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2012年5月 1日 (火)

「一を聴いて十を知る」

先日の日経新聞夕刊のコラム「あすへの話題」で「一を聴いて十を知る」という記事があった。曰く・・・

一を聞いて十を知る
     東京大学名誉教授 和田昭允
天才は一を聴いて十を知る、といわれる。でも、何もないところから残りの九が出る道理はない。ではどこから湧き出すのか?
 天才だろうと凡人だろうと、頭の中には綺麗に整理され、キチンと説明できる形式知がある。加えてそれの何千倍(多分)にもなる暗黙知が、直感や勘の働きで取り込まれたまま、整理されずにフラフラ漂っている。ただし両方の知とも、大きな個人差があるのは残念ながら認めざるを得ない。
 それはさておき、聴いた“一”がその状態に入ってくる。すると天才の頭では、それが親分になり、フラフラ知識どもが集まってきて、大きく纏まった知識“十”の完成になるのだ。その辺を例え話で説明する。
 綺麗な雪の結晶を思い浮かべてください。わが国には“雪は天からの手紙である”の名言で有名な“雪の博士”、北海道大学の故中谷宇吉郎教授の世界的研究がある。それによると温度零下の高空の過飽和水蒸気が、空中の極微粒子を核にして凝集し、精緻な六角形の美術品を創るという。まるで暗黙知みたいにハッキリしない水蒸気が集まって、六角結晶―まさしく形式知!―が姿を現すのだ。
 一を聴いて十を知るには多くの暗黙知が頭の中をフラついていること、そして、聴いた“一”の中に、その風来坊たちを糾合する“核”を見いだす鋭い勘が不可欠だ。
 それが天才なのだ、と言われればそれまでだが、私はそうは思わない。凡人でも心がけ次第で必ずそのようになれる。
 人から教わった形式知だけで頭がパンクしそうになっていてはダメだ。暗黙知や雑学が、肩身の狭い思いで頭の隅に縮こまっていては、新しい発想は絶対に生まれないのである。教育はそこを悟らせて欲しい。」(2012/04/19付「日経新聞」夕刊p1より)

「博学」という言葉がある。何とも“好まし字面”だが、これは何を意味するのか・・・?
本屋や図書館に行くと、自分は“圧倒”される。何に圧倒されるかというと、その本一冊ずつが持っている「それぞれの世界の数」に圧倒される・・・。つまり、本の数だけ世界がある・・・。本だけではない。すべての物事、全ての人に“世界”がある・・・
その膨大な世界に比べ、自分の知っている世界がどれだけちっぽけなものか・・・。気が付けば付くほど、自分が生きてきた世界の矮小さに気付く。

人とのつながりが大切だという。それが、この世界観のことを言っているのかも知れない。人はそれぞれの人生で経験してきた独自の世界を持つ。その人それぞれの世界は、その人とのつながりで幾らでも自分の物に出来る・・・。そのつながりは、自分の努力次第で、あらゆる方向に広がる可能性がある。
一番良い例が結婚。性が違うと言うことは、住んできた世界が異質という意味で、とてつもなく違うこと。それを結婚という手段で、自分の世界に変えることが出来る。つまり、家族関係も含めて、結婚する事によって広い別の世界が広がる・・・。(多分・・・)

でもすべては「興味」なのだろうと思う。興味があれば、別の世界を知ろうとして、世界は広がる。興味がなければ知っている世界はそのまま・・・
世界が広いのが良いかどうかは分からない。しかしせっかくこの世に生を受けたのだから、色々な世界を知ってから、つまり“この世”を充分に味わってからあの世に行きたいものだ。しかし、果たしてその時間があるのかどうか・・・・
せめて死ぬまでに、「一を聴いて“三”を知る・・・」位までは“暗黙知”を自分のものにしたいな・・・、と思うこの頃ではある。


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