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2012年3月の28件の記事

2012年3月31日 (土)

「怒り」を定量評価・・・

今日は、天気予報通りに風が強かった。しかし台風でもないのに、あれだけの風でこんなにもJRがボロボロになるのか・・・・

今日は、カミさんと見舞いのためにJRで出かけた。行く前にNetでJR東の運行状況を見たのだが、何も書いていない。しかし乗り継ぎ駅でホームに行ってみると、長蛇の列。30~40分経っても「強風と、後続の電車との時間調整のため、次の電車は前の駅で止まっています」というアナウンスで、いっこうに電車が来る気配がない。さすがに40分ほど経って、「今日は諦めよう」と家に戻る事にした。ところが、今後はその電車も、いっこうに来ない・・・・。かくして今日は、くたびれもうけで電車賃をムダにした日・・・
そういえば、前にも台風でJRがほとんど運休した事があったっけ(ここ)。
自分は基本的に、昨年の震災で、駅から寒空に客を閉め出したJR東が信じられない。「また顧客不在の動きか・・・」との諦めも・・・
そして、ツイ“怒りの心”が・・・・。
「ホームで電車を待ちながら新聞を読んでいても、家で新聞を読んでいっても、時間の使い方は同じ・・・」と自分に言い聞かせてはいるのだが・・・

先日の日経新聞に、「怒り」を定量評価したという記事が載っていた。ウソ発見器は聞いたことがあるが、今度は“怒り発見器”らしい。曰く・・・
「怒り」謝罪でも消えず~名大など、心拍数や汗で分析 攻撃する気持ちは抑制
 謝罪は怒った相手の攻撃しようとする気持ちを抑える効果はあるが、不快感までは軽減できず、相手の腹の虫は完全には治まらない――。科学技術振興機構や名古屋大、東京大の研究グループが「怒り」を心理テストのほか、脳波や心拍数、指先の汗で分析し、こんな結果を27日までに発表した。
 怒りで脳波に変化が表れることは知られていたが、グループは、怒りを構成する「攻撃衝動」を心拍数で、「不快感」を指先の微量の汗で、それぞれ客観的に測定できる可能性を示した。
 同機構の久保賢太研究員は「センサーを使って脳波や心拍数、指先の汗から怒りを感知し、落ち着くまでメール送信やインターネット上のやりとりをやめるよう警告するシステムなどに応用できる」と話している。
 実験では、大学生・大学院生48人が飲酒年齢の引き下げなどについて書いた意見に対し「大学生が書いた文章とは思えません」と侮辱とも受け取れる評価をした。
 その後、半数には「こんなコメントしてすみません」と謝罪、別の半数には「コメントは以上です」とだけ記載、反応を調べた。
 心理テストで、攻撃衝動と不快感を数値化し、心拍数と指先の汗の量も測定。謝罪のないグループはすべてが高い値を示したが、謝罪のあるグループは攻撃衝動を示す数値と心拍数が低くなったものの、不快感を示す数値と汗の量は高いままたった。」(2012/03/28付「日経新聞」p42より)

怒りは体に良くない。特に心臓に良くないことは良く分かっている。何があっても怒らない事が肝要。もちろん“怒り”については仏教でも色々と教えているし、当サイトでもたくさん取り上げている(ここなど)。
しかし、「言うは易し行うは難し」で、なかなか実行は難しい。
怒りに対する心の鍛錬は、“JRの対応に怒らない”という訓練方法が一番だな・・・、とつくづく思った。

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2012年3月30日 (金)

「美人は性格がいい(と私は思う)」

先日の日経新聞の「プロムナード」というコラムに「美人は性格がいい(と私は思う)」という、俵万智さんの“実に説得力のある(!?)”記事があった。曰く・・・

美人は性格がいい(と私は思う)  俵万智
 東京に住んでいたころ、毎月のように我が家でワイン会をしていた。気心のしれた友人どうし、美味しいワインと料理を持ち寄って、夜中までおしゃべり。この仲間と過ごす時間は本当に楽しくて「大人の修学旅行」と称し、みなで旅行に出かけることもしばしばあった。
 私か石垣に越したのを機に、このたび「大人の修学旅行イン石垣」を開催。総勢八名もの友人が遊びにきてくれた。その友人の一人にタレントでエッセイストの岡部まりさんがいる。彼女とはもう、二十年近い付き合いだ。
 「あなたは、なんで美人とばかり友だちになるの? いっつも引き立て役なんだから」と母がため息をついたことがある。中学のときも、高校のときも、一番の仲良しは、学年で一番の美人だった。
 別に美人をねらったわけではない。が、気がつくと、結果としてそうなのだ。気が合うし、Okabemari 性格のいい人が多い。この「美人は性格がいい」という仮説(?)は、岡部まりさん(←の写真)と友だちになって、私のなかでは確信に変わりつつある。世の中の人は、あまりに美しい人を見ると、せめて性格が悪いと思いたいかもしれないが(そうでないと、私のように不器量な人が浮かばれない?)残念ながら、美人は性格が悪くなる確率が非常に低いのです。
 性格が悪くなる大きな要因として「人の悪意を受ける」ということがあると思うのだが、美人の場合、この悪意を受ける場面がとても少ない。まりさんと一日を過ごしていると「ああ、世の中のひと(特に男性)は、美人にはこんなに優しいのか」としみじみ感じる。
 105円のガムを買って一万円札を出そうが、夜中にタクシー拾ってワンメーターの行先を告げようが、誰も嫌な顔をしない。それどころか、コンビニの店員さんも、タクシーの運転手さんも、なんだかウキウキした笑顔になっている。劇場に行こうとして迷ったとき、向こうから歩いてきた人に道を尋ねたら「いま、そちらに僕も行くところだったんです!ご一緒しましょう!」と言って、彼はくるりと体の向きを180度変えた。あんた、向こうからきたんちゃうんか、と心のなかでツッコミを入れながらも、ありかたく道案内してもらったことを思い出す。
 人間、誰しも優しい面と意地悪な面を持っている。そして美人に遭遇した場合、多くの人は優しい面を彼女に向ける。みんなに優しくされれば、みんなにも優しくなれるのが人というものだろう。結果、私の仮説にたどりつくというわけだ。
 もちろん、逆は必ずしも真ならず。美人じゃなくても性格のいい人はたくさんいる。美人じゃないほうの立場を代表して言わせてもらえば、人に優しくされる前に、こちらから優しくすればいいのだ。ほうっておいても好かれるわけではないが、こちらから好きになっていけば、たいていの人は、やはり優しい面をこちらに向けてくれる。そうなれば、あとは、美人と同じ仕組みと展開が待っている(と信じたい)。
 もう一つ「でも、やっかみとか嫉妬とか、そういう悪意を受けるのでは?」という意見もあるだろう。確かに。だが、「出る杭は打たれる」をもじって、「出すぎる杭は打たれない」と言われるように、美人も、まりさん級になると、もはや打たれないみたいです。     (歌人)」(2012/03/28付「日経新聞」夕刊p7より)

この論は正しいと思う。
大きな声では言えないが、実は朝の駅から会社への道すがら、たまにある若~い女性とすれ違う。たぶん20代だろう・・。その姿を見ると何故か嬉しくなる。さっそうとした現代的美人・・。
先日行ったホキ美術館(ここ)ではないが、「美しい女性」は人間(男?)を嬉しくさせる力がある。心を優しくさせる力がある。よって、俵さんのこの論は“経験的に”正しい・・・と思う。
もう一つ、最近残念なのだが、毎朝寄っているコーヒーショップ。前にも書いたかも知れないが、お釣りを返す時に、丁寧にもこちらの受け取る手の下に、釣り銭がこぼれないようにもう片方の手を添えてくれる。それがたまに自分の手と触れるのだ。若い女性にさわちゃった・・・! これまた楽しいのだ!
でも最近は、このような丁寧さが無くなって、触れるチャンスも無くなってしまった。残念ではあるが文句も言えず・・・(あー、どれもイヤらしいシルバー族!)

「痘痕も靨(あばたもえくぼ)」とは良く言う。また、美人と結婚したりすると、直ぐに飽きる、とも良く言われる。でもこれは自分に言わせると“やっかみ”・・・。
女性は、美人であればあるだけベターなことは言うまでもない。でも世の中そんなにうまくは行かないのである。特に結婚相手は・・・
何?ウチのカミさん??もちろん、さっき言った若い女性よりも、ずうっと*美人なのさ~~~(おっとっと、ヤバイヤバイ・・・)

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2012年3月29日 (木)

「誰のための派遣法改正か」

改正労働者派遣法が昨日(2012/03/28)、参院本会議で可決、成立した。
雇用期間が30日以内の短期派遣を原則禁止、派遣先の企業が支払う派遣料金のうち、派遣会社が得る分に関する情報開示の義務化などが当初案通り盛り込まれたという。半年後から施行。

またまた日経新聞の「大機小機」からの記事・・・。昔、派遣者を大量に受け入れたことがあり、派遣法改正の推移がどうも気になる。曰く・・・
誰のための派遣法改正か
継続審議中の労働者派遣法改正案が衆議院本会議で可決された。これは製造業派遣の原則禁止などの削除を要求した自民党の意向を、民主党がのんだことによる。このことを「安価な派遣社員を活用したい経済界の意向で労働者保護が後退する」と解釈してしまうと、労使対立の構図にむりやり当てはめることになり、本質を見失う可能性がある。
 派遣労働者にとって、その働き先を制限されることが利益になるとの考え方は「派遣社員を減らせば、その分だけ正社員としての雇用が増える」との前提によっている。
 しかし、現実にはそうはいかない。企業へのアンケートによると、派遣が禁止されれば、別の非正社員や正社員の残業などで代替するとの答えが大部分である。こうしたリスクを無視することは、不安定な働き方なら無い方が良いという論理に等しく、肝心の派遣労働者にとっては死活問題である。
 改正法では30日以内の短期派遣を禁止しているが、この意味もあいまいである。もともと派遣は短期の雇用需要に対応したもので、3年以上の長期派遣が原則禁止されている。派遣期間が長くても短くてもいけないというのは論理的に矛盾していまいか。学生や主婦など、日程に拘束されず空いた時間だけに働きたいというニーズは高い。また、引っ越しや選挙運動など、臨時的な雇用需要も多い。経験なしに働くと危険な業務は別として、短期派遣の禁止で、誰が得をするのだろうか。
 自民党が全面的に反対しないのにも訳がある。与党だった2008年当時、派遣バッシングの機運に便乗して自ら日雇い派遣禁止を打ち出したため、今さら反対できない立瘍にいるのだ。本来の自由主義を貫くべきだった。
 現行派遣法の改正自体は必要である。派遣事業者を対象とした規制を派遣先企業にも広げ、派遣労働者の保護を強めることが必要ではないか。派遣切りに対しては、直接雇用者と同じ休業補償の適用や派遣先での同一労働・同一賃金を徹底させる。一方で分野別の派遣規制を撤廃し、雇用機会を増やすべきだろう。
 派遣労働者にとって真の利益となるこうした改正が実現しないのは、現行派遣法が「正社員が派遣社員に代替されることの防止」という思想に立っているためである。この「労・労対立」から目をそむけている点では、与野党ともに責任は大きい。(吾妻橋)」(2012/03/16付「日経新聞」「大機小機」より)

この視点は正しいと思う。自分も準現役時代に50人規模のプロジェクトを組織したことがある。もちろん正社員だけではまかないきれず、派遣技術者を大量にお願いした。つまり市場では、このプロジェクトのように短期または顧客との契約が1年単位などの場合、外注に頼らざるを得ない仕事もたくさんある。当時、これは需要側と供給側の双方がラッキーな動きだった。
反面、その時にたくさんの派遣技術者と会ったが、皆さんは、正社員になれずに仕方なく派遣会社に入った人がほとんどだった。よって派遣技術者から見ると、仕事が与えられた事はラッキーだが、しょうがなく・・という面があったのも事実。
そして、先のプロジェクトで困ったのが3年間の縛り。確かに派遣法の「3年も続く仕事なら正社員に・・・」の理念は理想だが、1年契約のプロジェクトでは、いつ仕事が無くなるか分からず、3年経った人は仕方なくクビに・・・。本人は慣れた仕事を失い、プロジェクトとしては、せっかくのベテランを失って、新人を改めて育成しなければならなかった。お互いの不幸・・・。

話を戻す。派遣社員からすると、上記の記事が指摘するように、「不安定な働き方なら無い方が良い」と考えるのだろうか、それとも“とにかく仕事口があることが有り難い”と思うのだろうか?

言うまでもなく、仕事というのは「まず仕事があって、それをこなす体制(組織)が必要になって、その組織を構成する人員が必要になる」という流れ。損益的にも、もし安い派遣労働者が居ないとすると、高価な正社員だけではビジネスが成り立たず、仕事そのものが失われる(受注しない)、という結果も当然想定される。
市場経済を前提に、“派遣労働者にとって何がベターか”という視点が今ひとつなのは残念である。

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2012年3月28日 (水)

青梅の「梅の公園」に行く

今日はカミさんと、愛犬メイ子を連れて梅を見に行ってきた。場所は東京・青梅市の「梅の公園」。
今年は、時期を見て梅を見に行こう、ということになり、いつ頃が見頃かHP(ここ)で見ていたが、なかなか見頃にならない。もう桜の季節になってしまうではないか・・・と今日行ってみた。
ここ吉野梅郷は、吉野街道沿いに有料駐車場が多い。どこも800円均一。平日なので、混んでいなかった。
ある駐車場に車を止めて、「梅の公園」に向かう。交通整理のおまわりさんが、東口の方が咲いているというので、東口に向かう。入場料200円。本日の開花状況は、東口は「7分咲き」、正面口は「咲き初め」とある。道を上に登って行くが、それほど梅の洪水・・という訳ではない。(写真はクリックで拡大)

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頂上の東屋のそばで、弁当を広げる。何と手作りのおにぎりだ。おにぎりを持ってハイキングなど、子どもが小学校に上がる前に、当時の家の近くにあった平山城址公園に行って以来かも知れない・・・。20数年ぶりであることは確か。カミさん曰く「これからは、お金が無くなったら、いつもこうかも・・・」。でも、カリカリの海苔に巻いた梅干しのおにぎりが何ともうまい。気温が暖かかったこともあり、なかなかの気分・・・。
下を見ると、初老の夫婦連れ、若いカップルなど、テキトウな混み方。でも意外とムシロで弁当を広げている人は少ない。

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この公園に来たのは2度目。前に来たのはたぶん10年以上前のこと。若しかすると20年前かも・・・。その時も、そんなに梅の木が多いとは感じなかったが、今日も同じ。梅の木が“三々五々”と言っては失礼だが・・・
正面口から外に出たが、そこに書いてあった本日の開花状況は、東口は「見頃」。正面口は「3分咲き」・・・。東口に書いてあった「7分咲き」「咲き初め」とはビミョーに違う。
帰りは、いつもの通り、紅梅苑に寄ってお菓子を買い、帰った。

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帰り道で、地元の人に聞いた。「今年は咲くのが遅かったの?」。その返事が怖かった。「マジ、ヤバイ・・・」「何で?」「ダメになるかも知れない。NHKで放送されちゃったけど、咲かない木が多い。咲かなければ実も付かない・・・」・・・・
カミさんが見付けたが、確かに、パンフレットの写真と今日の風景の違い・・・

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左の下の写真の場所が、たまたま今日撮った右の写真と同じような場所。いかに咲いている木が少ないかが分かる・・・

昨日、会社で「明日、梅を見に行くかも・・・」と言ったら、それを聞いていた会社のオバサンが、「友だちが最近青梅に行ったけど、病気のために梅の木が切り倒されており、全然見応えが無かった、と言っていたよ」と・・・・
そう言えば、公園から駐車場までの道でも、梅の木が見事に切り倒されている場所があったっけ・・・。

この話がホントウだとすると、かなり大変な事態・・・・。
NHKの番組も見ていないので、真偽のほどは良く分からないが、せっかく昼食で食べて「うまい」と見直した梅干しも、今後は梅不足で高騰する可能性も・・・・??
世の中、我が家のように観梅などで喜んでいる場合では無いのかも・・・・
桜の花も、今日のニュースによると、東京の開花予想は3月31日だという。今のままでは、梅は桜に追い越されてしまう。何とか梅さんに頑張って欲しいもの・・・・。

●メモ:カウント~275万

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2012年3月27日 (火)

「私の履歴書~樋口武男氏」~ALS弟の過酷な最期に今も自責

最近になく面白い日経新聞の「私の履歴書~樋口武男氏」。先日の記事に、こんな一文があった。
「・・・3歳年下の弟、進のことにも触れておきたい。身長も肩幅も私より大きく、高校ではラグビー部に入っていた。典型的なやんちゃ坊主だった。通学時に阪神電車の車両連結部分で他校生ともめたことがある。2人は途中の駅で電車を降りた。相手はボクシング部員だった。立ったままでは不利になると考え、タックルして担ぎ上げ、そのまま駅前の広場にある防火水槽に押し込んで大騒ぎになった。相手がけがをしたために母は学校に呼び出された。
 同じようなことが何回もあり、怒った父が勘当した。調理師になり大阪・鶴橋で飲食店を開業してようやく勘当は解けた。その後、東京・蒲田に移り、新たに飲食店を構えた。大変なこともあったが、すべて自力で乗り越えた。「兄貴、困ったことがあったら何でも相談してくれ」と言った。
 その元気いっぱいの弟がALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気にかかった。全身の筋肉が衰えていき、言葉もしゃべれなくなる難病だ。1869年にフランスで最初の患者が報告された。新型万能細胞(iPS細胞)の応用も研究されているが、現在もまだ治療法が確立されていない。米大リーグでベーブ・ルースとともにヤンキースの黄金期を支えた鉄人ルー・ゲーリッグがかかったことから米国では「ルー・ゲーリッグ病」とも呼ばれている。
 自宅へ見舞いに行くと、首からゴムひもで腕をつるし、たばこを吸っていた。「まだ死にたくない。もう一度元気になりたい」と言った。入退院を繰り返した。蒲田の店で私が背中を押しながら階段を上っている途中で突然、弟の呼吸が止まった。一緒にいた家族が救急車を呼んだ。救急隊員が心臓マッサージをして一命をとりとめた。そこから1年は地獄だった。意識ははっきりしているのに体はどんどん動かなくなっていく。最後のころは声帯が麻庫し、目で文字盤を追いながら「早く死にたい」と意思表示した。本当に残酷な病気だ。
 弟は1991年4月に49歳で亡くなった。あの時、救急車に乗せたのが正しかったのか、私は今も悩んでいる。(大和ハウスエ業会長)」(2012/03/17付「日経新聞」「私の履歴書」より)

このALSという病気のことは、当サイトでも何度か取り上げた。「NHK「こころの時代~難病ALSと闘う日々」を聞く」ここ)、「NHKスペシャル「命をめぐる対話~暗闇の世界で生きられますか」を観て」ここ)、「映画「潜水服は蝶の夢を見る」を見て」ここ)。

人間は必ず死ぬ。しかし何が原因で死ぬかは、自死以外は自分では選べない。誰もが思う通り、痛い、苦しい・・はイヤ。でもALSのような病気はそれ以上にイヤ・・・
でもそれは勝手に自分たちが思うだけ・・・・。何で死ぬかは、神のみぞ知る!?

しかしこの記事の「あの時、救急車に乗せたのが正しかったのか、私は今も悩んでいる。」という一文が重い。
誰かが、何かの番組で言っていた。「倒れたら、救急車を呼ぶのを数分待て!」と。これは植物人間で生き残ることを避けるための知恵。
最近カミさんと話しているが、「いずれお互いが倒れたとき、ホントウに数分待つか?」という議論が難問。本当に軽くて、元の生活に元気で戻れるなら直ぐに救急車を呼んで欲しいし、もし植物人間になるなら、そのまま逝かせて欲しい・・・。しかし“その時”は、パニクってそんな判断はたぶん出来ないだろう・・・。
まだ先さ・・とタカをくくっている現在だが、確実にその時は近付いてくる。でもこの難問、結論を出すのは、もう少し先でもいいよね・・・・(家訓:臭いものには蓋・・・)

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2012年3月26日 (月)

藤山一郎の「三日月娘」

夕方、バスを降りて家に帰る道すがら、正面の西の空を見ると、縦に“星-三日月-星”と並んでいた。月がちょっと右にずれていたが、ほぼ一直線。あまりの美しさに、家に入るやカミさんに「オイ!外に出てみろ」と一緒に空を見上げてしまった。
いつも見る西の明るい二つの星の名は知らない。でも三日月と一緒に縦に並ぶと、何ともキレイ・・・・。

ナンテいう話とあまり関係は無いのだが・・・。
懐かしのメロディーの代表である藤山一郎の歌に、「三日月娘」がある。昭和22年発表のNHKラジオ歌謡の一つだという。これも古関裕而作曲。

<藤山一郎の「三日月娘」>

「三日月娘」
  作詞:藪田義雄
  作曲:古関裕而

幾夜重ねて 砂漠を越えて
明日はあの娘の いる町へ
鈴が鳴る鳴る 駱駝の鈴が
思いださせて 風に鳴る

恋は一目で 火花を散らし
やがて真赤に 燃えるもの
あの娘可愛いや 三日月娘
宵の窓辺に チラと見た

急げキャラバン 夜道をかけて
町へひとすじ 遠灯り
鈴が鳴る鳴る 駱駝の鈴が
はずむ心に ふれて鳴る

この作詞者の名はあまり聞かない。作詞の藪田義雄について、Netで検索してみた。この120326mikazukimusume 方は明治35年4月13日生まれで、昭和59年に亡くなっているという。JASRACのデータベースには229曲登録されているが、自分はほとんど知らない歌ばかり。校歌の作品が多い。この歌の背景も、何とも分からない。

良く言われるように、この歌は童謡の「月の沙漠」を連想させる。この歌詞からは、ペルシャの砂漠を連想させる??
戦後のやっと落ち着いてきた昭和22年、ラジオから流れるこのエキゾチックな歌を、皆はどんな連想をして聞いていたのだろう・・・。
60年以上前の歌だが、まだまだ現代に生きている名曲である。

最後に、例によって“お口直し”にステレオ再録盤も聞いてみよう。

<藤山一郎の「三日月娘」(ステレオ)>

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2012年3月25日 (日)

日本の部門別貯蓄投資差額のGDP比率

もう3月の下旬にさしかかる。今日の多摩川への散歩道の梅の花は、やっと満開。赤い梅はかなり花が落ちている。でも例年よりは遅い??
しかし桜の花(右の写真)は、まだまだ蕾が固いようだ。あと1週間でホントウに咲くのだろうか・・・・。でも春は近い。(写真はクリックで拡大)

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さて、新聞の切り抜きで、棄てるに棄てられないものがある。自室が新聞だらけになるので、時たま整理するのだが、その度にうろうろしている記事。今日は、それを棄てるために、相当前の記事の話だがアップしてしまう。曰く・・・

経常収支の黒字は続くか~部門別にみた貯蓄投資差額のGDP比率
 経常収支は貿易収支や所得収支の合計として示されるが、これを別の観点から把握することもできる。経常収支が黒字であるということは、国内で生まれた収入の範囲内で経済活動が収まり、カネ余りの状態にあることを意味する。これは、国内での投資以上に貯蓄が存在する貯蓄超過の状態にあると言い換えることができる。
Img_00041  日本経済を政府と民間(企業、家計)に分けて見てみよう。まず、政府部門は投資超過(貯蓄不足)の状態にあり、これが財政赤字に相当する。景気低迷で税収が伸び悩んでいることに加え、社会保障費の増加などで歳出が膨らんでおり、赤字幅が年々拡大している。
 一方、大幅な貯蓄超過の状態にあるのが企業部門だ。人口減少などを背景に国内市場におけるビジネス機会は減少しつつあり、企業が設備投資を手控える傾向を強めていることの表れだ。また、家計部門も過去一貫して貯蓄超過の状態にある。
 このように政府部門は資金不足である一方、民間部門は大幅なカネ余りであり、経済全体では潤沢な貯蓄が存在する。これが経常黒字に相当する。この民間部門の貯蓄が金融機関を通じて国債の購入に回るため、円滑な国債消化が可能になっている。
 もっとも、急速な高齢化で国内の貯蓄は今後縮小すると予想されている。将来、日本は経常赤字国になるとの意見は多い。経常赤字になれば国内の資金だけで財政赤字を賄えなくなり、海外の資金に頼る必要が出てくる。この場合、国債の安定消化に支障をきたしかねず、長期金利上昇の可能性が否定できない。(第一生命経済研究所)」(2012/02/08付「日経新聞」p27より)

この切り抜きを棄てられない理由は、このグラフなのである。日本は借金大国だが、国内で借金しているので何とか安泰だ、という事は良く言われる。その内訳がどうもこのグラフのようなのだ・・・。

このグラフが、単年度毎のグラフとすると、政府の借金が雪だるま式に増えていることは理解出来る。企業部門は、90年代前半までは投資が大きかった? そして今は企業が貯蓄している? 一方家庭部門は、2000年代中期は、なぜその幅が縮小している? 給料が下がって、貯蓄が減った?? そして最近は復活しつつある??

なかなか読み取るのが難しい。これは自分の経済知識の限界・・・・

それにしても新聞というのはなかなか大したもの。当サイトでも色々と引用しているが、新聞は世の中の様々なデータを加工整理して、読者に何とか分かり易く理解させるためにグラフ化する。その見事さ・・・。
自分のように、“少なくても新聞は、データだけはウソは付かない”と思い込んでいる人間は、そのグラフを理解しようと、つい頑張ってしまう。文字で説明されるより、数字の方がよっぽど説得力がある。もちろんグラフの方が分かり易いが・・・

世の中を理解するのは大変なこと。でもそれで頭の体操になるのなら、また頭の老化を避けられるなら、新聞ほど安いものはない。何よりも自分の生き甲斐??
つまり新聞を読まなくなったら、それは自分のオワリの日かも・・・・

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2012年3月24日 (土)

「財政問題の本質を直視せよ」

夕食を食べながらNHKニュースを見ていたら、野田総理が消費税引き上げの法案の今年度中の提出について、威勢良く宣言していた。NHKサイトによると(ここ)、・・・
「野田総理大臣は、24日、東京都内で講演し、消費税率を引き上げるための法案について「政治生命をかけ、命をかけて、今の国会中に成立させる意気込みで頑張っていく」と述べました。
この中で野田総理大臣は、消費税率を引き上げるための法案について「今年度内にこの法案を提出しなければ、国会の審議で与野党で向き合い『決勝』を行う前に、『準決勝敗退』であり、あってはならない。万万が一にも、ちゃぶ台返しをして後退させる議論はないと思う」と述べ、今月中に民主党の了承を得たうえで閣議決定し、国会に提出する方針に変わりはないという考えを強調しました。
そのうえで野田総理大臣は「ここで決断し、政治を前進させることができなければ、野田内閣の存在意義はない。不退転の決意で、政治生命をかけ、命をかけて、この国会中に成立させる意気込みで頑張っていく」と述べました。・・・」
(NHK(ここ)より~最近は放送直後から、Netでニュースが見られるんだ!)

「ここで決断し、政治を前進させることができなければ、野田内閣の存在意義はない。」というフレーズはなかなか頼もしい。そうだ、やるとなったら徹底的にやる、そんな姿勢がリーダーには求められる。(我々一般ピープルにとってみると、消費税のアップはありがたくないのだが・・・)

一方、先日の日経の「大機小機」にはこんな視点も・・・・
財政問題の本質を直視せよ
 長引く不況への対策に加え、社会保障費の不足や復興資金など、必要な財政予算規模が拡大している。しかし景気低迷で歳入が不足し、慢性的な財政赤字に陥っている。
 欧州各国でも財政危機で、国債価格の急落と金融危機の再燃が危ぶまれているが、欧州よりはるかに大きな累積赤字を抱える日本が、これらの危機と無関係であるはずがない。きちっとした歳入の道筋を示さず、国債の急落でも起こったら、不況はさらに深刻化するだろう。したがって、必要な財政資金を増税で賄うことは避けられないと考える。
 増税する前に、政府が徹底的に無駄を排除して身を削るべきだという主張がある。無駄を削るというフレーズは、バブル崩壊以降、何度も叫ばれてきた。その結果、日本の財政規模も公務員数も経済協力開発機構(OECD)諸国で最低レベルだ。このうえ。国会議員の定数を削減して歳費を削っても、公務員の給与を削っても、全然足りないことはわかっている。
 議員定数の削減や公務員の待遇を独立に議論するのはよい。しかし、増税の必要性とは別問題で、その規模自体が適正かどうかで判断すべきだ。身を削るという名目で議論の俎上(そじょう)に載れば、削った額ばかりが注目され、財政の健全化という問題の本質がぼやけてしまう。
 そもそも財政の無駄の排除とは、国民全体の負担が減るのではなく、それまでの支出で恩恵を受けていた国民が、その恩恵を受けられなくなることだ。たとえば公共事業を減らせば、建設労働者が職と所得を失うだけだし、医療費補助金が減れば、患者の医療費負担が増えるだけだ。つまり、誰かが得をして誰かが損するだけである。
 それなのに、政府が身を削れば国民は自分が負担せずに財政資金が出てくると錯覚する。だが、支出を削った上に増税もすれば経済は収縮し、かえって税収が落ち込んでしまう。これではイタチごっこで、財政が再建できないまま、経済活動や公共サービスだけが減る。
 政府は身を削るなどと安易に言わず、国民の間の再分配の構造を示すべきだ。国民も、政府が身を削れば負担を免れると思わず、問題を直視する必要がある。本質から目をそらしている間に、財政破綻が非現実的とばかり言えなくなる可能性もある。そうなれば、それこそ本当に国民全体の大きな負担になる。(魔笛)」(2012/03/13付「日経新聞」「大機小機」より)

何か最近、こんな逆説的な(?)白ける議論に興味が湧く。テレビが言う一方的な議論ではなく、こんな水を掛ける議論が面白い。

先日頂いたコメントを機に、当サイトの前の記事を読んだ。そこで、
「・・・非常にシンプルですが、「自分のやりたいことをやる」「嫌なことはできるだけならないように工夫する」「あまり我慢はしない」、これが意外にも自己治癒力を高める強力な手段だということを、数多くのがん患者さんやがんサバイバーの方たちから教わりました。・・・・
衰えを感じる年になってからの我慢、忍耐、根性、がんばり、競争などはすべて身体には悪く作用します。また、義理、約束、責任感、義務なども同じく、自己治癒力を低下させます。・・・
自己治癒力を高める、もう一つの大切な感覚が“いい加減さ”です。・・・
要は40歳を過ぎたら、若いころのように嫌なことを我慢してがんばらないことです。そして何事もいい加減さを覚え、あまり厳格さや完璧さを徹底して追求しないことです。義理も少しは欠いたほうがよさそうです。
」(ここより)という文を読み返した。
そして改めて、「そうだよな・・・」と思った。

考えてみると、現役時代はこんな政治議論まで目が行くヒマがなかった。何の制約もなく、自由に好き勝手を言える。これこそリタイア組の特権だ。
ゆえに、政治議論も自分にとっては単なるリクレーション。頭の体操・・・。
よって、誰かと論争するつもりなど毛頭無い。色々な人の話を聞きながら「そうだよな~」とあちこちに寄り道する。カミさんから別の視点で反論されると、直ぐに迎合して「そうだよな~~」。
政治議論も、リクレーション化したシルバー族の物見遊山ではある。

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2012年3月23日 (金)

「通年ノーネクタイ族」3割

なかなか春が来ない。梅の花も、まだ満開とはなっていないようだ。でも、今朝は少し暖かかったせいか、電車のホームではコートを脱いだスーツ姿のサラリーマンの姿もチラホラ・・・
先日の日経新聞にノーネクタイの記事があった。曰く・・・

通年ノーネクタイ族3割
ビジネスマンのネクタイ離れが加速している。日経産業地域研究所によると、クールビズ期間だけでなく年間を通じてネクタイを締めない「通年ノータイ族」は約3割を占め、オフィスでのカジユアル化か広がっている実態がわかった。(詳細を「日経消費ウォッチャー」3月号に)
 今年のネクタイ着用意向を聞くと、「環境によらず当面は着けない」と答えた人が13%、「職種などが変わらなければ当面着けない」は15%。計28%が通年ノータイ族に当てはまった。業種別では製造業で37%、公務員24%、民間金融業15%。会社のルールや取引先の態度など「環境が許せば年間を通じてネクタイを外したい」という人は83%に達した。通年ノータイ族への賛否を聞くと「肯定的」が61%で「否定的」は8%だった。
 調査はマクロミルと共同で1月20~21日、20~50代の男性会社員にインターネットで実施。1032人から回答を得た。」(2012/03/13付「日経新聞」p31より)

世間では、政府クールビズ期間に合わせ、6~9月までをノーネクタイ期間と定めているようだが、昨年来の節電策と相まって、電車の乗客で見る限り、昨年は秋以降もノーネクタイが多かった。
自分の場合、今はネクタイを着けている。別に着けることが決まっている訳ではないのだが、何となく胸元が寒いので・・・

しかし最近の通勤服姿を見ると、若者はほとんどがカジュアルで、年配者はスーツ姿が多い。年配者も、決してスーツ姿が良いとは思っていないのだろうが、「何を着て良いか分からないから・・・」がホンネでは?
しかし夏のノーネクタイは本当に有り難い。胸元を空けるとこんなにも開放感があるとは知らなかった。
時速2kmだという桜前線も、今年は3月29~30日頃には東京に到達する予想だという。今朝も桜の木がある公園を通ったが、まだまだ蕾は固そう・・・
あと1週間・・・。サクラが咲くと、心が明るくなる。
電車も学生の姿が減っている。春休み??
春はもうすぐ・・・。はやく「春だ~」と叫びたいもの。

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2012年3月22日 (木)

NHK第6回こころのエッセー賞「父の帳面」

先日、NHKラジオ深夜便の「第6回こころのエッセー賞」が発表され、その朗読の番組があった(2012/03/08放送)。今日は、その中で72歳の方が書いた「父の帳面」を紹介しよう。
昭和24年、結核のために父親が亡くなり、残された15歳の姉と、10歳で小学校5年の自分。15歳の姉は、病床の父の下の世話もした。残された3冊の帳面。「出納帳」、「献立記録」、そして「日常のこと」・・・・・

<第6回こころのエッセー賞「父の帳面」>

「日常のこと」は、「丁寧に」「静かに」「ゆっくり」がキーワードだった。
「・・・静かに事をはこべば物を壊さぬ。まずい出来でも、丁寧に処してあれば人はそこを見る。父は私に教育を授ける事も、躾(しつ)ける事も出来なかった。この子を育てぬまま死ぬ。帳面を残す事が精一杯の力の限りであったのであろう。お父さん、丁寧に、静かに、ゆっくりが全てに通じました。・・・」

小さい子を残して死ぬ親の心は、言葉に出来ない。特に当時の死病、結核では、さぞ無念だったであろう。母親もいない状態で、せめて残す事が出来たのがノート。そこに書かれていたことを、子どもは忠実に守って育って行った・・・。

ふと、「命連綿」をいう歌を思い出した。手仕事屋きち兵衛さんの歌である(ここ)。
「・・・生きていれば 何とかなる 何とかなるまで 生きていればいい・・・・・
あなたがいて 私がいて 出逢い 愛し合い 生命がつながる 明日の家族が生まれる 明日の生命が生まれる・・」
ところで、命が連綿と受け継がれて行く中で、親は子どもに対して、どこまで関わるのだろう? 就職して経済的に自立するまで? 結婚するまで? 子育てが終わるまで?・・・・
もちろん、そんな事は人それぞれ・・・。
でも、こんなエッセーを聞きながら、今置かれている自分たちの人生が、どれほど恵まれているかを改めて実感するこの頃である。ありがたい事である。

(関連記事)
手仕事屋きち兵衛の「命連綿(いのちれんめん)」

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2012年3月21日 (水)

「公務員給与の削減を巡る議論」

だいぶん前の記事で恐縮だが、いつもの日経新聞の「大機小機」。先日、公務員給与削減の話題が載っていた。曰く・・・

公務員給与の削減を巡る議論
 2012~13年度の国家公務員の給与を平均7.8%引き下げる特例法が成立した。これによって生じる約6000億円の財源は震災復興のために使われる。おそらく大部分の人々は、「当然だ」と思っているだろう。しかし、次のような点をもう少し考えてみてはどうか。
 第1に、多くの人は「民間企業の賃金も上がらないのだから、公務員の賃金も抑制すべきだ」と考えているようだ。
 しかし、もともと公務員の給与は、人事院が民間企業の給与動向を参考にして、毎年改定勧告を行っている。民間企業の賃金が上がらなければ、公務員の賃金も上がらないのだ。現に、11年の人事院の勧告は0.23%の引き下げとなっていた。
 第2に、多くの人は「国の財政がこれだけ赤字なのだから、人件費を削るのは当然だ。民間企業が大赤字になれば。従業員の賃金も削らざるをえない」と考えているようだ。
 しかし、民間企業と国では従業員との関係が異なる。民間企業の場合は、企業における従業員の働きぶりが収益に関係するが、公務員の場合は、一生懸命働いたからといって税収が増えて財政が黒字化するわけではない。
 逆に、公務員が怠けていたから財政が大赤字になったわけでもない。財政が大赤字になったのは、国民の要求に応えて歳出を増やしていった半面で、国民がその負担を十分担ってこなかったためだ。
 第3に、多くの人は「それでも、公務員は身分が安定していて、給料も高い。もっと待遇を引き下げてもいいのではないか」と考えているようだ。
 しかし、仮に公務員の待遇が民間に比べて恵まれ過ぎているから、これを是正するというのであれば、改めてどう是正すべきかの議論が必要であり、それは恒久的な措置であるべきだ。
 この点では、今回そうした議論が行われた形跡はなく、しかも2年限りの措置となっているから、本来の意味での公務員の待遇の見直しにはなっていない。
 今回の経験を将来の建設的な政策形成につなげるためには、「多くの人が疑問を持たないから」「世論が支持しているから」として議論を止めてしまうのではなく、「どうして公務員の給与を削減する必要があるのか」という基本問題を、改めて考えてみる必要があるのではないか。(隅田川)」(2012/03/09付「日経新聞」p17「大機小機」より)

広辞苑で「白ける」を引くと、こうある。
「しら・ける【白ける】」=③興がさめる。気まずくなる。「座が―・ける」

まったくこの記事には“白ける”!!
その通りだ。「民間企業の賃金も上がらないのだから、公務員の賃金も抑制すべきだ」と考えているし、「国の財政がこれだけ赤字なのだから、人件費を削るのは当然だ。」とも「それでも、公務員は身分が安定していて、給料も高い。もっと待遇を引き下げてもいいのではないか」とも自分は考えているのだ。それで何が悪い!

でも軟弱な自分は、このような論を張られると、「それもそうかな・・・」と、つい迎合してしまう。いかんいかん・・・・。何と軟弱な・・・・!!

何度も書いているが、物事を見詰めると言うことは、なかなか難しい。同じ事実を、表からだけでなく、裏から、右から左から見ると、その姿は変わって見える。それは分かっているが、色々な視点から見ることは、素人ではなかなか難しいのだ。
よって、こんな新聞記事で、別の視点を提示されることは、自分にとって非常に“貴重な体験”になるのであ~る。よって、いつも白けさせてくれる「大機小機」は、自分が好きなコーナーなのであ~る。

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2012年3月20日 (火)

躍進する「第3のエコカー」

前に、「ハイブリッドに死角~車もガラパゴス化の懸念 」という記事を書いた(ここ)。
この記事は、世界的に見たHV車の議論だったが、先日の朝日新聞に国内の低燃費競争についての記事があった。曰く・・・

躍進する「第3のエコカー」
・・・・
国内市場は、新車販売の上位5車種のうち4車種をHV系が占める「HV全盛」の時代。それでも、ダイハツがガソリンエンジンという既存技術の改善にこだわるのは、HV化は軽本来の強みを失わせると考えているためだ。
 もともと狭い室内空間なのにHVの専用システムを載せれば、室内がより窮屈になる。車体も重くなるし、燃費も悪化。高価なシステムを積むことで値段も上かってしまう。「軽の低燃費化、低コスト化の余地はまだまだある」(伊奈社長)とみて、人気のHVに対抗する戦略を進める。
・・・・
Img_00031 マツダがHVやEVの開発競争と一線を画した背景には、HVやEVの開発にコストがかかりすぎるという事情もあった。「ガソリンを燃やした時に動力として使われるエネルギーは少ない。大半が無駄になっており、燃焼効率はまだ高められる」(人見光夫執行役員)との信念のもと、急成長するHVへの対抗策として選んだ「第3の道」だった。社運をかけた苦肉の選択だった。
・・・・
 国内の新車販売に占めるHVの比率は、昨年初めて10%を超えた。同コンサルティングによると、北米では1.4%、西欧は0.3%。世界的にみれば、日本の数字は突出している。技術的にはHVの燃費をさらに伸ばすことは可能だが、搭載する電池の供給が足りなくなるとの懸念も出ている。
 世界に目を転じれば、自動車の需要は経済成長を続ける新興国でますます拡大しそうだ。新興国市場では、当面は既存のガソリン車が主流の時代が続くとみられ、いずれは「第3のエコカー」が活躍できる場面も増えそうだ。・・・・・」(2012/03/03付「朝日新聞」b4より)

ここでも、自分の大いなる勘違い・・・。つまり、ガソリンエンジンが限界に達したので、HVが開発された。と認識していたが、そのガソリンエンジンにまだまだ改良の余地があるという。(大いなる勘違い・・・)
車を選ぶとき、人はそれぞれの価値観で選ぶ。ゴージャス性を追う人、燃費などの経済性を追う人、単なるゲタとして選ぶ人・・・。自分が若いとき、ある独身貴族は「とにかく車を買うときは、最もグレードの高い車」を買っていた。確かに、車格が高くてグレードの低い車より、車格が低くてもグレードの高い車を選んだ方が、ゴージャスな気分にはなるだろう。
自分の場合は、もっぱら財布との相談だったので、これと言ったポリシーはなかった。
でも理屈で考えると、長距離を乗る人は燃費が重要だろうし、あまり距離を乗らない人は燃費はあまり気にしない。ドライブなど、乗ること自体を楽しむ人はゴージャスな仕様が欲しいし、買い物などのゲタとして使う人はただ走ればよい。これは当たり前の話。
だから自分の場合はコンパクトカーで充分・・・。よって、HVの議論も自分にとってはおよそ他人事・・・
でもつくづく自分は、加齢の結果として、運転技量は落ちていると思う。このサインは重要だ。交通事故は他人をも巻き込む。そのうち運転を止めるときが来るだろうが、それまでは、慎重に・・・・。

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2012年3月19日 (月)

「後悔しない老い支度」

雑誌「大法輪」に「後悔しない老い支度」という記事があった。参考になるかどうか分からないが、ちょっと覗いてみよう。曰く・・・

後悔しない老い支度  藤腹明子
・・・中高年者としては、・・・・第一線を退いて後、社会や家庭における今までとは異なる立場・役割を自覚し、環境に適応しつつ、できることとできないことを弁えながら生きがいを感じられる生き方を模索することである。
 二つ目は、親の面倒を看ることが自身の老い支度の一つであると考えている。・・・・
 三つ目の老い支度は、不要なものはなるべく買わないこと、いらないものは捨てることである。・・・・
 四つ目の老い支度は、健やかな老い方を多少は心がけていることである。「生老病死」がいのちの自然な過程であるならば、健やかな生き方、老い方、病み方、死に方があるように思う。若さや健康に価値を置き過ぎず、老病死に抗い過ぎないような価値観を大切にして生活をしたいと思う。・・・・・・
 ◆中高年者としての死に支度
 人生の終わりにどう備えるか。・・・・・死に支度の一番には、「生死観」の大切さを挙げたい。
 自身の生死観をはぐくむということは、いのちの生老病死のあらゆる場面にかかわる一番大切な支度である。・・
 この世に生を享け存在することの意味、なにを大切に生きていかなければならないのかを自問し、その答えを見出すことは、この世に生を享けた人間の務めではないかと思っている。そのような意味では、人間がこの世に誕生すると同時に死に支度は始まる、と言ってもいいのかもしれないし、人によっては支度の途中で逝かなければならないこともあるだろう。・・・
・・・これらの価値観を基本とした生死観が白身のものとなっていれば、万が一、天変地異や災害に直面しても、その現実を受け止められるのではないかと考えている。もちろん、死の間際になって「死にたくない」と懊悩するかもしれない。それは現実になってみないとわからないし、そうなったとしても仕方がない。
 二つ目は、なるべく家族や他人に迷惑をかけないための支度である。つまり、看取ってくれる者に、身体的にも、精神的にも、社会的にもなるべく負担をかけないための状況を日頃から意識し、整えられるように努力することである。ただし、霊的側面のこと、つまり「この世に生を享け、存在することの意味に関すること」「生きる目的・価値に関すること」「病や苦難の意味に関すること」「死や死後・来世に対する不安や恐怖に関すること」「生まれ変わりへの関心・疑問に関すること」などについては、自分で責任をもって得心のいく答えを見出したい。・・・」(雑誌「大法輪」2012年3月号p102より)

「老い支度」も「死に支度」も、人それぞれ・・・。解など無い。上の記事は、ひとつの例でしかない。しかし、「老い支度」も「死に支度」も、シルバー世代以降の人にとってはそれほど“他人事ではない”気がする。
一般論で、お寺のお坊さんは自分の死に際してガタガタしないが、我々一般ピープルは、治らない病気の宣告等でガタガタする、とする。その違いは何か? 日頃、死生観を育んでいることの違い、と仮定してみると何か納得する。すると、やはり日頃自身の死生観を育んでおくことは意味がある事では?・・ということになる。

それはどうする・・・・? この筆者はこう言う・・・。
まず老い支度で「できることとできないことを弁えながら生きがいを感じられる生き方を模索すること」の中で、「若さや健康に価値を置き過ぎず、老病死に抗い過ぎないような価値観を大切にして」「自身の生死観をはぐくむ」。そして「生死観が白身のものとなっていれば、万が一、天変地異や災害に直面しても、その現実を受け止められるのではないかと考えている。」

いずれ、誰にでも(老衰でない限り)来るであろう、不治の病の宣告。先ずはその時にどう捉えるかがテーマとなろう。

先日、NHK FMシアター「線路は曲がるよどこまでも」(2012年3月17日)(ここ)を聞いた。
「ある日、会社を休んで検査に訪れた病院で、山下清一(42)は緊急入院を迫られる。すぐに手術をしなければ命にかかわると言われるが、医者の制止を振り切り、慌てて逃げ出す。・・・」
・・・・「先生、手術すれば治るんですか?」「治るかも知れない・・と言うところですね」・・・「直ぐにでも入院して手術する事をお勧めします」「でも、手術しても治らないかも知れないんですよね」「しかし、手術をしなければ確実に死にますよ。あなたは自覚がないかも知れないが、そういう位置にいるんです」・・・「とりあえず、今日は帰ります。・・・色々と考えてみたいので・・」「何を考えるんですか?」・・・という問答は何とも愉快・・(失礼!)

<NHK FMシアター「線路は曲がるよどこまでも」より>

フト思う・・・。もし自分だったら、こんな時にどう反応するのかな?・・・と。(これ以上は、想像するだけで怖いのでオシマイ)

先ほどの医師からの宣告のような“難しい話”はさておき、「なるべく家族や他人に迷惑をかけないための支度」だけはしておかなければ・・と、最近よくカミさんと話す。具体的には家の中の家財道具の整理である。
これも心して掛からなければ進まない。でもこんな些細な事を少しずつ進める中で、段々と自分の心の中の老い支度も進むような気がする・・・・。
まずは頑張らないで、ちょっとだけ心に留め置こうと思う我が「老い支度」「死に支度」ではある。

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2012年3月18日 (日)

「休眠口座は誰のもの?」

休眠口座の国による活用の議論が面白い。毎年850億円の休眠口座が認定され、毎年350億円の休眠口座が引き出されているという。そして、忘れられた休眠口座は、銀行の利益に計上され、銀行員の給与やボーナスになっているという。(もちろん給与のごく一部ではあろうが、ゼロでは無かろう・・・)

先日の新聞にこんな記事があった。(写真はクリックで拡大)
休眠口座は誰のもの
・・・・・
 休眠預金は銀行の利益として計上される。例えばみずほ銀行は2011年3月期決算で、休眠預金88億5200万円を「その他経常収益」として計上した。一方で預金者の引き出しに備え、利益計上した額の一部を積み立てている。
・・・・・・・
1203181  一方、放っておくと本当に消えてしまうのが一部の旧郵便貯金だ。07年9月までに預けた「定額郵便貯金」と「定期郵便貯金」などは、満期から20年超放置すると「権利消滅」し、貯金した人のお金ではなくなる。この場合、引き出そうとしても引き出せない。
 権利消滅したお金は最終的に国庫に入る。独立行政法人郵便貯金・簡易生命保険管理機構によると、毎年30億~50億円程度が権利消滅する。10年度は権利消滅の金額が234億円にもなった。「元利合計の金額に対する割合は0.03%程度」(同機構)という。
 現在のゆうちょ銀行は定額貯金や定期貯金も含め「権利消滅」はない。旧「通常郵便貯金」はゆうちょ銀行の通常貯金になっており、国庫には入らない。
・・・・・・
 休眠預金は銀行も管理コストがかかる。りそな銀行は04年4月以降に開設し、残高1万円未満などの条件に該当する口座について、取引が途絶えると通知のうえ2年4ヵ月後に管理手数料を引き落とし始め、残高がなくなれば解約する。モニター調査では休眠預金の公的な活用に否定的な意見が半数を占めた。不要な口座は眠る前に解約しよう。」(2012/07付「日経新聞」p19より)

自分もいくつかの休眠口座がある。たぶん・・・。でも先日、旧第一勧銀の口座の利用を再開しようと、20年ぶりに銀行に行って調べてもらったら、直ぐに通帳の記帳をしてくれた。ほとんどお金は入っていなかったが。口座はまだ現役らしい。

まあこの話は、気持ちの問題かな・・・? 外国では、休眠口座がそのまま銀行の利益になるのはおかしい、として、国のものになる例があるという。それも分からんではない。しかし銀行が、「いつでも引き出しに応じる」とすると、国の没収も解せなくなる。
この記事で一番納得が行ったのが、りそな銀行の管理手数料の引き落とし。銀行で管理料が発生するのは当然。よって、休眠口座からその管理料を引き落とすのは納得出来る。
理想は、韓国の仕組みかも? 昨日のNHK「ニュース深読み」『忘れられた預金 "休眠口座"は誰のもの?』(2012/03/17放送)では、韓国のスキームについての説明があった。この番組によると、韓国の例をNPO法人フローレンスが、国(政府?)に提言し、今回の動きになったという。聞いてみると確かに素晴らしい仕組み(ここ)。

まあ自分の場合、休眠口座があったとしても、どれも下ろすのが難しい千円以下なので、管理料を差し引かれてゼロになっても文句は言えないな・・・。
でも、もし誰かが自分の名義で預金をしてくれていて、それが眠っているとしたら・・・、ナンテ“楽しく”想像すると、心が揺らぐ・・・
ま、そんなこと夢の世界の話なので、我が家にとってはあまり影響ないな・・・?

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2012年3月17日 (土)

「当たらぬも八卦」

先日、日経新聞の「プロムナード」というコーナーで、面白い記事を見つけた。曰く・・・

当たらぬも八卦    栗田有起
 若いころ、一時期、占いにとても興味があった。
 当たると評判の占い師に会いに行き、何度か未来をみてもらった。占星術師にホロスコープを分析してもらったこともあるし、前世や守護霊なるものをしめされたこともある。
 ひとにみてもらうだけでは飽きたらず、みずから手相の本を読んでみたり、タロット・カードをならべたり、妖精からのメッセージに耳をかたむけたこともあった。
 将来、どんな人生を生きていくのかわからなくて、わからないのは当然なのだけれども、若いせいかそのことに不安を抱いていた。仕事に悩みがあったり、恋愛や人間関係がうまくいかなかったせいもあった。不安を解消するだけではなく、占いの言葉に、おとぎ話を聞くようなおもしろみも感じていた。
 人間が不安を抱く生きものであるかぎり、占いのたぐいは今後もなくならないだろう。占い師は、人類最古の職業のひとつかもしれないと思う。
 ただ、私にかぎっていえば、占い師のいったことは、今のところほぼすべて外れている。
 私は当時つきあっていたひとと結婚しなかったし、イタリア人の弁護士と運命的な出会いも果たしていない。音楽業界で生計を立ててもいないし、男の子どもも産んでいない。もちろん、今後どうなるかはわからないけれども。外れたからといって、彼らの能力を否定するつもりはない。
 もしかしたら、占ったその時点では、百パーセント確実だったのかもしれないのだ。しかし人生は刻一刻と変わってゆく。占われた次の瞬間にも、運命は変化をとげるのである。したがって運命の、ある瞬間だけを取りあげてみても、あんまり意味はないのかもしれない。
 ある友人は、長いあいだ不妊に悩んでいた。ひとづてに、専業ではないもののよく当たる占い師がいるというので紹介してもらったところ、子どもができないのは家系の問題だから、今の夫との間に子は授からない、どうしても子どもがほしいのなら、彼と別れることだ、そういわれたらしい。彼女は、夫と離婚するつもりはまったくなかった。
 「すごくがっかりしたけど、不思議と気持ちが楽になったの。子どもができないのは私のせいじやない、だったら、もう自分を責めるのは止めようと思えたから」
 ちなみに鑑定料金は三時間で二千円。食事はご馳走してもらったらしい。
 今でも子どもはあきらめてないよ。そういう彼女の表情は晴ればれと明るかった。その後しばらくして、彼女は夫の子を妊娠し、出産した。占いは、めでたくも外れたわけだ。
 占いの言葉が、彼女の妊娠に何か影響をあたえたかどうかは、わからない。大事なのは、彼女自身が、気持ちの変化を望んだということではないかと思う。
 そして、そこで何を聞かされても、自分の人生を自分の手で切りひらこうという決意は変わらなかった。その決意こそが、彼女の運命を動かしたにちがいない。それがなければ、占いのたぐいは、いつまでたっても絵に描いた餅にすぎないだろう。
 占いの言葉を、物語としてとらえるならば、生きる活力になりうると思う。あくまでも、フィクションの効用のひとつとして。(作家)」(2012/03/10付「日経新聞」p4より)

言われてみれば、確かに「占い師は、人類最古の職業のひとつかもしれない」。卑弥呼も占い師だったというし、戦国時代は、占いによって開戦の日を決めたという。
ひるがえって、現代人は占いをどう“活用”しているか?
新興宗教に陥っている人は別にして、先が見えない人が占いを頼っているのかも知れない。先が見えている人は、他のものを頼る必要が無いので・・・

考えてみると、自分も若い頃、当時はやっていた星占いなるものに凝ったことがある。ちょうど学生時代から新入社員の頃か・・。毎年、生まれた星座ごとの星占いの小冊子が売り出され、自分の星座のものを買っては“今年は・・・?”と楽しんだもの。もちろん当たる事は無かったが・・・・
サラリーマン現役時代は、もちろんそんな事とは無縁の男・・・・。

でも、いつになっても神頼みだけは欠かせない。相手が神さまであろうが、仏さまであろうがお構いなし。自信のない事で頼る相手は、いわゆる「神さま」しかいない。

そして、この記事で、「もしかしたら、占ったその時点では、百パーセント確実だったのかもしれないのだ。しかし人生は刻一刻と変わってゆく。占われた次の瞬間にも、運命は変化をとげるのである。したがって運命の、ある瞬間だけを取りあげてみても、あんまり意味はないのかもしれない。」というくだりが面白い。
ナールほど・・・。物は考えよう。仏陀が言うように、確かに全ての物事は、刻一刻と変化している。だからあまりこだわっても仕方がない。このことは、まあ頭では分かっている事だが・・・

占いも、神頼みも、要は自分の心の持ちよう・・・。先の記事のように、盲信するかどうかは別にして、それで少しでも心が安らかになるキッカケになるのであれば、それも有用・・・。
でも、少なくても現在の我が家はこう思っている。“神頼みは当たるぞ!”・・・。なぜなら、“あの息子”が結婚したのだから・・・。大きな声では言えないが、これこそ“スゴイ”こと・・
当分の間は、神さまを信じる(現金な)我が家ではある。

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2012年3月16日 (金)

数学の力・・・ある?

先日の朝日新聞の天声人語にこんな記事が・・・。

「さつま芋の異称に「十三里(じゅうさんり)」がある。「九里四里(くりより)(栗より)うまい十三里」と、江戸時代の焼き芋売りが宣伝したのが始まりらしい。そろばんや九九(くく)のお陰で、日本人は暮らしの中で算術に親しんできた。
だからかどうか当方も、点数はさておき数学が好きだった。誰が解いても答えは一つ、筋道がひらめけば攻めるのみ。そんな「潔さ」にひかれた一人として、学生の数学力の評判を聞くたびに寂しくなる。
数学教員でつくる日本数学会が、48大学の学生約6千人に、小学6年から高校1年までの問題を解いてもらった。多くは新入生で、それほど昔に学んだことではない。しかし、結果は寂しかった。
例えば〈偶数と奇数を足すと奇数になるのはなぜか〉。中2で勉強したはずが、まあまあ論理的に説明できたのは34%だった。「思いつく偶数と奇数を足したらすべて奇数になったから」など、苦しい答えが目立つ。〈二次関数の放物線の特徴を述べよ〉では、「曲がった感じのやつ」という感想のような解答もあった。
数学なんて社会で役立たない、と思うのは気休めである。微積分の出番こそ少ないが、確率や集合のセンスはビジネスにも必要だ。統計を装った情報操作や、数字の手品にだまされないためにも、この科目は味方にしておきたい。
数学嫌いの皆さん。論理的に考える習慣は、人生をより豊かにしてくれるはず。数(すう)が苦(く)より数楽(すうがく)だと、きょう「円周率の日」に再考されてはどうだろう。仲直りに遅すぎることはない。 」(2012/03/14付「朝日新聞」「天声人語」より)

「数学は好き?」をいう質問に、「好き」と答える人はどの位いるのだろう?
「物理キライ」や「化学キライ」よりも、「数学キライ」の方が多いような気がする・・。

自分は工学系だったので、いわゆる数学キライの感覚は知らなかった。それを知ったのが、結婚してから・・・。カミさんが、まさに「二次関数の放物線の特徴を述べよ」⇒「曲がった感じのやつ」感覚なのでビックリ・・・(←ホントウは「それって日本語?」で、“曲がった感じ”まで到底たどり着かないのだが・・)
「料理にだって、“5倍希釈”などで数学は必要だろう?」と思うのだが、全ては“カン”でオワリ・・。それで済んでしまう。確かに日常生活では、生き死にの問題にはならない。たぶん・・・
まあ自分だって、そうエラそうなことは言えない。自分が数学が好きだったのは、正直言って高校まで。それは手が届いたから。大学の数学はホンモノの数学。それは自分にとって、「曲がった感じのやつ」感覚とそう変わらなかったのでは? かくして自分の“数学好き”は、単なる“算数好き”に過ぎなかったことを知った。

しかし先の記事ではないが、自分にとって数学的感覚・センスはビジネスの世界でどれだけ役に立ったことか・・・
つまりビジネスの世界では、論理的思考、プロセス的思考が不可欠。言葉を換えると、先を読む力、かも・・。
高校の時の幾何学の証明問題など、まさにこのプロセス的思考の訓練だ。それが、若い人に欠けているとすると、日常が行き当たりばったり的な動きに?? 怖い・・・

それと、数学は一度後れを取ると挽回がなかなか難しいことも事実。積み重ねは、最初でつまずかないことも肝要。・・・とは言っても、子どもはとっくに成人し、そんなノウハウが生きるチャンスはもう無い・・・。
でも“楽しかった算数”が忘れられず、「まだ解けるかな?」と、都立高校の入試問題の新聞を、未だに棄てずにとっている“元数学好き”シルバー族ではある。(たぶん、もう解けないと思うけど・・・。いや大学入試は無理としても、高校入試くらいは・・・!?)

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2012年3月15日 (木)

「日弁連会長選―利益団体でいいのか」

今朝の新聞に、日弁連の会長が決選投票で決まらなかった、と報道されていた。
日弁連会長選、再投票でも決まらず 初の再選挙へ
 日本弁護士連合会(会員約3万2千人)は14日、宇都宮健児会長(65)の任期満了(3月末)に伴う次期会長選挙の再投票を実施した。史上初の再選を目指す宇都宮氏と、元日弁連副会長で東京弁護士会所属の山岸憲司氏(64)の決選投票となったが、両氏とも当選条件を満たせず、候補者公募からやり直す「再選挙」が決まった。再選挙は初めて。
 法曹人口を巡る議論や裁判員裁判への対応、東日本大震災の被災者への法的支援など、日弁連が直面する課題は少なくないが、かじ取りを担う会長が決まらない異例の事態になっている。
 日弁連の会長は会員弁護士の投票で選ばれる。当選には総得票が最多になることに加え、全国52の弁護士会の3分の1超(18会以上)でも最多票を獲得することが必要。4人が立候補した2月の1度目の選挙では条件を満たす候補がおらず、上位の山岸氏と宇都宮氏が再投票に進んだ。
 14日の再投票では、総得票が山岸氏8558票、宇都宮氏7486票、弁護士会が宇都宮氏37会、山岸氏14会(同点1会)。総得票は山岸氏が上回るものの、弁護士会の支持は宇都宮氏が上という1度目と同様の結果となり、決着がつかなかった。投票率は50.8%で、2月の62.3%から低下した。
 日弁連の会則では、再投票でも当選者が決まらない場合は、候補者公募から仕切り直す「再選挙」になる。再選挙は28日に公示、4月2日に立候補が締め切られ、投開票は4月27日。新会長が選出されるまでは宇都宮氏が会長職にとどまる。」(2012/03/15付「日経新聞」より)

最初の2月10日の投票でも、宇都宮氏が37会、山岸氏12会だったので、今回の再投票でも状況は変わっていない。つまり、何度行っても結果は同じで、今後の堂々巡りが予想される。
多くの地方弁護士会から押される宇都宮氏と、大派閥・東京をバックとした山岸氏の戦いをどう見るか・・・。簡単に言うと、単なる派閥争い・・・・?
それに“投票率5割”をどう捉えるか・・・。現場の弁護士にとって、日弁連会長はそれほどに遠い存在?・・・

少し古い記事だが、朝日新聞の社説に日弁連選挙についての論があった。
「日弁連会長選―利益団体でいいのか
 むこう2年間の日本弁護士連合会のかじ取り役を決める会長選挙は、当選者が決まらなかった。元事務総長の山岸憲司氏と現会長の宇都宮健児氏との間で近く再投票が行われる。
 ここまでの論戦を見て改めて感じるのは、弁護士がどんどん内向きになっていることだ。
 仕事がないのに数だけ増えている。競争が厳しく収入も減り気味で、あこがれの職業でなくなりつつある。会内のそんな声を反映し、両氏とも年2千人の司法試験合格者を1500人以下に減らすよう訴えている。
 はたして多くの国民は、これをどう聞くだろう。
 私たちも無理な増員を進める必要はないと唱えてきた。だが本当に弁護士は社会にあふれているのか。人々の法的ニーズは満たされているのか。
 たとえば原発事故の賠償が進まない。原因は様々だが、被災者が弁護士の助けを受けられないまま申請してくるため書類不備がめだち、和解手続きが滞っている現実があると聞く。
 日本企業への信頼を失わせたオリンパスの役員に、法律家は一人もいなかった▽国境をこえたトラブルの防止や解決を任せられる弁護士がきわめて少ない▽いわゆる弁護士過疎地で、やる気のある若手が仕事を始めたら、介護や生活保護をはじめとして人権にかかわる多くの問題が掘りおこされた――。
 ほかにも、実態と弁護士業界内の「世論」とのギャップを示す話はたくさんある。
 山岸氏は法律家が取り組むべき課題を選挙公報に並べ、宇都宮氏も「膨大な数の人々が権利保護から取り残されている」と書く。その声なき声に縮み志向でどう立ちむかうのだろう。
 事務所で相談者が来るのを待ち、安くない報酬をもらい、法廷に出す文書を作るのが主な仕事で、あいまに人権活動も手がける。そんな昔ながらの弁護士像はもはや通用しない。
 法科大学院のありようを見直したり、必要な法律や制度を整えたりするのはもちろんだが、同時に弁護士が意識を改め、仕事に向き合う姿勢を見直していかなければならない。
 残念ながらこの2年間、日弁連のなかでそうした問題意識は十分な深まりを見せず、はた目には既得権益の擁護としか見えぬ主張を繰り返してきた。
 弁護士、そして弁護士会は、民間の存在ながら司法権の行使に深くかかわる。強い自治権をもち、自ら行動を律することが国民から期待されている。目を大きく開き、世の流れをしっかり見すえてほしい。 」(2012/02/26付「朝日新聞」社説より)

この社説には、なるほど・・と思う。
法曹界ほど、世間の流れに敏感にならなければいけない世界はない。しかし現在はそれに逆行・・? 検察は単なる可視化ですら、おののいている。よほど、他人に見られたくない調べ方をしているのか・・・。裁判官もそのミッション故、世間から疎いことが指摘されて久しい。前にNHKで「ジャッジ~島の裁判官 奮闘記~」というドラマを放送していたが、その職業がら、近所づきあいも制限されるという。
そして一般人に最も身近な存在であるべき弁護士。普通の人では、余程のことが無い限り、お世話になる事がない。いやお世話になりたくない・・・。なぜ?・・・

前に給料不払い問題で、ある弁護士に「先方に直接行って頼んでくれ」と言ったことがあった。すると「弁護士は、事務所に呼び付けることはあっても、自分から先方に出向くことはない」と言われてしまった。それが弁護士世界の“常識”・・・。つまり、サービス業であるにも拘わらず・・・だ。それは何故か? 希少価値故? だから、弁護士の数を増やして、一般大衆化させる。それによって、弁護士“サービス”を人々の身近に・・・。それが今回の司法制度改革の理念だったのでは!?

しかしこの社説ではないが、やはり弁護士志願者は、特権階級としての職業像から距離を置くことは出来なかったのかも? 合格者数が増えるので自分も合格し易くなる。でも弁護士としての受益は、従来通りを期待・・・。だから「何か期待と違うので(儲からないので)、これ以上弁護士の数を増やすのは止めようよ・・。(自分はもう弁護士になってしまったので、いくら減らしても、もう影響ない・・)」・・??なんて想像すると、何か寂しい・・・。

先の社説のタイトル「利益団体でいいのか」に代表されるように、世間の弁護士“業界”への視線が厳しくなっている。何故か?最初に思い浮かぶのが、弁護士業界の金銭感覚の大衆からの乖離。我々が1万円と思っている感覚が、弁護士業界では10万円・・・。そして“先生”として君臨していることでの、世間感覚からのズレ・・・

これは“夢”の話だが、弁護士会のホームページで、所属弁護士全員の「手弁当活動」の実績を公表すると面白い。お金をもらって活動するのは商売。それ以外の、(安い国選弁護のような)いかに手弁当で世の中の人に奉仕するかが弁護士の価値。そう評価して各弁護士の“ボランティア度”を公表する・・・。そんな評価に変わって行けば、数を増やして一般人に身近な法曹を、という当初の理念に戻るかも・・・
現状では、身近で何か事件が起きても、何とか弁護士には頼まないで解決したい・・、が今の自分の心情である。

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2012年3月14日 (水)

河本江利子の童謡「かぐや姫」

NHK FMを始め、ラジオからは、数多くの歌を教えてもらったが、今日はその中で「かぐや姫」という童謡を紹介しよう。本当は、今の季節が秋だと良かったのだが・・・・

<河本江利子の「かぐや姫」>

「かぐや姫」
  作詞:武内利栄子
  作曲:長妻完至

竹やぶの 竹やぶの
竹の中から生まれ出た
月の雫のお姫様
光輝くかぐや姫 かぐや姫

竹取りの 竹取りの
翁を訪ねて遥か来て
花を開いたお姫様
光輝くかぐや姫 かぐや姫

十五夜の 十五夜の
月の光に招かれて
一人旅立つお姫様
光輝くかぐや姫 かぐや姫

確かに童謡は、世の中に数限りなくある。だから知らない歌も多い。自分が知る機会はほとんどがラジオ。昔はやったデジタルラジオも・・・。この歌も、昔CSデジタルラジオから録音して持っていた音源。それを先日、NHK FMの放送で聞き、良い歌だな・・と再認識した。
しかしこの歌は、河本江利子の録音しか知らない。それだけにマイナーな童謡なのかも知れない。
作詞者も作曲者も、Netで見る限り、ほとんど情報が無い。JASRACのデータベースでは、この歌は既に著作権が消滅。どちらも、大正から昭和初めに活躍した方らしい・・・

聞くと分かるが、ほとんど唯一の録音である河本江利子の歌が素晴らしい。実に現代的な、それでいて叙情豊かな編曲も含めて・・・

Netでみると、河本江利子の他に、昔川田正子が歌った録音があるらしいが、聞いたことはない。
それにしても、Netで「かぐや姫」を検索すると、フォークのかぐや姫の情報ばかり・・・。南こうせつさんに、グループの名前に3人のオジサンとあまりにもイメージが違う(失礼!)“かぐや姫”と、何で付けたのかを聞いたみたいもの・・・

何度か書いている事だが、シルバー世代になると、“せっかくこの世に生を享(う)けたのだから、一度くらい**を見て(聞いて、読んで・・)から死にたい”と思う。
この「一度くらいは・・」シリーズに、今までのオペラや映画、小説などに加え「童話の世界」も入れようかな・・・。
先日、新聞に古事記の神話の世界の話が載っていたが、それらを含め、日本の昔ばなしの世界も、大人として今一度読んでみると、意外と美しい世界があるかも・・
サンデー毎日に向かって、“する事”を集めているシルバー族ではある。

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2012年3月13日 (火)

ロンドン五輪の男子マラソン代表選考に思う

今朝の日経新聞のスポーツ欄。ロンドン五輪の男子マラソンのメンバー選考についての記事があった。自分としてあまり興味を示さないスポーツの世界だが、なぜかこのマラソン代表の選考だけは興味があった。結果、妥当な選考だったが・・・。曰く・・・

選考レース 輝き放った異端
 川内と藤原というアウトローが出現していなかったら、今回の男子の選考レースは味気ないものになっていたのではないだろうか。2人がロンドンを巡るドラマで異彩を放ったのは、ともに我が道を行く競技者であるからだ。
 川内は実業団からの誘いを断り、公務員としてフルタイムで働きながら「市民ランナー」として競技を続ける道を選んだ。実業団選手のように月間1000キロも走り込まなくても十分だと言い、その半分の走量で昨年の世界選手権に出るまでになった。単身で練習しているがゆえ、レースを練習の場として自分を追い込む手法をとる。
 型にはめられることを拒んだという点では藤原も同じ。駅伝を義務付けられ、マラソンに特化した練習ができないことに疑問を抱き、2年前に実業団チームを飛び出してプロ宣言した。
 しかし、なかなか支援者は現れず、ようやく契約した企業からも報酬の未払いが続き、関係を断った。「無職ランナー」という呼称は実情をそのまま表している。貯金を取り崩しながら、ランニングフォームを重視した独自の理論で力をつけてきた。
 メーンロードを走ってこなかった川内。そこから自ら外れ、その拍子でドン底に落ちかかった藤原。恵まれない環境下で走る2人が日本のトップに食い込んでいるのだから考えさせられるものがある。
 ともに組織に寄りかからず、いわば「個」で勝負する潔さを示した。その姿勢は、裸で大自然と戦うマラソンというナチュラルな競技性とマッチして、見る者を引きつけた。
 マラソンはよく人生にたとえられる。2人に注目が集まるのはやはり己の生きざまを提示したからだろう。ともに自力で道を進むことに拘泥してきた。2人が示したものに、チクリと刺された感覚を覚える者もいるのではないだろうか。(編集委員吉田誠一)」(
2012/03/13付「日経新聞」p37より)

この二人のちょうど正反対にいるのが水泳の北島選手だろう。表に出て戦う北島選手の後方に、膨大なバックアップ体制があるという。金メダル一つにいったいどの位の人員とお金が掛かっているのやら・・・・。そんな事を思い浮かべながらこの記事を読むと、実に痛快だ。

川内選手が東京マラソンで敗れたとき、「五輪代表には選ばれないと思う」と発言したのが印象深い。これは“一人”だからこそ言えた言葉。つまり何事も自分自身で責任が取れるから言える。それに比べ、多くのバックアップ体制を持っている選手は、こうは言えない。バックの人に失礼だし、万が一のチャンスに備え、辞退宣言とも受け取られかねないこんな発言は到底出来ない。

しかし、このようないわゆる“手弁当”の選手たちの出現は、専門職業化したスポーツ選手にとって、良い刺激となるだろう。給料付の選手にとっては、メンツ丸つぶれ・・といった事態なので・・・!?

でも前に公務員のマラソン選手が出現したときは、皆がビックリしたもの。そんな片手間で、出来るのか?・・と。でも川内選手は五輪代表を競うまでに伸びた。これは大変なこと。
川内選手はまだ25歳だという。例え今回は敗れたとしても、まだまだ色々な舞台が待っている・・・
ふと、東京五輪の円谷選手(ここ)を思い出した。陸上自衛隊員だった円谷選手は、自衛隊を、そして国民を代表する、という重圧のために、自ら命を絶った。責任感とは、かくも重い・・・・
でも上の記事の藤原選手も川内選手も、その点では有利。責任を負うのは自分だけ。これをバネに、それぞれ立場は違うが、羽ばたいて欲しいもの。
まずは2012年8月12日の男子マラソンに注目しよう。そして、来年の東京マラソンでの川内選手の復活に・・・。
そう、カネが無くてもスポーツが成り立つ事を見届けるために・・・

●メモ:カウント~270万

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2012年3月12日 (月)

FMシアター「つづれ織り」

我々シルバー世代にとっては、甘酸っぱいドラマを聞いた。2012年3月10日にNHK FMで放送されたFMシアター「つづれ織り」である。
この番組は前にも何度か紹介しているが(ここ)、良質の品のあるラジオドラマで毎回楽しみに聞いている。今回は、ある男女の巡り会いと再会、そして・・・。それをキャロル・キングの歌とひと言の言葉を軸に物語が進む。
NHKのHPには、こうある。
「あらすじ:心に残る言葉というのがある。人それぞれ、それは違う。人生訓のような立派な言葉が、心に残るとは限らない。何の変哲もないひと言が、その人の人生を大きく左右することもある。男は女から言われたひと言を事あるごとに思い出す。それは男にとって大切なひと言だった。そのひと言とは・・・「自分を曲げたら、つまらんよ」。言った本人さえ記憶のかなたに行ってしまったその言葉は、男の心の中で、言霊のように節目節目に現れる。30数年ぶりに再会した2人は、夜が明けるまで海辺で語り合う。その数時間をキャロル・キングの『君の友達』のメロディーとともに綴る物語。」ここより)

このドラマの最初の一部を聞いてみよう。

<FMシアター「つづれ織り」>

*番組全部(50分)をお聞きになる方は、(ここ)をクリックして数分待つ。

ところで、「つづれ織り」という言葉を自分は良く知らない。広辞苑を引いてみると、「つづれ‐おり【綴れ織】経糸たていとで緯糸よこいとを包み覆ったような外観を呈する織物の組織の名称。」だそうだ・・・
調べてみると、この『君の友達』が入ったキャロル・キングの「つづれおり(Tapestry)」というアルバムは、1971年にリリースされたアルバムで、世界中で延べ2,200万枚を超える歴史的名盤だそうである。自分は門外漢で分からないが・・・・

その歌を別にしても、このファンタジーは、なかなか趣がある。中学時代に出会い、同じ高校から、彼女を追って同じ大学に進み、会い、別れ、また40年目の再会・・・。彼女の言霊「自分を曲げたら、つまらんよ」・・・が人生を貫く。

妻以外に、これだけの影響を与え続ける女性の“存在”・・・。何と“羨ましい”ことか!?

還暦をとうに過ぎた我々シルバー族にとっては、これは憧れの世界かも知れない。
我々の日常は、あまりにもリアリティがあり過ぎる。たまには、こんなファンタジーでも聴きながら、有り得ぬ世界(←既に自分は諦めの境地!?)に浸るのも一興では・・・?

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2012年3月11日 (日)

息子の結婚式が無事終了・・・

今日は、まったくの自分の“日記”・・・、というより、“第三者的現代結婚式見聞録”かな?
昨日、無事次男の結婚式が終わった。式のちょうど2日半前の食中毒の発病・・・。それを抱えての参列は、神のご加護か、仏の救いか・・・、何とか乗り越えられた。神はキリスト?それとも天照大神?はてまた熊野さん?香取さん? 仏は、大日如来か観音さまか・・・。誰が人生のピンチを助けてくれたか分からないが、当日は、ほぼ通常のコンディションで迎えられた。
しかし、カミさんが今吐露するに、前日の昼前に九州に出発する時、電車の中での顔色は最悪だったとか。それを「大丈夫だよ。顔色が良いから・・・」と言ったカミさんの“ウソ”・・・。なかなか侮れない・・・(まあ正解だけど・・)

3月9日結婚式前日、夕方九州に着いて無事ホテルに。夕食は、さすがに自重。あまり食べず。昼も機内でのおにぎり一個だったので、腹が減っているはずだが、あまり空腹感無し・・・。
夜は予想通り、長男のイビキに負けた。
3月10日の式当日、朝食は何とか少し食べた。そしてモーニングに着替え、12時前に出陣。
型通りの親族紹介、チャペルでの結婚式、そして披露宴と進む。さすがに一流ホテル、設備や進行、取りに手違いはない。
P11104081 印象に残ったのは、チャペルの式の後での屋上でのセレモニー。鐘が鳴り響く道を、新郎新婦が皆から投げられた花びらを受けて歩く・・・。幸い天気が良かったので、シャボン玉がキレイで、鐘の音が良く似合う・・・。なかなかの演出だ。

<その鐘の音・・・>

後で聞くと、カミさんは結婚式のときに聖歌隊(と言っても2人だが)が歌うアベマリアが素晴らしく、これに過激してこれからキリスト教に改宗するのだとか!?
それからビックリしたのが、披露宴会場に入る時に、会場全体がスモークで白く煙っている・・・。ドライアイスだろうが、神秘的で演出満点。
それからビックリしたのが、新郎のお色直し(?)の時に、新郎の母親が介添えするという。新婦の退場に母親が介添えするなら分かるが、大の男が、お袋と手をつないでの退場?? 数日前にそれを聞いた時、カミさんがいやがること・・・・・。格好悪い・・と。でも、確かにでもNetで調べると、有り得るらしい・・・。仕方がない・・・
でも後でカミさんに「どうだった?」と感想を聞くと、「楽しかった・・」!!

しかし結婚式の披露宴も変わったものだ。昔は仲人を立てて司会・進行も友人がやったものだが、今は司会はプロのアナウンサー。よって進行を気に掛ける事は無くなった。それは安心で良いのだが、挨拶が非常に少なくなっている。昔は、目白押しに次から次へと祝辞が続いたもの。話す方は、それが終わるまでは、落ち着かなかった。それが今の結婚式では、話をする人が非常に少ない。確かに、話をしなければ充分に料理を楽しめるので・・・
自分も、昔結婚式に招待された時は、挨拶をするのならなるべく早く、と言ったもの。ざわついている中でのスピーチほどやりにくいものはない。そして終わった後のビールがうまい・・・
しかし今回は、サプライズと称して、司会者が皆の席を回って、突然にインタビューしていた。これが本当に予告無しとすると、かえって皆は安心して料理を食べられないのでは・・・と思う。話したい人、話したくない人がいるので、自分としてはやはり予告先発が良いと思うが・・・

挨拶も、紙を見ながらなら安心して行える。昔自分たちが何度か仲人をした時も、堂々と紙を出して読んだもの。しかし主賓の時はさすがに紙を見るわけにはいかないので、事前準備が必要だった。そして今回、自分には初めての「両家代表のご挨拶」がきた。
これを、紙を見ながら・・・では格好悪い。まあ何とかこなしたけど・・・・
テーマは、NHKラジオ深夜便で耳にしたアサヒビールが行ったアンケート結果(ここ)からの拝借・・・。

■今、あなたが大切にしたいものとは?
1 家族(夫・子ども・妻)、家族の絆 62.7%
2 命・健康・体力 10.5%
3 恋人・友人・知人など9.2%
・・・

(挨拶が終わって、ヤレヤレ・・とビールを飲むわけにも行かず・・・残念!)
披露宴が終わった後の新郎新婦・両親の「お見送り」では、何と新婦の友人2人から、それぞれホメられてしまった。あのスピーチが良かったと・・。あれはスピーチではなく、お礼のご挨拶なのだが・・・。もちろんその二人が“絶世の美人”だった事は言うまでもない。

かくて、つつがなく無事結婚式が終了。しかし、とにかく暑かった。九州はどこもここも。それに引き替え、帰った家の寒さ・・・・。火の消えた家の中は10度。

さっき、天皇皇后両陛下が出席した、東関東大震災の追悼式典がテレビ中継されていた。先の手術を経て、天皇が強く出席を希望されていたという式典。“3月11日午後2時46分”という“その瞬間”に、代わりはない。
今回の結婚式もそれと同じ。「新郎の父が(食中毒で)欠席のため・・・」とは行かないのである。
最初にも書いたが、少なくても本番の時間帯でほぼベストコンディションを回復できたのは、何か大いなるもののご加護を感じる。誰にどう感謝を表したらよいか分からないが・・・

それにしても「両家ご挨拶」は、何とか最初の方にならないものか・・・。ゆっくり料理を食べられない・・・。まあ原理的に無理だけど・・・。
せめて“口パク”のオプションがあれば、自分なら幾ら高くても申し込むな・・・。高級フランス料理を安心してゆっくりと楽しめるので・・・。
とにかくヤレヤレであ~る。お疲れ自分!そしてお疲れ(“ウソ”つきの)カミさん!

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2012年3月 8日 (木)

何と食中毒!?

昨夜は、何と食中毒?に罹ってしまった。これは今後の為の自分のメモである。
昨夜、普通に夕食をとった後、トイレに座ったら、水様便が自動的に出る・・・。体調は悪くないのに・・・。2時間で7~8回行っただろうか・・・・
原因不明。Netでみると、水様便は過敏性腸症候群?・・・・それとも緊張から?

何とか寝て、午前1時、どうしても腹が張るので、吐き気はないものの、苦しいので吐こうと思ったら、胃の中の物がどっと出た。ものすごい勢いで、吐いた。それで少しは楽かと思ったが、4時頃にもう一度吐く。その時はカミさんも起きてきて、「これはただ事ではない。明日は病院に・・・・」
ふと、これは食中毒では?と思い、過去のメモを調べてみた。すると、以前にもまったく同じ症状があった。水様便と吐き気。その時は近くの医院に行って「急性食中毒」と診断された。そうか、これは食中毒だ、と思ったら気が楽になった。
原因は?自分だけかかって、カミさんがOKということは、1日前の夕食の近くのスーパーで買ったサシミか??これは自分だけ食べたので・・・。それにここ2~3日、それ以外の生ものは食べていないので・・・・

明け方ウトウトして、目が覚めたら体調が少し戻っていた。早速、朝近くの医院に。
「症状から見ると、ウィルス性の胃腸炎かな・・。今できるのは点滴ぐらい・・・」ということで、500cc×2本の点滴をして貰った。1時間半少しかかったが、少し力が出て来たみたい・・・。脱水症状だったので・・・・
医師に「原因はサシミかな?」と聞いたら、「ウィルスや細菌はその辺にうじゃうじゃ居るので、特定するのは難しい。サシミと断定するのも難しい・・・」と言う。
それにしても、体に毒が入った時の生き物の反応は素晴らしい。直ぐにそれを体の外に出そうとする反応。これらのメカニズムには、ただただ驚くほか無い。

食欲も少し戻ったので、何とかやっている。それにしても、大事の前なのに、情けない・・。
人間、“これだけは外せない・・”という大事はそう数多くあるものではない。実は我が家にとって、大事が2日後に迫っている。昨夜の発病なので、今日一日あったので何とか復帰できそうだが、発病が一日遅れていたら、非常にヤバかった・・・・

この場だけは外せない、という代表例は仲人や結婚式の主賓かも知れない。現役時代に何度かそれを経験したが、今考えても、病欠も遅刻も許されない、まさに“外せない場”だった。それに引き替え、会社生活では、大体の場合、交代が許される。でも“人生の一大事”のときは、代替部品無し・・・・なのだ。

まあこんなメモを書ける状態なので、何とかなると思うが、大事の前は用心に越した事はない。それは生ものを食べるのを避ける事もその一つ・・・。(実は3月10日に息子の結婚式が福岡であり、明日九州に発つ予定なのだ・・・。何とか乗り越えねば・・・・)

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2012年3月 6日 (火)

「老いること」の利点・・・

毎月送られてくる雑誌「大法輪」。今月号の特集は「『老い』と『死』の生き方」。ちょっとドキッとするテーマ。その中で、面白い記事を見つけた。曰く・・・

「『老いることの利点、そして我が死
       元代々木医院副院長 精神科医 中澤正夫
 ◆はじめに
 私は七十五歳、臨床医としては現役であるが、管理や経営からは引退という気楽な立場である。私は今一番幸せな時期かもしれない。「思ったこと、感じたこと」を誰はばかることなくいえるからである。もう地位も月給も上からないから気兼ねなく直言できる。老いて一番「うれしい」ことである。老いて高まる能力を生かせているからである。だがわたしと同じ立場にすべての人が立てるわけではない。この能力を誰でも持っているにもかかわらず……である。まず老いて高まる「能力」から述べる。
 ◆老いて熟成する能力とは
(1)絵を読み取る力:混沌とした状態の中から隠されている「絵・本質」を読み取る力
(2)潮目を読む力:運動でも商売でも物事には潮時が有る。進むか、退くかの判断力
(3)人を繋げる力:人の財産はなんと言っても人脈、それを作り保持する力
(4)捨てる力:不要な物や人間関係を整理し捨てていく力
(5)自分と祈り合う力:頑固な自分をうまく騙し、まあまあと折り合いをつける力
 すべて、それまでの人生の試行錯誤の積み重ねの中から、経験則として析出してくる能力である。記憶・計算や整理・分析はコンピューター任せのこの時代、職場づくり、人間関係に必須な能力、本当の「人間力」である。定年とは、この力がついた人を駆逐する仕組みである。もったいない事である。
 では老人達がこの力を使えるか?というとそうではない。それを生かす場面・機会がない。近隣はその社会的機能を喪失し、老人に役割を期待する活動は激減している。会社人間だったので、新たな近隣形成をする力もノウハウも足らない。第一、老人に何かを期待する風潮がない。使わなければこれらの結晶能力は速やかに減少する。老人の方にもハンデがある。この能力は「脳が極度に衰えれば」無くなっていくからである。使えているのは自営業・中小企業主、や政治家くらいなものであろう。
 近隣・集落が機能していた頃、どこでも頼りになる「隠居」がいた。10年ほど前、「自分は隠居になれるだろうか?」「隠居ぐらしの条件」とはなにか、考えたことがある。四つある。①死の(心の)準備が出来ていること、②まとまった金がいる(「死に金」よりも「老い金」)、③自分が生きていることを期待している人がいる、④ボケていない、である。②と③で多くの人が隠居ぐらしは無理なのである。①については人様々のようである。・・・・」(雑誌「大法輪」2012年3月号p90より)

老人のことを、別名「ベテラン」という(?)。しかしそれはある専門領域を持っている人のこと。いったんリタイアして家庭に戻る(入る)と、多くの老人はベテラン領域の専門性を活かすことが出来ず、結局“濡れ落ち葉”・・・・!?(←これ、自分のこと)

でもこの記事のように「老いて熟成する能力」と評価されると、何か嬉しい。ここに書いてある5つの項目は、どれも納得する。つまりこれらの項目は、誰でも若い頃に比べると、確実にベテラン化しているはず・・・。結局は“余裕”の問題かも・・。それは“もう地位も月給も上からない”という、ある意味開き直りから来ているようだ。

今自分がいる会社で振り返ってみると、自分のような“ベテラン”は、現役のラインの中での居場所が難しい。出過ぎても煙たがられるし、引っ込み過ぎると無用の長物。そのバランスこそ、「老いて熟成する能力」で乗り越えるアイテムなのだが・・・・
もう3月・・。多くの企業で、組織や人事の内示の時期・・・。そんな風物詩を、“現役さんは大変だね~”と、超然と(=他人事として!?)眺める“ベテラン”なのである。

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2012年3月 5日 (月)

「円安と政治リスク」

当然の話だが、新聞記事は少しでも古くなると、直ぐに賞味期限切れになる。でも下記の記事の切り抜きは、何か気になっていつまでも捨てられない・・・。よって、だいぶん古い記事だが、まだ賞味期限ギリギリかも・・と思って処分して(載せて)しまうのだ!??
いつもの日経新聞「大機小機」からの記事だ。

円安と政治リスク
「不退転の決意」。野田佳彦首相は消費増税を含む税と社会保障の一体改革に言及するとき必ずこう決意表明してきた。古今東西、増税は有権者から歓迎される政策ではないが、昨年来、野田首相は消費増税を前面に掲げて「社会保障と税の一体改革」に真摯に取り組んでいる。
 人口減少と少子高齢化か進展する日本において右肩上がりを前提にした社会保障制度に限界がきていることは明らかだ。国民の間にも増税やむなしという理解は定着しつつあるように見えた。本紙世論調査によると、社会保障制度を維持するために消費増税が必要と考える人は59%に上る。その半面、「2014年4月から8%、15年10月から10%」とのスケジュールになると、賛成は40%になる。
 民主党内には小沢一郎元代表や鳩山由紀夫元首相を支持するグループを中心に120       人を超える反対者がいるといわれている。与党が圧倒的な議席数を握る衆議院でさえも法案通過が危ぶまれており、もし衆院を通過できたとしても、現状では参院で立ち往生してしまう恐れが強い。
 野田内閣が一体改革に失敗し退陣に追い込まれるようなことになれば、今後10年や20年間は消費税増税を掲げて改革に取り組む政治家は出てこないだろうし、日本の財政が大幅に悪化するシナリオが現実味を帯びてくるであろう。
 それを感じてか、このところは円安が進み始めている。日本が世界最悪の財政状況にありながら日本国債や円が安全資産として買われてきたのは、将来にわたって「大きな増税余地がある」ことも要因である。それだけに、消費増税に失敗すれば少子高齢化・人口減少による財政悪化が加速されるのは避けられない。
 金利の上昇による国債費の急増でわが国財政が行き詰まるようなことがあれば日本発の金融危機さえ懸念される。円の急落による購買力の低下は、わが国が国際資源争奪戦において中国やインドなどの新興国に買い負けするといった事態をもたらしかねない。
 わが国経済の生命線とも言うべき資源・エネルギーの調達に支障をきたし、原子力発電所の再稼働か進まない中、電力不足や資源不足が起きれば国民経済への打撃は計り知れない。円安、金利上昇は円高やデフレよりも怖い。責任ある政治家諸氏の与野党の立場を超えた一体改革への真剣な取り組みを期待したいものである。(枯山水)」(2012/02/22付「日経新聞」「大機小機」より)

もう2週間も前の記事。でもまだ有効なような・・・・
このところ、(政敵を外した?)“公正な”選挙でロシア大統領にプーチンが当然のごとく復帰し、国内では民・自の秘密党首会談がバレてしまった・・というニュースが流れている。
この密談,、議論は大いに結構。問題は、民自のトップに、秘密裏に約束したことを実行出来る度量があるかどうか・・・

とにかく今の日本は「動く」ことが最重要。足下をすくう“ゴッコ”ばかりしていても、国民から見捨てられるだけ。でも先のロシアと同じように、対抗馬(現状を救うタマ)が不在なのが痛い。日本の場合は、政敵外しのロシアと違って、政治家の能力不足なのでどうしようもないけど・・・。
Netでこんな記事を見つけた。
「・・・・非公開の党首会談は必要、不可欠だ。政権党のトップと野党第一党の総大将がハラを割って話し合えば、大抵のことは片づく。・・・但し条件がある。両者ともに相手のハラに信を置き、約束したことは必ず守るという相互信頼関係が前提だ。歴史を振り返ると、西郷隆盛と勝海舟がヒザを交えて秘密会議を開き、江戸城の無血開城を実現させた。これにより百万の江戸市民の生命財産が戦禍を免れた。・・・」(ここより)

今の2大政党の党首を、西郷隆盛と勝海舟に例える所など、まさに何と度量が大きい筆者だろう・・・・。
今の日本の政治の世界で、大物の出現を夢見ることは、もはや無い物ねだり。よって、地道な活動に期待するしかない。ぜひお二人から、国民を「オッ!」と思わせる動きを見せて欲しいものだが・・・。ネッ!

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2012年3月 4日 (日)

朗読「藤沢周平:海鳴り」が終わった

NHKラジオ深夜便で、毎(月)の午前0時台に放送されていた「朗読 「海鳴り」作:藤沢周平 語り:松平定知」が、先日とうとう終わってしまった。全92回、つまり2年弱にも亘る長丁場だった。少し長いが、その最終回を聞いてみよう。

<朗読「藤沢周平『海鳴り』語り:松平定知」>

藤沢周平の「海鳴り」は、上下巻の長編小説。Amazonのサイトの紹介記事としてこうある。
「はじめて白髪を見つけたのは、いくつのときだったろう。骨身をけずり、果てにむかえた四十の坂。残された日々は、ただ老い朽ちてゆくばかりなのか。…家は闇のように冷えている。心通じぬ妻と、放蕩息子の跡取りと。紙商・小野屋新兵衛は、やがて、薄幸の人妻丸子屋のおかみおこうに、果せぬ想いをよせてゆく。世話物の名品。
このひとこそ…生涯に真の同伴者。男が女にえがく夢は、底知れず貧欲なのである。小野屋新兵衛は、人妻・おこうとの危険な逢瀬に、この世の仄かな光を見出だした。しかし、闇はさらにひろくそして深いのだ。悪意にみち奸計をはりめぐらせて…。これこそ藤沢調として、他の追随をゆるさぬ人情物語の名品!」

ラジオ放送の朗読は、電車に乗りながらでも、聞いているだけで小説が進んで行く、という利点がある反面、進行は遅い・・・。聞く度に、前回は何だっけ・・と思い出すのに一苦労。そこは局も分かっているのか、それまでのあらすじを言ってくれるので助かる・・・。
この小説も、前半は少々のろかった。単なる浮気話・・? しかし最終章へのなだれ込みは迫力があった。

長編小説では、登場人物の名前を覚えるのが必要だが、自分はそれが苦手・・。この小説でも、名前と役割がなかなか一致せず、最後までボヤッとしていた。紙の本なら、登場人物一覧(相関図)ででも確認できたが、ラジオ放送の朗読ではそれは無理。
自分の場合、映画やTVドラマでは、名前は覚えていなくても、顔を覚えるので、ストーリーが分かる。しかしラジオはなかなか難しい。(とは言っても、外国映画では、顔を覚えること自体が自分にとって難しいが・・・)
高校の時、国語の先生に勧められて、長編小説を良く読んだ。「レ・ミゼラブル」や「ジャン・クリストフ」など、今思えばよくぞ受験勉強の傍らでこんな長編を読んだもの・・・。そして、これらの全集には、しおりが登場人物一覧表を兼ねていて、それをちょくちょく見ながら読んでいた。特にカタカナの名前はなかなか覚えられず、“しおり”が無ければストーリーは分からなかっただろう。

正直言って、最近は本当に小説を読まない。それで、サンデー毎日になったら小説を読もうと思ってはいるのだが・・・・。
それで、いつだったか、本を読みたいので、サラリーマンを辞めようかな・・と言ったら、カミさんに“ケッ”と笑われてしまった・・・。何で??

先の朗読の番組も、続きが無いようで残念・・・
藤沢周平や山本周五郎を集中して読みたいと思うこの頃である。

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2012年3月 3日 (土)

おばあちゃん子~「私の履歴書 樋口武男」より

今月の日経新聞「私の履歴書」は大和ハウスエ業会長 樋口武男氏だ。もちろん自分はこの人を知らない。でも昨日の記事は面白かった。曰く・・・

私の履歴書 樋口武男
・・・・・・
「武男、武男」とかわいがってくれたのは一緒に暮らしていた祖母のシモである。1878年生まれで気骨あふれる明治の女。猫かわいがりなどしない。しつけの厳しさは尋常ではなかった。
 4歳のある朝、おねしょをした。布団をくるくると丸めて隠し、そのまま近所へ川遊びに出かけた。近所のお兄ちゃんたちと一緒になって小川を2ヵ所せき止め、たまった水をかき出して中に残ったザリガニや小魚をとるのだ。
 間もなく血相を変えた祖母が追っかけてきた。家に連れ帰り、私を納屋の柱に荒縄でぐるぐる巻きに縛った。朝ご飯も食べずに家を飛び出しているから腹がすく。かわいそうに思った母が昼過ぎに握り飯を持ってきてくれた。それが祖母にばれた。「甘やかしたらろくな子にならん」と言って追い返してしまった。
 あたりは段々暗くなる。人の気配はせず、聞こえるのは納屋の隣で飼っているニワトリ20羽の鳴き声と羽音だけ。心細いことこの上ない。泣きに泣いて涙も枯れたのを見計らって祖母が現れた。「分かったか、うそとごまかしは絶対にあかんぞ」。こんこんと説教され、ようやく縄をほどいてもらった。
 「他人様に迷惑をかけたらあかん」と繰り返し言われた。ケンカに負けて帰ると竹の棒でたたかれた。こちらが小学生、相手が中学生であっても関係なし。「トミ(富太郎=父)はケンカで負けたことないで」と言ってもう一度行かされ、私か逃げ出さないよう後ろで仁王立ちしてにらんでいる。再戦では殴られようがどうされようが相手の腕にかみついて離さない。向こうが泣き出すまでかみ続けた。
 泣き声を聞きつけて相手の母親が出てくると「子供のケンカに親が出るな」と一喝。「あんたも出てるやないの」と向こうが言うと、「親とちゃう、ばあちゃんや」と言い返した。あんなに気の強い人間には会ったことがない。
 祖母の教えは3つある。
 1、うそとごまかしは絶対に許さない
 2、人に迷惑をかけるな
 3、闘ったら必ず勝て
 世間に「おばあちゃん子は三文安い」などと言わせぬように、祖母がたたき込んだ3ヵ条はそのままビジネス訓として今の私を律している。(大和ハウスエ業会長)」(2012/03/02付「日経新聞」p40「私の履歴書」より)

おばあちゃんは、普通は優しい存在。最近、“まさに初めて”夫婦そろって見ているNHKの連ドラ「カーネーション」でもそうだ。麻生祐未が演じるおばあちゃんの小原千代が、何とも好き・・。気品があって、優しくて・・・。しかしこの麻生祐未、カミさんからTBSの「JIN-仁-」(ここ)の厳しいお母さん役と同じ人・・・と聞いて、「そうだ、あの厳しい母親・・・」と思い出した。
役者は、同じような立場でも、どうにでも演技出来る。スゴイ・・
それなのに、今日の放送(127回)で、主役の尾野真千子さんも麻生祐未さんも、出演が終わってしまった。残念!

おっと話がずれた。自分も少しの間、祖母と一緒に暮らしたことがあるが、あまり仲が良くはなかった。だから祖母の影響はほとんどない。
しかし、この記事のおばあちゃんの存在感はどうだろう。明治の女、という一言では言えない。結局、自信の表れ? 自信があれば強くも言える。また信念があれば、キツイ教育も出来る。(もっとも、あまり自信があり過ぎると、子供が萎縮してしまう。だから、厳しい祖母と優しい母、のような、厳しさと優しさの分担が重要なのは言うまでもない)

「三つ子の魂百まで」とは良く言う。この信念の躾けが、子供に大きな影響を与える。しかも、先の筆者の祖母は、「3つの教え」と、実に分かり易い。
ひるがえって、自分の子供への教育方針はどうだったか? これ・・という言葉が浮かんでこない。つまり“何となく”育てた・・・?
光市母子殺害事件(ここ)のように、重大事件を起こす人は、子ども時代の育成環境に色々な問題がある場合が多いという。家庭内暴力や虐待、離婚など・・・。
すべては平穏で円満な家庭から健全な子どもが育つ。これから子どもを育てる若い人には、こんなおばあちゃんの存在は期待出来ないものの、厳しさと優しさのバランスが取れた子育てを期待したいものだ。

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2012年3月 2日 (金)

「死ぬ時節には死ぬがよく候」

雑誌「大法輪」を読んでいたら、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候」という言葉を見付けた。この言葉、どこかで聞いたことがある言葉だが、良寛さんの言葉だという。この雑誌の本文を少し読んでみよう。

禅僧の老いと死
    作家・日本歴史宗教研究所所長 武田鏡村
 老いることは、病むことである。
 病むことは、また老いることである。
 そして、老いと病いの向こうには、死が厳然としてある。
 この厳粛な事実に対して、禅僧たちはどのように立ち向かったのであろう。
◆良寛の死を見つめる眼差し
 まず江戸後期の大愚(だいぐ)良寛は、老いと死をどうとらえたのであろうか。
 壮年の作と思われる「無常信(まことに)迅速」と書き出す長詩がある。その趣旨は、
 「一朝、病に就いて臥(ふ)さば、枕裳(ちんきん)、長く離れることなし」
 「一息(いっそく)、わずかに截断(せつだん)すれば、六根、共に依(よ)るなし」
 「冥々(めいめい)たり、黄泉(こうせん)の路、茫々として、且(かつ)、独り之(ゆ)く」
 と、人間がかかえる無常をよんでいる。
 良寛は、あくまでも釈尊と同じく、病いと死は避けることができないという事実に立って、人生を直視して自覚的に歩めと唱える。
 だが、死を直視せよとはいっても、死の恐怖や、死後の世界にはひと言もふれない。それは釈尊も語ることはなかったもので、いたずらに死と死後の不安に脅えるのではなく、その不安を生に転化して充実して最期まで生きることを勧める。
 良寛は死の事実は語っても、そこに留まらない。
 「過去は已(すで)に過ぎ去り、未来は尚未だ来たらず。現在復住(またとどま)らず、 展転(てんでん)して相依る無し」
 とうたう良寛にとって、よるべき所なく展転とする“現在”、すなわち、あるがままの“今”を生きることが、何よりも大切であると考えている。
 有名な「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候」という言葉は、災難や死に直面しても、それから逃げずに、それを直視して受けとめる。それが死を乗りこえる「妙法」である、と死に立ち向かう良寛の姿を明らかにしている。
 良寛の晩年は、やはり病気との闘いであった。良寛は、症状に応じた民間療法などで養生している。また下痢に悩まされながらも、その症状を的確に書いている。日々に衰弱していく自分を自覚しながらも、看病する弟子の貞心尼と歌をよみあう。
そして、
 「うらを見せ、おもてを見せて、ちるもみぢ」
 とよんだという。これは自作ではないというが、表裏・生死・美醜・善悪など二元対立するものから、つねに自由になろうとする禅法を体得した良寛ならではの句である。
・・・・・」(雑誌「大法輪」2012年3月号p69より)

なぜか「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候」という言葉が心に沁みる。
結局、そうなのだと思う。あくまで自然体・・。つまり、生き物が死ぬ確率は100%。よって、その順番が来たら、ガタガタ言うのではなく、そのまま受入よ・・・。単に生きている時間がちょこっと多いか少ないか・・・ではないか・・・。そりゃそうだ・・・けども・・・・

そんな心境になるためには、いったいどんな修行をしたら良いのだろう?否、修行の話ではなく、心構えの問題?しかしこの自然体は驚異・・・。
確かに自然体で、災難もあるがままに受け入れ、そして粛々と死んで行きたい。それが多くの人の希望。それが出来ないから誰も苦しむ・・・。
ふと、認知症になると死の恐怖からも逃れ、自然体で死ねるのでは・・・?と思ったり・・。いや、かえって悩みが無くなり、ストレスが無いために長生きしてしまう?
そして話は原点に戻ってくる。つまり生きるとは何だ? 単に動物的に生きているだけでも価値があるのか? 社会的に死んでいるのに動物的に生きていることに価値が・・・
ではどうする・・・・。果てのない、結論のない話ではある。

でもこの「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候」という言葉。何度か口にしていると、心が穏やかになってくるような気がする。開き直ると心が平安になる!?
しばらく、この言葉を噛み締めてみようと思う。

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2012年3月 1日 (木)

グレープとバンバンの「縁切寺」

40年も昔のこと、独身の頃、鎌倉に良く行った。北鎌倉で降りて、お寺を巡りながら鎌倉駅まで。もちろん当時は、お寺についての知識は皆無。その寺が何の宗派か、どんな歴史があるかなども、もちろん知らず・・・
120301enkirideragrape この歌にある縁切寺である東慶寺にも何度も行った。しかし結婚を機に、本当に行かなくなった。(別に縁切寺に因縁があったわけでは無かったが・・・)
我が家は色々と縁があった鎌倉だが、結婚してから行ったのは2回位か・・・。

この、さだまさしの「縁切寺」は、1976年1月にグレープがリリースした最後の楽曲だという。その後、バンバンが1976年8月にカバーした。

<グレープの「縁切寺」>

<バンバンの「縁切寺」>

「縁切寺」
  作詞/作曲:さだまさし

今日鎌倉へ行って来ました
二人で初めて歩いた町へ
今日のあの町は人影少なく
想い出に浸るには十分過ぎて
源氏山から北鎌倉へ
あの日とおなじ道程で
たどりついたのは 縁切寺

ちょうどこの寺の山門前で
きみは突然に泣き出して
お願いここだけは 止してあなたとの
糸がもし切れたなら 生きてゆけない
あの日誰かに 頼んで撮った
一枚切りの一緒の写真
納めに来ました 縁切寺

君は今頃 幸せでしょうか
一度だけ町で 見かけたけれど
紫陽花までは まだ間があるから
こっそりと君の名を 呼ばせてください
人の縁とは 不思議なもので
そんな君から 別れの言葉
あれから三年 縁切寺

しかしこの歌詞は何とも寂しい。さだまさし23歳のときの歌。しかし哲学者・さだまさしの歌詞も、初期のこの頃の歌は分かり易い。
120301enkiriderabanban しかし「人の縁とは 不思議なもので」というのは、最近自分もつくづくそう思う。
Wikiによると、「さだは解散コンサートにて解散の理由を「精霊流し、無縁坂、縁切寺ときたらあとは墓場しかない」と述べている。」とある。
これは笑い話だが、グレープ時代のさだまさしの歌声は、その後の少し慣れた歌声に比べると自分は好き。

今日から3月。会社では人事異動のシーズン。どこかで誰かが転勤になり、人と人との縁の輪が広がっていく。会社の人の縁は、普通仕事の関係が途切れると、終わってしまう。しかし、会社での縁が終わった後でも、続く縁もある。現役時代はまったく気にしなかったが、現役を卒業して初めてそれぞれの縁の深さを実感する。
縁とは、人知の及ばない不思議なものであると同時に、人にとって最も大切なものでは無かろうか・・・。
(5月連休に、もし旅行の計画が立たなかったら、鎌倉にでも行ってみるか・・・。もうここまで来れば、縁切寺も怖くないので・・・!?)

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