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2012年2月 5日 (日)

「知足」を知る

雑誌「大法輪」(2012年2月号)に、「知足」についての話が載っていた。曰く・・・

現代社会に禅の教えを生かす
  曹洞宗 徳雄山建功寺住職 枡野俊明
・・・情報化の進展により、見なくても良かった情報、或いは知らなくても良かった情報までが自然に入って来てしまう。知らなければそのままで済んだものが、知ってしまうと人の欲望に火が付き、欲望は限りなく膨らみ、留まるところを知りません。
 欲しいものを手に入れても、それだけでは満足できず、すぐまた次のものが欲しくなってしまう。もっといいもの、もっと新しいものと、執着心がどんどん膨らんでゆきます。これが「欲望のスパイラル」「執着心のスパイラル」です。こんな欲望には際限がありません。
・・・しかもその欲望はものだけではありません。人間関係でも仕事でも、「もっと欲しい」と思うことがある。ものが一つ増えても、人脈の輪が一つ広がっても、仕事で一つ成果を上げても、満足することは出来ないのです。もっと身近な事柄をいえば、他人と比較して少しでも自分が上になりたいと願う。同僚より出世したい。よその子より自分の子のほうがいい学校に入ってほしい。隣の家よりいい車に乗りたい。これらの心が皆、執着心です。

■「知足」を知る
 それでは、そのスパイラルから抜け出すには、どうしたらよいのでしょうか。
 それは、自分自身を見失わないことです。「本来の自分」はどう感じているのか。何をしたいのか。また、欲しいと思う気持ちの裏には何かあるのか、を考えることです。たいていの人は、まったく使っていないものを持っていると思います。なぜ買ったのに使わないのでしょう。それは、本当に必要ではないのに見栄や体裁、或いは、「欲しい」という欲で買ったもので、持っていることで満足しているのです。
 また、携帯電話には沢山の友人や仲間の電話番号が登録されており、始終電話やメールでやり取している。手帳にいつも空白がないほど予定がぎっしりと詰まっている。それが自慢でもあり、自らの安心でもあると思い込んでいる。そういう友人や仲間は一人でも多いほうが良いと信じ込んでいる人も多いのです。これも「欲」です。もちろん生きてゆくためには、ある程度の「欲」も必要ですが、わきまえも必要です。そして何よりも先ず、今を「ありがたい。もう、十分だ」という気持ちで総てを受け止めることです。その心を禅では「知足(ちそく)」といいます。
 この「足るを知る」という言葉は、お釈迦様が亡くなられる前に説法をしたものを、弟子たちが纏めた「遺教経(ゆいきょうぎょう)」というお経の中に次のように説かれています。

  「多欲の人は利を求(もとむ)ること多きが故に苦悩も亦(また)多し。少欲の人は無求無欲(むぐむよく)なれば即ち此の患(うれ)いなし、直爾(ただち)に少欲すら尚(な)お応(まさ)に修習すべし、(中略)汝等比丘(なんだちびく)、若し諸(もろもろ)の苦悩を脱せんと欲すれば、当(まさ)に知足を観ずべし。知足の法は即ち是れ富楽安穏(ふらくあんのん)のところなり」

 多欲、即ち、貪りの心の強い人は、利益を追求しようとするから、苦悩も多く、少欲の人は、欲望を制することが出来るから、苦しみも少ない。そして、足ることを知る人は、どんなところにあっても心が富んでいるが、足ることを知らない人は、どんなに恵まれていても心は貧しいと説いている。
 心に思い当たるところはないでしょうか。現代社会は、便利な社会ではありますが、また誘惑も多い社会なのです。知らず知らずのうちに「執着心のスパイラル」に巻き込まれている場合が多いのです。
 そんな社会で上手に生きるためには、ほどほどを知って、少しの欲望と調和して生きる。そして「今あるもので十分だ」と思って生きる。その気持ちでいれば、むやみに周囲に惑わされることなく、いつも心豊かで、充実した生活が送れるのです。・・・」(雑誌「大法輪」2012年2月号p23より)

知足については、前に何度か書いている(ここ)(ここ)。あれからもう5年・・・。それで少しは人間が変わったか?? ウーン・・・

自分のサラリーマン生活も、既にラインからサポートに回っているので、別段上昇意欲もなく、また年金の受給が始まったので、そう金銭への執着も無く(たぶん・・・・)、家族もそれぞれ何とかやっているので、まあそんなもの・・。
ふと振り返って、一番執着が無くなったのは、仕事関係を除くと車ではないかと思った。(ここ)にも書いたが、今乗っているコンパクトカー(ヴィッツ)が最高だ。鼻先が短いので小回りもきくし、前にデカイ3ナンバーに乗っていたのがバカみたい・・・・。これはまさに「本当に必要ではないのに見栄や体裁、或いは、「欲しい」という欲で買ったもので、持っていることで満足しているのです。」という指摘通りだ。

話は飛ぶが、最近「受け流す」という言葉が気に入っている。若い頃は(今でも?)、誰かに何か“気にくわないこと”を言われると、腹のムシが治まらず、イライラして家に持ち帰り、家族に当たり、寝るまでその事が頭から離れなかった。
しかし最近、それがバカバカしくなってきた。何か言われても、その事から少し距離を置いてスッと体を躱(かわ)し、聞き流して屁とも思わない・。それがベテランの生きる知恵では・・と思い出した。
要は、価値観が違う人とは、永久に理解し合えることはない。と開き直って、まともに正面からぶつかるのではなく、体をかわすことによってストレスからも体をもかわす。そんな生き方もあるのでは??

物欲に対しても、物事の捉え方に対しても、何か“一歩引いて眺めたいな・・”と思うシルバー族の今日この頃ではある。

(関連記事)
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コメント

遺教経には、サンスクリットの原典がなく、チベット訳もないそうです。パーリ語の原始経典にもありません。だからその経典は中国で独自に作られたか、あるいは、インドから中国に伝わる過程で創作されたものである可能性があります。

それでも、少欲、知足ということは、パーリ語の初期経典にも書かれています。

それは仏教の基本のひとつだと思います。

プライドという欲は、なかなか少なくならないなあ、と私は感じています。

【エムズの片割れより】
それぞれは、(仏教に限らず)人間の永遠の課題ですね。

投稿: たかはし | 2012年2月 6日 (月) 06:46

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