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2012年1月16日 (月)

消費税増税~「身を削ることの意味」

何度も書いているが、当サイトは、自分の勝手な目線で“なーるほど”と思ったことを取り上げている。
自分の愛読している日経新聞のコラム「大機小機」。またまた“ナールほど”と思った記事があった。曰く・・・

身を削ることの意味
 誰もが「消費税増税を提案する前に、身を削る努力をせよ」と言う。しかし、誰も異論をはさまない議論こそ疑ってみる必要がある。そこで「身を削れ論」を疑いの目で点検してみよう。
 「身を削れ論」では次のように言う。「消費税という国民に痛みを強いる政策を取る時には、提案する側の政治家や官僚がまず痛みを負うべきであり、国会議員の定数削減や公務員の人件費削減が必要だ」。しかしこの議論には次のような疑問がある。
 第1に、国会議員の定数や公務員の人件費は、国会議員や公務員の「身」なのか。
 国会議員が自らの利益のために定数を決めているのであれば、定数は国会議員の「身」である。しかし、議員の定数は、国会に国民の代表を何人送るべきかによって決めているはずだ。
 公務員の人件費については、公務員が歳出と歳入をコントロールし、財政が黒字になったら給料を上げていい、ということであれば、人件費は公務員の「身」である。しかし歳出と歳入は国会が決めており、公務員の給料は財政状況ではなく、民間の給与水準に準じて決められている。
 「身を削れ論」の「身」に根拠はなく、「自分の所得が減るのだから、他人の所得も減らさないと気が済まない」という感情論にすぎないのではないか。
 第2に、多くの人が「身を削ることが正しい」と主張するのではなく、「そうしないと国民の理解を得られない」と言うのはなぜか。これでは、国民の理解が得られれば、身を削らなくてもいいということにならないか。
  「身を削れ論」はそれ自身が論理的に導かれる政策ではなく、消費税を通すための便法にすぎないのではないか。
 第3に、なぜ同時ではいけないのか。「身を削れ論」は財政赤字の深刻さと消費税増税の必要性を認めているようだ。であれば、身を削り終わるのを待つことなく、身を削ることと消費税率の引き上げを同時に行えばいいはずだ。
 また、我々は財政赤字を拡大させることで、将来の国民に大変な痛みを強いてきた。痛みを言うのであれば、将来世代の痛みも考えるべきだ。「身を削れ論」は現世代の負担を先延ばしする口実として使われているのではないか。 誰もがそう言うからといって、安易に「身を削れ」と主張するのは考えものである。(隅田川)」(2012/01/14付「日経新聞」p17「大機小機」より)

自分を筆頭に、我々は世の動きに対して、付和雷同している事柄が何と多いことか・・・。我ながら唖然とする。しかし、この記事のような全く別の視点(=「疑いの目で点検する」)の論を聞くと、ハッと我に返る!?
当サイトで繰り返し書いているが、“真実の認識”は何とも難しい・・・。そして、指摘されるまでもなく、我々は直ぐに感情論に左右される。そんな人間の、何と弱いことか・・・。それを正すには、少し時間を置きながら、他人の意見、別の視点に目を向けるしかない。(しかしそれが結構難しいのだ・・・)

話は変わるが、先日NHKの「ためしてガッテン~不眠ストレス緊張撃退」という番組で、「客観視くん」が出て来た(ここ)。「客観視くん」=脳の背内側前頭前野(はいないそくぜんとうぜんや)という部分は、人や他人の心を客観的に見る機能を持っているのだそうだ。なるほど、人間にはあらかじめ客観視する機能は備わっているのか・・・・。
でもそれを使いこなすのは自分。
ものごとを客観視する訓練は、人間、死ぬまで続くような気がするが(つまり、完成は無いということ)、どうだろう・・・・


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