに、こんな記事があった。曰く・・・

健康維持、まずは生活習慣
 「生」「老」「病」「死」。おしゃかさまは人間が向き合わねばならないものとしてこの4つをあげた。生、老、死の3つは避けられないが、病だけは予防できる。だれもが健康に高い関心を持つのは、病気やけがを避けたいという願いがあるからだろう。
 情報社会の現代では、健康に関する情報があふれている。とりわけ、“健康食品”に関するものが多い。新聞の折り込み広告や深夜に流れるテレビのCMを見れば一目瞭然だ。これまでにも何度か指摘したことだが、そもそも食品は健康を維持するためにとるもので、ことさらに「健康を改善する」とアピールすることはおかしい。
 健康食品のテレビCMを見ていて気がついたことがある。いつからか「これは個人の感想です」や「効果には個人差があります」といった説明が画面に表示されるようになった。業界が自主規制しているのか、お上から指導があったのかは不明だが、表示も小さく、色も目立たないようにしているように感じる。
こうした注意書きを入れさえすればよいのだろうか。確かに使用して効果があった人はいるだろう。しかし、医学的に「効果がある」とうたうには、必ずその商品を使って効果があったと推測されるだけの統計が必要になる。これは医薬品と同じだ。
 つまり、どれだけの人が健康食品をとり続けた結果、何人に効果が表れたのかをはっきりと示す必要がある。例えば、100人に効果があったとしても、調査した対象が300人なのか、3万人なのかで評価は変わってくる。信用できる効果なのかを見極めるには、分母を知る情報が示されていることが重要なポイントとなる。
 分母を表示して説明している例もある。ただ、実践している良心的な健康食品メーカーはわずかだ。
 健康を維持することは、バランスのよい食生活と適度な運動、十分な睡眠でかなり達成できる。要するに、ごく当たり前の生活習慣の改善で済むことなのだ。特定の健康食品ばかりをとり続ける必要性はほとんど感じない。
 「これを実行すれば、病気や痛みなどがみるみるうちになくなる」。こうした奇をてらった健康法とは、そろそろおさらばしたいものだ。(江戸川大学特任教授 中村雅美)」(2012/06/24付「日経新聞」p14「今どき健康学」より)

先日、「目がかすむ・・・眼精疲労??」(ここ)という記事を書いた。最近パソコンを見ていて遠くに目を転じると、ピントが合わなくなってきた、という話である。
あるNetでこんな文言を見付けた。
「「疲れ目」という言葉は,眼科的には2種類に分類しています。休憩によって回復するのが「眼疲労」。休憩をとっても目の痛みや霞(かすみ),頭痛などの症状が残るのを「眼精疲労」と言っています。一般的に疲れ目と言っているのは前者で,眼精疲労はより重い症状を指します。」(ここより)
つまり自分の目は、どうやら「眼精疲労」の前の「眼疲労」、つまり「疲れ目」のようである。これが最近、どうも気になって仕方がない。

ふと、前に医師の友人から「目には、緑の景色を見ながら散歩をして、食べ物では一般的に目に良いブルーベリーヨーグルトやニンジンなどを採ること」と言われたことを思い出した。
それで、手軽なサプリメントを少し飲んでみようかな・・・と思い立った。
実は、サプリは、今まで自分にはまったく縁がなかった。つまり、自分から飲もうとは、思ったことがなかった。それが、今回は自分でも意外な変化・・・

Netで「ブルーベリー」と「目」で検索すると、目に効くブルーベリーのサプリメントのCMが山ほど出てくる。その中には、目に効果があったという体験談が山のように・・・
それでそのうちの一つに、問い合わせてみた。ホームページの広告に、今の自分の“悩み”にピッタリの効能があるらしいので・・・
すると「例えば目のピント調節をする筋肉のコリをほぐす「***」や、**の成分が配合されていますので、目の総合的なお悩みのある方におすすめしています。・・ 」
「また、『***』の主原料である「***」にはブルーベリーと同じく健康成分「アントシアニン」が多く含まれます。この「アントシアニン」はピント調節をする毛様体という筋肉に働きかけ、コリをほぐしてくれます。パソコンを良く使われる方へは『***』をおすすめしております。」
だってさ・・・・
そして「どの位の期間で効果が現れるのでしょうか・・・?」という自分の問いに対しては、「・・・食品ですので継続をしていただくことが何よりも大切になります。 一般的に、新陳代謝のサイクルなどより、 体内の全細胞が生まれ変わるには3ヵ月ほどかかるといわれております。 その点より、まずは3ヵ月お続けいただくことをおすすめしております。」だって・・・
それでまあ、だまされたと思って3ヶ月だけ飲んでみることにした。

送られて来たサプリの同封チラシをめくってみてビックリ。何と!効能が一切書いていない。目に効くと思って頼んだのに・・・。文面は誰かさんの成功体験談ばかり・・・・。
それをカミさんに言ったら「そんなのあたりまえ。効能を書くとデータが必要な薬になってしまう。あくまでも食品なので、こんな効果があった人が居ますよ、と言うだけ。つまり効くかも知れないが、効かないかも知れない・・・。それが健康食品・・」
な~るほど・・・。そんなものか・・・

確かにWIKIで「ブルーベリー」を見ると、
「健康食品などで「目の網膜に良い」と視力改善効果が謳われているアントシアニンが豊富に含まれており、ブルーベリーを使用した健康食品は広く市販されているが、国立健康・栄養研究所の論文調査によるとブルーベリーやビルベリー、それらに含まれるアントシアニンの視力改善効果は認められていない」とある。
「国立健康・栄養研究所の論文調査」の記事を見ても、まあゼロではないものの、効果は確認されていないという。

まあ結論として効果は期待出来ないな・・・。でも乗りかかった船。3ヶ月は飲んでみるか・・・。これも我がサプリメントという未体験ゾーンへの勉強代。少し飲んで様子を見ることとしよう。

しかし今更ながら、カミさんが言うようにテレビを点けるとサプリのCMの多いこと・・・。これは何を意味するか・・? 実際に飲む人が多いのだろう。それに頼る人が・・・
つまり先の記事のように、“バランスのよい食生活と適度な運動、十分な睡眠で・・・”ではなく、ただ飲めば良いという“お手軽さ”に頼る人が多いということ?? 今の自分とピッタンコ・・・・

プラシーボ効果という言葉がある。今の自分はそれとちょうど逆。つまり、こんなに疑っている自分では、本来効くものまで効かないだろう・・・・と思う。(←そんなに効かないと思っているなら、まだ3日目なのでさっさと止めれば良いのに・・・)
まあ、3ヶ月後に結果を報告するね・・・

<大訂正・・・>
さっきカミさんと話したら、自分は現在“サプリメント漬け”なんだそうだ。そう言えば、毎晩の食事後に、“強制的に”小さなカンに入った何やらを飲まされている。自家製のウコン(ここ)(ここ)や、良く分からない透明な錠剤3粒や、自家製酵素ジュース、そして休日の朝はにんじんリンゴジュース・・・・。ああ~~~~
そうだったのだ。“自分の意志で目のために飲むサプリは初めて・・”ということで、自分の意志とは無関係に、実は自分はサプリ漬けなのだ・・・・。トホホ・・・

(追:2012/11/21)
ブルーベリーのサプリを飲み始めて5か月になる。ふと“そう言えば、最近あまり目が気にならなくなったな・・”と思った。会社でパソコンから目を遠くに転じると、確かにピントが合わない。でも前のように、わざわざ給湯室に行って、訓練のために(?)窓から遠い新宿副都心の高層ビルを見る機会が無くなっていることに気付いた。つまり、少しは効いているのかも・・・・。よって、しばらく飲み続けてみることにした。

(追:2014/08/08)
上のサプリは結果として効かなかった、原因が判明。
1)近くを見ることで、目のピントの筋肉が疲労。近近メガネを買うことで解決。
2)しかし、右目に少し疲労が残った。原因は、右目の乱視が2度進んでいた。右目の乱視を合わせて遠近メガネを作り直したところ、解決。

(関連記事)
目がかすむ・・・眼精疲労?? 
「眼鏡市場」と「メガネストアー」の違い~安い“近近”メガネを買った話 

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2012年6月25日 (月)

「Yes,but…」と「Yes,and…」

先日の日経新聞「春秋」にこんな記事があった。対人関係で日夜苦労しているビジネスマンの課題解決に、一石を投じるか?? 曰く・・・

「自分と異なる意見の持ち主を前にしたとき、どう応じるか。正面から全否定で返す「No」。うなずくふりで欠点を突く「Yes,but…」。そのいずれとも違う「Yes,and…」という発想を、街の再生を手がける山崎亮さんの近著「まちの幸福論」で知った。
 自治体などの依頼で街に入り、価値観の違う人たちと対話を重ね、ハコ物の建設に頼らずコミュニティー活動や地場ビジネスを盛り上げるのが山崎さんの仕事。反対意見もまず肯定し、思いをくみ取り、より良いアイデアづくりにつなげ活動に巻き込む。「自分が否定されたと思った人は、相手を否定する」からだという。
 この考えは企業にも応用が利く。コピーライター、糸井重里さんの事務所では手帳やタオルなどの雑貨を開発している。会議では他者の提案を否定するのは禁止。不満ならもっといい案を出す決まりだ。「価値を増やすのが僕らの仕事。否定は価値を増やさない」と糸井さん。この手法でヒット商品を次々と世に送り出す。
 「あなたは間違っている」。議会や集会、テレビの論戦などで目にする、勇ましげな非難の応酬。これに対し、まだ30代の山崎さんを含めて、若い世代の活動や伸びるベンチャー企業で「Yes,and…」式のやり方が目立つ。昔ながらの非難合戦と、今どきの提案競争。社会や生活の価値を増やすのは、どちらだろう。」(2012/06/18付「日経新聞」「春秋」より)

デール・カーネギーの「人を動かす」の言葉(ここ)を引用するまでもなく、人間は感情の動物であり、それを前提に行動しなければいけないことは、ビジネスマンにとっては常識の話。
同時に、狭い職場の中で、対人関係で争って良いことは一つもない。争いを出来る限り避けるのも、サラリーマンの生きる知恵。その前提が「Yes,but…」であることも常識。
上の記事にもあるように、「自分が否定されたと思った人は、相手を否定する」。つまり「No,but…」では、幾ら後で「but…」と言っても既に遅い・・・。最初の「No」で話は止まってしまう。よって、先ずは「Yes」、そして「but…」でなければ・・・ということ。
それが今度は「Yes,and…」だそうだ。
「反対意見もまず肯定し、思いをくみ取り、より良いアイデアづくりにつなげ活動に巻き込む。」・・・・。
なるほど・・・。会社の会議でも使えそうだ。要は、相手の意見をどう受け入れるかという自身のスタンスの問題。

野田総理が政治生命を賭けるという税と社会保障の一体改革関連法案。明日(2012/06/26)が採決の日だと言う。民自が何とか歩み寄り、現在の焦点は小沢Grの動向。この法案の審議過程は、やはり「No,but…」・・・???
これも山崎亮さんが提唱しているという「Yes,and…」という発想をしていたら、どれだけ無益な時間を削減できたか・・・

まあ“還暦をずっと過ぎてしまった族”の我々にとっては、現役時代と違って、そうそう直面する事態は無いが、当面カミさんとの“激論”に「Yes,and…」を応用してみるとしようか・・・・。

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2012年6月24日 (日)

最近のお寺さんの台所事情!?

今日は、昨年7月4日に亡くなった義姉の一回忌に、東京・谷中にある実家の菩提寺に行ってきた。このお寺は、日暮里駅から徒歩10分強の所にある。この界隈は、まさにお寺の街で、道の両側にはズラッとお寺、またお寺・・・・。
今日は、そこで聞いた最近のお寺さんの台所事情を、自分の備忘録としてメモしておく。

昨年の、義姉の葬儀の時に聞いたお寺の事情については「「戒名料」に思う・・・日本のお寺は必ず廃れる!?」(ここ)で書いた。そのときに、住職さんから聞いた話、つまり“お金が無いとお寺の墓地への納骨もままならない”という事態に、ビックリしたものだが、今日はその続きのような話を聞いた。
本堂でのお経と焼香が済んだあと、いつもはそのまま住職が下がって、我々だけお墓にお参りして終わるのだが、今日は珍しくお経の後に住職が話を始める。今まで聞いたことのない法話かとおもったらお金の話・・・・。
「昨年の震災(3.11)で被害を受け、本堂の耐震修理をしたが、2000万円かかった。これから、隣にある母屋を更地にして建て替える。今まで待合室が2階で、階段も急だったが、今度は1階にして、年寄りが多いのでバリアフリーにする。設計も終わり、入札で建設会社も決まった。建て替えには8ヶ月かかる。しかし檀家に寄付は頼まない。今まで蓄えてきたお金で建てるので、借金もしない。
檀家会(?)で母屋を建て替える話をしたら、皆が渋った。しかし寄付は頼まない,と言ったら、それなら・・・ということになった。
震災では本尊が倒れ、京都にその修理を見積もって貰ったら、800万円かかるというので見送った。同じく被害を受けた脇侍の修理費は200万円だったので、これは直した。
また先週の台風で、裏の屋根が壊れ、修理に数百万かかるというので、今はブルーシートを掛けている。
今は寄付は一切貰っていない。昔は5000万円の寄付の例もあり、本当に貰って良いものか聞きに行ったことがあるが、今はまったく無い。よって、これらの修理費も、寄付無しで、今までの葬儀代、法要のお布施でまかなう。・・・」

といった話。なるほど・・・・。昨年の葬儀の時は、通夜に住職が来られたときに挨拶に行ったら、用意したお布施を差し出す間もなく、住職から100万円以上の金額の入った銀行振込用紙を渡され、今回の一回忌も、電話で「お布施は10万円お願いします」と一方的に言われたというが、形を変えての寄付・・ということらしい。

お墓へのお参りが済んだ後、会食会場へのタクシーを待っている間、住職が庭に出て来たので雑談をした。そこでの話・・・
「このお寺は戦後直ぐに建てたもの。最近は時代が変わって、檀家も生活保護の人も多い。昨年は30数件(36件?)亡くなったが、葬儀をしたのは10数件(18件?)だけ。荼毘に付した後、納骨だけ持ってくる。直葬でもなく、読経も何もしない。納骨だけ5万円でお願いしますとか、1万円しかありませんとか・・・。仕方がないので、戒名をつけて納骨している。
檀家は約400。しかし年金生活者や生活保護者も多い。このお寺は近くの他のお寺と違って、ビジネス(幼稚園の経営とか・・・)をしていないので、苦しい。普通のお寺の寄付は、一口30万円だが、このお寺は
貰っていない。・・・」

この庭先での住職の話でビックリしたのは、大都会の真ん中の、こんなお寺でさえ、半分は葬儀さえしていない(出来ない)という実態。そして、それを許さざるを得ないお寺事情・・・。

この住職さんは、いつもお金の話をするという。法要に集まった我々からすると、一回忌の義姉にまつわる法話か、もし本人を知らないためにそれが出来ないのであれば一般的な話でも良いので、仏様にまつわる有り難い話でも聞けると良いのだが、今まで一度も聞いたことが無い。もちろんこのお寺だけの話かも知れないが、何か寂しい・・・

まあ今日の記事はこれだけの話だが、我々のように、還暦をとっくに過ぎた年代にしてみると、葬儀や墓地の話は、段々と身近になってくる。
避けて通れないこれらの問題だが、公営墓地が一番では・・・?とつくづく思う。もちろん我が実家は、今更、戻れないけど・・・

(関連記事)
「戒名料」に思う・・・日本のお寺は必ず廃れる!?

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2012年6月22日 (金)

唱歌「夜汽車」

小中学校のとき、何の教科が好きだったかというと、やはり音楽。遠い教室から、“憧れの歌”の合唱が聞こえてくると、早く自分も学年が上がってあの歌を歌いたい・・と思ったもの。
そんなわけで、大人になっても童謡や唱歌を聞いている。また、長いことFM放送の音楽番組を聞いている。もちろん子どもが生まれてからは、童謡のLPレコードを買ったり・・・。その後も、自分で聞くために童謡や唱歌のCDを買ったりしている。
しかし、さすがにこのトシになると、そのほとんどの楽曲は聞いてしまって、何を聞いても目新しさがない。でも先日聞いた「夜汽車」という唱歌は、昔習った歌だと思うが、実に“初めて”聞いた。

<東京放送児童合唱団の「夜汽車」>

「夜汽車」
   訳詞:勝承夫
   ドイツ民謡、
いつもいつも とおる夜汽車
静かな ひびききけば
遠い町を 思い出す

やみの中に つづくあかり
夜汽車の 窓のあかり
はるかはるか 消えてゆく

たったこれだけの歌。しかしこの旋律は強烈に頭に残っている。曲名も歌詞も全く忘れてはいたが・・・・
たぶん自分も小学校の時、二部合唱で歌っていたものと思われる。下の旋律も良く覚えているので・・・。Netで見ると、この歌は小学校四年生の教科書に載っていたらしい。

夜汽車と言えば、我が家でもときたま八高線のガタンゴトンが夜中に聞こえてきたりする。でも、もう電車や汽車の音が懐かしいとは思わなくなってきた。あまりに車生活が長かったせいか・・・・
しかし子どもの時に頭に焼き付いた歌探し・・・・。これはこれで、また楽しいものである。

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2012年6月21日 (木)

「政治停滞、一院制なら解決するか?」

先日の日経新聞に「政治停滞、一院制なら解決するか?」という記事があり、一院制の是非についての議論が載っていた。曰く・・・

「政治の停滞をどうすれば打破できるか。一案として今年4月、国会の一院制への移行を目指す超党派の議員連盟が独自案をまとめ、衆院に提出した。衆参二院制は時間の無駄なのか。・・・」
<議員連の骨子>
・2017年に衆参両院を対等統合
・議員定数は500人以内(現行は衆院480人、参院242人)
・都道府県単位の大選挙区制限連記制(1946年の衆院選で実施)

電子版アンケートから~「一院制に賛成」3分の2に
 国会を一院制にする是非について日本経済新聞電子版の読者に尋ねたところ、賛成派が65%を占めた。「もはや参院は本来の役割と存在感を失っている」「議員数を減らし、民意を迅速に反映すべきだ」との意見が目立つ。これに対し反対派は「誤った政治の暴走を抑える安全網は必要」「問題は制度でなく、それを動かす政治家と有権者の質にある」などを理由に挙げた。
 「決まらない政治」の原因では「世襲の増加などによる政治家の練度不足」が42%と最多で、「国益を考えていない」といった手厳しい声が出た。次いで「支持政党をすぐ変える有権者の移り気」が25%、「小選挙区制が生み出した二大政党の対立」が23%だった。
 衆参ねじれが初めて生じたのは1989年7月。消費税創設などへの批判を受けた与党・自民党が参院選で大敗し、過半数を割った。以来、23年。ねじれもかなりの歴史を刻んできた。
 当初は「参院はあくまで第2院」との節度があった。最大野党だった社会党は90年2月の衆院選で政権交代に失敗すると、消費税を事実上容認した。
 言い分か100%通らなければ気にくわない、では子どものケンカだ。どう折り合うかこそが政治家の手腕の見せどころのはず。一院制待望論は「決まらない政治」への不満の裏返しだ。(編集委員 大石格)」(2012/06/17付「日経新聞」p9より)

本文で気になったところ・・・
「――世界的にはどうなのでしょうか。
高見 列国議会同盟によると、4月時点で一院制が110力国、二院制が75力国。一院制は小国が多く、人口5000万人以上の25力国では二院制が19力国と逆転する。G8はすべて二院制だ。立法は三権で一番強力だ。法律によって国民の権利を制限し、義務を課すことができる。権力はそがないといけない。
 GHQ(連合国軍総司令部)が提示した日本国憲法原案は一院制だったが、松本蒸治国務相が押し返した。日本国民は誰かが一方向に走ると皆がそちらに走ってしまう。それが戦争に走った大きな理由だ。一院制では政治が安定しない。そういう説明だった。」
「高見 英国の上院議員は名誉職に近く、実質的には一院制。・・・・」
「衛藤 デンマークやスウェーデンは一院制に移行した。・・・」
「高見 決めすぎる政治になる心配がある・・・」
・・・
それぞれの立場で意見があり、単純なものではないことは分かる。
しかし、国民が現状に辟易していることもうかがえる。

しかし心しなければいけないのは、やはり日本の国民性なのだろう。政治への無関心派が多く、その時の雰囲気に迎合し、流され易い。

最近、田中角栄待望論が良く聞かれるという。角栄流の突破力を期待しているのだという。
さてさて、ギリシャも最後の土壇場でブレーキが掛かった。それに今日のニュースでは、小沢さんも民主党を離党して新党を結成する可能性に言及したとか・・・。
日本の政治も、この辺りで何とかなるのであろうか?

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2012年6月20日 (水)

夫婦の年齢差

先日の日経新聞夕刊に“「年の差婚」もいいじゃない”という記事があった。その記事に付いていたグラフ。ちょっとオヤッと思った。夫婦の年齢差で、一番多いのが同年齢だという。それから夫年上が徐々に・・・。(写真はクリックで拡大)
120620nenrei 「・・・・厚生労働省の人口動態統計で、初婚同士の年齢差を見ると、年上妻と同い年夫婦、加えて7歳以上の年上夫の比率が増加している。年上妻の中でも「4歳以上」の伸びが目立つ。ここでも、年の差婚の傾向が見てとれる。・・・・」(2012/06/13付「日経新聞」夕刊p9より)

自分はてっきり、夫年上2~3歳が一番多いと思っていた。それに、ことわざ的に理想とされる(?)妻年上1歳が、思ったよりも少ない。
このことわざ、「1歳年上の女房は金(きん)のわらじを履いてでも探せ」といった言葉だと思っていたが、これがどうも違うらしい。
広辞苑には「金の草鞋(わらじ)で尋ねる=(鉄の草鞋はいくらはいてもすりきれないから) 根気よく捜しまわること。」とあるが、「金の草鞋で探す」はない。
でも、「年上の女房は金(かね)の草鞋をはいてでも探せ」という言葉はありそう・・・。
しかも、「“1歳年上”の女房は金の草鞋をはいてでも・・・・」と覚えていたが、これも正解ではないらしい。Netで探す限り、出典も不明・・・。単なる経験値なのかも知れない。
つまり、それだけ昔から価値を認められていた年上女房なのに、このグラフを見ると、やはり夫年上が多い。

ひるがえって、この年齢差をどう考えるか・・・。
我が結婚歴30数年を経て振り返ってみると、家庭に入ると、どちらが上でも、何歳離れていようと、ほとんど意味を持たないのではないか・・・というのが体験的実感だ。
自分の場合、“従わせよう・・・”と(?)、結果として5歳年下のカミさん。だいたい自分が小学校6年生の時に、何とカミさんは小学校1年生。まるで相手にならないほどの差なのに、その夢(?)が破れたのは新婚1ヶ月目。年の差なんて、まるで意味を持たなかったのだ・・・
どの家庭でも同じだと思うが、実生活では、どっちが年上であろうと、ギャーと“発振”されれば、男なんて“降参・降参・・・”。何かを命じても・・、いや失礼、“頼んでも”聞く耳があるはずもなく・・・・
まあ、女房が年上はもちろんとして、何歳年下でも男は必ず家庭で牛耳られる。ブッダではないが「これは永遠の真理である」・・・。
あまり意味を持たない年の差だが、あるとすれば、女性の高齢出産の問題、年金の問題、介護の問題・・・くらいか・・。

さすがに10歳以上離れると、老後の問題などが出てくるが、それ以下なら、あまり気にする項目ではない。
若い人は、年齢に関係無く、何よりもフィットする相手を探して、チャレンジすることが大切。還暦をとうに過ぎた自分には、もうチャレンジする機会も気力も無いけど・・・。ホントウに・・・・。たぶん・・・

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2012年6月19日 (火)

日経の「私の履歴書~米沢富美子」~何とパワフルな…

今月(2012年6月)の日経新聞の「私の履歴書」は慶応大学名誉教授の米沢富美子氏。自分は知らなかったが、米沢さんは日本物理学会長を女性で初めて務めた理論物理学者だという。まさにキャリアウーマンの走り・・・?
毎月読み流している「私の履歴書」だが、今月は今までに無く熱心に読んでいる。
何故かというと、最初から最後まで氏の成功体験の連続。つまり、まるで“自慢話(!?)”のようなのである。それもアッケラカンとしていて、イヤミのない話・・・。だから素直に「すごいな~」と思う。
あえて挫折のことを書いていないのかも知れないが、これほど自分の意志通り(?)に生きられる人生とは・・・
一例として2012年6月17日の記事を読んでみよう。

私の履歴書 米沢富美子
 1967年、二女を妊娠中に「不規則系の新理論」を発表した。この理論はすぐに世界的に認められ、私の出世作となる。
 前回述べたように、新理論のきっかけは夫の一言だった。育児と妊娠の同時進行で仕事が停滞していたとき、夫は過酷な言葉で私に活を入れた。それで私は発奮してフル回転に切り替え、修士論文以来続けてきた「不規則系」の研究に取り組んだのだ。
 しかし最終段階まであと一歩のところで、なかなか視野が開けない。1日4時間睡眠で机に向かっていたある日、新しいアイデアが突然ひらめいた。「これだっ!」。雷に打たれたような衝撃に、体の震えが止まらない。
 興奮の第一波が過ぎると、次にこれを論文に書くことが今回はとりわけ難しいと気づいた。数学的にかなり複雑な内容だ。自分の頭で理解することと、それを人に分かってもらうことには、大きな隔たりがある。
 大学院時代の指導教授、松原武生先生の口癖を思い出した。全ての精力と時間を3等分して「テーマ探し」「実際の研究」「論文書き」に配分せよという教えである。2番目の「実際の研究」が全てだと思い込む傾向があるが、本当は、最も適切なテーマを掘り出す1番目と、成果を確実に発表する3番目も同じくらい重要だとたたき込まれた。
 フル回転モードを持続して論文を仕上げた。この理論は「コヒーレント・ポテンシャル近似」、頭文字をとって「CPA」と名づけられ、広い分野で標準的な近似として用いられるようになる。
・・・・・・・・
 私はこの複素数を数学的な解析から導いた。この理論に到達したとき「こんなことを思いつく人は、世界中に誰もいないだろう」と考えたが、実は米国の物理学者P・リースがほとんど同時に似た内容の論文を発表した。私は後にリースと会い、お互い「他人に頭の中をのぞかれたような気がした」と語り合い、盛り上がることになる。
私やリースの論文と同時期に、米国とカナダの科学者が「物理的考察」から独立にこの複素数を求めた。奇しくもわれわれ4人は28歳と29歳だった。
 ノーベル物理学賞受賞者のP・アンダーソンはこの理論を「静かだが過激な革命」と評した。
 夫の激励がなければ、この仕事はできなかった。なんとも「手荒い激励」ではあったが、私は心から感謝している。(慶応大学名誉教授)」(2012/06/17付「日経新聞」「私の履歴書」より)

氏については、この記事に出てくること以外は知らないが、ここに書かれてきた経歴だけ120619yonezawa でも、実にパワフルな生き方。修士1年の時に結婚し、夫がロンドンに単身赴任すると、自ら英国の大学に売り込んで1年間の留学。そして復帰した京大博士課程在学中に長女を出産。そしてその後も、夫の東京やニューヨークへの転勤の時も、後を追ってその地の大学に・・・
すごいのは、学者としての生活だけでなく、妻として、そして3人の子供の母親として、すべてを両立させていること。学者と母親/妻の両立こそ、結婚時の夫との合意事項だったとはいえ、普通の人には到底出来ない。
子どものとき、IQ175だという米沢さん。書かれているまさに順風満帆の人生は、人並み外れた努力から生まれていることは疑いがないが、それにしても“血統はやはりあるな・・・”と、この履歴書を読みながら思うのである。
広い世の中で、努力次第でこんな人生も送れる・・・、と知ると、何か元気が出て来ない??

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2012年6月18日 (月)

「老親扶養義務は時代遅れ?」

先日、朝日新聞のサイトでこんな記事を見つけた。(ここ
老親扶養義務は時代遅れ?
お笑いコンビ「次長課長」の河本準一さんが、母親の生活保護受給をめぐって謝罪に追い込まれた。成人した子は年老いた親を扶養する義務がある、という民法の規定が批判の前提にある。義務の強化を求める声もあるが、前提自体を再考する余地はないだろうか。

個人より社会で支える流れ 先進諸国は公的扶助
 ネット上で1本の声明文が静かな話題を呼んでいる。生活保護問題対策全国会議の「扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために」だ。
 民法は、直系血族(親子など)と兄弟姉妹には互いに扶養する義務があり、夫婦は互いに扶助せねばならない、と記している。今回話題になっているのは直系血族、中でも「成人した子の老親に対する扶養義務」の問題である。
 声明文は先進諸国との比較を通して、「老親を扶養すること」まで定める日本の扶養義務範囲の“広さ”を訴えた。厚生労働省の資料をもとに、英国やスウェーデンなどでは原則、親が子(未成年)を扶養する義務や配偶者間の扶養義務はあるが、成人した子の老親に対する扶養義務はない、としている。
 同会議の代表幹事である尾藤広喜弁護士は、「家族による私的扶養から、社会による公的扶助へ。それが先進諸国での近代化の流れだ」と語る。「日本の制度もその方向へ向かってきた。老親扶養の義務が民法に書かれているのは、戦後の改正時にイエ制度から完全に脱却しきれなかった結果だ」
 民法や法社会学に詳しい利谷信義東京大名誉教授は、「国際的に見れば、家族の扶養義務を『夫婦間』と『未成年の子と親』に限定する方向へと進んできた」と語っている。

小家族化・減りゆく家業継承 身内頼れぬ現代事情
 戦前日本の決まり文句は「人民相互の情誼(じょうぎ)」だったと、社会保障に詳しい小川政亮日本社会事業大名誉教授は話す。「貧困は親族と近隣で助け合え、国は関知しない、との発想だ」
利谷名誉教授によれば、明治時代の旧民法の制定過程では、民法から扶養規定自体を外せとの声もあった。「家族の扶養は道徳によるべきもので法律で定めるべきではない、との考えが根にあった」
 その後にできた明治民法では、家族内で扶養を受ける権利の順序をこう定めていた。(1)直系尊属(父母や祖父母)(2)直系卑属(子や孫)(3)配偶者……。「妻や子より親を養え、という規定だ。国民感情や生活実態に合わないとの批判も出たが、儒教道徳には沿っていた」。かつて「父母」は、扶養されるべき立場の筆頭に置かれていたのだ。
 戦後、新憲法のもとで民法改正作業が進んだ。「新しい憲法の原則を踏まえつつイエ制度も守る立場」も「イエ制度を完全に廃止して家族関係を近代化する立場」も主張された。様々な勢力の意見を取り入れる形で1947年、新しい民法はその形を整えた。
 「当時はまだ、現行の生活保護法も出来ていなかった。高齢者には『誰にも援助してもらえなくなってしまう』との不安が強かったと思う」。家族による扶養を求めた心情の一端を、利谷名誉教授はそう推察する。
 2012年現在の家族の状況をどう見ればいいか。社会福祉学が専門の岩田正美日本女子大教授は、「小家族化」への注目を促す。「兄弟が減り、子のいない夫婦も増えた。子どもが家族を扶養できる時代ではなくなってきている」
 家業を子が継承することが珍しくなかった時代には、家産を継承する者が老親を扶養することが自然だと見られるような「実態」があった。だが、雇用されて働く人の割合が増え、その実態も変わりつつある、と岩田教授は言う。
 自民党は「社会保障に関する基本的考え方」の中で、「家族による『自助』」を大事にする方向を打ち出した。「貧困に社会で対応すべきか、個人で対応させるべきか、その哲学がいま問われている」と、尾藤弁護士は訴えている。(塩倉裕)」(朝日新聞デジタル2012年6月15日10時25分より)

この記事にあった生活保護問題対策全国会議の「扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために」を読んでみた。
その中に、重たい言葉がある・・・・。
第5 扶養義務の強調は餓死・孤立死を招く
 小宮山大臣が言及した「扶養義務者に扶養困難な理由の証明義務を課す」とか,一部で主張されているように福祉事務所の調査権限を強化し,扶養義務者の資産も含めて金融機関に回答義務を課すような法改正がなされれば,どうなるであろうか。
 生活に困窮した人が,福祉事務所に生活保護の申請に行くと,親兄弟すべての資産や収入が強制的に明らかにされ,申請者本人が望まなくても,親兄弟は無理な仕送りを迫られることになるであろう。これはほとんどの場合,親兄弟にとって歓迎せざることであって,親族関係は,むしろ決定的に悪化し破壊されるであろう。
 あるいは,福祉事務所の窓口では,25年前の札幌市白石区での餓死事件のように,申請者に対し,「扶養義務者の扶養できない旨の証明書」をもらってくるようにと述べて追い返す水際作戦が横行するであろうが,法改正がなされれば,これは合法として容認され,餓死・孤独死・自殺事件が頻発することになるであろう。
 そもそも,生活に困窮している人は,親族もまた困窮していることが多い上,さまざまな葛藤の中で親族間の交際が途絶えていることも多い。先に述べたとおり,現状でさえ,扶養照会の存在を理由に保護申請をためらう人が多数存在するのに,扶養が前提条件とされれば,前記のような親族間での軋轢をおそれて申請を断念する人は飛躍的に増大することは間違いがない。
日本の生活保護利用率は1.6%に過ぎず,現状でも先進諸国の中では異常な低さである(ドイツ9.7%,イギリス9.3%,フランス5.7%)。この状況に加えて,さらに間口を狭める制度改革がなされれば,確実に餓死・孤立死・自殺が増える。
 これは,緩慢なる死刑である。しかも,死刑囚ですら糧食を保障されているのに,それさえ奪うという意味では死刑よりも残虐な刑罰である。何人もそのような刑罰を受けるいわれはないし,何人もそのような刑罰を科す権限はない。制度改革を進めた政治家や報道機関は,死者に対してどのような責任がとれるのか,冷静になって慎重に検討することが今,求められている。・・・」(生活保護問題対策全国会議の「扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために」
ここ)(大きい文字用はここ)より)

これは考えさせられる問題である。また、この主張はもっともであると思う。
そもそも親族関係とは何か?それは血縁の関係というより、それをキッカケとしたお互いの信頼関係によって結ばれた関係なのだろうと思う。とすると、それは意志の力、つまり親族関係と言っても、お互いの「付き合おう」という意志でつながれている関係ではないか? 言い方を変えれば、付き合う意志がない親族も、世の中にはゴマンとあると言うこと。
その人間関係を、国が法で強制することが妥当なのかどうか・・・・

前に「親戚付き合いに思う~ある寒中見舞いから」(ここ)という記事を書いたことがある。
1年前に脳出血で倒れた従姉妹の家から「盆、暮れの挨拶、我が家の新年の挨拶はこれを最後とさせていただきます。」という寒中見舞いが届いた話であった。
これをみても、親戚付き合いはお互いの意志・・・・。

もちろん、法も道徳も関係無く、普通に自然に付き合えればそれに越したことはないが、世の中色々ある。それに日本の親戚付き合いも、時代と共に変化していく。
ふと自分の周囲の親戚を思い浮かべるこの頃ではある。

(関連記事)
親戚付き合いに思う~ある寒中見舞いから

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2012年6月17日 (日)

「国際競争力係数」

先日、日経新聞で「国際競争力係数」というグラフを見付けた。日本の輸出の競争力が時間と共に変わっていく姿が良く分かる。
120617 「国際競争力係数」とは「ある品目の輸出額から輸入額を差し引いた純輸出額(純輸入額)をその品目の貿易額(輸出入の合計)で割った指数。輸出競争力を示す指標の1つで「輸出特化係数≒貿易特化係数」とも呼ばれる。指数は1からマイナス1の範囲になり、1に近づくほど外国に対する輸出競争力が強く、逆にマイナス1に近づくほど弱いとされる。」(2012/06/14付「日経新聞」p3より)だそうだ。(写真はクリックで拡大)

このグラフで顕著なのは予想通りテレビ。記事に、「特にテレビは急落した。韓国メーカーなどとの競争で劣勢に立たされ、04年に約5300億円あった輸出は11年に6分の1の900億円弱まで減少。一方、輸入は約4500億円と約2.5倍に増えた。テレビの国内販売は地上デジタル放送への移行後の需要減で不振に陥っているが、国際競争でも劣勢に立たされている。」とあるように、もうほとんど国内では作っていない。
また通信機も急速な落ち込み。DVDなどの記録媒体も、店頭でわざわざ“国内品”とPRするのも、このグラフを見るとうなずける。
それに引き替え、鉄鋼・プラスチック・重電機は、頑張っている。鉄鋼は素人的には、製品と言うよりは素材。しかし、単なる鉄の塊では無いようだ。あの鉄の塊の中に、高度な技術が埋め込まれている。なかなか素人には分からない・・。

Komaba68_2 ともあれ、昔、日本は加工貿易立国と教えられたが、輸出入の製品は昔とは様変わりしているようだ。
「とめてくれるな おっかさん 背中の“日の丸!?”が 泣いている 男ニッポンどこへ行く」!??
(写真は(ここ)より~写真撮影 町田仁志)

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2012年6月16日 (土)

法政大学ギタークラブOB会のミニコンサートに行く

今日は、Tさんに誘われて、カミさんと法政大学ギタークラブOB会のギターコンサートに行ってきた。
法政大学出身のTさんはサラリーマン現役時代の仲間?、先輩?・・・・。先日、こちらの方でコンサートがあるとの連絡があり、買い物ついでに(失礼!)行ってみた。Tさんがギターをやっていることは昔から聞いていたが、演奏を聞くのは初めて・・・

それが、色々とビックリ・・・・・。まず場所は「羽村市生涯学習センターゆとろぎ」というところ。カーナビの通りに走って、我が家から30分もかからない所だが、初めて行った。それは豪華な施設・・・。大ホールなどもあるらしいが、その1階ロビーで行われた。
P10000611 今日のコンサートの位置付けは、「羽村市文化協会主催 第36回ゆとろぎサロンコンサート~ラテン・カーニバル 演奏:法政大学ギタークラブOB会」というもの。(写真はクリックで拡大)
法政大学ギタークラブOB会は総勢16名。ギターだけかと思っていたら、どうしてどうして、ベースあり、チェロあり、フルートあり、そしてパーカッションやアルパまである充実ぶり。まさにホンモノ・・・。

司会者の話も慣れたもの。余裕たっぷり・・・。曲が始まる・・・。ギターの柔らかい音・・・。やはりナマは音が違う。パーカッションの音が響く。もちろん場所的に音響的にはツライが、なかなかの演奏・・・。これは聞く価値がある・・・・。
楽器の中に小ぶりなハープがある。司会者が紹介する。この楽器はアルパだという。「たぶん皆さんがアルパのナマの音を聞くのは初めてではないか・・」と言っていたが、まさにその通り。なるほど・・・・。そのアルパが大活躍するのが4曲目に演奏された「コーヒー・ルンバ」。これを少し聞いてみよう。

<法政大学ギタークラブOB会の「コーヒー・ルンバ」~編曲:青木健司

曲の内容は多彩。次はオジサンが歌うという。「ある恋の物語」をスペイン語で歌うのだが、これまた、なかなかのもの・・・。(カミさんは、このボーカルを挙げろと言ったが、コーヒー・ルンバにした)
P10000591 「忘れな草をあなたに」は全員合唱。後で聞いたら、カミさんはこの歌を歌いながら涙が出たと・・・。最後は「マンボNo5」。そしてアンコールはロシア民謡のメドレー。45分が短かった。カミさんは“感激した!”と大満足。

メンバーはもちろん皆初老のオジサンばかり。そのオジサンたちが、原色のネクタイでその若さ(!?)を主張している・・・。オレンジあり、青あり、黄色あり・・・。おとなしそうな紳士のなかで、まさにネクタイばかりが目立つ。
しかしせっかくのコンサートも、45分は物足りなかった。あっという間に過ぎた感じ・・。

観客がほとんど満席だったのもビックリ。土曜日の午後だが、誰ひとり立つ人も居ない。皆その演奏に聞き入っている・・・。普通は、こんなコンサートは出入りする人が多いのだが・・・・
かくて全7曲が終わってしまった。

帰りの車の中で、案の定カミさんが言う。「アナタもこんな活動をすれば皆に喜ばれるのに・・・・」。つまり自分の定年後の過ごし方・・・。
自分は、音楽も楽器も好きだが、何も出来るものはない。若い時のエレクトーンや、ピアノやギターも自己流で少し触ったものの、それっきり。

しかしこんな活動はうらやましい。定年後の自由な時間を、このような自分の趣味で、昔の仲間と一緒に色々な場所を巡っては皆に喜ばれる・・・。聞く方にすれば、“予想外の(失礼!)”ホンモノの音楽に接することが出来る。

でも今日は、短かかったものの、良い音楽に出会えた。特に初めて聞いた色々なパーカッションの音が、今でも耳に残っている・・・・・。Tさん、ありがとうございました。

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2012年6月15日 (金)

「常に観察すべき五つの真理」(5/6)~「業」

前回(ここ)に引き続き、日本テーラワーダ仏教教会から出ている「常に観察すべき五つの真理」という冊子を読んで行こう。

常に観察すべき五つの真理
     アルボムッレ・スマナサーラ長老
・・・・

「私は業で作られ、業を相続し、業から生まれ、業を親族とし、業に依存している。私の行為の結果は、善いことであれ悪いことであれ、私が受ける。このことを女性も男性も在家も出家も常に観察すべきである。」
 私というものは「業のみ」です。身体の細胞一個一個が、業でできているのです。
・私は業で作られ
・業を相続し
・業から生まれたものである
 このkamm・・というのは、「私は業によって生まれた」という意味ですが、少し説明を加えますと、kamm・・の後ろの部分yoni(ヨーニ)は、女性が子供を産むところ(女性の性器)を示す言葉です。ヒンドウー教では一般的にシバ神を拝むとき、その象徴として男性の性器を拝むという信仰がありますが、女性の性器を拝むこともしているようです。しかしこれは何かいやらしい考え方ではなく、むかしのインド人は「生まれる」「現れる」「発現する」などの現象を哲学的に捉え、それを表現するために使っていました。思いついたことはあまり品のあることではないかもしれませんが、言っていることは「生命や森羅万象、あらゆるものが生まれる源」のことを表していますから、それなりに哲学的に考えていたのです。したがって、kamm・・の意味は「私を生んだのは業である。私の生みの親は業である」という意味になります。

・業を親族とするの「親族」はどういう意味かといいますと、親族はどこにいても親族であって、その血縁が切れることはありません。たとえば、自分と自分のおじいちゃんは一緒に住んでいても住んでいなくても、近くに住んでいても遠くに住んでいても、血の繋がりが切れることはありません。これと同様に、お釈迦様がおっしゃる「決して離れられない自分の親族」といえば「業」なのです。

・業に依存しているとは、「頼れるものは業である」という意味です。生命が頼れるもの、助けになるものは自分の業なのです。何かに頼ったり助けを求めたりするなら、それは自分の業です。

 それから、何か行為をしたとき、それが善いことであれ悪いことであれ、その結果は自分が相続します。「私=業」ですから、業を相続するのは当たり前のことです。もし「私と業が別のもの」なら、ちょっと置いておきますと言って置いておくこともできるでしょうし、もし業が「私の業」なら、その業を捨てたり忘れたりコントロールしたりすることもできるでしょう。しかし「私=業」ですから、置いておいたり捨てたり忘れたりすることは成り立たないのです。
 それから、肉体が死んだら業も消える、ということはありません。どこに生まれかわろうとも、業だけはいっしょに付いてきます。業から逃れることはできません。覚りを開いて解脱しないかぎりは、業はどこまでも付いてくるのです。
 ここで、いかに「業と自分が一心同体か」ということがお分かりになると思います。業と自分は同じものなのです。不可分離ではなく、同一のものです。身体だけでなく命や生き方など「私」というものすべてをまとめたものが、「業」なのです。」(日本テーラワーダ仏教教会「常に観察すべき五つの真理」より)

「業(ごう)」とは何と重たい言葉だろう・・・。
「業」を広辞苑で引くと「ごう【業】=行為。行動。身(身体)・口(言語)・意(心)の三つの行為(三業)。また、その行為が未来の苦楽の結果を導くはたらき。善悪の行為は因果の道理によって後に必ずその結果を生むというのが仏教およびインドの多くの宗教の説。「業苦・因業」←→果報。」とある。
因果応報という言葉もあるが、結局、すべての自分の行為は、自分に戻る、という事なのだろう。

当blogの記念すべき(?)第1回の題は「己所不欲、勿施於人」(ここ)だった。
ちょうど6年前の記事。因果応報が怖いから??? でもこれは、自分の追いつけない永遠のテーマ・・・。
人生あと何年生きるか知らないが、死ぬ時にどう思うか?
やはり、すべては因果応報。すべてに対して“仕方がない”と思うか、“そんなバカな・・”と思うか・・。
心にずっしりと重い「業」という言葉ではある。

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2012年6月14日 (木)

1996年発売のクラシックCDより(1)

雑誌「レコード芸術」の付録にサンプルCDが付きだしたのは1996年3月号からである。このCDには、その月に発売される各CDのサワリ1~2分が30曲あまりも録音されている。よって、それまでは買わないとどんな録音か分からなかったが、それを事前に聞けるようになった。これは画期的なこと・・・。
「レコード芸術」はクラシックレコードの情報雑誌としての老舗。自分も(半世紀前の)学生時代にずっと愛読していた。しかしその後は、ご多分に漏れず、サラリーマンの仕事が忙しくなり、結婚して子どものことなど、生活が変わるに連れて、遠い存在となっていた。しかし、CDが付きだして1年ほど後の1997年7月に、CDが付いていることを知って、また買い出した。そして、その付録のCDから色々な音源を知り、ホンモノのCDを買ったものだ。しかしそれも2003年までで、その後は「レコード芸術」を、買ったり買わなかったり・・・・

その後、ウォークマンのmp3の時代になり、このサンプルCDから気に入った音源をウォークマンに録音して聞くようになった。通勤電車の中で聞く、次から次へのランダム再生は、まあ邪道かも知れないがなかなか面白いもの。
そして先日SONYのHDDオーディオレコーダー(NAC-HD1)を手に入れ、クラシック専用と位置付けてから、今度はリニアPCMとして、気に入った音源をこのレコーダーに録音し始めた。この付録のサンプルCDも、持っていない号をオークションなどを通じて集め、発行済みの196枚中191枚ほどになった。まだ数枚残っているが、これも追々集めるつもり。

前からウォークマンで良く聞いた音源もあるが、NAC-HD1に録音しながら、改めて古いものからじっくり聞いてみることにした。そしてやっと1996年分を選別して録音したのだが、今日は、その音源の中から、オヤッとおもった音源を紹介しよう。普通の演奏では面白くないので、ちょっと変わった録音を・・・・。今日は有名な交響曲を、編曲で・・・

<弦楽五重奏版 ベートーヴェン(エバース編):交響曲第7番#1~プロ・アルテ・アンティクア・プラハ>

<弦楽五重奏版 ベートーヴェン(エバース編):交響曲第8番#1~プロ・アルテ・アンティクア・プラハ>

ベートーヴェンの交響曲はピアノ版は何度も聞いているが、弦楽合奏はなかなか珍しい。

<4手ピアノ版 ドボルザーク:新世界交響曲#2~デュオ・クロムランク>

テーマが有名なだけに、ピアノでも違和感はない。

<オルガン版 モーツァルト:交響曲第40番#1~ニーウコープ、オールトメルセン(org)>

なーるほど・・・・・・

これらは16年前のCDだが、昔はクラシックのレコード業界も充実していた。毎月たくさんのCDが発売されていた。それに比べて、最近のサンプルCDは、前の号と同じ音源が収録されている。つまり、それほど新譜のCDが無いのである。

若い頃に君臨していたロンドン(英デッカ)やドイツ・グラモフォン、フリップス、英EMI、CBSコロンビアなど、今は再編されてどうなっているのか・・・・

しばらく、年を追ってこのシリーズを続けてみようかと思っている。サンプルCDからまた別の楽しみ、発見があるかも知れない。

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2012年6月13日 (水)

「重粒子線治療」などの「先進的な医療」保険は無意味?

先日、カミさんから「先進的な医療」保険に入っていないことで文句が出た。たぶん自分はこれも含む保険に入っている・・?? 「では次の更新の時に入るか・・・」「それじゃ、間に合わない・・」
それなのに、次の日「あの保険はいらない」と言い出した。次の新聞記事を読んだせい・・・。少し長いが、目から鱗?なので、読んでみよう。曰く・・・

岩瀬大輔さんの“お金のミカタ”
医療費が心配?そんなとき、思い出してほしいこと~過大視せずに、よく知ろう
 日常生活で、保険の必要性を痛感することはまれだ。加入してもらうとなると、それなりの啓蒙活動が必要となる。ただ、行き過ぎれば、不安をあおることにもなりかねない。
 金融庁は昨年12月、生命保険各社に、民間医療保険の募集用のパンフレットや広告の自主点検を要請した。「入院したら多額の費用がかかる」「がんの治療は高額になりがち」などのうたい文句が、消費者の医療費に対する負担感を過度にあおったり、治療に関する事実を過大に認識させたりしていないか、記載内容の再確認を求めたのだ。
 がんなど重い病気にかかると「多額の負担を強いられる」というイメージを抱きがちだが、実際には「高額療養費」と呼ばれる公的制度によって患者の自己負担額には上限が定められている。
 70歳未満の現役世代なら、1ヵ月に100万円の医療費がかかったとしても、一般的な所得の場合、自己負担は8万7430円までと決まっている。
 医療機関の窓口で、本来の3割負担にあたる30万円を払ったとしても、申請すれば、上限額を超えた21万2570円は戻ってくる。ただし、差額ベッド代や食費など保険適用外の費用は、患者の全額負担だ。
 以前は、いったん3割分を立て替えた上で払い戻しを受けることになっていて、資金を工面する必要があった。今では、入院前に、加入する健康保険組合(国民健康保険なら市町村)に問い合わせ、「限度額適用認定証」という書類を交付してもらい、それを医療機関に提示すれば、限度額だけを払えばよいことになった。この4月からは、外来受診についても、同様の仕組みがとり入れられた。
 そもそも、こうした仕組みは患者を「高額の出費から守ってくれる」という意味で公的医療保険制度の中核をなすものだ。しかし、残念なことに、十分に知られていない。政府の調査によると、40代、50代の認知度は3割前後。十分に周知されていないから、民間医療保険に加入する人が増えているのだとしたら本末転倒だ。仕組みを、保険証の裏側に注記したり、民間保険の広告にも記載を義務づけたりなど、国も認知度の向上や情報の発信に努めるべきだろう。
 特約で「最大1千万円まで保障!」などの一見、だれの目にも魅力的に映るテレビCMで、広く知られるようになった「先進医療」も、誤解されがちだ。
 CMは、「重粒子線治療」や「陽子線治療」などのがんの放射線療法を引き合いに、公的保険がきかないため、治療を受けるには300万円程度の自己負担が必要になると訴える。
 ただ、こうした特約で保障されるのは、およそすべての「先進的な医療」ではなく、厚生労働省が「保険給付の対象とすべきかどうかの評価を行うものとして保険診療との併用を認めた」医療技術に限定され、その数は現在99種類。医療機関も限られる。例えば、重粒子線治療では、千葉・兵庫・群馬の3機関、陽子線治療は7機関のみ。同じ医療技術であっても、厚労省が認めた医療機関以外で受ければ、給付金はもらえない。
 重粒子線治療と陽子線治療の実施件数は合わせて年間約2千件・毎年のがん匙数は約70万人といわれるから、がんを患った人のうち0.3%しか受けない治療でもある。大々的な宣伝になじむかどうかは疑問だ。
 発生確率が低いが起こったときの損失が大きいという点では、保険による保障に向いているといえるが、それにしたところで、貯蓄である程度の備えをした上での「おまけ」くらいに考えた方がいい。
 いたずらに不安をあおるのではなく、できるだけ中立的な立場から事実を示す。それを、われわれの啓蒙活動としたい。」(2012/06/09付「朝日新聞」から)

Netで「先進医療」を検索すると、出るわ出るわ・・・・、色々な保険会社の先進医療の広告がズラリと並ぶ。
そこには、「これを受けられる病状は極めて希(まれ)で、該当者は0.3%だけど・・・」という記載は多分ない。ウソは言っていないものの、果たして顧客の視線で考えているか・・?
無知な我々は「もしもの時に、先端医療が受けられなかったら・・」と心配して、お金を払う。
つまり我々消費者は、(人の幸せでなく)自己の利益のみを追求している企業群の言葉尻に乗らないように、企業がPRする(自己の都合に合わせた)断片の真実だけを見るのではなく、全体の真実を見ながら判断して行かなければいけないようだ・・・

もっともこれは検察も同じだったっけ・・・。自分の主張に不利な証拠は握り潰す・・・。真実の追究ではなく、あるのは自分の都合(権威)だけ・・・
結局、全ては自分で防御するしかない。相手の言葉を鵜呑みにせず、自分で勉強して自分で判断をする・・・。なかなか大変だけど・・・
でも今はNetがある。もちろんNetで引っ掛かる情報は、種々雑多なれど、色々な見方がある、と言う意味では有用。
振り込め詐欺ではないが、簡単にだまされない老人になるためには、いつまでも“勉強”が必要なようだな・・・・

●メモ:カウント~300万

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2012年6月12日 (火)

キンチョーのCM「リアルおままごと篇」が楽しい

最近カミさんが“凝っている”TVのCMが、キンチョー(KINCHO)の「リアルおままごと篇」。
先日見せられたのが、まず「コバエがポットン」。こんな具合だ・・・

<コバエがポットン「リアルままごと」篇>(鮮明画像はここ~ダウンロードに数分?)

「台所の生ゴミにコバエがおるぞ」
「なんでそんな人事なん?
なんでも人事やね
あんたと一緒のお墓には
入りたくないわ」

昨夜、blogをアップしてから居間に降りていったら、カミさんがパソコンの前に座れと言う。仕方なく座って見せられたのが、次の二つ・・・

<虫コナーズ アミ戸に貼るタイプ「リアルままごと」篇>(鮮明画像はここ

「アミ戸に虫コナーズ、貼っといて」
「自分で貼ってよ
何でも全部私やんか
子育ても掃除も洗濯も
自分の時間が全くないの」

<お米に虫コナーズ「リアルままごと」篇>(鮮明画像はここ

「大変や、米びつのお米に虫がおるぞ」
「自分でなんとかしたら
まあ、あんたには期待してないけどね
してないけど腹立つわ」

KINCHOのHPにエピソードが載っている。曰く・・・
「子どもたちは親の言葉をよく聞いています。
知らず知らずに親の口癖や身振りをマネられて、ぞっとすることもありますよね。
空前の子役ブームにあやかって(笑)、「夫婦の日常」を子どもたちの演技力で描けないかと考えた企画です。
何組かの夫婦役を撮影しましたが、いたんです、関西の天才子役が!加藤珠希ちゃん(6歳)です。
間といい、セリフまわし、言葉の抑揚、表情、どれをとっても、セリフを言わされている感、演技している感がない迫真の演技で撮影しているスタッフが身につまされてつい苦笑いしてしまうぐらいの「リアルさ」でした。
思わず謝りそうになったり、そこまで言わんでもと涙ぐんでいるスタッフもいました(笑)。」(
ここより)

これらのCMを見て、何を感じるか・・・・・
まだ小学校にも上がっていない6歳の女の子・・・・
それに対して、何とも頼りのない男の子・・・

つくづく女性は強く、男はふがいない動物・・・と思う。

今日会社から帰っても、話題はもっぱらこれ・・・・。
挙げ句の果てに、いつでも見られるようにダウンロードしろと言う。仕方がないので、カミさんのパソコンにwmvファイルで落としてあげた。
まあ直ぐに飽きると思うけど、ウチに来たカミさんの友だちは、当分、皆このCMを見せられるのだろう。

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2012年6月11日 (月)

スカイマークの「不満があれば消費生活センターへ」

先日、スカイマークのクレーム処理方法について、非難の報道があった。この報道を聞いて、会社側の真意を聞いてみたいと思っていたが、新聞で社長がコメントしていた。
まず朝日新聞の天声人語から読んでみよう。曰く・・・

「今もそうなのか、どうか。日本のある大手航空会社の客室乗務員は、機内で否定語の対応をするべからず、と教育を受けていた。たとえばビールを頼まれて、「ない」と言ってはいけない。「ただ今はソフトドリンクだけ用意しております」。20年余り前に取材で聞いた話である。
茶をこぼした、ボタンがとれた、暑い、寒い――乗客の要望は様々だ。「スチュワーデスは乗客に対して理想のスチュワーデス像を演じるのが仕事」と教官は話した。だが、時代は変わったようだ。
航空会社スカイマークがサービス方針を示した、乗客向けの機内文書が話題を呼んだ。「機内での苦情は一切受け付けない」「丁寧な言葉遣いを義務づけていない」など8項目あって、微笑を消した強面(こわもて)ぶりだ。その中の一文が物議をかもした。
不満があれば消費生活センター等へ、と書かれていた。税金で運営される公的機関に「尻ぬぐい」をさせる不見識に、消費者庁が怒った。結局謝罪して回収したが、高飛車な文面と相まって空の旅の興をそぐ。
とはいえ、客の側にも無理難題を言う人はいる。「感情労働」という言葉があって、客室乗務員が典型とされてきた。自分の感情をひたすら押し殺し、相手に合わせた言葉と態度で応じる。強靱(きょうじん)な「堪忍袋」を求められる仕事である。
昔の空の「もてなし上手」は、一方(ひとかた)ならぬストレスの賜(たまもの)だったようだ。今のご時世、簡素なサービスは悪くないが、木で鼻をくくるのとは違う。取り違えないよう願いたい。 」(2012年6月9日(土)付 朝日新聞「天声人語」より)

そして昨日の日経新聞に、こんな記事が・・・・

「“苦情は公共機関に”真意は?~できないこと理解求める
      スカイマーク社長 西久保慎一氏

 スカイマークは先週、「機内での苦情は公共機関に訴えてください」と記した文書を配った問題で、消費者庁から文書の回収を求められた。同社のサービスはこういうもの、との考え方を示したつもりが、一部から「傲慢だ」と受けとめられ、インターネット上で批判的な意見が相次いだ。西久保慎一社長に文書に込められに真意などを聞いた。
 ――なぜ、このような文書を作ったのか。
 「無理なことをおっしゃるお客様に対策が必要だった。そうした対応に追われると客室乗務員が本来の保安業務などに集中できないし、ほかのお客様のご迷惑にもなる。運航が遅延すれば、機材の稼働を最大限高める収益モデルにも支障が出る」
 「『ヘビークレーマー』と呼ばれるお客様をつくらないためにはまず、できないことをはっきりさせ、お客様が冷静でいられる時にそれを理解していただくことが大切。だから全座席のポケットにお願いの文書を入れることにした」
 ――「苦情は受けつけない」「収納の手伝いはしない」との表現が突き放した印象を与えなかったか。
 合法的なチェックはすませ、周到に準備した。多少の反論は覚悟していたが、もし誤解を与え、ご不快な思いをさせたのなら深くおわびしたい。適切な表現に改め、作り直す」
 ――苦情は自治体が運営する消費生活センターに連絡するよう、求めだ記述も物議を醸した。
 「(仮に苦情を巡りトラブルになれば)公的機関の判断を仰ぐことになる、との姿勢を示したつもりだった。苦情対応を公共機関に押しつける意図はない。新しく作る文書ではそうした部分は削除する」
 ――スカイマークにとって顧客とは。
 「当社とお客様の関係は対等と社員に教えている。お金をいただく一方で、われわれは輸送を提供する。両方が納得した形で初めて取引は成立する。もちろん航空会社を選ぶのはお客様だ。だが我々は提供できる価値、できない価値というのを事前に示さなければならないのではないか」
 ――低運賃で競合する格安航空会社(LCC)はむしろ、機内サービスを充実させている。
 「われわれが機内サービスをしないわけではない。LCCにはない広いシートは重視している。2014年から役人するエアバス330型機ではビジネスシートを90席設け、安い運賃で提供する。早朝便では無料のコーヒーサービスなども検討したい」
 ――安全面では国土父通省から厳重注意を受けた。
 「真摯に反省したい。完璧はないとの自覚を持って改善を積み重ね安全体制を強化していきたい」」(2012/06/10付「日経新聞」p7より)

確かに、幾多あるサービス業の中で、飛行機ほど手厚いサービスはない。特に海外便では、酒も飲み物も飲み放題。慣れた人は、離陸後直ぐに酔っ払う・・・
それに比べて、安価を売り物にする格安航空会社は、輸送業務に特化してその他のサービスを減らす。これは当然だと思う。
しかし格安航空会社のみならず、普通の日本の航空会社も、最近少し変わってきたようだ。JALはコーヒーが無料だが、ANAは有料。利用者(自分)は現金なもので、どちらを選ぶかというと、同じ条件ならJALを選ぶ・・・。たかがコーヒー。されどコーヒー・・・

現役時代、アメリカに出張した時、一緒に行った人から「“ビジネスクラスに変えろ”と言ってみたら?」と言う。「切符がエコノミーなのに、そんなこと出来るわけない」と言ったら、アメリカではそんな無理難題を平気で言う人がいるそうだ。それに対して、航空会社はどんな要求にも“努力”するのだそうだ・・・。
それで実験?で言ってみた。すると、受付の女性が、何と裏の別室に聞きに行くではないか・・・。結局、ビジネスクラスが満席なのでNG、で終わったが、門前払いしないやりとりにビックリ・・・

話は変わるが、今必死に(!?)BSフジのテレビドラマ「三国志」を見ている。諸葛孔明の知略が実に面白い。人間の機微を操る知略には舌を巻く・・・・。
長文になって、はなはだ心苦しいがチョコッとそのストーリーを・・・・
「ついに赤壁の戦いが幕を開ける。劉備の元に戻った諸葛亮は曹操の敗走を予期して趙雲や張飛などに役割を与えていく。しかし関羽だけには曹操に恩義がある立場を考慮して作戦には参加させない立場を取った。これに憤慨した関羽は曹操を逃がす事がないよう誓約書を書き、ようやく諸葛亮から出陣の許可を得る。
・・・・・・・
曹操軍が退却したことで空白の生じた荊州北部を巡って、次は孫権と劉備の覇権争いが始まる。曹操を見事仕留めていれば劉備に分が出てきたのだが、そこへ戻ってきたのは曹操を取り逃がした関羽だった。関羽は自らの失態を詫び自害しようとするものの、桃園の誓いを忘れない劉備は自らが関羽に先立ち自害すると息巻く。見かねた魯粛は諸葛亮に許しを請い、一時は関羽を処刑せよと命じた諸葛亮もその言を下げた。これは周瑜が自らの手を汚さずして曹操を劉備に討たせようとしていた事を読み取り、関羽が曹操を逃がす事を承知した上での諸葛亮の策略だった。この諸葛亮の一芝居に、孫権と劉備の同盟が今後しばらくは不可欠と考えた魯粛も乗る形で関羽を助けるのだった。」(
ここより)

それで・・・、何が言いたいかって???
今回のスカイマーク事件は、報道を通じて“有限のサービス”のPRをした(一芝居うった)スカイマークの“知略”では?
少なくても、しばらくはスカマークに無理難題を言う客は現れまい・・・

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2012年6月10日 (日)

中村仁一(著)「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を読んで

先日、新聞に中村仁一(著)「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の広告があり、その目次に興味を持った。そして「この本を買ってみようかな・・」と言ったら、カミさんが「もう読んだ。読むなら貸すよ」という。それでカミさんに借りた。本には付箋がいっぱい・・・。それで付箋を全部取ってから読み始めた。付箋の痕でベタベタしているが仕方がない。
ふと、気になる言葉を見付ける・・。挟む紙もないので頁の角を少し折った。

そして読み終わって、折ったページを数えてみたら24ページもあった。つまり、この本はかなり自分にフィットした、ということ。
いつもの通りに、なるほど・・と思ったページを引用していたら、何日分もの“blogネタ”になるだろう。それを一日分のネタとして書くとすると、さてどう書こうか・・・

先ずは、本のカバーにある解説から・・・。曰く・・・
死ぬのは「がん」に限る。ただし、治療はせずに
3に1人はがんで死ぬといわれているが、医者の手にかからずに死ねる人はごくわずか。120610iryouto 中でもがんは治療をしなければ痛まないのに医者や家族に治療を勧められ、拷問のような苦しみを味わった挙句、やっと息を引きとれる人が大半だ。現役医師である著者の持論は、「死ぬのはがんに限る」。実際に最後まで点滴注射も酸素吸入もいっさいしない数百例の「自然死」を見届けてきた。なぜ子孫を残す役目を終えたら、「がん死」がお勧めなのか。自分の死に時を自分で決めることを提案した、画期的な書。」

やはり少しだけ気になった箇所を・・・・。全部を紹介するワケにはいかないので、チョットだけ・・・
・繁殖を終えた年寄りには、「ガン死」が一番のお勧めです。ただし、「手遅れの幸せ」を満喫するために、「がん検診」や「人間ドック」などを受けてはいけません。(p6より)
・「自然死」は、いわゆる“餓死”ですが、その実態は次のようなものです。「飢餓」~脳内にモルヒネ様物質が分泌される。「脱水」~意識レベルが下がる。「酸欠状態」~脳内にモルヒネ様物質が分泌される。「炭酸ガス貯留」~麻酔作用あり。(p49より)
・何かの不都合な事態が生じれば、これを元に戻そうとします(快復力、自然治癒力)。この力が衰えたり、おっつかない時が死ぬ時です。(p85より)
・「がん検診」を受けて「精密検査」といわれたら、心穏やかでいられるはずがない。もしも、がんだったらと思うと、心も千々に乱れ、夜も眠れない、食欲は落ちる、仕事に身が入らないなど、結果が分かるまで生きた心地がしない。(p101より)
・繁殖を終えたら死ぬというのが、自然界の“掟”です。生きものとしての賞味期限の切れた年寄りのがんは、「もう役目はすんだから、還ってきてもいいよ」という、“あの世からのお迎えの使者”と考えてもいいはずです。(p104より)
・一見、手遅れの発見は、不幸の極みのようにうつります。しかし、考えてみてください。それまで何の屈託もなく、自由に充実した毎日が送られていたわけです。痛みが出なければ、今後も体力が落ちて自由に動くのがむずかしくなるまで、ふつうの生活をすればいいのです。(p108より)
・(抗がん剤は)たとえ、数ヶ月の延命効果はあったとしても、副作用が強烈でしょうから、ヨレヨレの状態になります。結果的に苦しむ期間が延びただけというのでは、あまりに悲惨すぎるのではないでしょうか。(p110より)
・繁殖を終えて生きものとしての賞味期限の切れたわが身も顧みず、むやみに「検診」や「人間ドック」を受けて、病気探しをしてはいけません。医者の餌食になるだけです。(p178より)

等々、キリがない・・・・

何度も出てくる言葉が、“繁殖を言えたら死ぬ”・・・・。目指すは“自然死”・・。
最近の自分の持論になっている“検診での病気探し”については、筆者と見事に一致・・・。

一般的にハウツー本は、売るために普通では逆と思われる題名を付けるもの。この本も題名は刺激的。しかし、自分にとっては“然り”と思う言葉が次々と現れる。
考えてみると、自分にとってこの本は、最近検診でレントゲン検査を受けない自分の“理由付け”のための書・・・なのかも知れない。「ホラ、自分の言っていることは、決してマイナーな考え方では無いだろう?」という理由付け・・・・

ともあれ、前に島田祐巳著「葬式は、要らない」(これ)を読んだ時と同じように、少なくとも自分にはフィットした本・・・。
「その時(←がん発見)」になったら、またじっくりと読み返すこととしたい。

(関連記事)
田中奈保美:著「枯れるように死にたい―「老衰死」ができないわけ」を読む

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2012年6月 8日 (金)

サントラ「誘惑されて棄てられて」

サントラと実際に見た映画・・・。この二つが、自分の場合ほとんどマッチングしていない。つまり、映画の内容など無関係にサントラの音楽を聴いている。その代表(?)なのがこの音楽・・・??
映画「誘惑されて棄てられて」の主題歌である。題名とは別に、この旋律が何ともフィットする・・・・

<サントラ「誘惑されて棄てられて」>

Netで見ると、この映画は、ピエトロ・ジェルミ監督による1964年製作のイタリア・フランス合作120608yuuwakusarete 映画であるという。自分は知らないが、この監督はあの「鉄道員」と同じだという。
考えてみると、自分が聞くサントラで、特に外国映画は見ていないものが多い。それに比べて日本映画は結構見ている。「それから」「阿弥陀堂だより」「失楽園」・・・。
つまり洋楽は、音楽を聴いてからチャンスがあれば映画を見る・・という感じ。「禁じられた遊び」を始め、「鉄道員」「ブーべの恋人」「太陽がいっぱい」「アラビアのロレンス」「ある愛の詩」・・・・等々。でも「汚れなき悪戯」はまだ見ていないな・・・
この「マルセリーノの歌」や「鉄道員」など、古い映画だけに良い音楽なのだが音が悪いのが残念・・。

でも、昔から良く聞いていた有名サントラの映画そのものを、死ぬまでに一度見ておくのも、シルバー族の“時間の有効活用!?”には良いかもね・・・

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2012年6月 7日 (木)

「暗示について」

毎度ネタが新聞記事で恐縮だが、先日こんな記事が・・・・

暗示について  沖方 丁
 空元気も元気のうち、という言葉がある。私はこの空元気を、かなり信じている。暗示として、きわめて強力な部類だと思うのだ。
 自分は元気であると思い込もうとしたり、苦しいときにあえて笑顔になろうとすることに、どれほど効果があるか。これについては世の様々な専門家が実験し、面白い報告をしている。
まず笑いである。これはどうやら胃に良いらしい。腹がよじれるほど笑うという言葉があるが、笑いでよじればよじるほど胃が丈夫になるという、半ば迷信のような話がある。
 腹筋は確かに鍛えられそうだが、果たして胃は良くなるのか。
 良くなる、という専門的な意見がどうやら多いようだ。では良くなるとどうなるのか。胃が感情に従うことは広く知られている。気分が塞げば、胃も塞がる。気分と胃はかなり密接な関係にあり、逆に、胃を良くすることで気分が良くなるという。
 このため、うつっぽい気分も、胃の不調を整えることで緩和されるらしい。胃が良くなると気分が良くなり、免疫も高まるそうだ。本当かどうか知らないが、とある重病人が、病院の看護が気に入らず、自宅療養を選んで一日中コメディ映画を観ていたら治った、という話もある。
 笑顔が素敵な人、という誉め言葉があるが、そういう人は、笑顔を保つことで心身の健全さを保っているのだろうと思う。
 苦しいとき、あえて笑顔にならねばならないのは辛い。そう訴える人もいるが、これは周りの人に遠慮して笑顔になろうとするから辛いのである。人目を気にせず、自分自身に微笑みかける。そうすると、まさに空元気が元気になってくるという。
 そうした効果を強く信じている人の中には、自分の笑顔を撮影したりする方もいる。微笑んだり、声に出して笑ったりしている自分の顔を、携帯電話などで撮影する。その行いを習慣にすることで、気分を良くし、免疫力を高め、持病を克服した、という話を聞かせて頂いた。
 もちろん、しっかりとした治療と平行してのことである。外科治療など、術後の体力消耗が激しいとき、自分の笑顔を撮影することで気力を保つことができたのだそうだ。
 こうした暗示が、実際どれほど肉体に影響を与えるかについては、専門家によって意見が分かれるだろう。だが少なくとも精神に及ぼす力は、きわめて強い。
 たとえば、こんな話を聞いた。
 笑顔ではなく、「毎日、鏡に向かって、繰り返し溜息をつく」という実験が行われた。
 これは「うつ病になる過程」を調べるためのもので、予想以上の効果が認められたという。被験者がたちどころに不調に陥り、期限に至る前にストップがかかったそうだ。 似た話では、「マンガのキャラクターで祭壇を作り、欠かさず祈りを唱える」というものがある。カルト教壇による洗脳の様子を調べるための実験で、あえて馬鹿馬鹿しいキャラクターの絵が選ばれた。だが、これまた強烈な効果が確認され、責任者から中止が命じられたそうだ。
 情報化社会は、いうなれば民衆が互いに強力な感情的暗示をかけ合う社会である。
 健全な心身を得られる暗示を歓迎し、そうでないものを拒む。そういう、個人の選択と防衛が可能な社会になって欲しいと思う。(作家)」(2012/05/29付「日経新聞」夕刊p7「プロムナード」より)

笑いが健康の秘訣、とは昔から良く言われていたこと。ホントウの笑いは、健康な心から生まれる。いや、健康だからこそホントウの笑いが出来る・・?? ん?タマゴが先かニワトリが先かの議論に似て、何が何だか分からなくなってきたけど・・・?

ともあれ、笑いは良いこと。それがウソの空笑いであったとしても、それが元気を生むのだ。
しかし心からの笑い顔は、写真で見ても表情が生き生きしているもの・・・。

先日、上高地に行ったが、散策の途中で、カミさんと二人で、近くの人に頼んでシャッターを押して貰った。その時の自分の顔が笑っている・・・。カミさんにシャッターを押して貰う時とは、表情が違うのである。これは決して隣にカミさんが居るためではない。「(シャッターを押して貰って)スミマセンね~」という自分の照れ笑いが表情に出ているだけ・・・・。でもこっちの方が、表情は良い、とカミさんは言う。それを「写真写りが良い」と言うのだそうだ。まあ自分で見ても・・・・

自分の顔が一番曇る場合を、自分は知っている。家族の不健康(体調不良)の話が持ち上がったとき。家族にはペットも入る。
今日も、同僚のSさんから「今朝、弱っていた愛犬のトイプードルが死んだ」と言っていた。前に2匹飼っていたトイプードルの1匹が死に、今度で2匹とも居なくなって寂しい・・・と。15歳だったという。
実は今、愛犬メイ子の右後ろ足の調子が悪い。カミさんに言わせると、ジャンプの時にひねったという。それにしては、もう1週間以上経つが治っていない。散歩は避けたいが、メイ子に「散歩に行くか?」と聞くと、行くと言う。それで連れ出すのだが、器用に3本足でケンケンをしながら歩く。まあ調子が悪ければ、歩かなくなるだろう、と様子見ているが、これも“非笑い”のひとつ。
ともあれ、人生、還暦をとうに過ぎてしまうと、健康以外の悪い話はそろそろ無くなってきた。病名を付けないために“なるべく病院には行かない”ことを心掛けて、笑いのある生活を維持(?)したいものだ。

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2012年6月 6日 (水)

SONYのHDDオーディオレコーダー(NAC-HD1)に惚れた話

先日(2012/06/04)、SONYの株価が32年ぶりに1000円を割り込んだ、とニュースが伝えていた。今日はそんなSONYの応援記事!?

自分が、今大切にしているものは、L-02TというFMチューナーと、先日購入したSTAXのヘッドホンSR-009、そしてSONYのハードディスクオーディオレコーダーNAC-HD1である。そのうち、FMチューナーは30年以上前の機械であり、いつ壊れるか分からない。よって予備機も手に入れてある。そしてSTAXのヘッドホンは現行品であり、またメンテ体制もしっかりしているので安心している。問題はSONYのNAC-HD1(これ)という機械・・・

このNAC-HD1は、SONYではいわゆるジュークボックスという位置付け。250GのHDDに380120606nachd1 枚のCDデータをそのままコピー出来る。もちろんデジタル/アナログの入力からも録音出来る。そして録音された音楽を、色々な雰囲気に合わせて、ランダムに再生する機能がある。まさに個人用のジュークボックスだ。
そして面白いのは、Netを通じて、その音楽の情報を付加する。つまり、FM放送からの音楽を、無音部分で切ってから、その楽曲の曲名、歌い手、アルバム名などを自動的に付けてくれる。ただし、これは曲の冒頭部分の切り方が悪いと認識できない。曲の始めに必要以上の無音部分が無いとうまく認識してくれる。しかし放送では、アナウンスが曲の初めに被ってしまうことが多く、自動ではきれいに楽曲間を切れないのが残念。
そして最大の特徴が音が良いこと・・・。音質悪化の原因となる圧縮を一切していないリニアPCM録音。特にデジタルの出力の音質は定評がある。自分もNAC-HD1内蔵のプアーなD/Aコンバータは使わず、外部の専用D/Aコンバータを使っている。

この製品を手に入れたのが、昨年(2011年)の5月。それ以降、MP3での楽曲収集の趣味を終え、今度はリニアPCMでの良い音の楽曲収集を始めた。
自分にとっては“新しい趣味”という位置付けである。それ以降、レンタルCD屋を巡って録音したり、FM放送から録音したり・・・。内蔵のHDDがいつ壊れても良いように、外部のUSB HDDにバックアップを取りながら、使っている。

今では、無くてはならない存在のNAC-HD1。この機械が、いつまで使えるかが問題。現在は壊れてもSONYが修理をしてくれるので安心だが、SONYのルールに基づいて、そのうち修理期間は終わる。その後が問題・・・。
それでSONYに聞いてみた。「NAC-HD1の修理可能期間はいつまでか・・」・・と。
その回答がこれ・・・・
「この度お問い合わせいただいた件につきまして、以下のとおりご返信申しあげます。
弊社では、NAC-HD1の補修用性能部品(製品の機能を維持するために必要な部品)を製造打ち切り後、8年間保有しています。
この部品保有期間を、修理可能の期間とさせていただきます。
◇NAC-HD1:2007年5月21日発売、2009年10月生産終了
修理のお申し込みは、ご購入店またはお近くのサービス窓口で承っておりますので、ご相談いただきたく存じます。
ソニー修理相談窓口 メール担当:(WTNB)2011/11/07 12:23」

つまり2017年10月までは修理してくれるらしい。よって、あと5年か・・・
この製品はもちろん店頭では手に入らない。もっぱらオークションで手に入れることとなる。当時、小売価格は 110,250円で、当時7~8万円で売られていた製品だが、現在のオークションでは中古品が8~10万円で取引されている貴重品である。(でも出回っているだけマシ・・・)

この1年間、自分は既にこの製品を持っているにも拘わらず、オークションでの出品が気になっていた。つまり、先のFMチューナーではないが、1台ではどうも安心出来ない。それで、ついに決断して先日2台目を入手してしまった。案の定、予備機を持っていることの安心感は何事にも代え難い・・・・。

早速1台目のバックアップデータから2台目に復元を試みた。Netで検証していたが、予想通り2台目へのバックアップが出来た。つまりNetでの検証は個体識別までは行っていなかった。これで将来、現用機が壊れて修理不能となっても、USB HDDのバックアップデータと生きているNAC-HD1がもう一台残っている限り、安心・・・・。

この機械は、不満な点も色々ある。予約した録音が始まらないことがある。(これは2台とも同時刻で同じ現象が発生しているので、ファームの問題?)録音が途中で止まることがある。外部入力録音の音量調整が出来ない。フォルダの階層が3つしかない。フォルダに収納した楽曲のソートが出来ない。(ウォークマンでは、フォルダの中は常にソートされている) CDから録音する時のレベル調整が出来ない。リモコンの指向性が強過ぎ・・・と色々あるが、まあ仕方がない・・・・

そもそも製品コンセプトが、「CDのデータを録音する」ものなので、曲の順番も録音レベルもそのまま・・・なのだろう。
そしてSONYらしく、著作権についてはガチガチ・・。PCM音質のWAVファイルでの外部読み出しは出来ず、MP3モードでの外部転送となる。これも仕方がないか・・・
当時の市場では、先端を行き過ぎた製品、という評価だったらしいが、自分にしてみると素晴らし製品。後継機が無いのは残念。
さて2台目の使い道だが、1台目の録音内容をそのままコピーしておいて、単なるバックアップとして置いておくのももったいないので、1台目は歌専用、2台目はクラシック専用、として使うつもり。
こんな素晴らしい製品を作れるSONY。ぜひかつての元気を取り戻して欲しいものだ。

(関連記事)
NAC-HD1からWAV/FLACとして読み出す方法
SONYのPCMオーディオレコーダー(NAC-HD1)を2TBに容量アップした話 
SONYネットジュークの時刻が狂う~NTPサーバの再設定 

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2012年6月 5日 (火)

目がかすむ・・・眼精疲労??

老化は避けようがないし、治らないという。(この記事は自分の備忘録である)
この所、目の調子が悪い。会社で一日パソコンの画面を見ていると、遠くを見てもピントが合わない。特に右目が・・・
思い出してみると、一昨年(2010年)までは、会社の検診の時に“フィーリング”で目の検査をした結果、両目とも1.2から1.5は見えていた。しかし昨年(2011年)の4月の検診の時、うっかりパソコンをやった直後に検診を受けたため、ピントが合わないまま、0.8を“喫して”しまった。それで、今年はなるべくパソコンを見ないで受検したところ、両目ともに1.2を“獲得”した。
つまり、パソコンを長いこと見ていると、パソコン以外の所のピントが合わなくなってきたのだ。遠くがぼやける。よって、たまに給湯室に行って、インスタントコーヒーをすすりながら、窓から新宿副都心のビル群を見るようにしている。フロアが2階のため、唯一遠くに見えるのが、そのビルだけなのである。

昨日、ふと「まさかホンモノの目の病気では?」と心配になってNetで見た。すると、やはり目の疲れ、眼精疲労らしいことが分かった。原理は簡単。目のレンズはオートフォーカスになっているが、近い所ばかり見ていると、ピントを近くに合わせるために凸レンズが厚くなっている時間が長い。そして、急に遠くを見ると凸レンズを薄くしないとピントが合わないが、筋力の低下により、それがうまく働かない。よって遠くにピントが合うまでに時間がかかる・・・・

帰り道、駅までの道を目のテストをしながら歩いた。遠い電柱を見ながら右目をつむったり左目をつむったり・・・。(すれ違った女性は、ウィンクと間違えて、さぞビックリしたことだろう・・・!?)
結果、右目の方が合わない。左目は結構早く順応する。
そして電車の窓からボヤッと遠くの景色を見ていると、両目とも、遠くでもピントが合ってくる・・・。やはり老化だな・・・・

これからの老後。テレビで映画を見たり、読書をしたり、目は重要。さて楽しみのために使うぞ・・・という時期になって、この“体の裏切り”はツライ・・・
でも、老化は避けようがない。でももう少し頑張ろうぜ! “自分の目”く~ん!!

(追:2014/08/08)
原因が判明。
1)近くを見ることで、目のピントの筋肉が疲労。近近メガネを買うことで解決。
2)しかし、右目に少し疲労が残った。原因は、右目の乱視が2度進んでいた。右目の乱視を合わせて遠近メガネを作り直したところ、解決。

(関連記事)
「眼鏡市場」と「メガネストアー」の違い~安い“近近”メガネを買った話 

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2012年6月 4日 (月)

お人形が怖い・・・・人形供養

昨夜、人形供養のため、発送の荷造りをした。
どの家にもお人形の一つや二つはあるもの。それを処分する時、結構大変なのだそうだ。
自分は人形などに縁がなかったので無関心だが、我が家の日本間にあるガラスケースのP10000091 日本人形は、カミさんが昔、お祖母ちゃんから貰った物だそうで、我が家にずっと鎮座している。
それを処分したいとカミさんが言い出したのは、大分前のこと。聞くと、お人形には魂が宿っているとかで処分がなかなか大変。物理的には可燃ゴミで出せるが、心の問題でなかなか難しい。

カミさんが調べたら、宅配便で受け付け、供養をした後に処分してくれるお寺さんなどが全国にあるので、その一つに依頼するのだという。
それで、昨夜荷造りをした。日本人形だけでなく、昔カミさんのお袋さんから貰ったというひな人形も・・・。

日本人形を包もうとして、やおらカミさんが「この人形が泣いている!!」と120604ningyou1 言う。それを聞いて、背筋がゾッと・・・・。見ると、確かに左目の下に涙の後のような・・・・。それでも「これはホコリが積もったあと・・・」ナンテ言ってみたが、怖~い・・・・・。(写真はクリックで拡大)

カミさんが言うには、お人形は持ち主の魂が宿り、特に持ち主が亡くなると、その魂は人形に移るとか・・・。よって、それを処分するのは、簡単ではない。
こけしなどの、顔のある人形はどれも同じ・・・。よって、お人形を簡単に人にあげる物ではない・・・とのこと。

男はあまり人形には興味がないので良く知らないが、世の中、色々と怖いことがあるので、お人形を人にプレゼントするのは、よくよく考えた方が良さそう・・・・
(お陰で?夜中に、もうとっくに亡くなった昔お世話になった遠縁のおばさんの夢を見てしまった・・・・)

*なおこのマンガは、さっきカミさんがチョコチョコっと書いたもの・・・。当サイトの本家であるカミさんのHPを見るまでもなく(ここ)、結構ウマイ・・・。

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2012年6月 3日 (日)

フリオ・イグレシアスの「ラ・クンパルシータ」

聞いていて心が豊かになる音楽というのがある。豊かと言うよりも、つい嬉しくなってしまう音楽・・・??
先日のNHKラジオ深夜便で、スペインの歌手フリオ・イグレシアスの特集があった。その中で放送された「ラ・クンパルシータ」。これを先日買った定価38万円のヘッドホン(これ)で聴いていたら、実に素晴らしい音・・・・。
タンゴのリズムを刻むベースが、実に豊かな音を奏でる。まるで、ドライアイスのスモークが床一面に広がっている感じ・・・・。この一面に広がったスモークのようなリズムなのだ・・・・
再現できるのかどうか分からないが、こんな音楽である。

<フリオ・イグレシアスの「ラ・クンパルシータ」>

パソコンのこの音楽のmp3を、BOSEのイヤホンで聴いてみたら、そんな感激は生まれなかった。つまり、自分のSTAXのヘッドホンの自画自賛でしかない??

最近、思う。時間が無い・・・・。このような隠れた(自分の知らなかった)音楽や、小説、映画等、“この世”で味わいたい作品は山のようにある。しかし一向に手が着かない・・・・。
もちろんそれらは自分の言い訳でしかないことは分かっている。勤めで時間が無いと・・・・
しかしそれに解は無い。

前にも書いたが、今の自分の時間の使い方を、今後どうしたら良いか・・・。どのような生活を送ったら、死ぬ時に”存分に生きた!”と思えるのか・・・。
それを考え始めた最近の自分である。

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2012年6月 2日 (土)

「結婚しても、子供が出来ても、人は大人になるわけじゃない」

先日の日経新聞夕刊のコラム「プロムナード」にこんな記事が・・・・

「結婚しても、子供が出来ても、人は大人になるわけじゃない
              鎌田敏夫
 「金曜日の妻たちへⅡ」で、伊武雅刀が言ったセリフです。その後に、こんな言葉がつづきます。「大人になりたいと思ったときに、ひとは大人になるんだ」。大人になるというのは、自分の論理で考え、自分の決断で生きていくということです。学校の成績がよくて、順調に人生の階段を上がってきた彼は、いい妻にも恵まれ、自分の論理で何かを決断しなければならない局面に出合うことがなかったのです。自分の論理で生きるよりも、組織の論理で生きる方が人生は波瀾(はらん)なく過ぎていく。日本の男性のほとんどが、彼のように大人になる必要を感じずに、人生を過ごしていくのではないでしょうか。このドラマの伊武雅刀のように、いい伴侶、いい母親をやってきたと思っていた妻が、突然、自分が思っていたような女ではないと分かったなんて局面に遭遇しないかぎり。こんなとき、組織の論理は助けてくれません。自分で判断し、自分だけの結論を出さなければならない。彼は、初めて「大人」になっていくのです。
 農耕民族が形作るのは、基本的に母系社会です。山、河、森、樹、日本人は自然のいたるところに神を感じます。自分を主張する快感よりも、大きなものに包まれて生きる幸せを、先祖代々感じてきたのが日本の農耕民族ではないでしょうか。日本人は、ある意味で大人にならないで生きていけるのです。それに比べて、狩猟民族は、獣を相手にするだけに、狩りのときには個の決断を必要とします。一瞬の迷いが、自分の命を奪ってしまうことがあるからです。自分の身は自分で守る。彼らは、幼いときから、それを教えられます。子供がある年齢になると、父親が拳銃の撃ち方を教えているのをアメリカではよく目にします。女性の胸の間に拳銃を挟むホルスターを売りだしたら、予想以上に売り上げが伸びたという記事も、最近目にしました。あれだけ乱射事件で人が死んでいっても、銃規制をしようとしないのは、彼らの自立思想と密接に関係しているからです。フランス人はアメリカ人とは、また違った大人だと思います。恋愛関係に関しては一切報道しないというのが、フランスメディアの誇りらしいのです。元大統領のミッテランが、成人した愛人の娘と食事しているところを報道した有名週刊誌が、それが好意的な記事だったのにもかかわらず、「私生活を暴かないというジャーナリズムの伝統を破った」と、他のメディアの非難の的になったという話が、『フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか?』(棚沢直子ほか著)という本に書かれています。
 幼いときから大人になることを強いられる西欧の男性と、生涯大人にならずにすむ日本の男性と、どちらが幸せかと聞かれたら、迷わず日本の男性だと答えます。母親の庇護の元にあった子供時代が幸せだったように、組織の庇護の元に生きて大人にならずにすむのは、人間にとってとても幸せなことだと思うからです。不祥事が起きて、組織の責任者が頭を下げる光景を毎日のように目にしますが、必ず一人ではなく三人以上です。責任の矛先が、それによって個人ではなく組織に向かっていくのです。組織に守られて生きていけるというのは、なんて幸せなことだろうと、一人で決断して生きていくしかない職業を選んでしまったぼくなんかは、いつも思ってしまいます。(脚本家)」(2012/05/25付「日経新聞」夕刊p7より)

この文はうなずく所がある。まあそうだろうな・・・と。
「大人になるというのは、自分の論理で考え、自分の決断で生きていくということです。」、よって「自分で判断し、自分だけの結論を出さなければならない。」、それで「彼は、初めて「大人」になっていくのです。」、だから「結婚しても、子供が出来ても、人は大人になるわけじゃない」・・・・
でも、自分で決断している人にも、大人でない人は多い。しかし結婚をいう共同生活の中で揉まれ、それで大人になっていく・・・というのはあると思う。それに子どもを育てることにより、子どもに教えられて大人になっていく、というのもあると思う。よって「結婚しても、子供が出来ても、人は大人になるわけじゃない」という話にはどうも賛成しかねる・・・

フランス人の「恋愛関係に関しては一切報道しないというのが、フランスメディアの誇りらしいのです。」という話は初めて聞いた。
今日、たまたま電車の中で週刊誌を読んだのだが、やはりどうも自分にフィットしない。有名人のうわさ話ばかり。こんなゴシップ話に時間を使うのはもったいない・・・。それでどうも自分は、週刊誌は苦手・・・・
でもこんなエチケットの国はフランスだけ?? 英国のダイアナ妃の事件や、米国の大統領選のゴシップ宣伝等々。フランスのような国は珍しいのでは??

「組織に守られて生きていけるというのは、なんて幸せなことだろう」という件(くだり)にはドキッと・・・・
確かにサラリーマンは、自分の顔よりも会社の立場の顔で生きている。よって肩書きが無くなると、糸の切れた風船のように心許ない・・・

還暦をとっくに過ぎて、今思うのは、過去の自分がホントウに大人でなかったと・・・・。その時々、自分は大人だと思って行動してきた。それに対して、まったく疑いはしなかった。しかし今振り返ると、それぞれが子ども・・・・

今日は、カミさんと出かけたが、昼食に入った食堂で、長時間待たされて参った。おかげで、約束の時間を遅れてしまった。出て来ない注文の料理にイライラしていると、カミさんが「子どもね~~」。
つまり、男は永久に大人になれなのかも・・・・ね。

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2012年6月 1日 (金)

「ポピュリズムよさらば~政党政治の立て直しを」

政治の世界では、案の定、野田総理と小沢元代表の会談が繰り替えされている。さてさて・・・
最近、自分が気になっている言葉が「ポピュリズム」・・・・。先日の新聞にこんな記事があった。曰く・・・

ポピュリズムよさらば~政党政治の立て直しを
             論説委員長 芹川洋一
 米国で、欧州で、そして日本で、政治の世界に同じ雲が浮かんでいる。ポピュリズムという暗雲だ。大衆迎合主義と訳されるが、情念に訴え既存のものを否定するところに特徴がある。民主主義はそもそも大衆の意思によるもので、はなからポピュリズムが悪いとはいえない。ただ、この雲がもくもくとわき出てくる現状は、やはりあやうい。
 ポピュリズムは負担増がからむとき、頭をもたげてくる。緊縮策や増税はだれでもいやに決まっている。それが合理的でやむを得ないものであっても、有権者におもねる政治家はいつもいる。すべては選挙での落選リスクを小さくするためだ。今の日本でおきている現象も例外ではない。
 債務危機でゆれる欧州の民主主義も際どいところに来ている。緊縮策をきらう民意を背景に、政権交代がおこったフランス、地方選で政権与党が大敗したドイツにつづき、ギリシヤはついに再選挙に突入する。
 あの混乱ぶりはどうだろう。イタリアが、政治家抜きでポピュリズムと無縁の学者らで組閣し、改革に黙り組んでいる姿ともあわせると、民主主義への厳しい問いかけになっている。
 ・・・・
 冷戦がおわって、資本主義と民主主義の価値観が世界に広がり、世界経済はひとつになっていった。
 生産拠点は先進国から新興国に移り、先進国では雇用が減り、賃金が伸び悩む。野田佳彦首相のいうように中間層の厚みがなくなり、所得分配のひずみと受けとられ、社会的な不満が拡大する。それは政治的な不安定をもたらす。政治家は人気取りに走り、ポピュリズムの雲が発生してくる。
 日本政治にひきつけるとどうなるだろうか。既成政党が自らポピュリズムをまねき寄せているようだ。
 民主党政権の治める力のなさは相変わらずだ。リーダーが消費増税について「政治生命をかける」とまでいっているのに、元リーダーのグループはとことん反対する構えだ。
 リーダーがこの国会で法案が成立しないときは「重大な決意」と衆院解散の可能性にふれても、ナンバー2は来年夏の衆参同日選だと突きはなす。部下が上司を支えるフォロアーシップなどみじんもない。会社なら、とうの昔に清算だ。
 国会では衆参ねじれで法案の処理が進まない。2閣僚の問責決議が可決され「動かない政治」がつづく。議会制民主主義があやうくなっているとの意識など選良たちにはおそらくない。
 経済がいっこうにぱっとしない、政治がうまく回らない……日本社会がもうどうしようもないと思えば、有権者はむしろ拍手してポピュリズムを受けいれる。
 政治学の世界では、ポピュリズムの手法は次のようにいわれている。大嶽秀夫       著『日本型ポピュリズム』から引用してみよう。
 ≪普通の人々とエリート、善玉と悪玉、味方と敵の二元論を前提に、リーダーが普通の人々の一員であることを強調。同時に、普通の人々の側に立ってリードし、敵にむかい戦いを挑むヒーローの役割を演じてみせる劇場型の政治スタイル。マスメディアをつうじて、上から政治的支持を調達する政治手法のひとつ≫
 その典型が小泉純一郎元首相である。既成政党がこの体たらくでは「小泉雲」が西の方から大きく張りだしてくるのは当然だ。
 対応策はある。第1は、議会制民主主義がまともに機能している姿をみせることだ。「決められる政治」「動く政治」を示す必要がある。今のままでは与野党ともすべて沈む。
 戦前、政友会と民政党が足の引っ張り合いばかりしていた結果、ファシズムの時代に入っていったことは学び直した方がいい。
 第2は、政治家をいかに鍛え直すかだ。批判はあっても昔の自民党の派閥には人材育成の機能があった。経済界、労働界、学識経験者などで立ち上げた日本アカデメイアはそれをおぎなう試みだが、「政治家の劣化」は目にあまる。今や社会全体で考えなければならないテーマになっている。
 民主党の仙谷由人政調会長代行は、政治家にとって法律学、経済学、歴史を学ぶのが必須という。とくに「経済指標をきちんとチェックしている国会議員が何割いるだろうか」と漏らすように、経済への関心の低さが懸念される。
 第3に、忘れてならないのは、われわれ自身の問題である。子や孫の時代がどうなるかを考えれば、おのずと答えは出てくるはずだ。今がよければいいという発想をすてることが何より求められるのだろう。
 ポピュリズムの雲が発達して大雨を降らせないようにするには、まずは政党政治を立て直すことである。」(2012/05/21付「日経新聞」より)

改めて広辞苑で「ポピュリズム」を引く。
「ポピュリズム【Populism】①1890年代アメリカの第3政党、人民党(ポピュリスト党)の主義。人民主義。②(populism)1930年代以降に中南米で発展した、労働者を基盤とする改良的な民族主義的政治運動。アルゼンチンのペロンなどが推進。ポプリスモ。」

最近、政党政治に疑問を感じている。確かに政治家は“落選すればただの人”。よって当選のための大衆迎合は分かる。でも政治家としての本分を忘れて、ただただ大衆やボスに迎合して右往左往していると、何のために居る政治家か・・・という話になってしまい、結局存在感が無くなってしまう。

それにしても、この記事にある仙石さんの「経済指標をきちんとチェックしている国会議員が何割いるだろうか」という嘆きは、何とも情けない話。それぞれの地方の国民から選ばれて、それら国民の代表として政治を行うべき国会議員が、基礎知識もなく、もしボスの言いなりになって、ただ派閥の駒に化しているとすると、もはや間接民主制の崩壊??
それに、今の2大政党の体たらくが、戦前のファシズムと同様に写るとすると、これまた心配のタネ・・・??

「いやになっちゃう」政治・・・。今度選挙があっても、一体どの党に入れたら良いものか・・・。何とも困った日本ではある。

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