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2012年4月 4日 (水)

読むに易しく行うに難しい「雨ニモマケズ」

今更だが、「雨ニモマケズ」について、こんな一文を見付けた。
「『雨ニモマケズ』-その素朴な祈り 野乃宮紀子(近代文学研究家)
・・・・確かに「雨ニモマケズ」は素朴で、文学的作品の持つ装飾的な味わいは乏しい。全体的にセピア色の佗しさが感じられ、豊潤さ、繊細な香りといったものはない。
 雨風雪夏、東西南北といった対句や対偶の素朴な語彙の使い方には、詩人としての性が無意識のうちにリズムを整えさせたように思われる。
 しかし、私どもはこの詩が書かれた状況と祈りの深さに想い至るべきである。芸術作品としてではなく、間近に迫った死を前にしたときのやむにやまれぬ思い、本然が詩の形で迸(ほとばし)りでた、と解するのが自然なのである。
 実際「雨ニモマケズ」は、読むには易しいが、行うには難しい内容を含んでいる。
 私どもは〈慾〉を捨てられるだろうか。〈決シテ瞋ラ〉ずにいられるだろうか。〈イツモシヅカニワラッテヰ〉られるだろうか。〈ジブンヲカンジョウニイレズニ〉いられるだろうか。いずれも、この生では到底出来そうにない。
 このように、「雨ニモマケズ」は、読むに易しく行うに難しい内容――遠く嶮しい祈り――を備えている。迫り来る死を前にして、賢治は、終生この願いを持ちながらも、ついに至り得なかった心情を吐露しているのである。・・・・」(雑誌「大法輪」2012年4月号p91より)

このような、いわゆる自己犠牲的な姿勢は心を打つ。誰も、それを生きる理想と位置付ける。しかし宮沢賢治がそれを実践していた、などとは誰も思っていない。それほど困難な姿勢だと分かっているから・・・・。しかし、少なくても賢治はそれを理想として生きていたのだ、とは思う。そして共感する。そして自分も・・と思う!??(でも凡人には遠い世界・・・・)

賢治も金子みすゞ(ここ)も、昨年の震災以来、世の中で多く騒がれている。それは、皆が心の拠り所を求めた結果だろうか?
白ける話で恐縮だが、それにしても、自分が辟易している言葉がある。「絆」という言葉と、「元気を貰う」という言い方である。「絆」という言葉も、自分からみると、随分安っぽくなったものだと思う。かけがえのない言葉も、あまりに頻繁に使われると、妙に安っぽくなり、あまり聞きたくない言葉に変わる。「元気を貰う」という言い方も同じ。この言い方も好きでなくなった。

まだこの「雨ニモマケズ」は、そこまでの地位の低下はないものの、キケン・・
大切な言葉ほど、そっと静かに、大切に取って置きたいものである。

★メモ~カテゴリ変更。「音楽(日本の歌の全リスト)」から「音楽(日本の歌手の全リスト)」を分離独立。「本・新聞から(2010年~)」から「新聞より・時事(2010年~)」を分離独立。


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コメント

井上陽水の「心もよう」から惹かれてお邪魔をしています。八王子から南、横浜市にすんでおります。改めて、始めまして、どうぞよろしくお願い致します。
 手あかの付い言葉が、力を失っていくように感じておりました。「絆」最たるもの、他に嫌なのは「元気を与える」尊大な!。歌では「故郷」「上を向いて歩こう」。大事なもの・美しいものを引っ張り合って質を落とさないでほしいです。

【エムズの片割れより】
そうですよね。歌も同じですね。
確かに、何かにすがりたい気持ちも分かりますが、世の中が(何も考えずに?)同じ方向(言葉&歌)・・というのが気になります。
マスコミに作られた(?)“頑張ろう!”が、どうも嫌いです。

投稿: 古川美保子 | 2012年4月 5日 (木) 08:53

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